10/04/29 10:29:29 9CX23hr5
>>637
>「有能で血筋もいい・聡明でプライドも高い」っていう似たもの同士の人物像。
>二人とも、一家一国を率いる者としての度量(寛容さも含む)に気構え、覚悟と誇りを同じように持っている。
宗茂とギン千代たんもそうだな
>多分、忠興が感受性の強い繊細な芸術家タイプじゃなければ、
宗茂は感受性は強いかもしれないけど、繊細さは感じられないな
>あるいはガラシャがもうちょっとだけ母性が強いタイプの女だったら
ギン千代はなんだかんだ母性は強いほうだと思う
>国を経営する上でも夫婦としてもお互いにとって最高のパートナーになれたと思う。
残念ながら三斎の友人夫婦が君の考えを粉々に砕いてしまったよ…
645:人間七七四年
10/04/29 11:02:16 IEzq2Hcm
>>557
遅レスだがそこは直接的に拒絶するんじゃなく、もう少しエレガント(?)に断りたいものだ
江戸城の天下普請の際、視察に訪れた寺沢広高は、相役の福島家中に機敏に働く若者の姿を目に止め、
同じく視察に来ていた福島正則に声をかけた。
「あの若侍、出来るな!どうだ、当家に譲っては下さらぬか?」
正則は、笑って答えた。
「おお、それしき易きことよ。ただ、あの者は当家で長らく使っている者の息子で、ゆくゆくは父親の跡目をも
取らせようと思っておったところだ。よって、あれの親の分限ほどは、知行を与えてやってほしい。」
「ほう?して、あの者の父親とは?」
「尾関石見にござるよ。」
「え・・・」
[ 福島正則家老、尾関石見守正勝=郎党分含めて二万一千石・手取りだけでも一万二千石 ]
[ 肥前唐津領主、寺沢志摩守広高=十二万石 ]
「こ、この話なかった事に・・・ナハハハ・・・」
「おや、そうか?それは残念!ガハハハ!」
「「 ハハハハハハハハハハ!! 」」
市松だって、たまには誰かをやりこめたい。
にしても寺沢さん、そんなに節操なくスカウトしなくちゃならんほど人材が不足してたんだろうか?
後の顛末を思うと(´・ω・`)
646:人間七七四年
10/04/29 11:04:24 0m6Wm38f
これは珍しい市松
647:人間七七四年
10/04/29 11:09:05 QzdzjB9J
>>644
宗茂とギン千代の場合は
家中における立花系・高橋系の家臣たちの存在もあるんじゃないかな。
648:人間七七四年
10/04/29 12:04:23 nVaFuUxl
酔ってない時は出来る子の市松
649:人間七七四年
10/04/29 12:23:57 qPeJ7mmA
でも、素面の時が凄く少ないんですよね・・・
650:人間七七四年
10/04/29 15:07:37 NHdKL/sT
>>639
あれって、当時のフランスの法律で、パンが高騰したら、
一部のお菓子を値下げしないといけないと決まっていて
マリーの真意は「お菓子の値下げに踏み切るように」ということらしいけど
政治家は上手く言葉尻を捕らえるなーというか
根本的には民想いだけど浪費を止められないマリーが悪いというか
651:人間七七四年
10/04/29 15:21:04 b4R9vRSD
あれは捏造というのが最近の定説
ルソーの『告白』に"家臣からの「農民にはパンがありません」との発言に対して「それならブリオッシュを食べればよい」とさる大公婦人が答えた”ことを思い出した、とある
カーの本でも元ネタはトスカーナ大公国の公爵夫人と書かれてるし
あの辺は貴族の妬みと革命政府のバッシングが混じって良く解らなくなってるな
652:人間七七四年
10/04/29 15:21:24 +2GpVlu0
>>650
そもそもその話は、マリー・アントワネットがフランスへ来る前、すでに刊行されていたルソーの著作に記載されていた事だし
653:人間七七四年
10/04/29 16:28:46 93CiqF2l
米粥がなければ肉粥を食べればいいじゃない。
654:人間七七四年
10/04/29 16:30:08 EMOe7kk/
糒だろjk
655:人間七七四年
10/04/29 16:56:10 QeJQ5ZHu
西晋の恵帝「米がないなら、肉を食べらればいいのに。」
656:人間七七四年
10/04/29 19:24:59 PPrsina6
>>651
絶対王政期の一般的(模範的?)王侯女性の姿をデフォルメした上で王妃に当てはめたんだと思う。
日本でも>>533>>543みたいに「庶民目線とは違う」事が大物の証だったように
贅沢と飽食は君主の神性維持のために積極的にすべき事と教育されてきたわけだし
657:人間七七四年
10/04/29 19:44:27 fiAtt5pS
初代の家康からしてケチの日本代表みたいな状態だったのに、
徳川政権で贅沢が奨励されるなんてほとんど聞いたことないぞ。
ことあるごとに倹約令出して権力者自ら質素倹約を率先してたからこそ、
長く政権を維持できたんだろうし。
658:人間七七四年
10/04/29 19:50:31 1Y38hpwh
そもそも経済的に困窮していたために倹約令が出たのであり
贅沢をしようにもできなかったのでは?
659:人間七七四年
10/04/29 19:51:19 91cWTfWM
まぁなんだ、「戦国の逸話」について話さないんなら歴板にスレ立てるなり検証スレ行って議論してくれると助かる
660:人間七七四年
10/04/29 22:19:15 QzdzjB9J
大久保忠隣の子忠常は家康の孫娘を娶り、将軍秀忠の覚えもめでたいとあって
「御無双之出頭人」と称された。
その人気も絶大だったらしく、慶長十六年に彼が病死した際には
無断で小田原へ弔問へ出かけるものが数百人にのぼり、そのかどで閉門を命じられた者もいたという。
661:人間七七四年
10/04/29 22:39:00 cSuoxXh7
こういう人に限って短命なんだよなぁ……
662:人間七七四年
10/04/29 22:48:02 V/J9fPHx
大久保忠隣って関ヶ原の後だが、自分の江戸の屋敷に来る人間には、誰にでも
食事をご馳走してたんだってね。
伊達政宗が「そんなのいくらなんでも嘘だろう」と思って、試しに自分の家臣を身分を隠して
忠隣の屋敷に行かせたら、しっかりご馳走になって帰ってきて
「おいおいマジかよ」
って絶句した、と言う話があったな。
こう言ったよく言えば困窮した御家人を救う慈善事業、悪く言えば露骨な人気取りの資金は
大久保長安から出ていたらしい。
663:660
10/04/29 22:49:57 QzdzjB9J
ちょっと修正
×「御無双之出頭人」
○「御当代無双之出頭人」
664:人間七七四年
10/04/29 22:52:24 5ojNfDp6
>>662
それじゃあ謀反のためと誤解されるのもやむなしかな
665:人間七七四年
10/04/29 23:04:40 dnGX6Ve1
臣下が人気取りと取られるようなこと大々的にやっちゃあかんわな。
本多の彼の人に目つけられずともいずれなんかあったろうよ
666:人間七七四年
10/04/29 23:13:07 ytFPmulZ
みんなから嫌われると謀反を企んでると讒言される
みんなに好かれようと人気取りしたら謀反を企んでると噂される
どうしろと?
667:人間七七四年
10/04/29 23:18:04 tLOJWyQG
権力の座に近いほど終わりを全うしにくいのは当然でしょ。
そういうケースの男の嫉妬は怖いよ。
正信みたいに完全に割り切って嫌われる道を選ぶことが可能で、
陥れられるのを防ぐためにはどうしたらいいかまで考えれるような異才ばっかじゃないし。
668:人間七七四年
10/04/29 23:26:09 /j94ZUXs
彦左衛門さんもみんなの人気取りやってたけど、
謀反を疑われたことなんてなかったよ
669:人間七七四年
10/04/29 23:56:13 uxK0gK1t
彦左はえらい人相手の人気取りじゃないやん?
670:人間七七四年
10/04/30 00:16:33 ntbCM3tw
そもそも彦左にそんな欲があるなら兄の後継ぐの固辞しねーからねw
分限ろくにないし彦左謀反!とか言った奴の方がお前頭大丈夫か?って言われかねん
671:人間七七四年
10/04/30 00:54:35 lKlwJxXu
>>667
嫌われても断絶がないようにするという戦略だったんだろう。
史記の張良を参考にしたんだろうな。しかし子が言いつけにそむくことまでは
計算出来なかったようだ。
672:人間七七四年
10/04/30 01:00:39 ntbCM3tw
同僚からの猜疑
主からの猜疑
いつの世も宮仕えは…か。
板違いだが李靖なんかはすげーわ。
673:人間七七四年
10/04/30 01:15:07 PCz/S6Bz
同僚から嫌われても主君に好かれていれば問題ないよ
代替わりさえしなければw
674:人間七七四年
10/04/30 01:15:57 kqSWxJtt
陳平や李勣を市松や虎之助の江戸期の挿話に喩えるのは過剰な評価か。
我が身を屈してお家を全うしたというと家康が筆頭になるし。
675:人間七七四年
10/04/30 01:18:40 ihaTNIaX
>>672
李靖の場合は年齢の関係で猜疑から免れたのが大きい
676:人間七七四年
10/04/30 18:54:51 r5uwp2Ay
>>673
呉起さんのことか。
日本なら田沼意次というところかな
677:人間七七四年
10/04/30 19:52:35 NecJ7J0f
浅井長政の関ヶ原合戦
ある時、浅井長政は五百の精兵を選り抜き、関ヶ原は野上の宿へ討ち入って火をかけた。
報告を受けた斎藤龍興は一万の兵をこぞり、踏み潰さんと打って出る。
長政は圧倒的な劣勢である。
垂井の手前に流れる小川を堀とし、柵を築いて持久の構えをとった。
が、これは見せかけで、長政は菩提の間道に小勢を走らせ、斎藤勢の背後へと走らせていた。
そしてある夜、長政自ら陣頭に立って夜襲をかけ、頃を見て別働隊を思い切り騒がせた。
「さては寝返りが出たか!」
斎藤勢は混乱し、龍興は岐阜まで撤退せざるを得なくなった。
さて、勝ちに乗る長政は大垣までも焼討する。
捨て置けない斎藤勢は態勢を立て直し、再度出撃。
浅井勢は槍を合わせず、あっさりと退いた。
龍興は垂井まで進み、そこで疲労した軍勢に一息入れさせようとした。
が、斎藤勢が休息を取り始めると、家々から轟々と火が吹き始めた。
実は長政、垂井を引き払う際、数十の足軽を伏せさせていた。彼らが手当たり次第に放火しだしたのである。
斎藤勢は右往左往、そこへ長政が斬り込み、またも龍興は逃げるはめになった。
「おのれ!小勢にいいようにされてなるか!」
龍興は怒り心頭。
浅井勢が立て篭もった南宮山へ向かい、包囲を固める。
大軍でもって攻め上ったが、敵からは矢の一筋も飛んでこない。
「はは、戦意を失ったか」
意気上がる斎藤勢が敵陣に足を踏み入れた瞬間。
一丸となった浅井全軍、真一文字に突撃してきた。
斎藤兵は山を転げ落とされ、完全に壊乱して逃げ惑う。
長政らはその隙に包囲を抜け出し、戦場を離脱していった。
これ以後、龍興は長政を甚だ恐れ、再び出陣することはなかったという。
678:人間七七四年
10/04/30 21:01:10 trW42hTO
>>677
それだけだと、ちょっと戦がうまい話だからなぁ~
長政パパが僻んだり龍興さんが馬を背負って逃げたりとかなかったのかね~!
つか、山科けいすけの浅井長政が戦バカの恐妻家だっけ?
もう忘れたな・・・
679:人間七七四年
10/05/01 02:16:34 vKvrlSPw
>>657
> ことあるごとに倹約令出して権力者自ら質素倹約を率先してたからこそ、
お陰で不景気がますます悪化したって説もある。
680:人間七七四年
10/05/01 02:23:33 Hd/m7PoB
>>679
尾張徳川家の人は吉宗の倹約令に反発してお金使いまくってたな
繁栄はしたけど結局赤字に陥ったとか
681:人間七七四年
10/05/01 08:33:33 t0vXp0Eu
意外な男の意外な甲斐性
このスレの住人ならよくご存知の通り、織田信長は最初から尾張一国を支配してた訳では無い。
守護職だった斯波家はまあいいとしても、守護代織田家が、それも二つあった。
その内の織田伊勢守家の当主信安は、信長の弟と組んだり斉藤と組んだりして対抗していたが、
ついには自分の息子に追放されてしまった。
しかしこの息子も信長に敗れ去り、信安には帰るべき家も無くなってしまった。
やがて時は流れ、信安は無害無力であるが故に信長に許された。
が、逆に言えば戦国の表舞台からも置き去りにされ、細々と暮らすだけであった。
やがて信長も本能寺で亡くなり、秀吉も死に、家康が関ヶ原で勝った後、いよいよ窮迫した信安はある男を頼った。
山内一豊。かっての彼の家臣の息子であり、旧臣の中では最大の出世頭であった。
信安「というわけで面倒見てね」
一豊「……(わざわざ掛川から土佐まで来やがるとは……)」
信安は一豊に養われ、土佐でその生涯を終えたという。
682:人間七七四年
10/05/01 08:54:17 ck3Aj6K3
>>679
交通が飛躍的に発達してなきゃ、流通よりも地元の食い物の確保の方が大事だしね
群雄割拠の戦国時代に突入したのも、寒冷化による食糧難で広範囲の支配が困難になったからという見方もできるだろうし
683:人間七七四年
10/05/01 09:48:57 RpdKWkwH
>>677
義龍でないとてんで駄目か
684:人間七七四年
10/05/01 10:20:15 2vKFhKNV
印象では義龍死亡→ほど無く滅亡だけど、実際は結構保ってるよね龍興
685:人間七七四年
10/05/01 14:42:59 +w0MYoW4
保ってるとはいえどんどん調略で切り崩されてたから・・・。
686:人間七七四年
10/05/01 14:54:50 +4ltOrut
Wiki見たら13で家督相続して19で稲葉山城を失ってたんだね、龍興さん
暗君のイメージあったんだけど、こんな若かったんだ・・・
687:人間七七四年
10/05/01 15:12:06 xoxyMMuc
>>686
その後越前朝倉家と運命を共にするまで反信長が活動を延々続けた勇将だったりもする
688:人間七七四年
10/05/01 16:14:48 XGK5aQWL
総大将、総責任者としての才能は無くても、一部隊の隊長としての才能はあったてことかな。
痛い目にあって成長しただけかもしれないが。
689:人間七七四年
10/05/01 16:32:16 J0SCmgzC
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
今までの龍興の逸話見ても少なくとも暗君じゃあないな、
苦労した事で人間性が磨かれたのかなって感じは確かにする
↑の九右ェ門伝説が本当だったなら良いんだがなぁ、一寸報われて欲しいわ
690:人間七七四年
10/05/01 16:42:37 wNft5O00
信長も何度も痛い目にあって成長してるし、失敗が人を強くするんだな
ただ、失敗しすぎて国まで失うともう挽回できないけど
691:人間七七四年
10/05/01 18:00:50 9MD+ndr6
>>690
ゴンベ「いや、やり方によるよ?」
692:人間七七四年
10/05/01 18:19:59 wwEfqlKK
>691
ち ね ば い い の に
693:人間七七四年
10/05/01 19:09:57 JJt5EVHp
小田さんは・・・
694:人間七七四年
10/05/01 22:29:03 zwov4o+D
小田さんは再起動するたびにメモリの内容が消えますから
695:人間七七四年
10/05/01 22:43:36 dmKDIR/2
小田さんは生きているだけで勝ち組
696:人間七七四年
10/05/01 22:47:54 3R/k0SpO
氏治「佐竹ではなくて今度は水谷や多賀谷を攻めよう!」
結果は聞くな
697:人間七七四年
10/05/02 00:14:18 lEWK71az
あんなに連戦連敗なのに、何故か負け組な気がしない小田さん
698:人間七七四年
10/05/02 00:31:04 NxHSUFbG
>>692
長宗我部さんの叫び
699:人間七七四年
10/05/02 06:03:22 lBycEbR8
小田さんは葉っぱ一枚あればいい
700:人間七七四年
10/05/02 12:38:26 womw4dSr
オレの中で失敗を失敗と思ってなさそうな戦国武将といえば
なぜか小田さんと宗茂さんが思う浮かぶんだが
701:人間七七四年
10/05/02 12:41:26 twST+N9y
小田さんの粘り強さは異常
702:人間七七四年
10/05/02 12:53:31 QlCeBuBg
>>700
戦績は対極だけどね
703:人間七七四年
10/05/02 13:56:43 77POgycU
宗茂「粘り強く戦えば活路が開ける」
氏治「粘り強く戦えば活路が開ける」
同じことを言っててもぜんぜん意味が(ry
704:人間七七四年
10/05/02 14:52:20 58h+lb8Y
>>703
意味というか、信頼度というかだなw
前者は頼もしい発言だが、後者はもうだめだって気分になるw
705:人間七七四年
10/05/02 17:18:35 ixboUWIw
おまいらホント小田さん好きだな
天正元年(1573)、小田城最後の落城。以後、小田氏はその名を冠する城に帰ることなく終わる。
いや、それどころか闘争心冷めやらぬ梶原政景は同年、乗っ取った小田城を拠点に、菅谷氏の篭る土浦城と、
小田氏治の逃げ込んだ藤沢城を攻める気配すら見せていた。
これに対抗すべく小田方は、ショックの抜けない氏治を置いて、嫡男・守治を総大将に、梶原方を鳥出台で迎え撃った。
(つくば市小田から、土浦市藤沢に攻めてくる軍を、なんで取手で迎撃するんだ?とか聞いてはいけない。
「小田軍記」にそう書いてあるんだから。)
「小田方に迎撃の用意あり」の報を聞いても、政景は狂歌を詠む余裕すら見せた。
「 敵の首 取りでの台と 聞くからに 今日のいくさに 我は梶原(勝ち原) 」
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)と言ったgdgdを見せつつも、
後が無い小田勢は、大将の守治以下必死に戦い、ついに藤沢・土浦両城を守り抜き、政景は兵を退いた。
引き退く梶原方に、小田配下の小幡道三の家臣が、罵声と政景の狂歌への返歌を送った。
「 敵の首 取りでの台と 聞きけるが 「ひけを取りて」と なりにけるかな 」
さすがの政景も何も答えることが出来ず、頭を掻いて先の狂歌を後悔したという。
翌月、本気になった鬼義重みずから攻めて来て、藤沢・土浦ほか諸城をぶっこ抜かれたのはナイショだ。
706:人間七七四年
10/05/02 17:57:46 zxl8CeIO
女子高生に「か~わい~い!v」と撫でくり回される三頭身の小田さん
707:人間七七四年
10/05/03 17:46:20 N0oH0tjb
撫で斬りされるって読み間違えちゃったぜ・・・
708:人間七七四年
10/05/03 18:33:19 pG+T4xTK
「これでも負け続ける戦いは得意でね」
「だからこそ小田家は小田家でいられるんです」
709:人間七七四年
10/05/03 18:40:01 9eYxSdmT
W厨自重w
710:人間七七四年
10/05/03 20:02:24 KXhGR+Y9
このスレ見てると
ゲームで小田さん捕らえても、つい放流したくなるな
711:人間七七四年
10/05/03 20:06:58 9idPBZyG
太閤立志伝なら、そんな小田さんを支える素敵な仕事ができます!
712:人間七七四年
10/05/03 20:23:32 D1CNF92r
>>710
放流して再度敵として来てもぶっちゃけ敵じゃないしw
菅谷さんさえ抑えちゃえばおk
713:人間七七四年
10/05/03 20:49:19 j3ey1ljL
>>708
戦国時代に強者などいない。大名全てが弱者なんだ……か
714:人間七七四年
10/05/03 21:01:27 Xg4/ej6C
太閤立志伝で小田さんを家臣にすることが何度かあったが、
正直ほとんど役にたた…いやなんでもない
715:人間七七四年
10/05/03 21:39:54 wCPNMfvb
>>714
戦国のマスコットにそれ以上の役目を求めてはいけない
716:人間七七四年
10/05/03 22:01:59 Iqhoa4bQ
野望で小田さんが家臣になったと思ったらすぐに出奔したことある(佐竹プレイ中)
717:人間七七四年
10/05/03 22:56:27 rhove58Y
小田さんに有能な家臣を紹介します
つ外道三兄弟
718:人間七七四年
10/05/03 23:14:54 HJu0whed
外道三兄弟は仲間の中で有能なのも殺す諸刃の剣
要するに菅谷さんが危ない
719:人間七七四年
10/05/03 23:37:33 AuHhj9c7
元亀年間。
摂津では荒木村重が台頭し、和田惟政らと対立するようになっていた。
そしてついに、両者は決着をつけるべく軍を発する。
村重は士気を鼓舞するため、一つの板を陣頭に掲げた。
惟政を初めとする敵将の名を書き連ね、その首には報奨いくらと明示したものだ。
明日はいよいよ合戦、となった日。
掲示を見上げる男がいた。村重の与力、中川瀬兵衛清秀である。
清秀は筆を取り出すと、惟政の名の上に点を書き入れ、立ち去った。
その深夜、清秀は村重を訪ねた。
「おやおや、瀬兵衛殿。かような刻限にいかがした」
「…どうぞ」
清秀が携えてきたのは、紛れもない敵将・惟政の首であった。
「な、なんと!?」
村重は仰天し、いかにして惟政を討ち取ったのかを聞いた。
「はあ。
明日は決戦にて、敵はきっとこれに万全の用意をするだろうと思いました。
となれば、あらかじめ今宵のうちに、淀川の深さを測っておくでしょう。
惟政は優れた大将ですから、もっとも大事な物見を他人任せにはせぬはず。
必ずや、淀川べりに現れるだろうと踏んだのです。
そこで、敵が見えぬうちに川を渡り、木陰に伏し隠れておりました。
案の定、惟政が現れたので、兵に紛れて潜り込み、隙を見て首を取りました。
あとは水中に飛び込み、味方の陣まで参ったというわけです」
清秀はそう語り、人々に感嘆されたということである。
720:人間七七四年
10/05/03 23:41:44 RTCYK6Im
やっぱり自分が有能でなんでも自分でやる人よりは、自分は普通でも有能な部下をうまく使える人の方が有利か。
721:人間七七四年
10/05/03 23:43:03 Iq7fwSXz
え、何、これ1人でやっちゃったの…?
722:人間七七四年
10/05/03 23:45:37 HJu0whed
どんなアサシンだよ
723:人間七七四年
10/05/04 00:04:25 Eg/83VFm
中川清秀のイメージが変わったw
724:人間七七四年
10/05/04 00:14:25 iKM1myOL
秀吉から信長は自分が保護してるから早く来いって騙されたり
賤ヶ岳の合戦の時に見捨てられたりと都合よく使われてたけど
嫌われてたんだろうか・・・
725:人間七七四年
10/05/04 07:40:10 nf124hj6
忍者的な働きができたのか、スゲーな
726:三介殿名臣伝 1/2
10/05/04 09:34:23 /Lo3VfqZ
天正12年(1584)3月、織田信雄の家老・岡田重孝は主君に呼ばれ謁見の間に向かったが、そこに信雄の姿は無く
近習の土方彦三郎の姿があるのみ。用心して広間の柱に身を寄せ、重孝は彦三郎に声をかけた。
「何やら殿が、わしを成敗されるという噂が流れておる。もし本当なら、討っ手はお主だろうと思っておったわ。」
「そんな事がある訳はござらん。もし本当だとしても、拙者ごとき若輩者には荷が重い役目。
しかし、仰せ付かったとすれば、若輩と言えども仕損じませぬ。…殿は奥の間です。さあ、こちらへ……」
重孝が奥の間に行くと、いきなり信雄から鉄砲を渡された。「新式の鉄砲じゃ。まず家老のお前に見せてやろう。」
「なるほど、これは珍しき道具。彦三郎、お主もこっちへ来て拝見せよ。」
呼ばれた彦三郎は、重孝に近づくと背後から脇差で、突き刺した。「ぐわっ!…き、貴様やはり!」
重孝も脇差で応戦しようとしたが、彦三郎に固く背中から抱きとめられ、うまく斬りつけることが出来ない。
彦三郎も、重孝を抱え込むのが精一杯で、それ以上は攻撃を加えられない。
見かねた信雄が太刀を抜き、「彦三郎、放せ!」と呼びかけたが彦三郎は、
「構いませぬ、拙者ごと斬られよ!!」覚悟を決めた信雄は、重孝に突きかかった。
「お、おのれ!!」重孝が信雄に備えようと構えた次の瞬間、彦三郎は重孝を放して身を翻し、斬り捨てた。
彦三郎の振る舞いは「上意討ち前後の働き、言葉遣い等いかにも行き届いている。」と評判を呼んだ。
その後、土方雄久と名乗った彦三郎は、小田原の役後に信雄が改易された際、独立して大名となり、
秀吉の死後、政争に巻き込まれて一時期流罪になる等、苦労しつつも家を残し、慶長13年(1608)、世を去った。
その死について「当代記」は、「日来(日頃、毎日)たはこを用いける故、喉破相果」と書いている。
恐らく記録に残る、日本初の煙害による死者である。
727:三介殿名臣伝 2/2
10/05/04 09:35:11 /Lo3VfqZ
織田信雄に仕える若侍、二宮千太郎が褌一丁で主君の前にやって来た。当然、信雄は彼を叱った。
「明日にも戦になろうという時に、お前は何をフザけておるんじゃ!!」
「ううっ…仲間内のバクチで、身ぐるみ剥がされてしまいました…明日に備え、せめて馬・具足は返してくれと
さんざん詫びても許してもらえず、刺し違えて死のうと思いましたが、殿の御役に立つ者を戦の前に殺しては
不忠になります。かくなる上は、この恥さらしに切腹をお許し下されっ…!!」
「…言い訳に一分の理がないわけでもないか。」
そう考えた信雄は、千太郎に馬・具足と金二枚を与え、下がらせた。千太郎もこれに応え、翌日の戦では
組打ちまでして兜首を取り、信雄も彼を賞したという。
慶長5年9月15日正午過ぎ、関ヶ原。松尾山に陣取った小早川秀秋は、不審な鉄砲の音を聞き、使い番を呼んだ。
「今の鉄砲、当方に向けてのものとみた。何処が、何用あっての射撃か、急ぎ確かめて参れ!!」
「承って候。」
さっそく使い番が麓に向かうと、麓からも騎馬武者が登って来て、使い番に話しかけた。
「貴殿は、今の鉄砲についてのお使いであろう。わしは、その事についてお教えするために来た。
あれは朝からの霧で火薬が湿ったため、我らが空砲を撃ったのじゃ。安心されよと、殿に伝えてくれ。」
「いや、拙者は「麓を見て来い」と殿に言われた。伝えたければ、他の者に言ってくれ。
頂上まで行くのが面倒なら、すぐ上にご家老の平岡様(頼勝・東軍派)がおられる。ご家老に申せば良かろう。」
そっけなく騎馬武者と別れた使い番が麓で様子を見聞きすると、騎馬武者の伝言と全く違った事実が浮かび、
急いで戻った使い番は、見聞きした内容を秀秋に伝えた。
秀秋はただちに動き、関ヶ原の戦況は一変した。
大役を果たした使い番の名は、二宮与三右衛門。信雄改易後、小早川家に仕えた千太郎の、成長した姿だった。
バクチにうつつを抜かしていた若者は、信雄によって運命を変えられ、断固たる意思によって歴史を変えた。
728:人間七七四年
10/05/04 10:49:17 u/qHcrh6
九戸政實(政実)といえば、南部本家との争いに豊臣本軍を呼び込まれ、開城して和睦の筈が一族、従兵皆殺しにされたと伝えられる。
しかし、4月30日の青森県の地元新聞「東奥日報」夕刊で、県観光連盟専務理事の九戸さんが書いていたコラムによると・・・
津軽為信は九戸とは親戚筋で気脈を通じており、心ならずも開門に手を貸して寝覚めが悪かった。そこで3歳の(九戸家の)子供を家
来の懐に隠して秋田県境を落ち延びさせ、匿った。過去帳を3代は女名前にして世をはばかり、弘前藩3代の津軽信義公の代に九戸吉左衛
門政知を召し抱えて再興した。
この経緯は、九戸さんの母が祖母から聞いてノートに書き留め、また津軽家11代順承(ゆきつぐ)公に時計師として仕えた九戸籐吉が明
治5年に表している。
為信は、津軽統一戦争の過程では随分汚い手も使い、時々の天下人には上手く立ち回っているが、必要がない非道はしていない感じだし、
関ヶ原後にはかなりのリスクをとって、世話になった石田三成の子女を津軽に置いている。
そういう性格と対南部宗家での付き合いも考えると、あってもおかしくはないかなと。
秀吉存命中に南部家にバレて密告されたらやばかったことは確かで、義理堅かった為信、血筋を残せた九戸家両方にいい話。
729:人間七七四年
10/05/04 11:21:35 hAG9N5s0
>>727
麓から上がってきた騎馬武者は東軍なんだろうか西軍なんだろうか
東軍だとすると事実を隠蔽しようとした理由がよくわからん
730:人間七七四年
10/05/04 13:35:33 YUNq3Im1
>>728
高橋克彦の「天を衝く」を、もう一度読みたくなった。
731:人間七七四年
10/05/04 14:18:19 AjBXtG6R
>>719
これ自分で何でもやる人を自分で何でもやる人が襲ったんだよなw
思考回路似てるから読みやすかったのか
732:人間七七四年
10/05/04 19:25:59 tji1ikTc
>>729
山麓に展開していた小早川の兵
733:人間七七四年
10/05/04 20:36:40 AjBXtG6R
家中でも西軍にそのままつかせたい連中と東軍に、と思ってる連中といるだろしな
734:人間七七四年
10/05/04 21:19:09 KuNaqZ16
戦場でのことだし、単なる流言や思い込みで言ったのかもしれない
735:人間七七四年
10/05/05 01:22:25 lvr9yxT4
>>724
重要拠点任されたりしてるんだからそれなりに信用はされてたんじゃないかなぁ
ただ自負が強すぎて持て余し気味だったかも
立ち位置的によく似てる堀久太郎は長生きしたら大大名になるか政権中枢を担った可能性もあるけど
清秀は長生きしたら難癖つけられてアッサリ所領取り上げられそうな気がするね
736:人間七七四年
10/05/05 12:45:19 bKJYMW+k
>>730
(`・ω・´)人(`・ω・´)
好き嫌いの分かれる御仁だが、色んな意味で
非凡ではあったんだろうと思う
737:人間七七四年
10/05/05 13:53:34 d2x84LDb
中川は荒木を謀反に追い込むのに関わってたし、
高山右近ともども功名に逸って無茶をする印象。
738:人間七七四年
10/05/05 14:45:37 i1+MaTFO
瀬兵衛、骨折り。のエピソードからも媚びない、融通が利かない、簡単に腰を折らない頑固者、というイメージがある。
の割に部下が本願寺に兵糧横流ししたとか、配下の統制もいまいちな感じで、
なんか大将というよりは一個の武辺で
せいぜい万石程度が適当なちょうど仙石権兵衛みたいな印象。
権兵衛は媚びるのうまかったが。
739:人間七七四年
10/05/05 15:36:04 0Oun9P+g
ホトトギスは鳴いた
寛永十三年(1636)4月、先代の伊達政宗には江戸への参勤が迫っていた。
この年70の政宗は体調が優れなかったが彼は毎年の楽しみであるホトトギスの初音を聞くため、
18日、母の菩提寺を参拝した帰り、ホトトギスの初音を聞くため北山、経ヶ峰、茂ヶ峯などを巡った。
経ヶ峰に自分の墓所を定めたのはこの時だったと言う。
しかし、ホトトギスの初音は聞けなかった。
翌19日、参勤前の恒例となっていた茂庭綱元邸への訪問を行う。
若林の屋敷に戻ってくると、「青山の方でホトトギスを見た」との情報が入った。
政宗は老躯を押して駆けつけたが、ここでもホトトギスの音を聞くことは出来なかった。
4月20日早朝、政宗は江戸へと出発する。
「今年は仙台にいる間に、ホトトギスの初音を聞く事叶わなかったか…。」
毎年の慣習が果たせなかったゆえか、心持ち気の沈んでいる政宗に、付き従う行列の面々も重い雰囲気であった。
その行列が仙台の南、増田(現宮城県名取市)と言う場所を過ぎた時、
一羽のホトトギスが、行列の前方に有った路地の柳に止まり、高らかに鳴き声を響かせた。
「ホトトギスが!大殿様、ホトトギスの初音でございます!」
「ああ…」
そのホトトギスは行列が一町(約110メートル)ほど移動する間ずっと鳴き続け、やがて東の方に飛び去った。
行列の人々
「今まで大変お待ちになっていたホトトギスの初音が、ここで聞くことが出来るとは!何とめでたい御門出だろう。」
そう言って喜び合ったと言う。
この年、政宗は江戸で死ぬ。彼が自領で初音を聞くことにこだわったのは、埋葬の地を定めたことも含め、
何か悟るものがあったからであろうか。
一代の風雲児、伊達政宗の死出の旅の門出に響く、時鳥の初音であった。
740:人間七七四年
10/05/05 15:37:06 0Oun9P+g
ああ、1行目、先代→仙台です。申し訳ないw;
741:人間七七四年
10/05/05 19:35:14 R04Qc1sd
初音を聞けてよかったなあ、政宗…
742:人間七七四年
10/05/05 23:05:42 o6M7hCe6
ミクミクにされたんだなぁ、政宗…
743:人間七七四年
10/05/05 23:28:45 EvwUtsGo
初音キク(CV.伊達政宗)
しかし、この時期の戦国生き残りは故郷で死ねないのが宿命だなあ
744:人間七七四年
10/05/07 01:56:03 4RBVT9f5
禰宜いり。
745:人間七七四年
10/05/07 11:16:37 63aJ3RWh
ホトトギスってあんまりいい鳴き声じゃなかったと思うが、そんなに楽しみだったんだろうか?
746:人間七七四年
10/05/07 11:36:57 eEwXKzfz
あー
ホトトギスの初音を聞くってのは縁起モンというか、季節のイベントみたいなモンなんだわ
747:人間七七四年
10/05/07 12:34:36 EzY7chTI
梅 ほととぎす 初鰹
春の定例行事かね
748:人間七七四年
10/05/07 12:46:48 hrlCn6SB
>>745
ちょうどうちの庭で鳴いてるけど良い声だぜ
ただ生まれたばかりのホトトギスだと聞いて分かるくらい鳴くのが下手w
初めの伸ばす所で息継ぎ?しちゃうのが可愛いっちゃ可愛いけど
749:人間七七四年
10/05/07 22:23:04 CeqRlLb9
ホトトギスは初音の下手さからこなれてくのにつきあってるのがいいんだよなw
750:人間七七四年
10/05/07 22:33:05 w9CJUEBm
うちの田舎ではホトトギスの鳴き声は縁起が悪いといわれている
啼くと死人が出るとか
751:人間七七四年
10/05/07 23:38:35 gEfAntk6
中国の故事とかでは
国に帰れなくなった男が彷徨う内にホトトギスに変じ、
そのうち国が滅びたのを聞いて嘆き悲しんで血を吐いて死んだ、的な逸話があって、
また鋭い鳴き声をあげるのと口の中が赤いので血を吐いた連想をするとか、
トイレの中で鳴き声を聞くと死ぬとか、ホトトギスの逸話や伝説は不吉なものばっかりです。
冥界を行き来すると言われ魂迎え鳥の異名を持つ、ってのは
前にここでも紹介されてましたね。
しかし日本では古来から鳴き声を珍重されてきました。
数々の和歌や文学にも登場しますし、あまり嫌われていた印象はないですね。
個人的な印象として、不吉な逸話は中国発祥のものが多いんじゃないかという気がします。
752:人間七七四年
10/05/07 23:52:54 wvu1VWtG
夜のホトトギスが縁起悪いと言われてる
昼はそうでもない
753:人間七七四年
10/05/08 00:31:40 9t+Hxlhp
そういえば、うつけバーのNOBUママは自分のホトトギスを…いや、なんでもない
754:人間七七四年
10/05/08 00:32:26 /dZK7o9L
鯖移転完了かな
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)の派生話ぽいですが…
大坂の陣が終わった後、所司代・板倉勝重のもとに訴人が現れた。
「伊勢大神宮の御師どもが関東調伏の祈祷をしていた!」というのだ。
彼によれば、大野修理から多額の謝礼とともに依頼があり、有縁の禰宜達が大勢示し合わせた上、
人形を造って将軍家父子を呪詛したのだという。
勝重は事実を確認すると、家康に厳罰を求めた。
だが、報告を受け取った家康は次のように答えたという。
「禰宜山伏の類が、金銭をとって祈祷をするのは当然のことだ。珍しいことじゃあるまい。
こちらがもっと銭を払っておれば、逆に秀頼を呪っておっただろ。
だいたい、やつら程度の手で転がるような運気で、天下がとれたらたまらんわ。
命はとらず、伊勢から追い払うにとどめろ」
こうして、神官達は所払いとなり、命は助かったという。 (老談一言記)
家康の苦笑が見えるようなお話。
755:人間七七四年
10/05/08 01:09:38 8QavOBgw
固い言葉を使うと
人を呪っても刑事罰の対象とはならないという判例を示したわけで
世界的に見ても先進的だったんではないでしょうか。
756:人間七七四年
10/05/08 01:38:47 MpZ9KUx9
方向寺の梵鐘に因縁つけた人とはとても思えませんなぁ~
757:人間七七四年
10/05/08 01:46:34 OmHIRbdi
>>756
あれは呪いじゃなくて「諱の無断使用」っていう、「非礼問題」だもの。
つまり家康の面子を潰した事件。だから家康も後の幕府も「証拠」をちゃんと残した。
758:人間七七四年
10/05/08 01:56:08 DhC6tBQA
>>751
国によって不吉だったり幸運を呼ぶといわれてる黒猫みたいだな
759:人間七七四年
10/05/08 08:37:38 WSenWaKF
>>757
家康「何か問題になってるようだけど、実際の所はどうなんだ?」
羅山「右僕射源朝臣家康は、家康を射るという意味です!呪詛です!」
家康「(呪詛なんか効果あるか、というか右僕射って右大臣の意味だろ・・・)何か問題は?」
五山の僧「呪詛なんかじゃありません。ただ、諱を避けなかったのは問題あるかと思います。無礼になるので、普通はやりませんし」
清韓(銘文作った人)「かくし題として、家康の名を使わせてもらいました。目的は国家長久です」
あらかじめ下調整して、幕府からOKもらわなかったのが悪いって説ね。銘文作った人も「偶然の一致です」と言い張れば
言い逃れはできたかもしれないとか
760:人間七七四年
10/05/08 08:52:39 vd1PsHSM
諱って中国ではともかく、日本じゃ問題にされないでしょ?
名前は全てオープンなんだし
761:人間七七四年
10/05/08 09:17:17 ZzDsg+Jv
>>760
尾張中村の農民の息子なら問題にならないだろうよ
超インテリ階級の貴族だったら…
762:人間七七四年
10/05/08 09:26:52 vd1PsHSM
超インテリ階級の貴族って誰のこと?
要は、家康も分かってない・気にしていないような事を、豊臣家潰しにうまく利用したって事でしょ
「諱」なんて概念は中国かぶれしか問題にしないよ
763:人間七七四年
10/05/08 09:38:43 l2heR1z0
確かに面と向かって口に出すのは非礼だけど、書状など字として使う分には特に問題はされていなかったな>諱
現代に残された書状を見れば判るけど、家康とか信長とか平然と記されている。
764:人間七七四年
10/05/08 09:41:27 WSenWaKF
言っとくけど、五山の僧侶の返事は「武家ではどうかは知らないけど、禅宗の世界では常識」という答え
幕府のブレーンには禅僧が少なからず居たり、武家とのつながりも大きいわけだし・・・逆説的には「中国かぶれ」は多かったことに
765:人間七七四年
10/05/08 09:42:51 ndRIiMyT
>>762
あの時代って尾張中村の農民の孫と超インテリの貴族が同じ人物を指す特殊な世界があったよね。
766:人間七七四年
10/05/08 11:16:25 OmHIRbdi
>>760
> 諱って中国ではともかく、日本じゃ問題にされないでしょ?
とんでもない。むちゃくちゃ気を使っていた。
公の場で、特に下の者が上位者の諱を言うのは公然とした侮辱行為であり、
合戦などで敵対する相手するような行為だった。
例えば、秀吉の弟の羽柴秀長の場合、信長の生前は信、長の諱にある
「長」の文字を下に持ってくるのは恐れ多いと羽柴「長秀」と名乗っていた。
これほど諱と言うのは扱いに細心さが求められた。
日本人が諱を気にしなくなったのは幕末くらいから。その辺の感覚の違いをきちんと頭に
入れておかないと歴史は理解出来ないぞ?
767:人間七七四年
10/05/08 11:21:52 ZzDsg+Jv
豊臣は当時日本のインテリ層だった貴族のトップ
方広寺は東大寺レベルの規模
その銘文を起草した人は漢文の造詣が深い
当時豊臣と徳川は微妙な関係
意図せずにやったとしたら相当なマヌケだろ
768:人間七七四年
10/05/08 11:22:09 k8og8OgH
>>766の言ってることが正しいな。
時代劇や歴史小説では、お互いをイミナで呼び合ってるけど現実にはありえない話。
イミナ問題についてはこれが分かりやすくて面白いよ。
やる夫で学ぶ「実名敬避俗」
URLリンク(version45.blog85.fc2.com)
769:人間七七四年
10/05/08 11:24:35 L385cJE4
私は貝になりたい
ある日、戸次(立花)道雪が家臣たちを呼び寄せた。
「おーい、お前たちも来て見ろ、珍しいものが届いたぞ!」
臼杵の浜から、海産物が大量に届いたのだ。鎧ヶ嶽の山城で暮らす戸次家の人々は、海の幸の到来を喜んだ。
道雪はさまざまな海産物のうち、ハマグリが盛られた台に目を止めた。
「おお、『耳白』があるな。」「?『みみしろ』、でございますか?」問いかける家臣に、道雪は答えた。
「そうだ。ハマグリの中でも形が整い、真珠のように白いものを『耳白』と言う。同じハマグリでもな、この『耳白』は
女子の遊びの貝合わせに用いるので、殻まで売り物になり、容れ物の桶でさえ結構な値がするものよ。
『耳白』でなくては役に立たず、他の殻はゴミとして捨てられ割られ、土に帰るのみ。
人も同じで、『耳白』を探すように見ていれば、才覚の一端が伺える者が必ずいるし、そうして取り上げられた者は
『耳白』が高値で扱われるごとく、良き働きをするものだ。
ただし、人は貝にあらず。『耳白』のように殻、すなわち上辺を磨くのではなく、心を磨くことが肝要だ。
一度武に志した者は、常に「こうであろう」と心を配り磨いてこそ、メシの種となるものよ。
今まで手柄の機会に恵まれずとも、事に慣れた者の武辺話など良く聞き、実践すれば、「利口者」と呼ばれても
非難されることはあるまい。それもまた、正当な立身の道である。」
770:人間七七四年
10/05/08 11:28:07 Sp2NLOgJ
>>769
>女子の遊びの貝合わせ
実際は神経衰弱的な遊びだということを理解していても
反応してしまう
771:人間七七四年
10/05/08 11:33:12 OmHIRbdi
ID:ZzDsg+Jvは申し訳ないが、思い込み以外のソースを出して欲しい。
実際には諱に関しては非常に気を使っていたことはそれこそ奈良平安の昔から確認されているし、
江戸期だともっと資料が豊富で、将軍や将軍世子、藩主や藩主世子が代わるたびに、
それらの諱に抵触する諱の旗本や藩士が、諱変更をした記録がいくらでも残っている。
日本人は、それも君の言う中国かぶれのインテリではなくても、一般に諱に非常に気を使っていた。
中国とは別の形でね。これは間違いない。
772:人間七七四年
10/05/08 12:32:39 2j08FwaJ
その話、終わったよ!(・∀・)
773:人間七七四年
10/05/08 12:37:24 oFR1Ig8q
>>769
嫁入り道具だと漆や金箔でゴテゴテに塗りたくられた上に
絵を描かれたようだし、白くなくとも形が良ければおkだったかもw
嫁といえばプロポーズが「名前を教えろ」だったんだよな大昔は
名前つか真名?
774:人間七七四年
10/05/08 13:25:35 HWAbs+JD
女には名前は一つしかないんじゃね?
名を名乗る事=支配下に入る事なんだろうね
775:人間七七四年
10/05/08 13:56:43 O07T2+xb
この前の合コンで、誰も名前を教えてくれなかったのはそのせいか
776:人間七七四年
10/05/08 15:17:46 QGo6TV9h
>>775
それはお前が…いやなんでもない
777:人間七七四年
10/05/08 16:29:25 l2heR1z0
諱については日本ではまったく気にしなかったわけではないが、中国と比べればたしかに軽かった。
あちらでは皇帝の諱を避けるために他人の名前は変える地名は変える。
他所の国の学校名に皇帝の諱が使われていたらその書状は受け取れない。
778:人間七七四年
10/05/08 17:18:09 aoz7PQJP
立花宗茂はなんであんなに変えたんだろうってぐらい変えてるな
本当に気を使うものなの?って思ったりしたよ >諱
779:人間七七四年
10/05/08 17:38:17 ioM235Ut
>>777
同じ意味の漢字が(発音違いで)ふたつ以上あるのもそのせいだとか。
780:人間七七四年
10/05/08 17:40:45 GkX4OATc
産女(うぶめ)という妖怪をご存知だろうか?
出産の際に死んだ妊婦の霊が妖怪と化したモノだといい、母ではなく赤子の霊をそ
う呼ぶコトもあり、ある時は鳥の姿で描かれるコトもある。
共通するのは「出産に纏わる亡霊」という一点のみで、姿も性質も様々。名前もそ
の時々で色んな漢字が当てられている。
室町から戦国に時代が移ろうか、という頃。
鎌倉の街中にこの産女が現れた。
血で染まった腰巻をまとい、赤子を抱いて川端にたたずむ。典型的な産女のパター
ンの一つである。
夜な夜な現れる亡霊の話を聞き、大巧寺の住職、日棟上人は産女の現れる川まで、
わざわざ会いに行く。
「今、鎌倉中があなたに怯え、不安に思っている。我が子を産み落とせなかった無
念は察するにあまりあるが、何故そのように化けて出てくるのだ」
上人の言葉に、産女は泣きながら答える。
「私は大倉の住人、秋山勘解由の妻です。出産に際して不運にも死んでしまいまし
たが、子供を思うとこの世に未練が残り、我が家へ帰ろうとこの川を渡ろうとして
いる所なのです。しかし、私が川に入ろうとすると水が汚い血と化し、渡る事が出
来ません」
上人が、共に亡くなった子供の為にも成仏すべきであるコトを説き、大巧寺で末永
く供養をしてあげるコトを約束すると、産女は納得したのか姿を消した。
数日後、約束通り産女の供養をしていた日棟上人の前に一人の女が現れ、
「先日のお礼としてお納めください」
と、包みに入った金を渡して立ち去った。
月明かりの下で見た血塗れの恐ろしげな姿からは想像も出来なかったが、まだ若く
美しい容姿のその女は、紛れもなくあの産女であり、秋山勘解由の死んだ妻であっ
た。
大巧寺では産女から寄進された金で仏塔を建て、お産の苦しみから女性を護る「産
女霊神」として彼女を祀ったという。
現在も鎌倉大巧寺は安産祈願の「おんめさま」として多くの参拝客が訪れている。
781:人間七七四年
10/05/08 17:43:36 GkX4OATc
室町か戦国か、微妙な時代の話をも一つ。
室町六代将軍、義教の頃、有名な僧侶として法華宗の日親が居た。
この日親、僧としての実績は申し分ないのだが、ゴリゴリの法華宗強硬派であり、
他宗派とは付き合わない、施しも受けない、馴れ合わない。他宗派の人間は全て悪
人、と言わんばかりの……日本版フロイスとでも言うべき人間であった。
ある時、将軍義教に直接面会出来る機会を得た。義教は足利氏一門の長であるから、
当然禅宗(臨済宗)の門徒である。
その義教に対して日親、
「土一揆やら後南朝の反乱やらと天下が治まらず、関東の情勢も不穏な様子が続い
ているのは、全て天下人である貴方に問題がある。具体的に言うと貴方は法華宗に
帰依していない!今すぐ我が宗派に改宗し、法華経の徳に縋って仁政を行うべきな
のです!」
ま、怒るよね、フツー。www
当然義教への面会禁止となり、布教活動も禁止させられる。
が、日親にしてみれば自ら信じる正論を述べ、天下泰平の為に唯一の道を示したの
である。だから彼は諦めなかった。
「立正治国論」を著し、禅宗や天台宗に基づいた政治を批判。あくまでも将軍が法
華宗に改宗するコトが天下の政道であるとした。
ま、怒るわな、jk。www
今度は面会禁止では済まなかった。逮捕され、持論の撤回を迫られた。
が、日親にしてみれば(以下略)
終いには拷問として真っ赤に焼けた鉄鍋を頭に被せられたが、それでも日親は屈す
るコトなく法華経を説き続けた。
幕府はこれ以上日親に口を開かせないよう、舌先を切り取った上で開放した。
この拷問の後、日親は四十年以上を生き、八十歳を超える長寿を記録している。
言葉を失ってからも日親は精力的に布教を続け、権力者に逆らい、他宗派に喧嘩を
売っていた。
その態度から他宗派のみならず、法華宗内にも敵は多かったようだが、何度投獄さ
れてもまた復帰し、僧としての名声を失わなかったコトを見ると、この「ゴリ押し」
も「毅然とした態度」として一定以上の支持は受けていたらしい。
ちなみに拷問の際に被せられた鉄鍋は頭の皮膚に張り付いてはがれず、生涯鍋を被
ったままだったと伝説には伝わる。
日親の名前は「なべかむり日親」「鍋被り上人」として信仰の対象にすらなってい
る。
明らかに悪い話だと思うんだが、日親の逸話は暴君の拷問に屈せず信仰と信念を貫
き通した名僧、というニュアンスで紹介されてるモノが殆ど。
後世で信仰の対象にもなっているそうなので、とりあえずコチラに投下しておこう
かな。
782:人間七七四年
10/05/08 17:58:05 OmHIRbdi
この人安土桃山に生きてたら、間違いなく不受不施派になってただろうなw
しかしどの宗教にも狂信者と言うのはいるものだけど、この手の
一種の社会運動家的な狂信性というのは、日本の仏教では日蓮宗以外には余り見られないな。
783:人間七七四年
10/05/08 18:06:03 6W4H8GaH
というより狂信者の受け皿が日蓮宗だったのでは?
他の宗派から始めてもそういう気質の者は弾かれそうだし
784:人間七七四年
10/05/08 18:09:40 dzNaUZ+4
>>778
本音はどうかは知らないが、みんなのアイドルな兄ちゃんも信幸→信之に変えてるね
通説的には、父親と同じ名前を捨てて、縁を切ったという意思表示ととられてるようだが
785:人間七七四年
10/05/08 18:35:59 M1chJv08
混交をよしとする日本の宗教にあって、日蓮宗は原理主義的傾向だったんだろね
どの世界にも原理主義組織は現れて、歴史上存在感を示す時期があるし
786:人間七七四年
10/05/08 19:33:01 DZkk3aOu
>>766
新田次郎の「武田勝頼」で、軍議中に徳川信康が酒井忠次のことを「忠次!」と呼び捨てにしていて、信康でも不謹慎(せめて雅楽頭と呼ぶべきであった)とコメントしている。
ということだから、やはり直接名前で呼ぶことは気を使うことだったかもしれない。
他のセリフでは結構名前で呼んでいるけど、これは小説の便宜上の問題なのかな。
787:人間七七四年
10/05/08 19:42:05 DZkk3aOu
>>786
追加だけど、忠次は左衛門尉で雅楽頭じゃないかもしれないが、小説のままカキコしました。
788:人間七七四年
10/05/08 19:43:13 DZkk3aOu
>>786
追加だけど、忠次は左衛門尉で雅楽頭じゃないかもしれないが、小説のままカキコしました。
789:人間七七四年
10/05/08 19:51:06 ztEV7xdm
大事な事なので二回言いました
790:人間七七四年
10/05/08 20:37:49 DNuLQUBW
>>777
そもそも諱の字を与えたり貰ったりする時点で中国の感覚ではないからな>日本
791:人間七七四年
10/05/08 20:44:13 DZkk3aOu
>>789
重複スマソ
792:人間七七四年
10/05/08 21:49:44 M3oVVTfC
>>777
当方愛媛県の出身だがたしか崇徳だか後鳥羽だかの諱と同じになるってんで地名を変えたところがあったはず。
共通点のある天皇だが、無論流刑になる前のことで祟るかどうかは関係ない。
戦国時代とは違うが諱を憚って変名するとか地名を変えるとかは日本にもあった。
ただ武家が天下を取ると偏諱を受けるとか授けるとかが当たり前の習俗になってそのあたりの意識は変わったんだろう。
しかし価値があるからこそ与えたり受け継いだりしたのであって、軽がろしいものなら偏諱も忌諱も成り立たないだろうし、通称や官名も同じことだろう。
793:人間七七四年
10/05/08 22:01:45 DNuLQUBW
諱と言えば、いい話か悪い話かで
大谷のよっちゃんに「輝」と略されてたTERU
794:人間七七四年
10/05/08 22:11:55 35DHlGhe
>>792
愛媛だと憚って「徳川」という地名を改めた話の方がよかったかもね。
そこにあるお宮はずっと徳川神社のままらしいですが。
795:人間七七四年
10/05/08 22:13:10 S4RSl/9L
崇徳天皇と同じ忌み名なんてそりゃあれ何か後ろに気配嗚呼嗚呼ああああs4d5tf6ygふいjこpl@;:「
796:人間七七四年
10/05/08 22:32:29 9b9gjFYB
>>793
大谷吉継も変えてるよな。三好義継に通じるから縁起悪い、だっけか。
797:人間七七四年
10/05/08 22:43:43 eSNlqpST
>>790
諱で有名ば逸話と言えば後醍醐天皇が尊治という諱の尊の字を足利高氏に与えた為に天下を奪われたと
いう話があるな。
さらに時代を遡ると淳和天皇の諱が大伴なので古代からの有力氏族である大伴氏が伴に改姓してる。
ただ武家は一字拝領とか通字があるし、中国の諱を避けるって概念は全くないよな
798:人間七七四年
10/05/08 22:51:28 OmHIRbdi
>>797
江戸期の藩だと、君主の世子が元服して諱が決められると、その諱の文字が
自分の諱にある家臣は、諱の変更をすると言うのが普通だったみたい。
一字拝領と言うのはあくまで特権で、そういう特別な許可がないものはやはり
諱の文字は避けなければならなかったようだ。
799:人間七七四年
10/05/08 22:54:07 DNuLQUBW
江戸時代は朱子学全盛期だからな
800:人間七七四年
10/05/09 00:46:36 W9MgulCy
>>798
確か黒田家の菅さんが、秀忠だかその偏諱を受けた長政の息子の忠之だかを憚って
忠利から正利に改名してたはず
江戸時代っていってもかなり初期も初期の話だわな
801:人間七七四年
10/05/09 00:49:54 nidw/DUZ
江戸時代どころか戦国時代に、秀吉の弟の羽柴秀長が
信長の「長」を後ろに置くのは恐れ多いとして「長秀」に改名してる。
802:人間七七四年
10/05/09 00:59:00 zdgL4HBx
>>801
秀長から長秀じゃなくて、長秀から秀長だった記憶が…
いや、どっちがどっちだったか覚えてないから、
なんとも言えないけど
803:人間七七四年
10/05/09 00:59:55 AiSQrS5W
その忠之も将軍家を憚ってだったと思うが改名してるしね。2回も。
804:人間七七四年
10/05/09 01:26:06 O2wFELSV
将軍の忌み名を拝借した例といれば義輝や義晴に対して多くの人物が挙げられるな
将軍家の力がどんどん衰えていたこの時代
地方の大名は大義名分を得るために
将軍家は援助してもらうために
お互いの利害が一致していたからこその現象なのかな
805:人間七七四年
10/05/09 01:36:55 9hJpnEBZ
戦国期の書状でも諱をそのまま書くのは普通じゃないからな
敵対してたり仲が悪かったりする相手ならある話だが
普通は通称か官名を使っている
友好関係があるなら諱を記すのは自署くらいだ
806:人間七七四年
10/05/09 02:19:52 /5kkr/4x
>>793
あれは略されてないよ
書き込んだやつのネタか勘違い
その後のレスでつっこまれていた
807:人間七七四年
10/05/09 02:38:38 V5+WCNJL
皇帝と同じ漢字は恐れ多いから抜いた李勣みたいなの考えれば
上はマズイので下にしておこうで済む日本は適度に軽いというかなんというか
808:人間七七四年
10/05/09 03:19:32 wt/HP+g6
上下逆だろw
809:人間七七四年
10/05/09 07:33:07 m9Fwx1FZ
>>797
源義経は追討令を出された時に、鎌倉側から勝手に「義行(よしゆき)」に改名させられてるね
理由は九条兼実の息子、良経と同じ読みなので
その後いつまで経っても捕まらないから、「上手く隠れるという意味の能行と同じ読みになるのがまずいんじゃない?」と今度は
「義顕(よしあき)」に改名させられたというオマケまである
810:人間七七四年
10/05/09 08:31:39 +U92Xeq+
現代社会じゃ諱って概念はほぼ無くなったね
今や、偉い人の名前にあやかって同名の名前を付けたりするし、名を避けるよりも同じにして敬愛の念を示すように
811:人間七七四年
10/05/09 08:40:39 l4PTHzkp
>>809
俺はむしろ近江のゲリラ屋、山本“義経”さんがどう思っていたかが気になる。
この人も改名したのかな? それとも「我こそ本家義経」と言い張ったのか?
812:人間七七四年
10/05/09 09:53:25 nw9n6rPP
「………」毛利輝元の前で、吉川広家は苦り切っていた。
「見てみて広家、この茶碗!良いものが焼けたでしょ?そうだ、これを“萩焼”と命名しよう!」
「輝元様…所領も大幅に減り、萩で新たに築城中の今、そういう道楽ごとはお慎み下され。
だいたい、あなた昔っから無駄遣いのことで…」
「な、なんだよ?!」
「ご母堂の尾崎局さまから、こんな手紙↓受け取ってるじゃないですか。」
『あき人きたり候や。たれか見候てとり候や。やくにもたたぬ物とりおき候ては、造作に候…』
(商人が来たそうだけど、誰か付き添って買い物を見てくれたの?役に立たない物を買うと、後で面倒ですよ?)
「親から叱られてることなんだから、自重して下さいよ。」
「ふ、ふーんだ!そういう広家だって…」
「?」
「ついこないだ(慶長十一年)、新庄局からこんな手紙↓もらったんですけどー。」
『ひろいへは、その身ひゃうしや(病者)ゆへ、よろづとどきまいらせ候はぬ御事のみにて候ま々、
(中略)いよ々々かたじけなくぞんじ候べく候…』
(ウチの広家ちゃん最近病気がちだから、いろいろ行き届かないことばかりでしょうけど、
(重用してもらって)ますますありがたく思っておりますのよ。)
「は、母上…」
「四十過ぎて、カーチャンから上司に口添えしてもらう男ってどうよ?」
「何ですと!」「なんだよ!」
「……………」「……………」
「…仕事、しよっか………」「はい………」
お か あ さ ん 、 あ り が と う 。
813:人間七七四年
10/05/09 10:14:20 ev3BDaov
・萩焼の奨励
・輝元が幼少の頃に母からもらって手紙
・関ヶ原後、広家を心配する母の手紙
それぞれ時系列の違う逸話を「母の日」に合わせて創作するとこういう話ができるんだ
814:人間七七四年
10/05/09 10:48:48 0G8r6kep
うん?創作なのか?
でも和んだー、母は大事にせねばアカンね
815:人間七七四年
10/05/09 14:08:01 SQ/k1mxn
>>810
どっちも(悪く言えば)おべっか的な意味では本質は変わってない気が
名前が同じなのを憚るのは謙虚のおべっかで
名前を同じにするのは追従のおべっかだろ
呪われるとか縁起が悪いとか、そういう言霊的な忌む意味での諱って
それこそ鎌倉時代以前まで遡らないと無いと思うぞ
足利尊氏なんて北朝作った後も後醍醐帝の「尊」の字を使ってるんだから
本人の気分次第が実際だろ
816:人間七七四年
10/05/09 14:11:15 m9Fwx1FZ
>>815
それ以前の高氏の名も、北条高時から由来するものだし、いまさら戻せないだろうからね
817:人間七七四年
10/05/09 14:17:22 SQ/k1mxn
そもそも「高」氏のまま北条滅ぼしたんだけどね
偽帝の拝領が縁起が悪いって本当に一般常識で思われているなら
別の「たか」の字を持ってくればよかったんだし
これが中国だと「朱全忠って俺が皇帝なのに忠尽くすのはおかしいだろ?」で変えるし
818:人間七七四年
10/05/09 14:24:43 baGTeZyl
お後はこちらで、
諱を語る
スレリンク(sengoku板)
819:人間七七四年
10/05/09 18:21:45 P3FVMx9c
天正19年(1591)、前田利家は突然、豊臣秀吉に聚楽第へ呼び出された。「やぁ又左、大儀。」
「して、殿下。本日お呼びの御用向きとは?」
「うん、蒲生と伊達の騒動なんだけどさー。法的決着は着いたんだけど、和解交渉が難航しちゃって。
今、別室で二人がキレる一歩手前になってんのよ。ちょっと行って仲裁してくんね?」
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
利家が交渉中の座敷に入ると、当事者二人と浅野長政、前田玄以、細川忠興、佐竹義宣、金森、有馬等
そうそうたる大少名がにらみ合っていた。(ホントに一触即発だコレ――!?)
(あああああ、利家殿!良いところに来てくださった!)(ちょっと玄以ちゃん、これどういうことなの?)
(いや、蒲生殿押し気味で話が進んでるのですが、取り巻きが納得せず…
・佐竹義宣………伊達派の中心。血縁・地縁からか、政宗寄りの発言を連発。
・細川忠興………蒲生派の中心。立場・趣味など氏郷に近い親友、言わずもがな。
・浅野長政………中立派の中心。伊達家の申次で、蒲生とも親しい仲裁すべき人物だが、沈黙。
こんな感じで他の大名たちもモメてモメて。私ではもう変に口を挟めず、もう利家殿だけが頼りなんです!)
(気の滅入る情報、アリガト…)
利家が当事者二人を見ると、政宗は服こそ礼法にかなった肩衣だが、朱鞘に一尺八、九寸の大脇差を差し、
氏郷は雨鞘(雨天等用に滑りにくい仕立てにした、実戦向きの鞘)の脇差。どう見ても殺る気である。
「伊達殿、その脇差…」「いや、拙者は遠国の田舎者ゆえ、かかる不調法なものを…されど
「いや、さすが『伊達』な仕立ての物を持っておられるのぅ!!」(原文:政宗ハだて成仕立とご挨拶…)
「………」「………」
「い、いやぁホラ………『だて』だけに?」
「……………」「……………」
( ● ,_ゝ゚) ゚,_ゝ゚)プッ
その後、座敷に酒肴が運び込まれ、無事に利家の功(?)により難事の手打ちは済んだ。
820:人間七七四年
10/05/09 18:33:16 e8QWyFSE
取り成したのに笑われる利家カワイソスww
821:人間七七四年
10/05/09 18:38:46 OUN/9G5U
>>819
蒲生さんはともかく、何で政宗の方がキレてるのか分からんwww
しかし、佐竹義宣が伊達側に立ってるのは意外だなぁ。
政宗は嫌いだけど、弟の領土である会津を奪った形になった蒲生さんの方がさらに気に食わなかったのかもしれん。
822:人間七七四年
10/05/09 18:57:12 m9Fwx1FZ
義宣さんは、おかんが伊達家の出身で政宗びいきだったらしいし。なんだかんだ言っても、従兄弟だったから
823:人間七七四年
10/05/09 19:00:50 t3wxqJ7z
あとまぁ、隣と仲悪くて隣の隣とは仲良くするって割とよくある
824:人間七七四年
10/05/09 20:13:11 CxngBlhq
>>823
遠交近攻か、遠交近攻なんだな!?
825:人間七七四年
10/05/09 20:30:07 ptVAjRyB
>>812
所領が減ったならなおさら焼き物その他の産業が盛んになるように動かないといかんような気がするが……
826:人間七七四年
10/05/09 22:13:28 Li3UqYul
実際に殺しあったらレオンが勝つんだろーか
827:人間七七四年
10/05/09 23:00:32 c7t7BlAR
>>819
> 佐竹義宣………伊達派の中心。血縁・地縁からか、政宗寄りの発言を連発。
佐竹と伊達は激しくたたかっているのにね・・・
828:人間七七四年
10/05/09 23:01:19 HBED5gkt
>>826
どういう形にしろ、大戦争になるのは間違いないと思う。
829:人間七七四年
10/05/09 23:04:08 nidw/DUZ
>>826
蒲生軍の最初に突撃してきた部隊を全滅させれば伊達の勝ち。
830:人間七七四年
10/05/09 23:29:59 zdgL4HBx
>>829
むしろ戦場で友軍となって、
隣の突撃する蒲生軍に向かって誤射すれば伊達の勝ち
831:人間七七四年
10/05/10 00:40:26 ex58SQ9v
「レオンは最前線にいるのか?」
「ちょっと違うな、レオンのいるところが最前線なんだ」
832:人間七七四年
10/05/10 00:46:22 seh8Hd+V
むしろレオンとngmsの戦いを見てみたい
833:丼
10/05/10 00:46:44 TD8G5OMp
楯岡満茂と出世魚
天童氏攻めには事前の延沢満延の抱きこみもあり、
天童八楯からは多くの離反者が続出し最上側の勝利に終わった。
尚、この戦いから最上支族の楯岡氏、満茂が最上家武将として名を加える事となった。
氏家守棟「はて、どちら様でしたか・・・?」
(´▽`)「元は八楯でございましたが、主が死にました為代表となりました楯岡満茂と申します。」
中略
有野峠の戦い後
鮭延越前「此度は楯岡殿も凄い活躍でしたな」
(´▽`)「おかげさまで。仙北を新領として認められましたがゆえ、湯沢を名乗りたいと思います。」
慶長出羽合戦後
志村光安「湯沢殿、我らも加増じゃの」
(´▽`)「これを機に新領の赤尾津を名乗ります。」
庄内検地
志村光安「これは赤尾津殿、貴殿も見回りか?」
(´▽`)「城を変えましたがゆえ、今は本庄満茂でございます」
下の名前を変える事は良く聞いても、これだけ短期間に名字を変えるのは珍しい部類か
(´・ω・`)「・・・(いずれ最上満茂を名乗る日がくる・・・?)」
最上家中最大の4万5000石を領した
偉くなる毎に名字を変える楯岡満茂にとって「縁起のいい(?)」話。
ちなみに先日山形であった「楯岡満茂展」には延沢光昌級の40kg近くの鎧が展示なされていたそうな。
834:人間七七四年
10/05/10 01:13:33 fQVfssw+
うーむ、どうしても松波庄五郎さんの事が思い浮かんでしまうw
835:人間七七四年
10/05/10 02:56:45 TD8G5OMp
>>834油売りさんか
鮭様絡みでもう一個
脳筋綱引き
鮭様には当時描かれた肖像画は伝わっていない。長谷堂屏風も肖像画として捉えるには心細い。
広く流布している烏帽子姿の肖像画は、近世以降描かれたものと言われている。
伝えられるところによれば、鮭様は色が白く冷静そうな目をしており、
尋常でない雰囲気をたたえてた巨躯だったという。
以前書いた延沢光昌の鎧の件で、仮に父と息子が似たような体型・体格ならば
180cmを超える最上義光に対し、延沢満延も170から180cmは超える
平均身長が155cmくらいと言われる当時としてはガチムキの巨漢の部類に入る。
仮に鮭様より身長が低かったにしても
桜の木ごと引っこ抜く様は一例にしてみれば
桜に抱きつく熊を木ごと引き抜く愚地独歩先生という事か
奥さん、嫁、妹、娘、小動物どころかガチムキにも弱かった(?)鮭様を思いながら寝ることにする。
836:人間七七四年
10/05/10 03:02:21 TD8G5OMp
直江兼続が「長身美男」と書かれてるのは「常山紀談」が元ネタでわかるんですが、
伊達政宗が「面暗くして何を考えてるか分からない」と鮭様と比較されてる様な書き方がされていた書物があったかと思うのですが
有志の方、教えていただけると助かります。
837:人間七七四年
10/05/10 20:57:27 Fg5Lf5gH
鮭ネタはいらない
本当にいらない
838:人間七七四年
10/05/10 21:19:40 hbFTmNop
>>833
ちょw名字変えすぎwww
>>835
鮭様身長高いな
鮭様には、殺すはずだった人を大食いだからって気に入ってた逸話あったね
豪快な人が大好きだったのかも?脳筋だったみたいだし
839:人間七七四年
10/05/10 21:25:10 GeuAQG3J
鮭さまネタと言うか顔文字はやめて欲しい
これは政宗もそうなんだが。。。
840:人間七七四年
10/05/10 21:26:02 CLkIK8Z7
>>836
前に「見苦敷親父にて…」と評されていたが、あれは鮭様関連ネタではなかったな
ただ、伊達政宗の容貌の話になると冷静になれない人が出てきて
外見をとやかくいう奴の気が知れないだの
政宗を貶めているだのと感情論に走ってスレが荒れるので
あまり話題に出さないほうがいいかもしれない。
841:人間七七四年
10/05/10 21:33:21 IBjl1wF9
鮭いらない鮭うるせーなとか言う奴がなんで湧いてんだ最上ネタなんてどこにあるんだよ
って思ってたら専ブラのNGwordに引っかかってただけだった
顔文字使って会話文にするのは普通に逸話書くよりも
書く方にとっても読む方にとっても敷居が低くなるからだと思われる
最上も伊達もそんなに興味ないから顔文字使おうがどうでもいいけど
842:人間七七四年
10/05/10 21:38:21 S0nHe/cR
顔文字ウザイと思う人の気持ちもわかる。
>>819の政宗みたく1つならともかく、>>833の最上のとこみたく複数の顔文字を多用してあると見ずらいしイラッとする。
843:人間七七四年
10/05/10 21:39:25 vSaI9+t+
顔文字駄目ってどんなジジイだよw
スレがスレだけにしょうがないかw
844:人間七七四年
10/05/10 21:41:41 4x95VNdK
絵文字デコメが全盛なのにいまどき顔文字って(ry
845:人間七七四年
10/05/10 21:45:40 8XTJugOY
なら>>844は絵文字で書き込みしてろ
846:人間七七四年
10/05/10 21:47:11 pBu6ITJK
顔文字論議は他所でやって
847:人間七七四年
10/05/10 22:01:39 myiDM0jy
伊達と最上って実際も信者も仲悪いのな。
うちの近所のお寺さんには政宗孫の墓と義光弟の墓が仲良く並んであるのに・・・
ちなみに近所のお寺さんってのは九州小倉の安国寺ね。
とここまで書いて1つ思い出した。
同じく小倉に安全寺と言うお寺さんがある。
この安全寺、精神年齢三歳さまが小倉の城下町を整備したときに一度破却している。
しかしその後、三歳さまの夢枕に一人の武者が現れてこう言った。
「私は昔の小倉城主高橋鑑種だ。私の寺を崩すとは無礼ではないか」
三歳さまが安全寺を調べてみると鑑種の位牌が見つかりました。
これが夢枕の原因か・・・と言うわけで安全寺を移転再建し鑑種の供養をしたのでした。
どちらかと言うと悪い話かもしれないな。うん。
848:人間七七四年
10/05/10 22:44:34 8XTJugOY
お礼に拙者の尻を用立てて…と続くのかと思った。よかった。
849:人間七七四年
10/05/10 23:06:44 iEndYSlq
張飛ネタは板違いw
850:人間七七四年
10/05/10 23:14:57 ec5ZhwMl
>>841
少なくとも書く方は大変だろ>顔文字
その台詞にあった顔文字を選んで考えて配置するって場合なら
普通に逸話書くより労力使っていることになる
そうやって敷居を低くすることは良いことだよね。逸話スレなんだから、敷居が低い方が色々な人に読んで貰える
851:人間七七四年
10/05/10 23:20:17 g+vodR4a
>>850
また話蒸し返すの?実際、見ずらい人がいるから文句が出てるのに。。。
852:人間七七四年
10/05/10 23:24:20 5G2sIXIm
顔文字見づらいとかいうやつは単なるクレーマー
背景がドギツイ色のサイトで目がちかちかするとかならまだわかるが・・
853:人間七七四年
10/05/10 23:28:39 g+vodR4a
>顔文字見づらいとかいうやつは単なるクレーマー
なんと言うジャイアニズムwww
854:人間七七四年
10/05/10 23:32:23 5G2sIXIm
>>839みたいな奴が一人二人書いたくらいでいきなり顔文字止めろとか強制する奴の方がよっぽど
ジャイアニズムだろ
お前何様なんだよアホか?
ここはお前の自由帳じゃねーんだよ
855:人間七七四年
10/05/10 23:32:59 pBu6ITJK
顔文字より君たちの方がよほどこのスレの迷惑ですよ。
856:人間七七四年
10/05/10 23:42:40 ec5ZhwMl
一行を長くしすぎない、区切りの良いところで段落を開ける
年号を西暦に直す、年代の推移を○年ではなく、■年後の○年と書く
とか、そういう書き手がする読みやすさの工夫の一つでしょ?
別にこういった努力をしなくて
そのまま長文の現代語訳を投下してもなんの悪いこともないけど
顔文字云々じゃなくて、そうやって投下してくれている人の努力を
敷居が低いって済ませるのがちょっとなと思っただけだよ
857:人間七七四年
10/05/10 23:44:32 NiP+MA82
>>856
そんなことはお前がやればいい
強制する必要は無い
858:人間七七四年
10/05/10 23:58:44 bP2CCbsx
>>847
安全第一、なんてな
859:人間七七四年
10/05/11 00:28:33 xc+MUzDj
>>856
和暦で書いてもらった方がいい。
戦国時代の年号なんて数個しかないんだから覚えましょう。
860:人間七七四年
10/05/11 00:34:02 UI2oeCtV
>>859
併記が良心的
861:人間七七四年
10/05/11 00:38:06 Wh8s81Es
投稿者は、読みやすいかな?とか色々考えた末、文章を投下してるはず
少なくとも自分はそう
顔文字も、より逸話に親しみを持ってもらいたいっていう投稿者の工夫の1つだと思うけど
それを頭ごなしに否定しちゃうのもちょっと悲しくない?
あ、西暦と和暦は併記が分かりやすいと思う
862:人間七七四年
10/05/11 00:48:37 hfiiiXLK
>>859
学問ならともかく趣味の領域だからなあ
863:人間七七四年
10/05/11 01:09:59 PoFNcCZz
>>861
その気遣いのせいで読みづらくなったら投稿する人も悲しいだろうし、顔文字ははじめから使わない方がいいね
864:人間七七四年
10/05/11 01:18:10 zvZRbmQm
先祖とか土地、故事絡みになると戦国時代から逸れるから
西暦の方が空いてる時間がわかりやすくていいだろうな
個人としては顔文字は別に読みづらくないし、楽しく読んでるよ
ここは2ちゃんなんだからネット文化はらしいじゃない
865:人間七七四年
10/05/11 01:19:27 tvOE9VMs
普段は顔文字も全然気にしないけど、極まれに読み易さより
顔文字を使うことを優先している投稿がある。それでちょっと
イラっとしてしまう。
866:人間七七四年
10/05/11 01:38:09 zvZRbmQm
>>859
このスレだとだいた応仁の乱~天草の乱までカバーしているから
応仁、文明、長享、延徳、明応、文亀、永正、大永、享禄、
天文、弘治、永禄、元亀、天正、文禄、慶長、元和、寛永
で19は覚えないとな
867:人間七七四年
10/05/11 02:07:08 LVelvhGg
読みやすくするために使われているならばともかく読みにくくしているのは駄目かもな
この話ここまで
868:人間七七四年
10/05/11 05:13:46 oyPkmcKT
今更2ちゃんでゴチャゴチャ規制増やしても寂れるだけだろ。
三戦板の愚を何度も繰り返すのは、無知か馬鹿。
869:人間七七四年
10/05/11 10:00:46 K1GFiU1c
顔文字の多用は確かにウザいけど、専ブラでNGにぶち込むだけで済むんだし、
投稿者にケチつけるのはどうかと思う。
870:人間七七四年
10/05/11 10:03:08 eaUHAbCD
使う人、使わない人で書き手の個性も見えるのがいい。
自分の好きなように揃えろ、とかあり得ない。
いやなら読み飛ばせばいいだけ。
871:人間七七四年
10/05/11 11:11:03 k7XhKBbO
文句付ける人は戦国時代のちょっといい話が好きな人じゃなくて、
文句をつけることが好きな人なんだから、つけさせとけばいいじゃない。
872:人間七七四年
10/05/11 11:16:55 IBn6XDCY
いい加減しつこい
873:人間七七四年
10/05/11 11:18:07 An4BLt4P
今までだって顔文字さんざん使われてきてたのに何をいまさら言ってるんだw
874:人間七七四年
10/05/11 11:51:34 6NzOJFuR
俺としてはAAも上手く使って
2chのノリで書いてくれた方が面白いんだがな。
875:人間七七四年
10/05/11 12:38:40 08V4aeAt
許容範囲も人それぞれだし押し付けずにやってきゃいいだけなんじゃないのか?
こりゃウザいと思ったらスルーとかさ。
ドウモー!とかの古いコピペみたいなのはさすがに勘弁して欲しいが
876:人間七七四年
10/05/11 13:09:28 tmSyyLdq
鮭ネタも顔文字も楽しんでるけど最上義光に(´・ω・`)の顔文字当てて余計な一言いわせてるのはなぜか毎回イラッとくる
877:人間七七四年
10/05/11 13:13:05 R5WMu1sD
で?っていう
878:人間七七四年
10/05/11 15:21:55 5Eh+yZX1
書き込む前に読んでね
URLリンク(info.2ch.net)
まもらねばさくざかむさしがくる
879:人間七七四年
10/05/11 15:39:40 gwVWbM7s
兼定抱えた細川殿かもしれん
880:人間七七四年
10/05/11 16:26:24 F7tXFUPX
顔文字もスルーできないのかよ?チョソ?
881:人間七七四年
10/05/11 17:27:08 yQCOyHrj
すぐ日本人を同胞認定したがるチョンが来たか
882:人間七七四年
10/05/11 18:08:31 y6Xh3eHR
「朝倉宗滴話記」より、宗滴先生のありがたいお言葉。家来との関係編
「主人には家来の罰が当たり、家来には主人の罰が当たるものだ。だから君臣の間には
油断があってはいけないんだよ。」
「家来から怖れられるようじゃいけないよ。涙を流されるくらい慕われるのが本当だ、って
昔から言うでしょ?そうじゃないと大事の時に、家臣は命をかけて働いてくれないしね。」
「主人であるのに、家来に侮られていると思い込んでいる人は、既に
ノイローゼに掛かっていると考えた方がいいよ?
何故かって言うと、人に主人と言われるほどの身の上なら、敵であってすら、その人を
侮りはしないものだ。いわんや家来が侮るようなことなんてあるだろうか?
そのようなあさましい心持は、家の乱の元にもなるんだよ。」
「人を使うときに二人候補があった場合、昔から仕えている方を選ぶべきだね。
なんでかって言うと、家来を使うと何か必ず不届きをするものだろ?で、主人であるあなたは
それをぐっと我慢する。でも家来の方も主人に対して申開きしたいことがあるのに、
それを我慢している。そんなふうにお互い我慢しあっているうちに、昔から使っている人間は
いろいろ経験を積んで大事のことも出来るようになってるものなんだ。
だから少々不出来でも、人はどんどん使うべきなんだ。」
君臣を「上使と部下」とすれば今でも通用しそうな、宗滴先生の人を使う際の心得。
883:人間七七四年
10/05/11 19:01:35 bEYyf8WT
譜代を重用するそんな朝倉家に嫌気がさした光秀さんは・・・
884:人間七七四年
10/05/11 20:50:13 K1GFiU1c
織田家で謀反を起こしてましたとさ
885:人間七七四年
10/05/11 20:50:53 zYKR+qCR
道雪さんも含めておじいちゃんの言うことはためになるな~~
886:人間七七四年
10/05/11 21:01:30 V4f2Kqie
まあ爺ちゃんになるまで生きてこられた訳だしな。
887:人間七七四年
10/05/11 21:06:37 S7z6DFOa
一栗さんの若いころの話は無いのだろうか
888:人間七七四年
10/05/11 21:38:23 fJ9GtLeZ
>>885
老境の正宗や老境の慶次がためになることを言うだろうか
889:人間七七四年
10/05/11 21:41:48 hfiiiXLK
>>888
まぁ、反面教師という言葉もあってだな
890:人間七七四年
10/05/12 01:03:11 bKKiHb5X
朧月の、静かな夜だった。
投網漁を楽しんでいた石井八郎左衛門は、散歩中らしき侍に声をかけられた。
「どうだい、獲れるかね?」
「ああ!今夜は大漁だ。」そう答え、魚籠を水面から引き上げて侍に見せてやった。
「おお、ずいぶんでかいフナがおるな!」
「この大きさのヤツが、あと二匹はおるぞ?」
「明日はご馳走だな、うらやましい!…どうだね、できれば一つ……」
侍が魚籠に手を伸ばすと、
「! さわんじゃねぇぇえ!このクソヤロー!!
いいか、こっちはこう見えても主君持ちだ!こういう時はな、殿様にいいヤツを差し上げて、
自分は小さい魚でガマンするのが忠義ってモンだ!テメエも侍なら覚えとけ!!」
「そ、それは殊勝なお心がけ。大変失礼したっ!」侍は、あわてて宵闇の中に逃げ去った。
朝、目覚めた鍋島勝茂は、料理番に今日の献立の希望を問われたが、
「まあ、少し待ってろ。今にいいものが来るから…」
「?」
そこへ石井八郎左衛門が、台所にタライを持ってやって来たとの知らせが入った。
「昨夜、獲れたばかりのフナにござる。殿に召し上がっていただきたく、お持ち致しました。」
タライには見事な大きさのフナが数匹、泳いでいた。
「ほら、な?」短く言って、勝茂は満面に笑みを浮かべた。
891:人間七七四年
10/05/12 01:59:09 qXAeoxV5
これはいい話だ
892:人間七七四年
10/05/12 02:01:53 LCP1AssU
石井さんカッコいい!そして侍は勝茂さんだったかw
893:人間七七四年
10/05/12 04:06:54 gR27E9kH
>>882
上の者は下の者を信じてやれ、仕事を委任する度量を持て、てことだよな
道雪も部下を大切にしたエピソードがあるし、彼らが理想の上司像にされてたのかなあ
894:(
10/05/12 05:32:15 qxep4UWJ
>>882
宗滴って自分自身が刀や矢で敵将を討ち取ってもとどめを部下にやらせて部下の手柄にしたり、
漂着した朝鮮か明の外国人達を外人部隊で編成してたり、なんか部下思いの武将だよな。
宗滴没後にすぐ外人部隊が失踪したりって話も宗滴の人徳で外人部隊を繋ぎ止めてたのかも。
895:人間七七四年
10/05/12 10:06:47 VVdUv8Je
>>890
普通に良いオチだった。
いい話スレだから当然だが、何か物足りなさを感じるオレはヒネクレてるんだろうか・・・・
896:人間七七四年
10/05/12 10:15:44 Cxq9MP22
>>890
ムチャクチャおいしかったろうな。
897:人間七七四年
10/05/12 10:18:54 nTf/JTlL
>>895
この状況だと酔った市松でもない限り三斎でも武蔵でも似たような話になるんじゃないかなぁ
898:人間七七四年
10/05/12 10:37:09 5mrwvBjq
幽斉様なら一句残して、後で「あああれは幽斉であった」と石井さんが気づく。
三歳様なら、「気に入った、この越中ふんどしを(ry
はともかく、
きっとフナにあう付け合わせとか料理して「まだかまだか」とイライラしたりするんじゃなかろうか。
899:人間七七四年
10/05/12 10:39:05 mnGETRy6
鬼武蔵「今日はご馳走だな。」ズバッ!
900:人間七七四年
10/05/12 10:43:31 nTf/JTlL
幽斎さんだと自分で捌いて石井八郎左衛門と一緒に食おうと厨房で待ってるかもしれんなw
901:人間七七四年
10/05/12 12:28:46 qXAeoxV5
出てきたフナがおっきい方じゃなくて小さい方だったけどお殿様は知らないフリしました
とは成らないのは流石の鍋島さんの人徳である
902:人間七七四年
10/05/12 13:29:17 Pu+1dGa+
本多(重)さんだとまためんどくさい展開になりそうだよな
903:人間七七四年
10/05/12 13:32:01 9dEIOyaS
いい話なのかな・・・
おべっか使いの話としか見えない俺は心が歪んでいるのか・・・
904:人間七七四年
10/05/12 13:46:57 Pu+1dGa+
本人目の前にしてならともかく、全く解らない状況で言ってるんだからおべっかとは全く違うだろ
905:人間七七四年
10/05/12 13:47:39 PhhsvrOT
本人目の前にしてるだろ
906:人間七七四年
10/05/12 14:03:59 Pu+1dGa+
この時代の夜は本当に真っ暗で何も見えないぞ
声だけで判断したってことか?
907:人間七七四年
10/05/12 14:36:05 BfZ3GtaT
なるほどな。
声で殿様とわかって一芝居打った可能性もあるのか。
だが実際は殿様が一人で深夜徘徊はしないだろうから
部下の誰かが朝になって殿様に報告したってのが本当のところだろうな。
908:人間七七四年
10/05/12 14:56:27 G1jRDrQN
>>906
街灯もろくすっぽ無い山中住まいだけど
そらもう月によるとしかいいようが無い。
越してきて月明かりって明るいもんなんだなぁと思ったくらいに
出てる出てないじゃ見え方がまるで違う。
909:人間七七四年
10/05/12 15:44:53 5mrwvBjq
問題なのは「この大きさはあと2匹はおる」なのだから、
小さいヤツを身元不明の散歩侍にあげるかどうかと、
大きいヤツを殿様に献上するかどうかは、
別に関係ないってことだな。
献上するからあげられないって数じゃないよね。
910:人間七七四年
10/05/12 17:39:25 7QAy0Z8c
「主君持ちだ」って言い張ったのは「金積まれたってアンタには売れねえよ」って意味に受け取ったが。
911:人間七七四年
10/05/12 18:22:37 dV2t8HJS
>>909
なんでだよ、数匹献上したってんだから二尾では済んでないだろ。
自分の家の分含めると、声かけられた時点ではくれてやる余裕はないだろ。
912:人間七七四年
10/05/12 19:13:03 7rhPxxe9
寛永の頃、長崎の唐人町屋に「いつくゆん」という者がいた。
彼は広壮な屋敷を構え、そこを唐人商人の宿として提供し、利益を得ていた。
小間使いとして日本人を雇っていたが、中に15歳ほどの少年がいた。
宿泊した唐人の中に人相に詳しい者がいて、少年を見るなり、
「この者は天下に待望を抱くだろう。しかし、それは遂げられずに終えるはずだ」
と予言をした。
数年後、少年は戦国に終止符を打つとされる大反乱の指導者となる。
名を四郎といった。
四郎と幼い頃から親しくしていた学友は、
「彼は海で泳ぐのが好きで、魚を手掴みして捕ることができた。
その他は、別に変わったところもない少年でしたよ」
と語ったという。
深見新右衛門殿の物語りである。
(老談一言記)
913:人間七七四年
10/05/12 19:43:33 lrbhzRbM
>>912
ジェロニモさん魚のつかみ取りが上手かったのか
914:人間七七四年
10/05/13 00:38:42 NJAj1h4B
このころはまだ超人じゃなかったんだよね
915:人間七七四年
10/05/13 01:25:58 MDT+wwJk
>>914
だってオラは人間だから……
916:人間七七四年
10/05/13 13:10:52 7er2cGPB
何処の出典かも明確にしない
どこの逸話なのか検証する奴も居らず
だのに話に出てくる人物の会話が異様に濃い
武将を面白おかしく書くただのオナニースレと成り果てたか
917:人間七七四年
10/05/13 13:12:46 0SOO/QPa
上げて言う馬鹿よりはマシ
918:人間七七四年
10/05/13 13:29:19 7er2cGPB
>>917はいはいw上げて悪かったね
お?w俺何か間違った事言ってるっけ?w
最近の投稿見て思うのは
こっちに投稿する前に『逸話検証スレ』に見て貰った方がいいんじゃないのって思う?
朝倉宗滴記話とか後世の創作物の中でもゴミ屑以下の資料価値しかないしな
読みやすい様に顔文字や現代語風を少しだけ使うのは別に構わない…が
せめて何処出典か出せ
話が昔の資料じゃなくて郷土史家の本でも構わん、出せば
それがルールだ
919:人間七七四年
10/05/13 13:38:50 h8gWbfUQ
自治厨乙
920:人間七七四年
10/05/13 14:08:38 7CbMqaxS
ん?
検証スレで実話認定されないとダメで
出典書くのが当たり前だけど、朝倉宗滴記話は書いててもダメなのか?
なになに?
どうすればいいのか全然見えない。
要するに君の気にいらない書き込みはしてはいけないってこと?
それがルールなの?
921:人間七七四年
10/05/13 14:28:36 4cCTgIiT
>>918
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
スレリンク(sengoku板)
922:人間七七四年
10/05/13 15:09:23 UWlMUA86
まあこの手のケチを付けたいだけの馬鹿に触らない方がいいよ。馬鹿がうつる。
923:人間七七四年
10/05/13 16:09:18 j3QJ/FfD
ぉぃ、釣られすぎだぞw
924:人間七七四年
10/05/13 16:32:45 UWlMUA86
良い話か悪い話か迷ったがこっちに。
慶長五年(1600〉6月6日、徳川家康は上杉景勝に謀反の企てありとし、大阪城西の丸に諸将を招集し
この討伐を宣言。発向を16日として参加する将の署名を求めた。
そして署名した者を再び西の丸に集め、『6月21日出陣』と発表をした。
さて、この命令を皆が承り退出するとき、山内一豊が藤堂高虎に囁きかけた
「今度の上杉征伐だが、奉行達が連署で、少なくとも年があけるまで引き伸ばすべきだと諌めたのに
徳川殿はそれをお聞きになられなかった。どうして奉行達を無視したのだろう?」
高虎これに答える
「徳川殿が奉行の提言を無視したのは、ご深慮があるため、だと思う。」
「ご深慮?」
「先ず第一に、国に叛臣がある時は素早く兵を出して、敵の準備が未だ整わないうちにこれを討つものだと、
これは昔から言われていることだ。
第二に、反乱者の退治が遅くなれば、相手に城の備えを堅固にし兵を多く集め、兵糧を備蓄する
余裕を与えてしまう。そうなってしまえばこれを攻めても非常に時間がかかることになる。まして年明けまで
待つなどということをしたら相手に万全の備えをさせてしまうだろう。
第三に、連署を出した奉行連中の中に、景勝と親しい者が多い。このため徳川殿は、さてはわざと
上杉討伐を引き延させて景勝に籠城の準備をする余裕を与えようとしているのだ、と察したのかもしれないな。
第四に、景勝が謀反を起こしたのには、彼に同調する勢力があるためだと考えるべきだろう。
これは時間が立てば立つほど多くなるに違いない。しかしその勢力が未だ少ないうちに討伐すれば、
同類の輩は動きを自重し大人しくするだろう、と考えられたか。
そして今回、再び諸将を集めて軍議を行われたのは、その中に景勝への同調者がいれば、そいつはきっと
軍の出動の遅延を申し立てるであろうし、そうでなくても顔色や雰囲気からそれが見えてくるものだ。
このようにして徳川殿敵味方をざっと判断して、その上での計策があるためであると、拙者は考える。」
「なるほど…。所で前の軍議の時堀監物が『会津の背灸と言う場所は大変な難所なので充分に気をつけなければならない』
と言ったのを、徳川殿は気に入られない様子であった。あれはどういう事であろうか?」
「ははは、説明するほどの事でもないさ。背灸と言えば奥州第一の険阻であり、一人動けなくなるとそれに続く万人が
進めなくなる、なんて事は、みんな知っている話だ。だから、みんなそれを見ないうちから心を重くしているのに、
実際に現地を案内する堀兄弟が『切所です!難所です!大変なんです!』なんて言ったせいで、
あの時の座の面々の顔を覚えているか?みんな青くなってた。徳川殿はそれを悟って、勇を励ますために
堀を叱り飛ばしたのさ。良将の知恵という奴だな。
かつて故太閤が徳川殿のことを『あいつは軍慮の知識だ』なんておっしゃっていたが、あれはこの事なのだな、と思ったよ。」
「ふむ。そう言う事か。
…ところで佐渡守(高虎)、徳川殿は、天下を取るか?」
高虎たちまち笑い出し
「おいおい、壁に耳ありというではないか。そんなことを話していたと聞かれたら、どう噂されるかわかったものではないぞ?
だがな」
高虎、一豊の傍で小さく囁いた
「みんなそう思っているだろ?(誰も斯くこそ存ずる)」
会津征伐出陣前の、藤堂高虎と山内一豊の会話である。
925:人間七七四年
10/05/13 16:42:10 It/j1a14
永禄三年の桶狭間の合戦の際。
圧倒的な戦力を持ちながら総大将今川義元の戦死という形で敗北した駿遠三三国の
軍勢。
大高城で義元の死を聞いた松平元康も岡崎城への撤退を始める。
すなおに東海道を東へ帰ればいいモノを、何故か母、伝通院を頼って知多半島を南
下。そこから海を渡って岡崎へと逃れたという。
が、如何に縁者とは言え、水野家や久松家の立場もある。
落ち延びていく軍勢に救いの手を差し伸べるワケにもいかない。
元康一行は現在の半田市の辺りで空腹のあまり立ち往生してしまう。
そんな時、ある農家の軒先に吊るされた「あるモノ」を元康が見つける。
「あれは何だ?」
「あれは煎餅でございます。ああやって干したモノを焼いて、煎餅として食してい
るのです」
家臣が答える間もジッと煎餅から目を離さない元康に、農家の娘はビクビクとしな
がら声をかける。
「……まだ乾ききっておりませんが、今、焼きましょうか?」
「いや、よい」
うんうん、そこまで飢えてなかったか。痩せ我慢が出来るならまだダイジョーブ。
と、家臣達が思った次の瞬間。
「焼くヒマも惜しい。アレをそのまま貰えぬだろうか?」
「はぁっ!?」
「……と、殿!?」
慌てた家臣が止める間もなく、元康は生のままの煎餅を、美味そうに頬張ってしま
った。
それどころか、その味が気に入ってしまったのか、自分が半田に来た際には生のま
まの煎餅を献上してはくれぬだろうか、とまで百姓達におねだりする有様。
「生せんべい」は現在でも半田市の名物として販売されている。
出典?生せんべいを販売している店のサイト。www
検証スレに出しても絶対史実とは認定してもらえないし、そもそも僕自身が史実と
は思ってないが、こんな話は投稿しちゃいけないんでしょうかぁ?
926:人間七七四年
10/05/13 17:32:46 b2phG6Jb
生せんべいがうまいのかまずいのか
そちらの方が気になる
927:人間七七四年
10/05/13 17:58:36 96I+LN2k
>>924
一豊は本当にこんなすっとぼけた人だったのか、それともそういうキャラで探りを入れてたのか・・
後者なら食えない人だなあ
928:人間七七四年
10/05/13 17:59:14 j3QJ/FfD
一豊さん半端ねぇwww
高虎さんも一豊さんだからこそ最後の台詞になるんだろうなw
929:人間七七四年
10/05/13 18:21:59 j/ZRC8d6
>>924
その話、一豊の最後のセリフが無い以外は
まるまる同じ内容で、会話の相手が高虎でなく
大谷吉継のバージョンのもあるな(名将言行録)
どっちが先に出来たんだろ
930:929
10/05/13 18:25:38 j/ZRC8d6
間違った、
×一豊の最後のセリフ
○高虎の最後のセリフ
931:人間七七四年
10/05/13 18:35:13 UWlMUA86
>>929
924は「古今武家盛衰記」に載っていたもので、古今武家盛衰記は寛文(1661~1672)の頃の
成立だそうなので、こっちのバージョンの方がほうが先でしょうね。
932:人間七七四年
10/05/13 18:36:09 lsD1229N
濡れせんべいってのもあるから、意外に食べれるものかもしれない。
でも、味気なかっただろうな。
933:人間七七四年
10/05/13 18:42:01 PEqFGfUj
一豊は堀尾さんの城献上案を横取りするほど腹黒いからな。
934:人間七七四年
10/05/13 20:08:52 ufwJm/+3
「この母にして……」
このスレでも何かと話題の初代紀州藩主頼宣さんの少年時代の話。
昼になってもまだ朝顔が咲いているのを見つけ、母・お万の方に手紙と一緒に贈った。
頼宣「朝顔が昼になってもまだこんなに元気に咲いてますよ。どうぞ御覧になって下さい」
これに対するお万の返事は……
お万「朝顔の贈りもの、ありがとうね。人間もこの花のようなもの。的確な養生をすれば短い生命も長くなるというものです。
これを忘れないように。家や国というものも、この心で見れば長久を保つことが出来るのですよ」
朝顔一つでも家や国家についての説教に変えてしまう。これが賢母というものであろうか。
こんな母からどうしてあんなにヤンチャな子が……と思ったら、彼女自身がとんでもないことをやっていた。
小田原の陣。上総勝浦城主正木左近大夫頼忠の娘であった彼女は、落城の際に海に面した50m近い断崖絶壁に布を垂らして、
それを伝って海上脱出に成功したのだという。しかも弟や母を背負って……当時14歳。(10歳説もある)
単純に15階位のマンションから布を伝って脱出するようなものだ。
史実としては辻褄が合わない点も色々あるが、現在でもそこは観光名所であり、この伝説が掲示されている。
色んな意味で、戦国の女はやっぱりすごい。
935:人間七七四年
10/05/13 21:11:35 tSZ9c/c7
>>924
背あぶり山には秀吉が奥州仕置きの際通ったと言われる関白平という場所があってなかなか見晴らしがいいです
936:人間七七四年
10/05/13 23:36:12 B1gok89Y
>>926
ういろうっぽい味だったよ
937:人間七七四年
10/05/14 18:40:09 j+CHyr3B
うん、半田の生せんべいは甘ったるい。
938:sage
10/05/14 20:49:28 X4nhv7+C
戦国の女は凄いの流れに乗って 久々に投下
「身代わりの侍女」
1600年(慶長5年)7月 石田三成挙兵に 派手な方の加藤家・黒田家などが 無事脱出したのは このスレ住人なら周知の事実
だが逃げ遅れた家の中に島津家も いた
8月に本国にいる義久が西上し 亀寿と人質の務めを交代しようと云う話があったが
8月は 関が原前哨戦がドンパチやってて とても義久が行ける状況じゃない
妙案が浮かばないまま 関が原本戦当日となり西軍が敗れる
敵中突破な無茶をやらかしたので 大坂の島津屋敷には義弘戦死の誤報が届いた
これを利用しない方はない
義弘の葬儀のためと 豊臣家に帰国を願い出る
豊臣家は もちろん承知。だが許可したのは義弘夫人だけで亀寿には帰国の許可が出ない
そこで義久系家臣の重鎮であり家老の平田は 時代劇定番の侍女を身代わりにするというベタな案を思いつく
「私が御上様の身代わりになります」
と名乗り出たのが 大田於松だ
大田家の息女で 慶長年間より侍女となった この時22歳
9月19日 義弘夫人と侍女の扮した亀寿と どういう経緯が書かれていないが秋月種長夫人が同行し
「義弘の葬儀のため」に大坂を出て 薩摩へと帰国の途に着く
9月22日に西宮で ボロボロになった義弘・島津勢と義弘夫人・亀寿・秋月夫人が合流する
一方、侍女の於松は 身代わりの大役を果たした後に 大坂城下の混乱を利用し自力で脱出し
この西宮で 一行に追いつき合流している
彼女が どのように機転を利かせたかは 元ソースには記載されていないが
於松は 身代わりの功績で後日 300石の知行を拝領している
彼女は生涯独身だったらしく300石は 於松の死後、弟が相続したそうだ
その後 島津一行は 完璧武将 立花宗茂と偶然出会うが
宗茂が島津義弘を助けたのは 義弘一行に夫人たちが いたからかもです
ソース 国分衆・町田氏正統家譜より
939:sage
10/05/14 21:08:08 X4nhv7+C
>>938
間違った「町田氏正統系譜」です
さくざさんに叱られて来ます。。。
940:人間七七四年
10/05/14 21:19:11 SWbhYFLV
干して軽く炙って食えば美味そうじゃね? > 半田の生せんべい
941:人間七七四年
10/05/15 02:10:34 2PQE5YSW
鮭様と夜泣き力士
秀次事件で処刑された愛娘の為に義光は天童の名刹専称寺を
駒姫の為に勧進した。
移築には多くの人足が集められ、本堂伽藍には名匠左甚五郎によって
梁を支えるまわしまで締めた「力士像」も作られた。
落成が終わり義光が山形城に戻り仮眠をとっていると
夢の中に今詣でてきた専称寺が出てきた。
でも、なにかおかしい・・・
境内で力士達が相撲をとっているではないか!?
義光「・・・ここ、駒姫の菩提を弔う菩提寺だよね?なんで相撲をとってるの?」
力士達「いやぁ、屋根を支えるのって意外とヒマで大変なんですよ~」
義光「!?!?」
何度か同じ夢を見るにあたり義光が専称寺に足を運んだところ、
成程、確かに伽藍の四方で夢に見た力士像達が屋根を支えていた。
次の夢に力士達が出るに当たり義光は静かに切り出した・・・
義光「お前たちは駒姫を魔から守る為に作られたんだよ?
その役目も果たせないなら・・・釘で足を固定して持ち場を守ってもらうか・・・
真面目に働くならそんな事はしないけど、
もし役目を果たさず相撲をとってるところを見たら次は種子島で撃つよ・・・」
以降専称寺からは夜な夜な力士像達の屋根の重荷に耐える「アッー!」と啼く声が聞こえたという。
*「出羽に伝わる昔話」より(「夜泣き力士」にはいくつか違う種類の昔話が伝わっております)
942:人間七七四年
10/05/15 02:17:48 5PYrpSlw
奥州仕置にて、大谷吉継・木村重茲が出羽仙北の検地を行った際に、
大谷配下の代官が農民を斬り捨てたことなどに反発して大規模な一揆が勃発した。
このとき上杉勢も奥州仕置に駆り出されており、吉継の要請を受けた景勝は
鮮やかな速攻で瞬く間に一揆を鎮圧し、吉継も大いに感嘆したという。(大谷吉継此軍謀ヲ感シケル)
そして後日、上杉勢の在陣する大森城へ吉継を招くと、景勝曰く
「こないだの一揆起きた件、あれな、思うにやり方が手ぬるいせいじゃないの?
このままにしとくとまた絶対似たようなこと起きるよ。
というわけで、武士だけといわず商人から百姓まで、分け隔て無く人質を取るのがいいと思うんだけどどう?」
(頃日川津良 山田 益田等一揆ノ蜂起 想フニ号令ノ軽キ故ナルヘシ
後日ニ至テモ如何有ヘシ 然ラハ諸士 商客 百姓等マテ差出タル者トモヨリ証人ヲ出サスヘシ)
これには吉継も同意し、4歳から65歳までの老若男女、実に20人を超える人質を得、
大森の周辺に番人を置いて見張らせた。
以降、さしたる騒動もなく出羽仙北の仕置は滞りなく完了したという。
(出典:景勝公御年譜)
二代目さんはさすが伊達に領内で何年も苦労してないなと思わせる話。
この辺の記述は一揆やら検地やらでてんてこ舞いのはずなのに、妙にほのぼのしてて和むw
943:人間七七四年
10/05/15 02:32:38 EUKW/W+r
武士商人百姓老若男女あわせて20人って
少ないな…と感じるのは感覚が麻痺してるんだろうか。
944:人間七七四年
10/05/15 02:44:12 2PQE5YSW
鮭様と下美作(しも みまさか)
慶長出羽合戦後、志村光安の計らいによって上杉旧臣・酒田大川の下吉忠が
最上幕下に加わった。
吉忠の従兄弟の下美作もその一人。
ただ、美作は内心志駄義秀と量り、越後・米沢へ帰りたかった様である。
中野陣屋で義光は下吉忠と面会したが、その席には美作も同席した。
義光「今回は最上家入りを了していただいて感謝しております。
酒田に関しては今は貴方の方がお詳しいでしょうから
まずは兵2000と兵糧、それに楯岡と志村もお使いください。
まずは家禄で5000石、いずれは1万石で大川城代の職を見ては頂けないでしょうか?」
内心義光を「謀将、敵将」としてしか見ていなかった下一族はこの義光の一言に涙を落として
感動したという。
下一族は庄内の上杉旧臣を交渉、戦闘によって平定し、
下吉忠は大川城持ち、下美作も数千石を領し最上家の為に尽くしたという。
「余目余記」最上傘下の下美作の項には「下美作被贈鮭」(下美作鮭を贈られる?)の文がある事より
最上色にどっぷり?漬かったことが受け止められる。
945:人間七七四年
10/05/15 03:17:57 5qziDoic
吉継くんでもヘマするんだ~ ってのが一番の感想なんだがw
946:人間七七四年
10/05/15 03:47:43 KSiGjJLq
>>944
こいつも鮭か!!鮭ネタにホント事欠かないね最上は
947:人間七七四年
10/05/15 04:56:38 HSGfVX0n
突撃!最上の朝御飯!!
慶長出羽合戦、直江軍と対峙していた時の鮭様のご飯の内訳
・白米
・豆
・香枝
・胡桃
・松
・栗
・柿
白米は消化が良いから
他は豆(マメ=元気)に香枝(かえって)胡桃(来る身)松(待つ)
勝ち栗
勝ち=柿を掛けたらしい。
鮭?
今回はちょっと見つからなかったorz
948:丼
10/05/15 05:56:56 HSGfVX0n
歴史の寄り道
最上軍の戦力は?
慶長出羽合戦で現在考証されている兵力は
直江軍18000~25000
最上軍7000(内2000は小野寺勢と対抗)
伊達軍3000
くらいではないかと言われている。
ただし最上軍5000の内
畑谷城350
長谷堂1000と推定されているため
最上義光直参は約3500余
伊達の援軍は終始小白川(現在の山形大学~山形南高付近)で
眺望していた為に実際の
上杉と最上の兵力差は少なく見積もっても約4対1
最上家には火縄銃2000があり、その大半を長谷堂に運び込み、
最上流(日置流へぎりゅう?)鉄砲術(一人が打ち、
後方何人かが撃った人間に弾込めの終わった銃を渡していくという
変則的三段撃ちの様な形態)を採っていたといわれる。
関ヶ原の敗戦で撤退する直江軍を最上軍は殲滅出来なかったと
言われるが、1人で4人を相手取る様な戦いに殲滅戦を行えるはずもなく、
半日で十数回、数Kmの範囲に渡る大激戦が繰り広げられた。
政宗に「最上の兵が弱すぎて」と手紙にも残される戦いだが
最上側では「味方の戦死者623人敵の戦死者1580人」
上杉側は「敵の戦死者2100余り」とするこの戦いの元の兵力さも考えてほしい。
949:人間七七四年
10/05/15 07:03:09 rctcm5mW
寄り道っていうかスレチだわな
950:人間七七四年
10/05/15 09:05:24 oNCzHPjV
>>941
これって、力士の像を脅迫した悪い話の気が…
951:土井利勝
10/05/15 12:48:51 WvQmC/3f
「人物はよほど親しくならないと分かるものではない。
玄関で見た来客をたいしたことはないと思っても、書院でじっくり話すと見直すことがある。
その時に見直さなかったとしても、居間で話をしてハッとさせられることだってある。
つまり、人間は少しの印象だけで判断できるものではない。
……とはいえ、やはり玄関先の印象を良くすることが一番大事なことだ。
玄関先から書院に通して話す人など十人中、四人か三人、居間ともなれば一人いるかどうか。
見直されるような人物でも玄関で終わっては意味がなかろう?特に若者は心に留めるがよい。」
952:人間七七四年
10/05/15 13:15:03 /n6j8nFy
至言だ
953:人間七七四年
10/05/15 15:38:09 Z4aPjvNI
>>950
娘を思う良い話とも
954:人間七七四年
10/05/15 15:55:07 Z4aPjvNI
>>951
鮭延秀綱「若者でないのですが、預かり身のワタクシは?」
955:人間七七四年
10/05/15 19:08:40 Jz9RsHjR
>>951
お~、オレもこう思ってるんだよ。
よくさ、人は見かけだけで判断するもんじゃないっていうけど
見かけでもよく見られたほうがいいわけじゃん
オレはいつもそれをうまく説明できなかったんだけど
土井さんのこの言葉なら誰でも分かるな
さすがに歴史に名を残す人は違う
956:人間七七四年
10/05/15 19:59:59 WQrrrjwg
長谷堂城を攻めていた直江兼続の軍が、関ヶ原での西軍の敗北を聞き撤退を開始。その時のことである。
上杉景勝家臣の小田部大学という者が直江兼続に向かい
「直江殿、私は伊達政宗の家臣、石川弥兵衛に言いたいことがあるので、少々陣を離れても宜しいでしょうか?」
これに兼続
「なんだか良く解らんが、何か考えがあるのだろう。まあ、良いだろう。」と許可した。
小田部は大いに喜び、門田と言う所までただ一騎駆け帰り、伊達軍の旗の見えるところまで来ると馬を止め、
大声で呼びかけた
「私は上杉景勝の郎党、小田部大学というものである!伊達殿のご家中である石川弥兵衛殿に対面したい事があって
ここに罷り来た!」
これを聞いて石川弥兵衛、これも一騎伊達軍の中から出てきた
「石川弥兵衛である!何事か!?」
「おお、石川殿か!私は今度の合戦での、お主の武勇の程に大いに感じ入った!
お互い知っての通り我らは撤退するが、次の合戦の時には是非相見えんと思い、ここに暇乞いに来た!」
石川、これを聞いて吹き出した
「あっはっはっは、上杉殿のご家中に武勇の士は多いと言っても、小田部殿の働きは特に目を驚かせていたので、
機会があればぜひ対面したと考えていたのだが、いやはや、はるばるここ迄、ただ一騎敵の中を帰ってくるとは、
まさしく日本無双の剛士である!」
「では、又会おう!」
「また、戦場で。」
そうして小田部は再び、上杉勢の元に戻って行ったと言う。
厳しい戦場における、勇者同士のエール交換であった。