10/04/25 21:27:06 CG4LZjqw
いい話だ
国松は乳母の再嫁先である若狭の砥石屋弥左衛門の養子となった。
これは秀頼の正室である千姫をはばかったものと見られている。
大坂冬の陣が起こると、秀頼の隠し子との詮議を受けぬよう、
常高院と共に大坂城に入城。
その後、和議が整ったのでそのまま滞在した。
翌年の大坂夏の陣のおり、国松は父の秀頼と5月8日に盃を交わし、
乳母某と田中六郎左衛門(京極家侍、傅役か)と共に城を落ちる。
しかし、徳川方の捜索により国松は京都所司代板倉勝重のもとに連行され、
5月23日、市中車引き回しの後、六条河原で乳母某と田中六郎左衛門と供に斬首。享年8。
田中六郎左衛門は京極家の者として死罪を免れ得たものの、自ら志願して同時に処刑されたという。