10/04/25 01:25:56 rtJtjzQH
天文20年
鳥居忠吉は13歳になる息子鶴之助(鳥居元忠)を連れて駿府に赴き
息子を10歳の竹千代(徳川家康)に近侍させた。
そんなある日忠吉と元忠が共に家康の前にでた。
家康は百舌を鷹のように腕に据えて遊んでおり、元忠を見ると「その方もやってみよ。」と百舌の据え方を教えた。
が、慣れない元忠がなかなかうまく据えることができないでいた為
家康は「その据えようが悪い」と言って元忠を縁側から突き落とした。
それを見た近習たちが「そのような手荒なまねはなりませぬ」と諌めると、忠吉はこれを抑え
「それがし年頃竹千代君を養育したてまつり、朝夕、忠吉々々とお慕いいただいておりますが
その忠吉の子を、世の常の人ならば少しは遠慮ということもあるべきところを
思うがままにお叱りになるのは、これこそ天然自然に身に備わった大将のご器量というもの。
将来は大功たてられる御身なれば、何事も気宇壮大にならせられるよう補佐し奉る事が肝要でござる。
こんな小事をとやかくお諌め申し上げるには及び申さぬ。
末頼もしき御生まれ立ちなれば、どなた様にも忠勤を励み、ご幼少なりとも仮初めにも卒爾な事があってはなりませぬ。」
と近習達を諌めたので、人々は皆これに感じ入った。
『寛政重修諸家譜』