10/04/02 00:08:18 we2iwgU3
>>178
鬼武蔵謀殺計画って、東美濃のほぼ全ての国人が参加してたらしいねw
長可はご近所から、もうこれ以上無いくらい嫌われていたらしい。
180:人間七七四年
10/04/02 00:09:55 qUyDSIGc
>>179
鬼武蔵の行動は一応自衛行為なんだよねw
周り全部敵なんだから。
181:人間七七四年
10/04/02 00:11:09 jdghEh/4
鬼武蔵は好きとか嫌いとかそういう次元じゃない
退治すべき妖怪とか鬼とかそういうレベルの話だったんだろう
182:人間七七四年
10/04/02 00:15:21 we2iwgU3
>>180
まあ「敵」の方も、自分達こそ自衛だと疑いも無く信じていただろうけどねw
183:人間七七四年
10/04/02 02:18:53 jgJS0SFy
>>177
その場合、鉄砲30丁ってのは鉄砲足軽30人ってことじゃないのかな。
火力に欠ける小規模部隊に軍役とほぼ同数の鉄砲隊をつける事例は他でもあるし。
184:人間七七四年
10/04/02 09:18:07 Y/jHQw1O
>>182
「あれ」は人の形をした災害ですから……ヒューマノイド・タイフーンってゆう
185:人間七七四年
10/04/02 09:30:15 MmGwBl9/
鬼武蔵が出たってだけで、どうなることかとハラハラしたw
でも明治までしっかり残ったってのはすごいことだな。
石碑の一文はちょっと感動した。
186:人間七七四年
10/04/02 12:29:30 rzqNrPue
>>184
地震、雷、鬼武蔵
187:人間七七四年
10/04/02 14:45:24 y2Ev1eax
森長可の死亡は
鉄砲隊の狙撃で眉間を撃ち抜かれ死亡
安藤直次に討ち取られ死亡
どっちなの
188:人間七七四年
10/04/02 14:49:49 3F2IKj0/
安藤直次に討たれたのは池田恒興
189:人間七七四年
10/04/02 14:51:02 ipGHtxWr
眉間を打ち抜かれた後も猛威を振るっていた鬼武蔵を安藤が討ち取ったでいいじゃないw
190:人間七七四年
10/04/02 14:52:58 3F2IKj0/
じゃなかった、元助
191:人間七七四年
10/04/02 15:02:26 y2Ev1eax
>>188
ありがとうございます
192:人間七七四年
10/04/03 01:13:51 ZHg8ltVv
永井直勝 「池田勝入を討ち取りしは安藤直次殿にござる」
193:人間七七四年
10/04/03 16:02:57 JbqY1XkF
>>192
「なんのなんの、若侍があっぱれな働きでございましたぞ」
194:人間七七四年
10/04/04 12:25:44 tvgRt9rv
武田の武将、秋山信友によって攻略され滅びた、美濃遠山氏宗家岩村遠山氏、
武田の攻撃を耐え切ったものの、本能寺後森長可に攻められ落去、関ヶ原で古地を取り戻した苗木遠山氏
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
それらと共に「三遠山」と称された、美濃明智城、明智遠山家についてのことである。
元亀3年(1572)12月、東美濃に攻め寄せてきた武田の武将秋山信友との戦い「上山合戦」は、織田方の大敗北となった。
明智城主遠山景行はこの敗北により自刃、さらに長子、景玄も討死し、明智遠山家に残されたのは、
未だ幼い遠山一行のみとなった。
叔父の遠山利景はこの一行を補佐しどうにか家を運営するが、一族の中には美濃を捨て地方に移住するものがでるなど
家勢の衰退は隠せず、天正2年(1574)の武田勝頼による侵攻で、ついに明知城は落城してしまった。
が、翌3年の長篠の戦いで状況は一変。明智城も取り戻された。そして天正十年。武田滅亡、本能寺の変、
そして
(^^)「こんにちは。鬼武蔵です。」
森長可の軍勢に、一行と利景は城を捨てて逃げた。利景の妻の実家、三河足助城の鈴木氏の元に身を寄せ
徳川家康の保護を求めた。家康は彼らを受け入れ、天正12年(1584)の小牧長久手の戦いでは井伊直政の後援の下
なんと森家の手から明智城を取り戻してしまった。更に調子に乗って岩村城も攻めたのだが、
(^^)「いらっしゃいませ。鬼兵庫です。」
ここでは城代の鬼兵庫ことかがみんこと、各務元正に一族の遠山半左衛門を討ち取られるなどフルボッコに
返り討ちにされたのはご愛嬌。
そして明智城を取り戻したのもつかの間、秀吉と織田信雄の間に和議が整うと、再び森家に返還されることになってしまった。
その後遠山一行、利景は家康に従い、家康配下の信州の大名、依田康国の下に付き信州の経営に参加していた。
が、
天正16年(1586)冬、遠山一行、凍死。
凍死である。なんと信州から駿府へ向かう途中に、甲駿国境の平沢峠で寒波に合い
凍え死んでしまったのだ。この時代の武将としても、かなり珍しい死に様である。
「なんということか」
遠山利景は途方に暮れたが、一行に子はなく、明智遠山家の家督は利景が継いだ。
そして関ヶ原が起こると苗木遠山家の遠山友政らとともに秀忠隊につき、西軍の田丸直昌の軍勢が守る
明智城を見事に攻略。戦後、この功により明智の地は利景に与えられた。
この後明智遠山家は明智を領する大旗本として江戸期を過ごし、やがて「遠山の金さん」として有名な、
江戸町奉行、遠山景元を輩出する。
「三遠山」の一つ、明智遠山家のお話。
195:人間七七四年
10/04/04 16:28:02 Y58c3c9I
浅井朝倉の大軍すら退けるかがみん防衛中の城に調子に乗って攻め懸けるとか。
主なくしたときこそ真骨頂だろw
196:人間七七四年
10/04/04 19:22:42 3ETL6KiH
秋山晴近に大敗北したのは上村合戦じゃないっすか。
197:人間七七四年
10/04/04 20:17:57 3ETL6KiH
田丸具安っちゃあ、阿木の爺さんらが作った歴史教室の資料より。
--------
慶長五年秋九月、関ヶ原で石田方が敗北した後もなお岩村城を明け渡さなかった田丸直昌。
家康は苗木城遠山久兵衛友政に明智遠山民部、小里彦五郎を付け岩村城攻めを命じた。
十月九日、友政は五百の兵を率いて阿木と飯羽間の境の根に陣を敷いた。明智、小里も
それぞれ三百の兵を率いて岩村城の南に陣を構えた。
田丸は三百の手勢で籠城していたが、敵が攻め寄せたと聞いて櫓に上がり城の南北を
見渡してみると大勢の敵兵が旗をたなびかせているのが見えた。急ぎ櫓から降りた
田丸は一族と兵士等に向かい「とても防ぎきれる戦いではない。城を無事に明け渡し
私は髪を切って出家する。」と言い放つと城中の者は静まりかえってしまった。
こうした時に友政の使者の陶山次郎兵衛がやって来た。田丸は「明け渡しは承知した。
大儀ではあるが大手の城戸までお越し頂きたい」と言い渡した。
使者が帰った後、田丸は頭髪を全て切って投げ捨て、織物の袴に一尺八寸の太刀を差し、
家臣の石部外記を連れて大手門に向かった。迎える友政も褐布織物の袴に太刀を差し
家臣の纐纈藤兵衛を連れて出向いた。「これから私は出家しようと思います。何卒
私ともども城内の者らの助命を御願いしたい。また白昼に城から出て行くのは城主として
面目のないこと。暗くなってからの降城をお許し願いたい。」と。友政は快く了承した。
日が落ち、数十日の籠城から解放され我先にと東へ西へ逃げる一族兵士等。これを見た
田丸は大手門の扉に一句貼り城を出た。
岩村にたまる物とてゆきばかり 消えもやせんと思う我が身も
友政の使いで藤左衛門が出迎え、軽少ではありますが路銀にと田丸に金五十両を渡した。
田丸は涙を流し、薙刀を取り出して「これは田丸家代々の家宝です。友政公にお渡し
ください。」と言った。田丸は友政の付けた足軽二人の共で西美濃まで逃れた。
田丸の降城で乱世から解放された岩村城。友政、明智、小里の三将が城内に入って
みると、大広間にはそれは見事な武具や珍しい器、馬具などが山のように詰んで
あったという事である。
198:人間七七四年
10/04/05 20:00:03 Odk9P7+b
宗茂の遺風
寛永十九年(1642)十一月二十五日、立花宗茂はその波乱の生涯を閉じた。
そして5年後の正保四年(1647)の事、肥前長崎沖に、三隻のポルトガル船が姿をあらわすという事件があった。
これに幕府は御奉書をもって四国、西国の諸侯に沿岸の防衛体制を取ることを命令。
西日本諸侯は海域の警備を強化した。
その中でも、立花忠茂の軍勢は特に目立っていた。
彼は急な命令にも関わらず、すぐに3870余人の軍勢を出し、そのうち800人は水主であった。
船は33隻、そのうち戦闘船である関船は9隻。
立花勢はその人数が1万にも2万にも見えるほどの圧巻であったと言う。
これを見た人々
「流石立花家は違う。日頃より武備を嗜んだ宗茂公の遺された家風がよく残っている。」
と、甚だ感心したそうだ。
これにより諸侯の中で立花忠茂の評判は、一際勝ったそうである。
緊急事態に現れた、立花宗茂の遺風、のお話。
199:人間七七四年
10/04/05 20:32:55 Sdi+Jtd/
さすが立花家の格は違った
200:人間七七四年
10/04/05 20:43:41 3T9vmo/4
さすがだな宗茂さんは・・・
家臣たちの心をがっしりとつかんでいた
201:人間七七四年
10/04/05 22:11:51 5bLbDdct
死後まで完璧とか…
ってか素直に忠茂の手柄にしてやれよw
202:人間七七四年
10/04/05 22:24:32 3T9vmo/4
そうだね
養父の教えをよく守ったよ
目の上のたんこぶがなくなると羽のばす奴が多いからね
203:人間七七四年
10/04/05 22:53:39 Rm6Vot71
家久(悪)「まったくだ」
204:人間七七四年
10/04/05 23:26:11 5BWbgXzl
政宗「そういう奴ってほんとうに駄目だよな」
205:人間七七四年
10/04/05 23:28:49 whmhYZ3f
ギン千代「ほんとほんと」
206:人間七七四年
10/04/05 23:44:27 ENyqNX9f
義理の祖父・道雪(苦労人)
実の祖父・紹運(苦労人)
義理の父・宗茂(苦労人)
実の父・直次(苦労人)
本人・忠茂(当然の如く苦労人)
207:人間七七四年
10/04/06 00:06:49 ODBBzkZd
>>206
なんという濃密さw
208:人間七七四年
10/04/06 00:16:59 mbphGfIq
道雪紹運宗茂くらいしか知らないが、
こいつら苦労してるんだろうがそれを苦労と思ってなさそう。
209:人間七七四年
10/04/06 00:41:57 mZnGdP4T
>>208
苦労するのを覚悟してその道を選んでるんだろ
義理の祖父・道雪 苦労を覚悟にバカ殿に諫言
実の祖父・紹運 死を覚悟に岩屋城篭城
義理の父・宗茂 鬼嫁を覚悟に婿入り
実の父・直次 鬼女を兄に押し付ける変わりに家督相続
本人・忠茂 DQNの血筋としっての嫁取り
210:人間七七四年
10/04/06 01:00:36 wu5Q4Air
>>209
宗茂、覚悟も何も親父が行けといわれればいくしかなかったんだぜ?
211:人間七七四年
10/04/06 01:14:27 9EShjBdR
宗茂さんは決死の覚悟で城を守るより、浪人生活の方が苦労を感じてそうだ
212:人間七七四年
10/04/06 01:27:09 wu5Q4Air
最初は何とかなるだろうと思ってたけど
段々弱気になっていってしまいには諦めがはいってたりしたようだけど
なんとか踏みとどまって弓術の免許皆伝になったり蹴鞠の免許とったりと
今で言う自分磨きに精を出していたようだ >宗茂
213:人間七七四年
10/04/06 01:37:56 OuBL7Qiy
忠茂実父の高橋直次は
嫁の父親が北九州で蠢動しまくる築紫広門
岩屋城の闘いで島津に約束を反故にされ幽閉される
自分が幽閉されてようと宗茂兄さんは徹底抗戦
と充分難儀な人生送ってるっての
214:人間七七四年
10/04/06 09:43:20 aKP7ILVb
生き方難儀じゃなきゃあの血筋じゃないだろ
215:人間七七四年
10/04/06 10:38:05 mZnGdP4T
難儀な生き方していても宗茂にあわせて徳川に仕えて後に三池藩になってるし
なによりも兄貴の変わりにたくさん子供を作って三池藩のみならず柳川藩の存続に力を貸してる
まあ、キッチリ紹運の血筋を残してやるべき仕事はちゃんとこなしているあたり、さすが吉弘の血筋
ただ、まとめサイトのカテゴリにまだ単独で名前がないのが不憫…
216:人間七七四年
10/04/06 13:28:19 oyn41orI
快川紹喜と言えば甲斐国塩山の恵林寺の住職として名高い戦国時代の名僧であるが、実は出身は美濃国であると言われている(尾張との説もあり)
美濃崇福寺の住職を務めていた紹喜だが、この崇福寺の住職は代々「護阜」との肩書きを名乗っていた。
「仏法にて岐阜を護る!」との公言が許されるホドの名門寺院であったという証であり、信長支配前から岐阜という地名が使われていたコトを示す名乗りでもあった。
美濃国主斉藤義龍は元々日蓮宗に帰依していたのだが、やがて一色氏として源氏を名乗るようになると、他の多くの源氏大名と同じ禅宗に鞍替えをした。
が、そのやり方がまずかった。
膝元の快川らを無視し、京都から別伝宗亀という禅僧を招いて伝灯寺を建立、自らの菩提寺としたのである。
その上で「伝灯寺を美濃の禅宗の本山とし、各寺院や僧の管理は伝灯寺に一任する。また、京都の総本山へ行く際の手続き等も伝灯寺が行う」とした。
義龍は別伝にねだり、僧としての修行などしていないのに、高位の僧しか身に付けるコトの出来ない僧衣を貰ったりと、やりたい放題であった。
激怒した快川ら美濃の禅僧は、一寺に集まり相談。
皆揃って尾張犬山の瑞泉寺に退去するという過激な行動に出る。
慌てたのは義龍を初めとする美濃の国人衆。
僧がいなけりゃ法事が出来ない。葬式すら出来ない。この時代、な~んも出来ないのである。
先に出した触れを
「いや、アレね、部下が作った案なんだよ。一つの案に過ぎないの。それにオレが許可出す前に発表しちゃったモンだからさ。オレが眼を通してたら、そんなん許可するワケないじゃん!」
と、義龍が撤回するコトで何とか帰国させるコトに成功する。
が、泥沼はココから。
「別伝とそれに従った僧を京都の総本山に訴えるのは待ってくれ」
と言う武家側。
「訴えるって人聞きの悪い。オレ達は事件を報告しただけだよ。別伝の処分は京都で決めるさ」
と耳を貸さない僧侶側。
終いには義龍、
「別伝が破門されたって、足利将軍に頼んで取り消してもらうかんな!」
と恫喝。再び犬山に出奔する快川ら禅僧一同。
しかもその際には
「美濃国主ったって、一国の主に過ぎないじゃねぇか。オレ達僧侶は三界の師として修行を積んでるんだ! お前とオレと、どっちが偉いと思ってんだ!」
という捨て台詞さえ残している。
天皇家、足利将軍家双方が義龍に味方し、伝灯寺保護の方針を打ち出す。
しかし崇福寺も総本山妙心寺も真っ向からこれに反発。別伝一味を破門と決定した。
天皇&将軍まで巻き込んで、武家VS禅僧という全面対立にまで発展してしまった騒動。
しかし、決着がつくのは呆気なかった。
一色(斉藤)義龍、急死。
そのどさくさにまぎれて織田軍が濃尾国境を荒らし始めた為、美濃中の武家がそれ所ではなくなってしまったのだ。
後ろ盾をなくした別伝、伝灯寺に放火を試みるも失敗。姿をくらました。
別伝に加担した禅僧の一人も出奔。後に京都の妙心寺に放火をしようとして門前にて人々に殴り殺されたという。
天皇&将軍&国主。全てを敵に廻しても俗界の介入を阻止した快川の良い話……なのかなぁ?
快川の言動もどんだけ傲岸不遜なんだよ、と思わんでもないし。
217:人間七七四年
10/04/06 13:37:58 aKP7ILVb
別伝も加担者もなんで放火するw
218:人間七七四年
10/04/06 18:48:10 WYgum1Dj
在地に根づいた宗教勢力は最強だぜえ
219:人間七七四年
10/04/06 20:15:16 +pcusfxy
河村秀定の大海老退治
斯波詮真の家臣に河村秀定という人がいた。
あるとき彼が主君の鷹狩に同行しある村に立ち寄った。
その村の沼には化け物が住んでおり、これがたびたび村人達に害をなしていたため、詮真は秀定にこれを退治するよう命じた。
秀定は沼に入り、身を枯れ木に見せかけていた大海老を退治した。
詮真は秀定の武勇を称え「この海老を食べよ。」と命じた。
主君の命とあれば食べないわけにもいかず、秀定は恐る恐る大海老を口にした。
すると非常に美味しかったので秀定は飽きることなく夢中になってその身を貪った。
それを見ていた詮真は「まるで鷲のようである。」と呟いた。
その後彼は「鷲内」の家号と知行を賜ったという。
220:人間七七四年
10/04/06 22:00:40 WYgum1Dj
沼に大海老・・
いや、ヌマエビっているけど、ちょっと変わってるな
221:人間七七四年
10/04/06 22:27:21 rSJcCWHR
まんが日本昔ばなしで大蟹を退治する話はいくつか見たが海老退治は初めて聞いたw
222:人間七七四年
10/04/06 22:32:52 4Za6E4vr
あとでスタッフでおいしくいただいてそうだ>エビ
223:人間七七四年
10/04/06 23:22:36 KZXHHT2O
>>201
ってか宗茂って秀吉に領地貰って以降の大名だけど
すぐに小田原、朝鮮と戦続きで自分の領地にいることの方が少なかったよな?
関ヶ原で領地喪失、大名に復帰してからも転々としてた上に
柳河に帰った後はほとんど江戸住まいだっただろ?
領地経営にどの程度関わってたのかな?
生活力の無さを考えると…
224:人間七七四年
10/04/07 00:32:35 tjrFaSEU
>>223
そのわりには手助けするから柳川から出て行かないでって領民から泣きつかれたって話があるんだよな
どういう人心掌握術もってんだろう
宗茂はそこら辺は無自覚だっただろうけど
225:人間七七四年
10/04/07 00:54:40 zEiSc4ri
>>223
よく考えりゃギン千代と子作りなんて物理的に不可能だな
種無しってわけじゃ無かったのかもしれん
>>224
他所から大名が来たらどうなるか分からんって恐怖もあったんじゃね?
佐々がなぁ
226:人間七七四年
10/04/07 06:46:52 opZPA0aA
>>222
ジャンボエビフライ食いたくなった。
227:人間七七四年
10/04/07 09:37:27 +YaKFDhO
>>215
ぜひわが国に来て欲しい すぐに来て欲しい 早く!早く!
228:人間七七四年
10/04/07 12:43:18 +O6JP4VX
>>223
立花ギン千代という有能なかつ忠実な留守居役のおかげじゃね?
229:人間七七四年
10/04/07 18:35:59 ngzajHIh
いい話かどうか微妙だが
ある日、福島正則のもとに中村一氏の子・一忠から、使者がやって来た。
「神部甚右衛門と申します。さて、早速ですが用件は・・・」
「まーまー、ンな事ァあとでも良いから、まず一杯やってけや。」
正則手づから大盃を与えられると、甚右衛門はグイッと一息に呑み干した。
「おおぅ・・・いい呑みっぷりだのぅ!せっかくだから、もう一杯どうだ?」
「いえ、どうせなら拙者からも福島様に、ご返杯差し上げます。二杯目は、それから頂戴しましょう。」
「いいねぇ、話せるねぇ!これが黒田のトコの野郎だと・・・」
(それはアンタも悪いんじゃ・・・?)
すっかり甚右衛門が気に入った正則は、一忠への返書でわざわざ、
『今後、当家への使者は必ず神部甚右衛門にしてほしい』とまで申し送った。
数年後、一忠が若死にして中村家が無嗣断絶との報が正則の耳にも入った。
「中村家は改易になったか・・・ならば神部甚右衛門は・・・なに、浪人中?よし、ウチで雇え!!」
こうして甚右衛門は三百石で正則に仕えることになった。
福島家中では、「ありゃ“昔のよしみ”ならぬ“酒のよしみ”だよなーw 」と苦笑したそうな。
でも呑み友って貴重だよね( ̄ー ̄)/[□ カンパーイ
230:人間七七四年
10/04/07 20:23:59 3W2LA3C6
とある戦場の超初陣
13歳になる少年が槍を抱えて戦場となるであろう柵の先を眺めていた。
この少年はこの戦が初陣である。今回の任は上司の護衛(戦眺め)である。
この少年、近所の叔父さんから槍術を習っており腕に自信があった。
そしてこの少年の部下(幼馴染)も腕に自信がった。
少年「こんな所にいては一度も刃を交えることなく戦は終わるやもしれぬ。
雑兵の格好をして前線に出てみないか?(゚Д゚)」
幼馴「べ・・・別にあんたの勝手にすればいいんだからねっ!ξ〃Д〃)ξ」
少年「殿!もっと近くで戦場を見たいのですが移動しても良いですか?」
上司「良いけど柵の向こうには絶対いくなよ!いいか!絶対いくなよ!?(;^ω^)」
そしてこの二人が雑兵に紛れ込んだ中、戦闘の火蓋が切って落とされた。
鉄砲の轟音が鳴り響く中敵が迫ってきた。少年等は攻めかかる敵部隊に突入した。
さてこの二人組みだが日頃の修行の成果もあってか雑兵をばっさばっさと薙ぎ払った。
少年は馬から指揮者を蹴り落とし、はぐれた雑兵をまとめて馬上より雑兵小隊の指揮までとりはじめた。
当然その少年に敵が群がってきた。馬上で指揮をとっていた少年、さすがにこれには苦戦した。
そこへ幼馴染が助けにきて敵を一蹴!
幼馴「勘違いしないでよねっ!あんたとの約束を果たしただけなんだからっ!ξ〃Д〃)ξ」
少年「すまねぇ・・・(゚Д゚)」
っとこの少年二人組、13歳ながら最前線で敵勢力と互角以上に渡りあっていた。
距離を置いて戦場を眺める大将の目にもとまった。
上司「あの小童凄いね!!どこの小童か調べてまいれ!」
部下「あー・・・殿、あれは今日殿のお連れした小童でございましょう。
戦が始まってから姿が全く見えませぬ。」
上司「なっ!なんだってー!?虎め!ここまでの器量持ちであったかっ!!」
っとここまでは良いが戦場から帰還後、上司にこっぴどく叱られましたとさ。
加藤清正の初陣風景である。
清正は賤ヶ岳が初陣じゃないよーってお話です。
叔父さん=前田利家
幼馴染=福島m・・・じゃなくて飯田覚兵衛
上司=秀吉
戦場=長篠
以上、戦前戦後の清正本(熊本の図書館にあった本)の中からの抜粋。
231:人間七七四年
10/04/07 22:25:00 fic8jgna
ボーイズラブ展開かと思ったのに
232:人間七七四年
10/04/07 22:26:39 Cw+v9GTE
>>229
酒関連の市松は輝いてるなw
233:人間七七四年
10/04/07 22:41:40 U6AMfh74
>>230
清正は13歳の頃から異様に背が高くて目立ったんだろうな
234:人間七七四年
10/04/07 22:50:56 ThbgsrWo
>>233
そのころからこぶしを口に入れられたんだろうか?
235:人間七七四年
10/04/07 23:18:40 AYQmmAEa
飯田覚兵衛は確かにツンデレ幼馴染キャラだわな。
「本当は武士なんてすぐやめたいけど、あいつにだまされてしょうがないからやってあげてるだけ」
236:人間七七四年
10/04/07 23:20:00 tjrFaSEU
>>235
そのエピソード好きだな
やめようと思ったのにそのたびに褒めるもんだから立場もあがってやめるにやめられなかったとか
237:人間七七四年
10/04/08 00:29:47 HCFOdgaQ
>>230
正則「僕達ずっと友達だよね?」
238:人間七七四年
10/04/08 02:57:59 vV7MKPoP
鳩山由紀夫が貧乏なら孤独なはず
スレリンク(alone板)
ワロタwww
239:人間七七四年
10/04/08 03:48:37 MRPfpf91
>>230
前田利家は加藤清正の叔父だったの?
240:人間七七四年
10/04/08 05:12:10 Wq7/rn8y
小父さんの間違いだろうな
241:人間七七四年
10/04/08 18:33:21 tLytfPMW
天正十三年(1585)、秀吉による四国征伐の結果、蜂須賀家政は阿波十七万五千石の太守となった。
そこで家政は先ず、要害堅固で知られた山城、一宮城(徳島市一宮町)に入ったのだが、ここを居城とせず
新たに平野部の吉野川河口に新城を造ることとした。
これを聞いた蜂須賀家重臣、武市信昆は諫言をする
「平地の城では一旦事が起こった場合、甚だ不利となってしまいます!」
蜂須賀家の防衛を考えた場合、当然の懸念であろう。
が、家政は笑って武市を諭した
「秀吉公の武威により、今から百年後までも世の中は泰平となり、武備の要という物も必要が無くなるだろう。
であれば地の利を頼むより、むしろ人の和を頼むべきではなかろうか?」
だからこそ平地に新たな城を造るのだ。
武市もこれに納得し、新城、徳島城の建設は始められた。その縄張りには築城家として有名な林道感と、
当の武市信昆が当たったと言う。
いち早く新たな時代の城を考えた、蜂須賀家政のお話。
242:人間七七四年
10/04/08 21:39:18 hFOEBrz4
>>241
その城の落成記念で踊りだしたのが、阿波踊りの起源ってことになってる。
243:人間七七四年
10/04/09 00:47:10 1DJJepGv
へええ、阿波踊りの起源なのかー
244:人間七七四年
10/04/09 00:47:48 XF2aXFKG
朝鮮起源でなくてよかったよ
245:人間七七四年
10/04/09 01:00:12 9N0nCcsm
>>243
あくまでも地元の伝承レベルの話だけどね。
246:人間七七四年
10/04/09 21:20:46 LqX89tP0
敵も認めた漢の褒美
前田利常の家臣平野弥次右衛門の従者に五右衛門という人物がいた。
大坂の陣の際、真田丸を攻めていた五右衛門は、主人である弥次右衛門の
楯になり、十八発もの銃弾を全身に浴びてしまう。だが五右衛門は
「なんのこれしき、かすり傷でござるわ!」と笑い捨てた。
五右衛門の剛気を称賛した真田丸の兵達は、
「名を聞かせ給え」と五右衛門に声をかけた。
「う……」だが五右衛門は困惑した。なぜならば、まだ名乗る姓を
許されていなかったからだ。これを見た主人の平野弥次右衛門はすかさず
「我が姓をつかわす!」と叫んだ。
これに五右衛門は胸を張り、大声で真田丸に答えた。
「われは平野弥次右衛門が下人、五右衛門である!
これまで御供したる褒美として、たった今、姓を賜って
平野五右衛門となり申した!」
すると真田丸から、平野五右衛門を称える祝福の拍手が
湧き上がったのであった。
殺伐とした戦場の中の、ちょっと良い話である。
247:246
10/04/09 21:23:35 LqX89tP0
前田利常、平野弥次右衛門、平野五右衛門でまとめwikiを検索
しましたが該当が無かったので。
もし既出ならスルーでお願いします。
248:人間七七四年
10/04/09 21:37:09 sEkh2D7v
>>246
( ;∀;) イイハナシダナー
仕える主は違っても主人に尽し、それを認められて名を上げた五右衛門に
豊臣方の牢人たちも思うところがあったんだな
249:人間七七四年
10/04/09 21:52:59 k+x927XU
>>246
良い話だなぁ…殺し合ってる敵が「すげえよ、アイツ!」って褒めるってな。
やっぱり平野五右衛門は、その後死んだのか?生きてて欲しい人物だ…
250:人間七七四年
10/04/09 21:55:47 UqIGOPxt
18発も撃たれて元気に返事する人間がいたらもう拍手するしかないだろ…
251:人間七七四年
10/04/09 22:08:13 rs11C9Mf
平家物語とかでも那須与一が扇に矢を当てた時に平家側から歓声が飛び交ったって話あるけど
戦国の世でもまだそういう戦いの中の矜持みたいなのは残ってたんだな
252:人間七七四年
10/04/09 22:35:50 snK3vSao
上はともかく、下の雑兵や奉公人達は、憎しみで敵味方になってるわけじゃないものな
253:人間七七四年
10/04/09 22:55:29 QIQ51sBJ
>>246
こういう話大好きw
254:人間七七四年
10/04/09 22:56:52 kbZT2Tcv
aa
255:人間七七四年
10/04/10 01:32:09 b/zDPPS7
こういう、お互いの武者働きを称え合うのが戦国の醍醐味・・・
だと個人的には思ってる
その後、特に名を残さなかったとしても、生きてて欲しいなぁ
256:人間七七四年
10/04/10 03:27:42 4N+coktv
ここにあるように松永と三好三人衆の間にクリスマス停戦が成った時のこと
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
この時停船中に宴を催した一団があった。
両軍のキリシタン武士たちである。
寄り集まった彼らは敵も味方もなく笑いあい、酒を酌み交わした。
そして夜もすがら遊び、翌日にはまた敵も味方に分かれて戦ったという。
この様子をルイス・フロイスはこう記している。
「両軍に属する武士約七十名は、忠誠、愛情、平和、一致の美徳を示して
敵味方一堂の家臣のごとき友愛と礼儀を持って語り合った。」
かつては同じ三好家中で同宗門となれば付き合いもあったのでしょうが
たとえ敵も味方となってもそれを忘れないいい話?
257:人間七七四年
10/04/10 07:06:08 YwqSSYxW
>>256
まあ、同じ宗派同士の連帯感…みたいな物かな?
昔の人はやっぱり祭日ってのを、大切にしてたんだろうし。
まあ正月にそれをやって(対陣中とは言え)地元に帰った奴等を皆殺しにした武将もいるけど。
258:人間七七四年
10/04/10 09:58:54 d8esvDzc
阿波踊りの話が出たので、戦国時代起源(?)の踊りで二話
享禄3年(1530)、大内義隆は九州の名族・少弐氏の息の根を止めるべく、筑前守護代の杉興運を討伐を命じた。
幕府から太宰大弐の官位を買い、侵攻の大義名分を得た大内氏に対し、既に本国・筑前を奪われた少弐氏は
悲壮な覚悟で戦いに臨んだが、たちまち劣勢に立たされた。
少弐氏配下の龍造寺家兼も、大内軍の朝日頼貫を討ち取ったものの多勢に無勢、ついに敵に取り囲まれ、
さすがの家兼も覚悟を決めたその時、
ヽ( ・(ェ)・ )ノ クマー
「!?」
ヽ( ・(ェ)・ )ノヽ( ・(ェ)・ )ノヽ( ・(ェ)・ )ノヽ( ・(ェ)・ )ノ クママママー
「な・・・なんじゃ、あの赤熊(シャグマ)どもは!?」
突如現れた赤熊(ヤクの毛を染めた兜・母衣飾り)に漆黒の鬼面をつけた謎の部隊が、大内軍に襲いかかった。
勝ち戦に気の緩んだ大内軍は、異様な軍団に横合いを突かれ、見る見るうちに陣を崩される。
「な・・・なんだかよく分からんが、我らも続けーっ!!」
このスキに体勢を立て直した家兼が反撃に転じ、形勢は逆転。大将の杉興運は、本国に逃げ帰った。
「助かった・・・それにしても、彼らはいったい・・・?」
疑問の解けぬ家兼の前に、赤熊軍団の将らしき者がやって来て、鬼面を外して一礼した。
「佐賀郡鍋島の郷士、平右衛門清久と申します。良将に仕えたいと考えておりましたが、龍造寺殿こそと思い
機会を伺っていた所、今日の苦境を拝見し、助太刀に参りました。どうか、家臣の端にお加え下さい。」
喜んだ家兼は、清久の次男・清房に孫娘を嫁がせ、鍋島家を重臣として遇した。鍋島の者は戦勝祝いに
赤熊の装束で練り歩き、それが元となって佐賀の無形文化財「面浮立」が生まれたという。
259:人間七七四年
10/04/10 10:03:28 d8esvDzc
伯耆羽衣石城主・南条元続は父の代に尼子氏に居城を奪われたが、吉川元春の後援により奪還に成功した。
ところが、天正7年(1579)、羽柴秀吉の中国攻めが始まると元続は毛利を離反し、織田家の配下となった。
元春はこれを憎み南条氏を攻めたが、堅城・羽衣石は容易に落ちず、やむを得ずいったん兵を退いた。
「見よ、『毛利に両川あり』と言われる、あの吉川が退くぞ!勝ち戦じゃ、それ祝え!!」
元続は戦勝の祝宴を催し、城下の民も浮かれ踊り明かしたが、その中にひときわ目を引く一団がいた。
♪ ∩∧__,∧∧__,∧∧__,∧
ヽ( ^ω^ )7ω^ )7ω^ )7 ♪ 此方のお庭を借り申そう ♪
/`ヽJ ,‐┘ ,‐┘ ,‐┘
´`ヽ、_ ノ 、_ ノ 、_ ノ
`) ) `) ) `) )
♪ ∧__∧.∩__∧.∩__∧.∩
r( ^ω^ )ノω^ )ノω^ )ノ ♪ 明年参ろう また参ろう ♪
└‐、 レ´`ヽ レ´`ヽ. レ´`ヽ.
ヽ ___ノ´`´_ノ´`´_._ノ´`´
( .(´ ( .(´ ( .(´.
.`ー `ー `ー
揃いの傾いた装束で拍子と鉦に合わせて踊り狂う一団に、元来踊り好きの元続も目を引かれ、城内に招いた。
その瞬間、
「かかったな、アホが!!」「き、貴様、吉川元春!おのれ、謀られたか!」
元春の合図で、踊り手に扮していた選りすぐりの吉川兵たちが、城内で暴れ始めた。
思わぬ奇襲を受けた元続は、たまらず城を捨てて逃走。元春はこの奇策による勝利を吉例として、
「南条踊り」と名付け、世に残した。現在では広島と、吉川氏が藩主だった岩国等に伝わる。
それにしても熊谷氏の戦力が欲しくてブサ嫁もらったり、秀吉を嫌うあまり隠居したりと
実用一点張りで融通のきかない元春が、この策のためにダンスレッスンとかやったりしたんだろうか。
260:人間七七四年
10/04/10 10:17:27 YwqSSYxW
>>258>>259
やはり戦勝祝いとか、祭りとかになると、気が弛みがちになるわな…
ベッキーが怒るのも無理ないか。
261:人間七七四年
10/04/10 10:30:58 jdKvYTxg
これか!
URLリンク(vision.ameba.jp)
南条踊り
URLリンク(www.youtube.com)
面浮立
262:人間七七四年
10/04/10 10:46:57 wLXN8v7o
最近、
吉川元春→秀吉大嫌いな猛将
小早川隆景→知将
というイメージから
吉川元春→秀吉大嫌いな知将
小早川隆景→ヒャッハー!最前線だー!
というイメージになった。
263:人間七七四年
10/04/10 10:49:59 AqSByoYJ
隆景のイメージは俺の中でもずいぶん変わったよw
知将→ちょっと我侭な感じ
264:人間七七四年
10/04/10 12:22:03 UXiLdQGO
ドコの家も
お兄ちゃん→お兄ちゃん
265:人間七七四年
10/04/10 12:50:16 Z6IT8yrQ
>>262
隆景の知将ってのは戦場でのものだから、
(ヒャッハー!はともかく)「最前線だー!」ってのは大体合ってると思う。
266:人間七七四年
10/04/10 13:03:29 JYAvZfbo
隆景は戦場に出る前に色々考えて準備して臨み
戦場で接敵すると何も考えずに突進する感じ
267:人間七七四年
10/04/10 13:20:52 7FoVZEct
>>264
どこの家も若貴兄弟みたいな気がする
いろんな意味で弟が特に
268:人間七七四年
10/04/10 13:37:11 WMDbevfH
隆元「・・・・・」
269:人間七七四年
10/04/10 13:59:51 8mRrF14W
池田家は長男がヒャッハーで次男以下が腹黒い
>>267
花田さんちは兄貴も別方向にDQNだからなあ
270:人間七七四年
10/04/10 14:30:46 md2ggl2E
流れに乗って小早川隆景の大胆エピソード
弘治元年(1555年)、陶晴賢は大軍を率いて毛利方の宮尾城を攻め落とそうとしてしていた。
この城は元就が晴賢をおびき出そうと厳島に建てた囮の城であり、彼の考えた策には絶対に必要な城であった。
「必ず勝機はあるからなんとか三日持ちこたえてほしい」
と城を守る兵に伝えたい元就だったが、連絡手段がない。
そこに隆景が進み出て「小舟が一艘、陶方の船にまぎれて往来しております。おそらく鳩ヶ浦に暮らす漁夫でしょう。
この漁夫を利用すれば城方と連絡がとれるかもしれません」
と言ったので元就は隆景に連絡を任せることにした。
隆景は漁夫の舟が陸に着くのを待ち、「何のために往来しているのか」と聞いた。
漁夫は「戦があろうとなかろうと我らは漁をして魚を売らなければ生きていけません」と答えた。
これを聞いた隆景は漁夫の魚を全て買い取り、そのほかに金を渡して宮尾城に運んでほしいと頼み込んだ。
漁夫が承知したので隆景は家臣二人を連れて魚を入れる船底に潜り込み、
息を殺して海を渡り無事に宮尾城にたどり着く事が出来た。
隆景の到着に宮尾城を守る兵士は大いに喜び、
「必ず援軍はあるから三日持ちこたえよ」という元就の言伝にたちまち士気が上がった。
この様子を満足げに見た隆景はまた船底に戻って帰った。
おわり
271:人間七七四年
10/04/10 14:45:41 TrhEww27
魚は毛利家がおいしくいただきました
272:人間七七四年
10/04/10 14:57:25 tTHBE+c5
「てっぽう」は陶軍に差し入れいたしました
273:人間七七四年
10/04/10 15:10:01 YJy7G/8P
もし船底にいるのが見つかって陶に殺されたら、戦国格好悪い死に方トップ3に入れるな
まあそんな死に方しないから名将なんだろうけど
274:人間七七四年
10/04/10 18:13:45 TppF+NRV
順序
九戸の乱の時、徳川家康は岩槻城までやって来た。
その時、家康は井伊直政を呼んで
「直政は急いで準備して、準備が終わり次第出陣してね。
すでに味方が出陣してるから、彼らと協力して頑張って」と命じた。
すると本多正信が
「待った!直政は重臣ですから、最初に行く事もないでしょう。
まずは直政の格下に指揮官を任せるべきです。
そいつがダメだったら直政を出陣させましょうぞ」と言った。
家康はこの進言に
「お前浅はかだね~。例えば、格下が失敗して次に格上が出るとするよ?
そうなったら面目を失った格下は討死するしかなくなるじゃろう?
そんな事で大事な家臣を殺しちゃダメよ」と言って反対したという。
275:人間七七四年
10/04/10 18:33:08 csMiMBqd
島原の板倉さんがモロにそれだったね
276:人間七七四年
10/04/10 18:36:23 7ytWGcpL
正信は政治謀略はすごくても軍事は苦手だよな。
277:人間七七四年
10/04/10 18:48:44 nI6RV+t9
>>275
板倉さんは、最初っから知恵伊豆が来るまでのリリーフが任務だったという話もあるけど、どうなんだろう
12月10日に総攻撃失敗して、その報告が江戸に着いて、信綱を増援に送ると決定して、その報が島原に着いて、面目を失った重昌が
1月1日に突撃して戦死して、直後に信綱到着ってのも、恐ろしいくらいスピーディな展開に思えるし
今川義元の戦死みたいに後付けで、愚かな死に様をさらした愚将という評価の理由づけにされたのだと、悪い話なのかしらねえ?
278:人間七七四年
10/04/10 19:21:20 PbBdslFh
>>276
ケしたいヤツがおったのやもしれん
279:人間七七四年
10/04/10 20:12:16 qDoJeGdX
>>260
尼子経久「正月も狙い目ですよ」
280:人間七七四年
10/04/10 20:14:21 YBCYJXhr
でも家康と正信だと、事前に示し合わせていたのかも、とは考えてしまうね。
「先陣は直政でいいんじゃね?」
「文句言うかも? 俺はそんな格下じゃないとか。生意気だし」
「じゃあ、カクカクシカジカで納得させよう」
とか
281:人間七七四年
10/04/10 23:26:19 d700YGXC
あの二人はいかにもそういう腹芸しそうだよなw
めんどくさい連中操縦法として
282:人間七七四年
10/04/10 23:39:08 FPIFzPjL
直政なら、家康が一言「先陣は任せたぞ」と言えば
たとえ火の中水の中でも突撃して行きそうなイメージだけど。
283:人間七七四年
10/04/10 23:56:07 l0EQq4xh
>>258
あの山向こうに鬼どもがー、いるとは一度も知らなんだ~、っと小学校の頃踊ったなあ
なんか鬼の面つけて敵を追い払ったのが面浮立になった、見たいな歌で知ってたけども戦国時代っていうのは当時知らんかったなあ
今思うともったいねえー
まぁうちの地域は浮立はあったけど面浮立はなかったから、面浮立はパチモンみたいなよくわからんこと思ってたのよな
284:人間七七四年
10/04/11 15:17:37 kl8Ohg+z
示現流開祖東郷重位の逸話
東郷重位が道場にある飯茶碗を畳に伏せ置いて、
「えいっ」
と声を発すると茶碗が真っ二つに割れたという。
給仕していた女がいうには、別段大きな声でも荒々しい声でもないらしい。
明治二十年の天覧試合で兜斬りを成功させた最後の剣客こと榊原鍵吉にもこれが出来たらしい。
気合いに自信のある方は試してみてはいががでしょうか?
私はやってみたけど割れませんでした…(当たり前か)
285:人間七七四年
10/04/11 15:52:51 GHk4PWF6
薩摩んごっチェストとかキェーィでごわはんか?
286:人間七七四年
10/04/11 15:54:09 08MgZLVw
それ多分目にも止まらぬ速さで抜き打ちしてるだけだよ
287:人間七七四年
10/04/11 15:59:42 bwKMpvld
>>284
まあ剣豪ならよくあることだな。
草深甚四郎みたいに、タライに水張って剣を振り下ろすだけで十里先の人間を切り捨てられる奴もいるんだしw
288:人間七七四年
10/04/11 16:01:21 gKLkMNa/
江戸時代の芸で似たようなのがあるけどトリックは
最初から割れてるのを糊でくっつけたのに細い糸をつけといて
気合いで割る振りをする役の人が叫んで注意を引いてる間に
仲間が縁の下とか壁の後ろから糸を引っ張ってまた割るらしい
289:人間七七四年
10/04/11 17:40:52 Fyd2D6aC
元亀元年六月、近江での織田と朝倉の戦いとあるから姉川の合戦の時の事か。
援軍として三河からやってきた徳川家康を交えて軍議を行っていた際、会議が一段
落したところで信長が口を開いた。
「いやぁ、それにしても三河殿、このたびは遥々近江までご足労いただいて真にか
たじけない。お礼の印として、この『槍』をお譲りしよう」
信長が従者に持ってこさせた『槍』を家康に手渡す。
「これは源家由来の品だから、三河殿に使っていただいた方が良いだろう。何を隠
そうこの槍、鎮西八郎為朝が使ったと言われる矢なのだ!」
「ほぉ、それはそれはかたじけない……………『矢』?」
「うん、『矢』」
キョトンとする家康。それを面白そうに見ている信長。
「『槍』のように見えますが……」
「鎮西八郎の矢はデカすぎる故、誰も使えぬ。それで試しに鏃を外して槍に仕立て
てみたら丁度良い大きさだったので槍とした、と当家に伝わっておる逸品。何なら
矢に設え直させるが?」
「い、いや……こりゃ矢としては使えませぬなぁ」
「ほぉ、海道一の弓取りでもムリであるか!」
”現在虎革で作った投鞘に収められている槍がそれである”とエピソードは締めら
れているので、逸話の信憑性はともかくこの槍、江戸中期には実在したようである。
それにしても信長、家康をからかって遊んでいるようにしか見えません。
戦の直前なんだけどなぁ……(^^;
290:人間七七四年
10/04/11 18:36:06 +Z0AwO8B
家康も気が利かないな
かたじけのうござりまする
しかし、これは普通の弓では射ることはできませぬ
セットの弓も頂戴いたしたく存じまする
くらい言ってほしかった
信長も喜んで無理やり作ってくれそうな気がする
291:人間七七四年
10/04/11 18:54:24 c8uWhOEo
めんたい県
有田焼県
ちゃんぽん県
しいたけヨーグルト県
スイカ県
マンゴー県
火山灰県
ちんすこう県
292:人間七七四年
10/04/11 18:55:16 c8uWhOEo
>>291
すまん誤爆した
293:人間七七四年
10/04/11 19:08:25 HfAOthEn
>>290
気が利くぐらいならわざわざ三河には生まれてこないw
294:人間七七四年
10/04/11 19:19:26 AERvGRu2
URLリンク(file.cherry000.blog.shinobi.jp)
295:人間七七四年
10/04/11 19:59:01 p242ebVb
>>284
ディスカバの怪しい伝説でやってたけど
特定の周波数の声を出せれば割れるらしいぜ
296:人間七七四年
10/04/11 20:51:36 hP7TnsVU
ギャオスの超音波メス的な
297:人間七七四年
10/04/11 22:34:55 OSiQpTBE
>>282
井伊直政で戦塵と言うと、小田原役の時の
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
この話を思い出したw この話だと先陣ばかりやりたがっていたと書かれているけど。
298:人間七七四年
10/04/11 22:40:57 +/vaSJEt
流れをぶった切り長文を投下
紹運の華麗なる鎮圧
高橋紹運の家臣に北原鎮久なる人物がいた。
この人物、高橋家に古くから仕え高橋鑑種の頃からの筆頭家老として高橋家に重きを成していた。
ただ、高橋紹運の重臣といえば忠勇義烈のイメージを抱くがこの北原鎮久は「勇あって智なし、ただ貪欲無道のもの」とのこと
まあ、言うなら性格の悪い脳筋といったところだろうか。
紹運が高橋家に入る前の当主高橋鑑種と不和になり家臣一同と放逐を画策。
大友宗麟に嘆願し、鑑種の高橋家の家督を剥奪させて、吉弘鎮種(後の紹運)に高橋家の名跡を継ぐことに功の有った人物である。
高橋家の中心として順風満帆だった北原鎮久だが、彼の運命が暗転するのは大友と島津の大戦、耳川の戦いである。
大友が大敗し、大友家の勢威が一気に衰えるが高橋紹運は揺るがない。戸次道雪に従い、大友家の勢力維持に奔走。
しかし、以前主君を放逐したことのある鎮久は未来の潰えた大友家のために懸命なこの紹運の行動を批判的であった。
これに目をつけたのは秋月種実。大友に常に抵抗していた種実は家臣の内田善兵衛に北原鎮久を篭絡する事を命じた。
あっさり高橋紹運を裏切る事を決めた北原鎮久は岩屋城の機密を秋月種実に漏洩をし始める
が、この北原鎮久、なぜかこの時点で紹運に大友を見限るように説得を試みるのである。
北原の説得に応じるくらいなら島津も苦労はしない。
紹運は即断で断わり、北原は懇意にしていた住職に「こんな機変のわからない主なんざ追い出して他の話のわかるやつを迎えてやンゼ!」
と紹運の放逐を画策し始めるのである。
謀略に時をかけるのは失敗のフラグ。
そのフラグの通りあっさり紹運に露見。北原鎮久が城に登城したところを紹運の懐刀、高橋家の死刑執行人こと萩尾大学により成敗!
これでめでたし高橋家は奸臣の排除に成功として話は終わるのだが・・・
299:人間七七四年
10/04/11 22:42:52 +/vaSJEt
これでは北原鎮久のありきたりな謀反失敗のちょっと悪い話。
ここから話の中心として主人公を掻っ攫うのが男前な紹運。
当然、当主の誅殺の大事件は北原家に伝わり、鎮久の謀略を全く知らない息子種興は激怒。弔い合戦の準備を始める。当然である。
そこで種興に一通の書状が届く。差出人は高橋紹運。
その書状には今回の鎮久誅殺の仔細が書いてあり、事情の知らない息子種興には一切、罪は問わず北原鎮久の遺領をそのまま継ぐことを認めるという内容だった。
これに種興は、自分の父の非を認め、それを恥じ、その汚名を雪ぐために紹運に一計を提案する。
一方、秋月種実は北原鎮久の内応確約の書状を受け取り、内田彦五郎に命じ300名ほどで岩屋城を奪うべく進発させた。
もちろん北原種興の策略である。
そして、内田は待ち受けていた紹運率いる軍勢に散々に討ち破られ、もちろん内田彦五郎は戦死、
率いていた300名のうち生きて帰ったものは30余名ほどという全滅に近い敗戦を喫するのである。
秋月の軍勢をおびき寄せ汚名を雪いだ北原種興はその後、高橋家の重臣として重く用いられるのである。
下克上の戦国の世。謀反の疑いがあるだけでも一族総誅殺が常識のなか、相手を許すだけでなく書状一枚でその信用を勝ち取るのもすごい。
乱世に咲いた鮮やかな華には立派な根が生えている。
そんな事をイメージさせる高橋紹運の男前な謀反の鎮圧方法のお話でした。
300:人間七七四年
10/04/11 23:04:50 pzwLQmiy
高橋紹運公は誠の武士ですね!!
301:人間七七四年
10/04/12 00:15:09 UbVIhXU/
福岡県の教育委員会は高橋紹運公、立花宗茂公を学校で語り継ぐべき
302:人間七七四年
10/04/12 00:56:41 sICI0P9l
乱世に咲いた鮮やかな華には「立派な根が生えている。」
そんな事をイメージさせる高橋紹運の|男|前な謀反の鎮圧方法のお話でした。
スマン、変なところに目が釘付けになってしまった
303:人間七七四年
10/04/12 02:07:21 vQcWbw6L
福岡県なの?
土地勘のないオレには高橋さんちって福岡県ってイメージないんだが・・・
大友さんちは大分って感じしてるし、どうなんですの?
304:人間七七四年
10/04/12 02:42:41 oB0UpGAI
岩屋城なんて福岡も福岡で現太宰府市にあるんだぜ。
それに比べて戦国期の熊本はねえ……南部は相良氏がいたけど北部は菊池氏が滅びて以降、国人達が乱立してたからなあ。
ただ、それだからこそ加藤清正を神格視したんだろうけどね。
とまあ本来他所から入ってきた加藤氏や細川氏の逸話がほぼ占める熊本県民としては羨ましい事です。
305:人間七七四年
10/04/12 03:35:34 Lf1cztYd
福岡県は筑前・筑後・豊前(小倉とか門司とかのね)が合体
大分はほぼ豊後
306:人間七七四年
10/04/12 10:33:35 nhjwhC3O
>>305
今は山国川が県境になっているけど、昔はあそこはとくに境界でもなかった。
だから、門司から宇佐あたりまでずっと豊前国なんだよな。
307:人間七七四年
10/04/12 10:48:56 GrwTST0L
>>302
間違ってない間違ってないと思うよ
あいつの根はスゲー筈だよww
308:人間七七四年
10/04/12 12:28:54 IygLhv81
>>303
大分県西部には高橋紹運ゆかりの神社仏閣が、非常にマイナーな感じで点在している。
地元の歴史家とかもスルー気味だけどね。福岡県にあれば、もっと注目されたかもね…
309:人間七七四年
10/04/12 14:02:25 +DFSwLNX
やっぱり「福岡」と言えば、黒田家だろう
310:人間七七四年
10/04/12 16:48:52 gD1Gt5i/
そうだね。
駅の名をわざわざ「博多」にするくらい黒田家。
311:人間七七四年
10/04/12 18:42:49 GjrCDrzG
豊前つながりでちょっと書いたんで貼ってみる。黒田は主人公じゃないけど。
312:1
10/04/12 18:43:48 GjrCDrzG
秀吉 おまえにくれてやった豊前の国に、城井なんちゃらって地侍がいるだろ
官兵衛 はい
秀吉 あいつ、転封命令に従わないでゴチャゴチャ言ってるから、殺しといて
官兵衛 はっ
313:2
10/04/12 18:44:31 GjrCDrzG
鎮房 あの猿は、父祖伝来の土地を朱印状ひとつで取り上げるつもりか
朝房 どこで聞きつけたのか、当家の家宝も召し出せと言って来ております
鎮房 今度ばかりは覚悟を決めた。鎌倉の世よりこの地に住んで四百余年、民百姓と共に耕した城井谷の山河が我らの枕ぞ
朝房 とーちゃんかっこいい!
314:3
10/04/12 18:45:47 GjrCDrzG
長政 鉄砲もろくに扱えぬ田舎侍どもめ。コテンパンに叩きのめしてやる
又兵衛 親父殿にも相談せずにおまえが総大将なんて、大丈夫かよ
長政 うるさい。農民が教えてくれたこの山道から攻め込まれるとは鎮房も予期してないはずッ
旗本A 若様!前方の岩陰より猛烈な矢の雨!待ち伏せされていたようです
又兵衛 おいおい・・・
長政 相手はせいぜい千五百、こちらは毛利の援軍含めて二万。負けるはずがない!突撃!!
旗本B さらに左右より兵!狭い山道にて我が軍は身動き取れず、隊伍が分断されております!
長政 なんの、相手は寡兵!押しつぶせ!まだ俺のターンだ!
旗本C 背後に軍勢!旗印は左三ツ巴!城井勢です!
長政 なんの、相手は(ry
旗本C もはや下知も届きません!ここは早くお逃れくだされ!
又兵衛 あ~あやっぱりな・・・
315:4
10/04/12 18:46:48 GjrCDrzG
官兵衛 (城井に呼応して近隣各地で地侍が蜂起か。面倒なことになったな・・・)
恵瓊 拙僧にお任せを。城井の鶴姫と長政殿の婚姻を条件に和睦を纏めてみせますぞ
長政 え?ぼくにお嫁さん!?
官兵衛 かたじけない。ではその間に他の乱を平定するとしよう
長政 美人系?それとも可愛い系?
又兵衛 おまえもう氏んで良いよ
316:5
10/04/12 18:47:59 GjrCDrzG
鎮房 中津城にて鶴姫の婚儀だと
家老 典礼にかこつけた黒田の謀でしょうか
鎮房 まあよい、これも時代じゃ。ご先祖の高恩には先の戦で報いた。父上、よろしいですな
長房 頭領の貴様が好きにせい
鎮房 谷も色づき、もう収穫期じゃ。領主の座を守るために田畑を荒らすは本意ではない
家老 殿!
鎮房 儂は武士として死にに参る。朝房の身重の嫁御を実家に逃す手筈だけは整えておけ
家老 はっ・・・
317:6
10/04/12 18:49:33 GjrCDrzG
長政 父上、いよいよ鎮房を騙し討ちですな!
又兵衛 静かにしろ馬鹿
長政 馬鹿とはなんだ馬鹿
官兵衛 いいから黙れ馬鹿。おまえの嫁に聞かれたらどうする
長政 (´・ ω・`)
官兵衛 (緒戦でこっぴどく負け、娘を人質に誘き出して騙し討ちか・・・残したくない歴史だな)
鎮房 やあやあ、婚儀と聞いて参りましたが、随分簡素な席ですな
長政 武家の不調法、お許し下され。時にお供衆はどちらに?
鎮房 ご城下の合元寺に置いて参った。ほんの四十名ほどなので安心めされよ
長政 寡兵にござるな。安心いたした
又兵衛 (この馬鹿が・・・)
鎮房 名高き後藤殿がお相手とは、この鎮房一生の誉にござる
又兵衛 ・・・
318:7
10/04/12 18:51:40 GjrCDrzG
鎮房は小姓と二人で数十名を道連れにし、最後は又兵衛の槍にかかった。
城井谷の館は急襲を受け、老父長房ほか一族が誅せられた。
同じ頃、事前に肥後一揆鎮圧の与力として参陣させられていた朝房も、逗留先で夜討ちに遭って果てている。
合元寺では血で血を洗う激闘が繰り広げられ、寺の土壁は赤く染まった。
その後、洗っても洗っても血の色が滲み出てくることから、同寺は赤壁寺とも呼ばれるようになった。
中津城下では城井の怨霊伝説が囁かれ、官兵衛は城井神社を祀って慰霊に努めた。
豊前宇都宮氏は城井谷の地で代を重ねて城井氏となり、領民に愛され、一族郎党は結束して戦国の世を勇戦した。
武門の名を惜しみ潔く散った鎮房が見事なら、かの地から一族を引き離すが肝要と見た秀吉の慧眼もまた見事と言える。
こうして、城井家は歴史の表舞台から去った。
朝房の妻・竜子は進壱岐守らに護られて英彦山に逃れ、忘れ形見の男児を産んだ。子は朝末と名付けられた。
江戸初期、朝末を城井谷の領主として迎えるべく遺臣たちが諸方に働きかけた記録が残るが、ついに願いは叶わなかった。
朝末は福井松平家の旗本として一生を終えたという。
319:人間七七四年
10/04/12 19:00:04 GjrCDrzG
以上、前に見聞きした話をベースに書いた。多少端折ってるけど一応史実のはず。
320:人間七七四年
10/04/12 19:19:41 ees48gsC
まあ既出ではあるが謀殺の内容と後日談は初出ですな
しかし福井の松平さんも秀康以来多種多様な人材を召抱えているなw
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
321:人間七七四年
10/04/12 19:56:46 eDNoMnDm
悪意のある書き方だなあ。せめて悪い話に書くべき。
322:人間七七四年
10/04/12 20:06:58 +DFSwLNX
戦国期はこういう謀殺を汚点とは考えないよね
長政はこの時城井さんを殺った刀をずっと持ち歩いてたし
323:人間七七四年
10/04/12 20:08:55 NGAJTAnG
>>319
中津周辺の出身?
別に逸話スレだから史実じゃないけどいいですよ
324:人間七七四年
10/04/12 20:09:39 141DWTZy
本当に汚点みたいな暗殺は歴史の表舞台には出てこないだろうしね
325:人間七七四年
10/04/12 20:10:15 /c2nrwOw
宇都宮一族のなかでも一番悲惨な結末に思えるけど、
鎮房の華麗な散り際は、感銘を受けるいい話なんじゃないだろうか?
326:人間七七四年
10/04/12 20:17:40 +DFSwLNX
そういや、フロイスは殺したい相手を饗宴に招いて油断させたところを騙し討ちにするのがこの国の慣習、とか書いてたな
327:人間七七四年
10/04/12 20:21:40 vkhWPP4N
中央の政局に関わってないローカルな話だから有名じゃないけど
城井谷関連の怨念の史実浸食ぶりはやばいからなあ…
黒田節とかマジで歌うのタブーらしいよ
酒は飲め飲め飲むならば
日の本一のこの槍を
飲みとるほどに飲むならば
「宇都宮鎮房に酒を飲ませて騙し討ちした歌」だから
前にどっかのスレで黒田関連の話題になった時、自称地元の人がとんでも説を書き込んで
フルボッコされてたけど、実は本人は地元に伝わる伝説に懐疑的な人だったらしく
「まだ現実味のある話を選んだのにこれもデタラメですか…」と落ち込んでいたのが印象的だった
328:人間七七四年
10/04/12 20:39:12 zspGITFZ
こういう暗殺話や直家さんの暗殺劇に慣れ親しむと
今の実生活でも暗殺くらいいんじゃないかと思ってしまうから困る。
329:人間七七四年
10/04/12 20:49:51 GjrCDrzG
祖先が城井の殿様に仕えてた(自称)から、バイアスが掛かってるのは間違いない。
でも別に謀殺酷いウキョー!!ってつもりも無い。個人的には苦労人の孝高さんも好きだし。
流れを読み誤って滅びた一地方領主にも、ちゃんと通すべき筋目があったって話を
書きたかった。荒らしてしまったならスマン
>>327
子供の頃聞いた昔話の「いい殿様」はたいてい「うつのみやのお殿様」だし、
地元の人に愛されてたのはきっと事実なんじゃないかと。
あと、黒田節が歌われてるのは確かに聴いたことがなかった。なるほどタブーなんだw
史実が浸食される課程としては、文中に挙げた猟官運動の経緯が入るだろうね。
徳川さんに「こんなに正当な領主なんですよ!」って主張するために、偽書屋で
書物を偽造するのが当たり前だったらしいし。
そのための資金集めをするのが遺臣の仕事だったってことも宇都宮本に書いてた。
330:人間七七四年
10/04/12 21:14:45 zspGITFZ
今でも敬愛されるのはいいことだよな
このスレにはこういう純粋な愛も必要だよ
331:人間七七四年
10/04/12 22:07:46 gD1Gt5i/
いい話と悪い話は、基本的に物事の裏と表ですからね。
両側から見てどっちかに偏る話は少いと思います。
332:人間七七四年
10/04/12 23:19:53 Rqw3eHGQ
>>310
完全に亀だが
福岡って名前自体、黒田家ゆかりの備前福岡からとった名前だしな
333:人間七七四年
10/04/13 00:06:41 rGfvhL+/
逸話や伝説を語るスレで「その書き方は悪意を感じるor肩入れし過ぎ」
みたいな無粋なことは言うなよ
334:人間七七四年
10/04/13 00:44:46 EkZ9hXs9
>>331
時々フォローのしようがない話もあるけどね
335:人間七七四年
10/04/13 00:50:28 fDkHICXV
森ブラザーズ「呼んだ?」
336:人間七七四年
10/04/13 00:57:52 ElERyj7y
小林吉隆「>>334が呼んだ人はそれがしがこれないように致しました」
337:人間七七四年
10/04/13 08:55:45 tYnfik30
>>334
池田ブラザーズ「んー?何のことかな?」
338:人間七七四年
10/04/13 11:08:40 5KQok+Mg
TMネットワークの宇都宮隆は育ちは東京だが生まれが備前の辺りじゃなかったかな?
うつのみやのとのさまと血縁があるのかしら
339:人間七七四年
10/04/13 11:58:07 SsHI6puR
>>338
熊本県生まれの東京立川育ちじゃなかったかな…?
340:人間七七四年
10/04/13 12:00:19 SwDhbpgm
TMネットワークが、
「タイムマシンネットワークとか言ってるけど、多摩ネットワークだよね実態わ」
と言われたときのショックは忘れられない。
341:人間七七四年
10/04/13 12:02:57 5KQok+Mg
>>339
ググったらその通りだった…スマヌ
342:人間七七四年
10/04/13 13:15:14 C+GGuXyG
>>340
それを聞いた多摩出身の俺は狂喜した
343:人間七七四年
10/04/13 13:15:30 EkZ9hXs9
>>340
シカゴなんとかと同じノリでつけたんだよな
344:人間七七四年
10/04/13 13:59:09 1f/WzoKh
>>336
???「おいおい。越前の国主様に向かってなめた口きくなよ」
345:人間七七四年
10/04/13 16:23:32 0K0hm/D0
>>342
最初は多摩ネットワークでいこうとしてたんだよ
シカゴと比べるとださいってことで却下されたんだったかな
346:人間七七四年
10/04/13 19:53:04 YtEWSdFL
TMちょっと悪い話。
347:人間七七四年
10/04/14 01:36:20 MhoMlLIa
TM話終わった?投下するよ
原尻宮内の一言
天正13年、筑後国猫尾城攻めの最中、高良山の陣中にて立花道雪が病死した。
その際、道雪は遺言として、
遺骸に甲冑を着せ、柳川の方に向けてこの地に埋めよと指示していた。
(URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)の話を参考に)
結局宗茂の決断で遺体を持ち帰ることになったのだが、道雪への尊敬の念が強すぎた重臣たち。
由布雪下や小野和泉といった面々が、
「若殿の言うことはもっともだ。だが大殿のご意思にもとるゆえ腹を切ってお詫びしよう」
筆頭家老が殉死を口にしたためその場は何やら妙な方向に…
そんな空気の中一人の男がこう言った。
「お前らが死んだら若殿一人になっちまうけどどうすんの?」
立花家中でちょっと変わり者として知られていた原尻宮内である。
この一言に頭のさめた皆は殉死を思いとどまり道雪の遺体を丁重に立花へと持ち帰ったのだった。
ここで宮内が止めなかったら立花家のその後は大きく変わったかも知れない。
空気に流されずに物を言える人って重要だね。
あ、この人URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)の逸話で
討ち手に選ばれたりしてるんで結構な武勇もあったり、
立花家が改易された後もしっかりと宗茂の世話をしてたりして80歳ぐらいまで長生きしたらしいです。
348:人間七七四年
10/04/14 07:03:14 dbeJ3kEZ
皆長生きだよなぁ
349:人間七七四年
10/04/14 07:44:22 k8BPphDn
一当斎「いいなぁ…」
350:人間七七四年
10/04/14 08:39:30 u9ILyO7k
立花家だとどう読んでもいい話にしかならないけど、これが徳川家だったら・・・
空気に流されずに物を言える人ってのは、空気を読めず物を言う人って場合もあるからな~
351:人間七七四年
10/04/14 10:14:44 nkyYP5zC
めんどくさい三河武士たちが皆立花家並に長命だったら…
助けて!めんどくさい人たちがいつまでも口挟んできて幕政が回らないの!
352:人間七七四年
10/04/14 12:17:54 QrdyWENN
しかし!助けを求めた先にも三河武士しかいなかった!
しかしまわりこまれてしまった!並の絶望感がw
353:人間七七四年
10/04/14 13:14:18 VM+QyHve
利えもんなら!
土井さん家の利えもんならなんとかしてくれる!
354:人間七七四年
10/04/14 13:41:09 X/VIOrm9
三河武士はなかまをよんだ!
大岡伝右衛門があらわれた!
「ここをとおりたくば、私の首をもってゆけ!」
355:人間七七四年
10/04/14 13:51:33 Mzgrhqwh
通りすがりの鬼武蔵「え?いいの?」
356:人間七七四年
10/04/14 14:39:18 X/VIOrm9
大岡「ただしそのいきさつ
大御所様に一切合切、サシで説明することを、
武士の面目にかけて誓って頂きたい!」
357:人間七七四年
10/04/14 14:51:14 HjXgXn5R
殺していいと君がいったから…今日は無骨記念日
358:人間七七四年
10/04/14 16:03:21 u9ILyO7k
鬼武蔵さんなら、大岡さんが最後まで見栄を切る前に首が・・・
359:人間七七四年
10/04/14 19:58:47 dqe2raTE
豊臣秀吉が家臣らと歴史談議で盛り上がったときのこと
家臣たち一同は口をそろえて源義経の一ノ谷、矢島での武勇を、
さすがは名将だと、口々に称えていたところ、秀吉が口を開く。
「うん、義経は少し勇気があるけど、威儀はないよね。
それだから将としての器量ではない。
なんでか?って、義経が梶原景時と喧嘩した逆櫓の論をみればわかるよ。
義経は源頼朝公の血縁で、軍の総大将なわけだ。
そんな総大将の身にあるものを梶原は猿武者と言ったわけだが、
これは義経に総大将としての威儀がないからなんだよ。
だから称えるだけのことはないと思うぞ。
いいか!ここからが重要だからよく聞けよ
昔より功が優れているのは、この秀吉と頼朝公だけだ。
しかし頼朝公は源家の嫡流だから、どちらかと言えば功はなりやすいよね。
わしは匹夫から身を興して、応仁以降の乱れた天下をことごとく平らげて、いまの天下をとった。
と、すればさ、わしの功は頼朝公に百倍する!!!」
と言ったとさ。
ビッグマウスも秀吉くらいになると嫌味がないw
360:人間七七四年
10/04/14 20:39:46 vgd+mIp1
>>359
さすが太閤殿下
361:人間七七四年
10/04/14 21:13:46 UOQXzDWw
今の時代でもワンマン社長なら似たようなこと言いそうだな。
362:人間七七四年
10/04/14 21:17:47 omDsRf9p
実際日本ほど身分にうるさい国の歴史上で匹夫から天下人になったのは秀吉だけだしね・・
363:人間七七四年
10/04/14 21:51:52 D2BGxzg4
秀吉って内心自分は信長より優れていると思ってたのかな・・・
364:人間七七四年
10/04/14 21:58:12 9W/RftU5
ほら、こう成功しちゃうと調子のって色々フカしちゃう事ってあるじゃないですか……
365:人間七七四年
10/04/14 22:08:02 nqPitrgM
元和5年(1619 )、備後福山十万石の大名となった水野勝成は、上水道の整備、城下町の建設、
産業育成と、福山の発展のため八面六臂の活躍をし、流浪の暴れ者であった若い頃の面影は
どこへやら、名君として領民から深く慕われた。
ある人が勝成に、「勝成様の施策は、大名でありながら下々の者のことをよく考えた上で
なされているように見えます。どうしてそのように下々の者達のことを理解しておられるのでしょうか?」
と、尋ねた。これに勝成
「俺は豊臣家を追い出されて西国を放浪していたとき、虚無僧をやって食いつないでいたのさ。
下々の連中のことがわかるのは、そのおかげだな。」
まあその流浪の最中も野武士の頭領をぶった切ったりいろいろやっているのだがw
ともかく流浪の苦労を身にして名君となった、水野勝成の良い話。
366:人間七七四年
10/04/14 22:14:41 dbeJ3kEZ
チンピラが相手は虚無僧だと思って襲い掛かったら実は立花家の名臣で叩きのめされた。
野盗が相手は虚無僧だと思って襲い掛かったら実は水野勝成で逆にぶった切られた。
戦国の虚無僧こえーw
367:人間七七四年
10/04/14 22:15:17 /Sfb2tlS
さすが太閤殿下!俺たちにできない事を平ぜ(ry
おまけに猿に猿武者と言われる義経w
368:人間七七四年
10/04/14 22:16:44 MhoMlLIa
>>365
自分で食いつないでいたのか大したもんだ
部下が虚無僧やって食わせてもらって内心はどうあれのんびりしてた人がいたってのに
369:人間七七四年
10/04/14 22:21:01 BFFmCjB4
>>359
有名な天下友達の逸話と微妙に違うけどw
370:人間七七四年
10/04/14 22:26:15 nqPitrgM
そう!虚無僧といえば!
江戸で虚無僧をやって立花宗茂を助けた立花家家臣十時連貞だが
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
天正15年(1578)の肥後国人一揆の時、立花宗茂の名を轟かせた兵糧入れで
十時連貞は実際に搬入部隊を指揮し活躍したのだが、この時連貞と協力し
互いに声をかけあいながら兵糧入れを成功させたのが、虚無僧をやって流浪した挙句
佐々成政に拾われた水野勝成だったそうな。
新旧恐怖の虚無僧にこんなつながりがあったという、
虚無僧豆知識。
371:人間七七四年
10/04/14 22:45:41 /Sfb2tlS
>>368
まったく道雪先生の家臣教育ってどれだけ凄いんだろ
372:人間七七四年
10/04/14 22:48:33 dtkVvh3O
>>371
その替わりに娘への教育がなってなかった!
373:人間七七四年
10/04/14 23:12:23 kLlbWRsQ
>>367
義経が政治的に無能なDQNってのは、割とよく言われるのに、判官贔屓補正も強いわなあ
374:人間七七四年
10/04/14 23:17:13 B2K0i5sg
まあ秀吉も晩年の方はなかったことにしてくれる作家さんも多いんだからお互い様だ
375:人間七七四年
10/04/14 23:28:17 MhoMlLIa
火の鳥 乱世編の義経
戦はめちゃめちゃ強いけど傲慢で傍若無人
ああいうキャラ付けの義経は珍しかったんで印象に残ってる
376:人間七七四年
10/04/15 07:57:46 h6GANVUF
>>375
あれは名作だね、子どもの頃読んだけど、
大人になって源平戦争の知識が増えた今、読み直すとなお面白い
377:人間七七四年
10/04/15 08:04:43 kMxiuTol
「とりあえず放火」という当時では斬新な戦術を編みだした天才だからな
その戦術思想は戦国時代まで受け継がれる事になるヒャッハー
378:人間七七四年
10/04/15 08:11:13 7FTsEcJY
>>372
なってないと言うか、ギン之助は男の娘として育てられたから仕方ないw
379:人間七七四年
10/04/15 08:30:50 zbvd+O1T
>>378
ソレを言うなら女の漢
380:人間七七四年
10/04/15 09:29:05 ZNUIu19A
武勲をあげるチャンスを均等にするって当時の戦の常識無視したんだから
中間管理職の梶原にとっちゃ騒動のもとになりかねんとんでもない総大将だよねえ
つきあげそうとう食らってそうだし・・・
つか戦国期でも明らかに勝ち目薄いほうへ味方するのって「こっちが武勲あげられそう」って判断もあったんだろうねえ
381:人間七七四年
10/04/15 11:09:01 q/P/f/9f
大河ドラマの「草燃える」での義経は結構DQN
それ以上に頼朝がDQN
382:人間七七四年
10/04/15 12:18:34 h6GANVUF
源氏の男はみんな切ない死に方をしてるし、
帳尻合わせでいえば義経も頼朝の人生もさほど大差ないように見える
383:人間七七四年
10/04/15 12:49:05 poA0zxAn
>>365
まさか勝成公も音撃戦士とはおもわなんだ
384:人間七七四年
10/04/15 12:53:27 +siRcM2b
7 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/04/14(水) 09:10:37 ID:15oGaGg9O [1/3]
着氷には失敗したが着床には成功したのか
62 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/04/14(水) 09:28:58 ID:ZGUsn85B0 [1/3]
敵は本能にあり
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[557] テープ(関西)[] 2010/04/14(水) 17:28:00.69 ID:XosK1Dqo
妊娠4ヶ月とかでスケートしても大丈夫なの?
[571] れんげ(福島県)[] 2010/04/14(水) 18:37:11.62 ID:wjI/5Vpc
信成の彼女って足軽らしいよ
385:人間七七四年
10/04/15 13:40:47 U7zhaozY
勝成:鍛えてますから!
386:人間七七四年
10/04/15 14:11:13 q/P/f/9f
>>382
為義以降はまさに血塗られた歴史だな。
八幡太郎以降というところに遡っても、結構血まみれだけど。
387:人間七七四年
10/04/15 20:43:26 U5OSEXt1
サイトにある徳川家光、鷹狩りに出かけて・悪い話と似てるが
三代将軍家光が浅草への行楽の折、休息のために小寺に立ち寄り、茶を所望した。
部屋で待つ間、ふと見ると隣室と隔てる戸に桟が打ってあることに気づいた。
家光はこれを怪しんで、近侍の者に無理やり開けさせた。
すると中には十七、八の女が座っていて、ゆったりと煙草をふかしている。
「どうしたか」
と尋ねても、女はうなずいただけで何も答えない。
妻帯の許されない住職が内密に女性を囲っていたのである。
家光の一行は茶を飲むと早々に退散した。
その後、大分月日がたって浅草へ出かけたとき、家光は先だっての小寺を思い出して、
再び立ち寄ってみた。
すると、以前の住職がいない。
どうしたのかと尋ねると、前の住職は女を隠していたことを将軍に知られたので、
あの後すぐにどこかへ逃げてしまったという。
「馬鹿な者よ。このような小寺のことまで仕置きしていて、天下の政治ができるものか」
家光は苦笑したという。
裏を返せば、徳川幕府の威光は小寺の生臭坊主にまで届き、将軍は公正明大な政治を行うと
民に知られ、かつそれが信じられていたということである。
388:人間七七四年
10/04/15 21:16:13 F7wR2pfJ
住職が女を囲ってると厳密に言えば、それは罪になったの?
389:人間七七四年
10/04/15 21:43:24 FzIA41Jx
明治維新の太政官令で僧侶の妻帯・肉食が許可されたが、それまでは犯罪だった。
しかし、別に見つかったら死刑になったというわけではなく、
「大っぴらにやるんじゃないよ」という江戸時代的なゆる~い法だったみたいだね。
390:人間七七四年
10/04/15 21:44:33 iuCLBtMm
>>378
ギンチヨは男の娘じゃないだろ性別的に
ベル薔薇ではあるが
391:人間七七四年
10/04/15 21:45:49 iuCLBtMm
>>389
宗派によって違わね?
392:人間七七四年
10/04/15 22:25:55 XNiVnAPh
l / .r――┐l
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l;゙、',.::l;;;i ///// r ヽ./// l,/,.. r'`ニニヽ, .l'、
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393:人間七七四年
10/04/15 22:28:54 l+XTqagh
俗法では罰しないって話では?
例えば現代日本でイスラムが豚肉くっていいですよなんて法律が作られたとしても、
それで豚肉食べるイスラムがいるかどうか?
394:人間七七四年
10/04/15 23:24:04 GsrICfC9
佐賀鳥栖は玉林寺の住職、金峯和尚は鍋島直茂の厚い帰依を受けていた。
その金峯が一線を退き、隠居すると聞いた直茂は、
「長年の厚き恩義、感謝のしようもござらん。せめて隠居料として知行百石、進呈しよう。」
と申し出たが金峯は、
「テメェの武功は、ワシが数珠の房を揉み切るほどに祈祷してやったからじゃろが。その恩も忘れて、
たった百石で恩人を突き放そうっちゅうんかい。恩を返す気なら、せいぜいワシに付き合えや。」
と怒り、知行を断った。
直茂はこれに応え、たびたび自邸に金峯を招き、夫人の彦鶴(陽泰院)と二人で金峯の話を聞いた。
時に話は深夜に及び、そのまま三人一緒に一つの部屋で寝ることすらあった。
ある朝、金峯が目を覚まして寝返りを打つと、そこには寝乱れた人妻の姿が!!
「ウワァァァアアアアアアアアアア!!!!!」
仰天して隣室に駆け込むと、「やあ、和尚おはよう。」そこには澄ました顔の、直茂の姿が。
実は、朝起きたらすぐに身支度を整えるのが日課の直茂、早起きしたその日は、すっかり金峯を
信頼して、金峯の横で眠る妻をそのままに起き出していたのだ。
『金峯立腹にて「以ての外」と、ねだり申され候由。』と、「葉隠」は結んでいる。
395:人間七七四年
10/04/15 23:58:03 q7jbv+3G
その妻は
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
の話で有名な戦国時代では珍しい恋愛結婚で結ばれた妻だというのに
一つの部屋で寝るとか並大抵の信頼じゃねーぞw
396:人間七七四年
10/04/16 00:47:12 GH3q/BfQ
妻もそれだけ信頼してたってことだね
397:人間七七四年
10/04/16 00:50:17 GH3q/BfQ
あ、直茂が妻を信用してたって意味で
398:人間七七四年
10/04/16 02:55:21 AVggSamv
葉隠れがあるおかげか、直茂はいいイメージが多かったりするのは卑怯だ><
399:人間七七四年
10/04/16 06:33:53 vyBDDKfY
葉隠自体は「佐賀の議論倒れ」とか皮肉られる一因になっちゃったけどなw
鍋島はなんとなく優秀な文科系な印象がある
同じラブラブ夫婦でも維新斉のほうは体育会系の国だな
400:人間七七四年
10/04/16 09:06:01 +ZOIibkV
三歳「何故ラブラブ夫婦の話で俺の名を挙げないのだ」
401:人間七七四年
10/04/16 09:39:36 bpk/dX0X
フロイス「ドンナ・ガラシャは日本人の中で最も凶暴なある大名に嫁してました」
402:人間七七四年
10/04/16 09:47:10 b9kzsCIl
>>394
時期からして、彦鶴もいい加減な歳だろうにw
そして、なんか寝起きドッキリしかけて隣の部屋の襖から寝室をニマニマ覗いてる直茂公を想像してしまった。
403:人間七七四年
10/04/16 10:00:23 AVggSamv
>>399
そう考えると隆信の「分別も久しくすればねまる」に反してておもしろいなw
まぁ、それだから幕末に技術力持ったりしてたのかしらね
404:人間七七四年
10/04/16 10:40:56 ATD8EL9x
>>400
三歳児の愛情表現じゃ・・・
405:人間七七四年
10/04/16 12:26:39 RN9fvzFj
島津忠恒「ラブラブな夫婦の話ならば、私も混ぜて下され!」
406:人間七七四年
10/04/16 13:40:18 I9IySP2w
家康を悩ました睡眠妨害・その1
遠州は榛原、現在の牧之原市に能満寺という古い寺がある
この寺の庭にある名物の大蘇鉄
これはかつて、大井川の上流から流れてきた一匹の大蛇の死骸を葬った墓から生えてきた、という伝説やら
安倍晴明が竜の魂を封じ込めたものが蘇鉄になった、という伝説やら
言いたい放題に、やたら壮大な謂われがあるのだが
まあそれだけあって大変立派な蘇鉄なのである
これが徳川家康の目に止まり、駿府の家康の屋敷の庭に移植されたことがあったという
それがどうして今も能満寺にあるのかというと
駿府にやってきたその晩から、蘇鉄が「能満寺に帰りたい、帰りたいよう」
と、か細い声でシクシク泣いたのだ
それがあんまりうるさ……可哀想な声なので哀れに思った家康は蘇鉄を能満寺に戻してやったという
もしも伝説通り大蛇や竜の化身だとすれば、ちょっと情けないお話
祟るくらいしなさいよ
家康を悩ました睡眠妨害・その2
家康と言えばその妻、築山殿とのあまり芳しくない夫婦仲とその末の悲劇はあまりにも有名であるが
流石に一度は夫婦の契りを交わした相手を無残に殺してしまったことに、家康も内心負い目があったのか
居城、浜松城で眠っていると、しばしば悪夢にうなされるようになった
その悪夢というのは、先年死んだはずの築山殿が、眠る家康の枕元にたち、髪を振り乱した鬼のような形相で
「なんの罪により妾を殺させたか元康!ああ恨めしい!」
と詰問するというものだった
ただでさえ武田との戦いやら家中のもめ事やらで疲れているのに
夜は夜で築山殿に責められて眠ることができない家康はすっかり参ってしまった
そこで、旧知の仲である可睡斎の等膳和尚にお願いし、
ゴーストバスター、もとい築山殿の供養をお願いしたのだった
これは見事に成功し、家康はスヤスヤと安眠できるようになった
だから長生きしたのかもしれない
ちなみに余談だが、和尚の住まいである可睡斎という名前の由来は、
家康が和尚に面会した際、和尚がこっくりこっくり居眠りをしてしまったのだが
それを見た家康が
「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。我その親密の情を喜ぶ、和尚 、睡る可し」
と言ってそれを許したことに由来するそうな
家康と和尚の寝つきのいい話
407:人間七七四年
10/04/16 14:12:19 o9um1oDu
>>406
「しめしめこの蘇鉄の種があれば生涯現役じゃw」なんて家康の思念を
蘇鉄ちゃんが受信したんじゃないのかw?
408:人間七七四年
10/04/16 14:13:48 ATD8EL9x
家康さんは、生粋のMだと思ってたのに・・・
というか、家康さんはすぐ説教じみた話しをするイメージがあって、この手の逸話は新鮮な感じがする~
409:人間七七四年
10/04/16 14:15:17 9R3dRsqQ
> 家康さんはすぐ説教じみた話しをするイメージ
だって若い頃から、作左さん当たりから説教されまくって育ったんですもの。
410:人間七七四年
10/04/16 14:45:44 GIS5c8aG
人質時代は今川義元、太原雪斎に説教され、
戦場では武田信玄に戦を通して説教され、
家内では三河武士団に説教される
生まれつき忍耐の性格ではなくて、
忍耐の人生を送るしかなかったんだろう
権現様の凄いところは心が折れないところだな
411:人間七七四年
10/04/16 15:14:46 WVpKaaRm
てか最近逸話書く奴、せめて出典何処だか書けよ
自分流に見やすい様にアレンジするのは構わんが
412:人間七七四年
10/04/16 15:24:48 I9IySP2w
出典つか出所
地元(静岡西部)の寺の坊さんの話
なんか字で書かれたものがあるかはすまんが知らん
413:人間七七四年
10/04/16 15:33:40 vyBDDKfY
>>403
熊に分別が無いから足して二で割るとちょうどよかったんじゃね?
2人いた時の龍造寺はバランス取れてたわけだな
>>405
まーくんとか市松とか鮭様とか宇喜多とか爆弾正だと素直に笑えるのに
悪久ネタだと全く笑えないのは何故だろう…特に夫婦ネタ
414:人間七七四年
10/04/16 16:35:57 tzYnQ79X
>夜は夜で築山殿に責められて眠ることができない家康はすっかり参ってしまった
ここが妙に気になってしまった
415:人間七七四年
10/04/16 17:51:33 b9kzsCIl
>>414
>>408を踏まえてそこを抜き出して書かれると違う意味にしか思えんw
416:人間七七四年
10/04/16 17:54:13 9R3dRsqQ
信玄女地獄ならぬ神君女地獄かw
417:人間七七四年
10/04/16 19:30:54 4T08i10a
なぜだろう…?
オレも昔から築山殿はSだと思っていた
418:人間七七四年
10/04/16 19:46:42 g6oFnpgg
性活の不一致か
なるほど
419:人間七七四年
10/04/16 20:02:06 PXwAh8/J
実は家康公は瀬名との高貴プレイとかSMプレイとか放置プレイとかを割と楽しんでいたけど
現世でもう味わえなくなって夜な夜な禁断症状まで出始めたので、聖帝十字陵宜しく封印して
壮年の間は後家倒しに専念していたんだよ!
420:人間七七四年
10/04/16 22:57:31 S7AQIslq
晩年はロ(ry
421:人間七七四年
10/04/17 00:19:15 nGKFoC9o
築山殿って中国人の医師とのエロ密通疑惑かけられたり
なんかエロ女っぽいイメージあるよな
422:人間七七四年
10/04/17 02:09:51 X3Gq0lHR
えっちぃ流れをぶった斬って投下
『酒井忠世と料理番の羽織』
老中の酒井忠世は徳川創業功臣の一人である。
ある日、忠世が下城しようとした時のこと。
普通下城する時、御台所口の前を通るのだが、そこで料理番の下役たちにバッタリ出会ってしまった。下役たちは、相手が老中という事もあり慌てて平伏したのだが、その時に袖口から魚の切り身が廊下に落ちてしまった。
下役は顔を真っ赤にしてそれを後ろに引っ込めたが、忠世は素知らぬ顔をして通り過ぎた。
それを見ていた供の者が「あいつら、後で取り調べて処分すべきです!」
それに忠世は「いや待て、料理番たちが悪い訳では無い。あれは私の責任だ。」
供の者「?」
忠世「料理番たちの安い給料ではああするよりなかったのであろう。」
供の者「しかし、魚の切り身とはいえ公の物でございます。それを役得のように持ち出すのはどうかと・・・」
忠世「役得か。役得が無ければ食っていけない状態を、私は問題にしているのだ。それはわれわれ政治を預かる者の責任だ。今後、彼らに羽織を支給してやれ。」
供の者「羽織ですって!?なぜです?」
忠世「羽織があれば、役得の魚の切り身も上手く隠し持てるだろう。そうすれば、今日のような恥をかくこともあるまい。」
忠世「そのうち政治が改まれば、彼らも羽織を必要としなくなるだろう。どのようにするかは私の課題だ。」
こののち、政治は徐々に改まり、魚の切り身を持ち出す料理番は居なくなったとか。
423:人間七七四年
10/04/17 03:23:54 P5LYnUdW
同じ三河でも大久保系はやや理知的だね
これが本多系だとどうなるんだろうか
424:人間七七四年
10/04/17 10:25:16 u86i7tt7
羽織の代金はタダよ。
425:人間七七四年
10/04/17 10:27:54 OZzpZXN+
>>423
彦爺:うんうん
426:人間七七四年
10/04/17 11:18:19 B49jXcJq
魚って当時はすごい贅沢品だったんだよね。
元々誰が食べるものだったんだろう?
家康じゃなさそうだから秀忠?
427:人間七七四年
10/04/17 12:46:27 +VXdQ+rs
>>423
デカイ羽織りを着て大量に魚をテイクアウト、そして屋外クッキング開始
そして神君に出す予定の魚も食い尽くす
神君登場、事のいきさつをめんどくさい家臣が説明
遠回しに殿の仕置きがいたらないからこのようなことになるのですとw
428:人間七七四年
10/04/17 12:49:30 +FX2d3mQ
さすがにそこまで大っぴらにやっちゃうと、
首切らなきゃ不味くないかw
429:人間七七四年
10/04/17 13:05:43 lqN2Iydn
>>423
本多でも正純なら給料を上げそうだな…
430:人間七七四年
10/04/17 13:08:51 kUyQn0DP
劉邦なら人気取りをしてる危険人物認定
431:人間七七四年
10/04/17 13:10:43 eozggVIB
>>423
本多の彼なら心にもないものすごい剣幕を装って首を切れと家康に提言、
提言中に家康への風刺誹謗を入れまくって家康がなだめ役に、ってとこだろ
432:人間七七四年
10/04/17 13:18:02 E/oXJF85
すぐさまきやつの腹を割き魚を奪い返して殿の御膳に拵えましょう。
433:人間七七四年
10/04/17 13:31:45 PemSIJyM
いずれにしてもめんどくせえw
434:人間七七四年
10/04/17 13:50:50 xkndUhYx
仏高力 鬼作左 どちへんなしの三郎兵衛
めどくせぇ
435:人間七七四年
10/04/17 14:34:52 1zL4tZdj
酒井雅楽頭は性格も穏やかで、見た目にも人のよさそうなおっちゃんだったみたいだね
それでも、改易した大名の数は数知れず
その辺は土井のとっつぁんがうまいことやってくれてたのかな
436:人間七七四年
10/04/17 17:02:15 VNAMtLYC
正信なら、
いやこれはめでたいことで、岡崎に居た頃は泥棒したくても盗むゆとりもなかった。云々
と、家康に一々下っ端のことまであれこれ口出すなと諭してたな。
司馬の小説だが、創作なのか何か下敷きにしていたのか。
437:人間七七四年
10/04/18 07:20:59 u/Y3kamX
三斎さんから忠利くんへ お手紙ついた
寛永7年8月
「伊達政宗な、金守形右衛門(小姓)とも話したけど、よく言う“バチが当たった”ってヤツだよなw
(原文:とかく物之罰かと申事ニ候)この間の勧進能での事(URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com))
とか、上様に聞いたら「前からああいう御仁だって分かってるから、どうもしない」とさ。
だけど世間じゃ『勧進能の場であんな騒ぎを起こして、どんな沙汰が下るか。大胆な人だ。」とか言う奴もいるしw
まぁそういう人も、オレが
「昔の蒲生さんとの騒動とか、朝鮮での命令違反とかに比べれば、なんて事ないよ」って教えてやれば
「なるほど、あの人がどういう人か、今回で大体わかりました!」とか笑ってるけど。
「アイツが良くガマンしたよねー。」なんて丸くなったのを褒める(?)人もいるけどなww 」
寛永8年5月
「政宗のヤツ、毎日朝から晩まで酒飲んだり踊ったりして過ごしてるって。前の書状にも書いたけど、
じきに死ぬんじゃねwww」
同7月
「伊達家の家老たちは政宗の深酒を心配して、隠居させたいようだが、本人が納得しないらしい。
このタイミングで隠居して、『去年の(兼松との)騒動の責任取った』とか噂されるのがイヤなんだろう……」
寛永9年8月
「…忠宗くんが忠告しても酒やめないんだって…下屋敷に篭って、江戸城に登る以外は人にも会わないとか…
ウチに来た手紙も、文体は前と同じだけど筆跡が荒れてスゴい事になってるし……」
4/20より国立博物館で開催の細川展支援のつもりで、三歳様の手紙から特定人物についてピックアップ。
YOU、もう見舞いに行っちゃいなYO。
438:人間七七四年
10/04/18 08:17:29 C63tWIaP
そんなに気になるのは・・・w
439:人間七七四年
10/04/18 08:50:57 dMVC0OqY
悪い話とのマルチかと思った
440:人間七七四年
10/04/18 09:49:51 DSKSnw8q
>>437
なんだかんだ言ってるけどいい友達だったんだな…
441:人間七七四年
10/04/18 11:36:06 sttj2WQo
どう見ても政宗さん心のビョーキだろ…
442:人間七七四年
10/04/18 13:52:47 tbv+tIrc
アル中か政宗…にしても忠興の心配が伝わる
443:人間七七四年
10/04/18 14:06:12 DoihlAdW
ナイスフォーク
444:人間七七四年
10/04/18 14:07:24 DoihlAdW
すみません誤爆しました
445:人間七七四年
10/04/18 14:44:55 isaQ+8mQ
フォークの逸話だな。まかせろ
落曇
千利休作の茶杓(お茶を入れる匙)に落曇というものがあった。
ところが太閤秀吉はこの茶杓のフォルムが気に入らず、自分好みの形にしようと力まかせに
ねじまげようとしてそれもできないと見るや、落曇を投げ捨てようとした。
そこに居合わせた秀吉の侍医施薬院徳雲軒があわてて秀吉を諫め、諫言を聞き入れた秀吉は
この茶杓を徳雲軒に下賜したという。
茶杓・落曇は現在畠山記念館に所蔵されている。
446:人間七七四年
10/04/18 15:04:01 CMqeLDJn
細川家展も始まるけど、家康展も三井記念美術館で開催中でござるよ
へうげ好きは初花肩衝が拝める25日までに行くべし
447:人間七七四年
10/04/18 15:25:17 wainY35B
すり替えて、ゲヒヒ、それがしの作った土器もいいものでござるよとやれとな
448:人間七七四年
10/04/18 18:49:19 sttj2WQo
>>445
やはり天下人は違いますなあ
どこぞのやんちゃ坊主ならへし折ってるところだ
449:人間七七四年
10/04/18 19:02:57 LL0AEiCL
利休やら織部やらが作ったというところに価値があるわけで
文化的価値はあっても美術的価値はほとんどないのが茶杓
泪は入れ物の筒がなかなか良かったが
450:人間七七四年
10/04/18 21:42:09 px+C+tWG
本願寺展に行ってきた
日本の歴史展は生まれて初めてだったからいい経験だった
当時の絵巻に描かれていた牛がホルスタインみたいな黒と明るい色の斑模様だったのがびっくりした
451:人間七七四年
10/04/18 22:08:28 9vylQ8ZH
>>450
本願寺って、でかい本山の割には芸術方面が他の本山寺院に比べると貧弱な印象だな。
国宝も障壁画とかより書状とかが主だし。
やっぱり、感覚的経験よりも理屈を重んじるからかねえ。
「木像よりも絵像、絵像より名号」という言葉があって、彫刻や絵画よりも「南無阿弥陀仏」の六文字が本尊として優れてる。
とか、浪曲のルーツともいわれてる節談説教という文化を生み出しながら、自ら異端として弾圧したりしてる。
452:人間七七四年
10/04/18 22:15:38 isaQ+8mQ
>>449
ゲヒ殿があの筒を黒く塗ったのは、利休の位牌になぞらえたんだよな。
この前に徳川美術館で限定公開していたが、事前にこのスレで「淀の渡し」の逸話
を読んでたから実物見て鳥肌立ったわ。
453:人間七七四年
10/04/18 22:54:20 M0v6xFiI
>>451
本願寺にとっては、阿弥陀如来像もただの商売道具という扱いだからね
454:人間七七四年
10/04/18 22:55:44 JRx/u2c2
『黒田長政、寺沢広高の息子にダメ出し』
あるとき、寺沢広高の使者が長政を訪ねて来た。
「ときに、広高殿のご子息は何か好んでおられるのか」
「は、乗馬と鷹狩を好まれています。ときどき刀や脇差の目利きもなさいます」
「ほう、目利きか。刀は武士にとって重要なものだ。刀はその利と鈍を選んで、
よく切れるものを使うとよい。作りの善し悪しだけでは決まらないものだ。
・・・しかし、大将ならば人の目利きの方が重要だ。
大将が人を知らないと才人を退け、悪人を用いて国を滅ぼすことにもなる。
見る目もないのに人を用いれば必ず失敗するものだ。
本人には刀の目利きなどは専門家に任せて、人を見る目を養うよう伝えたまえ」
455:人間七七四年
10/04/18 22:57:39 sPYn+p+t
>>454
長政に言われたくないだろうな・・・
456:人間七七四年
10/04/18 23:07:42 LL0AEiCL
>>452
そんな師弟の絆を証明する茶杓なのに、大阪の陣のあとゲヒ殿が切腹で財産ボッシュート
徳川さんの物に・・・
457:人間七七四年
10/04/18 23:09:11 JISZwdd8
> 本人には刀の目利きなどは専門家に任せて、人を見る目を養うよう伝えたまえ
忠興と仲が悪くなるわけだ、と思わなくも無いなw
458:人間七七四年
10/04/18 23:34:51 aTsD0nfc
寺沢広高の息子ってどんな人って思ってぐぐったら、自殺してんのね。
大名家業もストレスたまりそうだな。
459:人間七七四年
10/04/19 00:01:25 Z5AkxhDT
所領没収だからな…>広高の息子
ある時徳川家康が本多正信に尋ねた。
「天下分け目の戦が起きるとしたらどのあたりか?」と尋ねると
正信は「ちゃんと合点しております。」と答えた。
またある時同じ質問を本多忠勝に尋ねると、「関ヶ原かと存じまする。」と答えた。
次に家康が井伊直政に同じことを尋ねると、直政も「関ヶ原かと存じまする」と答えた。
そしてそれからしばらく後に家康が正信に「先日の戦場はどこが良いのか?」と尋ねた。
正信は「関ヶ原かと存じまする。」と答えた。
家康は三人が三人同じ答えなのに感心していたが後にその通りになった。
460:人間七七四年
10/04/19 00:12:25 BNeJa/7t
>>459
そういえば本多忠勝には上杉征伐で関東に下る時すでに、関ヶ原の当たりで
「もし留守中反乱が起こって決戦があるとすればこのあたりだから、よく地理を調べておくように」
なんて言ったっていう話まで残ってるな。
461:人間七七四年
10/04/19 00:27:07 XeKuWaCn
天草の戦いで富岡城を守って討死したのは明智秀満の息子なんだな
こんなとこまで流れてきてたとは
462:人間七七四年
10/04/19 00:52:35 /IG1017x
三宅重利のことか。
寺沢家は明智嫁の妻木家と縁戚関係にあるからね。
463:人間七七四年
10/04/19 01:02:55 pLGWgnKK
姫路宰相或いは西国将軍などと言われた池田輝政は剛毅、剛勇の士であり家康の娘婿でもあった。
そんな輝政のもとには全国から武功の士が集まってきており輝政はそれを選抜、臣下に組み入れていった。
ある日、そうして家臣になった土肥周防と言う武功の士が馬上で闇討ちにあう事件が発生する。
土肥は左ももを斬られた。
「無礼者!」そう叫んで土肥は刀を抜こうとしたが、その拍子に馬が驚いて跳ね、土肥は落馬してしまった。
従者が土肥に走り寄ったときには、刺客は闇夜に消えていた。
こののち良からぬ噂が立ち始めた。
曰く"土肥ともあろう者が刺客に何も出来なかった"
曰く"無様に落馬し立ち上がれなかった"
そんな噂は土肥の耳にも入った。言われてみればその通りで、土肥は深く恥じ入り、将来に絶望した。
そんな様子を知った輝政は、近臣を呼んでさりげなく言った。
「周防は、闇討ちにあってさすが武勇の周防らしいところを見せてくれたな」
近臣はいぶかしげに輝政を見た。
(武勇の周防?腰抜け周防ではないか)
相づちも打てぬ近臣たちには構わず、輝政は言った。
「周防を襲った者はまともには周防に勝てぬと思って闇討ちしたのであろう」
「しかし、一撃したものの、周防の武威に恐れ二撃はできずに闇夜に姿をくらました」
「白昼ならいざ知らず、闇夜に消えた刺客をどうやって討つのだ?」
「土肥周防でなければ、刺客に膾のように斬られていたかもしれんな。さすがは武勇の周防だ」
この言葉があって以来、土肥周防を謗る者は居なくなったそうな。
464:人間七七四年
10/04/19 03:07:43 lRkvdXe0
世間のかっこいいイメージの政宗様はどうも好きになれないが
このスレに出て来る政宗は知れば知るほど好きになる
近くにはいてほしくないが
465:人間七七四年
10/04/19 03:54:40 UUPZDSBw
まーくんって、あんなパワフルな性格してるのに、
関ヶ原でまだ30代半ばで、人生やっと半分だったんだよね。
派手好きで趣味人で、ものすごくフリーダムに見えて、
後半生江戸幕府の権威と格式が固まっていく世の中で、実はけっこう鬱屈してたんじゃ。
「あれするな」「これするな」「目立つな」「間違うな」ってさ。
自分とこに作った馬場の周りに植えた木で文句言われるこんな世の中じゃ(ry
466:人間七七四年
10/04/19 06:41:08 zE6IK7Br
刺客といえば森長可に差し向けられた刺客が逆にびびったという
話は聞くけど詳細は知らない。
教えて、エロい人!
467:人間七七四年
10/04/19 13:58:50 ZTGOt1eT
関ヶ原参戦した大名って結構若いんだよね。
政宗にかぎらず、皆割りとよくやってると思う。
468:人間七七四年
10/04/19 14:12:27 92+mE7s9
まとめに有ったような気がする
469:人間七七四年
10/04/19 15:24:43 JUxChE8j
>>465
好き勝手できぬ憂さ晴らしに趣味に走ったんだな
470:人間七七四年
10/04/19 15:26:34 BDfaP+JC
ラスボスの子飼い以外は、関ヶ原前に代替わりしてるところが殆どじゃないかな~
現役バリバリは、一豊さんとか家康さん位?
471:人間七七四年
10/04/19 15:32:05 XP51VQ2j
匿名希望ご隠居さん:長引く間に九州を切り取ってくれようぞ
匿名希望久さん:伯父と親父がいつまでもうっせぇ・・・・
472:人間七七四年
10/04/19 15:41:48 201urnyv
匿名希望妻ラブさん:島津があんまりウザいので、見張り役として九州に飛ばされました……
473:人間七七四年
10/04/19 15:42:40 da/SagXz
兄ちゃんの親父(と弟)「徳川の主力部隊を信州で足止めしてくれるわ」
474:人間七七四年
10/04/19 17:05:17 MOSXBbj7
>>437
政宗は多分このくらいの時期の忠宗宛ての手紙に「宗泰(四男)にこの手紙を見せて
酒を飲みすぎるなと俺が言ってると伝えとけ」と書いてるんだが、自分がこの有様か……。
いや自分がこの有様だからこそかね。
元々主君と呼べる人はおらず自分が天下取る気満々だった事を思うと、>>465が言ってるように
権威と格式の下に押し込められたような大名生活は飲んでなきゃやってられなかったのかもしれんな。
大阪の陣の後は家康も死んで天下もどうでも良くなって自由気ままに好き勝手やって幸せに
死んでった人だと単純に思ってたが…
475:人間七七四年
10/04/19 17:23:53 eUVSCfR3
匿名希望西の鬼嫁「あんたどこ行くの?」
匿名希望西の完璧超人「太閤様への恩返しに家康の首刎ねに行く」
476:人間七七四年
10/04/19 18:35:58 ZTGOt1eT
家康が死んでからが本当の地獄だし・・・。
改易続々。
477:人間七七四年
10/04/19 20:03:35 vuH9HXau
>>475
家康だけかい?
478:人間七七四年
10/04/19 21:56:28 XeKuWaCn
関ヶ原に参戦した生年のはっきりした武将って76歳の法印素玄さんかな
479:人間七七四年
10/04/19 22:35:14 qT+tDL5/
本当の地獄は家光さん
480:人間七七四年
10/04/19 22:55:18 zgs6GHdC
家康はなんというか、ずっとめんどくさい三河武士たちに突き上げられてたせいなのか
結構鷹揚というか甘いというか、意外にお目こぼしがあるんだよな
ただ、それを秀忠に同じようにやっちゃうと・・・
秀忠はああ見えて厳しいからなぁ
481:人間七七四年
10/04/19 23:10:37 hjgH0rNe
基本マジレスの人だからさっくり死罪申し付けるもんな
482:人間七七四年
10/04/19 23:47:00 ErXKwXbf
「不楽是如何」2通り目の解釈か。
徳川実記だかでこの詩をほめてたけど、同時代の人はどう読んだんだろうね。
483:人間七七四年
10/04/19 23:48:30 u83Ql+88
つまり家康の命に対して、
三河武士 「従えません。腹を切ります」
家康 「なら好きにせい」
三河武士 「この恩義は忘れません、どんな仰せにも従います」
秀忠の場合
三河武士 「従えません。腹を切ります」
秀忠 「なら腹を切れ」
三河武士 ブスリ「ぐはぁ」
てな感じかなあ
484:人間七七四年
10/04/20 00:08:44 h9JdXWfP
>>464
長可「距離を置いてみるとそれなりに楽しい奴なんですが」
政宗「こうも近くにいるとそのワガママさ図々しさにウンザリです」
忠興「あれれそれってもしかして」
忠恒「そう私めなんです」
485:人間七七四年
10/04/20 09:28:14 DhMj41fe
>>484
これを次世代dqnで歌わせてやってくれ。
地味加藤さんの2代目しか思いつかん。長可さんの弟も該当かな
486:人間七七四年
10/04/20 18:24:00 OytXQmiA
松倉さんの息子とか
487:人間七七四年
10/04/20 20:01:10 bcLmpK76
黒田忠之とか?
488:人間七七四年
10/04/20 20:26:44 +X4WN86f
松平忠直とか、忠長とかは
489:1/2
10/04/21 18:42:19 1YyCd9U3
天文12年(1543)、武田晴信は八千騎の軍勢を率い信州へと出陣した。
10月17日、大門峠に陣を敷くと、ここに七日間滞在し、25日には海尻城に入る、と決定した。
すると晴信は18日、兵たちのこのように宣言した
「この度の戦には新兵が多い。彼らを勇躍せしめるため、この地において乱取り小屋落とし等を許可する。
心のままに成すが良い。」
掠奪の許可である。
これに足軽、中間の者たちは大いに喜び、翌19日より周辺の在所に駆け散って、民家を見れば襲撃し
雑具、金銀、衣服などをはぎ取り、又は田の稲を刈り取り、多くの財貨を手に入れた。
さて、二日間にわたって武田軍による大規模な掠奪が行われ、掠奪の許可された期間も、移動日を覗いて
残り3日となった21日早朝、未だ夜も開けぬ時刻のこと、板垣信方の陣所に、甘利虎泰がにわかに訪ねてきた。
板垣、何事かと急いで甘利を招き入れると、甘利は神妙な顔で
「今夜、実に不思議な霊夢を見たのだ。そこでこの夢について先ずお主に相談しようと、夜の明けるのを待ちかねて
ここに参ったのだよ。」
これに板垣驚いて
「なんとお主もか!?私も不思議な霊夢に目が覚め、お主のところに使者を出すか自身で出向くかと
迷っていたところであった。ともかく、お主の見た夢の内容を話してくれ。
「うむ…。この度殿の許可によって、我が軍の者共皆掠奪をしている。ところが今夜、夢とも現とも思えぬ中に
我が枕元に一人の山伏が現れた。その形凄まじく、眼は縦に切れ、赤髭は帯の当たりまでも伸びており、
五尺(約1.5メートル)あまりの太刀を十文字に帯びていた。この山伏が言う。
『我は当国諏訪法性上下大明神の神使である。この度下郎の者共に乱暴狼藉を許したこと、大いに非義である!
固く停止仕るべし!』
そう、怒りを告げた所で目がさめたのだ。」
これを聞いて板垣、手を扣いて
「それは!それがしの見た夢と全く同じでござる!何と不思議のことか。」
二人が霊夢に感じ入っているところに、今度は飯富虎昌がやって来た
「聞いてくだされ!夜中他陣を訪ねること軍令に違うことは存じておるが、あまりに不思議の夢を見たので…」
「お主もか!!」
飯富の見た夢も、板垣、甘利の見たものと寸分違わぬものであった。
三人は大いに感銘を受け、身を清め諏訪大明神の方角に拝礼すると、速やかに自分の陣の者に対し
掠奪の禁止を命じた。これを聞いた他の陣営の者達も、このような奇瑞があったのに、これを聞き捨てにして
掠奪を行えば必ず神罰が当たるだろうと言って、この日より一人残らず、尽く掠奪をやめたという。
諏訪大明神の霊夢、掠奪をやめさせる、と言うお話。
…が、この話には、実は裏があった。
490:2/2
10/04/21 18:43:36 1YyCd9U3
時は若干さかのぼり、20日の夜のこと。武田晴信は板垣信方を呼んで言った。
「わしはこの度、新たに取り立てた者たちを勇ましめんとするために掠奪の許可をした。
が、少しこの薬が効きすぎた。掠奪は元よりは下々の者たちが好むものであるため、本来なら軍令により
守備を命じられている者たちまで、未明に陣を出て行き黄昏時にようやく戻ってくる始末だ。
今は我が軍の中で、相応の獲物を奪わなかったものはおらぬであろう。
今信州勢が打ってでてくるとは思えない。が、もしそのような事態になった場合、諸卒が
掠奪のために走り散っていては、一体どうやってこれを防ぐというのか。
命令に違反し夜にまぎれて掠奪に赴くものは誅伐するより他はない。
しかし陣中において味方を誅するのは、良将のすべき事ではない。
どうにかして諸卒が自ら掠奪をやめるように出来無いものか、その工夫を考えていたのだが、
今思いついた。これを板垣、お主と甘利、飯富の三名で実行せよ。
我が軍の中心はお主達三名の部隊である。これが掠奪をやめれば、他も自然とそれに従うであろう。」
と、諏訪大明神の霊夢、と言う策を授けたのだと言う。
武田晴信、言わずして掠奪を止めるの計、と言うお話。
491:人間七七四年
10/04/21 19:47:57 HqbADhI8
いい話なのかこれ・・・
492:人間七七四年
10/04/22 01:06:36 QOUIJRqP
諏訪の神さんを奉じる諏訪氏ぶっ潰しちゃったもんだから怒りまくった諏訪の神さん、
半分は諏訪氏の血引いてる勝頼だろうと一切容赦せず、武田あぼんしてもた
なんて話もあるから、>>490の神さまの夢みたってのも実際にあったことだったりしてw
ちなみに
死後自分が諏訪の神さんに成り代わるために、と信玄は諏訪湖に自分を沈めるよう遺言したけど
結局その言い付けは守られなかったために武田は滅びた、なんて話もある