10/03/31 12:34:03 9VxrcqlV
流れ上こっちに書くけど、家康の(意地が)悪い話
北条氏を滅ぼして関東の大大名となった徳川家康は、桐生にいた北条旧臣のある男を呼び出した。
その男は新田氏嫡流の岩松守純で、新田氏といえば偶然にも(!)家康の同じ血流である。
岩松家は家臣の由良氏に家を横領されすっかり落魄していたが、名家の子孫を優遇する家康
に仕官することで御家再興ができるとwktkしていた。しかも、守純は家康と同じ新田氏であり、
家康にとってこれ以上の血統はあるまい。
しかし、仕官の見返りに家康は新田氏の系図を要求し、守純は頑なにそれを拒否した。
家康は守純を旗本としては家格の高い交代寄合に取り立ててやったが、石高はなんと20石。
さらに、岩松家が新田の名字を名乗ることを禁止した。
要するに、「新田系図を譲渡しなかったこと」に対する家康の仕返しであった。
岩松家が新田氏に復し、華族に列するのは明治4年のことになる。