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天正十四年(1586)、秀吉の妹朝日姫を娶った徳川家康は、ついに秀吉への臣従のため、
上洛を決断する。しかし徳川家中の者たちには、未だ圧倒的に反対であった。
家中の者たちを集めた場で、重臣筆頭の酒井忠次は皆を代表して言う
「今上洛なさると言うのは、道理に合わないお考えであります!どうかお考え直し下さい、
秀吉と断行することになっても構わないではありませんか!」
小牧長久手での勝利のこともあり、また石川数正を引き抜くなどの、秀吉の対徳川の姿勢にも
我慢のならないものが有ったのであろう。
忠次の発言に和すように、場の者たちも口々に叫んだ
「左衛門督(忠次)殿のおっしゃるとおりです!断れば秀吉と断行になるからと言って、
上洛されると言うのは納得出来ません!どうか、上洛のことはお考え直し下さい!」
これをじっと聞いていた家康は、静かに語り始めた
「左衛門督を始め、皆はどうしてそのように言うのか。
もしわしが上洛して秀吉に腹を斬らされる事になったとしても、それはわし一人の腹を斬って
万人を助けることになるのが、わからないか?
今回、わしが上洛しなければ間違いなく戦になるであろう。
秀吉がたとえ百万の軍勢で攻め寄せてきても、一合戦でなら討ち破ってやる自信はある。
…が、戦というものはそういう物ではない事は、皆もよく知っているではないか。
わし一人の決断の間違いで、多くの民百姓、諸侍を山野に野垂れ死にさせることになれば、
そのたたりこそ恐ろしい。
今回上洛すれば、間違って腹を切る事になっても、断行して戦をするより、わし一人の命で
多くの人の命が助けられる。その事理解できぬお前達ではあるまい。
だからこれ以上なんだかんだと申さず、わしを上洛させ多くの命を助ける手助けをせよ。」
この言葉に、忠次も屈した。
「…そのようにお考えであれば、もはや何もいいません。どうか、御上洛なさって下さい!」
家康はカラリと言った
「それでこそ、重臣の返事だ。」
三河物語に見える、家康、上洛決断についてのお話である。