10/03/20 06:05:46 MAeLIqa1
第六天魔王自体が説話とかでいつも釈迦や善神に負けるって情けないかませキャラだしな
897:人間七七四年
10/03/20 07:34:10 iZ6J3+RR
ハクション大魔王だな
898:人間七七四年
10/03/20 10:04:38 PqrHZwTU
ジョークで噛ませキャラ名乗ったら
数百年後に恐怖の大魔王扱いされたでござる
899:人間七七四年
10/03/20 11:11:51 NivG+0tG
ヘタレ野郎信長
900:人間七七四年
10/03/20 12:13:39 qEepMkZ2
あの世で信長公はこう思ってるに違いない。
信長「ジョークにマジレスしてるやつらって何なの?馬鹿なの?死ぬの?」
901:人間七七四年
10/03/20 13:18:41 OxAfYk6E
小ネタ1発目を悪いスレに誤爆してしまった……orz
続いて2発目。
現在の岐阜県岐阜市。
岐阜城の東側に長森と呼ばれる地区がある。
当時はこの辺りを木曽川が流れており、渡河地点として戦略上の重要拠点であった。
南北朝時代には土岐頼遠が長森城を築城したが、古くからこの地域の一番の防衛拠点
と言えば、手力雄神社であった。
織田信長の美濃侵攻の際にも、岐阜にまで攻め込まれた事があったが、長森を最終防
御ラインとして、尾張軍を押し返した。結局、西美濃勢の裏切りがあるまで、信長が
長森を抜く事は出来なかった。
やがて信長の孫、織田秀信が岐阜城主になると、手力雄神社は勅願所として重用され
るが、関ヶ原の合戦の折、秀信が西軍に味方した為、東軍の攻撃に晒されて一帯は焼
け野原になった。
ある一人の侍が戦火の中、神社の御神体を抱えて避難した。
戦が終わって戻ってみると、手力雄神社は鳥居と扁額のみが残り、後は全て焼け落ち
ていた。
この侍によって御神体は無事だったため、後に復興する事が出来たのである。
現在、奇祭「火祭り」で有名な岐阜の手力雄神社がこれである。
……神体を抱えて逃げた人の名前も神社の由来書きの看板には載ってたんだケドね。
デジカメで撮ったらボケてて読めなかった(泣)
902:人間七七四年
10/03/20 13:19:38 OxAfYk6E
そして3発目。
現在の三重県四日市市富田。
JR富田駅前に庚申社と伝わる祠がある。
この庚申社、その昔、富田一本松に上陸して茂福城を攻めた末、討ち死にした織田信
長配下の将を祭って道祖神とした物だという。
武将の名は伝わっていない。しかし伊勢侵攻に討ち死にし、伊勢への道標として、そ
の道を守る役目を与えられた彼は果報者と言えるのではないだろうか。
尚、何故道祖神で庚申か、とツッこんではいけない。
っつーか、関東では庚申塔や庚申塚はあっても、社なんてあまり見かけないから、庚
申社って存在その物にちょっと驚いた。(^^;
庚申信仰と道祖神って、関係なさそうだケドなぁ……
以上、小ネタ3連発でした。
903:人間七七四年
10/03/20 13:22:23 OxAfYk6E
小ネタばかりでもナンなので、マトモな(?)ネタも一つ。
永禄7年の年末、大坂にて大火事が起こった。
「言継卿記」にも記されている大事件で、本願寺の本堂や寺塔が焼け落ち、大坂の町
にも多大な被害が出たという。
この火事に激怒したのは本願寺顕如。
「コレはテロや! せやろ? 自分らもそー思わん? ワイに敵対しとる連中が火ぃか
けたんや!」
未だ騒然としている町を厳重に警戒させた上、他国者を家に泊めないよう触れをだし
たり、一軒一軒宿を改めたりと大変な騒動となった。
そんな折、「たまたま」大坂に滞在していたのが我等がルイス・”坊さんなんて大っ
キライ”・フロイスくん。
堺から京に向かう途中、大坂で宿を取っており、この火事に遭遇したのだ。
コレはマズい。マズすぎる。
普段の言動が言動だ。見つかったら即、打ち首間違いない。
しかもこの時のフロイス、更に怪しすぎる行動を取っている。
つまり、当初は道中を共にしていた日本人キリシタンと別の宿を取っていたのだが、
夜半になって彼等の宿に移動。フロイスの元居た宿の付近から出火しているのである。
…あーこりゃテロだ。間違いなくフロイスのテロだ。
この怪しい行動を記述しているのがフロイス自身でなければ、後世の我々でもそう断
言したくなるシチュエーションである。
宿の主も面倒を避け、フロイス一行を宿から追い出す。
本願寺に通報しなかったのはせめてもの情けだろうが、厳戒態勢の中、町を抜け出せ
るあてもないのだから通報などしてもしなくても同じ事だろう。
が、そこで一人の男に出会う。
この男、フロイス一行が豊後から堺に向かう途中、船で一緒になった顔見知りであり、
そこで仲良くなった日本人キリシタンの仲介に寄って、彼の家に匿って貰える事にな
った。
男の妻は嫌がっていたのだが、男は「自分を頼ってきた窮鳥は見過ごせない」とフロ
イス達を匿い続けた。
本願寺の寺兵が男の家を改めに来た時には天井裏に隠れ、騒動が落ち着くまで静かに
過ごす毎日が続いた。
やがてほとぼりが冷めた頃、大商人である男は商売の荷を運ぶ振りをしてフロイス達
を大坂の外へと逃がしたのである。
男がキリシタンであったとか、後にキリシタンになったとか言う記述はない。
彼は純粋に「豊後からの船で知り合っただけの人が困っていたから自分の命をかけて
助けた」のである。
……フロイスの記録に「異教徒にも良い人がいる」という記述はない。
904:人間七七四年
10/03/20 14:21:38 WKVhMLME
どーせ
このような美徳を多く備えた男であったがキリストに帰依しなかったため地獄に落ちたのである
くらいしか書かんだろうしなw
905:人間七七四年
10/03/20 14:41:22 /UNchNLk
排他的過ぎてワロタ
906:人間七七四年
10/03/20 16:25:27 GjBgTr+V
バレたら本人だけでなく家族や親類まで類が及んでたってのは
フロイスにも想像ついただろうにな
神の善良な僕である自分は助けられて当然、むしろ異教徒に
善行を「させてやった」ってことなのかねえ
907:人間七七四年
10/03/20 17:07:05 Po5FbhNL
ただの日記じゃなくて報告書だからそういう風に書かざる負えない部分があったんじゃないかな
908:人間七七四年
10/03/20 18:07:34 KWz15EG4
西欧キリスト教だと「悪魔」は絶対悪だもんな。小暮閣下みたいな良い悪魔とかはそもそもありえない。
きれいなう○こときたないう○こなんてカテゴリがないのと一緒で、汚いものは汚い、悪いものは悪い。
和製RPGで「神聖魔法」なんてのがあるが、邪教の行いだから「魔」法なわけで・・
909:人間七七四年
10/03/20 18:16:16 3jdZs14p
一神教とか独裁者とかそんなの崇拝したくないね 気持ち悪い
910:人間七七四年
10/03/20 18:26:27 MAeLIqa1
まあキリスト教徒でなくても恩を感謝しないどころか仇で返す奴なんてゴロゴロいるし
フロイスがそういうタイプの人間だっただけもしれん
911:人間七七四年
10/03/20 18:54:09 +GqGE2Q+
風呂イスの話になると「あー宣教師ロクでもねえ」になるのは仕方ないのかな。
愛すべきDQNたちとも言えないしな……。
912:人間七七四年
10/03/20 19:09:54 RJcHr5Uq
>>908
そもそも現実の世界を舞台にしたゲームは滅多に無い訳で
キリスト教基準で魔法が神聖だなんておかしいなんていい様の方がおかしいと思うが
神の奇跡としての魔法なら西洋RPGでもわんさとあるし
それはさておき善悪に対するファジーさは日本人特有の観念と言う話は聞いた事あるな
913:人間七七四年
10/03/20 19:28:29 9sEI80Td
>>894
義教のフォロアーってのは、どこまで信憑性があるんだろ
914:人間七七四年
10/03/20 19:43:19 /RzbuWBy
フロイスは仕方ないよ
同じ宣教師でもインテリのヴァリニャーノからは
「お前は悪魔とか神とか言い過ぎ」とか酷評されてるし
そこが面白かったりするんだけどさ
915:人間七七四年
10/03/20 19:49:26 i1SGKbYS
フロイスのアレはそういうものとして解釈すれば面白いんだけど、
戦国入門書みたいな本でアレをソースに武将の性格とか逸話とか断定的に書かれるとなんだかなあと思う
916:人間七七四年
10/03/20 20:49:33 9sEI80Td
>>915
小和田さんとかは、「フロイスが言ってることと合致してるから、『武功夜話』にも、それなりの信憑性がある」
という傾倒ぶりですね
917:人間七七四年
10/03/20 22:08:02 xJ3bX4Jq
死んだプロテスタントだけがいいプロテスタント
918:人間七七四年
10/03/20 22:09:57 GopwGXGs
フロイスといえば「日本史」の中に当時のキリシタンの排他性や攻撃性をよく表してる話を思い出したが、
悪い話なのであっちのスレに書く。
919:人間七七四年
10/03/20 22:11:15 S8Jljp9k
思い出した
風呂の椅子買ってこなきゃ
920:人間七七四年
10/03/20 22:32:36 Li91tDWC
>>917
マクスウェル司教様乙です
921:人間七七四年
10/03/21 21:55:26 5RVd4+cT
徳川家康が駿府に隠居していたときのこと
駿府に挨拶に訪れた秀忠に、家康は、自ら茶でもてなし、
村田珠光がこれを見たとき感動のあまり頭巾を落としたという言い伝えのある「投頭巾の茶入」を送った。
秀忠は大喜びだった。
その後、家康は上機嫌で家臣にこう語った。
「よく隠居するときは財産も一切合財譲るのが潔いという人がいるが、何もわかっとらん。
人というものは、隠居してもいろいろ口は出したくなるものだが、子供にしてみれば全部引き継いだのだからいまさらなにをという気になる。
だから仲のよかった親子が、親の隠居後不和になることが多い。
わしのように財産を少しずつ譲っていくようにすれば、子は感謝の気持ちを持ち続け、仲のいい親子のままでいられる。」
同じ年に死んだシェークスピアの「リア王」など家康にしてみれば愚かさの当然の報いといったところか。
そういえば我が国にも息子に家督を譲ったはよいが、その息子が暴走して戦争を起こしまくり、息子に負けた敵に泣きつかれ、
渋る息子を説き伏せたものの、当の敵にさらわれ、息子に敵もろとも撃ち殺されたご隠居がいたような
922:人間七七四年
10/03/21 22:00:02 8q3UXV9P
>>921
いい話スレで最後の3行はいらん。気分悪いわ。
923:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/21 22:09:13 Iws8ZRCg
スレの使い方を教えたいならもう少し落ち着いて嗜めてやろうよ。無駄であったとしても。
924:人間七七四年
10/03/21 22:14:05 V1GNGC5W
求められたらなんでもやればいいって経久さんが言ってた
925:人間七七四年
10/03/22 00:07:16 dB+DUQm3
久野宗能の賭け
永禄十一年(1568)十二月、徳川家康は終に遠江に侵攻、今川氏真の籠る掛川城に向かった。
久野家の居城久野城は掛川城の西8キロほどの位置にあり、徳川軍の進行路にある。
今川家譜代の臣である久野家惣領、宗能は、徳川軍を迎え撃つ体制をとったが、そこに家康より
高力清長が使者として派遣された。あの「仏高力」として有名な男である。
「今川のお家はもはや長くない。我々徳川家にこそ頼られよ。」
久野宗能は大いに悩んだ。しかし、たしかに今川はもうおしまいであろう。そう思い、家中には
異論も多かったが、当時まだ25歳の、若き家康に久野家の未来を賭けた。
彼は家康に従い、遠江に侵入した武田家の武将秋山信友の部隊と戦い、その姿勢を鮮明にした。
ところがそうしたとたん、武田、今川より更なる寝返りを求める誘いが相次いだ。
今川氏真にいたっては、「家康を殺せば遠江一国を与える」とまで言ってきた。
これに久野家家中にはなびくものが現れ、一族の宗政は久野宗能に、
「掛川城の今川勢とともに、家康を挟み討ちにしましょう!」
と進言する。
久野宗能はこれを言下に却下したが、宗政は密かに仲間を集め、一族の日向守宗成、弾正忠宗らと、掛川城からの
援軍を頼んで宗能を討ち取り、その弟宗益を立てると言うクーデターの陰謀を企てた。
宗政らはこの陰謀を掛川城の側と連絡をとりながら進めたが、久野宗能はこれを察知し家康に通報した。
これを聞いた家康の行動は早かった。十二月二十一日夜、大久保忠世の部隊を久野城に派遣、宗政らクーデター一派を
成敗すると、さらに城外に大須賀康高、松平家次、家忠、水野忠重らを潜ませ、クーデター一派を援助するため
久野城に派遣された掛川城の兵を待ち伏せし、その多くを討ち取った。
久野家における宗能の反対派は、これで完全に排除された。
久野家の未来を、徳川家康という青年に賭けた久野宗能。
彼の家は家康とともに戦国を生き抜き、やがて伊勢田丸藩1万石として、明治まで続く。
今川家の衰亡と言う混乱の中での、ひとつの決断についてのお話である。
926:人間七七四年
10/03/22 01:40:31 Zn9VKSji
褒美は小出しにするってのは家康の論功行賞全般に言えることじゃないか
927:人間七七四年
10/03/22 08:42:24 V7sqgGgg
>>925
北信濃で似たような事があって、武田はこの際だから、全て殺して城を没収したことがあったような。
928:人間七七四年
10/03/22 09:07:58 tTYjgaQD
降誘しといて事が済んだら皆殺しとかは信玄の常套手段とも言える
ぶっちゃけた話、信州はそうやって平定した
まぁ、いい話ではないけどね
929:人間七七四年
10/03/22 10:13:53 RpT09CfS
戦国時代の逸話で
うどんやお茶売りやまんじゅ売りの商品買って飲み食いしたり
長陣になったからふんどし売りから新品買った、とかの話あんま見んね
室町の町民なんかはよく外食産業(というかファーストフード?)利用してたみたいだし
合戦の絵図なんかでは物売りとの売買の様子描かれてたりするし
雑兵レベルで陣中の物売りに纏わる話ぐらいあっても良さそうなんだけど…
このへんの一般庶民の生活関係って文書記録にはあんまり残ってないんかな?
(政治経済軍事関連じゃないし記録する価値ないから?)
930:仙台藩百姓
10/03/22 10:38:38 Ce8/ok1R
慶長十六年十月二十八日に陸奥に津波が押し寄せ家屋や人馬が流され死者を多く出した
この日、伊達政宗公は肴を求める為に侍を二人を海に遣わした
二人は漁師を集め釣り舟を出さんとしたが、漁師は
「今日は潮色が異常で天気も悪いので舟は出したくない」
と申すので一人は「尤もである」と応じて漁を中止する
しかしもう一人は
「主命を請けて行かぬは主君を侮る者だ。止める事はならぬ」
と漁師6~7人に強いて出航させた
舟が数Km進んだ時だった、突然海面が天をつくほど盛り上がり大波が山の如く押し寄せる
侍と漁師達は肝を消失し茫然自失するところ、船は上手く波の上に乗って沈まず
しばらくすると波の平らかなるところに至る
この時心を静めて眼を開いて見ると、漁師達の漁村近くの山上にある松の傍らにいた
とりあえず舟を松に繋ぐ
そして波濤が去ると舟は松の梢に取り残されていた
その後、漁師達は山を下って麓の村に向かったが
村は何も残らず流失し、逃げ延びた者もなく全員波に沈んで死んでしまった
政宗公はこの事を聞き、生き残った者達に俸禄を与えたのであった
この話しを聞いた徳川家臣後藤庄三郎光次は家康の御前で言上し
「彼らは主命を重んじたからこそ災難を免れ福を得る事が出来た」
と語ったと言う
931:人間七七四年
10/03/22 11:38:10 ta7uaNX0
地球の裏側で、大きな地震でもあったのかな?
932:人間七七四年
10/03/22 11:44:23 235M3sgc
>>930
どちらの考えも正しかっただけに何とも言えないな・・・
海の災害で津波と時化じゃ被害も対策法も全然違う
この時は津波だったから漁に行った漁師は助かり
陸に残った人々は死んじゃったけど
もし時化だったとしたら・・・
933:人間七七四年
10/03/22 12:12:18 HrK+CXXz
いい話でも悪い話でもないな、悲惨な話だ
934:人間七七四年
10/03/22 14:12:52 b3XlViDi
徳川家康は、信長、秀吉と異なり、茶の湯に興味は示さなかったが、茶の心はよく理解していたという。
あるとき、秀吉が聚楽第からの帰り道、伏見の家康邸に寄ることとなった。どうせ秀吉は聚楽第でうまいもの食っているだろうから、
ここはあっさりと茶の湯でもてなそうと考えた家康は、前日、茶壷を自ら開け、家臣に茶をひかせていた。
ところが、翌日家康が確認すると、茶の量が減っていた。家臣に聞いたところ、小姓が間違えて飲んでしまったという。
仕方なく家康がもう一度茶をひかせようとすると、家臣の一人が
「このままでは秀吉様の到着に間に合わないですし、残っている茶の分量でも大丈夫ですからそれを使っては」とアドバイス。
これを聞いた家康はかんかんに怒り、
「自分の家臣ともあろうものが、どうしてそうも心得がないのか。たとえ遅れて、秀吉殿が機嫌を悪くしたとしても、
残り物で人をもてなすなど人の道に外れる。そんな心がけでは、お前の奉公心というものも正しくないぞ。」と戒めた。
それにしても、茶の湯に関することでも説教話になるところが家康の面目躍如といったところであろうか。
935:人間七七四年
10/03/22 14:23:53 y6YxjarH
残り物の茶はもったいないから持って帰るんですね。わかります。
936:人間七七四年
10/03/22 14:28:47 dB+DUQm3
家康は普段のケチはともかく、人のもてなしについてはハンパなかったらしいからね。
信長が冨士遊覧の時、家康の接待の豪華さに驚いたって話が残ってるし。
937:人間七七四年
10/03/22 14:41:45 DjxSKN+r
吝嗇なんてヤダヤダヤダ全部派手にする!と
使うべきときに備えての吝嗇さと
金使うなんてヤダヤダヤダの吝嗇さ、か…
938:人間七七四年
10/03/22 14:52:01 WP0Qj2FX
>>931
三陸沖地震シリーズのひとつ、慶長三陸地震だと思います
漁に出た人達も、港に帰ってきたタイミングで津波が来てたら(ry
それにしても津波の高さ38mって想像しただけで死にたくなるなあ
リアス式海岸こわすぎる
939:人間七七四年
10/03/22 15:16:52 K9AokoXm
もしもの時のための保険や貯蓄としてケチってる人と
ただ単に欲深なだけでケチってる人の違いだろうか
940:人間七七四年
10/03/22 17:03:48 Vip3C9RO
又左.....。
941:人間七七四年
10/03/22 18:41:13 +2AkejU7
金の話が出てきたので当時最大級の金持ち大内さん景気のいい話。
勘合貿易はものすごく儲かったらしく「臥雲日件録」(相国寺僧端渓周鳳の日記)によると
最盛期のある年の輸出総額は600万貫あったそうだ。
勘合貿易には船の決まりがあり幕府=2500石、大内=1800石、細川1200石。
それからざっと計算すると大内さんの取り分は約200万貫。一文を10円とすると200億円の輸出益。
で、得られた銭のうちどのくらい輸入に回したかは不明だがかなりボロ儲けの商売だったようだ。
幕府の貿易顧問の楠葉西忍によると
古金蘭・書画・骨董品は仕入れ値の10~100倍で売れた。
唐糸1斤250文は5貫で売れた。
生糸2斤(10貫相当)は40~50貫で売れた。
これだけ儲かってるから山口京都化計画もできたんだろうな
942:人間七七四年
10/03/22 18:44:39 +2AkejU7
因みにこれに目をつけたソーリンは弟を使って勘合貿易をやろうとしたけど
明皇帝「てめぇは大内ちゃうやろ」
とあっさりバレたそうだ。
943:人間七七四年
10/03/22 19:38:58 mB+2/skb
金の話といえば関ヶ原の合戦後石田三成の佐和山城は空っぽだったが
同じ五奉行の長束正家の居城には大量の金が残されていたとか。
三成はすべてを投げ打って合戦に臨んだが長束はこっそりため込み金を惜しんだ。
944:人間七七四年
10/03/22 19:51:13 gCMz6UWP
巻き込まれた人と首謀者いっしょにしてやんなや
945:人間七七四年
10/03/22 20:02:26 eA3OzKPB
三成は挙兵の中心人物なんだから
それくらい当然なんじゃないの
19万石の身分で五大老筆頭に刃を向けようとしたんだし
946:人間七七四年
10/03/22 20:06:38 e8mJek2u
>>942
義長は大内家の後継者として明側に認められなかったとかなんとか
947:人間七七四年
10/03/22 20:16:47 jskK3Xrs
まあ明って、懐良親王を日本の国王だと思ってて、室町幕府を最初は全く相手にしてなかったくらいだそうだしね
948:人間七七四年
10/03/22 20:58:07 +2AkejU7
200万貫あったら戦国大名として具体的にどんなことができるの?
官位をもらう、兵を雇う、武器を買う、寺を建てる、インフラ整備、美少年を集める、
他に
949:人間七七四年
10/03/22 21:59:09 sSlGd369
>200万貫
えーと、人間なら家康を2000人買える金額(ちなみに影武者なら40万人)。
950:人間七七四年
10/03/22 22:14:16 WwTfKQ/+
そう言えば、土佐一条氏も遣明貿易でかなりの財力があったみたいだね
大内家と土佐一条家は縁戚関係にあったけど、貿易つながりだったのかな
951:人間七七四年
10/03/22 22:24:03 dB+DUQm3
>>948
信長が堺に求めた矢銭が「2万貫」本願寺には「5千貫」。
堺も本願寺もこれに反発して戦争を覚悟した。ここから200万貫の価値は推して知るべし。
952:人間七七四年
10/03/22 22:28:51 v4oZgLP4
うまい棒に換算してくれ
953:人間七七四年
10/03/22 22:32:23 1UQbZWfN
うまい棒で一国が作れる
954:人間七七四年
10/03/22 22:34:53 RWN5p+US
>>948
200万貫あったら、茶壺を100箇買える金額。
955:人間七七四年
10/03/22 22:36:38 wj6SNvYD
今さらだけど一貫って今の価値でどんなもんだろ
956:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/22 22:36:58 gwmM+Y70
>>952
明の民を半分くらい寝返らせられるくらい。
957:人間七七四年
10/03/22 22:50:01 dB+DUQm3
>>955
信長の当時兵士一人を1年間雇うと7~10貫かかったらしい。
ここから、仮に年収が現在の200万円相当だったとすると、1貫は20~30万円くらいだな。
958:人間七七四年
10/03/22 23:16:36 oXtKNKOs
武功立てたもんにゃあ10貫文の天目くれてやらあ
959:人間七七四年
10/03/22 23:28:10 Y41OAUEK
たしか爆弾正は九十九茄子を1000貫文で買ったんだよね
するってぇと2~3億円!
これは信長にアッサリ献上したけど
古天明平蜘蛛は幾らぐらいの価値だったんだろう
960:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/22 23:34:09 gwmM+Y70
2~3億円で国が動くって逆にすごくないか。
961:人間七七四年
10/03/23 06:56:03 K4RWDF2J
当時の名物茶入の価格が現在価値でおよそ三千万円から六千万円くらいと言われているから
200万貫で1000億円相当というところだな。
>>960
大臣でも数千万~数億の賄賂を貰えば動くだろう。
962:人間七七四年
10/03/23 07:44:27 gb3vtZ+A
>>941
義隆様は金使いが荒すぎてせっかく勘合貿易で得た利益を数年で使いつくしてしまい、
民に重税をかけたので陶隆房から換言を受けています
義隆の金使いの例として、
当時の一流学者、清原宣賢の持つ「四書五経諺解」の写し代に
銭五万匹(米換算で数十石)をあっさり支払っています
こんなのが積み重なればそりゃあなくなるわな…という悪い話
スレ違いごめん
963:人間七七四年
10/03/23 07:49:06 gb3vtZ+A
換言→諫言のまちがい
964:人間七七四年
10/03/23 13:01:51 35lM36dJ
一方、ケチなことにかけては右にも左にも出るものがいない純岡山県民の宇喜多さんは、
金が足りなくて山賊まがいのことをやっていた
965:人間七七四年
10/03/23 13:07:05 nDC7j7ou
山賊「まがい」じゃないよな
まぁ、正しくは夜盗とか野伏とかになるんだろうけど
966:人間七七四年
10/03/23 13:10:03 yvUoGU3f
その日暮らしじゃない、先を見据え武力行使も止む終えない窃盗団か
性質悪いな
967:人間七七四年
10/03/23 13:11:06 K4RWDF2J
食費削減のための断食を実行していただろ>宇喜多
968:人間七七四年
10/03/23 14:37:00 oi5gdyNo
針すら貯蓄するって言われてたのは北条早雲だっけか。
969:人間七七四年
10/03/23 15:58:34 61kbd/Id
>>968
いい話じゃないが、気にせず投下
善七釘
織田信長の側近の矢部善七郎家定は、将来を嘱望された男であった。
本能寺の変により幻に終わった四国征伐では、大将として淡路国衆を率いる予定だった
武将である。
そんな矢部も秀吉の下では鳴かず飛ばずで、身上は5000石前後に止まった。
さて、矢部の趣味と言えば蓄財で、暇を見つけては家来にノルマを課して竹を削らせ釘を
作り、その釘は「善七釘」と呼ばれるほど売れた。
しかし、心ある者は
「武士たるものはその本分を尽くして名を挙げるべきところ、善七はまるで職人みたく竹釘
を削って名を挙げている。ばかじゃね?」と彼を嗤い者にした。
そんな矢部は、自分の情けなさに耐えきれずとうとう自害したという。
970:人間七七四年
10/03/23 17:37:42 qIvtgn3o
>>968
その後に玉をも砕く大胆さと続く
金は貯めるだけでなく、遣い処も重要
971:人間七七四年
10/03/23 18:20:03 WkKmt7Gg
まとめ見てきたけど、小山田信有(出羽守のほう)の話が無い…
やっぱりマイナーすぎるのか?それとも息子のせいなのか?
972:人間七七四年
10/03/23 18:21:10 nDC7j7ou
心当たりがあるなら書いてしまえばいい
恐れることはない
973:人間七七四年
10/03/23 20:43:26 sUpmCRPf
天正十四年(1586)、秀吉の妹朝日姫を娶った徳川家康は、ついに秀吉への臣従のため、
上洛を決断する。しかし徳川家中の者たちには、未だ圧倒的に反対であった。
家中の者たちを集めた場で、重臣筆頭の酒井忠次は皆を代表して言う
「今上洛なさると言うのは、道理に合わないお考えであります!どうかお考え直し下さい、
秀吉と断行することになっても構わないではありませんか!」
小牧長久手での勝利のこともあり、また石川数正を引き抜くなどの、秀吉の対徳川の姿勢にも
我慢のならないものが有ったのであろう。
忠次の発言に和すように、場の者たちも口々に叫んだ
「左衛門督(忠次)殿のおっしゃるとおりです!断れば秀吉と断行になるからと言って、
上洛されると言うのは納得出来ません!どうか、上洛のことはお考え直し下さい!」
これをじっと聞いていた家康は、静かに語り始めた
「左衛門督を始め、皆はどうしてそのように言うのか。
もしわしが上洛して秀吉に腹を斬らされる事になったとしても、それはわし一人の腹を斬って
万人を助けることになるのが、わからないか?
今回、わしが上洛しなければ間違いなく戦になるであろう。
秀吉がたとえ百万の軍勢で攻め寄せてきても、一合戦でなら討ち破ってやる自信はある。
…が、戦というものはそういう物ではない事は、皆もよく知っているではないか。
わし一人の決断の間違いで、多くの民百姓、諸侍を山野に野垂れ死にさせることになれば、
そのたたりこそ恐ろしい。
今回上洛すれば、間違って腹を切る事になっても、断行して戦をするより、わし一人の命で
多くの人の命が助けられる。その事理解できぬお前達ではあるまい。
だからこれ以上なんだかんだと申さず、わしを上洛させ多くの命を助ける手助けをせよ。」
この言葉に、忠次も屈した。
「…そのようにお考えであれば、もはや何もいいません。どうか、御上洛なさって下さい!」
家康はカラリと言った
「それでこそ、重臣の返事だ。」
三河物語に見える、家康、上洛決断についてのお話である。
974:人間七七四年
10/03/23 21:15:09 xl2qynza
作左「さて薪の準備でもするか、重臣として」
975:人間七七四年
10/03/23 22:34:32 Ge+Zn+/u
なんか芝居くさいな。家康と忠次の。
976:人間七七四年
10/03/23 22:44:32 03zdKkJh
三河物語だから嘘くさい。
977:人間七七四年
10/03/23 22:49:11 g+kg2ery
家康・忠次「こうでもしねーとめんどくさいんだよ!」
978:人間七七四年
10/03/23 23:04:59 r72qgerg
>>970
何か金の玉を砕くのを想像しちまった
979:人間七七四年
10/03/24 00:14:28 sGuRgWYh
そろそろ新スレたててみる
980:人間七七四年
10/03/24 10:23:38 aK1ag1IH
●あるからやってみる
981:人間七七四年
10/03/24 10:24:08 sGuRgWYh
昨日立てようとしたら鯖落ちしたので今やっと立てた。遅くなってすまん。
戦国ちょっといい話19
スレリンク(sengoku板)
ここ埋まったら移って下さい。
982:人間七七四年
10/03/24 10:25:16 aK1ag1IH
重複で建ててしまった
スマン
983:人間七七四年
10/03/24 10:27:06 sGuRgWYh
>>982
いや、こちらこそなにか言ってから建てるべきだった。スマン。
後に立った方は残っていれば再利用ということでどうか…
984:人間七七四年
10/03/24 11:19:57 3knLEu0D
重複スレも貯蓄して、大事に使いましょう
985:人間七七四年
10/03/24 11:27:09 1GoD+V02
使うなどとんでもない。
溜めるだけ溜めるのじゃ
986:人間七七四年
10/03/24 13:03:18 YPTlBRwQ
埋めがてらにプチネタ
三河に阿部淡路という人がいた。
この人は松平譜代の阿部正勝の兄弟とも子ともいわれる人で、
ある時から武者修行の旅に出ていたという。
その阿部淡路、永禄12年ごろ、武者修行の一環で奥州は大森に赴いていた。
当時大森を治めていたのは伊達実元である。
いったいどこから聞きつけたのか、阿部淡路はその伊達実元に召し出された。
実元「そのほうが阿部淡路か。武者修行をしておるそうな、天晴れ見上げた心意気である」
阿部「は、恐れ入ります」
実元「そこでだ、その天晴れなお主を見込んで頼みがある」
阿部「は、なんなりと」
実元「実は去年、わしに子ができてな。いやーもうかわいいのなんの」
阿部「はぁ」
実元「それでね、うちの子にはちゃんとした守り役をつけてやらないといけないなーと思ってね」
阿部「はぁ・・・え?」
実元「というわけで、うちの子をよろしくお願いします」
阿部「ええええええええ」
そんなこんなで、阿部淡路は当時2歳だった成実の守り役におさまり、
なんだかんだでそのまま仕官、阿部家はその後亘理伊達家に末永く仕えることになる。
もうちょっとハートフルな話があったのかもしれないが、それは伝わっていない。
そういえば輝宗も片倉景綱を「笛が上手かったから」で拾って政宗の守り役にした説話があったり
勢いで息子の守り役を決めちゃうのは伊達家の血なのだろうか・・・?
987:人間七七四年
10/03/24 13:47:39 zooLblaE
>>973
団体交渉、略して断交でつね。
>974
大政所ガチ涙目だから勘弁して……
988:人間七七四年
10/03/24 13:53:26 WTBHJbxq
>>987
大政所様のお体を気遣っての暖房だから、気にするな。
間違って火事になった場合は大目に見てくれ。
989:人間七七四年
10/03/24 14:10:02 XeCGHHrn
>>986
常識的に考えると、何かのつてがあって仕官した・・のか?
990:人間七七四年
10/03/24 15:02:33 rJu8Eq8V
>>985
接して漏らさずですねわかります
991:人間七七四年
10/03/24 15:30:53 bu1hzvDQ
つうか普通に仲介者が居るんだよ
大体は僧侶の紹介
992:人間七七四年
10/03/24 17:58:39 UPXJBA4x
「武者修行してます^^」って言っておかないと、「死ねェ間者ァ!」とか問答無用で殺されるからな。 戦国時代はまこと仏僧な時代でござる。
993:人間七七四年
10/03/24 18:00:04 wMJV9ME3
武者修行中って幟を立てて歩いてたんか?
994:大内義隆
10/03/24 18:25:27 y0PBMvAU
「僧侶がいい男を紹介してくれるとな!?」
995:人間七七四年
10/03/24 19:11:35 WTBHJbxq
>>993
比武招親?
996:人間七七四年
10/03/24 20:09:35 08kRNJAB
>>974
超時空太閤H「せっせと薪を積み上げて
まことに三河武士はいじらしいのう
そんな苦労をせぬようにわしが三河を火の海にしてやろう
;:;:;.
;:;:; ,、-ー-、 ど
;:;: ,r'"´ ̄`ヾ、 明 う
;:;:. リ ,,, ニ ,,,_ ヾト、 る だ
:;:;:;. ,ハ ^7 ,^ !.:.\ く
;:;:;: /.:.:.V,r''''''ゞyイ.:.:.:.:..ヽ な
;:;:. ノ.:!:.:.:.:`ゞ-<7.:〉.:.:.:i.:.:} ろ っ
从 __ _,,,/.:.:/:.:.:.:.:.:| }-{/i.:/.:.:.:.:|.:/ う た
从从三河}と_」.:/!.:.:.:.:.:.:.!  ̄ リ.:.:.:.:.:り ?
 ̄ ̄  ̄ |.:.:.:.:.:./_ :__ヽ.:.:.:.:\
\/.:.::..:.:.:.:.:.:..:\:.::./
/.:.:.:.:.:.:.「^Y.:.:.:.:.:.:|´
{.:.:.:.:.:.:.:.| ,!.:.:.:.:.:.:|
\.:.:.:.:.:.V.:.:.:.:.:.:.:|
\.:.:.::|.:.:.:.:.:.:.:!
> 'ゝ─‐イ、
`ー' ``''ー‐'
997:人間七七四年
10/03/24 20:13:27 5srNtm4H
三河w
998:人間七七四年
10/03/24 20:36:58 6hG+YHEt
>>996
追いつめられた三河武士が何をやるか、みせてやるわ
999:人間七七四年
10/03/24 20:41:00 3MXZgumC
追いつめられた三河武士「切腹するッ!!」
1000:人間七七四年
10/03/24 20:41:38 WTBHJbxq
脱糞
1001:1001
Over 1000 Thread
/ `ヽ、
ー┬―─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
---‐ヽ -' / 〃ィ ヾ'‐,--
/ | |iゝr;ァ--‐''" 〃/./ l | 戦国時代(仮)@2ch掲示板
./ | | ',ヾ゙ / / / / l URLリンク(hobby9.2ch.net)