10/03/19 18:23:58 9apt51Mc
成実の話か
成実が出奔した後、金須・石川・内ヶ崎・白根沢らは成実のもとを去り、伊達本家に仕えた。
一説によると、出奔後も羽田右馬助にのみたびたび書状が届き彼らにはないこと、
またそれをかさにきた羽田が専横を恣にするのに腹を立て、羽田を討つことを企てたのだという。
抵抗した羽田と羽田に同心する者30人ほどは悉く討ち取られ、角田は屋代景頼によって接収された。
この羽田討伐と角田接収に、前述の4人は積極的に関わっていたという。
さて、時は流れて伊達家は二代忠宗の世となった。
成実は隊将として白根沢を忠宗に推挙した。
忠宗は成実が昔のことにこだわりを見せないことに感じ入ったという。
その白根沢、かつて自分のしたことに恥じ入り、詫びるべく成実を訪ねた。
すると成実は薙刀を下げて出てくると、こう言ったという。
「お前を部将として殿に薦めたのは、公のことを考えてのものであって、
私としてお前を許したわけではない。二度と来るな」
そう叱りつけ、白根沢を追い返したという。
公私の区別はきっちり付けるタイプの、伊達の従兄弟殿のお話。