10/03/11 18:18:08 RXDaSmjk
>>597-599
わざわざトン
確認しました
格好良いよね鈴木さん
即身仏って酔った勢いで刺したら血が出てきてビビっちゃった奴だっけ?
記憶にあるけど即身仏で検索掛けてもヒットしないなぁ
601:人間七七四年
10/03/11 18:28:00 cJP5HbnX
>>599
悪い話11の776だな
602:人間七七四年
10/03/11 19:30:29 NBu00oDq
>>601
これこれ。ありがとう
まとめ見るとこれだけないね
何か理由があるのかな?
603:まとめ”管理”人
10/03/11 20:11:27 3N93qvxZ
>>601
>>602
すいません、こちらのミスでアップされていなかったようです。
今日の更新で上げて置きます。
604:人間七七四年
10/03/11 20:56:15 ty+fGFEj
>>594
水泳と乗馬もうまいからな
家康は戦国トライアスロン優勝できるんじゃね?
605:人間七七四年
10/03/11 21:04:42 OYHl4/x1
※但し、競技中の焼き味噌は御遠慮下さい。
606:人間七七四年
10/03/11 21:30:49 Wmo5Y20C
大イチョウは見ていた。
平成22年3月10日午前4時50分鶴岡八幡宮・・・・・
ドーーーーーン!!!!
こま犬A『ヒー何だ?何が起こったんだ?いきなり木が倒れてきたぞ!』
こま犬B『相棒大丈夫か?ん?あわわわわわ・・・・・』
こま犬A『相棒よ、ナニ口あけて固まっているんだよ。確かに俺たちこま犬だけどな。』
舞台『アンタなんかどうでもいいわよ!ご・・・ご神木が倒れているわ。』
そう、樹齢1000年、神奈川県指定天然記念物の大イチョウがついに倒壊をしてしまったのだ。
大イチョウ『皆の衆大丈夫か?騒がせてすまんのう。とうとうこの日が来るとはのう。』
舞台『ご神木様・・・大丈夫ですか?と言ってもこのお姿では・・・』
大イチョウ『舞台よ。傷はなかったかのう。綺麗なお前さんに傷を付けては参拝者に申し訳ないからのう。』
舞台『特には・・・それに傷が付いても『寄付でたて直し』と言う手段もありますわ。それよりご神木様のほうが・・』
大イチョウ『建て直しか・・・ワシの若い頃は・・・・戦国時代はここも酷いものじゃった・・・』
戦国時代:鶴岡八幡宮
宮司「頼朝公以来、武家の崇拝を受けてきた八幡様もまわりの戦乱でコレでは・・・」
禰宜「頼りもヘチマもございません。建て直しどころか、草刈りすら難しい財政です。」
そう、ご多分に漏れず『武家の守り神』鶴岡八幡宮も荒れ果てていた。
関東管領は今や鎌倉におらず。戦国の関東波及により荒れ果ててしまったのだ。
つまり、皆さん忙しかったんですな。
大イチョウ『確かにペンペン草しか生えていないほどの荒れ放題だなこりゃ。
鎌倉に幕府があったときは、25の僧坊を持ちたくさんの武士が参拝に来たのだが、
新田義貞がせめてきてからだんだんと衰えてきたもんなぁ。あれ?立派な武士が
こっちへ来るぞ?衣装の紋は・・・【三つウロコ】!北条家じゃないか!高時の時に
みんな討ち死にしたと思ったんだが?赤橋か名越の生き残りでもいたのか?帰ってきたのか?』
北条氏綱「伊勢宗瑞の子、北条氏綱である。宮司はどこか?」
宮司「はい。私にございます。」
氏綱「ずいぶん荒れておるのう。武家の守り神である八幡様を荒れ果てさせるとは嘆かわしい。
よろしい!私が社殿を寄進し、建て直そう!ワシの代から北条を名乗ったとは言え、
相模国を収めた我が家が直さなければ面目が立たん!」
大イチョウ『な~んだ。北条家の名前と家紋を利用しただけか。そういえば、建て直してくれるといっていたな。』
氏綱「ちなみに当家は伊勢氏であった。平家つながりで先の北条氏とは遠縁でもある!」
大イチョウ『ス・・・スミマセン』
607:人間七七四年
10/03/11 21:32:37 ObkkZwct
東はr
608:人間七七四年
10/03/11 21:34:50 PgNoOPgW
晴れたね|東原亜希オフィシャルブログ 『ひがしはらですが?』
URLリンク(ameblo.jp)
鎌倉の
鶴岡八幡宮に行ってきたよ~
(´―`)
609:人間七七四年
10/03/11 21:52:00 5mqbIz/a
おい冗談は止せ
610:人間七七四年
10/03/11 21:58:39 Wmo5Y20C
こうして、氏綱の号令の下、鶴岡八幡宮再建工事が進められることになった。
もちろん、天下の北条氏である。下手なものを作れば日本全国に恥をさらすことにもなりかねない。
宮司「北条家もずいぶん材料や職人を集めたがよく金がもつなぁ。」
禰宜「たしかに、小田原は豊かなところになったと聞いてはいましたが・・・」
氏綱も時折やってきて視察をしていたようである。
氏綱「当家の面子がかかっているからな。予算が足らなくなったら小田原に報告せよ。」
担当者「はい。現状では材木の手配、職人の手配も滞ってはおりません。」
氏綱「ケチなことは考えるな。良い物を使うようにせよ。」
担当者「はい。」
大イチョウ『こんなににぎわうのは久しぶりだな。』
こうして、戦国時代の鶴岡八幡宮再建工事は天文元年(1532)より天文9年(1540)まで
8年あまりの歳月をかけて行われ、完成した。
ちなみに、秀吉がやってきたときに修理を家康に命じた時の絵図面がこれ。
URLリンク(www.hachimangu.or.jp)
修理なので、そんなに違わないと思う。
こうして、再建工事は終了した。
氏綱「これで、面目も保てよう。これだけデカイものを独力で作ったのだから、
関東の連中も我が北条家に従うだろうて。それから宮司よ。困ったことがあったら
小田原に報告してくれ。すぐに必要なものは用立てよう。」
宮司「ありがとうございますぅぅぅぅぅ。」
氏綱「それから、この刀、奉納する。
(URLリンク(www.hachimangu.or.jp))」
大イチョウ『あ~、まぁ、理由なんてそんなものでしょうね。でも綺麗になった。』
平成22年鶴岡八幡宮
大イチョウ『後北条家はもういないが、あの時はうれしかったものだ。なんといっても
全部建て替えたのだから。徳川家斉の時の建て替えよりも条件が悪かったのじゃよ。』
舞台『そんなことが・・・』
大イチョウ『ところでワシはどうなるのか?イチョウの木って何に使われるものかのう。』
舞台『まな板とかに使われると聞いたことが、でも、標本になるか裁断されてお守りに
使われるかも知れないですわ。』
大イチョウ『まな板か、鎌倉には料理店が多いからなぁ。標本で宝物館や市役所で過ごすのも悪くはないが、
お守りで神社の営業の足しになるのもいいじゃろう、だが、商売繁盛は無理じゃな。』
舞台『?』
大イチョウ『「倒れた」では、シャレにもならんよ。』
みなさん、大イチョウを忘れんでください。
611:人間七七四年
10/03/11 22:05:03 Wmo5Y20C
>>606>>610をかいたものです。
いちおう、舞台は女性としてみてください。
今までと切り口を変えてみました。
ところでどうするんでしょうね、大イチョウ。
デカイだけに・・・・・
612:人間七七四年
10/03/11 22:06:33 NBu00oDq
>>603
なんだただの手違いか
いや、毎日毎日お疲れ様です…
>>610
絵面はわからないけど刀のアドレスはこれかな?
URLリンク(www.hachimangu.or.jp)
こういう行為って周辺大名や国人にどの程度効果があったのかなぁ?
613:人間七七四年
10/03/11 22:10:34 5K9XAPPc
絵図面はこれかな?
URLリンク(www.hachimangu.or.jp)
614:人間七七四年
10/03/11 22:18:52 BafoJxF3
昨夏に見てきたよ大銀杏。舞台では結婚式が執り行われてたw
まあ傾斜地に立って今まで無事だったのが不思議なのかもな。
現宮司の評判が…とか、デスブログ…とか、フラグらしきものもあるけど。
615:人間七七四年
10/03/11 22:28:52 IcDIAOX+
>>597
その左近さんだか右近さんだかは
自分が腹を切った刀を信之の位牌に捧げようとしたら
介錯人の何某が何を勘違いしたのか介錯を強行して
抵抗する左近だか右近さんだかを
組み伏せて押し切りに首を取ったとかなんとか・・・
616:人間七七四年
10/03/11 22:41:13 7Ur+Ny9P
右近さんだw
しかし抵抗してんのに強引に首を取ったのかよ
結局刀は捧げられなかったのかね…
617:人間七七四年
10/03/11 23:46:45 pUkEAmJI
>>611
再生出来ないかと試みている。(難しいっぽい
あと、若木が出てくるのを期待して根っこを保存。
更に枝からも若木を育てるそうな。
URLリンク(www.asahi.com)
618:人間七七四年
10/03/12 01:01:31 WtHcF13t
根っこまだ残してるんだ…
樹齢何百年~って樹は日本全国に珍しくないんだろうけど
歴史上の出来事と密接な関係のある樹はそんなに数がある訳でもないし
折れたと聞いた時はなんと勿体ないと思ったんで根っこだけでも残ってて嬉しいわ
しかしかえすがえすも惜しいなあ…
樹は自分の周囲環境の情報を完璧に保持してる、なんて話もあるから
もっと科学が進んで情報引き出せるようになったら歴史の証言者になれたかもしらんのにとか妄想してしまう
619:人間七七四年
10/03/12 04:49:32 KaJ7EOgh
前にテレビで太閤桜の遺伝子を元に作ったクローン太閤桜を
歳をとって枯れ出した桜の代わりに植えて後世に残すって計画がやってたけど
大銀杏もクローン大銀杏を境内のどっかに植えるとかするかもしれん
まあそれなりに様になるのに数百年もかかるだろうが
620:人間七七四年
10/03/12 05:35:50 I0W/0C/a
>>618
ひょっとしたら年輪の間に実朝公の血痕がついてたりせんかなー…… と妄想したことはありまふ
621:人間七七四年
10/03/12 06:32:27 hEWyB2pg
実朝公のクローン量産?
622:人間七七四年
10/03/12 09:52:24 SV4dZlrh
>>610
尼子経久なら、松明用の焚き木にして贈り物にするな。
623:人間七七四年
10/03/12 10:04:01 S79dd8En
この銀杏、研究すれば年輪から戦国の世の気省が解るんじゃないか?
当時は寒くて初夏に雪が降ったっていうし。
624:人間七七四年
10/03/12 12:28:29 nTyYy7FT
>>620
根っこの下から首が出てきたりして、なんて妄想したことはあるな
吾妻鏡には銀杏の陰に公暁が隠れてたなんて書いてなかった気がするけど
戦国時代末期にはもうこの銀杏も観光名所だったんだろうな
前田の家臣が鎌倉見物に行っちゃったなんていう話もあったし
625:人間七七四年
10/03/12 17:25:07 GLNx7NWK
結構知られている話かな?
石田正宗
三成の前田邸での襲撃事件後、三成は家康に保護される
そして家康の勧めにより彼の領国の佐和山に帰るのであった
その際、家康は次男の秀康を警護として同行させた
太閤の養子であり秀頼の義兄弟にもあたる秀康と三成は互いに好意を持っていたようであり、
別れの際に三成は世間の羨望である佩刀の五郎正宗を秀康に贈ったのであった
関ヶ原の合戦後、諸侯は幕府を憚り三成の名前を口にすることも恐れる風であったが、
秀康は贈られた刀を「石田正宗」と命名し生涯愛用したのであった
また、刀身に傷があるので「石田切込正宗」とも呼ばれている
因みに、この傷のせいで国宝には出来なく重要文化財止まりだとか
626:人間七七四年
10/03/12 17:31:48 A/8vzjn3
結城秀康は大谷吉継の敦賀正宗も所持してて羨ましい
627:人間七七四年
10/03/12 18:10:44 wdTkVIKp
>>625
既出じゃなかった?
傷があっても国宝にすればいいじゃない!って思っちゃうねw
勿体無い
628:人間七七四年
10/03/12 21:19:54 TsrSZ6ww
傷のせいで刀剣としての価値が下がっちゃったから国宝になれないのかな
629:人間七七四年
10/03/12 21:44:42 fYSkWgHC
国宝として生き長らえるより、実戦で使い潰される方が刀も本望だろう
630:人間七七四年
10/03/13 00:12:28 6gqn9/br
URLリンク(www.saga-s.co.jp)
名護屋陣跡 鍋島直茂の陣屋がふたつ?
このネタをうけて勝茂のいい話を書いてみよう。
『鍋島勝茂と刺客』
鍋島勝茂が白石に泊まったときのことである。
夜、みなが寝静まったころ、庭の方を観てみた。
すると、月明かりに照らされて、壁に人影が映りだしていた。
勝茂は脇差を手に取り、ひそかに起き出す。
そして、壁ぐるみで斬りつけた。
壁の向こう側にいたものは、大袈裟に肩からわき腹に掛けて両断されていた。
館に忍び込んだものの素性はわからなかった。
勝茂が手にした脇差は、加賀清光作のものである。
のちに試し切りをすると、三つ胴(死体を三つ重ねて斬り断つ)をしたという。
勝茂が刺客に襲われるとしたら、龍造寺家のものからだろうか。
631:人間七七四年
10/03/13 00:13:43 bk22E319
佐賀の松原川に、兵主部(ひょうすべ)という名の河童が住んでいた。
この河童は大変凶暴で、付近の子どもたちを次々と水に引きずり込み、近辺の人々は大変困っていた。
さて、その事を聞いて心を痛めたのは、佐賀藩初代、鍋島直茂である。
しかし直茂、この兵主部を捕らえるのではなく、取った方法は、呪殺。なんと仏神にこの河童を
呪い殺してくれるよう祈願した。
これに震え上がったのは兵主部である。すぐに直茂の前に現れ命乞いをし
「どうか私の彫刻を作ってください。そうすれば私は今までの罪の償いとして、この地域の子供達を水難から守ります。」
と言う。
直茂はそれを受け入れ、兵主部の像を作った。これ以後、松原川では子どもが河童に水に引き込まれることは無くなった、
とのことである。
ちなみにこの兵主部の像、今も松原神社の宝物として大切に安置されている。
そして毎年4月下旬になると、この事に由来した「ひゃあらんさん(佐賀弁で「入らない」の意)祭り」という祭礼が行われ、
水難事故の防止と稲作のための水が耐えないことを祈りつつ、松原神社の守り神「マツバライザーK」が
ヒーローショーを行うそうです。こんなの→ URLリンク(www.saga-s.co.jp)
お近くの方はこのお祭りに出向いて歴史に思いを馳せつつ、マツバライザーKを応援してみませんか?
632:人間七七四年
10/03/13 00:16:41 7A7eduuR
仮面ライダーのパチもんっぽいなあw
633:人間七七四年
10/03/13 00:31:55 MXXCpvx6
鍋島話が一気に二つもとは
こういう化け物を伏させて災害から守る神様に、っていうのはよくある話なんかな
佐賀平野はクリークってか水路が縦横無尽だし、水難も多かっただろうからこういう話も生まれたのかね
634:人間七七四年
10/03/13 00:49:09 Ep9Ux48T
初代藩主は直茂、勝茂どっちなん?
635:人間七七四年
10/03/13 00:56:48 v3bIXaM7
佐賀藩は高房が死ぬまでは一応名目上は竜造寺家なんじゃないの?
wikiには1613年に勝茂に領地安堵の沙汰が出たと書いてあるから、どちらにしろ初代藩主は勝茂
ただし「藩祖」は鍋島直茂
徳島藩の藩祖は家政だけど、初代藩主は至鎮
みたいなもんじゃない?
636:人間七七四年
10/03/13 01:14:59 Ep9Ux48T
ややこしいのう・・・
つか、まとめ管理人いつの間にか小田さんになっとるしw
637:人間七七四年
10/03/13 01:55:29 ms21nn16
蜂須賀さんちはめんどくさくて、関ヶ原で決着つく前に出家した家政でなく、東軍に付いた至鎮が
初代藩主なんだけど、かわりに家政は「藩祖」といい、蜂須賀正勝を「家祖」というらしい
638:人間七七四年
10/03/13 01:59:25 wYQ/L7iM
まぁ、上杉も藩祖は謙信だったりするからなぁ
639:人間七七四年
10/03/13 02:09:59 zqBiJj38
そういえば佐竹氏の藩祖は新羅三郎って聞いたことがある
鬼義重ならまだ分かるんだけどな
640:人間七七四年
10/03/13 02:27:10 MXXCpvx6
佐賀藩は魏の曹操と曹ヒみたいな感じと思えば
641:人間七七四年
10/03/13 02:34:22 PVo7wvRz
実質の始祖と形式上の始祖を両方とも立てるための折衷案だったのかね
642:人間七七四年
10/03/13 03:57:48 e8FHkPCO
>>633
治水伝説の類型としてはよくあるパターンだね。
こないだの、黒姫の尻にしかれた黒龍もその一種にあたる。
人間がいかに神をコントロール化におくか、という。
643:人間七七四年
10/03/13 04:35:44 e8FHkPCO
ある民俗学者は「河童は弱い。そこらへんの農民と相撲を取って負けたりする。
たまに恩返しをするかと思えば持ってくるものが魚である。しょうもねえ。
雀の子だって大きいつづらと小さいつづらを持ってくる。どんだけ卑しい生き物だ」
なんてことを書いているのだが、中にはね、ヘタレでもヤンデレでもない河童もいる。
柳田國男に見る戦国時代
「井上元重と百人力の河童」
時は天文3(1534)年8月、梟雄毛利元就とその一党が、安芸の吉田に本拠を構えていた頃のこと。
吉田川の釜淵と呼ばれる水底に、淵猿<フチザル>と呼ばれる恐るべき大河童があり、人々に恐れられていた。
百人力の怪力をもって人馬を襲い食らう、正真正銘のモンスターであった。
これを退治してくれんと名乗りを上げたのが、毛利家の武人・井上元重、通称荒源三郎である。
源三郎は何の策略も工夫もなく、百人力の淵猿にいきなりガチンコの肉体勝負を挑んだ。
実は源三郎は源三郎で、七十人力であった。それは人類ではないと思うのだが、そういう設定なので仕方がない。
化け物同士の肉弾戦は長く長く続いた。しかし、最後に勝負を制したのは陸に住んでるほうの怪物であった。
淵猿の首を掴んで全力で振り回したところ、頭の皿に溜まっていた水が流れ落ち、淵猿は百人力を失ったのである。
こうして吉田川の淵猿は退治された。
そして、この話はここでばっさりと終わり、何の説話的オチもつかない。
百人力の淵猿は人語を解さなかった。解せるのだとしても、話さなかった。
彼は人に許しを請わず、取引を持ちかけず、起請文を書かず、手繋ぎの秘法を伝授もせず、
ただ化け物として戦い、ただ化け物として人に滅ぼされたのである。
なお、七十人力の源三郎は、天文19(1550)年の元就による井上一族粛清のとき、一族郎党といっしょくたに殺害された。
やっぱり人間が一番怖い。
644:人間七七四年
10/03/13 04:54:39 TlFKPjtD
なんとも救いのない話だな。。
七十人力の源三郎・・・・頭の中に山のフドウが出てきた。
645:人間七七四年
10/03/13 06:44:49 UNKRLSjy
この話で河童が川の象徴だとすると治水に成功した井上元重をたたえてる話ってことかな
646:人間七七四年
10/03/13 08:44:55 KFtrYBKR
ヤマタノオロチもそうだけど、この手の話はストレートに書けないから暗喩になるの?
普通に治水しましたではだめなのかなぁ
647:人間七七四年
10/03/13 10:47:50 UQFkL2cO
暴れ河の恐ろしさが伝わらないんだろうなあ。
藩の○祖については中国の王朝、元とかと同じ使い方だろうね。
648:人間七七四年
10/03/13 10:56:04 v3bIXaM7
如水さんとか幽斎さんとかは藩祖扱いされてるの?
649:人間七七四年
10/03/13 11:14:39 dKCFsgpZ
治水というよりは、治水技術系の山の民?ってつい考えてしまう
今で言う技術=超能力だった時代はわりと長いかも
ガテン技術で農業用の溜め池を作りまくったり、天文知識で暦を立てたり
するのが、普通の人からは「あいつら普通の人間じゃねー(良い意味で)」
に見えたとか
で、理屈を知って「なーんだ俺にも出来るんじゃん」が一般的になると
尊敬度が地の底まで落ちて「あいつら(略)(悪い意味で)」と・・・
650:バロン曽志崎
10/03/13 11:41:45 nDXLIuwe
>>552
島兵入=島津兵庫頭入道=義弘だよ。
津小平は多分、津田小平次=秀政。
651:人間七七四年
10/03/13 12:07:25 2jGU1g46
暦作るだけで魔法使いのような扱いを受ける陰陽師
652:人間七七四年
10/03/13 12:44:58 UQFkL2cO
うちの地方では、江戸時代に灌漑用水路をひいた大畑才蔵ってひとが尊敬されている。
戦国とはほとんど関係ないけど…
URLリンク(www.hashimoto-kanko.com)
河童の説話は全くないね。人魚のミイラと言うあやしげなブツが伝わっているだけ。
653:人間七七四年
10/03/13 12:56:46 VZt8HzJn
麿作りたいな
654:人間七七四年
10/03/13 17:48:23 T+EzUc+0
暦をつくるってのは、季節や時間、農事、祭事を支配することにつながるからね
長く朝廷の特権だったのはそういうことで
>>643
これは治水とかよりも、本当に化物退治って筋だよな
655:人間七七四年
10/03/13 18:35:20 PVo7wvRz
スサノオとかみたいに知恵を使った描写がなく源三郎が七十人力だとか言って
真っ向勝負で勝ってるあたり治水伝説とかじゃなくて
源三郎が化け物に勝てるぐらい強いってただの逸話な気もするね
虎退治みたいなもんでしょ
656:人間七七四年
10/03/13 18:51:52 9ZG04fLB
岩手県の奥州市辺りは伊達家臣の切支丹技術者であった後藤寿庵が治水したはずだけど、その手の話しはあまり目立たないなあ。
遠野に全部取られたのかな?w
657:人間七七四年
10/03/13 19:14:19 dKCFsgpZ
>>656
「ばてれんのワザ」を迂闊に語るわけに行かなかったんじゃないかな・・
あと鉄砲みたいに、理屈は良く解んないけど何かそういう人為的な
仕組みなんだろう的な把握の仕方だったかも?
658:人間七七四年
10/03/13 20:54:02 FLJ/Fef4
>>643
ウォーズマン理論だな。回転力×2で七十人力が百四十人力に!
659:人間七七四年
10/03/14 01:37:05 H+rGrAMc
>>649
そういえば、剣術使いはかつて飯綱(妖怪)使いなんて呼ばれていたよな。
660:人間七七四年
10/03/14 01:46:50 gIaXg5e+
>>659
戦国時代でも「飯綱使い」はマジシャンや曲芸師と言った意味合いが強いと思う。
661:人間七七四年
10/03/14 11:06:36 n6ZIxrH6
御恩と奉公、曲げない信念
ついに武田勝頼も討たれ400年有余年の歴史を誇る武田家は滅びた。
甲斐国の国中地方では織田家による武田残党狩りが熾烈を極めるが
その渦中を堅忍不抜で生き抜いた、武田遺臣小泉某と言う者がいた
耐え難きを耐え忍び難きを忍んだ甲斐あってか
本能寺の変が起きたので甲斐国の国人一揆に参加し
河尻秀隆を逆さ埋葬にして暫しの溜飲を下げたものの
続いて徳川と北条の天正壬午の乱が起こり、と世相は目まぐるしく変化し
願う武田家の再興の時は訪れずなかった。
感状や家の由緒書きを持って嬉しそうに徳川家に駆け込む者達を尻目に
「少領ながらも武田の禄を食み短期ながらも仕えたからには二君に仕えぬ!
帰農していつか武田家が再興する時を待つのだ、いつまでも!
でも徳川に拾ってもらえなかった連中と一緒に帰農したと近隣に噂されると
恥ずかしいし…」と言って壁の槍掛けに自分の槍を掛けたのだ。
そして「子々孫々に至るまで、この槍を槍掛けから外す時は
武田家のために起つ時だけぞ!いいな、外すんじゃないぞ、絶対にだぞ!」
と言ったそうな。
子孫もこの教えを守りどうにかこうにか時は吹き過ぎて400有余年
今もこの家の壁の槍掛けには槍が掛けられている…が!
余りにも忠実に教えを守りすぎたためか
掛けられて外される事のなかった槍の柄は撓んでしまっているのだw
信念は曲がっていなかったが槍の柄は曲がってしまったと言うお話
662:人間七七四年
10/03/14 11:20:07 xmcBUQta
先祖も立派だが守ってきた子孫がすごいねw
大イチョウだって年月とともに倒れるんだし仕方ない
663:人間七七四年
10/03/14 11:28:35 wPAa2V+/
しれっとときメモを混ぜるなw
664:人間七七四年
10/03/14 13:29:52 T5fWAAOp
ザビエルが洗礼を施した日本人の中に、ロレンソと呼ばれる者が居た。
彼は片目が完全に見えず、もう片方もほとんど見えなかった。
ほぼ盲目と言って良い彼は、琵琶法師として平家物語等を語り、日本の古事に通じていた。
彼は改宗後、ひたすらキリスト教を布教する事が自分に与えられた指名と考え、ポルトガル語を学び、
宣教師達の通訳として、自らも日本人への宣教師として、ザビエルの後を継いだトーレスの右腕と言う
べき存在となっていた。
イエズス会の布教記録である「日本史」を書いたフロイスはこう記述する。
「彼は大層高い学識のある僧侶と討論したが、デウスの御好意によって一度も負けたことはなかった」
「彼は自分に答えられない問いがあった場合、機転を利かせてこう言った『貴方達が尋ねられた事に私
が答えるのはたやすい事です。ですが、貴方達にそれを言って理解出来るかどうか……今日の所は私が
答えただけの知識で我慢なされよ。また後日、神の導きがあれば、その問いに答える機会もあるでしょ
う』と。そしてその夜、司祭トーレスに、『その問い』について尋ね、後日に備えたのである」
このような人であったから街に出て、彼の面相について嘲笑う人も多かったが、彼の説教を聴けば誰も
が彼の言葉に心を動かされたのである。
……いや、皆突っ込みたいところはわかる。(^^;
だが、フロイスはこれを「良い話」として記述して、ロレンソを「知識と知恵と人格とを兼ね備えた素
晴らしい人物」として記述しているんだ。
なんつーか、これを良い話としてしまう辺りがフロイスのフロイスたる所以なのかなぁ、と思う。
まぁ、明らかに悪い話なんだが、フロイスさんが「良い話じゃないかっ!!」と言い張っているので良
い話スレに。
「僧侶の嘘を方便と言う」はキリスト教でも通用するらしいロレンソさんのお話でした。
665:人間七七四年
10/03/14 17:01:13 Jb6WgSb+
昔、大河で稲川淳二が演じていたのを思い出す。
666:人間七七四年
10/03/14 18:44:36 DIlfpnym
ホジャ物語に似たような話があったな
667:人間七七四年
10/03/14 20:15:56 zU55HvWs
宗教を信仰してる人間にとっては価値観の根幹を成してるんだからそんなもんでそ
キリストの釘が盗まれた時あれが無くなる位ならフランスの栄えてる都市が滅んだ方がマシって言った
「敬虔で高潔なフランス国王」も居るし理屈や道理も神や仏の為のもの
668:人間七七四年
10/03/14 20:37:13 4rhY/BKI
ある時家康のもとに福島正則の家老たちがやってきた。
彼らが帰って行ったあと家康はその場にいた年若い小姓が笑っていることに気が付いた。
家康が何がおかしいのかと聞くと小姓は
「福島家の方々は皆片目であったり指がなかったりと
体が欠けているのがおかしくて笑いました。」と答えた。
これを聞いた家康は「福島家の家老たちは皆歴戦の勇士だから体が欠けているのだ。
むやみに笑うものではない。」と小姓を叱りつけた。
669:人間七七四年
10/03/14 20:47:41 uZ9ZbE5Q
>>668
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
670:人間七七四年
10/03/14 20:49:47 aAuUJVVA
だよね(●ω・`)
671:人間七七四年
10/03/14 21:00:38 QvQpE8xh
いつ見ても家老の見た目がファルコとシュウで想像される
672:人間七七四年
10/03/14 21:20:02 DIlfpnym
だが、それがいい
673:人間七七四年
10/03/14 21:26:56 OFmf2Crh
>>615
笑っちゃった…
674:人間七七四年
10/03/14 21:39:15 uqLx0H0A
>>664
どちりいなだったかな、こんな項目あってさ、
(・∀・)ノ 「先生ー、神が天地創造したとか、キリストが死んで復活したとか、
見たことも無いことをどうやって信じたらいいんですかー?」
(´・ω・`) 「そりゃあね、神様が言ったことだから、見たことなくても
信じなくていいってことじゃないんだよ。
神様のお告げなんだから、目で見るより確かなことなんだよ」
(・∀・) ノ「じゃあ先生、その神様のお告げって誰が聞いたのー?」
(´・ω・`) 「聖なる教会がそう言ったんだよ。教会ってのは精霊が治めてる聖なる場所だから、
それについてちょっとでも疑ったり迷ったりするのは厳禁なんだよ」
当時の宣教師のゴリ押…苦労した様子が垣間見えるよね!
675:人間七七四年
10/03/14 21:49:46 3LuqiqZk
宣教師はエリートだから、神学についてもエキスパートだったと思うよ
でもそれをまともに聞く民衆はいやしない
「南無阿弥陀仏で救われる」のほうが救済になる場合もあるさ
676:人間七七四年
10/03/14 22:16:37 gIaXg5e+
>>675
ところがどっこいフロイスの書簡によると
『当地(京)の人々は己の宗旨に甚だ詳しく、学問も深いので、田舎の人であろうとも
キリシタンになるために来たと自ら言うものは未だかつて無く、彼らが通常目的としているのは
ただひたすら聴聞することである。
彼らの宗旨(仏教諸派)の欺瞞と福音(キリスト教)の真理を説くと、彼らは疑問を呈し、
もしその疑問に対する答えが満足の行くものであれば、そこではじめて洗礼を受けるのである。』
677:人間七七四年
10/03/14 22:26:34 e21yuBX3
化け物と異教徒は殴って良いんだよ
678:人間七七四年
10/03/14 22:42:57 lRBMqJUJ
殿が馬鹿なこと言い出したぞー道雪さん呼んでこーい
679:人間七七四年
10/03/14 22:52:12 uqLx0H0A
右近「呼んだ?」
680:人間七七四年
10/03/14 23:19:23 k0wrJb3F
日本人はなにげに神学論争に理詰めで反論してくるのが好きだし上手いんで
扱いが難しいってヴァリニャーノが言ってたな
681:人間七七四年
10/03/14 23:20:48 k0wrJb3F
ゴアとかにも滞在してるヴァリニャーノがそう言うのだから
少なくとも16世紀当時、アジア全域の中でも、
日本人はやたら神学に食って掛かるのが好きな連中だったってことだ
682:人間七七四年
10/03/14 23:25:28 jxPrRoQS
日蓮宗の連中が頑張ったからかなぁ・・w
683:人間七七四年
10/03/14 23:44:34 b0y9jcNS
キリスト教しらないで死んだ爺さんは地獄いってるのか?って話ならここでみたな
日本人って農民レベルでも頭いいのかしら
684:人間七七四年
10/03/14 23:51:34 6mzsZB9K
疑り深いだけじゃね?
685:人間七七四年
10/03/14 23:57:55 zDqCbpdJ
仏教思想が庶民にまで広まってたってことなのかね。
686:人間七七四年
10/03/15 00:01:22 kyM/zk1h
キリスト教じゃないと地獄行き→じゃあキリスト教を知らずに逝ったあの人はどうなるの?
って疑問は世界中でぶつけられたと思う。
煉獄やら辺獄やらの概念があるくらいだし。
687:人間七七四年
10/03/15 00:06:02 YPg26G7q
そんなにすごい神様のことがなんであんた達がわざわざくるまで日本に伝わってこなかったの?
神様の力で来てればいいのにー、(・∀・)って突っ込まれて宣教師涙目てエピが「ローマ人の物語」に載ってたな。
ご先祖様たち無垢でひどいww
688:人間七七四年
10/03/15 00:10:39 iXO98Ftw
多分この世とあの世の狭間に何個ものゲートがあるんだよ。
で、そこで担当者が「はい、君達は何教?ああ、キリスト?じゃあこっちの門で、仏教のあんたはこっちな。
おいおい、あんたはゾロアスター教で善の側に付いてんだろ?ならこっちだ」
って感じで。
689:人間七七四年
10/03/15 00:12:12 nnpuJE9g
ある日、外国から変わった顔つきをした連中たちがやってきて
「実はお前らが今まで信じてた神や仏は偽物なのだ!」とか触れまわってるんだから
下手したら狂人や妖怪の類みたいに見られてたかもしれんぞ
それを乗り越えた宗教が巨大な勢力になれるんだろうけど
690:人間七七四年
10/03/15 00:12:35 2C8Pe3zK
>>687
あれだ
あんまり雰囲気に流されるタイプじゃなかったんだよご先祖様
デフォがリアリスト
691:人間七七四年
10/03/15 00:16:12 Hxge/Zau
乱世で、いつ死ぬかどうやって食って行くかで
必死だったろうし、夢見がちじゃやって行けないよな
692:人間七七四年
10/03/15 00:18:16 o2QoDA9Q
九州の農民って本土に比べて結構悲惨なんだっけ?
東北よりマシかな
意外と中国地方はそこそこ豊かな印象が
693:人間七七四年
10/03/15 00:18:18 v8suGHnw
戦国期キリスト教が広まる上で尤も有効だったのは、「十字架を付けると銃弾が当たらなくなる」
という、弾除けのご利益だったらしい。
694:人間七七四年
10/03/15 00:21:12 2C8Pe3zK
仏に遇うては仏を殺し、な禅宗と
神への疑いは何があっても許さん、な一神教じゃ水と油だよね
695:人間七七四年
10/03/15 00:26:30 o2QoDA9Q
禅宗はどっちかっつーと宗教より古代ギリシアとかの哲学だろw
知識人の嗜みって感じ
あの時代藤原惺窩みたいなまっとー?な学問が広まってなかったから
それの代わりやってた
696:人間七七四年
10/03/15 00:35:01 gnftt/y3
宗教と哲学を分離した西洋と違いアジアでは実践出来ない思想は価値がないとされる
おかげでどんな無茶な思想でも実践する羽目に
ジャイナ教なんて殺生を忌むあまり肉どころか野菜も取らず
乳製品が主で水も沸騰させず(水中の生物を殺さないため)に飲む
頭の中で殺意を持つのも禁止、果ては最終的に餓死する事を至上として実際実践してる
実践が求められる時点で禅も宗教
697:人間七七四年
10/03/15 00:37:13 5jtjXlaI
スレ違い
698:人間七七四年
10/03/15 01:08:56 mC5R+0cP
以前ちらっと出てた水軍の方の加藤さんとよくできた嫁さんと松山城の話
関ヶ原の功績を認められて、20万石に加増された加藤さんは勝山山頂に張り切ってお城を建てることにします
その際、その地を「松山」と改め、愛媛の城下町として発展していくことになります
この松山城、20万石の城としては立派しすぎるほどのもので完成までに25年もの歳月を要しております
そして、この城を作る時に活躍したのが「おたたさん」と呼ばれる女性の人たちです
頭の上に御用櫃(ごろびつ)と呼ばれる桶を乗せて魚を売り歩く女性たちです
この女性たちの評判を聞きつけた加藤さんは築城に用いる石礫を運ぶ仕事を頼んだのです
ここでの功績が認められ、おたたさんたちは浄化のみならず城門での商売の許可をもらえました
そんな感じで老若男女総出といった感じで行われた築城作業
藩主の奥方とて黙って完成を待っているわけにはいきません
加藤嘉明の正室は家臣の堀部市右衛門の娘でお万の方というのですが、
何でも彼女は朝から場内で炊き出しを行い、おにぎりを握っておたたさんを始めとする
現場の皆さんに笑顔で給仕をしたそうです
しかし、そんな松山城完成間近になって、加藤さんの宿敵(?)藤堂さんのお節介によって、
会津に加増転封されることになり、後年あの騒動が起きて加藤家は改易され、
近江水口藩とひっそりと続いていくことになります
それにしても、なんでこんな地味ながら堅実な父親と働き者でよくできた母親から
あんな四天王に引けを取らない大物DQNが生まれたのか不思議で仕方がありません
幼少時に父親を亡くして親族間や家臣団の争いに巻き込まれたとか、
辛辣なことに定評のある家臣団にガミガミ言われて育ったとか言うわけでもなさそうなのに
699:人間七七四年
10/03/15 02:11:04 OF+ssng7
>>692
豊後は宗麟の治政自体は意外と良かったらしいんだがな。
(寺社に対しては極端だがw)
700:人間七七四年
10/03/15 05:04:15 6CX284hz
>>698
勉強になりますなぁ
701:人間七七四年
10/03/15 10:02:26 2C8Pe3zK
人として至極真っ当な両親でも
親として育児をしくじるのは古今東西よくある話すぎて泣ける
お傅り役or乳母が隠れDQNだったとかかもしれんが
702:人間七七四年
10/03/15 10:55:11 oZuIt8Eu
そろそろ戦国お嫁さんナンバーワン決定戦が
開けるくらいお嫁さんの逸話が集まってるな。
703:人間七七四年
10/03/15 13:17:14 JSnSmE3i
>>702
小松殿がアップを始めました。
704:人間七七四年
10/03/15 13:18:17 CHR495B2
義姫だろjk
705:人間七七四年
10/03/15 14:33:14 KV+WWKmE
>>703-704
三斎「新しい植木屋というのはそちらか? 大儀じゃのう
ところで刀でも見て行かぬか? 三十六歌仙と言うのだが」
706:人間七七四年
10/03/15 14:41:38 ix0++uNl
>>702
ワシのために各大名の嫁を集合させようとは天晴れである。
天竺入りの先鋒を命じよう
707:人間七七四年
10/03/15 15:05:41 nkeqbpPa
>>706
殿下、私は先鋒からお外しになるのですか……。
ところでせっかく伺候したのですし、北政所様にお会いしたいのですが。
708:人間七七四年
10/03/15 15:33:33 bPaO9iVd
>>698
>おたたさんたちは浄化のみならず
すまん、「リフレーッシュ!」と言って綺麗になるおたたさんを思い描いてしまった。
本当にすまん。
709:人間七七四年
10/03/15 18:01:49 lzSqMiVn
ちょっといい話スレなのにピリピリした空気が・・・
710:人間七七四年
10/03/15 18:13:31 Rf+kp5lm
植民地支配を前提にしたキリスト教なんて神を語った詐欺師です(当時)
支配からの解放のために戦った一揆百姓の方が高潔です
711:人間七七四年
10/03/15 18:44:45 4grddgfv
支配からの解放つったってなぁ
指導者層は国人だったりする訳で
百姓の方だって正直武装農民だから、原始的な武士集団と変わらんよ
712:人間七七四年
10/03/15 19:02:20 Bodh1Y6z
前田慶次と安田能元がらみの逸話
■慶次白ける
ある日、安田の使者がやって来ることを聞いた慶次は、小姓に
「使者には菓子に焼き米を出すように」と言いつけた。
小姓は言われたとおりに焼き米を食べさせた。使者は黙々と口に
運んでいた。
慶次は障子の向こうに隠れ、突然障子を開けて「安田の使者か!」
と叫ぶ考えだった。驚いた使者がのどに詰まらせ、むせ返るのを
おもしろがろうという魂胆だった。
ガサッ
障子をあけ、「安田の使者か!!」と叫んだ慶次。
これに対して使者は全く動じず、悠然と焼き米をのみこんだ後、
顔を整え両手をついて「左様でございます」とあいさつし、主に
託された口上を述べた。
慶次はいたずらが失敗し、白けた顔で口上を聞いた。
『米沢地名選』
713:人間七七四年
10/03/15 19:03:48 +CqeFQfL
お茶目だなぁw
なんかかわいいぞ
714:人間七七四年
10/03/15 19:06:56 FknWJ1Js
使者(明かり障子の向こうに巨大な人影が丸見えだけど、知らんぷりしとくべきなのかな…)
715:人間七七四年
10/03/15 19:13:48 Bodh1Y6z
■奇矯な歓待
慶次が米沢の外れの堂森にすんだ時の話だ。
安田ら数人の友人が慶次に呼ばれて堂森へ来ると、遠くから
石つぶてが飛んできた。何事かと見ると慶次である。
「諸君をもてなそうと、鳥を捕まえようとしている。捕まえたら
戻るので、諸君は私の草庵に先にあがって休息するといい」
一同は「また慶次のいたずらか」と笑って草庵へ向かった。
ところが、草庵には全くもてなしの準備がされていない。
しばらく待っても慶次は戻らない。一同は
「また慶次にだまされた。こんなとこにいても時間の無駄だ」
と憤慨して、草庵を出た。城下へ戻る途中、慶次に出くわした。
慶次は平然として「待ちくたびれたのか。それは気の毒だ」と
へらへらしてる。「鳥も全然こないし、君たちの不興も買って
しまった。どうしようか・・とりあえず戻ろう」と、一同に草
庵へ戻るよう促した。
一同は、ここまで来て何もしないよりはましか―と慶次にした
がった。慶次は遠回りの道で草庵へ向かった。すると、行く先で
酒宴をしている輩がいる。見ると、女たちが物見遊山をしていた。
慶次はこれを怒鳴りつけた「誰の許可でここで酒宴をしてるんだ!」
その怒鳴り声に、女たちはあわてて逃げだした。
慶次はまた平然として「これは草庵で出そうと思っていたのより
上ものだ。ここで飲み食いしよう」と言い放った。
安田たちも腹をすかせていたので、すぐさま酒肴に飛びついた。
実はこれはすべて慶次の用意したもの。普通のもてなしではつまらない
からと、趣向を凝らしたのだった。 『鶴城叢談』
じらしプレイですな
716:人間七七四年
10/03/15 19:39:07 SUsQ+hoU
なんか慶次ってマサルさんみたいだな 戦国セクシーコマンドー部
717:人間七七四年
10/03/15 19:43:51 Oh8TdMn0
キレて絶交せず、ちゃんと付き合ってくれる友人たちすごい…
718:人間七七四年
10/03/15 20:10:17 4grddgfv
安田能元なんて、単独の逸話はいっつもキレてるのばっかりなのに
慶二が絡むと全然怒らんよなw
719:人間七七四年
10/03/15 20:24:59 def8ozpT
慶次の言う通りにして騙されても
「これで終わりな訳がない、今度は何をしてくるつもりやら」
ってな感じなんだろうなw
720:人間七七四年
10/03/15 20:50:16 jlUTefiN
三河武士とは違った面倒くささがあるな
721:人間七七四年
10/03/15 20:51:42 FF9cQMqm
安田は新発田攻めで足が不自由になって「びっこ能元」と呼ばれた
猛将だが、信長の野望ではなぜか戦闘より政治向き。
722:人間七七四年
10/03/15 20:56:27 iXO98Ftw
>>719
60とかそれくらいの爺さんがしょーもない事を喜々としてやってんだからなw
723:人間七七四年
10/03/15 21:00:11 4olI0wnn
だがそれがいい
724:人間七七四年
10/03/15 21:03:22 I3QMmmTP
戦国のガキの使いみたいだな まっちゃん慶次 浜ちゃん安田
725:人間七七四年
10/03/15 21:24:01 LBQi5iz9
笑ってはいけない上杉家
726:人間七七四年
10/03/15 21:28:05 izTzGpGw
秀吉の前ですらおちゃらけるのに
景勝の一睨みにはメチャクチャ弱い慶次
どんだけ威厳があるのかとw
727:人間七七四年
10/03/15 21:57:45 pssC65By
生涯通して一度しか笑わなかった男の威厳って凄まじそうだな>景勝
今の時代にそんな凄い人はいないよねえ
728:人間七七四年
10/03/15 22:09:47 rHTtFp6S
屁をしてはいけない大名家があったよな
たしか屁をして殺されるって奴
729:人間七七四年
10/03/15 22:14:46 iXO98Ftw
千葉さんの事かー!
……って、あれは屁を咎めたら殺されたんだったか。
730:人間七七四年
10/03/15 22:20:29 rHTtFp6S
>>729
思い出しました
逆でしたな
731:人間七七四年
10/03/15 22:25:03 FF9cQMqm
そんな恐い景勝の大坂の陣エピ
①合戦中、近習たちが竹束に隠れて戦闘の様子を眺めていた。
そこに景勝がやってくると、近習たちは竹束の向こうに隠れて
景勝から身を隠し、敵にその身をさらした。部下たちは敵の銃弾より
景勝を恐れていた。
②鴫野の戦いは大坂冬の陣一の激戦となり、家康は陣替えのため景勝へ
使者を送った。「負傷兵も多くでていることであろう。堀尾忠晴の軍
と交替してはどうか」。家康の命令で、堀尾は兵を率いてかけつけた。
ところが、景勝は持ち場を代わる様子を見せない。
「え・・ええと・・」。先輩大名に困った堀尾の注進を受け、家康は
再度景勝に使者を送った。これに景勝は激怒。
「大将は戦場にあっては君命を受けないこともある。朝から激戦を繰
り広げて取り仕切ってきた場所を、そう簡単によその者に譲って退く
ことなどできない」と家康の命令を拒否した。
③家康と秀忠が景勝の武功を称えた。
「鴫野の戦いではそのほうの家中に苦労をかけたな」
これに景勝は無表情で
「子供同士の戦いのようなもので、別段骨が折れることもありません」
732:人間七七四年
10/03/15 22:53:48 izTzGpGw
冬の陣では、まず豊臣方の守備兵を蹴散らして、援軍にやってきた倍の敵兵をガチンコで破った上に
崩れかかる佐竹勢を助けたりしてるからな
まさに上杉無双状態と言っても過言ではないんだが
何故かあまりクローズアップされないんだよな
733:人間七七四年
10/03/15 23:07:09 mC5R+0cP
だって、大坂の陣て徳川方の歴戦の猛将たちは、江戸城で昔話してたり、
秀忠の周りで「ご存じないのですか!?彼こそ毛利壱岐守が一子、勝永ちゃんです!」とかやってて、
高虎とか景勝とか政宗くらいしかまともに戦ってないんじゃないの?(政宗はまともでもない気がするが)
四天王もみんな代変わりしてるしさ
734:人間七七四年
10/03/15 23:08:32 489IWxo5
(神保隊を)踏み潰せッ
735:人間七七四年
10/03/15 23:11:28 kyM/zk1h
御館の乱で重鎮が没落→上田衆を中心に若手が台頭
主要武将の平均年齢が他家より低かったので
大阪では結果的にベテラン揃いに、だっけ?
736:人間七七四年
10/03/15 23:11:29 PRQg3e4J
戦国時代の武将って、今の主婦みたいだよねw
なんつーか、女々しいww
737:人間七七四年
10/03/15 23:13:36 bzFtr2Hn
大坂の陣時の井伊の赤備えは家康に兎や角言われているが、若江の戦いで
積極果敢な突撃をして木村重成を大破して藤堂高虎を救っている
738:人間七七四年
10/03/15 23:21:43 CSoXGzu/
井伊の場合は、姉川の戦いで磯野に率いられて織田の陣を突破しまくり、
関ヶ原の戦いでは石田を支えて孤軍奮闘した精鋭集団「佐和山衆」を、
彦根移封後に吸収してパワーアップしているからね。
739:人間七七四年
10/03/15 23:22:55 mC5R+0cP
直孝は父親の武功が半端ないから仕方ない
740:人間七七四年
10/03/15 23:29:33 kX3w2/ir
>>733
立花宗茂が一生懸命護衛してたじゃないですか・・・
敵勢が強いから下がりましょうって提案したり
ちょっくら交戦してきますって蹴散らしてきたり
やっとこさ秀忠も陣を下げようとしたら、
もう勢いがないから下げなくていいです。下げたら士気が下がりますんでと納得させたり
自分で家康に報告に行ったり・・・
おかげで柳川に帰れましたよ
741:人間七七四年
10/03/15 23:32:57 CSoXGzu/
>>740
もしかして、うるさい爺だから加増名目で九州へ追放とか
742:人間七七四年
10/03/15 23:37:26 sR2b56Ed
一方、真田家の信之さんは敵方で弟が大活躍して
嫁が息子達に「一人位戦って死ねば良かったのに」
と言われて胃痛で寿命が縮んでいた
743:人間七七四年
10/03/15 23:39:40 mC5R+0cP
義兄も死んでるからね>信之さん
744:人間七七四年
10/03/15 23:42:04 CSoXGzu/
>>742
あれほどの鬼嫁の存在が気にならないほど
鈍感な人なので、ストレスなど全く感じない。
745:人間七七四年
10/03/15 23:42:15 mC5R+0cP
義弟だったっけ
746:人間七七四年
10/03/15 23:42:38 kX3w2/ir
>>741
まぁ秀忠のお気に入りだからそれは無いと思うよw
書院番頭っていう親衛隊のような役につけたぐらいだし
747:人間七七四年
10/03/15 23:44:59 E6FUEGXm
>>742
小松にそんなこと言ったら殺されるぞ
748:人間七七四年
10/03/15 23:44:59 jiQoIR0p
>>744
いや、信之さんは弟や嫁がもっとおだやかな人柄だったら、もっと長生きできたと思うよ。
749:人間七七四年
10/03/16 00:01:58 8FNlfApR
これ以上どう長生きしろってくらい長生きしてますってつっこみはなしですかそうですか
750:人間七七四年
10/03/16 00:03:38 GhEB46jF
小松さんが亡くなった時すごく悲しんだって言うから、
小松さんが長生きしてたら、
喜んでもっと長生きしていた可能性もある>信之さん
751:人間七七四年
10/03/16 00:09:54 gYG9jn/J
,.ィ , - 、._ 、
. ,イ/ l/  ̄ ̄`ヽ!__
ト/ |' { `ヽ. ,ヘ
N│ ヽ. ` ヽ /ヽ / ∨
N.ヽ.ヽ、 , } l\/ `′
. ヽヽ.\ ,.ィイハ | _|
ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、 | \ つまり信之さんにとっては、
.  ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ > 苦労こそが長寿の秘訣だったんだよ!
. l  ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__
゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ トr‐' /
l `___,.、 u ./│ /_
. ヽ. }z‐r--| / ト, | ,、
>、`ー-- ' ./ / |ヽ l/ ヽ ,ヘ
_,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´ ./ \、 \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ / :| ,ゝ=< / | `'''‐- 、.._
/ !./l;';';';';';';\ ./ │ _
_,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\ ./|._ , --、 | i´!⌒!l r:,=i
. | |:.l. /';';';';';|= ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
l. |:.:.l./';';';';';';'! /:.:.| i´|.ー‐' | / | |. ! l
. l. |:.:.:.!';';';';';';';'| /:.:.:.:!.|"'|. l' │-==:|. ! ==l ,. -‐;
l |:.:.:.:l;';';';';';';';| /:.:.:.:.:| i=!ー=;: l | l. | | / //
l |:.:.:.:.:l;';';';';';';'|/:.:.:.:.:.:.!│ l l、 :| | } _|,.{:: 7 ))
l |:.:.:.:.:.:l;';';';';'/:.:.:.:.:.:.:.:| |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ' ::::::|; 7
. l |:.:.:.:.:.:.l;';';'/:.:.:.:.:.:.:.:.:.|. \:::::\::::: ヽ ::::::!′ :::| .:/
. l |:.:.:.:.:.:.:∨:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.! /ヽ::: `::: :::: ....::..../
752:人間七七四年
10/03/16 00:13:01 xDvw7A9d
何か妙に納得したぞwww
753:人間七七四年
10/03/16 00:15:20 rCOR6x9Z
適度なストレスが人生にとって必要なもんだという
754:人間七七四年
10/03/16 00:24:33 uDF4xRvB
過度なストレスと読み違えた…
間違ってないな
755:人間七七四年
10/03/16 00:29:35 UjXxkkiT
単純にM気質つうかMそのものだったんだろ
756:人間七七四年
10/03/16 00:57:12 xXr3AgjW
>>733
前田と越前も頑張ってるよ
大坂方大活躍!の当て馬みたいなポジションで
757:人間七七四年
10/03/16 01:15:37 G38m5F/k
実はあれでもストレスで寿命知事待ってるんじゃないか?
何もなければ天海以上に生きたりして
758:人間七七四年
10/03/16 01:31:30 QLnWad0T
ストレスさえなければ長野にリニア通せとごねてる知事にお説教してくれたのか・・・
現代日本にとって、多大なる損失だな・・・
759:人間七七四年
10/03/16 04:27:06 vctktYDb
話を面白くないほうに飛躍させんなよ
760:人間七七四年
10/03/16 11:13:40 zVr+S53q
>755
(´-`;).。oO(毎夜寝所で小松に言葉攻めされるお兄ちゃん...。)
761:人間七七四年
10/03/16 15:31:20 U3GxlX54
寝所だけでは立場が逆転するとな?
762:人間七七四年
10/03/16 18:03:28 X2+n7jwB
信之「小松は昼は上の髷を、夜は下の髷を握って候」・・・ナンチテ。
763:人間七七四年
10/03/16 19:39:07 jCGQnU8m
小松「なんなのその茶筅髷w」
764:人間七七四年
10/03/16 20:00:01 GunvGoRF
出羽国由利郡に羽川小太郎義稙という豪族がいた。
彼の所領は小さく、土地も貧しく、それでいて抱える郎党は多かった。
当然ながら、領民も侍も生活が苦しい。
そこで羽川一党、食い扶持に困ると小野寺領や戸沢領まで出張し、夜討ち強盗するをこととしていた。
天正13年のこと。
この羽川の海岸に船が漂着し、大勢の男女が乗り込んでいることが分かった。
浜の者がどこから来たのかを尋ねると、彼らは答えた。
「我々は加賀国から来ました。
能登の大将・畠山義則が滅びましたので、その家中が一揆を起こしたのですが、
前田利家に敗れ、ようやく命を永らえた者がこうして逃げてきたのです。
もはや食糧どころか水も尽き果てています。どうか情けを」
さて、これを聞いた羽川の郎党は勇み立った。
畠山家の落人ともなれば、さぞかしよいものを携えているに違いない。
「こりゃあもっけの幸いですぜ。一人残らず引っ捕えましょうや。ゲヘヘ」
といった具合に義稙に報告した。
ところが義稙、
「相手は衰弱して当方に頼ってきているのだぞ。どうしてこれを害することができるか」
と一喝すると、漂流民に食を与えたばかりでなく、屋敷まで用意してこれを救ったという。
まあ、この後、落人達も引き連れて奇襲に出かけたりしてるんですけどね。
765:人間七七四年
10/03/16 20:33:42 c05ocXRF
山賊って身内には優しいよね
766:人間七七四年
10/03/16 20:36:19 WhDVcU3M
悪党でも身内にはやさしいからヤクザは血のつながりがなくても親分、兄貴分、弟分といった疑似家族の形態をとる
発生がまったく別のマフィアでも同様
767:人間七七四年
10/03/16 21:02:54 y8aDdtgd
徳川秀忠は京都二条城で、いかにして福島正則を改易するか協議していた。
この時、正則は江戸にいた。正則は大大名であるので事は慎重に運ばなければ
ならなかった。
秀忠の側近達が言うには、江戸で改易を伝えれば将軍不在の関東で騒ぎが
起こらないとも限らない。関東に使いをおくり京都に正則を呼び寄せて伝えるべき
である。そうすれば江戸や国元の正則の家臣達はおとなしくする事だろう、という。
側近達はいずれも同じ意見であった。
これに異議を唱えたのが末座にいた若年の井伊直孝である。
「それは良策とは思えませぬ。確かに将軍の命とあらば必ず正則は京都まで来るでしょう。
しかし、そのような改易の前例を作ってしまえば、大名達は緊急の呼び出しのたびに
今度は自分の番かと疑念を抱き、喜んで命に従おうとはしないでしょう。
それではまことに不都合です。ですから改易は江戸で伝えるのが良いと思われます。
私は若年ながらこのような職についておりますゆえ、私に使者をお任せ頂きたい」
直孝の発言で議論は紛糾した。
ある者は「若僧が余計な事を申すな!もはや結論は出ておる!」と直孝を叱責したが
直孝は「私の策が最良でございます」と言い張った。あまりに結論が出ないのでとうとう
秀忠は気分を害し、奥に入ってしまった。
その夜、秀忠は直孝を呼び出し、
「私はそちの意見をもっともだと思うておった。されど、重臣達が反対している手前、
強く発言できなかったのだ。しかし、そちの申すとおり改易は江戸で伝える事にいたす」
と言った。そして直孝ではない者を江戸に派遣したという。
768:人間七七四年
10/03/16 21:16:49 ol80zhhw
>>732
大阪の陣は豊臣方の活躍を称える内容の創作がほとんどだからね。
あと、上杉は義のために生きた一族とかなんとかいう創作が多いが
大阪の陣はどうつくろっても義のための戦いとは程遠いから
全体で整合性のある書き方ができないためにスルーされちゃうんだろうね。
769:人間七七四年
10/03/16 21:23:04 c05ocXRF
上杉が本当に義のために生きたんなら徳川の下でのうのうと
生きてないし大阪陣にも参戦しないわな
ただの野心としか思えんけど
仮に豊臣が勝ってたら関東はたぶん上杉がもらってただろうし
770:人間七七四年
10/03/16 21:27:16 WhDVcU3M
義のためとかいうなら立花宗茂のほうがもっと評価されていいけどなぁ
家潰れちゃったから取り立ててもらった恩はチャラねとか言っちゃってるけど一応筋は通ってる
771:人間七七四年
10/03/16 21:30:56 EhAe9dTe
また義を取り違えてるのか
関ヶ原で反徳川だったのは、同僚の家康があからさまに専横し出したからだろうに
天下が決まって徳川の世になれば義は徳川方だろうが
772:人間七七四年
10/03/16 21:33:32 EhAe9dTe
義を忠とか正とかと取り違えるなよいい加減
義ってのは解りやすく言うとルールって事なんだよ
上杉の義なれば…
ってのは
上杉のルールですから、って意味だ
773:人間七七四年
10/03/16 21:34:14 B6/kmIOv
人間の集団の行動目的が一つだけって事はないだろう
上杉家の動きは、義のためでもあり利のためでもあり、それ以外にも様々な思惑が複雑に組み合わさった筈
774:人間七七四年
10/03/16 21:35:31 O1oku6FB
義論争は面倒くさくなるからよそでやろうぜ。
そもそも謙信だって大切にしたのは「義利」であって「義」ではないし。
775:人間七七四年
10/03/16 21:38:31 EhAe9dTe
謙信の場合はどっちかっていうと義理つうより信義だな
だから信玄なんかとは反りが合わない
776:人間七七四年
10/03/16 21:42:26 H+IgiEK9
>>772
二出川審判の名言
「俺がルールブックだ!」
777:人間七七四年
10/03/16 21:43:10 b0eE1dzF
最近の義は「正義」みたいな扱いなので苦笑してしまう
778:人間七七四年
10/03/16 21:50:25 RGQYl48K
「(俺ルールも含めて)約束は守りましょう」ってことかね>上杉の義
氏康の遺言でも、「信玄は約束を破るけど、謙信は約束は守るから、謙信と同盟を組め」とか言ってたんだっけ?
779:人間七七四年
10/03/16 21:54:47 EhAe9dTe
>>778
本来はもっと観念的なもんなんだけどな
解りやすく一言でいうとルールって事だな
正義は正しい行いのこと
信義は信用を裏切らないこと
忠義は忠誠を守ること
等々ね
義侠ってのは、盗賊無頼漢の類ではなくルールの有る男の事
まぁ、これは正直義侠と名乗った男達の言い訳臭いがw
780:人間七七四年
10/03/16 22:07:48 dO8oDqZK
天下静謐よのぉ
781:人間七七四年
10/03/16 23:11:53 30zuTWsy
有名な話だが、既出ではないと思うので。
山陰の雄、尼子家が月山富田城に追い込まれた時、経久以来の臣、宇山久兼は城中を鼓舞する傍ら、私財をなげうって兵糧を購入、配給していた。
そんな彼の活躍もあって、城方も何とか持ちこたえていた。
・・・にも関わらず、最後は讒言によって主君に殺害されるという悪い結末だが、久兼の無私ないい話。
今風に言うと、散々サービス残業させられて、最後はあっさりリストラ、って感じなんですかね。
782:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/16 23:47:32 3R56HtM+
あっさりどころか専務の人気がありすぎて、切った瞬間から会社ごと傾いた感じ。
783:人間七七四年
10/03/17 10:04:34 0NBEaVlm
でもまぁ、よくある話だw
尼子って所謂、豪族衆の棟梁的な家だったよね?
そういう場合だと、家臣の名声って相当邪魔になるんだろうなぁとか思った
784:人間七七四年
10/03/17 10:46:52 E1DhiNKt
>>771
加熱具が、三成と組んで中央政界に関心が強かったから、蒲生を追い出して会津に移って家康を牽制したりして苦しい立場になる
785:人間七七四年
10/03/17 11:14:00 LmCIL69P
>>767
徳川家然り、前田家然り、上杉家然り
こういう話聞いてると二代目が初代ほど勇猛果敢でなくとも賢君だったからこそ
家は長続きしたんだってつくづく思うよ
786:人間七七四年
10/03/17 11:23:30 dFR9AKQC
>>785
NGMS<ホント、その通りですよね。
三歳<まったくもって、その通りだな。
787:人間七七四年
10/03/17 12:10:33 Sz2WDn7y
■髭殿VS天下の陪臣
天正17年の重陽の節句、聚楽第の拝賀の儀で、
上杉景勝と前田利家が挨拶の順番を巡って争いました。
上杉方の執政直江山城守は秀吉が天下を差配する3つの条件の
うち2つを備えると言われた器量の持ち主。彼が言います。
「当家は関東管領の家。当家こそ先でござろう」
これに前田側の見事な髭を称えた男が反論します。
利家が若い時からそばに仕えた重臣・村井又兵衛長頼です。
「殿下は小身から手柄を立てて天下を治めるまでに至った。
わが主筑前守も武功を挙げて三国の太守となり、今や少将。
それほど高い位ならば、そもそも上杉殿は本日の挨拶も無用
であろう」
これには直江も返す言葉がなく、利家が先に挨拶することにな
りました。
利家は大変喜び、屋敷に帰ると村井に酒を三献与え、その髭を
なでて言いました。
「わしが今、筑前守と呼ばれるまでになったのは、ひとえに髭
殿のおかげである」
788:人間七七四年
10/03/17 12:21:58 hHIQRZDG
>>785
忠直「わかるわかる」
秀頼「分をわきまえて慎むことが大事だわな」
明成「父の業績を無に帰すとかマジあり得ねえっての」
789:人間七七四年
10/03/17 12:33:08 fav5YG7+
明成は掘の娘達を始末していれば
790:人間七七四年
10/03/17 12:45:56 SV+HBEPb
>>787
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
791:人間七七四年
10/03/17 13:09:13 Sz2WDn7y
直江の項にあったのか・・・。
直江より村井の逸話にしてあげるべきでは。
792:人間七七四年
10/03/17 13:11:45 yZvvPZYk
分類の仕方に文句つける前に
ちゃんと検索しろよ、検索できるようになってるんだから
793:人間七七四年
10/03/17 13:13:44 o0UFndLq
NGMSさんは普通に賢君にいれていいt…え、あ、はい
…あんな小心者でも家を保てるだけの遺産を築いた大殿は偉大だったわ!
794:人間七七四年
10/03/17 13:36:14 fOEEhB6Z
>>787
髭をなでるってどういう表現?
アラブ人が髭を触ってきたら尻の穴に気をつけろって聞いたことあるけど。
偶然かもしれないが、790の方も去年の三月に書かれているけど、
この時期になると村井さんを思い出す何かがあるのだろうか。
795:人間七七四年
10/03/17 14:21:49 6uYTAJY2
ヒゲが自慢だったからそのヒゲを撫でながら褒めたんでしょ
なんと言っていいか解らんが、褒めるときに犬の毛を撫でる様なモンでは?
796:人間七七四年
10/03/17 17:18:31 HSjE5U1o
話をぶった切ってスマンが誰か伊達成実の逸話とかって知らない?
地元で資料探したがあんまなくって…できればまとめにないもを
797:人間七七四年
10/03/17 19:43:20 Y/+YVTfV
右手に大火傷して一生指がくっついたままだったとか、
従妹の駒姫が処刑されてさすがの政宗もしょげている時に
「最上ざまあ(www」とpgrったとか、そういうネタ?
798:人間七七四年
10/03/17 20:02:05 gBOaGs0V
髭をなでるとかなんかすげーリラックスしてる主従関係だなw
日曜日で家にいるおとんみたいやん
799:人間七七四年
10/03/17 21:17:40 BFB22ALr
夜中に殿ん家押しかけて飲んでる家臣も居るぐらいだからな
800:人間七七四年
10/03/17 21:23:10 gkyF7Shr
マジで黒田さんちは家臣がよくできてるよな・・
つーか如水のオヤジがチートすぎる
801:人間七七四年
10/03/17 21:30:00 Yif4kBvg
上のほうで三斎様が出てきたので、その息子の話でも。
平成元年に、当時の熊本県知事夫人・細川佳代子氏が講演した内容だそうだが……。
「当時徳川幕府は、お家騒動を避けるために嫡子相続という制度をつくり、各大名もそれに倣いましたが、
細川家は一番優秀な男子が後継となることを実践しました。
しかし、廃嫡しても家を断絶させるのではなく、長男・忠隆の後は細川内膳家という分家になって今日まで続いております。(中略)
また、お家の犠牲となったとされる興秋にしても歴史の表舞台では細川家を廃された後、大坂方について最期を遂げたとなっておりますが、
本当は生きて天草に行き大庄屋になったのです。天草郡五和町御領の芳證寺に戒名が残っていまして、長岡姓で住み着き、興秋以降14代の墓が見つかっています。
これは忠興公が密かに生き残らせたためと思えるのです(後略)」
興秋といえば、大坂の陣にて豊臣方につき、戦後、忠興に切腹させられたと伝わるが、実際はどうだったのだろうか。
後世の作り物か、はたまた本当に興秋は生きていたのか。
そして三斎様はそんなに優しかったのだろうか。
802:人間七七四年
10/03/17 21:34:43 pANeEI2Y
実は生き延びてたんだよ説って必ず出るな。
真田も後藤も明石もあるし、秀頼もあるし。
803:人間七七四年
10/03/17 21:37:13 ji9e/rtg
赤マフラー願望は昔からあるんだな
804:人間七七四年
10/03/17 21:40:35 Yif4kBvg
逆赤マフラーな某大権現……。
805:人間七七四年
10/03/17 21:41:10 bmz+zGtW
石田三成も関ヶ原の乱戦の中で死んでたら生存説とか出てくるんだろうか
806:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/17 21:53:25 XxBg5mQZ
木下さんちのあの子は信じたい。
807:人間七七四年
10/03/17 22:33:57 AOEERJlx
>>800
黒田家はむしろ長政が家臣に気を遣いまくったおかげでうまくいったように思える
実際、堪え性のない孫世代で騒動起きてるし
808:人間七七四年
10/03/17 22:46:10 S53Emb2C
>>789
蘆名銅伯乙
809:人間七七四年
10/03/17 22:56:13 hrpIbkif
だが、細川興秋は生年月日を見るとガラシャ幽閉中に仕込まないと
生まれることが出来ないのではないかと思われるのだ!
それに関する三歳様のコメントはない。
810:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/17 23:03:42 XxBg5mQZ
ガラシャ監禁絵巻
811:人間七七四年
10/03/17 23:06:03 fav5YG7+
ただの質にあらず妻としての使い道もある
812:人間七七四年
10/03/17 23:10:41 j6L5LHlq
O友S麟「人妻の緊縛ものと聞いて」
813:人間七七四年
10/03/17 23:21:53 S53Emb2C
>>812
T花D雪「殿、忠臣緊縛ものならこちらに。ささどうぞ」(#^ω^)ピキピキ
814:人間七七四年
10/03/17 23:29:43 KELpw04I
>>805
処刑されたのが影武者で(ryっていう生存説ならある
815:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/17 23:30:43 XxBg5mQZ
右手首と左足首
もうね、もうね。
816:人間七七四年
10/03/17 23:32:59 hrpIbkif
昭和33年「徳川秀忠遺骨調査」が行われていた。
そこで判明した徳川秀忠データが判明した。
推定身長:156.7cm~159cm
体格:筋肉質
血液型:O型
埋葬状況:座した姿勢
遺骨保存状況:かなり悪い・縦方向に丈夫の重みがかかり遺骨が潰れていた。
と言う状況だったのだ。戦が少なくなった時代とは言え戦国の武士と言うことだ。
さて、秀忠の遺骨には「戦人(いくさびと)」としての秀忠を忍ばせるものが発見されている。
「骨にまで達した複数の銃創痕」
重ね重ね言うが、秀忠が生まれてから大阪夏の陣の間は戦国時代とは言っても戦の数は減りつつある時代である。
つーか、この人、天正7年の生まれで、小田原征伐で11才である。
ましてや銃創が出来るほど戦場では敵に接近して指揮を執ることを好んでいた、
猛将タイプの大将でもあることを意味する傷でもある。
今後は秀忠の見方も変わるのではないだろうか。かっこいい方向で。
戦下手→隠れ猛将!徳川秀忠(ただし、結城秀康には負ける)
ちなみに猛将タイプは得てして敵の策略に引っかかりやすいので負けることが多い。
戦下手と言うより猛将だったところで駆け引きが苦手だったのかも知れない。
しかしそういう大将に部下はついていくもんだ。とくに三河者は!
それにしても、複数も鉄砲玉に当たっていて死なないとは・・・・・・・・不死身と言うより
周辺の三河者は何で止めなかったんだ?徳川家の立場は考えなかったのか?
まさか、三河者の価値観とは、
面倒くさい三河武士の武士の一分>(断じて越えられない壁)>徳川家の立場>(絶対越えてはならない壁)>尻吹き紙>(供でも超えることが出来ない壁)>豊臣秀吉の面目
としか思えない。
817:人間七七四年
10/03/17 23:37:14 hrpIbkif
>>816です。
×(供でも超えることが出来ない壁)
○(断固として越しては成らない壁)
に変更をお願いします。ブログ管理人様スミマセン。
818:人間七七四年
10/03/18 00:00:28 jvqyM10P
関ヶ原に遅れたのはそのせいかも?>銃創
数日間動けなかったとか…妄想が過ぎるか。
819:人間七七四年
10/03/18 00:04:42 F48qTaxm
秀忠のお墓はもうすぐ一般公開されますね。
820:人間七七四年
10/03/18 00:33:55 szcPMhGI
有名な割に出てなかったので、黒田家ネタを一つ
黒田長政が家康に接近するために15年連れ添った嫁(蜂須賀正勝の娘で秀吉の養女)と離縁して、
家康の養女と結婚したのは結構知られた話だと思います
長政の継室に当たる栄姫は保科正直の娘であり、つまり槍弾正の孫であり家康の実の姪にあたります
長政の死後は、例の鳳凰丸事件で弟の保科正貞を通じて幕府に働きかけたり、
郊外の別邸に母親ともども追いやられていた三代藩主黒田光之を将軍にお目見えさせたり、
側室であった光之の母親を正室にするように働きかけたりと
馬鹿息子のフォローに明け暮れていたあたり、長政も離縁までして徳川家から嫁貰ったのが功を奏したようです
この栄姫が常に不機嫌そうな突進系大名(33歳バツイチ子持ち)のもとに嫁いだのが数えで16歳の時、
慶長5年6月、つまり家康が上杉討伐のために大坂城を出陣した時期であり、
つまり、栄姫が嫁いで早々夫の長政は家を空けることになります
16歳の新妻は大坂天満の黒田屋敷で姑とともに夫の帰りを待つことになります
(ちなみにお舅さんは中津城で何かよからぬことを考えていたようです)
この戦がそのまま天下分け目の大戦になることを予見していた長政は大坂屋敷の留守居に
栗山利安・母里友信の黒田家最強コンビ(と宮崎助太夫)を配置しておりました
そして、同年7月ついに石田三成が挙兵、会津征伐軍の諸大名の妻子を人質に取る作戦に出ます
黒田家にも三成からの使者が訪れます
敵方に知られぬように二人の夫人を連れ出すために、栗山らがかなり大がかりな芝居を打ちます
一説には、夫人を1人ずつ俵に詰めて、商人に化けた母里がその俵を天秤棒で担いで屋敷を出たとか
また、一説には母里が病人のふりをして乗物に乗って番所で迫真の演技をしてみせる、
それを数日繰り返すうちに万人が気の毒がって乗物の中を確認しようとしない、
そうなったところで、毎晩一人ずつ夫人を外に連れ出したととか
どちらにしても、役者は母里と決まっているらしい(でも作戦を立案したのはなんとなく栗山のような気がする)
二人の奥方を連れ出した後、影武者を使って誤魔化したりするあたりかなりの手の込みようですが、
三成挙兵時の諸将の奥方大坂脱出作戦はどこも相当大がかりな方法をとっているようなので、
調べてみると面白いかもしれません
両夫人を屋敷から連れ出すまではうまくいきましたが、目指すは中津、まだまだ道のりは長いです
さしあたっての問題は木津川の舟番所をどうやってやり過ごすか
栗山らが考えあぐねているところに、玉造の方から火の手が上がります
そうです、細川越中守の愛妻・玉子夫人が自害の上、屋敷に火を放ったのです
大坂城内は大騒ぎになり、舟番たちも火の手の方に駆けつけます
舟番所の警備が手薄になった隙に、母里は奥方たちを船底に隠して川を下ります
皮肉なことに、栄姫は玉子夫人の自害によって大坂城から逃げ果せたのです
その後も、母里が顔見知りの舟番を言いくるめたりして、16歳の新妻は無事中津城に辿り着くことができました
栗山・母里の最強コンビはその後、妙にアグレッシブなご隠居に従って石垣原で大暴れするのは
皆さん御承知のことだと思います
821:人間七七四年
10/03/18 00:42:06 szcPMhGI
>>816
突進系で猛将タイプでも戦上手な武将はいくらでもいるような……
822:人間七七四年
10/03/18 00:46:29 tZNwsD9/
越後の軍神も最上の鮭も黒田の若殿も
前線で陣頭指揮を取るタイプだろ。
823:人間七七四年
10/03/18 00:49:09 Efn9ESs2
戦争バカの舅
突撃バカの亭主
本物のバカだった息子
栄姫はよく自殺しなかったもんだ。
824:人間七七四年
10/03/18 00:49:13 F48qTaxm
長政の離縁再婚って、本人の独断?
それとも如水も一枚噛んでる?
825:人間七七四年
10/03/18 00:52:38 Nh2xrp42
当時の長政に独断で離婚再婚を出来るほどの力はないと思う。
普通に考えて如水が推し進めたものだろうね。
826:人間七七四年
10/03/18 00:53:18 szcPMhGI
>>822
人斬り兵部、麒麟児、鬼島津なんかもそのタイプか
827:人間七七四年
10/03/18 01:08:27 FKiqhHKv
俺は真っ先に蒲生の工場長を思い出した
秀吉には馬鹿にされてたけど実際氏郷さんの統率力と個人武勇はかなりのもん
じゃないかと
鬼武蔵とタイマンしたらどっちが勝つんだろうか・・
828:人間七七四年
10/03/18 01:19:36 OjKM/+Nl
黒田長政の後妻(16歳)、家康の姪で、長政死後もよく家を守ったできた嫁で、
これで「超美人スタイル抜群性格もいい」が黒田家譜の粉飾じゃなかったら
喪として黒田長政をただではおけない。
829:人間七七四年
10/03/18 01:30:16 szcPMhGI
ちなみに栄姫の妹の旦那はあの次世代DQN筆頭の加藤明成の嫁だったりする
加藤家改易後、保科家が入るのはその繋がりだったりするのかな?
830:人間七七四年
10/03/18 01:31:07 szcPMhGI
×栄姫の妹の旦那はあの次世代DQN筆頭の加藤明成の嫁だったりする
○ちなみに栄姫の妹の旦那はあの次世代DQN筆頭の加藤明成だったりする
831:人間七七四年
10/03/18 01:50:39 Efn9ESs2
榊原康政が若い頃、徳川家康の直参に抜擢されたとき、
親友の神谷金七という水野信元の家臣が、餞別として
オンボロの甲冑をくれた。
詳しくは「榊原康政と破れた具足・いい話」
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
を是非参照して欲しい。
当時、甲冑は大変高価な物でオンボロでも本物の甲冑は
手に入りにくい貴重品でもあった。ちなみに、神社の奉納品を借りて
合戦に参加した武士もいたほどである。
榊原康政と破れた具足にも書かれている通り、榊原康政は直しながら
一生神谷からもらった甲冑を着用し続け大名となったが、
神谷金七の方は家康の直参と成らず家康譜代の将の陪臣として勤務し続けた。
彼が自分が餞別に渡した甲冑を着て武勲を上げ、
出世した康政をどんな気持ちで見ていたかはわからない。
もしかしたら甲冑のことを肴に自慢話のネタにしたのかも知れない。
ただ、彼の消息はわかっている。
神谷金七(水野勝成家臣):1600年大垣城攻防戦にて戦死
神谷金七のあげた甲冑は榊原康政の肖像画と共に榊原家の家宝として今に伝わっている。
832:人間七七四年
10/03/18 06:15:22 VVtD/4Ra
( ;∀;)イイトモダチダナー
833:人間七七四年
10/03/18 08:50:49 krRZQRuE
>>797
そこら辺は手元の資料とまとめにも載ってるから知ってるんだが
後は家紋の話と家臣の萱場元時くらいしか知らくて、他にある
かと思いまして。
834:人間七七四年
10/03/18 09:22:09 NSgYHMso
仙台ハイランドキャラクター投票中♪政宗のキャラがいるよ♪
仙台には鳥系キャラは
スポーツチームマスコットとかたくさんいるので
鳥系以外のキャラに投票してくるとありがたいです。
スレリンク(bike板:349番)
835:人間七七四年
10/03/18 13:11:51 Cvwk/4f+
>>手に入りにくい貴重品でもあった。ちなみに、神社の奉納品を借りて
>>合戦に参加した武士もいたほどである。
スレチだが
日中戦争の頃に近所の小学校から具足一領借り出して突撃し、城内突入一番乗りした陸軍将校を思い出した
836:人間七七四年
10/03/18 15:00:52 CTxxQnoi
新聞に載ったけど誰だか解らないって人だっけ
837:人間七七四年
10/03/18 15:36:30 uM/IXCNe
じゃあ成実のちょっといい話。
伊達家の存亡をかける戦となった、人取り橋の戦。
政宗自身も直接敵と刃を交えるほどの激戦となり、
一時は自害も決意したほどだった。
そんな戦の最中、政宗の乗っていた馬があまりに何度も駆けさせたために
息切れし、足元もよろよろしてきた。
そこで、川に乗り入れて口を洗わせ、水を飲ませようとしたときの事。
政宗は騎乗したまま馬に水を飲ませるところだったが、
それを狙って敵が銃撃を仕掛けてきた。
馬の口取りが撃たれ、髪をつかんで川から引き上げたが、死んでしまう。
そこへ来合わせたのが、成実である。
成実は二・三十人の者と共に政宗の馬の側に立ちはだかり、
「大将が馬を立てるところ、武運は尽きるか!」
と叫ぶや、政宗の馬の尻を団扇で叩いて川から追い上げ、窮地を救ったのだった。
一方を任せるには頼もしい、良い大将だ、と政宗は後に成実を評した。
(●∀`)「馬を助けるためかと思ったぞ」
(´・ω・`)「何言ってんですか。矢も鉄砲も篠を束ねて落すかって勢いなんですから、
流れ矢とかに当たんないでくださいよ?あの辺、ちょっと蹴散らしてきますから」
と、人取り橋の向こうの敵を追い散らしに向かった成実。
その日の働きに対し、政宗は感状を与えて労ったのだった。
注。会話の部分(だけで無しに)、こういう古文?あんまり読みつけないので、
解釈間違ってる可能性が莫大にあります。詳しい人フォローよろ。
原文
一方を頼むには良き大将なりと頼もしく思い、
「馬を助けん為ぞ誤たり」と云ければ
「物をな仰せられそ、矢鉄砲は篠を束ねて降る如くなれば流れ矢に当たり給ふな。
仕掛けたる軍場を引き醒まして参りたり」とて
両方へ馬を乗り分け人取橋の向かへの敵を追い散らし勝鬨を取り行いたり。
838:人間七七四年
10/03/18 16:00:14 Nh2xrp42
>>837
> 「馬を助けん為ぞ誤たり」と云ければ
> 「物をな仰せられそ、矢鉄砲は篠を束ねて降る如くなれば流れ矢に当たり給ふな。
> 仕掛けたる軍場を引き醒まして参りたり」とて
> 両方へ馬を乗り分け人取橋の向かへの敵を追い散らし勝鬨を取り行いたり。
政宗「馬を助けようとした為にこんな失敗しちゃったよ」
成実「無茶なことを言うなあ、、こんなに大粒で隙間ない雨が降るように
矢弾が降り注いでいる場所でそんな事をするなんて。
流れ矢なんかに当たらないように気をつけてくださいよ、ちょっとこの辺の敵の攻勢を
大人しくさせてきますから。」
そう言って戦場の真ん中を馬で切り分けるように突っ切って人取橋に向かい、敵を追い散らして
勝鬨を上げたとのこと。
こんな感じかな?
839:人間七七四年
10/03/18 16:29:55 uM/IXCNe
>>838
おお、ありがとう。
微妙に読み間違ってたw
翻訳こんにゃくが欲しいのぅ・・
840:人間七七四年
10/03/18 20:03:04 Cvwk/4f+
>>836
いんや、具体的に名前も所属もわかってるよ
陸士35期の金丸高秋
当時は歩兵47連隊第二大隊
841:人間七七四年
10/03/18 20:17:56 CTxxQnoi
金丸中尉、今検索してきた
アナクロ過ぎて黒歴史っぽくされたって感じだったのを記憶違いしたのか
842:人間七七四年
10/03/18 21:26:05 krRZQRuE
>>837
あーそういうのです、ありがとうございます
政宗のちょっとかっこ悪いでもありますね。
843:人間七七四年
10/03/18 22:01:02 H8BvX2Eb
DQN四天王になぜまともな家老クラスの老臣が
844:人間七七四年
10/03/18 22:14:09 YUN1OBfO
ええで!
845:人間七七四年
10/03/18 22:14:49 YUN1OBfO
すまん、誤爆した
846:人間七七四年
10/03/18 22:16:02 kX+l2qrE
>>843
あやまれ!松井佐渡と伊勢兵部と林長兵衛にあやまれ!
847:人間七七四年
10/03/18 22:59:16 szcPMhGI
DQNをフォローする良心がいたからこそ家が残って逸話が残るわけで
DQNしかいない家はさっさと潰れて記録にも残らんと思う
848:人間七七四年
10/03/18 23:05:06 NwIXMwbN
主従共に良心揃いでも潰される家は潰される戦国時代
849:人間七七四年
10/03/18 23:21:06 BK39uhpr
>>847
鬼武蔵をフォローする良心って誰だよw
と思ったが、信長がいたな…
良心かどうかは別として。
850:人間七七四年
10/03/18 23:43:36 jvqyM10P
>>849
犠牲者の遺体を片づけた人たちがいたじゃないか…
851:人間七七四年
10/03/18 23:45:24 YUN1OBfO
簀巻きにして橋から放り投げただけじゃないかw
852:人間七七四年
10/03/18 23:50:25 g9w7rbrU
通行の妨げになる関所も壊したしな!
全く森長可さんは慈愛の心に満ち溢れとるでえ!
853:人間七七四年
10/03/19 00:00:47 vm9eeexZ
長可さんは楽市楽座、関所の撤廃の手本を
自分で示したんだよ
854:人間七七四年
10/03/19 00:17:54 WTg8Mqgy
通行料取ってない関所って関所じゃないのかな
855:人間七七四年
10/03/19 01:08:10 u6tO+rkI
日野富子が京都の入り口に…って話のように
当時の関所は料金所みたいな徴税目的の施設だったらしい。
856:人間七七四年
10/03/19 01:10:34 Prhpj0nh
ちなみに信長は軍事関連の関所は廃止したけど、京の七口をはじめとした経済関係の関所は
ほぼ全部残した。
857:人間七七四年
10/03/19 08:05:40 jjnK7aAY
>>843
しかし伊達の三英傑は揃って一度は政宗に愛想を付かして出奔騒ぎを起こしている
858:人間七七四年
10/03/19 08:50:07 j4vMRSV2
真の仲間になるには一度仲たがいした後に仲直りする必要があるんですよ
少年漫画的に考えて
859:人間七七四年
10/03/19 08:58:41 FmFHaEcQ
べ、別にあんたのことが嫌いで出奔騒ぎを起こしたんじゃないんだからね!
860:人間七七四年
10/03/19 09:37:47 7hCRQj8T
仲直りというか、他家への仕官を諦めた?<伊達三傑
861:人間七七四年
10/03/19 11:20:35 fxt/0Adv
いくら可愛くても男だろ?こっちはホモじゃねえんだよ
まともな人間が男同士でやりたいと思うか?
わざわざ1万も出してヒロインが男手ホモって詐欺だろ
誰得だよマジで
862:人間七七四年
10/03/19 11:22:09 fxt/0Adv
失礼
863:人間七七四年
10/03/19 11:25:21 kVNrianU
>>861
Nice boat
864:人間七七四年
10/03/19 11:35:05 j4vMRSV2
>>861
あなたもしかして秀吉ですか?
865:人間七七四年
10/03/19 11:39:27 dQ/PfA66
大内義隆「わし得かな」
866:人間七七四年
10/03/19 11:41:24 lONT4QSh
昔の関所は徴税というよりも
現在の有料道路の料金所みたいなものだよな。
特に大きな橋が架けられた場合は、その工事費や補修費に充てられた。
867:人間七七四年
10/03/19 13:01:04 Otr4Ugw4
>>857
成実の出奔の原因は不明だし
綱元は政宗の怒りをかって出奔させられただけ
あと景綱の出奔って話は知らないな
868:人間七七四年
10/03/19 13:03:02 47tXLXCf
>>861
日本には衆道というショタホモ文化があることは知ってるよな
今でも続いてるんだぜ
転載 ホモ注意
URLリンク(nikushota.x0.to)
URLリンク(nikushota.x0.to)
URLリンク(nikushota.x0.to)
URLリンク(nikushota.x0.to)
869:人間七七四年
10/03/19 13:24:05 Gn9cWY9v
それを貼って何がしたいんだお前は…
TPOををわきまえられないと立場悪くするだけだぞ
870:人間七七四年
10/03/19 13:26:14 /xmbPTGO
>>856
> 軍事関連の関所廃止
このおかげで、光秀の謀反の成功率が上がってる
871:人間七七四年
10/03/19 13:50:39 XJObtGBz
>>861
すぐクロスデイズとわかった自分がなんともはや。
872:人間七七四年
10/03/19 13:55:33 il0PyFrw
あぁ、成程そういうことか
873:人間七七四年
10/03/19 14:01:56 bPwiQgG6
>>867
成実の出奔は一応家中の序列が不満で、っていうのが有力だな
「俺すごく頑張ってるのになんかがんばりに見合う評価されてない気がする」って零した話もある
綱元は・・・政宗の「怒り」っつーのが香の前が欲しかっただけっぽいし
実際綱元が帰ってきてから香の前も返してるし(孕ませた後だけど)
景綱出奔未遂って確か、
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
この話に絡んでたと思う
(●∀`)<小早川んちの浦山景綱とお前トレードすることになったから
(´・ω・`)<・・・
(●∀`)<んじゃよろしく!うはwww美少年サイコーwww
(`・ω・´)<・・・
~翌朝~
(`・ω・´)<やってけるか!出てく!出てってやる!
(゚Д゚;)(゚Д゚;)<ちょ、片倉様!お待ち下され!後生です!!
(`;ω;´)<離せー出てってやるんだー!!
(゚Д゚;)(゚Д゚;)<殿!殿おおお!
(´●ω・`)<・・・ゴメン・・・ほんとゴメン・・・
(`;ω;´)<殿のばかぁぁぁぁ
(゚Д゚;)(゚Д゚;)<ホッ・・・なんとか元鞘に・・・
って話だったと思う
いい話スレでやる話ではないがw
874:人間七七四年
10/03/19 14:17:58 AoUSzCZk
景綱は以前(小田原参陣より前)にも出奔を企てたことがある。
もっともその時は出奔前に異父姉の喜多に見つかってしまい、
懇々と諭されて思いとどまったらしい。
875:人間七七四年
10/03/19 14:23:48 vm9eeexZ
大河ドラマでは「急に出世して周りに妬まれるから」って理由だったな>出奔
876:人間七七四年
10/03/19 14:36:19 Otr4Ugw4
>>873
すまん、「この話に絡んでた」じゃなく
出来ればそれの出典教えてくれ。調べてみる
877:人間七七四年
10/03/19 14:54:27 bPwiQgG6
>>876
確か石母田家文書じゃなかったかな?
「やってらんね」って書き置き残して出奔しようと思ったら見つかって連れ戻された、
みたいに書いてた・・・はず
878:人間七七四年
10/03/19 14:56:38 1j+5El0Q
出典どうこう言うんならテンプレの検証スレでやってくれねぇかなぁ
879:人間七七四年
10/03/19 14:57:12 Otr4Ugw4
>>877トン
調べられたら調べてみるわ
880:人間七七四年
10/03/19 15:20:48 yOY/NP4M
真偽の検証とかまで言ったら検証スレでやれって話だろうけど
逸話の出典聞くのはこのスレでいいよ
881:人間七七四年
10/03/19 15:23:10 vm9eeexZ
>>880
このスレで出展聞いちゃダメなのかと思って
ちょっと驚いてたわ、良かった
882:人間七七四年
10/03/19 18:02:08 DXlPw6VL
春日山にて
家臣:戦の前に毘沙門堂に行こうかと思います
御館:急ぎだからここでいいよ
家臣:?
御館:毘沙門天はここにいるだろが!
俺様が毘沙門天だ!
後の柴田恭兵である
883:人間七七四年
10/03/19 18:09:18 Prhpj0nh
有名武生前将神格化の本気度
←本気 冗談→
上杉謙信(毘沙門天) 豊臣秀吉(新八幡神) 武田信玄(不動明王) 織田信長(第六天魔王)
飛び抜けて本気の人と飛び抜けて冗談の人が後世に残ってしまった。
884:人間七七四年
10/03/19 18:13:03 o5MRlCOo
梵天はいずこ?
885:人間七七四年
10/03/19 18:13:25 veTlqNGL
>>363の話で、>>368が言っている、まんが日本昔話見つけた
URLリンク(www.youtube.com)
話の細部はちょっと違うけど…
886:人間七七四年
10/03/19 18:22:16 pUZ0zVk4
>>883
織田さん半分嫌がらせで名乗ったんだっけ?
887:人間七七四年
10/03/19 18:23:58 9apt51Mc
成実の話か
成実が出奔した後、金須・石川・内ヶ崎・白根沢らは成実のもとを去り、伊達本家に仕えた。
一説によると、出奔後も羽田右馬助にのみたびたび書状が届き彼らにはないこと、
またそれをかさにきた羽田が専横を恣にするのに腹を立て、羽田を討つことを企てたのだという。
抵抗した羽田と羽田に同心する者30人ほどは悉く討ち取られ、角田は屋代景頼によって接収された。
この羽田討伐と角田接収に、前述の4人は積極的に関わっていたという。
さて、時は流れて伊達家は二代忠宗の世となった。
成実は隊将として白根沢を忠宗に推挙した。
忠宗は成実が昔のことにこだわりを見せないことに感じ入ったという。
その白根沢、かつて自分のしたことに恥じ入り、詫びるべく成実を訪ねた。
すると成実は薙刀を下げて出てくると、こう言ったという。
「お前を部将として殿に薦めたのは、公のことを考えてのものであって、
私としてお前を許したわけではない。二度と来るな」
そう叱りつけ、白根沢を追い返したという。
公私の区別はきっちり付けるタイプの、伊達の従兄弟殿のお話。
888:人間七七四年
10/03/19 20:18:40 sET25cn4
>>882
柴田謙信は本当に清廉な武将だけど
リアル謙信は本当にあぶない暴君だから困る
889:人間七七四年
10/03/19 20:40:46 xooVN98w
>>886
嫌がらせと言うよりはジョークの域
「お前が天台座主ってんなら俺は魔王って名乗っちゃうもんねーw」みたいな
「信玄が遠江及び三河の国に侵入せし前面白き事起りたり。
即ち信長に一書を贈りし時其名を揚げんとの慢心より封筒の上に次の如く認めたり。
「天台座主 沙門 信玄」
其意は天台宗の教の最高の家および教師信玄といふことなり。
信長は之に対して
「第六天魔王 信長」
(耶蘇会士日本通信 下巻より)」
それもフロイスの書簡にあるだけで実際名乗ってる文書は出てきてないし、信長超頼りになる!というフロイスのホラ話という見方もある
こんな風に続いてるし
「其意は悪魔の王にして諸宗の敵なる信長といふことにして、堤婆が釈迦に対し其宗旨の弘布を妨げしが如く、信長は今日まで日本の諸々の 偶像の尊敬及び崇拝を妨害せるが故なり。
是故に神の御慈悲に依り彼が従前の栄を回復し、我等の主ゼウスの正義の苔として此等宗派の呪ふべき迷信を罰せんことを信ず」
890:人間七七四年
10/03/19 20:50:33 kgtDH9Gf
景綱の出奔未遂は政宗幼少期のころじゃなかったかな?トレード話とは絡んでなかったような。
綱元は出奔中も伊達家と連絡取り合ってたみたいだから秀吉の手前もあったのかも、と思わないでもない。
891:人間七七四年
10/03/19 20:51:07 GHk7/0Bw
>>887
刀じゃなく薙刀ってあたりに本気度を感じた
892:人間七七四年
10/03/20 00:28:26 XpqlsgYH
>>882
俺の知ってる話では
謙信の元に敵が出兵したという話が舞い込み
急いで援軍に行かないとマズイという状況で
普段は戦の前に兵に毘沙門堂で誓いを立てさせていたのだが
この時ばかりは
「急いで出兵しないといけないから、毘沙門堂に行く時間も惜しい。
だから今この場で俺に誓え。
毘沙門天に誓いを立てに行ってる間に手遅れになったら元も子もないし
毘沙門天様も許してくださるはずだ」
という信心深い謙信といえども緊急時には合理性を優先させたという
普通に良い話だったはずだが。
893:人間七七四年
10/03/20 00:39:13 Po5FbhNL
これだな
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
894:人間七七四年
10/03/20 02:15:58 hVnQXLt/
> フロイスのホラ話
ただ第六天魔王って天照大神と契約してるって説話も残っているんだよな。
フロイスがそこまで知っていたのか....
第六天魔王との誓約には仏法忌避も含まれているから、
「天台座主」って名乗りへの最高のカウンターパンチともいえるし。
895:人間七七四年
10/03/20 02:22:37 GopwGXGs
この当時の世間的な「第六天魔王」のイメージは、能の「第六天」のものだと言い切っていいと思うが、
これに出てくる第六天魔王は、伊勢神宮で仏法修行している僧を邪魔しようとして、そこにやってきた
素戔鳴尊に、逆に眷属もろともフルボッコにやっつけられる、タイムボカンの三悪とか、あんな感じの
ヘッポコな悪党で、どう考えてもカッコ悪いキャラ。
あまり深い意味での皮肉とかがあったとか、考えない方がいいと思う。
896:人間七七四年
10/03/20 06:05:46 MAeLIqa1
第六天魔王自体が説話とかでいつも釈迦や善神に負けるって情けないかませキャラだしな
897:人間七七四年
10/03/20 07:34:10 iZ6J3+RR
ハクション大魔王だな
898:人間七七四年
10/03/20 10:04:38 PqrHZwTU
ジョークで噛ませキャラ名乗ったら
数百年後に恐怖の大魔王扱いされたでござる
899:人間七七四年
10/03/20 11:11:51 NivG+0tG
ヘタレ野郎信長
900:人間七七四年
10/03/20 12:13:39 qEepMkZ2
あの世で信長公はこう思ってるに違いない。
信長「ジョークにマジレスしてるやつらって何なの?馬鹿なの?死ぬの?」
901:人間七七四年
10/03/20 13:18:41 OxAfYk6E
小ネタ1発目を悪いスレに誤爆してしまった……orz
続いて2発目。
現在の岐阜県岐阜市。
岐阜城の東側に長森と呼ばれる地区がある。
当時はこの辺りを木曽川が流れており、渡河地点として戦略上の重要拠点であった。
南北朝時代には土岐頼遠が長森城を築城したが、古くからこの地域の一番の防衛拠点
と言えば、手力雄神社であった。
織田信長の美濃侵攻の際にも、岐阜にまで攻め込まれた事があったが、長森を最終防
御ラインとして、尾張軍を押し返した。結局、西美濃勢の裏切りがあるまで、信長が
長森を抜く事は出来なかった。
やがて信長の孫、織田秀信が岐阜城主になると、手力雄神社は勅願所として重用され
るが、関ヶ原の合戦の折、秀信が西軍に味方した為、東軍の攻撃に晒されて一帯は焼
け野原になった。
ある一人の侍が戦火の中、神社の御神体を抱えて避難した。
戦が終わって戻ってみると、手力雄神社は鳥居と扁額のみが残り、後は全て焼け落ち
ていた。
この侍によって御神体は無事だったため、後に復興する事が出来たのである。
現在、奇祭「火祭り」で有名な岐阜の手力雄神社がこれである。
……神体を抱えて逃げた人の名前も神社の由来書きの看板には載ってたんだケドね。
デジカメで撮ったらボケてて読めなかった(泣)
902:人間七七四年
10/03/20 13:19:38 OxAfYk6E
そして3発目。
現在の三重県四日市市富田。
JR富田駅前に庚申社と伝わる祠がある。
この庚申社、その昔、富田一本松に上陸して茂福城を攻めた末、討ち死にした織田信
長配下の将を祭って道祖神とした物だという。
武将の名は伝わっていない。しかし伊勢侵攻に討ち死にし、伊勢への道標として、そ
の道を守る役目を与えられた彼は果報者と言えるのではないだろうか。
尚、何故道祖神で庚申か、とツッこんではいけない。
っつーか、関東では庚申塔や庚申塚はあっても、社なんてあまり見かけないから、庚
申社って存在その物にちょっと驚いた。(^^;
庚申信仰と道祖神って、関係なさそうだケドなぁ……
以上、小ネタ3連発でした。
903:人間七七四年
10/03/20 13:22:23 OxAfYk6E
小ネタばかりでもナンなので、マトモな(?)ネタも一つ。
永禄7年の年末、大坂にて大火事が起こった。
「言継卿記」にも記されている大事件で、本願寺の本堂や寺塔が焼け落ち、大坂の町
にも多大な被害が出たという。
この火事に激怒したのは本願寺顕如。
「コレはテロや! せやろ? 自分らもそー思わん? ワイに敵対しとる連中が火ぃか
けたんや!」
未だ騒然としている町を厳重に警戒させた上、他国者を家に泊めないよう触れをだし
たり、一軒一軒宿を改めたりと大変な騒動となった。
そんな折、「たまたま」大坂に滞在していたのが我等がルイス・”坊さんなんて大っ
キライ”・フロイスくん。
堺から京に向かう途中、大坂で宿を取っており、この火事に遭遇したのだ。
コレはマズい。マズすぎる。
普段の言動が言動だ。見つかったら即、打ち首間違いない。
しかもこの時のフロイス、更に怪しすぎる行動を取っている。
つまり、当初は道中を共にしていた日本人キリシタンと別の宿を取っていたのだが、
夜半になって彼等の宿に移動。フロイスの元居た宿の付近から出火しているのである。
…あーこりゃテロだ。間違いなくフロイスのテロだ。
この怪しい行動を記述しているのがフロイス自身でなければ、後世の我々でもそう断
言したくなるシチュエーションである。
宿の主も面倒を避け、フロイス一行を宿から追い出す。
本願寺に通報しなかったのはせめてもの情けだろうが、厳戒態勢の中、町を抜け出せ
るあてもないのだから通報などしてもしなくても同じ事だろう。
が、そこで一人の男に出会う。
この男、フロイス一行が豊後から堺に向かう途中、船で一緒になった顔見知りであり、
そこで仲良くなった日本人キリシタンの仲介に寄って、彼の家に匿って貰える事にな
った。
男の妻は嫌がっていたのだが、男は「自分を頼ってきた窮鳥は見過ごせない」とフロ
イス達を匿い続けた。
本願寺の寺兵が男の家を改めに来た時には天井裏に隠れ、騒動が落ち着くまで静かに
過ごす毎日が続いた。
やがてほとぼりが冷めた頃、大商人である男は商売の荷を運ぶ振りをしてフロイス達
を大坂の外へと逃がしたのである。
男がキリシタンであったとか、後にキリシタンになったとか言う記述はない。
彼は純粋に「豊後からの船で知り合っただけの人が困っていたから自分の命をかけて
助けた」のである。
……フロイスの記録に「異教徒にも良い人がいる」という記述はない。
904:人間七七四年
10/03/20 14:21:38 WKVhMLME
どーせ
このような美徳を多く備えた男であったがキリストに帰依しなかったため地獄に落ちたのである
くらいしか書かんだろうしなw
905:人間七七四年
10/03/20 14:41:22 /UNchNLk
排他的過ぎてワロタ
906:人間七七四年
10/03/20 16:25:27 GjBgTr+V
バレたら本人だけでなく家族や親類まで類が及んでたってのは
フロイスにも想像ついただろうにな
神の善良な僕である自分は助けられて当然、むしろ異教徒に
善行を「させてやった」ってことなのかねえ
907:人間七七四年
10/03/20 17:07:05 Po5FbhNL
ただの日記じゃなくて報告書だからそういう風に書かざる負えない部分があったんじゃないかな
908:人間七七四年
10/03/20 18:07:34 KWz15EG4
西欧キリスト教だと「悪魔」は絶対悪だもんな。小暮閣下みたいな良い悪魔とかはそもそもありえない。
きれいなう○こときたないう○こなんてカテゴリがないのと一緒で、汚いものは汚い、悪いものは悪い。
和製RPGで「神聖魔法」なんてのがあるが、邪教の行いだから「魔」法なわけで・・
909:人間七七四年
10/03/20 18:16:16 3jdZs14p
一神教とか独裁者とかそんなの崇拝したくないね 気持ち悪い
910:人間七七四年
10/03/20 18:26:27 MAeLIqa1
まあキリスト教徒でなくても恩を感謝しないどころか仇で返す奴なんてゴロゴロいるし
フロイスがそういうタイプの人間だっただけもしれん
911:人間七七四年
10/03/20 18:54:09 +GqGE2Q+
風呂イスの話になると「あー宣教師ロクでもねえ」になるのは仕方ないのかな。
愛すべきDQNたちとも言えないしな……。
912:人間七七四年
10/03/20 19:09:54 RJcHr5Uq
>>908
そもそも現実の世界を舞台にしたゲームは滅多に無い訳で
キリスト教基準で魔法が神聖だなんておかしいなんていい様の方がおかしいと思うが
神の奇跡としての魔法なら西洋RPGでもわんさとあるし
それはさておき善悪に対するファジーさは日本人特有の観念と言う話は聞いた事あるな
913:人間七七四年
10/03/20 19:28:29 9sEI80Td
>>894
義教のフォロアーってのは、どこまで信憑性があるんだろ
914:人間七七四年
10/03/20 19:43:19 /RzbuWBy
フロイスは仕方ないよ
同じ宣教師でもインテリのヴァリニャーノからは
「お前は悪魔とか神とか言い過ぎ」とか酷評されてるし
そこが面白かったりするんだけどさ
915:人間七七四年
10/03/20 19:49:26 i1SGKbYS
フロイスのアレはそういうものとして解釈すれば面白いんだけど、
戦国入門書みたいな本でアレをソースに武将の性格とか逸話とか断定的に書かれるとなんだかなあと思う
916:人間七七四年
10/03/20 20:49:33 9sEI80Td
>>915
小和田さんとかは、「フロイスが言ってることと合致してるから、『武功夜話』にも、それなりの信憑性がある」
という傾倒ぶりですね
917:人間七七四年
10/03/20 22:08:02 xJ3bX4Jq
死んだプロテスタントだけがいいプロテスタント
918:人間七七四年
10/03/20 22:09:57 GopwGXGs
フロイスといえば「日本史」の中に当時のキリシタンの排他性や攻撃性をよく表してる話を思い出したが、
悪い話なのであっちのスレに書く。
919:人間七七四年
10/03/20 22:11:15 S8Jljp9k
思い出した
風呂の椅子買ってこなきゃ
920:人間七七四年
10/03/20 22:32:36 Li91tDWC
>>917
マクスウェル司教様乙です
921:人間七七四年
10/03/21 21:55:26 5RVd4+cT
徳川家康が駿府に隠居していたときのこと
駿府に挨拶に訪れた秀忠に、家康は、自ら茶でもてなし、
村田珠光がこれを見たとき感動のあまり頭巾を落としたという言い伝えのある「投頭巾の茶入」を送った。
秀忠は大喜びだった。
その後、家康は上機嫌で家臣にこう語った。
「よく隠居するときは財産も一切合財譲るのが潔いという人がいるが、何もわかっとらん。
人というものは、隠居してもいろいろ口は出したくなるものだが、子供にしてみれば全部引き継いだのだからいまさらなにをという気になる。
だから仲のよかった親子が、親の隠居後不和になることが多い。
わしのように財産を少しずつ譲っていくようにすれば、子は感謝の気持ちを持ち続け、仲のいい親子のままでいられる。」
同じ年に死んだシェークスピアの「リア王」など家康にしてみれば愚かさの当然の報いといったところか。
そういえば我が国にも息子に家督を譲ったはよいが、その息子が暴走して戦争を起こしまくり、息子に負けた敵に泣きつかれ、
渋る息子を説き伏せたものの、当の敵にさらわれ、息子に敵もろとも撃ち殺されたご隠居がいたような
922:人間七七四年
10/03/21 22:00:02 8q3UXV9P
>>921
いい話スレで最後の3行はいらん。気分悪いわ。
923:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/21 22:09:13 Iws8ZRCg
スレの使い方を教えたいならもう少し落ち着いて嗜めてやろうよ。無駄であったとしても。
924:人間七七四年
10/03/21 22:14:05 V1GNGC5W
求められたらなんでもやればいいって経久さんが言ってた
925:人間七七四年
10/03/22 00:07:16 dB+DUQm3
久野宗能の賭け
永禄十一年(1568)十二月、徳川家康は終に遠江に侵攻、今川氏真の籠る掛川城に向かった。
久野家の居城久野城は掛川城の西8キロほどの位置にあり、徳川軍の進行路にある。
今川家譜代の臣である久野家惣領、宗能は、徳川軍を迎え撃つ体制をとったが、そこに家康より
高力清長が使者として派遣された。あの「仏高力」として有名な男である。
「今川のお家はもはや長くない。我々徳川家にこそ頼られよ。」
久野宗能は大いに悩んだ。しかし、たしかに今川はもうおしまいであろう。そう思い、家中には
異論も多かったが、当時まだ25歳の、若き家康に久野家の未来を賭けた。
彼は家康に従い、遠江に侵入した武田家の武将秋山信友の部隊と戦い、その姿勢を鮮明にした。
ところがそうしたとたん、武田、今川より更なる寝返りを求める誘いが相次いだ。
今川氏真にいたっては、「家康を殺せば遠江一国を与える」とまで言ってきた。
これに久野家家中にはなびくものが現れ、一族の宗政は久野宗能に、
「掛川城の今川勢とともに、家康を挟み討ちにしましょう!」
と進言する。
久野宗能はこれを言下に却下したが、宗政は密かに仲間を集め、一族の日向守宗成、弾正忠宗らと、掛川城からの
援軍を頼んで宗能を討ち取り、その弟宗益を立てると言うクーデターの陰謀を企てた。
宗政らはこの陰謀を掛川城の側と連絡をとりながら進めたが、久野宗能はこれを察知し家康に通報した。
これを聞いた家康の行動は早かった。十二月二十一日夜、大久保忠世の部隊を久野城に派遣、宗政らクーデター一派を
成敗すると、さらに城外に大須賀康高、松平家次、家忠、水野忠重らを潜ませ、クーデター一派を援助するため
久野城に派遣された掛川城の兵を待ち伏せし、その多くを討ち取った。
久野家における宗能の反対派は、これで完全に排除された。
久野家の未来を、徳川家康という青年に賭けた久野宗能。
彼の家は家康とともに戦国を生き抜き、やがて伊勢田丸藩1万石として、明治まで続く。
今川家の衰亡と言う混乱の中での、ひとつの決断についてのお話である。
926:人間七七四年
10/03/22 01:40:31 Zn9VKSji
褒美は小出しにするってのは家康の論功行賞全般に言えることじゃないか
927:人間七七四年
10/03/22 08:42:24 V7sqgGgg
>>925
北信濃で似たような事があって、武田はこの際だから、全て殺して城を没収したことがあったような。
928:人間七七四年
10/03/22 09:07:58 tTYjgaQD
降誘しといて事が済んだら皆殺しとかは信玄の常套手段とも言える
ぶっちゃけた話、信州はそうやって平定した
まぁ、いい話ではないけどね
929:人間七七四年
10/03/22 10:13:53 RpT09CfS
戦国時代の逸話で
うどんやお茶売りやまんじゅ売りの商品買って飲み食いしたり
長陣になったからふんどし売りから新品買った、とかの話あんま見んね
室町の町民なんかはよく外食産業(というかファーストフード?)利用してたみたいだし
合戦の絵図なんかでは物売りとの売買の様子描かれてたりするし
雑兵レベルで陣中の物売りに纏わる話ぐらいあっても良さそうなんだけど…
このへんの一般庶民の生活関係って文書記録にはあんまり残ってないんかな?
(政治経済軍事関連じゃないし記録する価値ないから?)