10/03/10 23:55:52 5hMlbjkK
>>552
だいたいあってると思うけど気がついたところだけ
>近江守も山辺を動けないようです。
ここは
>江州(、)守山(ノ)辺ニ居陣之由
と区切って近江国守山(現滋賀県守山市。東海道を琵琶湖東岸沿いに彦根から京都に向かう途中にある)
に陣を敷いた、という意味かと。
>手人数
は、各自の手のものの軍勢、とするとより現代語っぽいかな?
>一長尾景勝トノ和睦ハ無レ之候。其手当ニ結城三河守・政宗ナド被(レ)残候ト申候。政宗ハ一筋ニ家康ヘ一味之由候。
上杉景勝との和睦はなされていません。なので警戒のため秀康、政宗などを向こうに残してこられた人のことです。
政宗はこれまで一途に家康に味方してきた、ということです。
くらいではないかと。「無之」をあり得ない、はやや言い過ぎに感じたのと「政宗が信頼された」と読める文章ではないと思うので。
>信州の真田は東軍の敵になり、徳川秀忠、榊原康政などが信州に差し向けられたと言うことです。
これも手間の掛ることです。上洛のことなど申し付けているようです。
は
>是モ手間不(レ)可(レ)入候間、一途被(二)申付(一)、上洛トノ事ニテ候ト申候
とあるので、
手間もかからないハズだろうことなので、集中して取り組むよう(家康が秀忠に)申し付けなされ、
としたほうがよいかと。
以上差し出がましいとは思いましたが私見を加えさせて頂きました。