10/03/09 10:18:57 Hau0spFR
悪い話だと悪意を持って書かれる事が多かったり、アンチが寄って来て
大いに盛り上がるが、良い話だとあまりレスがつかない伊達政宗の
ちょっと良い話。
ある時、近隣の小姓や若手衆に屋敷の掃除を命じたのだが、その際に
某という者に掃除の差配役を執らせた。するとその某はなぜか表立っては
見えぬ場所ばかりに掃除の指示を出していたので、他の若衆がなぜ見えぬ
場所ばかり掃除させるのだと詰め寄ってきた。
するとその某は「見える所はそれほど入念にせずともよい。
むしろ縁の下や人の目が付かぬ場所こそが、お家のためには肝心ぞ。」
と説明した。
これを聞いたあるものは「ははーん、これは奉公の心構えの事を
言ってるおるのだな」と思い、あるものは「そんなものか」と思い
それぞれ納得して指示に従った。
それをたまたま見聞きしていた政宗、掃除が終わったあとにその差配していた
某を呼びつけこう言った。
「よいか、お前は見所のある若者なので、いずれ人の上に立つ役職を
任せるつもりである。たしかに武士においては表だけでなく裏にも
気を使うのは重要であろう。だが才気ばしって裏にばかり気を使い、表を
おろそかにするものは、いたずらに足元を救われる事になる。
人の上に立つ者であれば裏だけでなく表も十分に気をつけておくのが肝要ぞ。
でないと下の者を路頭に迷わせる事になろう。ゆめゆめ忘れるでないぞ。」
と諭したので、その若者は自分の考えを恥じ、次からは表も裏も両方綺麗に
掃除するようになったそうな。
政宗の家臣への心構えを教訓した、ちょっと良い話。
499:人間七七四年
10/03/09 10:32:29 EziRHQmd
これが徳川や北条だったら「GJ!」だったんだろな。
500:人間七七四年
10/03/09 11:29:50 PD5IsPJx
まーくんは意外にいいこともいろいろ言っているよね
ただまぁ・・・普段の行動がいろいろアレだから仕方ないんじゃないかw
501:人間七七四年
10/03/09 11:54:01 08SWcPaB
>>495
一豊は初め、毛利の押さえとして後方にいたけど、西軍が崩れて毛利が動く気配がないから、
後半は少し前に出ているよ
502:人間七七四年
10/03/09 11:56:21 YYpR8QBi
まーくん言うなキモイ
503:人間七七四年
10/03/09 12:13:54 SmfJ7ABA
俺の友達にも「まーくん」がいるので混同・・・はしないがウザイね
504:人間七七四年
10/03/09 15:39:59 b2i+KLzP
定着しちゃってるからいんじゃね?
505:人間七七四年
10/03/09 15:48:24 RBpEHrNq
そう呼びたい奴は呼べば良い。
嫌ならスルーするなりNGワードに登録するなりすれば良い。
自分が気にくわないからと言って自分の意見を押し付けるのは大人げないよ。
506:人間七七四年
10/03/09 16:13:57 4nI+tBEE
あいだをとってぼんちゃんではどうだろう
507:人間七七四年
10/03/09 17:07:32 crCk++yG
>>498
政宗の言うことが『正しい』というわけでもなさそうだ。
彼は見えるところを非常に重視しそうなタイプだからね。
508:人間七七四年
10/03/09 17:22:37 nkAajDRY
>506
「まっさん」とかどうよw
509:人間七七四年
10/03/09 18:12:57 6E4TWjYl
分相応に表側もきちんとしとかないと、いらない誤解を招くんだよ
どんなに立派な人だって
それじゃつまんないよ?という説教だから、政宗も年の功がついてきた頃か
510:人間七七四年
10/03/09 18:23:29 zz0hgMtj
四天王筆頭なんだから、筆頭でいいじゃん。
511:人間七七四年
10/03/09 18:38:15 OxRzOlIA
筆頭とかいってるとアレが沸くから止めてくれ
512:人間七七四年
10/03/09 19:12:19 2FRun1PX
竜造寺五天王が湧くからな
513:人間七七四年
10/03/09 19:17:24 8Gj7q8mq
>>507
才気ばしった若侍を、たしなめたんだろうな。
俺はその若侍のやり方はなんかいやらしいと思った。
自分が正しいとおもってやってるというより、人の意表を
突いたり、裏をかくようなやり方。
514:人間七七四年
10/03/09 20:25:51 YShFZs9P
まとめにも載ってるけど、平塚為広といえば娘も怪力で、
関ヶ原の後に京で捕まった時、捕り方をぶちのめして逃亡したという逸話があるな
弟の越中守も怪力だったという
515:人間七七四年
10/03/09 20:29:07 /uMwPcHR
>>491
樫井が桜井に見えてしまった・・・広大・・・ すまん。
516:人間七七四年
10/03/09 21:37:41 EiK8r/3/
1. 武田信玄 382 (110 82 96 94)
2. 織田信長 380 (100 89 94 97)
3. 徳川家康 377 (96 87 94 100)
4. 太田道灌 376 (99 88 99 90)
5. 北条氏康 376 (96 79 94 107)
6. 北条早雲 369
7. 伊達政宗 367
8. 毛利元就 365
9. 真田昌幸 362
10. 明智光秀 361
関東半端ねえな
517:人間七七四年
10/03/09 21:38:38 EiK8r/3/
誤爆
518:人間七七四年
10/03/09 22:18:24 iblcA1nR
>>506
むかしマガジンでやってたトンデモ漫画思い出すから勘弁w
519:人間七七四年
10/03/09 22:39:44 ljGEONfb
一升もらった米のうち、おかずと交換したり売ったりすんだろ
みな食えるわけねえべバカ
520:人間七七四年
10/03/09 23:58:33 sd48GHx1
いや、基本的に食べるんだ。
そもそも戦場では出火を恐れるから炊事はまとめてやるので
末端の兵士には炊き上がったコメが回ってくる。
で、炊いてあるので麹を仕込むだけで酒が作れる。
一週間もかからずに酒らしいものができるみたい。
それに敵地で敵の領民と食べ物の交換なんて危険なことしないよ。
そもそも地元民は付近の城や山中に避難してるからしたくても無理。
521:人間七七四年
10/03/10 00:30:54 4rIOzYmV
戦国時代におかずって発想はねえよw
522:人間七七四年
10/03/10 01:19:31 CSkD1zzo
つーか、おかずは配給されないのか?
おかずを運搬する荷駄方はいないのか?
味噌だけ?
まあ桶狭間と小田原でもぜんぜん違うだろうし一概には論じられまいが
523:人間七七四年
10/03/10 01:34:32 4QUdxjx4
おかずっていうかなぁ
普通は米配給、後は持ち出しで味噌とか梅干しとかだろう
腐ると困るし、普通のおかずとか調理してられんしな
524:人間七七四年
10/03/10 01:42:33 CSkD1zzo
せめて塩くらいはほしい
525:人間七七四年
10/03/10 02:23:43 4QUdxjx4
まぁ、行軍時とか危険じゃ無いときは普通に汁物とか作って飯喰ってただろうけどね
獣狩ったり、戦闘中じゃなきゃ物売りとかも居ただろうし
戦国後期つうか、秀吉時代になると飯は完全配給制になるらしいけどね
526:人間七七四年
10/03/10 07:54:57 c+fHEDUu
忠世殿が芋汁を煮込み始めたようです
527:人間七七四年
10/03/10 08:21:48 +fs0BLaT
>>514
怪力一族についてkwsk
528:人間七七四年
10/03/10 10:34:11 Y35P95PK
>>526
直正「醤油入れて!」
529:人間七七四年
10/03/10 12:40:39 B45w+b/S
名将言行録と武功夜話ソースの話しは止めろ
信憑性がまったく無い
530:人間七七四年
10/03/10 12:51:44 /opLw7ZH
ここは信憑性を議論するようなスレじゃないんだがね
こういう逸話もあるよ、と紹介するスレなんだし
信じるも信じないもあなたの自由
531:人間七七四年
10/03/10 15:03:55 fX078q3W
芋づるを干し、そこに味噌汁をしみこませた物を縄になって、腰紐にして持って行ったという話は
何かの番組で見たような記憶がある
今は亡きCSベネッセチャンネルの番組だったような
芋づるとは言っても縄は縄、こんなの食えるのかよと思いながら見ていたんだが
何もおかず無いよりましだったんだろうな
532:人間七七四年
10/03/10 15:15:24 6UHPSk7P
心が甘う感ずるのです
533:人間七七四年
10/03/10 15:19:12 7k6iORGP
>>522
この時代は、基本は一汁一菜だから
534:人間七七四年
10/03/10 15:27:39 07vNpo+b
テンプレを読まずに書き込むのは止めろ
マナーがまったくなって無い
535:人間七七四年
10/03/10 18:05:49 /oZAprLP
>>533
一汁一菜は中流階層以上。
下層になると汁ものに香のもののみ。
ちなみに香の物を一品と数えるようになったのは明治以降。
西洋料理が流入した時にサラダが一品と数えられているのを真似たらしい。
江戸時代にも松江藩がおかず禁止令を出して一汁一菜を贅沢扱いしてるよ。
536:人間七七四年
10/03/10 18:49:16 nZNYcY5s
勉強になるなぁ
ゲームヲタばっかりのスレとちがってええなぁ
537:1/2
10/03/10 19:10:24 3W7heOj6
関ヶ原の決戦が終わったが、信州上田城では真田昌幸が未だ、籠城を解いてはいなかった。
このため徳川家康の命により、真田信之が降伏勧告の使者として上田に派遣された。
上田城で信之は昌幸に対し、降参するよう様々に説得したが一向に聞き入れず、かえって
「信之、お主は長く家康に仕え、さらに本多忠勝の婿でもある。であれば家康も、お主には心を許しているだろう。
ならば信之!お前が近侍した際、父の望みに従い家康を刺殺すのだ!
それは出来ないと言うのなら今ここでおまえの首を撥ねる!」
などと言い出した。しかし信之、これに少しも騒がず
「御高恩を頂いている内府公を討つと言うのなら、父ではあっても君敵であります。
その君敵とは今ここで雌雄を決するべきなのでしょうが、私は大事の使者としてここに参っており、
使者として帰り、家康公に子細を言上しない内に、わたくしに討ち果たすような真似をすれば、それも君への
不忠で有ります。
…ご報告を終えた上で、重ねて潔く勝負を決しましょう!その容易をして待たれよ!」
そう言い放って座を立った。これには昌幸も、「信之の言う事、尤もである」と言って、奥の間に引っ込んだそうだ。
さて、家康の元に戻った信之は会談の内容をありのままに家康に報告した。
家康は昌幸の武勇、信之の忠節に感じ入り
「そう言うことであればお主の手で上田を攻め、父弟の首を取ってくるが良い。
その時は信州一国を与えるであろう。」
信之は宿所に帰り、早速出陣の準備をした。
ところがそれから暫くして信之、再び家康の元に御目通りを願い出た。
「いったいどうした?出陣の引き延をしたいのか?」
「この度父への討手を仰せ付けられ、その御高情上身に余ると感じております。
…しかしながら出来れば、御恩賞の御朱印を賜った上で出陣いたしたいのです。」
「おお、その事忘れておった。」
538:2/2
10/03/10 19:11:07 3W7heOj6
家康はその場で御朱印を信之に渡した。信之は畏んでこれを頂き宿舎に帰ると、
何故か又すぐに家康の元に戻った
「お訴えしたき儀が有ります!」
「度々どうしたのだ?出陣にあたり加勢が欲しいのか、それとも具足兵糧が不足しておるのか?それであれば
望みどおりに…」
「いいえ、先程も言いましたが、私が父の討手を仰せつかったこと、生前の面目、これに勝ることは
ございません。」
「ならば…」
「…ですが!我が父の一命をお助けいただけるのなら、その上の厚恩でございます!
しかれば先に賜った御朱印を、返上したします!」
そう、涙を流して訴えた。御朱印を返すとは、信州一国の報奨を放棄してでも父の助命を願う、
ということである。
家康これを聞いてたちまち機嫌を悪くし、黙然と座を立って奥に入ってしまった。
信之は一人、その場に残された。
暫くして、
信之に声がかかった。「内府公が呼んでおられる。」
御前に出ると、家康が言う
「そなたの願い、尤もである。日頃の忠節に免じ父弟の命、助けてとらす。」
信之はこれに大いに喜び、すぐに上田へと馳せ行きて助命のことを報じ、これによって昌幸、信繁親子も
城を出ることに同意した、とのことである。
真田信之、父弟の助命を得る、の一席。
539:人間七七四年
10/03/10 19:23:51 ajLypH9w
奥では平八郎が戦の準備をしてました
540:人間七七四年
10/03/10 19:31:34 CRtaOmN8
褒美の約束させといて、それを元手に自分の要求通すとかw
こういうしたたかさがあったからちゃんと家を守れたんだろうな。
541:人間七七四年
10/03/10 19:38:31 DOIfwgLL
真田信之「やれやれ、寿命が10年縮んだわ」
542:人間七七四年
10/03/10 20:00:17 BvrQAUfP
信之兄ちゃんかっこいいぜ!
543:人間七七四年
10/03/10 20:26:17 To0lDGnM
ここでお兄ちゃんの逸話を読んでからは
「信繁の兄」じゃなくて信繁の方が「信之の弟」
の認識になったぜ。
一昔前は「乱丸の兄」と呼ばれていたあの人のように有名になって欲しいな。
544:人間七七四年
10/03/10 20:31:07 ihGsASaS
>>543
真田三代といえば幸隆、昌幸そして幸村
「幸村の兄」と「幸村の中の人」には不憫な話だ
545:人間七七四年
10/03/10 20:46:41 2bnwTzRy
昨朝御見廻申候ヘバ、早天ニ大津ヘ御越之由候間、大助ニ申置帰山申候。主水ヲモ遣シ候ヘ共、未内府ハ大軍ニ付、路つかへ、江州守山辺ニ居陣之由申、
昨日主水も従((二)中途(一)帰申候。御仕合如何候哉
一一昨夕彼陣床ヨリ拙者ヘ参候者、直ニ語候趣、為ニ御心得一申候。内府ハ当月朔日ニ国本ヲ出馬候テ、十四日ニ大ガキ表ヘ被(二)押寄(一)候ヲ、
大ガキノ軍勢石治少・島兵入・小西ナド見候而、山ヘ取上リ候。内府ハ五万程ニテ、手人数各別ニ備ラレ居陣候
一先手之人数ハ、福島一番・長岡越中二番・金森法印三番・田中兵部其外上方之人数四万計、面々ニ備、青野カ原ニテノ合戦ニテ候。即時ニ切立得(二)大利(一)候。
番ヒニ金吾手ヲカヘサレ候。其太刀場ニテ、大谷刑部討死候テ、其マヽキリ崩候。上方ヨリ出陣ノ人数五万計候。四五千モ討死候ト申候
一十九日ニ沢山ヘ取カケラル、則落居候テ、石治少子・杢ナド討果候由候
一石治少・島兵入ハ山ツタイニ引退候ト相見、行方不レ知候。越州ヘノキ候ハンカト申候。生捕ニ仕候トノ沙汰ハ、ウソニテ候ト申候
一キヅ川ハ輝元被レ取候。知行分悉給置候者家康ヘ味方ニ可レ参候トノ(アツカイ)ニテ候ヘドモソレハ余之□之由候テ、半分ノ契約ニテ、一味申候トノ事候。
安国寺ハ乗物ニテノキ候ヲ、キヅ川者共追懸候ヘ共、行方シラス見失候。生捕之沙汰不(レ)存候ト申候
一備前宰相ハ討死トノ事雑説候。無(ニ)異儀(一)之由申候。是以味方ニハ不(レ)成被(レ)申
一長尾景勝トノ和睦ハ無レ之候。其手当ニ結城三河守・政宗ナド被(レ)残候ト申候。政宗ハ一筋ニ家康ヘ一味之由候。白石ト哉ラン申候城、景勝抱候ヲ此方ヘ被(レ)取、政宗入城之由候。
此城前々政宗城由候
一佐竹ハ景勝・石治少ナドヘ一味之由申候而隔心ト相聞候ト申候
一信州サナダハ敵ニ成候テ、中納言忠秀・榊原式部少輔ナドハ、彼国ヘサシムケラレ候ト申候。是モ手間不(レ)可(レ)入候間、一途被(二)申付(一)、上洛トノ事ニテ候ト申候
一ナツカ大蔵ハ、ミナクチノ城ニ居候。ソレヘモ人数サシコサレ、可(二)討果(一)之由ト申候
三奉行ハ可(レ)有(二)成敗(一)之由ニテ候ト申候
一昨日ヨリ風聞ハ、ナツカ大蔵ハ内府ヘカケ入候ト申候。内府被レ申候ハ、ヨクトモ悪クトモノ事候由候ト申候。此儀ハ昨日ヨリ承候、事実ハ不(レ)存候。
右之趣ハ水不(レ)入慥之事候、彼虎口ヨリ直二当所ヘ参候モノニテ候。直ニ承候間、為(二)御心得(一)ニ申候。以上
九月廿日 東入
猶々如レ此処ニ、津小平かたより書状くれ候て、内府今日大津へ被(レ)越候由、由来候間、主水をも又さし遣し候。今日又御越候哉、定可(レ)有(二)御聞(一)候へ共、令レ申候。
書中御らんじ候ハヾ火中々々
近衛前久が子の信尹に送った手紙なのだが…何、この状況把握の正確さ
これこそが本当の情報戦というものなんだろうな
それにしても信尹、親父に読んだら燃やせと書いてあるのに何故残す。こういう所が駄目なんだろうなと思うわけで
546:人間七七四年
10/03/10 20:54:05 wNODDkV7
大助とか主水って誰だろ
547:人間七七四年
10/03/10 21:02:57 2bnwTzRy
>>546
近衛家の家臣でしょうな
548:人間七七四年
10/03/10 21:15:00 wNODDkV7
いやそれは解るんだがw
名も無き中間みたいなモンかな
549:人間七七四年
10/03/10 21:22:43 2ceSwBpA
黒田孝高はカコイイ!
550:人間七七四年
10/03/10 21:33:13 c0TrDTqW
>>543-544
昌幸は4兄弟、信之と信繁で二人兄弟だと思ってる人も多いんだろうな
551:人間七七四年
10/03/10 22:33:46 m201krkJ
>>545
佐竹、政宗なんかの言及はあるけど九州方面は記述がないんだな
しかし読みなれてないから候文は読みづらいわw
552:2/2
10/03/10 22:35:08 3W7heOj6
>>545
訳してみた。色々意訳したので、間違いなどあったら許して欲しい。
昨朝お訪ねしたところ、早朝に大津へ行かれたとのこと、大助に申し置いて帰ったのですが、主水も
念のため遣わしました。ですが、内府(家康)の軍は大軍であるため、道は渋滞し、近江守も山辺を動けないようです。
昨日主水も諦めて途中で帰ってきました。こんな状況です。
・一昨日の夕方、戦場より私のところに参ったものが直に語ったことです。そういう重大な情報なので良く心得て
読んでください。
内府は今月1日に国元を出て14日に大垣表に到着しました。大垣の石田三成、島左近、小西行長などの軍勢は
これを見て山に上がり陣をはったとのこと。内府の軍勢は5万ほどで、手人数別に備えを敷いた布陣であったそうです。
・東軍の先手は、福島正則が1番、細川忠興が2番、金森長近が3番、そのあと田中吉政など、計4万ばかり。
それぞれに備を作っていた。
青野ヶ原での合戦ですぐに敵を斬りたて大いに手柄を立てたとのこと。そのうちに小早川秀秋が手を返し、
その攻撃により大谷吉継が討死し、大谷の陣はをのまま斬り崩されたとのこと。
上方より出陣した(西軍の)人数は5万ほどだったそうですが、そのうち4,5千も討死したということです。
・吉川広家は毛利輝元の命で家康と交渉し、領地はすべてそのままと言う条件で家康の味方になる、との
扱いになったが、それはあくまで表向きの発表で、実際には領土半減の条件で、家康に降参したとの話である。
安国寺は乗り物に乗って逃亡した。吉川の手の者たちが追いかけたが見失い、行方が知れない。
捕縛されたとの情報も無い。
・宇喜多秀家は討死したとの噂です。これを否定する話も聞きません。秀家が東軍に降伏し、命乞いを
するようなことも無いでしょう。
・上杉景勝との和睦はありえないとのこと。家康は景勝に対処するため結城秀康、伊達政宗らを残しておいたのだと
言うことです。政宗がこの様に信頼されたのは、政宗が一途に家康に一味しているためであったからだそうです。
白石城と言う景勝方の城を政宗が取り、ここに入城したとのこと。この城は元々政宗の城だったとのことです。
・佐竹は上杉景勝、石田三成などと一味していたので、家康との間は心隔たる関係であると聞き及んでおります。
・信州の真田は東軍の敵になり、徳川秀忠、榊原康政などが信州に差し向けられたと言うことです。
これも手間の掛ることです。上洛のことなど申し付けているようです。
・長束正家は水口の城にいたようですが、そこにも東軍の軍勢が派遣され討ち果たされるだろうとのこと。
三奉行はみな成敗されるであろうと言うことです。
・昨日聞いた噂によると、長束正家が家康の元に駆け込んできたとのこと。これに家康は
「良いことでも有り、悪いことでも有る」と言ったそうです。この事は昨日聞いたのですが、真偽は不明です。
右のことは私と親しい関係の者が、あの戦場より直に私のところに来て、それを私が直に聞いたものです。
これをよくよく心得てください。以上
九月二十日 東入
P.S. 今、津小平から書状が来て、家康は今日大津に行かれるそうです。そういう事なので主水もまた差し遣わします。
今日家康が大津に来られると言う事、ご当地にいるあなたも聞いていらっしゃるとは思いますが、一応
ここに書いて置きます。
この書状を見たら、火の中に火の中に。
553:人間七七四年
10/03/10 22:40:20 m201krkJ
>>552
乙、大分読みやすくなった
ってか燃やす必要あったのかなこれ?
554:人間七七四年
10/03/10 22:47:45 2bnwTzRy
家康の周辺にこれだけの情報を入手できる者がスパイとしている事になる
555:人間七七四年
10/03/10 22:48:10 3W7heOj6
>>552
ああ、入れ忘れがあった。12行目の
>上方より出陣した(西軍の)人数は5万ほどだったそうですが、そのうち4,5千も討死したということです。
の後に
・19日に佐和山城を攻撃し、落城、石田三成の子や石田正澄(木工頭)など討ち果たされたとのこと。
・石田三成、島左近は山伝いに引き退いたようで、現在行方不明です。越後へと逃亡したのではないかと言う噂です。
生け捕りになったと言う噂もありますが、それは嘘だと言うことです。
これを入れてくださいw;
556:人間七七四年
10/03/10 23:02:08 zsWXBu5D
やっぱ一番情報をもっていたのは豊臣政権の中枢だったナイフなんだな
他とは力量が違いすぎる感じがする
557:人間七七四年
10/03/10 23:08:06 yCcBCKHJ
あれ?内府は”だいふ”って読むんじゃ…?
558:人間七七四年
10/03/10 23:23:10 UvpuqCrj
鳥見の新助の忠勤
関ヶ原の勝利の余韻も覚めやらぬ慶長十三年頃の話である
駿府の城下に鷹匠の下役で「お鳥見」を勤める大岩新助という五十石取りの若い小者がいた
この新助、大変な大酒飲みなのだが、酒癖が極めて悪く、いつもいつも泥酔しては
半裸で全身泥だらけになって大手門の前で大の字になっている
そんな新助を町の衆らが戸板に乗せて、ワッショイワッショイ担いで
神輿のように部屋に戻してやるのが、城下町の名物になっている有り様であった
それだけの酒癖ならかわいいものなのだが、時折新助は酒を飲むと
女の行水を覗きに行くという悪癖があり、これがどうしても直らなかった
この時代のことだから、あまり問題にはならなかったが、それでもやはり
人の屋敷をこっそり覗き込み、女のあられもない姿を見つめているのはあまり誉められる行いではない
ある日とうとう武家の屋敷を覗きこんでいる所を同心に見咎められてしまった
本来なら召し放ち、悪ければ屋敷の主人に斬られてもおかしくない所だったが
新助は、口笛一つで五十羽百羽の鳥を集められる天才的な鳥刺しだったから
家康に庇われて、街道筋から伊勢路、美濃路にかけて、
鳥見をしながら三年ほど廻ってこいと命じられた。体のいい追放だった
百姓の小倅であった自分が、二本差しの身分となり禄を得ているのも
主君である家康の寵愛があってのことであるというのに
自分はそんな家康の名前に泥を塗ってしまった
酒が入らなければ基本的に真面目で気弱な新助は恥入った
そしてどうにか汚名を挽回できぬものかと考えた
しかし元々が鳥刺しの腕一本で取り立てられ、無学文盲の新助には
ろくろくその恩に報いる手段も考えつかなかった
新助は鳥見の仕事をし、街道を行き来しながら寺に通い、読み書きを習い始めた
寺に通う間はあまり大酒も飲めなかったから、悪癖は鳴りをひそめた
数年の手習いで、あまり上手いものではないが、文の一つもしたためられるようになり
行儀などもめっきり良くなった新助は、三年の勤めを終えて駿府へ帰った
新助の成長を上司も家康も大変に喜んでくれた
読み書きを覚えた新助には仕事が増えたが、喜んでどんな仕事もしたから
ますます家康に可愛がられ、更に十石を授かった
そうして数年経った頃大坂の役が起こった
ここで働きを見せれば、大御所様の恩に報いることができる
新助も鳥刺しの道具と槍を持って出陣した
奇妙な姿であったから、皆はそれを笑ったが家康は少し笑っただけで何も言わなかった
必ず手柄をたてますると意気込む新助を、家康は笑って送り出した
意気込みは一人前だが、鳥刺しの腕は良くても新助の槍の腕はからっきし
それでも勇敢に戦って、彼は茶臼山の戦いで華々しく討ち死にした。三十四歳だった
知らせを聞いた家康は目を閉じて俯き、しばし無言であったという
新助の最期は駿府の街にも伝えられ、人々はその見事な最期を口々に言い伝えたのだった
559:人間七七四年
10/03/10 23:31:31 tupmrCMS
汚名はやっぱり返上しないとね^^
560:人間七七四年
10/03/10 23:33:41 zsWXBu5D
いやいやここは挽回すべきだろう^^;
561:人間七七四年
10/03/10 23:34:40 UvpuqCrj
あ、やるまいと思ってやっちまった…
恥ずかしくてしにたい…すみません…
562:人間七七四年
10/03/10 23:35:00 4QUdxjx4
田代癖を400年経っても忘れてもらえないのはキツイんじゃなかろうかw
563:人間七七四年
10/03/10 23:36:41 tupmrCMS
なんか変な揚げ足とってゴメンよ・・・
564:人間七七四年
10/03/10 23:55:52 5hMlbjkK
>>552
だいたいあってると思うけど気がついたところだけ
>近江守も山辺を動けないようです。
ここは
>江州(、)守山(ノ)辺ニ居陣之由
と区切って近江国守山(現滋賀県守山市。東海道を琵琶湖東岸沿いに彦根から京都に向かう途中にある)
に陣を敷いた、という意味かと。
>手人数
は、各自の手のものの軍勢、とするとより現代語っぽいかな?
>一長尾景勝トノ和睦ハ無レ之候。其手当ニ結城三河守・政宗ナド被(レ)残候ト申候。政宗ハ一筋ニ家康ヘ一味之由候。
上杉景勝との和睦はなされていません。なので警戒のため秀康、政宗などを向こうに残してこられた人のことです。
政宗はこれまで一途に家康に味方してきた、ということです。
くらいではないかと。「無之」をあり得ない、はやや言い過ぎに感じたのと「政宗が信頼された」と読める文章ではないと思うので。
>信州の真田は東軍の敵になり、徳川秀忠、榊原康政などが信州に差し向けられたと言うことです。
これも手間の掛ることです。上洛のことなど申し付けているようです。
は
>是モ手間不(レ)可(レ)入候間、一途被(二)申付(一)、上洛トノ事ニテ候ト申候
とあるので、
手間もかからないハズだろうことなので、集中して取り組むよう(家康が秀忠に)申し付けなされ、
としたほうがよいかと。
以上差し出がましいとは思いましたが私見を加えさせて頂きました。
565:552
10/03/11 00:11:04 5K9XAPPc
>>564
おお、ありがとうございます。大感謝。
浅学を恥じるばかりです。
566:人間七七四年
10/03/11 07:51:32 RXDaSmjk
実は"汚名挽回"は日本語上何もおかしくない
"汚名を挽回"ならなおさら
567:人間七七四年
10/03/11 08:06:05 XR85dJq8
>>557
自分も「だいふ」だって前思ってたんだけど、「ないふ」って読むことも多いよね
どっちでしょうか…どっちもあり?
568:人間七七四年
10/03/11 08:08:19 6pB7TeCo
>>566
URLリンク(oshiete1.goo.ne.jp)
本質の意味としては間違ってないのか・・・日本語って奥深いな
569:人間七七四年
10/03/11 08:13:00 Z4Q+oPJY
>>567
昔はそこまで漢字や読みの正しさに厳格じゃなかったしね、どっちもありでしょう
570:人間七七四年
10/03/11 08:34:03 Rsdq9XLX
色々試してみたけど変換できないなうちのIMEじゃ>内府
571:人間七七四年
10/03/11 08:39:35 4Go6kWr8
IMEの糞っぷりは異常
572:人間七七四年
10/03/11 08:43:48 INUFfZ4q
>>566
なぜに?明らかにおかしいと思うんだが。
"汚名を挽回"なら、なおさらおかしいと思う。
深い理由があるなら、後学のために教えてもらいたい。
573:人間七七四年
10/03/11 09:38:09 IUqi3gtT
挽回って回復するとか元に戻すとかそういう意味だけど
「良い方に」って意味が強いと思う。
例えば劣勢を挽回すると言うと劣勢に戻すという意味じゃなくて
劣勢なのを良い方へって意味だから汚名を挽回も同じだな。
574:人間七七四年
10/03/11 09:39:58 NBu00oDq
>>572
明らかにおかしいと言いながら根拠を出さないのは単なる思い込みだと思うがw
まぁそれは置いておいて簡単に言うと挽回には「取り戻す」だけではなく
「巻き返す」、「回復する」という意味があるから問題ないんだそうだ
同じような成り立ちの四字熟語に「疲労回復」といったものもあるけどこれも疲労状態に回復するという意味ではない
”汚名を挽回”ならなお良いとしているのは”劣勢を挽回する”といった用法が存在するからでは?
まぁちょっと前に間違った日本語が云々ってのが流行ったけど実際間違ってなかったってのは結構有るみたいよ?
「全然~ある」とか
575:人間七七四年
10/03/11 09:49:52 ObkkZwct
音さえ通じれば、表記に関してはかなりいい加減だったみたいね~
宇喜多、宇喜田、浮田、どれも平気に使われてたんだっけ?
576:人間七七四年
10/03/11 10:29:44 /PRsasei
漢字がちょっと違ってるだけで捏造だとか騒ぐバカどもってどうにかならんの?w
577:人間七七四年
10/03/11 10:30:00 gjEjf7Do
宇喜多秀家はろくに漢字書けないから
578:人間七七四年
10/03/11 10:31:24 OYHl4/x1
大五と書けやい
579:人間七七四年
10/03/11 10:51:18 SvOuxvEW
なんだっけ武家と公家で官位の読み方が違ったりするんだっけ?
内府はダイフだよとか、いやナイフでもいいんだよとか特にややこしかった覚えが…。
ダイフって読んでた人もいたのは間違いないと思うけど…前読んだ昔の本で大府って書かれてたw
580:人間七七四年
10/03/11 10:57:04 shfHi6O1
千のナイフが胸を刺す!
581:人間七七四年
10/03/11 10:58:10 GNJ7x+7z
>>546
遅レスだが。
この時代の大輔や主水って、階位のことじゃないの?
「大輔」が、省庁の事務次官、つまり機関のトップ的位置。
582:人間七七四年
10/03/11 11:49:21 INUFfZ4q
確かに最近では一部で、汚名挽回は誤用ではないとのなどの意見は聞くが
それはまだまだ世の中の主流の意見ではなく、言葉の意味をいたずらに
曲解して、誤用を誤用でないといってる人の意見に思えるのだが。
そこを取って日本語的に間違いではない、思い込みだなどと断定するのはいかがなものか。
「挽回」という言葉には、失ったものを取り戻す、巻き返す、回復するなどの
意味があると辞書などには表記されているが、これが誤用ではないと勘違いされるやっかいな原因だと
思われる。
まず「回復」という意味で、類義語の例として出された「疲労回復」であるが、
「疲労挽回」では違和感を感じないだろうか?なぜなら回復というのは結果の事であって、下記の事も含めて考えると、
挽回とは大まかな意味は似てても少し意味が異なるからではないかと思う。
では、「劣勢を挽回する」ではなぜ正しいのかというと、劣勢とは
ある駆け引きの中で、優勢・劣勢のふり幅がある状況を指す事柄であり途中経過であり結果ではない。
疲労挽回ではなぜおかしいのか?の理由に、「挽回」とは一度不利になった状態を良い方向に
巻き返すために、何がしかの努力、争いをし優位な立場を目指そうという「過程」が窺えるからである。
で、あるから一度劣勢になった状況を優位なものに盛り返すために努力し駆け引きをすること=挽回であり、
挽回したとて優位にはならない「疲労挽回」と違い、「劣勢を挽回」はおかしくない。
また名誉挽回も元の高い位置に戻り、優位性を目指す意味では正しい用法である。
しかし「汚名」は「回復」と同じ結果であり、状況的ふり幅がある過程の話でもなく
よしんば「汚名」を回復したとて、「名誉」になる訳ではなく、さらに優位になる訳でもないので
挽回を使うには適正ではない。
「汚名」をそそぎ、良い方向に盛り返すために挽回するという意味にするなら「汚名挽回」だけでは
言葉足らずである。
なので、「名誉挽回」は正しく「汚名挽回」は誤用、やはり「汚名返上」が正しいと思われる。
スレ違いな上、長文失礼。根拠を出せと言われたので、浅学ながら自分なりの根拠を
書かせてもらいました。
583:人間七七四年
10/03/11 11:53:30 sy1wYVlq
なんつーか
すげえな
584:人間七七四年
10/03/11 11:54:16 /NlzbiAq
名誉卍解
585:人間七七四年
10/03/11 11:55:06 NBu00oDq
ほんとスレ違いだし俺が言った事の意味を取り違えてる時点で読む気が失せた
熟語としての成り立ちが同じとは言ったが語義が同じとは言ってないよ
違和感とか言われても知らん
該当スレでやれ
586:人間七七四年
10/03/11 12:05:03 7sEOG04q
次のいい話どぞ
587:人間七七四年
10/03/11 14:33:03 78xW7m7M
>>582
スレ違いかも試練が、興味深く読んだ。
考察の部分、例を出しての途中経過がとくに面白かった。
588:人間七七四年
10/03/11 14:43:20 NS5vSmkm
海野平の戦いの後、上州箕輪城の長野業政の下に身を寄せていた真田幸隆
やがて山本勘助の勧めによって武田に与する決意を固め
ひそかに箕輪城を離れる機会を窺っていた。
そのしばらく前に業政の仲介で上杉憲政に引き合わせられて以来
幸隆は健康がすぐれないと理由をつけて引きこもり、家人にも容易には顔を合わせなかった。
それを聞いた業政は幸隆のもとへ使いを出し
「今度の病気は尋常の薬では治るまい。甘楽郡の余地峠を越えて良薬を求められるよう
今日明日中に決心されたい。」と馬を送った。
驚いた幸隆は「御志は有り難いが、病は思いのほか重く、出立できない」と返したが
「病が重いということだが、治療の為だから一日でも早い方が良い」と促されたため
幸隆も決心し、その暁に出発し、下仁田に至った。
すると後ろから荷を積んだ多くの馬がやってくる。
よくよく見るとそれを連れているのは幸隆の妻や家僕たちである。
話を聞いてみると幸隆が出立した後、業政の老臣がやってきて色々と世話をして出発させたと添え状を差し出してきた。
開いてみると
「武田信玄は年若に似合わぬ立派な武将であるが、箕輪に業政がいる限りは
碓氷峠を越えて馬を飼おうと思ってはなるまい。
本領に帰られたら、旧交を忘れられぬよう。」とこまごまと書いてあった。
甘楽郡の余地峠は上州と信州の国境の峠
その向こうは武田が支配する佐久郡である。
幸隆は深く恥じて、こんなことならば打ち明けねばならなかった、と
馬をとめてしばし佇んでいたという。
589:人間七七四年
10/03/11 15:23:15 INUFfZ4q
>>582
>>572 に自分から根拠示せと言っておいて、根拠提示したら
スレ違い、該当スレいけだの言われて、やっぱり何だかんだ揚げ足とって
叩くんだなと思いガッカリしてたが、問題の正否は別にしても
君のように興味を持って読んでくれた人がいてくれてありがたい。
590:人間七七四年
10/03/11 15:28:17 ObkkZwct
やっぱり業政さんは出来た人なんだなぁ~
591:人間七七四年
10/03/11 15:37:25 cvE/e4bB
>>589
全然揚げ足取りじゃねーだろw
冷静になって>>574読んでみれば
>まず「回復」という意味で、類義語の例として出された「疲労回復」であるが、
ここがおかしいって気付くハズ
592:人間七七四年
10/03/11 15:39:04 5K9XAPPc
逸話にも戦国時代にも関係ない話はまとめてよそでやってくれ。邪魔。
593:人間七七四年
10/03/11 17:11:53 kcEwCgl4
>>537
NGMS「息子に家康公の命取ってこいとかいう奴にろくな奴はいないよね」
594:人間七七四年
10/03/11 17:35:19 nNom8eXm
家康ほど暗殺されそうにない奴はちょっといない
総て計画段階で潰されているし、仮に大坂城で十人程の刺客に襲われても
たちまち二三人を切り倒して姿をくらまし、気が付いたら伏見にいかねん
595:人間七七四年
10/03/11 17:37:14 RXDaSmjk
>>588
すげーぜ長野業正
知名度低いけどなんでこんな超人化してるんだろう?
ところで誰か殉死を禁止された世になっても
「約束だから」と切腹を申し入れて幕府も老齢だからと
特別に許可した話がここで出てたと思ったんだがまとめサイトにみつからないんだ
誰か知らんか?
596:人間七七四年
10/03/11 17:40:41 vI7jzJfW
田舎剣術ながら流派の宗家代理だったりするしな。
597:人間七七四年
10/03/11 17:42:50 XR85dJq8
>>595
信之家臣の鈴木さんかね?
598:人間七七四年
10/03/11 17:52:08 Zos5WnAu
>>588
既出でした。
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
ちなみにその後の話
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
599:人間七七四年
10/03/11 17:58:36 NBu00oDq
>>595
独立した逸話ではなく雑談の一部としてあるよ
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
俺も即身仏に槍差して自害した足軽の話があったと思ったんだが見つからない
誰か知らんか?
600:人間七七四年
10/03/11 18:18:08 RXDaSmjk
>>597-599
わざわざトン
確認しました
格好良いよね鈴木さん
即身仏って酔った勢いで刺したら血が出てきてビビっちゃった奴だっけ?
記憶にあるけど即身仏で検索掛けてもヒットしないなぁ
601:人間七七四年
10/03/11 18:28:00 cJP5HbnX
>>599
悪い話11の776だな
602:人間七七四年
10/03/11 19:30:29 NBu00oDq
>>601
これこれ。ありがとう
まとめ見るとこれだけないね
何か理由があるのかな?
603:まとめ”管理”人
10/03/11 20:11:27 3N93qvxZ
>>601
>>602
すいません、こちらのミスでアップされていなかったようです。
今日の更新で上げて置きます。
604:人間七七四年
10/03/11 20:56:15 ty+fGFEj
>>594
水泳と乗馬もうまいからな
家康は戦国トライアスロン優勝できるんじゃね?
605:人間七七四年
10/03/11 21:04:42 OYHl4/x1
※但し、競技中の焼き味噌は御遠慮下さい。
606:人間七七四年
10/03/11 21:30:49 Wmo5Y20C
大イチョウは見ていた。
平成22年3月10日午前4時50分鶴岡八幡宮・・・・・
ドーーーーーン!!!!
こま犬A『ヒー何だ?何が起こったんだ?いきなり木が倒れてきたぞ!』
こま犬B『相棒大丈夫か?ん?あわわわわわ・・・・・』
こま犬A『相棒よ、ナニ口あけて固まっているんだよ。確かに俺たちこま犬だけどな。』
舞台『アンタなんかどうでもいいわよ!ご・・・ご神木が倒れているわ。』
そう、樹齢1000年、神奈川県指定天然記念物の大イチョウがついに倒壊をしてしまったのだ。
大イチョウ『皆の衆大丈夫か?騒がせてすまんのう。とうとうこの日が来るとはのう。』
舞台『ご神木様・・・大丈夫ですか?と言ってもこのお姿では・・・』
大イチョウ『舞台よ。傷はなかったかのう。綺麗なお前さんに傷を付けては参拝者に申し訳ないからのう。』
舞台『特には・・・それに傷が付いても『寄付でたて直し』と言う手段もありますわ。それよりご神木様のほうが・・』
大イチョウ『建て直しか・・・ワシの若い頃は・・・・戦国時代はここも酷いものじゃった・・・』
戦国時代:鶴岡八幡宮
宮司「頼朝公以来、武家の崇拝を受けてきた八幡様もまわりの戦乱でコレでは・・・」
禰宜「頼りもヘチマもございません。建て直しどころか、草刈りすら難しい財政です。」
そう、ご多分に漏れず『武家の守り神』鶴岡八幡宮も荒れ果てていた。
関東管領は今や鎌倉におらず。戦国の関東波及により荒れ果ててしまったのだ。
つまり、皆さん忙しかったんですな。
大イチョウ『確かにペンペン草しか生えていないほどの荒れ放題だなこりゃ。
鎌倉に幕府があったときは、25の僧坊を持ちたくさんの武士が参拝に来たのだが、
新田義貞がせめてきてからだんだんと衰えてきたもんなぁ。あれ?立派な武士が
こっちへ来るぞ?衣装の紋は・・・【三つウロコ】!北条家じゃないか!高時の時に
みんな討ち死にしたと思ったんだが?赤橋か名越の生き残りでもいたのか?帰ってきたのか?』
北条氏綱「伊勢宗瑞の子、北条氏綱である。宮司はどこか?」
宮司「はい。私にございます。」
氏綱「ずいぶん荒れておるのう。武家の守り神である八幡様を荒れ果てさせるとは嘆かわしい。
よろしい!私が社殿を寄進し、建て直そう!ワシの代から北条を名乗ったとは言え、
相模国を収めた我が家が直さなければ面目が立たん!」
大イチョウ『な~んだ。北条家の名前と家紋を利用しただけか。そういえば、建て直してくれるといっていたな。』
氏綱「ちなみに当家は伊勢氏であった。平家つながりで先の北条氏とは遠縁でもある!」
大イチョウ『ス・・・スミマセン』
607:人間七七四年
10/03/11 21:32:37 ObkkZwct
東はr
608:人間七七四年
10/03/11 21:34:50 PgNoOPgW
晴れたね|東原亜希オフィシャルブログ 『ひがしはらですが?』
URLリンク(ameblo.jp)
鎌倉の
鶴岡八幡宮に行ってきたよ~
(´―`)
609:人間七七四年
10/03/11 21:52:00 5mqbIz/a
おい冗談は止せ
610:人間七七四年
10/03/11 21:58:39 Wmo5Y20C
こうして、氏綱の号令の下、鶴岡八幡宮再建工事が進められることになった。
もちろん、天下の北条氏である。下手なものを作れば日本全国に恥をさらすことにもなりかねない。
宮司「北条家もずいぶん材料や職人を集めたがよく金がもつなぁ。」
禰宜「たしかに、小田原は豊かなところになったと聞いてはいましたが・・・」
氏綱も時折やってきて視察をしていたようである。
氏綱「当家の面子がかかっているからな。予算が足らなくなったら小田原に報告せよ。」
担当者「はい。現状では材木の手配、職人の手配も滞ってはおりません。」
氏綱「ケチなことは考えるな。良い物を使うようにせよ。」
担当者「はい。」
大イチョウ『こんなににぎわうのは久しぶりだな。』
こうして、戦国時代の鶴岡八幡宮再建工事は天文元年(1532)より天文9年(1540)まで
8年あまりの歳月をかけて行われ、完成した。
ちなみに、秀吉がやってきたときに修理を家康に命じた時の絵図面がこれ。
URLリンク(www.hachimangu.or.jp)
修理なので、そんなに違わないと思う。
こうして、再建工事は終了した。
氏綱「これで、面目も保てよう。これだけデカイものを独力で作ったのだから、
関東の連中も我が北条家に従うだろうて。それから宮司よ。困ったことがあったら
小田原に報告してくれ。すぐに必要なものは用立てよう。」
宮司「ありがとうございますぅぅぅぅぅ。」
氏綱「それから、この刀、奉納する。
(URLリンク(www.hachimangu.or.jp))」
大イチョウ『あ~、まぁ、理由なんてそんなものでしょうね。でも綺麗になった。』
平成22年鶴岡八幡宮
大イチョウ『後北条家はもういないが、あの時はうれしかったものだ。なんといっても
全部建て替えたのだから。徳川家斉の時の建て替えよりも条件が悪かったのじゃよ。』
舞台『そんなことが・・・』
大イチョウ『ところでワシはどうなるのか?イチョウの木って何に使われるものかのう。』
舞台『まな板とかに使われると聞いたことが、でも、標本になるか裁断されてお守りに
使われるかも知れないですわ。』
大イチョウ『まな板か、鎌倉には料理店が多いからなぁ。標本で宝物館や市役所で過ごすのも悪くはないが、
お守りで神社の営業の足しになるのもいいじゃろう、だが、商売繁盛は無理じゃな。』
舞台『?』
大イチョウ『「倒れた」では、シャレにもならんよ。』
みなさん、大イチョウを忘れんでください。
611:人間七七四年
10/03/11 22:05:03 Wmo5Y20C
>>606>>610をかいたものです。
いちおう、舞台は女性としてみてください。
今までと切り口を変えてみました。
ところでどうするんでしょうね、大イチョウ。
デカイだけに・・・・・
612:人間七七四年
10/03/11 22:06:33 NBu00oDq
>>603
なんだただの手違いか
いや、毎日毎日お疲れ様です…
>>610
絵面はわからないけど刀のアドレスはこれかな?
URLリンク(www.hachimangu.or.jp)
こういう行為って周辺大名や国人にどの程度効果があったのかなぁ?
613:人間七七四年
10/03/11 22:10:34 5K9XAPPc
絵図面はこれかな?
URLリンク(www.hachimangu.or.jp)
614:人間七七四年
10/03/11 22:18:52 BafoJxF3
昨夏に見てきたよ大銀杏。舞台では結婚式が執り行われてたw
まあ傾斜地に立って今まで無事だったのが不思議なのかもな。
現宮司の評判が…とか、デスブログ…とか、フラグらしきものもあるけど。
615:人間七七四年
10/03/11 22:28:52 IcDIAOX+
>>597
その左近さんだか右近さんだかは
自分が腹を切った刀を信之の位牌に捧げようとしたら
介錯人の何某が何を勘違いしたのか介錯を強行して
抵抗する左近だか右近さんだかを
組み伏せて押し切りに首を取ったとかなんとか・・・
616:人間七七四年
10/03/11 22:41:13 7Ur+Ny9P
右近さんだw
しかし抵抗してんのに強引に首を取ったのかよ
結局刀は捧げられなかったのかね…
617:人間七七四年
10/03/11 23:46:45 pUkEAmJI
>>611
再生出来ないかと試みている。(難しいっぽい
あと、若木が出てくるのを期待して根っこを保存。
更に枝からも若木を育てるそうな。
URLリンク(www.asahi.com)
618:人間七七四年
10/03/12 01:01:31 WtHcF13t
根っこまだ残してるんだ…
樹齢何百年~って樹は日本全国に珍しくないんだろうけど
歴史上の出来事と密接な関係のある樹はそんなに数がある訳でもないし
折れたと聞いた時はなんと勿体ないと思ったんで根っこだけでも残ってて嬉しいわ
しかしかえすがえすも惜しいなあ…
樹は自分の周囲環境の情報を完璧に保持してる、なんて話もあるから
もっと科学が進んで情報引き出せるようになったら歴史の証言者になれたかもしらんのにとか妄想してしまう
619:人間七七四年
10/03/12 04:49:32 KaJ7EOgh
前にテレビで太閤桜の遺伝子を元に作ったクローン太閤桜を
歳をとって枯れ出した桜の代わりに植えて後世に残すって計画がやってたけど
大銀杏もクローン大銀杏を境内のどっかに植えるとかするかもしれん
まあそれなりに様になるのに数百年もかかるだろうが
620:人間七七四年
10/03/12 05:35:50 I0W/0C/a
>>618
ひょっとしたら年輪の間に実朝公の血痕がついてたりせんかなー…… と妄想したことはありまふ
621:人間七七四年
10/03/12 06:32:27 hEWyB2pg
実朝公のクローン量産?
622:人間七七四年
10/03/12 09:52:24 SV4dZlrh
>>610
尼子経久なら、松明用の焚き木にして贈り物にするな。
623:人間七七四年
10/03/12 10:04:01 S79dd8En
この銀杏、研究すれば年輪から戦国の世の気省が解るんじゃないか?
当時は寒くて初夏に雪が降ったっていうし。
624:人間七七四年
10/03/12 12:28:29 nTyYy7FT
>>620
根っこの下から首が出てきたりして、なんて妄想したことはあるな
吾妻鏡には銀杏の陰に公暁が隠れてたなんて書いてなかった気がするけど
戦国時代末期にはもうこの銀杏も観光名所だったんだろうな
前田の家臣が鎌倉見物に行っちゃったなんていう話もあったし
625:人間七七四年
10/03/12 17:25:07 GLNx7NWK
結構知られている話かな?
石田正宗
三成の前田邸での襲撃事件後、三成は家康に保護される
そして家康の勧めにより彼の領国の佐和山に帰るのであった
その際、家康は次男の秀康を警護として同行させた
太閤の養子であり秀頼の義兄弟にもあたる秀康と三成は互いに好意を持っていたようであり、
別れの際に三成は世間の羨望である佩刀の五郎正宗を秀康に贈ったのであった
関ヶ原の合戦後、諸侯は幕府を憚り三成の名前を口にすることも恐れる風であったが、
秀康は贈られた刀を「石田正宗」と命名し生涯愛用したのであった
また、刀身に傷があるので「石田切込正宗」とも呼ばれている
因みに、この傷のせいで国宝には出来なく重要文化財止まりだとか
626:人間七七四年
10/03/12 17:31:48 A/8vzjn3
結城秀康は大谷吉継の敦賀正宗も所持してて羨ましい
627:人間七七四年
10/03/12 18:10:44 wdTkVIKp
>>625
既出じゃなかった?
傷があっても国宝にすればいいじゃない!って思っちゃうねw
勿体無い
628:人間七七四年
10/03/12 21:19:54 TsrSZ6ww
傷のせいで刀剣としての価値が下がっちゃったから国宝になれないのかな
629:人間七七四年
10/03/12 21:44:42 fYSkWgHC
国宝として生き長らえるより、実戦で使い潰される方が刀も本望だろう
630:人間七七四年
10/03/13 00:12:28 6gqn9/br
URLリンク(www.saga-s.co.jp)
名護屋陣跡 鍋島直茂の陣屋がふたつ?
このネタをうけて勝茂のいい話を書いてみよう。
『鍋島勝茂と刺客』
鍋島勝茂が白石に泊まったときのことである。
夜、みなが寝静まったころ、庭の方を観てみた。
すると、月明かりに照らされて、壁に人影が映りだしていた。
勝茂は脇差を手に取り、ひそかに起き出す。
そして、壁ぐるみで斬りつけた。
壁の向こう側にいたものは、大袈裟に肩からわき腹に掛けて両断されていた。
館に忍び込んだものの素性はわからなかった。
勝茂が手にした脇差は、加賀清光作のものである。
のちに試し切りをすると、三つ胴(死体を三つ重ねて斬り断つ)をしたという。
勝茂が刺客に襲われるとしたら、龍造寺家のものからだろうか。
631:人間七七四年
10/03/13 00:13:43 bk22E319
佐賀の松原川に、兵主部(ひょうすべ)という名の河童が住んでいた。
この河童は大変凶暴で、付近の子どもたちを次々と水に引きずり込み、近辺の人々は大変困っていた。
さて、その事を聞いて心を痛めたのは、佐賀藩初代、鍋島直茂である。
しかし直茂、この兵主部を捕らえるのではなく、取った方法は、呪殺。なんと仏神にこの河童を
呪い殺してくれるよう祈願した。
これに震え上がったのは兵主部である。すぐに直茂の前に現れ命乞いをし
「どうか私の彫刻を作ってください。そうすれば私は今までの罪の償いとして、この地域の子供達を水難から守ります。」
と言う。
直茂はそれを受け入れ、兵主部の像を作った。これ以後、松原川では子どもが河童に水に引き込まれることは無くなった、
とのことである。
ちなみにこの兵主部の像、今も松原神社の宝物として大切に安置されている。
そして毎年4月下旬になると、この事に由来した「ひゃあらんさん(佐賀弁で「入らない」の意)祭り」という祭礼が行われ、
水難事故の防止と稲作のための水が耐えないことを祈りつつ、松原神社の守り神「マツバライザーK」が
ヒーローショーを行うそうです。こんなの→ URLリンク(www.saga-s.co.jp)
お近くの方はこのお祭りに出向いて歴史に思いを馳せつつ、マツバライザーKを応援してみませんか?
632:人間七七四年
10/03/13 00:16:41 7A7eduuR
仮面ライダーのパチもんっぽいなあw
633:人間七七四年
10/03/13 00:31:55 MXXCpvx6
鍋島話が一気に二つもとは
こういう化け物を伏させて災害から守る神様に、っていうのはよくある話なんかな
佐賀平野はクリークってか水路が縦横無尽だし、水難も多かっただろうからこういう話も生まれたのかね
634:人間七七四年
10/03/13 00:49:09 Ep9Ux48T
初代藩主は直茂、勝茂どっちなん?
635:人間七七四年
10/03/13 00:56:48 v3bIXaM7
佐賀藩は高房が死ぬまでは一応名目上は竜造寺家なんじゃないの?
wikiには1613年に勝茂に領地安堵の沙汰が出たと書いてあるから、どちらにしろ初代藩主は勝茂
ただし「藩祖」は鍋島直茂
徳島藩の藩祖は家政だけど、初代藩主は至鎮
みたいなもんじゃない?
636:人間七七四年
10/03/13 01:14:59 Ep9Ux48T
ややこしいのう・・・
つか、まとめ管理人いつの間にか小田さんになっとるしw
637:人間七七四年
10/03/13 01:55:29 ms21nn16
蜂須賀さんちはめんどくさくて、関ヶ原で決着つく前に出家した家政でなく、東軍に付いた至鎮が
初代藩主なんだけど、かわりに家政は「藩祖」といい、蜂須賀正勝を「家祖」というらしい
638:人間七七四年
10/03/13 01:59:25 wYQ/L7iM
まぁ、上杉も藩祖は謙信だったりするからなぁ
639:人間七七四年
10/03/13 02:09:59 zqBiJj38
そういえば佐竹氏の藩祖は新羅三郎って聞いたことがある
鬼義重ならまだ分かるんだけどな
640:人間七七四年
10/03/13 02:27:10 MXXCpvx6
佐賀藩は魏の曹操と曹ヒみたいな感じと思えば
641:人間七七四年
10/03/13 02:34:22 PVo7wvRz
実質の始祖と形式上の始祖を両方とも立てるための折衷案だったのかね
642:人間七七四年
10/03/13 03:57:48 e8FHkPCO
>>633
治水伝説の類型としてはよくあるパターンだね。
こないだの、黒姫の尻にしかれた黒龍もその一種にあたる。
人間がいかに神をコントロール化におくか、という。
643:人間七七四年
10/03/13 04:35:44 e8FHkPCO
ある民俗学者は「河童は弱い。そこらへんの農民と相撲を取って負けたりする。
たまに恩返しをするかと思えば持ってくるものが魚である。しょうもねえ。
雀の子だって大きいつづらと小さいつづらを持ってくる。どんだけ卑しい生き物だ」
なんてことを書いているのだが、中にはね、ヘタレでもヤンデレでもない河童もいる。
柳田國男に見る戦国時代
「井上元重と百人力の河童」
時は天文3(1534)年8月、梟雄毛利元就とその一党が、安芸の吉田に本拠を構えていた頃のこと。
吉田川の釜淵と呼ばれる水底に、淵猿<フチザル>と呼ばれる恐るべき大河童があり、人々に恐れられていた。
百人力の怪力をもって人馬を襲い食らう、正真正銘のモンスターであった。
これを退治してくれんと名乗りを上げたのが、毛利家の武人・井上元重、通称荒源三郎である。
源三郎は何の策略も工夫もなく、百人力の淵猿にいきなりガチンコの肉体勝負を挑んだ。
実は源三郎は源三郎で、七十人力であった。それは人類ではないと思うのだが、そういう設定なので仕方がない。
化け物同士の肉弾戦は長く長く続いた。しかし、最後に勝負を制したのは陸に住んでるほうの怪物であった。
淵猿の首を掴んで全力で振り回したところ、頭の皿に溜まっていた水が流れ落ち、淵猿は百人力を失ったのである。
こうして吉田川の淵猿は退治された。
そして、この話はここでばっさりと終わり、何の説話的オチもつかない。
百人力の淵猿は人語を解さなかった。解せるのだとしても、話さなかった。
彼は人に許しを請わず、取引を持ちかけず、起請文を書かず、手繋ぎの秘法を伝授もせず、
ただ化け物として戦い、ただ化け物として人に滅ぼされたのである。
なお、七十人力の源三郎は、天文19(1550)年の元就による井上一族粛清のとき、一族郎党といっしょくたに殺害された。
やっぱり人間が一番怖い。
644:人間七七四年
10/03/13 04:54:39 TlFKPjtD
なんとも救いのない話だな。。
七十人力の源三郎・・・・頭の中に山のフドウが出てきた。
645:人間七七四年
10/03/13 06:44:49 UNKRLSjy
この話で河童が川の象徴だとすると治水に成功した井上元重をたたえてる話ってことかな
646:人間七七四年
10/03/13 08:44:55 KFtrYBKR
ヤマタノオロチもそうだけど、この手の話はストレートに書けないから暗喩になるの?
普通に治水しましたではだめなのかなぁ
647:人間七七四年
10/03/13 10:47:50 UQFkL2cO
暴れ河の恐ろしさが伝わらないんだろうなあ。
藩の○祖については中国の王朝、元とかと同じ使い方だろうね。
648:人間七七四年
10/03/13 10:56:04 v3bIXaM7
如水さんとか幽斎さんとかは藩祖扱いされてるの?
649:人間七七四年
10/03/13 11:14:39 dKCFsgpZ
治水というよりは、治水技術系の山の民?ってつい考えてしまう
今で言う技術=超能力だった時代はわりと長いかも
ガテン技術で農業用の溜め池を作りまくったり、天文知識で暦を立てたり
するのが、普通の人からは「あいつら普通の人間じゃねー(良い意味で)」
に見えたとか
で、理屈を知って「なーんだ俺にも出来るんじゃん」が一般的になると
尊敬度が地の底まで落ちて「あいつら(略)(悪い意味で)」と・・・
650:バロン曽志崎
10/03/13 11:41:45 nDXLIuwe
>>552
島兵入=島津兵庫頭入道=義弘だよ。
津小平は多分、津田小平次=秀政。
651:人間七七四年
10/03/13 12:07:25 2jGU1g46
暦作るだけで魔法使いのような扱いを受ける陰陽師
652:人間七七四年
10/03/13 12:44:58 UQFkL2cO
うちの地方では、江戸時代に灌漑用水路をひいた大畑才蔵ってひとが尊敬されている。
戦国とはほとんど関係ないけど…
URLリンク(www.hashimoto-kanko.com)
河童の説話は全くないね。人魚のミイラと言うあやしげなブツが伝わっているだけ。
653:人間七七四年
10/03/13 12:56:46 VZt8HzJn
麿作りたいな
654:人間七七四年
10/03/13 17:48:23 T+EzUc+0
暦をつくるってのは、季節や時間、農事、祭事を支配することにつながるからね
長く朝廷の特権だったのはそういうことで
>>643
これは治水とかよりも、本当に化物退治って筋だよな
655:人間七七四年
10/03/13 18:35:20 PVo7wvRz
スサノオとかみたいに知恵を使った描写がなく源三郎が七十人力だとか言って
真っ向勝負で勝ってるあたり治水伝説とかじゃなくて
源三郎が化け物に勝てるぐらい強いってただの逸話な気もするね
虎退治みたいなもんでしょ
656:人間七七四年
10/03/13 18:51:52 9ZG04fLB
岩手県の奥州市辺りは伊達家臣の切支丹技術者であった後藤寿庵が治水したはずだけど、その手の話しはあまり目立たないなあ。
遠野に全部取られたのかな?w
657:人間七七四年
10/03/13 19:14:19 dKCFsgpZ
>>656
「ばてれんのワザ」を迂闊に語るわけに行かなかったんじゃないかな・・
あと鉄砲みたいに、理屈は良く解んないけど何かそういう人為的な
仕組みなんだろう的な把握の仕方だったかも?
658:人間七七四年
10/03/13 20:54:02 FLJ/Fef4
>>643
ウォーズマン理論だな。回転力×2で七十人力が百四十人力に!
659:人間七七四年
10/03/14 01:37:05 H+rGrAMc
>>649
そういえば、剣術使いはかつて飯綱(妖怪)使いなんて呼ばれていたよな。
660:人間七七四年
10/03/14 01:46:50 gIaXg5e+
>>659
戦国時代でも「飯綱使い」はマジシャンや曲芸師と言った意味合いが強いと思う。
661:人間七七四年
10/03/14 11:06:36 n6ZIxrH6
御恩と奉公、曲げない信念
ついに武田勝頼も討たれ400年有余年の歴史を誇る武田家は滅びた。
甲斐国の国中地方では織田家による武田残党狩りが熾烈を極めるが
その渦中を堅忍不抜で生き抜いた、武田遺臣小泉某と言う者がいた
耐え難きを耐え忍び難きを忍んだ甲斐あってか
本能寺の変が起きたので甲斐国の国人一揆に参加し
河尻秀隆を逆さ埋葬にして暫しの溜飲を下げたものの
続いて徳川と北条の天正壬午の乱が起こり、と世相は目まぐるしく変化し
願う武田家の再興の時は訪れずなかった。
感状や家の由緒書きを持って嬉しそうに徳川家に駆け込む者達を尻目に
「少領ながらも武田の禄を食み短期ながらも仕えたからには二君に仕えぬ!
帰農していつか武田家が再興する時を待つのだ、いつまでも!
でも徳川に拾ってもらえなかった連中と一緒に帰農したと近隣に噂されると
恥ずかしいし…」と言って壁の槍掛けに自分の槍を掛けたのだ。
そして「子々孫々に至るまで、この槍を槍掛けから外す時は
武田家のために起つ時だけぞ!いいな、外すんじゃないぞ、絶対にだぞ!」
と言ったそうな。
子孫もこの教えを守りどうにかこうにか時は吹き過ぎて400有余年
今もこの家の壁の槍掛けには槍が掛けられている…が!
余りにも忠実に教えを守りすぎたためか
掛けられて外される事のなかった槍の柄は撓んでしまっているのだw
信念は曲がっていなかったが槍の柄は曲がってしまったと言うお話
662:人間七七四年
10/03/14 11:20:07 xmcBUQta
先祖も立派だが守ってきた子孫がすごいねw
大イチョウだって年月とともに倒れるんだし仕方ない
663:人間七七四年
10/03/14 11:28:35 wPAa2V+/
しれっとときメモを混ぜるなw
664:人間七七四年
10/03/14 13:29:52 T5fWAAOp
ザビエルが洗礼を施した日本人の中に、ロレンソと呼ばれる者が居た。
彼は片目が完全に見えず、もう片方もほとんど見えなかった。
ほぼ盲目と言って良い彼は、琵琶法師として平家物語等を語り、日本の古事に通じていた。
彼は改宗後、ひたすらキリスト教を布教する事が自分に与えられた指名と考え、ポルトガル語を学び、
宣教師達の通訳として、自らも日本人への宣教師として、ザビエルの後を継いだトーレスの右腕と言う
べき存在となっていた。
イエズス会の布教記録である「日本史」を書いたフロイスはこう記述する。
「彼は大層高い学識のある僧侶と討論したが、デウスの御好意によって一度も負けたことはなかった」
「彼は自分に答えられない問いがあった場合、機転を利かせてこう言った『貴方達が尋ねられた事に私
が答えるのはたやすい事です。ですが、貴方達にそれを言って理解出来るかどうか……今日の所は私が
答えただけの知識で我慢なされよ。また後日、神の導きがあれば、その問いに答える機会もあるでしょ
う』と。そしてその夜、司祭トーレスに、『その問い』について尋ね、後日に備えたのである」
このような人であったから街に出て、彼の面相について嘲笑う人も多かったが、彼の説教を聴けば誰も
が彼の言葉に心を動かされたのである。
……いや、皆突っ込みたいところはわかる。(^^;
だが、フロイスはこれを「良い話」として記述して、ロレンソを「知識と知恵と人格とを兼ね備えた素
晴らしい人物」として記述しているんだ。
なんつーか、これを良い話としてしまう辺りがフロイスのフロイスたる所以なのかなぁ、と思う。
まぁ、明らかに悪い話なんだが、フロイスさんが「良い話じゃないかっ!!」と言い張っているので良
い話スレに。
「僧侶の嘘を方便と言う」はキリスト教でも通用するらしいロレンソさんのお話でした。
665:人間七七四年
10/03/14 17:01:13 Jb6WgSb+
昔、大河で稲川淳二が演じていたのを思い出す。
666:人間七七四年
10/03/14 18:44:36 DIlfpnym
ホジャ物語に似たような話があったな
667:人間七七四年
10/03/14 20:15:56 zU55HvWs
宗教を信仰してる人間にとっては価値観の根幹を成してるんだからそんなもんでそ
キリストの釘が盗まれた時あれが無くなる位ならフランスの栄えてる都市が滅んだ方がマシって言った
「敬虔で高潔なフランス国王」も居るし理屈や道理も神や仏の為のもの
668:人間七七四年
10/03/14 20:37:13 4rhY/BKI
ある時家康のもとに福島正則の家老たちがやってきた。
彼らが帰って行ったあと家康はその場にいた年若い小姓が笑っていることに気が付いた。
家康が何がおかしいのかと聞くと小姓は
「福島家の方々は皆片目であったり指がなかったりと
体が欠けているのがおかしくて笑いました。」と答えた。
これを聞いた家康は「福島家の家老たちは皆歴戦の勇士だから体が欠けているのだ。
むやみに笑うものではない。」と小姓を叱りつけた。
669:人間七七四年
10/03/14 20:47:41 uZ9ZbE5Q
>>668
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
670:人間七七四年
10/03/14 20:49:47 aAuUJVVA
だよね(●ω・`)
671:人間七七四年
10/03/14 21:00:38 QvQpE8xh
いつ見ても家老の見た目がファルコとシュウで想像される
672:人間七七四年
10/03/14 21:20:02 DIlfpnym
だが、それがいい
673:人間七七四年
10/03/14 21:26:56 OFmf2Crh
>>615
笑っちゃった…
674:人間七七四年
10/03/14 21:39:15 uqLx0H0A
>>664
どちりいなだったかな、こんな項目あってさ、
(・∀・)ノ 「先生ー、神が天地創造したとか、キリストが死んで復活したとか、
見たことも無いことをどうやって信じたらいいんですかー?」
(´・ω・`) 「そりゃあね、神様が言ったことだから、見たことなくても
信じなくていいってことじゃないんだよ。
神様のお告げなんだから、目で見るより確かなことなんだよ」
(・∀・) ノ「じゃあ先生、その神様のお告げって誰が聞いたのー?」
(´・ω・`) 「聖なる教会がそう言ったんだよ。教会ってのは精霊が治めてる聖なる場所だから、
それについてちょっとでも疑ったり迷ったりするのは厳禁なんだよ」
当時の宣教師のゴリ押…苦労した様子が垣間見えるよね!
675:人間七七四年
10/03/14 21:49:46 3LuqiqZk
宣教師はエリートだから、神学についてもエキスパートだったと思うよ
でもそれをまともに聞く民衆はいやしない
「南無阿弥陀仏で救われる」のほうが救済になる場合もあるさ
676:人間七七四年
10/03/14 22:16:37 gIaXg5e+
>>675
ところがどっこいフロイスの書簡によると
『当地(京)の人々は己の宗旨に甚だ詳しく、学問も深いので、田舎の人であろうとも
キリシタンになるために来たと自ら言うものは未だかつて無く、彼らが通常目的としているのは
ただひたすら聴聞することである。
彼らの宗旨(仏教諸派)の欺瞞と福音(キリスト教)の真理を説くと、彼らは疑問を呈し、
もしその疑問に対する答えが満足の行くものであれば、そこではじめて洗礼を受けるのである。』
677:人間七七四年
10/03/14 22:26:34 e21yuBX3
化け物と異教徒は殴って良いんだよ
678:人間七七四年
10/03/14 22:42:57 lRBMqJUJ
殿が馬鹿なこと言い出したぞー道雪さん呼んでこーい
679:人間七七四年
10/03/14 22:52:12 uqLx0H0A
右近「呼んだ?」
680:人間七七四年
10/03/14 23:19:23 k0wrJb3F
日本人はなにげに神学論争に理詰めで反論してくるのが好きだし上手いんで
扱いが難しいってヴァリニャーノが言ってたな
681:人間七七四年
10/03/14 23:20:48 k0wrJb3F
ゴアとかにも滞在してるヴァリニャーノがそう言うのだから
少なくとも16世紀当時、アジア全域の中でも、
日本人はやたら神学に食って掛かるのが好きな連中だったってことだ
682:人間七七四年
10/03/14 23:25:28 jxPrRoQS
日蓮宗の連中が頑張ったからかなぁ・・w
683:人間七七四年
10/03/14 23:44:34 b0y9jcNS
キリスト教しらないで死んだ爺さんは地獄いってるのか?って話ならここでみたな
日本人って農民レベルでも頭いいのかしら
684:人間七七四年
10/03/14 23:51:34 6mzsZB9K
疑り深いだけじゃね?
685:人間七七四年
10/03/14 23:57:55 zDqCbpdJ
仏教思想が庶民にまで広まってたってことなのかね。
686:人間七七四年
10/03/15 00:01:22 kyM/zk1h
キリスト教じゃないと地獄行き→じゃあキリスト教を知らずに逝ったあの人はどうなるの?
って疑問は世界中でぶつけられたと思う。
煉獄やら辺獄やらの概念があるくらいだし。
687:人間七七四年
10/03/15 00:06:02 YPg26G7q
そんなにすごい神様のことがなんであんた達がわざわざくるまで日本に伝わってこなかったの?
神様の力で来てればいいのにー、(・∀・)って突っ込まれて宣教師涙目てエピが「ローマ人の物語」に載ってたな。
ご先祖様たち無垢でひどいww
688:人間七七四年
10/03/15 00:10:39 iXO98Ftw
多分この世とあの世の狭間に何個ものゲートがあるんだよ。
で、そこで担当者が「はい、君達は何教?ああ、キリスト?じゃあこっちの門で、仏教のあんたはこっちな。
おいおい、あんたはゾロアスター教で善の側に付いてんだろ?ならこっちだ」
って感じで。
689:人間七七四年
10/03/15 00:12:12 nnpuJE9g
ある日、外国から変わった顔つきをした連中たちがやってきて
「実はお前らが今まで信じてた神や仏は偽物なのだ!」とか触れまわってるんだから
下手したら狂人や妖怪の類みたいに見られてたかもしれんぞ
それを乗り越えた宗教が巨大な勢力になれるんだろうけど
690:人間七七四年
10/03/15 00:12:35 2C8Pe3zK
>>687
あれだ
あんまり雰囲気に流されるタイプじゃなかったんだよご先祖様
デフォがリアリスト
691:人間七七四年
10/03/15 00:16:12 Hxge/Zau
乱世で、いつ死ぬかどうやって食って行くかで
必死だったろうし、夢見がちじゃやって行けないよな
692:人間七七四年
10/03/15 00:18:16 o2QoDA9Q
九州の農民って本土に比べて結構悲惨なんだっけ?
東北よりマシかな
意外と中国地方はそこそこ豊かな印象が
693:人間七七四年
10/03/15 00:18:18 v8suGHnw
戦国期キリスト教が広まる上で尤も有効だったのは、「十字架を付けると銃弾が当たらなくなる」
という、弾除けのご利益だったらしい。
694:人間七七四年
10/03/15 00:21:12 2C8Pe3zK
仏に遇うては仏を殺し、な禅宗と
神への疑いは何があっても許さん、な一神教じゃ水と油だよね
695:人間七七四年
10/03/15 00:26:30 o2QoDA9Q
禅宗はどっちかっつーと宗教より古代ギリシアとかの哲学だろw
知識人の嗜みって感じ
あの時代藤原惺窩みたいなまっとー?な学問が広まってなかったから
それの代わりやってた
696:人間七七四年
10/03/15 00:35:01 gnftt/y3
宗教と哲学を分離した西洋と違いアジアでは実践出来ない思想は価値がないとされる
おかげでどんな無茶な思想でも実践する羽目に
ジャイナ教なんて殺生を忌むあまり肉どころか野菜も取らず
乳製品が主で水も沸騰させず(水中の生物を殺さないため)に飲む
頭の中で殺意を持つのも禁止、果ては最終的に餓死する事を至上として実際実践してる
実践が求められる時点で禅も宗教
697:人間七七四年
10/03/15 00:37:13 5jtjXlaI
スレ違い
698:人間七七四年
10/03/15 01:08:56 mC5R+0cP
以前ちらっと出てた水軍の方の加藤さんとよくできた嫁さんと松山城の話
関ヶ原の功績を認められて、20万石に加増された加藤さんは勝山山頂に張り切ってお城を建てることにします
その際、その地を「松山」と改め、愛媛の城下町として発展していくことになります
この松山城、20万石の城としては立派しすぎるほどのもので完成までに25年もの歳月を要しております
そして、この城を作る時に活躍したのが「おたたさん」と呼ばれる女性の人たちです
頭の上に御用櫃(ごろびつ)と呼ばれる桶を乗せて魚を売り歩く女性たちです
この女性たちの評判を聞きつけた加藤さんは築城に用いる石礫を運ぶ仕事を頼んだのです
ここでの功績が認められ、おたたさんたちは浄化のみならず城門での商売の許可をもらえました
そんな感じで老若男女総出といった感じで行われた築城作業
藩主の奥方とて黙って完成を待っているわけにはいきません
加藤嘉明の正室は家臣の堀部市右衛門の娘でお万の方というのですが、
何でも彼女は朝から場内で炊き出しを行い、おにぎりを握っておたたさんを始めとする
現場の皆さんに笑顔で給仕をしたそうです
しかし、そんな松山城完成間近になって、加藤さんの宿敵(?)藤堂さんのお節介によって、
会津に加増転封されることになり、後年あの騒動が起きて加藤家は改易され、
近江水口藩とひっそりと続いていくことになります
それにしても、なんでこんな地味ながら堅実な父親と働き者でよくできた母親から
あんな四天王に引けを取らない大物DQNが生まれたのか不思議で仕方がありません
幼少時に父親を亡くして親族間や家臣団の争いに巻き込まれたとか、
辛辣なことに定評のある家臣団にガミガミ言われて育ったとか言うわけでもなさそうなのに
699:人間七七四年
10/03/15 02:11:04 OF+ssng7
>>692
豊後は宗麟の治政自体は意外と良かったらしいんだがな。
(寺社に対しては極端だがw)
700:人間七七四年
10/03/15 05:04:15 6CX284hz
>>698
勉強になりますなぁ
701:人間七七四年
10/03/15 10:02:26 2C8Pe3zK
人として至極真っ当な両親でも
親として育児をしくじるのは古今東西よくある話すぎて泣ける
お傅り役or乳母が隠れDQNだったとかかもしれんが
702:人間七七四年
10/03/15 10:55:11 oZuIt8Eu
そろそろ戦国お嫁さんナンバーワン決定戦が
開けるくらいお嫁さんの逸話が集まってるな。
703:人間七七四年
10/03/15 13:17:14 JSnSmE3i
>>702
小松殿がアップを始めました。
704:人間七七四年
10/03/15 13:18:17 CHR495B2
義姫だろjk
705:人間七七四年
10/03/15 14:33:14 KV+WWKmE
>>703-704
三斎「新しい植木屋というのはそちらか? 大儀じゃのう
ところで刀でも見て行かぬか? 三十六歌仙と言うのだが」
706:人間七七四年
10/03/15 14:41:38 ix0++uNl
>>702
ワシのために各大名の嫁を集合させようとは天晴れである。
天竺入りの先鋒を命じよう
707:人間七七四年
10/03/15 15:05:41 nkeqbpPa
>>706
殿下、私は先鋒からお外しになるのですか……。
ところでせっかく伺候したのですし、北政所様にお会いしたいのですが。
708:人間七七四年
10/03/15 15:33:33 bPaO9iVd
>>698
>おたたさんたちは浄化のみならず
すまん、「リフレーッシュ!」と言って綺麗になるおたたさんを思い描いてしまった。
本当にすまん。
709:人間七七四年
10/03/15 18:01:49 lzSqMiVn
ちょっといい話スレなのにピリピリした空気が・・・
710:人間七七四年
10/03/15 18:13:31 Rf+kp5lm
植民地支配を前提にしたキリスト教なんて神を語った詐欺師です(当時)
支配からの解放のために戦った一揆百姓の方が高潔です
711:人間七七四年
10/03/15 18:44:45 4grddgfv
支配からの解放つったってなぁ
指導者層は国人だったりする訳で
百姓の方だって正直武装農民だから、原始的な武士集団と変わらんよ
712:人間七七四年
10/03/15 19:02:20 Bodh1Y6z
前田慶次と安田能元がらみの逸話
■慶次白ける
ある日、安田の使者がやって来ることを聞いた慶次は、小姓に
「使者には菓子に焼き米を出すように」と言いつけた。
小姓は言われたとおりに焼き米を食べさせた。使者は黙々と口に
運んでいた。
慶次は障子の向こうに隠れ、突然障子を開けて「安田の使者か!」
と叫ぶ考えだった。驚いた使者がのどに詰まらせ、むせ返るのを
おもしろがろうという魂胆だった。
ガサッ
障子をあけ、「安田の使者か!!」と叫んだ慶次。
これに対して使者は全く動じず、悠然と焼き米をのみこんだ後、
顔を整え両手をついて「左様でございます」とあいさつし、主に
託された口上を述べた。
慶次はいたずらが失敗し、白けた顔で口上を聞いた。
『米沢地名選』
713:人間七七四年
10/03/15 19:03:48 +CqeFQfL
お茶目だなぁw
なんかかわいいぞ
714:人間七七四年
10/03/15 19:06:56 FknWJ1Js
使者(明かり障子の向こうに巨大な人影が丸見えだけど、知らんぷりしとくべきなのかな…)
715:人間七七四年
10/03/15 19:13:48 Bodh1Y6z
■奇矯な歓待
慶次が米沢の外れの堂森にすんだ時の話だ。
安田ら数人の友人が慶次に呼ばれて堂森へ来ると、遠くから
石つぶてが飛んできた。何事かと見ると慶次である。
「諸君をもてなそうと、鳥を捕まえようとしている。捕まえたら
戻るので、諸君は私の草庵に先にあがって休息するといい」
一同は「また慶次のいたずらか」と笑って草庵へ向かった。
ところが、草庵には全くもてなしの準備がされていない。
しばらく待っても慶次は戻らない。一同は
「また慶次にだまされた。こんなとこにいても時間の無駄だ」
と憤慨して、草庵を出た。城下へ戻る途中、慶次に出くわした。
慶次は平然として「待ちくたびれたのか。それは気の毒だ」と
へらへらしてる。「鳥も全然こないし、君たちの不興も買って
しまった。どうしようか・・とりあえず戻ろう」と、一同に草
庵へ戻るよう促した。
一同は、ここまで来て何もしないよりはましか―と慶次にした
がった。慶次は遠回りの道で草庵へ向かった。すると、行く先で
酒宴をしている輩がいる。見ると、女たちが物見遊山をしていた。
慶次はこれを怒鳴りつけた「誰の許可でここで酒宴をしてるんだ!」
その怒鳴り声に、女たちはあわてて逃げだした。
慶次はまた平然として「これは草庵で出そうと思っていたのより
上ものだ。ここで飲み食いしよう」と言い放った。
安田たちも腹をすかせていたので、すぐさま酒肴に飛びついた。
実はこれはすべて慶次の用意したもの。普通のもてなしではつまらない
からと、趣向を凝らしたのだった。 『鶴城叢談』
じらしプレイですな
716:人間七七四年
10/03/15 19:39:07 SUsQ+hoU
なんか慶次ってマサルさんみたいだな 戦国セクシーコマンドー部
717:人間七七四年
10/03/15 19:43:51 Oh8TdMn0
キレて絶交せず、ちゃんと付き合ってくれる友人たちすごい…
718:人間七七四年
10/03/15 20:10:17 4grddgfv
安田能元なんて、単独の逸話はいっつもキレてるのばっかりなのに
慶二が絡むと全然怒らんよなw
719:人間七七四年
10/03/15 20:24:59 def8ozpT
慶次の言う通りにして騙されても
「これで終わりな訳がない、今度は何をしてくるつもりやら」
ってな感じなんだろうなw
720:人間七七四年
10/03/15 20:50:16 jlUTefiN
三河武士とは違った面倒くささがあるな
721:人間七七四年
10/03/15 20:51:42 FF9cQMqm
安田は新発田攻めで足が不自由になって「びっこ能元」と呼ばれた
猛将だが、信長の野望ではなぜか戦闘より政治向き。
722:人間七七四年
10/03/15 20:56:27 iXO98Ftw
>>719
60とかそれくらいの爺さんがしょーもない事を喜々としてやってんだからなw
723:人間七七四年
10/03/15 21:00:11 4olI0wnn
だがそれがいい
724:人間七七四年
10/03/15 21:03:22 I3QMmmTP
戦国のガキの使いみたいだな まっちゃん慶次 浜ちゃん安田
725:人間七七四年
10/03/15 21:24:01 LBQi5iz9
笑ってはいけない上杉家
726:人間七七四年
10/03/15 21:28:05 izTzGpGw
秀吉の前ですらおちゃらけるのに
景勝の一睨みにはメチャクチャ弱い慶次
どんだけ威厳があるのかとw
727:人間七七四年
10/03/15 21:57:45 pssC65By
生涯通して一度しか笑わなかった男の威厳って凄まじそうだな>景勝
今の時代にそんな凄い人はいないよねえ
728:人間七七四年
10/03/15 22:09:47 rHTtFp6S
屁をしてはいけない大名家があったよな
たしか屁をして殺されるって奴
729:人間七七四年
10/03/15 22:14:46 iXO98Ftw
千葉さんの事かー!
……って、あれは屁を咎めたら殺されたんだったか。
730:人間七七四年
10/03/15 22:20:29 rHTtFp6S
>>729
思い出しました
逆でしたな
731:人間七七四年
10/03/15 22:25:03 FF9cQMqm
そんな恐い景勝の大坂の陣エピ
①合戦中、近習たちが竹束に隠れて戦闘の様子を眺めていた。
そこに景勝がやってくると、近習たちは竹束の向こうに隠れて
景勝から身を隠し、敵にその身をさらした。部下たちは敵の銃弾より
景勝を恐れていた。
②鴫野の戦いは大坂冬の陣一の激戦となり、家康は陣替えのため景勝へ
使者を送った。「負傷兵も多くでていることであろう。堀尾忠晴の軍
と交替してはどうか」。家康の命令で、堀尾は兵を率いてかけつけた。
ところが、景勝は持ち場を代わる様子を見せない。
「え・・ええと・・」。先輩大名に困った堀尾の注進を受け、家康は
再度景勝に使者を送った。これに景勝は激怒。
「大将は戦場にあっては君命を受けないこともある。朝から激戦を繰
り広げて取り仕切ってきた場所を、そう簡単によその者に譲って退く
ことなどできない」と家康の命令を拒否した。
③家康と秀忠が景勝の武功を称えた。
「鴫野の戦いではそのほうの家中に苦労をかけたな」
これに景勝は無表情で
「子供同士の戦いのようなもので、別段骨が折れることもありません」
732:人間七七四年
10/03/15 22:53:48 izTzGpGw
冬の陣では、まず豊臣方の守備兵を蹴散らして、援軍にやってきた倍の敵兵をガチンコで破った上に
崩れかかる佐竹勢を助けたりしてるからな
まさに上杉無双状態と言っても過言ではないんだが
何故かあまりクローズアップされないんだよな
733:人間七七四年
10/03/15 23:07:09 mC5R+0cP
だって、大坂の陣て徳川方の歴戦の猛将たちは、江戸城で昔話してたり、
秀忠の周りで「ご存じないのですか!?彼こそ毛利壱岐守が一子、勝永ちゃんです!」とかやってて、
高虎とか景勝とか政宗くらいしかまともに戦ってないんじゃないの?(政宗はまともでもない気がするが)
四天王もみんな代変わりしてるしさ
734:人間七七四年
10/03/15 23:08:32 489IWxo5
(神保隊を)踏み潰せッ
735:人間七七四年
10/03/15 23:11:28 kyM/zk1h
御館の乱で重鎮が没落→上田衆を中心に若手が台頭
主要武将の平均年齢が他家より低かったので
大阪では結果的にベテラン揃いに、だっけ?
736:人間七七四年
10/03/15 23:11:29 PRQg3e4J
戦国時代の武将って、今の主婦みたいだよねw
なんつーか、女々しいww
737:人間七七四年
10/03/15 23:13:36 bzFtr2Hn
大坂の陣時の井伊の赤備えは家康に兎や角言われているが、若江の戦いで
積極果敢な突撃をして木村重成を大破して藤堂高虎を救っている
738:人間七七四年
10/03/15 23:21:43 CSoXGzu/
井伊の場合は、姉川の戦いで磯野に率いられて織田の陣を突破しまくり、
関ヶ原の戦いでは石田を支えて孤軍奮闘した精鋭集団「佐和山衆」を、
彦根移封後に吸収してパワーアップしているからね。
739:人間七七四年
10/03/15 23:22:55 mC5R+0cP
直孝は父親の武功が半端ないから仕方ない
740:人間七七四年
10/03/15 23:29:33 kX3w2/ir
>>733
立花宗茂が一生懸命護衛してたじゃないですか・・・
敵勢が強いから下がりましょうって提案したり
ちょっくら交戦してきますって蹴散らしてきたり
やっとこさ秀忠も陣を下げようとしたら、
もう勢いがないから下げなくていいです。下げたら士気が下がりますんでと納得させたり
自分で家康に報告に行ったり・・・
おかげで柳川に帰れましたよ
741:人間七七四年
10/03/15 23:32:57 CSoXGzu/
>>740
もしかして、うるさい爺だから加増名目で九州へ追放とか
742:人間七七四年
10/03/15 23:37:26 sR2b56Ed
一方、真田家の信之さんは敵方で弟が大活躍して
嫁が息子達に「一人位戦って死ねば良かったのに」
と言われて胃痛で寿命が縮んでいた
743:人間七七四年
10/03/15 23:39:40 mC5R+0cP
義兄も死んでるからね>信之さん
744:人間七七四年
10/03/15 23:42:04 CSoXGzu/
>>742
あれほどの鬼嫁の存在が気にならないほど
鈍感な人なので、ストレスなど全く感じない。
745:人間七七四年
10/03/15 23:42:15 mC5R+0cP
義弟だったっけ
746:人間七七四年
10/03/15 23:42:38 kX3w2/ir
>>741
まぁ秀忠のお気に入りだからそれは無いと思うよw
書院番頭っていう親衛隊のような役につけたぐらいだし
747:人間七七四年
10/03/15 23:44:59 E6FUEGXm
>>742
小松にそんなこと言ったら殺されるぞ
748:人間七七四年
10/03/15 23:44:59 jiQoIR0p
>>744
いや、信之さんは弟や嫁がもっとおだやかな人柄だったら、もっと長生きできたと思うよ。
749:人間七七四年
10/03/16 00:01:58 8FNlfApR
これ以上どう長生きしろってくらい長生きしてますってつっこみはなしですかそうですか
750:人間七七四年
10/03/16 00:03:38 GhEB46jF
小松さんが亡くなった時すごく悲しんだって言うから、
小松さんが長生きしてたら、
喜んでもっと長生きしていた可能性もある>信之さん
751:人間七七四年
10/03/16 00:09:54 gYG9jn/J
,.ィ , - 、._ 、
. ,イ/ l/  ̄ ̄`ヽ!__
ト/ |' { `ヽ. ,ヘ
N│ ヽ. ` ヽ /ヽ / ∨
N.ヽ.ヽ、 , } l\/ `′
. ヽヽ.\ ,.ィイハ | _|
ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、 | \ つまり信之さんにとっては、
.  ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ > 苦労こそが長寿の秘訣だったんだよ!
. l  ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__
゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ トr‐' /
l `___,.、 u ./│ /_
. ヽ. }z‐r--| / ト, | ,、
>、`ー-- ' ./ / |ヽ l/ ヽ ,ヘ
_,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´ ./ \、 \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ / :| ,ゝ=< / | `'''‐- 、.._
/ !./l;';';';';';';\ ./ │ _
_,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\ ./|._ , --、 | i´!⌒!l r:,=i
. | |:.l. /';';';';';|= ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
l. |:.:.l./';';';';';';'! /:.:.| i´|.ー‐' | / | |. ! l
. l. |:.:.:.!';';';';';';';'| /:.:.:.:!.|"'|. l' │-==:|. ! ==l ,. -‐;
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l |:.:.:.:.:l;';';';';';';'|/:.:.:.:.:.:.!│ l l、 :| | } _|,.{:: 7 ))
l |:.:.:.:.:.:l;';';';';'/:.:.:.:.:.:.:.:| |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ' ::::::|; 7
. l |:.:.:.:.:.:.l;';';'/:.:.:.:.:.:.:.:.:.|. \:::::\::::: ヽ ::::::!′ :::| .:/
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752:人間七七四年
10/03/16 00:13:01 xDvw7A9d
何か妙に納得したぞwww
753:人間七七四年
10/03/16 00:15:20 rCOR6x9Z
適度なストレスが人生にとって必要なもんだという
754:人間七七四年
10/03/16 00:24:33 uDF4xRvB
過度なストレスと読み違えた…
間違ってないな
755:人間七七四年
10/03/16 00:29:35 UjXxkkiT
単純にM気質つうかMそのものだったんだろ
756:人間七七四年
10/03/16 00:57:12 xXr3AgjW
>>733
前田と越前も頑張ってるよ
大坂方大活躍!の当て馬みたいなポジションで
757:人間七七四年
10/03/16 01:15:37 G38m5F/k
実はあれでもストレスで寿命知事待ってるんじゃないか?
何もなければ天海以上に生きたりして
758:人間七七四年
10/03/16 01:31:30 QLnWad0T
ストレスさえなければ長野にリニア通せとごねてる知事にお説教してくれたのか・・・
現代日本にとって、多大なる損失だな・・・
759:人間七七四年
10/03/16 04:27:06 vctktYDb
話を面白くないほうに飛躍させんなよ
760:人間七七四年
10/03/16 11:13:40 zVr+S53q
>755
(´-`;).。oO(毎夜寝所で小松に言葉攻めされるお兄ちゃん...。)
761:人間七七四年
10/03/16 15:31:20 U3GxlX54
寝所だけでは立場が逆転するとな?
762:人間七七四年
10/03/16 18:03:28 X2+n7jwB
信之「小松は昼は上の髷を、夜は下の髷を握って候」・・・ナンチテ。
763:人間七七四年
10/03/16 19:39:07 jCGQnU8m
小松「なんなのその茶筅髷w」
764:人間七七四年
10/03/16 20:00:01 GunvGoRF
出羽国由利郡に羽川小太郎義稙という豪族がいた。
彼の所領は小さく、土地も貧しく、それでいて抱える郎党は多かった。
当然ながら、領民も侍も生活が苦しい。
そこで羽川一党、食い扶持に困ると小野寺領や戸沢領まで出張し、夜討ち強盗するをこととしていた。
天正13年のこと。
この羽川の海岸に船が漂着し、大勢の男女が乗り込んでいることが分かった。
浜の者がどこから来たのかを尋ねると、彼らは答えた。
「我々は加賀国から来ました。
能登の大将・畠山義則が滅びましたので、その家中が一揆を起こしたのですが、
前田利家に敗れ、ようやく命を永らえた者がこうして逃げてきたのです。
もはや食糧どころか水も尽き果てています。どうか情けを」
さて、これを聞いた羽川の郎党は勇み立った。
畠山家の落人ともなれば、さぞかしよいものを携えているに違いない。
「こりゃあもっけの幸いですぜ。一人残らず引っ捕えましょうや。ゲヘヘ」
といった具合に義稙に報告した。
ところが義稙、
「相手は衰弱して当方に頼ってきているのだぞ。どうしてこれを害することができるか」
と一喝すると、漂流民に食を与えたばかりでなく、屋敷まで用意してこれを救ったという。
まあ、この後、落人達も引き連れて奇襲に出かけたりしてるんですけどね。
765:人間七七四年
10/03/16 20:33:42 c05ocXRF
山賊って身内には優しいよね
766:人間七七四年
10/03/16 20:36:19 WhDVcU3M
悪党でも身内にはやさしいからヤクザは血のつながりがなくても親分、兄貴分、弟分といった疑似家族の形態をとる
発生がまったく別のマフィアでも同様
767:人間七七四年
10/03/16 21:02:54 y8aDdtgd
徳川秀忠は京都二条城で、いかにして福島正則を改易するか協議していた。
この時、正則は江戸にいた。正則は大大名であるので事は慎重に運ばなければ
ならなかった。
秀忠の側近達が言うには、江戸で改易を伝えれば将軍不在の関東で騒ぎが
起こらないとも限らない。関東に使いをおくり京都に正則を呼び寄せて伝えるべき
である。そうすれば江戸や国元の正則の家臣達はおとなしくする事だろう、という。
側近達はいずれも同じ意見であった。
これに異議を唱えたのが末座にいた若年の井伊直孝である。
「それは良策とは思えませぬ。確かに将軍の命とあらば必ず正則は京都まで来るでしょう。
しかし、そのような改易の前例を作ってしまえば、大名達は緊急の呼び出しのたびに
今度は自分の番かと疑念を抱き、喜んで命に従おうとはしないでしょう。
それではまことに不都合です。ですから改易は江戸で伝えるのが良いと思われます。
私は若年ながらこのような職についておりますゆえ、私に使者をお任せ頂きたい」
直孝の発言で議論は紛糾した。
ある者は「若僧が余計な事を申すな!もはや結論は出ておる!」と直孝を叱責したが
直孝は「私の策が最良でございます」と言い張った。あまりに結論が出ないのでとうとう
秀忠は気分を害し、奥に入ってしまった。
その夜、秀忠は直孝を呼び出し、
「私はそちの意見をもっともだと思うておった。されど、重臣達が反対している手前、
強く発言できなかったのだ。しかし、そちの申すとおり改易は江戸で伝える事にいたす」
と言った。そして直孝ではない者を江戸に派遣したという。
768:人間七七四年
10/03/16 21:16:49 ol80zhhw
>>732
大阪の陣は豊臣方の活躍を称える内容の創作がほとんどだからね。
あと、上杉は義のために生きた一族とかなんとかいう創作が多いが
大阪の陣はどうつくろっても義のための戦いとは程遠いから
全体で整合性のある書き方ができないためにスルーされちゃうんだろうね。
769:人間七七四年
10/03/16 21:23:04 c05ocXRF
上杉が本当に義のために生きたんなら徳川の下でのうのうと
生きてないし大阪陣にも参戦しないわな
ただの野心としか思えんけど
仮に豊臣が勝ってたら関東はたぶん上杉がもらってただろうし
770:人間七七四年
10/03/16 21:27:16 WhDVcU3M
義のためとかいうなら立花宗茂のほうがもっと評価されていいけどなぁ
家潰れちゃったから取り立ててもらった恩はチャラねとか言っちゃってるけど一応筋は通ってる
771:人間七七四年
10/03/16 21:30:56 EhAe9dTe
また義を取り違えてるのか
関ヶ原で反徳川だったのは、同僚の家康があからさまに専横し出したからだろうに
天下が決まって徳川の世になれば義は徳川方だろうが
772:人間七七四年
10/03/16 21:33:32 EhAe9dTe
義を忠とか正とかと取り違えるなよいい加減
義ってのは解りやすく言うとルールって事なんだよ
上杉の義なれば…
ってのは
上杉のルールですから、って意味だ
773:人間七七四年
10/03/16 21:34:14 B6/kmIOv
人間の集団の行動目的が一つだけって事はないだろう
上杉家の動きは、義のためでもあり利のためでもあり、それ以外にも様々な思惑が複雑に組み合わさった筈
774:人間七七四年
10/03/16 21:35:31 O1oku6FB
義論争は面倒くさくなるからよそでやろうぜ。
そもそも謙信だって大切にしたのは「義利」であって「義」ではないし。
775:人間七七四年
10/03/16 21:38:31 EhAe9dTe
謙信の場合はどっちかっていうと義理つうより信義だな
だから信玄なんかとは反りが合わない
776:人間七七四年
10/03/16 21:42:26 H+IgiEK9
>>772
二出川審判の名言
「俺がルールブックだ!」
777:人間七七四年
10/03/16 21:43:10 b0eE1dzF
最近の義は「正義」みたいな扱いなので苦笑してしまう
778:人間七七四年
10/03/16 21:50:25 RGQYl48K
「(俺ルールも含めて)約束は守りましょう」ってことかね>上杉の義
氏康の遺言でも、「信玄は約束を破るけど、謙信は約束は守るから、謙信と同盟を組め」とか言ってたんだっけ?
779:人間七七四年
10/03/16 21:54:47 EhAe9dTe
>>778
本来はもっと観念的なもんなんだけどな
解りやすく一言でいうとルールって事だな
正義は正しい行いのこと
信義は信用を裏切らないこと
忠義は忠誠を守ること
等々ね
義侠ってのは、盗賊無頼漢の類ではなくルールの有る男の事
まぁ、これは正直義侠と名乗った男達の言い訳臭いがw
780:人間七七四年
10/03/16 22:07:48 dO8oDqZK
天下静謐よのぉ
781:人間七七四年
10/03/16 23:11:53 30zuTWsy
有名な話だが、既出ではないと思うので。
山陰の雄、尼子家が月山富田城に追い込まれた時、経久以来の臣、宇山久兼は城中を鼓舞する傍ら、私財をなげうって兵糧を購入、配給していた。
そんな彼の活躍もあって、城方も何とか持ちこたえていた。
・・・にも関わらず、最後は讒言によって主君に殺害されるという悪い結末だが、久兼の無私ないい話。
今風に言うと、散々サービス残業させられて、最後はあっさりリストラ、って感じなんですかね。
782:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/16 23:47:32 3R56HtM+
あっさりどころか専務の人気がありすぎて、切った瞬間から会社ごと傾いた感じ。
783:人間七七四年
10/03/17 10:04:34 0NBEaVlm
でもまぁ、よくある話だw
尼子って所謂、豪族衆の棟梁的な家だったよね?
そういう場合だと、家臣の名声って相当邪魔になるんだろうなぁとか思った
784:人間七七四年
10/03/17 10:46:52 E1DhiNKt
>>771
加熱具が、三成と組んで中央政界に関心が強かったから、蒲生を追い出して会津に移って家康を牽制したりして苦しい立場になる
785:人間七七四年
10/03/17 11:14:00 LmCIL69P
>>767
徳川家然り、前田家然り、上杉家然り
こういう話聞いてると二代目が初代ほど勇猛果敢でなくとも賢君だったからこそ
家は長続きしたんだってつくづく思うよ
786:人間七七四年
10/03/17 11:23:30 dFR9AKQC
>>785
NGMS<ホント、その通りですよね。
三歳<まったくもって、その通りだな。
787:人間七七四年
10/03/17 12:10:33 Sz2WDn7y
■髭殿VS天下の陪臣
天正17年の重陽の節句、聚楽第の拝賀の儀で、
上杉景勝と前田利家が挨拶の順番を巡って争いました。
上杉方の執政直江山城守は秀吉が天下を差配する3つの条件の
うち2つを備えると言われた器量の持ち主。彼が言います。
「当家は関東管領の家。当家こそ先でござろう」
これに前田側の見事な髭を称えた男が反論します。
利家が若い時からそばに仕えた重臣・村井又兵衛長頼です。
「殿下は小身から手柄を立てて天下を治めるまでに至った。
わが主筑前守も武功を挙げて三国の太守となり、今や少将。
それほど高い位ならば、そもそも上杉殿は本日の挨拶も無用
であろう」
これには直江も返す言葉がなく、利家が先に挨拶することにな
りました。
利家は大変喜び、屋敷に帰ると村井に酒を三献与え、その髭を
なでて言いました。
「わしが今、筑前守と呼ばれるまでになったのは、ひとえに髭
殿のおかげである」
788:人間七七四年
10/03/17 12:21:58 hHIQRZDG
>>785
忠直「わかるわかる」
秀頼「分をわきまえて慎むことが大事だわな」
明成「父の業績を無に帰すとかマジあり得ねえっての」
789:人間七七四年
10/03/17 12:33:08 fav5YG7+
明成は掘の娘達を始末していれば
790:人間七七四年
10/03/17 12:45:56 SV+HBEPb
>>787
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
791:人間七七四年
10/03/17 13:09:13 Sz2WDn7y
直江の項にあったのか・・・。
直江より村井の逸話にしてあげるべきでは。
792:人間七七四年
10/03/17 13:11:45 yZvvPZYk
分類の仕方に文句つける前に
ちゃんと検索しろよ、検索できるようになってるんだから
793:人間七七四年
10/03/17 13:13:44 o0UFndLq
NGMSさんは普通に賢君にいれていいt…え、あ、はい
…あんな小心者でも家を保てるだけの遺産を築いた大殿は偉大だったわ!
794:人間七七四年
10/03/17 13:36:14 fOEEhB6Z
>>787
髭をなでるってどういう表現?
アラブ人が髭を触ってきたら尻の穴に気をつけろって聞いたことあるけど。
偶然かもしれないが、790の方も去年の三月に書かれているけど、
この時期になると村井さんを思い出す何かがあるのだろうか。
795:人間七七四年
10/03/17 14:21:49 6uYTAJY2
ヒゲが自慢だったからそのヒゲを撫でながら褒めたんでしょ
なんと言っていいか解らんが、褒めるときに犬の毛を撫でる様なモンでは?
796:人間七七四年
10/03/17 17:18:31 HSjE5U1o
話をぶった切ってスマンが誰か伊達成実の逸話とかって知らない?
地元で資料探したがあんまなくって…できればまとめにないもを
797:人間七七四年
10/03/17 19:43:20 Y/+YVTfV
右手に大火傷して一生指がくっついたままだったとか、
従妹の駒姫が処刑されてさすがの政宗もしょげている時に
「最上ざまあ(www」とpgrったとか、そういうネタ?
798:人間七七四年
10/03/17 20:02:05 gBOaGs0V
髭をなでるとかなんかすげーリラックスしてる主従関係だなw
日曜日で家にいるおとんみたいやん
799:人間七七四年
10/03/17 21:17:40 BFB22ALr
夜中に殿ん家押しかけて飲んでる家臣も居るぐらいだからな
800:人間七七四年
10/03/17 21:23:10 gkyF7Shr
マジで黒田さんちは家臣がよくできてるよな・・
つーか如水のオヤジがチートすぎる
801:人間七七四年
10/03/17 21:30:00 Yif4kBvg
上のほうで三斎様が出てきたので、その息子の話でも。
平成元年に、当時の熊本県知事夫人・細川佳代子氏が講演した内容だそうだが……。
「当時徳川幕府は、お家騒動を避けるために嫡子相続という制度をつくり、各大名もそれに倣いましたが、
細川家は一番優秀な男子が後継となることを実践しました。
しかし、廃嫡しても家を断絶させるのではなく、長男・忠隆の後は細川内膳家という分家になって今日まで続いております。(中略)
また、お家の犠牲となったとされる興秋にしても歴史の表舞台では細川家を廃された後、大坂方について最期を遂げたとなっておりますが、
本当は生きて天草に行き大庄屋になったのです。天草郡五和町御領の芳證寺に戒名が残っていまして、長岡姓で住み着き、興秋以降14代の墓が見つかっています。
これは忠興公が密かに生き残らせたためと思えるのです(後略)」
興秋といえば、大坂の陣にて豊臣方につき、戦後、忠興に切腹させられたと伝わるが、実際はどうだったのだろうか。
後世の作り物か、はたまた本当に興秋は生きていたのか。
そして三斎様はそんなに優しかったのだろうか。
802:人間七七四年
10/03/17 21:34:43 pANeEI2Y
実は生き延びてたんだよ説って必ず出るな。
真田も後藤も明石もあるし、秀頼もあるし。
803:人間七七四年
10/03/17 21:37:13 ji9e/rtg
赤マフラー願望は昔からあるんだな
804:人間七七四年
10/03/17 21:40:35 Yif4kBvg
逆赤マフラーな某大権現……。
805:人間七七四年
10/03/17 21:41:10 bmz+zGtW
石田三成も関ヶ原の乱戦の中で死んでたら生存説とか出てくるんだろうか
806:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/17 21:53:25 XxBg5mQZ
木下さんちのあの子は信じたい。
807:人間七七四年
10/03/17 22:33:57 AOEERJlx
>>800
黒田家はむしろ長政が家臣に気を遣いまくったおかげでうまくいったように思える
実際、堪え性のない孫世代で騒動起きてるし
808:人間七七四年
10/03/17 22:46:10 S53Emb2C
>>789
蘆名銅伯乙
809:人間七七四年
10/03/17 22:56:13 hrpIbkif
だが、細川興秋は生年月日を見るとガラシャ幽閉中に仕込まないと
生まれることが出来ないのではないかと思われるのだ!
それに関する三歳様のコメントはない。
810:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/17 23:03:42 XxBg5mQZ
ガラシャ監禁絵巻
811:人間七七四年
10/03/17 23:06:03 fav5YG7+
ただの質にあらず妻としての使い道もある
812:人間七七四年
10/03/17 23:10:41 j6L5LHlq
O友S麟「人妻の緊縛ものと聞いて」
813:人間七七四年
10/03/17 23:21:53 S53Emb2C
>>812
T花D雪「殿、忠臣緊縛ものならこちらに。ささどうぞ」(#^ω^)ピキピキ
814:人間七七四年
10/03/17 23:29:43 KELpw04I
>>805
処刑されたのが影武者で(ryっていう生存説ならある
815:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
10/03/17 23:30:43 XxBg5mQZ
右手首と左足首
もうね、もうね。
816:人間七七四年
10/03/17 23:32:59 hrpIbkif
昭和33年「徳川秀忠遺骨調査」が行われていた。
そこで判明した徳川秀忠データが判明した。
推定身長:156.7cm~159cm
体格:筋肉質
血液型:O型
埋葬状況:座した姿勢
遺骨保存状況:かなり悪い・縦方向に丈夫の重みがかかり遺骨が潰れていた。
と言う状況だったのだ。戦が少なくなった時代とは言え戦国の武士と言うことだ。
さて、秀忠の遺骨には「戦人(いくさびと)」としての秀忠を忍ばせるものが発見されている。
「骨にまで達した複数の銃創痕」
重ね重ね言うが、秀忠が生まれてから大阪夏の陣の間は戦国時代とは言っても戦の数は減りつつある時代である。
つーか、この人、天正7年の生まれで、小田原征伐で11才である。
ましてや銃創が出来るほど戦場では敵に接近して指揮を執ることを好んでいた、
猛将タイプの大将でもあることを意味する傷でもある。
今後は秀忠の見方も変わるのではないだろうか。かっこいい方向で。
戦下手→隠れ猛将!徳川秀忠(ただし、結城秀康には負ける)
ちなみに猛将タイプは得てして敵の策略に引っかかりやすいので負けることが多い。
戦下手と言うより猛将だったところで駆け引きが苦手だったのかも知れない。
しかしそういう大将に部下はついていくもんだ。とくに三河者は!
それにしても、複数も鉄砲玉に当たっていて死なないとは・・・・・・・・不死身と言うより
周辺の三河者は何で止めなかったんだ?徳川家の立場は考えなかったのか?
まさか、三河者の価値観とは、
面倒くさい三河武士の武士の一分>(断じて越えられない壁)>徳川家の立場>(絶対越えてはならない壁)>尻吹き紙>(供でも超えることが出来ない壁)>豊臣秀吉の面目
としか思えない。
817:人間七七四年
10/03/17 23:37:14 hrpIbkif
>>816です。
×(供でも超えることが出来ない壁)
○(断固として越しては成らない壁)
に変更をお願いします。ブログ管理人様スミマセン。
818:人間七七四年
10/03/18 00:00:28 jvqyM10P
関ヶ原に遅れたのはそのせいかも?>銃創
数日間動けなかったとか…妄想が過ぎるか。
819:人間七七四年
10/03/18 00:04:42 F48qTaxm
秀忠のお墓はもうすぐ一般公開されますね。
820:人間七七四年
10/03/18 00:33:55 szcPMhGI
有名な割に出てなかったので、黒田家ネタを一つ
黒田長政が家康に接近するために15年連れ添った嫁(蜂須賀正勝の娘で秀吉の養女)と離縁して、
家康の養女と結婚したのは結構知られた話だと思います
長政の継室に当たる栄姫は保科正直の娘であり、つまり槍弾正の孫であり家康の実の姪にあたります
長政の死後は、例の鳳凰丸事件で弟の保科正貞を通じて幕府に働きかけたり、
郊外の別邸に母親ともども追いやられていた三代藩主黒田光之を将軍にお目見えさせたり、
側室であった光之の母親を正室にするように働きかけたりと
馬鹿息子のフォローに明け暮れていたあたり、長政も離縁までして徳川家から嫁貰ったのが功を奏したようです
この栄姫が常に不機嫌そうな突進系大名(33歳バツイチ子持ち)のもとに嫁いだのが数えで16歳の時、
慶長5年6月、つまり家康が上杉討伐のために大坂城を出陣した時期であり、
つまり、栄姫が嫁いで早々夫の長政は家を空けることになります
16歳の新妻は大坂天満の黒田屋敷で姑とともに夫の帰りを待つことになります
(ちなみにお舅さんは中津城で何かよからぬことを考えていたようです)
この戦がそのまま天下分け目の大戦になることを予見していた長政は大坂屋敷の留守居に
栗山利安・母里友信の黒田家最強コンビ(と宮崎助太夫)を配置しておりました
そして、同年7月ついに石田三成が挙兵、会津征伐軍の諸大名の妻子を人質に取る作戦に出ます
黒田家にも三成からの使者が訪れます
敵方に知られぬように二人の夫人を連れ出すために、栗山らがかなり大がかりな芝居を打ちます
一説には、夫人を1人ずつ俵に詰めて、商人に化けた母里がその俵を天秤棒で担いで屋敷を出たとか
また、一説には母里が病人のふりをして乗物に乗って番所で迫真の演技をしてみせる、
それを数日繰り返すうちに万人が気の毒がって乗物の中を確認しようとしない、
そうなったところで、毎晩一人ずつ夫人を外に連れ出したととか
どちらにしても、役者は母里と決まっているらしい(でも作戦を立案したのはなんとなく栗山のような気がする)
二人の奥方を連れ出した後、影武者を使って誤魔化したりするあたりかなりの手の込みようですが、
三成挙兵時の諸将の奥方大坂脱出作戦はどこも相当大がかりな方法をとっているようなので、
調べてみると面白いかもしれません
両夫人を屋敷から連れ出すまではうまくいきましたが、目指すは中津、まだまだ道のりは長いです
さしあたっての問題は木津川の舟番所をどうやってやり過ごすか
栗山らが考えあぐねているところに、玉造の方から火の手が上がります
そうです、細川越中守の愛妻・玉子夫人が自害の上、屋敷に火を放ったのです
大坂城内は大騒ぎになり、舟番たちも火の手の方に駆けつけます
舟番所の警備が手薄になった隙に、母里は奥方たちを船底に隠して川を下ります
皮肉なことに、栄姫は玉子夫人の自害によって大坂城から逃げ果せたのです
その後も、母里が顔見知りの舟番を言いくるめたりして、16歳の新妻は無事中津城に辿り着くことができました
栗山・母里の最強コンビはその後、妙にアグレッシブなご隠居に従って石垣原で大暴れするのは
皆さん御承知のことだと思います