戦国ちょっといい話18at SENGOKU
戦国ちょっといい話18 - 暇つぶし2ch344:人間七七四年
10/03/03 19:23:56 gcU1exN2
徳川家康が本多忠勝等と共に二股城を攻めに行った時のこと、
徳川十六神将の一人内藤正成は、足が痛む為に留守番として浜松城を守っていた
ところが城を出た家康等は夜中に激しい風雨に見まわれ、引き返さざるを得なくなった
そのため本多忠勝が使いとして城に先に戻り
「殿が帰城するので速やかに開門するように」と言ったのたのだが
城内の正成に城門を開ける様子は全くない

忠勝が城門をドンドン叩き
「殿が帰ってきます!!早く門開けてください!」と
叫ぶものの内藤はこれを完全に黙殺
やがて内藤は櫓に登ると門前の忠勝にこう怒鳴った
「こんな夜中に殿が帰ってきたなどと嘘をついているのは誰だ、騒がしい。
そこを退かねば撃ち殺すぞ」
そう言って忠勝に銃口を向ける始末
このままじゃ殺られると慌てる忠勝
そこに家康が追いつき、「家康本人だけど、入れてくれ」と言うが
「声は似てるが本当に殿か?」と疑い、中々信じてくれない
結局家康の顔を照らしてしっかり目視で確認し、ようやく城門は開いたのだった

この正成の用心深さを、家康は
「お前のような頑固な人間が留守を守ってくれるなら、
敵がどんな策を使ってきてもやすやすと城には入れないだろうから
安心して外に出られる」
と褒め称えたという

345:人間七七四年
10/03/03 19:29:20 gDoCcDWF
>>344
本多忠勝から娘に引き継がれるんだな

346:人間七七四年
10/03/03 21:50:39 6kaXON6L
>>344
褒め讃えているような皮肉っているようなw

347:人間七七四年
10/03/03 22:22:53 tQ79DWDb
>>346
三河者にとって最大の皮肉は褒められることだとちょっと思った。

348:人間七七四年
10/03/03 22:35:49 a9xnsj/R
どっかで読んだと思ったらこれだった

内藤信成、城の留守番・いい話
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

正成と信成の違いがあるが、伝わるうちに誰かが書き間違えたのだろうか

349:人間七七四年
10/03/03 22:55:59 Tr740bri
行く全ての城で同じ待遇を受けたに違いない。三河的に考えて

350:人間七七四年
10/03/03 23:03:35 nBAQiwjI
鯖復帰記念にほんの小ネタ。

侍のヘアスタイルのイメージとして一般的となっている月代を剃った姿は、
戦国時代中期から広まった。
だが、これをカミソリで剃って形作るようにしたのは、戦国時代後期の織
田信長だと言われている。
それまでは毛抜きで抜いていたので、痛いやら頭皮に血がにじむやらで不評だったが、
カミソリで剃ることで日常的にできるようになったんだとか。

351:人間七七四年
10/03/04 00:57:18 aWzpZgRM
柳田國男に見る戦国時代
「加藤清正、河童王九千坊を退治するの事」

九州の古伝承に登場する、九千坊〈クセンボウ〉という大河童がいる。
遥かな昔唐土の地より渡り来たといわれ、
筑後川の流域を拠点とし、九千の同胞の頂点に君臨したとされる、
西国一の河童の王である。

ところが、数百年と続いた九千坊の栄光の日々に、
ある日唐突に終焉が訪れた。九千坊の配下である八代川の河童が、
ある日ほんの気まぐれで人間の子供を溺れされたのだが、
この子供というのが実は肥後熊本の鬼将軍、加藤清正の小姓だったのである。

果たして鬼将軍は嚇怒した。
「片鎌槍を持つね!」
「はっ!」
清正配下の勇将たちも奮い立った。
化外の民とはいえど、相手は9000もの軍勢を擁するのだ。
まさに人と河童の大戦が始まる、とみなが思った。
ところが清正の次の言葉は、兵を呼集を命じるものではなかった。

「猿を集めるね!」
「は?」

清正は領民たちに大令を発し、領内全域から 猿 を集めさせた。
あまり知られていないと思うが、このあたりの一部地方の民話の設定では、
河童というものは猿が大の苦手で、
猿を見ただけでフリーズしてしまうことになっているのである。

「出陣じゃああああああ」
「キー!キキー!キキー!」
「あ……はい……行ってらっしゃいませ……」
果たしてハイテンションの清正は猿の大群を率いて筑後川に突撃していった。

驚いたのは九千坊と九千の河童軍団である。
河童たちはもちろん迎撃の準備を整え、


ることなく、全力でびびった。
「勝ち目なくね?」
「鬼将軍怖すぎじゃね?」
「猿嫌い超嫌い」

この同胞たちのふがいなさに、河童王九千坊もまた大激怒し、
長広舌の演説をふるって同胞に発奮を


促さなかった。
九千坊もびびっていた。
兵を率いるどころか、この矮小なる河童の王は知人の僧に仲裁を頼んだ。
結局九千坊は外交僧のとりなしのよきを得て一戦も交えることなく清正に降伏、
「河童一同、二度と人間様に危害は加えません」との誓いを立て、
ようやく鬼将軍清正の許しを得たという。

352:人間七七四年
10/03/04 01:05:15 aWzpZgRM
ちなみになんで「西国一の河童」かというと、
実は利根川流域に東国の河童を率いる祢々子と呼ばれる最強の女河童がいて、
九千坊は彼女にぼっこんぼっこんに負かされたことがあるからです

353:人間七七四年
10/03/04 01:12:32 ZXhr1Tse
河童の正体はやっぱり川原に住んでる人たちなんだろうか

354:人間七七四年
10/03/04 01:13:45 FuLyirsS
小田氏治「不甲斐なき河童だのう、勝とうという意思さえあれば百戦百勝だというのに……」

355:人間七七四年
10/03/04 01:19:18 aWzpZgRM
>>353
豊臣秀吉の倭寇退治を
極限まで戯画化した結果としてこういう話になったんじゃないかという説もある

356:人間七七四年
10/03/04 01:21:40 ZXhr1Tse
>>355
ってことは猿=秀吉で秀吉の威光に恐れおののいたのか

357:人間七七四年
10/03/04 01:23:52 lqbrK2+A
悪い話スレで出てたミカジメ料払うことになったヤツと言い戦国は河童受難の時代だのうw

358:人間七七四年
10/03/04 01:49:55 VR16abjJ
剃刀等で剃った場合はまた生えてくるけど、
抜いた場合はそのうち生えなくなるみたいね。

抜いてるうちに月代の部分だけ髪が生えなくなるんだろうか。

359:人間七七四年
10/03/04 01:50:38 VR16abjJ
>>358>>350宛てです申し訳ない

360:人間七七四年
10/03/04 02:09:52 qdjFUejF
いにしえより大河に棲み付く人知を超えた存在であり、
人間の恐怖と崇拝の対象であったはずの河童が、
サルを連れた侍にコテンパンにされるほど落ちぶれ、戯画化されてしまった。
もう誰も本気で怖がったりしない。

神仏や妖怪のたぐいがそこらじゅうに存在して、人々の意識を支配していた南北朝・室町時代とはえらい変わりようだ。
昔から疑問だったが、室町→戦国→江戸の短い期間に、
何で人間の意識がこんなに変わったのかね?

361:人間七七四年
10/03/04 02:19:55 aWzpZgRM
民俗学の観点からは、下々の村々にまで治水が行き届くようになって
近在の水辺が根源的恐怖を催すほどの脅威ではなくなったことの反映でないかと言われてる。

堤防工事が完璧に行われてた地域と、それほどでもない地域で
それぞれの河童譚を収集すると、前者の地域のほうがより戯画性が高く、
後者においてはまだ自然神的性向をとどめている例が多いとの研究もある。

362:人間七七四年
10/03/04 02:40:05 xIWFpWTY
室町後期くらいから人間が自然を征服し始めるんだよね、日本でも。
江戸前期に至ると日本中の土地を掘り返す勢いで河川改修やら新田開発やらやってる。
その過度の開発による自然破壊が、いわゆる生類憐れみの令の原因になったと言う説もあるほど。

363:人間七七四年
10/03/04 03:25:50 aWzpZgRM
信濃の黒姫伝説
「高梨政盛、娘をドラゴンにもってかれるの事」

高梨氏は北信濃の古い豪族である。
政盛はその最盛期の当主で、越後の長尾家と縁戚を結んで力をつけたので、
上杉謙信の大叔父だったりもする人だがここではそれはあまり関係ない。
政盛には美しい娘がいた。信州一といわれた、それはそれは美しい娘であった。
名を、黒姫という。

美しい黒姫には当然縁談の求めが絶えなかったが、求婚者の中にちょっと風変わりなのが混じっていた。
沓野奥四十八池の総大将、志賀高原の大沼池のヌシたる大蛇、黒龍である。
黒龍は姫の噂を聞きつけ、その姿を垣間見んとて蝶に変じて姫のもとに忍び込んだのであるが、
たまたま蝶を見つけた姫に微笑みを向けられ、一発でフォーリンラヴしたものであるという。

黒龍は今度は若侍の姿をとって高梨城を訪れ、しかし堂々と大沼池の黒龍であると名乗りをあげ、
どうか黒姫を妻にいただきたいと願い出た。城主高梨政盛以下人間たちはパニックに陥った。
蛇なんぞに娘を嫁にやるなどとんでもないが、しかし神たる相手を怒らせて、
洪水でも起こされたらたまらないからである。そこで政盛は一計を案じた。

「あなた様が神なのはわかりましたが、しかし娘は人間であります。
 人間のままでも娘を守っていただけるというのなら嫁に出しましょう。
 今のその姿のまま、馬で走る私に合わせて、城を二十周走ってみせてください」

黒龍は応諾し、政盛の馬を追って走り始めた。
実はこれは罠であった。城の周りにはささらのごとく刃が仕掛けてあり、
罠のありかを知っている政盛はこれをなんなくかわしたが、黒龍は幾度となく刃に身を裂かれた。
しかし、どれほど傷ついても、黒龍は諦めない。人間の姿のまま、血にまみれながら、
とうとう二十周を走りぬいた。

「これにて、約束通りにござる。姫を頂きたく」
「なんの。畜生ごときが我が娘を嫁にするなどと、身の程を知れっ」
政盛は身勝手にも約束を反故にし、刀を抜いて黒龍に斬りつけた。
深手を負い、さしもの龍もついに切れた。
「なんと。たばかりおったか人間め、これは許せぬ」
巨大な黒い龍神の本性を現し、咆哮をあげて龍は飛び去る。

その場に飛び込んできたのは、一部始終を見ていた黒姫その人であった。
黒姫はものすごい剣幕で父親を罵倒した。
「父上、なんということをなさいます!彼は約束を守ったではありませんか!
 彼が約束を守られた以上、わたくしはあの方の妻となるのが筋目というものではありませんか。
 それをこともあろうに斬りつけるなど、それが人間のやることですか!」

黒姫は、いつしか黒龍の想いにほだされていたのである。
しかしそんなことは知らない黒龍は、怒りに我を忘れて暴走し、
人類など滅ぼしてくれんという勢いで暴風雨を巻き起こしていた。
高梨家の領地はまさに水没しようとしていた。事態を収拾すべく飛び出したのは、またしても黒姫。
黒姫は荒れ狂う竜神に向かって叫んだ。
「黒龍さま!わたくしは、あなた様の妻となります!あなた様のもとに参ります!」
嵐はピタリとやんだ。
ところが黒姫は、おずおずと自分の前にやってきた黒龍に対しても説教を始めた。

「お怒りになる気持ちはわかります!ですけど!悪いのは私の父でしょう!
 田畑を荒らされた百姓たちに何の罪がありますか!反省なさい!」

人間の娘の説教に対し、龍神は涙を流して、怒りに我を忘れた己の非を詫びた。

黒姫はそのまま黒龍の背に乗って飛び去り、二度と高梨の城へは戻らなかった。
ふたりが幸せな暮らしを送ったとされるその場所は、今も黒姫山の名で呼ばれている。

364:人間七七四年
10/03/04 03:33:07 aWzpZgRM
この話は信玄と争った世代である政盛の孫の政頼のものとされることもあります。

話の筋自体もドラゴンとの戦いで高梨城が焼け落ちて高梨氏がいきなり滅んだり
黒龍も黒姫も死んでしまう話だったりすることもあるんですが
このパターンが一番美しい……まあ肝心の政盛は完全にダメな悪役にされてますが。


365:人間七七四年
10/03/04 04:53:08 /mEk8Ill
黒龍が黒姫の尻に敷かれたのは言うまでもない

366:人間七七四年
10/03/04 04:54:07 hvsJ1KyB
>>361
そういや清正は治水名人だったな。
その説に妙に納得した。

367:人間七七四年
10/03/04 06:52:16 spqkNLyh
>>361
河童って水死体の象徴的にあらわしたものだっけ?

368:人間七七四年
10/03/04 09:07:12 a5gOwYkg
>>363
まんが日本昔話になってなかったっけ?
見たような記憶がある

369:人間七七四年
10/03/04 09:11:58 FvVmLSyM
唐土より来た河童ということは
渡来人系の人たちが大勢流入してきて河原周辺に住みついて
河原者になっていた、ということでは無いだろうか?
猿というのは猿の化身である日吉山王権現(比叡山)勢力の
力を借りた、とも考えられると思う。
加藤清正は延暦寺の石垣を築いた石工集団穴太衆を多く召し抱えているし。

370:人間七七四年
10/03/04 09:49:13 rFKhA8ub
加藤家改易後に肥後に入国した細川忠利が、清正の廟所がある本妙寺へ行き、
「あなたのお城を預からせていただきます」と言ったという逸話は有名だが、
これは単なるパフォーマンスでもなかったようだ。

清正は熊本城を築城した際に、同時に破損しやすい柱・梁の予備資材を作らせて
資材の一本一本に「この木材は本丸のこの部分の柱に用いるべし」と目印をつけ、
それを熊本城の堀に水中格納していたという。

371:人間七七四年
10/03/04 11:58:03 9kDUdjlZ
う~む、清正って拳闘強いだけの男じゃなかったのね

372:人間七七四年
10/03/04 12:07:42 KqyCOCGT
水中格納ってスゲーな、木材は水に強いし、もし火事があったときに燃えてしまわないようにの対策か

373:人間七七四年
10/03/04 12:15:36 fS74Ha3g
熊本で土木学んでいるとどこにいっても「また清正公か」って感じだな

水道の人の話を聞いたことがあったんだが、熊本ってのは地下水が豊富でそいつを水道に使っている町なんだ。
その豊富な地下水は阿蘇から流れる白川流域にある田畑から水が地下に溜め込まれるおかげで、
その田畑を拓いたのは清正公のやったことだ、とか。
熊本には白川って川と坪井川って川が流れてるんだけど、昔は途中で合流して災害の元になってたらしいんだが、
そいつを堰で区切って交わらないようにしたのは加藤清正だとか、

佐賀にインターンシップに行ったときは似た感じで「また成冨兵庫か」って感じだった。
全国津々浦々に土木の有名な武将がいるのかねと思うと、ちょっと興味深い

374:人間七七四年
10/03/04 12:20:54 /mEk8Ill
土建四天王どころか土建二十四将も夢じゃないな
新ジャンルおめでとう

375:人間七七四年
10/03/04 12:24:05 qY/fg00J
田中角栄先生は

376:人間七七四年
10/03/04 12:38:13 BM6W/E63
>>351
ペルシャ軍が猫を引き連れてエジプト軍を破った話を思い出した。

377:人間七七四年
10/03/04 12:49:29 K6kkQt9e
前から思ってたんだが、武将が戦上手だってのはそりゃそういう職業だから解るんだが
築城名人だの土木事業の達人だののスキルはどうやって獲得したんだ?
誰か師に付いたのかそれとも完全な独学なのか

378:人間七七四年
10/03/04 13:13:17 vLLkdR2n
村単位で城作ってる時代だぞ
それに常に攻めたり守ったり修繕したりするんだから技能持ってる人はうようよいるでしょ
名人や達人はその中で特に優れてるだけで

379:人間七七四年
10/03/04 13:44:01 byStucs1
清正は関ケ原後の身の振り方考えても外交能力も高いと思う
何気に徳川家との縁談も重ねてるし

380:人間七七四年
10/03/04 13:55:14 QE3s5wfI

賤ヶ岳の戦いが終わった時。
柴田家家臣の佐久間安次&実政兄弟は紀州に逃れ、秀吉に抵抗した。
紀州が降伏すると、今度は小田原まで逃げた。
北条までもが滅び、秀吉によって天下が統一されると、二人は世を捨てて僧になるつもりでいたのだが、
「亡き伯父、勝家に義理立てをしてここまで秀吉に逆らったのは見事である」
として秀吉は二人を助命。蒲生氏郷に仕える事となった。

そんなワケで二人が氏郷に仕官の挨拶に行った際、畳の縁に躓き、コケてしまった。
その場にいた面々、ドッと笑ったのだが、ただ一人氏郷のみは
「この兄弟は共に畳の上で奉公する武士ではないのだ。そなたらの奉公と彼等を比べるべきではない」
と一同を叱り付けたという。

この兄弟はまとめブログにある「蒲生再生工場・練兵編」の佐久間兄弟と同一人物?
こないだ犬千世で似たような話が出てたし、テンプレになってんのかな?


381:人間七七四年
10/03/04 14:45:35 U4ebZsAY
>>380
二人ともこけたのか?w

382:人間七七四年
10/03/04 16:59:21 IGDRmuWG
妖怪譚の流れがおもしろい。民話っていいね

>>363
りゅうの目のなみだっていう絵本を思い出したんだがw

383:人間七七四年
10/03/04 17:01:21 M74+owsH
>>373
熊本で清正(熊本では「せいしょこさん」)って言ったらガチで神様だからね。特に熊本市内は余計にそうだろう。県の端っこの方に俺は住んでるけど、そこらへんは神様、ってまでは流石にいかないんだけどね。
暴れ川だった白川、坪井川(菊池川、緑川も同様に)の堰を造ったのも確かに清正だから、ちょっと強引に解釈すれば田畑を拓けたのも清正のおかげとも言えるし。

戦国時代以前に勢力張ってた菊池氏が衰えて以降、有力な大名が出てこなかった(城、赤星、隈部ら有力国人程度ならいたが)のもあって、荒れてた肥後を極端に言えば救った人間だからなあ。

384:人間七七四年
10/03/04 17:14:55 qdjFUejF
>>377-378
しかし、縄張りが優れているとか劣っているとか
昔の人はどうやって見分けたんだろうな・・・
実際に攻め込まれて、敵を撃退したら縄張り上手ってことになるのか?

385:人間七七四年
10/03/04 17:44:43 PDiWa44U
>>380
鬼玄蕃盛政の弟の事かね
安政・勝之の呼び方の方が有名な気もするが

386:人間七七四年
10/03/04 18:15:36 KGjRQfAN
空気読まずにスマン。
まとめ読んでて思い出したんだが、
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
増田盛次は藤堂家臣磯野平三郎に討ち取られたわけだが、当初は誰なのか解らなかった。
そこへ増田家に仕えていた老女が噂を聞きつけて尋ねてきた。
老女の話と、その若武者が身に付けていた武具が一致した為、ようやく身元が解った。
磯野は老女に盛次の形見として短刀を与えたと言う。

で、藤堂家でこの一件についてこんな論評があった。

甲「あれほどの勇士なら最初から討死は覚悟してただろうね。
それなのに、武器や甲冑、羽織の裏に名前を書いてなかった。
若いから興奮してて、細かいところまでは気がまわらんかったのかな?」

乙「盛次の立場になってみろよ。父の長盛は幽閉されていたんだぞ。
自分が大坂方について討死したと知れたら、長盛は徳川家に死を命じられる。
だから大坂方へつきながらも名前をだせなかったんじゃね?」

甲「なるほど。親孝行者だなあ。でも、長盛は自殺させられてるし。結局、ばれたんだな」

乙「大坂の陣が起きる以前には真田父子や長宗我部さえ助命されてる。
けど、豊臣が滅亡しちゃえば、もうジャマものはない。長盛やっちゃっても誰も文句いう奴はおらんからな。
ぶっちゃけ息子が大坂へ入城しようがしまいが殺されてたと思うよ。
そのあたりは若い盛次には読めなかったんだろうね。でも父を思う心は尊敬するよ」

『元和先鋒録・附録』より。多分、記録者の論評。

387:人間七七四年
10/03/04 19:48:54 DiK8u/X/
>>383
今、熊本県立美術館で「日本の祈りと縁起物」って催しやってるんだが、
そこに清正公をモチーフにした神像が展示してあったよ。小さかったけど。
清正公信仰っていうのがあるんだな。知らんかったわ。

388:人間七七四年
10/03/04 21:21:27 Q0bIQvje
井伊直孝は他家に贈物をするとき必ず自分で確かめてから
贈るようにしていた。

他家から礼儀のなっていない贈物が届くと、直孝は自分の
贈物係りに贈られてきた物を見せて

「見ろ。このように礼儀がなっていないのは係りが勝手にやった
からだ。贈主はこんなことになっていようとは知らないのだ。
家来が主君を思っていないとこういうことになる。お前も気をつけろ」

と言って注意を促したという

389:人間七七四年
10/03/04 21:30:51 K863Dgry
井伊話だ

390:人間七七四年
10/03/04 23:12:04 V/tgllvx
一方武田信玄は信長から届いた漆器をかち割って
「うむ、心が籠もっておる」と満足した

391:人間七七四年
10/03/04 23:34:20 qdjFUejF
>>388
他家から無様な贈り物が届いても、
「何だ島津家の家久は。こんなもの贈ってきて全くしょーがねーやつだな」
などと短絡的に考えずに、贈り主のせいじゃないと、理性的に対応するのはさすがだ。
逆に、相手に進物を贈る時は、その内容で井伊家と直孝が判断されてしまうことも良く分かっていて注意している。

392:人間七七四年
10/03/05 00:34:44 iEPzBvdn
一方吉川元春は礼儀のなってない贈り物を礼節のために我慢して食し、死亡した

393:人間七七四年
10/03/05 00:44:44 IEYEF8EX
一方元親はクジラを贈り物にした。

394:人間七七四年
10/03/05 00:59:18 vZUR1baG
意外にこの話が出てないようなので投稿してみる


大阪冬の陣のこと

前田利常は丘陵地に陣を張り前田隊の指揮をしていた。が、真田丸からの激しい銃撃が有り、
家臣たちは利常に万が一があっては大変と、陣を銃弾の届かない丘の陰に移すよう進言した。

が、この頃の二十歳の利常は、初陣と言うことも有り血気盛んであり、危ないなどと言われて
引き下がるものではなかった。彼は家臣たちの進言を完全に無視し、丘の上に居座った。
そうしている間にも真田丸からは銃弾が飛んでくる。どうしたものかと家臣たちが
困り果てているところに、山崎長徳がひょっこり現れた。

「へーくしょん!」

利常の側まで来ると長徳、大きくくしゃみをした。利常怪訝に

「どうした長徳、風邪か?」

「いやいや失礼いたしました。、しかしここは風が冷たい上に強くて、こんな所にいては
拙者のみならず殿まで風邪を引いてしまうかも知れません。
しかし戦はまだ序盤でござる。こんなところで風邪を引き、いざ決戦と言うときに間に合わなくなれば
これ以上の恥はありません。どうでしょう、風の当たらぬ丘の陰へと移動いたしませんか?」

利常これを聞くと、「ふむ、確かにその通りだ。」と、長徳の言葉に素直に従い丘の陰へと
陣を変えたとのこと。

前田家中の面々、この長徳の忠告の仕方に甚だ感心したとのことである。

395:人間七七四年
10/03/05 01:12:16 iEPzBvdn
ボンボンの世話ってたいへん

396:人間七七四年
10/03/05 01:13:27 YmSzup4c
>>394
全く同じではないが似た話が徳川秀忠にあるよな

397:人間七七四年
10/03/05 03:14:00 NJwzNmGt
>>363
日本の神様ってギリシャの神様に比べて慎み深いなw

398:人間七七四年
10/03/05 03:18:13 ToaLd4fo
>>396
若殿はこういうところで意地を張って威厳を保たなければならないのね。

399:人間七七四年
10/03/05 08:46:59 bOi0jnyi
三斎様ですら若い頃に突進して額に大怪我負ってるからな

400:人間七七四年
10/03/05 09:02:19 7GnplPqB
>>390

贈り物より入れ物の漆塗りの丁寧さに目を向けると言う発想って凄いよね

401:人間七七四年
10/03/05 09:05:24 3taT0bTW
それを見越して器を選んだ信長が凄い

402:人間七七四年
10/03/05 10:06:59 NJwzNmGt
>>400
でも、この話って信長の本質を見抜いて諫言した信玄の家臣が一番えらいよねw

403:人間七七四年
10/03/05 10:16:22 MrN9TDNa
信は鼻紙は忘れても脇差を忘れない男だから油断できんby内藤
のことか?w

404:人間七七四年
10/03/05 11:13:43 fum/TA8Y
>>398
あー、その考えなかった。
若殿は無茶や意地をはらないと家臣から舐められる可能性があるのか。
唯々諾々と家臣の指示に従ってると、威厳なくなるかもしれんもんな。

若殿は意識して無茶をやっていたのか(そうでないのもあるのだろうけど)。

405:人間七七四年
10/03/05 11:39:58 imhHPV5e
臆病者って思われたら将としてやっていけないからな。
率先して逃げられるのは信長くらいなものじゃないか。

406:人間七七四年
10/03/05 11:51:20 6zU1TLJ9
仙石もやった

407:人間七七四年
10/03/05 12:15:19 VfsZ+5G+
仙石って周りからどう思われてたんだろうな。
特に大名復帰した時期とか。

408:人間七七四年
10/03/05 12:45:16 3taT0bTW
長蘇我部のバカの暴走のとばっちりを喰って
失脚した可哀想な人とか?

409:人間七七四年
10/03/05 13:11:28 Fp3kuqd3
目上の人には「よく頑張って復帰したね」と賞賛もされたかもしれんが、
同じくらいの立場の人には嫉妬半分で

「全身鈴だらけで戦うって、何だよ、そのあざとさは」とか
「すっかり徳川に鞍替えかよw」

とか言われてたと予想。

410:人間七七四年
10/03/05 18:11:30 Lhh9y6m1
「しょせん、復帰できたのは殿下のお気に入りだからだろ」ぐらいは言われてた筈

411:人間七七四年
10/03/05 18:20:42 1kSrD8vZ
妄想だけなら何とでも言えるわな

412:人間七七四年
10/03/05 18:51:55 03YvOZWd
北条早雲と6人の友の逸話を見て思い出した侍の話を投稿してみる。

明智光秀の義弟として知られている明智孫十郎
彼は旧姓を恩田といい、若かりし頃は武者修行をしながら諸国を渡り歩く浪人だったそうな。
で、同じく浪人をしていた明智光秀と意気投合。彼とある約束を交わす。
その約束とは「どちらかが立身出世したら、もう一人を取り立てる」というもの。
織田家に仕えることとなった光秀はかねての約束通り孫十郎を家臣として迎えいれ、孫十郎も
これに従い、以降は明智孫十郎と名乗って光秀に従う。

そして本能寺の変。
首尾よく信長を自害させ、続いて二条御所へと足を進める明智勢。
今こそ旧友・光秀の恩義に報いるときと思い立った孫十郎は二条御所攻めに先鋒として突入。
主君を手にかけ、その嫡男に刃を向けている後ろめたさと、知らずのうち謀叛に加担したという事実で動揺する組下を叱咤激励しながら
自ら槍を奮って奮戦する。
一方、信忠勢もここを死に場所と見定めての防戦に務め、乱戦の中でついに孫十郎は討ち取られる。

友との約束に殉じた男、明智孫十郎。二条城跡には彼が最後を迎えたという場所に石碑が残っている。


413:板倉重矩
10/03/05 22:07:56 QYuRd/Dj
病気の者は療養中は医者に頼り、友として過ごすものだ。
が、回復すると逆に医者を嫌って遠ざけてしまう。

戦国時代草創の君主と家臣はこれと似ている。
君主は最初、必要に迫られて親しく家臣を使う。
しかし、目的が遂げられると家臣がうるさくなり遠ざけてしまう。

一方、家臣は家臣でおのれの功を誇り、恩賞の不満を訴えるので
終わりをまっとうできないことがほとんどだ。

君主も家臣もこのことをきちんと心に留めなければいけない。

414:人間七七四年
10/03/05 22:51:19 ci+e//Eh
>>413
その辺りの機敏を心得て身を引いた人に張良が居るけど、
戦国日本でこういう人って誰かねえ

415:人間七七四年
10/03/05 23:02:35 mF42Exgl
>>412

>「どちらかが立身出世したら、もう一人を取り立てる」というもの。

早雲や堀秀政・直政の例を鑑みるに、この手の逸話はあちこちに埋もれてるのかもね。
なんか一種のテンプレと化している気がする。

416:人間七七四年
10/03/05 23:10:44 06h0K1pA
>>414
黒田の大殿とめんどくさい家臣団

一人若殿時代にドロップアウトしたし大殿自身は上に疎まれ気味だったけどw

417:人間七七四年
10/03/05 23:18:10 Qjk10Ifx
字の巧い四天王の人は関ヶ原後に身を引いた説があるね
この人は兄も信康事件に後悔して隠居したんだっけか

418:人間七七四年
10/03/05 23:37:34 GajkJZ2U
望めば相当な地位を得ることが出来たのに、
それを拒否して引退っていうのも簡単に出来ることではないよな。

まぁ某佐渡守が要職に就くのを妨害したって説もあるけど。

419:人間七七四年
10/03/06 00:31:39 NYYWfN6W
>>414
本多正信とか?息子でだいなしだけど

420:人間七七四年
10/03/06 00:41:40 jsh5s4xD
一族郎党を養わなきゃならんってのもあるしねえ。
張良も、孤児で一族がいなかったから、個人の思惑で好きに生きれたってのもあるし。

421:人間七七四年
10/03/06 00:50:15 NYYWfN6W
大久保彦佐衛門が最晩年に加増を断ったって話もどうなんだろうね
三河物語を読む限り、絶対に泣いて喜ぶ人だと思うのだけどな

422:人間七七四年
10/03/06 01:06:29 kmH+I2+N
>>414
敢えて言うなら柳生宗矩。
自分は政治能力あったから活躍したけど、息子はないからただの剣術指南に格下げしたあたりとか。

423:人間七七四年
10/03/06 06:26:38 STPEOhCn
>>415
そういう取引しないと協力が求められないからじゃないかな
一族とかいないで裸一貫からのし上がるためには

424:人間七七四年
10/03/06 10:10:47 xgEf1Oid
昨日カーチャンの誕生日だったので、本日は車でスパリゾートに連れて行って
帰りにちょっとゼイタクな食事をして来る予定。みんなはどうだい?


井伊直孝は日頃からURLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)といった厳しい環境に
身を置き、食事も一汁一菜で満足していた。

その日、帰宅した直孝が夕食の膳に向かうと、いつもの飯・味噌汁・香の物の他に焼き魚が乗っていた。
夜叉掃部は激怒した。
「なんだ、これは!いつもの膳はどうした!この魚は、いったい何の奢りの沙汰じゃ!!」

呼び出された台所番は、青い顔をして弁明した。
「い、いえ!それがしも殿の命に逆らう気はございませぬ!その魚は先刻、殿のご母堂様より
頂戴いたしましたので、膳に加えた物にございます!」
「なんと、母上が・・・それを早く言わぬか。」

直孝の母は、“赤鬼”井伊直政の侍女、あるいは農家の娘であったとされる貧しい出身で、
大名の母となった後も直孝以上のつつましい暮らしを送っていた。
そんな女性が、息子の栄養を心配して、たまの贅沢にとわざわざ買い求めたというのだ。

直孝は台所番を下がらせると、膳を押し頂いて頭を下げた後、ゆっくりと焼き魚を平らげた。

425:人間七七四年
10/03/06 10:34:39 mGK0HS2U
それって平和な時代だから質素な食事で足りるんだろうけど
戦となればエネルギー消費激しいからたっぷり食わないと体もたないと思うが
味噌汁の中には具がいっぱい入ってるちゃんこ鍋みたいのだと信じたいw
一汁一菜じゃ体もたんだろう

426:人間七七四年
10/03/06 10:46:01 3/dT73wN
でも幕末の下級武士の超絶質素な生活で超人的な活動してるやついるからな

江藤とか謹慎時代に収入一切なくて一時期山の木の実食って生活してたくらいだおw
他にも食うや食わずで修行して大成した学者もごろごろいる。
つくづくあの時代の日本人ってすげぇよ。


427:人間七七四年
10/03/06 10:49:03 t/GeMoFA
直孝の母親って、息子を認知してもらうために自害しただか、直政に殺されたって話なかったっけ?
そう言えば、井伊直政って恐妻家って言われるけど、具体的なエピソードは直孝絡みの話以外にあるのかな

428:人間七七四年
10/03/06 10:54:52 Zo/ZJdkY
>>424
直政は、直孝を息子として認める代わりに、母親に死ぬように条件出したような
正室に気を使っているので


429:人間七七四年
10/03/06 10:58:54 Y17feInD
じや、正室の話なのかな。
身分絡みの注釈に矛盾は出るけど。

430:人間七七四年
10/03/06 13:24:46 yJ4gHpGm
つうか母親のことは、ほとんどよく解ってないんだよな?

431:人間七七四年
10/03/06 13:32:41 C3pthBD+
色々な説が出ていたはず

432:人間七七四年
10/03/06 13:45:42 +V7Pac4Z
フランシスコ・ザビエルが来日した当初、薩摩の国にて布教を始めた。
その当時、薩摩で一番の高僧であり、島津家の菩提寺の住持を忍室と言ったのだが、この人は善良で聡明な人物であり、ザビエルと親しく友人と
して付き合いがあった。
この忍室、禅宗の僧侶であった為、彼の寺院では修行として座禅を行っていた。
ある時ザビエルは、修行僧が並んで黙想しているのを見て、
「彼等は何をしているのですか?」
と忍室に尋ねた。
忍室答えて、
「彼等の内、ある者は信者からの寄進がいくらあったのかを計算しており、ある者は自分がもっと良い待遇を得るにはどうしたらいいのかを考えて
おります。またある者は暇つぶしにどーしよーもない事などを考えており、まぁ、要するに、コイツらは皆、どーしよーもない事ばかり考えている
のですよww」

また、ザビエルが「あなたの青年時代と老人になってからと、どちらが良い時代ですか?」と尋ねた。
忍室答えて、
「青年時代ですね。青年時代は海のど真ん中に漂う船の様で、どこに行けば良いのか判りませんでした。しかし老人になって港に落ち着いてからも、
どこの港に行くのが正解だったのか、私には判らないのです」

この様に聡明な人であったが、所詮は邪教の司祭。結局は自分の利益のみを考えて改宗しなかった為に地獄に落ちたのである。
(出典:日本史/ルイス・フロイス)


えーっと、修行僧達の悪い話と、忍室&ザビエルの良い友人関係の話、尊敬するザビエルの友人であろうと異教徒は全て悪と言
い切るフロイスの悪い話、どれが正解?(^^;





433:人間七七四年
10/03/06 14:15:55 LkU2RgHG
フロイスにこれを聡明と認識する理性があったとは驚きだ

434:人間七七四年
10/03/06 14:50:07 Lra6yolj
>>425
江戸時代までは一日に玄米を4~5合食べたというから
一汁一菜といっても栄養価はそれなりだったと思う。

435:人間七七四年
10/03/06 15:14:24 rUnAFpOw
ちなみに戦国時代足軽に支給されていた米は平均して一日一升。
戦場では、戦ってないときはとにかく食ってるって感じだったらしい。

436:人間七七四年
10/03/06 15:27:46 62kWGs1L
一度にたくさん支給すると酒を造り始める阿呆が出るので
少しずつ小出しにして配給していたという話だね

437:人間七七四年
10/03/06 17:00:17 2xiao9Pv
高度成長期までの日本では、おかずがなかったために
一日一升飯を食う人はそう珍しくなかった。
運動不足の現代人がやったら、デブ一直線だけどね。

438:人間七七四年
10/03/06 17:22:04 JKqqT3/S
一升ってご飯茶碗何杯くらいなの?

439:人間七七四年
10/03/06 17:25:53 rUnAFpOw
>>438
一般的なご飯一食分が1合だと言われているから、10杯。

440:人間七七四年
10/03/06 17:26:04 l0fn9tE0
二十杯くらい

441:人間七七四年
10/03/06 17:28:47 l0fn9tE0
>>439
米を炊いた事が無いだろう…

三合炊いてみな、お茶碗三杯なんて量じゃないから。

442:人間七七四年
10/03/06 17:32:11 T/Q180Ma
つか消耗品の調達代金としての意味もあったんじゃね>一日一升

443:人間七七四年
10/03/06 17:35:30 63AV562M
毎日一升=5000kcal食べてたらいくら重労働でも太るだろ

444:人間七七四年
10/03/06 17:50:42 JKqqT3/S
もののけ姫の冒頭でアシタカが碁石金だして米買ってジコ坊がおかゆ作って食ってるの
うまそうだったな

445:人間七七四年
10/03/06 18:05:05 VkYzJIV6
徳川家康みたいに、底が見えるくらい薄い味噌汁(しかも具なし)でも
栄養になるんだろうか…

446:人間七七四年
10/03/06 18:05:49 l0fn9tE0
家康は玄米食ってたから大丈夫じゃね?

447:人間七七四年
10/03/06 18:37:35 JfY5+Sjw
>>426
青春を謳歌している貧乏大学生みたいなものか。


448:人間七七四年
10/03/06 18:41:21 3/dT73wN
>>447
適塾なんかまさにそんな感じだね
夏の賄いはフンドシで立ってかっこむとかw

449:人間七七四年
10/03/06 19:11:13 4KP6eBO+
>>383
他県民にとっては熊本市内は車の運転しにくい街。
今はナビがあるからいいけど

450:人間七七四年
10/03/06 19:19:41 2xiao9Pv
>>443
太らんよ。
何でも人力でやる時代の農業・肉体労働の消費カロリーはすごい。

451:人間七七四年
10/03/06 19:44:30 3RT+OcsF
女子のマラソンランナーが1日5000kcalぐらい食わんといかんらしいな

452:人間七七四年
10/03/06 19:55:44 Zo/ZJdkY
>>451
毎日マラソンすれば、5000kカロリーも食べていいのか

453:人間七七四年
10/03/06 20:04:27 rUnAFpOw
マラソンではないが、アメリカの競泳選手、マイケル・フェルプスの1日の食事

朝食:チーズ、生野菜、炒めたオニオン、マヨネーズなどを大量を挟み込んだエッグサンドイッチ3個、
    玉子5個を使って作った玉子焼き、コーンスープ、フランス風揚げパン3個、チョコレートを載せた焼き菓子3個。

昼食:スパゲッティ500グラム、ハムとチーズを挟んだ大き目のサンドイッチ2個、1000キロカロリー分の栄養ドリンク。

夕食:スパゲッティ500グラム、ピザ1枚、栄養ドリンク。

URLリンク(www.excite.co.jp)


計12000カロリーだそうな

454:人間七七四年
10/03/06 20:07:49 3/dT73wN
それで一日1万キロとか泳ぐんだろ・・

455:人間七七四年
10/03/06 20:18:34 MM//jo1B
戦国時代のどこにそれだけのカロリーがあるというのか!謎すぎる
一日中食ってないとやってらんねぇぞ! 草とか…

456:人間七七四年
10/03/06 20:19:23 s9wzrEXG
1万キロは言い過ぎww
4日で地球1周できるw

457:人間七七四年
10/03/06 21:00:39 KjsrL4T/
>>456
だがあの御方なら…ッ!

458:人間七七四年
10/03/06 21:17:06 l0fn9tE0
>>454
二十四時間フルで泳いだとして、時速420km弱ですw
金メダルどころか、パワーボートもぶっちぎれるぜ…

459:人間七七四年
10/03/06 21:41:46 YQvqUJGS
>>449
まあ、城下町だったからなあw

460:人間七七四年
10/03/06 22:23:29 t/GeMoFA
>>424
この話、「百傑スケッチ」によると「北の御部屋様から頂戴いたしましたので~」となってるから、
実母じゃなくて養母(直政正室で直勝実母の唐梅院)のことなのかな

461:人間七七四年
10/03/06 22:42:37 qspiyGHi
武田信玄は喧嘩の始末について喧嘩両成敗を採用しようと
重臣たちと相談した。この時、猛烈に反対したのが内藤修理だった。

「両成敗との事ですが、恥をかかされて我慢するような者は役立たずで
ありましょう。そのような法があっては家中に男道をもつ侍がいなくなる。

他家では弓矢の道を推奨しているのに、武田家だけ喧嘩防止のために
男道が失われてしまいます。あなた方はどうかわからないが、
私は自分の子に男道をくじいてまで我慢しろとは言えない。

なんでもかんでも我慢となれば臆病侍が増え、口論や打擲ともなろう。
口論に負けるくらいは我慢するかもしれない。たいした害はないのだから。
しかし、殴られでもしたならば、たとえ一族を串ざしにされようとも、
所構わず、すぐさま殴った相手を殺すほかはござらぬ!

それでも両成敗となって、自分の罪なき肉親が裁かれた時、武田家に忠誠を
尽くせるだろうか。あなた方はどうお考えか知らぬが、私は尽くす事はできない。

ゆえに恐れながら申し上げますが、私は喧嘩を仕掛けた者を罰するほうが、
家中の風紀も引き締まると考えております」

462:人間七七四年
10/03/06 23:24:03 3/dT73wN
職場にキチガイじみた団塊おっさんがいる俺には内藤さんの言葉が身にしみる・・

反応した時点で負けなレベルだからな・・基地外相手は

463:人間七七四年
10/03/07 00:00:01 l3sdYKIr
悪いスレでちょっと荒れたので、ちょっと宗教に関する良い話を。


一休「世の中にはいろんな宗派があるけど、結局はみんな同じことを説いているんだ。
    ただ、人間ってみんな性格がちがうだろ?だから仏の道に入るのもそれぞれにあった方法がある。
    そのため諸宗はそれぞれに名を変え方法を変えているのだよ。
    旧仏教の言う「大日如来」、法華教で言う「妙」、禅宗で言う「本来の面目」など、
    これらは皆、ただひとつの仏を表しているに過ぎないのさ。」

小笹少将「そのようなこと、それらの宗派の祖師達はご存知なのでしょうか?
      ご存知なのなら何故他の宗派を批判し自分の宗旨を誇り、場合によっては宗論などして
      争うのでしょうか?」

一休「諸派の目的とは、先に言った同じ仏への帰依に至ることであって、それらの祖師たちは
    同一である仏の本質について争っているわけじゃない。その同一の仏に至る方法が
    様々に多いために、どの方法がより有効か、より容易かについて争っているんだ。
    歌にもあるだろ? 『分け登る 麓の道は多けれど 同じ雲居の 月を眺むる 』

    そういうことなのさ。」

そんな、「阿弥陀裸物語」より、宗教に関する一休禅師のありがたいお言葉

464:人間七七四年
10/03/07 03:53:22 ixBzccBN
>>449
逆に考えるんだ。
それだけ清正の縄張りが優れていたと。

465:人間七七四年
10/03/07 05:01:24 IfLCbvtG
荒れたつうか、思い込み激しくて一方通行な一名が独り言を大声で言ってただけじゃないの

466:人間七七四年
10/03/07 05:06:42 NkcpSzUk
>>453
スラムダンクの「おばちゃーんカツどん大盛りー。それがメシで、おかずはねー」
を思い出した。あれも漫画的誇張じゃあないんだな

467:人間七七四年
10/03/07 08:16:25 HXbZFC7x
元運動部が部活やめたらピザになるのはデフォ

468:人間七七四年
10/03/07 11:06:03 DdOcQJvP
イチローなんかは焼肉3人前食べるらしいね
それで体脂肪率6%

オレなんか2人前しか食べないのに、体脂肪率はイチローの5倍
なんか不公平だよな

469:人間七七四年
10/03/07 11:21:56 wdT3695j
まあ待て。
体動かさないのなら、2人前食うなw


470:人間七七四年
10/03/07 12:55:02 nL4hdY/i
清原を見ろよ、引退しても現役の頃と同じくらい食うからすっかりメタボってるじゃん

471:人間七七四年
10/03/07 14:20:42 HXbZFC7x
>>470
あれは筋肉が贅肉に…

472:人間七七四年
10/03/07 14:53:23 ixBzccBN
筋肉がしぼんで、その隙間に贅肉が付くのであって、筋肉が脂肪に変化するわけではないんだよー。
そして、「筋肉量落ちる→基礎代謝落ちる→脂肪付きやすくなる」という恐ろしいスパイラルに陥ることに・・・

473:人間七七四年
10/03/07 16:07:35 wWdcoM6a

北条家で代々当主に受け継がれた「祿壽應穩」の虎印判。

家督を継ぐこととなり、氏康から譲与されたこの印判を
使って氏政が最初に発給した印判状の内容は、
瑞渓院殿の台所への肴の納入を用意させるものであった。

瑞渓院殿とは氏康の正室、つまり氏政の母である。
「当主としての初仕事はオカンのために!!」
初任給で母親にご馳走を買って帰る新入社員を思わせる
氏政の気概に、氏康が「これで北条家は安泰!」と
思ったかどうかは定かでないが、北条家の家族仲の良さを
垣間見ることができるエピソードの一つである。


474:人間七七四年
10/03/07 16:53:01 JpNdemjC
黙れマザコン野郎 戦国にホームドラマしてんじぇねぇ
そんなんだから汁かけもまともにできねーんだよ! 


ってパパが言ってたよ

475:人間七七四年
10/03/07 17:10:15 9Qx9Lepe
>>463
一休さんは蓮如さんとも友達だったな
まあ友達の商売道具を枕に昼寝しちゃうような友人関係だけど・・・

476:人間七七四年
10/03/07 17:22:48 Vw3Q2try
>>474
子持ちの分際で親孝行も考えられない奴は正真正銘の人間の屑って伝えておいて。

ま、孝行かどうかはともかく、なんか納入させる場合は必ず印判状だす家だからなあ。
生真面目と言うか、システマチックと言うか、迂遠と言うか。

477:人間七七四年
10/03/07 17:30:46 aHxWa1vS
>>476
> 生真面目と言うか、システマチックと言うか、迂遠と言うか。

毛利隆元「それは同じ城の中に住んでいながらいちいち書状で会話してた僕たち親子に対する」
毛利元就「批判と受け取ってよろしいか?」

478:人間七七四年
10/03/07 17:33:28 gjMhGE4X
教室の隅と隅でメール送り合うカップルじゃあるまいしw

479:人間七七四年
10/03/07 17:33:38 +a4GTZDg
いや元就さんあんたがちょっと変人すぎるからでしょう

480:人間七七四年
10/03/07 17:34:40 tmkXxz2W
交換日記や連絡帳や日誌みたいなものと思えば

481:人間七七四年
10/03/07 18:29:42 0bXOo6OI
細川忠利「生真面目にやらないと週二でお叱りが来たり、ハンコが薄いだけで手紙が突っ返されたりします。」

482:人間七七四年
10/03/07 18:49:29 DdOcQJvP
>>475
友達といっても、だいぶ歳離れとるじゃげな

483:人間七七四年
10/03/07 20:14:02 oVA6mYum
>>475
一休禅師と蓮如上人の交友はまとめスレにいくつか載ってるな。
そして、まとめスレで蓮如および一向宗関連の記事のいくつかに例の人らしきのが噛み付いてるわw

>>482
そうじゃげな。

484:人間七七四年
10/03/07 22:15:25 RyHvEIb/
>そして、まとめスレで蓮如および一向宗関連の記事のいくつかに例の人らしきのが噛み付いてるわw

安土宗論で敗れた法華の人かな

485:人間七七四年
10/03/08 11:11:57 MqApcsTR
以下Kitty-Guyの話禁止。

486:人間七七四年
10/03/08 17:01:05 QTO3J2T/
>>485
三楽斎<猫ちゃん禁止なの(´・ω・`ノ)
勝茂<そうだ、そうだ猫の話題は禁止だ。

487:人間七七四年
10/03/08 17:56:27 +FzsHLFA
高房・氏治「ねこみみもーど!」

488:人間七七四年
10/03/08 21:32:12 gUhdGWxl
前田利長が本能寺の変事を知ったのは京都見物に行く道中で
今の滋賀県あたりだった。
事態に動揺した一行はとりあえず領地の越前は遠いので
利長の妻(信長の娘)の郷里である尾張に行く事にした。

ところがふと利長が輿をかつぐ者達を見ると、どうも尾張に行くのが
嫌そうな顔をしている。
「私が妻子の事を思っているように、彼らもまた郷里の妻子を
気にしている。越前に妻子を残しているのだから無理もない事か…」

利長はそう言うと、輿を棄てて妻を馬に乗せ尾張に行かせた。
そして自信は安土城に入ったという。

489:人間七七四年
10/03/08 22:16:43 SIitZ2rH
本拠は安土、自領は越前だったのに尾張にあてはあったんだろうか(荒子?)
織田一門も他にいるし…
単に安土や岐阜よりは京から遠いからってことなのかな

490:人間七七四年
10/03/08 23:51:07 /1UGV3/V
とはいえ、20前後の若侍が10も下の嫁と行動しているのが
戦国時代のすごいところ。

491:人間七七四年
10/03/09 00:04:36 CGOpwSwC
平塚為広の奮闘

さてさて関ヶ原、小早川秀秋の寝返りにより西軍総崩れの中、大谷吉継隊に属した
平塚因幡守為広は頑として退かず、吉継と最後の詠歌を取り交わすと、逃げる味方を尻目に
敵の大軍の中に突入した。

平塚隊は火を吹くように戦ったが郎党皆討死し、残ったのは為広一人。
が、為広、少しも恐れず退かず、高名な大薙刀を水車と振り回し薙ぎ通る。

為広、元来大力な上薙刀の達人、それが決死となって戦うのだから、彼の鉾先に回る者、
あるいは兜の真ん中、あるいは面頬篭手の端と、斬って落とされる者その数知れず。
このため件の大軍進みかね、為広の周りを開けて通る始末。
為広はなお勢いに乗って人馬ともに敵を薙ぎ払って回り、つっと敵の後ろへ駆け抜けたところで
暫く息を継ぎ薙刀を見ると、その刃は敵の槍刀を受けすぎたため、あたかも彫り込まれたように
傷だらけであった。

ここに小早川に呼応し寝返った小川祐忠家臣、樫井太兵衛現れる。
十文字の槍を高く掲げ

「天魔鬼神の平塚も、樫井が槍は受け止められぬぞ!」

と高らかに叫び突き掛る。
為景これを見てうち笑い

「優しき樫井の心底か、最後の暇を取らせてやろうぞ!」

と、件の薙刀を取り直し、樫井の槍をはじき落としてやろうと力任せに打ち込んだ。
…が、為広の運も尽きたるか。薙刀の刃、鍔元から折れたりけり。

樫井すかさず飛び入り突き倒し、終にその首を取る。

これを見ていた山内一豊は「心利きたる早業、広大の高名」と激賞し、後で徳川家康にもこれを語り、
家康もまたこれを賞した。


…さて、家康の本陣から戦勝祝の諸侯たちも皆帰陣した後の事。
家康は言う

「平塚の武勇、義心、彼の家をこのまま絶えさせてはなるまい。」

そして為広の嫡男左馬助を召し出し、徳川の家臣とした。
後にその家は頼宣に付けられ紀州へと移った、との事である。

492:人間七七四年
10/03/09 00:10:54 DiMtCuRb
らいてうさんの先祖か
関が原では刑部よりも奮闘したと思うんだけど、いまいち評価が上がらないんだよなあ

493:人間七七四年
10/03/09 00:25:03 MpLBc9LF
>>491
名調子だなw。琵琶法師に語らせたいぜ

494:人間七七四年
10/03/09 00:50:50 4HpWz1pX
山内一豊はどうやってそこまで移動したんだ?

495:人間七七四年
10/03/09 01:00:27 V6l8QR5d
一豊「ぶっちゃけやる事なかったんで……」
とまあ、それは冗談として、確かに、なんで家康どころか有馬の後方に布陣してた一豊なんだ、って感は受けない事はないけど。

496:人間七七四年
10/03/09 01:02:18 CGOpwSwC
それは後に樫井太兵衛が山内家に仕えるからなのです。

497:人間七七四年
10/03/09 03:29:36 ySZZNh4I
うん、樫井太兵衛が山内氏家臣になるのは本当の話。

12000石の平塚因幡守を討った武名で1200石の高禄なのだから樫井も頑張った
甲斐があった。

498:人間七七四年
10/03/09 10:18:57 Hau0spFR
悪い話だと悪意を持って書かれる事が多かったり、アンチが寄って来て
大いに盛り上がるが、良い話だとあまりレスがつかない伊達政宗の
ちょっと良い話。

ある時、近隣の小姓や若手衆に屋敷の掃除を命じたのだが、その際に
某という者に掃除の差配役を執らせた。するとその某はなぜか表立っては
見えぬ場所ばかりに掃除の指示を出していたので、他の若衆がなぜ見えぬ
場所ばかり掃除させるのだと詰め寄ってきた。
するとその某は「見える所はそれほど入念にせずともよい。
むしろ縁の下や人の目が付かぬ場所こそが、お家のためには肝心ぞ。」
と説明した。
これを聞いたあるものは「ははーん、これは奉公の心構えの事を
言ってるおるのだな」と思い、あるものは「そんなものか」と思い
それぞれ納得して指示に従った。

それをたまたま見聞きしていた政宗、掃除が終わったあとにその差配していた
某を呼びつけこう言った。
「よいか、お前は見所のある若者なので、いずれ人の上に立つ役職を
任せるつもりである。たしかに武士においては表だけでなく裏にも
気を使うのは重要であろう。だが才気ばしって裏にばかり気を使い、表を
おろそかにするものは、いたずらに足元を救われる事になる。
人の上に立つ者であれば裏だけでなく表も十分に気をつけておくのが肝要ぞ。
でないと下の者を路頭に迷わせる事になろう。ゆめゆめ忘れるでないぞ。」
と諭したので、その若者は自分の考えを恥じ、次からは表も裏も両方綺麗に
掃除するようになったそうな。

政宗の家臣への心構えを教訓した、ちょっと良い話。


499:人間七七四年
10/03/09 10:32:29 EziRHQmd
これが徳川や北条だったら「GJ!」だったんだろな。

500:人間七七四年
10/03/09 11:29:50 PD5IsPJx
まーくんは意外にいいこともいろいろ言っているよね
ただまぁ・・・普段の行動がいろいろアレだから仕方ないんじゃないかw

501:人間七七四年
10/03/09 11:54:01 08SWcPaB
>>495
一豊は初め、毛利の押さえとして後方にいたけど、西軍が崩れて毛利が動く気配がないから、
後半は少し前に出ているよ

502:人間七七四年
10/03/09 11:56:21 YYpR8QBi
まーくん言うなキモイ

503:人間七七四年
10/03/09 12:13:54 SmfJ7ABA
俺の友達にも「まーくん」がいるので混同・・・はしないがウザイね

504:人間七七四年
10/03/09 15:39:59 b2i+KLzP
定着しちゃってるからいんじゃね?

505:人間七七四年
10/03/09 15:48:24 RBpEHrNq
そう呼びたい奴は呼べば良い。
嫌ならスルーするなりNGワードに登録するなりすれば良い。

自分が気にくわないからと言って自分の意見を押し付けるのは大人げないよ。

506:人間七七四年
10/03/09 16:13:57 4nI+tBEE
あいだをとってぼんちゃんではどうだろう

507:人間七七四年
10/03/09 17:07:32 crCk++yG
>>498
政宗の言うことが『正しい』というわけでもなさそうだ。
彼は見えるところを非常に重視しそうなタイプだからね。

508:人間七七四年
10/03/09 17:22:37 nkAajDRY
>506
「まっさん」とかどうよw

509:人間七七四年
10/03/09 18:12:57 6E4TWjYl
分相応に表側もきちんとしとかないと、いらない誤解を招くんだよ
どんなに立派な人だって
それじゃつまんないよ?という説教だから、政宗も年の功がついてきた頃か

510:人間七七四年
10/03/09 18:23:29 zz0hgMtj
四天王筆頭なんだから、筆頭でいいじゃん。

511:人間七七四年
10/03/09 18:38:15 OxRzOlIA
筆頭とかいってるとアレが沸くから止めてくれ

512:人間七七四年
10/03/09 19:12:19 2FRun1PX
竜造寺五天王が湧くからな

513:人間七七四年
10/03/09 19:17:24 8Gj7q8mq
>>507
才気ばしった若侍を、たしなめたんだろうな。
俺はその若侍のやり方はなんかいやらしいと思った。
自分が正しいとおもってやってるというより、人の意表を
突いたり、裏をかくようなやり方。

514:人間七七四年
10/03/09 20:25:51 YShFZs9P
まとめにも載ってるけど、平塚為広といえば娘も怪力で、
関ヶ原の後に京で捕まった時、捕り方をぶちのめして逃亡したという逸話があるな

弟の越中守も怪力だったという

515:人間七七四年
10/03/09 20:29:07 /uMwPcHR
>>491
樫井が桜井に見えてしまった・・・広大・・・    すまん。

516:人間七七四年
10/03/09 21:37:41 EiK8r/3/
1. 武田信玄 382 (110 82 96 94)
2. 織田信長 380 (100 89 94 97)
3. 徳川家康 377 (96 87 94 100)
4. 太田道灌 376 (99 88 99 90)
5. 北条氏康 376 (96 79 94 107)
6. 北条早雲 369
7. 伊達政宗 367
8. 毛利元就 365
9. 真田昌幸 362
10. 明智光秀 361


関東半端ねえな


517:人間七七四年
10/03/09 21:38:38 EiK8r/3/
誤爆

518:人間七七四年
10/03/09 22:18:24 iblcA1nR
>>506
むかしマガジンでやってたトンデモ漫画思い出すから勘弁w

519:人間七七四年
10/03/09 22:39:44 ljGEONfb
一升もらった米のうち、おかずと交換したり売ったりすんだろ
みな食えるわけねえべバカ

520:人間七七四年
10/03/09 23:58:33 sd48GHx1
いや、基本的に食べるんだ。
そもそも戦場では出火を恐れるから炊事はまとめてやるので
末端の兵士には炊き上がったコメが回ってくる。

で、炊いてあるので麹を仕込むだけで酒が作れる。
一週間もかからずに酒らしいものができるみたい。

それに敵地で敵の領民と食べ物の交換なんて危険なことしないよ。
そもそも地元民は付近の城や山中に避難してるからしたくても無理。

521:人間七七四年
10/03/10 00:30:54 4rIOzYmV
戦国時代におかずって発想はねえよw

522:人間七七四年
10/03/10 01:19:31 CSkD1zzo
つーか、おかずは配給されないのか?
おかずを運搬する荷駄方はいないのか?
味噌だけ?

まあ桶狭間と小田原でもぜんぜん違うだろうし一概には論じられまいが

523:人間七七四年
10/03/10 01:34:32 4QUdxjx4
おかずっていうかなぁ
普通は米配給、後は持ち出しで味噌とか梅干しとかだろう

腐ると困るし、普通のおかずとか調理してられんしな

524:人間七七四年
10/03/10 01:42:33 CSkD1zzo
せめて塩くらいはほしい

525:人間七七四年
10/03/10 02:23:43 4QUdxjx4
まぁ、行軍時とか危険じゃ無いときは普通に汁物とか作って飯喰ってただろうけどね
獣狩ったり、戦闘中じゃなきゃ物売りとかも居ただろうし

戦国後期つうか、秀吉時代になると飯は完全配給制になるらしいけどね

526:人間七七四年
10/03/10 07:54:57 c+fHEDUu
忠世殿が芋汁を煮込み始めたようです

527:人間七七四年
10/03/10 08:21:48 +fs0BLaT
>>514
怪力一族についてkwsk

528:人間七七四年
10/03/10 10:34:11 Y35P95PK
>>526
直正「醤油入れて!」

529:人間七七四年
10/03/10 12:40:39 B45w+b/S
名将言行録と武功夜話ソースの話しは止めろ
信憑性がまったく無い

530:人間七七四年
10/03/10 12:51:44 /opLw7ZH
ここは信憑性を議論するようなスレじゃないんだがね
こういう逸話もあるよ、と紹介するスレなんだし
信じるも信じないもあなたの自由

531:人間七七四年
10/03/10 15:03:55 fX078q3W
芋づるを干し、そこに味噌汁をしみこませた物を縄になって、腰紐にして持って行ったという話は
何かの番組で見たような記憶がある
今は亡きCSベネッセチャンネルの番組だったような

芋づるとは言っても縄は縄、こんなの食えるのかよと思いながら見ていたんだが
何もおかず無いよりましだったんだろうな

532:人間七七四年
10/03/10 15:15:24 6UHPSk7P
心が甘う感ずるのです

533:人間七七四年
10/03/10 15:19:12 7k6iORGP
>>522
この時代は、基本は一汁一菜だから

534:人間七七四年
10/03/10 15:27:39 07vNpo+b
テンプレを読まずに書き込むのは止めろ
マナーがまったくなって無い

535:人間七七四年
10/03/10 18:05:49 /oZAprLP
>>533
一汁一菜は中流階層以上。
下層になると汁ものに香のもののみ。

ちなみに香の物を一品と数えるようになったのは明治以降。
西洋料理が流入した時にサラダが一品と数えられているのを真似たらしい。

江戸時代にも松江藩がおかず禁止令を出して一汁一菜を贅沢扱いしてるよ。

536:人間七七四年
10/03/10 18:49:16 nZNYcY5s
勉強になるなぁ
ゲームヲタばっかりのスレとちがってええなぁ


537:1/2
10/03/10 19:10:24 3W7heOj6
関ヶ原の決戦が終わったが、信州上田城では真田昌幸が未だ、籠城を解いてはいなかった。
このため徳川家康の命により、真田信之が降伏勧告の使者として上田に派遣された。

上田城で信之は昌幸に対し、降参するよう様々に説得したが一向に聞き入れず、かえって

「信之、お主は長く家康に仕え、さらに本多忠勝の婿でもある。であれば家康も、お主には心を許しているだろう。
ならば信之!お前が近侍した際、父の望みに従い家康を刺殺すのだ!
それは出来ないと言うのなら今ここでおまえの首を撥ねる!」

などと言い出した。しかし信之、これに少しも騒がず

「御高恩を頂いている内府公を討つと言うのなら、父ではあっても君敵であります。
その君敵とは今ここで雌雄を決するべきなのでしょうが、私は大事の使者としてここに参っており、
使者として帰り、家康公に子細を言上しない内に、わたくしに討ち果たすような真似をすれば、それも君への
不忠で有ります。

…ご報告を終えた上で、重ねて潔く勝負を決しましょう!その容易をして待たれよ!」

そう言い放って座を立った。これには昌幸も、「信之の言う事、尤もである」と言って、奥の間に引っ込んだそうだ。


さて、家康の元に戻った信之は会談の内容をありのままに家康に報告した。
家康は昌幸の武勇、信之の忠節に感じ入り

「そう言うことであればお主の手で上田を攻め、父弟の首を取ってくるが良い。
その時は信州一国を与えるであろう。」

信之は宿所に帰り、早速出陣の準備をした。

ところがそれから暫くして信之、再び家康の元に御目通りを願い出た。

「いったいどうした?出陣の引き延をしたいのか?」

「この度父への討手を仰せ付けられ、その御高情上身に余ると感じております。
…しかしながら出来れば、御恩賞の御朱印を賜った上で出陣いたしたいのです。」

「おお、その事忘れておった。」

538:2/2
10/03/10 19:11:07 3W7heOj6

家康はその場で御朱印を信之に渡した。信之は畏んでこれを頂き宿舎に帰ると、
何故か又すぐに家康の元に戻った

「お訴えしたき儀が有ります!」

「度々どうしたのだ?出陣にあたり加勢が欲しいのか、それとも具足兵糧が不足しておるのか?それであれば
望みどおりに…」

「いいえ、先程も言いましたが、私が父の討手を仰せつかったこと、生前の面目、これに勝ることは
ございません。」

「ならば…」

「…ですが!我が父の一命をお助けいただけるのなら、その上の厚恩でございます!
しかれば先に賜った御朱印を、返上したします!」

そう、涙を流して訴えた。御朱印を返すとは、信州一国の報奨を放棄してでも父の助命を願う、
ということである。
家康これを聞いてたちまち機嫌を悪くし、黙然と座を立って奥に入ってしまった。
信之は一人、その場に残された。

暫くして、
信之に声がかかった。「内府公が呼んでおられる。」
御前に出ると、家康が言う

「そなたの願い、尤もである。日頃の忠節に免じ父弟の命、助けてとらす。」

信之はこれに大いに喜び、すぐに上田へと馳せ行きて助命のことを報じ、これによって昌幸、信繁親子も
城を出ることに同意した、とのことである。


真田信之、父弟の助命を得る、の一席。

539:人間七七四年
10/03/10 19:23:51 ajLypH9w
奥では平八郎が戦の準備をしてました

540:人間七七四年
10/03/10 19:31:34 CRtaOmN8
褒美の約束させといて、それを元手に自分の要求通すとかw

こういうしたたかさがあったからちゃんと家を守れたんだろうな。

541:人間七七四年
10/03/10 19:38:31 DOIfwgLL
真田信之「やれやれ、寿命が10年縮んだわ」

542:人間七七四年
10/03/10 20:00:17 BvrQAUfP
信之兄ちゃんかっこいいぜ!

543:人間七七四年
10/03/10 20:26:17 To0lDGnM
ここでお兄ちゃんの逸話を読んでからは
「信繁の兄」じゃなくて信繁の方が「信之の弟」
の認識になったぜ。
一昔前は「乱丸の兄」と呼ばれていたあの人のように有名になって欲しいな。

544:人間七七四年
10/03/10 20:31:07 ihGsASaS
>>543
真田三代といえば幸隆、昌幸そして幸村
「幸村の兄」と「幸村の中の人」には不憫な話だ

545:人間七七四年
10/03/10 20:46:41 2bnwTzRy
昨朝御見廻申候ヘバ、早天ニ大津ヘ御越之由候間、大助ニ申置帰山申候。主水ヲモ遣シ候ヘ共、未内府ハ大軍ニ付、路つかへ、江州守山辺ニ居陣之由申、
昨日主水も従((二)中途(一)帰申候。御仕合如何候哉
一一昨夕彼陣床ヨリ拙者ヘ参候者、直ニ語候趣、為ニ御心得一申候。内府ハ当月朔日ニ国本ヲ出馬候テ、十四日ニ大ガキ表ヘ被(二)押寄(一)候ヲ、
 大ガキノ軍勢石治少・島兵入・小西ナド見候而、山ヘ取上リ候。内府ハ五万程ニテ、手人数各別ニ備ラレ居陣候
一先手之人数ハ、福島一番・長岡越中二番・金森法印三番・田中兵部其外上方之人数四万計、面々ニ備、青野カ原ニテノ合戦ニテ候。即時ニ切立得(二)大利(一)候。
 番ヒニ金吾手ヲカヘサレ候。其太刀場ニテ、大谷刑部討死候テ、其マヽキリ崩候。上方ヨリ出陣ノ人数五万計候。四五千モ討死候ト申候
一十九日ニ沢山ヘ取カケラル、則落居候テ、石治少子・杢ナド討果候由候
一石治少・島兵入ハ山ツタイニ引退候ト相見、行方不レ知候。越州ヘノキ候ハンカト申候。生捕ニ仕候トノ沙汰ハ、ウソニテ候ト申候
一キヅ川ハ輝元被レ取候。知行分悉給置候者家康ヘ味方ニ可レ参候トノ(アツカイ)ニテ候ヘドモソレハ余之□之由候テ、半分ノ契約ニテ、一味申候トノ事候。
安国寺ハ乗物ニテノキ候ヲ、キヅ川者共追懸候ヘ共、行方シラス見失候。生捕之沙汰不(レ)存候ト申候
一備前宰相ハ討死トノ事雑説候。無(ニ)異儀(一)之由申候。是以味方ニハ不(レ)成被(レ)申
一長尾景勝トノ和睦ハ無レ之候。其手当ニ結城三河守・政宗ナド被(レ)残候ト申候。政宗ハ一筋ニ家康ヘ一味之由候。白石ト哉ラン申候城、景勝抱候ヲ此方ヘ被(レ)取、政宗入城之由候。
此城前々政宗城由候
一佐竹ハ景勝・石治少ナドヘ一味之由申候而隔心ト相聞候ト申候
一信州サナダハ敵ニ成候テ、中納言忠秀・榊原式部少輔ナドハ、彼国ヘサシムケラレ候ト申候。是モ手間不(レ)可(レ)入候間、一途被(二)申付(一)、上洛トノ事ニテ候ト申候
一ナツカ大蔵ハ、ミナクチノ城ニ居候。ソレヘモ人数サシコサレ、可(二)討果(一)之由ト申候
 三奉行ハ可(レ)有(二)成敗(一)之由ニテ候ト申候
一昨日ヨリ風聞ハ、ナツカ大蔵ハ内府ヘカケ入候ト申候。内府被レ申候ハ、ヨクトモ悪クトモノ事候由候ト申候。此儀ハ昨日ヨリ承候、事実ハ不(レ)存候。
右之趣ハ水不(レ)入慥之事候、彼虎口ヨリ直二当所ヘ参候モノニテ候。直ニ承候間、為(二)御心得(一)ニ申候。以上
  九月廿日     東入
猶々如レ此処ニ、津小平かたより書状くれ候て、内府今日大津へ被(レ)越候由、由来候間、主水をも又さし遣し候。今日又御越候哉、定可(レ)有(二)御聞(一)候へ共、令レ申候。
書中御らんじ候ハヾ火中々々


近衛前久が子の信尹に送った手紙なのだが…何、この状況把握の正確さ
これこそが本当の情報戦というものなんだろうな
それにしても信尹、親父に読んだら燃やせと書いてあるのに何故残す。こういう所が駄目なんだろうなと思うわけで

546:人間七七四年
10/03/10 20:54:05 wNODDkV7
大助とか主水って誰だろ

547:人間七七四年
10/03/10 21:02:57 2bnwTzRy
>>546
近衛家の家臣でしょうな

548:人間七七四年
10/03/10 21:15:00 wNODDkV7
いやそれは解るんだがw
名も無き中間みたいなモンかな

549:人間七七四年
10/03/10 21:22:43 2ceSwBpA
黒田孝高はカコイイ!

550:人間七七四年
10/03/10 21:33:13 c0TrDTqW
>>543-544
昌幸は4兄弟、信之と信繁で二人兄弟だと思ってる人も多いんだろうな


551:人間七七四年
10/03/10 22:33:46 m201krkJ
>>545
佐竹、政宗なんかの言及はあるけど九州方面は記述がないんだな
しかし読みなれてないから候文は読みづらいわw

552:2/2
10/03/10 22:35:08 3W7heOj6
>>545
訳してみた。色々意訳したので、間違いなどあったら許して欲しい。


昨朝お訪ねしたところ、早朝に大津へ行かれたとのこと、大助に申し置いて帰ったのですが、主水も
念のため遣わしました。ですが、内府(家康)の軍は大軍であるため、道は渋滞し、近江守も山辺を動けないようです。
昨日主水も諦めて途中で帰ってきました。こんな状況です。

・一昨日の夕方、戦場より私のところに参ったものが直に語ったことです。そういう重大な情報なので良く心得て
 読んでください。
 内府は今月1日に国元を出て14日に大垣表に到着しました。大垣の石田三成、島左近、小西行長などの軍勢は
 これを見て山に上がり陣をはったとのこと。内府の軍勢は5万ほどで、手人数別に備えを敷いた布陣であったそうです。

・東軍の先手は、福島正則が1番、細川忠興が2番、金森長近が3番、そのあと田中吉政など、計4万ばかり。
 それぞれに備を作っていた。
 青野ヶ原での合戦ですぐに敵を斬りたて大いに手柄を立てたとのこと。そのうちに小早川秀秋が手を返し、
 その攻撃により大谷吉継が討死し、大谷の陣はをのまま斬り崩されたとのこと。
 上方より出陣した(西軍の)人数は5万ほどだったそうですが、そのうち4,5千も討死したということです。

・吉川広家は毛利輝元の命で家康と交渉し、領地はすべてそのままと言う条件で家康の味方になる、との
 扱いになったが、それはあくまで表向きの発表で、実際には領土半減の条件で、家康に降参したとの話である。
 安国寺は乗り物に乗って逃亡した。吉川の手の者たちが追いかけたが見失い、行方が知れない。
 捕縛されたとの情報も無い。

・宇喜多秀家は討死したとの噂です。これを否定する話も聞きません。秀家が東軍に降伏し、命乞いを
 するようなことも無いでしょう。

・上杉景勝との和睦はありえないとのこと。家康は景勝に対処するため結城秀康、伊達政宗らを残しておいたのだと
 言うことです。政宗がこの様に信頼されたのは、政宗が一途に家康に一味しているためであったからだそうです。
 白石城と言う景勝方の城を政宗が取り、ここに入城したとのこと。この城は元々政宗の城だったとのことです。

・佐竹は上杉景勝、石田三成などと一味していたので、家康との間は心隔たる関係であると聞き及んでおります。

・信州の真田は東軍の敵になり、徳川秀忠、榊原康政などが信州に差し向けられたと言うことです。
 これも手間の掛ることです。上洛のことなど申し付けているようです。

・長束正家は水口の城にいたようですが、そこにも東軍の軍勢が派遣され討ち果たされるだろうとのこと。
 三奉行はみな成敗されるであろうと言うことです。

・昨日聞いた噂によると、長束正家が家康の元に駆け込んできたとのこと。これに家康は
「良いことでも有り、悪いことでも有る」と言ったそうです。この事は昨日聞いたのですが、真偽は不明です。

右のことは私と親しい関係の者が、あの戦場より直に私のところに来て、それを私が直に聞いたものです。
これをよくよく心得てください。以上

九月二十日 東入

P.S. 今、津小平から書状が来て、家康は今日大津に行かれるそうです。そういう事なので主水もまた差し遣わします。
今日家康が大津に来られると言う事、ご当地にいるあなたも聞いていらっしゃるとは思いますが、一応
ここに書いて置きます。

この書状を見たら、火の中に火の中に。

553:人間七七四年
10/03/10 22:40:20 m201krkJ
>>552
乙、大分読みやすくなった
ってか燃やす必要あったのかなこれ?

554:人間七七四年
10/03/10 22:47:45 2bnwTzRy
家康の周辺にこれだけの情報を入手できる者がスパイとしている事になる

555:人間七七四年
10/03/10 22:48:10 3W7heOj6
>>552
ああ、入れ忘れがあった。12行目の

>上方より出陣した(西軍の)人数は5万ほどだったそうですが、そのうち4,5千も討死したということです。

の後に

・19日に佐和山城を攻撃し、落城、石田三成の子や石田正澄(木工頭)など討ち果たされたとのこと。

・石田三成、島左近は山伝いに引き退いたようで、現在行方不明です。越後へと逃亡したのではないかと言う噂です。
 生け捕りになったと言う噂もありますが、それは嘘だと言うことです。


これを入れてくださいw;

556:人間七七四年
10/03/10 23:02:08 zsWXBu5D
やっぱ一番情報をもっていたのは豊臣政権の中枢だったナイフなんだな
他とは力量が違いすぎる感じがする

557:人間七七四年
10/03/10 23:08:06 yCcBCKHJ
あれ?内府は”だいふ”って読むんじゃ…?

558:人間七七四年
10/03/10 23:23:10 UvpuqCrj
鳥見の新助の忠勤
関ヶ原の勝利の余韻も覚めやらぬ慶長十三年頃の話である
駿府の城下に鷹匠の下役で「お鳥見」を勤める大岩新助という五十石取りの若い小者がいた
この新助、大変な大酒飲みなのだが、酒癖が極めて悪く、いつもいつも泥酔しては
半裸で全身泥だらけになって大手門の前で大の字になっている
そんな新助を町の衆らが戸板に乗せて、ワッショイワッショイ担いで
神輿のように部屋に戻してやるのが、城下町の名物になっている有り様であった

それだけの酒癖ならかわいいものなのだが、時折新助は酒を飲むと
女の行水を覗きに行くという悪癖があり、これがどうしても直らなかった
この時代のことだから、あまり問題にはならなかったが、それでもやはり
人の屋敷をこっそり覗き込み、女のあられもない姿を見つめているのはあまり誉められる行いではない
ある日とうとう武家の屋敷を覗きこんでいる所を同心に見咎められてしまった
本来なら召し放ち、悪ければ屋敷の主人に斬られてもおかしくない所だったが
新助は、口笛一つで五十羽百羽の鳥を集められる天才的な鳥刺しだったから
家康に庇われて、街道筋から伊勢路、美濃路にかけて、
鳥見をしながら三年ほど廻ってこいと命じられた。体のいい追放だった
百姓の小倅であった自分が、二本差しの身分となり禄を得ているのも
主君である家康の寵愛があってのことであるというのに
自分はそんな家康の名前に泥を塗ってしまった
酒が入らなければ基本的に真面目で気弱な新助は恥入った
そしてどうにか汚名を挽回できぬものかと考えた
しかし元々が鳥刺しの腕一本で取り立てられ、無学文盲の新助には
ろくろくその恩に報いる手段も考えつかなかった

新助は鳥見の仕事をし、街道を行き来しながら寺に通い、読み書きを習い始めた
寺に通う間はあまり大酒も飲めなかったから、悪癖は鳴りをひそめた
数年の手習いで、あまり上手いものではないが、文の一つもしたためられるようになり
行儀などもめっきり良くなった新助は、三年の勤めを終えて駿府へ帰った
新助の成長を上司も家康も大変に喜んでくれた
読み書きを覚えた新助には仕事が増えたが、喜んでどんな仕事もしたから
ますます家康に可愛がられ、更に十石を授かった

そうして数年経った頃大坂の役が起こった
ここで働きを見せれば、大御所様の恩に報いることができる
新助も鳥刺しの道具と槍を持って出陣した
奇妙な姿であったから、皆はそれを笑ったが家康は少し笑っただけで何も言わなかった
必ず手柄をたてますると意気込む新助を、家康は笑って送り出した

意気込みは一人前だが、鳥刺しの腕は良くても新助の槍の腕はからっきし
それでも勇敢に戦って、彼は茶臼山の戦いで華々しく討ち死にした。三十四歳だった
知らせを聞いた家康は目を閉じて俯き、しばし無言であったという
新助の最期は駿府の街にも伝えられ、人々はその見事な最期を口々に言い伝えたのだった

559:人間七七四年
10/03/10 23:31:31 tupmrCMS
汚名はやっぱり返上しないとね^^

560:人間七七四年
10/03/10 23:33:41 zsWXBu5D
いやいやここは挽回すべきだろう^^;

561:人間七七四年
10/03/10 23:34:40 UvpuqCrj
あ、やるまいと思ってやっちまった…
恥ずかしくてしにたい…すみません…

562:人間七七四年
10/03/10 23:35:00 4QUdxjx4
田代癖を400年経っても忘れてもらえないのはキツイんじゃなかろうかw

563:人間七七四年
10/03/10 23:36:41 tupmrCMS
なんか変な揚げ足とってゴメンよ・・・


564:人間七七四年
10/03/10 23:55:52 5hMlbjkK
>>552
だいたいあってると思うけど気がついたところだけ


>近江守も山辺を動けないようです。
ここは
>江州(、)守山(ノ)辺ニ居陣之由 
と区切って近江国守山(現滋賀県守山市。東海道を琵琶湖東岸沿いに彦根から京都に向かう途中にある)
に陣を敷いた、という意味かと。

>手人数
は、各自の手のものの軍勢、とするとより現代語っぽいかな?

>一長尾景勝トノ和睦ハ無レ之候。其手当ニ結城三河守・政宗ナド被(レ)残候ト申候。政宗ハ一筋ニ家康ヘ一味之由候。
上杉景勝との和睦はなされていません。なので警戒のため秀康、政宗などを向こうに残してこられた人のことです。
政宗はこれまで一途に家康に味方してきた、ということです。
くらいではないかと。「無之」をあり得ない、はやや言い過ぎに感じたのと「政宗が信頼された」と読める文章ではないと思うので。

>信州の真田は東軍の敵になり、徳川秀忠、榊原康政などが信州に差し向けられたと言うことです。
 これも手間の掛ることです。上洛のことなど申し付けているようです。

>是モ手間不(レ)可(レ)入候間、一途被(二)申付(一)、上洛トノ事ニテ候ト申候
とあるので、
手間もかからないハズだろうことなので、集中して取り組むよう(家康が秀忠に)申し付けなされ、
としたほうがよいかと。

以上差し出がましいとは思いましたが私見を加えさせて頂きました。

565:552
10/03/11 00:11:04 5K9XAPPc
>>564
おお、ありがとうございます。大感謝。
浅学を恥じるばかりです。

566:人間七七四年
10/03/11 07:51:32 RXDaSmjk
実は"汚名挽回"は日本語上何もおかしくない
"汚名を挽回"ならなおさら

567:人間七七四年
10/03/11 08:06:05 XR85dJq8
>>557
自分も「だいふ」だって前思ってたんだけど、「ないふ」って読むことも多いよね
どっちでしょうか…どっちもあり?

568:人間七七四年
10/03/11 08:08:19 6pB7TeCo
>>566
URLリンク(oshiete1.goo.ne.jp)
本質の意味としては間違ってないのか・・・日本語って奥深いな

569:人間七七四年
10/03/11 08:13:00 Z4Q+oPJY
>>567
昔はそこまで漢字や読みの正しさに厳格じゃなかったしね、どっちもありでしょう

570:人間七七四年
10/03/11 08:34:03 Rsdq9XLX
色々試してみたけど変換できないなうちのIMEじゃ>内府

571:人間七七四年
10/03/11 08:39:35 4Go6kWr8
IMEの糞っぷりは異常

572:人間七七四年
10/03/11 08:43:48 INUFfZ4q
>>566
なぜに?明らかにおかしいと思うんだが。
"汚名を挽回"なら、なおさらおかしいと思う。
深い理由があるなら、後学のために教えてもらいたい。


573:人間七七四年
10/03/11 09:38:09 IUqi3gtT
挽回って回復するとか元に戻すとかそういう意味だけど
「良い方に」って意味が強いと思う。
例えば劣勢を挽回すると言うと劣勢に戻すという意味じゃなくて
劣勢なのを良い方へって意味だから汚名を挽回も同じだな。


574:人間七七四年
10/03/11 09:39:58 NBu00oDq
>>572
明らかにおかしいと言いながら根拠を出さないのは単なる思い込みだと思うがw

まぁそれは置いておいて簡単に言うと挽回には「取り戻す」だけではなく
「巻き返す」、「回復する」という意味があるから問題ないんだそうだ
同じような成り立ちの四字熟語に「疲労回復」といったものもあるけどこれも疲労状態に回復するという意味ではない
”汚名を挽回”ならなお良いとしているのは”劣勢を挽回する”といった用法が存在するからでは?

まぁちょっと前に間違った日本語が云々ってのが流行ったけど実際間違ってなかったってのは結構有るみたいよ?
「全然~ある」とか

575:人間七七四年
10/03/11 09:49:52 ObkkZwct
音さえ通じれば、表記に関してはかなりいい加減だったみたいね~
宇喜多、宇喜田、浮田、どれも平気に使われてたんだっけ?

576:人間七七四年
10/03/11 10:29:44 /PRsasei
漢字がちょっと違ってるだけで捏造だとか騒ぐバカどもってどうにかならんの?w

577:人間七七四年
10/03/11 10:30:00 gjEjf7Do
宇喜多秀家はろくに漢字書けないから

578:人間七七四年
10/03/11 10:31:24 OYHl4/x1
大五と書けやい

579:人間七七四年
10/03/11 10:51:18 SvOuxvEW
なんだっけ武家と公家で官位の読み方が違ったりするんだっけ?
内府はダイフだよとか、いやナイフでもいいんだよとか特にややこしかった覚えが…。
ダイフって読んでた人もいたのは間違いないと思うけど…前読んだ昔の本で大府って書かれてたw

580:人間七七四年
10/03/11 10:57:04 shfHi6O1
千のナイフが胸を刺す!

581:人間七七四年
10/03/11 10:58:10 GNJ7x+7z
>>546
遅レスだが。
この時代の大輔や主水って、階位のことじゃないの?
「大輔」が、省庁の事務次官、つまり機関のトップ的位置。

582:人間七七四年
10/03/11 11:49:21 INUFfZ4q
確かに最近では一部で、汚名挽回は誤用ではないとのなどの意見は聞くが
それはまだまだ世の中の主流の意見ではなく、言葉の意味をいたずらに
曲解して、誤用を誤用でないといってる人の意見に思えるのだが。
そこを取って日本語的に間違いではない、思い込みだなどと断定するのはいかがなものか。

「挽回」という言葉には、失ったものを取り戻す、巻き返す、回復するなどの
意味があると辞書などには表記されているが、これが誤用ではないと勘違いされるやっかいな原因だと
思われる。
まず「回復」という意味で、類義語の例として出された「疲労回復」であるが、
「疲労挽回」では違和感を感じないだろうか?なぜなら回復というのは結果の事であって、下記の事も含めて考えると、
挽回とは大まかな意味は似てても少し意味が異なるからではないかと思う。
では、「劣勢を挽回する」ではなぜ正しいのかというと、劣勢とは
ある駆け引きの中で、優勢・劣勢のふり幅がある状況を指す事柄であり途中経過であり結果ではない。
疲労挽回ではなぜおかしいのか?の理由に、「挽回」とは一度不利になった状態を良い方向に
巻き返すために、何がしかの努力、争いをし優位な立場を目指そうという「過程」が窺えるからである。
で、あるから一度劣勢になった状況を優位なものに盛り返すために努力し駆け引きをすること=挽回であり、
挽回したとて優位にはならない「疲労挽回」と違い、「劣勢を挽回」はおかしくない。
また名誉挽回も元の高い位置に戻り、優位性を目指す意味では正しい用法である。
しかし「汚名」は「回復」と同じ結果であり、状況的ふり幅がある過程の話でもなく
よしんば「汚名」を回復したとて、「名誉」になる訳ではなく、さらに優位になる訳でもないので
挽回を使うには適正ではない。
「汚名」をそそぎ、良い方向に盛り返すために挽回するという意味にするなら「汚名挽回」だけでは
言葉足らずである。
なので、「名誉挽回」は正しく「汚名挽回」は誤用、やはり「汚名返上」が正しいと思われる。

スレ違いな上、長文失礼。根拠を出せと言われたので、浅学ながら自分なりの根拠を
書かせてもらいました。

583:人間七七四年
10/03/11 11:53:30 sy1wYVlq
なんつーか
すげえな

584:人間七七四年
10/03/11 11:54:16 /NlzbiAq
名誉卍解

585:人間七七四年
10/03/11 11:55:06 NBu00oDq
ほんとスレ違いだし俺が言った事の意味を取り違えてる時点で読む気が失せた
熟語としての成り立ちが同じとは言ったが語義が同じとは言ってないよ
違和感とか言われても知らん
該当スレでやれ

586:人間七七四年
10/03/11 12:05:03 7sEOG04q
次のいい話どぞ

587:人間七七四年
10/03/11 14:33:03 78xW7m7M
>>582
スレ違いかも試練が、興味深く読んだ。
考察の部分、例を出しての途中経過がとくに面白かった。

588:人間七七四年
10/03/11 14:43:20 NS5vSmkm
海野平の戦いの後、上州箕輪城の長野業政の下に身を寄せていた真田幸隆
やがて山本勘助の勧めによって武田に与する決意を固め
ひそかに箕輪城を離れる機会を窺っていた。

そのしばらく前に業政の仲介で上杉憲政に引き合わせられて以来
幸隆は健康がすぐれないと理由をつけて引きこもり、家人にも容易には顔を合わせなかった。
それを聞いた業政は幸隆のもとへ使いを出し
「今度の病気は尋常の薬では治るまい。甘楽郡の余地峠を越えて良薬を求められるよう
 今日明日中に決心されたい。」と馬を送った。
驚いた幸隆は「御志は有り難いが、病は思いのほか重く、出立できない」と返したが
「病が重いということだが、治療の為だから一日でも早い方が良い」と促されたため
幸隆も決心し、その暁に出発し、下仁田に至った。

すると後ろから荷を積んだ多くの馬がやってくる。
よくよく見るとそれを連れているのは幸隆の妻や家僕たちである。
話を聞いてみると幸隆が出立した後、業政の老臣がやってきて色々と世話をして出発させたと添え状を差し出してきた。

開いてみると
「武田信玄は年若に似合わぬ立派な武将であるが、箕輪に業政がいる限りは
 碓氷峠を越えて馬を飼おうと思ってはなるまい。
 本領に帰られたら、旧交を忘れられぬよう。」とこまごまと書いてあった。

甘楽郡の余地峠は上州と信州の国境の峠
その向こうは武田が支配する佐久郡である。

幸隆は深く恥じて、こんなことならば打ち明けねばならなかった、と
馬をとめてしばし佇んでいたという。

589:人間七七四年
10/03/11 15:23:15 INUFfZ4q
>>582

>>572 に自分から根拠示せと言っておいて、根拠提示したら
スレ違い、該当スレいけだの言われて、やっぱり何だかんだ揚げ足とって
叩くんだなと思いガッカリしてたが、問題の正否は別にしても
君のように興味を持って読んでくれた人がいてくれてありがたい。

590:人間七七四年
10/03/11 15:28:17 ObkkZwct
やっぱり業政さんは出来た人なんだなぁ~

591:人間七七四年
10/03/11 15:37:25 cvE/e4bB
>>589
全然揚げ足取りじゃねーだろw
冷静になって>>574読んでみれば
>まず「回復」という意味で、類義語の例として出された「疲労回復」であるが、
ここがおかしいって気付くハズ

592:人間七七四年
10/03/11 15:39:04 5K9XAPPc
逸話にも戦国時代にも関係ない話はまとめてよそでやってくれ。邪魔。

593:人間七七四年
10/03/11 17:11:53 kcEwCgl4
>>537

NGMS「息子に家康公の命取ってこいとかいう奴にろくな奴はいないよね」

594:人間七七四年
10/03/11 17:35:19 nNom8eXm
家康ほど暗殺されそうにない奴はちょっといない
総て計画段階で潰されているし、仮に大坂城で十人程の刺客に襲われても
たちまち二三人を切り倒して姿をくらまし、気が付いたら伏見にいかねん

595:人間七七四年
10/03/11 17:37:14 RXDaSmjk
>>588
すげーぜ長野業正
知名度低いけどなんでこんな超人化してるんだろう?


ところで誰か殉死を禁止された世になっても
「約束だから」と切腹を申し入れて幕府も老齢だからと
特別に許可した話がここで出てたと思ったんだがまとめサイトにみつからないんだ
誰か知らんか?

596:人間七七四年
10/03/11 17:40:41 vI7jzJfW
田舎剣術ながら流派の宗家代理だったりするしな。

597:人間七七四年
10/03/11 17:42:50 XR85dJq8
>>595
信之家臣の鈴木さんかね?

598:人間七七四年
10/03/11 17:52:08 Zos5WnAu
>>588
既出でした。
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

ちなみにその後の話
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

599:人間七七四年
10/03/11 17:58:36 NBu00oDq
>>595
独立した逸話ではなく雑談の一部としてあるよ
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

俺も即身仏に槍差して自害した足軽の話があったと思ったんだが見つからない
誰か知らんか?

600:人間七七四年
10/03/11 18:18:08 RXDaSmjk
>>597-599
わざわざトン
確認しました
格好良いよね鈴木さん

即身仏って酔った勢いで刺したら血が出てきてビビっちゃった奴だっけ?
記憶にあるけど即身仏で検索掛けてもヒットしないなぁ

601:人間七七四年
10/03/11 18:28:00 cJP5HbnX
>>599
悪い話11の776だな

602:人間七七四年
10/03/11 19:30:29 NBu00oDq
>>601
これこれ。ありがとう
まとめ見るとこれだけないね
何か理由があるのかな?

603:まとめ”管理”人
10/03/11 20:11:27 3N93qvxZ
>>601
>>602

すいません、こちらのミスでアップされていなかったようです。
今日の更新で上げて置きます。

604:人間七七四年
10/03/11 20:56:15 ty+fGFEj
>>594
水泳と乗馬もうまいからな
家康は戦国トライアスロン優勝できるんじゃね?

605:人間七七四年
10/03/11 21:04:42 OYHl4/x1
※但し、競技中の焼き味噌は御遠慮下さい。

606:人間七七四年
10/03/11 21:30:49 Wmo5Y20C
大イチョウは見ていた。

平成22年3月10日午前4時50分鶴岡八幡宮・・・・・
ドーーーーーン!!!!
こま犬A『ヒー何だ?何が起こったんだ?いきなり木が倒れてきたぞ!』
こま犬B『相棒大丈夫か?ん?あわわわわわ・・・・・』
こま犬A『相棒よ、ナニ口あけて固まっているんだよ。確かに俺たちこま犬だけどな。』
舞台『アンタなんかどうでもいいわよ!ご・・・ご神木が倒れているわ。』

そう、樹齢1000年、神奈川県指定天然記念物の大イチョウがついに倒壊をしてしまったのだ。

大イチョウ『皆の衆大丈夫か?騒がせてすまんのう。とうとうこの日が来るとはのう。』
舞台『ご神木様・・・大丈夫ですか?と言ってもこのお姿では・・・』
大イチョウ『舞台よ。傷はなかったかのう。綺麗なお前さんに傷を付けては参拝者に申し訳ないからのう。』
舞台『特には・・・それに傷が付いても『寄付でたて直し』と言う手段もありますわ。それよりご神木様のほうが・・』
大イチョウ『建て直しか・・・ワシの若い頃は・・・・戦国時代はここも酷いものじゃった・・・』

戦国時代:鶴岡八幡宮
宮司「頼朝公以来、武家の崇拝を受けてきた八幡様もまわりの戦乱でコレでは・・・」
禰宜「頼りもヘチマもございません。建て直しどころか、草刈りすら難しい財政です。」

そう、ご多分に漏れず『武家の守り神』鶴岡八幡宮も荒れ果てていた。
関東管領は今や鎌倉におらず。戦国の関東波及により荒れ果ててしまったのだ。
つまり、皆さん忙しかったんですな。

大イチョウ『確かにペンペン草しか生えていないほどの荒れ放題だなこりゃ。
      鎌倉に幕府があったときは、25の僧坊を持ちたくさんの武士が参拝に来たのだが、
      新田義貞がせめてきてからだんだんと衰えてきたもんなぁ。あれ?立派な武士が
      こっちへ来るぞ?衣装の紋は・・・【三つウロコ】!北条家じゃないか!高時の時に
      みんな討ち死にしたと思ったんだが?赤橋か名越の生き残りでもいたのか?帰ってきたのか?』

北条氏綱「伊勢宗瑞の子、北条氏綱である。宮司はどこか?」
宮司「はい。私にございます。」
氏綱「ずいぶん荒れておるのう。武家の守り神である八幡様を荒れ果てさせるとは嘆かわしい。
   よろしい!私が社殿を寄進し、建て直そう!ワシの代から北条を名乗ったとは言え、
   相模国を収めた我が家が直さなければ面目が立たん!」
大イチョウ『な~んだ。北条家の名前と家紋を利用しただけか。そういえば、建て直してくれるといっていたな。』
氏綱「ちなみに当家は伊勢氏であった。平家つながりで先の北条氏とは遠縁でもある!」
大イチョウ『ス・・・スミマセン』




607:人間七七四年
10/03/11 21:32:37 ObkkZwct
東はr

608:人間七七四年
10/03/11 21:34:50 PgNoOPgW
晴れたね|東原亜希オフィシャルブログ 『ひがしはらですが?』
URLリンク(ameblo.jp)

鎌倉の
鶴岡八幡宮に行ってきたよ~

(´―`)

609:人間七七四年
10/03/11 21:52:00 5mqbIz/a
おい冗談は止せ

610:人間七七四年
10/03/11 21:58:39 Wmo5Y20C
こうして、氏綱の号令の下、鶴岡八幡宮再建工事が進められることになった。
もちろん、天下の北条氏である。下手なものを作れば日本全国に恥をさらすことにもなりかねない。

宮司「北条家もずいぶん材料や職人を集めたがよく金がもつなぁ。」
禰宜「たしかに、小田原は豊かなところになったと聞いてはいましたが・・・」

氏綱も時折やってきて視察をしていたようである。
氏綱「当家の面子がかかっているからな。予算が足らなくなったら小田原に報告せよ。」
担当者「はい。現状では材木の手配、職人の手配も滞ってはおりません。」
氏綱「ケチなことは考えるな。良い物を使うようにせよ。」
担当者「はい。」

大イチョウ『こんなににぎわうのは久しぶりだな。』

こうして、戦国時代の鶴岡八幡宮再建工事は天文元年(1532)より天文9年(1540)まで
8年あまりの歳月をかけて行われ、完成した。
ちなみに、秀吉がやってきたときに修理を家康に命じた時の絵図面がこれ。
URLリンク(www.hachimangu.or.jp)
修理なので、そんなに違わないと思う。

こうして、再建工事は終了した。
氏綱「これで、面目も保てよう。これだけデカイものを独力で作ったのだから、
   関東の連中も我が北条家に従うだろうて。それから宮司よ。困ったことがあったら
   小田原に報告してくれ。すぐに必要なものは用立てよう。」
宮司「ありがとうございますぅぅぅぅぅ。」
氏綱「それから、この刀、奉納する。
  (URLリンク(www.hachimangu.or.jp))」
大イチョウ『あ~、まぁ、理由なんてそんなものでしょうね。でも綺麗になった。』

平成22年鶴岡八幡宮
大イチョウ『後北条家はもういないが、あの時はうれしかったものだ。なんといっても
      全部建て替えたのだから。徳川家斉の時の建て替えよりも条件が悪かったのじゃよ。』
舞台『そんなことが・・・』
大イチョウ『ところでワシはどうなるのか?イチョウの木って何に使われるものかのう。』
舞台『まな板とかに使われると聞いたことが、でも、標本になるか裁断されてお守りに
   使われるかも知れないですわ。』
大イチョウ『まな板か、鎌倉には料理店が多いからなぁ。標本で宝物館や市役所で過ごすのも悪くはないが、
      お守りで神社の営業の足しになるのもいいじゃろう、だが、商売繁盛は無理じゃな。』
舞台『?』

大イチョウ『「倒れた」では、シャレにもならんよ。』

みなさん、大イチョウを忘れんでください。

611:人間七七四年
10/03/11 22:05:03 Wmo5Y20C
>>606>>610をかいたものです。
いちおう、舞台は女性としてみてください。
今までと切り口を変えてみました。
ところでどうするんでしょうね、大イチョウ。
デカイだけに・・・・・

612:人間七七四年
10/03/11 22:06:33 NBu00oDq
>>603
なんだただの手違いか
いや、毎日毎日お疲れ様です…

>>610
絵面はわからないけど刀のアドレスはこれかな?
URLリンク(www.hachimangu.or.jp)

こういう行為って周辺大名や国人にどの程度効果があったのかなぁ?

613:人間七七四年
10/03/11 22:10:34 5K9XAPPc
絵図面はこれかな?
URLリンク(www.hachimangu.or.jp)

614:人間七七四年
10/03/11 22:18:52 BafoJxF3
昨夏に見てきたよ大銀杏。舞台では結婚式が執り行われてたw
まあ傾斜地に立って今まで無事だったのが不思議なのかもな。
現宮司の評判が…とか、デスブログ…とか、フラグらしきものもあるけど。

615:人間七七四年
10/03/11 22:28:52 IcDIAOX+
>>597
その左近さんだか右近さんだかは
自分が腹を切った刀を信之の位牌に捧げようとしたら
介錯人の何某が何を勘違いしたのか介錯を強行して
抵抗する左近だか右近さんだかを
組み伏せて押し切りに首を取ったとかなんとか・・・

616:人間七七四年
10/03/11 22:41:13 7Ur+Ny9P
右近さんだw
しかし抵抗してんのに強引に首を取ったのかよ
結局刀は捧げられなかったのかね…

617:人間七七四年
10/03/11 23:46:45 pUkEAmJI
>>611
再生出来ないかと試みている。(難しいっぽい
あと、若木が出てくるのを期待して根っこを保存。
更に枝からも若木を育てるそうな。

URLリンク(www.asahi.com)

618:人間七七四年
10/03/12 01:01:31 WtHcF13t
根っこまだ残してるんだ…
樹齢何百年~って樹は日本全国に珍しくないんだろうけど
歴史上の出来事と密接な関係のある樹はそんなに数がある訳でもないし
折れたと聞いた時はなんと勿体ないと思ったんで根っこだけでも残ってて嬉しいわ

しかしかえすがえすも惜しいなあ…
樹は自分の周囲環境の情報を完璧に保持してる、なんて話もあるから
もっと科学が進んで情報引き出せるようになったら歴史の証言者になれたかもしらんのにとか妄想してしまう

619:人間七七四年
10/03/12 04:49:32 KaJ7EOgh
前にテレビで太閤桜の遺伝子を元に作ったクローン太閤桜を
歳をとって枯れ出した桜の代わりに植えて後世に残すって計画がやってたけど
大銀杏もクローン大銀杏を境内のどっかに植えるとかするかもしれん
まあそれなりに様になるのに数百年もかかるだろうが

620:人間七七四年
10/03/12 05:35:50 I0W/0C/a
>>618
ひょっとしたら年輪の間に実朝公の血痕がついてたりせんかなー…… と妄想したことはありまふ

621:人間七七四年
10/03/12 06:32:27 hEWyB2pg
実朝公のクローン量産?

622:人間七七四年
10/03/12 09:52:24 SV4dZlrh
>>610
尼子経久なら、松明用の焚き木にして贈り物にするな。

623:人間七七四年
10/03/12 10:04:01 S79dd8En
この銀杏、研究すれば年輪から戦国の世の気省が解るんじゃないか?
当時は寒くて初夏に雪が降ったっていうし。

624:人間七七四年
10/03/12 12:28:29 nTyYy7FT
>>620
根っこの下から首が出てきたりして、なんて妄想したことはあるな

吾妻鏡には銀杏の陰に公暁が隠れてたなんて書いてなかった気がするけど
戦国時代末期にはもうこの銀杏も観光名所だったんだろうな
前田の家臣が鎌倉見物に行っちゃったなんていう話もあったし

625:人間七七四年
10/03/12 17:25:07 GLNx7NWK
結構知られている話かな?

石田正宗
三成の前田邸での襲撃事件後、三成は家康に保護される
そして家康の勧めにより彼の領国の佐和山に帰るのであった
その際、家康は次男の秀康を警護として同行させた
太閤の養子であり秀頼の義兄弟にもあたる秀康と三成は互いに好意を持っていたようであり、
別れの際に三成は世間の羨望である佩刀の五郎正宗を秀康に贈ったのであった

関ヶ原の合戦後、諸侯は幕府を憚り三成の名前を口にすることも恐れる風であったが、
秀康は贈られた刀を「石田正宗」と命名し生涯愛用したのであった
また、刀身に傷があるので「石田切込正宗」とも呼ばれている

因みに、この傷のせいで国宝には出来なく重要文化財止まりだとか

626:人間七七四年
10/03/12 17:31:48 A/8vzjn3
結城秀康は大谷吉継の敦賀正宗も所持してて羨ましい

627:人間七七四年
10/03/12 18:10:44 wdTkVIKp
>>625
既出じゃなかった?

傷があっても国宝にすればいいじゃない!って思っちゃうねw
勿体無い

628:人間七七四年
10/03/12 21:19:54 TsrSZ6ww
傷のせいで刀剣としての価値が下がっちゃったから国宝になれないのかな

629:人間七七四年
10/03/12 21:44:42 fYSkWgHC
国宝として生き長らえるより、実戦で使い潰される方が刀も本望だろう

630:人間七七四年
10/03/13 00:12:28 6gqn9/br
URLリンク(www.saga-s.co.jp)
名護屋陣跡 鍋島直茂の陣屋がふたつ?


このネタをうけて勝茂のいい話を書いてみよう。


『鍋島勝茂と刺客』


鍋島勝茂が白石に泊まったときのことである。

夜、みなが寝静まったころ、庭の方を観てみた。
すると、月明かりに照らされて、壁に人影が映りだしていた。

勝茂は脇差を手に取り、ひそかに起き出す。

そして、壁ぐるみで斬りつけた。


壁の向こう側にいたものは、大袈裟に肩からわき腹に掛けて両断されていた。

館に忍び込んだものの素性はわからなかった。

勝茂が手にした脇差は、加賀清光作のものである。
のちに試し切りをすると、三つ胴(死体を三つ重ねて斬り断つ)をしたという。


勝茂が刺客に襲われるとしたら、龍造寺家のものからだろうか。



631:人間七七四年
10/03/13 00:13:43 bk22E319
佐賀の松原川に、兵主部(ひょうすべ)という名の河童が住んでいた。
この河童は大変凶暴で、付近の子どもたちを次々と水に引きずり込み、近辺の人々は大変困っていた。

さて、その事を聞いて心を痛めたのは、佐賀藩初代、鍋島直茂である。
しかし直茂、この兵主部を捕らえるのではなく、取った方法は、呪殺。なんと仏神にこの河童を
呪い殺してくれるよう祈願した。

これに震え上がったのは兵主部である。すぐに直茂の前に現れ命乞いをし

「どうか私の彫刻を作ってください。そうすれば私は今までの罪の償いとして、この地域の子供達を水難から守ります。」

と言う。
直茂はそれを受け入れ、兵主部の像を作った。これ以後、松原川では子どもが河童に水に引き込まれることは無くなった、
とのことである。

ちなみにこの兵主部の像、今も松原神社の宝物として大切に安置されている。
そして毎年4月下旬になると、この事に由来した「ひゃあらんさん(佐賀弁で「入らない」の意)祭り」という祭礼が行われ、
水難事故の防止と稲作のための水が耐えないことを祈りつつ、松原神社の守り神「マツバライザーK」が
ヒーローショーを行うそうです。こんなの→ URLリンク(www.saga-s.co.jp)

お近くの方はこのお祭りに出向いて歴史に思いを馳せつつ、マツバライザーKを応援してみませんか?

632:人間七七四年
10/03/13 00:16:41 7A7eduuR
仮面ライダーのパチもんっぽいなあw

633:人間七七四年
10/03/13 00:31:55 MXXCpvx6
鍋島話が一気に二つもとは
こういう化け物を伏させて災害から守る神様に、っていうのはよくある話なんかな
佐賀平野はクリークってか水路が縦横無尽だし、水難も多かっただろうからこういう話も生まれたのかね

634:人間七七四年
10/03/13 00:49:09 Ep9Ux48T
初代藩主は直茂、勝茂どっちなん?

635:人間七七四年
10/03/13 00:56:48 v3bIXaM7
佐賀藩は高房が死ぬまでは一応名目上は竜造寺家なんじゃないの?
wikiには1613年に勝茂に領地安堵の沙汰が出たと書いてあるから、どちらにしろ初代藩主は勝茂
ただし「藩祖」は鍋島直茂
徳島藩の藩祖は家政だけど、初代藩主は至鎮
みたいなもんじゃない?


636:人間七七四年
10/03/13 01:14:59 Ep9Ux48T
ややこしいのう・・・
つか、まとめ管理人いつの間にか小田さんになっとるしw

637:人間七七四年
10/03/13 01:55:29 ms21nn16
蜂須賀さんちはめんどくさくて、関ヶ原で決着つく前に出家した家政でなく、東軍に付いた至鎮が
初代藩主なんだけど、かわりに家政は「藩祖」といい、蜂須賀正勝を「家祖」というらしい

638:人間七七四年
10/03/13 01:59:25 wYQ/L7iM
まぁ、上杉も藩祖は謙信だったりするからなぁ

639:人間七七四年
10/03/13 02:09:59 zqBiJj38
そういえば佐竹氏の藩祖は新羅三郎って聞いたことがある
鬼義重ならまだ分かるんだけどな

640:人間七七四年
10/03/13 02:27:10 MXXCpvx6
佐賀藩は魏の曹操と曹ヒみたいな感じと思えば

641:人間七七四年
10/03/13 02:34:22 PVo7wvRz
実質の始祖と形式上の始祖を両方とも立てるための折衷案だったのかね

642:人間七七四年
10/03/13 03:57:48 e8FHkPCO
>>633
治水伝説の類型としてはよくあるパターンだね。
こないだの、黒姫の尻にしかれた黒龍もその一種にあたる。
人間がいかに神をコントロール化におくか、という。

643:人間七七四年
10/03/13 04:35:44 e8FHkPCO
ある民俗学者は「河童は弱い。そこらへんの農民と相撲を取って負けたりする。
たまに恩返しをするかと思えば持ってくるものが魚である。しょうもねえ。
雀の子だって大きいつづらと小さいつづらを持ってくる。どんだけ卑しい生き物だ」
なんてことを書いているのだが、中にはね、ヘタレでもヤンデレでもない河童もいる。

柳田國男に見る戦国時代
「井上元重と百人力の河童」

時は天文3(1534)年8月、梟雄毛利元就とその一党が、安芸の吉田に本拠を構えていた頃のこと。
吉田川の釜淵と呼ばれる水底に、淵猿<フチザル>と呼ばれる恐るべき大河童があり、人々に恐れられていた。
百人力の怪力をもって人馬を襲い食らう、正真正銘のモンスターであった。

これを退治してくれんと名乗りを上げたのが、毛利家の武人・井上元重、通称荒源三郎である。
源三郎は何の策略も工夫もなく、百人力の淵猿にいきなりガチンコの肉体勝負を挑んだ。
実は源三郎は源三郎で、七十人力であった。それは人類ではないと思うのだが、そういう設定なので仕方がない。
化け物同士の肉弾戦は長く長く続いた。しかし、最後に勝負を制したのは陸に住んでるほうの怪物であった。
淵猿の首を掴んで全力で振り回したところ、頭の皿に溜まっていた水が流れ落ち、淵猿は百人力を失ったのである。

こうして吉田川の淵猿は退治された。
そして、この話はここでばっさりと終わり、何の説話的オチもつかない。
百人力の淵猿は人語を解さなかった。解せるのだとしても、話さなかった。
彼は人に許しを請わず、取引を持ちかけず、起請文を書かず、手繋ぎの秘法を伝授もせず、
ただ化け物として戦い、ただ化け物として人に滅ぼされたのである。



なお、七十人力の源三郎は、天文19(1550)年の元就による井上一族粛清のとき、一族郎党といっしょくたに殺害された。
やっぱり人間が一番怖い。


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