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あるとき、家康が義直(当時13歳)、頼宣(当時11歳)、頼房(当時10歳)の3人の子を伴って庭を歩いていると、蜂が襲ってきた。
義直と頼宣はあわてて逃げたが、頼房は顔に止まった蜂を片っ端から手でつかんで投げ捨て、ついに一歩も引くことがなかった。
また、あるとき、家康が焼き栗を息子たちに食わせてやろうと思って、囲炉裏の中に栗をたくさん放り込んだ後、三人を呼んだ。
火が回ると栗が勢いよくはじけ、義直と頼宣は驚いて飛び上がったが、頼房は近くに飛んできた栗を囲炉裏に投げ入れ、平然としていたという。
さらに、後年、頼房が家光や義直と狩に出かけたとき、義直が仕損じた猪を一矢でしとめ、
家光から、射撃の名人だった能登守平教経にちなんで、「今能登守」と賞賛されたという。
あのめんどくさい名君、義直公と豪胆な南海の龍、頼宣公がかませ犬にされてしまう、頼房公の肝の据わったお話。
なお、3番目の話を聞いた頼宣は、孫の新之助を、一撃で猪を殴り殺すよう鍛えたそうな。