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五島次郎衛門古平(ごとう じろうえもん ふるひら)1568~1632
五島列島を拠点にしていた倭寇の出身。
略奪行為よりも調達屋として活動、九州の諸大名や中国沿岸の官吏、さらにはルソンのスペイン人にも情報と物資を提供していた。
母親がスペインの棄民といわれその影響でキリシタンとなる。洗礼名をジェロニモといい、次郎衛門の通称はそこからとったとされる。
豊臣政権下では唐入りの先発隊として諜報活動に従事するも、加藤清正と小西行長の対立で情報が行き届かず、さらには石田三成に
スケープゴートにされそうになり出奔、関東へと落ちのびたといわれる。
江戸時代になると急に吉原の重役の中に五島次郎衛門の名が現れ、10数年の空白記にささら者の仲間になったと思われる。
以下俗説、伝承の類
*松平忠輝の屋敷によく出入りしていて彼とは昵懇であった
*上記のツテで伊達政宗に南蛮人の側室を紹介したとされている。
*堺に滞在中しており(天正8年ごろ?)信長配下の南蛮人は次郎衛門であったとの説もある。