10/04/28 06:01:31 Ty653CJr
慶長4年の家康と利家が対立した時に20万石以上の大名で家康についたのって
伊達・最上の東北外様組と福島くらいだったよな。
家康側についたのは政宗をはじめ黒田父子、織田有楽、金森法印なんかのクセのある連中が多い。
あるいは藤堂とか大谷とか新庄直頼とかの家康シンパ。(関ヶ原では大谷は結局は石田をとったけど元は家康シンパだし)
この時にいくら当事者だからって家康側に積極的につくなんてやっぱり
豊臣家を大事に思ってたなんて嘘か、大局の見えてない馬鹿だったかのどっちかとしか思えんよ。