09/12/16 23:47:11 ORt1OHN8
>>788
「豊臣家のため」と考えるのも間違い。
「政務を委任された豊臣家大老と言う家康の地位のため」って風に解釈した方がいいかと。
今風に解説すると、関ヶ原までは基盤の脆弱な弱い内閣の首班である家康が、
その基盤に弱さに付け入ったいろんな勢力の策謀に対処しつつ、一方で基盤の強化も
図ろうとしていた。
そんななかクーデター騒ぎが起こって、政府はこのクーデターをどうにか鎮圧したものの、
その頃には政府機能自体が崩壊していた。そのため内閣を率いていた家康は、新たに
大統領制の新政府機関を作り、その初代大統領に就任した。
あくまで家康の視点から見た場合だが、こんな感じであったと考えられる。