【疑問】スレ立てるまでもない質問 4【戦国時代】at SENGOKU
【疑問】スレ立てるまでもない質問 4【戦国時代】 - 暇つぶし2ch767:人間七七四年
09/12/15 14:50:28 XBthTSjz
濃姫の最後ってどうなっているのだろうか

1)本能寺で信長もろもと死亡
2)本能寺の時には安土にいて
明智勢が来たときに退避
3)本能寺以前に死亡

資料が少ないですね

768:人間七七四年
09/12/15 15:18:50 RMB4B1Iy
>>767
「濃陽諸士伝記」にて1560年以前に死亡したと書かれてある
それと『美濃国諸旧記』には濃姫の母は早くに死亡したと書かれてあり
『言継卿記』には壺事件の後、信長がしゆうとにお礼に言いに行くと書いてあるから
濃姫とは関係のない別人が信長本妻になった

769:人間七七四年
09/12/15 15:46:04 Hj0l+CZj
>>766
そこなんですよ
尼子が毛利に対して格下に扱うのは当然として
弘中って毛利よりも格上だったのでしょうか?
弘中がどのあたりの地位だったかはよく知らないのですが
毛利は大内家中で扱いがよかったと思うのですが。

770:人間七七四年
09/12/15 16:01:27 uUMUGY6v
扱いが良くても所詮一豪族一外様。
弘中は代々大内家の重臣で、隆兼自身も岩国・安芸守護代。
大内傘下に入っている時期ならば、間違いなく格上の存在。

子会社の社長が、本社の重役に頭があがらないのと一緒。

771:人間七七四年
09/12/15 17:01:28 Hj0l+CZj
>>770
なるほど。わかりやすいたとえありがとうございます

772:人間七七四年
09/12/15 18:39:38 pwPjoPSv
>>168
>「濃陽諸士伝記」
この記述は解釈に問題があり、かつ事実関係にも疑問や錯誤が見られるので、あやしい。

773:人間七七四年
09/12/15 19:05:02 RMB4B1Iy
>>772
具体的にどこが?
いっとくけどあの時代全く誤りのない史料など存在しないぞ

774:人間七七四年
09/12/15 19:11:30 SwH6UmD9
成立時期はいつなの?

775:人間七七四年
09/12/16 17:48:20 9PyqSuy6
大阪の冬の陣で、豊臣がたは本当に勝てると思ってたんでしょうか?
織田信雄とか片桐とかが逃げ出す始末なのに。
あと夏の陣に至るまでに、国替えやら淀殿の江戸移住とかで
手を打つつもりはなかったんでしょうか?
徳川方は是が非でも滅ぼすつもりではなかったと思うんですが。

776:人間七七四年
09/12/16 18:22:06 q7i1u95e
一応、夏の陣直前に最後通牒が突きつけられて、
その内容がまさにそれ、追記すると浪人衆の放逐も条件。
もしおとなしく従っていれば、いずれ減俸されるかもしれないけれど、残ったとは思う。

ただ国替え・人質はともかく、浪人衆の放逐は不可能だけどな。
浪人衆を納得させるだけの一時金も用意できないし、武力で排除するのも困難だから。

777:人間七七四年
09/12/16 19:03:29 1c8fP1pu
うがった見方をすれば、豊臣方が承知しても実行不可能な条件を突きつけた、とも言えるが。
まあ、最終的に、残ったとしても十万石級の大名としては残されなかっただろうとも思うが。

778:人間七七四年
09/12/16 20:35:25 ORt1OHN8
大阪の冬の陣の開戦前は、大阪方、特に秀頼周辺の主戦派は、日本の大名の、
少なくとも半分は自分たちに見方をすると、本気で考えてたっぽい。

あと、冬の陣のあと、淀殿周辺は本気で牢人排除に動いていた。
しかしその中心人物だった大野治長の襲撃事件で、その動きがストップし、
牢人衆と組んだ強硬派に大阪城が牛耳られ、ジ・エンド。

大阪の陣は、秀頼の周りにいた、若く過激な反徳川派が主導した戦だと考えて良いと思う。

779:人間七七四年
09/12/16 21:26:58 GSKqtm4p
>>778
>若く過激な反徳川派
っていうとどのあたり?

780:人間七七四年
09/12/16 21:33:58 WOO0XLNW
というか関ヶ原から夏の陣に至るまでの豊臣家のグダグダぶりは何なんでしょうか。


781:人間七七四年
09/12/16 21:39:43 ic0nrZ6E
上杉征伐に徳川軍が向かいますが、具体的に、上杉と石田の戦略はどのようなものだったんですか? 上杉がただのオトリだったとすれば、結果的に西軍の挙兵が早すぎたのかなと思うんですが。

782:人間七七四年
09/12/16 21:50:41 q7i1u95e
>>780
今の日本の政権を見るとよくわかるだろ。
トップがしっかり舵を切れないとああなる。

>>781
上杉と石田がてを組んでいた証拠がありません。

783:人間七七四年
09/12/16 22:04:11 ic0nrZ6E
>>782 とすれば、上杉は何をしたかったんですか? 豊臣家に対する正義感と意地だったんですかね。

784:人間七七四年
09/12/16 22:13:32 ORt1OHN8
>>779
治長の弟の大野治房、道犬斎、渡辺糺、木村重成あたり。


785:人間七七四年
09/12/16 22:23:33 ORt1OHN8
>>783
> とすれば、上杉は何をしたかったんですか?

簡単に言えば北国は秀吉の在世時から決して安定はしておらず、
上杉は秀吉が死ぬと、それにつけこんで、地域に自家の影響力の拡大を計ろうとしていた。

無論、そう言うことをすれば必ず摩擦が起こる。で、当時中央政権の主宰者だった
家康にそこを目につけられて、上杉としては、自家の拡張策を放棄するかどうかの判断を迫られ、
上杉は、その時点での家康の権威は万全では無いと判断し(これは正しかった。
家康の出兵直後に三成のクーデターが起こった)、家康の北伐軍を受けるという事態に至った、
と考えるべきかと。


それから、この時期の政治情勢を、忠誠とかで判断するとほぼ間違うので
気をつけたほうが良い。

786:人間七七四年
09/12/16 23:02:49 ic0nrZ6E
>>785 ありがとうございます。 なるほど~ 思ったほど、盤石じゃなかったんですね。上杉としては、合戦まで至らず、うやむやに事収まると思ってたんですか。 伊達と変わりないですよね。

787:人間七七四年
09/12/16 23:13:47 ORt1OHN8
家康が1年ほどで収拾してしまったので、このへんは誤解されがちなんだけど、
秀吉が死んで、日本はたがが外れた状態になっていた。
各地の大名は、戦国的な自家の拡大策を模索し始めていた。
それを抑えるべき中央政権の担当者である家康も、おせじにも強い政権であったとは言えず、
家康の立場から見れば、他大名との婚姻や、前田征伐などで力を誇示するのは、
「豊臣政権の運営」のためにも、どうしても必要な事だった。

後に家康が徳川家の単独政権を樹立したのはあくまで結果論であり、関ヶ原以前の
家康は、豊臣家大老という立場の中において、現実的な対応をやっていたに過ぎない。

788:人間七七四年
09/12/16 23:35:45 ic0nrZ6E
>>787 豊臣家のために尽力していたのは家康の方だと、関ヶ原までは自分の天下の視野もなかったと言うことですか~。 今まで読んできた本や、見てきて得たことが根底から覆されました。

789:人間七七四年
09/12/16 23:45:50 V+be3L7a
>>788
アホがこんな愚論にもう惑わされてるのか?
全て家康の権力欲でやったにきまっとるだろうがボケ!!!

790:人間七七四年
09/12/16 23:47:11 ORt1OHN8
>>788
「豊臣家のため」と考えるのも間違い。
「政務を委任された豊臣家大老と言う家康の地位のため」って風に解釈した方がいいかと。

今風に解説すると、関ヶ原までは基盤の脆弱な弱い内閣の首班である家康が、
その基盤に弱さに付け入ったいろんな勢力の策謀に対処しつつ、一方で基盤の強化も
図ろうとしていた。
そんななかクーデター騒ぎが起こって、政府はこのクーデターをどうにか鎮圧したものの、
その頃には政府機能自体が崩壊していた。そのため内閣を率いていた家康は、新たに
大統領制の新政府機関を作り、その初代大統領に就任した。

あくまで家康の視点から見た場合だが、こんな感じであったと考えられる。

791:人間七七四年
09/12/17 00:08:08 s4mYG3eB
>>790
はぁ?さすがタヌキ親父の支持者はとんだタヌキだな。

792:人間七七四年
09/12/17 00:33:46 2yR9Q8ol
家康が、豊臣家を滅ぼしたとたん死ぬなんて都合良すぎだよな。影武者じゃねえのか

793:人間七七四年
09/12/17 01:02:01 j1vh2hrv
家康が太閤との約定を違えて、弾劾されたことをどう正当化するつもりだよw

どうせまたアンチ上杉の伊達厨だろw

794:人間七七四年
09/12/17 01:06:18 ICocBwbg
戦国時代に散々戦争したんだから、せめて平成の2chでくらい仲良くしてろよ

795:人間七七四年
09/12/17 01:46:03 CSNOcYQF
狸だ厨だ言いはじめても何もならんのにな

796:人間七七四年
09/12/17 03:03:43 UJ+apD2Q
2chには無職のキチガイが多いんで

797:人間七七四年
09/12/17 05:22:19 JFQsDyzM
職有りの基地外の方が始末におえなそうではある

798:人間七七四年
09/12/17 06:13:11 zneK7k5y
先に秀吉の約定を違えたのは徳川より石田が先だ!
とかいうのも目にするけどどうなんでしょう?


799:人間七七四年
09/12/17 07:18:41 5D8NcVDf
そもそもORt1OHN8は家康が正義の味方だ、正当性を持ってる
なんて主張してないようだがなあ
自己の利権として五大老筆頭の地位・面子を守り
拡大し、のちに豊臣政権という枠を越えた

なんですぐ忠義や正当なんて話になるんだろ

800:人間七七四年
09/12/17 07:27:59 WKfhg8Bs
正義とか忠義とか、単純に白黒分けないと物事が理解できない程度の頭なんだろう。

801:人間七七四年
09/12/17 08:17:11 a701n243
上杉が野心で拡大路線を取っていたなど、ありえないから。
当時の上杉の状況を何も知らないんだな。

802:人間七七四年
09/12/17 08:20:53 WKfhg8Bs
ありえないわけないだろ。上杉は謙信の時代から(それ以前からもだが)拡大路線、覇権路線だ。
だいたい秀吉の死によって中央政権の求心力が弱体化した以上、
野心云々以前に安全保障上からも拡大路線を取るのは当然。

803:人間七七四年
09/12/17 08:50:07 I5lakAI0
関ヶ原の時は、黒田官兵衛なんか空き巣狙いの戦やってたな

804:人間七七四年
09/12/17 08:57:34 uMkVuisH
>>803
そりゃあ九州平定して家康と戦う為だもん
ところが関ヶ原は1日で終わり
悔しさのあまり、家康に握手してもらって喜んでる息子に
「お前の左手は一体何をしていてたんだ?」という人ですから

805:人間七七四年
09/12/17 09:03:27 nkaxJv81
>>802
国替えして国衆の統制はほぼ完了している。石高は増加。
あとは防衛体制や新領地の支配を完成させる段階なのにどうして領土拡大?
きみは思いつきやイメージ以外に何を根拠にそう主張しているの?

806:人間七七四年
09/12/17 09:54:23 WKfhg8Bs
>>804
小説とか俗説を信じるなよ。気の毒な人だと思われるぞ?

807:人間七七四年
09/12/17 10:46:38 jj1tUEPe
秀吉が会津移封と新城許可(大坂に続く規模で許可した広島城に続く神指城)
秀吉は西を毛利、東を上杉で鎮守させるための平城を作らせ領内整備をさせた。
このため神指城は佐竹の協力も得ている。
これに危機感を持ったのが三成と対立する家康。
大老自らが遺令を破り、大名との婚姻同盟を築いて対抗し、前田を恫喝したあと、各個撃破を狙い上杉へ因縁をつけた。
前田を恫喝した時点で家康への暗殺と言う私事でのことで権力拡大思考なのは間違いない。
大老として豊臣のためにやったと言う言い訳はできないどころか大乱を起こそうとしていたのは間違いない。

>>798
それ書いたやつにちゃんと具体的にどのような違反を三成がしたか書いてと要求したら逃走したよね。

808:人間七七四年
09/12/17 12:57:05 lWGDpT3N
>>807
時系列めちゃめちゃだな。
結論のために過程を利用しちゃいかんよ。

809:人間七七四年
09/12/17 18:06:29 LW3W28U9
秀吉の遺命と言われる「御掟」五箇条と「御掟追加」の九箇条
「御掟」五箇条
一、諸大名の間で、私に婚姻関係を結ぶことを禁ずる。
二、諸大名の間で、同盟関係を結ぶことを禁ずる。
三、喧嘩や口論を禁ずる。
四、讒言をした者はこれを糾し、成敗すること。
五、乗物などは許された者以外使ってはならない。
はネット上で見つかったのですが
全9ヶ条の「御掟追加」は見つけられませんでした
御掟追加の内容をお教えください。

810:人間七七四年
09/12/17 19:16:27 5dZQOH+T
戦国時代の足軽ではなくいっぱんの武将などが使う槍は
全長どのぐらいだったのでしょうか?
また武将などは長柄で槍以外でも使用されていましたか?

811:人間七七四年
09/12/17 21:12:52 Lwnc9xCi
徒士槍が2.5m~3.5mほど
騎乗槍が2m~2.5mほど
屋内用の槍が2mほど

812:人間七七四年
09/12/17 21:14:03 Lwnc9xCi
追記すると、
赤穂浪士が討ち入りの時に使った槍は、
屋内で取り回しやすいようにと1.5m程に柄を詰めて使ったそうな。

813:人間七七四年
09/12/17 21:18:43 WKfhg8Bs
ついでに言うと、武士の場合足軽と違って、武器は自分の使いやすいものを
自由に使ってよかった。なので槍のほかにも太刀、大太刀、長刀、棍棒、鎖鎌なんて例もある。

814:人間七七四年
09/12/17 21:42:38 5dZQOH+T
ありがとうございます
鎖鎌なんかも使われてたんですね
長柄などで中国でも使われてる方天戟のような物などは使われたのでしょうか?

815:人間七七四年
09/12/17 21:51:08 feBDXi4F
>>809

御掟追加
一、諸公家、諸門跡被嗜家々道、可被専 公儀御奉公事、
一、諸寺社儀、寺法社法如先規相守、専修造、学問勤行不可致油断事、
一、天下領知方儀、以毛見之上、三分二者地頭、三分一者、百姓可取之、兎角田地不荒様可申付事、
一、小身衆者、本妻外、遣者一人ハ可召置、但別の不可持家、雖為大身、手懸者不可過一両人事、
一、随知行分限、諸事進退可相働事、
一、可致直訴儀、於挙目安堵、先十人ヘ可申、十人衆訴人以馳走双方召寄、慥可被聞申分、直訴目安者、各別之儀候間、此六人ヘ可被申、以談合上、御耳ヘ於可入儀者、可被申上事、
一、衣裳、御赦免外、菊桐不可付之、於御服拝領者、其御服所持間者可着之、染替別衣裳、御紋不可付之事、
一、酒ハ可随様器、但大酒御制禁事、
一、覆面仕往来儀、堅御停止事、
 右条々、於違犯之輩者、可被處厳科候也、
    文禄四年八月三日              隆景(花押)
                             輝元(花押)
                             利家(花押)
                             景勝(花押)
                             秀家(花押)
                             家康(花押)

816:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/12/17 21:59:16 zrTG+dE8
隆景?

817:人間七七四年
09/12/17 22:01:46 cSbKqOhD
>>816


818:人間七七四年
09/12/17 22:41:52 BujvmsSk
勘合貿易
どうして足利以外の大名が明に相手にされたのでしょうか?

819:人間七七四年
09/12/17 22:44:24 s4mYG3eB
景勝が五大老になるのは隆景の死んだあとを次いでなので、連名はおかしいという事でしょ。

820:人間七七四年
09/12/17 22:50:47 Lwnc9xCi
>>814
鎌槍、いわゆる十文字槍あたりが該当すると思うが。

821:人間七七四年
09/12/17 22:55:42 feBDXi4F
>>819
文中でも分かる通り、「追加」では六人衆となっている
五大老五奉行の五の数というのは多分に気分的なものだったりする

822:人間七七四年
09/12/17 23:08:10 hBwhS3Gz
上杉征伐は豊臣公認らしいですが
勝手に動くなとか黙認は無理だったんですか?

823:人間七七四年
09/12/17 23:16:12 WKfhg8Bs
>>818
足利は大名ではなく公儀である。
細川、大内は幕府の命を受けての実務担当者に過ぎない。

>>822
質問の意図がよく解らんが、当時の豊臣政権とは徳川家康そのものだ。

824:人間七七四年
09/12/18 00:28:32 ko3nSQnf
堺が半ば自治権すら持つ戦国期の日本屈指の大都市だったのは有名ですが、それ以外に、
自治権みたいなものを許されてた都市は日本にはなかったのでしょうか?
また、堺程で無くとも、大都市と呼びうる都市はどんなものがあったのでしょうか?
京都は、公権が凋落したとはいえまだ大都市でしたよね?(ザビエルか誰かが寂れてるのに
驚いてたような気もしますが)

勿論、その都市のある地域一帯を支配してる大名の権力の強さにも拠るでしょうけど、大名の
力が弱かったから自治していたというよりも、その都市の強大さそのもので自治権を勝ち取って
いたような都市でお願いします。
自治とはいっても、無論、完全な自治というか、大名からの独立を意味してるわけではないです。

825:人間七七四年
09/12/18 00:55:23 xhNMOB53
>>824
まず、自治というのなら、規模の大小に関わらず、全国の惣村から交易都市、港まで、ほぼ自治だった。
その上で、政治的になんらかの勢力に従属したり、力が強ければ同盟関係を結んだりしていた。
それと、堺も実情を知らん宣教師の記録で誤解されているが、ここも都市内は自治でも、政治的には
室町時代をとおして細川家の勢力下にあり、後に三好長慶が台頭すると、三好に服属した。
信長が上洛して矢銭を要求されたときに蹴ったのは、独立を守るためなどではなく、単に政治的には
三好一党に属していたから。だから、三人衆の援軍を得て信長に対抗しようとしただけ。

826:人間七七四年
09/12/18 11:48:36 dEsDbuYc
まあポルトガル人が堺を見てヴェネツィアあたりを連想するのも無理はない。
どっかで「日本の政体は神聖ローマ帝国に類似している」というのを読んだな。
フロイスだっけ?

827:人間七七四年
09/12/18 15:53:31 7pgLiua1
合戦場にも、お金を持って行ってたんですか? そうだとすれば、何に使ってたんですか? 散々負けた時は、お金も放って逃げたんですかね。

828:人間七七四年
09/12/18 16:06:17 EysfihvK
>>822
質問の意味がよくわからないけど、豊臣奉行衆は家康に一度諌止状を送っていて
家康もそれを飲んだ。上杉も上洛する方向で調整していたけど、讒言した堀などの
詮議を要求したところ断られたので上洛拒否した。んで会津征伐。

三成が挙兵すると淀殿や豊臣奉行衆は家康に「早く帰ってきて、そして助けて」と手紙。
家康は福島らを先発させたが、やがて豊臣奉行衆が三成についた(豊臣公儀が三成についた)
ことを知る。逆賊が上杉から徳川に移る。

829:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/12/18 19:44:21 /VJP60tm
>>817
ごめん、「遺命」を秀吉の遺言だと脊椎反射して書いただけ。

830:倭冦
09/12/18 20:13:05 rLIO8US+
既出ならご容赦を

以前時代劇ドラマの中で、徳川家から石川数正が出奔した際、同家ではその人的損失より軍制上の機密流出を危惧し対応に追われるというシーンを見ました

何気にさもあらんと思いはしたものの、具体的な事例が浮かびません

どなたか上述のケースで急務とされる軍制上の変更項目についてご教示下さい。

831:人間七七四年
09/12/18 20:41:25 +KnLqQFE
>>830
軍隊なんだから例えば最初からある程度、どういう状況になったら誰が出てどういう行動をする、
こう言った部隊が出ているときはこう言う作戦が行われる、なんて決め事はなんぼでもあるわけで、
そう言うのが筒抜けになれば、相手に自分達が今どういう状況認識でいるか、と言うのが
まる解りになるわけだ。

つまり、決め事の類を全部、一から作り直さないといけない。

832:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/12/18 20:43:43 /VJP60tm
んでもって軍法を武田流に変えるというストーリーが付いて回ります。

833:人間七七四年
09/12/18 20:45:35 pyxlKd12
>>830
そこら辺の事情は「駿河土産」に記述がありますが、キッカケはその通りですが実際の変更の真意は
これまでその場その場で行ってきた家康の軍制が、駿・甲・信の領国の急速な膨張で対応できなくなり、
新たに統一した軍制を制定した際に、整備された軍制であることと先の三国に加え、その他の家康領国
の一部も武田領にあったので、導入しやすい武田軍制を採用したというのが真相のようです

834:倭冦
09/12/18 21:29:08 rLIO8US+
>>831

確かに、考え始めたら諸々の取り決めが危険要素になりますね

>>832-833

領土の拡充期にあった事を忘れていました。一家臣の出奔が無くても、いずれ軍制の改定の必要性があった訳ですね。
私はプロ野球選手(特にキャッチャー)の移籍時にチラッと話題になるサインパターンの変更と似た視点ばかり連想してましたが、そればかりでは当然ないですよね。

ありがとうございました。

835:人間七七四年
09/12/18 21:31:38 DpGU7KSH
室町末期の大大名って広域の版図を築いていたと思います。
最大でどのあたりまで支配していたのでしょうか?

以下勝手な予想

細川
山城・摂津・河内・和泉・大和・丹波・讃岐・阿波・土佐・淡路

大内
安芸・備後・長門・周防・石見・筑前・筑後・豊前・肥前

尼子
出雲・石見・隠岐・備前・備中・安芸・備後・美作・因幡・伯耆

836:人間七七四年
09/12/18 21:50:15 u8SKS3Wa
戦国時代最盛期とされる十六世紀中期に、武田信虎のように、
本貫地を離れて室町将軍に近仕した在京大名は何人かいたのでしょうか?

837:人間七七四年
09/12/18 22:58:16 wHjrI9+U
>>820
遅れましたがありがとうございます


838:人間七七四年
09/12/19 03:10:27 z81le9Om
>>827
鎧の草摺に貴重品入れ(通称金玉隠し)を拵えていたり、
兜の裏打ちに金を仕込んでいた武士もいたそうです(で丸儲けした考証家がいたとか)。

人間、いざという時にたよりになるのはやはり、金です。

839:人間七七四年
09/12/19 08:47:36 Y/2wUkQG
軍隊が行動する時にある程度の金銭を準備するのは常識。物資の欠乏が生じた場合に
全部略奪していたらさすがにヤバいので、金を払って買い取る。

840:人間七七四年
09/12/19 11:27:31 zaQRWFnl
>>827 >>838
それにな、戦場のそばには売春婦達の掘っ立て小屋(木の枠に蓆)ができるから
そこで使うんだよ。

841:人間七七四年
09/12/19 13:39:33 z81le9Om
>>840
使っていたら現代の考証家が発見できないじゃないかw

842:人間七七四年
09/12/19 14:30:52 zaQRWFnl
>>841
戦の直前に女は厳禁だ(軍法)
戦った後のお楽しみがあるから、張り切って戦えるんだよ。
>>現代の考証家が発見
いい思いをする前にやられちゃったんだよ。残念ながら

843:人間七七四年
09/12/19 17:35:37 z81le9Om
だがちょっとまって欲しい。
一つは、やられたら釘一本残さず戦場を漁る村人にやられて具足として後世には残らない。
二つは、勝利者なら乱取りヒャッハーでわざわざ秘蔵の金を出すことも無く、
奪って得た金で春を買うか、あるいは略奪ついでにゴーカーンでおk。

844:人間七七四年
09/12/19 17:46:14 mFUOeiIc
兵士全員がそんな事出来るほど略奪だらけの戦国時代でもあるまいに。

845:人間七七四年
09/12/19 18:36:57 eJeIdvj5
島津や伊達は略奪強盗横領撫で斬りばっか

846:人間七七四年
09/12/19 19:44:38 Y/2wUkQG
質問!戦国時代は足軽がモヒカンでヒャッハーだらけだったんですか?


847:仙台藩百姓
09/12/19 21:39:14 i9jkInIn
極端な例では上杉みたいに初めから兵糧揃えずに出陣する大名もいたしね( ^ω^)

848:人間七七四年
09/12/19 21:45:36 q1nN+eV0
上杉は兵站が特に貧弱だったから仕方が無い。

849:人間七七四年
09/12/20 00:52:43 6ZGU9JsX
>>778
とすると夏の陣では勝つ見込みなくても、反家康武将たちの
意地で闘ったようなもんですか?
淀殿周辺も最初に自分たちの方から浪人衆を招いた経緯があるし、
夏の陣ではどうしようも無かったってことかな。


850:人間七七四年
09/12/20 02:37:47 oWcdLz+U
上杉は沼田や厩橋から利根川を利用しての船舶輸送してたろ。
当時の利根川沿岸部は交通通商で栄えて、あちこちに船着き場がありましたよ。
関宿に至ってはその通行税から一国に値すると言われてましたし。
謙信と違い佐竹はその重要性をまったく理解できなかったようですが。

851:人間七七四年
09/12/20 03:04:17 2+xYXIBP
加賀の国は信長の平定まで一揆が支配してた国だそうですけど、その統治機構は
どうなってたんでしょう?
土豪や名主クラスの合議的な貴族民主制だったんですか?

852:人間七七四年
09/12/20 03:32:42 FtVc8Wph
「備中備前に至るまでなびかぬ武士はなかりけり」とありますが
大内氏の備前での影響力はどの程度だったのでしょうか。

853:人間七七四年
09/12/20 03:37:25 EX3RZcIh
>>851
一向一揆の支配と言うが実際には守護家富樫氏の人間が名目上の守護についていて、
支配体制も守護のシステムをそのまま使っていた。
基本その運営は合議だが、その合議のレベルは戦国大名が配下と合議で
国を運営するのと変わらない。

基本的には加賀は、一揆の支配と言うよりも、世俗領主たる本願寺が
守護職を任された地域、と考えた方がいいかと。

854:人間七七四年
09/12/20 09:43:13 N96zKgK1
>>852
相良氏は大内の部下でーすって明に勝手に名乗って
明と私貿易やってた

855:人間七七四年
09/12/20 18:29:39 aJ3PZvfx
写本って良く聞きますけど、原本を見て書き写すだけなんでしょうか??

写本とわかるようになってるんでしょうか??

856:人間七七四年
09/12/20 21:07:33 B8tyK6x7
何年何月何日何某が写すとたいてい書いてある。

857:人間七七四年
09/12/20 22:03:33 aJ3PZvfx
>>856
そうなんですか!
疑問が解けました!
ありがとうございます。

858:人間七七四年
09/12/20 22:31:31 DkBBDlcI
しかし写本を騙った原本もあるから侮れない。
成立時期を偽るのによく使われた手。

859:人間七七四年
09/12/20 23:33:00 2+xYXIBP
>>853
どうもです。
一揆支配とはいっても、実態は他の国とそう変わったものでもなかったんですね。

860:人間七七四年
09/12/23 02:22:03 zYl9kJWU
>>854
大内が遣明船の手配を相良に命じた節もあるようですね

861:人間七七四年
09/12/23 05:58:55 kqMu4Fqp
相良氏は明だけでなく朝鮮や琉球とも交易をしているからな
市木丸大活躍

862:人間七七四年
09/12/24 02:06:15 l2LCeDE5
戦国時代の教育機関について質問です。

足利学校ってすごく有名ですが、卒業生で有名な人ってあまり聞いたことがありません。
名前が残ってる人だとどんな人がいるんでしょうか? また、どんな活躍をしたんでしょうか?
あと、イエズス会の人間(ザビエル? フロイス?)が日本にある大学の中で一番大きいもの
が足利学校だと書いてたそうですが、つまり彼らから見ると大学に見える機関が他にもあった
という事ですよね? この他の大学とは、何のことを指してたのですか?

あと、大学寮はやっぱり戦国時代には完全に形骸化してしまってたんでしょうか?
それとも、多少は機能が残ってて、朝廷の下級官吏を養成したりはしてたんですか?

863:人間七七四年
09/12/24 02:22:38 C/k2ORiu
>>862
足利学校出で有名というと曲直瀬道三だな。
あと武田信玄が「足利学校も出ていないようなやつを軍師として雇えるか」って言った
逸話があるので、少なくとも武田家では、いわゆる軍師(戦の作法を指導し吉凶などを占う)は
皆足利学校出だったと思われる。

864:人間七七四年
09/12/24 02:34:58 l2LCeDE5
>>863
曲直瀬道三は初めて知りました。自分の勉強不足を痛感します…。
この場合の軍師というのは、いわゆる後世でイメージされるような参謀的な人たちじゃなくて、
軍付式部官みたいな人たちですよね?
兵士の士気を考えると当時の易経はものすごく重要だとは思うんですが、現代の士官学校
とか官僚学校で教えるような軍学や法学を足利学校で教えてたわけじゃないんですね。
どちらかと言うと技術系の学校みたいな感じだったんですかね。

何にせよ、戦国時代でも実用的な学問を教える教育機関はあって、そこの卒業生はちゃんと
重んじられていたわけですね。
武家の教育というとどうしてもOJTばかりのようなイメージがあったので。

865:人間七七四年
09/12/24 02:37:36 elobyPQ8
曲直瀬は遊学だから卒業にあたるのかどうかは知らないけど、その師である田代三喜が有名

866:人間七七四年
09/12/24 02:39:08 elobyPQ8
>>864
儒学・易学・兵学が講義内容だよ

867:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
09/12/24 03:25:39 /HiaM+zv
卒業生だと、7代玉崗瑞?の弟子で9代庠主の閑室元佶

保護を受けていた北条氏が滅亡し、豊臣秀次の援助を受けたが、
秀次事件の際に流された・・・などと、徳川実記にあったり、
以後は家康に仕えて、関ヶ原への出陣の日取りを占い、「学」という字の
指物を持って従軍したという事が下毛埜州学校由来記に書かれているみたいです。

ただ家康専属だったという訳でもないようで、関ヶ原後毛利輝元に頼まれ新しい城地の
候補地を選んだ時の事が毛利家文書に残ってる。

「戦国武将を育てた禅僧たち」に詳細が書かれてます。

868:人間七七四年
09/12/24 11:39:48 z26RTbUi
一般には「寺」
武将の子は5・6歳になると寺に通学した。
教師は僧や都落ちした公家(大名専属となることが多いが)
講義内容に医学(「救急救命士」の基礎・薬草の知識)もあった。


869:人間七七四年
09/12/25 00:58:46 yV6EENhY
足利学校では自分たちで食べる野菜や薬草を栽培していたそうだね

870:人間七七四年
09/12/26 11:59:10 YVYn2mlP
録画した大河ドラマの「天地人」を見てるのですが、
「兼続が私財を投じて作った学問所」のシーンで
コンクリートの階段が出てきます。

この時代にコンクリートってあったのでしょうか?

871:人間七七四年
09/12/26 12:21:18 /E/oXgMq
コンクリの種類によるが、セメントは紀元前七千年前の中東が起源とされ、
中国でも紀元前三千年前には使用されていた。ローマではよく多用されている。

日本ではよく判らん。19世紀中ごろにフランスで鉄筋コンクリートが発明されて、
末には日本でも鉄筋コンクリ使った建造物が立てられた。
幕末の頃にはセメントを国内製造開始したという記録もどこかで見たような。

872:人間七七四年
09/12/26 12:50:22 YVYn2mlP
>>871
ありがとうございました。
やっぱり江戸初期の日本にはなかったと考えていいですかね。

873:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/12/26 12:58:24 h0hgLeVL
漆喰なら室町時代には建築物に使われているし、古墳からも出土しているけどコンクリとは違うかね。

874:人間七七四年
09/12/26 19:20:06 9raAFg6L
階段にしっくいは塗らないのではなかろうか

875:人間七七四年
09/12/27 21:59:05 VQq+C7Ub
戦国時代にもやっぱり暗号ってあったの?
アルファベットの暗号だと、カエサル暗号とか有名だけど、日本だとどんなのがあったんだろ。
忍者文字(平仮名を偏と旁で表す奴)は見たことがあるけど。

876:人間七七四年
09/12/28 00:07:20 /m5zSggu
日本の場合は漢字仮名混じり文な上統一的な表記が出来ていないから、
現代人にわかりやすい「暗号」なるものは無かったんじゃないかな?
漢字の旧字・新字が明確に区別されるようになったのは戦後のことだし、
平仮名・片仮名が統一されるのは明治以降の話で、
戦国時代の文章は新字・旧字・別字・国字・片仮名・平仮名・変体仮名という、
7種類の文字が同時に混在する非常に難しい文体だった。
また、本来漢字で表されるべき個所を平仮名にしたり(「丹花」を「たんくわ」と表記)、
本来仮名であるべき個所を感じにしたりと(「あるまじく」を「有間敷」と表記)、
表記方法も作者によって統一性がなくバラバラで、暗号の素材としては非常に頼りない。

代わりに素養としての和歌や漢詩が暗号の変わりに用いられたような。
和歌の場合は本歌取り、掛詞などが暗号となりうる(現代ミステリーみたいに)。
あるいは文字そのものに頼らず、何かの道具を用いたりしたと思われる。
お市が浅井の裏切りを信長に教えたとされる小豆袋の話なんかはこれに当たる。

877:人間七七四年
09/12/28 02:09:03 XvFNtzYV
当然ながら符丁、隠語と言うべき、書状をやり取りする双方のみで理解出来る言葉で
書かれた文書は普通に存在した。

あと、戦国期の文書はその多くが内容を漠然としか書かず、『詳しくは使者に聞いてください』と
なっているものがほとんど。
変に暗号化するより、人間に口頭で説明させるのが一番安全だったと言うことだろう。

その為書状の使者というのは、どこの戦国大名でも非常に重要視された仕事だった。
書状を無事送り届ければ合戦での戦功と同等に扱われたし、その最中何らかの事故で
死亡すれば、それも合戦での討死と同一とみなされ、主人にはその使者の子や親類を
取り立て家を存続させることが、半ば義務となっていた。

878:人間七七四年
09/12/28 02:14:46 10qHx4GS
いや、暗号って使者とかに持たせるようなものなのかね?

例えば人質として他家に預けられてる大名の息子が、主家に今いる家の状況を知らせる際に、
普通の手紙に見せかけて使用したりするんじゃないの?
そういう事(駐在武官みたいな行為)があったのかどうかはしらないけど。

879:人間七七四年
09/12/28 04:03:00 J1q1OUsj
手紙だって結局使者が持っていくわけで
だったら口頭の方でよろしいでしょ

880:人間七七四年
09/12/28 08:55:21 /m5zSggu
>>879
>>878の例もあるように、使者は必ずしも味方じゃないだろ

881:人間七七四年
09/12/28 11:26:35 u+/xc6th
暗号といえば、信玄が家康に送った手紙。
(今川領をお互いで切り取ろうという誘い)

「啐啄」とだけ書いてあって、家康は禅僧に意味を聞くまでなんのことか分からなかった。
卵の中の雛が中から卵を突き割ろうとする。
親鳥が外から卵を割り雛を外へ出そうとする。
それを同時に行うという意味。

882:人間七七四年
09/12/28 12:19:46 QHjK3z9F
年を書かない書状なんかも、露見されたくない相手に渡ったとしても、いくらでも言い訳できるからとも言うな。
おかげで年代特定が大変なわけだが。
チュコチョコとサインや名乗りを変えるやつは分かりやすいが。

883:人間七七四年
09/12/28 19:28:03 2RbJEqsJ
大内義興や大内義隆には異名があったのでしょうか?
大内家は当時西国で最も危険な大名で周囲には恐れられていたことでしょう。
部下の陶隆房は「西国無双の侍大将」と恐れられているのに当主が異名すらないのは妙です。

884:人間七七四年
09/12/28 20:48:46 C3I2g2yf
>>883
大内義隆は「末世の道者」
義隆の死後すぐに書かれた大内義隆記という軍記にそういう記述がある
義興は分からない

つか西国無双の侍大将ってそれほどいい二つ名ではないと個人的には思う
隆房の将としての器が侍大将止まりと言ってようなものだから

885:人間七七四年
09/12/28 21:05:00 2RbJEqsJ
>>884
ありがとうございます
道楽で滅ぶまでは近隣だけでなく諸国の脅威の対象だったのに
なんとも哀れですな

886:人間七七四年
09/12/29 01:03:14 v6yVThC6
JRトラベルナビゲータの、ケータイ国盗り川柳のポスターの肖像画は誰でしょうか?
夏バージョンは伊達政宗でしたけど

887:人間七七四年
09/12/29 01:10:10 vSjj8t1P
聞きたければそのポスターの画像のURLをちゃんと貼ってから言えよ。
最低限のマナーだろ。


888:人間七七四年
09/12/29 07:15:49 XfYHd6gB
>>884
>隆房の将としての器が侍大将止まりと言ってようなものだから
どういう意味?
義隆の家臣である以上、最高の褒め言葉だと思うけど

889:人間七七四年
09/12/29 07:31:39 /vXoFOzU
>>888
のちに謀叛を起こして形だけの当主を立てて、実権を握っていた晴賢が
実質的な総大将として出陣した厳島の戦いで敗死する事を考えるとすごい皮肉が効いてる

この西国無双の総大将って誰が言い出したのかは知らんが

890:人間七七四年
09/12/29 09:58:51 1N56/n7/
陶の場合の侍大将は総大将の次席って意味じゃね?
どっかのゲームのような大名>宿老>家老>部将>侍大将>足軽頭って意味だと
酷い侮辱だがw

891:人間七七四年
09/12/30 09:34:22 DMjsVZL7
>>889
確かに皮肉ですね
総大将になったとたんに敗死とは

892:人間七七四年
09/12/30 09:41:02 6KgjKYwY
武田信玄だったかな?「名門家臣の子弟で使えない連中は侍大将にでもさせておけ。
実際の指揮は(実力のある)足軽大将にやらせるから。」って言ったのは。

893:人間七七四年
09/12/30 12:25:21 4jl7qa8j
「侍大将」の定義をはっきりさせないと水掛け論というか結論はでないでしょ。
単語が同じでも意味が違うなんていくらもあるのだし。

894:人間七七四年
09/12/30 15:25:00 4VR+ivc/
現代の軍隊の階級見たくかっちりしたものだったわけでもないだろうし。

英語の階級は日本語に直せば「頭」とか「親分」とか言ってるようなもんだけど。

895:人間七七四年
09/12/30 16:18:23 p3UQsu5Y
国によって意味がちがうだろうね

896:人間七七四年
10/01/01 08:45:54 iqLwo/io
戦国時代にも新年会とかあったのかな?

897:人間七七四年
10/01/01 08:57:48 dMCCpBL3
正月朔日は家臣が主君の居城で新年のお祝いをし、そのまま宴会ってのが普通。
挨拶の順番が通常、その家に置ける家内序列とされる。

家格や譜代、外様の違いにより、日を分けて正月の儀を行う場合もある。

898:人間七七四年
10/01/01 10:25:51 piAI3Iqf
御年玉や盃の儀式もあったね

899:人間七七四年
10/01/01 10:26:26 iqLwo/io
ありがとうございます。当時の宴会というと本膳とか式三献とか面倒臭い奴でしょうか?

900:人間七七四年
10/01/01 13:23:21 piAI3Iqf
献杯行事は上座の主君と盃を酌み交わす。
序列による順番や作法の違いが厳しい。
これが終わったら気楽な宴会だろうね。
御家によっては違うでしょうけど。

901:人間七七四年
10/01/01 17:52:43 iqLwo/io
日本人の宴会は非常にしつこく酒を勧め合うので泥酔者が多く出る(ルイス・フロイス)

フロイスの見た日本の宴会って武将クラスだったんでしょうか。

902:人間七七四年
10/01/01 18:53:32 dMCCpBL3
せいぜい地侍クラスかと。


903:人間七七四年
10/01/01 19:34:33 S3OBwF3u
貴族や大名重臣たちの宴会に招待される身分かってえとなあ。

大名レベルから歓待を受けたことはあっても、それは宣教師をもてなすためのものであって、普段やっているような宴会とはまた違っただろうし。
その場合は、宴会というよりは客をもてなす晩餐会?

904:人間七七四年
10/01/01 19:41:52 8UPMdpy0
でもフロイスは信長が運んだお膳で饗応されてるから、信長の宴会も見てるんじゃないの?

905:人間七七四年
10/01/01 19:42:39 iqLwo/io
むしろキリシタン信者の宴会でしょうか?

906:人間七七四年
10/01/02 09:28:08 FWLa2dJm
武田みたいな守護大名家と織田みたいな成り上がり大名家では宴会も違ったんだろうか

907:人間七七四年
10/01/02 10:23:14 VenamTkc
細かい点で言えば各家それぞれの特色があるが、基本は変わらないよ。

あと信長の弾正忠家もそうだが、伝統のない家ほど定型的。

908:人間七七四年
10/01/02 21:32:16 nMW6NrSi
昨夜やっていた『相棒』というドラマの中で
明の皇帝が日本国王宛に送った茶器という架空の話が出てきたんですが
ドラマ中の仮説によると
それが明による日本国王(天下人)のお墨付きの証になると言われていたのですが
そういうものが実在したとして、そういった価値はあるものなんでしょうか?
秀吉は朝鮮出兵時に明から日本国王に封じるという話を怒ったとか
蹴ったとも言われていますが
当時、日本で明という国は権威ある存在だったんでしょうか?

909:人間七七四年
10/01/02 22:07:52 VenamTkc
>>908
「茶器」に価値を認めていたのは日本独自の価値観なので、明の皇帝がわざわざ
茶器なんぞを送ることはない。

あと、明はたしかに地域最大の大国としてある種の権威を持っていたが、日本側は
足利義満の時代ですら、せいぜい貿易パートナー程度の認識しか持っていない。
しかも大内が滅んだ後は正式な国交は断絶した。

そのドラマの仮説は、実際の歴史に照らして言えば「荒唐無稽」の一言で済ませられる。

910:人間七七四年
10/01/02 22:08:51 4YCedGzv
権威以上に実利のある相手じゃないかなーと。
通商での利益もそうだが、当時の日本に流通してる通貨は大陸製だからな。
国内で銭を流通させるには銭は多くて困るってことはない、
というか大陸との通商が減り銭の供給がなくなってしまい、
銭の劣化が進行して撰銭が横行、貨幣経済が破綻したくらいだしね。

日本国王を望むってことは、冊封体制内に組み込まれると言う意思表示で、安定した通商の裏付けになる。
もちろんそれだけではないだろうけど、安定経済(自分の懐を肥やすのも込みで)ってのが足利義満が日本国王に封じられるを望んだ一因かと。

逆に秀吉はそんなの望んでないから、日本国王なんていらん訳で。

911:人間七七四年
10/01/02 22:55:04 5ya7yVlZ
大内義長が明と交易しようとしたところ
簒奪者として相手にされなかったんだよな

912:人間七七四年
10/01/02 23:35:11 60OUp+8A
んなこといったら、当時の明との朝貢貿易はすべて建前上は明皇帝から日本国王への下賜品だ

>>908
権威ってのが度の程度のことを指すのかによるが、よく説的な実利以上の権威はないよ。
現代日本人はローマ法王の権威を知っていても、だからって信徒でもなければ恐れ敬って畏まったりしない。

913:人間七七四年
10/01/03 00:01:03 lrnHU44B
四代将軍足利義持が、義満の政策ひっくり返して明との国交を断絶させると
明の永楽帝が
「てめえふざけるな俺を皇帝として崇めないなら貿易停止するぞクズ」
って言ってきて、これに義持が
「こっちはおまえなんかに頭下げる言われはないんだよ糞が」
みたいな対応して両国関係がそれはそれはギスギスした。

まあこの辺を見ればわかるように、貿易のことさえ考えなければ
日本は特に大陸王朝を尊重するような気持はさらさら無かった。

914:人間七七四年
10/01/03 00:03:17 CZ0dkYiZ
てか大陸側がそういうふうに交易の管理に厳しかったから、倭寇の大量発生なんてのが
起こったんじゃないの?

915:人間七七四年
10/01/03 05:42:46 c+Dfo/M2
倭寇って具体的には何者なんでしょうか?何とか水軍がやってたんでしょうか。

916:人間七七四年
10/01/03 09:23:17 lrnHU44B
>>915
「倭寇」は現在では、明の海禁政策を契機に、元朝の積極貿易政策でふくれあがっていた
日本、中国、朝鮮、さらに東南アジアにまで及ぶ、東シナ海で活動していた多種多様な民族の
貿易の民が、明の官吏に対抗するため九州をその拠点とし日本語を共通語として集合した
ハイブリットな海洋民集団だとされている。

917:人間七七四年
10/01/03 10:48:04 Pby5DWwA
嘉吉の乱の首謀者で、後に倭寇になって瀬戸内海を荒らしまわった赤松則繁が
有名かな。

918:人間七七四年
10/01/03 13:45:28 BNoorI4V
騎馬武者ってそれほどアドバンテージはあるんでしょうか?
足軽が槍ふすまをつくって、スピードを落として、そこを矢なり鉄砲なりで
狙えば楽勝かと思うんですけど。
つまり足軽槍隊+飛び道具のユニットが最強かなと。

919:人間七七四年
10/01/03 13:56:17 lrnHU44B
そんな卓上の作戦が通用するならモンゴルは世界征服しておらん。
騎馬兵の機動性と突破力をなめるな。

920:人間七七四年
10/01/03 14:05:03 BNoorI4V
モンゴルは本物の騎馬隊でしょ。騎乗から矢を射るという戦士ばかりで
編成されている部隊でしょ。
日本の場合は上級の武者に足軽がサポートするって感じだと思うので、
なら>>918の戦法で上級の武者をまず討ち取れば、そのユニットは
崩壊すると思うんだけど。

921:人間七七四年
10/01/03 14:09:39 zSZ9SBII
>>920
日本の武士もユニットとしてはもとは騎馬弓兵だってご存知?

922:人間七七四年
10/01/03 14:16:26 lrnHU44B
だいたいヨーロッパでも18世紀まで騎兵突撃が有効だったというのに。

923:人間七七四年
10/01/03 14:19:13 BNoorI4V
>>921
源平の頃はそうでしたよね。
戦国の頃は足軽の槍隊を大量に動員出来るので事情は変わってくるのではないかと。
モンゴルのように、全ての兵士が騎乗弓射出来るのなら、槍隊に接近して、
弓を射て、Uターンするという攻撃を波状的に仕掛けることが出来るけど
日本では騎乗弓射出来る人間の割合が少ないし、平原も大陸と違って少ないので
その戦法が使えないですよね。


924:人間七七四年
10/01/03 14:33:53 lrnHU44B
>>923
槍衾で待っているのなら回りこんで側面から攻撃すれば良いだけだってわからないかね?
そういうものが「騎兵の機動力」なんだが。

925:人間七七四年
10/01/03 14:40:12 RIwNMqhe
>>924
そう言うのは敵も百も承知だと言うのがわからないかね?
騎兵対策も込みで備え単位で陣を組むんだよ。

将棋と一緒でさ飛車角が敵陣を蹂躙できれば勝ちだけど、
相手もそれをさせまいとするだけ。

926:人間七七四年
10/01/03 15:06:41 BNoorI4V
>>925
ああ、分りました。ファランクスの弱点と同じですね

927:人間七七四年
10/01/03 15:44:23 m1gGq5ly
槍襖最強とか言ってるやつは、こっちに向かってくる珍走団の集団に、
仲間集めて竹槍か、モノホンの槍を持って待ち構えて見ろよ。

928:人間七七四年
10/01/03 15:54:01 BNoorI4V
馬はバイクと違って感情あるし

929:人間七七四年
10/01/03 15:57:32 CZ0dkYiZ
戦国時代の軍勢の戦法や戦術、編成何かを調べようとする人で、戦国時代自体にはそこそこ
詳しくても、軍事の基本は全然知らない人が多いのはどうしてなんだろう…。

930:人間七七四年
10/01/03 16:02:41 ABCRMV4p
興味が無い、これに尽きるんじゃないの

931:人間七七四年
10/01/03 16:53:23 BNoorI4V
え、ここって俺みたいな素人が素朴な質問をしてもいいスレでしょ?

932:人間七七四年
10/01/03 17:17:10 CZ0dkYiZ
>>931
ん、何か勘違いさせてたら悪いが、本来なら答えるべき人間に軍事の知識が無い人間
が多い、って意味。

933:人間七七四年
10/01/03 17:33:07 BNoorI4V
>>932
了解しました。

934:人間七七四年
10/01/03 20:24:43 +aA0kqGE
欧州の騎士は
上級のナイトにスクワイアがサポートするって感じだよ

現代戦では
上級の戦車に随伴歩兵がサポートするって感じだよ

935:人間七七四年
10/01/04 01:44:23 jrYwrYlI
京都御馬揃えの順番をおしえてください

936:人間七七四年
10/01/04 01:47:59 KNevrqkC
一番入場 丹羽長秀・高山重友・中川清秀・中川秀成・池田之助・池田照政・塩川長満・塩川国良?・武田元明・内藤重政・熊谷直之・粟屋勝久・逸見昌経・山縣元盛?・革島一宣

二番入場 蜂屋頼隆・多羅尾綱知・池田教正・野間長前・三好康長・寺田正家・松浦宗清・沼間清成・沼間興清・根来衆

三番入場 明智光秀・筒井順慶・上山城衆

四番入場 村井貞勝・根来衆・上山城衆

御連枝衆 織田信忠・美濃衆・尾張衆

御連枝衆 織田信雄・伊勢衆・織田信包・織田信孝・織田信澄・織田長益・織田長利・大橋信弐・中根信照・織田信氏・木下嘉俊?・織田信則?

公家衆 近衛前嗣・正親町実彦・烏丸光宣・裏松輝資・高倉永孝

公家衆 細川昭元・細川藤賢・伊勢貞為・一色義定?・小笠原貞慶?

御馬廻御小姓衆

越前衆 柴田勝家・柴田勝豊・柴田勝政・不破光治・前田利家・金森長近・原長頼・神保長住・佐々成政

御弓衆

信長本隊 織田信長・武井助直・楠木正虎・長雲軒妙相・松井友閑

937:人間七七四年
10/01/04 02:18:59 oipJTKXO
>公家衆 細川昭元・細川藤賢・伊勢貞為・一色義定?・小笠原貞慶
これは公家衆ってより、旧室町幕府関係者ってカテゴリーでは

938:人間七七四年
10/01/04 02:21:21 KNevrqkC
某サイトのコピペだしねぇ

939:人間七七四年
10/01/05 01:16:22 dsGKIi35
2ちゃんの可愛い奥様たちは政治にとっても詳しいんですよ。経済、韓国、マスゴミ、近代史にも!
他板の皆様も覗いて下さいませ。
【民主党の政策に不安を感じる奥様の雑談室】105
スレリンク(ms板)


         ∧_∧        大韓民国万歳!
         <`∀´>  ≡≡≡ 朝鮮民主主義人民共和国万歳!
        O┬Oc )~ ≡≡≡  <ネトウヨ!ネトウヨ!
         (*)ι_/(*) ≡≡≡

ウンコリアンが沸いてると聞きまして。
   ∧∧
 彡(*゚ー゚)                       ΛΛ キムチくさっ!
                             (>.0<*)
      ∧_∧     ∧_∧
 …… <#u`∀´>     (´∀` ) 今日もバ韓国工作員通常運転モナw

.

940:人間七七四年
10/01/06 14:43:00 ymx4mbs/
通称について教えてください
代々当主が名乗るもの、土地に因んだものの他に
どんな理由で付けられるものがありますか?
あだ名とは別ですか?


941:人間七七四年
10/01/07 00:44:32 wGodgJFs
>>940
例を出せ例をw
君のいう「通称」や「あだ名」がそもそも何を指しているかすら不明だw
受領なのか官途なのか仮名(けみょう)なのか諱なのか?

一般的には、あだ名は鬼義重(佐竹義重)、独眼龍(伊達政宗)などを指す。
代々当主が名乗るものというと、武田太郎、細川六郎などの仮名(けみょう)、
土地に因んだものというと上泉伊勢守などの受領または官途になる。
通称というとそれらをひっくるめるから漠然すぎて回答できんぞ。

942:人間七七四年
10/01/07 09:30:26 cumJVHAK
>>884
大内義隆の「末世の道者」って
道楽・衆道に溺れて家を滅ぼしたって意味?

943:人間七七四年
10/01/07 09:41:56 hxpW6pz8
>>942
戦国時代なのに文治主義を推し進めようとしたからだろう。

944:人間七七四年
10/01/07 12:43:35 cumJVHAK
サンクス
末とか道とかを見て悪い意味かと思ってた

945:人間七七四年
10/01/07 16:22:44 Xo97Mxoh
>>941
レスありがとうございます
通称にどんな種類があるのか…という初歩的な事もわからなかったので
うまく質問できませんでした
受領、仮名などいろいろあるんですね

竹中半兵衛の半兵衛はどれにあたるのでしょうか?
それから濃姫は受領でしょうか?

946:人間七七四年
10/01/07 16:25:54 Xo97Mxoh
すみません、半兵衛は仮名ですね
女性の通称について教えていただけると嬉しいです

947:人間七七四年
10/01/07 19:01:08 jsMtEMeo
>>946
知らん

948:人間七七四年
10/01/08 19:39:14 j/uaMvxN
濃姫は、美濃からきた姫だから、濃姫。
で、女性に関する通称について教えてってどういう意味?
質問の意図がよくわからないから、答えようがないぞ。

949:人間七七四年
10/01/08 22:37:35 3pBylF2Q
こういうことか?

実名がねね(自署では「ね」)、関白の正室という意味(地位や住んでいる場所からつく呼び名)の「北政所」、
朝廷から賜った諱「吉子」、夫を亡くした後に出家して名乗った院号「高台院」ってこと?

950:人間七七四年
10/01/09 04:57:07 d3wUBU8h
例えば実名が『玉』洗礼名が『ガラシャ』だけど、女性の場合こういうふうに
実名が判明しているのは例外で、普通『明智光秀女』『細川忠興室』としか
呼ばれない、とか。

951:人間七七四年
10/01/09 05:57:44 28QCL8ij
戦国期は日本の歴史上最も女性の地位が下がった時代で、
母だろうが嫁であろうが娘であろうが、とにかく記録に名前が残っておらんのだそうな。

952:人間七七四年
10/01/09 06:05:34 XbSxka8u
下がったというか、前面に出る必要がなくなったというかね

953:人間七七四年
10/01/09 10:42:19 d3wUBU8h
なら『淀殿』とか『築山殿』って何だろう。

954:人間七七四年
10/01/09 11:05:33 SJdFf71q
どういう意味で下がったなんだろう?そうとも思えんが

955:人間七七四年
10/01/09 11:46:52 UV8z54r9
『淀殿』は淀城に住んでたからそう呼ばれたらしい
『築山殿』は家康正室が人質交換後に住んでいた家のあった地名か、住んでた城の曲輪の名称

956:人間七七四年
10/01/09 11:48:54 d3wUBU8h
>>955
そうじゃなくて、通称?

957:人間七七四年
10/01/09 16:49:43 RwXbNCO2
>>951
地位の低下というのなら明治期だと思うが、どういう根拠で戦国時代が最も下がったといっているんだ?

記録に女性の本名がないってのなら、それこそ明治では女性名がいくらでも記録に残ったが。

958:人間七七四年
10/01/09 17:58:04 Vc9kJYOx
戦国期の女性の地位の低下って資料見れば、名前も出なけりゃ個性も記録されずって
所から類推できるじゃん。殆モノみたいな扱い。多少の例外はあっても間違いなく戦国期は
男性原理の時代だよ。

まさか戦国期に、室町期ほど女性の地位が保たれていたとでも?

959:人間七七四年
10/01/09 18:04:45 8nBLEzWZ
女性の名前が残ってないのは平安期も同じなんだが…

960:人間七七四年
10/01/09 18:16:31 xn5/GvmK
>>951はキチガイなんだから相手にせず放置しておけ


961:人間七七四年
10/01/09 18:59:31 Wjxva0mu
名前がないんじゃなくて、名前(諱)で呼ばないだけじゃないの?
これに関しては男も女も同じ。


962:人間七七四年
10/01/09 19:41:51 wyXNj1sC
歴史上の人物を名字と諱で読む事が多いけど当時でもそんな呼び方してたの?

963:人間七七四年
10/01/09 19:46:02 kN754x4a
男だって受領名とか地名とかで呼ばれるのが多いんじゃないのか?
朝廷からの公文書だと別なのかもしれんが、女だとそういう機会も無いだろうし。

964:人間七七四年
10/01/09 20:00:03 kN754x4a
>>962
「西村博之」という、とある会社の代表取締役の社長さんがいたとして、
その人に対して、部下や取引先の人たちなんかは、本人に対して、
「博之くん」とか「西村博之さん」なんて呼ばないだろ?
普通は「西村社長」とか、「西村代表取締役」と呼ばれる。

今も昔も同じなのよ。

965:人間七七四年
10/01/09 20:19:10 uBkYlUJx
そもそも諱は「忌み名」で、他人がそれで呼称するのはタブーじゃなかったっけ?

966:人間七七四年
10/01/09 20:29:02 4iCNJFqk
石田三成の著作で、小和田教授も武功夜話の信憑性を認めたから信頼できるって書いてありましたけど、本当でしょうか?

967:人間七七四年
10/01/09 20:36:29 xn5/GvmK
>>966
小和田はキチガイだからスルーしなはれ

968:人間七七四年
10/01/09 20:54:47 wyXNj1sC
>>964
歴史小説を読んでると当時の人が「織田信長という人が~」とか「信長公が~」とか呼んでる風に書いてあるから当時の人もそんな組み合わせで呼んでいたのかと

969:人間七七四年
10/01/09 20:59:45 Wjxva0mu
信長が生きているときに「信長公」はないな
「右府様」だな
敵なら、「おのれ、信長め!」というのはあり

970:人間七七四年
10/01/09 21:03:11 8nBLEzWZ
>>968
少なくとも俺は、当時の人がそういう風に呼ぶ歴史小説を知らないんだけど…
「弾正忠殿が…」「上総守殿が…」「前右大臣が…」みたいに呼んでるのが普通だった。

朝廷の文章なら「平朝臣信長」とでも書かれてただろうし。

971:人間七七四年
10/01/09 21:03:31 xn5/GvmK
>>969
いやそれは右大臣になってからだよ

972:人間七七四年
10/01/09 21:10:20 d3wUBU8h
信長の「上総介」って僭称?
「弾正忠」は親父の信秀が朝廷から正式に任命されたんだよね?

973:人間七七四年
10/01/09 21:26:50 wyXNj1sC
今、Wikipedia見たら信長の通称は三郎みたいだな
>>970
俺の読んだ奴には載ってたけど、なんかまったく関係ない人が世間話で織田信長って呼んでたから
>>969
敵側が諱で呼んでたりするのはあるのか


974:人間七七四年
10/01/09 21:27:12 Wjxva0mu
>>971
当たり前だw

975:人間七七四年
10/01/09 21:32:17 RwXbNCO2
>>968>>973
小説をもとに言われてもね

>>958
室町期からは若干は下がったとも見えるけど、とてもじゃないけど日本史上で一番下がっていたとは言えないな

976:人間七七四年
10/01/09 21:42:01 wyXNj1sC
>>975
だから小説が事実かどうか知りたいと
多分、俺は違うと思うけど

977:人間七七四年
10/01/09 22:45:12 RwXbNCO2
>>976
その通りです。諱で呼ぶなんて敵対者でもまずやりません。
字は書状に記されるから判るけど、それを何て読むかは家族以外はまず外の人間は知れないから。

極端なこと言っちゃうと、「信長」も我々は「のぶなが」と呼んでますが、実は違う読みだった可能性だってある。

978:人間七七四年
10/01/09 23:31:16 wyXNj1sC
>>977
やっぱりそうなのか
謙信が謙信公とか言われるのは分かるけど信長が信長公とか言われるのは違和感があったから

江戸時代から信長公とか呼び始めたのかな?

979:人間七七四年
10/01/09 23:56:54 afSyH/D9
>>975・977
一応「信長」は「のふ」とサインしていたのは知られている。
高台院宛の手紙とかにしてある奴だな。

また「晴豊公記」(晴豊記・日々記とも)は「のふなか」と明記している。
部分「のふなかより御らんと申候こしようもちて」
現代語訳「信長より森乱丸と申す小姓を以て」
明らかに信長を指しているので「のぶなが」以外の読みは考えにくい。

残念ながら信長ほどにもなると名前が知られすぎて家族以外知らないなんてことはない。
これは秀吉や家康も同じことが言える。

980:人間七七四年
10/01/10 00:07:25 Ct3ebAC2
宣教師は信長の名前については一箇所も記してないの?

秀吉が「ファシバチクゼンドノ」と書かれてた、ってのはどっかで見たけど…やっぱり
名前は書かないか。

981:人間七七四年
10/01/10 00:18:10 VFaW1gqh
>>980
景勝の名前は書いてたよな?

982:人間七七四年
10/01/10 01:57:49 HWszEABz
フロイスは一貫して「nobunanga」と書いてるね。ノブナンガ?

983:人間七七四年
10/01/10 04:52:07 o5RcBDPm
読みがはっきり伝わって無いやつってそんなに多いのか?
少なくとも有名どころは確実なものだと思ってたが。

明石全澄とかは読み方が不明な人の代表格だけど。

984:人間七七四年
10/01/10 04:54:33 Ct3ebAC2
>>982
鼻濁音だろ。昔はが行はそっちで発音するのが一般的だったが、今は消えかけてる。

985:人間七七四年
10/01/10 09:40:59 HWszEABz
増田長盛が「ますだ→ました」は有名だな。「ますだ」だと思われていたのが
「真下」と表記された文書が発見された。

986:人間七七四年
10/01/10 17:17:12 HWszEABz
秀吉遺言状の宛名は、いえやす(徳川家康)ちくせん(前田利家)てるもと
(毛利輝元)かけか津(上杉景勝)秀いへ(宇喜多秀家)だな。

987:人間七七四年
10/01/10 17:19:59 20cO0w+7
なんで利家だけ諱を書かなかったんだろう?
親しみの演出なら秀家に対してもそうあるべきだろうに。

988:人間七七四年
10/01/10 17:25:41 xzEud7xN
>>987
「利家とまつ」では秀吉は始終「またざ」と呼んでたが
あれは本当なんか?

989:人間七七四年
10/01/10 17:31:05 20cO0w+7
>>988
あれはドラマの設定上「秀吉と利家は幼なじみ」ってのを
強調するための演出。

990:人間七七四年
10/01/10 17:49:10 PjR3kSSN
>>986
やだ…ひらがなだとかわいい…

991:人間七七四年
10/01/10 18:04:02 PjR3kSSN
次スレないな
立ててくる

992:人間七七四年
10/01/10 18:04:50 PjR3kSSN
あい
【疑問】スレ立てるまでもない質問 5【戦国時代】
スレリンク(sengoku板)

993:人間七七四年
10/01/10 18:33:14 HWszEABz
>>992

しかし若い頃から親しい仲なら日常会話で又左と呼ぶのは自然な気がするが、
さすがに遺言状には『またざ』と書けなかったのかね。

994:人間七七四年
10/01/10 18:45:42 Ct3ebAC2
そりゃお前、例えば幼なじみを普段「ゆう君」と読んでたとしても、遺言状には
「悠一様」って書くだろ?

995:人間七七四年
10/01/10 18:54:08 20cO0w+7
秀吉は利家と昔なじみだったというのは後世の創作だし、
仮にそうだったとしても秀吉が太閤記の言うように下人上がりなら
利家のことを又左なんて言ったらそれだけでブッ殺されても仕方ない。

996:人間七七四年
10/01/10 21:01:32 VFaW1gqh
又三は通称だし清洲時代は家が隣同士だから普通にそう呼んでてもおかしくはないと思う

997:人間七七四年
10/01/10 21:06:32 xzEud7xN
>>996
> 又三は通称だし清洲時代は家が隣同士だから普通にそう呼んでてもおかしくはないと思う

今思い出したのが、秀吉と利家が若い頃親交があったという記録がないのだが
どの史料にそんな事が書かれてあった?

998:人間七七四年
10/01/10 21:39:48 BkWYW9uQ
>>995
城持ち豪族の息子だし、信長の愛人だもんな。
秀吉とはスタートラインが全然違う。

999:人間七七四年
10/01/10 21:50:49 UmObTxWv
能登に行ってからも相当年下の佐久間盛政から又ざと呼ばれてるでしょ
秀吉が又ざと呼んでいても何等不思議じゃない

1000:人間七七四年
10/01/10 22:05:25 p9f4QgtP
>>992さん乙です

1001:1001
Over 1000 Thread
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      ー┬―─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
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.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
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  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
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