09/10/15 13:00:55 3Z7lu4AA
>>186
秀吉の刀狩令というのは、厳しく取り立てたわけではなくて、
いわば、庶民に対するお願いだった。
どの農家にも刀・槍は当たり前にあって、取り上げるなんて不可能だった。
(この時代農民が弱者だったというのはウソ)
それで、「あまり武器を持って外出しないでくれ、不要な武器があれば出してくれ」
というお願いだったわけ。
「戦もあまり無いようだし、余っているものがあれば差し出そうかな」そんな感じ。
刀を持って歩く人の数は減ったが、治安の悪い所を通る時や夕方以降は当然持っていった。
江戸期になっても、庶民は遠出をする時には、刀を持っていった。
(「東海道中膝栗毛」のヤジさんキタさんも)
ただし脇差1本のみ。
幕府は、武士と庶民を明確に区別するために、武士は必ず二本差と決めた。
武士の外出時はお供を一人以上連れ、その者には槍を持たせる決まりがあった。
(鉄砲は厳しく不可)