戦国ちょっと悪い話8at SENGOKU
戦国ちょっと悪い話8 - 暇つぶし2ch956:人間七七四年
09/04/25 15:40:15 Uk5Qv9Kx
宇喜多直家が毛利から離れ、羽柴秀吉を通して、織田信長に付いた頃のことである。

宇喜多方の国人に、備前国津高郡虎倉城主、伊賀久隆と言う者がいた。
彼は無二の宇喜多方とされ、また毛利に「加茂崩れ」と呼ばれるほどの大敗の屈辱をなめさせた
武将であった。
が、その高名をわずらわしく思ったのであろうか、それとも何か疑念を抱いたのであろうか

宇喜多直家は、これを殺すことにした。

その頃伊賀家は岡山城下に屋敷を持ち、久隆とその嫡子興次郎が、そこと虎倉の城を
交代で在住していた。
岡山に久隆が在る時、直家は饗応を開き、城下にいた家臣国人たちに食事を振舞った。

さて、久隆は下城の途中、久隆の家臣と知り合いであった宇喜多家の料理人から、密かに
こう告げられた
「今日の料理には毒が入っていました。急いで解毒剤を用いてください!」

久隆これを聞き、「今解毒をして生き延びても、直家はとてもわしを生かしてはおくまい。
必ず殺される。同じ死ぬのなら、城に籠って討ち死にすることこそ本望だ。」
と、岡山を脱出し、馬を飛ばして深夜に虎倉の城に帰り、家人を集め篭城の支度をさせた。
子の興次郎は急いで解毒薬を作り久隆に与えたが、既に手遅れだったのであろう、
夜のあける頃に、死んだ。

それから虎倉城は半年以上篭城をし、宇喜多勢もそれを攻略できなかったが、
毛利勢が備中に攻め込んだときそれと合流し、城を放棄し共に引き上げていった、とのことである。

数ある直家の暗殺の中でも、いまひとつ目的のはっきりしないお話。


957:人間七七四年
09/04/25 19:51:39 InDbnMlF
家中でもかなりの高禄を食んでたらしいし直家も死期が迫っていたから焦りが出たんじゃないかと俺は思う。

958:人間七七四年
09/04/25 22:04:51 1UTGwk5+
何故暗殺したのかって?
そこに人がいるからに決まってるじゃないか。

と言う冗談は置いておいて、毛利方の調略って線はないの?

959:人間七七四年
09/04/25 23:57:01 SQVIpaHf
>>955
隆景生前に既に景勝の大老活動は始まってるから実際は六大老です。

960:人間七七四年
09/04/26 00:13:57 izwvY4aM
>>959
隆景は死去ではなく引退による交代だろ。

961:正純
09/04/26 01:09:24 24/jJNWN
>>956
で、毒が効いていないように見えるのですが

962:人間七七四年
09/04/26 10:13:21 y97dQQ3f
伊賀氏は宇喜多の離反には付き合ったものの宇喜多の家来ではないし、
一時期は国境を越えて備中国上房郡阿賀郡や美作国真島郡にまで及んでいた
一大勢力を築いていて、そのまま毛利につかれると厄介だったんだろうね。

便乗して同じ時期、伊賀領と旭川を挟んで隣の地域の話。
美作高城主竹内善十郎為能は当時毛利に属しており、彼の治める垪和郷は毛利にとって
備中から美作東部、因幡方面へ向かう回廊の一つであった。
宇喜多にとっても竹内氏は美作西部への兵站に目障りな勢力であり、吉川元春による失地
回復の為出陣した宇喜多本隊により、竹内一族の一の瀬城も呆気無く攻略された。

そこで竹内氏は近隣の地侍に合力を求め、毛利にも援軍を要請し兵糧や鉄砲衆、備中勢の
加勢を得て守りを固めていた。また備中との境目にも改めて毛利の一所衆が配備されて、
その何割かが垪和郷に後詰として着陣していた。
さて、垪和郷攻防戦は天正八年二月に始まり緒戦は毛利方有利であったが
戸川、岡、長船らの部隊が到着すると逆転した。
諸城陥落し城兵は高城へと落ち延びていき、三月中旬ついに高城合戦が始まった。

前置きが長くなったが、ようやく本編。
宇喜多家臣馬場重介職家は谷の方面の討手であったが、数刻経っても敵が現れない。
退屈して嶺に上ると出会い頭に敵と遭遇してしまった。敵は五段に備えていたが、
鉄砲で備えを崩し自身も槍をふるって三段目まで打ち破ったところで
敵の鉄砲が重介の右の股に命中した。鉄砲が放たれる中、重介は心は猛く進むが、
出血多くもはや前進できなくなり、土手を楯にして討ち死にする覚悟で敵を待ちうけた。

その時向かいの谷の柴の陰から鉄砲が放たれ重介の右肩甲骨の内から肘までうち抜いた。
竹槍で布袋を突き通したような感じで、目もくらみ、心も動転し、
世界がまるで朝顔の花の色のようにみえたという。

気を取り直して眼を開くと、田中藤介が登って来て、重介を励まし退くように説得した。
重介が、「深手を負ってしまい敵の追手に討たれるに違いないから潔く自害したい、
藤介こそ早く退け」と言うと、藤介は「某、ここを一足も退いたりしない。この覚悟なら
堅固に防ぐことも難しくない」と言い、そこに重介の部下も来て重介を引きとった。
藤介は一斉に鉄砲を放たせ槍をふるって突入し、敵は引き揚げた。

この谷は激戦で多くの血が流されたので大血谷と呼ばれ、現在の地名大地谷の元になった
と伝えられている。鉄砲に討たれた瞬間のことを記述している珍しい話である。

963:人間七七四年
09/04/26 10:19:17 y97dQQ3f
その後の話
竹内氏は高城合戦で数回大規模な攻勢を掛けられるが、その度防戦撃退し、ついに宇喜多
の将の一人平尾弾正を討ち取った。竹内方の勝利で宇喜多勢は陣を引くが、包囲は続く。
同月の辛川合戦、翌月の虎倉合戦では宇喜多方が大勝を収め、高城包囲網は崩れない。
竹内善十郎は弟を使者にして毛利にさらなる援軍を要請するが、包囲を突破して援兵する
のは難しいとの返事で、四月以降の毛利からの書状は現存していない。
毛利からも見捨てられた高城はその後も籠城を続けるが、
いつも通り宇喜多の調略により城将の一人が寝返り、八月落城した。

高城から谷を挟んで南側に鶴田城があり一族の杉山氏が守っていた。鶴田城主の姫は
麓で若い寺小姓と出会い、度々の逢瀬を楽しんでいたがいつの日か姿を見せなくなった。
その直後から宇喜多勢の攻勢が強まり高城陥落後、鶴田城も間もなく落城した。
落城後この男が宇喜多の間者と知った姫は、絶望のあまり旭川の渕に身を投げ、
それ以来「姫こ渕」と呼ぶようになったという。

竹内一族では竹内久盛が有名だろう。彼は一の瀬落城後、高城には入らず
播磨へ落ち延び後に宇喜多家臣新免氏を頼ったという。

馬場職家は間もなく復帰し、二年後の八浜合戦では殿をつとめ八浜七本槍に数えられる。
晩年には子供達に「侍たるもの決して臆病であってはならぬ。(中略)生きるも死ぬも
運次第で臆病になる必要がないのはこの自分の例からも明らかであろう」と語り、
七十七歳の天寿を全うしたという。

964:人間七七四年
09/04/26 10:40:51 gJ44A6sQ
すごいな。このまま岡山県の新聞あたりに、歴史コラムとして載ってても
おかしく無いような話だわ。

しかしあのあたりは戦国後期まで中小勢力がせめぎあっていた中、そこに尼子、毛利、織田って
巨大勢力が介入してきてるから、一つ一つの合戦が、規模のわりに、異常に凄惨なものに
なっているって印象があるな。

965:人間七七四年
09/04/26 11:12:15 +Juf3Ch9
>>956
松田元輝を抹 殺 するときに伊賀さん一役かってるんだよな


……用済みでしか

966:人間七七四年
09/04/26 11:16:27 +Juf3Ch9
>>964
派手な野戦をしなくても干 殺し 、水攻めとか飢餓必至だもんね

967:人間七七四年
09/04/26 13:14:26 AV6viTFi
>>961
ただ単に、宇喜多から出されたご馳走のなかに毒は入ってなくて、「毒入ってたから毒消し飲めや つ【解毒薬】」って言って解毒薬(実はこれが毒)を飲ませようとしたんじゃないのか……

968:人間七七四年
09/04/26 14:03:04 9weSNB3d
>>967
推理小説の殺人事件とかでよく見かける方法だな

969:人間七七四年
09/04/26 16:13:21 gJ44A6sQ
元和6年(1620)有馬豊氏が田中忠政の病没、改易によって、筑後南部を拝領した時の事。
福岡の黒田長政が豊氏を見舞いに来て、ふと、
「そういえば有馬殿は、どこに居城になされるのですか?」
と、聞いてきた。

豊氏は
「田中家の時と同じく。久留米を居城にしたいと考えております。」と言う。

これに長政
「あなたの領地は九州の真ん中にある国であり、どの方向からも敵を受ける可能性があります。
で、あれば、居城も中心部におかず片方に寄せ、我が領地に近い場所に居城を
御作りになるべきではありませんか?
そのようにいたされれば、普請のために使う木材なども、手近ですから我が領地から
送って差し上げられますに。」

この助言に豊氏も
「いやいや、これは懇ろなるお言葉、痛み入ります。」
と、丁重に礼を申し述べた。


さて、その後豊氏、長政の助言を完全に無視して、やはり久留米を居城にした。
この件に関して豊氏は家臣たちにこう語ったそうだ。
「黒田のやつめ、あれは九州に動乱が起こったとき、速やかに筑後を手に入れるための策略だよ。」

元和偃武もかなりたったと言うのに、まだまだ野心満々(と周りから見られている)の、
黒田長政なのであった。


970:人間七七四年
09/04/26 19:01:58 uNcdy9DF
加藤清正は主君豊臣秀吉が茶道に耽るのを憂慮していた
茶道は武士のやることではないと考えていたが秀吉に茶道を止めるように諫めても聞く耳を持たない

ある日清正は茶道を学びたいと千利休を訪ねた
利休はこれを大いに喜んで茶室に案内した
しかし清正、脇差を腰に差したまま茶室に入ろうとする
それを見て利休は脇差は茶室の外に置くように諭した
だが清正は刀は武士の魂故に一時も話すことは出来ないと拒否
利休は笑いながらこれを許した

実は清正、かくなる上は利休を暗殺して禍根を断とうと考えていた
これから暗殺するのに丸腰になるわけにはいかない

いざ茶室に入り脇差を側に置いて隙あらば利休を刺し殺そうを
利休から目を離さず一挙一動を凝視し続けた

が、隙がない

落ち着いて茶事をこなし釜を手にすれば釜が盾になり火鉢を手にすれば火鉢が盾になる
清正は何時までたっても寸分の隙のない利休にどうしたものかと悩み始めていた

すると突然利休が突然炉を手にとってぶちまけた
灰が室内に舞い上がり降りかかった灰が清正の目や鼻に入る
清正は堪らず庭に飛び出した

少しして利休が清正を呼んだ
行ってみると利休の手には清正が茶室に残した脇差がある

「あんたの武士の魂はどうしたんだよ。これでも俺を殺すのか?」

全部バレていた

清正は大いに恥じて、以後本当に利休から茶道を学んだという

971:人間七七四年
09/04/26 19:04:45 mx+81YwH
ちょっちゅね


972:人間七七四年
09/04/26 19:29:26 bpLNMAEH
一方秀吉は利休を殺した

973:人間七七四年
09/04/26 19:34:38 9jfIDI/I
ダーメダメダメ!!普通に茶を点てちゃダメと申したでしょ!!?
相手に意表をつく茶会じゃないと!獲物を襲う虎の如くね!
これじゃあ宗匠の物まねで客にも飽きられるよ!!

974:人間七七四年
09/04/26 19:42:04 9QGzGDJT
このへうげものどもめ

975:人間七七四年
09/04/26 19:49:41 gJ44A6sQ
980を踏んだ方、スレ立てお願いします

↓スレタイ

戦国ちょっと悪い話9

↓テンプレ

戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

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戦国ちょっと悪い話8
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
スレリンク(sengoku板)


976:人間七七四年
09/04/26 19:58:36 Dziv7p1l
>>970
おもしろい
やっぱり秀吉のまわりには一癖あるのが多いんだな

977:人間七七四年
09/04/26 19:59:27 0dfizlBP
ホヒョン殿の花籠強奪話はやったん?

978:人間七七四年
09/04/26 21:34:14 SQtq/iIq
>>970
清正は武士道をどうゆう風に考えているかよくわかった

979:人間七七四年
09/04/26 22:15:56 odJS4d7P
>>963
これって、あっち(いい話)でいいよ。
朝顔なんて、体験者しか語れない。

980:人間七七四年
09/04/26 22:17:04 /bDfLDJK
>>970
なるほどこれが落語の髭茶につながるのね

981:980
09/04/26 22:19:48 /bDfLDJK
あっごめん携帯です。
次の方お願いしますm(_ _)m↓

982:人間七七四年
09/04/26 22:37:47 6xTTMmZ8
では新スレ立ててみるよ。

983:人間七七四年
09/04/26 22:39:42 6xTTMmZ8
スレリンク(sengoku板)
新スレたちました。

エイ エイ オ~

984:980
09/04/26 22:50:46 /bDfLDJK
>>982さん乙です。
ありがとうございました!
次も頑張っていきましょう

えい えい お~

985:人間七七四年
09/04/26 23:26:50 uNcdy9DF
かけ声ってやっぱ軍団ごとに違うんだろうか?

986:人間七七四年
09/04/27 01:22:59 cDNZsLwg
勝鬨のエイエイオーは武田流じゃなかったっけ?

つまり日本のスタンダードになった

987:人間七七四年
09/04/27 01:41:49 LhcYXg3S
>>986
徳川が採用したからなー

988:人間七七四年
09/04/27 02:17:38 g1rIpQoV
鬨の声に関しては

「エイ エイ エイ!」←確か初期の三河流はこうだったとか
「エイ トウ エイ!」
「エイ エイ トウ!」←武田流

と、何種類かあったようね。勝ち鬨によってどこか勝ったかって言うのも
解る様になっていたんでしょうな。

鬨の声と言えばこんな話が


永禄十三年、武田信玄が駿河の花澤城を攻めたとき、信玄の旗本の
落合冶部と言う者が討ち死にした。

敵はこの冶部の首を取ろうとし、冶部の弟左平次をはじめとする武田軍の面々は、
屍骸を引き取ろうと駆けつけ、敵味方入り乱れる混戦となった。

この時、これを高台の本陣から見ていた武田信玄は、旗本の者たちに一斉に鬨の声を上げさせた。

敵、突然の鬨の声に驚き、城に引き返した。
このため武田方は無事、落合冶部の屍骸を回収したとのことである。


しかしこれは悪い話ではないなw


989:人間七七四年
09/04/27 02:29:12 WWgVKOza
さすがだな

まあそれはどうと猪木の例のあれも勝鬨の一種だろ

123 ダー

990:人間七七四年
09/04/27 03:24:03 j3pDo5AZ
それでは皆さん、ご唱和ください
3 2 1 ハッスルハッスル!

991:人間七七四年
09/04/27 07:44:21 cLzxjDfQ
>>970
これ凝視してたからバレちゃったんじゃないか?w
>>988
とっさの機転が素晴らしい
悪い話じゃないけど

992:人間七七四年
09/04/27 11:48:22 0tRj070S
勝ち鬨って、風水とか縁起とかが絡んでて、その場合に応じて
やり方も音頭取る人間も変えるんじゃなかったっけ?

ウロ覚えだが、そういうのを以前 本で読んだ気がする。

993:人間七七四年
09/04/27 12:45:46 KdXQKSKT
一本締めといっているのにパパパンとかやる奴は戦国の世なら打ち首

994:人間七七四年
09/04/27 12:49:12 Hr6pjrrp
一本締めなら「パパパン パパパン パパパンパン」だな。

995:人間七七四年
09/04/27 13:27:22 KdXQKSKT
wikipedia読んできた
なるほど、一本締めと一丁締めがあるのか。勉強になったでござる

しかし拙者の周りもこの二つを混同しているものばかりなので
この知識はしまっておくでござる

996:人間七七四年
09/04/27 14:15:49 +7ox6Tct
一本締めの派生として伊達政宗が三国一をめざすぜ!の意味を込めて3回と1回手をたたく(パパパン、パン)伊達一本締めなるものがあったそうな
ただ徳川の天下になるとヘタレて止めてしまったそうだが

997:人間七七四年
09/04/27 17:47:20 g1rIpQoV
埋めがわりに、いい話のほうの前スレの最後の方に出てた、
大太刀「次郎太刀」を振るう「姉川合戦図屏風」の真柄十郎左衛門
URLリンク(www2u.biglobe.ne.jp)

998:人間七七四年
09/04/27 18:08:16 cLzxjDfQ
…人間?

999:人間七七四年
09/04/27 18:20:07 vZlNsp3V
漫画みたいだな、ここまで長いと

1000:人間七七四年
09/04/27 18:20:51 oR3QUYm7
柄だけで脇差より長いなw

1001:1001
Over 1000 Thread
      /    `ヽ、
      ー┬―─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
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