09/04/22 13:58:32 dn4P13Qk
>>847
ちなみにそれらの逸話と若干似た話が、中国の五代十国時代の南唐でも起こっている。
南唐の皇帝は快進撃を続ける後周軍と和睦するため、宰相の孫晟を後周の皇帝柴栄に遣わすと、
柴栄は和睦の交換条件として、寿州を割譲することを求めた。
寿州は柴栄、趙匡胤らが束になっても土をつけられなかった不敗の名将、劉仁贍の守る地である。
柴栄は寿州の開城のため、その使者として孫晟自身に説得するよう求めた。
後周軍の監視の中、孫晟は寿州城下から城壁上に立つ劉仁贍の姿を認めると、叫んだ。
「公が国から受けた厚恩を思うなら、決して門を開けて賊を入れてはならない!」
柴栄は孫晟の言葉を聞くと大いに怒り、これを斬ろうとすると、
孫晟は「臣は唐の宰相である。何故節度使を叛かせることができようか。」と言った。
忠心に感心した柴栄は、彼を許した。
以上、参考は『五代史平話』。
…史実では確か孫晟を殺してから悔やんでるってのは内緒。