09/04/22 01:01:51 RmbyPRj/
>>845
光秀もすげえ理由で解き放ったんだな
851:人間七七四年
09/04/22 03:31:27 YDWjQWHP
>>849
奴隷なんかの前では普通に素っ裸だったらしいよ
奴隷を人間としてみてないから
852:人間七七四年
09/04/22 07:15:12 1NfubA9b
奴隷にとっては普通にご褒美だったのでは
853:人間七七四年
09/04/22 08:46:58 qq30wM4F
ちょっと奴隷になってくる
854:人間七七四年
09/04/22 10:02:41 DNp7ACey
図らずもおっきしたらどうなったんだろう?
855:人間七七四年
09/04/22 12:22:44 bnqhs+W/
>>854
家畜やペットが勃起したからって気にはしないだろ。
獣姦っていつからあったか、それによっちゃあ
856:人間七七四年
09/04/22 12:31:53 TQ8XJrDG
女性の側に仕えるからちょん切ってたりして・・・
857:人間七七四年
09/04/22 12:32:03 AlzEhvLB
獣姦は貴族達の見せ物だったんじゃない?
会員制の秘密クラブみたいなやつ。
地獄の火クラブだっけ?
858:人間七七四年
09/04/22 12:41:12 FgurobbZ
寝そべって裸体に麦蒔いて鳥に啄ませるのを見せ物にしてた王女がいたんだっけ?
戦国にこういう変態はいないのか
859:人間七七四年
09/04/22 12:56:50 AlzEhvLB
日本の変態って言っても、
ホモ→武士のたしなみ
ロリ→福島正則が変態とは伝わってない
獣姦→昭和初期に象とやろうとしたのは居る
ネクロ→怪談ではそんな話も
絶倫→彈正様
くらいしか思い付かないなぁ。
860:人間七七四年
09/04/22 13:37:42 jE0PPotW
なんかまとめサイトで
少女を無理矢理暴れ馬に乗せて
落ちておっぴろげる様子を眺めるのが好きな変態の話読んだ覚えがあるぞ
それて唯一落ちなかった女の子のまんまんが気になって手込めにしたら
その子がその変態好みのパイパンで
毎日それを眺めて過ごしてるうちに
その娘の親父に謀反されて追放されたんだったかな
誰の話か覚えてないけど
861:人間七七四年
09/04/22 13:58:32 dn4P13Qk
>>847
ちなみにそれらの逸話と若干似た話が、中国の五代十国時代の南唐でも起こっている。
南唐の皇帝は快進撃を続ける後周軍と和睦するため、宰相の孫晟を後周の皇帝柴栄に遣わすと、
柴栄は和睦の交換条件として、寿州を割譲することを求めた。
寿州は柴栄、趙匡胤らが束になっても土をつけられなかった不敗の名将、劉仁贍の守る地である。
柴栄は寿州の開城のため、その使者として孫晟自身に説得するよう求めた。
後周軍の監視の中、孫晟は寿州城下から城壁上に立つ劉仁贍の姿を認めると、叫んだ。
「公が国から受けた厚恩を思うなら、決して門を開けて賊を入れてはならない!」
柴栄は孫晟の言葉を聞くと大いに怒り、これを斬ろうとすると、
孫晟は「臣は唐の宰相である。何故節度使を叛かせることができようか。」と言った。
忠心に感心した柴栄は、彼を許した。
以上、参考は『五代史平話』。
…史実では確か孫晟を殺してから悔やんでるってのは内緒。
862:人間七七四年
09/04/22 14:56:47 qFkDF/2M
戦国「後」の、世の中
渡辺勘兵衛が睡庵と名乗り、坂本に居住していた頃の事である。
渡辺の家来が大津の町で喧嘩騒ぎを起こした、と言う話が広まった。
これを聞いた、友人で、元の福島家臣であり、正則改易後牢人をしていた吉村又右衛門は
京より坂本に駆けつけた。
坂本の自宅に現れた吉村に、渡辺
「吉村殿、今日こられた用件が喧嘩見舞いであるのなら、特にさしたることもないゆえ
帰られよ。
何か話でもしたいと思ってこられたのならどうぞ、うちで飯でも食って語り合いましょう。」
心配して急いでやってきたのだ。感謝されることこそあれ、この渡辺の態度はどうか。
吉村、気を悪くし「いや、喧嘩の沙汰を聞いたので見舞いに来たまでです。そのような事であれば、
これで帰ろう。」
「そうか…。では、少々待たれよ。」
渡辺は次男を吉村につけ、街道まで見送りをさせた。
道すがらこの次男は、「父から、密かに吉村様に伝えよとの、言付けがあります。」と語りだした。
その内容はこうだ。
『吉村殿、今日の見舞いの事は、吉村殿には似合わぬ行動ですぞ。
今は天下の大法が定まり、もし我が家来が殺されれば、殺したものは切腹を申し付けられ、
逆に人を斬れば我が方の者が切腹を申し付けられる、そう言う世の中になりました。
しかれば、喧嘩であっても無責任に放置する事はできません。
そうであるのに、喧嘩騒ぎがあったこのようなときに、吉村又右衛門ほどの剛の者が
京都より渡辺の下に来たと知られれば、双方の徒党を組んだ若者達を刺激する事は間違いなく、
いたずらに事態を悪化させるでしょう。
そのような事なので、今回は慎んで頂いたのです。』
戦国の自力救済社会からの転換が、はっきりと感じられる、そんな、戦国が遠くになった頃のお話。
863:人間七七四年
09/04/22 15:24:15 +cYaHvS/
>>860
神保さんだか畠山さんだかの話だな
まとめサイトに多分ある
864:人間七七四年
09/04/22 15:54:56 CT9mNtel
だかで悪いイメージつくとただでさえ影の薄い神保さんが可哀想なので畠山さんだと断定しておくw
865:人間七七四年
09/04/22 16:47:39 HbDZ52U5
ちんぽだか、はだかやまとな・・・?
866:人間七七四年
09/04/22 17:00:53 qq30wM4F
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
畠山だった
867:人間七七四年
09/04/22 17:51:21 ZVnnsq4e
内乱に定評のある畠山さんじゃないですか。
河内も能登も遊佐家に殺されたのは不思議な限りだが。
868:人間七七四年
09/04/22 17:55:16 LNZhmGAA
>>855
まぁ仕事の支障になるようなら去勢だわな
869:人間七七四年
09/04/22 20:18:26 8CCuEFhh
天正5年(1577)10月、明智光秀は丹波亀山城の波多野氏を攻略していた。
この戦には、初陣を済ませたばかりの親友の息子も加わっており、光秀はやがて
親友の後継者となるであろう若者に、将としての心得を説くつもりで尋ねた。
「この矢文を見てごらん、城兵が助命を求めてきただろう?さて、次に我々がやるべき
事はなんだろうね?」
若者は答えた。「抵抗していた者どもを助ける義理はありません。皆殺しにしましょう。」
「 ( ゚д゚) い、いや、ダメダヨ!?門を開けるように指示すれば、城攻めが楽になるし、
寛大なところを見せれば他の抵抗者も降伏するかもしれないでしょ?
ナニ信長様みたいなこと言ッてんの?!」
若者の父親も呼び寄せ、二人がかりの説得によって、ようやく若者は納得し、亀山城は
開城となった。 しかし、光秀の胸中は暗かった。
(駄目だこいつ…早くなんとかしないと…そ、そうだ!ウチの娘に似合いの年頃の子が
いるじゃないか!結婚させれば義理の父親として、オレが監督できるぞ…!)
「という訳で、ウチの娘とオタクの息子を結婚させてくれ。」
「えぇー?あいつ我が子ながら、凶暴だからオススメできないよ?」
渋る親友を、信長の仲介のもとで了解させ、天正7年(1579)、ついに婚姻が成立した。
ある意味、逆効果だったのは皆様ご存知の通り。
しかし、『綿考輯録』のこの記事とか、『森家家譜』とか、藩祖のDQN言動を残して
どうするつもりだったのか。子孫から見てもm9(^Д^)プギャーな話だったのか。
870:人間七七四年
09/04/22 20:19:01 4AuTd2kk
>>861
いやこれ、何かおかしくね?
軍を撤兵する交換条件で、土地割譲を出して、一国の使者である宰相はそれを呑んだわけでしょ?
それでいざ城の明け渡しの段になってから反故にするってのは、美談にもならないと思うんだが。
鳥居のエピのように、脅迫されて嘘を言わされようとしたってわけでもない、そもそも自分が約束
したことでしょうに。
871:人間七七四年
09/04/22 20:30:31 /Nvjx19W
>>869
他のDQN四天王にも光秀の娘がとついでいたらすばらしい名君が生まれたに違いないw
872:人間七七四年
09/04/22 20:43:12 qq30wM4F
>>869
親友の子ってアイツかよww
明智が関わると四天王唯一の常識人も形無しだなw
873:人間七七四年
09/04/22 21:00:44 PFhDEMiV
>>849
幕末にアメリカに言った使節団は
「女房諸肌脱ぎ、旦那たすき掛け」と表現している。
当時の礼装がそう見えたらしい。
トップレスではないだろ、胸をぎゅうぎゅうっとつめてもりあげていただけで。
874:人間七七四年
09/04/22 21:12:58 4MIkUFm9
>>833
元親の話じゃなくて国親の話だろw
ちなみに長浜合戦が元親の初陣。
秦泉寺豊後守に槍の使い方と大将の行動を聞いたという逸話が有名。
875:人間七七四年
09/04/22 22:15:24 HM1GpRN8
>>869
>ある意味、逆効果だった
精神年齢三斎「だって、タマちゃんすっごくカワイイんだもん!」
876:人間七七四年
09/04/22 22:21:23 f2buLnKd
でも忠興のメロメロぶりって何か普通とは違うから
巷で言うようなお玉ちゃん=絶世の美女っていうより
ジョン・レノンに対するオノ・ヨーコみたいな
特定個人にのみ大ヒットする妖怪魔性系だったのかも。
877:人間七七四年
09/04/22 22:46:04 HM1GpRN8
>>873
こんなん見つけました。。。
URLリンク(x51.org)
878:人間七七四年
09/04/22 23:24:40 6+KLV3E6
>>859
又の槍左さんもロリじゃないよ!ちょっぴりガチムチでアッー!だっただけですよ
879:人間七七四年
09/04/22 23:49:47 mWnL71LB
>>877
一見、パラダイスのようだが実際そういう状況に置かれてみたらこれっぽちも一本槍から鬨の声が聞こえないものなんだよな
880:人間七七四年
09/04/23 01:37:46 BVoEgmzx
ある日、茶道薮内流の開祖・薮内紹智(剣仲)は義兄の古田織部らを招き、茶会を開いた。
天下の宗匠でもある織部を客に迎えての重要な茶会に望んで、紹智は秘蔵の名道具
『 鉈鞘籠花入 』 を床に飾った。
この道具は、千利休が、木こりが鉈の鞘に使っていた竹籠に目をつけ、買い取って
花入としたものを、利休の弟弟子にあたる紹智が譲り受けた逸品である。
茶会は、客の誰もが茶席の見事さ、紹智の点前、そして利休が見出した花入の風情を
褒め称え、なごやかな空気のうちに進んだ。
所用で席を外した紹智が茶席に戻ると、織部の姿は消えていた。
自慢の花入も消えていた。
紹智は織部に、花入を返却するよう、抗議した。抗議した。
さんざん抗議した末、織部は息子の小平次に花入を持たせ、書状を添えて返して来た。
書状にはこう書いてあった。
「これといった用はないけど、息子の小平次がお邪魔するので、お手紙します。
息子にいろいろ教えてやってもらえれば、有難いんですけど。
(略)
最近は筋肉痛があったぐらいで、あとは差し支えありません。
(以下略) 」
たぶん、某マンガの有名なシーンの元ネタの一つ。以下、例のAA禁止。
881:人間七七四年
09/04/23 01:47:50 CUIW3MwU
>>879
槍?
短筒だろ
882:人間七七四年
09/04/23 01:55:08 GAdZLziR
佐竹義宣には男子がいなかった
困った義宣は、末弟・申若丸を養子とし、跡継ぎに任じる
申若丸は元服し、彦次郎義直と名乗った
彦次郎は江戸に屋敷を与えられ、徳川秀忠や家光への拝謁もお膳立てされる
この時、彦次郎はいまだ十二歳
周囲によって、次期藩主の立場を着々と固められていった
が、彦次郎十五歳の時、事件は起こる
江戸城本丸にて能が催され、参勤中の諸大名が出席する場があった
江戸にいた義宣も当然、彦次郎を連れて登城した
よほど退屈だったのか、なんとこの能の席で彦次郎、居眠りした
しかもウトウトなんてレベルではなく、かなり見苦しかったらしい
隣に座っていた伊達政宗が見るに見かね、
「おい、アンタんとこの息子、寝てるぞ(,;●Д゚)」
と義宣の膝を揺すって知らせたほどだった
能見物から帰った義宣、ぶちキレた
「もともと物足りないやつだと思ってたが、もう見限ったわ…
彦次郎は秋田に戻れ!勘当じゃー!!」
激怒した義宣によって彦次郎は廃嫡、わずか二日後に江戸屋敷を叩き出される
秋田に到着すると即座に出家させられた
秋田での僧坊生活は針のむしろだったのだろう
二年後、彦次郎は高野山に行きたいので、援助して欲しいと佐竹家に申し込む
だが回答は、高野には行けばいい、だが援助は一切しない、という冷淡なものだった
これ以降、佐竹彦次郎義直の記録は絶える
883:人間七七四年
09/04/23 02:21:21 LwluVos9
オゥ、ノー
884:人間七七四年
09/04/23 02:43:00 A/m7aaNG
よだれ垂らしてたのか?
885:人間七七四年
09/04/23 03:01:04 hEaGqFq1
>>880
織部の意図がわからん。
どういう逸話なんだ?
886:人間七七四年
09/04/23 06:25:12 Z+B7Mcne
>>876
フロイスはガラシャが子供の頃、
「光秀の息女達はスペイン貴族の子供のように美しい」
と記録してるよね
俺の中のガラシャは仲間由紀恵系だったんだが、
西洋人に褒められるということはブリトニーとかペネロペ・クルスみたいな顔だったのか?
887:人間七七四年
09/04/23 08:34:33 cJ24SeCq
同じ神を仰ぐ者にはとことん評価が甘いフロイスだから
リップサービスも混じっているでしょう
888:人間七七四年
09/04/23 09:20:06 Lj2ji6G+
>>880
話のオチもよくわからないし、
某マンガの有名なシーンも、
例のAAもわかりません。
マンガがわかればわかる話なのか?
戦国(書き方が)ちょっと悪い話になってますよ…。
889:人間七七四年
09/04/23 09:28:56 ZSgioEsW
>>887
ダンナについては上司に「最も凶暴な大名」と報告してるしな
890:人間七七四年
09/04/23 09:43:40 NoUtlQnR
>>888
あんまりしつこいんで返したけど、盗んだことに関してはすっとぼけて認めようとしなかったという織部の往生際の悪い話だろ?
マンガとAAは良くわからんが。
891:人間七七四年
09/04/23 09:48:19 xmxvuywl
>>887
光秀の妻が元々美人だって話だからガラシャが美人でも不思議ではないがな
892:人間七七四年
09/04/23 10:24:39 cJ24SeCq
誰も美人である事は否定してないんだけど
893:人間七七四年
09/04/23 11:06:03 k5lU8kNe
>>888
モーニングで連載中の「へうげもの」
894:人間七七四年
09/04/23 11:12:36 mxyoKuOM
確か天正遣欧少年使節は容姿の美しさも選考基準に入ってたはず
で、リーダー格の伊藤マンショのあっちで描かれた肖像画がこれ
URLリンク(home.att.ne.jp)
ここから当時の宣教師の美的感覚が推測できるかも?
895:人間七七四年
09/04/23 11:22:53 mxyoKuOM
あ、伊東だわごめん
あと、伊東マンショは大友宗麟の遠縁ってことで選ばれた比重が高そうなので
容姿の方はそれほどでもないかもしれん
896:人間七七四年
09/04/23 11:57:22 GOateFOI
>>885
物欲にまみれた話、かな。芸術的意図もなんもなく、ただ欲しくてパチったんじゃね?
897:人間七七四年
09/04/23 12:16:04 lKsXYqgq
しかし、そんなバレ易い状況の物よく盗んだよなぁ。
898:人間七七四年
09/04/23 12:51:37 /xQzb5Lc
>>896
漫画のそのシーン知らないけど
多分、同じもの作って、作った偽物のほう返したんだろう。
漫画だと織部はそういう奴。
899:人間七七四年
09/04/23 15:24:20 Z/KNEkgD
関ヶ原の決戦の後、島津攻めについて噂になった時に、黒田如水がその戦略を語った。
「島津征伐が私に命じられれば、簡単に攻略して見せよう。
その内容はこうだ。薩摩口へは鍋島を先手として使う。『それは迷惑だ』などとは言わせんよ。
肥前は大国でその軍も大軍なのだから、必ず戦ってもらう。
で、鍋島軍は島津に手もなく負ける。
弓矢の作法を知らず、軍の調練も行き届いていない連中だからな。あいつら朝鮮の役の時
自分の所の派遣軍をまとめることも出来ず、こっちから蟻之介という足軽大将を遣わして
ようやく立て直したような所だ!
というわけで、鍋島の兵は全て弱兵であり、島津はこれを簡単に打ち破り、勝ち誇って
進軍してくる。
そこで加藤清正だ。彼は格別な器量の持ち主であり、いい気になって攻勢をかけてくる
島津軍に、二の手として真一文字にかかって行けば、何ほどのこともなく打ち破る。
で、私の部隊はその後、平服のまま楽々と薩摩に入るというわけだ。
どうだ、道理にかなっていて簡単だろう?」
そんな、黒田如水の鍋島家への評価がひどいお話。
900:人間七七四年
09/04/23 15:25:40 xmxvuywl
鍋島捨て駒w
901:人間七七四年
09/04/23 15:46:36 cut8eRq4
鍋島ボロクソ過ぎるw
仮にも九州三強の一角なのにww
902:人間七七四年
09/04/23 15:53:49 UuNXsYPb
>>899
そんな如水の期待を裏切って鍋島より真っ先に
突撃し、壊滅する黒田長政を想像してしまった・・・
903:人間七七四年
09/04/23 16:09:19 0Aclvmcd
そんな鍋島に
「あいつは後方で立ち見だけしてた臆病ものの司令官っすよww
大軍で小兵を飲み込んだってだけで功なんざたいしたこたぁねぇす」
っと小西行長をぼろくそ叩く
904:人間七七四年
09/04/23 16:10:53 JBJnC00F
>>899
官兵衛ワルだなw
秀吉に警戒された理由もわかる気がする。
905:人間七七四年
09/04/23 16:24:35 Nnjmoxhr
それより、蟻之介が気になる。蟻?
906:人間七七四年
09/04/23 18:44:06 czh5ivL2
>>902
反省のために髪の毛を切ってつるっぱげになった長政を横目に「そんなことでいちいち以下省略」と嘯く後藤さんがw
907:人間七七四年
09/04/23 18:58:53 qO3p6HJ4
逸話における長政の扱い見てると、異見会開いたのは煙たい爺さん連中が若手にやり込められる
のを期待してじゃないかと邪推してしまう。
908:人間七七四年
09/04/23 20:32:12 xmxvuywl
まとめ見てたら
707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 20:35:26 ID:4JMMaVO6
>>702
たしか、竜造寺隆信の軍団は『退けば理由の如何を問わずとにかくぶっ殺す』
と言う鉄の規律だったので、相手がどんなに強かろうが、退却して殺されるより敵に遮二無二突っ込んで
討ち死にを果たした方がマシ(結果勝てば恩賞が期待)・・・と言う按配だと思ってたけど
沖田畷での壊乱振りを見るとそうとも限らない気がするなあ・・・
こんなレスがあったがこれが本当なら竜造寺家は軍略も糞もなく
ソヴィエト並みに人海戦術で突撃させるだけだったから
如水にボロクソ言われるような錬度の低い兵になっちゃったんじゃねぇの?
主だった将が沖田畷で死んでるから纏めるのが大変だったってのもあるかもしれないけど
909:人間七七四年
09/04/23 21:37:19 f7r3YQdm
そういやその時期の竜造寺って四天王(五人)もほぼ潰滅で
鍋島は居るけど、長篠後の武田みたいな状態だよな。
しかしそれでも全盛期の竜造寺は立花や高橋擁する大友を結構痛めつけてるんだから
悪く言い過ぎじゃねえかとは思う
910:人間七七四年
09/04/23 21:55:46 TWpPpTvX
>>899
加藤清正は官兵衛から評価高かったの?
911:人間七七四年
09/04/23 22:19:16 oYhzVaQS
鍋島はわざと侮って戦いに参加させる
しかし肥前の兵は烏合の衆だから薩摩兵に蹴散らされる
その後、気持ち良くなって調子ぶっこいてる薩摩兵に
清正軍を当てる、清正は虎のような男なんでも一人でやろうとする性格だが
おだてて飼い馴らして任せちまえばOK
弱い大軍を蹴散らさせてつけ上がったところを
少数精鋭で逆捨て奸り、島津お株を奪われ超涙目w
(まあ百戦錬磨の俺位じゃないとこいつらは使いこなせないけどね
って事っすか?官兵衛さんマジパネェっす!
912:人間七七四年
09/04/23 22:56:45 /xQzb5Lc
>少数精鋭で逆捨て奸り、島津お株を奪われ超涙目w
釣り野伏せの間違いだよな?
そこで清正が捨てがまりで撤退したら囮の鍋島兵やられ損じゃん。
913:人間七七四年
09/04/23 22:57:23 hy7jmik9
>>911
逆捨て奸りって大将自ら突撃ってこと?
914:人間七七四年
09/04/23 23:12:04 JBJnC00F
>>911
逆捨て奸りって
清正軍の少数の兵を、死ぬまで島津の大軍ぶつけて、彼らが島津に
討たれたら新手の少勢を出して同じことを繰り返すってことかな?
攻撃側がそれをやる意味がよくわからん・・・
915:人間七七四年
09/04/24 00:42:32 Y3ippRs5
>>910
結構良いみたい。清正は熊本城をわざとみてもらったりしてたりする。
鍋島も小西とは対照的に加藤はべた褒め。
どうでもいいけど熊本城の歌に「黒田が攻めてきてもこわくねぇwww」って歌詞があるんだが
なんで島津じゃなくて黒田なんだ?当時から勘兵衛って相当な悪役だったんだのか
916:人間七七四年
09/04/24 00:58:25 gx1OGd2y
徳川家康、ちょっと後悔する。
まだ三遠二ヶ国の頃であろうか、家康があるとき家臣たちの前で
「わしが信長と同盟した時、もう少しじらして武田信玄と同盟するように見せて、
そこであせらせた挙句、信長と同盟しておけばよかったな。
そうすれば信長も徳川をもっと大切にしただろうし、所領も多く増えただろうにな」
そう、笑って言ったことがあったそうだ。
家康ほどの人でも、あの時ああすれば、この時こうすればと色々と後悔していたのだな、と言うお話。
917:人間七七四年
09/04/24 01:07:20 LYjUyeel
>>915
いつの時代の歌かは知らないが、
黒田家2代目藩主が大阪の陣終わったあとにも関わらず、
足軽召抱えたりして軍拡(黒田騒動)したんで警戒したんだろう。
918:人間七七四年
09/04/24 01:09:49 S4Djhz/e
>>916
江戸時代の創作だなあと一発でわかるのも悲しいな
919:人間七七四年
09/04/24 04:48:03 QExKUfaK
第六天魔王様にそんな駆け引きは危険
920:人間七七四年
09/04/24 05:53:23 6MwQ354o
ぽろっとそんなこと家臣に言って耳に入ったらどうすんねん
921:人間七七四年
09/04/24 06:08:19 oVDdeYv4
三河武士なら洩れないさ。
ってのは冗談だが、当時の徳川家中でも少なからず不満があったんだろう。
家康の功績に報いていたとは言い難いからねえ。
922:人間七七四年
09/04/24 08:23:37 4qF1hRUw
信長と同盟したのは1560年以降で当時の松平と武田の勢力を見較べたらすぐにわかるだろ
あれは信康切腹に対する家康なりの仕返し
923:人間七七四年
09/04/24 09:53:25 HO4ZBR7c
>>921
清洲同盟締結時の1563年当時、武田は上杉を敵にして背後の今川とは固く同盟中。
今川から離反独立を企む松平が、どうやって武田と同盟結ぶんだ?
交渉材料にもならない。
徳川の領地はあくまで徳川が自力で切り取った分。武田滅亡で駿河を授かるまでは。
領地が小さいのなら、それは徳川の実力によるもの。織田に不満を抱くのは筋違い。
信康切腹みたいな捏造を除けば、信長は徳川を配下大名としては優遇している。
家康の功績といっても、武田攻めには駿河一国と十分報いているが。滅ぼしたのは
あくまで織田軍だしな。
当時の情勢を知らない後世の人間の創作だと丸判り。
924:人間七七四年
09/04/24 10:21:50 tOOmXBx9
そもそも、家康がそう思ったとしても絶対に口には出さないだろうしね
925:人間七七四年
09/04/24 10:25:13 7vv3TxzD
晩年 信長の事を聞かれても、絶対答えなかったんだっけ?
926:人間七七四年
09/04/24 10:48:33 I/9eDHcz
信玄の事を聞かれると、嬉しそうに喋り出したらしいな
927:人間七七四年
09/04/24 11:31:58 IpQGE6eA
>>923
家康が独立した当時は、三河の大名ではなく豪族程度の実力。
武田が同盟結ぶほどの存在感はないだろ。
928:人間七七四年
09/04/24 11:43:59 66eygMqe
>>925
何か嫌な思い出でもあるのか?信長メモリー
929:人間七七四年
09/04/24 12:17:41 10G/8LQJ
>>928
そりゃあ、あるだろう
なんとなく家康と信長は縁はあっても
性格的に合わなそうな気がする
930:人間七七四年
09/04/24 12:18:28 zBcMmUMk
人質時代に実は掘られていたとか
931:人間七七四年
09/04/24 12:32:43 oSlMPvdn
ありそうだw
932:人間七七四年
09/04/24 13:35:24 ORUzYhZl
>>930
たしか司馬遼が「ひょっとしたら…」と前置きしてそんな説をとなえていたぞ
家康の信長に対する従順さは女のそれに近いって
933:人間七七四年
09/04/24 13:36:25 JlgtxoHZ
同盟じゃなくて降伏なら話はわからんでもないけどな
934:人間七七四年
09/04/24 14:14:28 4lURpcQ2
信玄ファンクラブ会長だから、信玄の事は幾らでも語れるだろうな
935:人間七七四年
09/04/24 14:17:44 2TyeD7Sa
最初は対等同盟だったけど、その後織田が勢力拡大して力関係が傾き、
最後は実質的に傘下大名となってしまったってこった。
936:人間七七四年
09/04/24 14:23:36 /YxH/Mmw
信長時代を語ると芋蔓式に秀吉が付いてくるから語りたくないんじゃね?
937:人間七七四年
09/04/24 14:46:53 phXWy7iS
>>909
龍造寺四天王は本当はザコだけどな。
鍋島には龍造寺四家と呼ばれる有能な龍造寺一門衆がついていた。
立花道雪・宗茂・高橋紹運を柳川城で撃退した龍造寺家晴とか、
隆信の息子で、加藤清正を蔚山城から救出した後藤家信とかが、
龍造寺四家のメンバー。
938:人間七七四年
09/04/24 14:59:54 if5WlJtg
>>926
マジで?w 面白いな
939:人間七七四年
09/04/24 15:09:26 tOOmXBx9
「四天王がやられたようだな…」
「所詮やつらはただの数合わせ…」
「四天王のくせに(同時期に)五人いる訳の分からん奴等よ」
「島津ごときに敗れるとは竜造寺の面汚しめ…」
940:人間七七四年
09/04/24 15:14:36 if5WlJtg
四天王のくせに(同時期に)五人いる訳の分からん奴等よ ワラタw
五人いたら数合わせになってないしw 足し算できてない
941:人間七七四年
09/04/24 16:28:08 gx1OGd2y
丹羽長重の小松城に、豊臣秀吉が立ち寄るという折の事。
長重の家臣に、成田官九郎と言う者がいた。
彼は長重に説いた。「秀吉は先君長秀公を、北陸管領にすると賤ヶ岳の折約束しました。
ですが長秀公が没するとたちまち小松12万石に減じ、丹羽家は滅亡と言っても良いような有様です。
このような秀吉の不義、憎むに余りあることです。どうか私に秀吉を討つ事をお許しください。
たやすく刺し殺してご覧に入れましょう!」
しかし長重は聞き入れず、この沙汰も事止みとなった。
ところが、秀吉はどこからかこの事を知り、大いに怒って成田を捕らえようとした。
成田は小松を退き伊勢の朝熊に隠れたが、終に探し出され、殺されたとのことである。
おそらくは内々の話し合いであったに違いないこの陰謀を、秀吉が知ったという事は、
既に丹羽家の内部に秀吉は、相当の内通者を持っていたのだろう。そんな事を感じさせるお話。
942:人間七七四年
09/04/24 17:00:39 10G/8LQJ
織田の遺臣に対してる時のラスボスは
なんか末期のラスボスの影を感じる
943:人間七七四年
09/04/24 18:59:15 qQWkqgLx
>>940
まあなんだ。 チャンバラトリオも確か4人いることだし。
944:人間七七四年
09/04/24 20:24:12 wwcgDFZV
残念ながらチャンバラトリオは現在3人です
945:人間七七四年
09/04/24 20:49:57 qqGpSm/L
四天王なのに5人と言われてもクロマティ高校しか連想できん。
946:人間七七四年
09/04/24 21:40:40 e8X92GTO
>>945
クロ高のそのネタは竜造寺四天王を参考にした
んではなかろうか
947:人間七七四年
09/04/24 21:41:24 VA1h2ZHe
転封後の本多正純の話
転封は正純が山形で最上改易の処理をしていた際、電撃的に告知された
すでに鳥居忠政や佐竹義宣らが幕命を受け、軍勢を展開している
正純は身辺の家臣とともに、おとなしく転地の由利本城へ向かった
しかし、正純が到着した翌日、佐竹軍が本多家の居城となるべき本城城を破却
二十日後には、佐竹家重臣の梅津政景より、「今後は一切お付き合いしません」と通告される
翌月には、正純の荷物が佐竹領を通ったら差し押さえろ、とのお達しが幕府より下る
追い詰められた正純は由利の受領を拒否
結果、佐竹家の横手城へお預けとなり、知行は1000石とされる
しかも、佐竹家には百姓といえど正純の知行地と交流させるな、と命じられていた
二年後、正純に番がつけられ、幽閉が強化される
四年後、ともにお預けされていた嫡男・正勝が死去する
十一年後、幽閉のまま正純も死去する
政争に敗れるとはこういうことだった、というお話
948:人間七七四年
09/04/24 22:00:11 x6k+VbyP
>>932
司馬遼が司馬遷に見えた
ちょっと去勢されてくる
949:人間七七四年
09/04/24 23:17:10 fvXltwx0
>>948
初めての人になってやるから大切にな
950:竜造寺四天王の思い出
09/04/25 02:35:36 RnbeueR/
ヽ 丶 \
隆信様 \ ヽ ヽ ヽ
/ / ヽ \ ヽ ヽ
/ | ヽ \ \ ヽ ゝ (宗麟)
ノ 丿 \ 鮭 \ ヾ
ノ | | 丶 \ \ (宗麟)
/ \ \/| (宗麟)
ノ | | \ | ↑
/\ \ | ( ↑
/ \ / | ) (
/ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( )
/_ \ ) ( 猫
 ̄ | な 四 | ̄ ノ⌒ ̄⌒γ⌒ ̄⌒ゝ / /
| い 天 4| ノ 有馬 . ゝ / /
| で 王 人| 丿 ゞ _/ ∠
| ね の に| 丿/|/|/|/|\|\|\|\|\ゝ .\ /
| ! 事 な| │ V
―| と 忘 っ|―――――┼―――――――――
/ い れ てヽ 巛巛巛巛巛巛巛巛 人巛巛巛巛巛巛巛巛巛巛鍋島
う .も
気
持
ち
951:人間七七四年
09/04/25 02:50:52 Uk5Qv9Kx
うかつにも「猫」でこんな夜中に爆笑してしまったw
952:人間七七四年
09/04/25 03:24:43 tmmFTiek
コピペくせに的確すぎるぜw
953:人間七七四年
09/04/25 13:51:55 72m+wc6p
五大老だって徳川家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・小早川隆景の5にn・・・
あれ?合ってる・・・
954:人間七七四年
09/04/25 13:54:58 wwtUAtpk
宇喜多秀家、前田年長
955:人間七七四年
09/04/25 14:52:17 pcAba+0+
小早川→上杉
前田→前田
こちらは死んだら
956:人間七七四年
09/04/25 15:40:15 Uk5Qv9Kx
宇喜多直家が毛利から離れ、羽柴秀吉を通して、織田信長に付いた頃のことである。
宇喜多方の国人に、備前国津高郡虎倉城主、伊賀久隆と言う者がいた。
彼は無二の宇喜多方とされ、また毛利に「加茂崩れ」と呼ばれるほどの大敗の屈辱をなめさせた
武将であった。
が、その高名をわずらわしく思ったのであろうか、それとも何か疑念を抱いたのであろうか
宇喜多直家は、これを殺すことにした。
その頃伊賀家は岡山城下に屋敷を持ち、久隆とその嫡子興次郎が、そこと虎倉の城を
交代で在住していた。
岡山に久隆が在る時、直家は饗応を開き、城下にいた家臣国人たちに食事を振舞った。
さて、久隆は下城の途中、久隆の家臣と知り合いであった宇喜多家の料理人から、密かに
こう告げられた
「今日の料理には毒が入っていました。急いで解毒剤を用いてください!」
久隆これを聞き、「今解毒をして生き延びても、直家はとてもわしを生かしてはおくまい。
必ず殺される。同じ死ぬのなら、城に籠って討ち死にすることこそ本望だ。」
と、岡山を脱出し、馬を飛ばして深夜に虎倉の城に帰り、家人を集め篭城の支度をさせた。
子の興次郎は急いで解毒薬を作り久隆に与えたが、既に手遅れだったのであろう、
夜のあける頃に、死んだ。
それから虎倉城は半年以上篭城をし、宇喜多勢もそれを攻略できなかったが、
毛利勢が備中に攻め込んだときそれと合流し、城を放棄し共に引き上げていった、とのことである。
数ある直家の暗殺の中でも、いまひとつ目的のはっきりしないお話。
957:人間七七四年
09/04/25 19:51:39 InDbnMlF
家中でもかなりの高禄を食んでたらしいし直家も死期が迫っていたから焦りが出たんじゃないかと俺は思う。
958:人間七七四年
09/04/25 22:04:51 1UTGwk5+
何故暗殺したのかって?
そこに人がいるからに決まってるじゃないか。
と言う冗談は置いておいて、毛利方の調略って線はないの?
959:人間七七四年
09/04/25 23:57:01 SQVIpaHf
>>955
隆景生前に既に景勝の大老活動は始まってるから実際は六大老です。
960:人間七七四年
09/04/26 00:13:57 izwvY4aM
>>959
隆景は死去ではなく引退による交代だろ。
961:正純
09/04/26 01:09:24 24/jJNWN
>>956
で、毒が効いていないように見えるのですが
962:人間七七四年
09/04/26 10:13:21 y97dQQ3f
伊賀氏は宇喜多の離反には付き合ったものの宇喜多の家来ではないし、
一時期は国境を越えて備中国上房郡阿賀郡や美作国真島郡にまで及んでいた
一大勢力を築いていて、そのまま毛利につかれると厄介だったんだろうね。
便乗して同じ時期、伊賀領と旭川を挟んで隣の地域の話。
美作高城主竹内善十郎為能は当時毛利に属しており、彼の治める垪和郷は毛利にとって
備中から美作東部、因幡方面へ向かう回廊の一つであった。
宇喜多にとっても竹内氏は美作西部への兵站に目障りな勢力であり、吉川元春による失地
回復の為出陣した宇喜多本隊により、竹内一族の一の瀬城も呆気無く攻略された。
そこで竹内氏は近隣の地侍に合力を求め、毛利にも援軍を要請し兵糧や鉄砲衆、備中勢の
加勢を得て守りを固めていた。また備中との境目にも改めて毛利の一所衆が配備されて、
その何割かが垪和郷に後詰として着陣していた。
さて、垪和郷攻防戦は天正八年二月に始まり緒戦は毛利方有利であったが
戸川、岡、長船らの部隊が到着すると逆転した。
諸城陥落し城兵は高城へと落ち延びていき、三月中旬ついに高城合戦が始まった。
前置きが長くなったが、ようやく本編。
宇喜多家臣馬場重介職家は谷の方面の討手であったが、数刻経っても敵が現れない。
退屈して嶺に上ると出会い頭に敵と遭遇してしまった。敵は五段に備えていたが、
鉄砲で備えを崩し自身も槍をふるって三段目まで打ち破ったところで
敵の鉄砲が重介の右の股に命中した。鉄砲が放たれる中、重介は心は猛く進むが、
出血多くもはや前進できなくなり、土手を楯にして討ち死にする覚悟で敵を待ちうけた。
その時向かいの谷の柴の陰から鉄砲が放たれ重介の右肩甲骨の内から肘までうち抜いた。
竹槍で布袋を突き通したような感じで、目もくらみ、心も動転し、
世界がまるで朝顔の花の色のようにみえたという。
気を取り直して眼を開くと、田中藤介が登って来て、重介を励まし退くように説得した。
重介が、「深手を負ってしまい敵の追手に討たれるに違いないから潔く自害したい、
藤介こそ早く退け」と言うと、藤介は「某、ここを一足も退いたりしない。この覚悟なら
堅固に防ぐことも難しくない」と言い、そこに重介の部下も来て重介を引きとった。
藤介は一斉に鉄砲を放たせ槍をふるって突入し、敵は引き揚げた。
この谷は激戦で多くの血が流されたので大血谷と呼ばれ、現在の地名大地谷の元になった
と伝えられている。鉄砲に討たれた瞬間のことを記述している珍しい話である。
963:人間七七四年
09/04/26 10:19:17 y97dQQ3f
その後の話
竹内氏は高城合戦で数回大規模な攻勢を掛けられるが、その度防戦撃退し、ついに宇喜多
の将の一人平尾弾正を討ち取った。竹内方の勝利で宇喜多勢は陣を引くが、包囲は続く。
同月の辛川合戦、翌月の虎倉合戦では宇喜多方が大勝を収め、高城包囲網は崩れない。
竹内善十郎は弟を使者にして毛利にさらなる援軍を要請するが、包囲を突破して援兵する
のは難しいとの返事で、四月以降の毛利からの書状は現存していない。
毛利からも見捨てられた高城はその後も籠城を続けるが、
いつも通り宇喜多の調略により城将の一人が寝返り、八月落城した。
高城から谷を挟んで南側に鶴田城があり一族の杉山氏が守っていた。鶴田城主の姫は
麓で若い寺小姓と出会い、度々の逢瀬を楽しんでいたがいつの日か姿を見せなくなった。
その直後から宇喜多勢の攻勢が強まり高城陥落後、鶴田城も間もなく落城した。
落城後この男が宇喜多の間者と知った姫は、絶望のあまり旭川の渕に身を投げ、
それ以来「姫こ渕」と呼ぶようになったという。
竹内一族では竹内久盛が有名だろう。彼は一の瀬落城後、高城には入らず
播磨へ落ち延び後に宇喜多家臣新免氏を頼ったという。
馬場職家は間もなく復帰し、二年後の八浜合戦では殿をつとめ八浜七本槍に数えられる。
晩年には子供達に「侍たるもの決して臆病であってはならぬ。(中略)生きるも死ぬも
運次第で臆病になる必要がないのはこの自分の例からも明らかであろう」と語り、
七十七歳の天寿を全うしたという。
964:人間七七四年
09/04/26 10:40:51 gJ44A6sQ
すごいな。このまま岡山県の新聞あたりに、歴史コラムとして載ってても
おかしく無いような話だわ。
しかしあのあたりは戦国後期まで中小勢力がせめぎあっていた中、そこに尼子、毛利、織田って
巨大勢力が介入してきてるから、一つ一つの合戦が、規模のわりに、異常に凄惨なものに
なっているって印象があるな。
965:人間七七四年
09/04/26 11:12:15 +Juf3Ch9
>>956
松田元輝を抹 殺 するときに伊賀さん一役かってるんだよな
……用済みでしか
966:人間七七四年
09/04/26 11:16:27 +Juf3Ch9
>>964
派手な野戦をしなくても干 殺し 、水攻めとか飢餓必至だもんね
967:人間七七四年
09/04/26 13:14:26 AV6viTFi
>>961
ただ単に、宇喜多から出されたご馳走のなかに毒は入ってなくて、「毒入ってたから毒消し飲めや つ【解毒薬】」って言って解毒薬(実はこれが毒)を飲ませようとしたんじゃないのか……
968:人間七七四年
09/04/26 14:03:04 9weSNB3d
>>967
推理小説の殺人事件とかでよく見かける方法だな
969:人間七七四年
09/04/26 16:13:21 gJ44A6sQ
元和6年(1620)有馬豊氏が田中忠政の病没、改易によって、筑後南部を拝領した時の事。
福岡の黒田長政が豊氏を見舞いに来て、ふと、
「そういえば有馬殿は、どこに居城になされるのですか?」
と、聞いてきた。
豊氏は
「田中家の時と同じく。久留米を居城にしたいと考えております。」と言う。
これに長政
「あなたの領地は九州の真ん中にある国であり、どの方向からも敵を受ける可能性があります。
で、あれば、居城も中心部におかず片方に寄せ、我が領地に近い場所に居城を
御作りになるべきではありませんか?
そのようにいたされれば、普請のために使う木材なども、手近ですから我が領地から
送って差し上げられますに。」
この助言に豊氏も
「いやいや、これは懇ろなるお言葉、痛み入ります。」
と、丁重に礼を申し述べた。
さて、その後豊氏、長政の助言を完全に無視して、やはり久留米を居城にした。
この件に関して豊氏は家臣たちにこう語ったそうだ。
「黒田のやつめ、あれは九州に動乱が起こったとき、速やかに筑後を手に入れるための策略だよ。」
元和偃武もかなりたったと言うのに、まだまだ野心満々(と周りから見られている)の、
黒田長政なのであった。
970:人間七七四年
09/04/26 19:01:58 uNcdy9DF
加藤清正は主君豊臣秀吉が茶道に耽るのを憂慮していた
茶道は武士のやることではないと考えていたが秀吉に茶道を止めるように諫めても聞く耳を持たない
ある日清正は茶道を学びたいと千利休を訪ねた
利休はこれを大いに喜んで茶室に案内した
しかし清正、脇差を腰に差したまま茶室に入ろうとする
それを見て利休は脇差は茶室の外に置くように諭した
だが清正は刀は武士の魂故に一時も話すことは出来ないと拒否
利休は笑いながらこれを許した
実は清正、かくなる上は利休を暗殺して禍根を断とうと考えていた
これから暗殺するのに丸腰になるわけにはいかない
いざ茶室に入り脇差を側に置いて隙あらば利休を刺し殺そうを
利休から目を離さず一挙一動を凝視し続けた
が、隙がない
落ち着いて茶事をこなし釜を手にすれば釜が盾になり火鉢を手にすれば火鉢が盾になる
清正は何時までたっても寸分の隙のない利休にどうしたものかと悩み始めていた
すると突然利休が突然炉を手にとってぶちまけた
灰が室内に舞い上がり降りかかった灰が清正の目や鼻に入る
清正は堪らず庭に飛び出した
少しして利休が清正を呼んだ
行ってみると利休の手には清正が茶室に残した脇差がある
「あんたの武士の魂はどうしたんだよ。これでも俺を殺すのか?」
全部バレていた
清正は大いに恥じて、以後本当に利休から茶道を学んだという
971:人間七七四年
09/04/26 19:04:45 mx+81YwH
ちょっちゅね
972:人間七七四年
09/04/26 19:29:26 bpLNMAEH
一方秀吉は利休を殺した
973:人間七七四年
09/04/26 19:34:38 9jfIDI/I
ダーメダメダメ!!普通に茶を点てちゃダメと申したでしょ!!?
相手に意表をつく茶会じゃないと!獲物を襲う虎の如くね!
これじゃあ宗匠の物まねで客にも飽きられるよ!!
974:人間七七四年
09/04/26 19:42:04 9QGzGDJT
このへうげものどもめ
975:人間七七四年
09/04/26 19:49:41 gJ44A6sQ
980を踏んだ方、スレ立てお願いします
↓スレタイ
戦国ちょっと悪い話9
↓テンプレ
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっと悪い話8
スレリンク(sengoku板)
姉妹スレ
戦国ちょっといい話9
スレリンク(sengoku板)
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
スレリンク(sengoku板)
976:人間七七四年
09/04/26 19:58:36 Dziv7p1l
>>970
おもしろい
やっぱり秀吉のまわりには一癖あるのが多いんだな
977:人間七七四年
09/04/26 19:59:27 0dfizlBP
ホヒョン殿の花籠強奪話はやったん?
978:人間七七四年
09/04/26 21:34:14 SQtq/iIq
>>970
清正は武士道をどうゆう風に考えているかよくわかった
979:人間七七四年
09/04/26 22:15:56 odJS4d7P
>>963
これって、あっち(いい話)でいいよ。
朝顔なんて、体験者しか語れない。
980:人間七七四年
09/04/26 22:17:04 /bDfLDJK
>>970
なるほどこれが落語の髭茶につながるのね
981:980
09/04/26 22:19:48 /bDfLDJK
あっごめん携帯です。
次の方お願いしますm(_ _)m↓
982:人間七七四年
09/04/26 22:37:47 6xTTMmZ8
では新スレ立ててみるよ。
983:人間七七四年
09/04/26 22:39:42 6xTTMmZ8
スレリンク(sengoku板)
新スレたちました。
エイ エイ オ~
984:980
09/04/26 22:50:46 /bDfLDJK
>>982さん乙です。
ありがとうございました!
次も頑張っていきましょう
えい えい お~
985:人間七七四年
09/04/26 23:26:50 uNcdy9DF
かけ声ってやっぱ軍団ごとに違うんだろうか?
986:人間七七四年
09/04/27 01:22:59 cDNZsLwg
勝鬨のエイエイオーは武田流じゃなかったっけ?
つまり日本のスタンダードになった
987:人間七七四年
09/04/27 01:41:49 LhcYXg3S
>>986
徳川が採用したからなー
988:人間七七四年
09/04/27 02:17:38 g1rIpQoV
鬨の声に関しては
「エイ エイ エイ!」←確か初期の三河流はこうだったとか
「エイ トウ エイ!」
「エイ エイ トウ!」←武田流
と、何種類かあったようね。勝ち鬨によってどこか勝ったかって言うのも
解る様になっていたんでしょうな。
鬨の声と言えばこんな話が
永禄十三年、武田信玄が駿河の花澤城を攻めたとき、信玄の旗本の
落合冶部と言う者が討ち死にした。
敵はこの冶部の首を取ろうとし、冶部の弟左平次をはじめとする武田軍の面々は、
屍骸を引き取ろうと駆けつけ、敵味方入り乱れる混戦となった。
この時、これを高台の本陣から見ていた武田信玄は、旗本の者たちに一斉に鬨の声を上げさせた。
敵、突然の鬨の声に驚き、城に引き返した。
このため武田方は無事、落合冶部の屍骸を回収したとのことである。
しかしこれは悪い話ではないなw
989:人間七七四年
09/04/27 02:29:12 WWgVKOza
さすがだな
まあそれはどうと猪木の例のあれも勝鬨の一種だろ
123 ダー
990:人間七七四年
09/04/27 03:24:03 j3pDo5AZ
それでは皆さん、ご唱和ください
3 2 1 ハッスルハッスル!
991:人間七七四年
09/04/27 07:44:21 cLzxjDfQ
>>970
これ凝視してたからバレちゃったんじゃないか?w
>>988
とっさの機転が素晴らしい
悪い話じゃないけど
992:人間七七四年
09/04/27 11:48:22 0tRj070S
勝ち鬨って、風水とか縁起とかが絡んでて、その場合に応じて
やり方も音頭取る人間も変えるんじゃなかったっけ?
ウロ覚えだが、そういうのを以前 本で読んだ気がする。
993:人間七七四年
09/04/27 12:45:46 KdXQKSKT
一本締めといっているのにパパパンとかやる奴は戦国の世なら打ち首
994:人間七七四年
09/04/27 12:49:12 Hr6pjrrp
一本締めなら「パパパン パパパン パパパンパン」だな。
995:人間七七四年
09/04/27 13:27:22 KdXQKSKT
wikipedia読んできた
なるほど、一本締めと一丁締めがあるのか。勉強になったでござる
しかし拙者の周りもこの二つを混同しているものばかりなので
この知識はしまっておくでござる
996:人間七七四年
09/04/27 14:15:49 +7ox6Tct
一本締めの派生として伊達政宗が三国一をめざすぜ!の意味を込めて3回と1回手をたたく(パパパン、パン)伊達一本締めなるものがあったそうな
ただ徳川の天下になるとヘタレて止めてしまったそうだが
997:人間七七四年
09/04/27 17:47:20 g1rIpQoV
埋めがわりに、いい話のほうの前スレの最後の方に出てた、
大太刀「次郎太刀」を振るう「姉川合戦図屏風」の真柄十郎左衛門
URLリンク(www2u.biglobe.ne.jp)
998:人間七七四年
09/04/27 18:08:16 cLzxjDfQ
…人間?
999:人間七七四年
09/04/27 18:20:07 vZlNsp3V
漫画みたいだな、ここまで長いと
1000:人間七七四年
09/04/27 18:20:51 oR3QUYm7
柄だけで脇差より長いなw
1001:1001
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