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織田信長がまだ、尾張一国の大名であった頃の事。
信長の下では、柴田勝家と坂井右近が、軍部行を勤めていたが、信長はこの中に、
蜂屋頼隆を加えたいと考えた。
これを知った柴田、坂井の両人は、信長にこのように言った
「蜂谷を軍奉行にするのであれば、我らの軍奉行の役職を召し上げていただきたい。」
要は、俺らを蜂谷みたいなぽっと出と同格にする気なのなら、そんな役職
御免こうむります。ということだ。
これに信長は激怒―、しない。
彼らを無視して自分の考えを強行―、も、しない。
良く誤解されているが、信長という人物は特に短気という訳でもなく、独善的なわけでもない。
この時も信長、書状で二人に懇願した。「どうにか蜂谷の軍奉行就任に、同意してくれないか?」
しかし両人とも、にべもなく拒絶。
そこで信長は二人を呼び、直接説得をした
「蜂谷が、お前達二人と同じ武功があるわけでは無い事、これはわしもちゃんと解っている。
しかし蜂谷は諸事、頭の回転が速い男だ。
例えば戦の状況によって、お前達二人のうちどちらかがわしの元に報告に行かねばならぬことも
あるであろう。また、わしの方から、両人一致の意見を聞かねばならぬこともある。
そのような時蜂谷がいれば、これをわしの元への使いよこし、又、わしがそなた達の意見を問う時にも
奴を遣わせば、いかにも便利になるではないか。
そのようなわけで、蜂谷をお前達の中に加えたいのだ。」
この言葉に柴田、坂井は納得をし、蜂谷の件に同意したとのことである。
信長も、人事には色々苦労したのだ、と言うお話。