09/04/18 16:45:53 dgvH6NBl
武田信玄の四男が元服し、諏訪四郎勝頼を名乗った頃
まだ武田家には、信玄の正室三条の方の長男義信がいた。
勝頼は四男だが、次男は病を得て盲目で出家しており、
三男は幼い頃に病で亡くなっているから
長男さえ居なければ勝頼でも家を継ぐことができる。
かくして勝頼はある企みを思いついた。
その頃義信はとある女性を寵愛していたのだが
あまり衆目に晒されたくない関係だったのか
というか正妻や父に知られたくなかったのか
守り役の飯富虎昌の家に預け、近習の長坂源五郎(長坂釣閑斎の息子)
を連れて毎晩飯富の家を訪れては朝帰りをしていた。
これを知った勝頼は目付や横目を買収して
「義信様が飯富虎昌の屋敷にて曾根周防らと
人を遠ざけ御密談をなさっておられるのですが
これがどうもお屋形様を信虎様の例に習って遠ざけ
家中を手っ取り早くものにしようという謀に違いありません」
と訴えさせた。
この訴えを知った信玄は、義信を蟄居させると
飯富・曾根・長坂らを捕らえて尋問したのだが、元来忠臣の飯富らは
「そのようなことは決して御座いません。
何故我々がお屋形様に背きましょう。
これは何かの間違いです」
と涙を流して言って、女性のことも正直に言ったので信玄はこれを信じかけた。
それを知った勝頼は、今度は信玄の側近や侍女達を買収し
「どうやら謀叛の首謀者は飯富だとか
飯富は義信様を美女を用いて迷わせ
反逆を唆したそうです」
と言わせた。
信玄はそれを信じ、飯富らを切り
更に義信を三年幽囚させた後切腹させた。
そして勝頼に家督を継がせたのである。
武田勝頼という男はこんなひどい男なのだから、
武田滅亡もさもありなん。
……なんていう話が江戸時代、まことしやかに囁かれたそうなんだが、
読めばわかる通りツッコミ所は満載。
まだ十七な上に高遠に入って諏訪を名乗っていた勝頼が
なんでそんなに賄賂ごときで人を動かせる?とか
あの信玄がこの程度の謀見抜けないわけねーだろwどんだけ信玄バカなのwwとか
死者に鞭打つ江戸徳川史観の悪いお話。