戦国ちょっと悪い話8at SENGOKU
戦国ちょっと悪い話8 - 暇つぶし2ch729:人間七七四年
09/04/17 19:09:35 dZt0n/ml
>>752
京を見捨てて貿易で栄えた大内氏を頼った公家も大勢巻き込まれてるんだよな
戦国に安住無し

730:人間七七四年
09/04/17 19:17:18 HEO8MgXj
>>752・・・だと・・・?

731:人間七七四年
09/04/17 19:26:10 95tLgIpJ
>>728
宣教師もビックリだよな
わざわざ見えるように積むなよ…

>>729
伊東義祐「公家の皆さんもうちに来れば良かったのに」

732:人間七七四年
09/04/17 19:31:57 rxjWCbku
>>728
光秀の築いた福知山城もどっかに墓石が使われていると聞きました
当時はこういう事が結構あったんですかね

733:人間七七四年
09/04/17 19:49:44 nNtQ8qEp
>>729
うn
殺された公家で有名なのは武田信玄の正室・三条の方の父親三条公頼や、二条良豊など
特に二条良豊は死ぬ前に内藤興盛に伝言を頼もうとしたが、良豊を襲った兵は
話が通じないタイプだった為に伝言を聞く前に良豊の首をはねてしまった
陶の兵がここまでやった背景には都落ちした公家に対する積年の恨みがあったと思われる

734:人間七七四年
09/04/17 20:07:06 95tLgIpJ
宣教師も山口が安定してると見て拠点にしてたがこの乱のせいで拠点を失ってるんだよな
当時としては衝撃的な事件だったんだろう

735:人間七七四年
09/04/17 20:11:34 MC3q6x/Q
>>734
経済力で言えば、当時最大の大名が大内だっただろうしね。

736:人間七七四年
09/04/17 23:05:15 MC3q6x/Q
二羽の鴨

蘆名盛氏が岩崎の向羽黒山城で隠居の頃、鷹狩りで、鷹が一度に二羽の鴨を捕えた事があった。
それから間もなく、盛氏は死んだ。

後を継いだ蘆名盛隆も鷹狩りの際、秘蔵の鷹が一度に二羽の鴨を捕えた事があった。
盛隆はこの年、家臣によって殺された。

そして会津に移封されてきた蒲生氏郷も、塩川での鷹狩りで一度に二羽の鴨を捕えた事があり、
その年に死んだ。


つまり会津では鷹狩りの際、一度に二羽の鴨を取ると、死亡フラグなのだ。
会津の人、鷹狩りの際は気をつけて!


737:人間七七四年
09/04/17 23:45:43 2yxDX7be
そうカモな

738:人間七七四年
09/04/18 00:07:28 3UZhcpqZ
>>737

739:人間七七四年
09/04/18 00:25:43 5TVpKKrF
>>737

740:人間七七四年
09/04/18 00:29:04 3p4zWcSZ
>>737

741:人間七七四年
09/04/18 01:05:15 awLEZejE
>>737は一言で三羽の鴨を釣りました。
もう死亡確定です

742:人間七七四年
09/04/18 01:15:49 Wn67dZPd
島津忠良(日新斎)には嫡男の貴久の他に、忠将と尚久という息子がいた。

次男・忠将は貴久の6つ年下。
異母弟の三男・尚久は貴久より17歳も年下で、貴久の息子・義久より2つ年上。
尚久は義久・義弘とは日新斎のもとで兄弟同然に育ったといわれる。

忠将は薩摩大隅の領内統一戦に於いて、ほぼ全てに参戦し各地を転戦、武功を上げた勇将だった。
貴久を良く補佐し、戦では常に最前線に立ち続け、初期の戦国島津家を支えたのは武略に優れた忠将だったという。
貴久と忠将の兄弟関係は、後の義久・義弘にも大きく影響を与えていると言って良い。

尚久は日新斎の隠居地・加世田からほど近い鹿籠(現在の枕崎)の地頭になり、こちらも各地を転戦していた。
鹿籠は坊津を含めた南薩摩の南岸一帯を抑える拠点であり交易や倭寇の統括も任されていたと伝わる。
尚久は日新斎晩年の子で可愛がられて育ち、一説には成人する頃には身の丈七尺もあり四尺の大刀を
軽々と振り回す大層なイケメンだったそうな。

そんな貴久の弟二人であるが、肝付兼続や根占氏・伊地知氏との廻城攻防戦(1561年)で一気に運命が暗転する。
忠将は竹原山にて町田久倍らの味方が未明に肝付勢の急襲されたとの報を受け、救援するため馬立塁から出陣。
小勢での救援に家臣は本陣を動かないよう忠将を諫めたが聞き入れず出撃したところ、山中で伏兵の挟撃を受け
後続の味方が駆け付けた時には忠将主従数十人は悉く討ち死にしていたという。享年42。
この後、貴久は肝付勢を一旦退けることには成功したが軍を立て直すために一時撤退。

三州統一に向け順調に邁進していた最中の忠将の若すぎる死は、当然ながら家中に大きな動揺が走る。
殊に忠将に大きな信頼を寄せていた日新斎の嘆きと哀しみは計り知れぬものがあった。

廻城合戦では総大将の貴久を初め、尚久や義久など主だった武将はほぼ参戦していたが、ここで日新斎は
「……なぜ忠将をすぐに助けに行かなかったのじゃー!!」
と、忠将を失くした怒りと悲しみの矛先を 『尚久の敵前逃亡』 と決めつけ激しく叱責したのだった。

尚久としては救援に向かうも城の南方にあった忠将の陣とは深い谷に阻まれていたため
進軍が遅れたわけだが、父・日新斎の敵前逃亡の謗りに大きなショックを受けた。
「何故オレが…」と思ったであろう尚久、このことを大変気に病んだと言い
翌年(1562年)に病を発し、32歳の若さで急死。
地元の郷土史には衝撃と心外の余りショック死したと伝わる程の顛末と相成ることに。

尚久の家臣・尾辻佐左衛門は、悲憤しつつ亡くなった主人を憐れみながらかねての約束もあり、
殉死すべく日新斎のところへ挨拶に伺ったところ、両刀を取り上げられてしまったので
近くにあった石角で切腹して尚久の後を追ったそうな。

日新斎は1568年に77歳の長寿を全うしたが、忠将・尚久の息子二人に先立たれた悲しみは非常に深かったという。
晩年の日新斎のちょっと寂しいお話。

743:人間七七四年
09/04/18 08:40:16 cxaLeUHe
陶決起を知っていたのに遊蕩三昧の義隆は世の末を感じてたんだな。

744:人間七七四年
09/04/18 08:58:57 vCqVIurp
陶って、いい加減にしないと謀叛するぞって言い続けながら我慢してきたんだっけか

745:人間七七四年
09/04/18 09:27:05 8ENrp2SP
島津一族は鎌倉以来といっても、あまりに支族が増えすぎて
この時代、実力は国人とそれ程変わらなかったのでは。
精々数百人規模の動員力では。運悪ければ大将も逝くでしょう。
貴久は、鉄砲が上手かったとか。

746:人間七七四年
09/04/18 09:52:18 CjE82gJS
>>743
スエの決起を知り世のスエを感じてたんですね。
わかります。

747:人間七七四年
09/04/18 10:22:28 NvHg6h7O
>>725
義隆だけ平和ボケしてる感じだな。
あと陶さんの性格は短慮らしい。

748:人間七七四年
09/04/18 10:24:43 mSl77JJF
>>747

余の陶を感じてたんですね義隆さん
わかりまアッー!。

749:人間七七四年
09/04/18 10:38:50 SBrP0tZO
義隆は敗戦で嗣子を失うまでは西国の雄に相応しい立派な大将だったのに。それ以降はなぁ・・・
都落ちした貴族達との交流があるせいで諸行無常を強く感じていたのかな

討死にした嗣子・晴持は土佐の一条房基の弟でなかなか立派な大将だったらしい
・・・と聞くとなんとなく義隆と長曽我部元親とが被るように感じる

750:人間七七四年
09/04/18 12:29:20 mSl77JJF
信玄「嗣子を失う、なんと悲しい事か!その気持ち良く判る」

751:人間七七四年
09/04/18 12:46:06 5TVpKKrF
甲斐宗運「いや本当によく分かる!」

752:人間七七四年
09/04/18 13:33:42 53fFVnJU
徳川家康「忠次よ、お主も倅はかわいいか……」

753:人間七七四年
09/04/18 13:40:51 53fFVnJU
>>711
猿芸をみせればよかったのに…… なるべく太閤さんの前でうw@!くせmω

754:人間七七四年
09/04/18 13:42:00 3p4zWcSZ
植宗「倅がかわいくないわけなかろう」
晴宗「いやまったく」

755:人間七七四年
09/04/18 14:41:01 Y1vNKVCt
宇喜田直家「娘はかすがいじゃ」

756:人間七七四年
09/04/18 14:58:37 r2yQH4pG
>>742
そんな尚久さんの同母妹が同じ戦に参加していた義久さんの嫁です・・・
義久から見るとおばさんのはずだが、>>742さんの話からすると年離れてないのかも。

>>750-755
くそっ、ここが2ちゃんねるなら「おまいらまとめて逝ってよし」といえるのだが
そうそうたる胡散くs・・・いやご立派過ぎるメンバーだぜ_

757:人間七七四年
09/04/18 15:26:17 WnCCQo08
おばさんと結婚したのか?
珍しいな。どういう政略結婚だ

758:人間七七四年
09/04/18 16:45:53 dgvH6NBl
武田信玄の四男が元服し、諏訪四郎勝頼を名乗った頃
まだ武田家には、信玄の正室三条の方の長男義信がいた。
勝頼は四男だが、次男は病を得て盲目で出家しており、
三男は幼い頃に病で亡くなっているから
長男さえ居なければ勝頼でも家を継ぐことができる。
かくして勝頼はある企みを思いついた。


その頃義信はとある女性を寵愛していたのだが
あまり衆目に晒されたくない関係だったのか
というか正妻や父に知られたくなかったのか
守り役の飯富虎昌の家に預け、近習の長坂源五郎(長坂釣閑斎の息子)
を連れて毎晩飯富の家を訪れては朝帰りをしていた。
これを知った勝頼は目付や横目を買収して
「義信様が飯富虎昌の屋敷にて曾根周防らと
人を遠ざけ御密談をなさっておられるのですが
これがどうもお屋形様を信虎様の例に習って遠ざけ
家中を手っ取り早くものにしようという謀に違いありません」
と訴えさせた。

この訴えを知った信玄は、義信を蟄居させると
飯富・曾根・長坂らを捕らえて尋問したのだが、元来忠臣の飯富らは
「そのようなことは決して御座いません。
何故我々がお屋形様に背きましょう。
これは何かの間違いです」
と涙を流して言って、女性のことも正直に言ったので信玄はこれを信じかけた。

それを知った勝頼は、今度は信玄の側近や侍女達を買収し
「どうやら謀叛の首謀者は飯富だとか
飯富は義信様を美女を用いて迷わせ
反逆を唆したそうです」
と言わせた。

信玄はそれを信じ、飯富らを切り
更に義信を三年幽囚させた後切腹させた。
そして勝頼に家督を継がせたのである。
武田勝頼という男はこんなひどい男なのだから、
武田滅亡もさもありなん。




……なんていう話が江戸時代、まことしやかに囁かれたそうなんだが、
読めばわかる通りツッコミ所は満載。
まだ十七な上に高遠に入って諏訪を名乗っていた勝頼が
なんでそんなに賄賂ごときで人を動かせる?とか
あの信玄がこの程度の謀見抜けないわけねーだろwどんだけ信玄バカなのwwとか

死者に鞭打つ江戸徳川史観の悪いお話。


759:人間七七四年
09/04/18 16:49:19 rL+U23HR
>>758
徳川史観関係無しに、家滅ぼした当主は悪く言われるもんだろ。

760:人間七七四年
09/04/18 16:53:14 dpDBX3fS
>>758
徳川じゃなくゴシップ好きな江戸庶民と言うべきでしょうよ

761:人間七七四年
09/04/18 17:04:42 SWOezVJC
>>758
これ改正後三河風土記にある逸話だよな
一応徳川史観ではあるか
海音寺潮ゴローが本のなかで引用してたから覚えてる
こんなんありえねーって言ってた


762:人間七七四年
09/04/18 17:05:10 AtBe+RG8
神話や説話、史話に登場する刀剣類のエピソードを集めたサイトを見てたんだが、その中の「姫切」について。

「毛利元就の次男、吉川元春の所持していた脇指。ある晩、元就を訪ねた元春の後ろから、元春の娘がついてきた。
抜き討ちに斬りつけると女は足早に逃げ去り、血を追っていくと岩穴の中に至った。
地を掘り崩してみたところ、女が死んでいたので、この脇指を姫切と名付けたという。」

元春のDQNっぷりに唖然としたんですが、これについて詳しい人いません?
ググってみても、「姫切」ではろくにヒットしないし、元春の逸話も嫁絡みばっかりだし、気になって…

763:人間七七四年
09/04/18 17:18:25 53fFVnJU
>>757だお。
日新斎じきじきの采配で自分の娘と嫡孫を合体!
一応、総領息子の倅を見込んでやったことらしいが……

764:人間七七四年
09/04/18 17:24:11 53fFVnJU
>>728
信心深い人にはキツい話だが、城や館を築き街を拓こうって時に
毎回々々大石を切り出してくるのは大変な軍役負担だぞ。

むしろ領民や寄騎(大名)の負担を減らすためだったろう

海際や河口でもない内陸部に大石持っていく苦労はわかるっしょや

765:人間七七四年
09/04/18 17:32:23 Pikexkz3
>>764

信長は、わざわざ出所の寺院や石仏を晒しあげるように
石組み作らせたよ。

766:人間七七四年
09/04/18 17:34:01 QXBx2fAi
>>762
何かよく分からないエピソードだな
元春の娘=女って事か?

767:人間七七四年
09/04/18 17:34:38 JrIS5bax
>>762
元就に会いに行く道中、誰か知らん女が付いてきていて、それを振り向きざまズバッと斬ったら
首がスポーンと逝った訳だが何故かその女はその場で倒れることなく走って逃げていった。
血の跡を辿って岩山に行き掘り返してみると、女が真の姿で死んでいたっつー話

768:人間七七四年
09/04/18 17:42:45 58P2yRbX
石の話が出たので。
徳川家による大坂城再建が始まったころのお話。
ある日、細川忠興が普請総奉行である藤堂高虎と出会った。
話が石垣用の石について及んだ時
高虎は「伏見城の石を持ってくればいい。
ついでに日雇い人夫を使えば安くあがる」
それを聞いた忠興「さすがは」と褒めたたえた。

後日息子の忠利へあてた手紙の内容。
「伏見の石だけで足りるわけないじゃないか。
ホント高虎ってやつはつまらんやつだ」




769:人間七七四年
09/04/18 17:43:58 AtBe+RG8
>>767
あぁー、オカルトな話だったって事か。ありがとうスッキリした。

770:人間七七四年
09/04/18 17:45:41 ePeZllAw
>>757
義久の元服後の名乗りは「忠良」だから、日新斎の爺さんは
義久には自分の同名許すくらい相当入れ込んでたらしいね、>>763の言う通り。

771:人間七七四年
09/04/18 18:54:42 WnCCQo08
同じ名門の武田勝頼なんかは外交道具の姫を娶ったのになぁ
せっかくの姫を身内で使っちゃうってなんか勿体無い気も
後妻は種子島氏の子らしいけどさ

772:人間七七四年
09/04/18 19:10:55 Pikexkz3
>>768

築城名人も最強BPD三斎公にかかるとかたなしだわさ。

773:人間七七四年
09/04/18 19:21:51 uwF89boi
その手紙を知った高虎
『ちくじょ~(≧ε≦)』

774:人間七七四年
09/04/18 19:23:38 r2yQH4pG
>>771
せっかくの姫だから目の届くところにおいておきたいのじゃよ

>>768
京都人風味いけずなお話

775:人間七七四年
09/04/18 19:58:51 EflVdIiL
血を集中させる事で特殊性や権威を高める狙い
エジプトみたいに兄弟婚まで行くとアレだが

776:人間七七四年
09/04/18 20:05:40 GKbcSKly
京都人「近江なんて琵琶湖しかないやんw」

777:人間七七四年
09/04/18 20:43:50 ZcUyI14Q
>>776
アメトーークの見すぎ。



778:人間七七四年
09/04/18 21:38:41 WnCCQo08
調べたら義久の後妻もいとこじゃねーか!
悪いほうの家久もいとこだし島津家どーなってんだよ
上代皇室並みの近親婚じゃねーか!

779:人間七七四年
09/04/18 21:43:28 CI8taEQG
一族の縁を繋ぎ止めるのには結婚が一番ですしおすし
毛利もやってんじゃん
五龍局が生んだ娘二人と吉川元長と毛利輝元がそれぞれ結婚

780:人間七七四年
09/04/18 21:48:42 WnCCQo08
もしかして意外にポピュラー?
姫って外との結びつきに使うもんだと思い込んでたわ

781:人間七七四年
09/04/18 22:00:37 3p4zWcSZ
戦後までで武士公家農民問わずもっともポピュラー結婚スタイルが、いとこ婚らしいぞ。

782:人間七七四年
09/04/18 22:52:18 2JIQDORU
下手に他所と縁戚持つと厄介だしな

783:人間七七四年
09/04/18 23:04:42 VXYyOkvT
島津の近親婚は同族間の結束を固める意味もあったんじゃないかな。
一族での争いに明け暮れてたわけだし。
でも久保が死んだからって弟の家久(悪)に嫁がされる亀寿は…

784:匿名希望武将さん
09/04/18 23:45:50 7ifaFiXZ
>>782
滅ぼすチャンスではありませんか?

785:人間七七四年
09/04/19 00:08:36 Dudfa+Bi
U喜多さんあらわる

786:人間七七四年
09/04/19 00:15:55 6lm44Mnt
S玄公「何、妹の嫁ぎ先? そんなの関係ねえ」
S玄公「何、息子の嫁の実家? そんなn(ry

787:人間七七四年
09/04/19 00:44:55 DiZwEyhZ
日新斎の別の娘は肝付家に嫁いでるよ。
しかも権力握った嫁ぎ先を島津に吸収させてる。

788:人間七七四年
09/04/19 01:05:06 D+JQ/QTQ
>S玄公「何、妹の嫁ぎ先? そんなの関係ねえ」
忠興「いやあ」
忠恒「まったく」
義光「同感ですな。」

789:人間七七四年
09/04/19 01:06:06 BXAtYlJe
>>788
義光さん、心配そうにソワソワしながら言われても……。

790:人間七七四年
09/04/19 01:07:16 Dudfa+Bi
>>788
>義光
妹に叱られて戦をやめちゃうような人に言われてもw

791:人間七七四年
09/04/19 01:12:12 pSyMYG4X
>>779
>五龍局が生んだ娘二人と吉川元長と毛利輝元がそれぞれ結婚

元長は早世
TERU元はご存じの通り

実はこの結婚悪い話だったのか?

792:人間七七四年
09/04/19 01:18:54 /7pK8ML5
義光「オレはいざとなれば、妹なんか関係ない非情な男だぜ!?」

793:人間七七四年
09/04/19 01:39:12 2alRbgEa
>>791
>TERU元はご存じの通り
でも決して正室がないがしろにされていたわけじゃないぞ
側室との間に生まれた秀就のことは南の方もかわいがってたみたいだし
墓所は輝元と南の方でセットになってるし

794:人間七七四年
09/04/19 02:43:30 AU3TS5xe
斉藤義龍がその父、斉藤道三を討つため挙兵した時のこと。

稲葉山より川を越え出撃した部隊は、待ち受けた道三側に手ひどくやられ、七段の備えのうち、
六段まで崩されると言う惨状になった。
この時、崩壊寸前の義龍側を、国枝助右衛門がその一手で支えた。

さて、義龍本陣では戦況に付いての詮議が続いていたが、ここで長谷川越中守進み出て、

「今は是非を論ずる段階ではない!全軍、川を越え一気に勝負をつけるべきである!
それがし、先に渡河させていただく!」

と、たちまち部隊を率いて川を超えて行った。
この長谷川の行為に義龍たちも引きずられ、軍を移動させる。
これに前線で耐えていた国枝も力を得、先に渡ってきた長谷川と一緒になり
道三の軍に押し掛かり、義龍側はついに大勝を得た。


さて、問題はその後であった。論功行賞である。

国枝は言う
「今日の勝利は私一人の働きに極ります!
あの、七段の備えのうち六段まで破られた状況の中、私が耐えきったからこそ、
後続部隊が川を渡り、この勝利を得たのです!」

長谷川も言う
「今日の勝利は私一人の勇謀のおかげです!
私の行動こそがお屋形様を動かし、敗北寸前の国枝の命を助け、今日の勝利を得たのです!」

双方、自分が一番だと譲らない。
そこで義龍

「国枝が支え、長谷川が川を越えた。これは確かである。だがな、
余が麾下の大軍を、川を越えよと下知しなければ、今日の勝ちはありえなかった。
これはすなわち、今日の勝利の一番の功は、余、自身にあるということだ。
そうではないか?」

これには両人とも言葉に詰まり、二人は年が明けてからようやく賞せられたとの事である。

手柄の独り占めを主張して、かえって不利を被った、と言うお話。


795:人間七七四年
09/04/19 03:02:16 ULC8BsTH
ちょっと前に墓石を石垣に使った話があったけど
近畿あたりじゃ古墳をそっくりそのまま使った城も結構あるんだよな
なんでも前方後円墳のあの形は城にぴったりで、大した費用もかけずに作れたとか
しかも当時の思考じゃ墓主の加護を期待できるとかで作る側にとっちゃ二重に得
物言わぬ墓主は何を思ったことだろうか

796:人間七七四年
09/04/19 04:53:30 zYPXjnCR
>>792
義光さん、それ妹さんの耳に入るとマズイのでは……?。


797:人間七七四年
09/04/19 05:32:36 vhByb6rw
>>795
案外にぎやかになって嬉しいかもしれないよ
古墳に住んでる方々って血の気が多そうだし
そういうふうに利用されなきゃ結構さびしいんじゃないかな

798:人間七七四年
09/04/19 11:13:38 6cIz4MAu
徳川頼宣の家臣の従士が盗みを働いた。怒った頼宣はその組の
頭・水野甚三郎を呼び寄せた。

「愚か者め、お前は組にこんな阿呆がいることにも気づかなかったか!
即刻、切り捨てて来い!」

「なんと、あまりのことを仰る!親の心子知らずといいます。どうして
組の人間全ての心まで知ることができましょうや。このような辱めを
受けては、もはや上様にお仕えすることはできませぬ!」

そして甚三郎は髪を小刀で切ると城を去ってしまった。翌朝、甚三郎が
気になった頼宣は甚三郎の小舅・水野重良に甚三郎のことを尋ねると、
重良は答えに困って平伏した。そこに家老・安藤直次がやって来て
「重良殿、すぐに甚三郎を呼び戻すのです」と2、3度繰り返して言った。
これを聞いて頼宣はこう言った。

「帯刀はなぜそんなことを言うのだ。あいつはわしに責められて勝手に
出て行ったのだ。呼び戻す必要などあるまい」

「親の心子知らずといいます。組子全ての心中を把握するなど不可能です」

直次が甚三郎と同じことを言うので、頼宣は反論したが…

「ムッ!だがな、かつて父上は従士が奥女中に恋文を送ったときに、
その従士頭だった松平若狭守を改易したという先例がある!」

「権現様は仏でも神でもない、ただの凡夫であらせられました。どうやら
子というものは親の行ったくだらぬことまで学んでしまうようですな?」

頼宣の顔をじっと見つめながらそう皮肉ると、直次は退出したという。

799:人間七七四年
09/04/19 11:40:49 pSyMYG4X
>>793
       ____
     / TERU \
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   そうだお!
  |     |r┬-|     |   南の「うちの嫁さんは婆で立つ物も(ry」といったDQNとは違うんだお!
  \      `ー'´     /

こうですかよく分かり(ry

>>795
茶釜を爆発させた人の多聞山城は聖武天皇陵の真上に建ってたと推測されてるわね

>>798
また面倒くさい三河武士かw
で、頼宣さんは直次首にしたん?

800:人間七七四年
09/04/19 12:19:50 0ena50X7
気持ち悪い

801:人間七七四年
09/04/19 13:11:45 K1a1USVI
>>788
そう言えば忠恒の妹は誅殺した伊集院忠真の嫁だったなw
しかも事件の後に島津尚久の孫の久元に無理やり嫁がせてる鬼畜ww

久元は既に4人も子どもいて夫婦仲睦まじかったのに
わざわざ離婚させてまであてがうという無茶をやらかす忠恒さん半端ないw

802:人間七七四年
09/04/19 13:44:14 Ugc9IrAy
イトコ婚というと尼子晴久(経久嫡孫)もそうだな
尼子国久(経久次男)の娘と結婚している

その妻が病死後
国久・誠久親子を粛清(新宮党事件)


803:人間七七四年
09/04/19 18:45:37 HNOMCaRP
安藤直次も水野重良も付家老なので頼宣が首に出来たりできる
人じゃないんだなこれがw

甚三郎の素性もちょっと調べてみた。
小舅が水野重良(=甚三郎は水野重良の婿)ということなので、
水野義重あたりだろうか。
この人も家康直臣が出自で6000石というかなりの上級家臣だなあ。
やはり頼宣個人の判断でクビにしたら問題になりそうな人だ。

頼宣さん、目の上の瘤がたくさんいて厳しく躾けられたんだなあ。

804:人間七七四年
09/04/19 19:51:06 cvicAGXc

大村純忠
弱小大名の窮余の策

戦国大名といっても、この肥前辺境の地で私は無力です。
三城七籠をやんないと生きていけなかったくらいです。

とうとう最近宿敵、佐賀の龍造寺隆信の毒牙に抗しきれなくなってきたのです。
彼らは、わが領地もさることながら、私がこつこつと国際外交、
交易に力を尽くした成果である長崎の港を喉から手が出るほど
欲しがっているのです。
ポルトガルからのナウ船は1千tクラスはざらでしたから、
南蛮渡来の珍品、香木、毛皮、装飾品、それに火薬や大砲、
それに何よりも中国からの絹織物は莫大な利益を生み出しますもんね。

平戸の松浦法印は、仏教徒に気兼ねして耶蘇教を拒んだばかりに
ポルトガル商人との通訳、通商の交渉を担っていたイエズス会に去られ、
カトリック教徒である私のところにイエズス会士とともに
ポルトガル商人達も転がり込んできたのです。今も私を逆恨みとか。

ところでイエズス会からは金や火薬を随分とカンパして頂きましたが、
敵、龍造寺は10倍以上の戦力、まともにはとても敵いません。

で、思いついた妙案、長崎の港をイエズス会に寄進してしまうという離れ業なのです。
彼らに裁判権や港湾使用の利権は渡しますが、関税は取り立てるように
配慮しましたので益は上がりますし、全国から集まる夥しい商人達の落とす金も
相変わらず私のポッケに入ってまいります。

龍造寺、力づく無理やり長崎を占領すれば、イエズス会には去られ、
船は来なくなる、もともこうもなくなるというものです。

何せあちらさんはお寺の出ですからね。ww


805:人間七七四年
09/04/19 21:19:07 Sb+m7kzz
まぁその龍造寺の傘下になっちゃうんだけどね

806:人間七七四年
09/04/19 23:05:03 AU3TS5xe
蒲生氏郷が伊勢松ヶ島城にいた頃の話。
ある時、氏郷の家臣、蒲生主計と粟口美濃が口論をしたことがあった。

ただの口論である。が、この当時の口論である。当然、口論から斬りあいになることも
珍しくもない。そのためであろう

主計の後ろでは、その家来の山中大運が、美濃の後ろではその家来東某がそれぞれ、
いつの間にやら脇差を手に、主人の傍に備えた。

「事あれば、斬る。」

山中も東も、傍目からでもはっきりわかる、その覚悟だ。
口論をしていた当の主計と美濃、途中で、自分の家来達の異様な殺気に気がつく。

「おいおい、こいつらに剣を抜かせたら、人死にが大量に出るぞ。」

その日は冬の寒い日であったが、この時主計と美濃、大汗を流したそうだ。
そして早々に口論をやめた、と言うことである。

殺る気満々の忠誠心に、熱くなって口論していた当人達の方がほうがドン引きしたお話。


807:人間七七四年
09/04/19 23:36:08 ZA7aOWNk
>>802
某大河だとお返しに密かに砒素を飲ませてたなw



808:人間七七四年
09/04/20 00:22:13 uSXrD0s4
>>806
あれか、お化け屋敷で他の人が悲鳴上げすぎると自分は怖くなくなる法則。

809:人間七七四年
09/04/20 01:06:36 19wRXfir
織田信長がまだ、尾張一国の大名であった頃の事。

信長の下では、柴田勝家と坂井右近が、軍部行を勤めていたが、信長はこの中に、
蜂屋頼隆を加えたいと考えた。

これを知った柴田、坂井の両人は、信長にこのように言った
「蜂谷を軍奉行にするのであれば、我らの軍奉行の役職を召し上げていただきたい。」

要は、俺らを蜂谷みたいなぽっと出と同格にする気なのなら、そんな役職
御免こうむります。ということだ。

これに信長は激怒―、しない。
彼らを無視して自分の考えを強行―、も、しない。

良く誤解されているが、信長という人物は特に短気という訳でもなく、独善的なわけでもない。
この時も信長、書状で二人に懇願した。「どうにか蜂谷の軍奉行就任に、同意してくれないか?」
しかし両人とも、にべもなく拒絶。
そこで信長は二人を呼び、直接説得をした

「蜂谷が、お前達二人と同じ武功があるわけでは無い事、これはわしもちゃんと解っている。
しかし蜂谷は諸事、頭の回転が速い男だ。
例えば戦の状況によって、お前達二人のうちどちらかがわしの元に報告に行かねばならぬことも
あるであろう。また、わしの方から、両人一致の意見を聞かねばならぬこともある。

そのような時蜂谷がいれば、これをわしの元への使いよこし、又、わしがそなた達の意見を問う時にも
奴を遣わせば、いかにも便利になるではないか。
そのようなわけで、蜂谷をお前達の中に加えたいのだ。」

この言葉に柴田、坂井は納得をし、蜂谷の件に同意したとのことである。

信長も、人事には色々苦労したのだ、と言うお話。


810:人間七七四年
09/04/20 09:11:13 1gymT2WM
キリストのメッセージ 
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。
その代わりに、わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
URLリンク(nowaksvd.nanzankyokai.net)

ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
URLリンク(www.v-cimatti.com)
URLリンク(www.v-cimatti.com)

煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣
URLリンク(www.sanpaolo-shop.com)

キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
URLリンク(www.tlig.org)

キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
URLリンク(swedenborgian.hp.infoseek.co.jp)

キリストの受難を目撃し体験した女性 アレキサンドリーナ・ダ・コスタ
URLリンク(www.newsalesian2007.com)
URLリンク(salveregina.dyndns.org)

病を患いながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
URLリンク(homepage3.nifty.com)

カトリック書店/日本国内にあるカトリック教会の住所と地図
URLリンク(www.donboscosha.com)
URLリンク(www.sanpaolo-shop.com)
URLリンク(shop-pauline.jp)
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)

811:人間七七四年
09/04/20 10:15:27 1kipdIoU
>>809
でも明智が言ったら怒られそうだww

812:人間七七四年
09/04/20 12:00:38 31NE9IsF
>>809
パシリかよ!w

813:人間七七四年
09/04/20 14:10:08 2GRPpkiy
あんちら様の話

真田幸隆が戦に出かけて家を留守にしている間に、
幸隆の娘が天狗に見初められその子供を産んだ。
戦から帰ってきた幸隆は当たり前だが激怒して生まれたばかりの子供を
雪が降り積もる庭へと全力で放り投げた。
ところが流石は天狗の子と言うべきか
子供は転びもしないでピョコンと雪に着地して
ニコニコ笑うと幸隆にお辞儀をした。
何度繰り返しても平気で雪に着地してニコニコ笑う。
そうしている内に幸隆はこの不思議な子供が気に入って十文字の槍を与えた。
子どもは大喜びで、戦にはいつもその槍を持っていった。
そして大いに活躍した。
この子どもはあんちら様と呼ばれているが、
後に真田幸村と言う名前で大いに武名を立てたそうな。


という小さい頃俺が亡くなった婆ちゃんから聞いた話なんだが
最近までなぜか史実の真田信繁(幸村)と頭の中で一致しなかった。
ていうか幸村って幸隆の息子の昌幸の子だよな。
しかし幸隆の娘の子として話は聞いてるんで直さないでおく。
赤ん坊だろうと容赦しない真田一族の……良いのか悪いのかゆるい感じの不思議な話


814:人間七七四年
09/04/20 16:11:36 u+kCWd3U
あんちら様って安底羅大将から取ったのかな

815:人間七七四年
09/04/20 17:09:03 2GRPpkiy
>>814
それはどうか知らないけれど
あんちら様は武名を立てた後でまた山に帰ってきて
迷子の子どもを家に帰してくれるって婆ちゃんは言ってた
婆ちゃんの兄ちゃんが雪の中に埋まった時も
あんちら様が見つけてくれたって話だが
本当かどうかは知らん

816:人間七七四年
09/04/20 19:03:38 PvvSCtEp
幸村云々の話は後からくっついた話で、もとは天狗とか山神がメインだったのかな
民俗的にもおもしろそうな話だぬ

817:人間七七四年
09/04/20 19:11:55 xd/RokHa
おれも70過ぎたら孫や近所の子供集めて
あることないこと昔話ほら話してみたいもんだ。

818:人間七七四年
09/04/20 19:59:58 pAIwEdjQ
>>813
URLリンク(nakahori2.mints.ne.jp)
こういう木像があるみたいだね

幸村が山に戻って神様になってるっていうと
なんかロマンがあるな

819:人間七七四年
09/04/20 20:05:07 /vyi8gbN
鬼武蔵が門の下で座り込んでいると一人の老婆が死体から髪を抜きとっている
刀を抜いて目の前に突きつけると老婆が語りだした
老婆曰く、
「死人の髪を抜くことは悪かもしれないがそこにある死体は皆そのぐら」
みなまで言う前に老婆は切り捨てられた
老婆の目に最後に映ったのはこんこんとした暗闇だった
鬼武蔵の行方は誰も知らない…



820:人間七七四年
09/04/20 20:17:12 O0Lrt8h8
>>819
何これ作り話?

821:人間七七四年
09/04/20 20:19:07 /vyi8gbN
817を受けてのジョークでした
判りづらくてスマン

822:人間七七四年
09/04/20 21:53:29 IBZKM5jD
羅生門か

823:人間七七四年
09/04/20 22:42:23 VLv8Ts6Z
>>820
国語の教科書にのってるだろ。

824:人間七七四年
09/04/20 22:44:57 hg+SVoU8
819が国語の教科書に載ってたらビビるわw

825:人間七七四年
09/04/20 23:10:03 PvvSCtEp
信長なら布を与えて家を建ててやるだろうに・・

826:人間七七四年
09/04/21 00:38:42 4aHApkAD
軽くホラーじゃね?
あなたの側にも鬼武蔵がとか最後に付いたら子供いなすのに使えそう

827:人間七七四年
09/04/21 00:55:40 B7kb7oEH
>>813
この天狗とは南蛮人、おそらくイスパニア人のことだと思われる。
つまり、城田優が大河ドラマで真田幸村を演じる事を予言していたんだよ!

828:人間七七四年
09/04/21 01:02:20 o7/L3Ub7
な、なんだってー

829:人間七七四年
09/04/21 01:33:18 B6nwfKMd
真田十勇士のアニメに鎌助がロシア人てのがあったな

830:人間七七四年
09/04/21 03:43:35 I7WbHjWw
民俗学的に山男も外人説があるよな
移住、漂着、脱走したりで貴賎問わず在日外人数が多かったかもね。考えられてるよりも
三浦按針の例もあるくらいだし金髪碧眼の足軽がいたりして

831:人間七七四年
09/04/21 03:54:23 p6Ng86WC
昔の絵にある赤鬼青鬼は白人黒人とおもう

832:人間七七四年
09/04/21 04:56:29 +xZdnqWj
白人を天狗に似てるってな話もあるしなー
けど平安時代あたりの鬼ってのは賊や朝廷に従わなかったものの総称な感じがある
大江山の酒呑童子や藤原藤太の百足退治とか

833:人間七七四年
09/04/21 05:36:52 7xBQMDXP
長宗我部元親が、土佐において本山氏と争っていた頃の事である。

本山氏の長浜城は本山の本拠よりは八里も離れていたが、元親の居城からは
僅か三里ほどの近さであり、元親はどうにもこの城が邪魔であった。


ある時本山氏が、この長浜城の門を建て直す事になり、腕利きの大工を探していた。
このとき本山の所に元親の元から、肩口を斬られ負傷した大工が駆け込んできた

「お助けください!長宗我部元親の気が狂い、このような目にあいました!」

本山はこれを信じて保護。また、この大工が中々の腕利きだと言う事がわかり、
丁度良いと、長浜の城門工事を任せることにした。


もちろん罠である。


長浜城の工事を知った元親は、あらかじめこの大工と示し合わせ、人質まで取って
この狂言を行った。

間もなく長浜城に長宗我部軍が来襲。たちまちに乗っ取られる。
無論、城内の大工が内通していた為であった。

謀略もスケールが小さくどうにも泥臭いのが、初期の元親らしいというべきか。
そんな長宗我部元親、長浜城奪取のおはなし。


834:人間七七四年
09/04/21 11:30:29 NJErpDN5
>>833
大工さんを頃さない程度に斬った達人は誰だろ?とか余計なことを考えさせられる策略だなー

長宗我部家中で腕の立つ人といえば福留パパンや泰泉寺さんあたりか。泰泉寺さんは槍だが

835:人間七七四年
09/04/21 12:56:04 inW7ap6e
>>829
佐助が宇宙人のコレ?
URLリンク(www.sanada10.com)

836:人間七七四年
09/04/21 13:00:09 wEJ5Lymp
>>833
元就公「間者にあらかじめ怪我させるなんて酷い真似できませんw」

837:人間七七四年
09/04/21 13:05:46 yLUWO5Wl
>>836
宇喜多直家「お前が言うな」

838:人間七七四年
09/04/21 13:54:15 0j863Yx4
信長に仕えてた黒人はホントにドコ行ったのかね

839:人間七七四年
09/04/21 14:04:05 /qPNGogx
今まさに俺を掘ってる

840:人間七七四年
09/04/21 16:28:29 CvoUDfY2
>>838
なんかさっきテレビで「♪あなたを追って出雲崎~」とか歌ってたよ。
誰を追ってたんだろう?

841:人間七七四年
09/04/21 18:03:25 fnUXTf+t
>>838
言い伝えでは本能寺で一緒に死んだとか。
東アフリカ、モザンビークの黒人奴隷でしょ。
おかげでこの地で難破すると恨みを買ってる西洋人は、皆殺しにされたとか。

西洋がらみで

原マルテイーノの述懐   大公妃のおっぱい

今私は、追放の地マカオで、もう日本語を忘れてしまった仲間のドラードと共に
活版印刷機械でキリストの教えを印刷しております。

多忙な毎日の中でふと蘇ってきた記憶。

あれは天正13年2月、花の都、フィレンチェの舞踏会でした。
日中は動物園なる不思議な庭園で、象、ライオン、豹、麒麟、鸚鵡、犀、
数々の不思議な動物の数々を目にして驚嘆したものでした。
花の聖母教会のとてつもなく巨大なドームと華麗な装飾、広場で見た
ミケランジェロのダビデ像、ルネッサンスの傑作彫刻の数々、華麗な噴水、

でも、トスカーナ大公の居城での舞踏会は圧巻でございました。 

舞踏会を主催されたフランチェスコ1世の威光は絶大なるもので、
当時のフィレンチェ中の貴族のみならず、外国の駐在大使諸卿は残らず来席され
もの凄い人い人混みでございました。
その中で、仲間の伊東マンショは、我らが代表者として大公妃と踊りを為さればならない
はめとなったのです。
大公妃はふくよかで大柄と言うか、有り体に申せばデブでござりました。
私どもは田舎育ちで小柄、未だ16歳でございます。そそり立つ巨大な胸の辺りに
あわれな伊東の頭が見え隠れしておりました。
中浦ジュリアンは、よぼよぼのお婆様と踊っておりました。
今思えば不思議な体験でございます。

後年耳にしたのですが、このビアンカ大公妃、とんだ食わせ者、元はと言えば
ベネチィアからの流れ者、上手くフランチェスコ1世をたらし込んで
大公妃に収まるは良しとしても、邪魔になった自分の夫を密かに手にかけたとか。

でも神はよくご覧になっております。フランチェスコ1世、公妃、
共に2年後にぽっくりと亡くなられました。
ヒ素による毒殺だそうです。

842:人間七七四年
09/04/21 19:08:47 7xBQMDXP
>>841
おもしろいなw
しかしこの頃はイタリアも、戦国時代みたいな感じだよね。
あっちは天下統一とは行かなかったけど。

843:人間七七四年
09/04/21 21:18:15 NJErpDN5
>>842
だが乱世が一段落ついたら一挙に平和ぼけ?ヘタレ化したところは日伊共通かもね

844:人間七七四年
09/04/21 21:22:56 z3+QzHRS
それはないわ…
世界初のファシスト政権誕生の地だぞ
しかも恐慌前だ
マフィアは割拠してるし

845:人間七七四年
09/04/21 21:52:38 XQQyP4TI
>>841
記録では、捕虜になったあと光秀に「こいつは人間じゃないから」と言って
解き放たれたという。その後の行方は不明。
イエズス会に払い下げられた、という話もある。可能性としてはこちらも
あると思う。ある意味有名人で、どこいっても目立つ人物のその後が全く
ないってのも、イエズス会の奴隷に戻されて海外に売り飛ばされたと思えば
しっくりくるか。

846:人間七七四年
09/04/21 22:00:54 v3LS1SP1
イタリアは、この当時は戦国時代というより、他国に支配下にされ
まくり。
実質的な独立国はヴェネツィア共和国のみという体たらく。

そのヴェネツィアは、この当時は強国と言っていいが。

847:人間七七四年
09/04/21 23:44:47 BQp8uWKN
アソ氏バイバイ・相良義陽の史書伝説

皆さんは「求麻外史」という史書を御存知でしょうか?
これは延宝3年(1675年)までの人吉・相良氏の歴史を人吉藩家老・田代政輔が
記した文献のことです。
今日はその「求麻外史」に書かれていたこんなお話。

ときは天正9年9月23日、耳川で大友氏に大勝したばかりの島津軍により、
人吉の相良氏が逼迫を受けていた頃の事です。
このとき島津軍は、正に相良家臣・犬童頼安が護る水俣城を包囲していました。
この事態に当主・相良義陽は臣下の溝口半五郎という者を、水俣城への
使者として遣わします。
半五郎は夜陰に紛れて水俣の地に入り、島津の陣を抜けて城に入ろうと試みます。
しかし、そうはうまくいくはずもなく半五郎は島津の衛兵に捕らえられて
しまうのです。
ここで半五郎、咄嗟に言い訳をします。
「私は球磨の住人で、城中にいる身内の者を訪ねてやってきたものです」と。

下手な言い訳云々はさておき、衛兵はこれを信じません。結果、半五郎は
真意を問い質され拷問を受けてしまいます。
そこへ、水俣攻めを一任されていた新納忠元が現れます。
新納は、そなたが城に向かって『義陽様は、悪戯に兵を失わないよう速やかに
城から退去するよう頼安様に命じられました』と言えば、そなたの命を救って
やると言いました。
半五郎はこれを承知したので、城の下へと連れられて来ます。
ところが半五郎はこの約束を破り、城内に向けて「自分は八代からの使者です。
ここ数日にも義陽公は球磨、八代の兵を率いて救援に駆けつけます」。
と叫んだのです。

当然これに腹を立てた島津軍は、半五郎の首級を竿の先に刺し貫き、城内の者に
見える様に高々と掲げられました。
しかし半五郎のこの命を賭けた行いは甲斐もなく、相良氏は島津氏に事実上降伏、
新納の言わせようとした通り城は島津に明け渡されてしまうのです。

ですが、ここで不思議な事が一つあったのです。

これと同じような出来事が、なんと天正3年の長篠で起こっていたのです。
たった6年の間に日本の中央と西で起こった偶然、これを奇跡と言わずして
何と言いましょうか。正に神の悪戯と言うべき出来事です。
この事実は人吉藩家老・田代政輔に偶然にも伝わり、更に享保5年までの相良氏の
歴史を記した「南藤蔓綿録」へも受け継がれ、今日にまで語り継がれることが
出来ました。

以上、信じるか信じないかはあなた次第。

848:人間七七四年
09/04/21 23:48:12 7xBQMDXP
東に忠臣あれば、西にも忠臣あり。

849:人間七七四年
09/04/22 00:56:57 QdeRMpQh
>>841
中世ヨーロッパでは、貴婦人はトップレスファッションらしいね。
事実かな?気になって仕方ない。

850:人間七七四年
09/04/22 01:01:51 RmbyPRj/
>>845
光秀もすげえ理由で解き放ったんだな

851:人間七七四年
09/04/22 03:31:27 YDWjQWHP
>>849
奴隷なんかの前では普通に素っ裸だったらしいよ

奴隷を人間としてみてないから

852:人間七七四年
09/04/22 07:15:12 1NfubA9b
奴隷にとっては普通にご褒美だったのでは

853:人間七七四年
09/04/22 08:46:58 qq30wM4F
ちょっと奴隷になってくる

854:人間七七四年
09/04/22 10:02:41 DNp7ACey
図らずもおっきしたらどうなったんだろう?

855:人間七七四年
09/04/22 12:22:44 bnqhs+W/
>>854
家畜やペットが勃起したからって気にはしないだろ。






獣姦っていつからあったか、それによっちゃあ

856:人間七七四年
09/04/22 12:31:53 TQ8XJrDG
女性の側に仕えるからちょん切ってたりして・・・

857:人間七七四年
09/04/22 12:32:03 AlzEhvLB
獣姦は貴族達の見せ物だったんじゃない?
会員制の秘密クラブみたいなやつ。
地獄の火クラブだっけ?

858:人間七七四年
09/04/22 12:41:12 FgurobbZ
寝そべって裸体に麦蒔いて鳥に啄ませるのを見せ物にしてた王女がいたんだっけ?
戦国にこういう変態はいないのか

859:人間七七四年
09/04/22 12:56:50 AlzEhvLB
日本の変態って言っても、
ホモ→武士のたしなみ
ロリ→福島正則が変態とは伝わってない
獣姦→昭和初期に象とやろうとしたのは居る
ネクロ→怪談ではそんな話も
絶倫→彈正様
くらいしか思い付かないなぁ。

860:人間七七四年
09/04/22 13:37:42 jE0PPotW
なんかまとめサイトで
少女を無理矢理暴れ馬に乗せて
落ちておっぴろげる様子を眺めるのが好きな変態の話読んだ覚えがあるぞ
それて唯一落ちなかった女の子のまんまんが気になって手込めにしたら
その子がその変態好みのパイパンで
毎日それを眺めて過ごしてるうちに
その娘の親父に謀反されて追放されたんだったかな
誰の話か覚えてないけど

861:人間七七四年
09/04/22 13:58:32 dn4P13Qk
>>847
ちなみにそれらの逸話と若干似た話が、中国の五代十国時代の南唐でも起こっている。

南唐の皇帝は快進撃を続ける後周軍と和睦するため、宰相の孫晟を後周の皇帝柴栄に遣わすと、
柴栄は和睦の交換条件として、寿州を割譲することを求めた。
寿州は柴栄、趙匡胤らが束になっても土をつけられなかった不敗の名将、劉仁贍の守る地である。
柴栄は寿州の開城のため、その使者として孫晟自身に説得するよう求めた。
後周軍の監視の中、孫晟は寿州城下から城壁上に立つ劉仁贍の姿を認めると、叫んだ。

「公が国から受けた厚恩を思うなら、決して門を開けて賊を入れてはならない!」

柴栄は孫晟の言葉を聞くと大いに怒り、これを斬ろうとすると、
孫晟は「臣は唐の宰相である。何故節度使を叛かせることができようか。」と言った。
忠心に感心した柴栄は、彼を許した。

以上、参考は『五代史平話』。
…史実では確か孫晟を殺してから悔やんでるってのは内緒。

862:人間七七四年
09/04/22 14:56:47 qFkDF/2M
戦国「後」の、世の中


渡辺勘兵衛が睡庵と名乗り、坂本に居住していた頃の事である。
渡辺の家来が大津の町で喧嘩騒ぎを起こした、と言う話が広まった。
これを聞いた、友人で、元の福島家臣であり、正則改易後牢人をしていた吉村又右衛門は
京より坂本に駆けつけた。

坂本の自宅に現れた吉村に、渡辺
「吉村殿、今日こられた用件が喧嘩見舞いであるのなら、特にさしたることもないゆえ
帰られよ。
何か話でもしたいと思ってこられたのならどうぞ、うちで飯でも食って語り合いましょう。」

心配して急いでやってきたのだ。感謝されることこそあれ、この渡辺の態度はどうか。
吉村、気を悪くし「いや、喧嘩の沙汰を聞いたので見舞いに来たまでです。そのような事であれば、
これで帰ろう。」

「そうか…。では、少々待たれよ。」

渡辺は次男を吉村につけ、街道まで見送りをさせた。
道すがらこの次男は、「父から、密かに吉村様に伝えよとの、言付けがあります。」と語りだした。
その内容はこうだ。

『吉村殿、今日の見舞いの事は、吉村殿には似合わぬ行動ですぞ。
今は天下の大法が定まり、もし我が家来が殺されれば、殺したものは切腹を申し付けられ、
逆に人を斬れば我が方の者が切腹を申し付けられる、そう言う世の中になりました。
しかれば、喧嘩であっても無責任に放置する事はできません。

そうであるのに、喧嘩騒ぎがあったこのようなときに、吉村又右衛門ほどの剛の者が
京都より渡辺の下に来たと知られれば、双方の徒党を組んだ若者達を刺激する事は間違いなく、
いたずらに事態を悪化させるでしょう。

そのような事なので、今回は慎んで頂いたのです。』

戦国の自力救済社会からの転換が、はっきりと感じられる、そんな、戦国が遠くになった頃のお話。


863:人間七七四年
09/04/22 15:24:15 +cYaHvS/
>>860
神保さんだか畠山さんだかの話だな
まとめサイトに多分ある

864:人間七七四年
09/04/22 15:54:56 CT9mNtel
だかで悪いイメージつくとただでさえ影の薄い神保さんが可哀想なので畠山さんだと断定しておくw

865:人間七七四年
09/04/22 16:47:39 HbDZ52U5
ちんぽだか、はだかやまとな・・・?

866:人間七七四年
09/04/22 17:00:53 qq30wM4F
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
畠山だった

867:人間七七四年
09/04/22 17:51:21 ZVnnsq4e
内乱に定評のある畠山さんじゃないですか。
河内も能登も遊佐家に殺されたのは不思議な限りだが。

868:人間七七四年
09/04/22 17:55:16 LNZhmGAA
>>855
まぁ仕事の支障になるようなら去勢だわな

869:人間七七四年
09/04/22 20:18:26 8CCuEFhh
天正5年(1577)10月、明智光秀は丹波亀山城の波多野氏を攻略していた。
この戦には、初陣を済ませたばかりの親友の息子も加わっており、光秀はやがて
親友の後継者となるであろう若者に、将としての心得を説くつもりで尋ねた。

「この矢文を見てごらん、城兵が助命を求めてきただろう?さて、次に我々がやるべき
事はなんだろうね?」

若者は答えた。「抵抗していた者どもを助ける義理はありません。皆殺しにしましょう。」

「 ( ゚д゚) い、いや、ダメダヨ!?門を開けるように指示すれば、城攻めが楽になるし、
寛大なところを見せれば他の抵抗者も降伏するかもしれないでしょ?
ナニ信長様みたいなこと言ッてんの?!」

若者の父親も呼び寄せ、二人がかりの説得によって、ようやく若者は納得し、亀山城は
開城となった。 しかし、光秀の胸中は暗かった。
(駄目だこいつ…早くなんとかしないと…そ、そうだ!ウチの娘に似合いの年頃の子が
いるじゃないか!結婚させれば義理の父親として、オレが監督できるぞ…!)

「という訳で、ウチの娘とオタクの息子を結婚させてくれ。」
「えぇー?あいつ我が子ながら、凶暴だからオススメできないよ?」

渋る親友を、信長の仲介のもとで了解させ、天正7年(1579)、ついに婚姻が成立した。


ある意味、逆効果だったのは皆様ご存知の通り。
しかし、『綿考輯録』のこの記事とか、『森家家譜』とか、藩祖のDQN言動を残して
どうするつもりだったのか。子孫から見てもm9(^Д^)プギャーな話だったのか。

870:人間七七四年
09/04/22 20:19:01 4AuTd2kk
>>861
いやこれ、何かおかしくね?

軍を撤兵する交換条件で、土地割譲を出して、一国の使者である宰相はそれを呑んだわけでしょ?
それでいざ城の明け渡しの段になってから反故にするってのは、美談にもならないと思うんだが。
鳥居のエピのように、脅迫されて嘘を言わされようとしたってわけでもない、そもそも自分が約束
したことでしょうに。

871:人間七七四年
09/04/22 20:30:31 /Nvjx19W
>>869
他のDQN四天王にも光秀の娘がとついでいたらすばらしい名君が生まれたに違いないw


872:人間七七四年
09/04/22 20:43:12 qq30wM4F
>>869
親友の子ってアイツかよww
明智が関わると四天王唯一の常識人も形無しだなw

873:人間七七四年
09/04/22 21:00:44 PFhDEMiV
>>849
幕末にアメリカに言った使節団は
「女房諸肌脱ぎ、旦那たすき掛け」と表現している。
当時の礼装がそう見えたらしい。

トップレスではないだろ、胸をぎゅうぎゅうっとつめてもりあげていただけで。

874:人間七七四年
09/04/22 21:12:58 4MIkUFm9
>>833
元親の話じゃなくて国親の話だろw

ちなみに長浜合戦が元親の初陣。
秦泉寺豊後守に槍の使い方と大将の行動を聞いたという逸話が有名。

875:人間七七四年
09/04/22 22:15:24 HM1GpRN8
>>869
>ある意味、逆効果だった

精神年齢三斎「だって、タマちゃんすっごくカワイイんだもん!」

876:人間七七四年
09/04/22 22:21:23 f2buLnKd
でも忠興のメロメロぶりって何か普通とは違うから
巷で言うようなお玉ちゃん=絶世の美女っていうより
ジョン・レノンに対するオノ・ヨーコみたいな
特定個人にのみ大ヒットする妖怪魔性系だったのかも。

877:人間七七四年
09/04/22 22:46:04 HM1GpRN8
>>873
こんなん見つけました。。。
URLリンク(x51.org)

878:人間七七四年
09/04/22 23:24:40 6+KLV3E6
>>859
又の槍左さんもロリじゃないよ!ちょっぴりガチムチでアッー!だっただけですよ

879:人間七七四年
09/04/22 23:49:47 mWnL71LB
>>877
一見、パラダイスのようだが実際そういう状況に置かれてみたらこれっぽちも一本槍から鬨の声が聞こえないものなんだよな

880:人間七七四年
09/04/23 01:37:46 BVoEgmzx
ある日、茶道薮内流の開祖・薮内紹智(剣仲)は義兄の古田織部らを招き、茶会を開いた。

天下の宗匠でもある織部を客に迎えての重要な茶会に望んで、紹智は秘蔵の名道具
『 鉈鞘籠花入 』 を床に飾った。
この道具は、千利休が、木こりが鉈の鞘に使っていた竹籠に目をつけ、買い取って
花入としたものを、利休の弟弟子にあたる紹智が譲り受けた逸品である。

茶会は、客の誰もが茶席の見事さ、紹智の点前、そして利休が見出した花入の風情を
褒め称え、なごやかな空気のうちに進んだ。
所用で席を外した紹智が茶席に戻ると、織部の姿は消えていた。

自慢の花入も消えていた。

紹智は織部に、花入を返却するよう、抗議した。抗議した。
さんざん抗議した末、織部は息子の小平次に花入を持たせ、書状を添えて返して来た。
書状にはこう書いてあった。

「これといった用はないけど、息子の小平次がお邪魔するので、お手紙します。
息子にいろいろ教えてやってもらえれば、有難いんですけど。
(略)
最近は筋肉痛があったぐらいで、あとは差し支えありません。
(以下略) 」


たぶん、某マンガの有名なシーンの元ネタの一つ。以下、例のAA禁止。

881:人間七七四年
09/04/23 01:47:50 CUIW3MwU
>>879
槍?
短筒だろ

882:人間七七四年
09/04/23 01:55:08 GAdZLziR
佐竹義宣には男子がいなかった
困った義宣は、末弟・申若丸を養子とし、跡継ぎに任じる
申若丸は元服し、彦次郎義直と名乗った
彦次郎は江戸に屋敷を与えられ、徳川秀忠や家光への拝謁もお膳立てされる
この時、彦次郎はいまだ十二歳
周囲によって、次期藩主の立場を着々と固められていった

が、彦次郎十五歳の時、事件は起こる
江戸城本丸にて能が催され、参勤中の諸大名が出席する場があった
江戸にいた義宣も当然、彦次郎を連れて登城した
よほど退屈だったのか、なんとこの能の席で彦次郎、居眠りした
しかもウトウトなんてレベルではなく、かなり見苦しかったらしい
隣に座っていた伊達政宗が見るに見かね、
「おい、アンタんとこの息子、寝てるぞ(,;●Д゚)」
と義宣の膝を揺すって知らせたほどだった

能見物から帰った義宣、ぶちキレた
「もともと物足りないやつだと思ってたが、もう見限ったわ…
彦次郎は秋田に戻れ!勘当じゃー!!」
激怒した義宣によって彦次郎は廃嫡、わずか二日後に江戸屋敷を叩き出される
秋田に到着すると即座に出家させられた

秋田での僧坊生活は針のむしろだったのだろう
二年後、彦次郎は高野山に行きたいので、援助して欲しいと佐竹家に申し込む
だが回答は、高野には行けばいい、だが援助は一切しない、という冷淡なものだった
これ以降、佐竹彦次郎義直の記録は絶える

883:人間七七四年
09/04/23 02:21:21 LwluVos9
オゥ、ノー

884:人間七七四年
09/04/23 02:43:00 A/m7aaNG
よだれ垂らしてたのか?

885:人間七七四年
09/04/23 03:01:04 hEaGqFq1
>>880
織部の意図がわからん。
どういう逸話なんだ?

886:人間七七四年
09/04/23 06:25:12 Z+B7Mcne
>>876
フロイスはガラシャが子供の頃、
「光秀の息女達はスペイン貴族の子供のように美しい」
と記録してるよね

俺の中のガラシャは仲間由紀恵系だったんだが、
西洋人に褒められるということはブリトニーとかペネロペ・クルスみたいな顔だったのか?

887:人間七七四年
09/04/23 08:34:33 cJ24SeCq
同じ神を仰ぐ者にはとことん評価が甘いフロイスだから
リップサービスも混じっているでしょう

888:人間七七四年
09/04/23 09:20:06 Lj2ji6G+
>>880
話のオチもよくわからないし、
某マンガの有名なシーンも、
例のAAもわかりません。
マンガがわかればわかる話なのか?

戦国(書き方が)ちょっと悪い話になってますよ…。


889:人間七七四年
09/04/23 09:28:56 ZSgioEsW
>>887
ダンナについては上司に「最も凶暴な大名」と報告してるしな

890:人間七七四年
09/04/23 09:43:40 NoUtlQnR
>>888
あんまりしつこいんで返したけど、盗んだことに関してはすっとぼけて認めようとしなかったという織部の往生際の悪い話だろ?
マンガとAAは良くわからんが。

891:人間七七四年
09/04/23 09:48:19 xmxvuywl
>>887
光秀の妻が元々美人だって話だからガラシャが美人でも不思議ではないがな

892:人間七七四年
09/04/23 10:24:39 cJ24SeCq
誰も美人である事は否定してないんだけど

893:人間七七四年
09/04/23 11:06:03 k5lU8kNe
>>888
モーニングで連載中の「へうげもの」

894:人間七七四年
09/04/23 11:12:36 mxyoKuOM
確か天正遣欧少年使節は容姿の美しさも選考基準に入ってたはず
で、リーダー格の伊藤マンショのあっちで描かれた肖像画がこれ
URLリンク(home.att.ne.jp)
ここから当時の宣教師の美的感覚が推測できるかも?

895:人間七七四年
09/04/23 11:22:53 mxyoKuOM
あ、伊東だわごめん
あと、伊東マンショは大友宗麟の遠縁ってことで選ばれた比重が高そうなので
容姿の方はそれほどでもないかもしれん

896:人間七七四年
09/04/23 11:57:22 GOateFOI
>>885
物欲にまみれた話、かな。芸術的意図もなんもなく、ただ欲しくてパチったんじゃね?

897:人間七七四年
09/04/23 12:16:04 lKsXYqgq
しかし、そんなバレ易い状況の物よく盗んだよなぁ。

898:人間七七四年
09/04/23 12:51:37 /xQzb5Lc
>>896
漫画のそのシーン知らないけど
多分、同じもの作って、作った偽物のほう返したんだろう。
漫画だと織部はそういう奴。

899:人間七七四年
09/04/23 15:24:20 Z/KNEkgD
関ヶ原の決戦の後、島津攻めについて噂になった時に、黒田如水がその戦略を語った。

「島津征伐が私に命じられれば、簡単に攻略して見せよう。
その内容はこうだ。薩摩口へは鍋島を先手として使う。『それは迷惑だ』などとは言わせんよ。
肥前は大国でその軍も大軍なのだから、必ず戦ってもらう。

で、鍋島軍は島津に手もなく負ける。
弓矢の作法を知らず、軍の調練も行き届いていない連中だからな。あいつら朝鮮の役の時
自分の所の派遣軍をまとめることも出来ず、こっちから蟻之介という足軽大将を遣わして
ようやく立て直したような所だ!

というわけで、鍋島の兵は全て弱兵であり、島津はこれを簡単に打ち破り、勝ち誇って
進軍してくる。
そこで加藤清正だ。彼は格別な器量の持ち主であり、いい気になって攻勢をかけてくる
島津軍に、二の手として真一文字にかかって行けば、何ほどのこともなく打ち破る。

で、私の部隊はその後、平服のまま楽々と薩摩に入るというわけだ。
どうだ、道理にかなっていて簡単だろう?」

そんな、黒田如水の鍋島家への評価がひどいお話。


900:人間七七四年
09/04/23 15:25:40 xmxvuywl
鍋島捨て駒w

901:人間七七四年
09/04/23 15:46:36 cut8eRq4
鍋島ボロクソ過ぎるw
仮にも九州三強の一角なのにww

902:人間七七四年
09/04/23 15:53:49 UuNXsYPb
>>899
そんな如水の期待を裏切って鍋島より真っ先に
突撃し、壊滅する黒田長政を想像してしまった・・・

903:人間七七四年
09/04/23 16:09:19 0Aclvmcd
そんな鍋島に

「あいつは後方で立ち見だけしてた臆病ものの司令官っすよww
大軍で小兵を飲み込んだってだけで功なんざたいしたこたぁねぇす」

っと小西行長をぼろくそ叩く

904:人間七七四年
09/04/23 16:10:53 JBJnC00F
>>899
官兵衛ワルだなw
秀吉に警戒された理由もわかる気がする。

905:人間七七四年
09/04/23 16:24:35 Nnjmoxhr
それより、蟻之介が気になる。蟻?

906:人間七七四年
09/04/23 18:44:06 czh5ivL2
>>902
反省のために髪の毛を切ってつるっぱげになった長政を横目に「そんなことでいちいち以下省略」と嘯く後藤さんがw


907:人間七七四年
09/04/23 18:58:53 qO3p6HJ4
逸話における長政の扱い見てると、異見会開いたのは煙たい爺さん連中が若手にやり込められる
のを期待してじゃないかと邪推してしまう。

908:人間七七四年
09/04/23 20:32:12 xmxvuywl
まとめ見てたら

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 20:35:26 ID:4JMMaVO6
>>702
たしか、竜造寺隆信の軍団は『退けば理由の如何を問わずとにかくぶっ殺す』
と言う鉄の規律だったので、相手がどんなに強かろうが、退却して殺されるより敵に遮二無二突っ込んで
討ち死にを果たした方がマシ(結果勝てば恩賞が期待)・・・と言う按配だと思ってたけど
沖田畷での壊乱振りを見るとそうとも限らない気がするなあ・・・


こんなレスがあったがこれが本当なら竜造寺家は軍略も糞もなく
ソヴィエト並みに人海戦術で突撃させるだけだったから
如水にボロクソ言われるような錬度の低い兵になっちゃったんじゃねぇの?
主だった将が沖田畷で死んでるから纏めるのが大変だったってのもあるかもしれないけど

909:人間七七四年
09/04/23 21:37:19 f7r3YQdm
そういやその時期の竜造寺って四天王(五人)もほぼ潰滅で
鍋島は居るけど、長篠後の武田みたいな状態だよな。

しかしそれでも全盛期の竜造寺は立花や高橋擁する大友を結構痛めつけてるんだから
悪く言い過ぎじゃねえかとは思う


910:人間七七四年
09/04/23 21:55:46 TWpPpTvX
>>899
加藤清正は官兵衛から評価高かったの?

911:人間七七四年
09/04/23 22:19:16 oYhzVaQS
鍋島はわざと侮って戦いに参加させる
しかし肥前の兵は烏合の衆だから薩摩兵に蹴散らされる
その後、気持ち良くなって調子ぶっこいてる薩摩兵に
清正軍を当てる、清正は虎のような男なんでも一人でやろうとする性格だが
おだてて飼い馴らして任せちまえばOK
弱い大軍を蹴散らさせてつけ上がったところを
少数精鋭で逆捨て奸り、島津お株を奪われ超涙目w
(まあ百戦錬磨の俺位じゃないとこいつらは使いこなせないけどね
って事っすか?官兵衛さんマジパネェっす!

912:人間七七四年
09/04/23 22:56:45 /xQzb5Lc
>少数精鋭で逆捨て奸り、島津お株を奪われ超涙目w
釣り野伏せの間違いだよな?
そこで清正が捨てがまりで撤退したら囮の鍋島兵やられ損じゃん。

913:人間七七四年
09/04/23 22:57:23 hy7jmik9
>>911
逆捨て奸りって大将自ら突撃ってこと?

914:人間七七四年
09/04/23 23:12:04 JBJnC00F
>>911 
逆捨て奸りって
清正軍の少数の兵を、死ぬまで島津の大軍ぶつけて、彼らが島津に
討たれたら新手の少勢を出して同じことを繰り返すってことかな?
攻撃側がそれをやる意味がよくわからん・・・

915:人間七七四年
09/04/24 00:42:32 Y3ippRs5
>>910
結構良いみたい。清正は熊本城をわざとみてもらったりしてたりする。
鍋島も小西とは対照的に加藤はべた褒め。
どうでもいいけど熊本城の歌に「黒田が攻めてきてもこわくねぇwww」って歌詞があるんだが
なんで島津じゃなくて黒田なんだ?当時から勘兵衛って相当な悪役だったんだのか


916:人間七七四年
09/04/24 00:58:25 gx1OGd2y
徳川家康、ちょっと後悔する。


まだ三遠二ヶ国の頃であろうか、家康があるとき家臣たちの前で

「わしが信長と同盟した時、もう少しじらして武田信玄と同盟するように見せて、
そこであせらせた挙句、信長と同盟しておけばよかったな。

そうすれば信長も徳川をもっと大切にしただろうし、所領も多く増えただろうにな」

そう、笑って言ったことがあったそうだ。
家康ほどの人でも、あの時ああすれば、この時こうすればと色々と後悔していたのだな、と言うお話。

917:人間七七四年
09/04/24 01:07:20 LYjUyeel
>>915
いつの時代の歌かは知らないが、
黒田家2代目藩主が大阪の陣終わったあとにも関わらず、
足軽召抱えたりして軍拡(黒田騒動)したんで警戒したんだろう。

918:人間七七四年
09/04/24 01:09:49 S4Djhz/e
>>916
江戸時代の創作だなあと一発でわかるのも悲しいな

919:人間七七四年
09/04/24 04:48:03 QExKUfaK
第六天魔王様にそんな駆け引きは危険

920:人間七七四年
09/04/24 05:53:23 6MwQ354o
ぽろっとそんなこと家臣に言って耳に入ったらどうすんねん

921:人間七七四年
09/04/24 06:08:19 oVDdeYv4
三河武士なら洩れないさ。
ってのは冗談だが、当時の徳川家中でも少なからず不満があったんだろう。
家康の功績に報いていたとは言い難いからねえ。

922:人間七七四年
09/04/24 08:23:37 4qF1hRUw
信長と同盟したのは1560年以降で当時の松平と武田の勢力を見較べたらすぐにわかるだろ
あれは信康切腹に対する家康なりの仕返し

923:人間七七四年
09/04/24 09:53:25 HO4ZBR7c
>>921
清洲同盟締結時の1563年当時、武田は上杉を敵にして背後の今川とは固く同盟中。
今川から離反独立を企む松平が、どうやって武田と同盟結ぶんだ?
交渉材料にもならない。

徳川の領地はあくまで徳川が自力で切り取った分。武田滅亡で駿河を授かるまでは。
領地が小さいのなら、それは徳川の実力によるもの。織田に不満を抱くのは筋違い。
信康切腹みたいな捏造を除けば、信長は徳川を配下大名としては優遇している。

家康の功績といっても、武田攻めには駿河一国と十分報いているが。滅ぼしたのは
あくまで織田軍だしな。
当時の情勢を知らない後世の人間の創作だと丸判り。

924:人間七七四年
09/04/24 10:21:50 tOOmXBx9
そもそも、家康がそう思ったとしても絶対に口には出さないだろうしね

925:人間七七四年
09/04/24 10:25:13 7vv3TxzD
晩年 信長の事を聞かれても、絶対答えなかったんだっけ?

926:人間七七四年
09/04/24 10:48:33 I/9eDHcz
信玄の事を聞かれると、嬉しそうに喋り出したらしいな

927:人間七七四年
09/04/24 11:31:58 IpQGE6eA
>>923
家康が独立した当時は、三河の大名ではなく豪族程度の実力。
武田が同盟結ぶほどの存在感はないだろ。

928:人間七七四年
09/04/24 11:43:59 66eygMqe
>>925
何か嫌な思い出でもあるのか?信長メモリー

929:人間七七四年
09/04/24 12:17:41 10G/8LQJ
>>928
そりゃあ、あるだろう
なんとなく家康と信長は縁はあっても
性格的に合わなそうな気がする

930:人間七七四年
09/04/24 12:18:28 zBcMmUMk
人質時代に実は掘られていたとか

931:人間七七四年
09/04/24 12:32:43 oSlMPvdn
ありそうだw

932:人間七七四年
09/04/24 13:35:24 ORUzYhZl
>>930
たしか司馬遼が「ひょっとしたら…」と前置きしてそんな説をとなえていたぞ
家康の信長に対する従順さは女のそれに近いって

933:人間七七四年
09/04/24 13:36:25 JlgtxoHZ
同盟じゃなくて降伏なら話はわからんでもないけどな

934:人間七七四年
09/04/24 14:14:28 4lURpcQ2
信玄ファンクラブ会長だから、信玄の事は幾らでも語れるだろうな

935:人間七七四年
09/04/24 14:17:44 2TyeD7Sa
最初は対等同盟だったけど、その後織田が勢力拡大して力関係が傾き、
最後は実質的に傘下大名となってしまったってこった。

936:人間七七四年
09/04/24 14:23:36 /YxH/Mmw
信長時代を語ると芋蔓式に秀吉が付いてくるから語りたくないんじゃね?

937:人間七七四年
09/04/24 14:46:53 phXWy7iS
>>909
龍造寺四天王は本当はザコだけどな。

鍋島には龍造寺四家と呼ばれる有能な龍造寺一門衆がついていた。
立花道雪・宗茂・高橋紹運を柳川城で撃退した龍造寺家晴とか、
隆信の息子で、加藤清正を蔚山城から救出した後藤家信とかが、
龍造寺四家のメンバー。

938:人間七七四年
09/04/24 14:59:54 if5WlJtg
>>926
マジで?w 面白いな

939:人間七七四年
09/04/24 15:09:26 tOOmXBx9
「四天王がやられたようだな…」
「所詮やつらはただの数合わせ…」
「四天王のくせに(同時期に)五人いる訳の分からん奴等よ」
「島津ごときに敗れるとは竜造寺の面汚しめ…」

940:人間七七四年
09/04/24 15:14:36 if5WlJtg
四天王のくせに(同時期に)五人いる訳の分からん奴等よ ワラタw
五人いたら数合わせになってないしw 足し算できてない

941:人間七七四年
09/04/24 16:28:08 gx1OGd2y
丹羽長重の小松城に、豊臣秀吉が立ち寄るという折の事。
長重の家臣に、成田官九郎と言う者がいた。

彼は長重に説いた。「秀吉は先君長秀公を、北陸管領にすると賤ヶ岳の折約束しました。
ですが長秀公が没するとたちまち小松12万石に減じ、丹羽家は滅亡と言っても良いような有様です。
このような秀吉の不義、憎むに余りあることです。どうか私に秀吉を討つ事をお許しください。
たやすく刺し殺してご覧に入れましょう!」

しかし長重は聞き入れず、この沙汰も事止みとなった。

ところが、秀吉はどこからかこの事を知り、大いに怒って成田を捕らえようとした。
成田は小松を退き伊勢の朝熊に隠れたが、終に探し出され、殺されたとのことである。

おそらくは内々の話し合いであったに違いないこの陰謀を、秀吉が知ったという事は、
既に丹羽家の内部に秀吉は、相当の内通者を持っていたのだろう。そんな事を感じさせるお話。

942:人間七七四年
09/04/24 17:00:39 10G/8LQJ
織田の遺臣に対してる時のラスボスは
なんか末期のラスボスの影を感じる

943:人間七七四年
09/04/24 18:59:15 qQWkqgLx
>>940
まあなんだ。 チャンバラトリオも確か4人いることだし。

944:人間七七四年
09/04/24 20:24:12 wwcgDFZV
残念ながらチャンバラトリオは現在3人です

945:人間七七四年
09/04/24 20:49:57 qqGpSm/L
四天王なのに5人と言われてもクロマティ高校しか連想できん。

946:人間七七四年
09/04/24 21:40:40 e8X92GTO
>>945
クロ高のそのネタは竜造寺四天王を参考にした


んではなかろうか

947:人間七七四年
09/04/24 21:41:24 VA1h2ZHe
転封後の本多正純の話

転封は正純が山形で最上改易の処理をしていた際、電撃的に告知された
すでに鳥居忠政や佐竹義宣らが幕命を受け、軍勢を展開している
正純は身辺の家臣とともに、おとなしく転地の由利本城へ向かった

しかし、正純が到着した翌日、佐竹軍が本多家の居城となるべき本城城を破却
二十日後には、佐竹家重臣の梅津政景より、「今後は一切お付き合いしません」と通告される
翌月には、正純の荷物が佐竹領を通ったら差し押さえろ、とのお達しが幕府より下る
追い詰められた正純は由利の受領を拒否
結果、佐竹家の横手城へお預けとなり、知行は1000石とされる
しかも、佐竹家には百姓といえど正純の知行地と交流させるな、と命じられていた
二年後、正純に番がつけられ、幽閉が強化される
四年後、ともにお預けされていた嫡男・正勝が死去する
十一年後、幽閉のまま正純も死去する

政争に敗れるとはこういうことだった、というお話

948:人間七七四年
09/04/24 22:00:11 x6k+VbyP
>>932
司馬遼が司馬遷に見えた
ちょっと去勢されてくる

949:人間七七四年
09/04/24 23:17:10 fvXltwx0
>>948
初めての人になってやるから大切にな

950:竜造寺四天王の思い出
09/04/25 02:35:36 RnbeueR/
             ヽ 丶  \
    隆信様    \ ヽ  ヽ     ヽ
/  /    ヽ    \ ヽ   ヽ
 /   |  ヽ \     \  ヽ  ゝ           (宗麟)
ノ 丿       \   鮭 \   ヾ
 ノ  |   |  丶  \     \          (宗麟) 
   /          \     \/|               (宗麟)
 ノ   |   |      \       |         ↑
     /\        \      |         (  ↑
   /   \       /      |          )  (
  /      \      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄         (   )
/_        \                    ) (           猫
 ̄  | な  四   | ̄         ノ⌒ ̄⌒γ⌒ ̄⌒ゝ           / /
   | い  天 4|         ノ     有馬   .  ゝ          / /
   | で 王 人|        丿              ゞ      _/ ∠
   | ね の に|       丿/|/|/|/|\|\|\|\|\ゝ     .\  /
   | ! 事 な|               │                V
―| と  忘 っ|―――――┼―――――――――
   / い れ てヽ  巛巛巛巛巛巛巛巛 人巛巛巛巛巛巛巛巛巛巛鍋島
    う    .も
    気
    持
    ち 

951:人間七七四年
09/04/25 02:50:52 Uk5Qv9Kx
うかつにも「猫」でこんな夜中に爆笑してしまったw

952:人間七七四年
09/04/25 03:24:43 tmmFTiek
コピペくせに的確すぎるぜw

953:人間七七四年
09/04/25 13:51:55 72m+wc6p
五大老だって徳川家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・小早川隆景の5にn・・・
あれ?合ってる・・・

954:人間七七四年
09/04/25 13:54:58 wwtUAtpk
宇喜多秀家、前田年長

955:人間七七四年
09/04/25 14:52:17 pcAba+0+
小早川→上杉
前田→前田
こちらは死んだら

956:人間七七四年
09/04/25 15:40:15 Uk5Qv9Kx
宇喜多直家が毛利から離れ、羽柴秀吉を通して、織田信長に付いた頃のことである。

宇喜多方の国人に、備前国津高郡虎倉城主、伊賀久隆と言う者がいた。
彼は無二の宇喜多方とされ、また毛利に「加茂崩れ」と呼ばれるほどの大敗の屈辱をなめさせた
武将であった。
が、その高名をわずらわしく思ったのであろうか、それとも何か疑念を抱いたのであろうか

宇喜多直家は、これを殺すことにした。

その頃伊賀家は岡山城下に屋敷を持ち、久隆とその嫡子興次郎が、そこと虎倉の城を
交代で在住していた。
岡山に久隆が在る時、直家は饗応を開き、城下にいた家臣国人たちに食事を振舞った。

さて、久隆は下城の途中、久隆の家臣と知り合いであった宇喜多家の料理人から、密かに
こう告げられた
「今日の料理には毒が入っていました。急いで解毒剤を用いてください!」

久隆これを聞き、「今解毒をして生き延びても、直家はとてもわしを生かしてはおくまい。
必ず殺される。同じ死ぬのなら、城に籠って討ち死にすることこそ本望だ。」
と、岡山を脱出し、馬を飛ばして深夜に虎倉の城に帰り、家人を集め篭城の支度をさせた。
子の興次郎は急いで解毒薬を作り久隆に与えたが、既に手遅れだったのであろう、
夜のあける頃に、死んだ。

それから虎倉城は半年以上篭城をし、宇喜多勢もそれを攻略できなかったが、
毛利勢が備中に攻め込んだときそれと合流し、城を放棄し共に引き上げていった、とのことである。

数ある直家の暗殺の中でも、いまひとつ目的のはっきりしないお話。


957:人間七七四年
09/04/25 19:51:39 InDbnMlF
家中でもかなりの高禄を食んでたらしいし直家も死期が迫っていたから焦りが出たんじゃないかと俺は思う。

958:人間七七四年
09/04/25 22:04:51 1UTGwk5+
何故暗殺したのかって?
そこに人がいるからに決まってるじゃないか。

と言う冗談は置いておいて、毛利方の調略って線はないの?

959:人間七七四年
09/04/25 23:57:01 SQVIpaHf
>>955
隆景生前に既に景勝の大老活動は始まってるから実際は六大老です。

960:人間七七四年
09/04/26 00:13:57 izwvY4aM
>>959
隆景は死去ではなく引退による交代だろ。

961:正純
09/04/26 01:09:24 24/jJNWN
>>956
で、毒が効いていないように見えるのですが

962:人間七七四年
09/04/26 10:13:21 y97dQQ3f
伊賀氏は宇喜多の離反には付き合ったものの宇喜多の家来ではないし、
一時期は国境を越えて備中国上房郡阿賀郡や美作国真島郡にまで及んでいた
一大勢力を築いていて、そのまま毛利につかれると厄介だったんだろうね。

便乗して同じ時期、伊賀領と旭川を挟んで隣の地域の話。
美作高城主竹内善十郎為能は当時毛利に属しており、彼の治める垪和郷は毛利にとって
備中から美作東部、因幡方面へ向かう回廊の一つであった。
宇喜多にとっても竹内氏は美作西部への兵站に目障りな勢力であり、吉川元春による失地
回復の為出陣した宇喜多本隊により、竹内一族の一の瀬城も呆気無く攻略された。

そこで竹内氏は近隣の地侍に合力を求め、毛利にも援軍を要請し兵糧や鉄砲衆、備中勢の
加勢を得て守りを固めていた。また備中との境目にも改めて毛利の一所衆が配備されて、
その何割かが垪和郷に後詰として着陣していた。
さて、垪和郷攻防戦は天正八年二月に始まり緒戦は毛利方有利であったが
戸川、岡、長船らの部隊が到着すると逆転した。
諸城陥落し城兵は高城へと落ち延びていき、三月中旬ついに高城合戦が始まった。

前置きが長くなったが、ようやく本編。
宇喜多家臣馬場重介職家は谷の方面の討手であったが、数刻経っても敵が現れない。
退屈して嶺に上ると出会い頭に敵と遭遇してしまった。敵は五段に備えていたが、
鉄砲で備えを崩し自身も槍をふるって三段目まで打ち破ったところで
敵の鉄砲が重介の右の股に命中した。鉄砲が放たれる中、重介は心は猛く進むが、
出血多くもはや前進できなくなり、土手を楯にして討ち死にする覚悟で敵を待ちうけた。

その時向かいの谷の柴の陰から鉄砲が放たれ重介の右肩甲骨の内から肘までうち抜いた。
竹槍で布袋を突き通したような感じで、目もくらみ、心も動転し、
世界がまるで朝顔の花の色のようにみえたという。

気を取り直して眼を開くと、田中藤介が登って来て、重介を励まし退くように説得した。
重介が、「深手を負ってしまい敵の追手に討たれるに違いないから潔く自害したい、
藤介こそ早く退け」と言うと、藤介は「某、ここを一足も退いたりしない。この覚悟なら
堅固に防ぐことも難しくない」と言い、そこに重介の部下も来て重介を引きとった。
藤介は一斉に鉄砲を放たせ槍をふるって突入し、敵は引き揚げた。

この谷は激戦で多くの血が流されたので大血谷と呼ばれ、現在の地名大地谷の元になった
と伝えられている。鉄砲に討たれた瞬間のことを記述している珍しい話である。

963:人間七七四年
09/04/26 10:19:17 y97dQQ3f
その後の話
竹内氏は高城合戦で数回大規模な攻勢を掛けられるが、その度防戦撃退し、ついに宇喜多
の将の一人平尾弾正を討ち取った。竹内方の勝利で宇喜多勢は陣を引くが、包囲は続く。
同月の辛川合戦、翌月の虎倉合戦では宇喜多方が大勝を収め、高城包囲網は崩れない。
竹内善十郎は弟を使者にして毛利にさらなる援軍を要請するが、包囲を突破して援兵する
のは難しいとの返事で、四月以降の毛利からの書状は現存していない。
毛利からも見捨てられた高城はその後も籠城を続けるが、
いつも通り宇喜多の調略により城将の一人が寝返り、八月落城した。

高城から谷を挟んで南側に鶴田城があり一族の杉山氏が守っていた。鶴田城主の姫は
麓で若い寺小姓と出会い、度々の逢瀬を楽しんでいたがいつの日か姿を見せなくなった。
その直後から宇喜多勢の攻勢が強まり高城陥落後、鶴田城も間もなく落城した。
落城後この男が宇喜多の間者と知った姫は、絶望のあまり旭川の渕に身を投げ、
それ以来「姫こ渕」と呼ぶようになったという。

竹内一族では竹内久盛が有名だろう。彼は一の瀬落城後、高城には入らず
播磨へ落ち延び後に宇喜多家臣新免氏を頼ったという。

馬場職家は間もなく復帰し、二年後の八浜合戦では殿をつとめ八浜七本槍に数えられる。
晩年には子供達に「侍たるもの決して臆病であってはならぬ。(中略)生きるも死ぬも
運次第で臆病になる必要がないのはこの自分の例からも明らかであろう」と語り、
七十七歳の天寿を全うしたという。

964:人間七七四年
09/04/26 10:40:51 gJ44A6sQ
すごいな。このまま岡山県の新聞あたりに、歴史コラムとして載ってても
おかしく無いような話だわ。

しかしあのあたりは戦国後期まで中小勢力がせめぎあっていた中、そこに尼子、毛利、織田って
巨大勢力が介入してきてるから、一つ一つの合戦が、規模のわりに、異常に凄惨なものに
なっているって印象があるな。

965:人間七七四年
09/04/26 11:12:15 +Juf3Ch9
>>956
松田元輝を抹 殺 するときに伊賀さん一役かってるんだよな


……用済みでしか

966:人間七七四年
09/04/26 11:16:27 +Juf3Ch9
>>964
派手な野戦をしなくても干 殺し 、水攻めとか飢餓必至だもんね

967:人間七七四年
09/04/26 13:14:26 AV6viTFi
>>961
ただ単に、宇喜多から出されたご馳走のなかに毒は入ってなくて、「毒入ってたから毒消し飲めや つ【解毒薬】」って言って解毒薬(実はこれが毒)を飲ませようとしたんじゃないのか……

968:人間七七四年
09/04/26 14:03:04 9weSNB3d
>>967
推理小説の殺人事件とかでよく見かける方法だな

969:人間七七四年
09/04/26 16:13:21 gJ44A6sQ
元和6年(1620)有馬豊氏が田中忠政の病没、改易によって、筑後南部を拝領した時の事。
福岡の黒田長政が豊氏を見舞いに来て、ふと、
「そういえば有馬殿は、どこに居城になされるのですか?」
と、聞いてきた。

豊氏は
「田中家の時と同じく。久留米を居城にしたいと考えております。」と言う。

これに長政
「あなたの領地は九州の真ん中にある国であり、どの方向からも敵を受ける可能性があります。
で、あれば、居城も中心部におかず片方に寄せ、我が領地に近い場所に居城を
御作りになるべきではありませんか?
そのようにいたされれば、普請のために使う木材なども、手近ですから我が領地から
送って差し上げられますに。」

この助言に豊氏も
「いやいや、これは懇ろなるお言葉、痛み入ります。」
と、丁重に礼を申し述べた。


さて、その後豊氏、長政の助言を完全に無視して、やはり久留米を居城にした。
この件に関して豊氏は家臣たちにこう語ったそうだ。
「黒田のやつめ、あれは九州に動乱が起こったとき、速やかに筑後を手に入れるための策略だよ。」

元和偃武もかなりたったと言うのに、まだまだ野心満々(と周りから見られている)の、
黒田長政なのであった。


970:人間七七四年
09/04/26 19:01:58 uNcdy9DF
加藤清正は主君豊臣秀吉が茶道に耽るのを憂慮していた
茶道は武士のやることではないと考えていたが秀吉に茶道を止めるように諫めても聞く耳を持たない

ある日清正は茶道を学びたいと千利休を訪ねた
利休はこれを大いに喜んで茶室に案内した
しかし清正、脇差を腰に差したまま茶室に入ろうとする
それを見て利休は脇差は茶室の外に置くように諭した
だが清正は刀は武士の魂故に一時も話すことは出来ないと拒否
利休は笑いながらこれを許した

実は清正、かくなる上は利休を暗殺して禍根を断とうと考えていた
これから暗殺するのに丸腰になるわけにはいかない

いざ茶室に入り脇差を側に置いて隙あらば利休を刺し殺そうを
利休から目を離さず一挙一動を凝視し続けた

が、隙がない

落ち着いて茶事をこなし釜を手にすれば釜が盾になり火鉢を手にすれば火鉢が盾になる
清正は何時までたっても寸分の隙のない利休にどうしたものかと悩み始めていた

すると突然利休が突然炉を手にとってぶちまけた
灰が室内に舞い上がり降りかかった灰が清正の目や鼻に入る
清正は堪らず庭に飛び出した

少しして利休が清正を呼んだ
行ってみると利休の手には清正が茶室に残した脇差がある

「あんたの武士の魂はどうしたんだよ。これでも俺を殺すのか?」

全部バレていた

清正は大いに恥じて、以後本当に利休から茶道を学んだという

971:人間七七四年
09/04/26 19:04:45 mx+81YwH
ちょっちゅね


972:人間七七四年
09/04/26 19:29:26 bpLNMAEH
一方秀吉は利休を殺した

973:人間七七四年
09/04/26 19:34:38 9jfIDI/I
ダーメダメダメ!!普通に茶を点てちゃダメと申したでしょ!!?
相手に意表をつく茶会じゃないと!獲物を襲う虎の如くね!
これじゃあ宗匠の物まねで客にも飽きられるよ!!

974:人間七七四年
09/04/26 19:42:04 9QGzGDJT
このへうげものどもめ

975:人間七七四年
09/04/26 19:49:41 gJ44A6sQ
980を踏んだ方、スレ立てお願いします

↓スレタイ

戦国ちょっと悪い話9

↓テンプレ

戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話8
スレリンク(sengoku板)

姉妹スレ
戦国ちょっといい話9
スレリンク(sengoku板)

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
スレリンク(sengoku板)


976:人間七七四年
09/04/26 19:58:36 Dziv7p1l
>>970
おもしろい
やっぱり秀吉のまわりには一癖あるのが多いんだな

977:人間七七四年
09/04/26 19:59:27 0dfizlBP
ホヒョン殿の花籠強奪話はやったん?

978:人間七七四年
09/04/26 21:34:14 SQtq/iIq
>>970
清正は武士道をどうゆう風に考えているかよくわかった

979:人間七七四年
09/04/26 22:15:56 odJS4d7P
>>963
これって、あっち(いい話)でいいよ。
朝顔なんて、体験者しか語れない。

980:人間七七四年
09/04/26 22:17:04 /bDfLDJK
>>970
なるほどこれが落語の髭茶につながるのね

981:980
09/04/26 22:19:48 /bDfLDJK
あっごめん携帯です。
次の方お願いしますm(_ _)m↓

982:人間七七四年
09/04/26 22:37:47 6xTTMmZ8
では新スレ立ててみるよ。

983:人間七七四年
09/04/26 22:39:42 6xTTMmZ8
スレリンク(sengoku板)
新スレたちました。

エイ エイ オ~

984:980
09/04/26 22:50:46 /bDfLDJK
>>982さん乙です。
ありがとうございました!
次も頑張っていきましょう

えい えい お~

985:人間七七四年
09/04/26 23:26:50 uNcdy9DF
かけ声ってやっぱ軍団ごとに違うんだろうか?

986:人間七七四年
09/04/27 01:22:59 cDNZsLwg
勝鬨のエイエイオーは武田流じゃなかったっけ?

つまり日本のスタンダードになった

987:人間七七四年
09/04/27 01:41:49 LhcYXg3S
>>986
徳川が採用したからなー

988:人間七七四年
09/04/27 02:17:38 g1rIpQoV
鬨の声に関しては

「エイ エイ エイ!」←確か初期の三河流はこうだったとか
「エイ トウ エイ!」
「エイ エイ トウ!」←武田流

と、何種類かあったようね。勝ち鬨によってどこか勝ったかって言うのも
解る様になっていたんでしょうな。

鬨の声と言えばこんな話が


永禄十三年、武田信玄が駿河の花澤城を攻めたとき、信玄の旗本の
落合冶部と言う者が討ち死にした。

敵はこの冶部の首を取ろうとし、冶部の弟左平次をはじめとする武田軍の面々は、
屍骸を引き取ろうと駆けつけ、敵味方入り乱れる混戦となった。

この時、これを高台の本陣から見ていた武田信玄は、旗本の者たちに一斉に鬨の声を上げさせた。

敵、突然の鬨の声に驚き、城に引き返した。
このため武田方は無事、落合冶部の屍骸を回収したとのことである。


しかしこれは悪い話ではないなw


989:人間七七四年
09/04/27 02:29:12 WWgVKOza
さすがだな

まあそれはどうと猪木の例のあれも勝鬨の一種だろ

123 ダー

990:人間七七四年
09/04/27 03:24:03 j3pDo5AZ
それでは皆さん、ご唱和ください
3 2 1 ハッスルハッスル!

991:人間七七四年
09/04/27 07:44:21 cLzxjDfQ
>>970
これ凝視してたからバレちゃったんじゃないか?w
>>988
とっさの機転が素晴らしい
悪い話じゃないけど

992:人間七七四年
09/04/27 11:48:22 0tRj070S
勝ち鬨って、風水とか縁起とかが絡んでて、その場合に応じて
やり方も音頭取る人間も変えるんじゃなかったっけ?

ウロ覚えだが、そういうのを以前 本で読んだ気がする。

993:人間七七四年
09/04/27 12:45:46 KdXQKSKT
一本締めといっているのにパパパンとかやる奴は戦国の世なら打ち首

994:人間七七四年
09/04/27 12:49:12 Hr6pjrrp
一本締めなら「パパパン パパパン パパパンパン」だな。

995:人間七七四年
09/04/27 13:27:22 KdXQKSKT
wikipedia読んできた
なるほど、一本締めと一丁締めがあるのか。勉強になったでござる

しかし拙者の周りもこの二つを混同しているものばかりなので
この知識はしまっておくでござる

996:人間七七四年
09/04/27 14:15:49 +7ox6Tct
一本締めの派生として伊達政宗が三国一をめざすぜ!の意味を込めて3回と1回手をたたく(パパパン、パン)伊達一本締めなるものがあったそうな
ただ徳川の天下になるとヘタレて止めてしまったそうだが

997:人間七七四年
09/04/27 17:47:20 g1rIpQoV
埋めがわりに、いい話のほうの前スレの最後の方に出てた、
大太刀「次郎太刀」を振るう「姉川合戦図屏風」の真柄十郎左衛門
URLリンク(www2u.biglobe.ne.jp)

998:人間七七四年
09/04/27 18:08:16 cLzxjDfQ
…人間?

999:人間七七四年
09/04/27 18:20:07 vZlNsp3V
漫画みたいだな、ここまで長いと

1000:人間七七四年
09/04/27 18:20:51 oR3QUYm7
柄だけで脇差より長いなw

1001:1001
Over 1000 Thread
      /    `ヽ、
      ー┬―─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
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