09/04/17 07:27:33 OagF7o2k
天正7年のことである。
武田勝頼が浅間大社に詣でた時、社殿の裏にある神立山の杉が(落雷か何かで)突然煙を出すという奇妙な出来事が起きた。
それを見た勝頼が吉田守警斎に尋ねたところ
「千早振る神心より成す業を 何れの神かよそにみるべき」
「身は社、心の神をもちながら、よそを問うこそ愚かなりけれ」
と歌を詠んだ。意味はまあ、
「神様が何か大切なことをお示しになっているようですよ、心当たりありませんか?本当の所どうしたら良いのかわかっている癖に、あえてその良い方法を取らないのは愚かなことです」
みたいな感じ。
この当時の武田家は、四年前長篠の戦いで大敗北を期して以降、家中の緊張を深めていて、あちこちもめ事だらけで外交・戦争・経済、どれも上手くいかず、ジリジリと滅亡に向かいつつあった。吉田守警斎はそんな勝頼の周囲の問題についてチクリと言ったわけだ。
これを聞いた勝頼は吉田守警斎にこうキッパリと答えた。
「信長に降れば私も国も長らえるだろうけれど、たとえ私が死ぬことがあっても信長に降る気はないよ。その内北条が信長と結べば、私は挟まれて必ず滅亡するだろうね。この事を神様は私達に教え示して下さっているのだろう。しかしもうどうしようもないんだよ。」
と言ったという話が残っている。
その言葉の通り三年後の天正10年、勝頼は北条と織田に挟撃されて滅んでしまう。
本当にどうしようもなかったのか。
武田滅亡にまつわる寂しい話。