09/04/09 09:27:51 Fqb4e1oR
聞いた話で真偽は定かではないが
江戸に移封された徳川家康
後にこの地で幕府を開き城下町の整備を行うことになる
オカルトな面では風水を考慮し将門を祀って守りを固め、
軍事的には道を歪曲させて真っ直ぐ飛ぶ鉄砲のを使いづらくさせ
武家は城の周辺に、寺社は有事の駐屯地として機能するようにし
町人は有事の際に壁となるように配置されたという
この城は後の平和の時代が相まって有事にその成果を発揮すること長らくは無かったが
戊辰戦争が勃発し官軍が江戸に迫った
ついに城の成果が発揮される時が来た…はずだった
が、幕府は無血開城してしまった
何故か?
理由は色々あるが官軍との交渉会話の中でこんなやり取りがあったそうだ
西郷「近々江戸を総攻撃するから」
勝「民衆に被害が出るから止めてくれ」
町人が壁になるように都市計画を立てたのにそれが仇となって城として使えなかった
戦国の時代の町人の価値と太平の時代の町人の価値はまるで違っていた
200年後の人の価値の変容を読めなかった初期の幕府の悪い話