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高山右近の潔癖症と茶
秀吉の伴天連追放により、伊丹の知行地を失ったキリシタン大名、
高山右近長房。
晩年は、加賀前田家、利家、利長、利光の三君に仕え、
関が原の役以外の時期は静かな生活を送っていた。
このころの茶会にて
招かれた客人らは、いつもながら右近の完璧なまでに整えられた茶風に
感嘆の念を禁じえなかった。
が、師である利休が右近自身についてかって評したことを語った。
「師が評するには、私の茶はどこか邪道というか茶の心から外れたものがあり、
それはあまりに清潔さ潔癖さに捉われてしまった心の狭さ故なのだそうです。
確かにそう言われてみれば、私は茶室に至る道の隅々はおろか、
庭の端々から茶室の床の下まで掃き清めねば気が済まず、
少しでも乱れがあると心静かに茶を立てられないのです。
これは性分なのでしょうが、まことの茶人としていたらぬことなのです。
それに対して織田有楽殿の茶は、自然にあるがまま、道に降り積もる落ち葉は
そのまま茶になっております。
まことに自然というか、自由な心そのものであり、羨ましいとも思うのです。」
潔癖で窮屈な面を自己批判する右近であった。