09/04/08 10:55:42 lCnJYOtn
首供養・・・生死は戦場のならいの戦国武士において、33人の首を獲った者のみが
自分が命を奪った者への鎮魂の法要を営むことが許される。 これを首供養と呼んだ。
(民明書房刊『偶愚留』より)
黒田如水「で、こないだ勝った別所さんちにも、首供養やった男がいると聞いた。
ウチにはそういうハッタリの効くヤツはいないのか?」
母里太兵衛「はいはい!オレオレ!!」
如水「オマエはもう名が通ってるからいいや。」
太兵衛「 (´・ω・`) 」
栗山備後「秦桐若が31人の首を獲ってましたけど、戦死しちゃいましたし・・・
吉田六之助は、まだ27人ですし・・・」
如水「という訳で六之助、オマエ首供養やんなさい。」
六之助「いや、だからオレ、27人しか首獲ってませんって。」
如水「ちっせー男だねぇ!オマエ今いくつよ?」
六之助「31歳ですが何か?」
如水「まだ若いじゃないの!その歳で、もう首を獲らないなんて事ないだろ?
だから先に供養して、後で帳尻合わせとけばいいんだって!」
結局、供養料として100石の知行まで与え、ムリヤリ六之助に首供養をさせてしまった。
主命により首狩り族にならざるを得なくなった六之助、朝鮮の役まで現役を通し、
生涯に50余の首を挙げたという。 (常山紀談より)
まあ、クロカンが若手に奮起を促した、と考えればいい話なんですが・・・