09/04/04 16:21:39 0uFjOFfF
天正七年、織田信長は浄土宗と法華宗の宗論を安土城下で行わせた
世に言う安土宗論である
菅屋「いよいよ世紀の対決が始まりました。私、グランプリ奉行の菅屋長頼です。
さて、浄土代表は玉念。彼は関東からの流れ説法者ですね。
対する法華側は京の高僧ぞろい…これは法華の有利が予想されます」
因果「いえ、ディベートは浄土宗が押してますよ」
菅屋「あ、副判者の因果居士さん…でも、玉念は言に困っているようですが?」
因果「そんなことありません。あれはコレコレシカジカってことで、浄土側の圧勝なんです」
菅屋「…えーと、そうなんでしょうか。判者の景秀さん、どうなんでしょう?」
景秀「……」
菅屋「おや、音声が…景秀さん!景秀さーん!」
景秀「……」
因果「ああ、駄目ですよ。景秀さんはご高齢で耳が遠いんです。耳元でゆっくり話さないと」
菅屋「…それって、この討論は聞こえてるんでしょうか?」
因果「どうでしょうね、聞こえてないんじゃないでしょうか」
菅屋「……」
玉念「ええいっ、勝った!わしの勝ち!」
菅屋「あーっと?ここで玉念、掟破りの勝利宣言!…あ!これに煽動された群集が法華僧に襲いかかっています!」
因果「これはどう見ても浄土側の圧勝ですね」
菅屋「えー…実に予想外な結末となってしまいました。以上、安土城下よりお伝えいたしました」
その後、信長は玉念に褒美を与えた上、法華側の関係者を処刑した