09/03/30 09:56:27 Ey/6Um3V
>>298
そこで裏柳生ですよ
301:人間七七四年
09/03/30 11:05:16 mDep4GZ6
柳生一族の陰謀
302:人間七七四年
09/03/30 12:08:30 MmV9G53y
>>301
みだらな棒と書くのですね。
303:人間七七四年
09/03/30 12:13:20 Ow2nInOc
wikiでは、後水尾天皇、随分とお盛んな主上だったらしいが。
上皇になって、延々院政引いたんでしょ。
何十人もいたら、お手当大変だったから口減らしでは。
304:人間七七四年
09/03/30 12:14:44 iQLB173S
秀忠「おのれ、この俺が浮気もロクに出来ずに監視されて居るというのに…憎い!あの主上が憎い!!」
305:人間七七四年
09/03/30 12:32:30 +blJwTYw
>>304
ワロタw
306:人間七七四年
09/03/30 12:55:50 xAItUOLO
>>304
心の底から納得
307:人間七七四年
09/03/30 12:57:19 cc0VCz2g
wiki見たが何人こさえてんだよw
これ以上まだ産ませてたのか。
しかし子供を実際殺していたのは事実らしいな。
和子入内前に子供が出来ていたお与津は宮中追放されるは
以後和子の子である明正天皇に後水尾天皇が譲位するまで
和子以外の女性に子供はおらず
譲位後からまた他の女達にパコパコ産ませている。
308:人間七七四年
09/03/30 14:23:03 MmV9G53y
>>272
飯田かく兵衛さんて「あー(清正に)騙された騙された、戦場怖いし。
なぜか段々責任が重くなって辞めるに辞められんし。なんで俺ばっかり……ブツブツ……」
てツンデレの人だよね。めっちゃ加藤清正スキーだったんだろう か?
309:人間七七四年
09/03/30 16:17:15 RloTKpAz
鬼武蔵は森蘭丸のことを「あいつはヘビでもカエルでも何でも食うから」という理由で「モズ」と呼んでいた
というのが昔読んだ本宮ひろしの「夢幻の如く」であったんだが、
作者のオリジナルにしては変な設定で、以降出なかった話だから
気になったのだが調べても出典がわからん…
果たして何らかの根拠がある話なのでしょうか
もしあるのなら蘭丸の(食い意地が)悪い話、という事で
310:人間七七四年
09/03/30 17:24:02 FBTJNNTJ
蛇神を食べたのは何処のどいt・・・・グギャッ
311:人間七七四年
09/03/30 18:20:44 ZTj98ARR
どう考えても食ってたのは兄のほうです。
312:人間七七四年
09/03/30 19:15:58 sR2fP006
さては食べ残しをそこらへんに突き刺しておく癖でもあったか。
313:人間七七四年
09/03/30 19:32:30 vMSzUZm8
>>304
妙に納得できる理由だなぁw
>>307
後水尾上皇は天皇家の徳川家斉というべき御仁
ただし、天皇家は財政援助してもらえたのに対して、将軍家は…w
314:人間七七四年
09/03/30 22:32:59 1kBkVmQw
小平太は見た
徳川家康と穴山梅雪が織田信長に、甲州平定のお礼として上京した折りの事。
もてなしを受ける家康は榊原康政を、信長へのご機嫌伺いに出した。
康政、邸内を移動しているとなにやら物騒な音。何事かと見れば、信長が頭をつかんで
ぶん殴っていた、接待役の光秀を。
どうやら信長、光秀の家老、斉藤利三を稲葉家に返せと言う命令を、光秀が聞かなかった事に
酷く腹を立てている模様。
しかし、その余りの振る舞いに光秀、涙を流して言う
「私をお取立てしていただいた、そのご恩は莫大でございますれば、どのような事をされても
逆心は抱きませぬ。しかし、これはあまりの事でございます。」
打ちひしがれた光秀に、近習の森蘭丸、この時十八歳は、いう
「日向守様?あなたは上様と君臣の間柄が非常に深く、上様もあなたには心安いから、
このような打擲もおやりになるのです。
ああ、何と羨ましいご奉公ぶりでしょう。」
こんな昼ドラも真っ青の修羅場を見てしまった小平太さん。本能寺まで、17日余り前の出来事であった。
315:人間七七四年
09/03/30 22:35:47 V4tUgARL
森蘭○「俺はノンケだってかまわないで食っちまう人間なんだぜ」
316:人間七七四年
09/03/30 22:46:24 OCdygckN
春日弾○「俺はノンケだってかまわないで食っちまう人間なんだぜ」
317:人間七七四年
09/03/30 22:51:25 mDep4GZ6
アッー!
318:人間七七四年
09/03/30 22:57:34 vMSzUZm8
直江兼○「俺も烏賊同文」
319:人間七七四年
09/03/30 22:58:38 2OENoOOe
小平太って見て真っ先に服部さんかと思った
何か見ちゃいけないもの見て連座したのかとw
320:人間七七四年
09/03/30 23:27:22 xCa3NKCN
なんて史料に記載されているのか、できれば教えてください
321:人間七七四年
09/03/30 23:39:56 ZcT+2Ad+
ウホッ…いいキンカン頭…
322:人間七七四年
09/03/31 00:11:12 22uZcYXF
>>320
314の元ネタは、「武功雑記」と言う本です。
323:人間七七四年
09/03/31 02:59:18 7CqPvvEl
・世の中にいらぬもの三つあり
一つは堕落、一つは徳川、もう一つは女のわがままである
by島津義久
324:人間七七四年
09/03/31 03:04:23 802R0DaV
>>323
DQN家久「一つは義久、一つは義弘、もう一つはry」
325:人間七七四年
09/03/31 03:56:37 UbcfFQU7
家久さま、そんなに正室さまがお嫌いですか?
326:人間七七四年
09/03/31 11:53:13 1TWdKsTr
日野富子「女の我儘なんて可愛いものじゃない」
327:人間七七四年
09/03/31 12:12:21 c1wGwmKC
秀吉が別所長治の三木城攻めの際のこと
帝釈山に明要寺という寺があった
この寺は、干し殺し真っ只中の秀吉軍をかいくぐり、なんとか
別所へ食料を運ぼうと頑張った毛利さんところの補給経路であった
秀吉はこの補給経路を絶つために、この寺を焼き討ちにし
多くの武装した僧侶は逃げ出し、谷に落ちて死んでいった
この寺には多くの侍童と稚児がいたのだが、これらはいのちからがら
山へ逃げた
しかし、秀吉の追手は執拗に追いかけてくる
とうとう追っ手に捕まり、ことごとく切り殺されてしまった
哀れに思った村人等によって稚児らの亡骸をこの山頂に葬って
墓に供える花を手折った東の峰を花折山と呼び
この山を稚子ヶ墓山と呼ぶようになったといわれている
因みに、今はハイキングコースとなっております
328:人間七七四年
09/03/31 12:41:44 NejBuK/b
補給路を徹底的に断て、という秀吉の厳命があったのだろう。
朝鮮の役の先触れのような印象。
329:人間七七四年
09/03/31 12:51:55 0jMHSCcZ
>>327
秀吉「逃げる奴は別所勢だ!抵抗する奴は訓練された別所勢だ!」
330:人間七七四年
09/03/31 12:58:36 Ssvkb5YE
「フハハ戦場は地獄だぜ」
331:人間七七四年
09/03/31 13:26:42 7WqgOoQD
>>309おちりに逸物を刺すから、では……汗アセ
332:人間七七四年
09/03/31 14:32:43 sLWw1TEs
円谷すぐにクビになりそうだな
333:人間七七四年
09/03/31 14:33:26 sLWw1TEs
ごめん、誤爆ですよ。
334:人間七七四年
09/03/31 14:36:30 VYoGmeQ2
誤爆か…
一日限定で森長可の部下になる
富田長繁と会食
太田康資と手合わせ
好きなのを選べ
335:人間七七四年
09/03/31 15:02:41 KvTT4z06
森さんかな・・・とにかく目立たず切り抜ける
336:人間七七四年
09/03/31 15:17:37 0JmGKkBc
>>309
まとめにこんな回答がっ
人間七七四年
百枚舌っていう意味でかもー
2009/03/31 Tue 00:23 URL [ Edit ]
337:人間七七四年
09/03/31 15:20:07 ZQNc0x+O
百枚の舌を持つ側近
神を食らう猛将
桃DQN
権力の中枢に置くにはなんという危険な一族だろうか
338:人間七七四年
09/03/31 17:25:17 yQvQVYmo
でも室町幕府初期はこの手の危険人物が普通に権力中枢にいるから困る。
339:人間七七四年
09/03/31 18:56:20 vYIgXPpS
同時に超優秀な武将だったり政治家だったり風流人だったりするからな>室町初期DQN三人衆
340:人間七七四年
09/03/31 19:29:15 7Nw3czyM
132 名前: 人間七七四年 投稿日: 2009/03/30(月) 11:32:54 ID:+blJwTYw
>>131
33巻?
そこは最上勢が小野寺の柳田城攻めで、
円通寺の剛勇にさんざんに最上側が悩まされたり、
鮭登の郎党が弟が傷を負ったのを見て周りの人々が治療すれば助かると見たが、
もうお前に生き甲斐ないよって言い放って弟の首を斬ったり、柳田城中の女童が逃げ隠れるのを追いかけ回して追詰め散々に切捨てたり、
女童を天井の梁に取り付けぶら下げ槍や熊手で引き落とし突殺。
女下部の老人が助け給えと手を合わせ泣き悲しむのを手足を縛り胴切り、衣装を剥ぎ取り裸にし仰向けに踏み返し、
腹を裂き首を切り笑いまくり阿鼻叫喚の言語に絶する悪逆。こんな感じで小城を撫で切り483人討ち取り。
さらに最上軍は10歳くらいの童男や童女の父母兄弟が目の前で殺され、走り倒れ泣き叫ぶのを拉致って、
雪の中を湯沢まで連れて行って柳田の兄弟の男子かどうか詮議すると言いながら、吟味を一切せずに全て虐殺。
この悪逆に「此人々の行末を見まほしや。」と嘆じる。
行く末は言うまでもなく最上兄弟争い死にまくった挙げ句に最上改易で当然の報いを受けた場面で奥羽永慶は筆を置いている。
最上の酷い話
341:人間七七四年
09/03/31 19:35:58 4PsSQr+r
最上屑だな
342:人間七七四年
09/03/31 19:36:32 IaO81+FE
天子に矢ぶっ放すからな。室町DQNは
343:人間七七四年
09/03/31 19:42:46 r537Rag7
奥州仕置を終えた豊臣秀吉
奥羽のうち、旧主改易となった地の検地に着手した
現地の人々には不安と不満が生じ、どうにも剣呑な空気となったらしい
案じた秀吉は、奉行の浅野長政達に命令を出した
「奥羽の国人・百姓には、よくよくわしの意を説いて、納得させるんだよ
もしそれでも従わずに抵抗したりしたら…
城持ちなら、その城に追い込んで、中にいるやつは皆殺しにするんだよ
百姓だったら、一郷でも二郷でも、丸ごと撫で斬りにするようにね
それでたとえ、土地が荒れ野原になったって構いやしないよ
とにかく、山の奥や漕ぎ出せるだけの海、すべてくまなく追求してください」
現場を思いやったとても細やかな指図をするラs…秀吉であった
344:人間七七四年
09/03/31 20:58:15 ZUTQjTDP
撫で斬りと聞いて森さんと伊達さんが仲間に入りたそうにじーっと見てます。
仲間にしますか?
345:人間七七四年
09/03/31 21:30:51 hOz5VM4a
撫で斬りには愛が無きゃいかんのじゃ
346:人間七七四年
09/03/31 22:13:50 yLpc/NZg
>>340
あー、念のため書いておくけど、その要約かなり無茶苦茶だぞ?
またも日本語が不自由な例の荒しだからまとめ管理人さん、ご配慮くだされW
347:人間七七四年
09/03/31 22:21:48 Lkl0DffM
紀州に浅野長晟がいた頃の事。
地侍に何某と言う、かつて功名の沙汰のあったものがいて、今は山中に住んでいた。
浅野家ではこの何某の武勇に期待し、扶持していたが、この男、いつしか武技の鍛錬を忘れ、
蓄財に励むようになった。他人にそれを指摘されると
「財貨あればいつでも、諸道具、人馬ともに集められるわ!」と、聞く耳を持たなかった。
さて、大阪の陣が起こる。この男公言していたように、財貨を散じて人馬、諸道具を求め、
ゆゆしい装いで出発した。ところか、道を進むにつれ一人減り二人減り、所詮金で集めた者達ゆえか、
戦場である大阪に着く頃には全員逐電し、残ったのは自分とその馬だけと言う有様になった。
何某、これでは働きも出来ず、かといって紀州に帰るのも面目ないと、そのまま
行方不明になったそうである。
武士たるもの、普段から武芸を鍛錬し武備を備えていないと、いざ事あったときに
役に立たないのですよ。というお話。
348:人間七七四年
09/04/01 00:04:42 S4T8ezI7
さすが最上厨都合が悪いと削除か
349:人間七七四年
09/04/01 00:44:47 m0xtgDBS
>>346
要約が無茶苦茶で例の荒しで配慮よろというのはいくらなんでも無精ではないか
346の思う正しい要約を書き込むべきではないか
時間がかかってしまい遅レスになるのがためらわれるならばそれこそまとめサイトを
活用しコメント欄にでも書き込めばいいのではないか
つまりカモン
350:人間七七四年
09/04/01 03:50:11 NSktuHhI
とりあえずコピペのままじゃダメだろ。
351:人間七七四年
09/04/01 08:22:01 nCoV0ppA
>>347
前田利家さんが耳が痛そうな顔しています
352:人間七七四年
09/04/01 15:13:03 BhBnApUf
>351
だから甥っ子が影武者なりって名乗ったり、氷風呂に入れたりして鍛え直したんだよ。感謝しなきゃ(棒
353:人間七七四年
09/04/01 16:20:50 99L9CO5B
大ぬる山
天正元年(1573)8月、刀根山に陣取った朝倉軍と、その麓の織田軍との対峙は続いていた。
ある日、信長は井楼に上がり
「敵は今夜引く。先陣の者たちは油断するな!」と使いをたびたび出して下地させた。
が、これを聞いた先陣の者達は
「殿は何を言っているんだ?敵は大軍、しかも地の利を得て、あまつさえこれは主力決戦だぞ。
こっちならともかく、敵が引くわけが無い。」皆そう言って、あまり気にしなかった。
信長は夜になっても井楼から降りず、敵陣をにらみ目も離さなかった。
丑の刻、信長の声が響いた、「敵は退くぞ!」
法螺貝を吹きたてさせると馬に乗り、「先陣の大ぬる山どもは油断して出遅れておるぞ!
旗本の者ども功名せよ!」と、真一文字に駆け出した。
はたして先陣の軍勢は遅れ、この戦、信長の旗本にて勝利を得た。
信長は味方でも怠っているものには、「大ぬる山」と呼んで笑っていたのだそうだ。
信長の、口の悪いお話。
354:人間七七四年
09/04/01 16:49:57 kFO7hSQ7
朝倉追撃戦での信長の戦況判断は神懸りとしか思えんわ^^;
355:人間七七四年
09/04/01 16:54:54 GeIsNbKR
この話
センゴクであったな
356:人間七七四年
09/04/01 17:16:44 0JP8hmse
>>353
信盛 「でも俺たちほどすばらしい家来は滅多にいないですぞ」
佐クマーNobumoriの(態度の)悪い話。
357:人間七七四年
09/04/01 22:22:32 ziYx9Ly1
>>353
ヒャッハー!富田長繁が陣に駆け込んできますた
でも前の日に前波吉継が駆け込んでいますた。
二人はとっても仲が悪かったキュアブラック
358:人間七七四年
09/04/02 00:30:27 uTC72lb+
信長の戦略眼の良い話な感じがするけど
この追撃と刀根坂の戦いで朝倉軍壊滅させてる訳だし
359:人間七七四年
09/04/02 01:29:39 hqB07q4t
小牧長久手でのことである。
その頃水野勝成は目を病み、兜をつけず頭に鉢巻をしていた。それを見た父、忠重は
「何だお前のその姿は。兜を小便壷にでもしたか!?」と、罵る。
これに勝成「父とは言えあんまりだ!こうなったら俺は今日の合戦、真っ先に駆けて
首を取るか取られるかの二つに一つだ!」と、馬にまたがり勝手に駆け出していった。
いつも思うのだが、水野勝成のスイッチの入りかたと言うのは、どこかおかしい。
なんでそうなるのかと、さすがに忠重も驚き、大田重助と言う者に追いかけさせて戻ってくるように言ったが、
勝成、頭に血が上って聞きゃしない。さらに一族の水野喜右衛門まで追いかけてきて
とにかく戻れというのに勝成、喫と睨んで
「畳の上の諫めなら聞くこともあるでしょう!が、只今大軍の中に駆け入り巧妙せんとする時!
止まれといわれて引き返す馬鹿があるか!」
と言い捨て秀次の将、白井備後守の陣に一人で突撃。兜首を取ってしまい、あまつさえこれが、
この日の一番首の手柄になってしまった。見事罵った父を見返してしまったのだ。軍令違反だけど。
こんな男が後年「全ての士に貴賎は無い。主君と言い、家来と言うが、互いに頼み、
憐れんでこそ、世の中と言うのは成り立つものなのだよ。」などと言うようになるのだから、
人間、どうなるか分からないものなのである。
360:人間七七四年
09/04/02 01:32:45 ip0lVo5p
親父もいきなりご挨拶なセリフ吐くなぁw
361:人間七七四年
09/04/02 02:29:03 Scs3qakZ
>>351-352
奥さんに銭に戦ってもらいなさいとか助言されたりもw
362:人間七七四年
09/04/02 02:54:31 N5j5ZRNm
>360
息子をみてスイッチ入ったんだろう。
なぜなら、彼(忠重)もまた水野な存在だからです。
363:人間七七四年
09/04/02 09:21:44 A5Dev0lM
>>359
勝成の華麗すぎる活躍を物凄くはしょると
・小牧長久手で一番槍→軍令違反で父と喧嘩、父の家臣を斬って出奔
・佐々成政にやっかいになる→成政切腹で出奔
・小西行長にやっかいになる→続かず出奔
・黒田如水にやっかいになる→出奔、何をやったか追っ手を差し向けられる
・立花宗茂にやっかいになる→宗茂の家臣と喧嘩、出奔
・三村親成にやっかいになる→茶坊主を斬って出奔
・三村親成のところに戻る→やっぱり出奔
・岐阜城攻め→ミミズを食ってみんなドン引き
・大坂夏の陣→大将にも関わらず、自ら槍を持って後藤又兵衛らを討ち取った
大坂城に一番旗という大活躍
ほんの一部抜粋ですが、勝成さんは根っから人間味あふれるすばらしい
人格が備わっていたのだと思います
364:人間七七四年
09/04/02 09:27:56 vKXXLHRV
息子がそんなんじゃ将として示しがつかんから叱って当然だろ。
ただ『兜はどうした?ここは戦場だぞ!』と言えば良いところを軽く皮肉ったせいで、恐らく周りの兵から鼻で笑われて
勝成は辱められたと思いヤケになって…で膨んでいったと思われ
365:人間七七四年
09/04/02 09:38:36 1pvNVXZD
>>363 並べられると
相性良さそうに見えるのは佐々だけだな
366:人間七七四年
09/04/02 10:01:23 NM39+Zwn
2ちゃんにもよくいるだろ、何を言うにも煽りを入れないと気がすまない奴
忠重もそれの類だったんだよ
367:人間七七四年
09/04/02 10:08:02 vKXXLHRV
>>363秀吉に仕えてた時代を忘れてもらっちゃ困るぜよ
368:人間七七四年
09/04/02 10:13:21 l7HiL+RA
島原にも出てないっけ?
369:人間七七四年
09/04/02 10:29:22 pDT+iW4r
島原ではなぜか一族揃って出陣してた
370:人間七七四年
09/04/02 10:30:49 vKXXLHRV
>>363
てか勝成厨で勝成研究本を四・五冊持ってる俺が立花宗茂の所にいたなんて初めて聞いたんだが…。
確か天草一揆の時、小西の所から兵糧を輸送するのにお使いで寄ったくらいだと思ったんだけど
そう言う説もあるんなら是非出所を教えてくれ、今後の糧にする
371:人間七七四年
09/04/02 11:02:32 vVwQNOBp
>>186 携帯から失礼。
スレ違いを承知で書くが、これと似た話が中国にある。もっともこちらはちょっとイイ話。
宋の大祖 趙キョウ胤が後周に将軍として仕えていた頃の話。
無類の酒好きの趙キョウ胤、王宮に出仕している時にどーしても酒が飲みたくなった。
そこで宮中の酒倉に行き、そこの番人に「ちょいと酒を分けてくんない?」と言った。
するとその番人、「少々お待ち下さい…」と言うと、自分の懐から財布を取り出して使いの者に酒を買いに行かせ、
「ここにあるのは宮中で使う酒ですので、私がそれを管理している以上、勝手に差し上げる訳にはまいりません。しかしこの酒は私が個人的に買った酒ですので、飲むならこれを飲んで下さい」
と言って買ってきた酒を趙キョウ胤に渡した。
これを聞いた趙キョウ胤、「たかが酒倉の番人だが、公私をわきまえた立派な奴だ。憶えておこう」
この番人の名を曹彬といい、後に趙キョウ胤の最も信頼する大将軍となった。
372:人間七七四年
09/04/02 11:37:53 MGE5lSlW
勝成さんは家康の命で諸国の情報を得てたんじゃないかな?
>>371
こちらへドゾー
戦国ちょっといい話8
スレリンク(sengoku板)
373:人間七七四年
09/04/02 12:44:51 A5Dev0lM
>>370
ソースとな
「血槍三代」じゃw
374:人間七七四年
09/04/02 18:37:26 ip0lVo5p
忠重って死んだ原因も酒が絡んでの口論なんだよなw
毒舌が過ぎたんだろうか。
375:人間七七四年
09/04/02 18:45:38 xtGasogd
関ヶ原合戦後、長宗我部盛親は沙汰を受けるため、供廻りだけで上方へ赴いた
しかし、盛親はそのまま留め置かれ、代わりに土佐にきたのは知行没収を伝える使者だった
この処置に憤激した一領具足ら数百、浦戸城引渡しを阻止しようと籠城の挙に出た
「浦戸一揆」の勃発である
ただ、正規の武士ではない一領具足では、城を乗っ取ることはできない
そこで、彼らは重臣の一人を総大将に担ぎ上げた
武勇で名高い桑名弥次兵衛吉成である
が、吉成、実は恭順派の人物だった
彼だけでなく、重臣達は盛親の身を案じ、また世の趨勢を見て反抗の虚しさを悟っていた
吉成は城内に味方を作り、城外の恭順派軍勢に呼応させた
総大将が内通者という前代未聞の状態、籠城側に勝ち目はない
数百の一揆勢はことごとく斬り捨てられ、浦戸城は解放された
376:人間七七四年
09/04/02 20:32:01 tQTsm0rq
一領具足たちの見る目のない話、か
377:人間七七四年
09/04/02 23:30:13 3ueNsgHk
それぞれ主君を思って行動したってのがまた・・・
378:人間七七四年
09/04/02 23:39:28 hqB07q4t
湯浅常山、憤る。
「常山紀談」を著した湯浅常山。彼はその著書の中で、こんな事を言っている。
『つーかさ、甲陽軍鑑って、信玄に都合の悪い事を隠し過ぎだよねー。
例えば同じ合戦でも、北条五代記には「氏康夜討ちして甲州の兵敗北し。
八幡と書かれた武田の軍旗を捨てて逃げた」って書いてあるのに、甲陽軍鑑じゃ
「この旗は波にさらわれて無くした」なんて書かれてるんだよ?
北条五代記に書かれてる事が間違っているとしてもさ、高波に旗を取られたって、
どこに陣を敷いたかすらわかってないじゃん!』
尾瀬甫庵の「信長記」や「太閤記」は、案外素直に受け入れてるのに、甲陽軍鑑には
妙に厳しい常山先生なのであった。
379:人間七七四年
09/04/03 05:26:21 XuyjypDR
もともと長曽我部は東軍につくはずだったのにどういうわけか西軍に…
大阪の陣の話を聞くと勇ましい印象を受けるが実際は戦の経験が乏しい凡将
380:人間七七四年
09/04/03 07:38:36 rhSwgrUF
東軍に付くつもりが西軍に・・・なんて人達多いけどな。
381:人間七七四年
09/04/03 08:50:23 JHO0Z5Pn
>>373 …。
382:人間七七四年
09/04/03 09:07:01 6vwyKgVp
>>379
どったの急に
383:人間七七四年
09/04/03 09:07:06 N7tvMZBy
>>380
そのあたり、ホントかどうかって気がする。
経緯はどうあれ西軍についた者達が、実は違うんだ、大権現さまに逆らうつもりは
なかったんだよといいたいための話なんじゃないかなあと。
384:人間七七四年
09/04/03 10:54:23 /BAiEoiZ
そこいくと、中身の真偽はどうあれ、
取り敢えず権現殿に宣戦布告した誰かさんはいっそ清々しいな。
385:人間七七四年
09/04/03 11:49:24 SDY6PbGA
>>384アントキノ景勝兼続タッグか
386:人間七七四年
09/04/03 14:15:18 5GwI3JUW
120万を30万にした収容の匠
387:人間七七四年
09/04/03 14:37:29 luwcxnEo
なんということでしょう。
120万石もあった石高が匠の業でこれだけのスペースに
家臣を解雇せずに恩を着せる気配りはさすがに匠です
388:人間七七四年
09/04/03 14:54:59 ajnIRBWi
なんと今ならさらに半分の15万石に!
389:人間七七四年
09/04/03 16:25:27 9KDdcSc0
なんというテレフォンショッピングwww
390:人間七七四年
09/04/03 16:27:12 Jda38p5b
黒田如水、長政親子が豊前を与えられ、国内の国人一揆と戦っていた頃の事。
黒田親子が馬の丘と言う城にいたとき、城下に一揆軍が押し寄せた。黒田長政この時16歳。
一揆勢を蹴散らそうと近習を引き連れ飛び出した。如水は「やめとけ」と言ってた。
長政が出てくると一揆勢は撤退。これを追いかけ山中に入る。はい、もう解りましたね?罠です。
長政君、まんまとひっかかりました。
山中の深くに入った所で一揆勢、岩陰から一斉に現れる。真っ先に進んでいた黒田方の大野小弁、
一揆に取り囲まれ馬から突き落とされた!
これを見た後藤又兵衛、小河伝右衛門、久野四兵衛、馬の首を引き返し逃げる。長政を置いて。
長政、すっかり取り囲まれた。一揆はそこら変中の木陰や岩陰からワラワラ沸いてくる。
もうデッドライジングでゾンビがフィーバーしている状態である。長政は円形の陣を引いてじりじりと
退却するが、一揆は竹の鏃の矢を、雨のように降り注がせる。「狩場の鹿か俺達は!」
あまりの屈辱に長政、馬から下りて討ち死にしようとする色が見えたので、近習が必死になって抑える。
が、長政の馬が一揆の矢に当たり終に斃れ、一揆の接近を見て「もうここで自害する!」と叫んだ。
菅政利が「私の馬にお乗りください!」と言うも、そんなこと聞かずにすでに帯を解き始めている。
もう死ぬ事しか頭にないのだ。
その時三宅三太夫が走り寄り、「ここは大将が自害するような場所じゃないでしょ!」と、長政を
片手で持ち上げ、そのまま馬に乗り引き退いた。
菅はその馬の尻がいの所に手をかけ少しも離れず、木屋兵右衛門は長政の槍を持って
後に続いた。
三宅を中心として50人ほどが、円形の陣を保ったまま二里ほど逃げれば、そのあたりで一揆も
追うのをあきらめた。長政主従、どうにか危機を脱出したのだ。
この時後藤又兵衛、錯乱してお気に入りの、猩々緋の羽織を脱ぎ捨てて逃げていたらしい。
追いついた長政達が引き下がっている最中その羽織を見つけ、又兵衛に返してあげた。
ちなみに櫓より長政の敗戦を見ていた如水、大笑いしたそうだ。「だから言ったのに。」
しかし傍の者たちが「御加勢を!」と口々に言うのを、「円陣を保っているし、長政だから
大丈夫だろ。」と、ほって置いたとか。変な所で子を信頼もしている如水なのであった。
391:人間七七四年
09/04/03 16:54:50 3OFMjjNZ
>>384
なんか謝罪に上洛したときもその主従はまったく悪怯れた様子がなかったらしいな。
関ケ原後も妙に反抗的とも取れそうな態度の逸話ばっかだし。
392:人間七七四年
09/04/03 17:16:01 x603YNH4
>>390
城井の宇都宮鎮房を征討に行ったときの話でしょうか?
鎮房のゲリラ戦術に散々やられたけど、中津城での仕返しの騙し討ちも
戦国ながらなかなかの汚さでした。
393:人間七七四年
09/04/03 19:47:35 cCww3JpT
敗北の苦味を教えておいてやろう、という如水のスパルタ教育に見えてしまうのだが
394:人間七七四年
09/04/03 20:22:23 QU4jmRIX
官兵衛「流石オレの息子、300でも大丈夫」
又兵衛「ああ!『スパルタ』教育だけに」
太兵衛「プゲラwww」
395:人間七七四年
09/04/03 20:40:28 Qud/eZLJ
実に黒田家なノリで大変よろしい
396:人間七七四年
09/04/03 21:05:00 g/xc/rZc
ファランクス見たいな密集陣形が日本に無かったのはなんでだろ?
397:人間七七四年
09/04/03 21:05:42 2JHRkGji
>>393
そのわりに後々になっても「突撃してくる前衛を100騎も潰せばその中に長政がいる」って言われてるわけですが
398:人間七七四年
09/04/03 21:47:47 /zar2ggW
>>396
密集陣形は機動性が最悪なので、多様な地形の日本では役立たず
それに個人の戦功を重視するので、その点でも適合しない
399:人間七七四年
09/04/03 22:04:24 rhSwgrUF
>>396
戦場の最前線ならそりゃ密集隊形だよ。
合戦絵図とか見ても、基本密集してるじゃない。
槍の長さの逸話も、密集して使用するから出てくるわけだしね。
ただ日本だと、平坦な場所が少なく防衛側が急峻な地形や城に拠る等、
開けた場所での大規模な野戦が必然的に少なくなるから、
マケドニアファランクスに代表される広大な平地での運用を想定した、大規模な密集隊形が発展しなかっただけ。
400:人間七七四年
09/04/03 22:32:58 cT7NhgJ9
>>392
いや、やり方自体はオーソドックスでそう誉めたものじゃないだろ
城井を時勢が読めなすぎるなんて貶す奴もいるけど
思うにあれは自分が軍勢を率いて城を空ければ城井は油断して動くはずという如水の読み勝ち
若干二十歳で一度は完敗した相手を見事に仕留めた長政の器量勝ちだね
401:人間七七四年
09/04/03 22:36:08 cT7NhgJ9
ごめんここ悪い話スレだったのね
402:人間七七四年
09/04/04 00:48:25 HorkhVF0
文禄2年(1593)1月、碧蹄館の戦いの時のこと。
宇喜多秀家の家臣、国富源右衛門は手柄になりそうな敵を物色していたが、
ついに豪華な鎧を着た明兵に遭遇した。
源右衛門は太刀で三度まで明兵に斬りつけたが、相手の鎧が硬いのか、
それとも源右衛門の腕が悪いのか、三度とも弾き返されてしまった。
「よろしい、ならば格闘だ。」
あきらめた源右衛門、太刀を投げ捨てると素手で飛びかかり、組打ちを挑んだ。
・・・功夫の国の人に。
明兵「私は一向に構わんッッ!!」
たちまち源右衛門は押さえ込まれ、マウントポジションを取られた。
必死ではね返そうとするも、岩にのしかかられたようで、ビクともしない。
なんとか脇差を抜いて突いたが、これも鎧にはね返された。
結局、源右衛門は状況に気づいた味方の手で、やっと救われたという。
何がしたかったんだ、源右衛門。
というか、この後に数十人がかりでようやく討ち取った、マヂで某海なんとかいう名前
だったであろう明兵のスゴイ話かも知れない。
403:人間七七四年
09/04/04 00:50:59 GxmcyZHn
いわゆる槍衾って、小規模だけど普通に密集陣形だよな
404:人間七七四年
09/04/04 01:19:58 Ulo5uGPQ
黒田長政がある時人に語った事に
「自分は十四の齢より今に至るまで、抜群の功績を立てたことが多いのに、
自分が大功のある黒田如水の息子であるばかりに、この親と比べられて自分の功は目立たず、
人もこれを称えてくれない。
それなのに浅野幸長は、軍功のない浅野長政の息子のなので、それと比べて目立つものだから
ちょっとした功でも、それがあるたびに人はこれを称えている。
不公平だ!」
と、不満をもらしたと言う。
この発言を、後、湯浅常山は『これって暴言みたいに聞こえるけど、実際
そう言うことだったんじゃないの?』と、ぶっちゃけてたりするw
405:人間七七四年
09/04/04 01:38:22 jFH4Ceqn
「男は一生 父とたたかう」
406:人間七七四年
09/04/04 02:06:36 F6ZHWCua
>軍功のない浅野長政
流石にこれは酷い
407:人間七七四年
09/04/04 02:11:13 HooAxe59
>>404
536 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね :2009/04/04(土) 01:16:47 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】よろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】スレリンク(sengoku板)
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓
黒田長政がある時人に語った事に
「自分は十四の齢より今に至るまで、抜群の功績を立てたことが多いのに、
自分が大功のある黒田如水の息子であるばかりに、この親と比べられて自分の功は目立たず、
人もこれを称えてくれない。
それなのに浅野幸長は、軍功のない浅野長政の息子のなので、それと比べて目立つものだから
ちょっとした功でも、それがあるたびに人はこれを称えている。
不公平だ!」
と、不満をもらしたと言う。
この発言を、後、湯浅常山は『これって暴言みたいに聞こえるけど、実際
そう言うことだったんじゃないの?』と、ぶっちゃけてたりするw
408:代理
09/04/04 03:59:11 HooAxe59
>>390
296 :長いので2つに分けています。後で繋げて下さい :2009/04/03(金) 16:10:22 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】長文ですがよろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】スレリンク(sengoku板)
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓
黒田如水、長政親子が豊前を与えられ、国内の国人一揆と戦っていた頃の事。
黒田親子が馬の丘と言う城にいたとき、城下に一揆軍が押し寄せた。黒田長政この時16歳。
一揆勢を蹴散らそうと近習を引き連れ飛び出した。如水は「やめとけ」と言ってた。
長政が出てくると一揆勢は撤退。これを追いかけ山中に入る。はい、もう解りましたね?罠です。
長政君、まんまとひっかかりました。
山中の深くに入った所で一揆勢、岩陰から一斉に現れる。真っ先に進んでいた黒田方の大野小弁、
一揆に取り囲まれ馬から突き落とされた!
これを見た後藤又兵衛、小河伝右衛門、久野四兵衛、馬の首を引き返し逃げる。長政を置いて。
長政、すっかり取り囲まれた。一揆はそこら変中の木陰や岩陰からワラワラ沸いてくる。
もうデッドライジングでゾンビがフィーバーしている状態である。長政は円形の陣を引いてじりじりと
退却するが、一揆は竹の鏃の矢を、雨のように降り注がせる。「狩場の鹿か俺達は!」
あまりの屈辱に長政、馬から下りて討ち死にしようとする色が見えたので、近習が必死になって抑える。
が、長政の馬が一揆の矢に当たり終に斃れ、一揆の接近を見て「もうここで自害する!」と叫んだ。
菅政利が「私の馬にお乗りください!」と言うも、そんなこと聞かずにすでに帯を解き始めている。
もう死ぬ事しか頭にないのだ。
409:代理
09/04/04 04:00:58 HooAxe59
297 :>>296の続きです :2009/04/03(金) 16:11:24 発信元:218.133.160.74
その時三宅三太夫が走り寄り、「ここは大将が自害するような場所じゃないでしょ!」と、長政を
片手で持ち上げ、そのまま馬に乗り引き退いた。
菅はその馬の尻がいの所に手をかけ少しも離れず、木屋兵右衛門は長政の槍を持って
後に続いた。
三宅を中心として50人ほどが、円形の陣を保ったまま二里ほど逃げれば、そのあたりで一揆も
追うのをあきらめた。長政主従、どうにか危機を脱出したのだ。
この時後藤又兵衛、錯乱してお気に入りの、猩々緋の羽織を脱ぎ捨てて逃げていたらしい。
追いついた長政達が引き下がっている最中その羽織を見つけ、又兵衛に返してあげた。
ちなみに櫓より長政の敗戦を見ていた如水、大笑いしたそうだ。「だから言ったのに。」
しかし傍の者たちが「御加勢を!」と口々に言うのを、「円陣を保っているし、長政だから
大丈夫だろ。」と、ほって置いたとか。変な所で子を信頼もしている如水なのであった。
410:代理
09/04/04 04:39:36 HooAxe59
>>378
133 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね :2009/04/02(木) 22:42:58 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】よろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】スレリンク(sengoku板)
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓
湯浅常山、憤る。
「常山紀談」を著した湯浅常山。彼はその著書の中で、こんな事を言っている。
『つーかさ、甲陽軍鑑って、信玄に都合の悪い事を隠し過ぎだよねー。
例えば同じ合戦でも、北条五代記には「氏康夜討ちして甲州の兵敗北し。
八幡と書かれた武田の軍旗を捨てて逃げた」って書いてあるのに、甲陽軍鑑じゃ
「この旗は波にさらわれて無くした」なんて書かれてるんだよ?
北条五代記に書かれてる事が間違っているとしてもさ、高波に旗を取られたって、
どこに陣を敷いたかすらわかってないじゃん!』
尾瀬甫庵の「信長記」や「太閤記」は、案外素直に受け入れてるのに、甲陽軍鑑には
妙に厳しい常山先生なのであった。
411:人間七七四年
09/04/04 07:44:56 V6gBjUei
>>407-410
何これ?
412:人間七七四年
09/04/04 07:59:57 B6CiEN5C
>>411
規制された人が他の人に書き込み依頼をした
413:人間七七四年
09/04/04 08:51:30 V6gBjUei
>>412
いや、内容おんなじだからわざわざ依頼する必要も受けても書き込む必要もないよなー
ってオモタ
414:人間七七四年
09/04/04 09:36:32 wVTFJnCO
よその板のことなんでよくわからんけど代理書き込みであることを明示するルールでもあるんじゃね
415:人間七七四年
09/04/04 10:21:08 qb+Xy3dv
規制の少ないシベ超板に代理投稿を依頼するスレがあるんだよ
>>378,390,404はそこでの依頼によって代理人が書いたわけ
んでその依頼レスをコピペして依頼対象のスレに貼ってる人間がいると
…あとはわかりますね?
416:人間七七四年
09/04/04 10:44:50 wVTFJnCO
よその板の常駐スレで同じようなことしてる奴見たわ
要はシベ超板のそのスレをターゲットにして意味不明な行動をしてるのがいるってことか
417:人間七七四年
09/04/04 11:36:56 QlGJsGE2
>>402
そんなに強いなら討ち取られる前に逃げろよ明兵w
418:人間七七四年
09/04/04 11:48:22 7RIE2f+U
>>394-395
そんなだから倅がよけい粘着質な根に持つ気質になったんでしょうがw
まさに悪い話
419:人間七七四年
09/04/04 11:48:42 Zes1NvrU
自分の国の人間にも弱いって言われる明兵だがそんな人もいたんだなぁ
名が残ってないのが残念だがあっちにはそんな風習ないか?
420:人間七七四年
09/04/04 11:52:43 AXYV0vGI
しかし明軍は逆に刀となると弱かった。
中国の刀剣は剣は漢くらいでもう下火、刀も明となると長柄中心で
誰も使わないようなものになっていた。
『水滸伝』を読めばわかるけど、宋でもうハンマーや棍(狼牙棒)といった打撃系や
槍が圧倒的に多かったのね。
そもそも中国刀剣は切れ味がイマイチ。剣はとくにペナペナで、
刺突中心だから実践ではほんとうに弱い。レイピアをもっとへろへろにしたようなもん。
武侠映画ではよく使われているが、あれはあくまでフィクションである。
倭寇で日本刀のきれあじをまざまざと見せられた明軍はびびった。
なにせ日本人ときたら人間をまっこう唐竹割にするんである。
しかも水戦となれば接近戦で槍も遣いにくい。
明の名将・戚継光は偶然入手した影流の書物をひそかにまとめ、
倭刀術として採用した。ビギナーメニューなので、たとえば
「刀が抜けないときは、互いに向き合って相手に抜いてもらおう」
なんて書いてある。さらにいえば、南派の拳を主体としたカンフーも
戚継光が源流にあるそうな。彼は火縄術の技も日本軍から学んだという。
日中武芸交流も、この頃が盛んなんである。
中国映画やドラマにも結構柳生や武蔵は出てくるし、
ブルース・リー、ジミー・ウォング映画なんかもだが
なんだかんだで中国はかなり日本の武術を意識してますなあ。
421:人間七七四年
09/04/04 11:54:15 rPUVrXaz
どんだけ凄くても討たれたら恥とかなのかな
422:人間七七四年
09/04/04 11:56:36 jfj7LHGd
フロイス
暴君関白の九州入りを前にして薩摩の殿、博多を前にして岩屋城で立ち往生。
そこで伊集院某、おそらく忠棟殿が長崎の当イエズス会宛に手紙を書いてきました。
「お前ら、すぐにでも岩屋城前に火薬、弾、ありったけの大砲を持ってまいれ、それから腕の良い砲手も
忘れずにね。さもなくば、九州を制圧後、お前ら全てをこっから叩きだすからな!」
別の時には
「秀吉のとこにうちの使いのもんが行ってるから、面倒をよく見とけよ」
「なんだ使者の取り次ぎとか面倒、怠ってるじゃないか、おぼえとけよ!」
「長崎はもう島津のもんだからな、権益は当家で独占する。
南蛮船は今まで通りお宝満載させて来るならくるしゅうないぞ。」
ホント、かってな人たちです。
ところが下関には、受洗した心正しき黒田孝高の部隊がやって来ていることを
私どもは存じ上げておりましたからね、
ま、島津殿らを怒らせないようにノラリクラリですわ。
423:人間七七四年
09/04/04 11:57:06 vtzpTyZT
豪華な鎧を着てた位だから一角の武将ではあったんだろうに
424:人間七七四年
09/04/04 12:03:01 Zes1NvrU
鎧の性能が上がってくると打撃系が使われるのが当たり前
むしろ槍の柄どころかかち合った剣や盾、騎兵の鐙ごと両断する日本刀のほうがおかしい
425:人間七七四年
09/04/04 12:33:23 0uFjOFfF
>>422
当時の手紙って、わりとみんな好き勝手なこと書いてるよなw
ご立派なのは形式ばったものくらいで
426:人間七七四年
09/04/04 12:44:05 xGJZ1NGY
>>424
何かの番組で日本刀で銃弾を斬れるのかやっていたけど
立てて設置して置いた日本刀の刃に向かって銃を何発もぶっ放したら
見事に全ての弾丸を切り裂いたらしいからねw
427:人間七七四年
09/04/04 12:49:10 +laRd7Yx
でもあれは柔らかい鉛弾で別に包丁とかでも再現できるとか聞いた
428:人間七七四年
09/04/04 12:52:59 Zes1NvrU
あれはナイフでも出来るけどな
回転してるとはいえ要は鉛だし
装甲貫くマシンガンの弾斬ったのはビビッたけど
429:人間七七四年
09/04/04 12:53:25 auh+NNjs
URLリンク(www.google.co.jp)
このネタも懐かしいな。
430:人間七七四年
09/04/04 13:25:29 AnNZtVR+
その明の軍人、兵じゃなくて、武科挙を通ったが、若くて史書に載るほどの事績のない高級将校かもね。
431:人間七七四年
09/04/04 15:03:10 3XERwTku
>>426
あれの元ネタは80年代のGUN誌。
カスタムナイフ(ほとんどがアメリカ製)を万力で固定して
銃で撃ち、弾丸を両断して刃こぼれひとつしないって様子
を高速度カメラで撮影したのを巻頭で幾度も紹介してた。
今月はラブレス、来月はランドールってな具合に。
432:人間七七四年
09/04/04 15:06:25 cASyV7Tq
>>424
日本にも最上義光や真壁氏幹のように棒を使った武将がいる。
弁慶の七つ道具にも槌が含まれているから打撃系も結構使われていたのかな。
433:人間七七四年
09/04/04 16:21:39 0uFjOFfF
天正七年、織田信長は浄土宗と法華宗の宗論を安土城下で行わせた
世に言う安土宗論である
菅屋「いよいよ世紀の対決が始まりました。私、グランプリ奉行の菅屋長頼です。
さて、浄土代表は玉念。彼は関東からの流れ説法者ですね。
対する法華側は京の高僧ぞろい…これは法華の有利が予想されます」
因果「いえ、ディベートは浄土宗が押してますよ」
菅屋「あ、副判者の因果居士さん…でも、玉念は言に困っているようですが?」
因果「そんなことありません。あれはコレコレシカジカってことで、浄土側の圧勝なんです」
菅屋「…えーと、そうなんでしょうか。判者の景秀さん、どうなんでしょう?」
景秀「……」
菅屋「おや、音声が…景秀さん!景秀さーん!」
景秀「……」
因果「ああ、駄目ですよ。景秀さんはご高齢で耳が遠いんです。耳元でゆっくり話さないと」
菅屋「…それって、この討論は聞こえてるんでしょうか?」
因果「どうでしょうね、聞こえてないんじゃないでしょうか」
菅屋「……」
玉念「ええいっ、勝った!わしの勝ち!」
菅屋「あーっと?ここで玉念、掟破りの勝利宣言!…あ!これに煽動された群集が法華僧に襲いかかっています!」
因果「これはどう見ても浄土側の圧勝ですね」
菅屋「えー…実に予想外な結末となってしまいました。以上、安土城下よりお伝えいたしました」
その後、信長は玉念に褒美を与えた上、法華側の関係者を処刑した
434:人間七七四年
09/04/04 17:15:58 TryOowGK
>>432
最上義光の棒はあくまで指揮棒だからな
実物残ってるけどあれで武装した人間は撲殺できないよ
435:人間七七四年
09/04/04 18:33:07 NVbpOeR8
>>433
牛一さんが記録残してくれてるのに経過はしょって信長の悪い話にすんな
URLリンク(ja.wikipedia.org)
論争フッかけといて負けた上にリベンジもできない
法華側の主張通り信長の八百長だって言うんなら
(判者の耳が悪いという記述は法華関係者の記録にしかない)
弱い者には噛み付くクセに信長には逆らえない法華宗の悪い話だろ
436:人間七七四年
09/04/04 19:52:23 3zucUYk4
>>432
時代がちょいずれるけど、農村の「棒の手」は打撃系なのかね
437:人間七七四年
09/04/04 20:31:57 chOFbbvz
>>433
さて、その法華宗、事が終わった後、今後他の宗派を非難しない旨を記した誓紙を出させられた。
問題は誓紙を出した後。
その文面には「争論に負け申し候」の一文があったのだが、後に法華宗の人々、他にも言葉がいくらでもあったもののよりにもよって「負」と書いてしまったのは失敗であったといたく後悔したのであった。
また、法華宗の往生際の悪さを聞き知った人々は、後々まで笑いものにしたそうな。
法華宗の(往生際と外聞の)悪いお話。
438:人間七七四年
09/04/04 20:35:28 8ZqhiiS5
信長は従順な勢力に対しては割と融通無碍な男だよな。
比叡山焼討ちの際は、先立って延暦寺永年の宿敵である園城寺の僧に
「山門腐敗し杉」的なアジ演説をさせて花(?)を持たせたりしている。
439:人間七七四年
09/04/04 21:27:24 mDe2hy5w
天正13年(1585年)、キリシタン大名高山右近は
摂津高槻から播磨明石へと転封となった。
「ア・イ・ツがやってくる!」
高槻での徹底したキリスト教政策は
すでに有名になっており、明石の寺社勢力は大混乱に陥った。
僧侶たち「俺らは確実にや・ら・れ・る!」
実際、右近は赴任するとビシバシ寺社を弾圧し
モリモリとキリスト教を布教し始めたのだった。
僧侶たち「このままではいかん!」
意を決した僧侶たち、ありがたい仏像を船に乗せ
はるばる大坂まで直談判に訪れた。
秀吉「右近は殿様なんだから、好き勝手してもOK。訴えは却下」
僧侶たち「・・・へ?」
秀吉の機嫌が悪かったのか、僧侶たちのプレゼンがしょぼかったのか
訴えを退けられただけでなく、運んできた仏像は没収となり
僧侶たちも明石から追放となってしまった。
高山右近の明石統治はわずか2年ほどで終わるが
それでも新規信者2千人を開拓してたという。
440:人間七七四年
09/04/04 21:41:16 9eADTT4Z
基本気に入られてないわけじゃなかったからなぁ
441:人間七七四年
09/04/05 00:40:24 WZ02yvD1
とりあえず仏像が右近の魔の手から逃れただけえも良しとするべき
442:人間七七四年
09/04/05 01:21:37 64QUSfV9
キリシタンもキリシタンだが、ボウズもボウズだからなあ、この時代w
どちらにも肩入れできん
443:人間七七四年
09/04/05 04:00:41 NeOxgfsI
秀吉はホント興味の埒外のことには淡白だなあw
444:人間七七四年
09/04/05 09:35:22 qPcE2jEL
>>402
戦衣の裏に鋲や鉄札を張った銃兵や弓兵はともかく、
明の重歩兵の山字甲や騎兵の環鎖鎧は爪先まで装甲で覆い、防刃機能に極めて優れているよ。
朝鮮に渡った宣教師も、優れていたと思われていた日本刀や槍が明の鎧には通用しないと書いている。
445:人間七七四年
09/04/05 13:01:48 4oBo3PM0
>437
ホッケの煮付けはこれだから……
と居酒屋政談してたら怒られた
446:人間七七四年
09/04/05 13:03:25 yXU7MOpe
つ介者剣法
447:人間七七四年
09/04/05 13:06:11 4oBo3PM0
>>432
太田ヒャッハー康資さまを忘れるなかれ
そのまんま、鬼の金棒で敵武将(親戚?)を撲殺...
448:人間七七四年
09/04/05 16:54:14 HSFp1G+n
豊臣秀吉が、朝鮮に出兵するため、ついに京を発した時、ある人が秀吉にこんな事を言った。
「かの国に渡るならば、漢文をきちんと理解する人間がいなくては、日本の恥ともなるでしょう。
漢文を善くする者たちを、多く従えて行くべきでしょう。」
すると秀吉笑って
「わしの今回の行いは、あいつらの難解な漢字の愚文を学ぼうとするためではないぞ?
あやつらに我々の、軽便な仮名文を用いらせる為だ!」
と、そのように答えたそうである。
そして実際に朝鮮において、日本語を学ばせると言う事もやっていたらしい。
よく、秀吉の朝鮮出兵は、九州征伐などの延長線にあった、海外侵略と言う発想はなかった、
と言う人がいるが、秀吉自身は明らかに、文化、言語の異なる国への侵略と認識して、
あの出兵を行ったのだ。と言うお話。
449:人間七七四年
09/04/05 17:55:02 V3uWaAJ1
>>448
そして日本側は日本側とてコミュニケーションのためにこういうお勉強会を・・・
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
------------------------------
かつて鹿児島県の国分に「金剛寺」というお寺があった。
島津義久の寄付で建てられたお寺である。
義久が亡くなるとき、今後の運営に支障がないよう遺産から100石を寄付された。
ところが、代替わりしてDQN家久になったとき、その中から70石を取られてしまった。
(一応DQNの弁護らしいものをしておくと、この頃参勤交代などで出費がかさみ、
他の寺もあらかたこのボッシュートの刑にあっている)
さすがに30石の収入ではお寺の運営が出来ないと坊さん達が悩んでいたとき
義久の娘の島津亀寿がその話を聞き、哀れに思って
「私も貧乏なので少しだけですけど・・・」
と10石を寄付した。
ところがその話を聞いたDQN家久は
「じゃあ10石だけ返してやんよ」
と、自分もあわてて10石寄付した。
合計50石になった金剛寺は何とかお寺の維持が可能になったという。
-----------------------
・・・一体何したかったんだDQN。
ちなみにネタ元は「国分諸古記」です。
450:人間七七四年
09/04/05 18:15:15 pzOsOo6d
>>447
そいつより更に強力な清水キュッ正次も忘れて貰っては困る。
451:人間七七四年
09/04/05 23:31:26 HSFp1G+n
戸川秀安の母。
天文七年、備前、門田村にて戸川秀安が生まれると間もなくして、父が死んだ。
母の元には、秀安と、その姉の、幼い姉弟が残された。
彼女は門田村で二人を育てたが、ある頃村に居辛くなり、仕方なく二人をつれて
美作の姉の元に向かった。が、その途中、母は、二人も子供を養育するのは無理だと思い至った。
そして池を見つけると、このとき二歳の娘の、着物の袖に小石を詰め、その池に沈めた。
後、成長した戸川秀安は、宇喜多直家に仕え、直家の第一の家老呼ばれる。
452:人間七七四年
09/04/06 01:17:49 wK41KAQX
>>451
言ってくれれば俺が養育したのに(´・ω・`)
453:人間七七四年
09/04/06 04:41:43 c0u61rIB
>>451
( ;∀;) ワルイハナシダナー
454:人間七七四年
09/04/06 09:05:50 omurasip
>447
岳父だったと思うが
455:人間七七四年
09/04/06 15:43:35 mZo7OgO8
永禄(1558~)の、始めの頃の事。
宇喜多直家は、自分の舅である中山信正の居城、亀山城から沼を隔てた東茶園畑という場所に
小さな茶亭をつくった。そして狩に出た帰りにはそこで休憩した。この時亀山城から信正も呼び、
狩の獲物を調理し共に酒宴を楽しんだ。
こういうことが何度もあったので、信正は、「城からここにすぐに来れる様にしよう。」と、城と茶亭を
隔てる沼に、橋をかけた。
さて、二月になって、直家、いつものように狩に行き、日が暮れてから件の茶亭に行った。
その夜は信正の勧めで亀山城に入り、共に酒宴をし、夜も更けた頃信正から、
「今日は泊まっていくと良い。」と言ってきた。そこで直家も、「ではお言葉に甘えて、今夜は
泊まらせていただきます。しかし家来の方は先に返そうと思います。」と、共に来たものを皆、
城から出した。これに信正も安心をしたか、自分の家臣たちにも、
「今日は城中の番の者も、皆早く休むが良い。」と休息させ、婿と舅、打ち解けて話などした。
さて、深夜に入り、信正も「そろそろ寝るか」と寝所に向かおうとした。直家も、「では私も休みます。
ああ、私の刀はどこに置いたかな?」と、自分の刀を、取った。
この瞬間を、待っていた
直家、突然抜き打ちに信正を、斬る。信正も斬られながら脇差を抜いて反撃しようとしたが、組み伏せ
首を取った。
走り出て城門を内から開くと、先に帰らせたはずの家来達、武装して続々と集合した。
帰らせるとは偽りであり、周辺に潜ませておいたのだ。
亀山城の者たちが混乱している間に直家、たちまち城を乗っ取る。そして合図の狼煙を上げる。
これを見た直家の主君、浦上宗景は、砥石城主、島村貫阿弥に急使を出した
『中山信正が謀反を起こした。その退治のため宇喜多直家を向かわせたが、そなたも直家に
加勢してほしい。』
これに貫阿弥、家来を連れて亀山城に駆けつけると、城は合戦の模様などさらさら無く、
平穏の様子であった。
不思議に思っていると直家が出てきて、「この城は我々の手で、既に攻め取りました。しかし
加勢に来ていただいたお礼がしたく、どうぞ城にお入りください。」と言われ、言葉のままに城に入れば、
島村貫阿弥主従、城内で待ち構えていた手の者に、たちまち惨殺された。
そして間髪おかず城主のいない砥石城を攻め、これも乗っ取った。
そう、これは宇喜多直家が、主君浦上宗景と共に謀った、有力家臣の中山信正と島村貫阿弥を
排除するための陰謀であったのだ。
主家である浦上家を圧迫していた両家は、この一晩で、滅びた。
…が、この陰謀を主導した直家は、中山、島村の旧領の大半を手に入れ、浦上家から離れ、
独立大名への道を踏み出すこととなる。
そんな、宇喜多家興隆の始まりとなった、陰謀のお話。
456:人間七七四年
09/04/06 16:48:02 54RBDJA2
この山のような死亡フラグと当然の結果は何なんだ!w
457:人間七七四年
09/04/06 18:51:26 Ll5mXzL+
なんか清々しい
458:人間七七四年
09/04/06 19:05:46 TqRgtXOA
暗殺が爽快すぎていい話すれかと間違えた
459:人間七七四年
09/04/06 19:13:25 xnrZBqn+
>>451
孟母三遷みたいな母ちゃんだったというのは聞いた。
いつの間にか乳母に収まって
460:人間七七四年
09/04/06 19:44:28 t1pZ7nSF
>>455
趣味が暗殺になるのがわかるな。ここまできれいに決まると。
461:人間七七四年
09/04/06 20:39:32 eM6EJgak
直家 「本当はオレだってこんなことしたくなかったんだが主君の命令で仕方なかったんだよ。でもこんな主君じゃ今後オレも暗殺されるかもって思ったから叛旗を翻しちゃった。テヘッw」
462:人間七七四年
09/04/06 21:24:29 kh2VqJug
>>461
嘘だッッッ!
463:人間七七四年
09/04/06 21:39:09 zu59SZA0
小畑健作画でキラぽい直家が主役の漫画よみてえw
464:人間七七四年
09/04/06 21:41:30 KFueQxUd
>>451
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
この話?
465:人間七七四年
09/04/06 22:02:48 hAy3vR2U
>>464
あー、戸田になってたから気がつかなかった!
まあ、ちょっと内容異なっているようなので、備前軍記の戸川さんのお話ってことでw;
466:人間七七四年
09/04/06 22:06:22 /0GxVcZN
漫画のゴルゴもそうだけど暗殺って突き詰めると芸術になって
ただの「人殺し」という一言では済まなくなっちゃうw
いや、もちろん悪いことですけどね
467:人間七七四年
09/04/06 22:31:10 oAGx6+fI
直家の暗殺を見ると(被害者には悪いけど)
あまりの鮮やかさに笑っちゃうしかないね。
ちなみにこういう顔の人に
みんなホイホイやられちゃったわけです。
直家木像↓
URLリンク(www.city.okayama.okayama.jp)
468:人間七七四年
09/04/06 23:26:40 mZo7OgO8
北条配下に、佐野城主、天徳寺宝衍と言う勇将がいた。
この人が琵琶法師に平家を語らせたときの事。
法師は先ず、佐々木高綱宇治川先陣を語った。坂東武者達が先陣の功を競う勇猛な場面である。
が、天徳寺、ここで雨のような涙を流した。
次はおなじみ、那須与一扇の的の場面。平家の中でも、爽快さと美しさを兼ね備えた
屈指の名シーンである。が、ここでも天徳寺、滝の如く涙を流した。
後日、天徳寺が「昨日の平家はどうだった?」と、左右の者たちに聞いた所、
「大変面白かったのですが、殿が涙に咽んでいたのがどうにも解らず…」と言うと天徳寺、
逆に驚き、
「今までお前達を頼もしく思っていたのに、今の一言でガックリきたぞ。
いいか、先ず佐々木高綱の場面だが、あの時高綱が与えらていた名馬「池月」は、
頼朝公の舎弟である範頼や、寵臣の梶原ですらいただけなかった物なのだぞ!
そんな馬に乗ってもし先陣出来なければ、必ず討ち死にして再び帰らないと、
暇乞いして出陣するのだ!この志、泣かないでいられようか!
また、那須与一も、大勢の中から選ばれ、ただ一騎陣頭に出で馬を海中にいれ的に向かうまで、
その一挙手一投足を源平の両軍が、鳴りを潜めて見守っている。
もし射損じれば味方の名折れ、馬上にて腹掻っ捌くほどの覚悟を持って向かっていくのだ。
その志を見よ!泣けて泣けてしょうがないだろ!
わしくらいになると、戦場に赴く時はいつも、佐々木高綱や那須与一の心で槍を取るから、
平家を聞くときでも自然と彼らの心を思い、泣けてきてしまうのだ。
ところがお前達は何だ!お前達の武辺というのは、ただ単に勇気に任せてやっているだけなのか!?
本当の武辺とは、もののふのあわれを心にとどめてこそあるものだ。そうでなければ、
真実頼もしいとはいえないものなのだ!」
なんというか、酔っぱらった上司に、演歌の解釈の間違い付いてくどくどと説教されてる気がしてくる、
ありがたーいお話なのに、家臣の聞き方が悪かったお話。
469:人間七七四年
09/04/07 01:46:28 oEWjgBAG
>451
種の保存という本能から究極の選択を迫られた時、生物は存続する可能性の高い長じた者を助けて幼いほうを見捨てるらしいね
470:人間七七四年
09/04/07 11:01:51 l4FjYufn
北条家五代が関東の雄となったのは早雲こと伊勢宗瑞が小田原城を乗っ取り、
鎌倉以来の名族・三浦党を倒したことに始まる。
その三浦党最後の当主・三浦道寸入道の子に、荒次郎義意という男がいた。
脳筋クサい名に違わぬ男で、七尺五寸(約220cm)の体躯と、八十五人力を誇り、
五尺八寸(約175cm)の大太刀を振るい、毎日北条軍と楽しくヒャッハーしていたが
多勢に無勢、ついに父・道寸が切腹したとの知らせが入る。
「よし、オレも北条兵を思うままヌッコロしてから死んで、名を天下に上げてやる!」
と思い定めた義意、得物を一丈二尺(360cm)の丸太に持ち替えて飛び出した。
もう地獄の羅刹にしか見えない義意を恐れて逃げる北条兵を追い詰め、
丸太をタテに振るえば相手の首が胴にメリこみ、ヨコに振るえば五~十人が吹き飛んだ。
義意に近づく者は誰もいなくなり、満足した義意はみずから首を斬り落とした。
しかし、首だけになっても義意は生き続け、宗瑞が高僧に供養させても目を閉じなかった。
それから三年経ったある日、小田原は総世寺の新住職がやって来て、
うつつとも 夢とも知らぬ 一眠り 浮世の隙を あけぼのの空
と詠んで供養したところ、三年の時間を取り戻すかのように肉が腐って溶け、
あとには義意の頭蓋骨だけが残された。
その後もこの土地では牛馬が草を食べると死に、鳥獣も立ち入らないため、
田畑を作らず草さえも刈らないという。
いいかげんウソくさいが、オレの知る限り最強の坂東武者=陸戦型モンスターの話。
「もっとスゴいのがいる!」という異論・反論、お待ちしております。
471:人間七七四年
09/04/07 11:37:12 EizIKjBN
これは…住職が辞世を詠んであげたってことだろうか。
約100年後の家康の辞世「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」が
上手いこと返句になるようになっているな。
472:人間七七四年
09/04/07 11:37:29 69ciyiLw
丸太が最強の武器ってどこの彼岸島だよ
473:人間七七四年
09/04/07 12:21:41 Zt7xZW9x
五尺八寸の大太刀
明石剛次かよw
474:人間七七四年
09/04/07 12:22:20 dtM82Dvp
ぶっ飛びすぎてるが話が日本的っつーか
こういうの昔話でよくあるよなw
475:人間七七四年
09/04/07 12:36:16 e6R3HLW7
将門公なんかもそうだな
七尺の巨体、片方の目に黒目が2つ、鋼鉄のような硬い体を備えていたらしい
戦国大名にも将門公を祖とするのがいたな
相馬氏だっけ?
476:人間七七四年
09/04/07 12:37:38 yqEqpMv9
>>468かっこよくて面倒くさい坂東武者乙
>>470リアル鬼じゃねーかww 坂東武者ってw
477:人間七七四年
09/04/07 13:08:40 9vmhtsdr
でもこれが中国の逸話だったら
誇張だの捏造だの言い出す輩が必ず出てくるんだよな
こういうのを楽しめないのかな
478:人間七七四年
09/04/07 13:30:48 oknNq9F/
渡会永弘という御師が淀川で船に乗ろうとした時のこと。
先に乗っていた武家と思しき連中が「この船は急ぎの船だからお前らなんて乗せてらんないんだよ」と文句を付けてきた。
それでも何とか乗船出来た度会だが、彼の召使と先ほどの連中が喧嘩を始めてしまった。
連中の余りの態度に度会自身もプッツンしてしまったが、船に乗っていた人たちが慌てて何とか騒ぎを収めた。
その後、船が2里程進むと堤の上に多数の軍勢と椅子に座っている人物が見えた。
その人は使いを出して船を停泊させた。
使い、曰く「堤の上に居るのは森勝蔵です、伊勢神宮の御師である貴方に無礼を働いたのは我が家の家臣なのです
どうぞ、貴方様の気の収まる様に処分してください」
渡会は船を下りて長可の所まで行くと畏まってこう言った
「貴方様の気持ちはとてもありがたく思います、しかしながら先ほどの悶着と私が神宮の御師である事はなんの関係もありません。
むしろ此方から侘びねばなりません。私達が船に乗ったから起こったことですので、どうかお許しを。」
これを聞いた長可は
「長年、神宮を信奉してきたので家来がその関係者に迷惑をかけたとあれば恐れ多く、ブッ殺してしまおうかと
思っていたのですが、貴方が謝ってきたのならこれ以上、どうこう言うのは無礼にあたるでしょう、わかりました。」
と返した。
渡会は船に戻ったがよくよく考えれば不思議な事がある・・・
「なぜ、森殿は堤の上に居たのに船の中の出来事をお知りになっていたのだろうか?」
鬼武蔵の気味の悪い話
479:人間七七四年
09/04/07 13:57:23 wfJDBJLB
確かにちょっと気味は悪いが基本的には鬼武蔵のいい話のほうじゃないのかw
480:人間七七四年
09/04/07 14:02:20 oLRX5F4H
こういう人がなぜ神の使いのカラスヘビを食っちまったのか
481:人間七七四年
09/04/07 14:12:21 LVAtyJUs
>>480
伊勢神宮以外は認めん!とか?
482:人間七七四年
09/04/07 14:27:18 iwISLdeP
淀川ではなく三途川だと考えれば…
483:人間七七四年
09/04/07 14:28:36 uKlZnK21
文中に森という字が見えた時点で、話の結末を予想してしまうようになった・・・
484:人間七七四年
09/04/07 17:07:05 PqGHohK+
武田信玄がある時、武田家において罪を犯して出奔した落合彦助を討てと、
荒川新丞、村井久丞の二人を派遣した。
しばらくして二人は「落合を討ち取った」と、首を桶に入れて返ってきた。
この頃は6月であり、首も腐って判別がし辛いものであったが、ともかくも命を果たしたと
両人ともに賞せられた。
ところが8月、信玄が上杉謙信と川中島手対峙した時、上杉軍から物見が出てきて、
武田陣の前でこう叫んだ
「我は落合彦助である!」
落合は武田を出奔後、謙信の元へと身を寄せていたのだ。では、あの首は?
その晩、荒川と村井の両人は夜逃げし、行方知れずとなったそうである。
そんな不正直な事をして褒美をもらい、報いを受けた悪い話。
つーか、一体誰の首だったんだよ?w
485:人間七七四年
09/04/07 17:54:50 tY7VRYki
1.乞食の首でいいだろヒャッハー
2.実は上杉家が荒川・村井を陥れようと一芝居うった
3.落合には双子の兄がry
486:人間七七四年
09/04/07 21:10:12 An/IuT4S
>>472
やめんか、これにはわけがあるんじゃ
487:亀だけど
09/04/07 23:45:13 yqEqpMv9
>>420
戚継光が和冦退治に乗り出したとき、国中の勇者を求め触れを出した
集まってきたのは皆、腕っぷし自慢の凶悪なマッチョ軍団だったが、
彼らを集めて継光さん曰く
「この中でカミさんが怖くないヤツがいたら名乗り出てくれ!」
……出てきたのはたった一人、他のマッチョガイより貧弱そうなボウヤだけだった
だが戚継光、ほんまに彼を先鋒隊で起用したという。継光自身は女房に弱かったらしい
日本でも大陸でも、戦場の勇者や名将が家庭でも強いとは限らんのですね
488:人間七七四年
09/04/08 00:03:55 t8tN3ajM
>>487
秀忠「まったく嫁をおそれるなぞ、明人は情けないのう」
489:人間七七四年
09/04/08 00:17:05 MErhvV2E
>>478
船中での揉め事は、わざと鬼武蔵が配下に仕掛けさせたものだった。
だから鬼武蔵は陸にいながら知っていた。
絵師がもし森の配下を成敗したら、それを口実に
絵師をぶち殺すつもりだったが、絵師が頭を下げたため
計画を取りやめたとか?
490:人間七七四年
09/04/08 00:17:20 I53Te73z
織田信長の配下に、谷大膳という武勇の士があった。彼は、信長の軍議にも参加を許されるほどの
信頼を得た家臣であった。
天正六年、秀吉の播州三木城攻めの時の事。秀吉はこの谷大膳を、自分の寄騎にしてほしいと
望んだが、信長はそれを許さず、加勢として送った。
その日大膳は既に、敵三騎と馬上にて槍を合わせ、ことごとく討ち取った。
そこで秀吉、今度は三木城の出丸である、”かさの丸”を攻めてほしいと頼んだ。これに大膳は、
「あの出丸は堅固であり、容易に攻め取れるものではない」と答える。
すると秀吉「日ごろ勇名高い大膳も、小城一つ攻め敗れぬのか?」と言い出し、その言葉に大膳は激怒、
これに秀吉も刀の柄に手をかけ一触即発の空気となる。が、そこに竹中半兵衛割って入り
「戦場の勝負こそ力を尽くすべきであろう!これは一体いかなる事ですか!?」
そうして蜂須賀小六も現れ、秀吉を抑えて引き下がらせた。
その夜、大膳の陣屋に秀吉、酒肴を持って現れた。「大膳殿、今日の武功は抜群でありましたぞ。
先ほどの事は全て私の過ちであり、大変後悔している。」秀吉はこのように謝罪した。
翌日、大膳は手勢を率いて、”かさの丸”を攻めた。
城の者たちもここを大事と防ぎ、激戦となる。
士五十騎、歩兵二百で城戸口を押し破りにかかるが、手負い死人、数知れずという状況となった。
そして終にこの城戸を押し破るが、大膳自身も数箇所に傷を負って跪いていた。
それを発見した三木方の、猩々皮の羽織を着た法師武者が引き返し大膳に向かう。すると大膳、
「私はもう疲れた。近寄って首を取れ。」
と呟いた。それを聞くとこの法師武者、走りかかって一太刀打つ。が、この時大膳、まだ諦めてはいない。
敵の草摺を取って引き寄せ、脇差を抜いて刺し貫いた。するとさらに三木方の者が引き返し
大膳を斬りつける。そこに当時十七歳の大膳の嫡子、出羽守が走り寄り、三木方の者たちを
打ち据えたが、その時大膳既に、息を引き取っていた。
秀吉は大膳が討ち死にした事を聞き、せめて屍骸であっても対面したいと陣屋を訪れ、
惜しい人を亡くしたと、涙に暮れたのだとか。
そんな、色々と考えさせられるお話。
491:人間七七四年
09/04/08 00:17:49 Xspg03+E
>>488
保科正之「……」
492:人間七七四年
09/04/08 01:02:11 JdbYo4os
>>487
その話にはオチがある。
対応が少し違っていて、戚継光は自分の女房を恐れるものは別の場所に、
恐れないものはそのまま残れといったら、一人しか残らなかった。
戚継光は出てきた男を呼び寄せてほめようとしたところ、その男曰く
「実は将軍の声がよく聞こえなくて。そういう時はみだりに動かずじっと
していろと女房にキツく言われているんですハイ」
戚継光がっかり。
493:人間七七四年
09/04/08 03:09:49 dQpTeqxR
>>492うひゃー笑
戚継光のみならず信之兄ちゃんもガックリですな……
>>491
保科さんは養母、義父といい人に巡り合えてよかったじゃんか
494:人間七七四年
09/04/08 04:29:48 e2OyKCRb
>>492
これ、記憶違いかもしれないけど
全く同じ逸話(ていうか元ネタ)がなかったっけ?
それこそ遥か昔の中国で
495:人間七七四年
09/04/08 10:55:42 lCnJYOtn
首供養・・・生死は戦場のならいの戦国武士において、33人の首を獲った者のみが
自分が命を奪った者への鎮魂の法要を営むことが許される。 これを首供養と呼んだ。
(民明書房刊『偶愚留』より)
黒田如水「で、こないだ勝った別所さんちにも、首供養やった男がいると聞いた。
ウチにはそういうハッタリの効くヤツはいないのか?」
母里太兵衛「はいはい!オレオレ!!」
如水「オマエはもう名が通ってるからいいや。」
太兵衛「 (´・ω・`) 」
栗山備後「秦桐若が31人の首を獲ってましたけど、戦死しちゃいましたし・・・
吉田六之助は、まだ27人ですし・・・」
如水「という訳で六之助、オマエ首供養やんなさい。」
六之助「いや、だからオレ、27人しか首獲ってませんって。」
如水「ちっせー男だねぇ!オマエ今いくつよ?」
六之助「31歳ですが何か?」
如水「まだ若いじゃないの!その歳で、もう首を獲らないなんて事ないだろ?
だから先に供養して、後で帳尻合わせとけばいいんだって!」
結局、供養料として100石の知行まで与え、ムリヤリ六之助に首供養をさせてしまった。
主命により首狩り族にならざるを得なくなった六之助、朝鮮の役まで現役を通し、
生涯に50余の首を挙げたという。 (常山紀談より)
まあ、クロカンが若手に奮起を促した、と考えればいい話なんですが・・・
496:人間七七四年
09/04/08 11:32:10 b4AShTTG
帳尻合って良かったじゃんw
497:人間七七四年
09/04/08 12:24:51 dQpTeqxR
>>495
現代でも9月、秋風とともに帳尻戦士たちが働き出すよね(
498:人間七七四年
09/04/08 15:04:26 515VSi8X
>>497
関係無いが、なぜか優勝の望みが完全に絶たれた後に滅法強くなるチームとか人とかいるよね。
どのスポーツでも。
499:人間七七四年
09/04/08 15:21:45 Xspg03+E
ググったら吉田さんって戦傷が文禄の役での鉄砲傷だけという
プチ平八郎なスゴい人なんだな
500:人間七七四年
09/04/08 16:11:23 L5T5BOuu
>>495
それで思い出したけど、やっぱその周辺で「朱柄の槍を持っていいのは一日の戦で
七つの首をあげた勇者のみ」という風習があったらしい。
朝鮮でのこと、ある日黒田家の家臣、井口兵助という男が手柄をあげた。
なんでも切り通しの狭い道の広くなる辺りに横穴を掘って、そこに明兵が弓矢を構えて
陣取ってたらしい。で、穴の近くを通った奴を問答無用で射殺。
これが効果的で、横穴の前には死体の山が築かれたそうな。
日本軍の諸勢が通るべき道を通れず難儀していたところ、兵助とその家来一人がこの
穴の中に突っ込んだ。
二人の奮戦が契機になって横穴は制圧され、日本軍はこの道を通ることができた。
この井口兵助、強情っぱりで頑固者、放言も多くて敵の多い男だったらしい。
その兵助が黒田長政に訴えた。
「俺の今日の大手柄、朱柄の槍を持つにふさわしい活躍でしたよね!
加増はいらないので、是非とも朱柄をお許し下さい」
その時兵助主従が取った首はあわせて五つだが、特別の働きを自負してたのと、まあ、
よっぽど欲しかったんだろうね朱柄の槍w
だがそこは黒田長政、父親から「博打が足りねえよお前の生き方はよ!」と言われてしまう
常識人。老職たちにも意見を聞いたところ、「やはり数も足りてないのに朱柄を許すのは
どうかと」との返事。
それを聞いても兵助は諦めず、「お許し頂けないならお暇を頂きます!」とだだをこねた。
むっとしたか黒田長政は「だったら暇をくれてやると言え」と言ってしまう。
こうなると強情者、兵助は即刻黒田の陣所を立ち退いて、立花宗茂の陣所に向かった。
手土産に道すがら撃ち落とした鶴を携え事情を話すと、宗茂は親切に迎えてくれた。
…ここで、「立花様は小身なので後までの主君と頼るつもりはありません。しばらくここに
置いて下さいね^^」と言ってしまう辺り実になんというか…何?
これを聞いて立花宗茂がこいつは…と思ったかどうかは定かではない。
とにかく宗茂の方から長政へ連絡が入った。
「黒田殿が本当に彼をクビにしたんだったら私の所に来てもらおうと思うけど、どう?」
「暇なんかやってない。あいつが無理なこと言って飛び出しただけ」
「そうか、でもこのままじゃ帰参しそうにないし、こちらで説得して帰らせるよ」
こうして立花宗茂、井口兵助をこんこんと諭した。
「朱柄の槍は首七つと決まっているのに、他の武功があるからと強いて朱柄を欲しがるのは
却って弱そうに聞こえる。その方は今後絶対に首を七つ取ることはできないのかな?」
武士心をおさえたこの理論に井口兵助は納得。宗茂に付き添われて黒田家に帰参した。
宗茂は長政に「じゃあ今度実際に一日に首七つ取ったら、必ず朱柄の槍を許してやりなよ」と
口添えして自分の陣所まで戻って行ったという……どんだけいい人なの?立花宗茂。
その後ほどなくして、井口兵助は見事一日に七つの首をあげ、朱柄の槍を許されたという。
…実は、この井口兵助という男、黒田長政の三つ上、幼児の頃から黒田家に出仕し、
長政が織田家に人質に出される際には近侍として付き従ったほどの仲で、他の家臣から
「子供の頃馬になって遊んでもらったからって贔屓してる」などと言われてしまうくらいの
気に入りの家臣だった。
売り言葉に買い言葉で出て行かれたのを後悔していたのだろうか。
主従喧嘩は犬も食わない悪い話…。
これ、ずっと前に立花宗茂のいい話としていい話スレに書き込もうと思ったことあったけど、
まとめてる内に宗茂はひたすら迷惑かけられてるだけじゃないかと思えてきてやめたんだ。
501:人間七七四年
09/04/08 16:22:07 GSEaQaqh
目をかけてる者なら、なおの事必要以上の贔屓は出来んよな
502:人間七七四年
09/04/08 16:28:53 8NzWusun
>>500
やめてあげて正解だよ、うん・・・
503:人間七七四年
09/04/08 16:50:51 IEKTuopD
これは十分良い話だろ
ってかちょっと所じゃなく良い話だ
504:人間七七四年
09/04/08 18:09:13 gL2GomJw
こなってくると益々↓でそれぞれ仲が良かったというのが妙な
感じになってくる。いや、教養とか趣味の面で嗜好が一致してる
っぽいし別に不思議な話じゃないはずなんだけどさ。
忠興─政宗
│ │
└─宗茂─┘
505:人間七七四年
09/04/08 18:53:17 EYlivurp
鬼武蔵を陸戦型最強の化け物とおもってたが関東にいくと子供扱いされそうなきがしてきた
506:人間七七四年
09/04/08 19:59:53 KzM8yuyO
ヤッター鬼武蔵キター
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽ
今日も鬼武蔵
明日も鬼武蔵
明後日も鬼武蔵
毎日鬼武蔵
507:人間七七四年
09/04/08 20:18:27 dQpTeqxR
>>500
例の前田慶次郎はんは何だかんだいって前田家勤めの時に朱槍を許されてたんだな。
ソロバン弾いて蓄財に励む叔父御も、やんちゃな義甥の武勇は認めていたと……
508:人間七七四年
09/04/08 20:25:33 kX2p98ew
まぁ利家だって若いときゃ槍振り回して武功稼いでたしね
509:人間七七四年
09/04/08 20:45:24 kCihn0Vy
家来に働かせたら褒美をやらなきゃいけないじゃないか。
510:人間七七四年
09/04/08 21:08:29 GOL9z0LB
>>500
>「立花様は小身なので後までの主君と頼るつもりはありません。しばらくここに置いて下さいね^^」
相手が宗茂じゃなかったらこの時点で放り出されてるな
511:人間七七四年
09/04/08 21:23:52 28NE9EcF
なんで黒田の家中はこんなのばっかりなんだ・・・
というかもうちょっと長政を敬えよ
512:人間七七四年
09/04/08 21:26:07 gdZ6cOTL
鬼武蔵の一番怖いとこは実はリアル無双な性格ではなく
どんだけ無茶やっても庇ってくれた馬鹿主君がいたって事実だよなぁ
何があんなに信長の心を惹きつけたのか
その要素を少しでも光秀が持ってれば・・・
513:人間七七四年
09/04/08 21:29:38 W2h2yoAf
宗茂だと
あんな失礼な奴らの争いに巻き込まれて大変じゃありませんか?
それほどでもない、むしろ武勇の士を迎え入れられなくて残念だ
やはりボンボンだった
しかも迷惑バリバリにかけられてるのに謙虚にそれほどでもないといった、程度で終わるな
514:人間七七四年
09/04/08 22:06:39 I53Te73z
>>512
つーか信長は、森家と言うものを次世代の織田家の柱石にしようとしていたんだろうな。
あの庇いっぷりはそうとしか思えんw
515:人間七七四年
09/04/08 22:31:33 kyMHLtLs
朱柄の槍すごいですね
516:人間七七四年
09/04/08 22:40:47 28NE9EcF
井口兵助「おうよwwすごいだろうwwwwガハハハwwww」
517:人間七七四年
09/04/08 23:12:22 L5T5BOuu
>>511
一応井口兵助は黒田長政を敬ってる。と、思う。
彼の口癖は「俺は殿様の他に怖いものなんかありゃしねえんだよー」だったらしい。
まあ、「だからよ、年寄り連中だって俺にかかっちゃへちまの皮とも思わねーよ」とか
フいてるのを聞きつけた年寄りの栗山利安に「なに調子こいてんだコラ、戦場で追付首
一つ二つ拾ったくらいで図に乗りやがってお前みたいな御家の邪魔にしかならない奴は
殿が許しても俺が許さねーよ、オラ誰が怖くねえって!?言ってみろ!」とすごまれて
斬られそうになってブルったらしいが。
一応井口を弁護しておくと、この件については友人に「まーたそんなこと言っちゃって
栗山さんのことも怖いんでしょw?」と指摘された際「ヴァーおめえアレはアレよ、俺は
あの爺さんガキの頃から知ってんだよマジ手が早い恐ろしい奴だよ、あんなのとケンカ
して家族にまでもしものことがあったら、ホラ、アレだからよ、スルーしてやったんだよ」
と弁明している。
首拾ったとかいうのはもちろんデタラメというか、栗山さんスイッチ入っちゃってるから。
普段はやりすぎなくらい温厚で礼儀正しい人だったらしいがなあ。
518:人間七七四年
09/04/08 23:27:50 1cdV0kcH
>>511
オヤジが散々に息子を腐して育てたから、それを見ていた
家中の連中も軽んじるようになったのかな?
519:人間七七四年
09/04/08 23:32:29 Xspg03+E
>>517
ちょw最近親指武蔵のイメージが崩れて俺涙目なのに
栗山さんのイメージまで壊さないでww
520:人間七七四年
09/04/08 23:37:42 qwJEKl8A
高山右近の潔癖症と茶
秀吉の伴天連追放により、伊丹の知行地を失ったキリシタン大名、
高山右近長房。
晩年は、加賀前田家、利家、利長、利光の三君に仕え、
関が原の役以外の時期は静かな生活を送っていた。
このころの茶会にて
招かれた客人らは、いつもながら右近の完璧なまでに整えられた茶風に
感嘆の念を禁じえなかった。
が、師である利休が右近自身についてかって評したことを語った。
「師が評するには、私の茶はどこか邪道というか茶の心から外れたものがあり、
それはあまりに清潔さ潔癖さに捉われてしまった心の狭さ故なのだそうです。
確かにそう言われてみれば、私は茶室に至る道の隅々はおろか、
庭の端々から茶室の床の下まで掃き清めねば気が済まず、
少しでも乱れがあると心静かに茶を立てられないのです。
これは性分なのでしょうが、まことの茶人としていたらぬことなのです。
それに対して織田有楽殿の茶は、自然にあるがまま、道に降り積もる落ち葉は
そのまま茶になっております。
まことに自然というか、自由な心そのものであり、羨ましいとも思うのです。」
潔癖で窮屈な面を自己批判する右近であった。
521:人間七七四年
09/04/09 00:03:37 X1NLhoS8
>>512
有能だが油断ならない柴田だの羽柴だの明智だのに囲まれてると、
あの清々しいまでの狂犬っぷりがある意味わかりやすくて可愛かったんじゃないか。
森父、森兄への負い目と、あと弟の必死のフォローもあったと思われ。
522:人間七七四年
09/04/09 00:30:44 8TkDK1q6
>>520
謙虚さに感心していい話じゃないの?と思ったけど潔癖症はやっぱよくないか。
523:人間七七四年
09/04/09 01:42:37 i9A0BklQ
>>519いやいや、殿様には忠義でちょっぴり頑固なだけの武辺者じゃないですかw
大体戦国武将なんだから、やくざの大親分や若頭の蝶☆喧嘩っ早いのと思えば……
524:人間七七四年
09/04/09 03:35:05 RDKpD/J+
信長に蘭丸、信忠に武蔵と森家が織田家においてすごい存在感だったのがなあ
対抗馬の坂井家は政久と久蔵が死んで次がいなかったのが・・・
坂井の方も信長のお気に入りだったのに
525:人間七七四年
09/04/09 09:21:27 5Ye1DVI7
日本甲冑史下巻買ったんだが
大のオッさんが背中に蝶々付けたりウサ耳やオプーナっぽい兜被ったり
侍って意外とシュールなんじゃないかと思い始めてる。
こち亀の変態刑事達に通ずるものがあるような
526:人間七七四年
09/04/09 09:27:51 Fqb4e1oR
聞いた話で真偽は定かではないが
江戸に移封された徳川家康
後にこの地で幕府を開き城下町の整備を行うことになる
オカルトな面では風水を考慮し将門を祀って守りを固め、
軍事的には道を歪曲させて真っ直ぐ飛ぶ鉄砲のを使いづらくさせ
武家は城の周辺に、寺社は有事の駐屯地として機能するようにし
町人は有事の際に壁となるように配置されたという
この城は後の平和の時代が相まって有事にその成果を発揮すること長らくは無かったが
戊辰戦争が勃発し官軍が江戸に迫った
ついに城の成果が発揮される時が来た…はずだった
が、幕府は無血開城してしまった
何故か?
理由は色々あるが官軍との交渉会話の中でこんなやり取りがあったそうだ
西郷「近々江戸を総攻撃するから」
勝「民衆に被害が出るから止めてくれ」
町人が壁になるように都市計画を立てたのにそれが仇となって城として使えなかった
戦国の時代の町人の価値と太平の時代の町人の価値はまるで違っていた
200年後の人の価値の変容を読めなかった初期の幕府の悪い話
527:人間七七四年
09/04/09 09:39:00 WEM75V3X
>>525
軍功なんかは周りの証言があって認められるものだからな
記憶に残るインパクト無いとあかんだに
528:人間七七四年
09/04/09 09:50:29 PWXJhUDM
>>527
信長「派手な指物付けて大した功も立てられぬ者は戦場の恥である、追放せよ」
529:人間七七四年
09/04/09 09:51:54 QGSMGWab
色々趣向を凝らしてるよね
兜の飾りはそのまま被ってる人の権威みたいなもので壊されるのは恥って考えもあったみたい
530:人間七七四年
09/04/09 10:10:44 g5mxmJz8
250年先の世の中なんて誰も読めねぇよw
むしろそれまで城が使われなかった方が奇跡だろ。
531:人間七七四年
09/04/09 10:16:46 NjgxH2EV
今から250年先か・・・
完全にSF世界です
532:人間七七四年
09/04/09 10:35:12 lcTRtUKd
>>526
勝は会談が決裂したら町人を避難させた後で、
進軍してきた薩長の反乱軍を街ごと焼き払うつもりだったらしいよ
533:人間七七四年
09/04/09 10:38:23 0lx3E/B3
1999年に人類は滅びると思ってました
534:人間七七四年
09/04/09 10:38:44 ALHxoP7u
広島城「356年後に原爆が落とされ木っ端微塵になるなど
思いも寄らぬことでございました」
535:人間七七四年
09/04/09 10:40:03 30mbI99Q
むしろ250年後に通用した熊本城の石垣が凄すぎる
536:人間七七四年
09/04/09 10:42:33 g5mxmJz8
戦国だったら町人も足軽上がりがゴロゴロいたから壁にも戦力にもなろうが身分制度が進んだからなぁ
537:人間七七四年
09/04/09 11:34:25 X5jRcEsV
>>529
政宗の兜の弦月の前立ては
わざと壊れるように木製だったと聞いた。
引っかかりやすいので危ないから、とか
・・・本当だったらいい話、か?
538:人間七七四年
09/04/09 12:34:36 kTLXC1m1
江戸城周辺の町屋も防御施設として機能するはずだったんだろうね。
250年後の榴弾砲の前には防御力なんてなきも同然になってしまったんだろう。
539:人間七七四年
09/04/09 12:40:55 ALHxoP7u
有名なお話ですが戦国よりちょっとそれる
宇都宮吊天井事件
秀忠が家康の七回忌で日光東照宮へ赴いた帰り
宇都宮城へ立ち寄る予定でした
宇都宮城は本多正純が父、正信のいいつけを守らず
加増をホイホイ受けとったお城でした
このお城に入ろうとする秀忠ご一行
しかし殿のお耳に不穏な噂が!
「正純くんが殿の御寝所の天井に小細工をして
寝ている間に天井を落として殿を抹殺しようと
たくらんでおります!」
なんとけしからん正純め!と怒った秀忠は
正純を出羽へ改易させたのでした
この話はフィクションです
実在の人物、事件とは関係ありません
540:人間七七四年
09/04/09 12:54:13 pl8JQoDk
>>537
三斎様も(以下略
541:人間七七四年
09/04/09 13:54:21 /3rnpcrJ
>>524
坂井家は次男だったかが信忠の側近にいる
542:人間七七四年
09/04/09 15:19:23 4+Gln4Vg
>>537
清正「ワシのは上が紙じゃぞ」
543:人間七七四年
09/04/09 15:49:58 a9jqosZU
兜の前立てと言えば、年々大型化して行く兜の前立てのために、畿内や西国では
前立ての足を複数つけて、兜に固定するようにしていたが、
東国では平安、鎌倉からの伝統を守って、足一本で無理やりに固定していたらしい。
そのせいで、何もしなくても自重で前立てがポッキリいくことも、けっこうあったらしいw
544:人間七七四年
09/04/09 17:07:49 LzZCz1p9
兜を作るのが上手い大名(たしか有楽斎だったと思うんだが…うろ覚えでスマン)がいて、他の大名に水牛の角の兜の製作を頼まれた。
出来上がった兜を見ると、角が桐の木で作った偽物だった。
なんで本物の水牛の角を使わないんだ!と注文した大名が文句を言うと、
「本物の角なんか使ったら、戦場で引っかかって危ない。桐だと折れるからいいんだ」と言ったとか
545:人間七七四年
09/04/09 17:09:45 Fqb4e1oR
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
の290
まとめで検索掛けようぜ
546:人間七七四年
09/04/09 17:16:59 LzZCz1p9
おお、三斎でしたか。面目ない。
547:人間七七四年
09/04/09 17:22:07 cDCj2AuI
>>511
井口も又兵衛も子供の頃からの家来だと友達感覚で甘えるのかな
548:人間七七四年
09/04/09 18:10:32 QGSMGWab
>>537
確か日野根さんだったかだと
わざと壊れやすい木で立派に見える飾りを作って、飾りを壊しにかかる敵の姿勢を崩させて討とうしたなんて話があったり・・・
見栄を徹底的にはる奴、利用しようとする奴、飾りと割り切る奴、色々居るもんだねぇ
549:人間七七四年
09/04/09 20:13:54 IeFJByAH
日根野氏って武功もある上に
初代…鎧兜
二代目…築城
三代目…東照宮造営
みたいな後世に残る技術も持っていたのに、時の天下人には
いまいち受けが悪かったような気がする。
550:人間七七四年
09/04/10 00:00:07 xYDsgwEt
何かと暗愚・凡将扱いが多い、徳川家康の父・松平広忠の話
父が若くして暗殺されてしまった広忠、
惣領の地位を狙う一門・松平信定から逃れ、伊勢へと亡命する羽目になる
しかし、東条吉良氏や今川氏を味方につけて形勢逆転、三河へ帰還した
さて、信定に同心した一門の中に、松平信孝がいた
広忠帰還が具体化すると、これに積極的に協力してちゃっかりと後見役に収まった
これで安泰と思ったか、城地の横領など専権をふるうようになる
そして天文十二年正月、広忠は長らく病床にあった
今川家へ参賀に行くことになっていたので、信孝が代役になり、駿府へとたった
…もう言わなくても分かると思うが、広忠の罠である
あっという間に信孝の館と知行は占領され、城は攻め破られた
驚愕した信孝は和解を望み、今川義元にも訴えたが、もちろんかなうはずもない
仕方なく織田信秀に寝返った信孝、
岡崎攻撃のために出陣したところ、広忠軍に射殺されてしまった
ちなみにこの時、信孝から広忠に鞍替えした家臣の中には
大久保忠俊・忠員など、後に松平家を支える人達がいたりする
…ので松平家にとってはいい話かもしれない
551:人間七七四年
09/04/10 00:23:25 Tm5VA9KB
>>538
城郭自体だと近代兵器にも抵抗力があったよ。
後装式、旋条砲の新兵器アームストロング砲をもってしても、会津若松城や熊本城は陥ちなかったんだな。
会津は兵糧攻めで開城、熊本城は力攻めで薩摩軍に多大な犠牲を出させ、撤退させている。
552:人間七七四年
09/04/10 01:02:53 k4fGND0y
岡山城城主、金光宗高が宇喜多直家の麾下に入り、しばらくした頃の事。
宗高が謀反を謀ろうとしている、そんな風説が流れた。
この宗高の家臣に、後藤某と言う者がいた。直家はこの後藤とかねてより親しくしていたが、
この風説が流れるようになってから、直家の居城、沼城に後藤を度々呼び、碁の相手をさせた。
そうしているうちに、金光宗高が、この後藤を、罪があったと言って殺した。
「かかった!」
直家、そう思ったことであろう。直家は宗高を沼城に呼び出し、言った
「切腹いたせ。
宗高、お主は先年の明禅寺合戦の後、わしに敵しがたくなって味方になった。
だが、内々に叛心を抱いていたのであろう。そのせいで、後藤がわしに懇ろなのを憎み、
彼を殺したのだ!この所業、捨て置けぬ。」
宗高は必死に言い訳をし、陳謝した。しかし直家は容赦しない。そしてここは直家の居城、
逃げ場は、無い。宗高も生を諦め、切腹を受け入れる体を見せる。
すると直家、彼にやさしく言う、
「宗高、わしはお主の死後、お主の子供達に所領を与えて、路頭に迷わないようしてやりたいと
考えておる。
…そのためにも、だ。
岡山城の者たちに、『この城を直家に異議無く受け渡すこと、宗高が認めた』と、一筆
書き残しておいてほしい。
無駄な争いが無い事こそ、子供の将来の為にもなろう…。」
宗高、これに抗する事は出来ず、その旨を書状にしたため、そして切腹した。
そして岡山城に直家よりの接収部隊が向かうと、最初抵抗の姿勢を見せたものの、
この書状を見せると、おとなしく城を明け渡した、との事である。
このようにして、やがて直家の本城となる岡山城は奪取された、と言うお話。
553:人間七七四年
09/04/10 01:16:18 K4eUZrSt
意外な事に、子供達にはちゃんと所領を与えてるんだよね。
554:人間七七四年
09/04/10 01:22:56 k4fGND0y
>>553
そこが宇喜多直家の凄みだよね。間違いなく悪党なんだけど、チンケな悪党じゃ無い。
555:人間七七四年
09/04/10 09:47:56 1hyYqL54
つまらないところで欲かいて約束守らんと信用もされんからねぇ。
日頃は大変誠実に見えてここぞというところになると…
556:人間七七四年
09/04/10 09:53:24 VlNpqa/4
ラスボスはそこで失敗したからなあ
557:人間七七四年
09/04/10 09:56:53 MORKcSA2
ラスボスなら開城した瞬間に雪崩れ込み撫で斬りにするであろう
558:人間七七四年
09/04/10 12:40:06 uWAhY+BZ
つーかさぁ、テンプレに他スレ荒らさないようにって入れてくれよ。
どことは言わないけどこのスレから辺なの来てて困るだけど。
559:人間七七四年
09/04/10 12:55:38 G4jc365k
どこのスレの人かわかりませんが、大変でしたね。
なるほど、それをテンプレに追加するだけで解決するなら検討しましょう。
しかし、そのスレに「このスレを荒らさないように」とテンプレを追加すれば
他の荒らしの対策にもなってより効率的ですよ。
560:人間七七四年
09/04/10 14:22:28 LXzm+wtm
>>553-554
なんというか、大方はきっちり手間暇かけて仕込む謀略家なのに
そのへんあまり陰湿さを感じないのが直家さんのマジ怖いところかも
鮮やかすぎて何故かスッキリ爽やかだもんな('- `;
561:人間七七四年
09/04/10 14:56:23 EuFc0Zgf
信玄が駿河落として文化財を摂取する時に、馬場信春が盗賊みたいなことするなと焼き払ったけど、
他人の領土を奪って貴重な文化財を保護せずに焼くなんて、山賊と変わらないだろ?
562:人間七七四年
09/04/10 15:21:05 0dzkkaWd
>>559
ついでにいい話・悪い話スレでの呼ばれ方(家久悪をDQNとか)を他板で使うのも遠慮するようテンプレに・・・
563:人間七七四年
09/04/10 15:46:44 9nTmoeR/
最高の荒らし対策は無視
あの荒らしさんは相手にしても無駄だから相手にしないのが一番よ。
荒らしに反応する奴も荒らしなんだぜ。
564:人間七七四年
09/04/10 15:59:46 ZULLWifD
>>562
正直このスレで使うのもやめてほしいと思ってる。
言ってどうなるものでもないから最近は専らスルー。
と、言えばこの難しさをわかっていただけるのではないかと考えます。
565:人間七七四年
09/04/10 16:31:46 k4fGND0y
人それぞれですがな。排除したがるのも押し付けだし。
いろんな人がいるわけなんだから、あまり気にしすぎるもの良くないよ。
566:人間七七四年
09/04/10 18:39:21 /Pl3WGkj
>>561
あくまでお宝であって文化財という概念が無かったんだろう
567:人間七七四年
09/04/10 22:24:45 rnkNdAZ8
徳川家康
あるところに平塚という武士がいた
浪人生活をおくっていたため家康は家来になるように言った
しかし平塚は家康はケチだから家来になるのはいやだといって石田の家来になった
その後関ヶ原で西軍は負け平塚は捕虜になった
そこで家康の部下は平塚はかつてこういうことを言ったので死罪にしましょうと言った
しかし家康は生かしておけと命じた
部下は不思議がっていると家康は私はやつがにくい
だから長く生かして苦労させろと言ったという
568:人間七七四年
09/04/10 22:32:16 k4fGND0y
>>567
それは話をぶった切りすぎてるw
そのあと家臣から「なんであんなのを生かすんですか!?」と抗議された家康は
「あ奴は見所はあるが、世の中の厳しさを知らない。世に出て苦労させ、性根を鍛えさせれば、
わしの息子を支えるほどの武士になるであろう。」
って言って、実際その後紀伊徳川家に仕えるんだよ。
569:人間七七四年
09/04/10 22:40:23 rnkNdAZ8
武田信玄
桶狭間で織田にやぶれ跡を継いだ氏真は凡庸であったため今川は衰退の一途を辿っていた
これをみて武田信玄は武田に使えれば高い給与をやろうと今川の家臣たちを誘った
これを聞き今川の家臣たちは先を争って内通に応じ、氏真は国を追われることになった
内通に応じた家臣たちは約束の給与を頂きたいと言ったが信玄は長年使えた今川を裏切るようなやつが
武田で使えてなんの役にたとうかお前たちにやるぐらいなら代わりに氏真にやると言って旧今川の
家臣は殺されてしまったという
570:人間七七四年
09/04/10 22:41:38 rnkNdAZ8
>>568
そうなの?
知らんかった・・・
571:人間七七四年
09/04/10 22:44:55 k4fGND0y
>>570
つーか、まとめにあったわw
徳川家康と平塚越中守・いい話
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
572:人間七七四年
09/04/10 23:40:56 D/XGjZ2T
秀吉さんからお手紙ついた
天正10年6月5日 中川清秀殿へ返信
(略)
信長様・信忠様は(明智の襲撃を)、どちらも無事に切り抜けられた。
近江の膳所が崎に逃げ、福富平左衛門が三度明智軍と槍を合わせ、比類ない働きを
したので、お二人とも何ともないとの事、めでたい限りである。
天正11年4月12日 小早川隆景殿へ
播磨から西は知らないが、東国においては、津軽までもワシの槍先に耐えられる者は
いない。全て秀吉の鞭に応じて、ヒマを開けたので安心してくれ。
(略)
(柴田軍が)討って出たので、即座に駆けつけた所、連中はワシの強さを知っているので
逃げ散ってしまった。さらに押し詰め、攻め殺そうとしたが、敵は高山の城に篭もった。
メンドいので付け城を四~五ヶ所ほど築いて抑え、ヒマができた。
よって二~三日中に上洛するので、(会見の)時期は心配しないでほしい。
天正13年6月15日 佐竹義宣殿へ返信
(略)
去年も話したが、紀州の根来・雑賀が一揆を起こしたので3月21日出馬し、
数日のうちに連中の首を残らず刎ねたので、紀伊の熊の浦まで静かになった。
同様に四国の長宗我部を成敗するため、弟・秀長と毛利輝元を派遣して、
半ば好き放題にさせている。もうすぐコイツも首を刎ねるだろう。
そうすれば西国は筑紫までワシの意のままになるので、来月の20日ごろには
越中の佐々を成敗がてら、富士山でも見に行きたい。その時に会おう。
573:人間七七四年
09/04/10 23:42:04 D/XGjZ2T
わかりにくいと思うんで、本能寺の変から九州攻めまでの太閤さま簡易年表
天正10年
6月6日 毛利軍の撤退を確認し、近畿へ向かう(大返し開始)
6月13日 山崎の戦い
6月27日 清洲会議
天正11年
4月21日 賤ヶ岳の戦い
天正12年
4月9日 長久手の戦い
天正13年
3月21日 紀州攻め
4月1日 紀州国人・湯河氏の反攻、仙石秀久ら敗れる
6月上旬 秀長軍、讃岐へ 毛利軍、伊予へ上陸(四国攻め)
7月25日 長宗我部氏、降伏
9月24日 榎峠の合戦で湯河氏に勝利、湯河氏降伏
天正14年
12月12日 戸次川の戦い
天正15年
4月17日 根白坂の戦い
5月8日 島津氏、降伏
瀬兵衛への手紙は論外としても、ハッタリをホントにするラスボスマジパネェ
だから秀頼への侍女SATSUGAIレターもハッタリだったんだよ、うん・・・
574:人間七七四年
09/04/10 23:45:59 juBgjotW
最上義光「関白秀次の妻妾皆殺しを言い出した時も、はったりだと思っていましたが何か?」
575:人間七七四年
09/04/10 23:48:18 k4fGND0y
秀吉の人生は自己実現の連続だからなあ。
最後の方は半ば本気で、自分が望んで出来ない事は無いと信じていた節がある。
576:人間七七四年
09/04/10 23:57:49 LXzm+wtm
>>572-573
鬼武蔵もやってたなあ「城乗っ取りますた!」とハッタリ手紙を送ってから出陣(甲斐攻め)
577:人間七七四年
09/04/11 00:20:43 J4aA+U1z
四国も九州も本格侵攻から一ヶ月で落ちてるんだな
>>576
それはハッタリというかwwww
578:人間七七四年
09/04/11 00:21:40 ca+3IYpo
ハッタリはある意味戦国時代の武将の通弊だからなあw
579:人間七七四年
09/04/11 00:35:16 gPMFYeRE
>>569
まとめに良く似た話しがあるようだが
580:人間七七四年
09/04/11 00:36:55 pSM5FWbG
>侍女SATSUGAIレターもハッタリだった
↑
>ハッタリをホントにする
・・・ヲイ
581:人間七七四年
09/04/11 00:51:32 5L0F0ZcS
秀吉のハッタリは無邪気というか、なんか軽々としてるんだよな
受け取ったほうが、大法螺だと一笑に付しちまうような…
ただ、秀吉の怖さはその大法螺を次々に現実にしていくことだが
582:人間七七四年
09/04/11 00:53:23 ca+3IYpo
まあ最終的に唐天竺まで支配するなんて言い出して、破綻してしまうわけで。
583:人間七七四年
09/04/11 01:12:55 i3ci8kxS
やっぱ秀吉は、日本歴史上ではまれに見るタイプだと思う。
よくも歩くも毛沢東、スターリン、ヒトラーと同じかんじがある。
大陸型独裁者やね。
584:人間七七四年
09/04/11 02:15:03 MU2S6PN3
武田信玄の家臣に岩間なる男がいたが、この男だいの臆病者だった。
出陣となると「俺は人を殺したくないー!!!」などとギャアギャア喚くのである。
こんなやつだから岩間の上司は呆れ果てて、信玄に訴えた。
上司「あいつはダメダメです。あんなやつが戦場にいたら、他の兵にも
影響がでます。追放、あるいは追放に見せかけて殺しましょう。」
信玄「あいつが臆病なのは優しい性格のせいであろう。あんなやつにも
取柄があるはずだ。」
上司「御舘が部下想いなのは存じていますが、あいつはダメです。
戦を恐れる武士など、武士である資格がないというものです。」
上司はどうしても岩間を追放したいらしい。やれやれ、と思った信玄は
上司に岩間を呼ばせると明日の出陣の際に留守の責任者となるように
命じた。戦わなくて済むので岩間は大喜びで平伏した。
翌日、武田軍が出陣した。すると留守番の者たちは信玄らが居ないので
次第にだらけ始めていった。この様子を見た岩間は「御舘が戻ったら全部
言いつけてやろう」と思い、彼らの手抜きを詳細にメモしたのである。
これに気づいた者たちは信玄にチクられるのを恐れ、慌てて行動を改めた。
その後、信玄が戻ってくると舘はいつも以上に綺麗でピカピカしている上に
人々もよく緊張していたので、信玄は岩間を呼んで「お前こそまさに留守大将よ」
と褒めた。そして岩間を追放しようとした上司らにこう言った。
信玄「どうだ、臆病者にも取柄はある。要は適材適所が大事なのだ。
どんな人間にも取柄があるのだから、あいつは無能だ、などと
簡単に言ってはいかんのだ。」
本来はいい話かもしれないが、戦えない上に人をチクるしか能がない岩間は
ろくでもないやつだと思ったのでこちらに投下した。
585:人間七七四年
09/04/11 09:07:29 gPMFYeRE
>>584
>戦えない上に人をチクるしか能がない岩間は
ろくでもないやつだと思ったのでこちらに投下した。
岩間自身は戦に出られない事を恥じていた為
与えられた留守の役目を汚名返上とばかりにしっかり果たしていた
その上で周りの者の行状を報告しようとしたんだろうから誰も文句を言えず
結果として周りの者も普段以上に気を引き締めて留守をしていた
一人が槍持って顔真っ赤にして仁王立ちしていても国は守れない
一致団結しなければ、それが信玄が褒めた理由と言うことだろう?
戦に出て首を取るだけが武士じゃないって事を例えた良い話しじゃない
人は城、人は石垣、人は掘り(アッー!)、情けは味方、仇は敵なり
って誰の詠んだ歌か判らないけど
586:人間七七四年
09/04/11 09:33:16 egPKs6x4
正論を振りかざし正義の行いと信じてチクリを行う奴は
どこの職場にもいて男性陣からは嫌われているが
女性陣の中には必ず支持する者がいてめでたく職場結婚などするので
世の中というのはホントよく出来てると思うこともしばしば
587:人間七七四年
09/04/11 12:29:59 Gxv7WRnh
>>584
岩間「あいつはダメダメです。あんなやつに留守番させたら、他の兵にも
影響がでます。追放、あるいは追放に見せかけて殺しましょう。」
(以下ループ)
588:人間七七四年
09/04/11 12:39:44 lSjulxru
性格的にはそうじゃないだろうなw
あんなやつに留守番させたら、他の兵にも影響がでます。出陣させましょう、是非先陣に。」
589:人間七七四年
09/04/11 13:39:40 4TIrS90V
上田に入封されたものの藩政資料はことごとく処分され一からの運営を余儀なくされた仙石忠政
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
勿論幕府にグチった
これに対する秀忠の対応(超意訳)
「仕方ないんじゃね?
伊豆守がキレる気持ちは良くわかるし
ウチも関東に飛ばされた時は苦労したもんだよ
あの頃の親父の悔しそうな顔は今も覚えてる
伊豆守も同じ気持ちだろうしね
そうそう、誰が何を言おうが伊豆守に罪を問う気はないから
まあ、君なら大丈夫さ。頑張れ」
仙石忠政にとってはとことん悪い話
590:人間七七四年
09/04/11 13:47:55 LY3CluJC
>>584
まあ戦働き以外の仕事はきっちりこなすタイプなんだろう。