戦国ちょっと悪い話8at SENGOKU
戦国ちょっと悪い話8 - 暇つぶし2ch200:人間七七四年
09/03/26 11:44:24 CrTU1K0V
>>198
だからいいんじゃあないか・・・(AA略)

201:人間七七四年
09/03/26 11:50:19 qJuJ6KYy
無礼者!手打ちにしてくれるわ!
ということだよ>>198

202:人間七七四年
09/03/26 11:56:23 l3vkAdK3
       ____
     / TERU \
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   めんどくさいからみんな死罪にするお!
  |     |r┬-|     |   知行も減らせてちょうどいいお!
  \      `ー'´     /

203:人間七七四年
09/03/26 12:48:48 JzVm0k+f
             /)
           ///)
          /,.=゙''"/
   /     i f ,.r='"-‐'つ____   こまけぇこたぁいいんだよ!!
  /      /   _,.-‐'~/元  政\
    /   ,i   ,二ニ⊃( ●). (●)\
   /    ノ    il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
      ,イ「ト、  ,!,!|     |r┬-|     |
     / iトヾヽ_/ィ"\      `ー'´     /




204:人間七七四年
09/03/26 14:01:11 O68FneIH
俺の中の元政のイメージが変わっちゃっただろうがw

205:人間七七四年
09/03/26 14:28:39 56afP8sT
>>201
勝成の要求の方が無礼だと思うけど。
茶頭に対しても、主君に対しても。

206:人間七七四年
09/03/26 14:47:03 wjDb/exN
でも勝成の妻は三村親成の養女(姪)だしもう少し融通をきかせても

207:人間七七四年
09/03/26 14:55:25 8WfYL3Xf
>>198>>205
勝成の嫁に親成の養女で三村家嫡流の忘れ形見の娘がなっていたのが重要
つまり茶坊主は勝成を辱めただけでなく勝成の嫁、強いては三村家をも辱めた事になりかねない

実際は勝成の頼み方と茶坊主の断り方次第
俺も原文知らないから何ともいえない

208:人間七七四年
09/03/26 14:58:42 T1rFjJas
いやー米とかならまだしも、
茶は嗜好品で、無くても死なないからなぁ…

209:人間七七四年
09/03/26 15:18:37 ZFYemlTi
大阪冬の陣の和議の後の事、

堺において大阪方のある牢人が、町人を撃ち殺すと言う事件があった。
この牢人は大阪方に捕縛され、打ち首となった。
そして半首を朱に塗られ、大通りにさらされた。

これを見た大阪の古老は、
「首に朱を塗るのは関東の仕置きの仕方であって、太閤の御法とは違うものだ。
なのにこのように行われるのは、もはや全て関東に法に呑み込まれたと言うことなのだろう。
大阪もこのまま、滅亡してしまうだろう。」
と、呟いたそうである。

210:人間七七四年
09/03/26 16:00:27 9dH0SqFf
>>207
茶坊主が横流したらそれはそれで今の殿を尊重してないって事に

211:人間七七四年
09/03/26 17:44:57 kx8hFK6Q
 江戸柳生系ばかり続いたので、尾張柳生系の逸話も。
尾張柳生の祖、兵庫助利厳の逸話。

  柳生兵庫助利厳は、柳生石舟斎の孫にして、新陰流の正統を継いだ剣士である。
 26の時まで石舟斎の元にいたが、加藤清正の要請により、
 「兵庫助は短気の為、三度までは何があっても御寛恕くださりますよう」という
 石舟斎の条件の元、五百石(内実三千石とも)で加藤家に仕官することとなったという。

  そして加藤家に仕えて1年足らず、領内でキリシタン一揆が発生。
 古参の臣・伊藤長門守が鎮圧に当たったが、なかなか収まらず、
 業を煮やした清正は「お前に全て任せる。思うようにせよ」と
 兵庫助を増援として遣わした。

  増援を率い、伊藤長門のところへ向かった兵庫助だが、
 古参の武将である伊藤は、新参で武芸者の兵庫助が気に入らず、
 一揆勢の動向をつかんだ兵庫助による再三の攻撃の申し出を容れず、
 「新参のお前如きの言など当てにはならぬ」などと言った為、
 主命を果たすため兵庫助は伊藤長門を切り捨て、一揆勢の本拠へ攻撃を仕掛けた。

  こうして兵庫助は一揆勢を鎮圧。
 また、根拠地の村人を皆殺しにした後、熊本城へ引き上げ、清正へ報告。
 その後、主命は果たしたものの、古参の臣を切り捨てた責を以って、
 清正が引き止めるのを振り切り、加藤家を致仕したという。

========================

  主命のためとはいえ、祖父の危惧通りに短気を起こして、
 仕官先を辞めざるを得なかったというお話。
 尤も、後に尾張徳川家に仕官できたし、加藤家も取り潰しにあってるので、
 災い転じて福となる、とも言えるかも。
 ちなみに、加藤家を辞めてから尾張徳川家に仕官するまでの12年間は
 武者修行をしていたそうな。

212:人間七七四年
09/03/26 19:50:25 eYCp60Zy
老臣斬り捨てられて、なお引き止める清正のいい話にもなるな

213:人間七七四年
09/03/26 19:55:26 0ToiNu4F
>ちなみに、加藤家を辞めてから尾張徳川家に仕官するまでの12年間は
>武者修行をしていたそうな。
別に仕官できなくても実家で養ってもらえるからなあ
所詮は気楽なボンボンだからこそできたこと

214:人間七七四年
09/03/26 22:22:06 M2Hv/DSr
宗矩以外の柳生は、十兵衛といい能マニアの宗冬といい、わりと社会人としては
駄目駄目だなあw
隆慶や荒山徹には蹂躙されまくりの宗矩だけど、実際は常識人だったんだろうな。

215:人間七七四年
09/03/26 23:03:47 OaMhXqZH
戦国は遠くなりにけり in 島原 1638

黒田忠之「ふー遅刻チコク!でも、もう大丈夫!一揆なんてウチだけで充分スよ!」
松平信綱「・・・一人で突っ込んで死んだオレの前任者への皮肉か?」(#^ω^)ビキビキ

忠之、相当頭に血が上っていたらしく、上記のようなKY発言をしたり、
鎧もつけずに突撃しようとしたり。(URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
そのせいで幕府の心象を悪くしたのか、手柄の申告を却下されたりしてます。


知恵伊豆「明日総攻撃かけようって軍議で決めたのに、なんで抜け駆けすんの?!」
鍋島勝茂「え、だってウチのダディが『軍に法なし、敵に勝つを軍法とす』って・・・」
知恵伊豆「いつの時代の話だよ・・・・・・!」

結局、勝茂は乱の終結後に蟄居刑を食らいました。


立花忠茂「・・・てな感じで、どこも大変みたいですね。」
立花宗茂「ふーん、なんかウチも心配だなぁ。せっかくだから、オレも行くわ。」
立花忠茂「 ヲイ、70歳 」

鎮西無双・立花宗茂、島 原 に 降 臨
立花宗茂「よし、早めに来て一番城門に近い場所に陣取ったどー!これで勝つる!」
知恵伊豆「あ、動員数に応じて陣の配置変えるんで。そこは細川さんに譲って下さい。」
(´・ω・`)


細川忠利「( ´,_ゝ`)フフン こういう時、日頃の行いがモノを言うのデス。
      今は、一揆勢の投石がウザいんで、船の帆柱立てて帆を張って防いでます。
      ワリと余裕デスね。」
細川三歳「あっ、そう。んで、一揆勢が火矢打ってきて帆に引火して帆柱倒れたら、
      忠利クンはどうするのかな?」
(´・ω・`)

嗚呼、戦国は遠くなりにけり・・・

216:人間七七四年
09/03/26 23:56:05 9dH0SqFf
知恵伊豆が到着するまでに一揆鎮圧できてない時点で…

217:人間七七四年
09/03/26 23:59:08 x8V2ePTo
島原の乱の頃に戦争技術が低下してグダグダだったって話を聞いたんですが、大坂の陣の頃は大丈夫だったんでしょうか?
関ヶ原から14年も経っていたけど、現役の戦国武将もいたから大丈夫だったとか?

218:人間七七四年
09/03/27 00:01:30 5ox52BQD
誤爆した、すまん

219:人間七七四年
09/03/27 00:05:45 ZkwMB+Gu
まとめスレにあると思うぜ。
大坂の陣の若武者達の残念物語。

ギンギラギンな井伊のルーキー達の赤備とさりげない井伊のロートル達の赤備とか、
矢部虎之助とか。

220:人間七七四年
09/03/27 00:18:23 93TJwgab
行軍速度が双方かなり落ちてたってなんかで見たなあ
それで戦国真っ最中の感覚でたてた作戦がタイムスケジュールずれまくりで失敗したとかなんとか

221:人間七七四年
09/03/27 00:28:06 zTxR0WSY
軍隊なんだから集団での軍事訓練をしないと
能力がすぐ錆びるのは当然だわな。
戦国時代は訓練など無くとも実戦で鍛え上げられたが。

てか、戦国の空気から一変。
日本人をみんなで一斉になまくら化させた江戸幕府の奴らがすごいよ。

222:人間七七四年
09/03/27 00:34:15 KrWUnEKh
あの若かった宗茂が、生ける伝説となっていた頃だもんね
政宗は前年に死んでるし

223:人間七七四年
09/03/27 02:08:55 vkM6TvKh
この頃火縄銃も地味に進歩していて
一揆勢のつかっていた有馬筒は元が厚く先が細い作りになっており
火薬を多く使用することができ、かつ先が軽く狙いをつけやすかった
二町離れて5発のうち2発は命中させたという
さらに威力が向上したことでそれまで仕寄せに使われてきた竹束が
容易に貫通され役に立たないことが分かり、旧来の方法では城に近づけない事が明らかになった
これに対し前線の将士は竹束に代わって俵に土を詰めたものを使って仕寄せ道を作ることを発案した
現代的に言えば土俵を使って塹壕戦のような事をやろうというのである
これをうけて細川忠利は1月5日の手紙で国元に至急空俵6万俵を送れ、足りなければ隣国からも集めろと命じている
若い世代だって色々考えているのだ

224:人間七七四年
09/03/27 08:18:09 36O7syMT
何気に要所要所の戦に出てる宗茂

225:人間七七四年
09/03/27 09:10:26 o4UCibJ8
何気に参戦している水野勝成

226:人間七七四年
09/03/27 09:22:38 44ycrmMJ
>>221
大阪の役のとき、寄せ集めの浪人衆に数千人単位での集団戦の軍事訓練を
叩き込んだのが後藤又兵衛とか。

秀頼も現場を見て結構いけるかも、と思ったらしい。

227:人間七七四年
09/03/27 09:56:15 Dl98P+lc
>>225
一揆勢の夜襲を槍で防いだ人間へ「夜に槍振り回すとか味方も危なくね?」
という批判が出たのに対して「とっさの時にンな事言ってられっか!」
と実例いくつも上げて若造の机上の空論を鼻で笑っておられますな

228:人間七七四年
09/03/27 12:51:23 0K1Rj+8v
このスレの人間の見識の深さ広さには恐れ入る

229:人間七七四年
09/03/27 16:21:13 b9UvtVKe
夜に槍を振り回す・・・?

230:人間七七四年
09/03/27 16:29:37 KrWUnEKh
秀吉「槍は振り回すのではなく、一点目がけて何度も突き刺すものじゃ」

231:人間七七四年
09/03/27 17:56:15 hPtRvqnX
地獄はヤバい、ヤバすぎる
おそらく、戦国時代までには閻魔の権威は失墜してアレクサンダー大王やチンギス・ハン、カエサル…etcが幅を利かせてたかもしれないけど
「地獄上等!!」なリアル戦闘民族、リアル修羅がなだれ込んでさらなるカオスになる悪寒…
これじゃ、六道的に地獄界っていうより修羅界かもしれないけど

232:人間七七四年
09/03/27 18:02:26 XUKiYhj/
今夜、某の脇差を振り回します







一人でだけど

233:人間七七四年
09/03/27 18:03:30 13l9j85J
地獄って回転率悪くてやばそうだよな

234:人間七七四年
09/03/27 18:15:10 /XyPDmcy
だから無限に地獄を建て増ししていっちゃったんだろ

235:人間七七四年
09/03/27 18:19:49 hPtRvqnX
どうあっても戦国武将なんて浄土や極楽にはいかないだろうからなぁ…
戦国三傑が地獄で顔を合わせたらバツが悪そう
まあ、それ以外にもバツが悪いのはかなりいるけど

236:人間七七四年
09/03/27 18:38:27 6P/2Bzhd
前田利家「ま、俺は地獄へなんか行くはずないけどね」

237:人間七七四年
09/03/27 19:03:13 34SJBAE6
悟りたば 坊主になるな 魚食え 地獄に落ちて 鬼と戦え
なんて歌が出来るぐらいだからな…

238:人間七七四年
09/03/27 19:10:30 FPsWXnO+
>>235
真田信之「これで地獄で父上や信繁と一杯飲めるか…」
閻魔大王「信之は天国じゃ」
真田信之「父上、信繁…(´:ω:`)」

239:人間七七四年
09/03/27 19:15:12 7HbWbKBH
鬼と戦えとか、ちょっと聞くとかっこいいな。


まったく関係ないが
某所にデーモン小暮閣下が声を当てている閻魔様がいらっしゃる。

240:人間七七四年
09/03/27 19:16:58 9oB7cwHA
なぁに、戦国時代には鬼が50人は居る。

241:人間七七四年
09/03/27 19:20:02 9nhGm1GQ
そこでも鬼武蔵が登場するのですね、わかります

242:人間七七四年
09/03/27 19:24:34 MihQYKCz
山口重政が、大番頭を申し付かった時の事。配下の組衆を集め、食事を振る舞った。
組衆の者達は皆、「真に結構なご馳走です。痛み入ります」と言えば、重政

「いやいや、痛み入る事はありません。私はこの度、あなた達のご支配を仰せ付けられました。
何事かあったときは、私の命令であなた方を引き回す事になります。
ならば、静謐な時、せめてこのようにご馳走でも差し上げなければ、と考えたのです。」

ところがこれを聞いた大田善太夫と言う者、「そう言う事ならこの料理、食べられませぬ!」
などと言い出した。このご馳走を命令を聞く対価だと感じたのが嫌だったのか。
しかしこの言葉で、その座は興ざめしたのだとか。

まさか重政も、そんなつもりでご馳走したわけではないだろうに。
なかなか、空気を読まない人は、いつの時代にもいらっしゃるのだ。

243:人間七七四年
09/03/27 21:56:04 yL9vIKVY
>>231
>>235
さながら地獄絵図になってそうだなぁ…--;
って、地獄だからそれでいいのかもしれんw

244:人間七七四年
09/03/27 22:17:50 K/Xi10h+
>ならば、静謐な時、せめてこのようにご馳走でも差し上げなければ、と考えたのです。
って気を遣ってくれてるのになあ。

245:人間七七四年
09/03/27 22:41:15 m6ySFtBR
いい上司じゃないか

246:人間七七四年
09/03/27 22:41:51 uUHaXtgq
脇差で思い出した話

伊賀越えで活躍した茶屋四郎次郎清延には長以という息子が居ました

ある式日に登城し大廊下に出た時、老中酒井忠世が寄って来て言いました
「へぇ~なかなか良い脇差じゃん」
言われて長以大喜びなにせ式日だったから一番豪華な奴を持ってきたからだ
忠世はさらにつづけて言った
「道具といい、拵えといいスゲェ~良いじゃん。いかなる大名、旗本も持って無いんじゃね?」
「こんな良い物だし、ちょっと鞘だけでも良いから貸して?」
と言った。
長以は喜んで貸した。
しかし、直ぐに戻ってくると思った忠世は、なかなか戻らない。
長以は、焦りはじめた。というのも、式日の大廊下だから多くの大名、旗本達が通って行くからだ。
殿中で"抜き身"、一歩間違え無くても怪し過ぎる。
皆、いぶかしげな目で見て通り過ぎていくうえに、目付衆まで寄ってくる始末。
それでも戻らない忠世。

将軍出席しての儀式が始まって終わっても戻らない。

大名、旗本達が皆帰った後にやっと忠世の家臣が鞘を持って来た。
その頃には長以も慢心していた自分を戒めてくれたのだと気付いていた。


殿中での羞恥プレイ或いは新人潰しに見えるのはご愛嬌

247:人間七七四年
09/03/27 23:09:45 Dl98P+lc
茶屋Jr「全部見られちゃうっ…くやしいっ…でも感じちゃう…」ビクッ ビクッ

248:人間七七四年
09/03/28 00:01:59 jlGP8A71
空気読まずに失礼を。

毛利元就がまだ元服したばかりのある日。元就は大内の命令で明の使者を接待することになった。
下関から陸路で京都へ上がる道筋、吉田を通る一行をもてなせとの、大内からの命令である。
毛利の当主は現在不在。
必然的に元就が供応役を仰せつかることになったのである。
そして元就が明の使者を接待している一行の中に朱良範と言う男が居た。
この男は元就の敬礼を見るや否や、いきなり席を立ち上がり別室へと消えてしまう。
そして戻ってきたかと思うと一通の文を元就に手渡したのだった。
朱良範は今すぐ手紙を読むよう、元就に催促する。
そして以下の内容が僧侶によって読み上げられた。

『元就の顔は中国の皇帝そっくりだね。
 目と声は秦の始皇帝。顔は漢の高祖帝。背格好は唐の太宗皇帝に激似だよ!
 つまり君は将来病気しないし長生きするし、十人くらいの子供に恵まれて
 家も長く続んじゃないかな。
 むしろ皇帝の先生になる勢いだし!』(注意※もちろん意訳です)

場が凍った。
(で、詰まるところ誰に似てるんだ?)とは聞かないでくれ。

元就も例外ではない。文の疎ましさに頭を抱えたくなった。
わざと相鑑定書を紛失せしめるほどに、それが疎ましかった。
なぜならこのときの毛利はまだ元就の兄興元が当主なのだ。
いくら興元が京で敵と鬱、この二つと戦っている最中であっても、差し置いて分家を褒められては困る。
元就はこんな危険極まりない行為に頭を抱え文を紛失させたのだと言う。
ちなみにソースは陰陽太平記。ただし孫引き御免。

以上毛利元就の都合の悪い話でありました。

249:人間七七四年
09/03/28 00:05:53 ldJNfAYw
褒めちぎる文を書くまではともかく、この場で読み上げろってのは
さすがに何か企んでいたとしか思えんなこの使者。

250:人間七七四年
09/03/28 00:06:09 sAvVW1ox
聴いたことあるのか始皇帝の声ww

251:人間七七四年
09/03/28 00:12:50 Z5Q15TAd
意訳の部分とその場で読ませるKYっぷりで昔のカート・アングルが思い浮かんだw

252:人間七七四年
09/03/28 00:41:27 Dc9o3SGY
>>250
史記によれば
秦の始皇帝は「秦王為人,蜂準,長目,摯鳥膺,豺聲,少恩而虎狼心」で切れ長の目と豺(狼、山犬)のような声
漢高祖は「高祖為人、隆準而龍顔、美須髯、左股有七十二黒子」で龍顔=高い鼻で面長の顔立ち

なんとなく元就の顔が思い浮かぶような浮かばないような…

253:人間七七四年
09/03/28 01:04:55 XPow1fnQ
つまり化け物だったんですね

254:人間七七四年
09/03/28 01:20:14 uEAOMgql
しかし、実際その通りになったんだからすごいよな。
そのナンチャラカンチャラって人の予言(?)

255:人間七七四年
09/03/28 01:23:55 0+yhaGkb
武功雑記に有る、非常によく分からん逸話なのだが…

加藤清正の家臣に、加藤善右衛門と言う者がいた。知行1万5千石を頂き、その知行所へ
受け取りに行った。
その頃清正は、堤権右衛門と言う者の屋敷に招待され、清正はその相伴として、
斉藤佐渡と共に、加藤善右衛門も呼んだ。

清正が風呂から上がったときに、丁度善右衛門が知行地から帰ってきた。
そこで善右衛門に「知行地の受け取りは無事済んだようだな」と言うと、善右衛門
「はい、受け取りました。ですが頂いた1万5千石のうち、500石はお蔵入り(加藤家の取り分)
なのですな。」と言い出した。

清正「何を言っておる?蔵入りなどわしは取っておらぬぞ。」と言うと、善右衛門
「いいや、あります。知行所のうち、500石ほど、まるで物なりのない場所がありまする。
そう言うことであれば、残りがより物成りがなければこれをカバーできませぬ。
ですから、500石はお蔵入りだと申し上げたのです。」

これに清正はもっての他と怒った。まあこんな事言われれば怒るのも当然であろう。
善右衛門がそれでも口答えするのを、斉藤佐渡が脇から抑え、立たせて御前を立ち去らせた。
が、清正の怒りは収まらず、「善右衛門を切腹させよ!」と言い出した。
そこで斉藤とあと2人の計3人がその場で、切腹の検使として任命された。

しかし斉藤、清正に「善右衛門、粗忽な事を申し上げ、ご不快にさせましたが、
もし、今後反省し、もう一度ご奉公したいと言うようであれば、切腹を許されてはいかがでしょうか?」
と、言上した。
これに清正も、斉藤がそこまで言うのなら、善右衛門が反省した場合、切腹を許さない事もない、
などと、はっきりしないがそんな風に言った。

そこで斉藤たちは善右衛門の所に飛んで行き、「我々は殿より、お主の切腹させるための検使として来た。
だが、後悔し反省するのであれば、それを許すとの御意であるぞ。」と言えば、善右衛門も

「過分なるお心遣い、ありがとうございます。私も慮外な事を言おうと思って、言ったのではないのです。」

それを聞いて斉藤、「ざっと済みたり。切腹いたすには及ばないぞ。」と言う。斉藤に付いてきた残り二人の
検使は「え?それでいいの!?」と不満顔だが、ここでも斉藤、「じゃあ待ってろ、殿の意見聞いてくる」と
清正の所に行き、うまく取り繕ったので、清正から直々に善右衛門の許しを得た。切腹は無くなったわけだ。

…と、ここまでなら、同僚が同僚を助けるいい話なのだろうが、その晩、加藤善右衛門、
肥後から退転。しかもそのついでに、自分の知行所の庄屋の所に行き、態度が
気に入らなかったからと磔にした。

 何 故 逃 げ た ?

つーか、  何  故  殺  た  し  !  ?

そんな肥後加藤家のよく分からない悪い話。

256:人間七七四年
09/03/28 01:30:36 wB9Fsvzx
>>255
この逃げた加藤は主君と助けてくれた同僚に泥ぶっ掛けたわけだなw

この話で思い出すのは桶屋の家臣で数年連続で水害に悩まされても黙々と使え続けた武士
少しは見習えw


257:人間七七四年
09/03/28 02:12:25 PARl8v8r
だいすきなサケチュウさんへ。 「変身忍者 嵐」のしゅだいかで、かえうたをかんがえました。
こんどあえたら、いっしょにうたってくださいね。おからだをたいせつに。    もがみよしみつ より

♪1.きらめく稲妻  とどろく雷鳴  朝も荒らしっ  昼も荒らしっ  寝るまで荒らし~
ID変えて自演レス~  ときどきミスって自爆だクソッ! 
     俺は~ 荒らし~ 使命は荒らし~  変身忍者 鮭厨~ 見参!
♪2.うずまく竜巻  とどろく地鳴り  今日も荒らしっ  明日も荒らしっ  年中荒らし~
    憎い武将を貶める~  伊達に上杉、直江にその他!
     俺は~ 荒らし~ 隠れて荒らし~  変身忍者 鮭厨~ 見参!
♪3.ひらめく大刀  とどろくつば鳴り  今年も荒らしっ  来年も荒らしっ  死ぬまで荒らし~
    最上のスレを守り抜く~  アンチはニートだハロワへ行け!
     俺は~ 荒らし~ 正義の荒らし~  変身忍者 鮭厨~ 見参!
(繰り返し)サブカク~ シカク~ サ・ブ・カ・ク・シカク~  変身忍者 鮭厨~ 見参!

参考 : 変身忍者嵐 主題歌『嵐よ叫べ』
(うたをしらないひとは「変身忍者嵐OP」でググってみてね。どおががあったよ。)

258:人間七七四年
09/03/28 02:54:31 sAvVW1ox
>>255
知行地を見て、良くない土地があると言って土地の庄屋とまず一悶着

腹の虫が収まらないまま、知行くれた殿に会いいきなり嫌味

当然怒られるが、元よりおとなしく切腹する気などさらさらない

助け船が入ったのをいいことにその場は下手に出ておいて
隙を見て後脚で砂をかけるように逐電。
行き掛けの駄賃に庄屋に腹癒せ。

…という流れかね?
何というかリアルなdqn振りだなw
はりつけとかはないにしろ、こういう奴現代にも居そう


259:人間七七四年
09/03/28 03:03:22 sAvVW1ox
連投ごめん

>>252
サンクス。
豺(狼、山犬)のような声というのは良く通る声的な意味かな。


260:人間七七四年
09/03/28 09:50:20 5UAWxxAf
>>255
一方、福島家に仕えた忠臣は酒に酔った市松に切腹を(ry

261:人間七七四年
09/03/28 13:28:49 niWaemZg
>豺(狼、山犬)のような声

ワンワン、、、クゥ~ン

262:人間七七四年
09/03/28 16:51:42 /kZnzQSr
朝鮮陣の折、加藤清正は何故だか、自分の鎧を色々な人間に着せて、
その着こなしを批評するという、変な事をやっていたそうだ。

しかし着せる人間着せる人間、ろくに着こなしが出来ていない。
そりゃそうである。清正に合うよう作られた鎧が、そう簡単に他人に
着こなせるわけが無い。

ところが西郷壱岐と言う者が、かなり立派に着こなし、これを清正も大変に褒めたそうだ。
が、それでも

「やっぱり俺の着こなしの方が上だけどね」
と言うのを忘れなかったとか。

263:人間七七四年
09/03/28 17:03:44 tlgrSxCI
>>262
清正「万が一の時にはアイツに俺の鎧着せて突撃させよう」

264:人間七七四年
09/03/28 17:57:13 dorp/C+R
どう見ても影武者テストです。本当にありがとうございました

265:人間七七四年
09/03/28 19:29:58 DSunjfG4
>>248
名古屋ならぬ広島の女子高生かよ朱良範w

「いつでも中華ルール発動するしィー」

266:人間七七四年
09/03/28 22:55:41 eegw+1UD
>>230
寧々「なぜその一点が何箇所もあるんですか#(ビキビキ)」

267:人間七七四年
09/03/28 23:02:25 Pnhovj4y
ラスボス百裂拳

268:人間七七四年
09/03/28 23:20:06 La3KQz06
>>266
敵は一人じゃないからだね

269:人間七七四年
09/03/29 00:24:57 fngjhogB
まったく槍○ンな話だ

270:人間七七四年
09/03/29 01:13:36 vFMwXI7+
>>260
市松は何もできないから家臣も立派なのが揃ったけど
加藤家は清正が何でもやっちゃうから家臣が頼りない奴ばっか、て逸話よく見るけど
加藤家の方が飯田覚兵衛と森本義太夫を筆頭に日本中に鳴り響いた家臣が多い気がするんだけど。
実際どうだったかはわからないけど、ちょっと疑問。

271:人間七七四年
09/03/29 01:43:06 rejoZ3NT
何でも出来ちゃう人の下って一部の何でも出来ちゃう部下と言われたことこなすだけの部下になるんじゃね

こいつなら大丈夫!と思える一部には任せるだろし後は口出す、
で口出すからなかなか他の連中は成長しない、と

272:人間七七四年
09/03/29 01:49:40 9gklsidR
森本...清正が死んだ翌年死亡

飯田...主君はアレだわ、家臣団はオロオロしてるわ…やってられっかよ!!

273:人間七七四年
09/03/29 04:12:16 UqcX7RMr
幻の軍師

神子田正治という人物がいる。秀吉に請われてその配下となり、あの竹中半兵衛がその才能を見込み、
自分の後継者として秀吉に推薦したと言うほどの男である。
そう、半兵衛亡き後の秀吉の「軍師」とは、黒田勘兵衛ではなく、本来この
神子田半左衛門正治であったのだ。

だが、小牧長久手の合戦の折、尾張二重堀城の守備をまかされたが、織田信雄軍の襲来に
これを放棄、秀吉を怒らせた。
さらに正治が撤退戦の折、敵の首を一つ取っていた事も、秀吉の怒りを倍増させた。
「誰がお前に、そんな匹夫の功を立てろと言ったのか!」

この時正治は、秀吉に臆することなく申し開きをした。竹中半兵衛に認められたほどの知性であり、
おそらくは理路整然とした申し開きだったのであろう。しかし秀吉はこれを認めず、口論となり、
正治は所領を没収され、高野山に追放された。しかもそれだけでは秀吉の怒りは収まらず、
天正十三年(1585)には、その高野山すら追放され、諸国を放浪する事になった。

天正十五年(1587)、正治は九州征伐のため豊後におもむいた秀吉の下に、
帰参を申し出に現れたが、秀吉は許すことなく、彼に切腹を申し付けた。

切腹の時正治は、「私がこのようになる上は、秀吉にはもう、心に引っかかる事はあるまいよ。」
と、言ったそうだ。

秀吉はこの正治の首を、京の一条戻橋に晒した。『この者天下の大臆病者なり』との札を立てて。


神子田正治は秀吉草々の頃からの配下であり、おそらくは最も優秀な家臣の一人であっただろう。
それを秀吉は、何故ここまで憎んだのか?

そんな、幻の軍師のお話。

274:人間七七四年
09/03/29 05:15:22 EfFBvyzQ
臆病者ってのがわからないし何かあったんだろうね

275:人間七七四年
09/03/29 08:35:04 5GuNLQ/C
神子神子田正治! 神子神子田正治!
生麦 生米 神子神子田正治!!

神子神子田正治! 神子神子田正治!
蛙ピョコピョコ 神子神子田正治!!

神子神子田正治! 神子神子田正治!
セクシャルバイオレット 神子神子田正治!!

276:人間七七四年
09/03/29 09:25:16 70UAn1eY
この手にタイプにありがちなのは、
己の才気を鼻にかけて、傲慢になるパターンだよな。

277:人間七七四年
09/03/29 12:22:31 SlhsV2Pa
まぁ厳罰主義者だったんだろうね。
同じ家臣時代からの四大重臣の一人尾藤さんも勝ち戦で改易で帰参を懇願して処刑だし

278:人間七七四年
09/03/29 14:44:31 YCtA8wVP
半兵衛…策が成功すれば満足、武名が知られればラッキー

官兵衛…足萎えに大領あげたら天下取っちゃうんであげません

神子田…「こいつはくせぇー!!姦雄以下のニオイがプンプンするぜー!!」

とか

279:人間七七四年
09/03/29 14:57:32 vrqnWvsX
>>276
曹操と楊修の関係みたいだな。

280:人間七七四年
09/03/29 16:16:07 /jNiXJMz
単に兵に人気がなかったんだとおも>神子田
晩年はともかくとして、秀吉さんは兵とか民衆とかの人気をすげー気にする人だから。

281:人間七七四年
09/03/29 17:00:05 aH77NoXq
上杉謙信の所にいたとある人質の者が、家来一人を密かに城外に出す企みをした。

この時、この者の別の家来二人が口論を装い、そして刺し違えて死んだ。
そして検使を乞うて死骸二つを見せ、「今夜、番所から出します」と決めた。

その上で死体の一つを密かに埋めて隠し、外に出す家来を死体のように包んで、
本物の死体と共に、その夜、番所から出した。

だが、この時番兵が、「今日の一件の事は見聞きしておりますので、疑う事はありませんが、
作法ですので、今一度死体を確認させてください。」と言う。

死体を出す者達は一瞬戸惑ったものの、遺品などを色々見せ、番兵を納得させた。
そうしていよいよ城外に出す事となった。

この時、番兵が一言、
「ではこれも城から出す前の作法ですので、死体を槍で上から二回づつ突きます。」


この後どうなったかは、記録に無い。

282:人間七七四年
09/03/29 17:22:05 ToBVpv96
>>273
口先だけのセコイ奴に思えたんじゃないの?

283:人間七七四年
09/03/29 17:36:34 c616FHnA
前田家家臣奥村永福が末森城で妻共々奮戦した話は有名
が、実際の戦はこれで終わっていないのである

佐々成政軍は突出と後退を織り交ぜ前田軍に追撃の隙を与えなかった
前田軍は追撃に度々失敗し結局は佐々軍本隊を逃す大失態を演じている
逆に久世但馬守率いる一隊がかつての一向一揆の激戦地、鳥越城を奪取し前田軍の侵攻を阻んだのである
佐々成政は秀吉軍本隊接近であっさりと降伏したと思われがちだが実際は前田利家と泥沼の消耗戦を繰り広げていた
事実この鳥越城、数倍の前田軍相手に秀吉の富山仕置まで一年近く保ちこたえた
佐々成政降伏後、久世但馬守も開城して牢人となったが越前に入封した結城秀康の家臣となった
秀康死後に越前騒動(久世騒動)に名が残る事からも久世但馬守は有能であったようだ

前田家の文書では末森城以後富山仕置までの話はスルーされている
もちろん主な小説や大河ですらスルーされた
大藩加賀藩の藩祖が小勢に手こずった事実を隠すかの様に

勝者の歴史、その陰の話

284:人間七七四年
09/03/29 18:21:20 Rkh/mFwB
佐々軍はさっさと進軍したんだな。

285:人間七七四年
09/03/29 18:26:31 Su2M0lKK
前田に追撃されてりゃ当たり前だ

286:人間七七四年
09/03/29 18:34:56 YCtA8wVP
2発続けてコメントしにくいレス書くなよw

287:人間七七四年
09/03/29 18:56:39 kg5Ou1DT
川相さん帰りますよ(AAry

288:人間七七四年
09/03/29 19:35:01 hV3sgwva
>>287
井端乙

289:人間七七四年
09/03/29 20:47:32 JP2YucsG
>>280
鈴なりのゴンベは大失態やらかしたのに助けてるもんな

290:人間七七四年
09/03/29 21:07:52 b7MOuWon
>>273
小牧長久手の時ならラスボス化する前だからなんらかの理由がありそうだね

291:人間七七四年
09/03/29 21:27:58 FgasRb11
尾藤知宣も小牧・長久手でミスをしているから、ラスボス化は既にこの頃から始まっている
つまり、ラスボス化の原因は家康にあり!

292:人間七七四年
09/03/29 21:47:46 viJ9vOs3
ゴンちゃんの失敗は小牧長久手の後だよ

まぁ、ゴンちゃんは復帰のときに大活躍してるのが違うところか


293:人間七七四年
09/03/29 22:04:54 gUlrx5kH
帰参しようとするのが死亡フラグなのだな

294:人間七七四年
09/03/29 22:07:08 FgasRb11
>>292
彼の場合、家康を頼ったのが良かった

295:人間七七四年
09/03/29 22:37:02 X2mgIeGo
>>293
稲富「オレは生き残りました!」

296:人間七七四年
09/03/30 01:14:48 bHU9zXn9
終にキタ。小栗又一vs大久保彦左衛門

小栗又一と大久保彦左衛門の間に、人返し(逃亡した領民の返還)の事に付いて、
紛争が起こった事があった。

彦左衛門、「こんな事は使いを通して話し合いしても埒が明かぬ!小栗又一が
どれほどの武辺者だと言っても、あいつがかち割れない頭を持っている訳ではないだろう!」

と、殺る気満々で直接小栗に会いに行き、周りがドン引きするほど強硬で一方的な抗議をした。
これには流石の小栗又一も呆れ返り

「あんな理不尽な人間には合った事がない。」

と言ったそうだ。


さあ皆さんご一緒に。せーの、

 「 お 前 が ry 」


297:人間七七四年
09/03/30 01:24:36 vMSzUZm8
>>295
どっちの領民にもなりたくないw


298:人間七七四年
09/03/30 01:48:17 RoNR9puX
向こうで秀忠の話が出てたので、秀忠の(かなり)悪い話を。
忠興パパが(いつものように)忠利君にお手紙書いた。

「京で禁中のことを聞いたが、主上(後水尾天皇)や公家さん達も相当お困りみたいだな。
主上がお困りなのは、公家さん達の官位や、金銀などの財産が自由に出来ないことだそうだ。
更には(米や金銀の使い道がないから)人に利子をつけて貸し付けたりしているらしい
 (中略)
それからこれは裏事情だが、主上の側室方にお子がどれほど生まれても、
押し殺される、あるいは流産させられているということがある。
主上は酷くご無念に思われて、
「どれだけ子供が生まれても、秀忠の孫以外は帝の位にはつけないというのに
あまりに惨いことだ」と深くお嘆きになったそうだ。
これ以外にもまだあるのだが、口にするのを避けておられる・・・」

その後、主上は心痛のあまりか譲位なさったという陰惨な話。
秀忠、何やったんだ。

299:人間七七四年
09/03/30 02:29:19 EBgu/PYQ
秀忠怖ええ!

でも秀忠パパが厄介なモンを根こそぎ葬ったお陰で家光以降の幕府黄金期があるんだよな…

300:人間七七四年
09/03/30 09:56:27 Ey/6Um3V
>>298
そこで裏柳生ですよ

301:人間七七四年
09/03/30 11:05:16 mDep4GZ6
柳生一族の陰謀

302:人間七七四年
09/03/30 12:08:30 MmV9G53y
>>301
みだらな棒と書くのですね。

303:人間七七四年
09/03/30 12:13:20 Ow2nInOc
wikiでは、後水尾天皇、随分とお盛んな主上だったらしいが。
上皇になって、延々院政引いたんでしょ。

何十人もいたら、お手当大変だったから口減らしでは。

304:人間七七四年
09/03/30 12:14:44 iQLB173S
秀忠「おのれ、この俺が浮気もロクに出来ずに監視されて居るというのに…憎い!あの主上が憎い!!」

305:人間七七四年
09/03/30 12:32:30 +blJwTYw
>>304
ワロタw

306:人間七七四年
09/03/30 12:55:50 xAItUOLO
>>304
心の底から納得

307:人間七七四年
09/03/30 12:57:19 cc0VCz2g
wiki見たが何人こさえてんだよw
これ以上まだ産ませてたのか。

しかし子供を実際殺していたのは事実らしいな。
和子入内前に子供が出来ていたお与津は宮中追放されるは
以後和子の子である明正天皇に後水尾天皇が譲位するまで
和子以外の女性に子供はおらず
譲位後からまた他の女達にパコパコ産ませている。

308:人間七七四年
09/03/30 14:23:03 MmV9G53y
>>272
飯田かく兵衛さんて「あー(清正に)騙された騙された、戦場怖いし。
なぜか段々責任が重くなって辞めるに辞められんし。なんで俺ばっかり……ブツブツ……」
てツンデレの人だよね。めっちゃ加藤清正スキーだったんだろう   か?

309:人間七七四年
09/03/30 16:17:15 RloTKpAz
鬼武蔵は森蘭丸のことを「あいつはヘビでもカエルでも何でも食うから」という理由で「モズ」と呼んでいた
というのが昔読んだ本宮ひろしの「夢幻の如く」であったんだが、
作者のオリジナルにしては変な設定で、以降出なかった話だから
気になったのだが調べても出典がわからん…
果たして何らかの根拠がある話なのでしょうか

もしあるのなら蘭丸の(食い意地が)悪い話、という事で


310:人間七七四年
09/03/30 17:24:02 FBTJNNTJ
蛇神を食べたのは何処のどいt・・・・グギャッ

311:人間七七四年
09/03/30 18:20:44 ZTj98ARR
どう考えても食ってたのは兄のほうです。

312:人間七七四年
09/03/30 19:15:58 sR2fP006
さては食べ残しをそこらへんに突き刺しておく癖でもあったか。

313:人間七七四年
09/03/30 19:32:30 vMSzUZm8
>>304
妙に納得できる理由だなぁw

>>307
後水尾上皇は天皇家の徳川家斉というべき御仁
ただし、天皇家は財政援助してもらえたのに対して、将軍家は…w


314:人間七七四年
09/03/30 22:32:59 1kBkVmQw
小平太は見た

徳川家康と穴山梅雪が織田信長に、甲州平定のお礼として上京した折りの事。
もてなしを受ける家康は榊原康政を、信長へのご機嫌伺いに出した。

康政、邸内を移動しているとなにやら物騒な音。何事かと見れば、信長が頭をつかんで
ぶん殴っていた、接待役の光秀を。

どうやら信長、光秀の家老、斉藤利三を稲葉家に返せと言う命令を、光秀が聞かなかった事に
酷く腹を立てている模様。
しかし、その余りの振る舞いに光秀、涙を流して言う

「私をお取立てしていただいた、そのご恩は莫大でございますれば、どのような事をされても
逆心は抱きませぬ。しかし、これはあまりの事でございます。」

打ちひしがれた光秀に、近習の森蘭丸、この時十八歳は、いう

「日向守様?あなたは上様と君臣の間柄が非常に深く、上様もあなたには心安いから、
このような打擲もおやりになるのです。

ああ、何と羨ましいご奉公ぶりでしょう。」

こんな昼ドラも真っ青の修羅場を見てしまった小平太さん。本能寺まで、17日余り前の出来事であった。

315:人間七七四年
09/03/30 22:35:47 V4tUgARL
森蘭○「俺はノンケだってかまわないで食っちまう人間なんだぜ」

316:人間七七四年
09/03/30 22:46:24 OCdygckN
春日弾○「俺はノンケだってかまわないで食っちまう人間なんだぜ」

317:人間七七四年
09/03/30 22:51:25 mDep4GZ6
アッー!

318:人間七七四年
09/03/30 22:57:34 vMSzUZm8
直江兼○「俺も烏賊同文」

319:人間七七四年
09/03/30 22:58:38 2OENoOOe
小平太って見て真っ先に服部さんかと思った
何か見ちゃいけないもの見て連座したのかとw

320:人間七七四年
09/03/30 23:27:22 xCa3NKCN
なんて史料に記載されているのか、できれば教えてください

321:人間七七四年
09/03/30 23:39:56 ZcT+2Ad+
ウホッ…いいキンカン頭…

322:人間七七四年
09/03/31 00:11:12 22uZcYXF
>>320
314の元ネタは、「武功雑記」と言う本です。

323:人間七七四年
09/03/31 02:59:18 7CqPvvEl
・世の中にいらぬもの三つあり
 一つは堕落、一つは徳川、もう一つは女のわがままである
 by島津義久

324:人間七七四年
09/03/31 03:04:23 802R0DaV
>>323
DQN家久「一つは義久、一つは義弘、もう一つはry」


325:人間七七四年
09/03/31 03:56:37 UbcfFQU7
家久さま、そんなに正室さまがお嫌いですか?

326:人間七七四年
09/03/31 11:53:13 1TWdKsTr
日野富子「女の我儘なんて可愛いものじゃない」

327:人間七七四年
09/03/31 12:12:21 c1wGwmKC
秀吉が別所長治の三木城攻めの際のこと

帝釈山に明要寺という寺があった
この寺は、干し殺し真っ只中の秀吉軍をかいくぐり、なんとか
別所へ食料を運ぼうと頑張った毛利さんところの補給経路であった
秀吉はこの補給経路を絶つために、この寺を焼き討ちにし
多くの武装した僧侶は逃げ出し、谷に落ちて死んでいった
この寺には多くの侍童と稚児がいたのだが、これらはいのちからがら
山へ逃げた
しかし、秀吉の追手は執拗に追いかけてくる
とうとう追っ手に捕まり、ことごとく切り殺されてしまった

哀れに思った村人等によって稚児らの亡骸をこの山頂に葬って
墓に供える花を手折った東の峰を花折山と呼び
この山を稚子ヶ墓山と呼ぶようになったといわれている

因みに、今はハイキングコースとなっております

328:人間七七四年
09/03/31 12:41:44 NejBuK/b
補給路を徹底的に断て、という秀吉の厳命があったのだろう。

朝鮮の役の先触れのような印象。

329:人間七七四年
09/03/31 12:51:55 0jMHSCcZ
>>327
秀吉「逃げる奴は別所勢だ!抵抗する奴は訓練された別所勢だ!」

330:人間七七四年
09/03/31 12:58:36 Ssvkb5YE
「フハハ戦場は地獄だぜ」

331:人間七七四年
09/03/31 13:26:42 7WqgOoQD
>>309おちりに逸物を刺すから、では……汗アセ


332:人間七七四年
09/03/31 14:32:43 sLWw1TEs
円谷すぐにクビになりそうだな

333:人間七七四年
09/03/31 14:33:26 sLWw1TEs
ごめん、誤爆ですよ。

334:人間七七四年
09/03/31 14:36:30 VYoGmeQ2
誤爆か…
一日限定で森長可の部下になる
富田長繁と会食
太田康資と手合わせ
好きなのを選べ

335:人間七七四年
09/03/31 15:02:41 KvTT4z06
森さんかな・・・とにかく目立たず切り抜ける

336:人間七七四年
09/03/31 15:17:37 0JmGKkBc
>>309
まとめにこんな回答がっ

人間七七四年
百枚舌っていう意味でかもー
2009/03/31 Tue 00:23 URL [ Edit ]


337:人間七七四年
09/03/31 15:20:07 ZQNc0x+O
百枚の舌を持つ側近
神を食らう猛将
桃DQN

権力の中枢に置くにはなんという危険な一族だろうか

338:人間七七四年
09/03/31 17:25:17 yQvQVYmo
でも室町幕府初期はこの手の危険人物が普通に権力中枢にいるから困る。

339:人間七七四年
09/03/31 18:56:20 vYIgXPpS
同時に超優秀な武将だったり政治家だったり風流人だったりするからな>室町初期DQN三人衆

340:人間七七四年
09/03/31 19:29:15 7Nw3czyM
132 名前: 人間七七四年 投稿日: 2009/03/30(月) 11:32:54 ID:+blJwTYw
>>131
33巻?
そこは最上勢が小野寺の柳田城攻めで、
円通寺の剛勇にさんざんに最上側が悩まされたり、
鮭登の郎党が弟が傷を負ったのを見て周りの人々が治療すれば助かると見たが、
もうお前に生き甲斐ないよって言い放って弟の首を斬ったり、柳田城中の女童が逃げ隠れるのを追いかけ回して追詰め散々に切捨てたり、
女童を天井の梁に取り付けぶら下げ槍や熊手で引き落とし突殺。
女下部の老人が助け給えと手を合わせ泣き悲しむのを手足を縛り胴切り、衣装を剥ぎ取り裸にし仰向けに踏み返し、
腹を裂き首を切り笑いまくり阿鼻叫喚の言語に絶する悪逆。こんな感じで小城を撫で切り483人討ち取り。
さらに最上軍は10歳くらいの童男や童女の父母兄弟が目の前で殺され、走り倒れ泣き叫ぶのを拉致って、
雪の中を湯沢まで連れて行って柳田の兄弟の男子かどうか詮議すると言いながら、吟味を一切せずに全て虐殺。
この悪逆に「此人々の行末を見まほしや。」と嘆じる。
行く末は言うまでもなく最上兄弟争い死にまくった挙げ句に最上改易で当然の報いを受けた場面で奥羽永慶は筆を置いている。

最上の酷い話

341:人間七七四年
09/03/31 19:35:58 4PsSQr+r
最上屑だな

342:人間七七四年
09/03/31 19:36:32 IaO81+FE
天子に矢ぶっ放すからな。室町DQNは

343:人間七七四年
09/03/31 19:42:46 r537Rag7
奥州仕置を終えた豊臣秀吉
奥羽のうち、旧主改易となった地の検地に着手した
現地の人々には不安と不満が生じ、どうにも剣呑な空気となったらしい
案じた秀吉は、奉行の浅野長政達に命令を出した

「奥羽の国人・百姓には、よくよくわしの意を説いて、納得させるんだよ
もしそれでも従わずに抵抗したりしたら…
城持ちなら、その城に追い込んで、中にいるやつは皆殺しにするんだよ
百姓だったら、一郷でも二郷でも、丸ごと撫で斬りにするようにね
それでたとえ、土地が荒れ野原になったって構いやしないよ
とにかく、山の奥や漕ぎ出せるだけの海、すべてくまなく追求してください」

現場を思いやったとても細やかな指図をするラs…秀吉であった

344:人間七七四年
09/03/31 20:58:15 ZUTQjTDP
撫で斬りと聞いて森さんと伊達さんが仲間に入りたそうにじーっと見てます。
仲間にしますか?

345:人間七七四年
09/03/31 21:30:51 hOz5VM4a
撫で斬りには愛が無きゃいかんのじゃ

346:人間七七四年
09/03/31 22:13:50 yLpc/NZg
>>340
あー、念のため書いておくけど、その要約かなり無茶苦茶だぞ?
またも日本語が不自由な例の荒しだからまとめ管理人さん、ご配慮くだされW

347:人間七七四年
09/03/31 22:21:48 Lkl0DffM
紀州に浅野長晟がいた頃の事。

地侍に何某と言う、かつて功名の沙汰のあったものがいて、今は山中に住んでいた。
浅野家ではこの何某の武勇に期待し、扶持していたが、この男、いつしか武技の鍛錬を忘れ、
蓄財に励むようになった。他人にそれを指摘されると

「財貨あればいつでも、諸道具、人馬ともに集められるわ!」と、聞く耳を持たなかった。

さて、大阪の陣が起こる。この男公言していたように、財貨を散じて人馬、諸道具を求め、
ゆゆしい装いで出発した。ところか、道を進むにつれ一人減り二人減り、所詮金で集めた者達ゆえか、
戦場である大阪に着く頃には全員逐電し、残ったのは自分とその馬だけと言う有様になった。

何某、これでは働きも出来ず、かといって紀州に帰るのも面目ないと、そのまま
行方不明になったそうである。

武士たるもの、普段から武芸を鍛錬し武備を備えていないと、いざ事あったときに
役に立たないのですよ。というお話。

348:人間七七四年
09/04/01 00:04:42 S4T8ezI7
さすが最上厨都合が悪いと削除か

349:人間七七四年
09/04/01 00:44:47 m0xtgDBS
>>346
要約が無茶苦茶で例の荒しで配慮よろというのはいくらなんでも無精ではないか
346の思う正しい要約を書き込むべきではないか
時間がかかってしまい遅レスになるのがためらわれるならばそれこそまとめサイトを
活用しコメント欄にでも書き込めばいいのではないか
つまりカモン

350:人間七七四年
09/04/01 03:50:11 NSktuHhI
とりあえずコピペのままじゃダメだろ。

351:人間七七四年
09/04/01 08:22:01 nCoV0ppA
>>347
前田利家さんが耳が痛そうな顔しています

352:人間七七四年
09/04/01 15:13:03 BhBnApUf
>351
だから甥っ子が影武者なりって名乗ったり、氷風呂に入れたりして鍛え直したんだよ。感謝しなきゃ(棒

353:人間七七四年
09/04/01 16:20:50 99L9CO5B
大ぬる山

天正元年(1573)8月、刀根山に陣取った朝倉軍と、その麓の織田軍との対峙は続いていた。

ある日、信長は井楼に上がり
「敵は今夜引く。先陣の者たちは油断するな!」と使いをたびたび出して下地させた。
が、これを聞いた先陣の者達は

「殿は何を言っているんだ?敵は大軍、しかも地の利を得て、あまつさえこれは主力決戦だぞ。
こっちならともかく、敵が引くわけが無い。」皆そう言って、あまり気にしなかった。

信長は夜になっても井楼から降りず、敵陣をにらみ目も離さなかった。
丑の刻、信長の声が響いた、「敵は退くぞ!」

法螺貝を吹きたてさせると馬に乗り、「先陣の大ぬる山どもは油断して出遅れておるぞ!
旗本の者ども功名せよ!」と、真一文字に駆け出した。

はたして先陣の軍勢は遅れ、この戦、信長の旗本にて勝利を得た。
信長は味方でも怠っているものには、「大ぬる山」と呼んで笑っていたのだそうだ。

信長の、口の悪いお話。

354:人間七七四年
09/04/01 16:49:57 kFO7hSQ7
朝倉追撃戦での信長の戦況判断は神懸りとしか思えんわ^^;

355:人間七七四年
09/04/01 16:54:54 GeIsNbKR
この話
センゴクであったな

356:人間七七四年
09/04/01 17:16:44 0JP8hmse
>>353
信盛 「でも俺たちほどすばらしい家来は滅多にいないですぞ」

佐クマーNobumoriの(態度の)悪い話。

357:人間七七四年
09/04/01 22:22:32 ziYx9Ly1
>>353
ヒャッハー!富田長繁が陣に駆け込んできますた
でも前の日に前波吉継が駆け込んでいますた。

二人はとっても仲が悪かったキュアブラック

358:人間七七四年
09/04/02 00:30:27 uTC72lb+
信長の戦略眼の良い話な感じがするけど
この追撃と刀根坂の戦いで朝倉軍壊滅させてる訳だし

359:人間七七四年
09/04/02 01:29:39 hqB07q4t
小牧長久手でのことである。

その頃水野勝成は目を病み、兜をつけず頭に鉢巻をしていた。それを見た父、忠重は

「何だお前のその姿は。兜を小便壷にでもしたか!?」と、罵る。

これに勝成「父とは言えあんまりだ!こうなったら俺は今日の合戦、真っ先に駆けて
首を取るか取られるかの二つに一つだ!」と、馬にまたがり勝手に駆け出していった。
いつも思うのだが、水野勝成のスイッチの入りかたと言うのは、どこかおかしい。

なんでそうなるのかと、さすがに忠重も驚き、大田重助と言う者に追いかけさせて戻ってくるように言ったが、
勝成、頭に血が上って聞きゃしない。さらに一族の水野喜右衛門まで追いかけてきて
とにかく戻れというのに勝成、喫と睨んで

「畳の上の諫めなら聞くこともあるでしょう!が、只今大軍の中に駆け入り巧妙せんとする時!
止まれといわれて引き返す馬鹿があるか!」

と言い捨て秀次の将、白井備後守の陣に一人で突撃。兜首を取ってしまい、あまつさえこれが、
この日の一番首の手柄になってしまった。見事罵った父を見返してしまったのだ。軍令違反だけど。

こんな男が後年「全ての士に貴賎は無い。主君と言い、家来と言うが、互いに頼み、
憐れんでこそ、世の中と言うのは成り立つものなのだよ。」などと言うようになるのだから、
人間、どうなるか分からないものなのである。

360:人間七七四年
09/04/02 01:32:45 ip0lVo5p
親父もいきなりご挨拶なセリフ吐くなぁw

361:人間七七四年
09/04/02 02:29:03 Scs3qakZ
>>351-352
奥さんに銭に戦ってもらいなさいとか助言されたりもw

362:人間七七四年
09/04/02 02:54:31 N5j5ZRNm
>360
息子をみてスイッチ入ったんだろう。
なぜなら、彼(忠重)もまた水野な存在だからです。

363:人間七七四年
09/04/02 09:21:44 A5Dev0lM
>>359
勝成の華麗すぎる活躍を物凄くはしょると
・小牧長久手で一番槍→軍令違反で父と喧嘩、父の家臣を斬って出奔
・佐々成政にやっかいになる→成政切腹で出奔
・小西行長にやっかいになる→続かず出奔
・黒田如水にやっかいになる→出奔、何をやったか追っ手を差し向けられる
・立花宗茂にやっかいになる→宗茂の家臣と喧嘩、出奔
・三村親成にやっかいになる→茶坊主を斬って出奔
・三村親成のところに戻る→やっぱり出奔
・岐阜城攻め→ミミズを食ってみんなドン引き
・大坂夏の陣→大将にも関わらず、自ら槍を持って後藤又兵衛らを討ち取った
       大坂城に一番旗という大活躍

ほんの一部抜粋ですが、勝成さんは根っから人間味あふれるすばらしい
人格が備わっていたのだと思います

364:人間七七四年
09/04/02 09:27:56 vKXXLHRV
息子がそんなんじゃ将として示しがつかんから叱って当然だろ。

ただ『兜はどうした?ここは戦場だぞ!』と言えば良いところを軽く皮肉ったせいで、恐らく周りの兵から鼻で笑われて
勝成は辱められたと思いヤケになって…で膨んでいったと思われ



365:人間七七四年
09/04/02 09:38:36 1pvNVXZD
>>363 並べられると
相性良さそうに見えるのは佐々だけだな

366:人間七七四年
09/04/02 10:01:23 NM39+Zwn
2ちゃんにもよくいるだろ、何を言うにも煽りを入れないと気がすまない奴
忠重もそれの類だったんだよ

367:人間七七四年
09/04/02 10:08:02 vKXXLHRV
>>363秀吉に仕えてた時代を忘れてもらっちゃ困るぜよ



368:人間七七四年
09/04/02 10:13:21 l7HiL+RA
島原にも出てないっけ?

369:人間七七四年
09/04/02 10:29:22 pDT+iW4r
島原ではなぜか一族揃って出陣してた

370:人間七七四年
09/04/02 10:30:49 vKXXLHRV
>>363
てか勝成厨で勝成研究本を四・五冊持ってる俺が立花宗茂の所にいたなんて初めて聞いたんだが…。
確か天草一揆の時、小西の所から兵糧を輸送するのにお使いで寄ったくらいだと思ったんだけど

そう言う説もあるんなら是非出所を教えてくれ、今後の糧にする


371:人間七七四年
09/04/02 11:02:32 vVwQNOBp
>>186 携帯から失礼。
スレ違いを承知で書くが、これと似た話が中国にある。もっともこちらはちょっとイイ話。

宋の大祖 趙キョウ胤が後周に将軍として仕えていた頃の話。
無類の酒好きの趙キョウ胤、王宮に出仕している時にどーしても酒が飲みたくなった。
そこで宮中の酒倉に行き、そこの番人に「ちょいと酒を分けてくんない?」と言った。
するとその番人、「少々お待ち下さい…」と言うと、自分の懐から財布を取り出して使いの者に酒を買いに行かせ、
「ここにあるのは宮中で使う酒ですので、私がそれを管理している以上、勝手に差し上げる訳にはまいりません。しかしこの酒は私が個人的に買った酒ですので、飲むならこれを飲んで下さい」
と言って買ってきた酒を趙キョウ胤に渡した。
これを聞いた趙キョウ胤、「たかが酒倉の番人だが、公私をわきまえた立派な奴だ。憶えておこう」

この番人の名を曹彬といい、後に趙キョウ胤の最も信頼する大将軍となった。


372:人間七七四年
09/04/02 11:37:53 MGE5lSlW
勝成さんは家康の命で諸国の情報を得てたんじゃないかな?

>>371
こちらへドゾー
戦国ちょっといい話8
スレリンク(sengoku板)

373:人間七七四年
09/04/02 12:44:51 A5Dev0lM
>>370
ソースとな
「血槍三代」じゃw

374:人間七七四年
09/04/02 18:37:26 ip0lVo5p
忠重って死んだ原因も酒が絡んでの口論なんだよなw

毒舌が過ぎたんだろうか。

375:人間七七四年
09/04/02 18:45:38 xtGasogd
関ヶ原合戦後、長宗我部盛親は沙汰を受けるため、供廻りだけで上方へ赴いた
しかし、盛親はそのまま留め置かれ、代わりに土佐にきたのは知行没収を伝える使者だった
この処置に憤激した一領具足ら数百、浦戸城引渡しを阻止しようと籠城の挙に出た
「浦戸一揆」の勃発である

ただ、正規の武士ではない一領具足では、城を乗っ取ることはできない
そこで、彼らは重臣の一人を総大将に担ぎ上げた
武勇で名高い桑名弥次兵衛吉成である

が、吉成、実は恭順派の人物だった
彼だけでなく、重臣達は盛親の身を案じ、また世の趨勢を見て反抗の虚しさを悟っていた
吉成は城内に味方を作り、城外の恭順派軍勢に呼応させた
総大将が内通者という前代未聞の状態、籠城側に勝ち目はない
数百の一揆勢はことごとく斬り捨てられ、浦戸城は解放された

376:人間七七四年
09/04/02 20:32:01 tQTsm0rq
一領具足たちの見る目のない話、か

377:人間七七四年
09/04/02 23:30:13 3ueNsgHk
それぞれ主君を思って行動したってのがまた・・・

378:人間七七四年
09/04/02 23:39:28 hqB07q4t
湯浅常山、憤る。

「常山紀談」を著した湯浅常山。彼はその著書の中で、こんな事を言っている。

『つーかさ、甲陽軍鑑って、信玄に都合の悪い事を隠し過ぎだよねー。
例えば同じ合戦でも、北条五代記には「氏康夜討ちして甲州の兵敗北し。
八幡と書かれた武田の軍旗を捨てて逃げた」って書いてあるのに、甲陽軍鑑じゃ
「この旗は波にさらわれて無くした」なんて書かれてるんだよ?

北条五代記に書かれてる事が間違っているとしてもさ、高波に旗を取られたって、
どこに陣を敷いたかすらわかってないじゃん!』

尾瀬甫庵の「信長記」や「太閤記」は、案外素直に受け入れてるのに、甲陽軍鑑には
妙に厳しい常山先生なのであった。

379:人間七七四年
09/04/03 05:26:21 XuyjypDR
もともと長曽我部は東軍につくはずだったのにどういうわけか西軍に…
大阪の陣の話を聞くと勇ましい印象を受けるが実際は戦の経験が乏しい凡将

380:人間七七四年
09/04/03 07:38:36 rhSwgrUF
東軍に付くつもりが西軍に・・・なんて人達多いけどな。

381:人間七七四年
09/04/03 08:50:23 JHO0Z5Pn

>>373 …。

382:人間七七四年
09/04/03 09:07:01 6vwyKgVp
>>379
どったの急に

383:人間七七四年
09/04/03 09:07:06 N7tvMZBy
>>380
そのあたり、ホントかどうかって気がする。

経緯はどうあれ西軍についた者達が、実は違うんだ、大権現さまに逆らうつもりは
なかったんだよといいたいための話なんじゃないかなあと。

384:人間七七四年
09/04/03 10:54:23 /BAiEoiZ
そこいくと、中身の真偽はどうあれ、
取り敢えず権現殿に宣戦布告した誰かさんはいっそ清々しいな。

385:人間七七四年
09/04/03 11:49:24 SDY6PbGA
>>384アントキノ景勝兼続タッグか


386:人間七七四年
09/04/03 14:15:18 5GwI3JUW
120万を30万にした収容の匠

387:人間七七四年
09/04/03 14:37:29 luwcxnEo
なんということでしょう。
120万石もあった石高が匠の業でこれだけのスペースに
家臣を解雇せずに恩を着せる気配りはさすがに匠です

388:人間七七四年
09/04/03 14:54:59 ajnIRBWi
なんと今ならさらに半分の15万石に!

389:人間七七四年
09/04/03 16:25:27 9KDdcSc0
なんというテレフォンショッピングwww

390:人間七七四年
09/04/03 16:27:12 Jda38p5b
黒田如水、長政親子が豊前を与えられ、国内の国人一揆と戦っていた頃の事。

黒田親子が馬の丘と言う城にいたとき、城下に一揆軍が押し寄せた。黒田長政この時16歳。
一揆勢を蹴散らそうと近習を引き連れ飛び出した。如水は「やめとけ」と言ってた。

長政が出てくると一揆勢は撤退。これを追いかけ山中に入る。はい、もう解りましたね?罠です。
長政君、まんまとひっかかりました。
山中の深くに入った所で一揆勢、岩陰から一斉に現れる。真っ先に進んでいた黒田方の大野小弁、
一揆に取り囲まれ馬から突き落とされた!
これを見た後藤又兵衛、小河伝右衛門、久野四兵衛、馬の首を引き返し逃げる。長政を置いて。

長政、すっかり取り囲まれた。一揆はそこら変中の木陰や岩陰からワラワラ沸いてくる。
もうデッドライジングでゾンビがフィーバーしている状態である。長政は円形の陣を引いてじりじりと
退却するが、一揆は竹の鏃の矢を、雨のように降り注がせる。「狩場の鹿か俺達は!」

あまりの屈辱に長政、馬から下りて討ち死にしようとする色が見えたので、近習が必死になって抑える。
が、長政の馬が一揆の矢に当たり終に斃れ、一揆の接近を見て「もうここで自害する!」と叫んだ。
菅政利が「私の馬にお乗りください!」と言うも、そんなこと聞かずにすでに帯を解き始めている。
もう死ぬ事しか頭にないのだ。

その時三宅三太夫が走り寄り、「ここは大将が自害するような場所じゃないでしょ!」と、長政を
片手で持ち上げ、そのまま馬に乗り引き退いた。
菅はその馬の尻がいの所に手をかけ少しも離れず、木屋兵右衛門は長政の槍を持って
後に続いた。

三宅を中心として50人ほどが、円形の陣を保ったまま二里ほど逃げれば、そのあたりで一揆も
追うのをあきらめた。長政主従、どうにか危機を脱出したのだ。

この時後藤又兵衛、錯乱してお気に入りの、猩々緋の羽織を脱ぎ捨てて逃げていたらしい。
追いついた長政達が引き下がっている最中その羽織を見つけ、又兵衛に返してあげた。

ちなみに櫓より長政の敗戦を見ていた如水、大笑いしたそうだ。「だから言ったのに。」
しかし傍の者たちが「御加勢を!」と口々に言うのを、「円陣を保っているし、長政だから
大丈夫だろ。」と、ほって置いたとか。変な所で子を信頼もしている如水なのであった。

391:人間七七四年
09/04/03 16:54:50 3OFMjjNZ
>>384
なんか謝罪に上洛したときもその主従はまったく悪怯れた様子がなかったらしいな。
関ケ原後も妙に反抗的とも取れそうな態度の逸話ばっかだし。

392:人間七七四年
09/04/03 17:16:01 x603YNH4
>>390

城井の宇都宮鎮房を征討に行ったときの話でしょうか?
鎮房のゲリラ戦術に散々やられたけど、中津城での仕返しの騙し討ちも
戦国ながらなかなかの汚さでした。

393:人間七七四年
09/04/03 19:47:35 cCww3JpT
敗北の苦味を教えておいてやろう、という如水のスパルタ教育に見えてしまうのだが

394:人間七七四年
09/04/03 20:22:23 QU4jmRIX
官兵衛「流石オレの息子、300でも大丈夫」
又兵衛「ああ!『スパルタ』教育だけに」
太兵衛「プゲラwww」

395:人間七七四年
09/04/03 20:40:28 Qud/eZLJ
実に黒田家なノリで大変よろしい

396:人間七七四年
09/04/03 21:05:00 g/xc/rZc
ファランクス見たいな密集陣形が日本に無かったのはなんでだろ?

397:人間七七四年
09/04/03 21:05:42 2JHRkGji
>>393
そのわりに後々になっても「突撃してくる前衛を100騎も潰せばその中に長政がいる」って言われてるわけですが

398:人間七七四年
09/04/03 21:47:47 /zar2ggW
>>396
密集陣形は機動性が最悪なので、多様な地形の日本では役立たず
それに個人の戦功を重視するので、その点でも適合しない

399:人間七七四年
09/04/03 22:04:24 rhSwgrUF
>>396
戦場の最前線ならそりゃ密集隊形だよ。
合戦絵図とか見ても、基本密集してるじゃない。
槍の長さの逸話も、密集して使用するから出てくるわけだしね。
ただ日本だと、平坦な場所が少なく防衛側が急峻な地形や城に拠る等、
開けた場所での大規模な野戦が必然的に少なくなるから、
マケドニアファランクスに代表される広大な平地での運用を想定した、大規模な密集隊形が発展しなかっただけ。

400:人間七七四年
09/04/03 22:32:58 cT7NhgJ9
>>392
いや、やり方自体はオーソドックスでそう誉めたものじゃないだろ
城井を時勢が読めなすぎるなんて貶す奴もいるけど
思うにあれは自分が軍勢を率いて城を空ければ城井は油断して動くはずという如水の読み勝ち
若干二十歳で一度は完敗した相手を見事に仕留めた長政の器量勝ちだね

401:人間七七四年
09/04/03 22:36:08 cT7NhgJ9
ごめんここ悪い話スレだったのね

402:人間七七四年
09/04/04 00:48:25 HorkhVF0
文禄2年(1593)1月、碧蹄館の戦いの時のこと。

宇喜多秀家の家臣、国富源右衛門は手柄になりそうな敵を物色していたが、
ついに豪華な鎧を着た明兵に遭遇した。

源右衛門は太刀で三度まで明兵に斬りつけたが、相手の鎧が硬いのか、
それとも源右衛門の腕が悪いのか、三度とも弾き返されてしまった。
「よろしい、ならば格闘だ。」
あきらめた源右衛門、太刀を投げ捨てると素手で飛びかかり、組打ちを挑んだ。

・・・功夫の国の人に。
明兵「私は一向に構わんッッ!!」

たちまち源右衛門は押さえ込まれ、マウントポジションを取られた。
必死ではね返そうとするも、岩にのしかかられたようで、ビクともしない。
なんとか脇差を抜いて突いたが、これも鎧にはね返された。

結局、源右衛門は状況に気づいた味方の手で、やっと救われたという。
何がしたかったんだ、源右衛門。

というか、この後に数十人がかりでようやく討ち取った、マヂで某海なんとかいう名前
だったであろう明兵のスゴイ話かも知れない。

403:人間七七四年
09/04/04 00:50:59 GxmcyZHn
いわゆる槍衾って、小規模だけど普通に密集陣形だよな

404:人間七七四年
09/04/04 01:19:58 Ulo5uGPQ
黒田長政がある時人に語った事に

「自分は十四の齢より今に至るまで、抜群の功績を立てたことが多いのに、
自分が大功のある黒田如水の息子であるばかりに、この親と比べられて自分の功は目立たず、
人もこれを称えてくれない。

それなのに浅野幸長は、軍功のない浅野長政の息子のなので、それと比べて目立つものだから
ちょっとした功でも、それがあるたびに人はこれを称えている。

不公平だ!」

と、不満をもらしたと言う。
この発言を、後、湯浅常山は『これって暴言みたいに聞こえるけど、実際
そう言うことだったんじゃないの?』と、ぶっちゃけてたりするw

405:人間七七四年
09/04/04 01:38:22 jFH4Ceqn
「男は一生 父とたたかう」

406:人間七七四年
09/04/04 02:06:36 F6ZHWCua
>軍功のない浅野長政

流石にこれは酷い

407:人間七七四年
09/04/04 02:11:13 HooAxe59
>>404


536 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね :2009/04/04(土) 01:16:47 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】よろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】スレリンク(sengoku板)
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓
黒田長政がある時人に語った事に

「自分は十四の齢より今に至るまで、抜群の功績を立てたことが多いのに、
自分が大功のある黒田如水の息子であるばかりに、この親と比べられて自分の功は目立たず、
人もこれを称えてくれない。

それなのに浅野幸長は、軍功のない浅野長政の息子のなので、それと比べて目立つものだから
ちょっとした功でも、それがあるたびに人はこれを称えている。

不公平だ!」

と、不満をもらしたと言う。
この発言を、後、湯浅常山は『これって暴言みたいに聞こえるけど、実際
そう言うことだったんじゃないの?』と、ぶっちゃけてたりするw


408:代理
09/04/04 03:59:11 HooAxe59
>>390


296 :長いので2つに分けています。後で繋げて下さい :2009/04/03(金) 16:10:22 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】長文ですがよろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】スレリンク(sengoku板)
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓

黒田如水、長政親子が豊前を与えられ、国内の国人一揆と戦っていた頃の事。

黒田親子が馬の丘と言う城にいたとき、城下に一揆軍が押し寄せた。黒田長政この時16歳。
一揆勢を蹴散らそうと近習を引き連れ飛び出した。如水は「やめとけ」と言ってた。

長政が出てくると一揆勢は撤退。これを追いかけ山中に入る。はい、もう解りましたね?罠です。
長政君、まんまとひっかかりました。
山中の深くに入った所で一揆勢、岩陰から一斉に現れる。真っ先に進んでいた黒田方の大野小弁、
一揆に取り囲まれ馬から突き落とされた!
これを見た後藤又兵衛、小河伝右衛門、久野四兵衛、馬の首を引き返し逃げる。長政を置いて。

長政、すっかり取り囲まれた。一揆はそこら変中の木陰や岩陰からワラワラ沸いてくる。
もうデッドライジングでゾンビがフィーバーしている状態である。長政は円形の陣を引いてじりじりと
退却するが、一揆は竹の鏃の矢を、雨のように降り注がせる。「狩場の鹿か俺達は!」

あまりの屈辱に長政、馬から下りて討ち死にしようとする色が見えたので、近習が必死になって抑える。
が、長政の馬が一揆の矢に当たり終に斃れ、一揆の接近を見て「もうここで自害する!」と叫んだ。
菅政利が「私の馬にお乗りください!」と言うも、そんなこと聞かずにすでに帯を解き始めている。
もう死ぬ事しか頭にないのだ。



409:代理
09/04/04 04:00:58 HooAxe59


297 :>>296の続きです :2009/04/03(金) 16:11:24 発信元:218.133.160.74

その時三宅三太夫が走り寄り、「ここは大将が自害するような場所じゃないでしょ!」と、長政を
片手で持ち上げ、そのまま馬に乗り引き退いた。
菅はその馬の尻がいの所に手をかけ少しも離れず、木屋兵右衛門は長政の槍を持って
後に続いた。

三宅を中心として50人ほどが、円形の陣を保ったまま二里ほど逃げれば、そのあたりで一揆も
追うのをあきらめた。長政主従、どうにか危機を脱出したのだ。

この時後藤又兵衛、錯乱してお気に入りの、猩々緋の羽織を脱ぎ捨てて逃げていたらしい。
追いついた長政達が引き下がっている最中その羽織を見つけ、又兵衛に返してあげた。

ちなみに櫓より長政の敗戦を見ていた如水、大笑いしたそうだ。「だから言ったのに。」
しかし傍の者たちが「御加勢を!」と口々に言うのを、「円陣を保っているし、長政だから
大丈夫だろ。」と、ほって置いたとか。変な所で子を信頼もしている如水なのであった。



410:代理
09/04/04 04:39:36 HooAxe59
>>378


133 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね :2009/04/02(木) 22:42:58 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】よろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】スレリンク(sengoku板)
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓
湯浅常山、憤る。

「常山紀談」を著した湯浅常山。彼はその著書の中で、こんな事を言っている。

『つーかさ、甲陽軍鑑って、信玄に都合の悪い事を隠し過ぎだよねー。
例えば同じ合戦でも、北条五代記には「氏康夜討ちして甲州の兵敗北し。
八幡と書かれた武田の軍旗を捨てて逃げた」って書いてあるのに、甲陽軍鑑じゃ
「この旗は波にさらわれて無くした」なんて書かれてるんだよ?

北条五代記に書かれてる事が間違っているとしてもさ、高波に旗を取られたって、
どこに陣を敷いたかすらわかってないじゃん!』

尾瀬甫庵の「信長記」や「太閤記」は、案外素直に受け入れてるのに、甲陽軍鑑には
妙に厳しい常山先生なのであった。

411:人間七七四年
09/04/04 07:44:56 V6gBjUei
>>407-410
何これ?

412:人間七七四年
09/04/04 07:59:57 B6CiEN5C
>>411
規制された人が他の人に書き込み依頼をした

413:人間七七四年
09/04/04 08:51:30 V6gBjUei
>>412
いや、内容おんなじだからわざわざ依頼する必要も受けても書き込む必要もないよなー
ってオモタ

414:人間七七四年
09/04/04 09:36:32 wVTFJnCO
よその板のことなんでよくわからんけど代理書き込みであることを明示するルールでもあるんじゃね

415:人間七七四年
09/04/04 10:21:08 qb+Xy3dv
規制の少ないシベ超板に代理投稿を依頼するスレがあるんだよ
>>378,390,404はそこでの依頼によって代理人が書いたわけ

んでその依頼レスをコピペして依頼対象のスレに貼ってる人間がいると
…あとはわかりますね?

416:人間七七四年
09/04/04 10:44:50 wVTFJnCO
よその板の常駐スレで同じようなことしてる奴見たわ
要はシベ超板のそのスレをターゲットにして意味不明な行動をしてるのがいるってことか

417:人間七七四年
09/04/04 11:36:56 QlGJsGE2
>>402
そんなに強いなら討ち取られる前に逃げろよ明兵w

418:人間七七四年
09/04/04 11:48:22 7RIE2f+U
>>394-395
そんなだから倅がよけい粘着質な根に持つ気質になったんでしょうがw

まさに悪い話

419:人間七七四年
09/04/04 11:48:42 Zes1NvrU
自分の国の人間にも弱いって言われる明兵だがそんな人もいたんだなぁ
名が残ってないのが残念だがあっちにはそんな風習ないか?

420:人間七七四年
09/04/04 11:52:43 AXYV0vGI
しかし明軍は逆に刀となると弱かった。
中国の刀剣は剣は漢くらいでもう下火、刀も明となると長柄中心で
誰も使わないようなものになっていた。
『水滸伝』を読めばわかるけど、宋でもうハンマーや棍(狼牙棒)といった打撃系や
槍が圧倒的に多かったのね。
そもそも中国刀剣は切れ味がイマイチ。剣はとくにペナペナで、
刺突中心だから実践ではほんとうに弱い。レイピアをもっとへろへろにしたようなもん。
武侠映画ではよく使われているが、あれはあくまでフィクションである。

倭寇で日本刀のきれあじをまざまざと見せられた明軍はびびった。
なにせ日本人ときたら人間をまっこう唐竹割にするんである。
しかも水戦となれば接近戦で槍も遣いにくい。
明の名将・戚継光は偶然入手した影流の書物をひそかにまとめ、
倭刀術として採用した。ビギナーメニューなので、たとえば
「刀が抜けないときは、互いに向き合って相手に抜いてもらおう」
なんて書いてある。さらにいえば、南派の拳を主体としたカンフーも
戚継光が源流にあるそうな。彼は火縄術の技も日本軍から学んだという。

日中武芸交流も、この頃が盛んなんである。
中国映画やドラマにも結構柳生や武蔵は出てくるし、
ブルース・リー、ジミー・ウォング映画なんかもだが
なんだかんだで中国はかなり日本の武術を意識してますなあ。

421:人間七七四年
09/04/04 11:54:15 rPUVrXaz
どんだけ凄くても討たれたら恥とかなのかな

422:人間七七四年
09/04/04 11:56:36 jfj7LHGd

フロイス

暴君関白の九州入りを前にして薩摩の殿、博多を前にして岩屋城で立ち往生。
そこで伊集院某、おそらく忠棟殿が長崎の当イエズス会宛に手紙を書いてきました。

「お前ら、すぐにでも岩屋城前に火薬、弾、ありったけの大砲を持ってまいれ、それから腕の良い砲手も
忘れずにね。さもなくば、九州を制圧後、お前ら全てをこっから叩きだすからな!」

別の時には
「秀吉のとこにうちの使いのもんが行ってるから、面倒をよく見とけよ」
「なんだ使者の取り次ぎとか面倒、怠ってるじゃないか、おぼえとけよ!」
「長崎はもう島津のもんだからな、権益は当家で独占する。
南蛮船は今まで通りお宝満載させて来るならくるしゅうないぞ。」

ホント、かってな人たちです。

ところが下関には、受洗した心正しき黒田孝高の部隊がやって来ていることを
私どもは存じ上げておりましたからね、
ま、島津殿らを怒らせないようにノラリクラリですわ。



423:人間七七四年
09/04/04 11:57:06 vtzpTyZT
豪華な鎧を着てた位だから一角の武将ではあったんだろうに

424:人間七七四年
09/04/04 12:03:01 Zes1NvrU
鎧の性能が上がってくると打撃系が使われるのが当たり前
むしろ槍の柄どころかかち合った剣や盾、騎兵の鐙ごと両断する日本刀のほうがおかしい

425:人間七七四年
09/04/04 12:33:23 0uFjOFfF
>>422
当時の手紙って、わりとみんな好き勝手なこと書いてるよなw
ご立派なのは形式ばったものくらいで

426:人間七七四年
09/04/04 12:44:05 xGJZ1NGY
>>424

何かの番組で日本刀で銃弾を斬れるのかやっていたけど
立てて設置して置いた日本刀の刃に向かって銃を何発もぶっ放したら
見事に全ての弾丸を切り裂いたらしいからねw


427:人間七七四年
09/04/04 12:49:10 +laRd7Yx
でもあれは柔らかい鉛弾で別に包丁とかでも再現できるとか聞いた

428:人間七七四年
09/04/04 12:52:59 Zes1NvrU
あれはナイフでも出来るけどな
回転してるとはいえ要は鉛だし
装甲貫くマシンガンの弾斬ったのはビビッたけど

429:人間七七四年
09/04/04 12:53:25 auh+NNjs
URLリンク(www.google.co.jp)

このネタも懐かしいな。

430:人間七七四年
09/04/04 13:25:29 AnNZtVR+
その明の軍人、兵じゃなくて、武科挙を通ったが、若くて史書に載るほどの事績のない高級将校かもね。

431:人間七七四年
09/04/04 15:03:10 3XERwTku
>>426
あれの元ネタは80年代のGUN誌。
カスタムナイフ(ほとんどがアメリカ製)を万力で固定して
銃で撃ち、弾丸を両断して刃こぼれひとつしないって様子
を高速度カメラで撮影したのを巻頭で幾度も紹介してた。
今月はラブレス、来月はランドールってな具合に。

432:人間七七四年
09/04/04 15:06:25 cASyV7Tq
>>424
日本にも最上義光や真壁氏幹のように棒を使った武将がいる。
弁慶の七つ道具にも槌が含まれているから打撃系も結構使われていたのかな。

433:人間七七四年
09/04/04 16:21:39 0uFjOFfF
天正七年、織田信長は浄土宗と法華宗の宗論を安土城下で行わせた
世に言う安土宗論である

菅屋「いよいよ世紀の対決が始まりました。私、グランプリ奉行の菅屋長頼です。
   さて、浄土代表は玉念。彼は関東からの流れ説法者ですね。
   対する法華側は京の高僧ぞろい…これは法華の有利が予想されます」
因果「いえ、ディベートは浄土宗が押してますよ」
菅屋「あ、副判者の因果居士さん…でも、玉念は言に困っているようですが?」
因果「そんなことありません。あれはコレコレシカジカってことで、浄土側の圧勝なんです」
菅屋「…えーと、そうなんでしょうか。判者の景秀さん、どうなんでしょう?」
景秀「……」
菅屋「おや、音声が…景秀さん!景秀さーん!」
景秀「……」
因果「ああ、駄目ですよ。景秀さんはご高齢で耳が遠いんです。耳元でゆっくり話さないと」
菅屋「…それって、この討論は聞こえてるんでしょうか?」
因果「どうでしょうね、聞こえてないんじゃないでしょうか」
菅屋「……」
玉念「ええいっ、勝った!わしの勝ち!」
菅屋「あーっと?ここで玉念、掟破りの勝利宣言!…あ!これに煽動された群集が法華僧に襲いかかっています!」
因果「これはどう見ても浄土側の圧勝ですね」
菅屋「えー…実に予想外な結末となってしまいました。以上、安土城下よりお伝えいたしました」

その後、信長は玉念に褒美を与えた上、法華側の関係者を処刑した

434:人間七七四年
09/04/04 17:15:58 TryOowGK
>>432
最上義光の棒はあくまで指揮棒だからな
実物残ってるけどあれで武装した人間は撲殺できないよ

435:人間七七四年
09/04/04 18:33:07 NVbpOeR8
>>433
牛一さんが記録残してくれてるのに経過はしょって信長の悪い話にすんな

URLリンク(ja.wikipedia.org)

論争フッかけといて負けた上にリベンジもできない

法華側の主張通り信長の八百長だって言うんなら
(判者の耳が悪いという記述は法華関係者の記録にしかない)
弱い者には噛み付くクセに信長には逆らえない法華宗の悪い話だろ

436:人間七七四年
09/04/04 19:52:23 3zucUYk4
>>432
時代がちょいずれるけど、農村の「棒の手」は打撃系なのかね

437:人間七七四年
09/04/04 20:31:57 chOFbbvz
>>433
さて、その法華宗、事が終わった後、今後他の宗派を非難しない旨を記した誓紙を出させられた。
問題は誓紙を出した後。
その文面には「争論に負け申し候」の一文があったのだが、後に法華宗の人々、他にも言葉がいくらでもあったもののよりにもよって「負」と書いてしまったのは失敗であったといたく後悔したのであった。
また、法華宗の往生際の悪さを聞き知った人々は、後々まで笑いものにしたそうな。

法華宗の(往生際と外聞の)悪いお話。

438:人間七七四年
09/04/04 20:35:28 8ZqhiiS5
信長は従順な勢力に対しては割と融通無碍な男だよな。

比叡山焼討ちの際は、先立って延暦寺永年の宿敵である園城寺の僧に
「山門腐敗し杉」的なアジ演説をさせて花(?)を持たせたりしている。

439:人間七七四年
09/04/04 21:27:24 mDe2hy5w
天正13年(1585年)、キリシタン大名高山右近は
摂津高槻から播磨明石へと転封となった。
「ア・イ・ツがやってくる!」
高槻での徹底したキリスト教政策は
すでに有名になっており、明石の寺社勢力は大混乱に陥った。
僧侶たち「俺らは確実にや・ら・れ・る!」
実際、右近は赴任するとビシバシ寺社を弾圧し
モリモリとキリスト教を布教し始めたのだった。
僧侶たち「このままではいかん!」
意を決した僧侶たち、ありがたい仏像を船に乗せ
はるばる大坂まで直談判に訪れた。
秀吉「右近は殿様なんだから、好き勝手してもOK。訴えは却下」
僧侶たち「・・・へ?」
秀吉の機嫌が悪かったのか、僧侶たちのプレゼンがしょぼかったのか
訴えを退けられただけでなく、運んできた仏像は没収となり
僧侶たちも明石から追放となってしまった。

高山右近の明石統治はわずか2年ほどで終わるが
それでも新規信者2千人を開拓してたという。

440:人間七七四年
09/04/04 21:41:16 9eADTT4Z
基本気に入られてないわけじゃなかったからなぁ

441:人間七七四年
09/04/05 00:40:24 WZ02yvD1
とりあえず仏像が右近の魔の手から逃れただけえも良しとするべき

442:人間七七四年
09/04/05 01:21:37 64QUSfV9
キリシタンもキリシタンだが、ボウズもボウズだからなあ、この時代w
どちらにも肩入れできん

443:人間七七四年
09/04/05 04:00:41 NeOxgfsI
秀吉はホント興味の埒外のことには淡白だなあw

444:人間七七四年
09/04/05 09:35:22 qPcE2jEL
>>402
戦衣の裏に鋲や鉄札を張った銃兵や弓兵はともかく、
明の重歩兵の山字甲や騎兵の環鎖鎧は爪先まで装甲で覆い、防刃機能に極めて優れているよ。
朝鮮に渡った宣教師も、優れていたと思われていた日本刀や槍が明の鎧には通用しないと書いている。

445:人間七七四年
09/04/05 13:01:48 4oBo3PM0
>437
ホッケの煮付けはこれだから……
と居酒屋政談してたら怒られた


446:人間七七四年
09/04/05 13:03:25 yXU7MOpe
つ介者剣法

447:人間七七四年
09/04/05 13:06:11 4oBo3PM0
>>432
太田ヒャッハー康資さまを忘れるなかれ

そのまんま、鬼の金棒で敵武将(親戚?)を撲殺...

448:人間七七四年
09/04/05 16:54:14 HSFp1G+n
豊臣秀吉が、朝鮮に出兵するため、ついに京を発した時、ある人が秀吉にこんな事を言った。

「かの国に渡るならば、漢文をきちんと理解する人間がいなくては、日本の恥ともなるでしょう。
漢文を善くする者たちを、多く従えて行くべきでしょう。」

すると秀吉笑って

「わしの今回の行いは、あいつらの難解な漢字の愚文を学ぼうとするためではないぞ?
あやつらに我々の、軽便な仮名文を用いらせる為だ!」

と、そのように答えたそうである。
そして実際に朝鮮において、日本語を学ばせると言う事もやっていたらしい。

よく、秀吉の朝鮮出兵は、九州征伐などの延長線にあった、海外侵略と言う発想はなかった、
と言う人がいるが、秀吉自身は明らかに、文化、言語の異なる国への侵略と認識して、
あの出兵を行ったのだ。と言うお話。

449:人間七七四年
09/04/05 17:55:02 V3uWaAJ1
>>448
そして日本側は日本側とてコミュニケーションのためにこういうお勉強会を・・・
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

------------------------------
かつて鹿児島県の国分に「金剛寺」というお寺があった。
島津義久の寄付で建てられたお寺である。
義久が亡くなるとき、今後の運営に支障がないよう遺産から100石を寄付された。

ところが、代替わりしてDQN家久になったとき、その中から70石を取られてしまった。
(一応DQNの弁護らしいものをしておくと、この頃参勤交代などで出費がかさみ、
他の寺もあらかたこのボッシュートの刑にあっている)

さすがに30石の収入ではお寺の運営が出来ないと坊さん達が悩んでいたとき
義久の娘の島津亀寿がその話を聞き、哀れに思って
「私も貧乏なので少しだけですけど・・・」
と10石を寄付した。

ところがその話を聞いたDQN家久は
「じゃあ10石だけ返してやんよ」
と、自分もあわてて10石寄付した。
合計50石になった金剛寺は何とかお寺の維持が可能になったという。
-----------------------
・・・一体何したかったんだDQN。
ちなみにネタ元は「国分諸古記」です。

450:人間七七四年
09/04/05 18:15:15 pzOsOo6d
>>447
そいつより更に強力な清水キュッ正次も忘れて貰っては困る。

451:人間七七四年
09/04/05 23:31:26 HSFp1G+n
戸川秀安の母。

天文七年、備前、門田村にて戸川秀安が生まれると間もなくして、父が死んだ。
母の元には、秀安と、その姉の、幼い姉弟が残された。

彼女は門田村で二人を育てたが、ある頃村に居辛くなり、仕方なく二人をつれて
美作の姉の元に向かった。が、その途中、母は、二人も子供を養育するのは無理だと思い至った。
そして池を見つけると、このとき二歳の娘の、着物の袖に小石を詰め、その池に沈めた。

後、成長した戸川秀安は、宇喜多直家に仕え、直家の第一の家老呼ばれる。


452:人間七七四年
09/04/06 01:17:49 wK41KAQX
>>451
言ってくれれば俺が養育したのに(´・ω・`)

453:人間七七四年
09/04/06 04:41:43 c0u61rIB
>>451

( ;∀;) ワルイハナシダナー


454:人間七七四年
09/04/06 09:05:50 omurasip
>447
岳父だったと思うが

455:人間七七四年
09/04/06 15:43:35 mZo7OgO8
永禄(1558~)の、始めの頃の事。
宇喜多直家は、自分の舅である中山信正の居城、亀山城から沼を隔てた東茶園畑という場所に
小さな茶亭をつくった。そして狩に出た帰りにはそこで休憩した。この時亀山城から信正も呼び、
狩の獲物を調理し共に酒宴を楽しんだ。
こういうことが何度もあったので、信正は、「城からここにすぐに来れる様にしよう。」と、城と茶亭を
隔てる沼に、橋をかけた。

さて、二月になって、直家、いつものように狩に行き、日が暮れてから件の茶亭に行った。
その夜は信正の勧めで亀山城に入り、共に酒宴をし、夜も更けた頃信正から、
「今日は泊まっていくと良い。」と言ってきた。そこで直家も、「ではお言葉に甘えて、今夜は
泊まらせていただきます。しかし家来の方は先に返そうと思います。」と、共に来たものを皆、
城から出した。これに信正も安心をしたか、自分の家臣たちにも、
「今日は城中の番の者も、皆早く休むが良い。」と休息させ、婿と舅、打ち解けて話などした。

さて、深夜に入り、信正も「そろそろ寝るか」と寝所に向かおうとした。直家も、「では私も休みます。
ああ、私の刀はどこに置いたかな?」と、自分の刀を、取った。


この瞬間を、待っていた


直家、突然抜き打ちに信正を、斬る。信正も斬られながら脇差を抜いて反撃しようとしたが、組み伏せ
首を取った。
走り出て城門を内から開くと、先に帰らせたはずの家来達、武装して続々と集合した。
帰らせるとは偽りであり、周辺に潜ませておいたのだ。

亀山城の者たちが混乱している間に直家、たちまち城を乗っ取る。そして合図の狼煙を上げる。
これを見た直家の主君、浦上宗景は、砥石城主、島村貫阿弥に急使を出した

『中山信正が謀反を起こした。その退治のため宇喜多直家を向かわせたが、そなたも直家に
加勢してほしい。』

これに貫阿弥、家来を連れて亀山城に駆けつけると、城は合戦の模様などさらさら無く、
平穏の様子であった。
不思議に思っていると直家が出てきて、「この城は我々の手で、既に攻め取りました。しかし
加勢に来ていただいたお礼がしたく、どうぞ城にお入りください。」と言われ、言葉のままに城に入れば、
島村貫阿弥主従、城内で待ち構えていた手の者に、たちまち惨殺された。
そして間髪おかず城主のいない砥石城を攻め、これも乗っ取った。

そう、これは宇喜多直家が、主君浦上宗景と共に謀った、有力家臣の中山信正と島村貫阿弥を
排除するための陰謀であったのだ。
主家である浦上家を圧迫していた両家は、この一晩で、滅びた。


…が、この陰謀を主導した直家は、中山、島村の旧領の大半を手に入れ、浦上家から離れ、
独立大名への道を踏み出すこととなる。

そんな、宇喜多家興隆の始まりとなった、陰謀のお話。

456:人間七七四年
09/04/06 16:48:02 54RBDJA2
この山のような死亡フラグと当然の結果は何なんだ!w

457:人間七七四年
09/04/06 18:51:26 Ll5mXzL+
なんか清々しい

458:人間七七四年
09/04/06 19:05:46 TqRgtXOA
暗殺が爽快すぎていい話すれかと間違えた

459:人間七七四年
09/04/06 19:13:25 xnrZBqn+
>>451
孟母三遷みたいな母ちゃんだったというのは聞いた。

いつの間にか乳母に収まって

460:人間七七四年
09/04/06 19:44:28 t1pZ7nSF
>>455
趣味が暗殺になるのがわかるな。ここまできれいに決まると。

461:人間七七四年
09/04/06 20:39:32 eM6EJgak
直家 「本当はオレだってこんなことしたくなかったんだが主君の命令で仕方なかったんだよ。でもこんな主君じゃ今後オレも暗殺されるかもって思ったから叛旗を翻しちゃった。テヘッw」

462:人間七七四年
09/04/06 21:24:29 kh2VqJug
>>461
嘘だッッッ!

463:人間七七四年
09/04/06 21:39:09 zu59SZA0
小畑健作画でキラぽい直家が主役の漫画よみてえw

464:人間七七四年
09/04/06 21:41:30 KFueQxUd
>>451
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

この話?

465:人間七七四年
09/04/06 22:02:48 hAy3vR2U
>>464
あー、戸田になってたから気がつかなかった!
まあ、ちょっと内容異なっているようなので、備前軍記の戸川さんのお話ってことでw;

466:人間七七四年
09/04/06 22:06:22 /0GxVcZN
漫画のゴルゴもそうだけど暗殺って突き詰めると芸術になって
ただの「人殺し」という一言では済まなくなっちゃうw
いや、もちろん悪いことですけどね

467:人間七七四年
09/04/06 22:31:10 oAGx6+fI
直家の暗殺を見ると(被害者には悪いけど)
あまりの鮮やかさに笑っちゃうしかないね。
ちなみにこういう顔の人に
みんなホイホイやられちゃったわけです。
直家木像↓
URLリンク(www.city.okayama.okayama.jp)


468:人間七七四年
09/04/06 23:26:40 mZo7OgO8
北条配下に、佐野城主、天徳寺宝衍と言う勇将がいた。
この人が琵琶法師に平家を語らせたときの事。

法師は先ず、佐々木高綱宇治川先陣を語った。坂東武者達が先陣の功を競う勇猛な場面である。
が、天徳寺、ここで雨のような涙を流した。
次はおなじみ、那須与一扇の的の場面。平家の中でも、爽快さと美しさを兼ね備えた
屈指の名シーンである。が、ここでも天徳寺、滝の如く涙を流した。

後日、天徳寺が「昨日の平家はどうだった?」と、左右の者たちに聞いた所、
「大変面白かったのですが、殿が涙に咽んでいたのがどうにも解らず…」と言うと天徳寺、
逆に驚き、

「今までお前達を頼もしく思っていたのに、今の一言でガックリきたぞ。
いいか、先ず佐々木高綱の場面だが、あの時高綱が与えらていた名馬「池月」は、
頼朝公の舎弟である範頼や、寵臣の梶原ですらいただけなかった物なのだぞ!

そんな馬に乗ってもし先陣出来なければ、必ず討ち死にして再び帰らないと、
暇乞いして出陣するのだ!この志、泣かないでいられようか!

また、那須与一も、大勢の中から選ばれ、ただ一騎陣頭に出で馬を海中にいれ的に向かうまで、
その一挙手一投足を源平の両軍が、鳴りを潜めて見守っている。
もし射損じれば味方の名折れ、馬上にて腹掻っ捌くほどの覚悟を持って向かっていくのだ。
その志を見よ!泣けて泣けてしょうがないだろ!

わしくらいになると、戦場に赴く時はいつも、佐々木高綱や那須与一の心で槍を取るから、
平家を聞くときでも自然と彼らの心を思い、泣けてきてしまうのだ。

ところがお前達は何だ!お前達の武辺というのは、ただ単に勇気に任せてやっているだけなのか!?
本当の武辺とは、もののふのあわれを心にとどめてこそあるものだ。そうでなければ、
真実頼もしいとはいえないものなのだ!」

なんというか、酔っぱらった上司に、演歌の解釈の間違い付いてくどくどと説教されてる気がしてくる、
ありがたーいお話なのに、家臣の聞き方が悪かったお話。


469:人間七七四年
09/04/07 01:46:28 oEWjgBAG
>451
種の保存という本能から究極の選択を迫られた時、生物は存続する可能性の高い長じた者を助けて幼いほうを見捨てるらしいね

470:人間七七四年
09/04/07 11:01:51 l4FjYufn
北条家五代が関東の雄となったのは早雲こと伊勢宗瑞が小田原城を乗っ取り、
鎌倉以来の名族・三浦党を倒したことに始まる。

その三浦党最後の当主・三浦道寸入道の子に、荒次郎義意という男がいた。

脳筋クサい名に違わぬ男で、七尺五寸(約220cm)の体躯と、八十五人力を誇り、
五尺八寸(約175cm)の大太刀を振るい、毎日北条軍と楽しくヒャッハーしていたが
多勢に無勢、ついに父・道寸が切腹したとの知らせが入る。

「よし、オレも北条兵を思うままヌッコロしてから死んで、名を天下に上げてやる!」
と思い定めた義意、得物を一丈二尺(360cm)の丸太に持ち替えて飛び出した。

もう地獄の羅刹にしか見えない義意を恐れて逃げる北条兵を追い詰め、
丸太をタテに振るえば相手の首が胴にメリこみ、ヨコに振るえば五~十人が吹き飛んだ。
義意に近づく者は誰もいなくなり、満足した義意はみずから首を斬り落とした。

しかし、首だけになっても義意は生き続け、宗瑞が高僧に供養させても目を閉じなかった。
それから三年経ったある日、小田原は総世寺の新住職がやって来て、

うつつとも 夢とも知らぬ 一眠り 浮世の隙を あけぼのの空

と詠んで供養したところ、三年の時間を取り戻すかのように肉が腐って溶け、
あとには義意の頭蓋骨だけが残された。

その後もこの土地では牛馬が草を食べると死に、鳥獣も立ち入らないため、
田畑を作らず草さえも刈らないという。


いいかげんウソくさいが、オレの知る限り最強の坂東武者=陸戦型モンスターの話。
「もっとスゴいのがいる!」という異論・反論、お待ちしております。

471:人間七七四年
09/04/07 11:37:12 EizIKjBN
これは…住職が辞世を詠んであげたってことだろうか。

約100年後の家康の辞世「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」が
上手いこと返句になるようになっているな。

472:人間七七四年
09/04/07 11:37:29 69ciyiLw
丸太が最強の武器ってどこの彼岸島だよ

473:人間七七四年
09/04/07 12:21:41 Zt7xZW9x
五尺八寸の大太刀

明石剛次かよw

474:人間七七四年
09/04/07 12:22:20 dtM82Dvp
ぶっ飛びすぎてるが話が日本的っつーか
こういうの昔話でよくあるよなw

475:人間七七四年
09/04/07 12:36:16 e6R3HLW7
将門公なんかもそうだな
七尺の巨体、片方の目に黒目が2つ、鋼鉄のような硬い体を備えていたらしい
戦国大名にも将門公を祖とするのがいたな
相馬氏だっけ?

476:人間七七四年
09/04/07 12:37:38 yqEqpMv9
>>468かっこよくて面倒くさい坂東武者乙

>>470リアル鬼じゃねーかww 坂東武者ってw

477:人間七七四年
09/04/07 13:08:40 9vmhtsdr
でもこれが中国の逸話だったら
誇張だの捏造だの言い出す輩が必ず出てくるんだよな
こういうのを楽しめないのかな

478:人間七七四年
09/04/07 13:30:48 oknNq9F/
渡会永弘という御師が淀川で船に乗ろうとした時のこと。
先に乗っていた武家と思しき連中が「この船は急ぎの船だからお前らなんて乗せてらんないんだよ」と文句を付けてきた。

それでも何とか乗船出来た度会だが、彼の召使と先ほどの連中が喧嘩を始めてしまった。
連中の余りの態度に度会自身もプッツンしてしまったが、船に乗っていた人たちが慌てて何とか騒ぎを収めた。

その後、船が2里程進むと堤の上に多数の軍勢と椅子に座っている人物が見えた。
その人は使いを出して船を停泊させた。
使い、曰く「堤の上に居るのは森勝蔵です、伊勢神宮の御師である貴方に無礼を働いたのは我が家の家臣なのです
どうぞ、貴方様の気の収まる様に処分してください」

渡会は船を下りて長可の所まで行くと畏まってこう言った
「貴方様の気持ちはとてもありがたく思います、しかしながら先ほどの悶着と私が神宮の御師である事はなんの関係もありません。
むしろ此方から侘びねばなりません。私達が船に乗ったから起こったことですので、どうかお許しを。」

これを聞いた長可は
「長年、神宮を信奉してきたので家来がその関係者に迷惑をかけたとあれば恐れ多く、ブッ殺してしまおうかと
思っていたのですが、貴方が謝ってきたのならこれ以上、どうこう言うのは無礼にあたるでしょう、わかりました。」
と返した。

渡会は船に戻ったがよくよく考えれば不思議な事がある・・・
「なぜ、森殿は堤の上に居たのに船の中の出来事をお知りになっていたのだろうか?」

鬼武蔵の気味の悪い話

479:人間七七四年
09/04/07 13:57:23 wfJDBJLB
確かにちょっと気味は悪いが基本的には鬼武蔵のいい話のほうじゃないのかw

480:人間七七四年
09/04/07 14:02:20 oLRX5F4H
こういう人がなぜ神の使いのカラスヘビを食っちまったのか

481:人間七七四年
09/04/07 14:12:21 LVAtyJUs
>>480
伊勢神宮以外は認めん!とか?

482:人間七七四年
09/04/07 14:27:18 iwISLdeP
淀川ではなく三途川だと考えれば…

483:人間七七四年
09/04/07 14:28:36 uKlZnK21
文中に森という字が見えた時点で、話の結末を予想してしまうようになった・・・

484:人間七七四年
09/04/07 17:07:05 PqGHohK+
武田信玄がある時、武田家において罪を犯して出奔した落合彦助を討てと、
荒川新丞、村井久丞の二人を派遣した。

しばらくして二人は「落合を討ち取った」と、首を桶に入れて返ってきた。
この頃は6月であり、首も腐って判別がし辛いものであったが、ともかくも命を果たしたと
両人ともに賞せられた。

ところが8月、信玄が上杉謙信と川中島手対峙した時、上杉軍から物見が出てきて、
武田陣の前でこう叫んだ

「我は落合彦助である!」

落合は武田を出奔後、謙信の元へと身を寄せていたのだ。では、あの首は?

その晩、荒川と村井の両人は夜逃げし、行方知れずとなったそうである。
そんな不正直な事をして褒美をもらい、報いを受けた悪い話。

つーか、一体誰の首だったんだよ?w


485:人間七七四年
09/04/07 17:54:50 tY7VRYki
1.乞食の首でいいだろヒャッハー
2.実は上杉家が荒川・村井を陥れようと一芝居うった
3.落合には双子の兄がry

486:人間七七四年
09/04/07 21:10:12 An/IuT4S
>>472
やめんか、これにはわけがあるんじゃ

487:亀だけど
09/04/07 23:45:13 yqEqpMv9
>>420
戚継光が和冦退治に乗り出したとき、国中の勇者を求め触れを出した

集まってきたのは皆、腕っぷし自慢の凶悪なマッチョ軍団だったが、
彼らを集めて継光さん曰く

「この中でカミさんが怖くないヤツがいたら名乗り出てくれ!」

……出てきたのはたった一人、他のマッチョガイより貧弱そうなボウヤだけだった

だが戚継光、ほんまに彼を先鋒隊で起用したという。継光自身は女房に弱かったらしい

日本でも大陸でも、戦場の勇者や名将が家庭でも強いとは限らんのですね

488:人間七七四年
09/04/08 00:03:55 t8tN3ajM
>>487
秀忠「まったく嫁をおそれるなぞ、明人は情けないのう」

489:人間七七四年
09/04/08 00:17:05 MErhvV2E
>>478
船中での揉め事は、わざと鬼武蔵が配下に仕掛けさせたものだった。
だから鬼武蔵は陸にいながら知っていた。
絵師がもし森の配下を成敗したら、それを口実に
絵師をぶち殺すつもりだったが、絵師が頭を下げたため
計画を取りやめたとか?

490:人間七七四年
09/04/08 00:17:20 I53Te73z
織田信長の配下に、谷大膳という武勇の士があった。彼は、信長の軍議にも参加を許されるほどの
信頼を得た家臣であった。

天正六年、秀吉の播州三木城攻めの時の事。秀吉はこの谷大膳を、自分の寄騎にしてほしいと
望んだが、信長はそれを許さず、加勢として送った。

その日大膳は既に、敵三騎と馬上にて槍を合わせ、ことごとく討ち取った。
そこで秀吉、今度は三木城の出丸である、”かさの丸”を攻めてほしいと頼んだ。これに大膳は、
「あの出丸は堅固であり、容易に攻め取れるものではない」と答える。

すると秀吉「日ごろ勇名高い大膳も、小城一つ攻め敗れぬのか?」と言い出し、その言葉に大膳は激怒、
これに秀吉も刀の柄に手をかけ一触即発の空気となる。が、そこに竹中半兵衛割って入り
「戦場の勝負こそ力を尽くすべきであろう!これは一体いかなる事ですか!?」
そうして蜂須賀小六も現れ、秀吉を抑えて引き下がらせた。

その夜、大膳の陣屋に秀吉、酒肴を持って現れた。「大膳殿、今日の武功は抜群でありましたぞ。
先ほどの事は全て私の過ちであり、大変後悔している。」秀吉はこのように謝罪した。
翌日、大膳は手勢を率いて、”かさの丸”を攻めた。

城の者たちもここを大事と防ぎ、激戦となる。
士五十騎、歩兵二百で城戸口を押し破りにかかるが、手負い死人、数知れずという状況となった。
そして終にこの城戸を押し破るが、大膳自身も数箇所に傷を負って跪いていた。
それを発見した三木方の、猩々皮の羽織を着た法師武者が引き返し大膳に向かう。すると大膳、

「私はもう疲れた。近寄って首を取れ。」

と呟いた。それを聞くとこの法師武者、走りかかって一太刀打つ。が、この時大膳、まだ諦めてはいない。
敵の草摺を取って引き寄せ、脇差を抜いて刺し貫いた。するとさらに三木方の者が引き返し
大膳を斬りつける。そこに当時十七歳の大膳の嫡子、出羽守が走り寄り、三木方の者たちを
打ち据えたが、その時大膳既に、息を引き取っていた。

秀吉は大膳が討ち死にした事を聞き、せめて屍骸であっても対面したいと陣屋を訪れ、
惜しい人を亡くしたと、涙に暮れたのだとか。

そんな、色々と考えさせられるお話。


491:人間七七四年
09/04/08 00:17:49 Xspg03+E
>>488
保科正之「……」

492:人間七七四年
09/04/08 01:02:11 JdbYo4os
>>487
その話にはオチがある。

対応が少し違っていて、戚継光は自分の女房を恐れるものは別の場所に、
恐れないものはそのまま残れといったら、一人しか残らなかった。
戚継光は出てきた男を呼び寄せてほめようとしたところ、その男曰く

「実は将軍の声がよく聞こえなくて。そういう時はみだりに動かずじっと
していろと女房にキツく言われているんですハイ」

戚継光がっかり。

493:人間七七四年
09/04/08 03:09:49 dQpTeqxR
>>492うひゃー笑
戚継光のみならず信之兄ちゃんもガックリですな……

>>491
保科さんは養母、義父といい人に巡り合えてよかったじゃんか


494:人間七七四年
09/04/08 04:29:48 e2OyKCRb
>>492
これ、記憶違いかもしれないけど
全く同じ逸話(ていうか元ネタ)がなかったっけ?
それこそ遥か昔の中国で

495:人間七七四年
09/04/08 10:55:42 lCnJYOtn
首供養・・・生死は戦場のならいの戦国武士において、33人の首を獲った者のみが
自分が命を奪った者への鎮魂の法要を営むことが許される。 これを首供養と呼んだ。
(民明書房刊『偶愚留』より)

黒田如水「で、こないだ勝った別所さんちにも、首供養やった男がいると聞いた。
      ウチにはそういうハッタリの効くヤツはいないのか?」
母里太兵衛「はいはい!オレオレ!!」
如水「オマエはもう名が通ってるからいいや。」
太兵衛「 (´・ω・`) 」
栗山備後「秦桐若が31人の首を獲ってましたけど、戦死しちゃいましたし・・・
      吉田六之助は、まだ27人ですし・・・」

如水「という訳で六之助、オマエ首供養やんなさい。」
六之助「いや、だからオレ、27人しか首獲ってませんって。」
如水「ちっせー男だねぇ!オマエ今いくつよ?」
六之助「31歳ですが何か?」
如水「まだ若いじゃないの!その歳で、もう首を獲らないなんて事ないだろ?
   だから先に供養して、後で帳尻合わせとけばいいんだって!」

結局、供養料として100石の知行まで与え、ムリヤリ六之助に首供養をさせてしまった。
主命により首狩り族にならざるを得なくなった六之助、朝鮮の役まで現役を通し、
生涯に50余の首を挙げたという。 (常山紀談より)


まあ、クロカンが若手に奮起を促した、と考えればいい話なんですが・・・


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