09/03/22 21:49:30 +1sZHYiq
>>129
兄ちゃん……
兄ちゃんは土俵でいいと思うよ……
皆を支える立派な土俵
132:人間七七四年
09/03/22 21:56:47 mhbZhK1s
ちなみに当時東南アジアに日本刀が流通してたので
日本刀の切れ味は幕末になっても知られていた
他にも日本産の鉄砲がオスマントルコにまで輸出されてたとか
後金が明から大砲の技術を得るまでに日本製の大砲使ってたとか眉唾な話がある
>>129
そこの突っ込みどころは幸村がいて毛利勝永がいないってところだと思う
あんた華々しい戦歴ないんだから
義弘がいて島津義久がいないし内政を競う番付じゃないだろ
133:人間七七四年
09/03/22 21:57:17 jZrpY8Et
150年も同じ民族同士で内戦してたからなw
以前ユーゴ内戦のインタビューで日本人が
「私達日本人は同じ国で殺しあうという事が理解できません」といってたが
お前ら400年前は単に領土を拡大したいってだけの理由で、
ユーゴどころじゃない共喰い戦争してたろwと突っ込みたくなった
134:人間七七四年
09/03/22 21:58:10 uJmm460t
懸賞の旗に藩の名前が書いてあるとか
135:人間七七四年
09/03/22 22:07:46 xJT62wRC
真田伊豆守っているじゃん。信之。
それよりこんなにいるのに斎藤義龍がいないのが問題だ
136:人間七七四年
09/03/22 22:25:26 GBvX51qT
スペインは本当に傭兵を欲してたらしいからな
内乱の後国をまとめ上げた軍をどうするかってのは万国共通の悩みだが100年を超える内乱で養われた兵は生半可じゃなかったって事か
国が戦争しなくても自発的に戦争行って地域規模で影響を及ぼすとは…
137:人間七七四年
09/03/22 22:44:03 fFLQRGH+
>>87
血の気の多い乱暴者だがボス(関塚監督)には忠実で、仲間思いで敵との揉め事には率先して突撃する……あれ、こいつ戦国でも(以下略
138:人間七七四年
09/03/23 00:49:43 DpBGuakR
真田大助が信之より上って・・・
139:人間七七四年
09/03/23 02:15:27 iDHXI996
>>122で多聞院英俊の名前が出てるし地元ネタでも
奈良公園にいる鹿
あれは公式には春日大社の神獣なのをご存じだろうか
区域にいる鹿全部が、である
中世には鹿を誤って殺してしまった子供がその鹿の亡骸と共に生き埋めにされたりと祟りを畏れられた存在なのだ
ちなみにこの生き埋めの塚はしっかり残っている
太平洋戦争後の食糧難で国策で狩られた時代もあったが神獣としての立場は一切変わらない
現在でも鹿を轢いたドライバーに対して奈良警察署がお祓いを勧めたりする冗談みたいな現実がある
ある程度形骸化したとはいえ地元民には依然畏敬の対象だったりするのだ
さて、信長が正倉院秘蔵の香木を下賜された後に自ら申し出て欲したのがこの‘神鹿’
奈良興福寺多聞院の文書には「前代未聞の珍事」と書かれている
信長が神の使いを連れ帰ってどうしたか、織田家の文書には記載がない
秀吉もこの‘神鹿’相手にやらかしている
こちらはハッキリと‘ 喰 う 為 に 狩 っ た ’と書き残されている
しかも新年の祝賀用で春日大社に断りなしと傍若無人
前述の文書には「新年早々の凶事」と書き記されている
140:人間七七四年
09/03/23 04:03:04 D3O/83NB
流石は腐れ禿鼠だなぁw
おや、殺生関白殿が恨みがましい視線を送ってきているw
141:人間七七四年
09/03/23 04:59:55 cH+lwKp2
秀吉さん、これ以上ないくらいバチあたっちゃいましたね
142:人間七七四年
09/03/23 09:31:16 biAFirhM
神仏を信じないってのも考えものだな
虎と同じで精力蓄える為かね
143:人間七七四年
09/03/23 09:48:24 0iJISMFD
秀吉は熱心な神道の信者じゃなかったっけ?
144:人間七七四年
09/03/23 11:43:10 ltQ6ij3S
秀吉のオカンは熱心な日蓮宗信者だったな
145:人間七七四年
09/03/23 16:35:56 JZeQ00hb
オレは遠足で行った奈良公園で、鹿に弁当食われて泣いてたというのに・・・
さすがは太閤殿下、そんな悪逆非道な鹿を逆に食っちまうとは。
オレとは格が違うということが今分かったぜ。
146:人間七七四年
09/03/23 16:46:50 kx4a9mAu
しかり
147:139
09/03/23 18:09:02 iDHXI996
ちなみに元ネタは多聞院日記(多聞院英俊の関わった興福寺の坊主達の日記)の天正19年の一月の一項なんだが…
天正19年ってのは千利休切腹、豊臣鶴松病死、翌20年は文禄の役の先遣隊が朝鮮半島上陸と豊臣政権が破滅の階段を一気に駆け上がる時期
狩られた‘神鹿’6頭は見事に祟った気もしないでもない
明治に入るまで春日大社の‘神鹿’を殺すと死罪だったそうで誤って殺した町人を役人が助ける落語の一席もある
現在も天然記念物なので故意に危害を加えると捕まります
>>145みたいな事態は地元商店にも起こるが泣き寝入りするしかない…
148:人間七七四年
09/03/23 18:24:00 pHURA2WL
神鹿無骨とばかり某鬼がアップし始めました
149:人間七七四年
09/03/23 18:25:25 9FS+rhAo
加藤清正と言う人は、戦で物見を出すと言う時も、自分で出て行った。
また、小屋掛け普請などを行う時も、自分でその奉行となり、その小屋割に至るまで、
自身で細かく申し付けていたそうだ。
このようであったから、加藤家の家臣には優れたものがそれ程出なかったのだ、
との、後世の評である。
150:人間七七四年
09/03/23 22:44:32 biAFirhM
一方、市松の家臣団は粒揃いだった
151:人間七七四年
09/03/23 23:31:58 FfAvVTpV
>>149
清正死後家政が滞ってるから重臣同士の内輪もめでもしてんのか?って
幕府が監査に入らせたら、何をするにも必ず清正の手が入るようになって
いたので死後は段取りがわからなくなって右往左往してたそうだね
152:人間七七四年
09/03/24 00:06:27 a92X3kgh
島津家久、天正のDQN行為に怒る
島津家久(善)が、京都に滞在していた折の日記より
「五月五日、紹杷、同心と一緒に目疾(めやみ)地蔵堂に参拝した。
ところが!そこに奉納されている聖徳太子の像の頭が割られてて、玉眼が抜き取られていた!
一体どういう罰当たりな人間の仕業なんだよ!嘆かわしい!」
神仏を尊び文化財を大切にする家久公、こういうことをする人間は許せなかったのだろう。
彼の腹立たしさが伝わってくる記録なのであった。
153:人間七七四年
09/03/24 00:11:05 grLxTm02
政宗「文化財を破壊するなんて行為、ゆるせんよなあ!」
154:人間七七四年
09/03/24 00:12:56 D9HAiYIJ
一方、家久(悪)は家宝(現在国宝)をパチッて振り回していた
155:人間七七四年
09/03/24 00:19:41 V32xD0dn
1588年、スペインの植民地だったフィリピンで恐るべき謀議が発覚した
ことの起こりは、修道会やキリスト系商人らの大量流入である
彼らが力を増すごとに、従来有力だったイスラム勢力が圧迫された
87年、ルソンの有力イスラム系首長レガスピはついにキレた
彼は仲間の首長と同盟し、スペインからルソンを奪回しようと謀った
レガスピがあてにしたのは、日本勢力
松浦氏の配下で、よりによってキリスト教徒のファン・ガヨ
ガヨは貿易船団を持っており、良質で知られた日本製武器の密輸を期待されたのだ
計画では、スペインとの交易を隠れ蓑に武器を密輸、
ボルネオやマレーのイスラム勢力にそれを分配し、水陸からスペイン人を襲撃、
新たな支配体制には日本人が入ることまで決まっていた
謀議を危ういところで阻止したスペイン
発覚数日前には、すでに日本製の火器で武装したボルネオ軍がマニラ湾に肉薄していたという
156:人間七七四年
09/03/24 00:39:36 H9g5OlFS
ラスボスも半島じゃなくてフィリピンに行っていたら・・・
157:人間七七四年
09/03/24 00:42:44 /v8MGMY6
グアム占領して聚楽第作ろうぜ
158:人間七七四年
09/03/24 00:45:51 bYYSOOHi
ハワイアン聚楽第センター
淀君がキワドイ格好で「 じゅ・ら・く・よーん 」
159:人間七七四年
09/03/24 00:47:12 /ev7Lful
グアムは最早日本領だけどなw
日本人しかおらんぞ
160:シベリアからのお手紙です
09/03/24 03:58:45 TWYiP6iV
水野勝成が牢人し、西国でウロウロしていた頃、とある旅館で寝ていた時に、盗人に
刀と脇差を盗まれた事があった。
この盗人、旅館から走って逃げ、小川を渡ったところで、やれやれと思っていると、
後ろから「待てー!」の声、
振り向いて驚いた。刀の持ち主、勝成が追いかけてきた事に、ではない。
その勝成が、全裸であった事に、である。
盗人を油断させる策略なのか、ただ単に怒りのあまり服を着るのを忘れただけなのか、
何はともあれ全裸なのだ。
勝成、盗人の姿を確認すると、恐ろしい勢いで小川を渡り始めた。全裸で。
盗人、命の危険を感じ、盗んだ刀で勝成を攻撃しようとする。
ところが勝成、たちまち盗人に懐に飛び込み、その刀を奪い、逆に討って取った。全裸で。
想像してみよう。盗人を討ち果たし、その身に返り血を浴び、太刀と脇差を取り返したことに喜ぶ、
屈強な全裸の男を。
そんなカオスさも勝成だからしょうがない。そんな日向守様のお話。
161:人間七七四年
09/03/24 05:14:31 L2HRW8ai
さすがリアル戦闘民族、場所も、時間も、姿も関係ないのである
162:人間七七四年
09/03/24 10:15:47 x4TZ3A6i
>>160
服無き戦国スピリッツ!
163:人間七七四年
09/03/24 10:55:47 XYG4ocsD
夜中にフルチンの男が追いかけてきたら俺でもビビル
164:人間七七四年
09/03/24 11:29:08 4gm7bUsr
殺らないか?
165:人間七七四年
09/03/24 11:34:49 QHDuEULp
うほ、いい漢!
166:人間七七四年
09/03/24 11:35:01 cmeaoYzn
キリシタン大名、勇敢な武将であり、利休七哲の茶人、
ポルトガル語を流暢に話し、ラテン語も解したインテリ高山右近、
若年時からマニラ追放の晩年まで際どい世渡りの連続であった。
1571年、彼が19歳の頃、直接の主家であった摂津守護職の一人
和田維盛が白井河原の戦いで荒木村重に敗死して以来、
主家和田家に対する高山家は微妙な立場となった。
和田維盛の若年の長子の維長、及び和田一門との間は互いに疑心暗鬼、
次第に抜き差しならぬ険悪なものとなる。
高槻城内では、最後には高山飛騨守、右近長房親子を誅すべしという和田一門の意で
占められるようになった。そんな折り、更に主家筋である織田信長、足利義昭の間が
険悪となり、狭い摂津内では荒木村重の威があまたを取り仕切る案配であった。
高山親子でも親の躊躇いを制したのは、より現実主義者の右近であった。
主家和田家を見放し、新興の荒木村重につくこととなった。
1573年4月某日、高山親子は和田維長により高槻城に呼び出された。
飛騨守、右近も覚悟の登城である。
二人のみが通された薄暗い評定の間には和田維長と近臣が座している。
親子2人だけの入室と確認した維長の口から、両人を誅すべし、との声が上がる。
板戸を蹴破り十数人の和田家家臣が切り込んできた。けり倒された燭台の灯が消え、
広間は真っ暗闇となったことが右近に幸いした。
いち早く右近は和田維長の襟首をつかみ上げ、首に深々と傷を与えるも、
入り乱れての混乱の中で討ち取ることが出来ない。
乱戦の中、彼自身も背中、首に深手を負い、命からがら城を脱した。
抜かり無く手回しの素早い荒木村重が率いる3000名の軍勢が、既に高槻城を囲んでいる。
結局、織田信長、荒木村重、細川藤高らの合議、パワーバランスの結果、
和田家は高槻より追放となり、和田維長は傷が元で死亡した。
高槻城を拝領したのは高山ダリオ飛騨守、ジェスト右近となった。
右近も傷がこじれ死線を彷徨うも回復し、
これがその後の戦国大名の流転の人生の始まりとなった。
高山右近の下克上の話。
167:人間七七四年
09/03/24 12:08:36 HzkGnd7c
確か友照の飛騨守は自称
168:人間七七四年
09/03/24 17:07:02 CZQWJDIs
いい話の方で柳生話を上げたので、悪い?話も。
■十兵衛と沢庵・禅問答の巻
ある日、柳生十兵衛に対し、沢庵はひとつ尋ねた。
「お主は随分腕を上げたようだが、もし、前後左右4人から一度に斬りかかられたらどうする?」
「たかが4人程度、柳生新陰流・水月の極意でもってたちまち斬り捨て申そう」
「ほほう、では8人なら?」
「三光電致の極意を用います」
「ふうむ、ならば16人なら?」
「柳生新陰流天地人三巻の中の極意、木の葉隠れの術にて斬り捨てます」
どんどん敵の数を増やしていく沢庵に対し、十兵衛はそれぞれ対抗手段を述べていった。
そして最終的に沢庵が、
「では…128人なら?」
と問うたところ、十兵衛は莞爾として笑い、
「柳生新陰の秘術を尽くし、愛刀三池典太光世の目釘の続く限り、斬って斬って斬りまくり、
もし敵わぬ時は武門の習い、いさぎよく斬り死にを遂げるまで。
何の一命を惜しみましょうや」
169:人間七七四年
09/03/24 17:08:03 CZQWJDIs
このように答えたのに対し、沢庵は、
「なんとあきれたものじゃ。お主の剣はたかが128人止まりか。
計略を帷幕のうちにめぐらし、何故に勝ちを千里の外に決せぬのじゃ。
百万、千万の敵をたちどころに滅ぼすのが、まことの剣というものじゃ。
一剣の理、万敵を屠るのがまことの剣の心と気づかぬか。この愚か者め!」
と、十兵衛を一喝したという。
そして沢庵は
『佇むな。行くな戻るな居座るな。寝るな起きるな知るも知らぬも』
という歌の文句を示し、「この歌の意味を解くのじゃ」と十兵衛に公案を与えた。
十兵衛は明けても暮れても、寝ても覚めても考えるが、どうにもわからず、
遂に沢庵の前に兜を脱いで教えを請うと、沢庵はニヤニヤして、
「なに、わしにもわからんのじゃよ」
とケロリと答えたという。
========================
戦国から少しズレるかもしれんが、宗矩と宗章の話が出たので十兵衛も。
江戸中期(安永か天明頃?)の実録本「柳荒美談」が初出らしい。
十兵衛と沢庵の関係や、当時の「剣の極意」に対する印象なんかが出ていて面白いかなと。
170:人間七七四年
09/03/25 00:20:46 odTzIZyO
128人だと剣の理を応用して帷幕のうちの計略で倒すけど、
100人くらいまでならガチで戦っても勝つくらいな
心づもりなのかな当時の剣豪は。
現代だと実戦派を名乗る武術でもまず1対複数にならないようにする
っていう考え方になる気がするけど戦場の乱戦だと
必ず複数だろうしな・・
この当時の「剣の極意」は後の江戸時代あたりの極意と比べても
ぜんぜん違う物なんだろうな。
171:人間七七四年
09/03/25 00:23:32 r/j+t0w0
全員鉄棒で殴り倒す
全員無骨
全員鎌で刈り倒す
などの化け物様たちがおいでですからな
172:人間七七四年
09/03/25 00:24:38 2rIvOU1o
>>168-169
義輝「わてなら畳に何本も刀を突き刺してとっかえひっかえ戦おうと思います」
173:人間七七四年
09/03/25 08:14:42 yTEzC1wS
剣豪なんかよりも、清水隆治や太田康資とかのほうが強そうだ…
174:人間七七四年
09/03/25 11:19:41 0+Otfz3D
島原の乱を鎮圧するため、板倉重昌が幕府軍の指揮官として派遣された。
これを知った柳生宗矩は重昌を引き止めようと追いかけたが、結局間に合わなかった。
戻って来た宗矩はかんかんになって家光に諌言した。
「なんということをなされたのか、宗教一揆は手強い相手ですぞ!
重昌は確かに優れた男ですが、たかだか一万五千石の小身なので、
荷が重すぎます。奴は使命を果たそうとして死ぬことでしょう。」
宗矩の予想通り小身の重昌に従う諸候はおらず、責任を感じた重昌は
無茶な攻撃をして討ち死にしてしまうのだった。
別の話だが、この話を知った勝海舟は氷川清話で宗矩をこう評した。
「宗矩はただの剣客ではない。表向きは指南役などと言っているが、
家光公に意見できるほどの権力を持っていた。私はこの話からそれを
見抜いた。将軍が出兵させた者をたかが指南役が独断で止められるはずがないからだ。
歴史を見るときはこういうことに注意しなければならない。こういうことを
眼光紙背に徹する、というのである。」
もっともこのころの宗矩は大名で大目付だったので、ただの指南役ではなかったそうだ。
175:人間七七四年
09/03/25 12:18:28 LuffybI8
>>174
補足すると、この時宗矩は、
「重昌は優れた男だが、小身の身なので
外様の諸大名も彼の命令に従わないでしょう。
故に、幕府としては更に石高が上の指揮官を出さざるを得ず、
そうなれば、重昌の面目は立たなくなるため、我攻めをし、討死してしまうでしょう。
彼ほどの逸材を失うことはいかにも惜しいので、
上様の命と言ってでも引き止めようとしたのです。
ご命令頂ければ、再び、今すぐでも引き止めに向かいますが」
と言ったが、既に幕命として正式に出してしまっている以上、
家光としても命令の差し止めは出来ず、結局・・・ということだそうな。
(ちなみに、追加で派遣されたのは松平”知恵伊豆”信綱)
戦前だと小学校の教科書にも載ってた話だったそうだが。
176:人間七七四年
09/03/25 12:37:49 yztnWbrj
家光にとっては悪い話だけど、宗矩にとってはいい話だな。
177:人間七七四年
09/03/25 13:09:51 UXt/OLYM
大身とはいえない旗本でも政治力発言力ある者には、大封の大名も
気を使って下手に出てたもんだが。
こと合戦ともなると、畑が違うだろうから。。
178:人間七七四年
09/03/25 13:59:09 pgCDjsdD
>>177
実戦経験があれば違ったんじゃないか
まあ実戦経験のある奴なんてほとんど残っていなかったけど
179:人間七七四年
09/03/25 14:29:43 k3FJ0ixy
>>178
水野勝成「久々の戦で血が騒ぐわ!一番槍は頂く!」
鍋島勝茂「今の若い武士には足りない心がある、それは功名心」
立花宗茂「一揆相手に大げさな、俺だけで充分だろ常考」
山田有栄「関ヶ原に比べれば児戯でござるな」
真田信之「72歳だがまだ戦える!」
鈴木忠重(家老)「殿、我らに参戦要請は来ておりませぬ」
真田信之「(´・ω・`)」
安藤実季「一揆だって、やだね~」
木像「………」
180:人間七七四年
09/03/25 14:52:48 2rIvOU1o
>>178-179
宇喜多秀家「さてと、久しぶりに遠泳するかな」
181:人間七七四年
09/03/25 15:20:56 //s+8Zlu
江戸初期 立場をわきまえない水野家の無茶話
当時大名家には参勤と言う役目があった
ただ決められた人数を連れて行くのではなく斥候を放し出陣
するかの如く進軍するのである
水野家も例外ではなく国から江戸へ向かっている途中の事
行列が突然停止した
家老に届いた報告によると同じ街道前方から加賀藩の行列が
向って来るとの内容であった
家老は殿に報告するまでもないと迂回路を探す
大名行列は格下の藩が道を譲る慣わしがあった
消してすれ違う様な事はない
家老は主に恥を欠かせないよう迂回を考えたのである
ところが迂回路探しに時間が掛かってしまい当主勝種から
「何事か」と声が飛んだ
すると家臣の一人が「前方から加賀藩が」と言ってしまったのだ
勝種は水野家小大名といえど猛将勝成の末裔、退くわけにはいかなかった
槍の鞘を外させ大柄な者に持たせ、彼等を前列に置き直進を命じたのである
近づく行列は加賀藩、格も数も桁違いであった為水野家家臣は奮い立った
殺気を放つ行軍に街道脇で待っていた通行人も逃げ出すありさまでした
その頃加賀藩のほうも前方から槍を構えて突っ込んでくる水野家の情報
が入り行進は停止していた
そこへ水野家が迫り合戦が始ると誰もが考えていたが、行けども行けども
加賀藩の行列に出会う事はありませんでした
家康公と関係が深かった水野家相手に揉め事を起こすと幕府がどんな裁き
をするか不安になった前田家が道を大きく迂回していたのだ
大藩に平気で喧嘩売る水野家と小勢相手に背中を見せる前田家は
共に江戸の笑い話となりました
182:人間七七四年
09/03/25 16:29:25 UXt/OLYM
>>179
細川忠興 「乱の起こる2年前に予見していたわしのことを忘れておろうが、手討ちじゃ!」
183:人間七七四年
09/03/25 18:13:29 c0ybzDml
>>179
松平忠輝「今日も退屈だから、本でも読んでるかな」
184:人間七七四年
09/03/25 19:30:36 wUWq1Obo
>>175
> 家光としても命令の差し止めは出来ず
すでに「将軍の幕府」じゃなく、「幕府の将軍」になってたんだな
だからこそ200年も続いたんだろうけど
>>179
どう見ても一人戦える状態にない人がいるだろw
>>181
平安の頃から、牛車の道を譲る譲らない、みたいな喧嘩ってあるよな
やっぱ重要なことだったんだろうな
185:人間七七四年
09/03/25 20:17:57 IGH3KO9f
>>181
水野家の気概は分かるが、現代の目で見ると
大藩加賀の大人の対応という気も…
186:人間七七四年
09/03/26 00:41:58 gSp7I79D
水野勝成が牢人し、備中の三村親成に仕えていた頃の事。
勝成この時、僅か切米十八石。この小身のため、よき茶を買うことも出来なかった。
そこで三村家の茶頭に、親成が飲む茶を、少し分けてくれと頼んだ所、
「 こ れ は お 前 の よ う な 者 が 飲 む 茶 じ ゃ ね え 。」
と、断られた。
そこで勝成、当然のようにこの茶頭を闇討ちにして、三村家を出奔したとのことである。
勝成への、侮辱の対価は高いのだ。
187:人間七七四年
09/03/26 00:43:40 ZcKV+eIJ
勝成はDQNなんだけど邪悪さが足りない
188:人間七七四年
09/03/26 01:16:15 Wy8QePMJ
これは茶頭がかわいそう
「俺ビンボーで美味い茶とか買えねーけど今超茶が飲みたいから
殿様の茶少し俺にくれタダで」
とか言われても、侮辱とかじゃなく本当に断るしかないw
189:人間七七四年
09/03/26 02:10:55 uvDgalVO
>>187
ハイハイ鬼武蔵鬼武蔵、四天王ばんざ~い
誰も彼等に勝てないっスよね
190:人間七七四年
09/03/26 02:39:12 VauDdGM8
>>186
前田犬畜生^h^h千代「ちょ、茶坊主闇討ちなんてアリエネー」
191:人間七七四年
09/03/26 06:05:23 8WfYL3Xf
>>186
親成は嫁がせた姪に旅の支度をさせてから金子持たせて付き添わせている
勝成も逃げるように出奔したわけではない
親成的には茶坊主が悪いが家臣になめられていると見られない為に距離を置いたってのが正解かと
茶を欲した理由が嫁の為とか伝わっていたら途端に良い話になりそうなんだけどね
192:人間七七四年
09/03/26 08:27:38 9dH0SqFf
斬ってる時点でいい話にはなりようが無いだろw
三歳的な狂気になるだけだ
193:人間七七四年
09/03/26 09:29:06 nkDGBeNX
話ぶった切る
TERU元さんの家臣で吉見広長という人がいた
吉見広頼の次男坊である
この人、兄の元頼が死んだので家督を相続した
朝鮮出兵の時には秀元の配下で参戦しているのだが、
後日、ラスボスの遺訓でTERUさんが秀元に長門を預けたのが
なぜか気に食わず、出奔→すぐ捕縛→監禁→保釈
後年、関ヶ原で毛利軍として参戦しているのだが、
なぜか秀元の配下ではなく、吉川広家の配下で参戦
さすがのTERUさんもこれにはちょっと怒る
TERU「ちょっと、我儘が過ぎるんだお!自重するんだお!
石高減らすから!反省するんだお!」
広長「なんでだよー!毛利家でなんかやってられるか!
出奔じゃー!」
TERU「ちょwwwww出奔wwwww」
出奔した広長は大企業、徳川さんの門を叩いた
広長「それがしを雇って下され」
徳川「ええっと、吉見広長さん?ああーTERUさんの許可が無いと
無理ですわ。他当たってください」
くじけず、広長は細川忠興の門を叩いた
広長「それがしを雇ってくだされ!」
忠興「TERUさんの許可が無いから無理、帰れ」
まだまだくじけず広長は前田家の門を叩いた
広長「それがしを」
前田「無理。TERUさんの許可が無い」
どこへ行ってもTERUさんの許可ということで却下される広長は
最後の門を叩いた
広長「それがし・・・」
TERU「お帰り」
父の死去を聞いて実家へ帰った広長さん
後日、TERUさんを招いて宴会を催そうとしたが、毒殺疑惑をかけられ
何故か毛利軍に取り囲まれTERUさんに殺されましたとさ
194:人間七七四年
09/03/26 10:30:37 qJuJ6KYy
五郎太石事件
TERUさんが萩城を建築中、石垣の小石が盗まれる事件が相次いだ
TERU「もおー減封で予算があんまりないんだお!誰!盗んだ人!」
TERUさんは怒った
さらに盗難は相次いだ
二の丸東門近くの工事現場で天野元信が置いていた五郎太石二千百荷も盗まれた
そして益田元祥の配下3人が犯人として捕まった
天野「石返してください。先日盗んだ小石の分も」
益田「小石は証拠が無いから返せない」
二人はもめにもめた
そして熊谷元直が調停に入った
熊谷「ちょっと、二人ともいいかげんに」
天野「熊谷殿は」
益田「黙ってろ」
調停はうまくいきませんでした
家老たちが仲裁に入るも
天野「石返せ」
益田「証拠は?」
の繰り返しで一向に石垣工事が進まない
益田は捕まった3人を斬首にした。
益田「3人の首はねたからもういいじゃん」
天野「言い訳ねえだろ石返せ」
とうとう、TERUさんの出番となりました
TERU「・・・でも、明日から京に行くんだお・・・元政おじさんよ ろ し く」
元政「まかせとけ!」
元政は天野、益田の言い分を検分し、京から戻ったTERUさんに相談した
熊谷元直、天野元信他一族11名死罪
熊谷、天野が切支丹だったこと
熊谷元直の横暴ぶりがTERUさんが日頃から気に食わなかったこと
などからの処刑でした
石はどうなったのでしょうね
195:人間七七四年
09/03/26 10:45:12 bIoBfkME
ひでぇ。
wつける気にならないくらいひでぇ
196:人間七七四年
09/03/26 10:49:16 4mG5qWcV
石はこの後、スタッフがおいしくいただきました。
197:人間七七四年
09/03/26 10:58:41 EjGr3/yf
TERUさん、じいさまの闇の部分も結構受け継いでるんだな…
198:人間七七四年
09/03/26 11:12:35 56afP8sT
>>191
茶頭が何が悪かったのかわからないんだけど。
199:人間七七四年
09/03/26 11:42:52 C3A5c2Ta
そのぐらい分かれよ
200:人間七七四年
09/03/26 11:44:24 CrTU1K0V
>>198
だからいいんじゃあないか・・・(AA略)
201:人間七七四年
09/03/26 11:50:19 qJuJ6KYy
無礼者!手打ちにしてくれるわ!
ということだよ>>198
202:人間七七四年
09/03/26 11:56:23 l3vkAdK3
____
/ TERU \
/( ●) (●)\
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ めんどくさいからみんな死罪にするお!
| |r┬-| | 知行も減らせてちょうどいいお!
\ `ー'´ /
203:人間七七四年
09/03/26 12:48:48 JzVm0k+f
/)
///)
/,.=゙''"/
/ i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!!
/ / _,.-‐'~/元 政\
/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
204:人間七七四年
09/03/26 14:01:11 O68FneIH
俺の中の元政のイメージが変わっちゃっただろうがw
205:人間七七四年
09/03/26 14:28:39 56afP8sT
>>201
勝成の要求の方が無礼だと思うけど。
茶頭に対しても、主君に対しても。
206:人間七七四年
09/03/26 14:47:03 wjDb/exN
でも勝成の妻は三村親成の養女(姪)だしもう少し融通をきかせても
207:人間七七四年
09/03/26 14:55:25 8WfYL3Xf
>>198>>205
勝成の嫁に親成の養女で三村家嫡流の忘れ形見の娘がなっていたのが重要
つまり茶坊主は勝成を辱めただけでなく勝成の嫁、強いては三村家をも辱めた事になりかねない
実際は勝成の頼み方と茶坊主の断り方次第
俺も原文知らないから何ともいえない
208:人間七七四年
09/03/26 14:58:42 T1rFjJas
いやー米とかならまだしも、
茶は嗜好品で、無くても死なないからなぁ…
209:人間七七四年
09/03/26 15:18:37 ZFYemlTi
大阪冬の陣の和議の後の事、
堺において大阪方のある牢人が、町人を撃ち殺すと言う事件があった。
この牢人は大阪方に捕縛され、打ち首となった。
そして半首を朱に塗られ、大通りにさらされた。
これを見た大阪の古老は、
「首に朱を塗るのは関東の仕置きの仕方であって、太閤の御法とは違うものだ。
なのにこのように行われるのは、もはや全て関東に法に呑み込まれたと言うことなのだろう。
大阪もこのまま、滅亡してしまうだろう。」
と、呟いたそうである。
210:人間七七四年
09/03/26 16:00:27 9dH0SqFf
>>207
茶坊主が横流したらそれはそれで今の殿を尊重してないって事に
211:人間七七四年
09/03/26 17:44:57 kx8hFK6Q
江戸柳生系ばかり続いたので、尾張柳生系の逸話も。
尾張柳生の祖、兵庫助利厳の逸話。
柳生兵庫助利厳は、柳生石舟斎の孫にして、新陰流の正統を継いだ剣士である。
26の時まで石舟斎の元にいたが、加藤清正の要請により、
「兵庫助は短気の為、三度までは何があっても御寛恕くださりますよう」という
石舟斎の条件の元、五百石(内実三千石とも)で加藤家に仕官することとなったという。
そして加藤家に仕えて1年足らず、領内でキリシタン一揆が発生。
古参の臣・伊藤長門守が鎮圧に当たったが、なかなか収まらず、
業を煮やした清正は「お前に全て任せる。思うようにせよ」と
兵庫助を増援として遣わした。
増援を率い、伊藤長門のところへ向かった兵庫助だが、
古参の武将である伊藤は、新参で武芸者の兵庫助が気に入らず、
一揆勢の動向をつかんだ兵庫助による再三の攻撃の申し出を容れず、
「新参のお前如きの言など当てにはならぬ」などと言った為、
主命を果たすため兵庫助は伊藤長門を切り捨て、一揆勢の本拠へ攻撃を仕掛けた。
こうして兵庫助は一揆勢を鎮圧。
また、根拠地の村人を皆殺しにした後、熊本城へ引き上げ、清正へ報告。
その後、主命は果たしたものの、古参の臣を切り捨てた責を以って、
清正が引き止めるのを振り切り、加藤家を致仕したという。
========================
主命のためとはいえ、祖父の危惧通りに短気を起こして、
仕官先を辞めざるを得なかったというお話。
尤も、後に尾張徳川家に仕官できたし、加藤家も取り潰しにあってるので、
災い転じて福となる、とも言えるかも。
ちなみに、加藤家を辞めてから尾張徳川家に仕官するまでの12年間は
武者修行をしていたそうな。
212:人間七七四年
09/03/26 19:50:25 eYCp60Zy
老臣斬り捨てられて、なお引き止める清正のいい話にもなるな
213:人間七七四年
09/03/26 19:55:26 0ToiNu4F
>ちなみに、加藤家を辞めてから尾張徳川家に仕官するまでの12年間は
>武者修行をしていたそうな。
別に仕官できなくても実家で養ってもらえるからなあ
所詮は気楽なボンボンだからこそできたこと
214:人間七七四年
09/03/26 22:22:06 M2Hv/DSr
宗矩以外の柳生は、十兵衛といい能マニアの宗冬といい、わりと社会人としては
駄目駄目だなあw
隆慶や荒山徹には蹂躙されまくりの宗矩だけど、実際は常識人だったんだろうな。
215:人間七七四年
09/03/26 23:03:47 OaMhXqZH
戦国は遠くなりにけり in 島原 1638
黒田忠之「ふー遅刻チコク!でも、もう大丈夫!一揆なんてウチだけで充分スよ!」
松平信綱「・・・一人で突っ込んで死んだオレの前任者への皮肉か?」(#^ω^)ビキビキ
忠之、相当頭に血が上っていたらしく、上記のようなKY発言をしたり、
鎧もつけずに突撃しようとしたり。(URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com))
そのせいで幕府の心象を悪くしたのか、手柄の申告を却下されたりしてます。
知恵伊豆「明日総攻撃かけようって軍議で決めたのに、なんで抜け駆けすんの?!」
鍋島勝茂「え、だってウチのダディが『軍に法なし、敵に勝つを軍法とす』って・・・」
知恵伊豆「いつの時代の話だよ・・・・・・!」
結局、勝茂は乱の終結後に蟄居刑を食らいました。
立花忠茂「・・・てな感じで、どこも大変みたいですね。」
立花宗茂「ふーん、なんかウチも心配だなぁ。せっかくだから、オレも行くわ。」
立花忠茂「 ヲイ、70歳 」
鎮西無双・立花宗茂、島 原 に 降 臨
立花宗茂「よし、早めに来て一番城門に近い場所に陣取ったどー!これで勝つる!」
知恵伊豆「あ、動員数に応じて陣の配置変えるんで。そこは細川さんに譲って下さい。」
(´・ω・`)
細川忠利「( ´,_ゝ`)フフン こういう時、日頃の行いがモノを言うのデス。
今は、一揆勢の投石がウザいんで、船の帆柱立てて帆を張って防いでます。
ワリと余裕デスね。」
細川三歳「あっ、そう。んで、一揆勢が火矢打ってきて帆に引火して帆柱倒れたら、
忠利クンはどうするのかな?」
(´・ω・`)
嗚呼、戦国は遠くなりにけり・・・
216:人間七七四年
09/03/26 23:56:05 9dH0SqFf
知恵伊豆が到着するまでに一揆鎮圧できてない時点で…
217:人間七七四年
09/03/26 23:59:08 x8V2ePTo
島原の乱の頃に戦争技術が低下してグダグダだったって話を聞いたんですが、大坂の陣の頃は大丈夫だったんでしょうか?
関ヶ原から14年も経っていたけど、現役の戦国武将もいたから大丈夫だったとか?
218:人間七七四年
09/03/27 00:01:30 5ox52BQD
誤爆した、すまん
219:人間七七四年
09/03/27 00:05:45 ZkwMB+Gu
まとめスレにあると思うぜ。
大坂の陣の若武者達の残念物語。
ギンギラギンな井伊のルーキー達の赤備とさりげない井伊のロートル達の赤備とか、
矢部虎之助とか。
220:人間七七四年
09/03/27 00:18:23 93TJwgab
行軍速度が双方かなり落ちてたってなんかで見たなあ
それで戦国真っ最中の感覚でたてた作戦がタイムスケジュールずれまくりで失敗したとかなんとか
221:人間七七四年
09/03/27 00:28:06 zTxR0WSY
軍隊なんだから集団での軍事訓練をしないと
能力がすぐ錆びるのは当然だわな。
戦国時代は訓練など無くとも実戦で鍛え上げられたが。
てか、戦国の空気から一変。
日本人をみんなで一斉になまくら化させた江戸幕府の奴らがすごいよ。
222:人間七七四年
09/03/27 00:34:15 KrWUnEKh
あの若かった宗茂が、生ける伝説となっていた頃だもんね
政宗は前年に死んでるし
223:人間七七四年
09/03/27 02:08:55 vkM6TvKh
この頃火縄銃も地味に進歩していて
一揆勢のつかっていた有馬筒は元が厚く先が細い作りになっており
火薬を多く使用することができ、かつ先が軽く狙いをつけやすかった
二町離れて5発のうち2発は命中させたという
さらに威力が向上したことでそれまで仕寄せに使われてきた竹束が
容易に貫通され役に立たないことが分かり、旧来の方法では城に近づけない事が明らかになった
これに対し前線の将士は竹束に代わって俵に土を詰めたものを使って仕寄せ道を作ることを発案した
現代的に言えば土俵を使って塹壕戦のような事をやろうというのである
これをうけて細川忠利は1月5日の手紙で国元に至急空俵6万俵を送れ、足りなければ隣国からも集めろと命じている
若い世代だって色々考えているのだ
224:人間七七四年
09/03/27 08:18:09 36O7syMT
何気に要所要所の戦に出てる宗茂
225:人間七七四年
09/03/27 09:10:26 o4UCibJ8
何気に参戦している水野勝成
226:人間七七四年
09/03/27 09:22:38 44ycrmMJ
>>221
大阪の役のとき、寄せ集めの浪人衆に数千人単位での集団戦の軍事訓練を
叩き込んだのが後藤又兵衛とか。
秀頼も現場を見て結構いけるかも、と思ったらしい。
227:人間七七四年
09/03/27 09:56:15 Dl98P+lc
>>225
一揆勢の夜襲を槍で防いだ人間へ「夜に槍振り回すとか味方も危なくね?」
という批判が出たのに対して「とっさの時にンな事言ってられっか!」
と実例いくつも上げて若造の机上の空論を鼻で笑っておられますな
228:人間七七四年
09/03/27 12:51:23 0K1Rj+8v
このスレの人間の見識の深さ広さには恐れ入る
229:人間七七四年
09/03/27 16:21:13 b9UvtVKe
夜に槍を振り回す・・・?
230:人間七七四年
09/03/27 16:29:37 KrWUnEKh
秀吉「槍は振り回すのではなく、一点目がけて何度も突き刺すものじゃ」
231:人間七七四年
09/03/27 17:56:15 hPtRvqnX
地獄はヤバい、ヤバすぎる
おそらく、戦国時代までには閻魔の権威は失墜してアレクサンダー大王やチンギス・ハン、カエサル…etcが幅を利かせてたかもしれないけど
「地獄上等!!」なリアル戦闘民族、リアル修羅がなだれ込んでさらなるカオスになる悪寒…
これじゃ、六道的に地獄界っていうより修羅界かもしれないけど
232:人間七七四年
09/03/27 18:02:26 XUKiYhj/
今夜、某の脇差を振り回します
一人でだけど
233:人間七七四年
09/03/27 18:03:30 13l9j85J
地獄って回転率悪くてやばそうだよな
234:人間七七四年
09/03/27 18:15:10 /XyPDmcy
だから無限に地獄を建て増ししていっちゃったんだろ
235:人間七七四年
09/03/27 18:19:49 hPtRvqnX
どうあっても戦国武将なんて浄土や極楽にはいかないだろうからなぁ…
戦国三傑が地獄で顔を合わせたらバツが悪そう
まあ、それ以外にもバツが悪いのはかなりいるけど
236:人間七七四年
09/03/27 18:38:27 6P/2Bzhd
前田利家「ま、俺は地獄へなんか行くはずないけどね」
237:人間七七四年
09/03/27 19:03:13 34SJBAE6
悟りたば 坊主になるな 魚食え 地獄に落ちて 鬼と戦え
なんて歌が出来るぐらいだからな…
238:人間七七四年
09/03/27 19:10:30 FPsWXnO+
>>235
真田信之「これで地獄で父上や信繁と一杯飲めるか…」
閻魔大王「信之は天国じゃ」
真田信之「父上、信繁…(´:ω:`)」
239:人間七七四年
09/03/27 19:15:12 7HbWbKBH
鬼と戦えとか、ちょっと聞くとかっこいいな。
まったく関係ないが
某所にデーモン小暮閣下が声を当てている閻魔様がいらっしゃる。
240:人間七七四年
09/03/27 19:16:58 9oB7cwHA
なぁに、戦国時代には鬼が50人は居る。
241:人間七七四年
09/03/27 19:20:02 9nhGm1GQ
そこでも鬼武蔵が登場するのですね、わかります
242:人間七七四年
09/03/27 19:24:34 MihQYKCz
山口重政が、大番頭を申し付かった時の事。配下の組衆を集め、食事を振る舞った。
組衆の者達は皆、「真に結構なご馳走です。痛み入ります」と言えば、重政
「いやいや、痛み入る事はありません。私はこの度、あなた達のご支配を仰せ付けられました。
何事かあったときは、私の命令であなた方を引き回す事になります。
ならば、静謐な時、せめてこのようにご馳走でも差し上げなければ、と考えたのです。」
ところがこれを聞いた大田善太夫と言う者、「そう言う事ならこの料理、食べられませぬ!」
などと言い出した。このご馳走を命令を聞く対価だと感じたのが嫌だったのか。
しかしこの言葉で、その座は興ざめしたのだとか。
まさか重政も、そんなつもりでご馳走したわけではないだろうに。
なかなか、空気を読まない人は、いつの時代にもいらっしゃるのだ。
243:人間七七四年
09/03/27 21:56:04 yL9vIKVY
>>231
>>235
さながら地獄絵図になってそうだなぁ…--;
って、地獄だからそれでいいのかもしれんw
244:人間七七四年
09/03/27 22:17:50 K/Xi10h+
>ならば、静謐な時、せめてこのようにご馳走でも差し上げなければ、と考えたのです。
って気を遣ってくれてるのになあ。
245:人間七七四年
09/03/27 22:41:15 m6ySFtBR
いい上司じゃないか
246:人間七七四年
09/03/27 22:41:51 uUHaXtgq
脇差で思い出した話
伊賀越えで活躍した茶屋四郎次郎清延には長以という息子が居ました
ある式日に登城し大廊下に出た時、老中酒井忠世が寄って来て言いました
「へぇ~なかなか良い脇差じゃん」
言われて長以大喜びなにせ式日だったから一番豪華な奴を持ってきたからだ
忠世はさらにつづけて言った
「道具といい、拵えといいスゲェ~良いじゃん。いかなる大名、旗本も持って無いんじゃね?」
「こんな良い物だし、ちょっと鞘だけでも良いから貸して?」
と言った。
長以は喜んで貸した。
しかし、直ぐに戻ってくると思った忠世は、なかなか戻らない。
長以は、焦りはじめた。というのも、式日の大廊下だから多くの大名、旗本達が通って行くからだ。
殿中で"抜き身"、一歩間違え無くても怪し過ぎる。
皆、いぶかしげな目で見て通り過ぎていくうえに、目付衆まで寄ってくる始末。
それでも戻らない忠世。
将軍出席しての儀式が始まって終わっても戻らない。
大名、旗本達が皆帰った後にやっと忠世の家臣が鞘を持って来た。
その頃には長以も慢心していた自分を戒めてくれたのだと気付いていた。
殿中での羞恥プレイ或いは新人潰しに見えるのはご愛嬌
247:人間七七四年
09/03/27 23:09:45 Dl98P+lc
茶屋Jr「全部見られちゃうっ…くやしいっ…でも感じちゃう…」ビクッ ビクッ
248:人間七七四年
09/03/28 00:01:59 jlGP8A71
空気読まずに失礼を。
毛利元就がまだ元服したばかりのある日。元就は大内の命令で明の使者を接待することになった。
下関から陸路で京都へ上がる道筋、吉田を通る一行をもてなせとの、大内からの命令である。
毛利の当主は現在不在。
必然的に元就が供応役を仰せつかることになったのである。
そして元就が明の使者を接待している一行の中に朱良範と言う男が居た。
この男は元就の敬礼を見るや否や、いきなり席を立ち上がり別室へと消えてしまう。
そして戻ってきたかと思うと一通の文を元就に手渡したのだった。
朱良範は今すぐ手紙を読むよう、元就に催促する。
そして以下の内容が僧侶によって読み上げられた。
『元就の顔は中国の皇帝そっくりだね。
目と声は秦の始皇帝。顔は漢の高祖帝。背格好は唐の太宗皇帝に激似だよ!
つまり君は将来病気しないし長生きするし、十人くらいの子供に恵まれて
家も長く続んじゃないかな。
むしろ皇帝の先生になる勢いだし!』(注意※もちろん意訳です)
場が凍った。
(で、詰まるところ誰に似てるんだ?)とは聞かないでくれ。
元就も例外ではない。文の疎ましさに頭を抱えたくなった。
わざと相鑑定書を紛失せしめるほどに、それが疎ましかった。
なぜならこのときの毛利はまだ元就の兄興元が当主なのだ。
いくら興元が京で敵と鬱、この二つと戦っている最中であっても、差し置いて分家を褒められては困る。
元就はこんな危険極まりない行為に頭を抱え文を紛失させたのだと言う。
ちなみにソースは陰陽太平記。ただし孫引き御免。
以上毛利元就の都合の悪い話でありました。
249:人間七七四年
09/03/28 00:05:53 ldJNfAYw
褒めちぎる文を書くまではともかく、この場で読み上げろってのは
さすがに何か企んでいたとしか思えんなこの使者。
250:人間七七四年
09/03/28 00:06:09 sAvVW1ox
聴いたことあるのか始皇帝の声ww
251:人間七七四年
09/03/28 00:12:50 Z5Q15TAd
意訳の部分とその場で読ませるKYっぷりで昔のカート・アングルが思い浮かんだw
252:人間七七四年
09/03/28 00:41:27 Dc9o3SGY
>>250
史記によれば
秦の始皇帝は「秦王為人,蜂準,長目,摯鳥膺,豺聲,少恩而虎狼心」で切れ長の目と豺(狼、山犬)のような声
漢高祖は「高祖為人、隆準而龍顔、美須髯、左股有七十二黒子」で龍顔=高い鼻で面長の顔立ち
なんとなく元就の顔が思い浮かぶような浮かばないような…
253:人間七七四年
09/03/28 01:04:55 XPow1fnQ
つまり化け物だったんですね
254:人間七七四年
09/03/28 01:20:14 uEAOMgql
しかし、実際その通りになったんだからすごいよな。
そのナンチャラカンチャラって人の予言(?)
255:人間七七四年
09/03/28 01:23:55 0+yhaGkb
武功雑記に有る、非常によく分からん逸話なのだが…
加藤清正の家臣に、加藤善右衛門と言う者がいた。知行1万5千石を頂き、その知行所へ
受け取りに行った。
その頃清正は、堤権右衛門と言う者の屋敷に招待され、清正はその相伴として、
斉藤佐渡と共に、加藤善右衛門も呼んだ。
清正が風呂から上がったときに、丁度善右衛門が知行地から帰ってきた。
そこで善右衛門に「知行地の受け取りは無事済んだようだな」と言うと、善右衛門
「はい、受け取りました。ですが頂いた1万5千石のうち、500石はお蔵入り(加藤家の取り分)
なのですな。」と言い出した。
清正「何を言っておる?蔵入りなどわしは取っておらぬぞ。」と言うと、善右衛門
「いいや、あります。知行所のうち、500石ほど、まるで物なりのない場所がありまする。
そう言うことであれば、残りがより物成りがなければこれをカバーできませぬ。
ですから、500石はお蔵入りだと申し上げたのです。」
これに清正はもっての他と怒った。まあこんな事言われれば怒るのも当然であろう。
善右衛門がそれでも口答えするのを、斉藤佐渡が脇から抑え、立たせて御前を立ち去らせた。
が、清正の怒りは収まらず、「善右衛門を切腹させよ!」と言い出した。
そこで斉藤とあと2人の計3人がその場で、切腹の検使として任命された。
しかし斉藤、清正に「善右衛門、粗忽な事を申し上げ、ご不快にさせましたが、
もし、今後反省し、もう一度ご奉公したいと言うようであれば、切腹を許されてはいかがでしょうか?」
と、言上した。
これに清正も、斉藤がそこまで言うのなら、善右衛門が反省した場合、切腹を許さない事もない、
などと、はっきりしないがそんな風に言った。
そこで斉藤たちは善右衛門の所に飛んで行き、「我々は殿より、お主の切腹させるための検使として来た。
だが、後悔し反省するのであれば、それを許すとの御意であるぞ。」と言えば、善右衛門も
「過分なるお心遣い、ありがとうございます。私も慮外な事を言おうと思って、言ったのではないのです。」
それを聞いて斉藤、「ざっと済みたり。切腹いたすには及ばないぞ。」と言う。斉藤に付いてきた残り二人の
検使は「え?それでいいの!?」と不満顔だが、ここでも斉藤、「じゃあ待ってろ、殿の意見聞いてくる」と
清正の所に行き、うまく取り繕ったので、清正から直々に善右衛門の許しを得た。切腹は無くなったわけだ。
…と、ここまでなら、同僚が同僚を助けるいい話なのだろうが、その晩、加藤善右衛門、
肥後から退転。しかもそのついでに、自分の知行所の庄屋の所に行き、態度が
気に入らなかったからと磔にした。
何 故 逃 げ た ?
つーか、 何 故 殺 た し ! ?
そんな肥後加藤家のよく分からない悪い話。
256:人間七七四年
09/03/28 01:30:36 wB9Fsvzx
>>255
この逃げた加藤は主君と助けてくれた同僚に泥ぶっ掛けたわけだなw
この話で思い出すのは桶屋の家臣で数年連続で水害に悩まされても黙々と使え続けた武士
少しは見習えw
257:人間七七四年
09/03/28 02:12:25 PARl8v8r
だいすきなサケチュウさんへ。 「変身忍者 嵐」のしゅだいかで、かえうたをかんがえました。
こんどあえたら、いっしょにうたってくださいね。おからだをたいせつに。 もがみよしみつ より
♪1.きらめく稲妻 とどろく雷鳴 朝も荒らしっ 昼も荒らしっ 寝るまで荒らし~
ID変えて自演レス~ ときどきミスって自爆だクソッ!
俺は~ 荒らし~ 使命は荒らし~ 変身忍者 鮭厨~ 見参!
♪2.うずまく竜巻 とどろく地鳴り 今日も荒らしっ 明日も荒らしっ 年中荒らし~
憎い武将を貶める~ 伊達に上杉、直江にその他!
俺は~ 荒らし~ 隠れて荒らし~ 変身忍者 鮭厨~ 見参!
♪3.ひらめく大刀 とどろくつば鳴り 今年も荒らしっ 来年も荒らしっ 死ぬまで荒らし~
最上のスレを守り抜く~ アンチはニートだハロワへ行け!
俺は~ 荒らし~ 正義の荒らし~ 変身忍者 鮭厨~ 見参!
(繰り返し)サブカク~ シカク~ サ・ブ・カ・ク・シカク~ 変身忍者 鮭厨~ 見参!
参考 : 変身忍者嵐 主題歌『嵐よ叫べ』
(うたをしらないひとは「変身忍者嵐OP」でググってみてね。どおががあったよ。)
258:人間七七四年
09/03/28 02:54:31 sAvVW1ox
>>255
知行地を見て、良くない土地があると言って土地の庄屋とまず一悶着
↓
腹の虫が収まらないまま、知行くれた殿に会いいきなり嫌味
↓
当然怒られるが、元よりおとなしく切腹する気などさらさらない
↓
助け船が入ったのをいいことにその場は下手に出ておいて
隙を見て後脚で砂をかけるように逐電。
行き掛けの駄賃に庄屋に腹癒せ。
…という流れかね?
何というかリアルなdqn振りだなw
はりつけとかはないにしろ、こういう奴現代にも居そう
259:人間七七四年
09/03/28 03:03:22 sAvVW1ox
連投ごめん
>>252
サンクス。
豺(狼、山犬)のような声というのは良く通る声的な意味かな。
260:人間七七四年
09/03/28 09:50:20 5UAWxxAf
>>255
一方、福島家に仕えた忠臣は酒に酔った市松に切腹を(ry
261:人間七七四年
09/03/28 13:28:49 niWaemZg
>豺(狼、山犬)のような声
ワンワン、、、クゥ~ン
262:人間七七四年
09/03/28 16:51:42 /kZnzQSr
朝鮮陣の折、加藤清正は何故だか、自分の鎧を色々な人間に着せて、
その着こなしを批評するという、変な事をやっていたそうだ。
しかし着せる人間着せる人間、ろくに着こなしが出来ていない。
そりゃそうである。清正に合うよう作られた鎧が、そう簡単に他人に
着こなせるわけが無い。
ところが西郷壱岐と言う者が、かなり立派に着こなし、これを清正も大変に褒めたそうだ。
が、それでも
「やっぱり俺の着こなしの方が上だけどね」
と言うのを忘れなかったとか。
263:人間七七四年
09/03/28 17:03:44 tlgrSxCI
>>262
清正「万が一の時にはアイツに俺の鎧着せて突撃させよう」
264:人間七七四年
09/03/28 17:57:13 dorp/C+R
どう見ても影武者テストです。本当にありがとうございました
265:人間七七四年
09/03/28 19:29:58 DSunjfG4
>>248
名古屋ならぬ広島の女子高生かよ朱良範w
「いつでも中華ルール発動するしィー」
266:人間七七四年
09/03/28 22:55:41 eegw+1UD
>>230
寧々「なぜその一点が何箇所もあるんですか#(ビキビキ)」
267:人間七七四年
09/03/28 23:02:25 Pnhovj4y
ラスボス百裂拳
268:人間七七四年
09/03/28 23:20:06 La3KQz06
>>266
敵は一人じゃないからだね
269:人間七七四年
09/03/29 00:24:57 fngjhogB
まったく槍○ンな話だ
270:人間七七四年
09/03/29 01:13:36 vFMwXI7+
>>260
市松は何もできないから家臣も立派なのが揃ったけど
加藤家は清正が何でもやっちゃうから家臣が頼りない奴ばっか、て逸話よく見るけど
加藤家の方が飯田覚兵衛と森本義太夫を筆頭に日本中に鳴り響いた家臣が多い気がするんだけど。
実際どうだったかはわからないけど、ちょっと疑問。
271:人間七七四年
09/03/29 01:43:06 rejoZ3NT
何でも出来ちゃう人の下って一部の何でも出来ちゃう部下と言われたことこなすだけの部下になるんじゃね
こいつなら大丈夫!と思える一部には任せるだろし後は口出す、
で口出すからなかなか他の連中は成長しない、と
272:人間七七四年
09/03/29 01:49:40 9gklsidR
森本...清正が死んだ翌年死亡
飯田...主君はアレだわ、家臣団はオロオロしてるわ…やってられっかよ!!
273:人間七七四年
09/03/29 04:12:16 UqcX7RMr
幻の軍師
神子田正治という人物がいる。秀吉に請われてその配下となり、あの竹中半兵衛がその才能を見込み、
自分の後継者として秀吉に推薦したと言うほどの男である。
そう、半兵衛亡き後の秀吉の「軍師」とは、黒田勘兵衛ではなく、本来この
神子田半左衛門正治であったのだ。
だが、小牧長久手の合戦の折、尾張二重堀城の守備をまかされたが、織田信雄軍の襲来に
これを放棄、秀吉を怒らせた。
さらに正治が撤退戦の折、敵の首を一つ取っていた事も、秀吉の怒りを倍増させた。
「誰がお前に、そんな匹夫の功を立てろと言ったのか!」
この時正治は、秀吉に臆することなく申し開きをした。竹中半兵衛に認められたほどの知性であり、
おそらくは理路整然とした申し開きだったのであろう。しかし秀吉はこれを認めず、口論となり、
正治は所領を没収され、高野山に追放された。しかもそれだけでは秀吉の怒りは収まらず、
天正十三年(1585)には、その高野山すら追放され、諸国を放浪する事になった。
天正十五年(1587)、正治は九州征伐のため豊後におもむいた秀吉の下に、
帰参を申し出に現れたが、秀吉は許すことなく、彼に切腹を申し付けた。
切腹の時正治は、「私がこのようになる上は、秀吉にはもう、心に引っかかる事はあるまいよ。」
と、言ったそうだ。
秀吉はこの正治の首を、京の一条戻橋に晒した。『この者天下の大臆病者なり』との札を立てて。
神子田正治は秀吉草々の頃からの配下であり、おそらくは最も優秀な家臣の一人であっただろう。
それを秀吉は、何故ここまで憎んだのか?
そんな、幻の軍師のお話。
274:人間七七四年
09/03/29 05:15:22 EfFBvyzQ
臆病者ってのがわからないし何かあったんだろうね
275:人間七七四年
09/03/29 08:35:04 5GuNLQ/C
神子神子田正治! 神子神子田正治!
生麦 生米 神子神子田正治!!
神子神子田正治! 神子神子田正治!
蛙ピョコピョコ 神子神子田正治!!
神子神子田正治! 神子神子田正治!
セクシャルバイオレット 神子神子田正治!!
276:人間七七四年
09/03/29 09:25:16 70UAn1eY
この手にタイプにありがちなのは、
己の才気を鼻にかけて、傲慢になるパターンだよな。
277:人間七七四年
09/03/29 12:22:31 SlhsV2Pa
まぁ厳罰主義者だったんだろうね。
同じ家臣時代からの四大重臣の一人尾藤さんも勝ち戦で改易で帰参を懇願して処刑だし
278:人間七七四年
09/03/29 14:44:31 YCtA8wVP
半兵衛…策が成功すれば満足、武名が知られればラッキー
官兵衛…足萎えに大領あげたら天下取っちゃうんであげません
神子田…「こいつはくせぇー!!姦雄以下のニオイがプンプンするぜー!!」
とか
279:人間七七四年
09/03/29 14:57:32 vrqnWvsX
>>276
曹操と楊修の関係みたいだな。
280:人間七七四年
09/03/29 16:16:07 /jNiXJMz
単に兵に人気がなかったんだとおも>神子田
晩年はともかくとして、秀吉さんは兵とか民衆とかの人気をすげー気にする人だから。
281:人間七七四年
09/03/29 17:00:05 aH77NoXq
上杉謙信の所にいたとある人質の者が、家来一人を密かに城外に出す企みをした。
この時、この者の別の家来二人が口論を装い、そして刺し違えて死んだ。
そして検使を乞うて死骸二つを見せ、「今夜、番所から出します」と決めた。
その上で死体の一つを密かに埋めて隠し、外に出す家来を死体のように包んで、
本物の死体と共に、その夜、番所から出した。
だが、この時番兵が、「今日の一件の事は見聞きしておりますので、疑う事はありませんが、
作法ですので、今一度死体を確認させてください。」と言う。
死体を出す者達は一瞬戸惑ったものの、遺品などを色々見せ、番兵を納得させた。
そうしていよいよ城外に出す事となった。
この時、番兵が一言、
「ではこれも城から出す前の作法ですので、死体を槍で上から二回づつ突きます。」
この後どうなったかは、記録に無い。
282:人間七七四年
09/03/29 17:22:05 ToBVpv96
>>273
口先だけのセコイ奴に思えたんじゃないの?
283:人間七七四年
09/03/29 17:36:34 c616FHnA
前田家家臣奥村永福が末森城で妻共々奮戦した話は有名
が、実際の戦はこれで終わっていないのである
佐々成政軍は突出と後退を織り交ぜ前田軍に追撃の隙を与えなかった
前田軍は追撃に度々失敗し結局は佐々軍本隊を逃す大失態を演じている
逆に久世但馬守率いる一隊がかつての一向一揆の激戦地、鳥越城を奪取し前田軍の侵攻を阻んだのである
佐々成政は秀吉軍本隊接近であっさりと降伏したと思われがちだが実際は前田利家と泥沼の消耗戦を繰り広げていた
事実この鳥越城、数倍の前田軍相手に秀吉の富山仕置まで一年近く保ちこたえた
佐々成政降伏後、久世但馬守も開城して牢人となったが越前に入封した結城秀康の家臣となった
秀康死後に越前騒動(久世騒動)に名が残る事からも久世但馬守は有能であったようだ
前田家の文書では末森城以後富山仕置までの話はスルーされている
もちろん主な小説や大河ですらスルーされた
大藩加賀藩の藩祖が小勢に手こずった事実を隠すかの様に
勝者の歴史、その陰の話
284:人間七七四年
09/03/29 18:21:20 Rkh/mFwB
佐々軍はさっさと進軍したんだな。
285:人間七七四年
09/03/29 18:26:31 Su2M0lKK
前田に追撃されてりゃ当たり前だ
286:人間七七四年
09/03/29 18:34:56 YCtA8wVP
2発続けてコメントしにくいレス書くなよw
287:人間七七四年
09/03/29 18:56:39 kg5Ou1DT
川相さん帰りますよ(AAry
288:人間七七四年
09/03/29 19:35:01 hV3sgwva
>>287
井端乙
289:人間七七四年
09/03/29 20:47:32 JP2YucsG
>>280
鈴なりのゴンベは大失態やらかしたのに助けてるもんな
290:人間七七四年
09/03/29 21:07:52 b7MOuWon
>>273
小牧長久手の時ならラスボス化する前だからなんらかの理由がありそうだね
291:人間七七四年
09/03/29 21:27:58 FgasRb11
尾藤知宣も小牧・長久手でミスをしているから、ラスボス化は既にこの頃から始まっている
つまり、ラスボス化の原因は家康にあり!
292:人間七七四年
09/03/29 21:47:46 viJ9vOs3
ゴンちゃんの失敗は小牧長久手の後だよ
まぁ、ゴンちゃんは復帰のときに大活躍してるのが違うところか
293:人間七七四年
09/03/29 22:04:54 gUlrx5kH
帰参しようとするのが死亡フラグなのだな
294:人間七七四年
09/03/29 22:07:08 FgasRb11
>>292
彼の場合、家康を頼ったのが良かった
295:人間七七四年
09/03/29 22:37:02 X2mgIeGo
>>293
稲富「オレは生き残りました!」
296:人間七七四年
09/03/30 01:14:48 bHU9zXn9
終にキタ。小栗又一vs大久保彦左衛門
小栗又一と大久保彦左衛門の間に、人返し(逃亡した領民の返還)の事に付いて、
紛争が起こった事があった。
彦左衛門、「こんな事は使いを通して話し合いしても埒が明かぬ!小栗又一が
どれほどの武辺者だと言っても、あいつがかち割れない頭を持っている訳ではないだろう!」
と、殺る気満々で直接小栗に会いに行き、周りがドン引きするほど強硬で一方的な抗議をした。
これには流石の小栗又一も呆れ返り
「あんな理不尽な人間には合った事がない。」
と言ったそうだ。
さあ皆さんご一緒に。せーの、
「 お 前 が ry 」
297:人間七七四年
09/03/30 01:24:36 vMSzUZm8
>>295
どっちの領民にもなりたくないw
298:人間七七四年
09/03/30 01:48:17 RoNR9puX
向こうで秀忠の話が出てたので、秀忠の(かなり)悪い話を。
忠興パパが(いつものように)忠利君にお手紙書いた。
「京で禁中のことを聞いたが、主上(後水尾天皇)や公家さん達も相当お困りみたいだな。
主上がお困りなのは、公家さん達の官位や、金銀などの財産が自由に出来ないことだそうだ。
更には(米や金銀の使い道がないから)人に利子をつけて貸し付けたりしているらしい
(中略)
それからこれは裏事情だが、主上の側室方にお子がどれほど生まれても、
押し殺される、あるいは流産させられているということがある。
主上は酷くご無念に思われて、
「どれだけ子供が生まれても、秀忠の孫以外は帝の位にはつけないというのに
あまりに惨いことだ」と深くお嘆きになったそうだ。
これ以外にもまだあるのだが、口にするのを避けておられる・・・」
その後、主上は心痛のあまりか譲位なさったという陰惨な話。
秀忠、何やったんだ。
299:人間七七四年
09/03/30 02:29:19 EBgu/PYQ
秀忠怖ええ!
でも秀忠パパが厄介なモンを根こそぎ葬ったお陰で家光以降の幕府黄金期があるんだよな…
300:人間七七四年
09/03/30 09:56:27 Ey/6Um3V
>>298
そこで裏柳生ですよ
301:人間七七四年
09/03/30 11:05:16 mDep4GZ6
柳生一族の陰謀
302:人間七七四年
09/03/30 12:08:30 MmV9G53y
>>301
みだらな棒と書くのですね。
303:人間七七四年
09/03/30 12:13:20 Ow2nInOc
wikiでは、後水尾天皇、随分とお盛んな主上だったらしいが。
上皇になって、延々院政引いたんでしょ。
何十人もいたら、お手当大変だったから口減らしでは。
304:人間七七四年
09/03/30 12:14:44 iQLB173S
秀忠「おのれ、この俺が浮気もロクに出来ずに監視されて居るというのに…憎い!あの主上が憎い!!」
305:人間七七四年
09/03/30 12:32:30 +blJwTYw
>>304
ワロタw
306:人間七七四年
09/03/30 12:55:50 xAItUOLO
>>304
心の底から納得
307:人間七七四年
09/03/30 12:57:19 cc0VCz2g
wiki見たが何人こさえてんだよw
これ以上まだ産ませてたのか。
しかし子供を実際殺していたのは事実らしいな。
和子入内前に子供が出来ていたお与津は宮中追放されるは
以後和子の子である明正天皇に後水尾天皇が譲位するまで
和子以外の女性に子供はおらず
譲位後からまた他の女達にパコパコ産ませている。
308:人間七七四年
09/03/30 14:23:03 MmV9G53y
>>272
飯田かく兵衛さんて「あー(清正に)騙された騙された、戦場怖いし。
なぜか段々責任が重くなって辞めるに辞められんし。なんで俺ばっかり……ブツブツ……」
てツンデレの人だよね。めっちゃ加藤清正スキーだったんだろう か?
309:人間七七四年
09/03/30 16:17:15 RloTKpAz
鬼武蔵は森蘭丸のことを「あいつはヘビでもカエルでも何でも食うから」という理由で「モズ」と呼んでいた
というのが昔読んだ本宮ひろしの「夢幻の如く」であったんだが、
作者のオリジナルにしては変な設定で、以降出なかった話だから
気になったのだが調べても出典がわからん…
果たして何らかの根拠がある話なのでしょうか
もしあるのなら蘭丸の(食い意地が)悪い話、という事で
310:人間七七四年
09/03/30 17:24:02 FBTJNNTJ
蛇神を食べたのは何処のどいt・・・・グギャッ
311:人間七七四年
09/03/30 18:20:44 ZTj98ARR
どう考えても食ってたのは兄のほうです。
312:人間七七四年
09/03/30 19:15:58 sR2fP006
さては食べ残しをそこらへんに突き刺しておく癖でもあったか。
313:人間七七四年
09/03/30 19:32:30 vMSzUZm8
>>304
妙に納得できる理由だなぁw
>>307
後水尾上皇は天皇家の徳川家斉というべき御仁
ただし、天皇家は財政援助してもらえたのに対して、将軍家は…w
314:人間七七四年
09/03/30 22:32:59 1kBkVmQw
小平太は見た
徳川家康と穴山梅雪が織田信長に、甲州平定のお礼として上京した折りの事。
もてなしを受ける家康は榊原康政を、信長へのご機嫌伺いに出した。
康政、邸内を移動しているとなにやら物騒な音。何事かと見れば、信長が頭をつかんで
ぶん殴っていた、接待役の光秀を。
どうやら信長、光秀の家老、斉藤利三を稲葉家に返せと言う命令を、光秀が聞かなかった事に
酷く腹を立てている模様。
しかし、その余りの振る舞いに光秀、涙を流して言う
「私をお取立てしていただいた、そのご恩は莫大でございますれば、どのような事をされても
逆心は抱きませぬ。しかし、これはあまりの事でございます。」
打ちひしがれた光秀に、近習の森蘭丸、この時十八歳は、いう
「日向守様?あなたは上様と君臣の間柄が非常に深く、上様もあなたには心安いから、
このような打擲もおやりになるのです。
ああ、何と羨ましいご奉公ぶりでしょう。」
こんな昼ドラも真っ青の修羅場を見てしまった小平太さん。本能寺まで、17日余り前の出来事であった。
315:人間七七四年
09/03/30 22:35:47 V4tUgARL
森蘭○「俺はノンケだってかまわないで食っちまう人間なんだぜ」
316:人間七七四年
09/03/30 22:46:24 OCdygckN
春日弾○「俺はノンケだってかまわないで食っちまう人間なんだぜ」
317:人間七七四年
09/03/30 22:51:25 mDep4GZ6
アッー!
318:人間七七四年
09/03/30 22:57:34 vMSzUZm8
直江兼○「俺も烏賊同文」
319:人間七七四年
09/03/30 22:58:38 2OENoOOe
小平太って見て真っ先に服部さんかと思った
何か見ちゃいけないもの見て連座したのかとw
320:人間七七四年
09/03/30 23:27:22 xCa3NKCN
なんて史料に記載されているのか、できれば教えてください
321:人間七七四年
09/03/30 23:39:56 ZcT+2Ad+
ウホッ…いいキンカン頭…
322:人間七七四年
09/03/31 00:11:12 22uZcYXF
>>320
314の元ネタは、「武功雑記」と言う本です。
323:人間七七四年
09/03/31 02:59:18 7CqPvvEl
・世の中にいらぬもの三つあり
一つは堕落、一つは徳川、もう一つは女のわがままである
by島津義久
324:人間七七四年
09/03/31 03:04:23 802R0DaV
>>323
DQN家久「一つは義久、一つは義弘、もう一つはry」
325:人間七七四年
09/03/31 03:56:37 UbcfFQU7
家久さま、そんなに正室さまがお嫌いですか?
326:人間七七四年
09/03/31 11:53:13 1TWdKsTr
日野富子「女の我儘なんて可愛いものじゃない」
327:人間七七四年
09/03/31 12:12:21 c1wGwmKC
秀吉が別所長治の三木城攻めの際のこと
帝釈山に明要寺という寺があった
この寺は、干し殺し真っ只中の秀吉軍をかいくぐり、なんとか
別所へ食料を運ぼうと頑張った毛利さんところの補給経路であった
秀吉はこの補給経路を絶つために、この寺を焼き討ちにし
多くの武装した僧侶は逃げ出し、谷に落ちて死んでいった
この寺には多くの侍童と稚児がいたのだが、これらはいのちからがら
山へ逃げた
しかし、秀吉の追手は執拗に追いかけてくる
とうとう追っ手に捕まり、ことごとく切り殺されてしまった
哀れに思った村人等によって稚児らの亡骸をこの山頂に葬って
墓に供える花を手折った東の峰を花折山と呼び
この山を稚子ヶ墓山と呼ぶようになったといわれている
因みに、今はハイキングコースとなっております
328:人間七七四年
09/03/31 12:41:44 NejBuK/b
補給路を徹底的に断て、という秀吉の厳命があったのだろう。
朝鮮の役の先触れのような印象。
329:人間七七四年
09/03/31 12:51:55 0jMHSCcZ
>>327
秀吉「逃げる奴は別所勢だ!抵抗する奴は訓練された別所勢だ!」
330:人間七七四年
09/03/31 12:58:36 Ssvkb5YE
「フハハ戦場は地獄だぜ」
331:人間七七四年
09/03/31 13:26:42 7WqgOoQD
>>309おちりに逸物を刺すから、では……汗アセ
332:人間七七四年
09/03/31 14:32:43 sLWw1TEs
円谷すぐにクビになりそうだな
333:人間七七四年
09/03/31 14:33:26 sLWw1TEs
ごめん、誤爆ですよ。
334:人間七七四年
09/03/31 14:36:30 VYoGmeQ2
誤爆か…
一日限定で森長可の部下になる
富田長繁と会食
太田康資と手合わせ
好きなのを選べ
335:人間七七四年
09/03/31 15:02:41 KvTT4z06
森さんかな・・・とにかく目立たず切り抜ける
336:人間七七四年
09/03/31 15:17:37 0JmGKkBc
>>309
まとめにこんな回答がっ
人間七七四年
百枚舌っていう意味でかもー
2009/03/31 Tue 00:23 URL [ Edit ]
337:人間七七四年
09/03/31 15:20:07 ZQNc0x+O
百枚の舌を持つ側近
神を食らう猛将
桃DQN
権力の中枢に置くにはなんという危険な一族だろうか
338:人間七七四年
09/03/31 17:25:17 yQvQVYmo
でも室町幕府初期はこの手の危険人物が普通に権力中枢にいるから困る。
339:人間七七四年
09/03/31 18:56:20 vYIgXPpS
同時に超優秀な武将だったり政治家だったり風流人だったりするからな>室町初期DQN三人衆
340:人間七七四年
09/03/31 19:29:15 7Nw3czyM
132 名前: 人間七七四年 投稿日: 2009/03/30(月) 11:32:54 ID:+blJwTYw
>>131
33巻?
そこは最上勢が小野寺の柳田城攻めで、
円通寺の剛勇にさんざんに最上側が悩まされたり、
鮭登の郎党が弟が傷を負ったのを見て周りの人々が治療すれば助かると見たが、
もうお前に生き甲斐ないよって言い放って弟の首を斬ったり、柳田城中の女童が逃げ隠れるのを追いかけ回して追詰め散々に切捨てたり、
女童を天井の梁に取り付けぶら下げ槍や熊手で引き落とし突殺。
女下部の老人が助け給えと手を合わせ泣き悲しむのを手足を縛り胴切り、衣装を剥ぎ取り裸にし仰向けに踏み返し、
腹を裂き首を切り笑いまくり阿鼻叫喚の言語に絶する悪逆。こんな感じで小城を撫で切り483人討ち取り。
さらに最上軍は10歳くらいの童男や童女の父母兄弟が目の前で殺され、走り倒れ泣き叫ぶのを拉致って、
雪の中を湯沢まで連れて行って柳田の兄弟の男子かどうか詮議すると言いながら、吟味を一切せずに全て虐殺。
この悪逆に「此人々の行末を見まほしや。」と嘆じる。
行く末は言うまでもなく最上兄弟争い死にまくった挙げ句に最上改易で当然の報いを受けた場面で奥羽永慶は筆を置いている。
最上の酷い話
341:人間七七四年
09/03/31 19:35:58 4PsSQr+r
最上屑だな
342:人間七七四年
09/03/31 19:36:32 IaO81+FE
天子に矢ぶっ放すからな。室町DQNは
343:人間七七四年
09/03/31 19:42:46 r537Rag7
奥州仕置を終えた豊臣秀吉
奥羽のうち、旧主改易となった地の検地に着手した
現地の人々には不安と不満が生じ、どうにも剣呑な空気となったらしい
案じた秀吉は、奉行の浅野長政達に命令を出した
「奥羽の国人・百姓には、よくよくわしの意を説いて、納得させるんだよ
もしそれでも従わずに抵抗したりしたら…
城持ちなら、その城に追い込んで、中にいるやつは皆殺しにするんだよ
百姓だったら、一郷でも二郷でも、丸ごと撫で斬りにするようにね
それでたとえ、土地が荒れ野原になったって構いやしないよ
とにかく、山の奥や漕ぎ出せるだけの海、すべてくまなく追求してください」
現場を思いやったとても細やかな指図をするラs…秀吉であった
344:人間七七四年
09/03/31 20:58:15 ZUTQjTDP
撫で斬りと聞いて森さんと伊達さんが仲間に入りたそうにじーっと見てます。
仲間にしますか?
345:人間七七四年
09/03/31 21:30:51 hOz5VM4a
撫で斬りには愛が無きゃいかんのじゃ
346:人間七七四年
09/03/31 22:13:50 yLpc/NZg
>>340
あー、念のため書いておくけど、その要約かなり無茶苦茶だぞ?
またも日本語が不自由な例の荒しだからまとめ管理人さん、ご配慮くだされW
347:人間七七四年
09/03/31 22:21:48 Lkl0DffM
紀州に浅野長晟がいた頃の事。
地侍に何某と言う、かつて功名の沙汰のあったものがいて、今は山中に住んでいた。
浅野家ではこの何某の武勇に期待し、扶持していたが、この男、いつしか武技の鍛錬を忘れ、
蓄財に励むようになった。他人にそれを指摘されると
「財貨あればいつでも、諸道具、人馬ともに集められるわ!」と、聞く耳を持たなかった。
さて、大阪の陣が起こる。この男公言していたように、財貨を散じて人馬、諸道具を求め、
ゆゆしい装いで出発した。ところか、道を進むにつれ一人減り二人減り、所詮金で集めた者達ゆえか、
戦場である大阪に着く頃には全員逐電し、残ったのは自分とその馬だけと言う有様になった。
何某、これでは働きも出来ず、かといって紀州に帰るのも面目ないと、そのまま
行方不明になったそうである。
武士たるもの、普段から武芸を鍛錬し武備を備えていないと、いざ事あったときに
役に立たないのですよ。というお話。
348:人間七七四年
09/04/01 00:04:42 S4T8ezI7
さすが最上厨都合が悪いと削除か
349:人間七七四年
09/04/01 00:44:47 m0xtgDBS
>>346
要約が無茶苦茶で例の荒しで配慮よろというのはいくらなんでも無精ではないか
346の思う正しい要約を書き込むべきではないか
時間がかかってしまい遅レスになるのがためらわれるならばそれこそまとめサイトを
活用しコメント欄にでも書き込めばいいのではないか
つまりカモン
350:人間七七四年
09/04/01 03:50:11 NSktuHhI
とりあえずコピペのままじゃダメだろ。
351:人間七七四年
09/04/01 08:22:01 nCoV0ppA
>>347
前田利家さんが耳が痛そうな顔しています
352:人間七七四年
09/04/01 15:13:03 BhBnApUf
>351
だから甥っ子が影武者なりって名乗ったり、氷風呂に入れたりして鍛え直したんだよ。感謝しなきゃ(棒
353:人間七七四年
09/04/01 16:20:50 99L9CO5B
大ぬる山
天正元年(1573)8月、刀根山に陣取った朝倉軍と、その麓の織田軍との対峙は続いていた。
ある日、信長は井楼に上がり
「敵は今夜引く。先陣の者たちは油断するな!」と使いをたびたび出して下地させた。
が、これを聞いた先陣の者達は
「殿は何を言っているんだ?敵は大軍、しかも地の利を得て、あまつさえこれは主力決戦だぞ。
こっちならともかく、敵が引くわけが無い。」皆そう言って、あまり気にしなかった。
信長は夜になっても井楼から降りず、敵陣をにらみ目も離さなかった。
丑の刻、信長の声が響いた、「敵は退くぞ!」
法螺貝を吹きたてさせると馬に乗り、「先陣の大ぬる山どもは油断して出遅れておるぞ!
旗本の者ども功名せよ!」と、真一文字に駆け出した。
はたして先陣の軍勢は遅れ、この戦、信長の旗本にて勝利を得た。
信長は味方でも怠っているものには、「大ぬる山」と呼んで笑っていたのだそうだ。
信長の、口の悪いお話。
354:人間七七四年
09/04/01 16:49:57 kFO7hSQ7
朝倉追撃戦での信長の戦況判断は神懸りとしか思えんわ^^;
355:人間七七四年
09/04/01 16:54:54 GeIsNbKR
この話
センゴクであったな
356:人間七七四年
09/04/01 17:16:44 0JP8hmse
>>353
信盛 「でも俺たちほどすばらしい家来は滅多にいないですぞ」
佐クマーNobumoriの(態度の)悪い話。
357:人間七七四年
09/04/01 22:22:32 ziYx9Ly1
>>353
ヒャッハー!富田長繁が陣に駆け込んできますた
でも前の日に前波吉継が駆け込んでいますた。
二人はとっても仲が悪かったキュアブラック
358:人間七七四年
09/04/02 00:30:27 uTC72lb+
信長の戦略眼の良い話な感じがするけど
この追撃と刀根坂の戦いで朝倉軍壊滅させてる訳だし
359:人間七七四年
09/04/02 01:29:39 hqB07q4t
小牧長久手でのことである。
その頃水野勝成は目を病み、兜をつけず頭に鉢巻をしていた。それを見た父、忠重は
「何だお前のその姿は。兜を小便壷にでもしたか!?」と、罵る。
これに勝成「父とは言えあんまりだ!こうなったら俺は今日の合戦、真っ先に駆けて
首を取るか取られるかの二つに一つだ!」と、馬にまたがり勝手に駆け出していった。
いつも思うのだが、水野勝成のスイッチの入りかたと言うのは、どこかおかしい。
なんでそうなるのかと、さすがに忠重も驚き、大田重助と言う者に追いかけさせて戻ってくるように言ったが、
勝成、頭に血が上って聞きゃしない。さらに一族の水野喜右衛門まで追いかけてきて
とにかく戻れというのに勝成、喫と睨んで
「畳の上の諫めなら聞くこともあるでしょう!が、只今大軍の中に駆け入り巧妙せんとする時!
止まれといわれて引き返す馬鹿があるか!」
と言い捨て秀次の将、白井備後守の陣に一人で突撃。兜首を取ってしまい、あまつさえこれが、
この日の一番首の手柄になってしまった。見事罵った父を見返してしまったのだ。軍令違反だけど。
こんな男が後年「全ての士に貴賎は無い。主君と言い、家来と言うが、互いに頼み、
憐れんでこそ、世の中と言うのは成り立つものなのだよ。」などと言うようになるのだから、
人間、どうなるか分からないものなのである。
360:人間七七四年
09/04/02 01:32:45 ip0lVo5p
親父もいきなりご挨拶なセリフ吐くなぁw
361:人間七七四年
09/04/02 02:29:03 Scs3qakZ
>>351-352
奥さんに銭に戦ってもらいなさいとか助言されたりもw
362:人間七七四年
09/04/02 02:54:31 N5j5ZRNm
>360
息子をみてスイッチ入ったんだろう。
なぜなら、彼(忠重)もまた水野な存在だからです。
363:人間七七四年
09/04/02 09:21:44 A5Dev0lM
>>359
勝成の華麗すぎる活躍を物凄くはしょると
・小牧長久手で一番槍→軍令違反で父と喧嘩、父の家臣を斬って出奔
・佐々成政にやっかいになる→成政切腹で出奔
・小西行長にやっかいになる→続かず出奔
・黒田如水にやっかいになる→出奔、何をやったか追っ手を差し向けられる
・立花宗茂にやっかいになる→宗茂の家臣と喧嘩、出奔
・三村親成にやっかいになる→茶坊主を斬って出奔
・三村親成のところに戻る→やっぱり出奔
・岐阜城攻め→ミミズを食ってみんなドン引き
・大坂夏の陣→大将にも関わらず、自ら槍を持って後藤又兵衛らを討ち取った
大坂城に一番旗という大活躍
ほんの一部抜粋ですが、勝成さんは根っから人間味あふれるすばらしい
人格が備わっていたのだと思います
364:人間七七四年
09/04/02 09:27:56 vKXXLHRV
息子がそんなんじゃ将として示しがつかんから叱って当然だろ。
ただ『兜はどうした?ここは戦場だぞ!』と言えば良いところを軽く皮肉ったせいで、恐らく周りの兵から鼻で笑われて
勝成は辱められたと思いヤケになって…で膨んでいったと思われ
365:人間七七四年
09/04/02 09:38:36 1pvNVXZD
>>363 並べられると
相性良さそうに見えるのは佐々だけだな
366:人間七七四年
09/04/02 10:01:23 NM39+Zwn
2ちゃんにもよくいるだろ、何を言うにも煽りを入れないと気がすまない奴
忠重もそれの類だったんだよ
367:人間七七四年
09/04/02 10:08:02 vKXXLHRV
>>363秀吉に仕えてた時代を忘れてもらっちゃ困るぜよ
368:人間七七四年
09/04/02 10:13:21 l7HiL+RA
島原にも出てないっけ?
369:人間七七四年
09/04/02 10:29:22 pDT+iW4r
島原ではなぜか一族揃って出陣してた
370:人間七七四年
09/04/02 10:30:49 vKXXLHRV
>>363
てか勝成厨で勝成研究本を四・五冊持ってる俺が立花宗茂の所にいたなんて初めて聞いたんだが…。
確か天草一揆の時、小西の所から兵糧を輸送するのにお使いで寄ったくらいだと思ったんだけど
そう言う説もあるんなら是非出所を教えてくれ、今後の糧にする
371:人間七七四年
09/04/02 11:02:32 vVwQNOBp
>>186 携帯から失礼。
スレ違いを承知で書くが、これと似た話が中国にある。もっともこちらはちょっとイイ話。
宋の大祖 趙キョウ胤が後周に将軍として仕えていた頃の話。
無類の酒好きの趙キョウ胤、王宮に出仕している時にどーしても酒が飲みたくなった。
そこで宮中の酒倉に行き、そこの番人に「ちょいと酒を分けてくんない?」と言った。
するとその番人、「少々お待ち下さい…」と言うと、自分の懐から財布を取り出して使いの者に酒を買いに行かせ、
「ここにあるのは宮中で使う酒ですので、私がそれを管理している以上、勝手に差し上げる訳にはまいりません。しかしこの酒は私が個人的に買った酒ですので、飲むならこれを飲んで下さい」
と言って買ってきた酒を趙キョウ胤に渡した。
これを聞いた趙キョウ胤、「たかが酒倉の番人だが、公私をわきまえた立派な奴だ。憶えておこう」
この番人の名を曹彬といい、後に趙キョウ胤の最も信頼する大将軍となった。
372:人間七七四年
09/04/02 11:37:53 MGE5lSlW
勝成さんは家康の命で諸国の情報を得てたんじゃないかな?
>>371
こちらへドゾー
戦国ちょっといい話8
スレリンク(sengoku板)
373:人間七七四年
09/04/02 12:44:51 A5Dev0lM
>>370
ソースとな
「血槍三代」じゃw
374:人間七七四年
09/04/02 18:37:26 ip0lVo5p
忠重って死んだ原因も酒が絡んでの口論なんだよなw
毒舌が過ぎたんだろうか。
375:人間七七四年
09/04/02 18:45:38 xtGasogd
関ヶ原合戦後、長宗我部盛親は沙汰を受けるため、供廻りだけで上方へ赴いた
しかし、盛親はそのまま留め置かれ、代わりに土佐にきたのは知行没収を伝える使者だった
この処置に憤激した一領具足ら数百、浦戸城引渡しを阻止しようと籠城の挙に出た
「浦戸一揆」の勃発である
ただ、正規の武士ではない一領具足では、城を乗っ取ることはできない
そこで、彼らは重臣の一人を総大将に担ぎ上げた
武勇で名高い桑名弥次兵衛吉成である
が、吉成、実は恭順派の人物だった
彼だけでなく、重臣達は盛親の身を案じ、また世の趨勢を見て反抗の虚しさを悟っていた
吉成は城内に味方を作り、城外の恭順派軍勢に呼応させた
総大将が内通者という前代未聞の状態、籠城側に勝ち目はない
数百の一揆勢はことごとく斬り捨てられ、浦戸城は解放された
376:人間七七四年
09/04/02 20:32:01 tQTsm0rq
一領具足たちの見る目のない話、か
377:人間七七四年
09/04/02 23:30:13 3ueNsgHk
それぞれ主君を思って行動したってのがまた・・・
378:人間七七四年
09/04/02 23:39:28 hqB07q4t
湯浅常山、憤る。
「常山紀談」を著した湯浅常山。彼はその著書の中で、こんな事を言っている。
『つーかさ、甲陽軍鑑って、信玄に都合の悪い事を隠し過ぎだよねー。
例えば同じ合戦でも、北条五代記には「氏康夜討ちして甲州の兵敗北し。
八幡と書かれた武田の軍旗を捨てて逃げた」って書いてあるのに、甲陽軍鑑じゃ
「この旗は波にさらわれて無くした」なんて書かれてるんだよ?
北条五代記に書かれてる事が間違っているとしてもさ、高波に旗を取られたって、
どこに陣を敷いたかすらわかってないじゃん!』
尾瀬甫庵の「信長記」や「太閤記」は、案外素直に受け入れてるのに、甲陽軍鑑には
妙に厳しい常山先生なのであった。
379:人間七七四年
09/04/03 05:26:21 XuyjypDR
もともと長曽我部は東軍につくはずだったのにどういうわけか西軍に…
大阪の陣の話を聞くと勇ましい印象を受けるが実際は戦の経験が乏しい凡将
380:人間七七四年
09/04/03 07:38:36 rhSwgrUF
東軍に付くつもりが西軍に・・・なんて人達多いけどな。
381:人間七七四年
09/04/03 08:50:23 JHO0Z5Pn
>>373 …。
382:人間七七四年
09/04/03 09:07:01 6vwyKgVp
>>379
どったの急に
383:人間七七四年
09/04/03 09:07:06 N7tvMZBy
>>380
そのあたり、ホントかどうかって気がする。
経緯はどうあれ西軍についた者達が、実は違うんだ、大権現さまに逆らうつもりは
なかったんだよといいたいための話なんじゃないかなあと。
384:人間七七四年
09/04/03 10:54:23 /BAiEoiZ
そこいくと、中身の真偽はどうあれ、
取り敢えず権現殿に宣戦布告した誰かさんはいっそ清々しいな。
385:人間七七四年
09/04/03 11:49:24 SDY6PbGA
>>384アントキノ景勝兼続タッグか
386:人間七七四年
09/04/03 14:15:18 5GwI3JUW
120万を30万にした収容の匠
387:人間七七四年
09/04/03 14:37:29 luwcxnEo
なんということでしょう。
120万石もあった石高が匠の業でこれだけのスペースに
家臣を解雇せずに恩を着せる気配りはさすがに匠です
388:人間七七四年
09/04/03 14:54:59 ajnIRBWi
なんと今ならさらに半分の15万石に!
389:人間七七四年
09/04/03 16:25:27 9KDdcSc0
なんというテレフォンショッピングwww
390:人間七七四年
09/04/03 16:27:12 Jda38p5b
黒田如水、長政親子が豊前を与えられ、国内の国人一揆と戦っていた頃の事。
黒田親子が馬の丘と言う城にいたとき、城下に一揆軍が押し寄せた。黒田長政この時16歳。
一揆勢を蹴散らそうと近習を引き連れ飛び出した。如水は「やめとけ」と言ってた。
長政が出てくると一揆勢は撤退。これを追いかけ山中に入る。はい、もう解りましたね?罠です。
長政君、まんまとひっかかりました。
山中の深くに入った所で一揆勢、岩陰から一斉に現れる。真っ先に進んでいた黒田方の大野小弁、
一揆に取り囲まれ馬から突き落とされた!
これを見た後藤又兵衛、小河伝右衛門、久野四兵衛、馬の首を引き返し逃げる。長政を置いて。
長政、すっかり取り囲まれた。一揆はそこら変中の木陰や岩陰からワラワラ沸いてくる。
もうデッドライジングでゾンビがフィーバーしている状態である。長政は円形の陣を引いてじりじりと
退却するが、一揆は竹の鏃の矢を、雨のように降り注がせる。「狩場の鹿か俺達は!」
あまりの屈辱に長政、馬から下りて討ち死にしようとする色が見えたので、近習が必死になって抑える。
が、長政の馬が一揆の矢に当たり終に斃れ、一揆の接近を見て「もうここで自害する!」と叫んだ。
菅政利が「私の馬にお乗りください!」と言うも、そんなこと聞かずにすでに帯を解き始めている。
もう死ぬ事しか頭にないのだ。
その時三宅三太夫が走り寄り、「ここは大将が自害するような場所じゃないでしょ!」と、長政を
片手で持ち上げ、そのまま馬に乗り引き退いた。
菅はその馬の尻がいの所に手をかけ少しも離れず、木屋兵右衛門は長政の槍を持って
後に続いた。
三宅を中心として50人ほどが、円形の陣を保ったまま二里ほど逃げれば、そのあたりで一揆も
追うのをあきらめた。長政主従、どうにか危機を脱出したのだ。
この時後藤又兵衛、錯乱してお気に入りの、猩々緋の羽織を脱ぎ捨てて逃げていたらしい。
追いついた長政達が引き下がっている最中その羽織を見つけ、又兵衛に返してあげた。
ちなみに櫓より長政の敗戦を見ていた如水、大笑いしたそうだ。「だから言ったのに。」
しかし傍の者たちが「御加勢を!」と口々に言うのを、「円陣を保っているし、長政だから
大丈夫だろ。」と、ほって置いたとか。変な所で子を信頼もしている如水なのであった。
391:人間七七四年
09/04/03 16:54:50 3OFMjjNZ
>>384
なんか謝罪に上洛したときもその主従はまったく悪怯れた様子がなかったらしいな。
関ケ原後も妙に反抗的とも取れそうな態度の逸話ばっかだし。
392:人間七七四年
09/04/03 17:16:01 x603YNH4
>>390
城井の宇都宮鎮房を征討に行ったときの話でしょうか?
鎮房のゲリラ戦術に散々やられたけど、中津城での仕返しの騙し討ちも
戦国ながらなかなかの汚さでした。
393:人間七七四年
09/04/03 19:47:35 cCww3JpT
敗北の苦味を教えておいてやろう、という如水のスパルタ教育に見えてしまうのだが
394:人間七七四年
09/04/03 20:22:23 QU4jmRIX
官兵衛「流石オレの息子、300でも大丈夫」
又兵衛「ああ!『スパルタ』教育だけに」
太兵衛「プゲラwww」
395:人間七七四年
09/04/03 20:40:28 Qud/eZLJ
実に黒田家なノリで大変よろしい
396:人間七七四年
09/04/03 21:05:00 g/xc/rZc
ファランクス見たいな密集陣形が日本に無かったのはなんでだろ?
397:人間七七四年
09/04/03 21:05:42 2JHRkGji
>>393
そのわりに後々になっても「突撃してくる前衛を100騎も潰せばその中に長政がいる」って言われてるわけですが
398:人間七七四年
09/04/03 21:47:47 /zar2ggW
>>396
密集陣形は機動性が最悪なので、多様な地形の日本では役立たず
それに個人の戦功を重視するので、その点でも適合しない
399:人間七七四年
09/04/03 22:04:24 rhSwgrUF
>>396
戦場の最前線ならそりゃ密集隊形だよ。
合戦絵図とか見ても、基本密集してるじゃない。
槍の長さの逸話も、密集して使用するから出てくるわけだしね。
ただ日本だと、平坦な場所が少なく防衛側が急峻な地形や城に拠る等、
開けた場所での大規模な野戦が必然的に少なくなるから、
マケドニアファランクスに代表される広大な平地での運用を想定した、大規模な密集隊形が発展しなかっただけ。
400:人間七七四年
09/04/03 22:32:58 cT7NhgJ9
>>392
いや、やり方自体はオーソドックスでそう誉めたものじゃないだろ
城井を時勢が読めなすぎるなんて貶す奴もいるけど
思うにあれは自分が軍勢を率いて城を空ければ城井は油断して動くはずという如水の読み勝ち
若干二十歳で一度は完敗した相手を見事に仕留めた長政の器量勝ちだね
401:人間七七四年
09/04/03 22:36:08 cT7NhgJ9
ごめんここ悪い話スレだったのね
402:人間七七四年
09/04/04 00:48:25 HorkhVF0
文禄2年(1593)1月、碧蹄館の戦いの時のこと。
宇喜多秀家の家臣、国富源右衛門は手柄になりそうな敵を物色していたが、
ついに豪華な鎧を着た明兵に遭遇した。
源右衛門は太刀で三度まで明兵に斬りつけたが、相手の鎧が硬いのか、
それとも源右衛門の腕が悪いのか、三度とも弾き返されてしまった。
「よろしい、ならば格闘だ。」
あきらめた源右衛門、太刀を投げ捨てると素手で飛びかかり、組打ちを挑んだ。
・・・功夫の国の人に。
明兵「私は一向に構わんッッ!!」
たちまち源右衛門は押さえ込まれ、マウントポジションを取られた。
必死ではね返そうとするも、岩にのしかかられたようで、ビクともしない。
なんとか脇差を抜いて突いたが、これも鎧にはね返された。
結局、源右衛門は状況に気づいた味方の手で、やっと救われたという。
何がしたかったんだ、源右衛門。
というか、この後に数十人がかりでようやく討ち取った、マヂで某海なんとかいう名前
だったであろう明兵のスゴイ話かも知れない。
403:人間七七四年
09/04/04 00:50:59 GxmcyZHn
いわゆる槍衾って、小規模だけど普通に密集陣形だよな
404:人間七七四年
09/04/04 01:19:58 Ulo5uGPQ
黒田長政がある時人に語った事に
「自分は十四の齢より今に至るまで、抜群の功績を立てたことが多いのに、
自分が大功のある黒田如水の息子であるばかりに、この親と比べられて自分の功は目立たず、
人もこれを称えてくれない。
それなのに浅野幸長は、軍功のない浅野長政の息子のなので、それと比べて目立つものだから
ちょっとした功でも、それがあるたびに人はこれを称えている。
不公平だ!」
と、不満をもらしたと言う。
この発言を、後、湯浅常山は『これって暴言みたいに聞こえるけど、実際
そう言うことだったんじゃないの?』と、ぶっちゃけてたりするw
405:人間七七四年
09/04/04 01:38:22 jFH4Ceqn
「男は一生 父とたたかう」
406:人間七七四年
09/04/04 02:06:36 F6ZHWCua
>軍功のない浅野長政
流石にこれは酷い
407:人間七七四年
09/04/04 02:11:13 HooAxe59
>>404
536 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね :2009/04/04(土) 01:16:47 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】よろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】スレリンク(sengoku板)
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓
黒田長政がある時人に語った事に
「自分は十四の齢より今に至るまで、抜群の功績を立てたことが多いのに、
自分が大功のある黒田如水の息子であるばかりに、この親と比べられて自分の功は目立たず、
人もこれを称えてくれない。
それなのに浅野幸長は、軍功のない浅野長政の息子のなので、それと比べて目立つものだから
ちょっとした功でも、それがあるたびに人はこれを称えている。
不公平だ!」
と、不満をもらしたと言う。
この発言を、後、湯浅常山は『これって暴言みたいに聞こえるけど、実際
そう言うことだったんじゃないの?』と、ぶっちゃけてたりするw
408:代理
09/04/04 03:59:11 HooAxe59
>>390
296 :長いので2つに分けています。後で繋げて下さい :2009/04/03(金) 16:10:22 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】長文ですがよろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】スレリンク(sengoku板)
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓
黒田如水、長政親子が豊前を与えられ、国内の国人一揆と戦っていた頃の事。
黒田親子が馬の丘と言う城にいたとき、城下に一揆軍が押し寄せた。黒田長政この時16歳。
一揆勢を蹴散らそうと近習を引き連れ飛び出した。如水は「やめとけ」と言ってた。
長政が出てくると一揆勢は撤退。これを追いかけ山中に入る。はい、もう解りましたね?罠です。
長政君、まんまとひっかかりました。
山中の深くに入った所で一揆勢、岩陰から一斉に現れる。真っ先に進んでいた黒田方の大野小弁、
一揆に取り囲まれ馬から突き落とされた!
これを見た後藤又兵衛、小河伝右衛門、久野四兵衛、馬の首を引き返し逃げる。長政を置いて。
長政、すっかり取り囲まれた。一揆はそこら変中の木陰や岩陰からワラワラ沸いてくる。
もうデッドライジングでゾンビがフィーバーしている状態である。長政は円形の陣を引いてじりじりと
退却するが、一揆は竹の鏃の矢を、雨のように降り注がせる。「狩場の鹿か俺達は!」
あまりの屈辱に長政、馬から下りて討ち死にしようとする色が見えたので、近習が必死になって抑える。
が、長政の馬が一揆の矢に当たり終に斃れ、一揆の接近を見て「もうここで自害する!」と叫んだ。
菅政利が「私の馬にお乗りください!」と言うも、そんなこと聞かずにすでに帯を解き始めている。
もう死ぬ事しか頭にないのだ。
409:代理
09/04/04 04:00:58 HooAxe59
297 :>>296の続きです :2009/04/03(金) 16:11:24 発信元:218.133.160.74
その時三宅三太夫が走り寄り、「ここは大将が自害するような場所じゃないでしょ!」と、長政を
片手で持ち上げ、そのまま馬に乗り引き退いた。
菅はその馬の尻がいの所に手をかけ少しも離れず、木屋兵右衛門は長政の槍を持って
後に続いた。
三宅を中心として50人ほどが、円形の陣を保ったまま二里ほど逃げれば、そのあたりで一揆も
追うのをあきらめた。長政主従、どうにか危機を脱出したのだ。
この時後藤又兵衛、錯乱してお気に入りの、猩々緋の羽織を脱ぎ捨てて逃げていたらしい。
追いついた長政達が引き下がっている最中その羽織を見つけ、又兵衛に返してあげた。
ちなみに櫓より長政の敗戦を見ていた如水、大笑いしたそうだ。「だから言ったのに。」
しかし傍の者たちが「御加勢を!」と口々に言うのを、「円陣を保っているし、長政だから
大丈夫だろ。」と、ほって置いたとか。変な所で子を信頼もしている如水なのであった。
410:代理
09/04/04 04:39:36 HooAxe59
>>378
133 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね :2009/04/02(木) 22:42:58 発信元:218.133.160.74
【依頼に関してのコメントなど】よろしくおねがいします
【板名】戦国時代
【スレ名】戦国ちょっと悪い話8
【スレのURL】スレリンク(sengoku板)
【名前欄】
【メール欄】sage
【本文】↓
湯浅常山、憤る。
「常山紀談」を著した湯浅常山。彼はその著書の中で、こんな事を言っている。
『つーかさ、甲陽軍鑑って、信玄に都合の悪い事を隠し過ぎだよねー。
例えば同じ合戦でも、北条五代記には「氏康夜討ちして甲州の兵敗北し。
八幡と書かれた武田の軍旗を捨てて逃げた」って書いてあるのに、甲陽軍鑑じゃ
「この旗は波にさらわれて無くした」なんて書かれてるんだよ?
北条五代記に書かれてる事が間違っているとしてもさ、高波に旗を取られたって、
どこに陣を敷いたかすらわかってないじゃん!』
尾瀬甫庵の「信長記」や「太閤記」は、案外素直に受け入れてるのに、甲陽軍鑑には
妙に厳しい常山先生なのであった。
411:人間七七四年
09/04/04 07:44:56 V6gBjUei
>>407-410
何これ?
412:人間七七四年
09/04/04 07:59:57 B6CiEN5C
>>411
規制された人が他の人に書き込み依頼をした
413:人間七七四年
09/04/04 08:51:30 V6gBjUei
>>412
いや、内容おんなじだからわざわざ依頼する必要も受けても書き込む必要もないよなー
ってオモタ
414:人間七七四年
09/04/04 09:36:32 wVTFJnCO
よその板のことなんでよくわからんけど代理書き込みであることを明示するルールでもあるんじゃね
415:人間七七四年
09/04/04 10:21:08 qb+Xy3dv
規制の少ないシベ超板に代理投稿を依頼するスレがあるんだよ
>>378,390,404はそこでの依頼によって代理人が書いたわけ
んでその依頼レスをコピペして依頼対象のスレに貼ってる人間がいると
…あとはわかりますね?
416:人間七七四年
09/04/04 10:44:50 wVTFJnCO
よその板の常駐スレで同じようなことしてる奴見たわ
要はシベ超板のそのスレをターゲットにして意味不明な行動をしてるのがいるってことか
417:人間七七四年
09/04/04 11:36:56 QlGJsGE2
>>402
そんなに強いなら討ち取られる前に逃げろよ明兵w
418:人間七七四年
09/04/04 11:48:22 7RIE2f+U
>>394-395
そんなだから倅がよけい粘着質な根に持つ気質になったんでしょうがw
まさに悪い話
419:人間七七四年
09/04/04 11:48:42 Zes1NvrU
自分の国の人間にも弱いって言われる明兵だがそんな人もいたんだなぁ
名が残ってないのが残念だがあっちにはそんな風習ないか?
420:人間七七四年
09/04/04 11:52:43 AXYV0vGI
しかし明軍は逆に刀となると弱かった。
中国の刀剣は剣は漢くらいでもう下火、刀も明となると長柄中心で
誰も使わないようなものになっていた。
『水滸伝』を読めばわかるけど、宋でもうハンマーや棍(狼牙棒)といった打撃系や
槍が圧倒的に多かったのね。
そもそも中国刀剣は切れ味がイマイチ。剣はとくにペナペナで、
刺突中心だから実践ではほんとうに弱い。レイピアをもっとへろへろにしたようなもん。
武侠映画ではよく使われているが、あれはあくまでフィクションである。
倭寇で日本刀のきれあじをまざまざと見せられた明軍はびびった。
なにせ日本人ときたら人間をまっこう唐竹割にするんである。
しかも水戦となれば接近戦で槍も遣いにくい。
明の名将・戚継光は偶然入手した影流の書物をひそかにまとめ、
倭刀術として採用した。ビギナーメニューなので、たとえば
「刀が抜けないときは、互いに向き合って相手に抜いてもらおう」
なんて書いてある。さらにいえば、南派の拳を主体としたカンフーも
戚継光が源流にあるそうな。彼は火縄術の技も日本軍から学んだという。
日中武芸交流も、この頃が盛んなんである。
中国映画やドラマにも結構柳生や武蔵は出てくるし、
ブルース・リー、ジミー・ウォング映画なんかもだが
なんだかんだで中国はかなり日本の武術を意識してますなあ。
421:人間七七四年
09/04/04 11:54:15 rPUVrXaz
どんだけ凄くても討たれたら恥とかなのかな
422:人間七七四年
09/04/04 11:56:36 jfj7LHGd
フロイス
暴君関白の九州入りを前にして薩摩の殿、博多を前にして岩屋城で立ち往生。
そこで伊集院某、おそらく忠棟殿が長崎の当イエズス会宛に手紙を書いてきました。
「お前ら、すぐにでも岩屋城前に火薬、弾、ありったけの大砲を持ってまいれ、それから腕の良い砲手も
忘れずにね。さもなくば、九州を制圧後、お前ら全てをこっから叩きだすからな!」
別の時には
「秀吉のとこにうちの使いのもんが行ってるから、面倒をよく見とけよ」
「なんだ使者の取り次ぎとか面倒、怠ってるじゃないか、おぼえとけよ!」
「長崎はもう島津のもんだからな、権益は当家で独占する。
南蛮船は今まで通りお宝満載させて来るならくるしゅうないぞ。」
ホント、かってな人たちです。
ところが下関には、受洗した心正しき黒田孝高の部隊がやって来ていることを
私どもは存じ上げておりましたからね、
ま、島津殿らを怒らせないようにノラリクラリですわ。
423:人間七七四年
09/04/04 11:57:06 vtzpTyZT
豪華な鎧を着てた位だから一角の武将ではあったんだろうに
424:人間七七四年
09/04/04 12:03:01 Zes1NvrU
鎧の性能が上がってくると打撃系が使われるのが当たり前
むしろ槍の柄どころかかち合った剣や盾、騎兵の鐙ごと両断する日本刀のほうがおかしい
425:人間七七四年
09/04/04 12:33:23 0uFjOFfF
>>422
当時の手紙って、わりとみんな好き勝手なこと書いてるよなw
ご立派なのは形式ばったものくらいで
426:人間七七四年
09/04/04 12:44:05 xGJZ1NGY
>>424
何かの番組で日本刀で銃弾を斬れるのかやっていたけど
立てて設置して置いた日本刀の刃に向かって銃を何発もぶっ放したら
見事に全ての弾丸を切り裂いたらしいからねw
427:人間七七四年
09/04/04 12:49:10 +laRd7Yx
でもあれは柔らかい鉛弾で別に包丁とかでも再現できるとか聞いた
428:人間七七四年
09/04/04 12:52:59 Zes1NvrU
あれはナイフでも出来るけどな
回転してるとはいえ要は鉛だし
装甲貫くマシンガンの弾斬ったのはビビッたけど
429:人間七七四年
09/04/04 12:53:25 auh+NNjs
URLリンク(www.google.co.jp)
このネタも懐かしいな。
430:人間七七四年
09/04/04 13:25:29 AnNZtVR+
その明の軍人、兵じゃなくて、武科挙を通ったが、若くて史書に載るほどの事績のない高級将校かもね。
431:人間七七四年
09/04/04 15:03:10 3XERwTku
>>426
あれの元ネタは80年代のGUN誌。
カスタムナイフ(ほとんどがアメリカ製)を万力で固定して
銃で撃ち、弾丸を両断して刃こぼれひとつしないって様子
を高速度カメラで撮影したのを巻頭で幾度も紹介してた。
今月はラブレス、来月はランドールってな具合に。
432:人間七七四年
09/04/04 15:06:25 cASyV7Tq
>>424
日本にも最上義光や真壁氏幹のように棒を使った武将がいる。
弁慶の七つ道具にも槌が含まれているから打撃系も結構使われていたのかな。
433:人間七七四年
09/04/04 16:21:39 0uFjOFfF
天正七年、織田信長は浄土宗と法華宗の宗論を安土城下で行わせた
世に言う安土宗論である
菅屋「いよいよ世紀の対決が始まりました。私、グランプリ奉行の菅屋長頼です。
さて、浄土代表は玉念。彼は関東からの流れ説法者ですね。
対する法華側は京の高僧ぞろい…これは法華の有利が予想されます」
因果「いえ、ディベートは浄土宗が押してますよ」
菅屋「あ、副判者の因果居士さん…でも、玉念は言に困っているようですが?」
因果「そんなことありません。あれはコレコレシカジカってことで、浄土側の圧勝なんです」
菅屋「…えーと、そうなんでしょうか。判者の景秀さん、どうなんでしょう?」
景秀「……」
菅屋「おや、音声が…景秀さん!景秀さーん!」
景秀「……」
因果「ああ、駄目ですよ。景秀さんはご高齢で耳が遠いんです。耳元でゆっくり話さないと」
菅屋「…それって、この討論は聞こえてるんでしょうか?」
因果「どうでしょうね、聞こえてないんじゃないでしょうか」
菅屋「……」
玉念「ええいっ、勝った!わしの勝ち!」
菅屋「あーっと?ここで玉念、掟破りの勝利宣言!…あ!これに煽動された群集が法華僧に襲いかかっています!」
因果「これはどう見ても浄土側の圧勝ですね」
菅屋「えー…実に予想外な結末となってしまいました。以上、安土城下よりお伝えいたしました」
その後、信長は玉念に褒美を与えた上、法華側の関係者を処刑した
434:人間七七四年
09/04/04 17:15:58 TryOowGK
>>432
最上義光の棒はあくまで指揮棒だからな
実物残ってるけどあれで武装した人間は撲殺できないよ
435:人間七七四年
09/04/04 18:33:07 NVbpOeR8
>>433
牛一さんが記録残してくれてるのに経過はしょって信長の悪い話にすんな
URLリンク(ja.wikipedia.org)
論争フッかけといて負けた上にリベンジもできない
法華側の主張通り信長の八百長だって言うんなら
(判者の耳が悪いという記述は法華関係者の記録にしかない)
弱い者には噛み付くクセに信長には逆らえない法華宗の悪い話だろ