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養華院は信長正妻ではない。
大徳寺総見院の墓地見取り図の順に履歴を書き出したと
思われる柳本織田家記録には
養華院要津妙玄大姉 信長公御寵妾也 慶長十七年七月九日
とある。また小和田氏の事典でも引用されている。
ここに何故、寵妾という記録があったか紹介する。
養華院 在総見院乾、玉甫和尚所住、文禄年中、養華院要津妙玄大姉造立、
付之其徒瑚月璉首座、養華院、信長寵妾 (龍宝山誌)
養華院 北兼帯今廃
玉甫琮和尚慶長年中開 創於総見院乾隅 織田相國公寵妾施之
法號 名院宗公以付瑚月璉首座 寛政始廃遷祭祀於祥林軒
(大徳寺禅寺世譜)
この記録は信長側室であった「養華院」という女性が古溪の弟子であった
玉甫和尚の為に総見院内に寮舎を建てた記録である。
玉甫は古溪が追放された後、総見院第二代住持になった人物である。
千利休切腹事件後、大徳寺破却にみまわれる可能性もあった後に玉甫の
為に建てたこの養華院、只者ではなさそうである。
また、どちらも信長寵妾とあるので、濃姫ではなさそうである。