09/06/26 01:23:59 RNeBGDk+
はぐらかして解答から必死に逃げてるようなので、再度お聞きしますが毛利が多大な犠牲と資材を費やしてまで得た九州の領土はどれだけ手に入れたんですか?
費用対効果の観点から語ってください。
大友は秋月や龍造寺や島津に大敗して勢力が後退した記述ははっきりあるので、
毛利との戦いだけ必死に隠蔽してるとは思えませんがね。
毛利を追っ払った時点からが大友最盛期になったんですがね。
例えば1569年5月18日の立花表長尾合戦では、毛利両川ら4万の軍勢に対して、1万5000の道雪・臼杵・吉弘らは猛然と反攻し、
毛利は支え切れず320メートルも敗走したので、
道雪が全軍追撃を下令し、毛利全軍が崩壊し立花城に逃げこんだ。
博多占拠どころかこんなにもミジメな状況を好転させることもできずに何言ってるんだか。
これにさらに大友が軍を割いて山口へ上陸する支作戦を展開して完全に毛利が詰んだわけだが。
そして10月12日に毛利は道雪の追撃を受けながら立花から芦屋まで敗走。
すでに道雪によって立花鑑載が降伏に追い込まれていたが、さらに毛利に見捨てられた毛利家臣の乃美兵部・桂左衛門尉・坂新五左衛門や高橋鑑種・秋月・原田・筑紫・宗像・麻生らが大友に一網打尽にされ降伏。
毛利はこんなにもひどい史上まれな大敗を喫して跡形も無く毛利陣営は崩壊したわけだ。