毛利元就って明らかに実力未知数だよねat SENGOKU
毛利元就って明らかに実力未知数だよね - 暇つぶし2ch269:人間七七四年
09/06/14 22:58:22 JSflqZtQ
>>268
関が原の場合はどちらかというと経済的原理で必然として江戸幕府が成立したが
宝治の場合は人間の意志、偶然によって歴史が決まった稀有な例の一つだと思う
三浦泰村の意思ひとつで勝敗はどう転ぶか全く分からなかった
その後の歴史が全く異なってくるという意味でありえないほどの重大な場面


270:人間七七四年
09/06/16 19:01:31 eRkUHYrH
北条幕府(キタジョウ)ができたら紛らわしい。

271:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/18 23:32:45 cnQpH4fx
日本近代史板の最強師団、連隊スレのコピー元はここじゃったか。
ちなみに毛利側の『陰徳記』は後世の史料じゃが、古老の聞き取りの
フィールド・ワークをふまえた史料じゃけぇ、全部が史料価値が無い云う
ようなことにならんよ。『陰徳太平記』の秀吉の言で、東国兵が粘りに
欠け、中国者が長期戦でも士気に衰えが無いことは、近代郷土兵団の
関東兵団と広島師団の違いに反映されとるし。
まあ、東国のような弱兵を精強な中国地方兵と比べても意味がないが、
地域風土の違いを比較するんなら意味があろう。
URLリンク(jacoman.kitaguni.tv)
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
URLリンク(www.geocities.co.jp)
一番上の宮本常一氏の引用にあるよう、そもそも東日本の総領を
中心とした縦社会と、西日本の分割相続、お互いが平等の権利によって
連合組織をつくる民主的な横社会とは違うんじゃ。兵力の動員は
隷属縦社会の東日本の方が容易い。毛利輝元さんが秀吉に九州征伐で
兵力の動員が遅いと叱られたんも、国人領主に動員をお願いし、
国人領主は国衆に兵動員をお願いせにゃあいけん手間があったけんのう。
二番目のブログには、「中国者の律儀」について出とるが、
毛利は尼子や大友の降人も殺さんかったよ。近代郷土兵団でも
関東の兵団は敵側の戦死遺体回収時に敵兵を撃つ行為をしたが、
広島兵団は、敵側の遺体回収時は「情義」を持って見逃した。
最後の三番目のブログは、元陸軍大尉越智春海氏の『マレー戦記』の文で
あるが、文中の真ん中あたりの「昭南の逆転」に、重慶政府のスパイでも、
憲兵隊から匿うんも「情義」であり「中国者の律儀」じゃ。
敵のスパイ摘発であろうと、助けた者は救わにゃあ、広島人の「情義」が
成り立たんのじゃ。日本軍の軍命令たぁ、郷土の伝統とする「情義」の
方が大切じゃし、「情義」こそが、武人たる資格じゃないか。

272:人間七七四年
09/06/18 23:48:21 IgMSSAGD
つまり圧倒的兵力や国力に恵まれ強兵も持ってたのに雑魚秀吉にボロクソにやられた毛利最弱でFAってわけだ

273:人間七七四年
09/06/19 00:28:20 4pAUXMq5
厳島の戦いや有田中井手の戦いは、毛利側史料にしかない。。

毛利の捏造だろこれ。。。。

274:人間七七四年
09/06/19 00:32:56 4pAUXMq5
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された

275:人間七七四年
09/06/19 00:34:04 4pAUXMq5
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家



276:人間七七四年
09/06/19 00:36:13 lzPWj7gS
毛利の捏造ぶりにもみじ饅頭噴いたw

277:人間七七四年
09/06/19 00:39:35 zILJSi2U
有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。





278:人間七七四年
09/06/19 10:46:00 vejjX5z2
結局毛利の前に武田は敗れた、といいたいのですね
わかりますよ

279:人間七七四年
09/06/19 16:21:03 uz3bP6Ma
武田軍は東美濃攻防戦や上村合戦で圧倒的大軍の織田に寡兵で大勝
岩村城攻防戦でも援軍全くだせない状況で圧倒的大軍の織田相手に半年近く持ち堪え最後は騙まし討ちでやっと落とされる
武田攻めでも50~60分の一の兵で城外戦で一門の一人を討ち取り自軍より多くの被害を与え
最低4時間は戦ってたという戦術的大勝をする (ランチェスターの法則でいえば兵力差50~60倍以上なら被害差も50~60倍になるはず)
姉川で徳川以下の実力が露見した織田。その徳川を圧倒的勢いで勝ちまくり非常に軽微な被害で壊滅的損害与えたのが武田
よって武田>>>>>徳川>>>>織田
毛利は対織田戦や豊臣戦やら関が原やら圧倒的大軍や国力、鉄砲の豊富な動員にわりに
結局やられまくっただけだからな 織田が唯一兵数に頼らず楽に勝ててるのが毛利や島津といった雑魚大名
よって織田>>>>>島津>>>>毛利 以上をまとめると
武田>>>>>徳川>>>>>織田>>>>>島津>>>>>毛利 これが確定する
それぞれの合戦の戦闘結果から確定事項を抽出
信玄>>>>>家康 三方が原
家康>>>>信長  姉川
謙信>>>>柴田  手取川
謙信>>信玄    川中島
家康>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉  84年一杯の直接対決
柴田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉     しずが岳
滝川>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉      伊勢での攻防
北条氏政、氏規>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉   小田原征伐
織田信雄>>>>>秀吉            尾張や伊勢での攻防
北条氏直>>滝川            神流川
秀吉>>>>>>>>>>>>毛利一族   中国戦線
宮部>>>>>>>>>>島津       九州征伐
上杉景勝>>>北条氏照、氏邦       鉢方、八王子の攻防
上杉景勝>北条氏直            天正壬午
仁科>>>信忠  高遠の攻防戦(50~60倍かそれ以上もの兵力差で織田方の損害の方が多く一門の一人戦死。最低4時間以上戦われる)
信忠≒光秀     二条城の戦い(圧倒的大軍で光秀は寡兵の信忠に何回も押し返された)
島津≒長宗我部     戸次川の戦い(兵力差あるとはいえ壊滅的打撃被った)よって
数的優位があるとはいえ滝川を野戦で見事な偽退却戦術で非常に軽微な被害で大破した上、
豊臣軍23万5千(陣立書だと21万5千だがこれには佐竹宇都宮里見那須結城といった反北条勢が入っていない)
にわずか34500で挑み緒戦の駿河伊豆国境の戦いで大勝し、伊豆韮山でわずか500の兵で豊臣2万を大苦戦させ
武蔵忍城では1000の兵で豊臣30000の包囲を受けながら結局落とされずわずか1000がこもっただけの本城小田原に手も足も
出させず4カ月も粘り、豊臣方兵站が壊滅する寸前という窮地に追いやり、かなり余力を残した状態で降伏した北条氏直
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
圧倒的大軍で滝川に大苦戦する秀吉の先遣隊の中の先遣隊に寡兵でやられまくった島津
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>圧倒的大軍持ちながら寡兵で送りこまれた秀吉軍にいいところなく
やられまくった毛利


280:人間七七四年
09/06/19 16:22:20 2a3idNgx
毛利は滅びろよ

281:人間七七四年
09/06/19 19:10:22 1yjp0CFC
毛利が雑魚評価なのは戦国全体を相対的に見渡せばわかる

282:人間七七四年
09/06/19 23:20:24 vejjX5z2
お前ら、いくら同族とはいえ武田違いだ
巣に戻って織田と争っておけ

ちなみに三方が原は勝って当たり前、負けたら恥
その程度の戦です
信玄には弱いものいじめ以外、特にこれといって戦績ないからな
三方が原と仁科で得意げになる武田厨のなんとあわれww
しかも弱い弱いとほざいてる織田に滅ぼされたら世話ないわww

ほんと武田ダセーな

283:人間七七四年
09/06/19 23:24:15 /Knds4OV
織田が武田に勝ったなんて事実ねえよw
圧倒的大軍で上村合戦東美濃攻防戦岩村攻囲戦高遠攻防戦と大敗をしまくり
長篠では勝頼の自爆があったのに1000程度しか討ち取れず織田軍は60000のうち30000討ち取られる大敗w
結局勝頼が発狂して家臣に殺されたから武田領一時的に抑えてただけw
結局圧倒的大軍持ちながら仁科以下が確定してる光秀に寡兵で殺された雑魚w

284:人間七七四年
09/06/19 23:26:32 /Knds4OV
斉藤に20回負けてクーデターが起きたから城のっとれたが結局畿内勢に大敗しまくり
武田との主力決戦20回全て全敗の織田w

285:人間七七四年
09/06/19 23:27:44 /Knds4OV
信長がまともに戦って勝った戦なんて一つもねえよw
相手の目に砂ぼこりが入ったか相手の兵士が穴にはまって死んだとか
そういうとかばっかだし斉藤に30回負けたけどクーデターに乗じて城のっとただけだし
戦下手だったから圧倒的大軍で寡兵の光秀(仁科以下が確定してる)にボロ負けして討たれたし

雑魚長は領土拡張率ゼロの雑魚w
武田との主力決戦10回全敗して勝頼が暗殺されたから倒したように見えるだけw




286:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/20 00:22:44 bQz5hEyj
>>276
捏造は権力の中枢にある者がするんが常じゃ。戦時中の大本営発表の
ように負け戦さが勝ちよるように発表するけんのう。日本の中枢で権力を
握った側の歴史なんかええ加減なもんじゃ。
そう云やあ、桶狭間の奇襲もほんまにあったかどうか判らんのう。

ほいで、ここは>>279のような甲斐武田厨が滅ぼされた劣等感で
毛利に嫉妬しょうるが、笠間良彦氏が「西の方と東国で、戦術に
大きな差がついてしまっているんですよ。」と云われたよう、
東国の田舎の甲斐なんか弱兵でしかないが。
しかも、毛利の捏造云うわりにゃあ、戦さの兵数自体に疑問を
持たんたぁのう。近代軍隊でも敵兵の数や敵の損害数なんか水増し加算
されとるんに、戦国時代に限って正直云うことはあり得んじゃろう。
戦さの成果なんか白髪三千丈の世界じゃけぇのう。
中国征伐する側の秀吉軍が寡兵のわけあるまいに。配下に加えた中国地方
東部勢を先頭に、傭兵を含め大量の兵力をつぎこんだじゃろうて。
権力に近い立場におれば兵力の動員で人海戦術を取るけぇのう。

287:人間七七四年
09/06/20 00:36:32 9dMCBdIW
ようは幕末までのこった権利者毛利に都合いいように捏造されたって事だろ

つまり弱兵で圧倒的強さで織田徳川に勝ちまくり大損害与えまくった武田最強で確定
強兵で圧倒的大軍で南条や宇喜多にボロクソに苦戦しまくった毛利雑魚で確定

288:人間七七四年
09/06/20 00:43:18 9dMCBdIW
武田軍は東美濃攻防戦や上村合戦で圧倒的大軍の織田に寡兵で大勝
岩村城攻防戦でも援軍全くだせない状況で圧倒的大軍の織田相手に半年近く持ち堪え最後は騙まし討ちでやっと落とされる
武田攻めでも50~60分の一の兵で城外戦で一門の一人を討ち取り自軍より多くの被害を与え
最低4時間は戦ってたという戦術的大勝をする (ランチェスターの法則でいえば兵力差50~60倍以上なら被害差も50~60倍になるはず)
姉川で徳川以下の実力が露見した織田。その徳川を圧倒的勢いで勝ちまくり非常に軽微な被害で壊滅的損害与えたのが武田
よって武田>>>>>徳川>>>>織田
毛利は対織田戦や豊臣戦やら関が原やら圧倒的大軍や国力、鉄砲の豊富な動員にわりに
結局やられまくっただけだからな 織田が唯一兵数に頼らず楽に勝ててるのが毛利や島津といった雑魚大名
よって織田>>>>>島津>>>>毛利 以上をまとめると
武田>>>>>徳川>>>>>織田>>>>>島津>>>>>毛利 これが確定する
それぞれの合戦の戦闘結果から確定事項を抽出
信玄>>>>>家康 三方が原
家康>>>>信長  姉川
謙信>>>>柴田  手取川
謙信>>信玄    川中島
家康>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉  84年一杯の直接対決
柴田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉     しずが岳
滝川>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉      伊勢での攻防
北条氏政、氏規>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉   小田原征伐
織田信雄>>>>>秀吉            尾張や伊勢での攻防
北条氏直>>滝川            神流川
秀吉>>>>>>>>>>>>毛利一族   中国戦線
宮部>>>>>>>>>>島津       九州征伐
上杉景勝>>>北条氏照、氏邦       鉢方、八王子の攻防
上杉景勝>北条氏直            天正壬午
仁科>>>信忠  高遠の攻防戦(50~60倍かそれ以上もの兵力差で織田方の損害の方が多く一門の一人戦死。最低4時間以上戦われる)
信忠≒光秀     二条城の戦い(圧倒的大軍で光秀は寡兵の信忠に何回も押し返された)
島津≒長宗我部     戸次川の戦い(兵力差あるとはいえ壊滅的打撃被った)よって
数的優位があるとはいえ滝川を野戦で見事な偽退却戦術で非常に軽微な被害で大破した上、
豊臣軍23万5千(陣立書だと21万5千だがこれには佐竹宇都宮里見那須結城といった反北条勢が入っていない)
にわずか34500で挑み緒戦の駿河伊豆国境の戦いで大勝し、伊豆韮山でわずか500の兵で豊臣2万を大苦戦させ
武蔵忍城では1000の兵で豊臣30000の包囲を受けながら結局落とされずわずか1000がこもっただけの本城小田原に手も足も
出させず4カ月も粘り、豊臣方兵站が壊滅する寸前という窮地に追いやり、かなり余力を残した状態で降伏した北条氏直
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
圧倒的大軍で滝川に大苦戦する秀吉の先遣隊の中の先遣隊に寡兵でやられまくった島津
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>圧倒的大軍持ちながら寡兵で送りこまれた秀吉軍にいいところなく
やられまくった毛利


289:人間七七四年
09/06/20 00:45:33 9dMCBdIW
有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。


290:人間七七四年
09/06/20 00:46:16 qgD/sll3
そりゃ土下座して生き残った毛利は捏造し放題だろうな

291:人間七七四年
09/06/20 00:46:57 9dMCBdIW
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された。


292:人間七七四年
09/06/20 00:50:17 9dMCBdIW
元就がまともに戦って勝った事なんてねえよw
圧倒的大軍で大友浦上山名尼子と大敗をしまくり
月浦合戦では敵の自爆があったのに毛利軍は60000のうち30000討ち取られる大敗w
結局一時的に中国抑えてただけであっという間に瞬殺されるが情けで残されるw
結局圧倒的大軍持ちながら東軍相手に寡兵で殺された雑魚w


284 :人間七七四年:2009/06/19(金) 23:26:32 ID:/Knds4OV
斉藤に20回負けてクーデターが起きたから城のっとれたが結局畿内勢に大敗しまくり
武田との主力決戦20回全て全敗の織田w


285 :人間七七四年:2009/06/19(金) 23:27:44 ID:/Knds4OV
信長がまともに戦って勝った戦なんて一つもねえよw
相手の目に砂ぼこりが入ったか相手の兵士が穴にはまって死んだとか
そういうとかばっかだし斉藤に30回負けたけどクーデターに乗じて城のっとただけだし
戦下手だったから圧倒的大軍で寡兵の光秀(仁科以下が確定してる)にボロ負けして討たれたし

雑魚長は領土拡張率ゼロの雑魚w
武田との主力決戦10回全敗して勝頼が暗殺されたから倒したように見えるだけw

293:人間七七四年
09/06/20 00:52:18 9dMCBdIW
毛利って正直戦国最弱確定だろw
戦に勝ったことねえしw
相手が自分で死んでそれとっただけw

294:人間七七四年
09/06/20 08:03:46 3RbRgBfM
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家




295:人間七七四年
09/06/20 12:38:08 38pIoGmQ
>>293
戦に勝たなければ領地なんてとれるわけないだろ
どれだけ馬鹿なんだ

296:人間七七四年
09/06/20 13:22:54 ozIkLD6E
元就が武田元繁を討ち取り武田衰亡→毛利の捏造→息子で英傑だった武田光和が急死後に内紛で衰退し大内に滅ぼされる。
元就が主家の義隆の敵討ちをして大内領を正当に継承→毛利の捏造→陶の大内義隆謀殺に元就も共謀後に石見国で苦戦中の陶を裏切り背後を襲う卑怯者が元就。
尼子晴久が暗愚で元就の謀略に引っかかり粛清をしたことで内部崩壊→毛利の捏造→晴久急死後に弱年の義久が出雲国譲渡で毛利と和睦したつもりで騙されたため。


297:人間七七四年
09/06/20 13:32:55 1Sb08zjc
毛利が領地とったことなんてねえよw
旧大内尼子領ひきついだだけw

298:人間七七四年
09/06/20 14:05:12 UMll7IaC
九州からたたき出されるあたりの手腕はお粗末すぎるな
しょせん相手の内紛にじょうじた火事場泥棒しかできねーおっさん

299:人間七七四年
09/06/20 15:00:08 gKhBX4Pl
馬鹿じゃねえの
九州も四国も手伝い戦なのに
それに大内、尼子の領地を引き継いだ、とかどれだけ阿呆なの?
他の奴らはどうした?
大内、尼子がいなくなったら毛利しかいないの?ww
武田厨てほんと馬鹿だな


しかも捏造、捏造って…
お前らの好きな武田も「最強騎馬軍団」とかありもしない捏造の恩恵受けてるだろ
世間的には武田強い事になってるけどさ
弱い者いじめとどんぐりの背くらべしかできない武田が現実なんだよな

しかし武田の滅びかたはブザマだよなww
旗色関係なく裏切ないものは裏切らないしな
武田がいかに情けないか、いかに慕われてないかが如実に表れた出来事だな

武田はブザマ

300:人間七七四年
09/06/20 15:38:14 b5zZjwlm
手伝い戦だろうと ブザマなのは毛利だろう
武田だったら周りを敵に包囲されてても九州を分捕ってたろうよ

土下座して命乞いした情けねー奴が毛利 武士の気概もないよね

301:人間七七四年
09/06/20 15:55:35 ozIkLD6E
長年に渡り盟友だった三村氏を裏切り宇喜多と同盟した挙げ句に宇喜多は秀吉に服属。
先がまったく読めないバカ毛利。
両川まで投入し全力で戦った挙げ句に、筑紫や秋月や宗像や麻生や立花らを見捨てて大雪の中で毛利全軍が敵前逃亡し、
道雪の鬼追撃で討ち死にしまくるだけでなく、息もつかせぬ急追で暖を取り休む暇が貰えず、
疲労と寒さで凍死者続出し負けた戦いを手伝い戦って言い換えるアホぶりが毛利厨w
西軍総大将だった関ヶ原も手伝い戦って言い訳ですか?
石田も大谷も宇喜多も立花も島津も長宗我部も上杉も佐竹も毛利のヘタレぶりに怒ってるでしょうねw

302:人間七七四年
09/06/20 16:34:36 38pIoGmQ
先がまったく読めないとか言ってるけど仮に三村と同盟し続けたとしても
宇喜多のように服属したかもしれないだろ
石田や大谷や宇喜多が毛利を怒る権利なんてないだろ
重要なことは相談せず決めておいて兵を動かしてもらおうなんておこがましいだろ


303:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/20 23:42:14 bQz5hEyj
>>298-301
毛利が九州からたたき出され云うて、大内輝広が大友の後押しで
謀反を起こしたけぇ撤退しただけで、九州での戦闘に負けて撤退したん
じゃあるまいし。立花文書の架空の多々良浜の戦いは、南北朝期の
多々良浜の戦いがネタ本のハッタリ文書だけは信用するんも
可笑しげなのう。

304:人間七七四年
09/06/21 00:08:27 y+whv3Iz
毛利文書の架空の厳島の戦いは、南北朝期の厳島合戦がネタ本のハッタリ文書だけは信用するんも
可笑しげなのう

305:人間七七四年
09/06/21 00:16:28 S0ZdZyHh
何言っても無駄だよ
武田厨は壊れたCDのように同じ事をコピペするしか能がないからね
とにかく理屈云々関係なくけなしたくなったらコピペ

これが奴らの手

306:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆36LfxCD/TI
09/06/21 05:09:10 1OY9wAXN
>>303
下関は九州勢に占領されたことがあるん?

307:人間七七四年
09/06/21 14:35:50 h9xTquRU
>>302
全て相手のせいにするようですが、トロい豚毛利自らの政略や指導力や人望が欠如してるのを認めてるようなものですねw
>>303
外交力を駆使して将軍家から大内家相続認可状を出してもらうのに成功し豊前から3000の兵を山口に投入し大内残党を利用した知略の政戦略>>超えられない壁>>>匹夫の勇の毛利の屑戦術。
しかも戦術的撤退もできず、豊前覚書曰わく「其夜殊外之大雪ニ而候故落行候者骨身ニこたへ皆落行候由」な悲惨かつ必死な敗走をしてる毛利軍4万。
そもそも捏造してるのは萩藩閥閲録を編纂した毛利側の方がヒドい。
しかも毛利に見捨てられた寡兵の龍造寺軍は大友に徹底的に抵抗し、毛利敗走から3ヶ月後の今山合戦で大友に大勝し、
宗麟の名代として後詰めに来た大友親定を敗死に追い込んで筑後へ退却させてる。
この龍造寺の粘りのおかげで救われたのが毛利。
大友が政戦略で圧倒した敗軍毛利領への大友軍の侵略占領政策が実行できなかったのが悔やまれる。

まぁ龍造寺>>>大友>>>毛利って事だわな。


308:人間七七四年
09/06/21 19:51:12 V3gKSM0A
63 名前:仙台藩百姓祭[] 投稿日:2008/11/14(金) 18:05:03 ID:s67RGBJ5
毛利ってライバル的な存在がいないからアンチすらろくに居ないのだお┐ (´ω`) ┌
加えて毛利の爺さんは中国地方に篭って一生を終えたわけだけど
他地方からしたら中国地方なんて興味ないしどうでもいいお( ^ω^)

309:人間七七四年
09/06/21 22:37:22 S0ZdZyHh
>>307
>大友が政戦略で圧倒した

よっぽど贔屓かアンチ毛利でないと圧倒なんて言葉はでない
お前は捏造、編纂が酷い、などと言える立場の人間ではない事が証明された

310:人間七七四年
09/06/21 23:45:43 h9xTquRU
>>309
具体的反論がまったくできない無知低脳さん乙

311:人間七七四年
09/06/22 00:03:12 NhZYfloO
>>310
どこが政戦略圧倒なんだ?
毛利の調略で国人達を押さえるのに辟易してた大友のどこに圧倒した実績があるんだ?
北九州スレにでもいけよ
無知低脳さんww

312:人間七七四年
09/06/22 00:03:31 xae3cdpk
っかさ、普通に考えて九州より中国地方の方が毛利にとって重要でしょ?
多少追撃で痛い目にあっても逃げる方が特。
ただでさえ成り上がりの毛利には求心力がないのに遠征を仕掛けたのが失敗だった。
ただチャンスではあったけど。

大友も大友で対応が後手後手で動きが鈍い。外交は名門の力を見せつけたって感じだが。


313:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/22 01:16:58 Drzt8Na6
>>307
わしが、>>303で九州ハッタリ文書、南北朝期の多々良浜の戦いの投影を
指摘したら、ハッタリ文書の受け売りじゃけぇ、話にならんよ。
しかも兵数なんか、どう計算して毛利軍4万云う数字が出てくることやら。
毎度空虚な妄想ばっかししょうるのう。

314:人間七七四年
09/06/22 03:17:04 Cvn8m8Fv
中国線は毛利が圧倒したけど北九州戦では大友が勝ったでいいじゃない
中国戦は大内尼子の弱体化でわりかしスムーズに進んだけど北九州は大友の最盛期だし撃退されるのも仕方ない
撃退されたからったって毛利の評価が下がるわけでもなし

315:人間七七四年
09/06/22 03:56:35 NhZYfloO
大友が圧倒したとかほざく奴が馬鹿がいるから話がおかしくなる

316:人間七七四年
09/06/22 08:42:53 cMaGvFX6
確かに具体的反論は一切せずに毛利最強を喚く厨しかいないなw
やっぱり腰抜け毛利は一連の戦役に大敗したとしか思えないな。
ここの戦域での毛利はそれ以前にも大友尼子ラインの圧力の前に屈辱的な将軍家の和睦を受け入れて九州から撤兵に追い込まれている前例もあるしな。
毛利は大友のグランドデザインたる大戦略の前に終始圧倒されている。

317:人間七七四年
09/06/22 10:42:50 NhZYfloO
>>316
毛利最強なんて誰も言ってないだろうww
具体的もなにも北九州スレに行けよ

大友圧倒とかお前、頭おかしいだろ
大友は毛利領を侵略した事あるのか?
守勢はいつも大友だろが

318:人間七七四年
09/06/22 12:22:02 cMaGvFX6
>>317
毛利侵略?なに言ってんだ敗走してボロクソになってるところを、毛利が泣きながら逃げ出した時に見捨てたはずの龍造寺様に救われたくせにw

319:人間七七四年
09/06/22 12:49:04 NhZYfloO
1559年
毛利元就、吉川元春、小早川隆景が石見出兵中の隙をつき大友、豊前門司城を攻撃
門司救援に向かった毛利水軍の冷泉院元豊、赤川元徳らは柳浦で大友水軍に迎撃され敗死。
9月、毛利隆元が三千を率いて救援に向かい大友義鎮の軍勢を豊前門司城にて破る。
1561年
6月、大友軍が豊前に進撃開始。大友、毛利の全面対決が始まる。
8月、大友軍は毛利方の筑前、宗像氏貞を攻める
大友の吉弘鑑理、鎮信、鎮理親子勢一万五千は小倉表に着陣。
9月2日、戸次鑑連(立花道雪)、田原親賢、臼杵鑑速らは、和布刈神社近くの城下まで進出し城を攻めた。
また大友義鎮がキリスト教に友好的であっため、インドのゴアから来航したナウ型ポルトガル船が門司城に援護砲撃を行う
9月18日、門司城救援に水軍五百隻、一万の小早川隆景軍が赤間関に着陣。
八千の毛利隆元率いる本隊は防府、大専坊に本陣をおく。
堀立壱岐守、杉彦三郎ら毛利勢八百が関門海峡を突っ切り、門司城に入城
毛利の児玉就方、河内水軍を率い豊筑沿岸を襲撃
大友軍、豊前沼の毛利軍支隊を襲撃
10月、小早川隆景、門司城に入城
石見の福屋隆兼が毛利と大友の争いの隙をつき叛旗。吉川元春がこれにあたる。
10月9日村上武吉、大友軍の後方遮断にでる
同日、大友氏は門司城内の篭城兵の中に田北民部の縁の者、稲田弾正、葛原兵庫助を内応を試みる
しかし前日に発覚し二人は処分され失敗に終わる
10月10日、小早川隆景は前日に処分された二人が生きているように偽装、内応の合図の狼煙をあげ大友軍を誘き寄せる。
大友軍の総攻撃が始まると同時に小早川隆景は城外に出て奮戦。
浦宗勝、児玉就方らは毛利水軍を率いて門司沿岸に上陸、大友軍と激突。
浦宗勝と伊美弾正が一騎討ちを演じ、宗勝の勝利。
大友軍は小早川隆景の罠にはまり苦戦。臼杵鑑速が援護に行くが宍戸隆家に阻まれる。
竹田津則康、吉弘統清、一万田源介、宗像重正、大庭作介ら大友軍多数が討死。
毛利軍は海上から松山城(現在の苅田町)を攻撃
背後を毛利に断たれる事を恐れ大友軍は夜に撤退開始
撤退を察知した小早川隆景は水軍を率い、長躯迂回し黒田原・国分寺原で待ち伏せ。撤退中の大友軍に打撃与える。
大友は逆に松山城、香春岳城を毛利に奪われ豊前一帯は毛利領に
11月、毛利隆元、小早川隆景は門司から福屋攻めにあたっている吉川元春を支援に向かう

1562年
この年、元就は出雲洗合に本陣を移し半永久的な陣城を築き職人や商人を呼び城下町を建設
尼子義久の守る月山富田城の長期包囲作戦を開始する

1563年
1月、大友宗麟は松山城奪回に向かうが毛利軍はこれを撃退
3月、将軍、足利義輝の命で毛利と大友は和睦。
門司城は毛利領、松山城は大友に還付する事で合意。
8月、毛利隆元、急逝し幸鶴丸(毛利輝元)が毛利家当主となる

1564年
7月25日、毛利元就、元春、隆景と大友宗麟が講和の誓紙を交換

1565年
2月、幸鶴丸が元服し将軍、足利義輝から一字をもらい
毛利輝元と改名。

1566年
この年は長年に渡って包囲され続けていた月山富田城がついに開城。尼子義久は降伏する。

1567年
3月、伊予の河野道直の救援要請を受け吉川元春、小早川隆景ら毛利軍、二万五千は伊予に上陸し湯月城に入る
4月、毛利と大友の講和破綻。(毛利は大友から破った、とし大友は北九州の諸将の反抗を毛利の差し金だとした為)
毛利軍の先鋒石見国衆、豊前に侵入。(毛利の九州遠征開始)
24日、筑前立花城主、立花鑑載、毛利に通じる。

320:人間七七四年
09/06/22 12:55:24 NhZYfloO
立花の叛旗に秋月種実、宗像氏貞ら国人衆多数も呼応。
大友宗麟は元就のやり口に激怒し三万の大軍を立花城に向かわせる。
5月、四国、元春、隆景の両川は各所で宇都宮、四国連合軍を撃破し大洲城を包囲。
宇都宮豊綱は一条康定、長曽我部元親に援軍要請し篭城したが耐え切れず降伏。
豊綱は備後の三原に送られ幽閉される。
救援にきた一条、長曽我部の土佐勢も迎撃され敗退。
宇和の西園寺公広も降伏し伊予平定は完了する。
6月、吉川元春、小早川隆景は一旦軍勢を休めた後、九州へ発向。
7月、大友軍、筑前立花城を攻撃。
毛利の援軍が来るまで持ちこたえられず立花鑑載は自刃。毛利の将、清水左近は長門へ逃れる。
9月、吉川元春、小早川隆景は豊前三岳城を攻略。長野弘勝、自刃。
10月、立花城攻略に備え、筑前馬見城、笠木城を修築

1569年
4月、松山城も攻略した元春、隆景軍は三岳城を発す
帆柱・若松・芦屋を経て立花城へ向かう一方、水軍を名島に配す
毛利元就、吉田郡山を発し輝元と合流。
本営を長門の長府に設置し九州遠征の諸将を督励する
5月1日毛利軍、立花親続の守る立花城に総攻撃を開始。
宗麟、立花城救援に二万を派遣。
毛利軍と大友軍ついに激突する。
一進一退を繰り返していたが5月18日の戦いにおいて宍戸隆家、熊谷信直、山内隆通ら奮戦し戸次鑑連、五条鎮定らを撃破し大友軍の首級を数百上げる。これにより大友軍、後退。
閏5月3日(この年は閏の為、5月が二回ある)、立花城陥落。城兵全員を助命し退去を命じる。
桂元重が立花城の守備に入る。
6月、京都に潜伏中の山中幸盛(鹿之介)、立原久綱らが尼子勝久を擁立。
7月、尼子勝久、山中幸盛らが但馬より隠岐に入り隠岐氏の協力を得て出雲に侵入。
尼子家再興の激に尼子勢六千になる
元就、月山富田城主、天野隆重の求めに応じ糧食を搬入し鉄砲隊を城内に入れる。
尼子勢、月山富田城を攻撃。
城主、天野隆重はわずか三百の城兵を励まし奮戦し尼子勢を撃退。
尼子勢、月山富田城をあきらめて周辺の諸城を攻略する方針に変更
8月、尼子勢は神辺城を攻略。守城、杉原景盛遁逃。
樽崎豊景、村上亮康ら毛利軍はすぐに神辺城を奪還し井上晧玄を殺害。
8月、高瀬城の米原綱寛、尼子勝久に投降。
10月11日、大友宗麟は大内輝弘を援助しひそかに周防、秋穂浦に上陸させる。
大内軍、山口奉行・井上就貞と藤井淡路守を撃破
10月12日、大内軍、山口乱入。高嶺城を攻撃。
10月15日、九州の毛利軍は九州撤退を決意。
乃美宗勝、坂元祐、桂元重を守りに残し夜、立花城を撤退。
10月18日、毛利軍、長府の本陣に到着。
10月20日、吉川元春は福原貞俊、熊谷信道ら兵一万を率い山口に向かう。(小早川隆景は九州遠征の後処理の為、長府に残留)
10月21日、立花城守備隊も撤退。大友軍立花城奪回する。
大内軍は残党を糾合し五千を越す兵力になっていたが吉川元春が一万の兵で進軍中の報を聞くとたちまち戦意を失い逃亡者が続出。
10月25日、吉川元春、大内輝弘を浮野峠で破る。
大内輝弘、山口を脱出するが富海(防府市)の茶臼山に追い込まれ自刃。
大内の乱、一週間で終わる
10月28日、元就、輝元、隆景は長府の本陣を撤収し毛利の九州遠征は終了する。

1570年
1月、毛利輝元、吉川元春、小早川隆景ら両川を率いて出雲へ


大友の圧倒的勝利で幕を閉じる

321:人間七七四年
09/06/22 18:22:52 eF4UBjRE
これのどこが大友の圧倒的勝利なんだ
大友は防衛に成功したんであって圧倒的勝利とは言いがたい

322:人間七七四年
09/06/22 19:03:20 NhZYfloO
>>321
318のような「大友が政戦略圧倒的勝利」とかほざいてる馬鹿に皮肉で書いたつもりだったのだけど?
マジで受け取られるとは思ってもみなかったよww

見てもわかるとおり、毛利にとっては大友より
尼子残党のほうが手ごわい相手なのがよくわかるね

大友は必ず隙をついて兵を繰り出すが最後は必ず蹴散らされる
毛利の進撃を阻む事は全く出来ない
立花道雪も何度も参加してるのに対毛利では全くイイトコなしです
多分、大内残党だけなら本国だけで対処出来て九州撤退はしなかったかもしれませんね
尼子残党によって大友が救われた事がよくわかるます
大友の政戦略ではなく尼子が蜂起してくれた運のお陰です

323:人間七七四年
09/06/22 22:20:27 cMaGvFX6
大内の養子に出した弟を宗麟は元就との盟約を尊重して切り捨てたのに、元就は約束を裏切り九州の大内領を奇襲したり、
将軍家の和睦に北九州の国人への調略の禁止がありながら元就は約束を破りまくる基地害だったから、
戦の準備が成されてない時期の大友との和睦の約束を破り攻めてる毛利のせいで序盤は大友が不利だが、
日本が真珠湾奇襲したが結局、アメリカに大敗した如く、終わってみたら毛利が九州で得た領土は寸土のみの惨敗。
劉邦が項羽を討った如く。
孫子の兵法でも小事で失敗するのは虚であり、あえて隙を見せて相手の注意を引いておいて伐つのを勧めてる。
上策とは相手の謀り事を伐ち、自分の謀り事で相手を圧倒すること。
要するに政治の延長たる戦だけが戦いでは無く、政治外交を駆使して相手を屈させるのが勝者なわけだ。
ヘタレ毛利は結局、戦略的不利を戦術で補うことに失敗したわけだ。
三国一の卑怯にして不義な裏切り者元就が惨敗し大友の圧勝だろうね。

324:人間七七四年
09/06/22 23:52:05 NhZYfloO
>>323
何、不意に奇襲されたので大友不利みたいに言ってんの?
先に攻めてんのはだいたい大友だろ?
隙を見ては門司を攻め、何度も撃退されてるだろ?
まだ大尼子健在で毛利は尼子を相手していて九州どころではないにも関わらず何度も大友は門司攻略失敗

毛利の四国遠征は河野救援が目的だが
その河野を苦しめてる一条を大友は支援してるんだぞ?
約定中にも関わらず明らかに敵対行為だろ?
しかも四国に遠征いってた連戦中の両川を全く大友は止められず次々と城を落とされてる
そもそも九州は国人達に「来てくれ」「助けてくれ」と言われて出兵した手伝い戦
みてのとおり毛利は門司以外保持してねえし保持しようとしてねえだろが
劉邦が項羽は討ったごとく、って全く討ててねえし
尼子残党が出て来た時、毛利元就はさっさと吉川元春に九州はもういいから帰国するように言っている
元春は「このままじゃ帰れない」「大友倒すまで帰らない」と元就の要請を断ってるが
結局、尼子の戦況がおもわしくなく、大内残党まで出て来た上、元就の再三の帰国要請もあったので兵を引いただけであって
毛利にとって九州はその程度の存在
最後の和議も苦しい大友から申し入れたもの
九州防衛には成功したがどこが圧倒なの?
何言ってるの?
馬鹿なの?

325:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/23 01:00:38 ahprHt4x
>>306
下関が戦闘して九州勢に侵されたことは無いねえ。
>>323
大友に苛められよる九州の小豪族の要請で行ったまでのことよ。
九州、四国の苛められよるもんを助けにゃあいけんけぇ、
一方面だけ征伐出来るわけあるまいに。どこが不義なんか。
太平洋戦争で散々にやられて降伏した事例は、甲斐武田氏の方が
あてはまるじゃろうに。

326:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆36LfxCD/TI
09/06/23 07:03:21 AjaJWJgM
なるほど。
兵の強弱はまだしも、北九州と西中国の力関係は大体わかった気がする。

327:人間七七四年
09/06/23 07:54:29 +RFth85k
はいはい捏造毛利史観だとすべて助けを乞われたからw
思いっきり領土的野心で国人を煽ってたくせに。
結果的に領土が得られず大敗したら手伝い戦になるのかよw
麻生や宗像や秋月や筑紫とかはヘタレ毛利よりも、のちに助けてくだされた島津様の方が毛利より100倍頼りになったな。
島津>龍造寺>大友>毛利なのは確実だよ。

328:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/23 07:59:23 AjaJWJgM
不等号使うときは比較項目が何なのか明らかにしてからにすべき。

329:人間七七四年
09/06/23 10:21:18 wCkLWpH6
原爆奇形広島人晒しage

330:人間七七四年
09/06/23 20:00:19 dOrqSeCe
>>317
しろうまあおうし

331:人間七七四年
09/06/23 20:53:16 Sj/sUtaP
>>327
馬鹿まるだしだな

>麻生や宗像や秋月や筑紫とかはヘタレ毛利よりも、のちに助けてくだされた島津様の方が毛利より100倍頼りになったな。

麻生は毛利の支援のおかげで勢力拡大
宗像は毛利の支援で奪われた所領奪回してる
秋月も毛利に保護され、後に支援を受けて旧領回復
筑紫も山口に逃げて毛利の保護を受け、後に毛利の支援で元の所領に返り咲く
まあ毛利にも思惑はあるだろうがこれが手伝いと言わずになんぞや?
こんだけ国人が毛利の元に逃げ込んで懇願されたらしかたなかったのかもな

助けて下さった島津様?
麻生は島津にはおもいっきり抵抗しとるがなww
筑紫なんぞ島津と戦って幽閉されとる(秀吉の九州征伐の時に解放)

お前、馬鹿なくせ粘着力だけはスゲーなww

332:人間七七四年
09/06/23 22:35:55 wCkLWpH6
だまれチョン州人


333:人間七七四年
09/06/23 22:40:05 wCkLWpH6
毛利の捏造信じてるのか
さすがチョン州人w

334:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/23 23:43:01 ahprHt4x
>>326
大内氏時代から安芸を含む中国勢が九州へ遠征したことはあっても、
九州勢が中国地方を攻めるなんか無いし、その実力もないよ。
>>331
島津?西中国勢の毛利や東中国~近畿勢の黒田に勝てん九州ローカルの
軍団でせいぜい四国の長宗我部勢でも相手がふさわしい。

335:人間七七四年
09/06/24 08:59:56 24J9eiat
>>331
それで毛利が多大な資材と兵力の犠牲を出しまくった挙げ句に大友からどのくらいの領土を奪い取れたの?
毛利は龍造寺や秋月や麻生や宗像らを見捨て敗走した後、一度は降伏した龍造寺が毛利の困難を助けるべく再挙兵し、大友の兵を分散してくれたし、
毛利への追撃を止めてくれたのも龍造寺だし今山合戦で大軍の大友を退けて毛利を救ったのも龍造寺。
毛利が逃げた後の宗像なんて道雪からフルボッコにされて人質を道雪の妾にされてるし。
毛利に見捨てられた緒氏はみんな悲惨な目にあって、立花城督の道雪や宝満城に高橋紹雲を配置し大宰府周辺をガッチリ固めて二度と卑怯者アホ毛利が手を出せないようにした。
これで約束は破る為にあるを信条にしてる狼毛利を排除した北九州での大友の覇権が確立したわけですが。
まぁ信用ゼロ毛利の不意の奇襲に備えて筑前をガッチリ固めたから、南が疎かになり島津に破れたわけだが。

336:人間七七四年
09/06/24 09:10:49 24J9eiat
>>334
そもそも大内が北九州も支配してたのに何ワケわからん事言ってんだバカか?
中国勢力は常に九州の豊かさを羨望し、九州勢は貧困で平地が少ない中国に価値を見い出さなかっただけじゃないかねw
大友が宇和郡を奪ったりしたから中国より四国の方が魅力的な土地だったかもね。
豊後沖には今は沈んだ島々でも海外貿易が頻繁に行われてたそうだし。

337:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/24 09:37:26 nrpjEiBc
とりあえず>>329だけは、人として撤回しておくべきだと思う。

338:人間七七四年
09/06/24 09:48:33 mUEOzlS8
九州から見事に追い出されてるな
自分から攻め込んどいて追い出されるとは どんだけ間抜けだよw

339:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/24 10:07:25 nrpjEiBc
小早川が食い込んで戦国は終わってるような。

340:人間七七四年
09/06/24 10:16:57 Ck6hC72N
糞コテぷらっと氏ね

341:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/24 10:25:31 nrpjEiBc
だから死んで欲しけりゃ殺しに来いというに。

342:人間七七四年
09/06/24 10:31:52 Ck6hC72N
糞コテは原爆奇形広島人の毛利信者だったのか
もしくは毛利の捏造を信じてホルホルしてるチョン州人か?w

343:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/24 10:35:23 nrpjEiBc
オレは朝鮮人の血をいくらか引いているのをわざわざ公表している国士コテなんだが。

344:人間七七四年
09/06/24 14:53:42 5Jiq7OyM
見事だ

345:人間七七四年
09/06/24 17:24:57 24J9eiat
だいたい毛利は人助けしただけみたいな表現して捏造してるが、
毛利は自分の利益しか考えてない二枚舌外交しかしてねーし。
例えば龍造寺が、毛利上陸軍を支援すべく挙兵して大友軍を引き付けて籠城してた時に
危機を迎えた龍造寺が毛利の支援をお願いした時の元就は
「龍造寺は筑紫を滅ぼしたがってるから、立場が悪くならないように支援しないこと」と内々に指示。
結果、龍造寺は大友に降伏和睦に追い込まれた。
ウソつき元就は筑紫にも龍造寺にも良い顔をして味方ぶってるが実際に援軍なんぞ一切出さずに利用して棄てただけ。
秋月だって途中から二枚舌外交の毛利の本性を察知して、徐々に毛利を頼らなくなってたし。
秋月は島津には、なついてたけどな…秀吉の大軍にビビッたけど。

346:人間七七四年
09/06/24 20:33:57 5WKV2a7k
>>335
>それで毛利が多大な資材と兵力の犠牲を出しまくった挙げ句に大友からどのくらいの領土を奪い取れたの?

被害は圧倒的に大友だ

>龍造寺が毛利の困難を助けるべく再挙兵し、大友の兵を分散してくれたし

龍造寺は毛利と大友が争ってる隙に自家の勢力拡大を図っただけ



そもそも勘違いしてねえか?
宗像は元大内家臣で毛利が長門をとる以前から反大友
毛利を当てにするのは宗像の勝手だがなんで毛利がそこまで国人達の面倒見てやらなきゃいけない?
支援したり所領回復させてやっただけでも十分だろ
それを見捨てただの言ってるが馬鹿じゃねえの?
あいつらは毛利がいようがいぬまいが隙あれば大友から離反しとる
質問だがお前は本国で問題があっても無視して遠くの国人を救けに行くの?
スゲーな、聖人君子だなww

>>336
ただ単に毛利水軍を撃破して中国地方に攻める事が出来ないだけだろ

>>342
言っていい事と悪い事がある

>>345
上記にも書いたが龍造寺、筑紫も毛利を当てにしといて毛利だけ非難するのは筋違い
龍造寺も毛利の九州進出に乗っかり勢力拡大を狙っただけだろ
なんで毛利だけ非難されなきゃいけないんだ?
じゃあ聞くが毛利との関係悪くならないのはなんでだ?
龍造寺なんぞ終始、友好的で松浦などと共に織田包囲網にも名をつらねてるぞ
秀吉の九州征伐でも毛利と龍造寺の友好的な関係があったからこそ龍造寺は毛利の説得に応じ
肥前、肥後方面はすぐに平定できた
秋月だって再興させてもらってなんで毛利を恨む事があるのだ?筑紫だってそうだ
第一なんで中国の情勢が安定してないのに無理してまで遠く九州にいちいち兵を出して助けねばならんのだ?
どの家でも本国が1番大事に決まっとる
無理ない範囲でやれる事をやる。
支援してただけでも十分だろが
利用するのはお互い様だ


お前らさ大友の話で反論出来なくなったら国人達を「裏切った」「見捨てた」って今度は中傷話かよww
哀れだね
だいたい外交をなんだと思ってんだ?綺麗な外交?夢みすぎだろww
お前らの好きな武田はどうよ?綺麗だったか?裏切ってないか?ww

347:人間七七四年
09/06/24 20:36:57 nT44mUsu
綺麗だろうと汚かろうと

外交で負けまくったのが毛利だろ アホかお前は

348:人間七七四年
09/06/24 23:02:02 5WKV2a7k
>>347
反論にもなってないし話のすり替えだ

外交で負けまくった?
アホかお前は?


349:人間七七四年
09/06/24 23:33:06 JnLJiXLv
>>343
あなたは素晴らしい。

朝鮮筋目であろうが蝦夷筋目であろうが、アイヌ筋目であろうが沖縄筋目で
あろうが隼人筋目であろうが、なんであろうが、
日本人として、天皇陛下を、天地を敬い人を愛する人はすべからく日本民族
であると考えます。

、天皇陛下を敬い、人を

350:人間七七四年
09/06/25 04:17:28 jZZV6KBi
>>269
宝治の時点では、泰村がより積極的に戦っていたとしても三浦の負けは覆せなかったんじゃないのかなぁ。
むしろタイミングとしては九条頼経が追放される前に、先制攻撃のクーデター起こす位しかなかったんじゃないかと思う。

まぁそんなIfを重ねるのが許されるのならば、
もっといえば、泰村の親父の時代に和田義盛と連合していれば、かなり高確率で北条を倒せたんじゃないのw

351:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/25 04:24:44 iRgq0fpG
泰村はギリギリまで義時を狙っていたと信じたい。
全てのタイミングで北条に負けてるけど。

352:人間七七四年
09/06/25 04:40:45 jZZV6KBi
よくよく考えてみれば、仮に宝治合戦で毛利季光が味方した三浦側が勝っていたら、
後世、元就の存在は無かったのかも知れないんだから、不思議というか面白いよな。

353:人間七七四年
09/06/25 19:41:27 xWFII3sd
毛利厨って本当に都合が悪くなれば武田に対して敵意むきだしになるんだねえ。
西国ファンから忌み嫌われてるという事にいい加減気がついたら?
武田ファンと九州のファンとの間で荒らし合ったことなんて無いんだよ。

354:人間七七四年
09/06/25 20:50:33 H6Dlp0eB
毛利厨は織田や武田に嫉妬するしか能がないからな

355:人間七七四年
09/06/25 22:38:06 qFt5Q5U4
敗戦した場合は
毛利が手伝い戦をしただけとか
助太刀してあげたとか捏造美化した挙げ句に論破されると
なんでそこまで毛利が善人な真似しなきゃならんと逆ギレw
実際の毛利は博多の富を奪い取る目的で侵略して見事に大友に阻止され敗走したんだろうが。
毛利の捏造史観から来る戦果を持ち出し大友の方が被害あったと喚き、毛利敗走した件は黙殺するアホぶり。
そもそも秋月や筑紫を再興してあげたとか恩着せがましいことを主張してるが、
毛利が秋月や筑紫を騙して挙兵させたくせに援軍を一切出さなかったから大友にフルボッコされ秋月や筑紫は滅亡したんだろうが。
大友は関係ない、大内残党が山口を襲ったからやむを得ず撤退とかアホなこと言ってるが、
そもそも宗麟の家臣で鶴崎千歳城主の吉岡越前守長増の秘計であり
豊前の城井や緒方ら3000と大内家督相続の将軍認可状をつけて山口に逆上陸させた大友の戦略に毛利は負けて大雪のなかを敗走したわけだが。

356:人間七七四年
09/06/25 23:07:36 qFt5Q5U4
堺に比肩された大商業都市の博多>>>越えられない壁>>>>中国地方

しかも当時の豊後もかなりの商業都市だった。

357:人間七七四年
09/06/25 23:16:05 cRAxEiiJ
は?逆ギレはお前らだろ?
次々と論破されて結局は抽象的な事しかいえないのか?
今まで何を見てきたの?
大友が圧倒的勝利とか基地外な事を言い出して
それに対して反論したのが始まりなのにさ、よほど悔しかったんだろね
次々とよくもまあ阿呆な事をww
ただ毛利を陥れたいだけで麻生、秋月、筑紫、宗像の関係をろくに知らない無知がほざくからこういう事になるんだよww

>大友は関係ない、大内残党が山口を襲ったからやむを得ず撤退

そんな事を言った覚えないしww
しかし撤退の最大の理由は尼子だろな
あんな一週間で鎮圧できるようなチンケな大友の策なぞ尼子の蜂起がなければ本国だけで処理できただろな

所で話そらさないでさ
大友の圧倒勝利とやらの主張をいい加減納得いくよう説明してくれよww

358:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/26 01:23:01 ApJ5k2Gv
>>352
元就さんが、おらんでも誰かが安芸国人領主の盟主となったろう。
元就さんはクジ運が悪うて、権力を握る立場に立っただけよ。
>>353
特に島津と武田は人身売買王国同士で、お互いの傷でも嘗めおうとるんじゃ
ろうて。
>>355
毛利側が九州の戦闘で敗戦したことなんかも無いんじゃけど。
>>356
都市じゃのうても、中継交易は美味しいけんのう。瀬戸内じゃあ
警固通交料は頂くわい。内陸の「関所」は場所が固定されとるが、
海民の「関」は自らが動いて徴収するもんじゃ。

359:人間七七四年
09/06/26 01:23:59 RNeBGDk+
はぐらかして解答から必死に逃げてるようなので、再度お聞きしますが毛利が多大な犠牲と資材を費やしてまで得た九州の領土はどれだけ手に入れたんですか?
費用対効果の観点から語ってください。
大友は秋月や龍造寺や島津に大敗して勢力が後退した記述ははっきりあるので、
毛利との戦いだけ必死に隠蔽してるとは思えませんがね。
毛利を追っ払った時点からが大友最盛期になったんですがね。
例えば1569年5月18日の立花表長尾合戦では、毛利両川ら4万の軍勢に対して、1万5000の道雪・臼杵・吉弘らは猛然と反攻し、
毛利は支え切れず320メートルも敗走したので、
道雪が全軍追撃を下令し、毛利全軍が崩壊し立花城に逃げこんだ。
博多占拠どころかこんなにもミジメな状況を好転させることもできずに何言ってるんだか。
これにさらに大友が軍を割いて山口へ上陸する支作戦を展開して完全に毛利が詰んだわけだが。
そして10月12日に毛利は道雪の追撃を受けながら立花から芦屋まで敗走。
すでに道雪によって立花鑑載が降伏に追い込まれていたが、さらに毛利に見捨てられた毛利家臣の乃美兵部・桂左衛門尉・坂新五左衛門や高橋鑑種・秋月・原田・筑紫・宗像・麻生らが大友に一網打尽にされ降伏。
毛利はこんなにもひどい史上まれな大敗を喫して跡形も無く毛利陣営は崩壊したわけだ。

360:人間七七四年
09/06/26 02:50:42 BWlAp2oi
>>359
>例えば1569年5月18日の立花表長尾合戦では、毛利両川ら4万の軍勢に対して、1万5000の道雪・臼杵・吉弘らは猛然と反攻し、
毛利は支え切れず320メートルも敗走したので、


この戦いの後、翌閏月(閏月はわかるか?)の5月3には立花城を毛利は落としているのでこの時点で立花城は大友方
負けたなら立花城攻略はありえない
立花鑑載は1568年7月にすでに切腹してるのでこれもありえない
乃美兵部て乃美宗勝のことだよな?
宗勝が大友に降伏したのか?これは知らないから教えてほしい
立花城を守っていた乃美宗勝・桂元重・坂元祐は無事に帰還してると思うのだが?
毛利が大敗したならなぜ長府の本陣に戻ってきてからわずか一週間の早さで大内輝弘の軍を撃ち破り平定が出来たのだ?

君の話は全く信用出来ない

361:人間七七四年
09/06/26 03:18:05 V4sHF/IS
500年ぐらいも前に起こった出来事にこんなに熱くなれるってお前らすげーな。


362:人間七七四年
09/06/26 04:00:11 RNeBGDk+
吉川文書に閏五月廿八日元春卿銃手戦功注文に閏年の記述が出てくるね。
これが立花表長尾合戦におけるものと言われている。
つまり閏五月三日に立花城は毛利に降伏しているのは明白。
勝手に「この戦いの後」とか順番を逆に捏造してんなよ。」
1568年7月に立花鑑載と毛利の清水左近将監が敗走し立花城炎上落城・1569年が始まるや大友全軍は龍造寺攻めで佐賀城を攻撃
4月17日龍造寺降伏の一連の作戦で手一杯だったので立花城は食料の備蓄もなく餓死が出始め宗麟がひとまず開城を命じてる。
大友軍は盛んに宗像・芦屋表へ出兵し毛利軍背後の船荷補給ルートを荒らし回る。
そして真の狙いの毛利軍撤退路封鎖の山口急襲作戦の指揮のため宗麟が豊後へ帰った真意を測りかねている毛利軍は大友軍の余裕を感じて驚愕。
宗麟の手配を見事に決まり毛利水軍を撃破し見事に山口へ上陸成功し退路を封鎖される危機からパニックになり芦屋港まで敗走。

363:人間七七四年
09/06/26 04:11:55 RNeBGDk+
道雪らが12日夜大雪の中を凍死者まで出しながら撤退する毛利を鬼追撃し、翌日昼に芦屋に道雪らが到着まで毛利はまったく休憩すらできず悲惨な落武者狩り敗走。
そして宗麟さまが田北民部に肥後勢を指揮護衛させて降伏した乃美ら捕縛された毛利兵らを安全に芦屋まで送ってあげたわけだが。

364:人間七七四年
09/06/26 04:51:09 BWlAp2oi
お前が5月18日て書いておいて人を捏造呼ばわりするな
後で閏を書いて馬鹿じゃねえか
どうせ毛利史観と言われそうだから黙っていたが
5月18日の激戦は宍戸、山内などの奮戦で大友軍の首級数百あげて
大友が後退した事になってる

>1568年7月に立花鑑載と毛利の清水左近将監が敗走し立花城炎上落城

これがなんだ?前に自分で書いた文章を見ろよww

>毛利軍は大友軍の余裕を感じて驚愕。

なんだ?小説か?ww

お前の言うように毛利が悲惨な逃避、落ち武者がりにあってたらなんで兵を休める間もなく大内討伐したんだ?
立花から長府まで三日で帰還、すぐに元春は山口に向かってる
これにはいっこうに答えてくれないね?


最後でわかったわ
立花文書だろうが俺は無事に撤退した派だから
お前とは一生意見がずっと平行線だろう
俺も主張を曲げないし、お前も主張を曲げないだろう
話するだけ無駄だな

365:人間七七四年
09/06/26 09:45:42 RNeBGDk+
閏の事は知ってた上で時系列で並べて俺は書いてて間違ってねーだろが。
だいたい戦国板でわざわざ閏なんて書いてるやついねーだろアホか。
テメェが故意に順序を逆に捏造した事実は変わらんだろが。
萩藩閥閲録の捏造毛利史観なんて信用できねーんだよ。
立花文書や筑前国続風土記や九州治乱記など複数文書に立花表長尾合戦での道雪の活躍が記されてるしな。
立花鑑載に毛利の清水ら防長8000が籠った挙げ句に道雪に破られたのも事実だがな。
退路を封鎖される恐怖により立花から必死に逃げて、休む暇なく敗軍を山口へ向かわせるほど事態が悪化してた証拠だろがw


366:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/26 09:59:07 tejLW0Bv
そもそも立花まで食い込まれているのはどうなんだろう。
大内残党の取り込みにおいて毛利と大友の比較。

367:人間七七四年
09/06/26 10:48:15 RNeBGDk+
つかよくよく考えてみると毛利厨の書いてることは毛利捏造マンセーアホ軍記の安西軍策にそっくりだな。
大友軍が豊後豊前筑前筑後肥後日向に幕下の龍造寺、松浦、島津からも兵を出させ12万8000で立花救援にきたのを両川はわずか4万で防いだ妄想戦記w
たしかにその妄想戦記では立花城は18日の戦いの後に毛利が落城させてるよなw
わざわざ同18日合戦とか単独の章を作って毛利マンセー記述をデッチ上げてるよな。
さらに妄想戦記では毛利撤退では道雪は追撃しなかったことにしてるしwww
お前の脳内は毛利マンセー軍記のせいで腐ってるな。

368:人間七七四年
09/06/26 11:19:57 RNeBGDk+
>>366
立花鑑載は軸丸右近と申す者の子なり秋月殿腹込の子とも申し候其故に此前秋月滅亡の時~
と言うように
豊前の長野筑後守の反乱(秋月種実の弟)と共に秋月が関わってると思われる。
さらに宗麟は鑑載の謀反を許してやってる。
その後に高橋鑑種の兄を宗麟が殺して妻を奪ったために大宰府を統括していた宝満城で鑑種が挙兵。
秋月が休松合戦で臼杵吉弘の陣を夜襲し大友軍が混乱し道雪の陣へ雪崩れ込み同士討ちを誘発した大友敗軍を経て、
高橋鑑種が立花鑑載に誘いをかけて、再度鑑載が挙兵。

369:人間七七四年
09/06/27 11:46:11 HpxbRT2G
>>367
大毛利はこの時期、四国九州の全軍を同時に相手して寡兵で圧勝してたんだよ。
さすが両川は戦国最強!

370:人間七七四年
09/06/27 13:04:38 MZ0zhMvD
>>369
豊前と筑前で勝っただけで九州全軍に勝ったとかw
毛利厨の捏はハンパ無いな。
その後、宗麟時代の大友氏と播磨で秀吉にフルボッコと。

371:人間七七四年
09/06/27 14:08:36 HpxbRT2G
毛利の攻勢におののいた秀吉は泣いて逃げたわけだがw

372:nomu
09/06/27 15:51:37 OAj/7G8u
武田信玄と毛利元就では当時(永禄年間)の京都市民
の評価では格段に信玄が上だったのだろう!
永禄年間の京都市民の間では日本最強の大名は武田信玄
か上杉謙信のどちらかといわれていた!
傍目に観ると元就の方がその2人よりも実績が上に見える。
当時の京都市民の間で『所謂東高西低』だったのであろう!





373:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/28 00:57:18 +KsClOED
九州の朱子学的白髪三千丈は兎も角、>>372のような、架空の京都市民の
評価も出て来るのう。ありゃあ、武田信玄厨の笠間良彦氏は、
西高東低とされとるけど。戦闘技術が東から流入した事例なんか
知らんよ。

374:人間七七四年
09/06/28 16:34:58 Gwq8Lgyr
そもそも日本刀からして蝦夷民の技術をパクったことからはじまったわけだが。


375:人間七七四年
09/06/29 10:39:01 5gQ6Syhy
大毛利のおかげで弱島津ごときが九州で覇権を握れた。
大毛利が来ると弱島津は必死に逃げ出した腰抜け。

376:人間七七四年
09/06/30 01:06:25 fy/lzgfX
>>372
悪いがまるっきり逆だわ。当時でいう英雄は元就。
輝元がちょろくて毛利株が落ちて上がった武田が抜いたって話し。
どの時代かにもよるな。
戦国末期なら英雄は信長だな

377:人間七七四年
09/06/30 14:47:41 zM0fstg2
>>375
いつ逃げ出したの?そもそも島津と毛利がいつ戦ったの?w
島津が肥後と日向北部に向けて北上始めた1575年頃に毛利は九州に領土持ってないですし。
毛利厨の脳内妄想は武田信玄厨より酷いですな。
朝鮮が近いだけあって捏造だけは天下一品。

378:人間七七四年
09/06/30 18:30:23 YsJ0P4TO
>>376
お前、日本語でおk


379:人間七七四年
09/07/01 13:28:22 RQdlt7x1
本城常光との戦いで氏ねば良かったのに元就

380:人間七七四年
09/07/01 17:16:17 oNbwmEML
大毛利が単なる北九州の強盗で荒らし回った挙げ句に大友に叩き出されて敗走したが、
おかげで大友も国人離反が相次いで、
それら国人が島津へ寝返るキッカケを作り大友が島津に破れる遠因になったってことでは?
島津が筑後筑前侵略において、大友の大きな抵抗にあい、小早川らが大毛利って言うか大友外交の結果、豊臣軍として門司に上陸してくると
(皮肉にも九州撤退の時に立花道雪から大追撃をされて悲惨な逃避行をした毛利が立花城救援に行かされるハメになる。)
立花城攻略を諦めて撤退したことを言ってるんじゃないのか?
まあ毛利も島津も目くそ鼻くそで、外交力を発揮した大友宗麟が凄いってことだわな

381:人間七七四年
09/07/01 18:42:49 sXxTp57d
読みづれぇ文章だなぁ・・・

文章作成能力が無いのは仕方ないにしても、
それならそれで、書き込む前に推敲くらいすれば良いのに。

382:人間七七四年
09/07/01 20:10:49 nJBSLHle
そうだね
彼は来る所を間違えたね
まずは日本語の勉強だ!!

383:人間七七四年
09/07/07 14:45:43 k960LZDN
>>380
西国最強は大友なのは間違いないね。
島津は単なる漁夫の利
毛利は約束破るのが当たり前の大ウソつき

384:人間七七四年
09/07/08 20:25:57 MgXZfDtH
龍造寺、島津、毛利にまともに勝てない大友が最強とな?

漁夫の利?
弱いから漁夫の利になるような状態になったんだろがww

385:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/10 00:40:28 P/2R2K+X
>>380-383
北九州の強盗は、大友側で、毛利は現地小豪族の要請で大友を叩いた
だけじゃ。同じ図式は四国でもじゃけぇ毛利側は忙しいよ。
ほいで、毛利側は、立花城に籠城した将兵も落城した後大友に返還しとる。
それが「中国者の律儀」じゃ。
約束を破るじゃあ、大ウソつき呼ばわりされる筋合いも無いど。

386:人間七七四年
09/07/10 09:38:19 V4fpARyJ
敗走した毛利軍を追撃して海に追い落とした後、孤立した立花城の毛利軍が降伏した際に、大友は護衛までつけて毛利兵を安全に送ってあげたのだが、そこは無視か。
青牛は相変わらず都合がよいな。
そもそも毛利は旧大内領の継承とか言って野心バリバリだったくせに。
北九州で成功してたら現地小豪族も被官化しようと思って利用してたくせによく妄言吐けるな。
中国の律義とは約束は破るためにあるってことだろ。

387:人間七七四年
09/07/10 12:40:52 o2FvyDpn
「中国者は律儀」
実際にある言葉なのに↑は知らないらしい

388:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/10 23:13:57 P/2R2K+X
>>386
また、九州の嘘こきか。大友三将の戸次鑑連、臼杵鑑速、吉弘鑑理は、
麻生隆実さんに立花城より下山した浦宗勝ら討ち取れ云うとる。
じゃが、麻生隆実さんは、三将の姑息な調略で武士道を汚す行為に服さず、
毛利側に報告したわ。麻生隆実さんに対して小早川隆景さんの感状に、
「殊従豊州三老之調略状 具令披見候」とある。
まあ、九州勢は律儀や節操がのうて、勝つためにゃあ手段を選ばん性質が
強いが、麻生隆実さんは例外的に筋を重んじたのう。
約束を破りよるんは大友側で。何妄言云うとんなら。じゃけぇ九州人は
安易に信用ならんのじゃ。

389:人間七七四年
09/07/11 15:15:51 7+BwYM0T
宗麟は大内を攻める元就との話合いで
義長を見捨て支援しないから元就は九州に手を出さない約束をしたのに元就は一方的に破棄し奇襲上陸して少ない守備兵だけしかいなかった要害の門司城を奪ったり
その後に将軍が斡旋した和睦を破って奇襲攻撃をまたやったり、しかも将軍との和睦条件に北九州の国人を援助しない約束があったのに無視し続けていた。
北九州に野心を持ち隙あらばと約束を常に破り続けてるのは毛利側。
そもそも北九州の豪族が救いを求めたから仕方なく手伝いしてやった正義の味方って言うなら、なぜ毎回彼らを最後は見捨ててるのか?
彼らは大友にフルボッコされるわけだが。
利用した挙げ句に棄てたに等しい鬼畜行為に見えるけどね。

390:人間七七四年
09/07/11 16:58:15 ayDwXBNi
弱小国相手にすら何度も戦で大敗をして
相手が寿命で死ぬか、降ったと見せかけて騙まし討ちにするかで
元就が目だった活躍なんかしてないのは有名だよ
厳島だって河野家(村上水軍は当時河野家所属)が陶軍を破ったのが本当のところだし
晩年の支配領土だって四方八方で叛旗を翻されて
実質完全支配してた領地なんて50万石くらいしかなかったんじゃないかな?
政治なんかも評価されるようなことは一切やってない
毛利家の年貢の高さは、もはやお家芸の域で長年、民を苦しめて来たし
海賊衆に利権をやるから仲間についてくれという懐柔策をするくらいだから
信長のような新しい為政者とは真っ向から逆を行く旧来の政治家
頼みの石見銀山があったから何とか国としての形を留めただけで、要は資源頼みの政治
しかも、その銀山争奪にかけて本城氏如きの弱小豪族に何度も大敗して
最後は銀山の利権をあげるから味方についてくれと頭を下げる始末。
その後、味方についた本城氏を、ものの見事に約束破って謀殺してるところは
謀略家としての高評価を受けてる由縁だけど、実際は「ただ約束を破った」だけ


391:人間七七四年
09/07/11 17:41:18 HWq4Mg/M
>>389
鬼畜行為なら何故毛利と国人達の関係が悪化しないのだ?
見捨てた毛利の元になぜ逃走してくるのだ?
なぜ頼るのだ?

お前は自分の家に空き巣が入っても友達が「帰らないでくれ」と言ったら帰らず友達の家に居座り続けるのか?
もっともらしい事いって印象操作してるけどさ
国人達に反抗されっぱなしの大友てどうなのよ?
お前の論理でいえば鬼畜行為の毛利を頼らざるおえないほど大友は酷いのかww

弟は捨て駒
家臣の奥さんに手をだす
国人達に反抗されっぱなし
宗教馬鹿で国を傾ける
そんな大友より毛利は酷いですか?ww


※中国者の律儀
「起源は毛利説」を無知のお前に話してやろう
「毛利と同盟を組めば裏切られる事はない、安心だから」だそうだ
この件に関しては反論するなよ
実際に使われてる言葉だし俺が作った話じゃないから文句言われても困る

しかし河野の為に伊予を平定して敵を追っ払ってやる家なんて普通いねえぞ?領地が手に入る訳でもないのに
まあ国人盟主たる立場上救いを求めて来た者を助けないと国内に示しがつかないためだろうな
毛利が助けないとなると国人達の間で「いざというとき毛利は助けてくれないんじゃないか?」と疑心暗鬼となり統制が取れなくなるからな
嫌々でも助けざるをえない立場なのさ

392:人間七七四年
09/07/11 17:59:57 7+BwYM0T
長年盟友関係だった三村氏を切り棄て、宇喜多と手を結び三村氏を滅ぼして備中を奪い盗った毛利が律儀なのかねぇ。
備中争乱は三村一族滅亡の悲劇として備中松山城でも幼い嫡子も殺されたとビデオ放送してるくらいなのに。


393:人間七七四年
09/07/11 22:31:10 36BXPAZF
>>391
誰が言い出したんだ。
出典は何だ。
そして、それは実際の行動と符合しているのか。

394:人間七七四年
09/07/11 22:39:10 HWq4Mg/M
基本的に中国者は律儀て事だろ
大返しの話も「中国者が律儀」が前提だからこそ出来た話みたいだし
どこにだって律儀者もいれば不律儀者もいる。細かい事例をもちだすお前はナンセンス
そんな事したらどんな国にも当て嵌まらない

>宇喜多と手を結び三村氏を滅ぼして備中を奪い盗った毛利

お前はちゃんと過程をしゃべれ
毛利は最初から宇喜多と手を結んで三村を滅ぼす気だったのか?
そんな事じゃ印象操作と言われてもしかたない
三村を毛利が切り捨てた訳ではない
原因は毛利にもあるが家中分裂してまで織田に通じて反旗を翻したのは三村
私怨を捨てきれず滅亡の道を選んだのは三村
三村の気持ちも解るがそこは堪えるべきだった
そしたらいずれ宇喜多と戦える機会があっただろうに…

395:人間七七四年
09/07/11 22:46:01 36BXPAZF
だから、どこでその文言を目にしたんだと聞いてるんだ。
白馬青牛文書か?
アホめ。

396:人間七七四年
09/07/12 00:53:53 8lJ7/GlF
自分で調べられないなら頭を下げて聞けよ
それが聞く態度が?
自分でクグレよ馬鹿め

397:人間七七四年
09/07/12 01:37:57 8lJ7/GlF
あ、そうそうお前らがどうほざこうが今現在でも実際に存在するし使われてる言葉だからさ
気にいらないなら「中国者は嘘つきだ!」と全国に風潮しまくれば?ww

知ってる人は知っている
知らない人は知らないww

398:人間七七四年
09/07/12 02:15:39 mDsGPEz5
全国区の言葉じゃない。単なる秀吉マンセー明治維新マンセー司馬の造語。
毛利が本能寺で追撃しなかったから秀吉が天下を取れたと言うことで中国者は律儀と言われた一方で幕末に水戸などで長州人は怜悧(ずる賢い)とも言われた。

誰が使ったのか用法すら見られないからまったく浸透してない言葉だし、どうせ毛利あたりが自分で吹聴したんじゃねーのこれ。

毛利が備中欲しさに備前の宇喜多と結んで長年の盟友だった三村を切り捨てたから、追い詰められた三村は織田と手を結ばざる負えなかっただけだが。
まぁその宇喜多に毛利は裏切られるわけだがw
長年の盟友だった三村と共同して宇喜多を討って備前に進出してたら秀吉とも万全の戦いができたかもしれんのにバカだな毛利は。

399:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/07/12 07:33:16 mvyb8HID
投げっぱなしの理屈になって悪いが。
安芸の国人一揆の首魁と赤松氏を傀儡にした土豪の両者には、
正統性で判断する術などないだろうに。

タイミングの話題は論外な。

400:人間七七四年
09/07/12 09:21:19 8lJ7/GlF
>>398
お、調べたか?
よかったな知識が増えて
少しは成長したな
しかし悪意見え見えの文だねww
実際にあったが「なんとか言い返したい」「一言いわずにはいられない」て感じだなww
お前みたいなのが一番タチが悪いな

>毛利が備中欲しさに備前の宇喜多と結んで長年の盟友だった三村を切り捨てたから、追い詰められた三村は織田と手を結ばざる負えなかっただけだが。

前文にも書いたが理解できんか?
備中の国人で毛利に味方した者もおるし
だいたい三村一族が割れてる
宇喜多に対する私怨を捨てきれなかっただけだろ
追い詰められてるなら何故一族が割れる?
毛利の備中ほしさ?
元就の生前から「備中は三村に任せる」の方針は変わらんはずだが?
吉川元春が説得に行こうとした時点で備中欲しいはありえんだろ
捏造乙ww

401:人間七七四年
09/07/12 14:51:15 mDsGPEz5
宇喜多直家は元親にとっては親を暗殺した仇なのに私怨を捨て耐えるべきとか無理なこと言ってんなよ。
親が暗殺されたり殺された人間の気持ちもわからんのか?
しかも元春が小早川に「宇喜多は表裏あって信用できない」
「歴代忠孝を働いてきた三村を蔑ろにする獣にも劣る義に外れる外道行為」と反対したことから判るように三村にとっては絶対受け入れられない決定だったわけだ。
さらに三村討伐決定の際にも元春は「自分が直接元親に会いに行って説得したい」って言うが拒絶され
「信義を捨てた毛利の将来は暗い」と言ってるわけだ。
元親の妹の鶴姫以下三村一族が追い詰められ最後に籠もった常山城では女子供まで裏切り者毛利に降伏するを潔しとせずに徹底抗戦して撫で斬りされたわけだ。
これが三村が悪くて毛利が正しいだと?

402:人間七七四年
09/07/12 17:09:39 8lJ7/GlF
都合が悪くなったら話すり替えて最初の話にループか?
お前は馬鹿か?
前レスよめよ
どこに三村が悪くて毛利が正しいなんて書いてんだ?ww

それに鶴姫なんて謀反した後の話じゃん
謀反したなら征伐は世のならいだろ
焦点ずれてるぞww

私怨を捨てきれずの気持ちはわかると言ってるじゃん
俺も三村はかわいそうだと思うよ
でも一族の反対を押し切り謀反したのは三村だろ?
そりゃ織田と手を組めば毛利は国人達へのみせしめとして赦す訳にはいかないよな?
実際三村は滅亡してないし残った叔父も謀反を止められなかった事で減封
これで備中を毛利が狙って三村を騙したのはお前の捏造だという事がハッキリした

しかし悔しいからといってまた話を振り返すのは正直感心しないなぁー


毛利は不律儀で酷い悪党→毛利は備中を取りたかった→毛利は不律儀で酷い悪党(また最初)

無限に続ける気か?
だったら付き合ってられないから俺は遠慮しとくわww

403:人間七七四年
09/07/12 20:44:11 2hwBFanV
>>402
なにぬかしとんじゃ。
おどりゃあ、ぶちとれえのう。
自分のレスを見直してみい。

404:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/12 23:03:28 o8RFC/ns
>>390
東国の主従性の色眼鏡を持って、西日本に適応しても意味があるまい。
河野氏が水軍衆から陸上がりした時点で、瀬戸内水軍衆と縁が薄うなったん
じゃ。現代でも愛媛県でも広島側に向いとる地域は関西アクセントじゃ
のうて、広島弁に近いが、伊予に近い来島と能島、広島県の因島じゃあ、
それぞれ違うわいのう。
毛利氏が、民を苦しめた根拠たぁ何なら。根拠を提示せぇや。
>>395
浦宗勝さんの史料から、「隆景卿伝」「浦備前覚書」じゃが、
立花道雪つまり戸次鑑連ら大友三将は、浦(乃美)宗勝さんの、籠城長引き
策に業をにやしとったけんのう。じゃが麻生隆実さんを唆して、浦宗勝
さんらを討ち取ろうとする姑息さよ。

405:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/12 23:50:10 o8RFC/ns
>>398
司馬遼太郎氏は、長州人が金に弱く、薩摩人が女に弱い対比で面白
可笑しゅう書いておられるが、実際女を強姦し、金欲が強いんは
薩摩の方じゃ。
今東光氏は、鹿児島人の脅しの投降に対し「ついでに鹿児島人の
一番悪いことを言っといてやろう。鹿児島県人は金に弱いんだ。
生意気なことぬかすな!きさまらの先輩の海軍軍人でござれ、
政治家でござれ、もう実に金に弱いんだ。だから律儀者の山口県人は
鹿児島人を長く信用しなかった。薩はいつ金で転ぶかわからない
から、長の方じゃ信用してなかったんだ。」
対談集から大石慎三郎氏が西郷隆盛について「非常な策士ですね。」
に対し津本陽氏は、「長州の方がまだ鹿児島に比べると一本気の
ような感じがしますね。」
司馬遼太郎氏と鹿児島人の海音寺潮五郎氏の対談で、薩摩の節操の
無さについて海音寺氏は、「薩摩人の頭の悪さによるもので、
えらい奴が出て来て号令をかければ、その通りに動くという行き方
ですね。薩摩人は現実的過ぎてやることに全然筋道が通ってないから
嫌いだが、有馬新七だけは大好きだといって大変賞める人もあるの
です。三田村鳶魚翁がそうでした。」とされるが、鹿児島人や
薩摩人的な九州人に節操を求めても、寝返るんがオチじゃけんのう。
>>401
三村氏の婦女子軍には相手出来んと退却したよ。毛利勢は。
撫で斬り云うて誰がや。提示せんかい。

406:人間七七四年
09/07/12 23:56:13 8lJ7/GlF
>>403
おいコラ、お前こそ何をほざいとるんじゃボケが!
394に原因は毛利にもある三村の気持ちもわかると書いとるだろが!
お前の目はふしあなか!

素直に謝りゃいいんだよ
「言葉を知らない無知でした」
「備中兵乱を捏造してスイマセンでした」てなww
吠える事しか出来なくなったか?負け犬がww

407:人間七七四年
09/07/13 04:09:33 PEJY3EK6
やはり広島人は日本最大の基地害だな。
自分たちが絶対に正しいと信じて疑わない。
ああ言えば上佑みたいなヤツらだ。
いや萩など山口人も基地会だから
毛利関係者と言うべきか。


408:人間七七四年
09/07/13 10:39:44 lHzb3PWx
(笑)

409:人間七七四年
09/07/13 15:15:23 kKvQS80l
頼むから標準語で書き込んでくれ
読む気失せる

410:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/13 23:55:56 2rg/JUaj
>>407
広島人は戦闘やらしたらキチガイにもなるが、軍紀における自己抑制も
同時に強い。あんたんは、戦勝の為には手段を選ばす、負け戦さを隠蔽し、
戦後も自部隊の正当化をする九州人に云うべき台詞じゃないか。
ほいで>>405の今東光氏は、神戸育ちで両親が津軽藩士。津本陽氏は
和歌山県人。大石慎三郎氏は愛媛県人で、山口県人の意見じゃないど。

411:人間七七四年
09/07/14 20:32:47 kf1wyJkE
文章を方言まじりで書くやつはアホなのか?
それが専門的で素晴らしいものでも、ただのうざいレスにしかならない

412:人間七七四年
09/07/14 22:49:01 I7XEFrWc
>>406
お前はずっと何を言ってるんだ。
俺は三村のみの字も言ってない。
あたま、ぬくいんか?

>>404
> 浦宗勝さんの史料から、「隆景卿伝」「浦備前覚書」じゃが、
これは毛利の自画自賛と捉えてもいいのだろうか。
> 立花道雪つまり戸次鑑連ら大友三将は、浦(乃美)宗勝さんの、籠城長引き
> 策に業をにやしとったけんのう。じゃが麻生隆実さんを唆して、浦宗勝
> さんらを討ち取ろうとする姑息さよ。
これは律儀な九州人、麻生隆実を褒め称えている事例だろうか。
上手く謀殺できなかった失敗例を出し、九州人の謀略の拙さを嘲笑い、
その反面として毛利元就のような手際のよさを褒め称えているものだろうか。

413:人間七七四年
09/07/14 23:11:29 JI+qMy2x
>>412
お前はかなり頭がぬくいようだな
今更なにいってんだかww

414:人間七七四年
09/07/14 23:15:14 rcUbpbbd
牛の相手はよせ
あいつはドコの板でも
ウザがられている
真性基地害

415:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/07/15 07:31:53 PSChHRPG
オレの板では大事な論客だぞ。

416:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/16 01:42:02 rsaFRikb
>>412
浦宗勝さんは、以前立花城の城兵の降人を丁重に扱い志賀島まで送り
届けとる。「降人をなだむるは つはもの(兵)の道なり」よ。
中国者が戦闘の礼を守る性質と九州の大友三老の姑息な礼に反する汚さとの
違いで、九州でも麻生隆実さんに限っては、つはものの道を知っておった
云うだけのことよ。
浦宗勝さんに籠城させたんは、元就さんか隆景が選んだかまで解らんが、
浦宗勝さんは、水軍衆を率いて、兵糧や軍需品の海上輸送を担っとったけん
のう。浦宗勝さんらの籠城が長引くと、大友側の在陣が長引くことでも
あるけぇ、囲む大友側の戦費を使わせることになる。
浦宗勝さん自身が戦費や状況の把握に長けておったゆえの人選でもあろう。

417:人間七七四年
09/07/16 13:28:13 koMrtPYh
毛利の周辺大名はみんな滅亡や改易でいないから、毛利が作った毛利マンセー史料ばっかだしアテにならんよ。

418:人間七七四年
09/07/16 14:46:28 lQTn/m7m
「明らかに未知数」って日本語としておかしくないか?

419:人間七七四年
09/07/16 15:45:50 i0CxQMUR
立花も立花文書とか地元のマンセー史料

420:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/07/17 07:05:15 qukxIoGr
因幡は池田。
出雲は越前松平。
石見は越智と亀井。
美作は森・越前松平と三浦。
備後は浅野と水野阿部。
安芸は浅野。

亀井と森を除けばみんな松平の、三浦を避ければ全て家康の子孫。
江戸時代を通して見るに、毛利マンセーな史料が周辺でのこりやすい状況だっただろうか。

421:人間七七四年
09/07/17 08:28:15 uH/yOUDc
立花文書は残った書状なんだから別にマンセーにならんだろ…

422:人間七七四年
09/07/17 10:40:58 M/G8rBuD
なら毛利家文書はOKなんだな?

423:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/19 01:52:57 jZ7VHEvy
>>417
一番権力の座にあった幕府側の史料なんかどうなるんなら。
>>420
浅野藩でも、毛利の史料の『陰徳記』に出とる百姓家は、
先祖の武勲から、浅野藩武家の養子に望まれる現象も出てきたよ。
>>421
九州の史料は、朱子学の影響かどうか白髪三千丈が激しいけんのう。
薩摩の泗川の戦いもハッタリじゃが、近代の熊本兵団や久留米兵団の
戦史も都合の悪い事例は隠蔽で、強がりや権威だけは張るわい。
日本の史料でも、その土地の郷土の人が書くわけじゃけぇ、
地域の性質や類型構造から史料を考察した方がえかろうに。

424:人間七七四年
09/07/19 08:37:46 bdteOQcS
>>422
ふざけんな!
2ちゃん毛利スレ読んでると
毛利側なんて
元就マンセー歪曲ネタ本の安西軍策から
さらに捏造改良を加えた陰徳太平記からの引用ばかりだろがw

425:人間七七四年
09/07/19 14:28:52 qLLfs3q5
毛利側は信用できず大友・立花側は信用できると?
どっちがマンセーなんだかww

426:人間七七四年
09/07/20 08:00:06 yRu2qDu3
大友は美化捏造ストーリーを編纂する以前に滅亡してしもうたからなあ。
毛利は明治維新から戦前まではさらに歪曲を繰り返して、その歴史観を完全に定着させるのに成功した。

427:人間七七四年
09/07/20 17:33:12 QWQM7L7M
立花は残ってる

428:人間七七四年
09/07/21 00:59:11 jH7tIrfg
>>426
明治維新から戦前まで歪曲を繰り返し?
長州主導で全国民に定着させたという事?

429:人間七七四年
09/07/21 01:02:32 K3jN5hSg
全国民に知られるほど浸透していない。

430:人間七七四年
09/07/21 20:23:39 LJswWXqE
>>429
その微妙な知名度こそが捏造にとって都合がよい。

431:人間七七四年
09/07/22 03:19:41 fXKiJJKx
むしろ戦前は毛利の宿敵、山中鹿之介幸盛のほうが定着していた
江戸時代の太閤記では最も紙数をとってたし戦前の教科書にも載ってた
戦前の人なら授業で習って誰でも知ってるぐらい有名人
長州が毛利捏造するなら山中を英雄視するような事はさせないのでは?

432:人間七七四年
09/07/22 05:23:24 2vj6wPBT
山中は別格だろ
当時の時代背景から忠義を吹聴し
国民国家形成のための洗脳してたしな。

433:人間七七四年
09/07/22 14:38:16 +2svI7nq
別に山中じゃなくても良くね?と宗茂のお父様が仰ってます

434:人間七七四年
09/07/22 19:51:15 fXKiJJKx
そうだな
山中の代役なんぞいくらでもおりますな
伊東の家臣なんか個人的にいいな

435:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/23 00:33:02 0WyPxAb3
>>432
近代合理主義、特にクラウゼビッツ戦争論の洗脳じゃあ織田信長よのう。

436:人間七七四年
09/07/23 08:39:01 gF6gVacd
やっぱりドラマチックじゃん
月に変わってお仕置きよって月から公認受けたり、
我に艱難辛苦を与えたまえ!我が人を欺くとも人、我を欺くこと許さずとか。
もうパクり放題。
そりゃ厨房には憧れの100万パワー超人ベンキマンですよ。

437:人間七七四年
09/07/23 12:35:20 2uFdZfnT
ほんとは略奪、放火、なんでもありの
単なるテロリストなんだけどな

438:人間七七四年
09/07/24 08:38:21 CsJq2+Lx
>>437
そりゃ中国毛利視点ならの話だろ
チベットやウイグルら亡国再興にかける想いを軽んじてはならん。

439:人間七七四年
09/07/24 10:39:55 bFfLIuGF
山中は普通に村に放火や略奪してるぜ

440:人間七七四年
09/07/24 11:21:18 CtAqVa/t
>>439困ったときはみんなそんなもん。所詮893

441:人間七七四年
09/07/24 13:23:32 CsJq2+Lx
戦国時代唯一毛利だけは略奪や村に火をつけない正義の軍ですwww

442:人間七七四年
09/07/24 15:51:12 bFfLIuGF
>>441
は?
山中がテロリストて言っただけで何故そうなる?
誰か毛利が正義の味方とでも言ったか?
過剰反応しすぎだろww

443:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/25 01:24:11 V0IWIy6M
>>441
軍勢狼藉の禁止は、弘冶三年(1957)十二月二日、安芸国人衆の連判状で
決められとったね。

444:人間七七四年
09/07/25 07:41:33 cmaAMPKi
>>443
第二次大戦後ですね。
さすが義と愛の戦士たる毛利。

445:人間七七四年
09/07/25 23:59:23 girHnxil
長男の隆元が長生きしてたら織田に対抗できてたかな?

446:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/07/27 06:55:11 Stu98tza
大して差はないと思いつつ・・・
元就・隆元・輝元と家督三代が揃う時期が長いぶん、戦略的に自由度が高まるから
多少は史実よりも強大になっていたのではないかと。

447:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/28 01:28:06 F2hicA88
>>446
義と愛云うたら、大河ドラマの天地人じゃけど、奇麗事に描いとっても、
残忍な信長や出世欲の秀吉のドラマより余程面白いですわ。
NHK大河ドラマの毛利元就は元来「義」と「情」をテーマにすべき
じゃった。諜略のイメージばっかし、うえつけよりましたねえ。まあ、
越後は人身売買の盛んでしたけど、戦場の礼は持っておったでしょう。
URLリンク(www.yurindo.co.jp)
関東兵団出身の伊藤桂一氏の文中の「戦記は同世代のための呼応の文学」に
造兵団が「逃げる敵は背後からは撃たない、という原則を持っていて、
立派だな、と思う。」と、書いておられるが、造兵団は東北、越後の兵が
多かった部隊で、関東地方の兵団と違い、戦場の礼を守る伝統があったん
でしょう。東北の伝統か?越後の伝統か?何れかになります。
「戦記も一般の日本史の中に繰り入れられそうに」では、広島師団の
特に山口、浜田の聯隊が激闘した「崑崙関」の戦いが話題になっとります。
敵の広西軍は、阿片戦争で英国軍を「崑崙関」撃退した地ですからねえ。
広島師団を武田勝頼軍、前線の広西軍を含めた中国軍を織田・徳川連合軍
にしとってじゃが、広島師団は四面楚歌に包囲され、弾薬が底をつき、
竹槍を造って敵兵を刺殺して武器を奪い、糧量も底をつき、飢えに耐え
ながら、激闘した。旅団長の戦死し、玉砕全滅するのは時間の
問題とされた中、福山41iの奇襲が成功したりして、奇跡的な逆転で
武田勝頼軍と同様にならずに済んだんです。長篠と崑崙関は逆の
結果ですからね。
やっぱし、信長・秀吉に対し毛利側の粘り強い戦闘が伝統として、
郷土広島師団に受け継がれたんじゃと思いますよ。

448:人間七七四年
09/07/28 06:32:50 w/JuIX80
基地害白馬青牛は巣に帰るべき

449:人間七七四年
09/08/02 03:20:25 Ujt49fco
外交的謀略で状況を操る政戦略の大友>>>越えられない壁>>>>>蛮族の酋長島津兄弟>>>>>越えられない壁>>>>>有力者が死ぬのを待つだけの人生80年元就
URLリンク(c.2ch.net)

毛利捏造伝説
URLリンク(c.2ch.net)

450:人間七七四年
09/08/02 03:26:02 Ujt49fco
>>380
対毛利戦では大友や尼子をさんざん利用した大友。
島津の北上ではその毛利や長宗我部までも味方にする宗麟の鬼謀外交術は素晴らしい。
しかも大友軍はまったく戦闘参加せず無傷のまま高みの見物をし、
千石らが大敗し長宗我部の衰退のキッカケまで作る宗麟の奇策。


451:人間七七四年
09/08/02 11:13:23 Ab08u+Y2
>対毛利戦では大友や尼子をさんざん利用した大友。

今だに「大友が尼子を動かした」とか思ってる馬鹿がいるのは驚きだね
なるほど大友が大友を利用したのかww

>島津の北上ではその毛利や長宗我部までも味方にする宗麟の鬼謀外交術は素晴らしい。

大友が島津に手も足も出ずに守勢を取るしかなかっただけだろ
確かに島津に勝てないので秀吉に泣きついて
土下座服従を示した宗麟の鬼謀外交術は素晴らしい。

452:人間七七四年
09/08/03 19:50:21 jabTt11T
2ちゃんのアホ毛利厨だけが大友が尼子残党と手を結んでないとバカな主張するよなw
そんなに大友に大敗したのが悔しいの?

453:人間七七四年
09/08/03 20:51:31 tHpmVxug
手を結ぶ、と動かした
の区別もつかんとはww
馬鹿だねぇ~

454:人間七七四年
09/08/03 21:32:47 rA4D+txo
>>jabTt11T
あれ?
今度はこっちのスレで頑張るんですか?
ご苦労様です。

455:人間七七四年
09/09/23 09:42:54 TPMsW4lq
元就死去寸前は大友に破れ
大内に大都だった山口を荒らされ
尼子や宇喜田に東部を切り取られ滅亡寸前だった。
元就超絶無能。

456:人間七七四年
09/10/13 19:31:06 2jvNjwGo
美伊よぉ。 ワシャがんばっとるのに皆がいじめるんじゃよぉ。
なんとかならんものかいのう・・・。

457:人間七七四年
09/10/16 12:32:20 x/6BoVJ+
しおしおなさいますな

458:人間七七四年
09/10/16 14:36:02 wa/XwDfe
道雪に皆殺しされたら良かったのに毛利家

459:人間七七四年
09/10/16 14:55:34 kX0IOcJv
大国になるまでの評価はないのか

460:人間七七四年
09/10/16 23:25:15 vWhsvcqe
三本の矢を束ねたら、
折れないが遠くにも飛べなかった毛利。

461:人間七七四年
09/10/17 02:32:33 /kHdpcE1
久々に覗いたけど相変わらずの過疎り具合で・・・

462:人間七七四年
09/10/23 23:49:14 1nbiTzx6
>>447
バカがきた

463:人間七七四年
09/11/07 11:39:01 ucRm6jPp
ぼくのひゃくせんむはいのもとなりがまけるわけないよ。
おおともやちくぜんのしるしたしりょうはぜんぶつくりばなしにちがいないよ

464:人間七七四年
09/11/07 22:46:36 fLlRZnOP
>>456
くやしいのうwwwwくやしいのうwwww

465:人間七七四年
09/11/12 23:23:30 wz7c6zrt
さいきょうのおおともがまけるわけないんだ
つよいからしまずにめつぼうすんぜんにおいこまれたり
ひでよしにどげざでなきついたり
さいごはもうりにすてごまみたいにつかわれることになったなんてありえないよ
おおともはつよいんだ

466:人間七七四年
10/03/12 13:54:10 2qF6x7IO
>>452
吉岡長増について
毛利の主力軍が筑前に集結しているのを見て尼子の遺臣山中幸盛に
弾薬、鉄砲資金を援助して尼子の侵攻を手助けし、
毛利に下っていた尼子旧臣の米原綱寛に山中幸盛に合力するよう促し成功。
長増は輝弘を送るにあたり、小早川指揮下で周辺海域を支配している村上水軍の村上武吉を
筑前方面の通行税を取る権限を餌に寝返らせるが、
この寝返りを毛利元就の策略と疑い、
8月9日に大友水軍の若林鎮興に筑前の毛利軍に送る食料補給基地(周防にある)を
襲わせて村上の出方を伺った。すると確かに武吉は見て見ぬ振りをして、鎮興の攻撃は成功した。
大内旧臣たちに大内輝弘に協力するよう調略を開始し、
さらに豊前小倉城を攻めると流言を流してわざと毛利氏につかませ、
10月9日に田原親宏に小倉城を攻撃させて吉川元春、小早川隆景の注意を釘付けにし、
同日、輝弘に兵を与えて筑前に出兵中の隙を突いて毛利領の周防国に侵攻させた。
毛利氏の強みは村上水軍に守られ、大友が周防.長門を攻撃できないことであった。
これを突破したことは長門に本陣を構える元就を驚愕させる。この策は見事に当たり、
兵がいない周防は輝弘によって次々と侵食されてゆき、驚いた元就は主力軍を全て筑前から撤退させた。


467:人間七七四年
10/03/23 17:14:43 YMdPxeJh
スレリンク(net板:655-669番)

468:人間七七四年
10/03/24 10:36:33 6G7q85gN
仮に周囲が弱小だったとしても英雄なんて運要素も含まれるんだから
あれだけでかい領土まで広げた元就が雑魚ってのはないだろう
んなこといったら政宗・早雲・道三等等といったやつらが皆雑魚になるわ

469:人間七七四年
10/03/25 14:23:35 IDvOsOVE
元就嫌いな奴がただほざいてるだけだから気にするなよ

2Chでは通用しても世間では通用しない奴らだから

470:人間七七四年
10/03/31 02:48:59 KO9GMoFY
2chも通用してないがな

471:人間七七四年
10/03/31 18:51:17 YxG3+NuN
>>462
なぜ中世の広島県民は戦争が弱かったのか
スレリンク(history板)

472:小倉兵長
10/03/31 20:03:18 SJYGYvue
やっぱし、信長・秀吉に対し毛利側の粘り強い戦闘が伝統として、
郷土広島師団に受け継がれたんじゃと思いますよ。

なんじゃこりゃ?
信長・秀吉に対し一戦もせず。
三木・鳥取を見殺しにして運良く生き延びたのが粘り強い?
意味不明だな‥

473:人間七七四年
10/03/31 20:06:58 SOhjx+jB
 このスレ立てる前に、いろいろな文献を調べてみようと思わなかっただろうか。
 戦いを挑むのにそれ相応の準備をしてから、挑むわけだが、
 無防備で戦いの仕方も知らない人間が、大衆の面前で「チェストー」
 って叫んでも「なんだあれ?」と思われるだけだと思うが…。

474:小倉兵長
10/03/31 20:26:42 SJYGYvue
毛利元就は陶軍を宮島で撃滅させた。
これは評価して良いだろう‥
じゃが、撃滅させたのは明らかに戦略ミス。

殺すのは陶軍の大将各の武将だけで良かった‥
その後領土の広さに比べ、動員兵力が著しく低下し‥
北九州攻略失敗の遠因となり、織田(秀吉軍)へも対抗出来なくなった。

元就が中国地方の守りに専念せよ。と語ったのは兵力不足である事を裏づけている。

475:す@死
10/04/01 02:55:40 rigc4iQc
尼子と大内の強大な勢力に挟まれて生き延びた手腕は評価されるべきでしょう
キツイよこれ

島津の方が楽勝なんじゃないのか、弱小九州の覇者

476:小倉兵長
10/04/01 03:08:55 vg8dlZQJ
戦国時代初期頃、島津家は分裂状態にあり‥
戦争状態で周辺国より不利な状況にあった。


477:人間七七四年
10/04/01 18:11:42 pOcFFgCi
>>475
毛利は代々の安芸における一揆の盟主の家柄であり
武田が大内の支配に協力しないとわかると
毛利を保護し、海側に領地をやったりと厚遇していた。
尼子も安芸を握るポイントを一揆の盟主の家柄である毛利と踏んで好条件を提示したりしており
二股をかけて利益を得ていた毛利の肥え太り。
大内も尼子も毛利を滅ぼそうとしたことなど一度もない。
ただ自陣営側に引き入れたいだけだった。
元就はなんら策なく、ただSEXに励んでいただけ。
策はなくとも裏切り人生だけは持っていたので長女を生贄にして
裏切り急襲など、裏切りには暇が無い。

478:す@死
10/04/01 18:27:40 8jxvD4Mu
尼子と大内飲み込んだんだから大したもんだよ毛利は

479:人間七七四年
10/04/01 18:59:54 pOcFFgCi
尼子と大内が自滅しただけ。
敵失を評価することはできない。
しかも陶や義久は元就を信用していたのに
完璧に裏切られたように
信義の欠片すらないキチガイをどう評価できるのか?
さらに大友に敗北し、大内残党には山口を焼かれ
尼子残党には東側を侵食されまくられ
元就死去前後の毛利の領地消失率で考えれば
滅亡の寸前の瓦解がはじまっていた。
元春の働きがなければ
義隆や義晴の死去時の瓦解開始と似た条件が揃っていた。

480:人間七七四年
10/04/01 19:01:39 pOcFFgCi
×義晴
○尼子晴久

481:人間七七四年
10/04/02 02:26:00 HrL1W4/R
>>479
大丈夫、自滅の一言で簡単にかたずける君がどう思おうが世間は評価してるから

482:人間七七四年
10/04/02 10:38:56 PsptJC7X
>>481
毛利厨はソース皆無のマンセー捏造軍記でも読んでオナヌーしてろw

483:人間七七四年
10/04/03 22:39:22 +McktuYs
>>482
お前はいつもニチャンで自慰行為だもんなww

484:人間七七四年
10/04/09 11:20:46 iI2sK1nr
毛利厨って基地害過ぎだよな。
元就だけでなく隆元や隆景まですげー過大評価しまくりだし。
元春だって九州で殿と言う最も軍事的才覚と指揮と統帥と組織力が要求される戦略的撤退において大失敗して立花道雪らにフルボッコされて軍隊として崩壊した挙げ句に長駆大敗走してるし。


485:人間七七四年
10/04/09 18:09:30 Jv0vb7Il
元春って陶に掘られたんだよな。
隆元は義隆に掘られたし
兄弟そろって尻の穴がユルユル

486:人間七七四年
10/04/10 08:30:42 iDOHC/bn
隆景も義隆にホラれてるぜ。

487:人間七七四年
10/04/12 00:33:10 nMBOajpV
mjika

488:人間七七四年
10/04/16 23:04:14 gVpulmBL
大内仕込みのテクで兄弟同士で男色やってたっぽいな
大内義隆はザビエルに男色を非難されて席を蹴って出ていったくらい男色大好きだしな。

489:人間七七四年
10/05/02 03:22:39 S+WXPwNg
隆のトコだけなぜかホモと連呼します!

大内義ホモ
陶ホモ房
毛利ホモ元
小早川ホモ景

490:人間七七四年
10/05/17 23:11:54 Hz0ld97b
なるれす

491:人間七七四年
10/06/04 12:23:17 wHaTZjp+
>>489
汚いホモ4兄弟。

492:人間七七四年
10/06/25 15:19:10 iNAWPhTA
隆景って正妻に会う時、
よそよそしくて
しかも服装もしっかり正装して
辞宜までして接してたって言うから
完全に重度同性愛者だよね。
子が生まれないのも当然だ。
そもそも側室を持たないのも上記の話を聞けば
当然なことなんだよね。
これを歪曲して女性に対しても誠実だったとか書くバカは
脳が腐ったスイーツすぎだよな。

493:人間七七四年
10/06/29 05:49:57 n+9rK2ue
謙信VS元就 どっちがスゴい!?スレ
越後39
越中38
能登21
加賀35-5=30
佐渡1
上野49-34=15
信濃+出羽+飛騨+下野=6
かなり小さく見積もって150万石ってところか。
あまりに小さく見積もりすぎて削りすぎかな???
さすがに上野は削りすぎかも・・・
加賀も削らなくても良いのかも知れんね。
+10の160万石でもぜんぜんおかしくないような気がする・・・

門司城攻防戦
宗麟との同盟軍の尼子軍が後方で侵攻開始し
宗麟が政戦略外交を駆使して毛利を屈服させ香春岳城・松山城・門司城を大友に返却し和議させる。
この際に宗麟は自分から将軍に大金をつんで和議斡旋を頼んでおきながら元就が困って和議を受託しようとしたら
条件を次々に出してなかなか和議を結ばないという卓越した外交交渉をしてのけたので元就の一方的譲歩になった。

1566年尼子滅亡

多々良浜の戦い1569年
宗麟の謀略として大内輝弘の逆上陸が開始され
後方では隠岐国から上陸した尼子残党が出雲一国をほぼ奪回寸前になり
毛利軍は多大な犠牲と苦戦の末に落とした立花山城を大友に返却し撤退。

1571年に元就死去。
1574年山名氏から援助を受け尼子軍が因幡国より出雲侵攻。
1577年織田軍に参加した尼子残党が播磨上月城を攻略

494:人間七七四年
10/06/29 05:50:53 n+9rK2ue

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 01:35:52
宇喜多直家は勇武で鳴る三村家親を暗殺し翌年1566年7月には息子三村元親を明善寺合戦で破り
備前西部・美作から三村氏を追い払い備中深くまで侵入し
1568年には撫川城(備中南東)・猿掛城(備中南西)・斎田城(美作・備後国境沿い)と宇喜多の前に次々落城し、
最後の仕上げとして直家の調略で備中の名族庄氏が裏切り備中中枢の松山城の居城を奪われ三村氏は崩壊。
三浦氏(美作西部の有力者)も三村氏より美作西部の要衝高田城を奪還。

1569年元就が対大友戦で長府へ(翌年正月に輝元をおいて元就は吉田へ帰る)
大友との多々良浜の戦いが開始され大友に支援された大内軍が後方の周防国へ上陸し
破竹の進撃を開始しついに山口攻撃を開始し無視できない状況に。さらに尼子残党が隠岐より上陸し出雲一国をほぼ制圧してしまう。
毛利は大損害を出しながら何とか確保した立花城さえ大友に譲渡し九州完全撤退を決意し交渉に入る。
毛利軍が備中猿掛城を落城させるも備中斎田城で宇喜多勢に大敗。毛利方香川春継が尼子・三浦氏より高田城奪取。

1570年2月尼子残党の月山富田城攻略失敗。尼子と宇喜多直家は手を結ぶこととし、
尼子勝久・山中幸盛らは備中より美作へ1000の援軍を派遣し三浦氏を支援し10月には毛利軍を破り高田城は落城。
尼子勢は備中を次々に降し幸山城(倉敷北方)・松山城などの諸氏は尼子に降り毛利方の城攻めを開始しほぼ毛利は備中失陥。
同年に宇喜多配下の花房職秀は荒神山城を築城し美作支配の拠点とする(宇喜多が美作をほぼ制圧完了)
9月に元就重症の急報あり尼子残党を元春に任せ、輝元と隆景は大友の動きを警戒しながら元就のもとへ急行。

1571年6/14元就死去。
8月に新山城で山中幸盛を元春が捕縛するも逃げられる(尼子勢力が減退し始める)
毛利が備中中部で反撃を開始し松山城落城させるも備中幸山城が備中北部を制圧していた尼子に攻められ降服。

1572年毛利の支援で三村元親が佐井田城を奪取し松山城に居城を移す(備中の軍事バランスが毛利方へ)
宇喜多と毛利はこの後も一進一退の抗争を繰り返す。

1574年対織田で宇喜多・毛利は同盟し毛利の背反に激怒した三村氏は織田へ。
1575年毛利が松山城や猿掛城を落城させ三村氏を滅亡させ備中平定に成功。
1576年毛利氏が美作高田城奪取。
1577年宇喜多によって浦上は滅亡へ。

495:人間七七四年
10/06/29 05:51:57 n+9rK2ue

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 01:38:25
周防16
長門13
石見11
出雲18(尼子残党が暴れていたが詳細不明につき削らない事にする)
備後18
安芸19
備中17-10=7(尼子残党とそれを支援する宇喜多同盟軍がかなり攻勢に出ており三村滅亡寸前だが元就死去後には挽回し始めている)
隠岐4(尼子残党の拠点になったりしてるので元就時代に領有してたか不明だが+する)
美作と備前(元就死去時はほぼ宇喜多支配下)

毛利元就死去時の石高は106万石
九州(大友の四国侵攻による宇和郡領有による伊予での河野氏支援も含む)と中国東部での無意味な二面作戦という愚策で
東部・西部ともに劣勢に追い込まれるが死去寸前に愚かさを悟り九州から完全撤兵(健康への不安からか?)
謙信が関東を放置し上洛戦で北陸に戦力集中したのと違い元就は戦略変更が遅すぎて宇喜多や大友の支援で尼子残党が巨大化してしまった。
元就死後に中国東部のみに敵を絞り込み反攻しある程度の成功を収めてるところを見ると老害が出始めていたかも。


伯耆(10万石)因幡(8万石)情勢

1564年 西伯耆の要衝たる尾高城は毛利方の杉原盛重が派遣される。

1568年 毛利氏の九州出陣で伯耆の領主たちが九州に赴いた隙を狙って
    尼子勝久・山中幸盛らによる尼子再興戦が開始され伯耆各地を奪回し始める。

1569年 山中幸盛らの尼子残党に尾高城を奪われる(陰徳太平記)

1571年 毛利と同盟して因幡を乗っ取った武田高信が但馬侵入するも山名氏の塩冶高清に大敗。
    西伯耆の浄満原で杉原盛重が尼子氏残党(信長の支援で但馬因幡の山名氏を復興させた)と戦う(陰徳太平記)

1572年 因幡国人の大半が山中幸盛側になびき武田高信の大敗で鳥取城陥落し因幡が完全に山名領国化。

    西伯耆と分断された東伯耆の国人の南条宗元は毛利と同盟しているが
    孤立無援の中でかなり苦戦してると思われる(毛利に援軍派遣の余裕はない)

※陰徳太平記は毛利氏によって編纂されているので毛利贔屓になっている。
よっておそらく杉原盛重は浄満原で負けていると思われる。


496:人間七七四年
10/06/29 05:53:00 n+9rK2ue

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 01:42:20
元就死後に元春のがんばりで対尼子の出雲情勢が好転してくる状況で、なおかつ美作国方面はほぼ宇喜多の手に落ちている。
よって伯耆以東は尼子の勢力圏化が進み連絡線も断たれ孤立した各国人が独自の防衛政策で必死に守っており
毛利の軍事プレゼンスも期待できない以上は影響力が皆無に等しく毛利領と見なすのはかなり無理がある。
しかも出雲・隠岐もかなり尼子に蹂躙されているが>>693ではまったく石高を削っていない状況なのでさすがに伯耆分は追加不能。
厳密に計算したら元就死去時の石高は、ほぼ100万石くらいまで落ちる気がする・・・がそんな事したら毛利厨が過小評価だと騒ぎ出しそうだし遠慮しとこう。
>>645>>650
微妙なところなんで謙信の場合はあいだをとって155万石とするか・・・160万石でもおかしくなさそうだがそんな事したら毛利厨がヒイキとか騒ぎ・・・w

やはり隠岐は毛利領から石高削るべきだな
隠岐は現在こそ島根県だから近いように感じが実際は出雲と伯耆の境目の北海上にある。
また山中鹿之助が拠点を置いていたのは新山城といい松江市の北だ。
とするとさらに背後にある隠岐はまだ安全圏だろうし新山城の位置から万が一には隠岐に脱出するルート保全もあったと思われる。

ちなみに羽柴秀吉の中国遠征軍(てきとうに概算)
播磨35万石
但馬11万石
因幡8万石
伯耆10万石のうち東部3郡羽柴方の南条6万石
宇喜多備前22万石+美作18万石
合計100万石

あーもう石高で同等に追いついちゃってるよ・・・
これじゃ毛利軍はどうあがいても100%かなわないわ。
そういや他にも近江長浜からつれて来てる兵や信長からも与力つけてもらってるし
淡路6万石
長宗我部に侵攻され滅亡寸前の三好讃岐領もあるんだよな。


39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 04:44:52
毛利元就200万石って大ウソなんだな…85歳って天下統一した家康の年齢と同じだけ生きたのに50歳過ぎでやっと安芸一国統一レベルじゃな…



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