毛利元就って明らかに実力未知数だよねat SENGOKU
毛利元就って明らかに実力未知数だよね - 暇つぶし2ch156:人間七七四年
08/11/22 03:56:16 WCGrln2N
>>153
なんか勘違いしてるんだけど、関ヶ原では豊家は金を出してません。
しかも、豊臣政権時代は毛利家が豊家の財政負担をしたことはあっても逆は無いだろ。

157:人間七七四年
08/11/22 07:27:26 UwtOtCjN
>>156
ウソつくな

158:人間七七四年
08/11/22 11:28:19 KxFLrGfr
実力うんぬんはともかく
よくもまあ西に東に毎年のように万単位で動員し続けて金がもったもんだと思う
よほど石見銀、鉄、美保関経由日本海交易、赤間ヶ関・厳島・鞆経由関瀬戸内海
海運の利が凄かったんだろうな

1560~
筑前豊前での10年単位で万単位動員しての大友との争い
尼子月山富田城における年単位で万単位動員しての包囲
大内再興阻止
三村宇喜多騒動
本願寺への支援及び大坂湾での水軍戦
播磨三木氏の返り忠へ援助で羽柴軍の背後に逆上陸
鳥取城飢殺し後の山陰での巻き返し
上月城における尼子再興の粉砕と美作再侵攻
宇喜多寝返り後の備中でのにらみ合い
82~
四国征伐への動員
九州征伐への動員
本拠地の移転普請(吉田郡山から広島へ
朝鮮出兵への動員
関ヶ原前後での動員

159:人間七七四年
08/11/22 12:08:35 X26RH9nC
8公2民

160:人間七七四年
08/11/22 12:38:33 Uzgu5gqY
毛利元就総合スレでも用が足りるのでは?
と思う今日このごろ…

161:人間七七四年
08/11/22 17:30:34 WCGrln2N
だいたい最近の地勢や江戸史観で西低東高のきらいがあるが、実際の歴史は
西高東低なんだよ。
織田家が主に動員した兵の分布図を見れば一目瞭然。特に地力が整った1570
年代以降からほぼ西に攻勢をかけてる。もうね9:1くらいの割合。
これをお前、東がめっちゃ頑張ったような扱いでやるから可笑しい。
動員回数や兵力の所在分布図規模を見れば毛利>武田+上杉が正直なとこだね。

162:人間七七四年
08/11/22 20:30:53 UwtOtCjN
関東甲信越は多くの他家資料を見比べて精度あげられるけど
毛利や伊達なんて比較対象がロクになくてマンセー講談レベルだけどな。
大内尼子蘆名は良質が資料ないし、おまけに大友佐竹資料とも大きく食い違ってるし。
伊達毛利は捏造資料だけ

163:人間七七四年
08/11/22 21:04:01 dtjxpbuu
所詮、八公二民で贅沢三昧子作り三昧のエロジジイだからなw
コイツの美談なんかあるんですか?
三本の矢は講談の創作だし何一つないよ。

164:人間七七四年
08/11/22 21:05:21 Uzgu5gqY
やっぱり勝ち組と負け組の違いじゃないか?
歴史は勝者によって作られる
毛利なんて他の家に比べると書状など残ってる資料は群を抜いて多いと言われてるし
敵対した勢力などは全部消えてる(大友、大内、尼子、宇喜多…)
他との照らし合わせが難しいのは当たり前
批判するなら「捏造だ」とか、推測で反論するしかないわな
しかし誇張や捏造があったとしても毛利が悪い訳ではない
中国地方では一人勝ちなんだから仕方ない

165:人間七七四年
08/11/22 21:19:00 Uzgu5gqY
美談て…ww
いい話のスレでも見れば?

逆に武田、上杉、北条の方が少なくないか?
知ってたら援護してやれよ
俺は元就の話、三つ書いたよ

166:人間七七四年
08/11/23 05:40:43 L/UXu6xZ
1573年
長府毛利家文書
輝元が穂田元清に当てた手紙。

信長には強気な態度をとることが寛容である。
次は宇喜多直家に注意せよ。信長が敵となれば直家を先鋒として戦わせれば問題ないだろう。
兎に角毛利が織田を気にかけていることは絶対に直家には知られないように。

っとか割と輝元の方向性のない手紙が一杯あるぜ


167:人間七七四年
08/11/23 07:28:42 PlOi59Wv
毛利が信長にビビってるのを宇喜多直家に見事に見透かされて裏切られた毛利w
信長の先鋒が宇喜多www

168:人間七七四年
08/11/23 07:38:59 qZLozopU
まぁ毛利は不運と言うか唯一方面軍に敗北した地方大大名だもんな。
秀吉相手じゃ仕方ないが関東菅領の滝川は北条軍に大破され勝家も謙信に敗北したしな。

169:人間七七四年
08/11/23 09:02:21 PlOi59Wv
秀吉だから仕方がないってなに?
秀吉は毛利が背後を襲わないから明智や柴田や徳川に勝ったようなもんだし
四国や九州征伐なんかも毛利が先鋒やってんじゃん。
秀吉がすごいわけじゃない。
毛利が秀吉に天下をプレゼントしたアホなだけ。
家康は信長の背後を守り天下をプレゼントする寸前までいったが、のちに自分が天下をとってる。
毛利が秀吉と敵対してれば明智も柴田も徳川も北条も伊達もいろんな選択肢が生まれていた。


170:人間七七四年
08/11/23 09:17:10 cRi2xm6q
何という毛利史観

171:人間七七四年
08/11/23 09:52:40 qZLozopU
信長死亡が知れ渡る前から秀吉に白旗挙げたのは毛利だけだもんな
ファンとしては本当悲しいよ情けない
他の戦国大名は皆立派だったのにな
島津、武田、上杉、北条、伊達
長曽我部も格の低さを露見はしたが秀吉軍に破れたのは仕方ないよな

172:人間七七四年
08/11/23 10:28:48 sWHvzJUI
>>171
島津はたしか信長のことを手紙で「上様」って呼んでなかったか?
俺の記憶違いか…

173:人間七七四年
08/11/23 10:43:46 qZLozopU
いや知らなかった
政宗なら知ってるが
信長も若い頃、三好長慶の事を上様と読んでいたと何かの記事でも見た事あるな
だけど島津は秀吉に脅されて二回戦って二回勝ってるんだよな

174:人間七七四年
08/11/23 14:56:29 9mD4b1AV
島津は仙石に勝ったのは知ってるけど
あと一回は何?

175:人間七七四年
08/11/26 15:52:59 7IFWQtf4
戦術レベルと戦略レベル一緒にすんなよ。

176:人間七七四年
08/11/26 15:57:32 7IFWQtf4
>>1
そもそも元就が未知数ってww単純に嫌いなだけじゃねーかwww

177:人間七七四年
08/11/28 10:33:03 KUYvI62N
違うよ、スカウターがぶっ壊れるくらい凄すぎて
計測不能って事さ

178:人間七七四年
08/12/01 14:30:01 LO/M5hi1
そんな元就がスーパーサイヤ人とは思えんがなあw

179:人間七七四年
08/12/01 21:37:10 tZSklEuk
おっす!オラ元就
強え奴、見っとワクワクすっぞ

ぼ・う・りゃ・く波~~~~~~~

180:人間七七四年
08/12/07 05:48:01 dxlFOFvK
いいれす

181:人間七七四年
08/12/14 18:14:45 wrXgiHHu
8公2民の重税に加えて今で言う闇金融すら赤子に見える過酷な取り立て
暴利を貪り尽くしていたのにも関わらす輝元の代には織田信長の一家臣に過ぎない羽柴秀吉に
終始圧倒されたのを見るとやはり元就の政治力は郡を抜いていた
武田や北条、上杉が織田家や豊臣家本隊と対等に渡り合えたのとは格が違うよな

182:人間七七四年
08/12/15 20:56:38 ITrEHr3X
無知ってさ
怖いよね~

183:人間七七四年
08/12/16 08:08:57 1a44/aR2
>格が違う

>格が低いの間違いでは?

184:人間七七四年
08/12/18 21:09:34 Tdm4qoY1
政治家としては微妙なのかな元就は…

185:人間七七四年
08/12/27 17:45:23 MVJqmJUg
☆四奉行(元就奉行)
井上就重
児玉就元
児玉就忠
桂元忠

☆五奉行(毛利隆元)
児玉就忠
桂元忠
国司元相
栗屋元親
赤川元康

☆五奉行(毛利輝元)
○年寄
吉川元春
小早川隆景
志道通良
福原貞俊
○五奉行
赤川就秀
平佐就元
児玉就方
国司有相
粟屋元宗
(輝元の命を四人の年寄が五奉行にとどこおりなく伝達
五奉行が家中にゆきわたらせるシステム)

天文十九年(1550年)に毛利元就が打ち出した五奉行制度を整備したもの
家臣団統制が緩かったにもかかわらず毛利氏が広大な領国を支配しきっていた背景には
このような独特の政策があったのだ!



豊臣五奉行?知らんなぁ~
やっぱ毛利五奉行でしょ

186:人間七七四年
08/12/27 17:56:47 AtmFL02r
つまり……
無惨に滅ぼされた武田よりは上ってことですね
わかります

187:人間七七四年
08/12/27 18:51:59 PSdAcq6A
美濃隣国の武田と一緒にしちゃダメでしょ。しかも敗れたのは勝頼だし。
毛利も輝元では、滅ぼされるか臣従するかしかない。

ただ、清水宗治みたいな人材が終期の武田にはいなかった。


188:人間七七四年
08/12/27 18:58:30 91kw06P8
>>187
仁科盛信

189:人間七七四年
08/12/27 19:24:11 Ap7vqW1S
吉川経家も忘れるな

毛利家臣団の団結は異常

190:人間七七四年
08/12/28 02:26:34 xOtOi3Rh
両川あっての家臣団だがな。
両川なけりゃ団結(笑)だけど。


191:人間七七四年
08/12/28 22:40:03 8s3mty7e
8公2民の元祖鬼畜王元就は改竄にも力を入れていた訳ですなw

192:人間七七四年
08/12/31 20:59:21 HF49tMq5
子供製造マシーン

193:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
08/12/31 21:11:10 zwZdAhh4
たかだか10男程度で。

194:人間七七四年
09/01/01 00:54:40 tck4fLi/
八公二民ってなんだよwボッタクリじゃねーか!
これだから欲の皮の突っ張ったエロ年寄りは…
子作りばかりしてねーで少しは織田信長を見習えよ!

195:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/01/01 08:23:16 e5Egnsln
いや、信長のほうが子供多いって。

196:人間七七四年
09/01/01 18:51:24 3EEzX9i/
元就非難に八公二民廚がいるよな

八公二民て根拠あるの?
ソースを教えて欲しい
輝元時代に重税掛けて「先代、元就公は~」と文句言われてるのに
元就で八公二民だったら輝元はどんだけ搾取してんだよw

197:人間七七四年
09/01/02 00:27:33 jjN358pw
9公1民ジャマイカ

198:人間七七四年
09/01/02 17:32:03 A6FLuvT1
子供は作った時の年齢がアレなだけで・・・

199:人間七七四年
09/01/02 20:36:00 4Jv4EBkR
八公二民だったらとっくに地侍が裏切ってるわ
それこそどんな超人的な政治力だよ

200:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/01/02 20:42:45 kgf+LwBE
この統制力の勘違いってのはどこに起因しているんだろう。

201:人間七七四年
09/01/03 11:52:54 cWwUooBH
やっぱ金だろ金
交易と銀と鉄
極端な話、九州・明の物産を畿内北陸方面に流すだけの中継貿易でも利ざやが
充分稼げるのに自領で銀と鉄まで産する

202:人間七七四年
09/01/04 11:02:42 aewgETnV
>>199
そんな事、天下の元就公に通用すると思うか?
処刑だよ処刑
それに当時は毛利家に匹敵する勢力は近隣になかったしな
農民は生かさぬよう殺さぬよう

203:人間七七四年
09/01/04 18:35:18 BWA7iNrP
そんな悪政していたら簡単に大友、尼子、宇喜多に扇動されるか手を結び
面倒な事になるんじゃ?

204:人間七七四年
09/01/04 19:23:37 ZuNUhnL2
やっぱり某関東大名のとこで百姓やりたいわ
街まで囲んで護るとはのぉ

205:人間七七四年
09/01/04 21:00:16 aewgETnV
織田や北条みたいなヘタレに一緒にすんな!
他国の農民から擦り寄られて
「一生あなた様の領民でいさせて下さい」
なんて軟弱過ぎるだろ
元就公はなぁ例え拒否られても監禁するだろう
誰一人として決して手放さない
大友は知らんが宇喜多は悪政有名だろ
元就公みたいにスケールないから領民はおろか家臣にも憎まれていたが

206:人間七七四年
09/01/08 22:23:35 dbfLqt2z
ノブヤボ風に言うと織田、徳川、北条、長宗我部の民忠は高いはず。

207:人間七七四年
09/01/09 23:19:59 SQwE96W2
最上や三好もな。
宇喜多や松永、毛利、斎藤との違いは世間じゃ奸雄扱いでも
家臣や自領の百姓には情け深い殿様だったからな。

208:人間七七四年
09/01/11 20:45:03 S86CBOdG
おまえら百姓が何人飢えようともワシは飢えん!
おまえら百姓がどれだけ不幸になろうともワシが幸せならそれだけでいいんじゃ!
おまえら百姓はワシの幸せだけの為に死ぬまで年貢を納めればいいんじゃ!
ここは百姓の幸せの為の国では断じてない!
ワシ一人だけの国なんじゃ!
分かったら死ぬまでワシの為に働け働け!

元就

209:人間七七四年
09/01/12 00:52:27 oKYd41LU
>>208馬鹿じゃねえの?

210:人間七七四年
09/01/12 10:56:21 yRq+qpD9
昨日のあんみつ姫に出て来た悪代官見て不覚にも元就公を思い出して吹いたw

211:人間七七四年
09/01/22 23:38:28 fkTiMBel
小大名が乱立して、室町末期から断続的に小競り合いが続いてた地方だから
それを統治してくれる人間が出りゃ、自然と民忠は上がるんでないの?


212:人間七七四年
09/02/21 14:26:28 rlmaJolf
>>211
大内の支配下だったところは、統治末期までは平穏だった。
安芸以東は確かに不安定で小競り合いが続いていたけど、毛利支配下
になっても、意外と戦乱は収まってなかったり。

でも、八公二民って誰が言い出したんだ?
そんな一次資料は見たことがないんだが・・・

213:人間七七四年
09/02/25 21:37:53 oX1cH+/0
北条が5公5民なら織田や毛利はどのくらいなんだろな。

214:人間七七四年
09/04/12 00:44:00 o2x/O7b1
良スレ保守

215:人間七七四年
09/06/09 20:13:50 HMsR+BCM
>>134>>135

みんな↑見てやって(笑)さりげなく北条厨や上杉厨が無理やり
氏康謙信>>>>>>元就にしたがってる姿が滑稽wおよびじゃないよ。

元就と比較するにあたる人物は、信長か信玄ぐらいでしょ。

216:人間七七四年
09/06/09 20:47:03 hxsgYPJv
元就は織田家が主君の斯波氏を乗っ取って
滅亡させたのと同じことをしただけ

対近畿、対九州勢相手に結果を残せば評価は上がったと思うね
身内同士の争いに勝って、巨大勢力になっただけだな

この辺、東北の争いと似てる
東北の大名は、ほぼすべて姻戚関係で固められている
いわば身内同士の争いで、あまりに苛烈な追い込みで滅亡させることは
タブーで暗黙の了解、みな空気を読んで寸止めしていた
しかし、空気の読めない独眼竜がタブーを無視して暴れて欧州筆頭になったわけw

元就もいわばKY、信長もKY
空気を読まなかった奴が他を出し抜いて成功したのが戦国時代


217:人間七七四年
09/06/09 23:38:41 3hCG9pVX
元就は逆賊の陶を倒したっという見方が出来なくもないから信長のとは事情が違う。


218:人間七七四年
09/06/10 08:41:29 L5uxkkrF
陶の謀反の相談を事前に受けている元就が逆賊を倒したとかお前馬鹿過ぎだろ。
陶と元就は同罪だ。
しかも謀反仲間として元就を篤く信用していた陶が石見遠征に行った時にいきなり狼のように陶の留守を狙って裏切り行為を行った鬼畜が元就。
陶にしてみたら元就が裏切った理由すらわからないほど理不尽。
つまり元就は己の利益の為には真義を踏みにじり、大内、陶と主を二度相次いで裏切った悪党。
義隆と隆元、陶と元春や隆景はホモ愛人な間柄だったにも関わらず。
毛利は尻穴を売って抱き合い、体を売り充分に信用を得てから裏切る基地外一族。
だから陶の怨念や祟りを極度に恐れて自己正当化しつつ弔ったりした。

219:人間七七四年
09/06/10 12:27:54 Ii+4OUqn
>>218
馬鹿はお前だろ
陶との関係をぐだぐだ言ってるが全く無意味
「主家殺しを打つ」と言う大義名分があるだろが

大義名分がありゃいいんだよ

それに陶からしたら裏切られた意味がわからないとか
本気で言ってるのか?
毛利が自分の力で落とした鏡山城に城代いれて毛利から取り上げたり
安芸での毛利支配力が拡大しないようにいろいろ小細工してる
陶が毛利に恨みを買う理由はいくらでもあるだろが

無知はしゃべんでくれ

220:人間七七四年
09/06/10 13:04:56 Zg12GVVF
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された。





221:人間七七四年
09/06/10 15:44:29 Ii+4OUqn
結局、毛利が勝ったという事だな

お前は何がいいたいのだ?ww

222:人間七七四年
09/06/10 16:52:51 qR+OnSSG
>>220
その水軍がどうやって陶本軍を8時間で壊滅させれるんだ?w

223:人間七七四年
09/06/10 18:26:51 Ii+4OUqn
>>220
ていうか毛利の資料はデタラメと言ってるのに

>そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。

こういうとこは採用する220のご都合主義に笑えたww

それに陸戦やらなきゃ勝敗つかんだろ
水軍だけで陶を壊滅させたのか?
海戦でもしなきゃ無理だろ

220よ。無駄な事はやめとけ
お前にゃ毛利を陥れるにはまだ早過ぎる

224:人間七七四年
09/06/10 18:38:18 xtJSYuUe
毛利家所蔵文書は江戸期に大幅に入れ替えがなされ、毛利子孫に都合よいように作られた逸話は有名

厳島や熊見川、三本の矢の教えといった毛利の作った妄想&捏造が、敵対勢力の生存がほぼなく、他大名との接点から遠かったため、
無批判で史実とされるにいたった




225:人間七七四年
09/06/10 19:08:13 L0DAPiNP
恐らく、陶軍は嵐に飲み込まれて死んだんだろうな
海の上の戦だと天候が大きく影響する

226:人間七七四年
09/06/10 19:13:23 L0DAPiNP
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話、三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家



227:人間七七四年
09/06/12 16:24:55 DN9z8hNf
戦闘してはいけない停戦日に奇襲して陶を騙し討ちした戦国最強の卑怯者が元就。

228:人間七七四年
09/06/12 17:51:10 Db4tKQsf
は?

229:人間七七四年
09/06/12 18:49:37 bn+0ksvW
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された。




230:人間七七四年
09/06/12 19:29:49 Db4tKQsf
は?

231:人間七七四年
09/06/12 21:20:16 3t4x+/pD
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話、三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家



232:人間七七四年
09/06/12 22:00:17 Db4tKQsf
へ?

233:人間七七四年
09/06/13 00:57:27 DNXFPMuD
周りが究極の雑魚に見えるほど元就が優秀って訳か!うはwwwwwwワロスwwww

234:人間七七四年
09/06/13 01:01:53 tbnKUTdo
は?

235:人間七七四年
09/06/13 01:51:03 oxm42l5P
>>229
だからさ、水軍味方につけても陶本軍をどうやって壊滅させるの?

236:人間七七四年
09/06/13 02:22:27 e2XeZNiT
水軍が敵側に付き自軍が孤立したのを知った陶配下が動揺離散したんだろ

237:人間七七四年
09/06/13 02:24:19 pL0agkEG
陶は嵐に飲み込まれて勝手に死んだんじゃね?

238:人間七七四年
09/06/13 02:55:11 tbnKUTdo
何を言ってるの?


239:人間七七四年
09/06/13 03:05:04 oxm42l5P
やれやれ、陶にも水軍いるのにwあほかw

240:人間七七四年
09/06/13 09:13:22 WrV4cJwD
>>1
武田 上杉 北条 織田は統治能力ゼロな小国を切り取っただけの話じゃないの?

241:仙台藩百姓
09/06/13 11:29:42 B4JzEB/A
まあ、それが出来ない人達が大半だから彼らが勢力を伸ばせたわけだお( ^ω^)
毛利も大国になってから勢いが衰えたお( ^ω^)
そもそも国の大小よりも国内がどれだけまとまっているかが国の強さであり
兵の多寡よりも軍がどれだけ統制が取れているかが軍の強さだお( ^ω^)
関ヶ原で内部分裂を起こし、大国大兵力を有しながら
2、3万石の小大名より役に立たなかった毛利がよい例だお( ^ω^)

242:人間七七四年
09/06/13 11:32:38 NiCjWDwz
毛利の場合は統制云々以前に単純に戦闘力が低すぎるだけだろう
何せ秀吉送り込まれて以来大きなチャンスもあったのにことごとく逃し次々侵略されまくりだったし
寝返った南条や宇喜多(直家急死後)にすら大苦戦してたしな
最初の勢いはただ単に大内や尼子の内訌があっただけでしょ

243:人間七七四年
09/06/13 11:36:26 bbb4QrBJ
別所や播磨国衆が離反し秀吉窮地⇒もたもたしてて結局切り取られる
寝返ったのは南条宇喜多くらいで他は自力で侵略されまくりだしな
播磨や鳥取救援部隊も見事蹴散らされる
南条宇喜多にすら撃退される
いいとこなしの雑魚ゴミ大名
統制云々言うなら他の大名だってそこまで差ないだろ

244:人間七七四年
09/06/13 11:40:03 iudGri/m
国力や兵力に恵まれながら中央との戦いでいいとこなしなのは弱い証拠
中国はどうみてもレベルが低い

245:人間七七四年
09/06/13 11:45:03 y/DfNKN+
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家



246:人間七七四年
09/06/13 14:00:48 tbnKUTdo
釣りに掛からない毛利ファンは偉い!


247:人間七七四年
09/06/13 14:10:43 qO4Cdb0B
まともに反論できねえだけだろ

248:人間七七四年
09/06/13 14:12:01 XjKA3iKb
陰徳太平記や毛利家所蔵文書は、偽書。

249:人間七七四年
09/06/13 14:13:37 XjKA3iKb
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家


陰徳太平記や毛利家所蔵文書は、偽書。




250:人間七七四年
09/06/13 14:20:35 sGgZgVQ3
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された。

251:人間七七四年
09/06/13 16:03:20 8JXKrhHC
有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。


252:人間七七四年
09/06/13 17:27:04 e2XeZNiT
戦前の戦国史研究において毛利や島津をマンセーし持ち上げて藩閥政治で美味しい思いをしようとしたやつら大杉。
島津や毛利を批判することはタブーだった。
その悪癖がいまに至る。

253:人間七七四年
09/06/14 00:14:37 vlw2eR8W
>>250
結局おまえは何も答えないんだなw


222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 16:52:51 ID:qR+OnSSG
>>220
その水軍がどうやって陶本軍を8時間で壊滅させれるんだ?w

254:人間七七四年
09/06/14 00:30:16 TAsHUlUb


236 :人間七七四年:2009/06/13(土) 02:22:27 ID:e2XeZNiT
水軍が敵側に付き自軍が孤立したのを知った陶配下が動揺離散したんだろ


237 :人間七七四年:2009/06/13(土) 02:24:19 ID:pL0agkEG
陶は嵐に飲み込まれて勝手に死んだんじゃね?




255:人間七七四年
09/06/14 03:17:00 vlw2eR8W
>>254
www

256:人間七七四年
09/06/14 12:09:45 WxlxUure
参考
URLリンク(c.2ch.net)

257:人間七七四年
09/06/14 17:46:19 3HXa3HCG
>>256
寡兵で進攻する馬鹿はいねえだろ
ちょっと考えればわかる
こいつは真性の馬鹿だな

258:人間七七四年
09/06/14 22:01:50 JSflqZtQ
毛利家が動くと天下が動いてきた。
宝治合戦、関が原、明治維新
興隆と衰退を繰り返しながら最終的に天下に手が届かなかった理由は
何だったのだろう

259:人間七七四年
09/06/14 22:10:28 lYUR6RS5
そりゃ宝治合戦も関が原も負けた側だったからだろう

260:人間七七四年
09/06/14 22:19:06 JSflqZtQ
歴史のIFで関が原西軍勝利は語りつくされているが
宝治合戦は三浦氏、毛利氏勝利の可能性は関が原より高かったと
思われ。三浦が勝ち北条が駆逐されていたとしたら
毛利家がどうなったかには非常に興味がある。

261:人間七七四年
09/06/14 22:23:30 z+vihzxI
逆にチャンスたくさんあって何ひとつできずに大減封か大敗だから情けなさ過ぎる
国力や兵力に恵まれてるのに中央との接触で醜態さらしてるから酷すぎる

262:人間七七四年
09/06/14 22:26:56 gFkdVOfz
輝元時代の毛利っていわばでかいだけの無害大名だから両上杉とかの旧幕府勢力とか大内とか
ああゆうのと同類だわな
いざとゆう時は役に立たないデブみたいな家

263:人間七七四年
09/06/14 22:31:59 JSflqZtQ
大江広元が頼朝に仕えて勃興。毛利末光が宝治合戦で敗北して越後の小豪族に
雌伏300年元就が中国に覇を唱える。中央政界に再び進出して輝元が
五大老に。しかし関が原で破れ防長2カ国に押し込められる。
再び雌伏250年。明治維新で倒幕をはたす。しかし実権が家臣に移っていた


264:人間七七四年
09/06/14 22:33:28 WVMRQkhf
橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い、有田中井手の戦い

捏造ばかりの毛利家

265:人間七七四年
09/06/14 22:35:28 WVMRQkhf
陰徳太平記は、偽書

266:人間七七四年
09/06/14 22:40:43 WVMRQkhf
厳島の戦いや有田中井手の戦いは、毛利側史料にしかない。。

毛利の捏造だろこれ。。。。

267:人間七七四年
09/06/14 22:43:07 JSflqZtQ
宝治合戦で三浦が勝った場合は毛利家は安達家と同じ立場になるが
三浦氏が支配し毛利が重臣となる鎌倉幕府がはたしてどうなっていったか
どうやっても最終的勝利はおぼつかなかった関が原と違い
天下取り最大のチャンスだったんじゃね。
ここでの勝敗が引っくり返ると歴史が全て違ってくるんだよな

268:人間七七四年
09/06/14 22:49:58 lYUR6RS5
>>267
どーだろね・・・。
その安達氏も結局数世代後には霜月騒動で討たれてるしなぁ。





269:人間七七四年
09/06/14 22:58:22 JSflqZtQ
>>268
関が原の場合はどちらかというと経済的原理で必然として江戸幕府が成立したが
宝治の場合は人間の意志、偶然によって歴史が決まった稀有な例の一つだと思う
三浦泰村の意思ひとつで勝敗はどう転ぶか全く分からなかった
その後の歴史が全く異なってくるという意味でありえないほどの重大な場面


270:人間七七四年
09/06/16 19:01:31 eRkUHYrH
北条幕府(キタジョウ)ができたら紛らわしい。

271:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/18 23:32:45 cnQpH4fx
日本近代史板の最強師団、連隊スレのコピー元はここじゃったか。
ちなみに毛利側の『陰徳記』は後世の史料じゃが、古老の聞き取りの
フィールド・ワークをふまえた史料じゃけぇ、全部が史料価値が無い云う
ようなことにならんよ。『陰徳太平記』の秀吉の言で、東国兵が粘りに
欠け、中国者が長期戦でも士気に衰えが無いことは、近代郷土兵団の
関東兵団と広島師団の違いに反映されとるし。
まあ、東国のような弱兵を精強な中国地方兵と比べても意味がないが、
地域風土の違いを比較するんなら意味があろう。
URLリンク(jacoman.kitaguni.tv)
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
URLリンク(www.geocities.co.jp)
一番上の宮本常一氏の引用にあるよう、そもそも東日本の総領を
中心とした縦社会と、西日本の分割相続、お互いが平等の権利によって
連合組織をつくる民主的な横社会とは違うんじゃ。兵力の動員は
隷属縦社会の東日本の方が容易い。毛利輝元さんが秀吉に九州征伐で
兵力の動員が遅いと叱られたんも、国人領主に動員をお願いし、
国人領主は国衆に兵動員をお願いせにゃあいけん手間があったけんのう。
二番目のブログには、「中国者の律儀」について出とるが、
毛利は尼子や大友の降人も殺さんかったよ。近代郷土兵団でも
関東の兵団は敵側の戦死遺体回収時に敵兵を撃つ行為をしたが、
広島兵団は、敵側の遺体回収時は「情義」を持って見逃した。
最後の三番目のブログは、元陸軍大尉越智春海氏の『マレー戦記』の文で
あるが、文中の真ん中あたりの「昭南の逆転」に、重慶政府のスパイでも、
憲兵隊から匿うんも「情義」であり「中国者の律儀」じゃ。
敵のスパイ摘発であろうと、助けた者は救わにゃあ、広島人の「情義」が
成り立たんのじゃ。日本軍の軍命令たぁ、郷土の伝統とする「情義」の
方が大切じゃし、「情義」こそが、武人たる資格じゃないか。

272:人間七七四年
09/06/18 23:48:21 IgMSSAGD
つまり圧倒的兵力や国力に恵まれ強兵も持ってたのに雑魚秀吉にボロクソにやられた毛利最弱でFAってわけだ

273:人間七七四年
09/06/19 00:28:20 4pAUXMq5
厳島の戦いや有田中井手の戦いは、毛利側史料にしかない。。

毛利の捏造だろこれ。。。。

274:人間七七四年
09/06/19 00:32:56 4pAUXMq5
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された

275:人間七七四年
09/06/19 00:34:04 4pAUXMq5
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家



276:人間七七四年
09/06/19 00:36:13 lzPWj7gS
毛利の捏造ぶりにもみじ饅頭噴いたw

277:人間七七四年
09/06/19 00:39:35 zILJSi2U
有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。





278:人間七七四年
09/06/19 10:46:00 vejjX5z2
結局毛利の前に武田は敗れた、といいたいのですね
わかりますよ

279:人間七七四年
09/06/19 16:21:03 uz3bP6Ma
武田軍は東美濃攻防戦や上村合戦で圧倒的大軍の織田に寡兵で大勝
岩村城攻防戦でも援軍全くだせない状況で圧倒的大軍の織田相手に半年近く持ち堪え最後は騙まし討ちでやっと落とされる
武田攻めでも50~60分の一の兵で城外戦で一門の一人を討ち取り自軍より多くの被害を与え
最低4時間は戦ってたという戦術的大勝をする (ランチェスターの法則でいえば兵力差50~60倍以上なら被害差も50~60倍になるはず)
姉川で徳川以下の実力が露見した織田。その徳川を圧倒的勢いで勝ちまくり非常に軽微な被害で壊滅的損害与えたのが武田
よって武田>>>>>徳川>>>>織田
毛利は対織田戦や豊臣戦やら関が原やら圧倒的大軍や国力、鉄砲の豊富な動員にわりに
結局やられまくっただけだからな 織田が唯一兵数に頼らず楽に勝ててるのが毛利や島津といった雑魚大名
よって織田>>>>>島津>>>>毛利 以上をまとめると
武田>>>>>徳川>>>>>織田>>>>>島津>>>>>毛利 これが確定する
それぞれの合戦の戦闘結果から確定事項を抽出
信玄>>>>>家康 三方が原
家康>>>>信長  姉川
謙信>>>>柴田  手取川
謙信>>信玄    川中島
家康>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉  84年一杯の直接対決
柴田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉     しずが岳
滝川>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉      伊勢での攻防
北条氏政、氏規>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉   小田原征伐
織田信雄>>>>>秀吉            尾張や伊勢での攻防
北条氏直>>滝川            神流川
秀吉>>>>>>>>>>>>毛利一族   中国戦線
宮部>>>>>>>>>>島津       九州征伐
上杉景勝>>>北条氏照、氏邦       鉢方、八王子の攻防
上杉景勝>北条氏直            天正壬午
仁科>>>信忠  高遠の攻防戦(50~60倍かそれ以上もの兵力差で織田方の損害の方が多く一門の一人戦死。最低4時間以上戦われる)
信忠≒光秀     二条城の戦い(圧倒的大軍で光秀は寡兵の信忠に何回も押し返された)
島津≒長宗我部     戸次川の戦い(兵力差あるとはいえ壊滅的打撃被った)よって
数的優位があるとはいえ滝川を野戦で見事な偽退却戦術で非常に軽微な被害で大破した上、
豊臣軍23万5千(陣立書だと21万5千だがこれには佐竹宇都宮里見那須結城といった反北条勢が入っていない)
にわずか34500で挑み緒戦の駿河伊豆国境の戦いで大勝し、伊豆韮山でわずか500の兵で豊臣2万を大苦戦させ
武蔵忍城では1000の兵で豊臣30000の包囲を受けながら結局落とされずわずか1000がこもっただけの本城小田原に手も足も
出させず4カ月も粘り、豊臣方兵站が壊滅する寸前という窮地に追いやり、かなり余力を残した状態で降伏した北条氏直
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
圧倒的大軍で滝川に大苦戦する秀吉の先遣隊の中の先遣隊に寡兵でやられまくった島津
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>圧倒的大軍持ちながら寡兵で送りこまれた秀吉軍にいいところなく
やられまくった毛利


280:人間七七四年
09/06/19 16:22:20 2a3idNgx
毛利は滅びろよ

281:人間七七四年
09/06/19 19:10:22 1yjp0CFC
毛利が雑魚評価なのは戦国全体を相対的に見渡せばわかる

282:人間七七四年
09/06/19 23:20:24 vejjX5z2
お前ら、いくら同族とはいえ武田違いだ
巣に戻って織田と争っておけ

ちなみに三方が原は勝って当たり前、負けたら恥
その程度の戦です
信玄には弱いものいじめ以外、特にこれといって戦績ないからな
三方が原と仁科で得意げになる武田厨のなんとあわれww
しかも弱い弱いとほざいてる織田に滅ぼされたら世話ないわww

ほんと武田ダセーな

283:人間七七四年
09/06/19 23:24:15 /Knds4OV
織田が武田に勝ったなんて事実ねえよw
圧倒的大軍で上村合戦東美濃攻防戦岩村攻囲戦高遠攻防戦と大敗をしまくり
長篠では勝頼の自爆があったのに1000程度しか討ち取れず織田軍は60000のうち30000討ち取られる大敗w
結局勝頼が発狂して家臣に殺されたから武田領一時的に抑えてただけw
結局圧倒的大軍持ちながら仁科以下が確定してる光秀に寡兵で殺された雑魚w

284:人間七七四年
09/06/19 23:26:32 /Knds4OV
斉藤に20回負けてクーデターが起きたから城のっとれたが結局畿内勢に大敗しまくり
武田との主力決戦20回全て全敗の織田w

285:人間七七四年
09/06/19 23:27:44 /Knds4OV
信長がまともに戦って勝った戦なんて一つもねえよw
相手の目に砂ぼこりが入ったか相手の兵士が穴にはまって死んだとか
そういうとかばっかだし斉藤に30回負けたけどクーデターに乗じて城のっとただけだし
戦下手だったから圧倒的大軍で寡兵の光秀(仁科以下が確定してる)にボロ負けして討たれたし

雑魚長は領土拡張率ゼロの雑魚w
武田との主力決戦10回全敗して勝頼が暗殺されたから倒したように見えるだけw




286:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/20 00:22:44 bQz5hEyj
>>276
捏造は権力の中枢にある者がするんが常じゃ。戦時中の大本営発表の
ように負け戦さが勝ちよるように発表するけんのう。日本の中枢で権力を
握った側の歴史なんかええ加減なもんじゃ。
そう云やあ、桶狭間の奇襲もほんまにあったかどうか判らんのう。

ほいで、ここは>>279のような甲斐武田厨が滅ぼされた劣等感で
毛利に嫉妬しょうるが、笠間良彦氏が「西の方と東国で、戦術に
大きな差がついてしまっているんですよ。」と云われたよう、
東国の田舎の甲斐なんか弱兵でしかないが。
しかも、毛利の捏造云うわりにゃあ、戦さの兵数自体に疑問を
持たんたぁのう。近代軍隊でも敵兵の数や敵の損害数なんか水増し加算
されとるんに、戦国時代に限って正直云うことはあり得んじゃろう。
戦さの成果なんか白髪三千丈の世界じゃけぇのう。
中国征伐する側の秀吉軍が寡兵のわけあるまいに。配下に加えた中国地方
東部勢を先頭に、傭兵を含め大量の兵力をつぎこんだじゃろうて。
権力に近い立場におれば兵力の動員で人海戦術を取るけぇのう。

287:人間七七四年
09/06/20 00:36:32 9dMCBdIW
ようは幕末までのこった権利者毛利に都合いいように捏造されたって事だろ

つまり弱兵で圧倒的強さで織田徳川に勝ちまくり大損害与えまくった武田最強で確定
強兵で圧倒的大軍で南条や宇喜多にボロクソに苦戦しまくった毛利雑魚で確定

288:人間七七四年
09/06/20 00:43:18 9dMCBdIW
武田軍は東美濃攻防戦や上村合戦で圧倒的大軍の織田に寡兵で大勝
岩村城攻防戦でも援軍全くだせない状況で圧倒的大軍の織田相手に半年近く持ち堪え最後は騙まし討ちでやっと落とされる
武田攻めでも50~60分の一の兵で城外戦で一門の一人を討ち取り自軍より多くの被害を与え
最低4時間は戦ってたという戦術的大勝をする (ランチェスターの法則でいえば兵力差50~60倍以上なら被害差も50~60倍になるはず)
姉川で徳川以下の実力が露見した織田。その徳川を圧倒的勢いで勝ちまくり非常に軽微な被害で壊滅的損害与えたのが武田
よって武田>>>>>徳川>>>>織田
毛利は対織田戦や豊臣戦やら関が原やら圧倒的大軍や国力、鉄砲の豊富な動員にわりに
結局やられまくっただけだからな 織田が唯一兵数に頼らず楽に勝ててるのが毛利や島津といった雑魚大名
よって織田>>>>>島津>>>>毛利 以上をまとめると
武田>>>>>徳川>>>>>織田>>>>>島津>>>>>毛利 これが確定する
それぞれの合戦の戦闘結果から確定事項を抽出
信玄>>>>>家康 三方が原
家康>>>>信長  姉川
謙信>>>>柴田  手取川
謙信>>信玄    川中島
家康>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉  84年一杯の直接対決
柴田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉     しずが岳
滝川>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉      伊勢での攻防
北条氏政、氏規>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉   小田原征伐
織田信雄>>>>>秀吉            尾張や伊勢での攻防
北条氏直>>滝川            神流川
秀吉>>>>>>>>>>>>毛利一族   中国戦線
宮部>>>>>>>>>>島津       九州征伐
上杉景勝>>>北条氏照、氏邦       鉢方、八王子の攻防
上杉景勝>北条氏直            天正壬午
仁科>>>信忠  高遠の攻防戦(50~60倍かそれ以上もの兵力差で織田方の損害の方が多く一門の一人戦死。最低4時間以上戦われる)
信忠≒光秀     二条城の戦い(圧倒的大軍で光秀は寡兵の信忠に何回も押し返された)
島津≒長宗我部     戸次川の戦い(兵力差あるとはいえ壊滅的打撃被った)よって
数的優位があるとはいえ滝川を野戦で見事な偽退却戦術で非常に軽微な被害で大破した上、
豊臣軍23万5千(陣立書だと21万5千だがこれには佐竹宇都宮里見那須結城といった反北条勢が入っていない)
にわずか34500で挑み緒戦の駿河伊豆国境の戦いで大勝し、伊豆韮山でわずか500の兵で豊臣2万を大苦戦させ
武蔵忍城では1000の兵で豊臣30000の包囲を受けながら結局落とされずわずか1000がこもっただけの本城小田原に手も足も
出させず4カ月も粘り、豊臣方兵站が壊滅する寸前という窮地に追いやり、かなり余力を残した状態で降伏した北条氏直
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
圧倒的大軍で滝川に大苦戦する秀吉の先遣隊の中の先遣隊に寡兵でやられまくった島津
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>圧倒的大軍持ちながら寡兵で送りこまれた秀吉軍にいいところなく
やられまくった毛利


289:人間七七四年
09/06/20 00:45:33 9dMCBdIW
有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。


290:人間七七四年
09/06/20 00:46:16 qgD/sll3
そりゃ土下座して生き残った毛利は捏造し放題だろうな

291:人間七七四年
09/06/20 00:46:57 9dMCBdIW
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された。


292:人間七七四年
09/06/20 00:50:17 9dMCBdIW
元就がまともに戦って勝った事なんてねえよw
圧倒的大軍で大友浦上山名尼子と大敗をしまくり
月浦合戦では敵の自爆があったのに毛利軍は60000のうち30000討ち取られる大敗w
結局一時的に中国抑えてただけであっという間に瞬殺されるが情けで残されるw
結局圧倒的大軍持ちながら東軍相手に寡兵で殺された雑魚w


284 :人間七七四年:2009/06/19(金) 23:26:32 ID:/Knds4OV
斉藤に20回負けてクーデターが起きたから城のっとれたが結局畿内勢に大敗しまくり
武田との主力決戦20回全て全敗の織田w


285 :人間七七四年:2009/06/19(金) 23:27:44 ID:/Knds4OV
信長がまともに戦って勝った戦なんて一つもねえよw
相手の目に砂ぼこりが入ったか相手の兵士が穴にはまって死んだとか
そういうとかばっかだし斉藤に30回負けたけどクーデターに乗じて城のっとただけだし
戦下手だったから圧倒的大軍で寡兵の光秀(仁科以下が確定してる)にボロ負けして討たれたし

雑魚長は領土拡張率ゼロの雑魚w
武田との主力決戦10回全敗して勝頼が暗殺されたから倒したように見えるだけw

293:人間七七四年
09/06/20 00:52:18 9dMCBdIW
毛利って正直戦国最弱確定だろw
戦に勝ったことねえしw
相手が自分で死んでそれとっただけw

294:人間七七四年
09/06/20 08:03:46 3RbRgBfM
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家




295:人間七七四年
09/06/20 12:38:08 38pIoGmQ
>>293
戦に勝たなければ領地なんてとれるわけないだろ
どれだけ馬鹿なんだ

296:人間七七四年
09/06/20 13:22:54 ozIkLD6E
元就が武田元繁を討ち取り武田衰亡→毛利の捏造→息子で英傑だった武田光和が急死後に内紛で衰退し大内に滅ぼされる。
元就が主家の義隆の敵討ちをして大内領を正当に継承→毛利の捏造→陶の大内義隆謀殺に元就も共謀後に石見国で苦戦中の陶を裏切り背後を襲う卑怯者が元就。
尼子晴久が暗愚で元就の謀略に引っかかり粛清をしたことで内部崩壊→毛利の捏造→晴久急死後に弱年の義久が出雲国譲渡で毛利と和睦したつもりで騙されたため。


297:人間七七四年
09/06/20 13:32:55 1Sb08zjc
毛利が領地とったことなんてねえよw
旧大内尼子領ひきついだだけw

298:人間七七四年
09/06/20 14:05:12 UMll7IaC
九州からたたき出されるあたりの手腕はお粗末すぎるな
しょせん相手の内紛にじょうじた火事場泥棒しかできねーおっさん

299:人間七七四年
09/06/20 15:00:08 gKhBX4Pl
馬鹿じゃねえの
九州も四国も手伝い戦なのに
それに大内、尼子の領地を引き継いだ、とかどれだけ阿呆なの?
他の奴らはどうした?
大内、尼子がいなくなったら毛利しかいないの?ww
武田厨てほんと馬鹿だな


しかも捏造、捏造って…
お前らの好きな武田も「最強騎馬軍団」とかありもしない捏造の恩恵受けてるだろ
世間的には武田強い事になってるけどさ
弱い者いじめとどんぐりの背くらべしかできない武田が現実なんだよな

しかし武田の滅びかたはブザマだよなww
旗色関係なく裏切ないものは裏切らないしな
武田がいかに情けないか、いかに慕われてないかが如実に表れた出来事だな

武田はブザマ

300:人間七七四年
09/06/20 15:38:14 b5zZjwlm
手伝い戦だろうと ブザマなのは毛利だろう
武田だったら周りを敵に包囲されてても九州を分捕ってたろうよ

土下座して命乞いした情けねー奴が毛利 武士の気概もないよね

301:人間七七四年
09/06/20 15:55:35 ozIkLD6E
長年に渡り盟友だった三村氏を裏切り宇喜多と同盟した挙げ句に宇喜多は秀吉に服属。
先がまったく読めないバカ毛利。
両川まで投入し全力で戦った挙げ句に、筑紫や秋月や宗像や麻生や立花らを見捨てて大雪の中で毛利全軍が敵前逃亡し、
道雪の鬼追撃で討ち死にしまくるだけでなく、息もつかせぬ急追で暖を取り休む暇が貰えず、
疲労と寒さで凍死者続出し負けた戦いを手伝い戦って言い換えるアホぶりが毛利厨w
西軍総大将だった関ヶ原も手伝い戦って言い訳ですか?
石田も大谷も宇喜多も立花も島津も長宗我部も上杉も佐竹も毛利のヘタレぶりに怒ってるでしょうねw

302:人間七七四年
09/06/20 16:34:36 38pIoGmQ
先がまったく読めないとか言ってるけど仮に三村と同盟し続けたとしても
宇喜多のように服属したかもしれないだろ
石田や大谷や宇喜多が毛利を怒る権利なんてないだろ
重要なことは相談せず決めておいて兵を動かしてもらおうなんておこがましいだろ


303:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/20 23:42:14 bQz5hEyj
>>298-301
毛利が九州からたたき出され云うて、大内輝広が大友の後押しで
謀反を起こしたけぇ撤退しただけで、九州での戦闘に負けて撤退したん
じゃあるまいし。立花文書の架空の多々良浜の戦いは、南北朝期の
多々良浜の戦いがネタ本のハッタリ文書だけは信用するんも
可笑しげなのう。

304:人間七七四年
09/06/21 00:08:27 y+whv3Iz
毛利文書の架空の厳島の戦いは、南北朝期の厳島合戦がネタ本のハッタリ文書だけは信用するんも
可笑しげなのう

305:人間七七四年
09/06/21 00:16:28 S0ZdZyHh
何言っても無駄だよ
武田厨は壊れたCDのように同じ事をコピペするしか能がないからね
とにかく理屈云々関係なくけなしたくなったらコピペ

これが奴らの手

306:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆36LfxCD/TI
09/06/21 05:09:10 1OY9wAXN
>>303
下関は九州勢に占領されたことがあるん?

307:人間七七四年
09/06/21 14:35:50 h9xTquRU
>>302
全て相手のせいにするようですが、トロい豚毛利自らの政略や指導力や人望が欠如してるのを認めてるようなものですねw
>>303
外交力を駆使して将軍家から大内家相続認可状を出してもらうのに成功し豊前から3000の兵を山口に投入し大内残党を利用した知略の政戦略>>超えられない壁>>>匹夫の勇の毛利の屑戦術。
しかも戦術的撤退もできず、豊前覚書曰わく「其夜殊外之大雪ニ而候故落行候者骨身ニこたへ皆落行候由」な悲惨かつ必死な敗走をしてる毛利軍4万。
そもそも捏造してるのは萩藩閥閲録を編纂した毛利側の方がヒドい。
しかも毛利に見捨てられた寡兵の龍造寺軍は大友に徹底的に抵抗し、毛利敗走から3ヶ月後の今山合戦で大友に大勝し、
宗麟の名代として後詰めに来た大友親定を敗死に追い込んで筑後へ退却させてる。
この龍造寺の粘りのおかげで救われたのが毛利。
大友が政戦略で圧倒した敗軍毛利領への大友軍の侵略占領政策が実行できなかったのが悔やまれる。

まぁ龍造寺>>>大友>>>毛利って事だわな。


308:人間七七四年
09/06/21 19:51:12 V3gKSM0A
63 名前:仙台藩百姓祭[] 投稿日:2008/11/14(金) 18:05:03 ID:s67RGBJ5
毛利ってライバル的な存在がいないからアンチすらろくに居ないのだお┐ (´ω`) ┌
加えて毛利の爺さんは中国地方に篭って一生を終えたわけだけど
他地方からしたら中国地方なんて興味ないしどうでもいいお( ^ω^)

309:人間七七四年
09/06/21 22:37:22 S0ZdZyHh
>>307
>大友が政戦略で圧倒した

よっぽど贔屓かアンチ毛利でないと圧倒なんて言葉はでない
お前は捏造、編纂が酷い、などと言える立場の人間ではない事が証明された

310:人間七七四年
09/06/21 23:45:43 h9xTquRU
>>309
具体的反論がまったくできない無知低脳さん乙

311:人間七七四年
09/06/22 00:03:12 NhZYfloO
>>310
どこが政戦略圧倒なんだ?
毛利の調略で国人達を押さえるのに辟易してた大友のどこに圧倒した実績があるんだ?
北九州スレにでもいけよ
無知低脳さんww

312:人間七七四年
09/06/22 00:03:31 xae3cdpk
っかさ、普通に考えて九州より中国地方の方が毛利にとって重要でしょ?
多少追撃で痛い目にあっても逃げる方が特。
ただでさえ成り上がりの毛利には求心力がないのに遠征を仕掛けたのが失敗だった。
ただチャンスではあったけど。

大友も大友で対応が後手後手で動きが鈍い。外交は名門の力を見せつけたって感じだが。


313:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/22 01:16:58 Drzt8Na6
>>307
わしが、>>303で九州ハッタリ文書、南北朝期の多々良浜の戦いの投影を
指摘したら、ハッタリ文書の受け売りじゃけぇ、話にならんよ。
しかも兵数なんか、どう計算して毛利軍4万云う数字が出てくることやら。
毎度空虚な妄想ばっかししょうるのう。

314:人間七七四年
09/06/22 03:17:04 Cvn8m8Fv
中国線は毛利が圧倒したけど北九州戦では大友が勝ったでいいじゃない
中国戦は大内尼子の弱体化でわりかしスムーズに進んだけど北九州は大友の最盛期だし撃退されるのも仕方ない
撃退されたからったって毛利の評価が下がるわけでもなし

315:人間七七四年
09/06/22 03:56:35 NhZYfloO
大友が圧倒したとかほざく奴が馬鹿がいるから話がおかしくなる

316:人間七七四年
09/06/22 08:42:53 cMaGvFX6
確かに具体的反論は一切せずに毛利最強を喚く厨しかいないなw
やっぱり腰抜け毛利は一連の戦役に大敗したとしか思えないな。
ここの戦域での毛利はそれ以前にも大友尼子ラインの圧力の前に屈辱的な将軍家の和睦を受け入れて九州から撤兵に追い込まれている前例もあるしな。
毛利は大友のグランドデザインたる大戦略の前に終始圧倒されている。

317:人間七七四年
09/06/22 10:42:50 NhZYfloO
>>316
毛利最強なんて誰も言ってないだろうww
具体的もなにも北九州スレに行けよ

大友圧倒とかお前、頭おかしいだろ
大友は毛利領を侵略した事あるのか?
守勢はいつも大友だろが

318:人間七七四年
09/06/22 12:22:02 cMaGvFX6
>>317
毛利侵略?なに言ってんだ敗走してボロクソになってるところを、毛利が泣きながら逃げ出した時に見捨てたはずの龍造寺様に救われたくせにw

319:人間七七四年
09/06/22 12:49:04 NhZYfloO
1559年
毛利元就、吉川元春、小早川隆景が石見出兵中の隙をつき大友、豊前門司城を攻撃
門司救援に向かった毛利水軍の冷泉院元豊、赤川元徳らは柳浦で大友水軍に迎撃され敗死。
9月、毛利隆元が三千を率いて救援に向かい大友義鎮の軍勢を豊前門司城にて破る。
1561年
6月、大友軍が豊前に進撃開始。大友、毛利の全面対決が始まる。
8月、大友軍は毛利方の筑前、宗像氏貞を攻める
大友の吉弘鑑理、鎮信、鎮理親子勢一万五千は小倉表に着陣。
9月2日、戸次鑑連(立花道雪)、田原親賢、臼杵鑑速らは、和布刈神社近くの城下まで進出し城を攻めた。
また大友義鎮がキリスト教に友好的であっため、インドのゴアから来航したナウ型ポルトガル船が門司城に援護砲撃を行う
9月18日、門司城救援に水軍五百隻、一万の小早川隆景軍が赤間関に着陣。
八千の毛利隆元率いる本隊は防府、大専坊に本陣をおく。
堀立壱岐守、杉彦三郎ら毛利勢八百が関門海峡を突っ切り、門司城に入城
毛利の児玉就方、河内水軍を率い豊筑沿岸を襲撃
大友軍、豊前沼の毛利軍支隊を襲撃
10月、小早川隆景、門司城に入城
石見の福屋隆兼が毛利と大友の争いの隙をつき叛旗。吉川元春がこれにあたる。
10月9日村上武吉、大友軍の後方遮断にでる
同日、大友氏は門司城内の篭城兵の中に田北民部の縁の者、稲田弾正、葛原兵庫助を内応を試みる
しかし前日に発覚し二人は処分され失敗に終わる
10月10日、小早川隆景は前日に処分された二人が生きているように偽装、内応の合図の狼煙をあげ大友軍を誘き寄せる。
大友軍の総攻撃が始まると同時に小早川隆景は城外に出て奮戦。
浦宗勝、児玉就方らは毛利水軍を率いて門司沿岸に上陸、大友軍と激突。
浦宗勝と伊美弾正が一騎討ちを演じ、宗勝の勝利。
大友軍は小早川隆景の罠にはまり苦戦。臼杵鑑速が援護に行くが宍戸隆家に阻まれる。
竹田津則康、吉弘統清、一万田源介、宗像重正、大庭作介ら大友軍多数が討死。
毛利軍は海上から松山城(現在の苅田町)を攻撃
背後を毛利に断たれる事を恐れ大友軍は夜に撤退開始
撤退を察知した小早川隆景は水軍を率い、長躯迂回し黒田原・国分寺原で待ち伏せ。撤退中の大友軍に打撃与える。
大友は逆に松山城、香春岳城を毛利に奪われ豊前一帯は毛利領に
11月、毛利隆元、小早川隆景は門司から福屋攻めにあたっている吉川元春を支援に向かう

1562年
この年、元就は出雲洗合に本陣を移し半永久的な陣城を築き職人や商人を呼び城下町を建設
尼子義久の守る月山富田城の長期包囲作戦を開始する

1563年
1月、大友宗麟は松山城奪回に向かうが毛利軍はこれを撃退
3月、将軍、足利義輝の命で毛利と大友は和睦。
門司城は毛利領、松山城は大友に還付する事で合意。
8月、毛利隆元、急逝し幸鶴丸(毛利輝元)が毛利家当主となる

1564年
7月25日、毛利元就、元春、隆景と大友宗麟が講和の誓紙を交換

1565年
2月、幸鶴丸が元服し将軍、足利義輝から一字をもらい
毛利輝元と改名。

1566年
この年は長年に渡って包囲され続けていた月山富田城がついに開城。尼子義久は降伏する。

1567年
3月、伊予の河野道直の救援要請を受け吉川元春、小早川隆景ら毛利軍、二万五千は伊予に上陸し湯月城に入る
4月、毛利と大友の講和破綻。(毛利は大友から破った、とし大友は北九州の諸将の反抗を毛利の差し金だとした為)
毛利軍の先鋒石見国衆、豊前に侵入。(毛利の九州遠征開始)
24日、筑前立花城主、立花鑑載、毛利に通じる。

320:人間七七四年
09/06/22 12:55:24 NhZYfloO
立花の叛旗に秋月種実、宗像氏貞ら国人衆多数も呼応。
大友宗麟は元就のやり口に激怒し三万の大軍を立花城に向かわせる。
5月、四国、元春、隆景の両川は各所で宇都宮、四国連合軍を撃破し大洲城を包囲。
宇都宮豊綱は一条康定、長曽我部元親に援軍要請し篭城したが耐え切れず降伏。
豊綱は備後の三原に送られ幽閉される。
救援にきた一条、長曽我部の土佐勢も迎撃され敗退。
宇和の西園寺公広も降伏し伊予平定は完了する。
6月、吉川元春、小早川隆景は一旦軍勢を休めた後、九州へ発向。
7月、大友軍、筑前立花城を攻撃。
毛利の援軍が来るまで持ちこたえられず立花鑑載は自刃。毛利の将、清水左近は長門へ逃れる。
9月、吉川元春、小早川隆景は豊前三岳城を攻略。長野弘勝、自刃。
10月、立花城攻略に備え、筑前馬見城、笠木城を修築

1569年
4月、松山城も攻略した元春、隆景軍は三岳城を発す
帆柱・若松・芦屋を経て立花城へ向かう一方、水軍を名島に配す
毛利元就、吉田郡山を発し輝元と合流。
本営を長門の長府に設置し九州遠征の諸将を督励する
5月1日毛利軍、立花親続の守る立花城に総攻撃を開始。
宗麟、立花城救援に二万を派遣。
毛利軍と大友軍ついに激突する。
一進一退を繰り返していたが5月18日の戦いにおいて宍戸隆家、熊谷信直、山内隆通ら奮戦し戸次鑑連、五条鎮定らを撃破し大友軍の首級を数百上げる。これにより大友軍、後退。
閏5月3日(この年は閏の為、5月が二回ある)、立花城陥落。城兵全員を助命し退去を命じる。
桂元重が立花城の守備に入る。
6月、京都に潜伏中の山中幸盛(鹿之介)、立原久綱らが尼子勝久を擁立。
7月、尼子勝久、山中幸盛らが但馬より隠岐に入り隠岐氏の協力を得て出雲に侵入。
尼子家再興の激に尼子勢六千になる
元就、月山富田城主、天野隆重の求めに応じ糧食を搬入し鉄砲隊を城内に入れる。
尼子勢、月山富田城を攻撃。
城主、天野隆重はわずか三百の城兵を励まし奮戦し尼子勢を撃退。
尼子勢、月山富田城をあきらめて周辺の諸城を攻略する方針に変更
8月、尼子勢は神辺城を攻略。守城、杉原景盛遁逃。
樽崎豊景、村上亮康ら毛利軍はすぐに神辺城を奪還し井上晧玄を殺害。
8月、高瀬城の米原綱寛、尼子勝久に投降。
10月11日、大友宗麟は大内輝弘を援助しひそかに周防、秋穂浦に上陸させる。
大内軍、山口奉行・井上就貞と藤井淡路守を撃破
10月12日、大内軍、山口乱入。高嶺城を攻撃。
10月15日、九州の毛利軍は九州撤退を決意。
乃美宗勝、坂元祐、桂元重を守りに残し夜、立花城を撤退。
10月18日、毛利軍、長府の本陣に到着。
10月20日、吉川元春は福原貞俊、熊谷信道ら兵一万を率い山口に向かう。(小早川隆景は九州遠征の後処理の為、長府に残留)
10月21日、立花城守備隊も撤退。大友軍立花城奪回する。
大内軍は残党を糾合し五千を越す兵力になっていたが吉川元春が一万の兵で進軍中の報を聞くとたちまち戦意を失い逃亡者が続出。
10月25日、吉川元春、大内輝弘を浮野峠で破る。
大内輝弘、山口を脱出するが富海(防府市)の茶臼山に追い込まれ自刃。
大内の乱、一週間で終わる
10月28日、元就、輝元、隆景は長府の本陣を撤収し毛利の九州遠征は終了する。

1570年
1月、毛利輝元、吉川元春、小早川隆景ら両川を率いて出雲へ


大友の圧倒的勝利で幕を閉じる

321:人間七七四年
09/06/22 18:22:52 eF4UBjRE
これのどこが大友の圧倒的勝利なんだ
大友は防衛に成功したんであって圧倒的勝利とは言いがたい

322:人間七七四年
09/06/22 19:03:20 NhZYfloO
>>321
318のような「大友が政戦略圧倒的勝利」とかほざいてる馬鹿に皮肉で書いたつもりだったのだけど?
マジで受け取られるとは思ってもみなかったよww

見てもわかるとおり、毛利にとっては大友より
尼子残党のほうが手ごわい相手なのがよくわかるね

大友は必ず隙をついて兵を繰り出すが最後は必ず蹴散らされる
毛利の進撃を阻む事は全く出来ない
立花道雪も何度も参加してるのに対毛利では全くイイトコなしです
多分、大内残党だけなら本国だけで対処出来て九州撤退はしなかったかもしれませんね
尼子残党によって大友が救われた事がよくわかるます
大友の政戦略ではなく尼子が蜂起してくれた運のお陰です

323:人間七七四年
09/06/22 22:20:27 cMaGvFX6
大内の養子に出した弟を宗麟は元就との盟約を尊重して切り捨てたのに、元就は約束を裏切り九州の大内領を奇襲したり、
将軍家の和睦に北九州の国人への調略の禁止がありながら元就は約束を破りまくる基地害だったから、
戦の準備が成されてない時期の大友との和睦の約束を破り攻めてる毛利のせいで序盤は大友が不利だが、
日本が真珠湾奇襲したが結局、アメリカに大敗した如く、終わってみたら毛利が九州で得た領土は寸土のみの惨敗。
劉邦が項羽を討った如く。
孫子の兵法でも小事で失敗するのは虚であり、あえて隙を見せて相手の注意を引いておいて伐つのを勧めてる。
上策とは相手の謀り事を伐ち、自分の謀り事で相手を圧倒すること。
要するに政治の延長たる戦だけが戦いでは無く、政治外交を駆使して相手を屈させるのが勝者なわけだ。
ヘタレ毛利は結局、戦略的不利を戦術で補うことに失敗したわけだ。
三国一の卑怯にして不義な裏切り者元就が惨敗し大友の圧勝だろうね。

324:人間七七四年
09/06/22 23:52:05 NhZYfloO
>>323
何、不意に奇襲されたので大友不利みたいに言ってんの?
先に攻めてんのはだいたい大友だろ?
隙を見ては門司を攻め、何度も撃退されてるだろ?
まだ大尼子健在で毛利は尼子を相手していて九州どころではないにも関わらず何度も大友は門司攻略失敗

毛利の四国遠征は河野救援が目的だが
その河野を苦しめてる一条を大友は支援してるんだぞ?
約定中にも関わらず明らかに敵対行為だろ?
しかも四国に遠征いってた連戦中の両川を全く大友は止められず次々と城を落とされてる
そもそも九州は国人達に「来てくれ」「助けてくれ」と言われて出兵した手伝い戦
みてのとおり毛利は門司以外保持してねえし保持しようとしてねえだろが
劉邦が項羽は討ったごとく、って全く討ててねえし
尼子残党が出て来た時、毛利元就はさっさと吉川元春に九州はもういいから帰国するように言っている
元春は「このままじゃ帰れない」「大友倒すまで帰らない」と元就の要請を断ってるが
結局、尼子の戦況がおもわしくなく、大内残党まで出て来た上、元就の再三の帰国要請もあったので兵を引いただけであって
毛利にとって九州はその程度の存在
最後の和議も苦しい大友から申し入れたもの
九州防衛には成功したがどこが圧倒なの?
何言ってるの?
馬鹿なの?

325:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/23 01:00:38 ahprHt4x
>>306
下関が戦闘して九州勢に侵されたことは無いねえ。
>>323
大友に苛められよる九州の小豪族の要請で行ったまでのことよ。
九州、四国の苛められよるもんを助けにゃあいけんけぇ、
一方面だけ征伐出来るわけあるまいに。どこが不義なんか。
太平洋戦争で散々にやられて降伏した事例は、甲斐武田氏の方が
あてはまるじゃろうに。

326:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆36LfxCD/TI
09/06/23 07:03:21 AjaJWJgM
なるほど。
兵の強弱はまだしも、北九州と西中国の力関係は大体わかった気がする。

327:人間七七四年
09/06/23 07:54:29 +RFth85k
はいはい捏造毛利史観だとすべて助けを乞われたからw
思いっきり領土的野心で国人を煽ってたくせに。
結果的に領土が得られず大敗したら手伝い戦になるのかよw
麻生や宗像や秋月や筑紫とかはヘタレ毛利よりも、のちに助けてくだされた島津様の方が毛利より100倍頼りになったな。
島津>龍造寺>大友>毛利なのは確実だよ。

328:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/23 07:59:23 AjaJWJgM
不等号使うときは比較項目が何なのか明らかにしてからにすべき。

329:人間七七四年
09/06/23 10:21:18 wCkLWpH6
原爆奇形広島人晒しage

330:人間七七四年
09/06/23 20:00:19 dOrqSeCe
>>317
しろうまあおうし

331:人間七七四年
09/06/23 20:53:16 Sj/sUtaP
>>327
馬鹿まるだしだな

>麻生や宗像や秋月や筑紫とかはヘタレ毛利よりも、のちに助けてくだされた島津様の方が毛利より100倍頼りになったな。

麻生は毛利の支援のおかげで勢力拡大
宗像は毛利の支援で奪われた所領奪回してる
秋月も毛利に保護され、後に支援を受けて旧領回復
筑紫も山口に逃げて毛利の保護を受け、後に毛利の支援で元の所領に返り咲く
まあ毛利にも思惑はあるだろうがこれが手伝いと言わずになんぞや?
こんだけ国人が毛利の元に逃げ込んで懇願されたらしかたなかったのかもな

助けて下さった島津様?
麻生は島津にはおもいっきり抵抗しとるがなww
筑紫なんぞ島津と戦って幽閉されとる(秀吉の九州征伐の時に解放)

お前、馬鹿なくせ粘着力だけはスゲーなww

332:人間七七四年
09/06/23 22:35:55 wCkLWpH6
だまれチョン州人


333:人間七七四年
09/06/23 22:40:05 wCkLWpH6
毛利の捏造信じてるのか
さすがチョン州人w

334:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/23 23:43:01 ahprHt4x
>>326
大内氏時代から安芸を含む中国勢が九州へ遠征したことはあっても、
九州勢が中国地方を攻めるなんか無いし、その実力もないよ。
>>331
島津?西中国勢の毛利や東中国~近畿勢の黒田に勝てん九州ローカルの
軍団でせいぜい四国の長宗我部勢でも相手がふさわしい。

335:人間七七四年
09/06/24 08:59:56 24J9eiat
>>331
それで毛利が多大な資材と兵力の犠牲を出しまくった挙げ句に大友からどのくらいの領土を奪い取れたの?
毛利は龍造寺や秋月や麻生や宗像らを見捨て敗走した後、一度は降伏した龍造寺が毛利の困難を助けるべく再挙兵し、大友の兵を分散してくれたし、
毛利への追撃を止めてくれたのも龍造寺だし今山合戦で大軍の大友を退けて毛利を救ったのも龍造寺。
毛利が逃げた後の宗像なんて道雪からフルボッコにされて人質を道雪の妾にされてるし。
毛利に見捨てられた緒氏はみんな悲惨な目にあって、立花城督の道雪や宝満城に高橋紹雲を配置し大宰府周辺をガッチリ固めて二度と卑怯者アホ毛利が手を出せないようにした。
これで約束は破る為にあるを信条にしてる狼毛利を排除した北九州での大友の覇権が確立したわけですが。
まぁ信用ゼロ毛利の不意の奇襲に備えて筑前をガッチリ固めたから、南が疎かになり島津に破れたわけだが。

336:人間七七四年
09/06/24 09:10:49 24J9eiat
>>334
そもそも大内が北九州も支配してたのに何ワケわからん事言ってんだバカか?
中国勢力は常に九州の豊かさを羨望し、九州勢は貧困で平地が少ない中国に価値を見い出さなかっただけじゃないかねw
大友が宇和郡を奪ったりしたから中国より四国の方が魅力的な土地だったかもね。
豊後沖には今は沈んだ島々でも海外貿易が頻繁に行われてたそうだし。

337:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/24 09:37:26 nrpjEiBc
とりあえず>>329だけは、人として撤回しておくべきだと思う。

338:人間七七四年
09/06/24 09:48:33 mUEOzlS8
九州から見事に追い出されてるな
自分から攻め込んどいて追い出されるとは どんだけ間抜けだよw

339:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/24 10:07:25 nrpjEiBc
小早川が食い込んで戦国は終わってるような。

340:人間七七四年
09/06/24 10:16:57 Ck6hC72N
糞コテぷらっと氏ね

341:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/24 10:25:31 nrpjEiBc
だから死んで欲しけりゃ殺しに来いというに。

342:人間七七四年
09/06/24 10:31:52 Ck6hC72N
糞コテは原爆奇形広島人の毛利信者だったのか
もしくは毛利の捏造を信じてホルホルしてるチョン州人か?w

343:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/24 10:35:23 nrpjEiBc
オレは朝鮮人の血をいくらか引いているのをわざわざ公表している国士コテなんだが。

344:人間七七四年
09/06/24 14:53:42 5Jiq7OyM
見事だ

345:人間七七四年
09/06/24 17:24:57 24J9eiat
だいたい毛利は人助けしただけみたいな表現して捏造してるが、
毛利は自分の利益しか考えてない二枚舌外交しかしてねーし。
例えば龍造寺が、毛利上陸軍を支援すべく挙兵して大友軍を引き付けて籠城してた時に
危機を迎えた龍造寺が毛利の支援をお願いした時の元就は
「龍造寺は筑紫を滅ぼしたがってるから、立場が悪くならないように支援しないこと」と内々に指示。
結果、龍造寺は大友に降伏和睦に追い込まれた。
ウソつき元就は筑紫にも龍造寺にも良い顔をして味方ぶってるが実際に援軍なんぞ一切出さずに利用して棄てただけ。
秋月だって途中から二枚舌外交の毛利の本性を察知して、徐々に毛利を頼らなくなってたし。
秋月は島津には、なついてたけどな…秀吉の大軍にビビッたけど。

346:人間七七四年
09/06/24 20:33:57 5WKV2a7k
>>335
>それで毛利が多大な資材と兵力の犠牲を出しまくった挙げ句に大友からどのくらいの領土を奪い取れたの?

被害は圧倒的に大友だ

>龍造寺が毛利の困難を助けるべく再挙兵し、大友の兵を分散してくれたし

龍造寺は毛利と大友が争ってる隙に自家の勢力拡大を図っただけ



そもそも勘違いしてねえか?
宗像は元大内家臣で毛利が長門をとる以前から反大友
毛利を当てにするのは宗像の勝手だがなんで毛利がそこまで国人達の面倒見てやらなきゃいけない?
支援したり所領回復させてやっただけでも十分だろ
それを見捨てただの言ってるが馬鹿じゃねえの?
あいつらは毛利がいようがいぬまいが隙あれば大友から離反しとる
質問だがお前は本国で問題があっても無視して遠くの国人を救けに行くの?
スゲーな、聖人君子だなww

>>336
ただ単に毛利水軍を撃破して中国地方に攻める事が出来ないだけだろ

>>342
言っていい事と悪い事がある

>>345
上記にも書いたが龍造寺、筑紫も毛利を当てにしといて毛利だけ非難するのは筋違い
龍造寺も毛利の九州進出に乗っかり勢力拡大を狙っただけだろ
なんで毛利だけ非難されなきゃいけないんだ?
じゃあ聞くが毛利との関係悪くならないのはなんでだ?
龍造寺なんぞ終始、友好的で松浦などと共に織田包囲網にも名をつらねてるぞ
秀吉の九州征伐でも毛利と龍造寺の友好的な関係があったからこそ龍造寺は毛利の説得に応じ
肥前、肥後方面はすぐに平定できた
秋月だって再興させてもらってなんで毛利を恨む事があるのだ?筑紫だってそうだ
第一なんで中国の情勢が安定してないのに無理してまで遠く九州にいちいち兵を出して助けねばならんのだ?
どの家でも本国が1番大事に決まっとる
無理ない範囲でやれる事をやる。
支援してただけでも十分だろが
利用するのはお互い様だ


お前らさ大友の話で反論出来なくなったら国人達を「裏切った」「見捨てた」って今度は中傷話かよww
哀れだね
だいたい外交をなんだと思ってんだ?綺麗な外交?夢みすぎだろww
お前らの好きな武田はどうよ?綺麗だったか?裏切ってないか?ww

347:人間七七四年
09/06/24 20:36:57 nT44mUsu
綺麗だろうと汚かろうと

外交で負けまくったのが毛利だろ アホかお前は

348:人間七七四年
09/06/24 23:02:02 5WKV2a7k
>>347
反論にもなってないし話のすり替えだ

外交で負けまくった?
アホかお前は?


349:人間七七四年
09/06/24 23:33:06 JnLJiXLv
>>343
あなたは素晴らしい。

朝鮮筋目であろうが蝦夷筋目であろうが、アイヌ筋目であろうが沖縄筋目で
あろうが隼人筋目であろうが、なんであろうが、
日本人として、天皇陛下を、天地を敬い人を愛する人はすべからく日本民族
であると考えます。

、天皇陛下を敬い、人を

350:人間七七四年
09/06/25 04:17:28 jZZV6KBi
>>269
宝治の時点では、泰村がより積極的に戦っていたとしても三浦の負けは覆せなかったんじゃないのかなぁ。
むしろタイミングとしては九条頼経が追放される前に、先制攻撃のクーデター起こす位しかなかったんじゃないかと思う。

まぁそんなIfを重ねるのが許されるのならば、
もっといえば、泰村の親父の時代に和田義盛と連合していれば、かなり高確率で北条を倒せたんじゃないのw

351:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/25 04:24:44 iRgq0fpG
泰村はギリギリまで義時を狙っていたと信じたい。
全てのタイミングで北条に負けてるけど。

352:人間七七四年
09/06/25 04:40:45 jZZV6KBi
よくよく考えてみれば、仮に宝治合戦で毛利季光が味方した三浦側が勝っていたら、
後世、元就の存在は無かったのかも知れないんだから、不思議というか面白いよな。

353:人間七七四年
09/06/25 19:41:27 xWFII3sd
毛利厨って本当に都合が悪くなれば武田に対して敵意むきだしになるんだねえ。
西国ファンから忌み嫌われてるという事にいい加減気がついたら?
武田ファンと九州のファンとの間で荒らし合ったことなんて無いんだよ。

354:人間七七四年
09/06/25 20:50:33 H6Dlp0eB
毛利厨は織田や武田に嫉妬するしか能がないからな

355:人間七七四年
09/06/25 22:38:06 qFt5Q5U4
敗戦した場合は
毛利が手伝い戦をしただけとか
助太刀してあげたとか捏造美化した挙げ句に論破されると
なんでそこまで毛利が善人な真似しなきゃならんと逆ギレw
実際の毛利は博多の富を奪い取る目的で侵略して見事に大友に阻止され敗走したんだろうが。
毛利の捏造史観から来る戦果を持ち出し大友の方が被害あったと喚き、毛利敗走した件は黙殺するアホぶり。
そもそも秋月や筑紫を再興してあげたとか恩着せがましいことを主張してるが、
毛利が秋月や筑紫を騙して挙兵させたくせに援軍を一切出さなかったから大友にフルボッコされ秋月や筑紫は滅亡したんだろうが。
大友は関係ない、大内残党が山口を襲ったからやむを得ず撤退とかアホなこと言ってるが、
そもそも宗麟の家臣で鶴崎千歳城主の吉岡越前守長増の秘計であり
豊前の城井や緒方ら3000と大内家督相続の将軍認可状をつけて山口に逆上陸させた大友の戦略に毛利は負けて大雪のなかを敗走したわけだが。

356:人間七七四年
09/06/25 23:07:36 qFt5Q5U4
堺に比肩された大商業都市の博多>>>越えられない壁>>>>中国地方

しかも当時の豊後もかなりの商業都市だった。

357:人間七七四年
09/06/25 23:16:05 cRAxEiiJ
は?逆ギレはお前らだろ?
次々と論破されて結局は抽象的な事しかいえないのか?
今まで何を見てきたの?
大友が圧倒的勝利とか基地外な事を言い出して
それに対して反論したのが始まりなのにさ、よほど悔しかったんだろね
次々とよくもまあ阿呆な事をww
ただ毛利を陥れたいだけで麻生、秋月、筑紫、宗像の関係をろくに知らない無知がほざくからこういう事になるんだよww

>大友は関係ない、大内残党が山口を襲ったからやむを得ず撤退

そんな事を言った覚えないしww
しかし撤退の最大の理由は尼子だろな
あんな一週間で鎮圧できるようなチンケな大友の策なぞ尼子の蜂起がなければ本国だけで処理できただろな

所で話そらさないでさ
大友の圧倒勝利とやらの主張をいい加減納得いくよう説明してくれよww

358:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/26 01:23:01 ApJ5k2Gv
>>352
元就さんが、おらんでも誰かが安芸国人領主の盟主となったろう。
元就さんはクジ運が悪うて、権力を握る立場に立っただけよ。
>>353
特に島津と武田は人身売買王国同士で、お互いの傷でも嘗めおうとるんじゃ
ろうて。
>>355
毛利側が九州の戦闘で敗戦したことなんかも無いんじゃけど。
>>356
都市じゃのうても、中継交易は美味しいけんのう。瀬戸内じゃあ
警固通交料は頂くわい。内陸の「関所」は場所が固定されとるが、
海民の「関」は自らが動いて徴収するもんじゃ。

359:人間七七四年
09/06/26 01:23:59 RNeBGDk+
はぐらかして解答から必死に逃げてるようなので、再度お聞きしますが毛利が多大な犠牲と資材を費やしてまで得た九州の領土はどれだけ手に入れたんですか?
費用対効果の観点から語ってください。
大友は秋月や龍造寺や島津に大敗して勢力が後退した記述ははっきりあるので、
毛利との戦いだけ必死に隠蔽してるとは思えませんがね。
毛利を追っ払った時点からが大友最盛期になったんですがね。
例えば1569年5月18日の立花表長尾合戦では、毛利両川ら4万の軍勢に対して、1万5000の道雪・臼杵・吉弘らは猛然と反攻し、
毛利は支え切れず320メートルも敗走したので、
道雪が全軍追撃を下令し、毛利全軍が崩壊し立花城に逃げこんだ。
博多占拠どころかこんなにもミジメな状況を好転させることもできずに何言ってるんだか。
これにさらに大友が軍を割いて山口へ上陸する支作戦を展開して完全に毛利が詰んだわけだが。
そして10月12日に毛利は道雪の追撃を受けながら立花から芦屋まで敗走。
すでに道雪によって立花鑑載が降伏に追い込まれていたが、さらに毛利に見捨てられた毛利家臣の乃美兵部・桂左衛門尉・坂新五左衛門や高橋鑑種・秋月・原田・筑紫・宗像・麻生らが大友に一網打尽にされ降伏。
毛利はこんなにもひどい史上まれな大敗を喫して跡形も無く毛利陣営は崩壊したわけだ。

360:人間七七四年
09/06/26 02:50:42 BWlAp2oi
>>359
>例えば1569年5月18日の立花表長尾合戦では、毛利両川ら4万の軍勢に対して、1万5000の道雪・臼杵・吉弘らは猛然と反攻し、
毛利は支え切れず320メートルも敗走したので、


この戦いの後、翌閏月(閏月はわかるか?)の5月3には立花城を毛利は落としているのでこの時点で立花城は大友方
負けたなら立花城攻略はありえない
立花鑑載は1568年7月にすでに切腹してるのでこれもありえない
乃美兵部て乃美宗勝のことだよな?
宗勝が大友に降伏したのか?これは知らないから教えてほしい
立花城を守っていた乃美宗勝・桂元重・坂元祐は無事に帰還してると思うのだが?
毛利が大敗したならなぜ長府の本陣に戻ってきてからわずか一週間の早さで大内輝弘の軍を撃ち破り平定が出来たのだ?

君の話は全く信用出来ない

361:人間七七四年
09/06/26 03:18:05 V4sHF/IS
500年ぐらいも前に起こった出来事にこんなに熱くなれるってお前らすげーな。


362:人間七七四年
09/06/26 04:00:11 RNeBGDk+
吉川文書に閏五月廿八日元春卿銃手戦功注文に閏年の記述が出てくるね。
これが立花表長尾合戦におけるものと言われている。
つまり閏五月三日に立花城は毛利に降伏しているのは明白。
勝手に「この戦いの後」とか順番を逆に捏造してんなよ。」
1568年7月に立花鑑載と毛利の清水左近将監が敗走し立花城炎上落城・1569年が始まるや大友全軍は龍造寺攻めで佐賀城を攻撃
4月17日龍造寺降伏の一連の作戦で手一杯だったので立花城は食料の備蓄もなく餓死が出始め宗麟がひとまず開城を命じてる。
大友軍は盛んに宗像・芦屋表へ出兵し毛利軍背後の船荷補給ルートを荒らし回る。
そして真の狙いの毛利軍撤退路封鎖の山口急襲作戦の指揮のため宗麟が豊後へ帰った真意を測りかねている毛利軍は大友軍の余裕を感じて驚愕。
宗麟の手配を見事に決まり毛利水軍を撃破し見事に山口へ上陸成功し退路を封鎖される危機からパニックになり芦屋港まで敗走。

363:人間七七四年
09/06/26 04:11:55 RNeBGDk+
道雪らが12日夜大雪の中を凍死者まで出しながら撤退する毛利を鬼追撃し、翌日昼に芦屋に道雪らが到着まで毛利はまったく休憩すらできず悲惨な落武者狩り敗走。
そして宗麟さまが田北民部に肥後勢を指揮護衛させて降伏した乃美ら捕縛された毛利兵らを安全に芦屋まで送ってあげたわけだが。

364:人間七七四年
09/06/26 04:51:09 BWlAp2oi
お前が5月18日て書いておいて人を捏造呼ばわりするな
後で閏を書いて馬鹿じゃねえか
どうせ毛利史観と言われそうだから黙っていたが
5月18日の激戦は宍戸、山内などの奮戦で大友軍の首級数百あげて
大友が後退した事になってる

>1568年7月に立花鑑載と毛利の清水左近将監が敗走し立花城炎上落城

これがなんだ?前に自分で書いた文章を見ろよww

>毛利軍は大友軍の余裕を感じて驚愕。

なんだ?小説か?ww

お前の言うように毛利が悲惨な逃避、落ち武者がりにあってたらなんで兵を休める間もなく大内討伐したんだ?
立花から長府まで三日で帰還、すぐに元春は山口に向かってる
これにはいっこうに答えてくれないね?


最後でわかったわ
立花文書だろうが俺は無事に撤退した派だから
お前とは一生意見がずっと平行線だろう
俺も主張を曲げないし、お前も主張を曲げないだろう
話するだけ無駄だな

365:人間七七四年
09/06/26 09:45:42 RNeBGDk+
閏の事は知ってた上で時系列で並べて俺は書いてて間違ってねーだろが。
だいたい戦国板でわざわざ閏なんて書いてるやついねーだろアホか。
テメェが故意に順序を逆に捏造した事実は変わらんだろが。
萩藩閥閲録の捏造毛利史観なんて信用できねーんだよ。
立花文書や筑前国続風土記や九州治乱記など複数文書に立花表長尾合戦での道雪の活躍が記されてるしな。
立花鑑載に毛利の清水ら防長8000が籠った挙げ句に道雪に破られたのも事実だがな。
退路を封鎖される恐怖により立花から必死に逃げて、休む暇なく敗軍を山口へ向かわせるほど事態が悪化してた証拠だろがw


366:奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff
09/06/26 09:59:07 tejLW0Bv
そもそも立花まで食い込まれているのはどうなんだろう。
大内残党の取り込みにおいて毛利と大友の比較。

367:人間七七四年
09/06/26 10:48:15 RNeBGDk+
つかよくよく考えてみると毛利厨の書いてることは毛利捏造マンセーアホ軍記の安西軍策にそっくりだな。
大友軍が豊後豊前筑前筑後肥後日向に幕下の龍造寺、松浦、島津からも兵を出させ12万8000で立花救援にきたのを両川はわずか4万で防いだ妄想戦記w
たしかにその妄想戦記では立花城は18日の戦いの後に毛利が落城させてるよなw
わざわざ同18日合戦とか単独の章を作って毛利マンセー記述をデッチ上げてるよな。
さらに妄想戦記では毛利撤退では道雪は追撃しなかったことにしてるしwww
お前の脳内は毛利マンセー軍記のせいで腐ってるな。

368:人間七七四年
09/06/26 11:19:57 RNeBGDk+
>>366
立花鑑載は軸丸右近と申す者の子なり秋月殿腹込の子とも申し候其故に此前秋月滅亡の時~
と言うように
豊前の長野筑後守の反乱(秋月種実の弟)と共に秋月が関わってると思われる。
さらに宗麟は鑑載の謀反を許してやってる。
その後に高橋鑑種の兄を宗麟が殺して妻を奪ったために大宰府を統括していた宝満城で鑑種が挙兵。
秋月が休松合戦で臼杵吉弘の陣を夜襲し大友軍が混乱し道雪の陣へ雪崩れ込み同士討ちを誘発した大友敗軍を経て、
高橋鑑種が立花鑑載に誘いをかけて、再度鑑載が挙兵。

369:人間七七四年
09/06/27 11:46:11 HpxbRT2G
>>367
大毛利はこの時期、四国九州の全軍を同時に相手して寡兵で圧勝してたんだよ。
さすが両川は戦国最強!

370:人間七七四年
09/06/27 13:04:38 MZ0zhMvD
>>369
豊前と筑前で勝っただけで九州全軍に勝ったとかw
毛利厨の捏はハンパ無いな。
その後、宗麟時代の大友氏と播磨で秀吉にフルボッコと。

371:人間七七四年
09/06/27 14:08:36 HpxbRT2G
毛利の攻勢におののいた秀吉は泣いて逃げたわけだがw

372:nomu
09/06/27 15:51:37 OAj/7G8u
武田信玄と毛利元就では当時(永禄年間)の京都市民
の評価では格段に信玄が上だったのだろう!
永禄年間の京都市民の間では日本最強の大名は武田信玄
か上杉謙信のどちらかといわれていた!
傍目に観ると元就の方がその2人よりも実績が上に見える。
当時の京都市民の間で『所謂東高西低』だったのであろう!





373:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/06/28 00:57:18 +KsClOED
九州の朱子学的白髪三千丈は兎も角、>>372のような、架空の京都市民の
評価も出て来るのう。ありゃあ、武田信玄厨の笠間良彦氏は、
西高東低とされとるけど。戦闘技術が東から流入した事例なんか
知らんよ。

374:人間七七四年
09/06/28 16:34:58 Gwq8Lgyr
そもそも日本刀からして蝦夷民の技術をパクったことからはじまったわけだが。


375:人間七七四年
09/06/29 10:39:01 5gQ6Syhy
大毛利のおかげで弱島津ごときが九州で覇権を握れた。
大毛利が来ると弱島津は必死に逃げ出した腰抜け。

376:人間七七四年
09/06/30 01:06:25 fy/lzgfX
>>372
悪いがまるっきり逆だわ。当時でいう英雄は元就。
輝元がちょろくて毛利株が落ちて上がった武田が抜いたって話し。
どの時代かにもよるな。
戦国末期なら英雄は信長だな

377:人間七七四年
09/06/30 14:47:41 zM0fstg2
>>375
いつ逃げ出したの?そもそも島津と毛利がいつ戦ったの?w
島津が肥後と日向北部に向けて北上始めた1575年頃に毛利は九州に領土持ってないですし。
毛利厨の脳内妄想は武田信玄厨より酷いですな。
朝鮮が近いだけあって捏造だけは天下一品。

378:人間七七四年
09/06/30 18:30:23 YsJ0P4TO
>>376
お前、日本語でおk


379:人間七七四年
09/07/01 13:28:22 RQdlt7x1
本城常光との戦いで氏ねば良かったのに元就

380:人間七七四年
09/07/01 17:16:17 oNbwmEML
大毛利が単なる北九州の強盗で荒らし回った挙げ句に大友に叩き出されて敗走したが、
おかげで大友も国人離反が相次いで、
それら国人が島津へ寝返るキッカケを作り大友が島津に破れる遠因になったってことでは?
島津が筑後筑前侵略において、大友の大きな抵抗にあい、小早川らが大毛利って言うか大友外交の結果、豊臣軍として門司に上陸してくると
(皮肉にも九州撤退の時に立花道雪から大追撃をされて悲惨な逃避行をした毛利が立花城救援に行かされるハメになる。)
立花城攻略を諦めて撤退したことを言ってるんじゃないのか?
まあ毛利も島津も目くそ鼻くそで、外交力を発揮した大友宗麟が凄いってことだわな

381:人間七七四年
09/07/01 18:42:49 sXxTp57d
読みづれぇ文章だなぁ・・・

文章作成能力が無いのは仕方ないにしても、
それならそれで、書き込む前に推敲くらいすれば良いのに。

382:人間七七四年
09/07/01 20:10:49 nJBSLHle
そうだね
彼は来る所を間違えたね
まずは日本語の勉強だ!!

383:人間七七四年
09/07/07 14:45:43 k960LZDN
>>380
西国最強は大友なのは間違いないね。
島津は単なる漁夫の利
毛利は約束破るのが当たり前の大ウソつき

384:人間七七四年
09/07/08 20:25:57 MgXZfDtH
龍造寺、島津、毛利にまともに勝てない大友が最強とな?

漁夫の利?
弱いから漁夫の利になるような状態になったんだろがww

385:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/10 00:40:28 P/2R2K+X
>>380-383
北九州の強盗は、大友側で、毛利は現地小豪族の要請で大友を叩いた
だけじゃ。同じ図式は四国でもじゃけぇ毛利側は忙しいよ。
ほいで、毛利側は、立花城に籠城した将兵も落城した後大友に返還しとる。
それが「中国者の律儀」じゃ。
約束を破るじゃあ、大ウソつき呼ばわりされる筋合いも無いど。

386:人間七七四年
09/07/10 09:38:19 V4fpARyJ
敗走した毛利軍を追撃して海に追い落とした後、孤立した立花城の毛利軍が降伏した際に、大友は護衛までつけて毛利兵を安全に送ってあげたのだが、そこは無視か。
青牛は相変わらず都合がよいな。
そもそも毛利は旧大内領の継承とか言って野心バリバリだったくせに。
北九州で成功してたら現地小豪族も被官化しようと思って利用してたくせによく妄言吐けるな。
中国の律義とは約束は破るためにあるってことだろ。

387:人間七七四年
09/07/10 12:40:52 o2FvyDpn
「中国者は律儀」
実際にある言葉なのに↑は知らないらしい

388:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/10 23:13:57 P/2R2K+X
>>386
また、九州の嘘こきか。大友三将の戸次鑑連、臼杵鑑速、吉弘鑑理は、
麻生隆実さんに立花城より下山した浦宗勝ら討ち取れ云うとる。
じゃが、麻生隆実さんは、三将の姑息な調略で武士道を汚す行為に服さず、
毛利側に報告したわ。麻生隆実さんに対して小早川隆景さんの感状に、
「殊従豊州三老之調略状 具令披見候」とある。
まあ、九州勢は律儀や節操がのうて、勝つためにゃあ手段を選ばん性質が
強いが、麻生隆実さんは例外的に筋を重んじたのう。
約束を破りよるんは大友側で。何妄言云うとんなら。じゃけぇ九州人は
安易に信用ならんのじゃ。

389:人間七七四年
09/07/11 15:15:51 7+BwYM0T
宗麟は大内を攻める元就との話合いで
義長を見捨て支援しないから元就は九州に手を出さない約束をしたのに元就は一方的に破棄し奇襲上陸して少ない守備兵だけしかいなかった要害の門司城を奪ったり
その後に将軍が斡旋した和睦を破って奇襲攻撃をまたやったり、しかも将軍との和睦条件に北九州の国人を援助しない約束があったのに無視し続けていた。
北九州に野心を持ち隙あらばと約束を常に破り続けてるのは毛利側。
そもそも北九州の豪族が救いを求めたから仕方なく手伝いしてやった正義の味方って言うなら、なぜ毎回彼らを最後は見捨ててるのか?
彼らは大友にフルボッコされるわけだが。
利用した挙げ句に棄てたに等しい鬼畜行為に見えるけどね。

390:人間七七四年
09/07/11 16:58:15 ayDwXBNi
弱小国相手にすら何度も戦で大敗をして
相手が寿命で死ぬか、降ったと見せかけて騙まし討ちにするかで
元就が目だった活躍なんかしてないのは有名だよ
厳島だって河野家(村上水軍は当時河野家所属)が陶軍を破ったのが本当のところだし
晩年の支配領土だって四方八方で叛旗を翻されて
実質完全支配してた領地なんて50万石くらいしかなかったんじゃないかな?
政治なんかも評価されるようなことは一切やってない
毛利家の年貢の高さは、もはやお家芸の域で長年、民を苦しめて来たし
海賊衆に利権をやるから仲間についてくれという懐柔策をするくらいだから
信長のような新しい為政者とは真っ向から逆を行く旧来の政治家
頼みの石見銀山があったから何とか国としての形を留めただけで、要は資源頼みの政治
しかも、その銀山争奪にかけて本城氏如きの弱小豪族に何度も大敗して
最後は銀山の利権をあげるから味方についてくれと頭を下げる始末。
その後、味方についた本城氏を、ものの見事に約束破って謀殺してるところは
謀略家としての高評価を受けてる由縁だけど、実際は「ただ約束を破った」だけ


391:人間七七四年
09/07/11 17:41:18 HWq4Mg/M
>>389
鬼畜行為なら何故毛利と国人達の関係が悪化しないのだ?
見捨てた毛利の元になぜ逃走してくるのだ?
なぜ頼るのだ?

お前は自分の家に空き巣が入っても友達が「帰らないでくれ」と言ったら帰らず友達の家に居座り続けるのか?
もっともらしい事いって印象操作してるけどさ
国人達に反抗されっぱなしの大友てどうなのよ?
お前の論理でいえば鬼畜行為の毛利を頼らざるおえないほど大友は酷いのかww

弟は捨て駒
家臣の奥さんに手をだす
国人達に反抗されっぱなし
宗教馬鹿で国を傾ける
そんな大友より毛利は酷いですか?ww


※中国者の律儀
「起源は毛利説」を無知のお前に話してやろう
「毛利と同盟を組めば裏切られる事はない、安心だから」だそうだ
この件に関しては反論するなよ
実際に使われてる言葉だし俺が作った話じゃないから文句言われても困る

しかし河野の為に伊予を平定して敵を追っ払ってやる家なんて普通いねえぞ?領地が手に入る訳でもないのに
まあ国人盟主たる立場上救いを求めて来た者を助けないと国内に示しがつかないためだろうな
毛利が助けないとなると国人達の間で「いざというとき毛利は助けてくれないんじゃないか?」と疑心暗鬼となり統制が取れなくなるからな
嫌々でも助けざるをえない立場なのさ

392:人間七七四年
09/07/11 17:59:57 7+BwYM0T
長年盟友関係だった三村氏を切り棄て、宇喜多と手を結び三村氏を滅ぼして備中を奪い盗った毛利が律儀なのかねぇ。
備中争乱は三村一族滅亡の悲劇として備中松山城でも幼い嫡子も殺されたとビデオ放送してるくらいなのに。


393:人間七七四年
09/07/11 22:31:10 36BXPAZF
>>391
誰が言い出したんだ。
出典は何だ。
そして、それは実際の行動と符合しているのか。

394:人間七七四年
09/07/11 22:39:10 HWq4Mg/M
基本的に中国者は律儀て事だろ
大返しの話も「中国者が律儀」が前提だからこそ出来た話みたいだし
どこにだって律儀者もいれば不律儀者もいる。細かい事例をもちだすお前はナンセンス
そんな事したらどんな国にも当て嵌まらない

>宇喜多と手を結び三村氏を滅ぼして備中を奪い盗った毛利

お前はちゃんと過程をしゃべれ
毛利は最初から宇喜多と手を結んで三村を滅ぼす気だったのか?
そんな事じゃ印象操作と言われてもしかたない
三村を毛利が切り捨てた訳ではない
原因は毛利にもあるが家中分裂してまで織田に通じて反旗を翻したのは三村
私怨を捨てきれず滅亡の道を選んだのは三村
三村の気持ちも解るがそこは堪えるべきだった
そしたらいずれ宇喜多と戦える機会があっただろうに…

395:人間七七四年
09/07/11 22:46:01 36BXPAZF
だから、どこでその文言を目にしたんだと聞いてるんだ。
白馬青牛文書か?
アホめ。

396:人間七七四年
09/07/12 00:53:53 8lJ7/GlF
自分で調べられないなら頭を下げて聞けよ
それが聞く態度が?
自分でクグレよ馬鹿め

397:人間七七四年
09/07/12 01:37:57 8lJ7/GlF
あ、そうそうお前らがどうほざこうが今現在でも実際に存在するし使われてる言葉だからさ
気にいらないなら「中国者は嘘つきだ!」と全国に風潮しまくれば?ww

知ってる人は知っている
知らない人は知らないww

398:人間七七四年
09/07/12 02:15:39 mDsGPEz5
全国区の言葉じゃない。単なる秀吉マンセー明治維新マンセー司馬の造語。
毛利が本能寺で追撃しなかったから秀吉が天下を取れたと言うことで中国者は律儀と言われた一方で幕末に水戸などで長州人は怜悧(ずる賢い)とも言われた。

誰が使ったのか用法すら見られないからまったく浸透してない言葉だし、どうせ毛利あたりが自分で吹聴したんじゃねーのこれ。

毛利が備中欲しさに備前の宇喜多と結んで長年の盟友だった三村を切り捨てたから、追い詰められた三村は織田と手を結ばざる負えなかっただけだが。
まぁその宇喜多に毛利は裏切られるわけだがw
長年の盟友だった三村と共同して宇喜多を討って備前に進出してたら秀吉とも万全の戦いができたかもしれんのにバカだな毛利は。

399:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/07/12 07:33:16 mvyb8HID
投げっぱなしの理屈になって悪いが。
安芸の国人一揆の首魁と赤松氏を傀儡にした土豪の両者には、
正統性で判断する術などないだろうに。

タイミングの話題は論外な。

400:人間七七四年
09/07/12 09:21:19 8lJ7/GlF
>>398
お、調べたか?
よかったな知識が増えて
少しは成長したな
しかし悪意見え見えの文だねww
実際にあったが「なんとか言い返したい」「一言いわずにはいられない」て感じだなww
お前みたいなのが一番タチが悪いな

>毛利が備中欲しさに備前の宇喜多と結んで長年の盟友だった三村を切り捨てたから、追い詰められた三村は織田と手を結ばざる負えなかっただけだが。

前文にも書いたが理解できんか?
備中の国人で毛利に味方した者もおるし
だいたい三村一族が割れてる
宇喜多に対する私怨を捨てきれなかっただけだろ
追い詰められてるなら何故一族が割れる?
毛利の備中ほしさ?
元就の生前から「備中は三村に任せる」の方針は変わらんはずだが?
吉川元春が説得に行こうとした時点で備中欲しいはありえんだろ
捏造乙ww

401:人間七七四年
09/07/12 14:51:15 mDsGPEz5
宇喜多直家は元親にとっては親を暗殺した仇なのに私怨を捨て耐えるべきとか無理なこと言ってんなよ。
親が暗殺されたり殺された人間の気持ちもわからんのか?
しかも元春が小早川に「宇喜多は表裏あって信用できない」
「歴代忠孝を働いてきた三村を蔑ろにする獣にも劣る義に外れる外道行為」と反対したことから判るように三村にとっては絶対受け入れられない決定だったわけだ。
さらに三村討伐決定の際にも元春は「自分が直接元親に会いに行って説得したい」って言うが拒絶され
「信義を捨てた毛利の将来は暗い」と言ってるわけだ。
元親の妹の鶴姫以下三村一族が追い詰められ最後に籠もった常山城では女子供まで裏切り者毛利に降伏するを潔しとせずに徹底抗戦して撫で斬りされたわけだ。
これが三村が悪くて毛利が正しいだと?

402:人間七七四年
09/07/12 17:09:39 8lJ7/GlF
都合が悪くなったら話すり替えて最初の話にループか?
お前は馬鹿か?
前レスよめよ
どこに三村が悪くて毛利が正しいなんて書いてんだ?ww

それに鶴姫なんて謀反した後の話じゃん
謀反したなら征伐は世のならいだろ
焦点ずれてるぞww

私怨を捨てきれずの気持ちはわかると言ってるじゃん
俺も三村はかわいそうだと思うよ
でも一族の反対を押し切り謀反したのは三村だろ?
そりゃ織田と手を組めば毛利は国人達へのみせしめとして赦す訳にはいかないよな?
実際三村は滅亡してないし残った叔父も謀反を止められなかった事で減封
これで備中を毛利が狙って三村を騙したのはお前の捏造だという事がハッキリした

しかし悔しいからといってまた話を振り返すのは正直感心しないなぁー


毛利は不律儀で酷い悪党→毛利は備中を取りたかった→毛利は不律儀で酷い悪党(また最初)

無限に続ける気か?
だったら付き合ってられないから俺は遠慮しとくわww

403:人間七七四年
09/07/12 20:44:11 2hwBFanV
>>402
なにぬかしとんじゃ。
おどりゃあ、ぶちとれえのう。
自分のレスを見直してみい。

404:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/12 23:03:28 o8RFC/ns
>>390
東国の主従性の色眼鏡を持って、西日本に適応しても意味があるまい。
河野氏が水軍衆から陸上がりした時点で、瀬戸内水軍衆と縁が薄うなったん
じゃ。現代でも愛媛県でも広島側に向いとる地域は関西アクセントじゃ
のうて、広島弁に近いが、伊予に近い来島と能島、広島県の因島じゃあ、
それぞれ違うわいのう。
毛利氏が、民を苦しめた根拠たぁ何なら。根拠を提示せぇや。
>>395
浦宗勝さんの史料から、「隆景卿伝」「浦備前覚書」じゃが、
立花道雪つまり戸次鑑連ら大友三将は、浦(乃美)宗勝さんの、籠城長引き
策に業をにやしとったけんのう。じゃが麻生隆実さんを唆して、浦宗勝
さんらを討ち取ろうとする姑息さよ。

405:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA
09/07/12 23:50:10 o8RFC/ns
>>398
司馬遼太郎氏は、長州人が金に弱く、薩摩人が女に弱い対比で面白
可笑しゅう書いておられるが、実際女を強姦し、金欲が強いんは
薩摩の方じゃ。
今東光氏は、鹿児島人の脅しの投降に対し「ついでに鹿児島人の
一番悪いことを言っといてやろう。鹿児島県人は金に弱いんだ。
生意気なことぬかすな!きさまらの先輩の海軍軍人でござれ、
政治家でござれ、もう実に金に弱いんだ。だから律儀者の山口県人は
鹿児島人を長く信用しなかった。薩はいつ金で転ぶかわからない
から、長の方じゃ信用してなかったんだ。」
対談集から大石慎三郎氏が西郷隆盛について「非常な策士ですね。」
に対し津本陽氏は、「長州の方がまだ鹿児島に比べると一本気の
ような感じがしますね。」
司馬遼太郎氏と鹿児島人の海音寺潮五郎氏の対談で、薩摩の節操の
無さについて海音寺氏は、「薩摩人の頭の悪さによるもので、
えらい奴が出て来て号令をかければ、その通りに動くという行き方
ですね。薩摩人は現実的過ぎてやることに全然筋道が通ってないから
嫌いだが、有馬新七だけは大好きだといって大変賞める人もあるの
です。三田村鳶魚翁がそうでした。」とされるが、鹿児島人や
薩摩人的な九州人に節操を求めても、寝返るんがオチじゃけんのう。
>>401
三村氏の婦女子軍には相手出来んと退却したよ。毛利勢は。
撫で斬り云うて誰がや。提示せんかい。


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