文禄・慶長の役が海外で誤解されまくってる件at SENGOKU
文禄・慶長の役が海外で誤解されまくってる件 - 暇つぶし2ch591:人間七七四年
10/03/20 03:50:11 JCS8u40A
明年,如松師大捷於平壤,朝鮮所失四道並複。
如松乘勝趨碧蹄館,敗而退

於是封貢之議起,中朝彌縫惟敬以成款局,事詳《朝鮮傳》。
久之,秀吉死,諸倭揚帆盡歸,朝鮮患亦平。
然自關白侵東國,前後七載,喪師數十萬糜餉數百萬,
中朝與朝鮮迄無勝算。
至關白死,兵禍始休,諸倭亦皆退守島
東南稍有安枕之日矣。
秀吉凡再傳而亡。

要約しますとこうですね
平壤は日本軍が放棄して奪還できたけど追いかけたら碧蹄館で日本にぼこぼこににされて明朝鮮の現場の将兵には嫌戦気分が蔓延。
日本を軍事的に追い払うのは困難となり、(再三日本が要求してきた)交渉の席につき金銭による解決を探ることにした。
ところが秀吉がラッキーなことに死んでくれたおかげで日本はひきあげてくれた。
いやーこの七年間はやばかった。
ただただ多くの犠牲が出るばかりで我が国と朝鮮には勝算が無かった。
戦争終結は秀吉の死によるものだ。


592:人間七七四年
10/04/02 15:31:33 EVmho379
支那人は臆病で、また明帝国は国家の中枢にしか軍が存在しない・・・
というのがスペイン人の分析。
だから、日本征服より、
支那征服のほうが容易と考えていたらしい・・・

593:人間七七四年
10/05/04 18:49:03 ZR75gwQf
「朝鮮王朝実録」
 「日本兵との接近戦を禁じた」
 「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」

「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。


594:人間七七四年
10/05/23 22:38:55 T7NYDxI6
『日本史』豊臣秀吉篇第三六章(第三部四七章)
「朝鮮国の描写、およびアゴスチイノ(小西行長)がその艦隊を率いて先発した次第」
・(※注:朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。

『日本史』豊臣秀吉篇第三七章(第三部四八章)
「朝鮮に向けて出発したアゴスチイノが、ついで幾つかの城を攻撃し、大いに苦労して
軍勢をもってそれらを屈服せしめたこと、ならびにそこで彼が獲得した名誉について」
・双方とも大いに奮戦したが、朝鮮人は頭上に振り翳される日本人の太刀の威力に対抗できず、
ついに征服された。朝鮮人の側では約五千の兵が戦死し、日本人の側では二つの城塞
(の攻略に際して)百人近くの戦死者と四百人以上の負傷者を出した。

『日本史』豊臣秀吉篇第三八章(第三部四九章)
「アゴスチイノが朝鮮の都に入るに先立って生じたこと」
・だが日本軍はきわめて計画的に進出し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼(のよう)にして先を争って遁走した。

595:人間七七四年
10/05/24 01:26:54 ieujKq3r
自分は日本にいて調子のいい報告を纏めただけのフロイスさんを引き合いに出すのはどうかねえ
所詮フロイスは又聞きなんだからどうせなら朝鮮に渡った奴の記録出した方が良いとおもうよ

596:人間七七四年
10/05/24 19:47:26 aMvy1qLe
>>595
苦戦したところは苦戦したと伝えてるけど。

597:人間七七四年
10/05/24 21:54:07 jBCMkiM+
加藤清正&島津義弘&立花宗茂が強かったという印象しかないなぁ。


598:人間七七四年
10/05/26 04:02:31 OstEaiOG
>>595
そんなあなたには>>593をお勧めしましょう

まフロイスも>>596の指摘通り
日本が負けた局地戦は負けたとちゃんと書いてるので
その時点で>>595は的外れもいいとこなんだけどね

599:人間七七四年
10/05/26 10:03:03 RWTtndtT
|∀・).。oO(  コピペを引き合いに上から目線で語るヤツって・・・w

600:人間七七四年
10/05/26 15:40:14 OstEaiOG
>>595必死

601:人間七七四年
10/05/26 19:29:07 3OVON/HU
君はそのコピペを引き合いに出すヤツ相手に捨てセリフを吐くのが
せいぜいなんだろw

反論してみたらどうだ?もちろんソースつきでな。

602:人間七七四年
10/05/26 20:20:47 RWTtndtT
>>601
2次資料じゃなく1次資料を挙げるべきとする>>595に対して、向こうの2次資料の日本刀マンセー記述を集めた
コピペを得々として示す>>598が恥ずかしすぎると指摘しただけなので、何について反論しろと言ってるのか
よーわからんが、ま、まずはこの辺読んでみ。
URLリンク(kindai.ndl.go.jp)

で、島津義弘なんかは、その鑓も役にたたないから、とにかく鉄砲をかき集めて送れと国元に申し送ったりしてる
わけだが。


ちなみにオレは>>595じゃぁない。

603:人間七七四年
10/05/26 20:34:48 cnPeWWI1
日本の槍も優れているはずなんだが、確かに槍に関する記述は『懲毖録』にも少ない。
なんか使節としてきた日本人に朝鮮の槍が短いことをあざけられたとかはあったけど。
刀はぱっとみただけでも随分出てくるよ。

柳成竜『懲毖録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)

・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。

・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。

・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
 (金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。

・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。

・水際を行ったり来たりしている者は、あるいは一、二名、あるいは三、四名ずつ、
大剣を肩にしていて、それに日光が反射してきらきらと電のように閃いていた。

・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。

・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。


604:人間七七四年
10/05/26 20:51:31 IcNv4462
戦国生き残りのプロ集団だからな。
中学野球チームとメジャーぐらいの差があったんだろう。

605:人間七七四年
10/05/26 22:28:44 4i/ItxUW
>>602
史料のように言ってるけどそれって参謀本部の分析だろ。しかも槍は武士にとって
第一の武器云々ばかりで刀のように活躍を裏付ける文献の引用もない。
同時代のフロイスや柳成竜の報告の方がまだマシだと思います。

606:人間七七四年
10/05/27 00:30:22 JAIYcyfQ
双方の史料を広く当たって、未だに朝鮮役研究の基本書とされる
参本の『日本戦史 朝鮮役』と、史料などまともに読んだこともないであろう
ID:4i/ItxUWのお説とのどっちが信憑性があるかという話だわな。

ま、日本刀マンセーコピペ信奉者は『雑兵物語』とか読んだこともないんだろうね。

607:人間七七四年
10/05/27 00:58:09 VZOOIsBo
『雑兵物語』には真正面から切りかかったらお前らの持たされるなまくら刀では曲がるぞ、とかの注意があるけど
それは介者剣術の基本と一緒。むしろ使うときがあるからそういう最低限の原則は教えていたと考えられるな。

で、>>602に「我が軍の接戦用の主として槍を使用したるを知らざる者の言のみ」とあるけど、
逆に言えば参謀本部はそういう先入観を通してしか『懲秘録』の文章を見ていないわけだな。
刀については『懲秘録』の二文があるのに、槍の方には何も当時の文献が引用されていないのはどうして?

フロイスの『日本史』だけども、フロイスは日本の鎧はヨーロッパの槍に耐えられない、とか馬は子馬並みだとか、
海戦が強くないとかけなす所はしっかりけなしてるよ。そのフロイスがもし日本刀を過剰にマンセーするとすればその理由は?

608:人間七七四年
10/05/27 12:10:04 Zk3EdG/o
>>602
よほどコピペ張られるのが嫌みたいなのであえてコピペでw

304 :人間七七四年:2010/05/20(木) 01:43:45 ID:+1vN95sM
>>276
槍もう要らんから鉄砲って当たり前だわなw
日本で発展した槍は大半が
槍衾として使い
それこそ突撃してくる徒歩の武士や騎馬武者を上からぶったたいて足を止める
あるいは同じ槍衾と叩きあいの我慢比べをする肉の壁としての運用だから
いわば対日本用、国内で初めて真価を発揮する

明や朝鮮の兵士が戦国の武士たちほどの剛の者ぞろいなら槍衾も必要になるが
>>222みたいな性質の明軍相手にはさほど多くは必要ないよね
どうせ精強な敵軍が突っ込んでくる機会が少ないなら
槍衾で我慢比べする機会もさほど無い
弾込めに時間もかかりなかなか当たらない鉄砲も
敵がビビって突っ込んで来ないなら
悠々と弾を込め敵を狙える
使いやすいんだからどんどん持って来いって話になる
鉄砲がうまく機能すれば敵軍は顔を上げられず
こっちから大太刀で斬りこむのもまた容易となる

で結果明朝鮮軍は>>260のような地獄絵図に…
白兵軽視って怖いねというのが現実のものになっちゃった

鉄砲も槍も太刀も適材適所
射撃も白兵もどちらも重要です

まあ別に明朝鮮軍も白兵戦を軽視してたわけでもないんだが
日本に対しての白兵戦への苦手意識が余計に悪い方へ転がっちゃったというところだな

609:人間七七四年
10/05/27 13:25:00 mmrGQHcg
弱兵かどうかは置いておいて、相手に槍足軽に相当する兵科がなければ槍合わせなんて起こりえないわな。
そういう意味では確かに日本用と言える。

まあ、大陸に騎兵は多いみたいだから馬防ぎとして使える数があれば十分なんだろう。

610:人間七七四年
10/05/27 15:44:30 JAIYcyfQ
>>608
「ぼくのかんがえたちょうせんえき」のコピペ貼って何をいいたいんだ?w

611:人間七七四年
10/05/28 07:11:37 DdtfY5aK
朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。

日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、
太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。


かくて総勢四万余と推定される軍勢は、一夜、平安城(平壌城)に接近し、
警備の隙に乗じて石の城壁を突破し、
誰からも気づかれることなく、全軍は内部に侵入した。
彼らは城塞を攻撃するために、そこで戦列を整え、ついで突撃命令が下された。

アゴスチイノ(小西行長)と、部下の兵士たちはこの動静を察知すると、
突如飛び出し、全力を尽くして敵対した結果、彼らを城壁の外に放逐することができた。
城壁内部に残った300人余りの敵はすべて殺された。
日本軍は支那の指揮官を生け捕りにした後、なおも敵を追撃して多数を殺した。

ところで支那人たちは、日本人らが用いる武具は、
自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、
日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、
人々は信じることができなかった。
したがって真実を知る一部の者が、
例え支那軍は数の上で勝っていても、
日本軍と戦うことは不可能であると言っても、
これを聞こうとする者はいなかった。

「日本人は支那人よりも勇敢で、
武器ならびに戦術の点で優れており、
数々の面で支那軍の劣勢は疑えない。」

彼らの風習の多くは、我らのそれとはいとも大いにかけはなれ、
異風で隔たったものであり、かくも高き文化、いきいきとした才幹、
そして天賦の知性に恵まれた日本人と我々との間にこれほど
極端な対照が存在し得うるとはほとんど信じる気持ちにはなれぬほどである。
彼らの文化、風俗、習慣の多くの点で、スペイン人よりまさっている。

ルイス・フロイス

612:人間七七四年
10/05/28 12:01:18 l/+WRmnu
旧日本軍のイメージがバンザイ突撃なように、見た目インパクトが強さの本質ではない
…てな例はよくあることで……

つか文禄・慶長ともに日本軍が常勝だったわけじゃない
例えば晋州城やら幸州山城のように”朝鮮軍のみ”でも適切で優秀な指揮官がいれば撃退されてる
明軍との戦闘も、日本軍は力押しでいつも勝利していたわけではなく
碧蹄館なんて、相手の進出を誘っての側面攻撃や一斉銃撃後の騎馬突撃など
戦術的に優秀な指揮官の元での勝利が(自慢話として)記録されてる

当時の日本の武士の強さは、常に戦闘に晒されていた職業軍人という階層の性格による優秀な戦術指揮層の厚さ、と言うべきで、
装備武器(日本刀や槍云々)の違いに強さの根源を求めるのはどーなんでしょうね??

613:人間七七四年
10/05/28 16:40:32 DdtfY5aK
日本国民は勇敢で絶えず軍事訓練をしている。
したがって日本を征服しても益はないが、スペインが支那に進出するときのよい足場になるので、日本を重視する必要がある。
私が、ここで陛下に断言できることは、迅速に遠征するならば、支那を簡単に征服できるということである。
そして、このことを一層容易に運ぶには、支那の近くにいる日本人が、すすんでこれに加わると思えるのである。
日本人は、支那人に対して非常に効果的である。
バリニャーノ


614:人間七七四年
10/05/28 16:45:30 DdtfY5aK
此六十六箇國には多數の都市あり、廣大にして人口多く、淸潔にして秩序正しく、
欧洲に於て之と比較すべきものを發見すること困難なるべし。
而して陸路を行くこと二百レグワを超ゆるも人の居住せざる地一レグワを見ること稀なり。
家屋市街及び城郭は善美にして、これを過賞すること難し。
人民の數非常に多く、悉く國内に容るゝこと能はざるが如し。
人口二十萬の市多く、都の市は八十萬を超えたり。
此等の住民若しイスパニヤ土人の如く野蠻ならば恐るゝに足らざれども、
彼等は長銃を有し最も熟練せる兵士の如く巧妙に之を用ふ。
又弓、矢、鎗、及びカタナ(cathanas)と稱する劍及び短劍を有す。
而してイスパニヤ人と同じく勇敢なるのみならず
議論及び理解の能力に於ても之に劣ることなし。
ドン・ロドリゴ『日本見聞録』

615:人間七七四年
10/05/28 22:47:30 zPx+zJO2
朝鮮征伐はどうでも良くてただ単に日本凄いぜってやりたいだけなの?

616:人間七七四年
10/05/29 02:44:26 1u5JrPub
どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。
ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を殺した」と付言されている。

617:人間七七四年
10/05/29 03:48:41 SKK8dxmu
単に今のヨハネスブルクのギャングみたいな人間に関わるのがイヤだっただけでは??


618:人間七七四年
10/05/29 07:49:58 IAkSO+Kl
>>617
ヨハネスブルクのギャングってのは>>614みたいな人たちなの?

619:人間七七四年
10/05/29 22:48:24 SKK8dxmu
>>618
”ヤクザ”ってそういう感じじゃない?

現在のソマリランドとかイエメンとかと似た感じじゃないかな

620:人間七七四年
10/05/30 02:41:33 iclYPgF0
武士階級の食生活は、どの階級よりも質素である。
多くは菜食主義で、下は雑兵といわれる足軽から大名に至る迄、少食・粗食であった。
また着ている物も、普段は木綿の粗衣であったがヨーロッパ人に比べ暑さや寒さに強かった。

武士は戦いにおいて強靱振りを示した。
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。

騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、
脆弱な我々ヨーロッパ人と違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。

刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった。


621:人間七七四年
10/05/30 03:34:43 Ynvcjpui
さすがにその文章を書いた奴は無知だとしか言いようが無い

622:人間七七四年
10/05/30 08:13:05 FzsKkj4l
どこがどう無知なのか具体的に指摘しないと。

623:人間七七四年
10/05/30 11:41:50 LAIaoI61
いまさら貼った奴の方がよほど無知だと思うが。

624:人間七七四年
10/05/30 13:46:51 iclYPgF0
>>622
都合の悪い資料をあげられたが具体的に反論できないので
一行レスで煽るぐらいしかできない
その辺を察してあげよう

625:人間七七四年
10/05/30 23:46:29 R+Wuh6uQ
結局具体的な指摘なし

626: ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
10/05/31 01:00:26 Ku2x16Bx
  ∧_∧ 
 ∩#`Д´>/ ̄ ̄/ バン
 ( ミつ_// LG /   バン
  {二二} 三三}
    ̄ ̄ ̄ ̄"
   ↑
 何やらファビョる

    ジーッ
  ∧_∧ 
 <丶`Д´>/ ̄ ̄/ <………
 ( _つ_// LG /
  {二二} 三三}
    ̄ ̄ ̄ ̄"
   ↑
 カキコのレスを待つ


  ∧_∧ 
 <丶∩∩>/ ̄ ̄/ シク
 (  ノ ノ// LG /   シク
  {二二} 三三}
    ̄ ̄ ̄ ̄"
   ↑
 スルーされたらしい

627:人間七七四年
10/05/31 11:54:26 709n+Rm4
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。

豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。

歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。



628:人間七七四年
10/05/31 17:04:53 E2efiGDD
秀吉の政略眼は劣悪。
これだけは認めて欲しい。

629:人間七七四年
10/06/01 14:30:38 kW/GW7tW
価値観が違えば見方が違うのは当たり前。
たとえば日本人から見た自分達が理解しにくい宗教事情が絡んだ十字軍とか三十年戦争とかは、あっちから見たらおかしな記述がまかり通っているし。
日本人が心地よい見方しろ、というほうがむしろ異常。

630:人間七七四年
10/06/02 05:03:33 MjPi7Gq4
支那朝鮮人が心地よい見方しろというのも異常

631:人間七七四年
10/06/02 14:02:08 ODFRipjU
失敗した侵略が第三者から好意的に見られるわけねーだろw
元寇で元側を賛美されたら日本人が微妙になるようなもんだ。

632:人間七七四年
10/06/05 10:56:49 EjXY99qO
>>631
まぁでも日本人は元寇のことで「モンゴル人は猛省しろ!」とか「これだからモンゴル人は」
とか言わないよね。

だって何百年も昔のことだもん。

633:人間七七四年
10/06/05 14:32:50 hwOgwjQP
【豊臣秀吉】朝鮮戦争と唐入り【ニクソン】

ニクソン氏「朝鮮戦争は日本に関する戦争」、米資料
 ニクソン元米大統領が、1950年に起こった朝鮮戦争への米国参戦の決定は、
韓国というよりは日本の共産化阻止に目的があるという認識を持っていたことが、
米政府の資料から分かった。
URLリンク(japanese.yonhapnews.co.kr)

こう書きかえると確かに似てくる

秀吉氏「唐入りは日本に関する戦争」、スペイン資料
 豊臣秀吉元関白が、1592年に起こった文禄慶長の役への日本参戦の決定は、
明朝鮮というよりは日本への西欧からの侵略阻止に目的があるという認識を持っていたことが、
スペインの資料から分かった。

634:人間七七四年
10/06/08 22:01:51 xLtfQm4B
子供手当法という画期的な良法を打ち立てた鳩山氏を批判した倭愚は救い難い。
鳩山氏はこう述べられた。
「私は、日本は、日本人だけの国だとは考えていません。」
嗚呼、友愛!
おお、アムニダ。

635:人間七七四年
10/06/09 16:25:06 OQe27dKv
フィリピン・イエズス会のフロンソ・サンチェスがスペイン国王に書き送った武力征服計画の中には、シナ人と日本人とに関するこんな興味深いかつ不埓千万な逸話も語られている。

 ◆日本に援軍を期待

「支那人は自国の夥しい人口に自信を持っており、
スペイン人が征服する、というと嘲笑して、仮令身を守るべき武器はなくても、
死体で城壁を築き、何人も通さないように出来る、などと語っている。
尤もこの野蛮人共は、スペイン人というものを知らず、
スペインの僅かな鉄砲隊でも、
何百万人もの支那人を滅ぼすのに充分だということを知らない」

「先年僅か十三人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、
二、三〇〇〇人以上の支那人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、
彼らはその堅い壁に出口を作り、そこから脱出するや、
直ちに多数の支那人を殺してしまった。
支那人は彼らを一昼夜にわたり包囲しながらも攻撃を加えることが出来ず、
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、それに乗って逃げてしまった」
(高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』より)。

 憶病な支那人を征服するのに勇敢な日本人を利用すれば、日本人は進んでスペイン国王陛下のために働き、大いに陛下の費用を省くことができるだろう、というのである。

 高瀬氏の緻密な書簡分析によると、
スペイン側は勝手に日本の援軍をあてにしていたのではなく、
日本側からも、平戸の松浦氏、あるいは小西行長等のキリシタン大名から、
必要な際には軍隊を提供する用意がある旨の意志表示が行われていたと推定される証言が発見されているのである。

 フランシスコ・ザビエルが一五四九年に渡日して以来、
大略四十年間は順調に布教活動を広げてきた日本のキリスト教界は、
一五八七年に大きな壁にぶつかる。
秀吉がいわゆる伴天連(バテレン)追放令を発布し、
代表的なキリシタン大名高山右近を改易(かいえき)処分に付したからである。
秀吉が何をどこまで知っていたかは分からない。
しかし、布教に名を隠した西欧人の野望に気がつき、賢明にもいち早く手を打ったことだけはまず間違いない。


636:人間七七四年
10/06/25 11:07:41 KnwbWjiD
>>633
知障かよ
>『共産主義者の立場では朝鮮戦争は韓国ではなく日本に関するもののため、米国は必ず参戦すべき』
に近い史料は皆無だろ。

>スペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
おまえの妄想だろ。

637:人間七七四年
10/06/27 05:24:22 pUUmhJId
もともと明を征服する気だったのはスペイン
(まあ台所事情で実際するかどうかは内部でももめてたようだが当然日本はそれを知らない)のはずなんだが
後乗りしてきた秀吉に怒りをぶつけるどころか、すごすごと引き下がった

もし明がスペインに取られちゃったとしたら日本海のすぐ向こう側に西欧列強の前線基地ができちゃうことになる。
さすがにそれだと武士がどんなに精強ったってヤバい
数だけが頼りの烏合の衆が広大な緩衝材として間に入ってくれてた方が日本には都合がいい
西欧のアジア浸食を喰いとめた一因となったってだけでも秀吉には感謝したいね

638:人間七七四年
10/06/28 00:43:19 S9wgtgOU
日本側の勝利条件がよくわからないからなー。
口実を見ると達成したと見ていいかもしれないが。米国の空爆みたいな。

明・朝鮮 判定勝利:日本 撤退   こうするとうまくまとまると思うけどね。

さすがに元寇では京都まで落とされなかったわけだし。
あとコピペ厨は帰れ。迷惑だ。


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