08/10/06 15:26:03 DEry1RdN
合戦があったかなかったかの問題は一旦棚上げさせてもらうとして
果たして織田の大軍なるものが天正六年の加賀に存在し得たのかという基本的疑問が生ずる
ときには数万などと四方が敵の戦況で留守居の兵を残さず織田全軍を集結したみたいな
途方もない兵力がその時加賀に集結したとは到底想定しづらい
柴田勝家は越前の三分の二を所領としていたが、兵農分離は進んでいたとはいえ
恐らく最大でも動員兵力は一万弱がいいとこ
前田、金森ら与力が合力したところで一万数千
それからまだ一向衆がうろつく越前・加賀南部に留守居として三千は残さねばなるまい
他の戦況を考みれば秀吉を除く明智、滝川ら遊撃軍も一万に満たないだろう
従って柴田軍が加賀へ入った兵力は推定二万弱
かつて加賀制圧を命じられ失敗した簗田広正は一万の兵だから妥当な戦力
それに勝家は越前の民政にも力入れていたため兵を余計に集められる財的余裕があったかも疑問
逆に兵農分離されていない上杉側は他正面が安定していたため
農閑期の根こ削ぎ動員が可能で兵力が必要な攻城戦も想定していたから
恐らく柴田軍より兵力が上回っていたのではないだろうか
これは織田、上杉双方に加担しない中立の立場からの意見だが
長レス申し訳ありません
201:人間七七四年
08/10/06 16:13:09 pN1AzdJ0
>>200
寡兵で敵地然たる加賀を進んで、
信玄と並ぶ名将相手の決戦をさせて、
信長は、謙信に勝ち戦の手柄を立てさせたいと?
さすがにそれはないだろう。
202:人間七七四年
08/10/06 16:17:35 412mrqNz
>>199
その要約無理があるなw
自分は引きこもってた殻をやっと破って進出した織田厨達ちょっと評価してるが。
いままで武田厨ばかり叩いてて自己満してた織田厨達は社会の厳しさを知った高校生に似てる。
(心の中だけで「自分はできる人間なんだ!」と言ってていざ社会にでたらたいした事なかった高校生にw)
203:人間七七四年
08/10/06 16:20:40 D+zVpZ66
>>202
巣に帰れ武田厨スレ違いでウザいんだよ
204:人間七七四年
08/10/06 17:05:33 412mrqNz
>>203
上杉厨だったら素直に謝る。
織田厨だったら
「スレ違いでうざい」←どう見ても言い訳。
じゃなくて
「悔しくてムカツク」
だろ?www
205:人間七七四年
08/10/06 17:06:04 DEry1RdN
>>201
七尾城の後詰めが柴田勝家の目的ならば城中の畠山・長軍と合力すれば
地の利もあり例え多少なりとも柴田側が寡兵であっても問題無しと思われる
織田信長は天正四年に天王寺砦に自ら僅か三千の兵を率い
雑賀鉄砲衆も含む本願寺勢二~三万の重囲を突破、後詰めに成功
光秀ら天王寺砦の守兵を救出しているからね
206:人間七七四年
08/10/06 17:15:29 t0OTtd2R
>>200
光秀は不参加でしょ
この時は柴田ら越前衆の大半に
若狭+佐和山の丹羽に北伊勢5郡?の滝川
西美濃3人衆と斎藤
それに当初は羽柴の着た近江郡
滝川丹羽羽柴らは10万~20万石ほど有しているし、西美濃3人衆と斎藤も美濃衆の中では大勢力
もう少し多いんじゃないかと
>>201
一応最初は後詰として信長信忠もあとから加わる予定だったんじゃ、
松永を警戒して出陣取りやめになったらしいが。
207:人間七七四年
08/10/06 18:22:20 wnm+7aWy
参加者
柴田、佐々、前田、不破、原、金森、丹羽、滝川、西美濃衆、武藤、羽柴、斎藤らが従軍。(羽柴秀吉は戦線離脱)
208:人間七七四年
08/10/06 18:31:38 09pjmNz2
>>200
果たして織田の大軍なるものが天正六年の加賀に存在し得たのかという
基本的疑問
おいおいそれはお前ら信長信者が歴代古案より信憑性が高いとほざいてる信長公記
や勝家の書状に載ってるんだぞ、もしかして謙信の書状に織田軍4万とか書いてるとでも思てんの。
それに天正六年に信長が大軍送ったてどの書物に書いてあるんだよ、まさか釣りとか言わないよな。
>>136
戦国時代の越後が三島暦使てたなんて聞いたこと無いぞ、もしそれが本当なら手取川の戦いの有無より大発見
じゃないか。
209:人間七七四年
08/10/06 18:34:32 DEry1RdN
>>206
まず言っておかなければいけないのは
織田の最大版図における兵農分離された全軍最大動員兵力の上限が六万といわれている
無論、浪人衆を召し抱える、又農民を動員するという裏技で暈増しは可能であるし
実際、行われた
例を挙げれば信孝の四国遠征軍の編成
信孝はたかだか二郡の所領しかなく自前の兵だけでは編成できない
伊賀、南近江の他国衆、雑賀衆までも動員しても足りず、上記のように
多数の浪人衆を召し抱え、十五から六十歳までの名主・百姓まで動員して
やっと一万五千の軍を編成できた
後者などは教練すら受けていないので戦力外になるのはわかりきっているが
案の定、本能寺後に自前の兵以外は四散した
もともと三好勢頼りの軍だからだろう
しかし上杉側の農民兵のなかには半農半武士の土豪が多い
上杉家軍役帳から察するに農閑期には上杉家中の専業武士の四倍をこれら土豪衆を動員できる
それはさておきとにかく天正六年の時点では信長側は四方に敵がおり
さらに一向衆の策動や武将の謀反に備えるための予備兵力や留守居は絶対残置せねばならない
従って所領の全動員数=遠征軍兵力になり得ない
あくまで信孝の場合は一門衆ということで信長が特別に遇したに過ぎない
210:人間七七四年
08/10/06 18:43:25 09pjmNz2
だから天正六年てなんなんだよ。
211:人間七七四年
08/10/06 18:51:27 wnm+7aWy
何かに憑依されて言われるがままに書いたんだろう。
212:人間七七四年
08/10/06 19:06:42 pN1AzdJ0
小数の兵を重臣に預けて大敵に当てるなんて織田らしくないね。
じゃあ、兵を分散しすぎてまともな決戦軍を動員できない織田は、
謙信が急死しなければ相当やばかったわけじゃん。
213:人間七七四年
08/10/06 19:39:54 4l6pWVYt
>>212
七尾城がどのように謙信の手に落ちたかを考えれば一概にはそう言えない
214:人間七七四年
08/10/06 19:47:09 ThSNpDcX
疫病と謀略だっけ?いくら上杉でも堅城の七尾は力攻めはできないだろうし
織田としては後詰には十分間に合うと思ってたのかな
予想外に早く落城してなおかつ予想外に上杉軍が接近してきて大混乱して
逃げてる途中で溺れ死んだってのが妥当かな そりゃ謙信からすれば
勝手に崩壊してくれた織田を見れば なにこいつら?弱杉ねー?って
あきれたくもなる罠
215:人間七七四年
08/10/06 19:54:08 4l6pWVYt
>>214
「だっけ?」って…
上杉ファンなら普通に知ってる事を「だっけ?」って…
しかもまた煽るような文面…
なるほど
視察ですね
お疲れです(≧Д≦)ゞ
216:人間七七四年
08/10/06 20:03:06 sZ+mZnac
信長は死せず...、野望は世界に...。
国盗り学習ゲーム世界戦国編β版公開
URL : URLリンク(soresuta.jp)
217:人間七七四年
08/10/06 20:10:02 09pjmNz2
勝家が一向宗と遊んでないでさっさと七尾城向かえば間に合たかもしれないのに
そうしなかったのは、謙信との対決をスルーしたかったためだろ。
後顧の憂いを掃うとか言い訳して時間稼ぎのアリバイ工作をえいえんやってたんだろ
手取川を越えてからも松任城攻めるとか言てるし間に合わす気毛頭ない。
218:人間七七四年
08/10/06 23:07:41 rI+idZaf
それくらい松任城から金沢が厄介だったんでしょ
はじめから無理があるんだよ
この北陸一向宗のメッカを素通りして能登に到達するなんて作戦
向こうは百姓まで上杉に味方して緘口令を布いてるってのに
織田連合軍も水島でウロウロするしか仕様がないわな
219:人間七七四年
08/10/07 09:26:49 X2MssgJR
はじめから信長の戦略ミスがあったわけだね。
勝家は信長の失態を代わりに受けるハメになった。
気の毒といえば気の毒だ。
220:人間七七四年
08/10/07 11:45:04 QFJBpq8/
戦略ミスというのはどうかな?
遠隔地ではあるが友好勢力である畠山氏が(実際にはその家中で権力を握っていた長氏ではあるが)救援を求めてきた。
上杉勢は織田家にとっても敵性勢力である。
援軍を派遣することによって畠山氏を上杉勢から救うことが出来れば、一気に前線を進めることが出来る。
もっとも越前と能登の間の加賀を完全に支配下におけるわけではないけど。
逆に見過ごしてしまえば織田家自身の版図は減らないけど前線において加賀の一揆衆と上杉勢を同時に相手にしなければならなくなってしまう。
ここは厳しいけれど援軍を出すしかない。上手くいけばそれでよし。上手くいかなくてもそれでよし。
こんなところだろう。
221:人間七七四年
08/10/07 16:12:27 X2MssgJR
北陸を敵性勢力に制圧されるのは、
日露戦争みたいに朝鮮半島をロシアに取られるぐらいやばくない?
両者とも上手くいかなくてもそれでよし、と甘い事は考えてないと思う。
222:人間七七四年
08/10/07 18:11:12 +ql47xJG
織田が畠山のために大兵を向かわせたのは事実と見ていいのかな?
それに対し謙信が対陣もしくは迎撃を行ったということ?
どちらにしろ加賀南部から七尾までは遠すぎのようですが。
223:人間七七四年
08/10/07 18:23:34 Wyc7sYKc
加賀衆の手引きもあったのかもね。
織田もまさかこの速さでと見くびっていたのだろう。
秀吉の大返しなどは更に上を行くが。
224:人間七七四年
08/10/07 18:26:51 rc0uWhPQ
信長の立場から言って、あの時点で割けるだけの兵力を差し向けた訳だし、
精いっぱいの事をしたんだと思うよ。
兵力不足の代わりに、織田家が伸張する上で最も功績があった者達ばかり。
つまり織田家家中で選りすぐりの有能な武将を派遣している。
特に稲葉一鉄だが、
信長直属軍において信長の足下に特別配置されるほど、信頼されてる。
信長は稲葉の城にわざわざ立ち寄って、一鉄の歓迎を受けたり。
この時、稲葉親子が信長の前で舞を披露すると信長大喜び。
信長は佐久間が笛を吹くと激怒したのに、対応がまるで違う。
この信長が最も信頼し、手元に置きたがり、高く評価していた稲葉一鉄。
そんな彼に直属軍を預け、北陸に差し向けただけでも柴田らは恐縮しただろうね。
225:人間七七四年
08/10/07 19:22:26 rc0uWhPQ
>>222
信長が長の為に派遣したのは間違いないでしょ。
長は畠山義隆を毒殺したり、一向宗と繋がってる遊佐と対立したり
七尾城内は一枚岩じゃない。
徐々に孤立し始めた長続連はその息子・連龍を
第一次七尾包囲網が解かれた直後から、信長へ使者として送っている。
それに応えた信長が援軍を差し向けるという流れだし。
226:人間七七四年
08/10/08 21:54:56 qNyv1yGN
手取川の戦いてドリフ大爆笑でウエイターの中本工事(柴田勝家)が料理運んでいたらつまずいて
レストランごと破壊してしまうコントみたい。
長さん(謙信)だめだこりゃ。
227:人間七七四年
08/10/08 23:06:06 qeOLW4oX
謙信、信長共に加賀と能登を手に入れる重要な機会であったのは間違いない
手取川があったかどうかは正直どうでもいい。
北陸を巡る一連の戦略で信長が負けたのは事実だと俺は思うけど。
228:人間七七四年
08/10/08 23:27:08 XQ3UKTGB
雑賀合戦直後の信長の戦略の基本は対本願寺じゃないの?
北陸方面は現状維持(越前確保)で上出来だと思うけど。
229:人間七七四年
08/10/08 23:40:02 ghF7hfad
現状維持どころか本願寺と上杉の一体化を促進させて、
しかも相手側の増強を目の前で許しているのはさすがに看過してはいかんだろう。
柴田の出兵はその重要性を信長が理解していた証拠ではないかと。
230:人間七七四年
08/10/09 06:50:32 Yviihamk
>>229
本願寺はもうだいぶ弱ってきてて、これじゃダメだって事で上杉と講和。信長包囲網に上杉が加わったわけで、これは謙信の腹一つで動く事で信長としてはどうしょうもない事だし…
七尾の疫病に付いてもどうしょうもない事だし…
大きくなれば味方も増えるが敵も増える。
上杉に付いてはその増えた敵の部分であって、勝ち負けや、成功失敗で語る事ではないと思うよ
231:人間七七四年
08/10/09 07:27:41 8pUvAg9U
織田は軍勢を動かしておきながら利益なし。人材と資金と労力の無駄遣い。
そればかりか湊川で謙信に千人以上討ち取られて人馬も際限なく流されています。
これは紛れもなく失敗であり、敗北ではないでしょうか。
もっとも信長は天才ですから全てのことが想定内で、失敗や敗北ではないのでしょうけれど、
謙信の名声をあげさせる行為を自ら率先して働くのはどのような深謀遠慮があってのことか興味深いです。
232:人間七七四年
08/10/09 07:34:05 mDWig9oC
柴田の出兵が空振りで終わる一事だけでも利敵・自損かと。
233:人間七七四年
08/10/09 08:11:53 KbiBFo2X
柴田ら大軍を違う場所で有効に使った方がまだ戦果をあげられたが
派遣失敗で能登加賀が上杉領国化したんだから失策以外の何物でもない。
234:人間七七四年
08/10/09 08:21:24 Yviihamk
>>232
それを失うのをケチったら、もっと多くを失ってただろうね
235:人間七七四年
08/10/09 08:27:42 HWdX+NrO
秀吉の途中離脱もね
あまりにも厳しい状況ゆえに生じた意見衝突だったりして
勝家 「猿!わしらは北へ行く!!(上杉を威圧しつつ、金沢を焼く!)」
「お前はここに残って松任城を牽制せい!」
秀吉 「わしらの部隊だけじゃ到底無理だ!」
「一向宗に夜討ちをかけられたら全滅だ!せめてもう2隊残してくれ!」
勝家 「兵は割けん!」
秀吉 「柴田殿は死地にわしらを残し、見殺しにするおつもりか?!」
「無駄死にをするくらいなら・・・」
勝家 「勝手にせい!」
なんてな
236:人間七七四年
08/10/09 11:35:46 9W8+4vfN
>>231
宇宙最強の天才信長ですね わかります
237:人間七七四年
08/10/09 11:49:37 aYhdZ9bt
この頃の謙信の名声って凄かったんでしょ?義将ということで
小田原討伐に行った時は30万の兵が集まったとか
この分だと簡単に上洛出来るって、織田軍に勝たなくても解ってたんでしょう
238:人間七七四年
08/10/09 12:17:26 Yviihamk
>236と>237はたぶん同一人物による工作だから、ツッコミ無用
ねぇ君、上杉ファンも迷惑してるってさ
239:人間七七四年
08/10/10 10:05:54 zpearoh9
天正5年の上杉、織田の北陸攻防戦を見る限り
信長は並みの武将にしかみえない、どうみても七尾城手前の金沢御坊を
素通りできるとは思えない。
まだ加賀を占領して南下してくる上杉軍を迎撃したほうが勝てる可能性は高い様な気がする。
七尾城への援軍は家康以下信長に従う諸大名に向けたポ-ズだと思うが(自分は同盟者を
見捨てたりはしないといった)、本きで後詰めが成功すると思っていたとしたら、信長に対する
現代の評価はかなり下駄を履いてることのなる。
240:人間七七四年
08/10/10 10:28:58 qXvIsZGK
いや、いっぺんの失敗ぐらい誰にでもある。
信長の躍進振りは運だけとは言えないほど異常。
基本的な能力は評価すべきかと。
しかし謙信対策だけはお粗末だった。
長篠に勝利しただけで調子付いて謙信の存在を軽視して、
それまで謙信を経由していた東国武将との交流を独自に開始し、
敵愾心を煽った結果、この危機的な状況を招いた。
241:人間七七四年
08/10/10 10:35:53 lJF2DTln
時系列を自在に操るのなw
242:人間七七四年
08/10/10 10:36:52 i8W3UzNA
頼むから片方贔屓丸出しの妄想だけをID変えて延々たれ流すのは迷惑だからやめてくれやw
243:人間七七四年
08/10/10 11:04:17 Kib760e2
>>239
その通りじゃないか?
七尾救援が名目で実際は加賀に拠点を作り、できれば金沢攻略でないかな。
一向一揆の土地を一国丸々素通りは誰が見ても無謀。
越前ですらやっと平定できた程度なんだから。
上杉の南下は織田の想定以上の速さだったのかも。
244:人間七七四年
08/10/10 17:48:25 I6g2mH6j
信長が運だけとかは思わんが、考えれば考えるほど名将っぽくないよな。
245:人間七七四年
08/10/10 18:45:23 spYkGzRp
信長公記に載っていないから、手取川はなかった!
というご高説はもうさすがに聞かれなくなったね。
もとはといえばこの主張からはじまった議論なんだが。
信長公記が、当時の織田家に関わった事件のすべてを
完全に網羅していると断言するのは、学問ではなく信仰だと、
ようやく気づいたのかも知れないな。
246:人間七七四年
08/10/10 18:54:13 Kib760e2
手取川合戦自体はなんともいえないが織田の大軍が加賀へ向かい、
なんらかの理由で撤退したことは否定できない。
247:人間七七四年
08/10/10 19:29:18 iKkr5XUF
荷駄隊が予定より大幅に遅れたとかで、転進しただけの話しだろうが
248:人間七七四年
08/10/10 19:38:12 spYkGzRp
際限なく人馬を溺死させる転進とは、歴戦の勝家にしては見苦しい失敗をなされいますね。
249:人間七七四年
08/10/10 20:03:30 Kib760e2
史料が謙信の手紙ぐらいなんでなんともいえん
250:人間七七四年
08/10/10 21:31:14 SddR08fV
あの書状でなんともいえんと言い出したら、
歴史事件の大半が疑わしくなるぞ。
251:人間七七四年
08/10/10 21:35:34 Kib760e2
関係者はメチャクチャ多いはずなのに謙信の手紙しか残ってないってのがね
252:人間七七四年
08/10/10 22:17:02 bqt3/VhU
なんで本願寺が発給した北徴遺文の感状は無視されるの?
253:人間七七四年
08/10/10 22:17:47 iKkr5XUF
それほどの大敗をしたのなら、信長公記は秀吉時代にかかれたのであるから
宿敵柴田の大失策としてこき下ろすように書かすはずだろ?
なんで書かないんだ?
254:人間七七四年
08/10/10 22:34:26 0yyUNPRC
柴田じゃなくて信長の失態だからでは。
255:人間七七四年
08/10/10 22:38:42 iKkr5XUF
信長がそこにおって指揮を執っておれば信長の失態だが
采配をしたのは勝家であるから関係ない
現に信雄の伊賀攻めなんかボロカスではないか
信長公記も読んでないアホはすっこんでろ!!
256:人間七七四年
08/10/10 22:39:52 bqt3/VhU
>>253
信長公記の作者が、かつて柴田に仕えてたからでは?
勝家にも思い入れがある
でも案外、事の次第が北陸で握り潰されてたりして
加賀から都は遠いから
257:人間七七四年
08/10/10 22:57:32 0yyUNPRC
>>255
ああ、信長公記ぐらい読んでるし、手元にもあるし、ネットでも読めるぞよ。
ほれ、もともと信長が柴田を派遣したのが大間違いなのはこのスレッド見ればわかるでしょ。
うつけ扱いの信雄は敗戦より独断で動いたことを咎められているわけでしょ。
258:人間七七四年
08/10/10 23:01:33 0yyUNPRC
上杉謙信書状、北徴遺文の感状は一次史料で、手取川の合戦を色濃く示唆する。
信長公記は後世に書かれた政治的な思惑の入った文献で間違いや抜けが多い。
それでも信長公記に書いている書いてないというだけで意見をいうなら、
もう真実の探求じゃなくて信仰の探求だから、好きにして欲しい。
259:人間七七四年
08/10/10 23:07:44 Kib760e2
話どおりなら勝ち戦というか大勝利なんだからプロパガンダにいくらでも使えるのに、
上杉謙信ですら書状一枚というのが信じられん。
感状が残ってるからなんらかの戦いはあったと思うが軽めの戦でも感状は薄給されるしな。
石山本願寺は北陸一向一揆との繋がりは薄いのかもしれんがそれでもなんらかの情報は
得てるはずなのに記録が残ってないのはどうなんだろ。
顕如がなにかしらのプロパガンダに使うにはうってつけだと思うんだが。
260:人間七七四年
08/10/10 23:20:35 0yyUNPRC
信じられんといわれても一枚確かに残ってるし。
これを否定する根拠が一枚しかないというのがよくわからない。
合戦そのものを描写した記録がそうそういくつも発給された例はそんなにない。
ただ、合戦があったんだろうなという形跡はいくらでもある。
合戦当時の両軍は間近にあったとここでも何度か指摘がある。
北徴遺文もそうだし、信長公記でも勝家がその後も加賀の平定に手を焼いている。
翌年二月十日付の謙信書状(結城氏宛てか)でも
「まえに何度も申したように、能登・越中・加賀を思うように処理し」と書かれてある。
そしてその「何度も申した」の書状は消失されて未だ発見されていない。
決定的な証拠が一枚。そしてそれを裏付ける証拠が複数。
これを否定する理由がよくわからない。
結論ありきで否定しているような印象すら受けてしまう。
261:人間七七四年
08/10/10 23:24:26 bqt3/VhU
>>259
石山本願寺的には、そのまま謙信が加賀に残り
織田の大軍を引き付けてくれないと、あまり意味が無かったからでは?
でも謙信は合戦後すぐに能登へ帰っちゃった。
手取川より以前に雑賀攻めがあって、この際、石山本願寺が加賀朝日山だったかを攻め降した謙信に
今が上洛の絶好機だ~!と盛んに促してる。
でもその書状が謙信に届いた頃は、既に越後へ帰った後だった。
その結果、謙信が来ると聞かされ、期待した松永久秀が孤立してしまった。
こういった情報が行き届かなかった過去の苦い経験が、手取川の報に接した石山本願寺を慎重にさせていたのかもね。
下手に反織田勢力を煽って各個撃破されるより、しっかり見極めて煽動しようという戦略に変えた可能性だってある。
しかし現地へは下間頼廉を通して感状だけは出しておこうと。
262:人間七七四年
08/10/10 23:31:58 Kib760e2
>>260
上杉軍と織田軍になんらかの接触があったことは否定はしないよ。
ただいわゆる手取川の戦いレベルの戦闘があったかどうかということ。
加賀平定に手間取ることは一向一揆の勢力下にあった越前平定にすら手間取ったし、
上杉の勢力と一向一揆が結びついた以上は当然かなと思ってるけど。
263:人間七七四年
08/10/10 23:38:17 0yyUNPRC
>>262
ああ、その点なら同意です。
雨中の夜戦で慌しく逃亡する敵軍の数を上杉が正確に把握できるはずもないし、
百を千と、千を万と見間違える可能性も十分考えられるからね。
合戦の規模で正確な記録なんてないと思うし。
264:人間七七四年
08/10/10 23:54:39 sptZGLeC
加賀平定はそれ以前から一向に進んでいなかったから
手取川の有無に関わらず手を焼くと思う。
265:人間七七四年
08/10/11 11:55:58 XIKcZALj
>>247
どうあがいても、
世間は君が読んでいる軍記モノや君自身の希望的観測(げすのかんぐり)より
上杉謙信書状、北徴遺文の感状の方を重視する。
266:人間七七四年
08/10/12 01:56:52 TUmMB8Nu
下間の感状も何らかの戦闘があったことの証明にはなっても
「通説」の手取川の証明にはならないと思う。
267:人間七七四年
08/10/12 04:53:17 wcPhQcAs
傍証の史料として謙信書状の信憑性を保証・補完する価値がありますからね。
世間というより学界が手取川の実在を否定することはこれまでも今後もありえないでしょう。
規模については議論の余地を残すものの、
歴戦の謙信が敵の数を大きく見誤ることはないし、
書状通りの展開があったとするのが妥当かと。
ただし、全軍がぶつかりあったのでなく、
最後尾の殿が上杉軍の餌食になった。
これが真相ではないでしょうか。
268:人間七七四年
08/10/12 12:21:54 IongQIQr
>>267
>謙信書状の信憑性を保証・補完する
北徴遺文については俺もそう思うな
前後の出来事から言って、加賀衆が謙信に吸収されつつあるのは明らかだし
269:人間七七四年
08/10/12 12:30:35 wwRe/5IF
ここ見てると資料分析ってどういうものなのかわかるなあ。
ひとつの文献の裏を取るのにほかのあいまいな文献をつぶさに観察して、
総合的に結論を出す。そうすることで真実に到達していくわけだね。
結論は平凡な通説にたどり着いてるだけなのになぜかとても面白い。
270:人間七七四年
08/10/16 13:24:19 KFJZ3FYJ
史料が謙信の手紙しかない。
しかも日付のあった日以降の事まで書かれていたり、宛名等が後書きだったりとすごい怪しい面もある。
本当に織田に勝ったのなら、信玄が三方原で勝った時のようにもっと宣伝しそうなものだが。
信玄同様、信長を裏切ってかつての敵と組んだわけで、信用を得る材料があれば使うだろう。
271:人間七七四年
08/10/16 13:36:14 KFJZ3FYJ
>>268
実際には加賀の門徒宗は、最後まで本願寺からの指示で動いているんだが。
最後の和睦(実質織田への降伏)もそうだし。
謙信と門徒の関連は同盟者以上ではないだろう。
晩年の関東出陣動員簿といわれる書状には本願寺門徒の名前も書いてあるが、実際に動員できたかは未知。
272:人間七七四年
08/10/16 16:55:28 Ts4Jvoek
>>271
もう少し勉強しような。
軍役帳では加賀衆は動員名簿に名前だけじゃなく人数や装備まで規定されている。
完全に被官として支配されている証拠だ。
そして魚津の玉砕した武将に加賀衆の者がいる。
書状などで明らか。
>>270についても何度も反論されているんだから読み返しなさいな。
273:人間七七四年
08/10/16 17:40:36 HIB+eiRc
謙信についていったもの、本願寺に従ったもの、加賀に残ったもの、色々いるっていうだけだろ。
一括りで話をすすめてどうすんの?
274:人間七七四年
08/10/16 17:59:43 wluymRmr
簡単に言うと謙信に従った者もあればそうじゃない者もいる
織田が越中に入った後まで武田派一向宗の寺町が残っている状態です
この地域が大人しいのは常山記で言う残った柿崎氏が織田から馬貰って云々・・・の間だけ
この話も町名は現存するみたいですが信用度ゼロです
加賀は下間が本願寺の講和に追従しなかったので全部背いたように見えますが
その下間に背いた者も存在するのです
上杉の影響が強い時期は何をしていたのか不明ですが織田が入国した直後に
所領安堵されている者は織田軍と連絡を取り続けていたのでは?とも考えられています
本願寺上杉武田織田の入り乱れた地域は一言では表現できないと言いたいだけですがね
275:人間七七四年
08/10/17 16:06:57 1pdCr5kr
この流れなら富樫の事も語ってくれないか
276:人間七七四年
08/10/18 16:17:08 snUOqmUj
冨樫は手取川の戦いより前に事実上滅んでいるので却下w
277:人間七七四年
08/10/18 18:12:44 f+U+J+ja
でもたまに載てたりもするぞハンター×2
278:人間七七四年
08/10/18 23:24:08 oA9XpzQW
今ある史料じゃ決定打は出なさそうだな
俺は小競り合い説派だけど。
あと富樫仕事しろ
279:人間七七四年
08/10/19 02:48:48 s1tFMhzZ
諦めろw
280:人間七七四年
08/10/19 06:41:39 sBL6fXT8
永野に比べれば冨樫は十分仕事をしている。
281:人間七七四年
08/10/20 23:03:11 Pr6RVizE
松川といい上杉家は捏造ばかりだな
282:人間七七四年
08/10/21 01:37:46 Gi0F00Xt
戦略面では織田の敗けとは思うが…手取り川の戦いは無かったのでは?
能登加賀の織田派が弱かったって事じゃないかな?
283:人間七七四年
08/10/21 02:42:42 7g0ofrGM
上杉は馬鹿強くいて欲しいもんだがなー…
284:人間七七四年
08/10/21 06:13:27 8fDvAR5/
ログ読めばどう見ても状況が「ある」と示しているとわかるんだけれど、
ただの思いつきでいつまでも「ない」と繰り返されていくね。
285:人間七七四年
08/10/21 06:38:36 mjS59oSJ
手取川で何らかの戦いはあったが、謙信が喧伝するほど大して華々しいものではなかったってところが真相だろうな。
286:人間七七四年
08/10/21 07:31:38 867HZEQd
確かに謙信の書状は誇張っぽい部分も有る。
けど、本願寺が発給した感状とも重なってるような気もする。
まず諸軍を先手として差し向けました~
その後、私自身も馬で向かいました~
夜中に敵勢は敗走していました~らへん。
謙信が着陣する以前
織田軍は真夜中に敗走していたという意味でしょ。
それが本願寺の感状↓
『今度夜討之刻、首討捕高名之旨、具遂披露候。』の部分っぽいし。
その内容と、謙信の書状↓
『夜中ニ令敗北候処』とが合致してる。
287:人間七七四年
08/10/21 07:37:47 G2KqCyaM
謙信は川中島の戦いで8000人を討ち取ったと喧伝した。
つまり1000人余りを討ち取ったと喧伝する手取川の戦いは…そういうことだ。
288:人間七七四年
08/10/21 09:27:35 8fDvAR5/
そういうところだろうね。
でも川中島8000人討ち取りは謙信本人が言ったんだっけ?
近衛が伝聞で書いたんだと思うが。
289:人間七七四年
08/10/21 12:30:51 O+3dj5nH
史実の勝者は英傑の信長&伊達>>>>>ガチホモ上杉捏造史観
290:人間七七四年
08/10/21 13:14:54 TTV4XuHY
信長は姉川の戦いで浅井、朝倉を討ち滅ぼしたと喧伝した。
つまり手取川の戦いは無かったと言ってる奴は…そういうことだ。
291:人間七七四年
08/10/21 19:06:01 6McmTclF
>>287
川中島の謙信は「兇徒を数多討取り年来の本願を遂げ、満足」くらいしか言ってないだろ
で、この内容は嘘じゃない
「川中島で八千人討取った」なんて近衛関係の書状でも聞いた事ないぞ
「謙信麾下八千人」ならよく耳にするけど、それは越後軍の兵力だし
謙信に限って言えば、戦果を誇大に喧伝してる書状はあまり無いと思う
例えば
信玄は私を避けて戦おうとしない。
自分が到着すると氏政は去った後でした・・・残念。
私が遅れてしまった為に佐野さん一人で戦わせてしまい、面目ない。などなど
戦ってない時は戦ってないと、結構正直に書き送る傾向がある
そんな謙信が手取川だと
(この味方有利な追撃は)長年神仏を拝んできた賜物だ!
とまで高揚した内容を書き送ってる
これは珍しい
292:人間七七四年
08/10/21 19:20:30 G2KqCyaM
今度於信州表、対晴信遂一戦、被得大利、八千余被討捕候事、珎重之大慶候、
雖不珎義候、自身被及太刀打段、無比類次第、天下之名誉候、
293:人間七七四年
08/10/21 19:46:56 R4SlrK7A
当時の「討ち取り」は必ずしも「死傷させた」ではないな。
「その人数に勝利した」と読み取るのが普通。
294:人間七七四年
08/10/21 20:02:47 R4SlrK7A
>>292
近衛の書状は、やっぱ謙信本人から聞いた感じじゃないね。
わざわざ戦果報告をオウム返しするわけないし、
独自の情報源から仕入れた話を告げて、
「こんなに頑張ったんだよね?」とはしゃいでいるんだろう。
295:人間七七四年
08/10/21 20:16:41 G2KqCyaM
>>293-294
そうだね、じゃあ手取川の「千余人討捕」も1000人ばかりの織田軍に勝ったということなんだろう。
近衛の書状の解釈は色々出来るだろうが、私は上越市史の概説などで
「政虎は近衛前久に「自身太刀に及んだ」と伝えた」と解釈されているように
情報の発信源は謙信だとするのが自然だと思う。
296:人間七七四年
08/10/21 20:36:34 R4SlrK7A
織田は逃げ遅れたわずか千人(ちっともわずかじゃないけど)ほどの人数が敗退した。
これが真実だと思う。
近衛書状は上杉家年表などでも謙信が情報源みたいな扱いだが、
その話はあまり信頼できないね。
近衛は軽率な気質だから、不確かな情報を鵜呑みにしている可能性が高い。
297:人間七七四年
08/10/21 20:40:26 Kxttyb9e
末広がりだろ。
千代に八千代にって
まつり枕詞だろ
298:人間七七四年
08/10/21 23:49:04 5GOc4rB/
>>293
おいおい。俺は手取川はあったと思うし織田勢の敗北とも思うが
その解釈は無理があると思うぞ。
その理屈でいうなら信玄も川中島の後で「敵3千人余討取」とか書状出してるが
上杉勢が3千だったとはならないだろう。
他にも3方ヶ原でも「敵千余討取」と書いてるし
三増峠では6、7千の敵が来たので一戦に及んだと述べた後で「2千余討取」と書いてる。
やっぱりこの討取は敵被害を表していると見るのが自然では。
299:人間七七四年
08/10/22 01:38:35 6xwUNTZG
言葉の解釈はそれでいいとおもうけど、実際にそれでもって八千の死傷者・捕虜が出たとするのはやっぱり無理があると思うな。
そんな歴史的大敗の記録がこの程度しか残っていないのはどう考えてもおかしい。
もしそうだとしたら、謙信とその取り巻きには情報戦略を欠片も知らないアフォばかりということになってしまう。
300:人間七七四年
08/10/22 02:39:57 oCYg0y9A
基本的に戦果を報告した文書は、正確に数えたわけでもないし
スタンスとしては「俺勝った、俺らマジ強い」というアピールが
目的なので、討ち取り数にそこまで拘る必要は無いと思うな
301:人間七七四年
08/10/22 15:04:07 iNau9XRI
どこかで(まあ手取川の近辺だろう)で謙信自身が陣頭指揮をして織田勢を蹴散らしたのは事実だろう。
ただし書状ほどの合戦ではなく小規模のもので織田勢の被害は部将、侍大将級の被害が残っていないどころか、
合戦そのものの記録も無いなど衝突があったことさえ疑われるものではある。
しかしその後の上杉と加賀一向一揆の結びつき、織田軍の加賀平定戦の進捗、
そして小規模の争いでさしたる被害がなければ記録に残らないのは当然ということを考えれば
なにかしらの衝突があった可能性を推測すること自体はおかしくない。
謙信自身は総大将であり外交面でも喧伝する必要があったので手取川の勝利を大きく書いた。
ただし謙信自身もさほどの勝利と思ってなかったのでさほど乱発、喧伝しなかったために書状が一通しか残らなかったと。
またその後も織田と上杉・一向一揆連合軍は小競り合いを繰り返してるので北徴遺文はそっちの可能性もある。
こんなところでないかい。
302:人間七七四年
08/10/22 16:21:28 9QnF6oJN
301にほぼ同意なんだが、謙信の書状に誇張と呼ぶほどの描写は実はないね。
生々しい有様をしっかりと記し、数万のうち千人を討ち取ったとは書いてるけれど、
おそらく謙信の視界には数万の織田が撤退するのが望見でき、
逃げ遅れたか置き去りにされた小部隊の殿軍が上杉軍の餌食になったと見ることが出来る。
303:人間七七四年
08/10/24 14:03:33 uK0CzgWo
謙信が逃げる織田勢を確認するくらいなら先方は完全にガチで戦っているかと
そんな状態で織田が背水の陣なら長篠合戦のごとく壊滅してるわ
304:人間七七四年
08/10/24 19:04:33 eTQAoRbT
逃げるのがもっと遅ければベッキ川みたいになってたろうね
305:人間七七四年
08/10/24 19:20:12 Oiq+Q+uW
>>303
でも実際戦わずして逃げているんだが
手取川が増水しててこれ以上の進撃はないと判断したから戦略的撤退をしたんだろう
306:人間七七四年
08/10/24 19:27:00 HgK3Jc/K
川幅がどのくらいあったか想像できないけど川挟んで睨みあったのかな
張り詰めた空気味わってみたい
307:人間七七四年
08/10/26 17:45:45 FAkw27ej
>>295
そもそも市史ってものは古い解釈のままだし。
近年、新しい史料が発見されたり、解釈や検証が行われた所で反映されないケースが多い。
軍記物も積極的に採り入れちゃってる物が多いしね。
それほど信用が置けるものじゃないよ。
>>294が言ってる通り、オウム返しにするのは不自然だって指摘は尤もだね。
関東に居る近衛に情報が達するまでに、伝言ゲームみたいになってる可能性だって十分有り得ること。
謙信自身による「八千人討取った」という近衛宛の書状が確認されない限り、
何とも言えないわな。
308:人間七七四年
08/11/29 07:57:41 b8LVBAkX
>>291
やたら愚痴っぽい書状が多いけどねw
読んでる相手も「分かった、分かった、いい加減しつこいよ・・・・・」って思ってたかも
309:人間七七四年
08/12/15 19:03:19 jxycTETq
歴代古案
江戸時代に米沢藩士による編纂だろ。。。。。。。。。。。。。。。
武家や公家の日記に載ってないのは。
310:人間七七四年
08/12/15 19:12:50 2Kzmj/l0
古案は幕府に提出した史料集。
口伝をまとめてみました~みたいな藩史とは性格が違う。
書状の内容からみて、信長自身が負けたわけじゃないし、
被害の少ない追撃なんだから、
日記に残らないのも無理はない。
311:人間七七四年
08/12/15 19:17:07 jxycTETq
手取川、松川、まだあるのか?上杉捏造戦史って?
312:人間七七四年
08/12/15 19:21:07 vO9vLUbJ
上杉家御年譜では松川の戦いは八月に起きたらしいw
ソースとして東国太平記や会津陣物語を持ち出す上杉厨ですが、
どっちが正しいんすか?ww
313:人間七七四年
08/12/15 19:30:08 jxycTETq
北越軍談が根拠史料か!!!!!!!!!!!!
おどれえたあああああああああああああああああああ
314:人間七七四年
08/12/15 21:41:45 a66KtXQV
上杉の捏造に周りはみんな迷惑してます
315:人間七七四年
08/12/18 23:12:29 ajN8Q1xf
独りよがりで必死な伊達厨さん
なかなか釣れませんね?
シカトされ非常にミジメな状況ですなw
316:人間七七四年
08/12/20 15:07:29 7q5ueuzS
手取川を否定しているのは2ちゃんだけだろ
否定してる学者は沢山いるの?
317:人間七七四年
08/12/20 15:28:16 oHRYip0q
学者で主張してるのは知らないな。
上杉謙信がよくわかる本レヴェルのものでライターが書いてる程度じゃね?
318:人間七七四年
08/12/22 15:38:50 0tITiDbo
>>317
矢田俊文は上杉研究では高い評価を得てるけど
手取川もちゃんと書いてる。
むしろ学者で真正面から手取川を否定してるヤツなんて聞いたことない。
319:人間七七四年
08/12/25 16:26:35 ItQ0EbRq
あの手紙の書き方だと、謙信は信長自身が出馬してると思ってるよね、
千や二千程度の軍勢を見ただけならそうは思わないよね?
戦闘に入る前に確認したのか、戦闘後かわからないけど、どこかで万単位を見てるはず、
よくわからんけど
320:人間七七四年
08/12/28 12:32:07 VLeScNoF
>>317
おまえバカだな。井上鋭夫もしらないのか。
321:317
08/12/28 13:16:01 QQbjy6DD
井上も「ある」としているんじゃないか?
明確に否定している証拠があるなら教えてくれ。
322:人間七七四年
08/12/28 13:46:18 STA4eTvi
重要なのは手取川を越えて謙信が追撃しなかったってことじゃないか?
明らかに川の向こうでは織田の待ち構えた陣形が出来上がっていたと仮定できる
そこにスキがあれば水量の増した川だとしても謙信なら渡るだろう
323:人間七七四年
08/12/28 14:48:32 QQbjy6DD
織田が人馬際限なく流れて溺れ死んだと謙信が書いてあるから、
とても渡れない状況だったのではないかね。
橋は切り下ろされていたか、もともとなかったか。
船だとしたら逃亡した連中が怖がって戻さなかったため、一隻もなかった。
要するに織田最後尾だけ見捨てられていたんでしょう。
324:人間七七四年
08/12/28 17:57:18 +Sg/7Pwo
そもそも、まともな学者の場合、バトルの内容を
云々というより、その戦いの結果、政治体制や勢力図が
どう変わったかを重視するからね。そして、その結果や残された
史料からバトルの内容を推察するわけで。
バトル<ウォーという扱い
325:人間七七四年
08/12/29 08:21:29 eGLAFXff
謙信にやる気がまだあるなら、織田勢が迎え打つ姿勢をみせようがみせまいが渡ったと思うな、
その時の気象条件は知らないけど、増水がずっと続くわけじゃ無いだろうし、
水位が減れば夜のうちとか、場所をかえるとか、いくらでも渡る方法はあるし、
渡れなくとも睨み合いはもっと長くなるでしょう、
要は謙信が
「もういんじゃね、」って思って帰れるぐらいの何かがあったって事じゃないかな
326:人間七七四年
08/12/29 12:03:31 4KoP68g0
>>321
井上鋭夫もある派だけど。著書によっては温度差があるね。
「上杉謙信」「謙信と信玄」では実際にあったと看做していて、
『霜は軍営に満ちて秋気清し~』の漢詩のみ頼山陽の添削で
元は後人の仮托としてるね。
「一向一揆の研究」でも夜戦自体はあったとしてるけど、謙信自身の
出馬があったのかは不明としている。この本が手取川の戦いついては
一番掘り下げてると思うから、まずはこれを読んでみるといいな。
ちと高い(古本市場でも1万5千円ぐらいする)けど。
327:326
08/12/29 13:08:52 4KoP68g0
逆に自分が知ってる「合戦はない」派というと、石林文吉氏ぐらいかな。
もっともこの人がどういう筋の研究者なのかよくわからないけど、
「加賀能登の合戦」という著書の著者略歴を見ると、新聞記者上がりの
市井の研究者らしい。なんかアンチにはこういう感じの人が多いね。
で、その本の一節では
引用>織田軍は、七尾城が陥落してしまっては、もはや救援に赴く意味がなくなったとして、
水島(松任市)から反転した。一方上杉方は、長らく待っていた織田との決戦がついに
やって来たとして、用意おさおさ怠らず、前夜は猿楽三番を催して戦勝の前祝とした。
ところが一夜明けて水島に進軍したところ、織田軍の姿は見えない。一同は織田軍の
腰抜けとさんざん嘲笑、残っていた数十人の雑人を斬り捨て、さらに越前丸岡にまで進んで
民家に放火して、それから越前へ引きあげて行った。>引用終了
と、まるで見ていたような内容になっている。これの出典は不明。
巻末の参考文献、史料にも目ぼしいものは無い。日置謙氏の著書などが文献として
挙げられてる。
あと謙信嫌いで「武田・真田・小林一茶」研究者の小林計一郎氏ですら手取川合戦はあった
としてるが、そもそもこの人の場合、信長自身が出馬していたと考えてるらしく(武田・上杉軍記)、
これもなんだかなぁという感じですな。
328:326=327
08/12/29 13:16:29 4KoP68g0
>それから越前へ引きあげて行った。>引用終了
越後へ引きあげて行った。の誤りのため訂正します。
329:人間七七四年
09/01/15 03:24:51 jzSChMPm
架空の合戦だろ、これ。
味方原の大敗が、信長公記に記述されているのに、手取り川がないのはおかしいだろ。
330:人間七七四年
09/01/15 09:04:43 OWB999qP
と、田舎の愚民が今日も吠える。
331:人間七七四年
09/01/15 10:40:49 zKdKNXw8
享禄4年(1531)10月には、閏5月に勃発した大小一揆の乱による加賀一向一揆の分裂に乗じて加賀国へと出陣、湊川(手取川)を越えて石川郡で一揆勢と戦ったが、敗れて兵を退いている。
朝倉宗滴の合戦とそっくりでは?????????
332:人間七七四年
09/01/16 01:13:08 uT3oSSxE
>>329
架空に決まってるだろ、江戸中期に米沢藩が傾きかけて編纂された藩の歴史書に、宛先・出所不明の書状の写し1通を書き写して「信長との合戦がありますた!」ってやった訳だ。
それ以前の対将軍家の対抗策で、紀州のバカ殿が越後マンセー(幕府が甲斐マンセーしてたから)して無理やり上杉最強伝説を作り上げた時に出てもねえんだぜ?
紀州のバカ殿の越後マンセーは凄まじかったんだから、これも史実から言えば可なり実情に曖昧な点が多い川中島の戦いを、戦国大勝負に変えてしまうくらいの力の入れよう。
その後紀州藩が天下を牛耳り(徳川7代で将軍家の血筋は途絶える。のみならず御三家すら事実上崩壊した)、上杉マンセーは学会でも主流となり甲州流軍学、越後流軍学の二大軍学になった。
そんな流れで学者連中が形成されたから明治、大正、昭和となり平成になっても嘘が真のままになってる。
333:人間七七四年
09/01/16 05:18:18 YuTGuhi8
>332は手取川があったらどうしても困るらしい。
書状が捏造かどうかは過去ログ読めば想像つくんだが。
歴代古案は上杉マンセーのために作られる種類のものではないし、
将軍に提出するものなので捏造などあれば幕閣から詰問が入る。
実際指摘があって苦しい言い訳をした史書のもある。
本文にも江戸時代に創作された文書にありがちな癖がまったくない。
現在確認できうる当時の動静との矛盾もないんだよ。
334:人間七七四年
09/01/16 08:46:49 xJvQ11Ix
当時の動静との矛盾が無い。
ここが重要なんだよな。
織田軍の北陸侵攻が停滞した原因を鑑みれば、手取川合戦が無い方が不自然。
まともな史家はそういうことを総合的に判断して戦闘があったと判断しているんだがな。
335:人間七七四年
09/01/16 09:17:28 GviyvV/G
否定する連中は信長公記を絶対間違いの無い史料みたいにいうけれど、
歴代古案より遥かにバイアスかかってるじゃんね。
336:人間七七四年
09/01/16 09:53:42 18r1mnlk
北陸侵攻が停滞した?どこが?
むしろ巷説言われるほどの大合戦と大損害の敗北があったのなら、織田家の
勢力圏がそれほど後退していないのが謎だ。手取川の後に謙信が越前まで
追撃したなんて創作もいいところだし。
合戦があったかどうかならあったかもと思えるが、巷説の手取川合戦があった
かどうかとなるとかなり疑わしい。
337:人間七七四年
09/01/16 09:56:17 b2wSmdWh
もしあったのなら総指揮をとった柴田はただではすまなかっただろう
本願寺との天王寺の戦いで惨敗戦死し、光秀らを窮地に追いやった原田直政の一族は戦の後、追放になった
重要な任が果たせなかった者は左遷する事が多いのが信長
もしほんとに合戦とやらがあったなら直ぐに越前国主の首はすげ替えられただろう
もともと七尾城救出が目的であり、城陥落の間者からの報があり撤収した
それなのに上杉方が既に手取川まで出張っているなんて時間と距離、行軍態形から戦闘態形への展開など考慮するとおかしすぎる
もし上杉方が手取川に接近していたのなら先程の間者も七尾城陥落だけでなく、上杉方が接近していることも報ずるだろう
間者の方が重武装した兵団よりは断然早いから柴田側だってたやすく迎撃態勢に入れたはずだ
338:人間七七四年
09/01/16 10:18:41 GviyvV/G
上杉軍は能登を制圧し援軍を駆逐することで地盤を固めた。
これにより目的は充分に達成しているのだから織田の本領まで食い入る必要はない。
手取川が増水して渡ろうとすると溺れ死ぬ有様だったから追撃も最小限にとどまっている。
織田にしても能登の救援に間に合わなかったのだから早々に退却するのが当然。
状況から見て柴田は迎撃の指揮じゃなくて撤退の指揮をとったのだろう。
信長に独断で無用な迎撃を試みて大破すればそれこそ信長が激怒する。
柴田の状況判断が的確だったから謙信から致命的なダメージを受けずに戦力を温存できたと見るべき。
手取川で血が流れた事実を否定するより柴田の見事な撤退を褒めるべきだろう。
339:人間七七四年
09/01/16 10:20:49 Kw4H9uhu
上杉の間者のほうも織田の接近を知っていたわけだろうから
それも織田よりも早く そんで足の速い騎兵だけ先行させて撤退している織田を急襲
後から追いついてきた上杉本隊が織田の後備をフルボッコ そんな感じじゃまいか
340:人間七七四年
09/01/16 10:53:35 EH/znEtO
手取川合戦があったとされる日の前後日の記録とかはないの?
341:人間七七四年
09/01/16 12:00:00 f62z7iqx
越前の勢力がこの戦いの後で一部上杉になびいたのは事実なんんだよな。
戦いがあったのは事実とみるべきだろう。
342:人間七七四年
09/01/16 12:45:13 XWEZBeea
>>341
合戦自体が無くとも上杉が能登まで出てきたらそれと呼応するものが元気付くことはあり得るんじゃない?
343:人間七七四年
09/01/16 13:03:19 f62z7iqx
越中や能登はともかく、
一応織田領であるあの当時の越前までなびいたのは
やっぱりある程度の宣伝材料がないと変じゃないかな。
344:人間七七四年
09/01/16 17:24:12 boRX/egh
>>340
ない。
信長公記の8月8日の手取川越境の焼き討ちを、上杉信者がムリヤリ、
9月23日の合戦に結びつけた。
織田軍の勝利を、上杉の勝利に摩り替えた。
北越軍談、北越太平記など、江戸時代初期に、手取川合戦の記述はない。
手取川合戦を語り出したのは、米沢藩主の上杉。
345:人間七七四年
09/01/16 18:34:07 YuTGuhi8
この人は手取川での流血があると困るんですかね…。
江戸当時人気のなかった武将相手に勝利を捏造?
幕府からのお咎め覚悟でやる意味あるのかなあ、それ。
状況としては圧倒的に上杉が勝利なんだが織田が勝利とする根拠は?
そして謙信書状写を偽書扱いするなら、
あやふやな動機よりも史料矛盾をしっかりと突いてくださいよ。
それとも信長公記は漏れのない絶対完璧かつ公平な史料なの?
346:人間七七四年
09/01/16 18:49:47 18r1mnlk
>>345
絶対完璧とは言わないが、(たしか)「天正五年以降の記録はほぼ完璧」という
評価すら研究者からは受けている。
地方で小部隊と小部隊が小競り合いをしました、ってのならともかく、当時の
大大名同士が万を越す軍隊で激突した(一方は重臣で、もう一方は大名本人が参加)
大合戦が記録にすら無いというのでは、疑念がさしはさまれて当然だと思う。
問題なのは、織田家側の史料どころか、毛利や武田や将軍に本願寺といった、
織田家と敵対している側にすら記録がないというのがさらに倍率ドン。
それほどの大勝利を収めていたのなら、謙信は当然同盟勢力に伝えて然るべきで、
伝え聞いた同盟者もやはり味方や世間に宣伝して士気を鼓舞しようとするのが
この時代の当然。そういった類例は枚挙に暇が無いほどアル。中にはそれほどの
勝利でないものも、政治戦略の一環で「当方大勝利!」なんて宣伝を行ったりも
する(川中島では武田上杉双方が周囲に勝利の手紙を伝えている)。
その痕跡が一切無い。
これで疑問を感じるなという方が無理がある。
347:人間七七四年
09/01/16 19:05:33 f62z7iqx
>>「天正五年以降の記録はほぼ完璧」
そんなバカな。熊見川の敗戦とか書いてないし、
前田利家の一揆虐殺とか瓦に書かれてかろうじて後世に伝えられたものでは。
誰がそんな事言ってるの?
348:人間七七四年
09/01/16 19:25:00 YuTGuhi8
手取川がないと言い張る人ほどこの合戦を誇大評価してるよね。
柴田が置き去りにした殿を謙信がぶっつぶして、
おかげで織田軍主力は無傷という小競り合いでしょ、これ。
少なくとも謙信書状はそういう内容。
長年西を目指しようやく織田に一撃を加えた感動が読み取れるけれど、
川中島みたいな決戦じゃないから謙信も自覚していて吹聴しなかった。
ただそれだけ。
それがなんでわざわざ万軍の決戦に捏造して、しかも軍の接触がなかった事にしたがるの?
これっぽっちでも最盛期の織田がダメージを受けるのを認めたくないのか、
とにかく上杉をネガキャンしたいのかよくわからない。
349:人間七七四年
09/01/16 19:26:19 YuTGuhi8
>>347
これはもう織田信者に見せ掛けたアンチ織田かもわからんね。
350:人間七七四年
09/01/17 00:53:18 v6f3I5Wc
>熊見川の敗戦
ああ、手取川に匹敵する捏造疑惑の合戦ですね。
これも構造は同じで、撤退中に殿に被害が出た、くらいの合戦を、地方誌が
地元礼賛のために侵略者側に大損害を与えたと戦果を過大に過大を重ねて
大勝利に仕立て上げた講談の類の記事。
毛利家(に組する郷土史家)には他にも、六万の後の天下人秀吉が二万の吉川
元春にビビって逃げたとかいう捏造合戦地元マンセーがありましたね。
実際は兵数の時点でまずありえないし、元春はこの合戦に参加していないし、
むしろ吉川軍は攻めていた城も落とせず逆に救援に向った城を秀吉に落とされ
なんの戦果もなく撤退したというのが実情なのに。
351:人間七七四年
09/01/17 01:12:47 tqjeHEtN
信長公記に乗ってなくて
織田に都合の悪い事は全部捏造ですか。
太田牛一1人が織田家の事柄すべてを網羅できるわけもなく
後年に秀吉に仕えてる事や本人の織田家礼讃志向からしても
公記には多分に手心が入ってる事は明らかなのに。
志賀の陣での記事も朝倉から和議を求めた事にしたり(実際は織田から求めた)、
堅田での坂井の敗死を書かなかったり(当時の公卿の記録からも戦死は明らか。)、
織田に都合のいい脚色が多分に入ってる。
352:人間七七四年
09/01/17 02:36:23 v6f3I5Wc
>>351
「都合のいいように記録する」ことと、「記録自体が無い」のは全く別なのだが。
それと記録がないのは信長公記だけの問題ではない、と言っているのに、公記の
ことだけを取り出してそにれだけ批判を加えてさも自説が正しいかのように印象
操作をするのは議論としては卑劣な行為ですね。
>織田に都合のいい脚色が多分に入ってる
「織田のものではない史料にも当然、都合のいい脚色が多分に入っている」
そういう当たり前の想像力も働きませんか?
織田の史料は都合のいい脚色・捏造で、反織田の史料なら全ての記述が正しい。
こんな認識がどれほどおかしく、ダブスタに満ちているかも気付けませんか?
353:人間七七四年
09/01/17 02:40:21 tqjeHEtN
>>352
馬鹿らしい。
毛利側にも上杉側にもしっかり記録は残ってるのに
あんたは信長公記にない、という極めて主観的な理由で
なかったと主張してる。
それがダブスタ以前におかしいといってるんだけど。
太田牛一の書いた後で書かれた意図や脚色の入った2次資料と
同時代資料である書状にある織田の敗戦はどう見ても
同時代資料が優先されるだけの話なんだけど?
いい加減無意味にダブスタというのやめたら?
全然あてはまってないから。
354:人間七七四年
09/01/17 02:41:22 v6f3I5Wc
ああ途中で送信してしまった。
>太田牛一1人が織田家の事柄すべてを網羅できるわけもなく
その通り、牛一は所詮親衛隊の一員程度の身分。内部事情や信長の私生活など、
知りえないことはいくらもあったでしょう。
しかし、ことは何万もの軍勢がぶつかりあったという世間に表立って行われた
事件です。そして巷説に従えば、大損害を受けた敗戦だと。そんな大事件の
記録が当時の織田家の人間が知りえなかったと考える方が無理があります。
同時に、織田家の他の人間、織田家に味方するもの、敵対するもの、寺社や
公家や商人などの第三者も知らず、記録にも残さなかったなどと?
355:人間七七四年
09/01/17 02:47:38 tqjeHEtN
>>354
謙信書状でも被害千余りなんだけど。
数万単位の戦いでこれってそこまで大損害か?
どっちにしろ北陸戦線では前田の一揆虐殺とか太田が知らないように、
北陸の事情はかなり太田は疎いけど。上杉や一揆との戦いだってかなり
端折られてるし。第一無断秀吉が撤退した事で敗北したとあれば
後で秀吉に仕えた太田としては無理に書く必要はない事柄でもあるし。
北微遺文では感状がのこされてるし、謙信の言ってる事を多少割り引けば問題なさそうだが。
姉川みたいに織田が過大宣伝しまくって被害が100倍になってるような戦いじゃないんだし
その後北陸が謙信になびいてる事から考えても傍証としても悪くない。
ないとする理由は特にないと思うが。
356:人間七七四年
09/01/17 09:48:39 rtna5h3j
9月23日に、河川が増水していたってのは変では????????
8月や9月の上旬ならともかく。
357:人間七七四年
09/01/17 10:03:01 4UHrhjFl
何がおかしいのか説明してくださいよ。
358:人間七七四年
09/01/17 10:12:02 N7K5zvZu
久しぶりに上がってると思ったら、
アンチの>>329が沈みに沈んだ昨年12月以来のスレを半月以上も経ってから
あたかも通りすがりのように振舞ってageたレスが発端となっているわけなのか(笑)
それも何度も繰り返されている根拠としては弱い、陳腐な理由を今更挙げて。
もう>>355さんはじめとする同意の論証でほぼ帰結してる命題なんだけどな。
柴田側の殿が不意打ち喰らって1/30以下の損失を負った。それだけのことだろ。
たったこれだけの事を架空の出来事にしたい理由がわからん。
逆に手取川の夜襲を無かった事とすれば様々な面で矛盾が生じるんだがな。
謙信自ら作成した動員帳に加賀勢の被官化が確認されてるんだが、まさかこれも
捏造とかいうつもりじゃないだろうな。
アンチはまず一向一揆の研究(井上鋭夫)を読んで、其れに対する反証を挙げてくれ。
359:人間七七四年
09/01/17 10:17:19 4UHrhjFl
論証になってない歴代古案への疑念を感情的に繰り返す様も同じなんだよね。
しかも何度も根拠となりえないと指摘されているのにレスが流れるとまたそれを持ち出す。
それでいて前回の反省を踏まえていくらか材料を揃えているのかと思ったらそれもない。
百回嘘をつけばそれが真実になるなんて今の情報化社会じゃ通用しないと思うんだけれどなあ。
360:人間七七四年
09/01/17 11:37:47 ZMz4xCcd
そもそもあったのか無かったのかが論点になってる時点で怪しい。
361:人間七七四年
09/01/17 15:37:51 0o1YqtDY
あった派の根拠になる史料には同時代史料や一次史料が皆無
それでいて一次史料の信長公記にケチをつけるのだから片腹痛い
公記に織田に不利なことは記述していないなどという妄言に至ってはもう処置なし
だいたい同時代史料や一次史料が皆無の出来事は史実としては認められないのは歴史学は当然
362:人間七七四年
09/01/17 16:21:14 Dzm1x/cl
謙信書状や北微遺文の感状があるじゃん。
実際に信長公記は書いてないことや脚色ある事結構あるし。
しかも信長公記は2次資料だろ。
363:人間七七四年
09/01/17 17:10:55 a94peSOZ
織田厨の脳内では信長公記が一次資料なのかテラワロタw
364:人間七七四年
09/01/17 19:00:46 rtna5h3j
謙信書状や北微遺文
これ1次じゃないだろ。
歴代古案の写しだよな?
365:人間七七四年
09/01/17 19:57:50 geusO84b
上杉方の主張通りかはともかく、なんらかの衝突が手取川付近で否定しきることは難しいんじゃないかな?
366:人間七七四年
09/01/18 00:48:32 hqB1T6+6
>>364
北微遺文のは一次じゃないか?
てか歴代古案のもちゃんと審査されてるもんなんだから
一次といっていいと思うが。
367:人間七七四年
09/01/18 21:11:50 FusV7j74
北微遺文は、手取り川合戦を描写したものじゃない。。。。。。。。。。
368:人間七七四年
09/01/18 22:17:22 pzRg/dxg
あったら困るんじゃなくて、捏造されたら困るんだよ。
どう見ても大河絡みだろ。バカらしい。
369:人間七七四年
09/01/18 22:23:03 pzRg/dxg
従軍慰安婦も、南京大虐殺も、言ったもん勝ちかよ。
NHK、好きそうだよな、そーいうの。
370:人間七七四年
09/01/18 22:31:08 p3u1XQJU
反証できないのに捏造捏造と繰り返すのはオウムと一緒だよ。
本気で手取川捏造説を主張するなら研究論文にして学会に持っていけるレベルまで完成させてみてはどうでしょう?
今時はトンデモなものでも意外と受け入れられるからちょろいと思いますよ。
371:人間七七四年
09/01/18 23:29:39 pzRg/dxg
あぁ、つまり”悪魔の証明”を求める、ということだな。
こんな大きな戦争を、紙切れ一枚であったことを証明できるなんざ、都合が良すぎ。
おかしいんじゃね。常識的に考えて。
もっとなんか、あったんなら出せよ。
ないわけないだろ。
話の大きさと資料の少なさにギャップがあるすぎるんだよ。
俺は、戦争は”なかった”とは言わんよ。
そんなこといってないんじゃん。
だから俺は言ってんだよ。まるで南京大虐殺の話みたいだな、って。
372:人間七七四年
09/01/18 23:34:56 pzRg/dxg
何かしらの接触は、あった。そう考えるのが妥当だろう。
けど、話が大きいわりには資料がなさすぎる。
これは、話が膨らみすぎている、という状況証拠には、なるんじゃないか?
資料を握りつぶしているようにも見えないしな。
それならそれこそ証明が必要だろうよ。握りつぶした、という証明が。
違う?
373:人間七七四年
09/01/18 23:49:36 p3u1XQJU
また捏造説の人は繰り返すんだねえ。
大きな話じゃないでしょ、手取川なんて。
士気阻喪した織田が撤退、置き去りにされた殿が孤軍奮闘して玉砕、
そのおかげで織田本体は無傷。
こんな小競り合いをなんかの大合戦と勘違いしてるの?
被害は最小限、しかし織田からみて誇れるようなものではない、
だから書状一枚しかないんでしょ、記録が。
それをしつこくなかったことにしたがる理由がわからない。
374:人間七七四年
09/01/18 23:56:08 pzRg/dxg
いやだからw
ない、とは言ってないだろ!
ただ、数千人死んだって、おかしいぞ。
大体、おまえは勝手に相手を
”捏造説派”にカテゴライズしてるだけじゃん。
妄想と話をしてるのか?意味がわからん。
375:人間七七四年
09/01/18 23:59:28 pzRg/dxg
っていうか、小競り合い、ってことでいいの?
手取川合戦存在派は。
それ、存在を示す資料を否定してないか?
自己矛盾してるだろ。
376:人間七七四年
09/01/19 00:35:59 ZqXx9IcY
>>374>>375
>ただ、数千人死んだって、おかしいぞ。
誰がそんなこと言うの?
謙信書状では千余人討ち捕り(死人と傷人と降伏混在。比率は未詳)だよ。人馬際限なく流れも主観表現であり、実数不明。
>小競り合い、ってことでいいの?
いいもわるいも史料をまともに見ればそういう解釈になるんだが。
なんで勝手に手取川の流血を被害妄想みたいに拡大解釈してろくに読んでもない謙信書状を否定するのか。
市川文書を取り出して山本管介が実在したと証明してるのに、
啄木鳥軍師の山本なんて存在しないなんて噛み付いてるのと同じだよ。
377:人間七七四年
09/01/19 00:43:07 sRAHBzj7
ところが『歴史街道』とか一般向けの歴史雑誌の類なんかだと、特集の文を
小説家の類にも依頼して、結果「信長率いる五万の織田軍を、謙信が半分
以下の一万八千で激突して大勝利!」とかあおり文章をいまだに平気で書いて、
それが読者に伝わっていくからなあ。
378:人間七七四年
09/01/19 01:32:22 n3XRQfMO
>>377
まあ、たしかにそういうのは問題かもね。
歴史街道とかはとくにそういう傾向が顕著。
新人物往来社の本の場合は、著者によりけりという感じだし。
ま、戦の規模うんぬんは置いといても、能登をめぐる抗争の中で、
加賀の土豪衆を取り込むのには成功しているし、藤丸勝俊などは
軍役も担っている。
そこらへんをどう見るかによっても評価は変わってくる
379:人間七七四年
09/01/19 05:55:39 ZqXx9IcY
信長率いる、とまではさすがに今じゃ誰もやらんでしょうw
でも手取川なんかはまだ良いほうだよ。
上杉はネガキャンみたいな珍説ばかりが学者に唱えられていて、
とくに景勝家督横取り説や略奪遠征説なんかどうしようもない。
380:人間七七四年
09/01/19 10:39:39 Bd2HvfXH
柴田が前線で活動開始し、決戦に向けて信長が後詰めを率いて来援予定だったってのは読んだことあるかな
381:人間七七四年
09/01/19 11:16:34 Qt/5dYrT
まあ歴史小説ではそういうのよくあるわな
382:人間七七四年
09/01/19 14:55:56 im+Fv/Rp
『目立った討死(溺死)武将がいない』という事実だけで、取り残された少数部隊が襲われただけって皆さんは解釈にしてるけど、
織田全軍が襲われたって可能性だってある、
これは上杉勢に衝突する前にほぼ逃げ切った場合だけど、
例えばいかに手取川が激流でも大人であれば対岸に渡る(流れつく)事は可能だと思う、
単に激流を三万人が船無しで渡っても溺死者は数十人~100人位でしょ、
それを撤退の混乱や鎧を着けたままと言う条件をつければ千人余って言う数も合うと思う、
名のある武将の戦死が無いのは、例え溺れても周りが助けが入る、
まあ、これも推論の一つに過ぎないんだけどね、
激流がどの程度か解らないしね、
でも解らない事が多いだけに色々考えてみるのも面白い、
383:人間七七四年
09/01/19 15:03:19 V6vFXT+h
織田全軍だとその前に逃亡した秀吉の処罰が緩いのもわからなくはないけれどね。
384:人間七七四年
09/01/19 19:08:07 0oWWZ3Rr
日本の川ってのは結構な激流。
もう一つ、唯一の史料では謙信書状でも「織田軍が渡河中に追いついて攻撃した」とある。
あとね、「溺死者は数十人~100人位でしょ」これって、三万の軍勢からしても、大損害。
385:人間七七四年
09/01/19 19:27:28 XTEGZj10
今回の大河の天地人では
手取川の戦いで現場に信長や秀吉も居たことにして上杉軍が織田軍を破り上杉謙信最強というストーリーになるに500円!!!
386:人間七七四年
09/01/19 20:17:01 nHtqSw6q
合戦を伝えるとされる謙信の書状[歴代古案89・越佐史料5-397=抜粋]
当陣之模様無心元候間、内々以飛脚可申候処、此表仕置執紛令延引候、
如啓先書ニ、当月十五、遊佐美濃守守年来以奏者之好令忠信、彼之讒輪ヘ
当手可引入由申候間、何蕨も不入愚入乗移、一日も不抱候、七尾城主ニ候
長対馬一類一族百余人討捕、実城乗取、其外温井備中・三宅備後・内藤王・
平以下身命計相扶、七尾存分之尽ニ入事ニ、同十七、号末森与地モ入手ニ、
是者 賀・能之間之地ニ候間、源五殿、斎藤龍置、当国一変ニ申付候処ニ、
是を信長一向ニ不知、十八、賀州湊川迄取越、数万騎陣取候所ニ、両越・能之諸軍勢
為先勢差遣、謙信事も直馬候処ニ、信長、謙信後詰迄聞届候哉、当月二十三夜中ニ令敗北候処ニ、
乗押付、千余人討捕、残者共悉河ヘ追籠候ケル、折節洪水張故、無瀬、人馬不残押流候、(後略)
天正五年九月二十九日
朝倉始末記、朝倉宗滴話記、などの朝倉氏系統の軍記に似ているな。
二十三っておかしくないか?廿三だろ。
書状にしては、日付がめまぐるしく変化して、まるで第3者が記述したような文体では?
謙信自身が記述しているはずなのに、なぜに、謙信という表現なの?
387:人間七七四年
09/01/19 20:24:52 nHtqSw6q
URLリンク(rek.jp)
織田軍が、木曽川で2・3千人溺れた。
九月廿五日
義元
水野十郎左衛門尉
人々御中
388:人間七七四年
09/01/19 21:09:44 V6vFXT+h
>>386
お前本当に古文書とか読んだことないんだな。
一般に一人称は自らの名前を使うものなんだよ。
廿三じゃなくて二十三と書かれているのはどこのネットで拾ってきた?
歴代古案じゃ九月十九日と書かれているよ。
389:人間七七四年
09/01/19 21:11:00 V6vFXT+h
あ、後半間違えたよ。ちゃんと廿三と書かれてある。
390:人間七七四年
09/01/19 22:26:02 lOummBfb
>>386
ちゃんと
「当月廿三夜中ニ令敗北候処ニ、」
になってるけどな。
391:人間七七四年
09/01/20 00:20:44 HzrZsXIs
江戸中期以降に、歴代古案が登場。
なんで、戦国終焉して、100年後に、新史料登場するのか?
392:人間七七四年
09/01/20 00:23:08 W6mYxTtz
新史料発見じゃなくて、上杉家に関連する文書を調べて転載したものが歴代古案。
もうほんの少しでいいから脳みそ使いなよw
393:人間七七四年
09/01/20 00:28:52 xTWGpahy
>>383
秀吉は許されたと言うけど死罪の可能性もあったんでしょ、
しばらく後で逃げた事をなじられてる訳だし、
理由は何であれ敵前逃亡は普通は死罪だし、
単純に信長はまだ秀吉の才能が惜しいからラストチャンスを与えただけかもしれない、
これと敗戦の大きさは無関係とは言わないけど、信長なら損得だけで考える事もありえる。
>>384
謙信の書状には信長軍が渡河中に突撃したとあるだけで、どのタイミングかは不明だよね、
例えば、信長軍の一部が川を渡り始めた状態で上杉軍が発見、
織田軍不意を付かれて混乱総崩れ、
いかに大群とは言え水際にいる状態で陣形も考えず一目散に逃げたなら、渡河の時間はそんなにかからないよね、
で九割九分に逃げった所で上杉軍到着、チラッ攻撃だけでも一応書状の内容と矛盾点は無くなるし、
大規模な戦いにもなるんじゃないかな?
394:人間七七四年
09/01/20 01:40:17 dsuBrpHa
手取川って勾配がきつくて急流で有名なんだよね
水害で大きな被害にあってばかりの地域
395:人間七七四年
09/01/20 01:46:26 HzrZsXIs
謙信が、信長に勝ったという勲章が欲しいんだろうな。
ここまで上杉信者が必死なのは。
手取り川が語られだしたのは、明治以降だし。
396:人間七七四年
09/01/20 01:49:57 W6mYxTtz
>>395
信長に勝利したのは手取川みたいな局地戦単体じゃなくて北陸道の制圧だよ。
別に織田と小競り合いして勝利したところで何の勲章にもならんと思うが。
この状況で謙信が押し返されていたらさすがに恥辱だけれどw
逆に一部の信長信者さんは信長が一地方政権に敗北したというのがどうしても許せないのかね。
397:人間七七四年
09/01/20 02:20:26 xTWGpahy
>>394
手取川は確かに氾濫とか多いけど、この時の川の水量って想像しかできない、
「激流」で人馬とも押し流され~
って謙信の書状有るけどこの「激流」って一体どれくらい?
濁流なのか?
単に水量が多めなのか?
川を渡って追撃しなかったからある程度水量があったのは確かだろうけど、謙信の書状には主観的な意見しか無くて実際どれくらいの水量だか書かれてないよね?
ちなみにある程度水が速ければ膝ぐらいの高さで歩行不能になる、
逆に自分にはこんなに物証が無いのに局地戦、小競り合いと言い切ってしまうのが解らないなー
398:人間七七四年
09/01/20 03:25:00 HzrZsXIs
URLリンク(www.nobunaga-lab.com)
信長側の文書だと、天正元年十二月廿八日
越中まで分国となってるな。
直越国へ切入、義景刎首、
一国平均ニ申付候、其以来若狭・能登・加賀・越中皆以為分国、
属存分候、五畿内之儀不覃申、至中国任下知候次第、不可有其隠候、
来年甲州令発向、関東之儀可成敗候
399:人間七七四年
09/01/20 08:24:59 E6Sj6XOR
何はともあれ>>391=>>395が無知無学で、自ら信長信者だと自己紹介してるところが面白い。
400:人間七七四年
09/01/20 09:10:26 kURZLnKa
ID:HzrZsXIs
こいつ未だにこんな議論にもならない言いがかりつけてんのかw
少しはログ読めよ。それともまともな反証が出来ないから
あえてこればっかり繰り返してるのか。それも定期的にw
401:人間七七四年
09/01/20 14:39:56 HzrZsXIs
上杉方の史料だと。
上杉謙信自体も後詰のようだし、能登越中勢が先鋒で、織田軍と交戦したなら、
上杉軍先鋒対織田軍先鋒の小競り合い?
謙信自身が信長と交戦した事実はないよな。だって信長は近江にいたのだし。
謙信が越前北の庄まで来たとか、どう考えても捏造だよな。
402:人間七七四年
09/01/20 14:43:52 HzrZsXIs
信長公記の天正6年には、越中に織田軍の斉藤新五が、攻め込んで、河田を破っている。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
403:人間七七四年
09/01/20 18:05:56 HzrZsXIs
手取り川で溺れたってのは変だよな。しかも9月23日に増水って。
木曽川みたいな海みたいな川幅のでかい巨大な川ならともかく。
404:人間七七四年
09/01/20 18:18:52 AZgB8kjL
はいはい
405:人間七七四年
09/01/20 18:20:58 t4r8S0vx
デジャブw
406:ずうっとやってたのね(笑)
09/01/20 22:11:19 E6Sj6XOR
>>391 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/20(火) 00:20:44 ID:HzrZsXIs
↓
>>403 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/20(火) 18:05:56 ID:HzrZsXIs
零時か18時まで(笑)
ご苦労様・・・・・・
カワイソウ(微笑)
407:人間七七四年
09/01/20 22:45:11 SLCi8QHg
ID:HzrZsXIs←この馬鹿このスレの住人ですか?
責任持ってこのスレで監視隔離してください。
スレリンク(sengoku板)
238 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/20(火) 15:58:41 ID:HzrZsXIs
上杉以外の記録には、手取り川合戦はないんだな。
上杉の捏造だろ、これ。。。。。。。。。。。。。。
408:人間七七四年
09/01/20 23:33:45 aoOxhFVL
>>407
いやあ、そのお方は当スレでも無用にて…
409:人間七七四年
09/01/21 00:34:56 71+HEVRj
要するに小競り合いを上杉側は戦果を捏造してて織田側は小競り合いでも恥だから殆ど資料を残さなかったってことなのかい?
410:人間七七四年
09/01/21 01:57:22 yGYj4jXs
退却の緊張感ないし、殿の武将も不明だし。
金が崎の退き口と大違い。
4万も率いて大敗とか、ありえない。。。。。。。。。。。
尾張時代ならともかく。
411:人間七七四年
09/01/21 03:53:50 +gjw2v2Y
>>410
退却の緊張感ないし→なぜ?何かそれを証明する資料あるの?
殿の武将も不明だし→そんなのいくらでも有るでしょ、
4万も率いて大敗とか、→桶狭間より戦力差すくないよ、しかも渡河中に奇襲してる、
謙信の書状千人余討ち取り補、と有るけど実数(討ち取り、捕縛、溺死)不明、
織田軍が壊滅とかでは無いけど、
大軍が何もできずに川向こうに押しだされ、
何の戦果も無く帰ったんだから大敗ではないのか?
412:人間七七四年
09/01/21 03:55:14 jO/rtGf2
捏造したのは後世の人間で
謙信の誇張した書状は当時どこでもあり非難される事でもない。
勝家の加賀での動向は謙信の活躍と違い歴代古案にもあり
成果を挙げ謙信が動き始めたので帰還したとある。
前任の簗田と違い、この事で信長が処罰した記録は見た事ない。
413:人間七七四年
09/01/21 05:17:02 +gjw2v2Y
>>412
謙信の誇張した書状は当時どこでもあり非難される事でもない→えっ?
誇張はされてるけど合戦があったって事でいいの?
勝家の加賀での動向は謙信の活躍と違い歴代古案にもあり
成果を挙げ謙信が動き始めたので帰還したとある→これは合戦が無かったってことだよね?
矛盾してるのですが?
414:人間七七四年
09/01/21 06:52:30 LeHpaZ83
>>402
天正6年3月には謙信死んでるんだが。
415:人間七七四年
09/01/21 06:58:52 LeHpaZ83
>>398
手取川はそのずっと後だから
天正元年もってきてもしょうがないと思うが。
てか義景死んだ後の越前支配は越前一揆で崩壊し
一年以上鎮圧に苦労してるじゃん。
>>412
織田の書状が手取川を伏せたとすれば合致する記事なんじゃないか。
数万の兵で撤退で千人余り死んだんなら処罰することでもないだろ。
416:人間七七四年
09/01/21 09:01:05 UUcR7JSk
>>402
wikipediaの記述訂正しておけよ
417:人間七七四年
09/01/21 10:28:38 0J0a0y6m
>>415
たとえ雑兵で、一千が死んで帰ってこなかったのなら、処罰はなくとも記録に
残らないほうがおかしい。
ゲームじゃないんだよ?SLGだと百どころか千単位で消失していくけど、現実には
合戦でなく千単位で死者を出したなんて大騒ぎになる。
418:人間七七四年
09/01/21 10:37:26 UUcR7JSk
>>417
数千人死んだんじゃなくて「討ち捕り」されたんだよ。
「討ち取り」でもないからね。この言葉には「死亡、負傷、捕獲」が混在する。
ひょっとしたら「逃亡」も入るんじゃないかとする解釈もある。
普通に考えればこの中で一番「死亡」が少ない。
419:人間七七四年
09/01/21 10:37:45 Ys/X2FNM
兵農分離(笑)してた織田軍のことだから
浮浪者同然の傭兵雑兵がいくら死んでも記録に残らんだろ
420:人間七七四年
09/01/21 13:26:33 GTogw3+o
>>417
SLGって何?なんかのゲーム用語?
そんなものやった事無いからさ、ちゃんとした史学的用語で書いてくれよオタク君。
421:人間七七四年
09/01/21 17:22:42 gS/XOoRs
戦国時代は戦以外でも飢饉や天変地異、疫病で大勢の人間がバタバタ死んでるのに
何いってんだこのバカは>>417
いちいち記録なんかつけるかアホ。川中島でさえ大将首のことのみ記録されてるだけで、
実数なんかまるっきりわかってないのにな。
わざわざゲームを引き合いに出してるようだが、これがゲーム脳ってやつなのか。恐ろしや。
422:人間七七四年
09/01/21 18:55:24 6Z8MYqkl
勝家の処罰は被害云々ではなく援軍到着までの防衛任務放棄。
謙信の書状は本願寺や上杉にも関連する記述が見つからいない以上
畿内の情勢悪化や処罰を恐れ隠したとは少し考え辛い。
423:人間七七四年
09/01/27 01:14:05 mYB52mHc
勝家側が損害を捏造・隠蔽した、という証拠を書かないと。
捏造・隠蔽が決定事項のように語られてる。
謙信英雄史観、って奴?司馬が好きそう。
424:人間七七四年
09/01/27 10:31:54 CHeLrrRA
誰か勝家側が事実を隠したなんて主張してるか?
見えない論敵と戦うなよw
425:人間七七四年
09/02/01 21:30:24 UE5Fs3w1
大河ドラマで捏造されそうで恐い。ケンシン最強とか。。。。。
426:人間七七四年
09/02/01 22:23:32 fTH7EU1d
てめーの脳内妄想がさも唯一の史実であるがの如くに
世間一般に知られている説を真っ向から否定するキチガイばっかでワラタ
こういうキチガイって世間では誰からも相手にされないゴミみたいな存在なんだろな
427:人間七七四年
09/02/01 22:51:09 1gDBdsLr
オレが謙信公の参謀だったら手取川で織田勢を追撃し木っ端微塵にして
天下を取れたものを。
428:人間七七四年
09/02/01 23:55:25 VtwaecDI
>>425
謙信最強はゲームでも映画でも小説でもドラマでも基本でしょう
429:人間七七四年
09/02/02 01:43:27 zYdG9leh
>>420
学術板じゃなく趣味板で、顔真っ赤にしてナニ言ってんだよwwwww
430:人間七七四年
09/02/02 02:15:43 I7Q9v74n
カテゴリとは無関係にこの板は専門知識や関連論文を前提に議論されることは少なからずある。
そういう現状を鑑みずここは趣味板だから歴史学的な議論は無用というならば、
通説への批判や新説の提唱などを完全に排除しないといけませんねw
431:人間七七四年
09/02/02 02:20:45 8nE9yoLR
みょうな煽り文は大抵チョンだからスルーしとけって
432:人間七七四年
09/02/02 13:25:24 ZNsgMUes
>>417のチョンのことだね。
433:人間七七四年
09/02/02 20:40:00 NA1mMvXi
今年の大河は信長も秀吉も手取川の合戦にいたことにして謙信に負ける設定になるのかな?
434:人間七七四年
09/02/02 21:45:18 8Zo+R7dc
>>433
まとめて謙信公に打痛されるであろう
435:人間七七四年
09/02/03 17:57:17 BEpeJK3g
>>433
実際は秀吉が逃げて信長が恐る恐る進むんだっけ?
436:人間七七四年
09/02/03 19:07:19 r4h4NLBS
秀吉か?さっきフンドシ一丁で逃げ回ってたけどな。
437:人間七七四年
09/02/08 22:39:52 xzetJRP0
ごめんなさい
今日の大河で妻武器君が織田軍と戦ってたけど手取川の前に織田軍と上杉軍との交戦ってあったの?
438:人間七七四年
09/02/08 22:49:23 mkOOpSDX
ありましたよ
妻武器君が逃げる柴田を追いかけて
あと一息で柴田の首を取るという場面でした
おしかったですね
439:人間七七四年
09/02/08 23:00:29 xzetJRP0
そうじゃなく
ドラマでは能登七尾城を上杉軍が包囲する前に織田軍と上杉軍の交戦がありましたが
あれは史実でしょうか?
史実なら織田軍のどの武将の部隊で、あの場所はどこで、戦いの名前を知りたいんですけど?
440:人間七七四年
09/02/08 23:23:12 MOn4qqUV
こんなことにわざわざ解答するのも悲しいけれど、
手取川以前に越中や能登で織田と上杉が軍事衝突などありえません。
もちろん情けないのはあなたじゃなくて、
上杉の歴史を扱うドラマなのにこんなぞんざいな史実考証をしているNHKのことです。
441:人間七七四年
09/02/08 23:33:29 mkOOpSDX
だって、何回も負けた事のある謙信を
70戦不敗の武将などとしてるNHKだもん
何を史実考証してるというの?
442:人間七七四年
09/02/09 00:04:17 lL9xfh5M
小和田哲男は何やってんだ?
受信料から高い金貰ってんだろ。
443:人間七七四年
09/02/09 00:08:44 9+HR7X49
>>441
ちゃんとした負けの記録は無いだろ。
関東で大敗したとかいうのはうそ臭いし、もう一つは北条が足軽一人討ち取った記録しかない。
444:人間七七四年
09/02/09 00:23:56 izIt6XkY
武田も川中島は勝利したと喧伝しているが、実態はほとんど致命傷を受けていてボロボロだったもんな。
北条も勝ち戦とか叫びながら戦果を誇ってるけれど、
上杉以上に被害を受けてるんじゃないかね?
445:人間七七四年
09/02/09 00:53:06 z22EVHlM
さすがにその後も元気に動いてるので致命傷じゃないんじゃ。
土地も確保してるし。
446:人間七七四年
09/02/09 01:01:37 9+HR7X49
川中島の戦い自体は引き分けだよ。
武田も上杉も互いに勝ったといってるし、土地を確保したのは信玄の政治力であって。
損害を見ても人的損害は武田のほうが多かった。
447:人間七七四年
09/02/09 01:26:10 ZqPvvf+7
まぁ不戦勝も含んで不敗でしょ。
城攻めを途中で切り上げて帰るのまで敗北認定するバカは無視するよ。
そんなことまでカウントしたら引きこもりヒッキーが最強の勝ち組になるからね。
448:人間七七四年
09/02/09 03:48:57 Ll05zBZQ
>>433
昔の大河の武田信玄ではワンシーンだけ
手取川で負けた信長が一旗で敗走するシーンがあったねw
449:人間七七四年
09/02/09 05:07:10 m2B+BzDy
一向衆とかもタブーになってるのかな?
いまだある宗教勢力だし、クレームとかあるのかな
だとしたらもうマトモなドラマ作れないな
450:人間七七四年
09/02/09 05:11:26 YHwFm4kk
>>446
土地確保による政治と軍事の関係は密接だから、
分離しちゃダメ。
451:人間七七四年
09/02/09 07:19:40 dUu1/xJo
手取川はあったにしろ雌雄を決める大戦さじゃないよ。
信長は小さな戦いは良く負けてる。
負けと言うのは信長は大局重視だから小競り合いや城攻めの場合時間かかるとか大局に備えるためにサッさと兵を引き揚げたのも入るだろう!
枝葉で負けても幹を落とすのが信長だからいくら謙信が闘神でも最後には負けてたよ。
謙信には壮大なビジョンがないからね!
452:人間七七四年
09/02/09 07:46:10 m2B+BzDy
書状一枚で手取り川の大勝があったとするなら、臼井城の大敗もあった。
ワガママはいかんよ。
453:人間七七四年
09/02/09 07:49:19 BFyuOBoV
臼井の総大将は長尾顕長11歳だったんだっけ。
454:人間七七四年
09/02/09 09:10:47 FR5Fg2dM
>>451
> 謙信には壮大なビジョンがないからね!
どうしてそんなことがおわかりになるので?
どなたにならあるんでしょうか。
455:人間七七四年
09/02/09 09:34:23 rG4sxcqm
>>446
川中島は謙信の負け
実際謙信は川中島に踏みとどまれず、逃げ去って
北信濃全部信玄に取られてるし
これを敗北と言わずして何を敗北と言うのか?
456:人間七七四年
09/02/09 09:42:03 seJI2MwG
そもそも人的損害で勝敗を決めるならWW1なんてドイツの圧勝だわな
457:人間七七四年
09/02/09 10:21:24 ZqPvvf+7
>>455
武田軍を半壊させた後、挟撃を避けただけで、謙信は善光寺近辺に踏みとどまって戦果確認してますが何か?
海津城を持っている武田が領地維持してるに過ぎない。
謙信は海津城を攻める予定すらないのだから領地が戦略目標に無かったのは当然なわけだが。
>>456
近代を持ち出してなにしたいの?
ドイツは降伏したじゃんバカなの?
458:人間七七四年
09/02/09 10:56:09 a8f9zLse
戦略でも戦術でも負けた手取側は織田の負け
459:人間七七四年
09/02/09 11:45:18 FR5Fg2dM
手取川は川中島と違って勝敗がハッキリしすぎてるなw
460:人間七七四年
09/02/09 11:59:55 +vAQa5mk
>>455
土地確保っていっても例の感状は偽文書だし、実際どの程度確保出来ていたのかは
大将どうしの一騎打ち並みに眉唾なんだけど。
461:人間七七四年
09/02/09 12:06:34 m2B+BzDy
てゆーか、今まで一緒頑張ってきたのを、いきなり裏切って攻めてきたんでしょ?
そんで織田が本格的に上杉征伐に乗り出したら瞬く間に押し返されちゃったんでしょ?
462:人間七七四年
09/02/09 12:28:10 ZqPvvf+7
>>461
信長が勝手に関東管領を通さずに関東諸将と連絡するようになるなど背信行為をしたから
463:人間七七四年
09/02/09 12:28:18 z22EVHlM
>>460
例の感状って?
信玄が川中島近辺から北信濃確保してる事は書状にあるけど。
464:人間七七四年
09/02/09 12:29:51 uYqmVx7g
そもそも織田が足利義昭を追放した時点で敵対してるんじゃ?
465:人間七七四年
09/02/09 12:39:50 ZqPvvf+7
信長は義昭の息子を擁立したり
義昭に帰ってきて下さいって言ってる間は
まだ破滅的敵対までは至ってないって感じじゃないかな。
まー険悪化してきただろうけど。
>>462と義昭を毛利が本格的に擁立して一向宗と上杉の和睦が成立した辺りから敵対かな。
466:人間七七四年
09/02/09 15:02:55 +vAQa5mk
>>463
謙信が与えたいわゆる「血染めの感状」は本物で、
信玄が出した感状2通(領地を与える云々)は偽文書という鑑定が
信玄研究の第一人者の柴辻俊六氏等によってなされてるという事。
467:人間七七四年
09/02/09 16:08:34 BFyuOBoV
つまり武田側は感状も出せないくらいボロ負けしたのか。
468:人間七七四年
09/02/09 17:06:43 z22EVHlM
>>466
感状はともかく武田が第4回川中島のあとも北信濃にとどまって
上杉勢の残党が北信濃の市川・野尻に入ったのを確認してるのは
武田の書状にある。
武田がこの戦闘の後も踏みとどまり北信濃を確保したのは間違いないかと。
469:人間七七四年
09/02/09 17:51:48 2Og/vHrR
まあ上杉厨はアホが多いからね
川中島は謙信の完敗なのに
470:人間七七四年
09/02/09 18:11:08 TZW2tFuG
引き分けが定説で完敗とか言ってる奴はほぼ居ないけどな
471:人間七七四年
09/02/09 19:19:47 FR5Fg2dM
謙信「かんぱい」
信玄「乾杯!」
景勝「……」
菊姫「おいしうございます」
今頃この人ら雲の上で酒飲んでるんじゃない?
472:人間七七四年
09/02/09 19:39:31 7p74hUni
史料にあらわれた河越の戦い」
[戦いの年月日] [出 典]
・天文10年(1541) 北条氏康感状(大藤文書)
10月末~11月初 〃 (平之内文書)
北条氏康感状写(諸州古文書)
〃 (須藤并重田文書)
〃 (古今感状集)
〃 (感状写)
・天文12年(1543)4月 歴代古案
・天文12年(1543)9月26日 北条記・関八州古戦録
・天文13年(1544)4月20日 北条記
・天文14年(1545)9月26日 関八州古戦録・鎌倉九代後記・喜連川判鑑
・天文15年(1546)4月15日 太田家譜
・天文15年(1546)4月20日 上杉憲政書状写(武家事紀)・鎌倉九代後記
・関八州古戦録・喜連川判鑑・北条五代記
北条氏康感状と日時が一致しない歴代古案は、偽書の可能性あり。
473:人間七七四年
09/02/09 21:26:01 FR5Fg2dM
いつもながら>472は必死だなと。
偽書って言葉の意味をどう理解しているのか疑問に思う。
474:人間七七四年
09/02/10 00:42:27 jDPWncDv
>>471
24歳にもなっても結婚させてなかった甥が
自分の死の直後に結婚した事を
謙信はどう思ってただろうかw
475:人間七七四年
09/02/10 04:28:59 nVua+/io
史料にあらわれた河越の戦い」
[戦いの年月日] [出 典]
・天文10年(1541) 北条氏康感状(大藤文書)
10月末~11月初 〃 (平之内文書)
北条氏康感状写(諸州古文書)
〃 (須藤并重田文書)
〃 (古今感状集)
〃 (感状写)
・天文12年(1543)4月 歴代古案
・天文12年(1543)9月26日 北条記・関八州古戦録
・天文13年(1544)4月20日 北条記
・天文14年(1545)9月26日 関八州古戦録・鎌倉九代後記・喜連川判鑑
・天文15年(1546)4月15日 太田家譜
・天文15年(1546)4月20日 上杉憲政書状写(武家事紀)・鎌倉九代後記
・関八州古戦録・喜連川判鑑・北条五代記
北条氏康感状と日時が一致しない歴代古案は、偽書の可能性あり。
476:人間七七四年
09/02/10 20:24:59 G56cBAvs
信長ごとき畿内では通用しても、激戦区の信濃、関東ではゴミ同然。
信玄坊主万歳!
477:人間七七四年
09/02/11 01:12:16 tGK/gMml
テスツ
478:人間七七四年
09/02/15 02:33:23 cY1q9sHI
大日本戦史(参謀本部)に、加賀手取川の合戦が載ってるな。
479:人間七七四年
09/02/15 04:48:06 z7BJkW+H
最新の研究によると、手取り川には織田信長自らが精鋭部隊を率いて来ていたらしい。
つまり織田は総力を挙げて上杉と戦い、そして敗れた。
480:人間七七四年
09/02/15 05:07:39 CquLkmK8
その研究報告はどこに掲載されてるの?
481:人間七七四年
09/02/15 08:28:59 9Td3p16O
信長の姉川の誇張はすごい。これはガチ。
相手が言ってる被害の120倍殺して浅井長政も討ち取ったという
超過大戦果にまで膨張してる。
だから謙信も同様。
482:人間七七四年
09/02/15 09:03:15 QjNQbq5V
なんで「だから謙信も同様」なんだよw
483:人間七七四年
09/02/15 11:14:51 lwPZsbyx
>>481は最後の「謙信も同様」以外はコピペじゃないかw
484:人間七七四年
09/02/15 16:41:35 QjNQbq5V
この場合最後は「だから信長公記の記述は怪しい」にしないと文章に一貫性が出ないな。
485:人間七七四年
09/02/15 21:12:35 Fc229eVZ
実際に姉川の大勝利は疑問視されてるよな。朝倉浅井勢を散々に打ち破った割には小谷を攻めるような
事は全くしてないし、大将の朝倉景健が敗戦の攻めを負った記録も無い。
何より戦いの三ヵ月後、三好三人衆が挙兵して信長が畿内に出陣するや、即座に義景は3万を超える大軍で山城方面
まで攻め込んできている。勝敗は兎も角、朝倉浅井が大敗北したという通説は殆ど嘘に近い
486:人間七七四年
09/02/16 19:37:22 E7rzJvLc
そもそも姉川大勝利は徳川が主張している事で
織田は野村で戦と記述してはずだが
487:人間七七四年
09/02/16 19:56:33 oZ1G3drc
信長公記だと
「宗徒一千百余討ち取り」
朝倉や浅井の損害がどれほどかはともかく、勝敗自体は変わらないだろ。
488:人間七七四年
09/02/17 11:10:25 /QsP37BL
実は朝倉もこの戦いで勝利と主張してたりする。
戦闘面では5分とみる研究者は最近意外に多い。
489:人間七七四年
09/02/17 12:02:21 RE73HAZa
主張するのは自由だがそれを鵜呑みにするのもどうよ。
もちろん、織田の場合も含めてだがな。
信長の主張はうそばっかりとけちつけて(実際に嘘はあるわけだが)、
朝倉の主張はそのまま受け取るって。
490:人間七七四年
09/02/17 12:49:44 PuznEVFm
野村合戦が織田・浅井で三田村合戦が朝倉方の名称だっけな。そもそも徳川なんて織田の
一部隊に過ぎないのにいっちょ前に同盟軍扱いとはね。天下人補正とでも言うべきか
491:人間七七四年
09/02/17 13:01:52 /QsP37BL
>>489
鵜呑み、じゃないだろ。朝倉浅井の一方的な勝利だなんて誰も言ってない。
双方が勝ちを主張してる事実と信長の書状が誇張入り過ぎてる事、
その他の点から少なくとも戦闘面では5分だったんだろうと研究者は見てるんだろう。
>>490
まあ織田の書状でも徳川が織田の同盟国、というか
重要な一翼として越前勢に当たった事が書いてある。
492:人間七七四年
09/02/17 16:51:55 t08bOGdT
まあ中身は別として他国の人間が判断するとしたら
最終的に誰が追撃戦をしたのかしていないのかだろうね
493:人間七七四年
09/02/17 19:17:13 CMFCqyuW
手取川の合戦はないよ。
歴代古案では、湊川。
信長は、9月27日に安土付近におり、23日に手取川にいるはずがない。
歴代古案と信長公記を合体させて作り出した合戦だよ、これ。
歴代古案は、続群書類従だから、一般に知られていたのは、明治以降だろ。
494:人間七七四年
09/02/17 19:57:42 UZWhA5TU
>>493
寝言は寝てから言え
495:人間七七四年
09/02/17 23:48:15 CMFCqyuW
手取川の合戦はないよ。
歴代古案では、湊川。
信長は、9月27日に安土付近におり、23日に手取川にいるはずがない。
歴代古案と信長公記を合体させて作り出した合戦だよ、これ。
歴代古案は、続群書類従だから、一般に知られていたのは、明治以降だろ
496:人間七七四年
09/02/18 00:16:43 iUHE/IHj
本当に寝ながら寝言をいいはじめたぞ。
497:人間七七四年
09/02/18 00:23:30 itqsdqah
手取川合戦は、織田方が総力戦を仕掛けたにもかかわらず、越後に守りの兵を残した上杉に惨敗した戦い。
498:人間七七四年
09/02/18 03:48:19 1B7UTntn
謙信ってわりと、和田城攻めとか書状で負けたとかハッキリ素直に書くよね。
武田や北条や織田みたいに誇張したり歪曲捏造はやらんでしょ。
後世から見たら損害を出さないように退却したり、長期の城攻めを嫌がり退却したりするのは別に負けじゃないだろうと思うケースがほとんどなのに。
499:人間七七四年
09/02/18 10:02:29 hPUl+LjB
合戦ってのは、会合だから、織田方のアリバイは、安土にいたのだから、
合戦が成立しません。
500:人間七七四年
09/02/18 10:21:42 hPUl+LjB
URLリンク(100.yahoo.co.jp)
柴田は、謙信と戦ってない。
501:人間七七四年
09/02/18 12:01:23 TVzQH7J1
>>497
織田は全く総力戦じゃないぞ。あの時、総動員された国は柴田の治める越前だけ。あとは近江・美濃・伊勢の兵を一部加勢させたのみ。
多く見積もっても全体のせいぜい三割くらいの兵力でしかない
502:人間七七四年
09/02/18 12:16:07 1B7UTntn
しかし動員されたメンバーの顔ぶれを見れば、途中で逃げ出した秀吉を含めてスペシャル級じゃないかね~。
503:人間七七四年
09/02/18 15:20:31 hPUl+LjB
何度言えばわかるんだ。信長公記の記述を無理やり、上杉の合戦にあてはめるな。
信長公記では、手取川を越えて、焼き討ちをした。秀吉が勝手に帰った。
とあるだけ。しかも、8/8のことで、合戦のあったとされる9/23よりも
1か月以上前。
10月には。加賀南部の2城を修築、兵力を駐屯とあり。
加賀進出に成功している。
謙信が、越前北の庄(福井市)まで攻め込んできて、その後上杉軍は撤退とか書いてあるものがあるけど、
大ウソだぜ。
504:人間七七四年
09/02/18 15:37:29 jnDI3ya8
>>503
> 加賀進出に成功している。
それは違うんじゃね?
あの二城はもともと加賀における織田方の橋頭堡じゃなかったか?
505:人間七七四年
09/02/18 15:55:33 hPUl+LjB
上杉に、信頼のおける1次史料は皆無。
軍記に補足してもらってる実態不明の手取川合戦はずかし。
某軍記では、架空の人物の鬼小島が使者として、信長陣営に赴いたが、
織田軍は撤退したとある。合戦はないし、追撃もない。
506:人間七七四年
09/02/18 16:04:19 zqvcCfVa
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
507:人間七七四年
09/02/18 17:22:42 hPUl+LjB
手取川の名前も信長公記由来。
加賀湊川の合戦としなかった理由!!
朝倉宗滴対一揆の合戦とか、全部同じ名前だから。
508:人間七七四年
09/02/18 18:00:30 iUHE/IHj
信長信者は韓国人かよw
明治まで知られていない合戦だったといいながら、
江戸時代の軍記に書かれていたのを認めてるのはどうなんだい。
姉川みたいに戦果捏造できないから無かった事にしたいんですね?
509:人間七七四年
09/02/18 18:04:20 /mzVo15y
釣りレスもスルー出来ないなら板に向いてないゾット
510:人間七七四年
09/02/18 18:50:47 hPUl+LjB
江戸時代の軍記に手取川合戦はないけど。
織田と上杉が対陣したが、夜半のうちに、織田軍が見事に退却したという記述。
これを、歴代古案などのあった派が、織田軍を追撃、越前北の庄まで来た
などというデッチアゲをつくった。
511:仙台藩百姓
09/02/18 19:15:22 7PmT59Om
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
512:人間七七四年
09/02/18 19:21:45 1B7UTntn
すっかりこのスレでは信長公記は一次資料でつねワロタw
さすが織田厨はアホ。
513:人間七七四年
09/02/18 19:54:09 zqvcCfVa
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
514:人間七七四年
09/02/18 20:13:58 COBx8ElG
手取川で謙信にコテンパンに打痛されたのがとても悔しいんだろうな。
515:人間七七四年
09/02/18 20:17:29 WaJEkKq/
>>513さん
いまだに直江状を偽書だと言っているの?
516:人間七七四年
09/02/18 20:33:34 +3jtqsHa
一気にスレのレベルを下げる連中が出てきたな
517:人間七七四年
09/02/18 20:34:44 jnDI3ya8
>>513
臼井はともかく他三点は実情がはっきりしないねえ。
何らかの核はあったんだろうが、虚像で覆われて核が追い出された格好になってる。
518:人間七七四年
09/02/18 21:04:02 hPUl+LjB
愛の兜も由来書がないうえに、直江が愛の兜をかぶっていたという史料すらない。
神社の自己申告だけ。オレは、ニセモノの気がする。後世の偽作っぽい。
519:仙台藩百姓
09/02/18 21:09:50 7PmT59Om
戦果を誇張というより存在自体が曖昧なものばかりと言うのが
いかに上杉の存在が胡散臭いかを如実に現していますおね( ^ω^)
520:人間七七四年
09/02/18 21:11:47 hPUl+LjB
URLリンク(oshimamd.sakura.ne.jp)
徳川の唐の兜は、甲陽軍鑑に出ている。
が、上杉の愛の兜は由来不明の自称。
521:人間七七四年
09/02/18 21:16:16 hPUl+LjB
歴代古案は、徳川実紀の引用書目に名前が見えません。いつごろ、登場したのか?
おそらく、一般公開は明治以降。
歴代古案は、写しであり、原本がないというご都合主義。元ネタを改ざんした
可能性十分。
越後流軍学とか関係?
宇佐美定行、鬼小島弥太郎などの架空人物が多いのも上杉。
武田でも山本勘助1人だけなのに。上杉は贅沢な。
522:人間七七四年
09/02/18 21:30:12 iUHE/IHj
>>521
歴代古案を一度読めよw
523:人間七七四年
09/02/18 22:04:24 zqvcCfVa
>>522
読めよwwって、何がどうなのかちゃんと言わなきゃ
524:人間七七四年
09/02/18 22:57:16 WaJEkKq/
河越の戦いの日付が違うから歴代古案の信ぴょう性は低いっていう指摘あるけど、
写しだから誤りもあるのは仕方ないと思うけど。歴代古案読んだことない人が言
ってるのかもしれないけど、膨大な量の古文書が収録されてるし、一点の史料か
ら全体の信ぴょう性を疑うのはどうかな。かといって手取川の謙信書状がただち
に信じられる書状ということにはならないけど。
その謙信書状では、本人書状なのに文中に「謙信」が何度もでてくるのがおかし
いという指摘もあるけど、自分の名前が出てくるのが一般的でないということな
ら、むしろこの書状が謙信のものという可能性を強めることになる。
謙信は出奔したときの書状には繰り返し「宗心」、若い家臣を戦場から返したと
きの家族あての書状でも「謙信」を繰り返してる。それが謙信の特徴なんだろう
な。ただ、読んだ感じ、日付を軍記物みたいに細かく書いてるのは気になる。
525:人間七七四年
09/02/18 23:18:09 hPUl+LjB
あやしいのは、信長、謙信、両方が後詰で出兵という記述。
ということは、先鋒同士の激突があったと思うが、上杉の将士の名前が不明って
おかしいだろ。織田は信長公記から引用するとして、上杉は?
また、上杉方の持ち城は、越中の河田が城代の魚津城だけだろ。
これも、織田の斉藤新五に敗北して、越中は織田領になる。
加賀の持ち城不明。能登の畠山は上杉方になったといいながら、
城代を七尾城に置いてない。ということは実質、畠山氏が国主のまま。
織田が能登を接収するくだりで、畠山の武将は出てくるが、上杉はない。
どう考えてもおかしいことだらけ。
526:人間七七四年
09/02/18 23:24:59 1B7UTntn
>>525
お前バカだろ…勉強やり直せよ
527:人間七七四年
09/02/18 23:37:13 hPUl+LjB
↑
上杉信者のかく乱に注意。
528:人間七七四年
09/02/18 23:42:34 COBx8ElG
そのくらいで許してやれ。
そのうち手取川なんて川は実在しなかったとか、謙信は架空の人物だったとか、
上杉家は実在しなかったとか言い出すぞ。
529:人間七七四年
09/02/19 00:26:09 GaXMIyTc
ねらー相手ならこの程度の史料調査で議論が出来るとか思ってるんだろーな。
頼むから研究者相手に手取川不在論を出せるまで理論を固めてから出直してくれ。
530:人間七七四年
09/02/19 00:38:36 c4c2rpKy
合戦自体はあったと”推測”できるけど、では合戦について書かれている謙信書状ほどの戦果があったかは謎ってことだろ?
531:人間七七四年
09/02/19 00:47:11 VvjlN5LT
>>504
勝家は堀江が一揆と共に蜂起したとして討ち取って鎮圧してるからじゃね
謙信が大聖寺以外に北の庄の和田本覚寺など一揆勢を上杉側とした解釈が
越前まで攻め込んだと飛躍したのが手取川合戦なんじゃねーの
532:人間七七四年
09/02/19 01:21:36 mm1W3rq9
>>525
七尾城に鯵坂長実
能登の行政は上条政繁と遊佐盛光
越中増山に吉江景資を配置してるのすら知らないのwww
飯田や島倉らに能登珠洲郡内の知行を宛がったり
能登一宮の社領を三宅に預けたりして配置を決めてるし。
533:人間七七四年
09/02/19 08:15:09 rYSSpARv
>>532
まぁまぁ、
とにかくID抽出してみてみな。 ID:hPUl+LjB
研究本の一冊も読んでないバカだから。近年のアンチ作家頼みで
史料が何かもわからない典型的な2ch型織田厨ね。笑ってあげよう。
534:人間七七四年
09/02/19 13:01:34 TJ6r4uUj
>>531
どうやら、一揆を上杉方とみなして、謙信が越前まで攻め込んだという
ストーリーになっているんだな。
535:人間七七四年
09/02/19 13:14:50 TJ6r4uUj
URLリンク(www.k5.dion.ne.jp)
一揆の坊官が上杉家臣はおかしいですね。
URLリンク(100.yahoo.co.jp)
しかしそれらのなかには、戦国期の当該地域領主の追慕・顕彰のためや、自家の家格を高めるための由緒書的なものなど、江戸期に偽作されたものも多い。今川家分限帳や鉢形(はちがた)北条家臣分限録などはその代表的なものである。
536:人間七七四年
09/02/19 13:24:12 KFPVbZ0W
被官化しただけだろ…
537:人間七七四年
09/02/19 14:08:03 TJ6r4uUj
江戸期に偽作されたものも多い。
一揆の坊官が上杉謙信の家臣のわけねえよ。
主君は本願寺なんだから。
538:人間七七四年
09/02/19 14:10:57 KFPVbZ0W
北陸一向一揆は本願寺が主君だそうですw
539:人間七七四年
09/02/19 14:20:15 GaXMIyTc
謙信直筆の家中一覧は現存してこの目で見たんだが、
このような超一等史料まで贋呼ばわりするんならこれはもう本物の電波だなw