08/10/05 14:10:22 tERnUj1z
>>165
それはある程度説明がつくような
戦国最大の山岳戦とか謳われる三増峠でも
浅利さえ流れ弾に当たらなければ名ある武将は死んでない
上杉軍 対 加賀・越中一向宗・神保・椎名連合軍の尻垂坂合戦でも
河が血の色に染まるほどの激戦で
この合戦以降、北陸一向宗は勢威を失って上杉が西へ大きく伸張する
謙信死後、河田長親が斉藤新伍に大敗した月岡野も被害武将は聞かない
手取川の頃の織田北陸方面軍は、支配して間もない敦賀~越前など
降伏したばかりの将兵を多く抱えていた時期
彼らの中には元・越前一向宗も多く含まれている
大抵こういった地元の連中が、最も危険な先鋒や殿を任される
上方で織田側の記録をつけてる者も、上杉側も、彼らを詳細には把握出来てないだろう
昨年、先月、昨日まで一向宗だったのに、最近織田方になった将兵などは