■■■本能寺の変徹底考察スレ■■■at SENGOKU
■■■本能寺の変徹底考察スレ■■■ - 暇つぶし2ch830:人間七七四年
08/10/06 18:13:03 C9MxxSg6
光秀=タイムトラベラーでしょ
歴史を捻じ曲げたかどで時空警察にやられた
時空警察は足軽に扮していた

831:人間七七四年
08/10/06 20:10:38 sZ+mZnac
信長は死せず...、野望は世界に...。

国盗り学習ゲーム世界戦国編β版公開
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832:人間七七四年
08/10/06 20:33:25 LR1tTnAu
たしかに北条早雲のような例もあるから可能性はあるな>他の要人との同定

ただそうすると、どうして「明智」姓をなのるようになったのかの説明が必要になるけど。
(早雲だって、当人は死ぬまで伊勢氏で通している)

ただ、光秀が幕府関係者出身だったとしても、それだけでは幕府制度を守るためという
動機の説得力には繋がらないがな。

833:人間七七四年
08/10/06 21:03:19 fNtEG5vn
「立入~」なんかの光秀美濃出身はほぼ確定になってるのかな。
それとの関係が難しくなってるけど、明智姓はそこから後で信長から
もらった、みたいになってるな、小林本。
ほんで、田舎ものが取り立てられて義輝の奉公衆になる、そういうのを
恩義に感じて、そして一族のため、それが幕府制度防衛につながる、という感じか。
動機に関してはなんとでもなるようなもんかな。

834:人間七七四年
08/10/06 21:04:25 uKBhvrK7
>>833
結論のための過程を作ったようにしか見えないわな。

835:人間七七四年
08/10/06 21:08:46 uKBhvrK7
>>827
秀吉も確認できる当時の資料からは、六角攻めでいきなり部隊長の一人として登場し、
しかも上洛してすぐ京奉行の一人になるのだが。

この辺から秀吉は、織田に寝返って六角攻めの下工作をした、六角の元家臣説があるわけだけどね。

836:人間七七四年
08/10/06 21:11:50 rEDdBVoX
>>835
佐々木哲を思い出すぜ

837:人間七七四年
08/10/06 21:36:13 fNtEG5vn
>>835
秀吉の部隊長はたいしたことないでしょう。
尾張と言う田舎の一部隊長ぐらいの出世ならそれこそ普通に
いくらでもいるような。
ほんで京奉行ってのはあくまでも信長が任命したわけでちゃんと説明できるというかね。

でも、光秀ってのは日乗と並び、京にも信長が宿泊するほどの屋敷を持ち、そういった
幕府の要人って形での出現、こういった京でのある意味実力者が「足利記「朝倉記」
「応仁後記」こういったものに出てこない、それを不思議、というのは理解できるんだ。

ま、秀吉の例を出して「秀吉もだ、不思議じゃない」と思うのは別にいいけど。

838:人間七七四年
08/10/06 23:17:37 /jfE0Fe5
義輝のころから京近辺で活動してたのなら、もうちょっと足跡なり噂話なりが
残ってて然るべきじゃないかってのがね。後年の活躍も京近辺なんだし。
それが、土岐明智・石津郡多羅の進士・若狭の刀鍛冶・族姓も知らぬもの等だからね。

日乗との連署や信長の宿泊って元亀元年(永禄十三)のことかな?
永禄十一年の9月に信長が義昭連れて上洛開始。年内に完了。
永禄十二年の1月本圀寺の変。4月以降、光秀が秀吉・長秀等と連署で京近辺の諸政に携わる。
幕臣というだけで無く、京に常駐してる信長家臣的な面も結構強い様に感じるけどな。

光秀と信長が親しくて話が通じ易いという状況を作っておけば、義昭が光秀をそば側近く使う様に
なるのもそう不自然ではなのでは?上洛から1年以上してれば屋敷持っててもそう可笑しくないし。
藤孝と信長が接近するのは、元亀二年以降の様で、まだそれほど親しくなかったようだし。

839:人間七七四年
08/10/06 23:31:27 uKBhvrK7
>>837
> 秀吉の部隊長はたいしたことないでしょう。
> 尾張と言う田舎の一部隊長ぐらいの出世ならそれこそ普通に
> いくらでもいるような。
> ほんで京奉行ってのはあくまでも信長が任命したわけでちゃんと説明できるというかね。

いくらなんでもそりゃ暴論だわ。大体秀吉の京奉行は光秀と同格だよ?

840:人間七七四年
08/10/06 23:52:59 fNtEG5vn
>>838
そう感じですよね、事実も。
ほんで連署というと他の文書と同じ扱い受けちゃうけど、あの五箇条でしょう、
日乗が朝廷の代表と考えると光秀は幕府代表のようなもの、これはかなり重要な
感じがする。
839さんの答えにもなるけど、京奉行と同格、と言っても信長が任命したのと
あの署名の光秀とはかなり差があるでしょう。
つまり、信長家臣的な面はあるけど、義昭と信長の間をとりもつほどの幕府側の実力者
というのはみのがしてはならないのじゃないかな。

ほんで屋敷と言うのも、京の要所、他の奉公衆の並びに構える、というのは普通じゃないような。
例えば秀吉はそういう屋敷持ってたのだろうか。

話戻すと、登場当時要人でその後数年もそれを表す行動、これは秀吉とか滝川とかそういうのの
比較とは違うのじゃないか、ということね。

ちと脱線するが、あの五箇条についてトンデモない珍説がある。
まずはあの書状、信長と義昭の署名がない、あて先が上人と光秀、とか破格の形式
というのだけど、こういうのはあまり問題にされてないのかな。

841:人間七七四年
08/10/07 00:58:41 OwgeBhiq
>840
明石散人の説は当時の常識を完全に無視したトンデモ解釈だからなぁ。
それにあの説だと五箇条の第三条が破綻する。

842:人間七七四年
08/10/07 01:06:21 NSusiMyp
>>840
ちょっとまて。光秀と秀吉の比較について、ごっちゃにしていないか?

843:人間七七四年
08/10/07 02:56:04 jPb3UNTy
結局、幕臣としての光秀を探っても、本能寺の変に繋がるようなことは、見当たらない。
変後の対応見ても、直ぐには足利将軍を担ごうとはしてないし、将軍無視して幕府制度防衛
も何もないよな。

844:人間七七四年
08/10/07 09:17:37 4UVEm0Mp
人大杉になってるよ。
PCで書き込み出来ない、また長い事続くのかな?

845:人間七七四年
08/10/07 09:53:58 caQyWuTM
>>844
宣ブラ入れなさいよ

846:人間七七四年
08/10/07 12:13:40 NWXtZiRl
>>841
へ~そうなの?ありがと。
あとで第三条見てみるからまた教えて。

ただ「正式に家督譲られた」という記述がないとか「信長正統」という確実な記録がない、
というのは細かいツッコミで面白いと思った。
当然そういうの前提で信長論は展開するから、出発点が違う、というのはトンデモ論でも
「間違ってる」と確認できないとなんかスッキリしなくてね。

五箇条に話戻して、書形式についてはどうなんでしょ、袖印とか、誓紙の形式、とか
知らないもので・・やっぱり破格なの?

847:人間七七四年
08/10/07 14:42:08 ycflFfRK
室町の権威を守る為にってのは源平交替思想と変わらない気がするが。

848:人間七七四年
08/10/07 17:53:30 NWFScMoW
>>843
ちゅうか、将軍個人はどうでもいい、というのが小林説。
実際義昭個人を見限って追放に加担したのが光秀たちだし。

だから、光秀は落ち着いたら別の誰かを16代将軍に擁立したのではないか、とこんな
感じだったかな。
小和田的な光秀個人レベルの保守反動としての制度防衛だと鈴木あたりにもトンデモ扱いされちゃってるが、
小林はもう少し広い視点で語ってて、ま、それが谷口には、トンデモ、扱いされてるわけだが。

849:人間七七四年
08/10/07 18:26:20 n/pcM6Gx
>光秀は落ち着いたら別の誰かを16代将軍に擁立したのではないか


鎌倉時代みたいに皇族将軍の選択もあったかもしれないな。

850:人間七七四年
08/10/07 18:39:08 caQyWuTM
つーか、組織防衛ってだけなら、信長も義尋を将軍にして室町幕府の存続を図ろうとしたのに、
義昭の存在があるからそれが出来ず断念したと言うのに。


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