08/10/03 10:36:47 NdI7ybOG
>>766
本能寺跡については、読本八月号今谷の項参照。
747に関しては「本能寺の変というから個人レベルで矮小化され研究が進んできた」と過去の
手法をバッサリ。ここでいう「怨恨説」「野心説」も問題外。
で、「室町幕府体制の問題」から相当に深い考察がなされてる。
つまり「光秀の制度防衛」と言うべきものが変の真因、とされている。
「本能寺の反乱」と呼べべきだろう、という示唆も。
織豊研究の専門家、三木とかも参加する研究会などで出された説で
論文がいくつかある。
興味深いのは藤田説にも考察が深く、鈴木あたりの反論に対してどう答えるのか
そこらへん。
あの「上様馳走~」って書状ね。義昭に関しても黒幕はともかく、制度面から
言及している。
そして、ここで否定されてる怨恨説の「家康饗応不首尾」に関して、事実ではなかったか
として、「けっとばした」はともかく「信長と光秀の間に意見の相違があったのは事実だろう、という
ように展開する。
これだけだと誤解されるのでぜひ論文を読んでほしいが、タイトル忘れた。
思い出してみるわ。