08/08/05 07:59:06 eql9oueQ
>>50
へ~、それは参加したかったな。
自分もまだはっきりとした結論は保留なんだけど、単純にうつけとイケメン
という記述の比較から、なんか不自然なものを感じてて、信行との家督
争いのほうに話が移っていくのだけどね。
最近では、三郎という署名があるから弾正忠家の家督をついでいた、とは言えない
みたいだし、弾正忠を先に名乗ったのは信行だったのかな、なんか結構昔の
シンプルな定説とは違う論も出てきてるみたい。
ひまがあったらまとめてみたいとこだ。
で、信行が正嫡だったらその子を生かしておくのはおかしい、なんだけどこれに関して
もし信長が将来天下取りに立ち上がる意思がそのときからあったとして
そういう血統的な正統性、一応信秀は官職ももらってるし、そういう時のために
安全無害な子供は生かしておこう、みたいに考えた、というのはないかな。
いったんは許した信行をまた殺すけど、これはその前年に長男信忠が生まれたからだ
みたいな論もあって、当時から血統、跡継ぎ、そういうのを意識してたのはあっただろうからね。
ましてや、自分が正嫡ならそういうことに何の問題もないのだけど、母親が信行とは別であった
なんてのが事実とするとそういう家督争いにおいて、血統を意識するのは余計あったろうし。
そういや、信長は2歳の時だったかナゴヤの城に出されるけど、母親と住んでたのは信行
のほうだった、というのも前に展開されてたな。
最初に信行と争った時に仲介に入ったのが信行の母親で、このいうことを聞いてるから
やっぱり、両者の母親は同じだったのかもしれないけど。
長くなった、ごめん、この問題は結構関心があるもんで。