■■■本能寺の変徹底考察スレ■■■at SENGOKU
■■■本能寺の変徹底考察スレ■■■ - 暇つぶし2ch100:人間七七四年
08/08/07 12:27:54 hWZmnnHa
>>99
否定のための否定はいい加減止めないか?君。

101:人間七七四年
08/08/07 13:15:35 B2quNlfF
>>98
>変後に土橋経由で義昭が協力を求めて来たわけだから
これどうやって変後と断定したの?
「仰せの如く未だ申し通ぜず候処に、・・・」
光秀からの返書は初めてだろうけど、義昭からの通達自体はだいぶ前からあった表現なんだよね。
一方通行の意思疎通だろうから、藤田氏の黒幕共謀説まで行くと突飛だとは思うけど、
細川に書状を送る頃には光秀が義昭上洛構想を念頭に持っていたとしても何もおかしくないしむしろ自然なんじゃないの?

細川、三好、織田と将軍擁立政権が続いていたのに、
光秀はそういった構想を山崎合戦直前にいきなり思いついたとする方が強引だと思うけど。
単独説、突発説ありきな論理展開かと思う。

102:人間七七四年
08/08/07 13:37:56 y3roVf2V
>>101
> 細川に書状を送る頃には光秀が義昭上洛構想を念頭に持っていたとしても何もおかしくないしむしろ自然なんじゃないの?

そうだとしたら細川は義昭の意思なんか重要視しないと思ったから光秀は書かなかった。
さらに言えば光秀自身も義昭のことを重要視していなかったから書かなかった。
そういう風になるなあ。

103:サイコメトリー
08/08/07 13:55:57 Gnk3apGr

室町やら義昭の威光は、当時、それほど強いものだったのかなぁ?
変後の状況展開から鑑みても、義昭と共闘してた節が全く見られないと思う。
義昭藤田説は、前スレでも取り上げたが、黒幕説の中で最も可能性が薄い様
に思うよ。

むしろ、後付けで光秀が少しでも権威を利用しようとした動きは見れるが、
細川や諸将へ送った書状の本意は、自軍へ靡かせる為の内容だと思うが。

104:人間七七四年
08/08/07 14:59:47 bXbHPM4U
信長は事あるごとに、寺社を焼き討ち
してきた。
毛利攻めが本格化してきて、毛利勢が
厳島神社に立てこもれば焼き討ちされるのは
必定。実は寺社好きの光秀は、それを食い止めるため信長を
始末した。


広島住まいの者のお戯れです・・・。


105:人間七七四年
08/08/07 15:05:41 B6e8wK69
光秀は寺社や足利将軍を守るために挙兵するとは思えないなあ。

ただし朝廷というか天皇個人を守るための挙兵はしそうなキャラである。

106:人間七七四年
08/08/07 15:09:49 hWZmnnHa
織田家は神官の出

107:人間七七四年
08/08/07 16:16:32 p4c16EBE
>>92
「誰が信長を殺したのか」(PHP新書)
>その、示唆しなかった、だけど、固く口止めされていた、というのは?
立論自体に資料がないのに反論しようがないよ。

>>94
>仮説ではあるが、義昭を示唆しなかったのではなく出来なかっただけではないのか?
それなら、義昭の子の義尋の名前だしゃいいじゃん。
義昭を追放した当人の信長ですら、義尋を暫定的に擁立している。その余は>>99に同意。

>>101>>103
細川が光秀に味方しなかったのは彼が謀反人だからで、「将軍カード」を使えば「征夷大将軍の命令で彼を追放した
逆臣信長を成敗した」という名目で、光秀は謀反人という評価を回避できる。
ところが、細川宛文書の内容は光秀が相当テンぱっているのが伝わるものであるにも拘わらず、将軍と縁の深い細川に
方便でも「将軍カード」を使っていない。
また、信長が万が一のスペアとして用意していた義尋を光秀が擁立しなかったのも不審だな。
光秀は将軍擁立の気持ちなんてなかったと思うね。


108:人間七七四年
08/08/07 16:20:54 vd0IeyXC
>>99
ひまだからつきあうね。

平氏を名乗るのは、その時点では源氏の世で有力平氏なんていなかったから
自称しても秀吉の威光でなんとでもなった。
摂関家の一員になったのも、お金で買った、わけだから笑いもの。
天皇の隠し子なんてのも単に笑われただけ。

ただ、足利将軍がまがりなりにもいた以上、源氏である、というのはその
出自を明確にする必要があり、系譜的なものを持ち出したとしても
笑いもの以前に、詐称、ウソつき、というのがバレてしまう。
下賎の出、なんてのは周知の事実だからね。

だもので、あの時点で秀吉に関する限り、源氏を名乗る、ことは
かなり難儀だったわけ。

あなたは、この、秀吉に限り、というのを一般論に拡大解釈して
そして史料とか証明とか責任とかさらに演繹してるわけ。

82でも同じ論法を使ってるでしょう。
これは100さんが言うように、否定のための否定、という目的が
先にあるからそうなってるわけで、およそ議論の手法としては
幼稚で問題外なんだ。

ゼミかなんかでそういう手法でいつも論破したように勘違いしてるのかも
しれないけど、それを許す教授もちょっと怪しいぞ。

前に皇位簒奪の話の時に、道長も義満もみんなそういう意思があったと
言うのだな、なんて拡大解釈してた人がいたけど同じ人じゃないかな。

109:人間七七四年
08/08/07 16:36:38 B2quNlfF
>>99
>では筒井の説得に義昭を持ち出さなかった理由は?蒲生や山岡など光秀に加わらなかった
>近江の武将達の説得に義昭が使われなかった理由は?摂津の中川や高山など、史実では光秀
>に加わらなかった武将たちを説得するのに義昭を材料にしなかった理由は?
一次資料で確認できるのは筒井の使者と明智の使者の接触があった事くらいだけど。
何故あなたは具体的な交渉内容まで知ってるの?

>>107
>義昭を追放した当人の信長ですら、義尋を暫定的に擁立している。
追放後も信長は室町幕府の権威を利用しようとした傍証だね。
ただし在位の将軍が存命であった為に義尋は将軍にはなれなかった。
光秀も紛い物の将軍では役に立たない事は解ってたはずだけど。
ただし義昭を利用する過程で義尋を保護する事は有効な手段であった。
それには大和の筒井氏を味方につける事が先決だったわけだけどこれには失敗してしまったからね。

110:人間七七四年
08/08/07 16:50:14 p4c16EBE
>>109
>ただし義昭を利用する過程で義尋を保護する事は有効な手段であった。
>それには大和の筒井氏を味方につける事が先決だったわけだけどこれには失敗してしまったからね。
文意が読み取れないが、義尋は変当時に奈良の大乗院にいたってこと?
この時期はまだ出家していないと思ってた。

あとあなたは>>101で光秀の将軍擁立構想を主張してるけど、擁立するのに義尋が不適格ということが
いいたいの?もうちょっと噛み砕いて説明して星。

111:人間七七四年
08/08/07 16:58:09 p4c16EBE
>>109
>一次資料で確認できるのは筒井の使者と明智の使者の接触があった事くらいだけど。
あと、日本年報追加でジュスト高山と光秀の交渉は確認できるな。やけに具体的なのが
ウソ臭いが。

112:人間七七四年
08/08/07 17:12:07 97HXShD+
>>108
戦国時代には松平以外にもほいほいと源氏を名乗った連中がいるわけで、そいつらも
秀吉ほどではないにしろ身分の低い、源氏と証明もできないで源氏を名乗っている。

それから秀吉が笑われたというが、笑われても名乗ることはやっている。摂関家に
ついては、金で買ったとういから笑いものになるのなら、松平だって金で徳川を買って
笑われているね。信長だって同じだよ。本当に平氏かどうかなんて信長が勝手に名乗って
いるだけで真実かどうかは不明、むしろ周囲はロク信じてもいないだろう。それでも
成立する。なんで秀吉だけは成立しないの?

ついでに言っておくと、出自(実際に体を流れている血統)と家は別扱いだから。

113:人間七七四年
08/08/07 17:23:25 kShUYd9W
当時の本物の源氏は佐竹がいるなあ。

114:人間七七四年
08/08/07 18:34:56 MS2UbZa5
佐竹って……。
彼家が本物の源氏だから何?

変に於いて源平論はないという事で。

115:人間七七四年
08/08/07 18:46:27 hWZmnnHa
>>112
だから君は何が言いたいの?何を主張したいの?

否定のための否定じゃなく、きちんと自分の考えているあの時代のグランドデザインを説明しなさい。

116:人間七七四年
08/08/07 19:12:03 7zDqmMyq
多聞院日記には秀吉の関白就任の方法を批判してる記述があるが、それ以前の
正親町帝が秀吉に将軍就任を薦めたという記述には感想もなく淡々と事実のみを
記してたりもするしなあ。

117:人間七七四年
08/08/07 19:13:31 EUiSIa/p
>>114
同意。
積極的に変と源平思想結びつける証拠となる話も、結局特別出てこないし、
変の要因としてあげられるほどの話でもなさそう。

レッテル貼りや人格批判に踏み込んで煽るやつが出てきてる始末だし
これ以上続けたとこで、実りある議論になるとは思えんなあ。

さて、この話はこれまでにして、義昭関与説に戻ると

結局、義尋は変当時どこにいて、どうしてたの?

118:人間七七四年
08/08/07 22:51:18 B2quNlfF
>>110
多聞院日記にかいてある。興福寺にいる。
>この時期はまだ出家していないと思ってた。
じゃあ多聞院日記にでてくる直接信長に会える大乗院門跡って何者なのよ。。。

119:人間七七四年
08/08/08 01:44:32 SnpyAi7M
>あとあなたは>>101で光秀の将軍擁立構想を主張してるけど、擁立するのに義尋が不適格ということが
>いいたいの?もうちょっと噛み砕いて説明して星。
義昭の追放で広義には室町幕府は滅んだ事にはなってるが、
義尋擁立をしようとした事は幕府体制の維持を意味してるわけでしょ。
しかし天正3年頃には正統性の求める先を朝廷に転換してるように、義尋では将軍権威をうまく利用できなかった。
史家さんによっては、天正二年の蘭奢待の切り取りを以ってこの転換期と見る人もいるみたい。
自分は上様という敬称が出だしたのが天正3年頃だから、この頃を転換期と見てる。

義尋との関係は出家後もしばしば安土城に出仕してることから、
足利家の跡継ぎとしてではなく普通に親子として仲良かった様にも思える。
みどり子の生い立つ末を思ひやり  心前
  猶永かれの命ならずや     昌叱
と連歌衆は義尋と思わしき人物を心配してるのも気にはなるけどね。

120:人間七七四年
08/08/08 12:04:36 MiHzpnS/
義昭関与説はおいといて、信長が義昭を追放した時点でもう足利としての
権威、武家の棟梁としての権威は事実上消滅しているのでは。
なので錦の御旗として光秀がそれをかつぐ、というのには無理があるだろうし
素直に自分が将軍を狙った、ぐらいのほうが無理がない。

東大寺切り取りは室町の故事に倣ったものだろうし、このあたりで
信長が足利家を越えよう、と意思を持ったのはそうだろうし、公記でも
御動座、とかそういう表現になって事実上回りも信長を天下人のように
認めていたろう。

変の実行者光秀を、主君殺し、という観点から考えると裏切りものとか
そういう矮小化されてしまうわけで、事実上の天下人を倒して新たな天下人が
誕生した、そういう視点から考えるとまた違ったものも見えてくるかも。

大返しも、秀吉から見て「先に光秀が将軍宣下受けたら自分が部下になってしまう」
という危機感からの必死の行動かもしれないし、先に少し出てた細川が光秀に
味方しなかったのも「逆臣だから味方しなかった」というシンプルな説に加えて
「自分だけいい思いをしようというのか」という感情が入ったであろう事も説明
できる。

そして光秀が変の直後に朝廷への金銭的な気配りを見せたのも、もちろん
逆臣の汚名を少しでも減らそうとした意味もあるだろうが、やはり朝廷からのフォロー
一番の理想の将軍宣下、をまず目指した、そのように考えていくのも
当時の状況をよく説明できるかもしれない。

もちろん野心説の論拠なんだけどね。

121:人間七七四年
08/08/08 12:15:09 npxBa/v2
>>118
多聞院日記に書いてあったのか、指摘㌧。

>>119
同意。
少なくても、天正3年までは信長は義尋を通じて室町体制の維持(権威利用)しようとした形跡があるね。
そして、天正3年といえば、陣宣下で右大臣・右大将となり政敵義昭と肩を並べた年でもある。
転換期は天正3年でいいと思う。

変の話にもどすが、義昭にせよ義尋にせよ光秀が変直後に彼を推戴した(しようとした)形跡
がないのは、義昭関与説の否定のみならず、光秀が旧幕府権力に神輿の効果を認めていなかった
ということでいいのかな?

122:人間七七四年
08/08/08 14:19:43 AY0/QdyB
>光秀が旧幕府権力に神輿の効果を認めていなかった

これには賛成。



>義昭関与説の否定

7割くらい賛成。源氏の光秀は義昭ではなく天皇の臣下になることを考えていたのではないか。
ただ、義昭の性格から見て光秀に「信長を討て」との密書ぐらいは
送ってきていたとは思う。



123:人間七七四年
08/08/08 14:25:01 SnpyAi7M
幕府権威をかざせば敵が逃げていくとか平伏して味方につくとか思ってないだけでしょ。
政権の正統性とは程度が違いすぎる。

124:人間七七四年
08/08/08 15:19:24 ASRXhCvu
>>123
>政権の正統性とは程度が違いすぎる
光秀は政権の正統性を「京頭の義堅く申しつけ」の勅使に求めたのかな。
でも、光秀が朝廷等に献金したのは変直後ではないから、光秀が朝廷の権威を利用する気がホンマに
あったのかはやや疑問がある。
戦国期の足利政権と政元~長慶の畿内政権って、朝廷との間は結構ドライだよね。
光秀は、天正3年以降の信長のひそみにならって朝廷の権威の利用を考えたのか、それとも畿内政権の
ひそみにならって朝廷の利用はあまり眼中になかったのか、どっちだろう?

>>119
>義尋との関係は出家後もしばしば安土城に出仕してることから
「多聞院日記」天正2年閏11月19日条の「大乗院新門」、同3年2月13日条の「大乗院新御所」が義尋ってことか。
後者の記事では「二条殿ノ大政所」とあるから、義尋を指すってことでいいんだろうね。

125:人間七七四年
08/08/08 15:50:45 VGSMamWi
室町の権威を必要としたのでなく、利用出来る物は何でも利用したかった状況が光秀の信長殺った
後の状態。

126:人間七七四年
08/08/08 15:52:26 JzEybMiZ
>>124
朝廷を利用したかったのではないか。
もちろん根拠は、逆臣、という汚名を少しでも減じ
自らの立場を正当化しようとするものとして、ね。
これは、勤皇家、とかそういう思想的なものではなくあくまで
戦術的利用、という意味で。

そして天正三年以降の信長が天皇をどう思っていたか、
これはまたスレチになるから深入りしないけど、馬そろえとか
京で信長の近くにいた光秀は、信長と朝廷との関係をよく
理解していたはず。
なので朝廷を利用したかった、というのは信長の延長線上
でも、反面教師、でもどちらでも理解はしやすい。

朝廷の権威を利用する気があったかどうか、という点について
三好たちとは違い、あまりに逆臣として敵が多い、そして将軍宣下まで
狙っていた、と考えると、権威利用というのは最大の利用価値があった、
ぐらいまで踏み込んでいいのではないだろうか。

127:人間七七四年
08/08/08 17:16:16 A5fcVF1l
これからはロケーションビューで、戦場の場所を調べる必要があるな
URLリンク(www.locaview.com)


128:人間七七四年
08/08/08 19:07:44 H7LOdRhV
>>127
本当は桶狭間とか小牧とか登ったり歩くのが一番いいよ。
そして公記に書かれてる表現ならどのように見えただろう、とか考えたりね。
そうすると今川45000はないだろう、とか小牧で秀吉、家康は2キロまで接近したとか
そういうのがよく理解できる。
ちなみに名古屋ドームで満員の時がざっと33000か、みたいにいつも想定してる。
これだけが動いたら細かい連絡どころではないだろうな、とかね。
本能寺を囲んだざっと1万人かな、これも瑞穂グランドのお客さんが囲んだぐらいで
ちょうど四方にいるからリアルでわかりやすいんだよね。
あれが、ぎゅっと囲んだらそれこそ、是非に及ばず、だろな、って。
二重三重どころではなかったろうな、とか。

129:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
08/08/08 23:12:39 JGaiqFi5
ユーストア横の古戦場跡に立って360度見渡す。
桶狭間住宅は沼地、ユーストアは竹林。セト山は草原。

130:人間七七四年
08/08/09 08:55:07 VTngL1HL
天正10年、ほぼリアルタイムに成立した惟任退治記には惟任公儀を奉じてとあるから、
将軍擁立構想を抱いていた事か幕府権威を正統化に利用した事は判明してる。
公儀を信長と解釈する逃げ道も無いわけじゃないけど、
前後の文章の意味に繋がりが悪くなるから、これだと反論の為の曲解になってしまう。

光秀の10日あまりの天下でその間に朝廷、幕府共に利用した事はわかるし、
そのまま推移していくと足利幕府の復興に行きつきそうではある。
逆説的にいえば光秀の支持層を考えるとその方向以外に進むのは難しい。

上位者を推戴した形跡がないっていうのは、後年の軍記物に見られる矮小化された光秀の虚像であって
太閤記などの神格化を指摘する観点からも示唆されてる。

131:人間七七四年
08/08/09 10:44:56 xLHYv92C
>>129
お、近所の人見っけ。
あのあたりに竹やぶとか多いでしょう、ま、どこにでもあるけど。
あーいうのって、それこそ江戸とか又はそれ以前からずっと宅地造成のすきまをぬって
そのままになってるのかな。
名古屋大空襲にも負けずに。
だとすると今でも落ち武者狩りみたいなこと、なにか残ってないかとか、できないかな。

それともいったん燃えたりして、昭和になってからあんなに茂ったのかな。
いつも部分的にポチッと残った竹やぶ見ると、江戸の昔は全部こういう風
だったのかなって思うのだよね。

江戸と戦国と一緒にするなと言われそうだけど、信長の頃の景色がまだ
少しは残ってるとしたら、なんかすごくない?

132:人間七七四年
08/08/09 13:03:06 hU9oM9SP
竹林は燃えにくいと思った。

133:人間七七四年
08/08/09 15:00:44 7b12l7rP
ちゅうことは残ってるのか。
400年たって何か残ってるかな。

134:人間七七四年
08/08/09 18:19:32 0qLmcfYC
光秀は流浪の身から、様々な手段を駆使し、それまでの地位を確立した。

古典に通じ真面目な人物評もあれば、フロイス評の様な人物評、それらは両極端なイメージ。

少なからず、自身と自家の為以外に変を起こす根拠が見当たらない。

135:人間七七四年
08/08/09 19:29:32 ayVJPQS+
ほんとは信長を殺したのは秀吉じゃないの?

136:人間七七四年
08/08/09 19:45:46 0qLmcfYC
うん。
へうげものではね。

137:人間七七四年
08/08/09 21:33:58 UhwnT0V9
>>134
何の成算もないのに?
近しい細川親子でさえ距離を置くくらい、同時代の人間から
見てもありえない暴挙という認識じゃないかな?
(光秀に乗ろうとした若狭武田みたいなのもいることはいるが)

138:人間七七四年
08/08/09 22:09:23 0qLmcfYC
>>137
謀叛な分けだから、暴挙と言えば、暴挙だね。

ただ細川や筒井が光秀につかなかったのは、秀吉の動きや周辺諸将の動向を見極めてた為。
秀吉の進軍が遅かったり、毛利の動きが積極的だったら、少なくとも細川筒井は光秀につき、それに伴い、中川高山もつき、長宗我部も対光秀軍を牽制していたはず。

139:人間七七四年
08/08/09 22:25:48 UhwnT0V9
>>138
謀反だろうと、根回しがあればかろうじて暴挙にはならない。
大内に反旗翻した陶みたいに。
普通は家康とか織田配下の有力武将、もしくは反織田の有力大名と
連携してから謀反するもんだろ?

ということは突然の思いつきで謀反したが、根回しもなにもなさそうなんで
成功を怪しんだ細川親子らから距離を置かれてしまったってことか。
孤軍で謀反して同盟勢力もろくにない人に、誰も与力したくはないわな。

140:人間七七四年
08/08/09 22:50:48 0qLmcfYC
>>139
いやいや、謀叛の定義は連携でなく、単独でも成り立つよ。

変については、あなたの言う様に突発的行動だと俺も思う。プラス野望的打算よりも信長を殺す事を大前提にし過ぎた為に
様々な配慮に欠けてしまった感は否めない。

まぁ秀吉の行動は誤算だったものの、日の本一の武将を確実に殺す事が出来たのは光秀の周到さも凄い。

141:人間七七四年
08/08/09 23:17:53 10S7h76o
>>137
>何の成算もないのに?
光秀が謀反できたのは、偶然の要素が大きい。
いわく、光秀が中国派兵準備の名の下に京都周辺で公然と軍事活動できたこと、信長親子が
ほぼ丸裸で京都にいたこと、他の方面軍が雑軍の信孝軍を除き遠隔地で敵と戦闘中だったこと、
これらの状況がすべて出揃ったのが5月29日だから、成算を立てるための根回しの準備にかける
時間がまったくなかった。
これらの事実を考慮せずに「根回しがない」って指摘すんのは的外れやろ。根回しする時間がなか
っただけ。
見通しが甘いかどうかは別にして、光秀は「信長をやればなんとかなる」って見通しをしていただけや
ないの?そして、信長殺害は成功している。
根回しなしでも、筒井に関しては中国大返しの報告が入るまでは味方か中立かよく分からん態度にでた
訳だし。

142:人間七七四年
08/08/09 23:36:10 UhwnT0V9
>>141
根回しできなかったなら、謀反をやらなけりゃいいのに。
秀吉が来れなかったとしても、謀反して信長殺して畿内固めて
さぁどうする?
最高にうまくいって、全盛期の三好一族と同じく畿内ローカル政権
くらいしか構築できないぞ。
それ以上望むなら反織田の大名だって黙ってないだろうし。

143:人間七七四年
08/08/09 23:41:50 VTngL1HL
チャンスであると同時に、四国説と三職推任絡みの説の場合は
この時点で立たざるを得ない状態であった事も勘案せねばね。

144:人間七七四年
08/08/09 23:56:07 VTngL1HL
>>142
>最高にうまくいって、全盛期の三好一族と同じく畿内ローカル政権
>くらいしか構築できないぞ。
足利政権のような支配を理想とする思想だってあるでしょ。
それとも天下統一しないとエンディングにならないルールでもあるとか?

145:人間七七四年
08/08/09 23:57:44 0qLmcfYC
バレーも1セット返したね。

四国と三職推任をあえて関連付ける必要あるのかな?

146:人間七七四年
08/08/10 00:05:24 wY+r/Grt
>>142
根回しとか、その後の展開を前提で変を起こしてないのよ初めから。

誰かも言っていた様に偶発的要素を利用し、確実に信長を殺す事が光秀の最重要目的なのよ。



147:人間七七四年
08/08/10 00:30:57 4MMYkaze
>>144
それ無理。
なんで明智ごときに大名連合の頭目とられなくちゃ
ならないんだって誰も従わないから。
しかも逆臣だし。
>>146
それじゃ若者の無軌道な衝動みたいじゃないですか。
主君の不意を突いて急襲して殺すだけ、なら有力家臣なら
誰でも出来る。
その後を考えていないのが腑に落ちないわけで。

148:人間七七四年
08/08/10 00:43:01 tGCofQA2
>>147
光秀は有能な武将だよ。
何度も言ってるが、秀吉の機転的行動力がなきゃ、ほぼ間違いなく畿内周辺を抑えてた。
長宗我部との友好関係を生かせば、織田残軍には簡単に撃破出来ない。

あなたは光秀の事を過小評価し過ぎ。
歴史的結果論を語る事は誰にでも出来るよ。

149:人間七七四年
08/08/10 01:46:47 QbXKyZ1b
それは逆に過大な気もするけどね。

一ついうと、当時の長宗我部には織田軍を牽制する力はない。海を越えて畿内に
上陸して作戦を展開する能力もない。

150:人間七七四年
08/08/10 02:03:05 kQTT11JP
>>149
別に長宗我部に全てを委ねる必要はないんじゃない?

実際、滝川は北条に敗れて関東失ったし、
柴田も、上杉の反抗にてこずって、簡単に動けなかったわけだし。
川尻みたいに、占領地の反感喰らって、一揆でやられたり。

秀吉のあの迅速すぎる逆転劇がなけりゃあ、
地方の織田諸将は時と共に不利になる一方。
むしろ、光秀と戦うどころじゃなくなってたとさえ思うよ。

151:人間七七四年
08/08/10 02:27:53 tGCofQA2
>>150
全く同感。

152:人間七七四年
08/08/10 02:37:40 tGCofQA2
>>149
上陸作戦展開ってあ~た…。ゲームと混同しちゃダメよ。

長宗我部は存在だけで、牽制になるのよ。秀吉に諸将が付いたのだって、たまたまよ。あなた、まさか秀吉黒幕説支持者?

153:人間七七四年
08/08/10 03:57:00 t8ElwSsF
ていうか、朝廷謀略説が主張されたのに、いつのまにか無かったことに
なってるんだが、宮内庁の圧力がかかったのか?

さすがに、日本史最高の英雄である信長を朝廷が謀殺したことがばれたら
困るんだろう...。

154:人間七七四年
08/08/10 04:15:01 kQTT11JP
>>153
夏休みだからって、そんな釣り針たらすんじゃねーよw

155:人間七七四年
08/08/10 09:36:01 0uSJEWUZ
>>150
同意。
前スレでも話題になったが、織田権力は信長の専制体制で、組下を従え強大な軍事力を保有
する方面軍ですら、組下は軍事面以外は司令官の下知ではなく信長の下知に従う必要があった。
だから、専制君主信長の死によって、各方面軍は中国・北陸以外はあっけなく瓦解し、友軍の
北条・徳川ですら領土的野心を隠さなかった。
軍事力をかろうじて維持できた北陸軍も前線の部隊に兵力を割かざるを得ず、近江で光秀と決戦
することはできなかった。
また、織田家の本貫地たる美濃も大混乱して、三法師は尾張に避難し、準本貫地たる伊勢も北畠
一揆が蜂起する有様だった。
また、秀吉が天下人への橋頭堡を築けたのは、信長のみならず「天下を御与奪」させた信忠も死ん
で織田権力が空白になったのも大きい。
「信長(親子)をやる」ってことはそれだけの大きな効果があるのを看過してへんか?
その意味では、光秀の謀反は荒木・松永と異なり「信長をやる」って点において、的確な読みに基
づいとる。

光秀の政権構想について、>>142のいう畿内政権を志向していた可能性が高いことは、細川宛書状から
傍証できる。光秀だって織田版図が丸ごと承継できるなんておめでたいことは考えとらんやろ。


156:人間七七四年
08/08/10 10:11:36 saWk4dd3
甲斐、信州の一揆が強すぎる。
他でも一揆は起こったけど、川尻、森と重臣クラスが駆逐されて追い出されたのはこの地域だけじゃないか?
川尻が死ぬ前に川尻領に所領安堵状が家康から出てるのを見ると、一揆扇動者として一枚噛んだかな。

157:人間七七四年
08/08/10 11:26:04 atwj6awi
>>156
それだけ織田への反発が強かっただけの話。

158:人間七七四年
08/08/10 11:44:01 QbXKyZ1b
支配統制が固まる前におきちゃったからね。

例えば能登では変後にやはり一揆がおきているけど、それはすぐに鎮圧される程度だった。
前田家に組み入れられた豪族達はほとんど参加していない。

甲斐ではそういう、豪族を支配体制に組み入れる前というか作業中に起きてしまった。
変の勃発があと三ヶ月違ったらまた変わっただろうな。
もう一つ、川尻は記録によれば兵二千とともに甲斐に入国したとある。甲斐の国人を
川尻家に編入させるつもりだったのだろうが、この直接軍事力の低さが裏目に出た。

159:人間七七四年
08/08/10 12:17:23 1CiiS/bm
>>158
越前も朝倉滅ぼしてから完全に織田のものにするのには時間かかっていたしね。
嘘か誠か知らないが、松姫が織田家のものになっていたら、展開は変わるかも。

160:人間七七四年
08/08/10 12:54:11 W9EX74NV
源実朝暗殺も事前に北条氏が知っていた形跡があるな。

暗殺者をたきつけた者もいそうだな。

161:人間七七四年
08/08/10 13:15:21 eIE9ztUc
公暁は北条から派遣されたアサシンだろ
マンガ日本の歴史ではそういう書き方だった

162:人間七七四年
08/08/10 13:24:40 atwj6awi
>>161
ありゃ北条じゃなくて三浦だ>公暁

163:人間七七四年
08/08/10 14:41:06 kQTT11JP
光秀に近い位置にいて、一番チャンスがあったなんていわれることのある丹羽なんか、
実はかなりの大ピンチだったろうね。

自分の領国から離れた位置にいて、戻って体制を整えようとすれば、
明智の勢力圏を突破する必要がある。
どころか、その領国さえ危うい。軍の動揺は相当なもんだったろう。

丹羽とか、あの周辺の諸将にとって、秀吉の早期期間は
救世主的存在だったんじゃあないかな、と思う。
丹羽、池田あたりが、その後秀吉支持に徹したのも、
仇討ちを成し遂げたという名分以上に、
そうした、自軍崩壊を救ってもらった恩義で、秀吉に頭が上がらなくなった。
という要因が大きいと思っている。

164:人間七七四年
08/08/10 15:55:17 0uSJEWUZ
>>156
>一揆扇動者として一枚噛んだかな。
件の安堵状は、山崎合戦前の6月12日に出されとる。
当然ながら、甲斐は織田領なので家康が安堵状をだせる筋合いはまったく無いわな。
一枚噛んだどころか、家康の野心そのものやろ。
>甲斐、信州の一揆が強すぎる
伊勢・伊賀の一揆の平定には半年かかっとる。
長曽我部などの根回し云々ばっかじゃなく、かれら一揆の蜂起だって光秀にとっては
十分な味方になる。
光秀は、信長の占領地支配のあり方をみて、占領地の国衆の一揆扇動で方面軍を足止め
できると考えたのかもしれない。

>>158>>163
信長の人材抜擢方法の欠陥が図らずも露呈している。
小身の武将を抜擢しても中核となる軍隊が少ないし、抜擢された武将は組下に舐められたら
おしまい。
信長が生きとったら組下の統御に苦労は少ないが、信長が死んでもうたら組下が従う根拠が
なくなるから案外にもろい。
逆説的な意見だが、織田家累代の重臣を定石どおりに起用していたらこんなにもろくはなかった
かも知れんな。

165:人間七七四年
08/08/10 17:35:38 QbXKyZ1b
>>164
意味になってないぞそれ?
小身から抜擢された武将は現地の豪族達を取り立てて自家の形成する。
これは織田家累代の重臣だろうと新参だろうと関係ない。もともと織田家の規模事態が
小さかったのだから、成長すれば拡大にともなって組したを服属させていくのは当然。
例えば柴田は江南に配されて当地の国人たちを取り込み、越前に入封されてそのこの
豪族達を柴田家に組み込んで言った。これは羽柴でも明智でも変わりない。
そして重要なことは一端組み入れられたものは、基本的にその家に従う。信長に関係なく。

実際、変後に反乱を起したりしたものは組み込まれていなかった連中で、すでに組込まれて
いるものはそのまま普通に従属を続けている。
甲斐や信濃ではその作業の途中だったため、完全に組み込まれていない勢力の方が多かった。
だから反乱も大規模になった。逆に加賀や能登など組み込まれて何年もたった地域では組み
込まれなかった少数の連中が上の同様を狙って反乱を起したにすぎないので、小規模ですぐに
鎮圧された。それだけの話なんで、
>信長が死んでもうたら組下が従う根拠がなくなるから案外にもろい。
これ、間違い。信長が死んでも、すでに組み込まれている連中はほとんど反乱を起していない。
例を二つ挙げると、美濃と雑賀。
美濃では信長から追放された安藤が混乱の隙に反乱を起したが、織田家に組み込まれていた
他の豪族達はまったく同調しなかった。
雑賀も同様で、織田家に組み込まれていなかった連中が、組み込まれていた孫一に対して反乱
を起した。

166:人間七七四年
08/08/10 17:58:21 tGCofQA2
先ほど、別スレ覗いて来たら、変には秀吉が暗躍してるのが定説くらいの勢いだったよ。こちらに来て詳しい方々の意見を見てみればって言っておいたから、有識者の皆さん宜しくね。

167:人間七七四年
08/08/10 18:10:28 iqRyQuv3
>そして重要なことは一端組み入れられたものは、基本的にその家に従う。信長に関係なく。
信孝は四国出兵に際して光秀の組下に属するはずの丹波衆や大和衆に
光秀を介することなく命令してる件。

168:人間七七四年
08/08/10 18:16:48 iqRyQuv3
伊勢、伊賀は組み込まれてだいぶ経ってると思うけど、お国柄だとでもいうかね?
色々と例外の多い理屈だの。

169:人間七七四年
08/08/10 22:26:57 QbXKyZ1b
変の知らせを聞いて逃げ散ったのはそういった各地から抽出され集められた雑軍、いわば傭兵部隊に近い。
信孝や丹羽蜂屋といった郡持ち国持ち直属の、すでに組み込まれている連中で編成された軍は、同様はあった
だろうが、崩壊せずそのまま主将に付き従っている。そのまま彼らは山崎合戦に加わり、その後の追撃や
京支配、残党追輔などの軍事力になっている。

170:147
08/08/11 00:01:51 82PhqtGS
中国大返しがなかったら、光秀が畿内を固められたと
言う見解が体勢みたいだな?
でも織田信雄ら一族や家康などの織田与党が
復讐戦挑んでくるのは必死。
信雄が伊勢から織田本拠の美濃尾張をまとめたり、
後顧の憂いのない家康が自国の兵を率いて来たら
畿内平定どころじゃないだろ?
その折に誰が光秀に味方してくれるというのか。

171:147
08/08/11 00:06:27 bzSvrFr/
あと細川忠興に出した泣き言みたいな書状が気になっている。
「娘婿を引き立てるためで、自分は隠居する」
とか、こんな弱腰見せたら、味方してくれなくなるだろう。
嘘でもいいから
「親族だからって高みの見物は許さん。
このまま参じないなら、畿内平定したら次はお前らだ」
位の強気で行かないと。


172:人間七七四年
08/08/11 00:34:29 a+D+rEYn
秀吉家康光秀がグルってことじゃなの
でないと織田家の権力がここまで削がれる理由も見当たらないw
勝家が勝ってれば織田家復興が成功したかもねw
三国志の司馬イのクーデターも
結局、魏の乗っ取りが目的でしょ


173:人間七七四年
08/08/11 02:17:46 ewA72rmA
架空戦記は受け付けてないんだ。

174:人間七七四年
08/08/11 02:38:26 yUTW0SJw
少し話のレベルが下がって来たな…。

家康に憂いがない?
織田残軍が黙ってない?

史実での秀吉の動きが機敏だった為に光秀は過小評価されがちだが、そんな事はないよ。

秀吉の動向が少しでもズレていれば、光秀の畿内掌握は確実。
まず、信長信忠がいない状況では織田家中は統一性が計れず、命令系統が確立出来ず、不用意に動けない。
家康にいたっては史実通り、どさくさで自領拡大が良い所。信長の仇打ちなんてとんでもないよ。

秀吉に味方した武将がたくさん出たのも、緊急避難的行動。秀吉は信長は難を逃れ、京から脱出してると言い続けてんだから、情報網持っていない武将や底能武将はそりゃあ、光秀側には付けないよ。

175:人間七七四年
08/08/11 03:24:43 tEv0md4Z
>>174
なるほど
低レベルな私と違う、賢しい貴殿の高レベルな結論は
「光秀は秀吉の迅速な行動がなけりゃ畿内平定できた」
ですか。
組下武将は光秀の元に参じ、家康は火事場泥棒に専念、
親を殺された信雄は動かず、畿内が地盤の三好一党などは
光秀の覇権を認めると。
目からうろこです。
さすがに高レベルのお方が言うことは参考になります。

176:人間七七四年
08/08/11 03:28:48 pOBph2hw
みんな信長がほんとは死んでること知ってたけど、
あえて気づかないふりして秀吉についたんだろ

177:人間七七四年
08/08/11 06:54:12 TcS3r5kT
>秀吉の動向が少しでもズレていれば、光秀の畿内掌握は確実。


ただ、光秀が使える水軍はしょぼいんだよね。

武田水軍を継承していた家康にはかないそうにない。

178:サイコメトリー
08/08/11 09:27:38 +/xAR5rR

まぁまぁ光秀の変事好転話は自分も興味あるけど、もめない様に行きましょう~よ。
伊賀越えをして、すぐに軍をとって返すのは家康には困難だったとは思うよ。


179:人間七七四年
08/08/11 09:38:27 Ej2PCUsQ
>>165
>例を二つ挙げると、美濃と雑賀。
>美濃では信長から追放された安藤が混乱の隙に反乱を起したが、織田家に組み込まれていた
>他の豪族達はまったく同調しなかった
美濃岐阜城が斉藤玄蕃允に占拠されている件はどう説明する?
史家の評価は彼が明智寄りだという点で一致するが。
>>167>>168のいう通り、例外の多い立論して、意味になってないぞそれ?って言われても
説得力に欠けるな。



180:人間七七四年
08/08/11 12:32:57 SKXSfdBo
>>130
>天正10年、ほぼリアルタイムに成立した惟任退治記には惟任公儀を奉じてとあるから、
>将軍擁立構想を抱いていた事か幕府権威を正統化に利用した事は判明してる。
>公儀を信長と解釈する逃げ道も無いわけじゃないけど、
>前後の文章の意味に繋がりが悪くなるから、これだと反論の為の曲解になってしまう。
惟任謀反記(「天正記」の一部)確認したけど、大村由己って「天正記」では信長のことを一貫して「将軍」
って書いてあるんだよね。
だから、信長の命令=公儀ってのは曲解どころか素直な解釈と思うけど。
次に、前後の文脈をみても、例の一文の前は「惟任日向守光秀を軍使として、早々着陣せしめ、秀吉と相談すべし。
合戦の行に依って、御動座あるべきの旨、厳重なり。」ってあるから、「惟任公儀を奉じて」ってのは前の文章に書いて
ある信長の命令を指すって解釈に何ら不審はないわな。
ただ、大村は信長の命令・意思を御下知(播磨別所記)とか御錠・上意(惟任謀反記)ってバラバラに表現
していて、藤田に「公儀=義昭の意思」って主張する余地を与えただけやないの?

光秀が将軍を推戴したって藤田の解釈が曲解やろな。

181:人間七七四年
08/08/11 12:43:31 /ahdMmZa
「秀吉が迅速で~」だけど、畿内平定の確率は高かったと思われる。
まず、朝廷側から使いが来るなど、それなりの錦の御旗はついてた。
これは大きいだろう。
そして日和見的な武将はどこかで態度をはっきりさせないといけない。
秀吉が戻ってこれない、ということは毛利が動いた、ということだろうから、
秀吉につくものも少ないだろう。
となると緊急避難的にいったんは光秀につくものもあっただろう。

はっきり敵対するのは信雄と勝家ぐらいだろうが、それぞれが共同戦線
張ってもたいして強いとは思えない。
ましてや安土燃やしたかもしれない信雄なんて同じ織田家でも
あきれてるのじゃないか。

一番の強敵は家康で、家事場泥棒、で済ますには惜しいぐらいの実力がある。
同盟に乗っ取り勝家たちと組んでいったんは光秀に立ち向かう可能性も
高いだろうし、そうなった場合が光秀の最大の危機。
ただ、ぐずぐずしてると光秀が将軍宣下受けてしまうかもしれないし
このあたりはもうイフの世界だから、論じてもまた違う話になる。

重要なのは、秀吉が天下取りへの頭角を表したのは、大返し以降、であって
それが成功しないのだったら、織田家の他の武将と同様、敵討ちにも
成功してない普通の家臣、という扱いを受けてたろう。
なので、家康が「これはチャンスだわぃ」と光秀やっつけて
結局同じような歴史になってたかもしれない。

なんかつまんない結論だな。





182:人間七七四年
08/08/11 12:49:37 ewA72rmA
でも歴史ってそんなもんだろ。

183:人間七七四年
08/08/11 13:56:11 GdF3lThc
>ましてや安土燃やしたかもしれない信雄なんて同じ織田家でも
あきれてるのじゃないか。


安土城を焼いたのは信雄ではなく土豪という説もあるが。
信雄がいくらアフォでも安土城は焼かないんじゃないかとも思う。

184:人間七七四年
08/08/11 14:02:43 0PSX1KL1
>>180
史実の信長は自身を公儀と称した書状とか出してたりはしてるだけに、なまじ知ってる人は混同するんだろうけど、
少なくともこの作品中では信長の命令=公儀として一度も使ってないのよ。

185:人間七七四年
08/08/11 14:15:52 0PSX1KL1
二万余騎の人数を揃へって所だけにかけて読めば信長の命令と読めない事もないけど
それって作為的な読み方でしょ?

186:人間七七四年
08/08/11 15:59:38 SKXSfdBo
>>184>>185
>少なくともこの作品中では信長の命令=公儀として一度も使ってないのよ
確かに、「公儀」はこの箇所しか出てこないが、それは「御錠」もおなじやろ。
この作品には義昭はでてこないので、義昭の命令=公儀と読む積極的理由がないわな。
にもかかわらず、ここだけ違う意味にとる意味がわからん。

>二万余騎の人数を揃へって所だけにかけて読めば信長の命令と読めない事もないけど
>それって作為的な読み方でしょ?
おれはそんな読み方しとらんで。前の文の「軍使云々」=公儀と解釈しているだけ。
なぜなら、さらに前の文では(原文を確認すれば明らかだが)援軍の堀・池田・中川・高山には「卒時の合戦然るべからざる
の旨、御錠ありて」とあるのに、別件での軍使云々の記事については、御錠・上意・御下知など命令を意味する文言はいずれも
使用されていない。
だから、次の文にある「公儀」が信長の光秀への命令と解釈すんのが自然やろ?
また、「惟任公儀を奉じて…密かに謀反を企む。」については、信長の命令を奉じているからこそ、それに矛盾する「謀反」が
「密か」ってこと、すなわち「外見は信長の命令を受けたが、内心は謀反だ」って解釈するほうが「密か」の意味が自然に通じる。





187:人間七七四年
08/08/11 16:11:00 SKXSfdBo
>>183
敵の拠点に利用される前に、自らその拠点を破壊するのが軍事の常識だろ。
だから、真のアフォは安土退去前に城を焼かなかった蒲生じゃね?

188:人間七七四年
08/08/11 16:24:06 0PSX1KL1
>>186
公儀=軍令って捉え方は既に当時の価値観とずれてない?

当時の概念だと公儀は幕府機関など政治理念を含んだ時に使う言葉。
対象が人になる事もあるがそれは公人としての人。
信長が使った例もそれに違わないし、似た表現だと天下って言葉もあるが、
これらの用例については史家さんたちも指摘してるでしょ。

189:人間七七四年
08/08/11 17:08:01 SKXSfdBo
>>188
確かに「命令」は不適当だわな、撤回する。
でも、大村は信長を一貫して「将軍」(一部は「相公」)って表記している以上、公儀=信長(の意思)
でなんら不審はないな。


190:人間七七四年
08/08/11 17:12:26 nV6moMnw
>>187
軍事拠点つうよりも、政庁&シンボル的なもんだったんじゃないの?
特に天守なんてもんは。

信長の野望やってると、天下有数の堅城だから、勘違いするんかもしれんが

191:人間七七四年
08/08/11 17:17:31 ewA72rmA
安土の防御力は地形から考えてもたいしたもんじゃなさそうだし。

192:人間七七四年
08/08/11 17:36:48 SiY6wRGE
>>181
日和見武将は、信雄についた可能性だってあるぞ。彼は単独で一万以上の軍勢で
近江まで進出してきている。彼が光秀の反乱に対して討伐の兵を挙げたのは史実。

信雄は馬揃えで信忠に次ぐ二番目。立派に旗印になる資格を持つ。さらに具体的な
軍事力を持っているとなれば、秀吉がいなくても畿内の諸将が彼につく可能性は
普通にある。

また、秀吉が予想外に帰還を果したからと論をつづけるが、その前の状況を見て
みると、畿内の諸将たちは、秀吉が帰ってくるかどうか判らない、むしろ帰って
くる可能性が低い状況で、光秀から離れていっている。
さらに近江に敵対勢力一万が迫っているとなれば、一万三千の光秀は身動きが
取れなくなる。(ここで、信雄は無能だから脅威にならないとか講談話はなしね)

193:人間七七四年
08/08/11 19:05:02 yUTW0SJw
可能性はなくはないけど、やっぱ信雄じゃ無理なのは明白。
一万いようが二万の軍勢が居ようが、軍隊とは明確な指揮命令により機能する分けだからね。
臨機応変に対応出来たり、機を見るに敏な武将ならば、小牧長久手の様な
対応はとらない。


194:人間七七四年
08/08/11 19:17:21 hotEBY5M
>>192
信雄は蒲生を信用してなかったし、伊勢・伊賀一揆蜂起で土山から進軍できなかった。
信雄だけでは求心力が弱い気がする。
柴田軍が近江に入ってこれば、合流して信雄もいい働きできたかもね。

>信雄は無能だから脅威にならないとか講談話はなしね
フロイスの信雄評や信雄への折檻状のどこが講談話なんだ?

195:人間七七四年
08/08/11 20:05:58 LPv9/9t6
拠点を焼くのは基本なんだけど、信雄がそこにたてこもって勝家
とかが来るのを待てばよい。ま、信雄が燃やしたかどうかはわからないからあれだけど、
そう思われていた、という事実が重要だろうな。

信雄につくのは織田家家臣なら仕方ないだろうけど、日和見武将たち、
ツッチーとか、そういうのが信雄につく可能性はなかったんじゃないかな。
あの時点では織田家家臣もバラバラで、少なくとも織田家の敵討ちを
手伝う義理も何もない。

それよりも、細川がどうして光秀につかなかったか、をもう少し整理しておいた
ほうが良くないかな。
変自体、大返し、もかなり異常な出来事だけど、光秀から見て細川が味方に
ならないというのも、かなりの想定外だっただろう。
おまけに出家したということは、もう完全に争いの外に出てしまった、ということで
日和見とも違う。

このあたりは、細川から見て、光秀アホちゃうかわしゃしらへんで、ってとこで
単独、突発、野心説の良好で重要な論拠となるだろう。
光秀は、事前に相談も出来ないし事後承諾で十分、と判断してたのかもしれないが
これと、大返し、だけはさすがに想定外というかまさに歴史の奇なるとこで
あの11日間というのは不思議なもんだったんだろな、といつも思う。

196:人間七七四年
08/08/11 20:37:47 tNhvNSHY
基本の例は?

197:人間七七四年
08/08/11 20:43:06 st69q8ot
様子見だったんじゃないの?
基本的には明智が負けると思っているけど2割~4割は機内掌握するかもって感じで。

明智勝→大人気なく追悼なんてやってゴメン。
    息子は娘婿だし。兵出してないから許してくれるよね。ハート

明智負→当家は追悼の意志を表していた。
    信長公への恩の大きさから呆然としてたんだ。許してくれるよね。ハート

198:人間七七四年
08/08/11 21:54:53 SUDUxoY+
>>196
良い質問だな。
普通は徹底抗戦して落とされるから、相手も利用しようがない。
明け渡す時は、城主が変わるだけで農民さんや家臣は助けてやってくれ、という
明け渡し方。これは小さい城の話ね。

でも、安土ってのは大阪、伏見に匹敵する、それ以上の城、あんな大城を
簡単に燃やすこと自体が、信雄がいかにとーちゃんの意思をわかってなかったか、の証左。

今、バチカンかどっかでさがしてる日本人がいますよね。
あれが見つかったらかなり歴史が変わるかもしれなくて、楽しみにしてる。

199:人間七七四年
08/08/11 22:00:58 5ucvF4+f
伊勢伊賀は変後一揆発生で、半年後秀吉の援軍を得てようやく鎮圧だから
光秀健在なら、信雄牽制のため更に煽るだろうから信雄だけでなく、帰国した滝川もまともに動けないと思う。

200:人間七七四年
08/08/11 22:13:01 SUDUxoY+
>>197
そういう表現するとからんでくるのが多いけど、実際にあの時点では
二面作戦取りますよね。
例えば、秀吉が戻ってきたから秀吉についた、という言い方は
結果ありき、で、山崎で光秀が勝ってたかもしれない。
実際に、農民の槍、というのが定説ですからね。
だから、秀吉があそこで勝った、というのはもっと高く評価する必要が
あると思う。
ってか、丹羽、信孝合同軍だろ、みたいにならずに秀吉が勝った
という評価をされてること自体が、もっと検証されるべきではないか。

実際、そこで初めて天下への意思を見せて「奇跡の三年」で
関白へ。
家康も1598~1600の三年は神がかってたけど。
これは、結果でなく、その時点に戻ってみると不思議で仕方がない。
すべてが本能寺から始まったとすると、光秀こそがイフを
語られるべきかもしれないな。



201:人間七七四年
08/08/12 00:19:09 uEKRhiVC
西国出兵の軍に細川藤孝は何故参加してないんだろうね。
留守を命じた記録や資料も見た事無いのよね。
事前に話してないのなら同行を促すだろうし、既に交渉決裂済みだったって事だろうかね。

202:人間七七四年
08/08/12 01:49:17 AYtiR9tU
何にしても秀吉黒幕説には浪漫がある


203:人間七七四年
08/08/12 04:17:27 N8yN9SSZ
秀吉黒幕説に限らず、陰謀論自体がそもそも浪漫でなりたってる

残念ながら、浪漫と言わずに妄想と言うことの方が多いが

204:人間七七四年
08/08/12 09:52:21 OfOtI8Cm
秀吉黒幕説を否定するのは案外細かくてふちのほうからの論が
多いからそのあたりが根強く生き残ってる理由なのかな。

光秀単独説だって「史料を出せ」というのがいるから、妄想、という
意味ではすべて同じなのかもしれないな。

205:人間七七四年
08/08/12 10:22:08 uEKRhiVC
なんにしても他人の説叩いて飯食ってる人の信者にはなりたくないけどな。
叩く前に自説の論証をしっかりやれといいたい。

206:人間七七四年
08/08/12 10:32:09 AiWf1eOt
>>205
バカ?

207:人間七七四年
08/08/12 13:13:27 7aX14VYl
ウン、120%馬鹿だね。

208:人間七七四年
08/08/12 13:37:16 HhIqWKm+
>>188
藤田説も将軍黒幕否定説も、土橋宛書状の「上意」=義昭と解釈する点は一致する。
また、毛利宛書状・信長公記で公儀」=信長と解釈すべき用例が存在することも異論がない。
よって、将軍追放後は、上意は信長の専売特許じゃないし、公儀も義昭の専売特許ではない。
惟任謀反記では信長を「将軍」と表記している以上そこらへんの用語使用の境界はなおさら曖昧で、
「惟任謀反記」の「公儀」が義昭をさすかどうかは不明確というのが正解ではないか?
前後の文脈で判断するしかないんじゃないの。

>>195
確かに、筒井と細川ではかなりの温度差あるよね。
「多聞院日記」によれば、筒井は最初は井戸・南方衆を光秀に合流させて近江攻略を手伝っている。
あとは、兵を引っ込めて籠城準備するも、軍使の藤田を呼び返してひたすら時間稼ぎしている。
一方で、13日の決戦当日に「兵をだして故信長への忠節をみせろ」って信孝から書状を食らう始末。
徹底した日和見だよね。
一方、細川は最初の使者の沼田が来たときに「摂津をやるからせめて重臣を上洛させろ」って言われた
のに、剃髪して玉子を味土野に幽閉した。
次の使者の言上はご存じのとおり、光秀の泣きごとみたいな内容になっている。
この点で、明らかに両者の対応は異なる。
ただ、筒井と細川の利用価値でいえば、筒井の方がはるかに上だと思う。
若江3人衆は筒井に同調するって上記資料にあるし、筒井が味方すれば大和・河内
が勢力圏に入るから、信孝・丹羽軍は余裕をもって撃破できたんじゃないかな。
ここで勝利すれば摂津国衆を掌握できる可能性も高くなる。
それが筒井の日和見ですべてオジャンになったから、光秀にはこれが一番コタエた
ように思う。

209:人間七七四年
08/08/12 14:11:29 jM8vcoBe
でも筒井って一見処世上手に見えるけど、
その後あっさり衰亡しているんだよね。

210:人間七七四年
08/08/12 15:46:24 xj2nOpVn
>>208
そだよね。
細川、筒井どちらも味方につかず、秀吉が無傷で帰還。
こういう不運も逆にあまりないぐらいということか。
で、順番から行ったら、信孝、丹羽、秀吉軍が光秀に勝ったのが
山崎なんだろうが、案外そう言わずに秀吉が勝った、見たいに言うのは
やっぱり結果を知ってるからなのかな。
このあたりも少し考慮して、秀吉のすごさに付け加えたほうがいいのかな。

211:人間七七四年
08/08/12 21:22:45 k4VxhTO8
7日には秀吉が姫路まで戻ってきてるし、筒井が日和見するのも当然といえば当然だな

212:人間七七四年
08/08/12 21:34:06 PhS48E7J
秀吉が戻ってくる(毛利と停戦含み)なら光秀は負けるかもって考えが生まれる位の背景はあるんだろうな。
感情的にも主殺しだしなってなり思考にフィルターをかける要素になりそうだし。

213:人間七七四年
08/08/13 00:08:09 GmldeCxf
>>186
>また、「惟任公儀を奉じて…密かに謀反を企む。」については、信長の命令を奉じているからこそ、それに矛盾する「謀反」が
>「密か」ってこと、すなわち「外見は信長の命令を受けたが、内心は謀反だ」って解釈するほうが「密か」の意味が自然に通じる。
その様に解釈するには「揃へ→揃へたるが」って表現になるでしょ。
自分も信長の公儀だと思ってたけど、そのまま読むと信長の意志で謀反した事になるから妙だと感じてた。


「惟任公儀を奉じて、二万余騎の人数を揃へ、備中に下らずして、密に謀反をたくむ。
併しながら、当座の存念に非ず。年来の逆意、識察する所なり。」

識察する所なり。とあるから前の文に識察出来る事柄が書かれてる。
それらしいのは「公儀を奉じて」という部分。
公儀を奉じてることから、長年の逆意である事は、察し知る事ができようって事。
光秀と義昭の関係や追放劇などを知ってれば、突発的なものではなく長年逆心を抱いていたと察する事ができるわけよ。

2行目の文も信長=公儀とすると、何を以って識察すべきなのか良く分かんないでしょ。

214:人間七七四年
08/08/13 16:04:16 3PlTU2A/
>>213
>その様に解釈するには「揃へ→揃へたるが」って表現になるでしょ
この指摘については文法的にはその通りやと思う。
でも、>>213の解釈だと「併しながら」のつながりが悪くならないか?
「併しながら」の前(「惟任…企む」)が当座の存念(=突発的)をさす文章じゃないと、
この接続詞が逆に不自然になる。
その文章だと理解するには、公儀=信長の方が自然に思う。
なぜなら、あなたも指摘するとおり信長・義昭の対立と光秀・義昭の関係は周知の事実だから
公儀=義昭だと当座の存念じゃなくなってしまう。

>>210
そうじゃなくて、秀吉が大軍率いて来たからこそ、この軍勢を核にして摂津衆も味方に参じ信孝
も摂津富田で共同で軍事行動できた訳でしょ。
逆にいえば、四国平定軍は核たりえないと摂津衆に思われたんじゃないかな。

215:人間七七四年
08/08/13 18:09:33 XCRJ1ElF
やはりザビエルが黒幕だな

216:人間七七四年
08/08/13 20:22:35 7h3ycOn6
>>214
四国平定軍ですが、やはり神戸信孝の能力の無さが大きかったと思う。
津田信澄が、一緒になって光秀を討とうと言っているのに、裏切るのではないか、と邪推して殺している。
これについては、自分は養子に出されて織田家の人間ではないが、信澄は織田家の人間のままなので家督を継ぐのでは、と考えたという説もある。
ともかく、信澄を殺したのをきっかけに四国平定軍は崩壊状態になり、秀吉軍が駆けつけるまで右往左往する羽目になった。
何か信澄に怪しい動きがあったというのなら記録に残りそうだが、そんな記録を見た覚えはない。
どう考えても、信孝のやったことは、四国平定軍の崩壊を招いたと思う。

本能寺の変と関係はないが、山崎の戦いから清洲会議、賤が岳の戦いへの流れを見ても、信孝の中途半端な才能が目につく。
四国平定軍が崩壊し、摂津衆が味方しなかったのは、信孝の無能のためではないか。

217:人間七七四年
08/08/13 20:49:26 Hp91devR
神戸信孝は無能というより狭量だよね。

218:人間七七四年
08/08/14 02:01:26 mHlw98S3
>>214
中世の文の「併しながら」は現代の逆接続詞の引用法とは異なる。
明治頃には現代の使い方になってたみたいだけど。
「併」はアワセルという字を使うように、昔は強め詞(副詞)として使われてる。

例として、『吾妻鏡』の読み下し文より抜粋。
「本意併しながら亡魂の憤を休め奉り、年来の宿望を遂げんと欲するの外他事無し。」
源義経が本意を語る部分なので、解りやすいと思うけど「併しながら」の後に本意が語られてる。
逆接続詞として使うと誤訳になる。

アマチュアの史家もここらを誤解されてるみたいで、この手の誤訳をしてる人を結構見る。

219:人間七七四年
08/08/14 07:09:02 KRknFaPK
随分昔に読んだので題とか忘れたんだけど、織田信孝と三好氏のなんたらって論文があって、
それには四国遠征軍編成時には織田信孝はすでに三好康長の養子に入ってて(康長も笑岩と出家していたのを、
還俗して慶なんたらって名前にして、三好氏の総領という立場にあったらしい)、神戸家は日野城に幽閉されてた具盛が復帰し、
四国遠征軍は神戸家や摂津・河内・和泉の国衆と傭兵が主力だったと言う事が書かれてた

そして本能寺の変で、四国遠征軍が瓦解した原因として、信孝が神戸家の投手ではなくなったので神戸家の軍勢は勝手に引き揚げ、
傭兵は四散した為と書かれており、大坂城には河内などの国衆だけしか残らなかったと言う説明だった

結構古い論文なんだけど、四国遠征軍の構成や信孝と三好氏の関係、信長の四国政策の転換等の解説を、
史料踏まえて解説してあったので、面白く読めると思うんだが・・・

載ってる論文集や肝心な論文のタイトルや著者の名前が思い出せない・・・orz

220:人間七七四年
08/08/14 08:12:42 RB0GX4pq
津田信澄の性格や能力に関してのデーターがあまり出てこないな。

仮に切れ者だったとしても、信長から警戒されるのをおそれて
小心者を装っていたのかもしれないが。

221:人間七七四年
08/08/14 11:51:53 rMhg+DHq
>>218
>「併しながら」
同書にある「然れども」とどこが違うんだろって疑問があったが、そもそも逆接詞
じゃないのか。指摘㌧。
あと同書にある「思惟する」と「識察するに」の現代語訳もついでに教えて。
前者はだいたいの意味が分かるが、後者は検討もつかない。

>>219
>還俗して慶なんたらって名前にして
「康慶」じゃね?
桐野本では、「長」を下にするのは信長に不敬だからそういう名前にした
って書いてあった。
あと、追放したはずの関父子も四国軍に参加しているよね。彼らも勝手に引き
上げたのかなあ。

222:人間七七四年
08/08/14 19:13:36 EzRJtJlB
信澄は頭は切れるが残忍だったらしい

223:人間七七四年
08/08/14 20:31:50 m4t2y3Ie
>>222

もうちょいくわしく。

224:人間七七四年
08/08/14 20:47:23 EzRJtJlB
URLリンク(ja.wikipedia.org)

225:人間七七四年
08/08/15 02:30:16 KZYdaw+X
>>221
「思惟する」=現代の意味と同義
「識察する」=察し知る、察する
「識」には対象を分析して認識する分別知の意味合いがある。

226:人間七七四年
08/08/15 11:29:55 OBzcqCL/
>>225
ありがと。
おれの立場は>>208だったが、文脈からすると公儀=義昭の方が自然な解釈だな。
あとは土橋書状で変前から義昭とコンタクトとってるって解釈できれば
「奉じて」も変前から推戴したってことになるから、将軍関与説が成立するのかな。

227:人間七七四年
08/08/15 12:52:02 n6sOg9r4
義昭は性格からして
明智にも細川にも「信長を討て」とダメモトで定期的に密使を送っていると思う。


228:人間七七四年
08/08/15 12:54:05 n6sOg9r4
ところで朝廷は義昭を征夷大将軍から解任する処置ってのはとっていないんじゃないか?

ということは義昭はいつまで現職の征夷大将軍だったんだろう?

229:人間七七四年
08/08/15 13:33:05 WUnfWIOe
形式的には秀吉期に将軍職場を退任するまで。年号は忘れた。

230:人間七七四年
08/08/17 16:07:48 ArHS8s+G
本能寺の変の折は、蒲生と木下がそれぞれ安土と長浜城を放棄したらしいけど、
佐和山城も戦わずして放棄したのかな。と、いうよりも誰が留守居として居たのかすら。

231:人間七七四年
08/08/17 17:07:31 jY1ruQT3
変の直後、信忠が命からがら佐和山城や長浜城にたどりついたとしても
守将がいたとは限らないんだな。

232:人間七七四年
08/08/18 12:36:36 lL6/gRZt
直後ならいたでしょう、変は京都で起きてるだけだから。
ただ、脱出できたとしたら安土の方に向かったろうね。
直線で60キロぐらい、午前中には着いてる。
そうしたら兵の脱走とかなかったかどうかは、また別の話だけど。

>>228
だもんで、三職推任とかの話では、朝廷側は義昭をどう思ってたのだろう、と
いう話になってくる。死んだと思ってたか、無視か、忘れ去ってたか。
本なんかだと足利幕府滅亡は1573とか言うけど、このあたりも微妙なとこだよね。

233:人間七七四年
08/08/19 00:41:36 o3KKjd72
個人的には、幕府の滅亡というか消滅は1573年以前でいいと思う。
それ以前に、将軍と幕府は乖離した存在になっていたし。

それと官職については、近衛が地方にいて朝廷の政務に関われないから、関白職を
剥奪しようという動きとかもあった。信長が将軍を望んでいたら、同じことをする
だけでしょう。朝廷からしたら、すでに自分達を守る力のない存在に義理立てする
理由もないし。

234:人間七七四年
08/08/19 06:14:49 IBEpHDlW
本能寺は変

235:人間七七四年
08/08/19 12:00:51 OiOqgQ0e
事実上は1573以前なんだろうけど、歴史解釈の建前上として
どうするかだよね。
幕府消滅、というピリオドを作ろうとするから無理が生じるわけで、
やっぱり微妙なとこなのかな。

信長が将軍に任官してたら、義昭を解任、なんて正式な勅が出ただろうか。
イフの話だが少し気になったりして。

236:人間七七四年
08/08/19 12:08:41 aoW456mH
文章で信長の事を上様と呼び始めた時に足利将軍の終りと考えていいんじゃない?
どんなきっかけあって信長=上様となったのかは知らないけどエロい人教えて?

237:人間七七四年
08/08/19 14:16:29 OoN4bZJo
>信長が将軍に任官してたら、義昭を解任、なんて正式な勅が出ただろうか。


三職推任。朝廷サイドは平氏を称する信長が平清盛の先例にならって
太政大臣を選択してくれれば一番ありがたかったんだろうな。

238:人間七七四年
08/08/19 16:12:55 6r2jlXd9
>>236
上様、というのは目下がトップを呼ぶときに使うだけだから、あんまり
将軍の終わり、とは関係ないと思うよ。
それより、公記なんかで、「御動座」みたいに表現し始めるのに注意
したほうがいい。
単なる「上様」から「将軍みたいに扱われ始めた」、ということだからね。
これは家臣だから、というよりより広義の意味で信長がそういう立場に
近かった、ということをあらわしている。


239:人間七七四年
08/08/19 16:19:18 6r2jlXd9
>>237
三職推任に関してはいろいろな解釈があるからあまり触れないけど
朝廷が何を一番望んでいたか、というのは面白い発想だね。
要は自分たちの支配下、バック、に置きたいわけだから
何を選んでもうまく対応したのかな。

ちなみに秀吉が関白になったのは朝廷側より
一般大衆の方が驚いたんだろね。
今でいったら小島よしおが総理になるようなもんか。

240:人間七七四年
08/08/19 19:15:37 c74VEsig
秀吉を関白にしたってのは、
昭和天皇がポツダム宣言を受諾したのと同じくらいの衝撃だろうな。

241:人間七七四年
08/08/19 19:49:01 o3KKjd72
>>238
いや、「上(うえ)さま」の上というのは「お上(かみ)」のことで、一言で言うと天下人、
国家(と言うほどのはっきりした概念ではないが)統治の宗責任者に対する呼称。

例えば江戸時代では上さまは徳川将軍ただ一人。どこぞの藩主が家臣に自分を上さま
なんぞと呼ばせたら、それだけで謀反の意志ありとみなされる。

242:人間七七四年
08/08/19 20:36:16 VrReevNi
そだね、徳川時代が一般的だからね、上様。
室町から戦国にかけての用法はもう少し軽い意味合いだったのかな。

243:人間七七四年
08/08/19 22:32:01 o3KKjd72
そんなことはない。
例えば信長以前に天下人と認められていた覇者、足利将軍家の軍事力を解体して
将軍を完全に無力化・傀儡化させて幕府機構をのっとった細川政元、同じく将軍
自体を京から追放して将軍なき幕府を運営した三好長慶。彼らですら「上」とは
呼ばれることなく、その呼称は無力化した将軍のものだった。そして他の守護・
戦国大名で「上」と称した者はいない。

それを思えば、義昭が将軍のままで信長が「上」と称される意味の重さ大きさが判る。

244:サイコメトリー
08/08/20 19:26:17 NMsprWXr

夏季休暇があり、少し停滞してたけど、また皆さまの本能寺スレお願いしますね。

245:人間七七四年
08/08/20 19:35:06 vAyBjRy1
本能寺の変の原因って、光秀の視力低下が原因だと考える。いや真面目に。
このまま視力低下が進めば、光秀といえども、信長は役に立たなくなった彼を簡単に放り出すだろう。
おそらくこの反乱を思いついた前後に、それを考えさせるような何かがあったのだろう。
彼が放り出されれば、当然のように彼の一族郎党も悲惨な目にあうだろう。その恐怖が、彼をして
一見無謀な反乱に駆り立てたのではないだろうか?

246:人間七七四年
08/08/20 20:41:41 n8bCzDI2
>>245の説は、視力回復センター関係者による説として一部で有名。

文書の処理に優れていた光秀は、近視になってもおかしくない。
肖像画の目が細いが、近視のため目を細めていただけ、という指摘がある。

眼鏡のないこの時代、視力低下が進んでいった場合は、
信長によって追放確実。

247:人間七七四年
08/08/20 21:00:52 lNvAZYSx
当時は老人性白内障の治療法がなかったからな。

248:人間七七四年
08/08/20 21:10:30 ceUK5wxc
ひょっとして、佐久間さんもそれで?

249:人間七七四年
08/08/20 23:36:08 3PPOqupw
視力の低下はともかく、それと追放がなんで確実なんだ?

250:サイコメトリー
08/08/21 08:04:01 1Je7DMAw
>>245
知らなかった~。そんな説があったんだ。
追放かどうかは別として、視力低下により職務をこなせなくなり、将来を悲観する
って事由は十分一因にはなると思う。

>>248
それは微妙な気がするよ。佐久間と明智は能力も状況も違うと思うので。

251:人間七七四年
08/08/21 11:39:28 UK4XRMxg
>>250
光秀の視力についてはたしか多聞院日記だったかなにかに記述もあるので、
そのあたりは事実とみていいでしょう。年齢的にも、五十五歳説でもあって
おかしくないし、六十七歳説ならなおさら。

しかしそれが将来の悲観に繋がったというのはどうだろう?
はっきり言うと、光秀個人と明智家の処遇は別なのだから。

光秀が軍人として役立てなくなったというのあら、隠居して代替わりをすれば
いいだけの話。もし光秀がそれでも武将として働きたいというのなら、それは
単に光秀のわがままで、信長だけでなく、明智家の将兵にとっても迷惑なだけ。

そして何か勘違いしている人が多いが、信長は老齢で役立てなくなった人物を
それで追放なんてしたことはない。というか、そんなことをしたら光秀だけでなく
他の武将もみな裏切る。信長はそんな馬鹿だと思っているのか?跡継ぎが幼少だと
いっても、例えば信長には千秋家の例のように、ちゃんと所領の保護をしている。
明智家だけは幼少だと保護されない、なんて理由がどこにある?

252:人間七七四年
08/08/21 14:00:46 01/vhFxK
代替わりすれば良い?
そんな単純な事かな?
解釈として、個人と家は確かに別だが、能力が有る個人がいなくなったり、使えなくなくなったりしたら、家にも影響するよ。戦国時代だよ。家を継ぐ事を第一とした時代とは違うよ。

253:人間七七四年
08/08/21 14:56:41 w40Ju53Q
蒲生家なんかそうだよな。

254:人間七七四年
08/08/21 16:02:17 nA3clidC
だいたい信長は、特に家柄もない光秀の、個人の能力を買って出世させたんだから、その光秀の能力が
引き出せない状況になれば、明智家は取り潰しはなくても、大幅な縮小をされるのは、ある意味当然の事だわな。
これぞ能力主義。

255:人間七七四年
08/08/21 16:26:54 y7Jo2K8T
うむ、納得。

256:人間七七四年
08/08/21 16:41:17 vazDu/l9
そのあたりは難しいが、信長としては大まかに天下統一したら、あとは武将としての
能力よりも織田家に対する忠誠を重視したかもしれない。
なので、ほんの1~2年後には秀吉滝川信孝あたりが統一の道筋
つければ、戦国の大まかな終焉、光秀も視力が減退したからといって
すぐにおいだされることはないだろう。代替わりで忠誠を誓えばね。

もっともこれは信長側からみた場合で、光秀自身がどう思ったかはべつ。
なので、視力減退説は「信長に放り出される危機」というよりは
「野心説」の重要な根拠の一つ、とみなした方がいいと思う。
つまり、四国政策で悩む、目も見えなくなってきた、という状況で
より追い込まれた、というような。

257:人間七七四年
08/08/21 16:54:33 vazDu/l9
「野心説」で、あまり触れられないことに言及すると
あの時点で信長は統一寸前だった、ということがある。
1~2年あればそんな状況だった、というのは妄想ではなかろう。

そうなってしまうと、謀反も難しくなる。
家康ですら秀吉生存中には真正面からは戦いを起こせなかったように。

なので、あの時点というのはまさに光秀から見ての、ラストチャンス、この
期を逃したら、というのはあったろう。
四国政策問題や視力低下、野心的にも残された時間は多くない、そうして悩んでるところに
目の前に信じられないようなチャンスが・・
こんなところではないか。

無謀だった、と言われるけど、最後のワンチャンス、ラストチャンスでしっかり目標を
達した、という視点では光秀の戦国武将としての力量を認めるべきで、決して「ノイローゼ的な
突発、無謀な犯行」というのとは少し違うように解釈すべきか。

細川たちが味方につかない、秀吉大返し、こういうのはまったくの予想外だったろうし、
これをもって「光秀に先読みの能力がない」というのはちょっと厳しい。
そういうのは、また光秀の謀反とは別に語るべきだろうしね。

258:人間七七四年
08/08/21 17:00:17 WBKyA1VO
劉邦が功臣たちを粛清したような感じで
信長は天下統一後に自分達を粛清するかもしれない、
と光秀は考えていたのかもしれない。


259:人間七七四年
08/08/21 17:01:02 ObcWhqi0
家の価値とは当主だけではなく一族や家臣を含めての物だからね
ただ信長から見て利三がその価値を激しく下げていたかもしれない

260:人間七七四年
08/08/21 19:02:28 y7Jo2K8T
細川たちが味方につかなかったのは、謀反の意図の秘密を守るため、
根回しができなかったためだろう。突発的だったし。

261:人間七七四年
08/08/21 20:20:14 Z+XjAer6
細川の話だけど、彼が足利には忠実に仕えた忠義の真面目な人、というイメージだと
光秀に味方せずに即髻切ったのも理解は出来る。
「逆臣には味方できない」と「保身を図る」という意味から。
ただそれだと、光秀と親しかった、というのがちょっと不思議な感じもする。
光秀は冷淡に主君を乗り換えていくタイプで、あんまり忠義の臣というのでは
なかったろうから。
ま、信長の臣の中では教養あるほうだし、単にそういう意味から親しかった、
ぐらいの理解でいいのだろうかね。

秀吉は細川あたりに質疑応答したのだったかな。

262:人間七七四年
08/08/21 21:50:38 XPdUsCni
信玄が三河あたりで暴れていた頃、明智と細川が幕府から信長に乗り換えた理由がよくわからんね。
包囲網の破綻が内側からそれだけよく見えたのだろうか。

263:人間七七四年
08/08/21 21:59:57 Z+XjAer6
明智は最初二重主君みたいな状態があったけど、あれは天秤にかけてたのでしょうね。
細川の細かい動向はよく知らないのだけど、包囲網というのもそんなに破綻してたのですかね。
信玄が絶好のタイミングで死んでしまったのだけど、あの時そのまま上洛してたら
ヤバいのは信長のほうではなかったのかな。
少なくとも、兵まであげて信玄を待っていた義昭は、日本史上に残る待ちぼうけだったかも。
少しかわいそう。

264:人間七七四年
08/08/22 00:02:16 g76Ky6NE
>>252>>254
だからさ、個人に与えられる役割役職と、家に与えられる領土は別でしょう。
おそらく光秀が死ぬか隠居して光慶が継げば、明智光秀に与えられていた近畿管領軍
という役職は解任されるでしょうよ。しかし明智家に与えられた官位や領土はそのまま
受け継がれて、光慶の成長と才能によってはまた返り咲くこともできるかもしれない。
それは普通のことで、光秀が恐怖を感じるほどのことではないし、信長の特殊な人事
というわけでもない。
例えば森可成や坂井尚政。彼らが生きているときは織田家の地位としては秀吉や光秀と
同等か上回ったか。しかし死後息子に代替わりしたら、地位には水をあけられた。それで
長可や越中守が領土を没収されて追放されるかもなんて恐怖を抱いたか?逆に、働いて
功績を挙げればまた地位は回復できるかもとされた。それはもう才能しだい。

宇喜多家の例もある。信長が明智家には認めない理由がどこに?

265:人間七七四年
08/08/22 01:25:38 ty0WMJiJ
>>264
落ち着け。
夏休みだ、空気よんであげてくれ。

266:人間七七四年
08/08/22 04:53:37 /Y3wosZB
明智細川は

信玄の寿命がどうも長くないであろうこと
兵站に不安があるので、そうすぐには上洛できないであろうこと
後継者勝頼の能力がパッとしないこと

同盟者の朝倉はさほど頼りにならないし、
本願寺軍団は機動力を持っていないこと


などを考慮したのではないか。

267:人間七七四年
08/08/22 09:34:44 3xkTxxgC
>>264
上げ足取るわけじゃないが、近畿管領等という、立場も軍もないよ。

ちょっと言いたい事がよく分からないけど、信長が絶対者(恐者)だった事は
間違いはない。だからこそNo.2もNo.3も存在せず、本能寺で織田家として統一
一本化を計れずに、瓦解した分けですから。

あと、官位と領土がそのまま受け継がれって言いますが、そんな安易な形には
特に戦国時代はならないと思います。

268:人間七七四年
08/08/22 09:40:15 IQ+s0TPk
>勝頼の能力がパッとしない

若年から部隊を率いて信玄没後22の城を落とし
信玄でさえ落せなかった高天神城をも落としたんだぜ
ちょっと頭は悪かったようだが雑魚ではない

269:人間七七四年
08/08/22 10:05:56 g76Ky6NE
>>267
近畿管領軍という呼称はその通りだが、他に一言で表す言葉が思いつかなかったので
そのままつかった。

>信長が絶対者(恐者)だった事は~
それで?だから信長は役に立たなくなったヤツは追放して所領は全部没収すると?
ではその例を挙げてください。私は、父親が役に立てなくなってもそのまま家も
所領も保護された例を挙げていますから。

>官位と領土がそのまま受け継がれって言いますが~
安易ではなないかも知れないが、困難不可能とういものでもない。実際に、それ
まで信長はやってきているのだから。
近い例で言うと宇喜多家。直家が死んで残されたのは幼少の息子。しかし秀吉が
後見人となり、弟忠家が当主代行を務めることで幼君の家督相続と所領安堵を信長
から認められた。明智家だって同じことをすればいいだけです。
新参でつい最近まで敵対していた宇喜多家が認められて、明智は認められないと
光秀が考える根拠は?

270:人間七七四年
08/08/22 10:58:01 3xkTxxgC
>>269
具体的な例だけが、信憑性を高める根拠とは思えませんが、典型的な例は、
佐久間・安藤・林ですかね。この武将達の追放等には様々な要素が相まっ
ての感もありますが、信長的に使えないという判断に達した事は間違いない。

困難不可能はない? 絶対はないという議論になってしまえば、議論自体が
無意味。宇喜多家の例でいえば、それは秀吉の狡猾な策略と織田軍の攻略作戦
途中状況があったからこそ。宇喜多家と明智家では状況も立場も違い過ぎて、
比較にならないと思うよ。

それと、新参だの古参だのという観点を信長が留意するとは思えないが。


271:人間七七四年
08/08/22 11:08:20 2waWI/oD
仮にあげた例えが宇喜多だと意味が違って見えるだけかと 大名家(主家筋)と家臣だから
平手蒲生佐々佐久間森なんかは家臣の当主交代成功例として当てはまると思われます
ただ決定的に違うのは相続した者の年齢
新参譜代と言うのは当然ですが信長は結構わけて考えてます

272:人間七七四年
08/08/22 11:36:04 quppqgYN
どっちも極端じゃないの。
明智家がなんらの瑕疵なく、世代交代に伴い所領没収されればほかの家臣への統制がつかなくなるし、
逆に所領安堵すれば、少年の光慶が丹波一国・近江一郡の軍役を果たせるとも思えないので、織田家の
損失になる。
軍団長クラスの世代交代はこの時期には例がない(かろうじて>>270の佐久間が該当?)から、断言はでき
ないが、>>254あたりが妥当だと思うな。>>270のいう通り宇喜多は比較にならない。

273:人間七七四年
08/08/22 12:23:43 rznc43xi
>官位と領土がそのまま受け継がれ


信長のことだから領土は没収しても官位は相続させるなどの
折衷案を出してきたかもしれない。

官位だけなら細川のほうが明智や柴田よりも高いのではなかったかな?

274:人間七七四年
08/08/22 14:44:29 QX6b95lw
佐久間は親子共々追い出されたよな。林みたいに昔敵だったわけではないのに

275:人間七七四年
08/08/22 15:15:29 U/DjllPx
原田も一族は追放されたよな。林みたいに昔敵だったわけではないのに

276:人間七七四年
08/08/22 17:35:06 J/G6bxhM
要は20代の頃にきっちり嫡子を作って、死ぬのは60過ぎてからにしておけということだね。
そういうところは、相続で頭を悩ましにくくはなる。

277:人間七七四年
08/08/22 17:39:45 ty0WMJiJ
盛り上がってるとこ悪いがやっぱり個別で考えるべきだと思うな。

光秀自身が視力減退で戦に参加できなくなっても、その一族が
光秀の指示通りに行動し、しかも織田家に忠義を誓うのなら
そんな簡単に領地没収とかにはならなかったんじゃないか。
それどころか、さらにうまく「重用」して使いこなしたかもしれない。
つまり、統一に成功してしまえば、京でのコネがある光秀なんか十分に
有用だろうし。

くりかえすが、これは信長側であって、光秀自身がどう思ってたかは
また別の話だけどな。

278:人間七七四年
08/08/22 19:02:08 Ttg9AFiX
>>277
統一してしまえば、譜代でもない、家格もない、地縁血縁も少ない、
一代取立ての成り上がりに過ぎない明智家なんて、それこそ必要ないじゃん。

279:人間七七四年
08/08/22 19:12:53 g76Ky6NE
>>278
統一したあとで、家康は譜代でも家格もなく地縁もない井伊家を取り潰したか?

家康はやらなくとも信長ならやると?

なんというかね、信長は役立たずは追放するとか取り潰すとか統一後は大粛清を
かますとか、敵対した大名は全て滅ぼすとか、そういっている人は逆の意味で
信長を過大評価しすぎている。

280:人間七七四年
08/08/22 19:18:33 Ttg9AFiX
>>279
じゃあ、明智さんところも、最初の彦根藩18万石程度になってもらわないとな。
それで肥大化した明智家がやっていけたかどうかは知らんが。

281:人間七七四年
08/08/22 19:33:59 ty0WMJiJ
>>278
細かい話だが統一したとして、例えば毛利の領地を切り取ったら、そこを誰かに
あてがわないといけない。
そういう意味で、忠義を誓えば、つまり人質なんかを喜んでだせば、かなりの
大名として優遇される、ということね。
明智家が必要ない、なんてことにはならない。

もちろん統一後の信長構想は別の話なので、あくまで旧型の織田幕府みたいな
想定でね。

282:人間七七四年
08/08/22 21:09:31 rpIajbcY
やはり本能寺の変は
光秀が自慢のキンカン頭を信長に鉄扇でぶったたかれて
深くプライドが傷ついたことが原因じゃないかな。
やはり人前でキンカン頭叩かれるのはキツイだろ。
その時森蘭丸がクスッと笑ったのも
光秀にはこたえたと思うね。


283:人間七七四年
08/08/22 21:48:31 ty0WMJiJ
怨恨説ってかえって新鮮味があっていいな。

284:人間七七四年
08/08/22 21:56:25 Ttg9AFiX
ただ殺すだけじゃなく、軍で取り囲んで骨も残さないほど焼きつくす怨恨って、どんなのだろうな?w

285:人間七七四年
08/08/22 22:00:14 ty0WMJiJ
何の恨みも無いのに無差別なんとか起こすよりは
合理的な時代だったんだな。

286:人間七七四年
08/08/22 22:05:35 Ttg9AFiX
>>285
この時代のほうが無差別殺人凄く多いぞ。
「子供が笑った」って理由で、街中で刀振り回して十数人殺した奴もいる。

287:人間七七四年
08/08/22 22:28:20 ty0WMJiJ
>>286
逆説だが、そういう記録が残ると言うことはかえって稀で珍しかったから、
という言い方もある。

少なくとも、kいずみに裏切られた、といってsが反乱おこすことはないもんな。

288:人間七七四年
08/08/23 10:35:08 MvvY27oJ
226で、義昭関与説が佳境に入ったとこで終わってるけど
どうなったのかな。
直接関与ではなく、光秀が名前を利用した、ぐらいのとこか。

289:人間七七四年
08/08/23 12:18:35 0aOUEk/D
義昭は性格的に明智にも細川にも
「信長を討て」
との密書はダメモトで定期的に送っていると思うんだが。

290:人間七七四年
08/08/23 12:34:23 2pQtlC4a
やっぱ秀吉と話が出来てたんじゃないかと思うんだが

291:226
08/08/23 13:17:13 Id1gaJUu
おれは単独説だが、惟任謀反記での解釈に限れば「公儀=義昭」は納得やな。
あとは、土橋宛書状などから光秀=義昭の事前連絡が証明できりゃ将軍関与説は成立
だろう。
関与否定説の論者も変の後に両者の連絡の形跡があることまでは否定していない。
要は、それが>>289の言う一方的な書状ではなく、変前に共謀を示すものだといえりゃ
いいんじゃね?



292:人間七七四年
08/08/23 13:30:28 ThUL496v
義昭が変に関与接点があった=義昭黒幕ではないでしょう。

藤田義昭説は論外として、事実上現存した室町義昭を利用したかった光秀。
義昭ももう一度、自らの再起を望んだ為の行動で、利害関係は反信長のほとんど
と共通し、あくまで義昭個人の恣意的行動で、大まかな視点でみれば光秀との
接点は無くないが、厳密にはお互いが相互利用しようとしてたのみ。

義昭関与黒幕説は、変の要因では一番可能性が低い様に思う。

293:人間七七四年
08/08/23 14:08:43 E4wu5CRA
黒幕がいたとすれば正親町天皇本人かなあ?どうだろ。

294:戦世主 ◆7nhvdN3STA
08/08/23 14:58:37 a92CuT1d
やっぱり秀吉光秀の共謀じゃないのか?光秀が秀吉に送った手紙には、
「うまく行った。戻ってきてくれ」的な内容が書いてあったらしい。
だからこそ中国大返しをする用意をしていた訳で・・・。この説って有力?

295:人間七七四年
08/08/23 15:25:57 dcRzMhHl
>>288
それこそ226事件と一緒。天皇のためにと実行したが、当人の内諾なし、だろ。

296:人間七七四年
08/08/23 15:32:16 rZ1IuWQw
もう知ってるかもしれないが、本能寺の変は信長自身が意図したものだった、つまり自殺行為だったという説を書いた本を見つけた。
朝廷との覇権争いに、どうやっても勝てない事を悟った信長が、体のいい自殺として思いついたと。

297:人間七七四年
08/08/23 15:50:54 9wlL1rvT
色んな意見出ていな~。

298:人間七七四年
08/08/23 17:37:05 dH8hVFwo
明智の無能無策。藤吉郎と輪を結ぶ所ができない。


       官僚人=明智光秀


       藤吉郎(野人サル)が存在する限り本能寺は無策でした。

299:人間七七四年
08/08/23 17:58:26 Id1gaJUu
>>292
>大まかな視点でみれば光秀との
>接点は無くないが、厳密にはお互いが相互利用しようとしてたのみ。
同意。
単独犯説の支持者も、光秀が変後に勅使を迎えて朝廷と接点を持ち、土橋らを通じて将軍と
連携しようとしたことは否定しないんだから、黒幕説の論者は「接点」をもう少し詰めて論
じて欲しいよな。
まあ、>>294みたいな脳内史料が現実に存在するとかすりゃいいんだろうけどね。

300:人間七七四年
08/08/23 22:24:34 l26mamGH
土橋らを通じて将軍と連絡しようとした??
古文の読めない桐野作人みたいなこというね。

この書状は土橋から自主的に光秀に協力を申し出たものに対する返書だよ。
急度上洛の件は御受けしてあるので、その意に従って協力してもらう事が重要です。
って答えてる。
桐野の仮説みたいに「土橋を通じないと連絡出来ない」なんて内容にはとりあえずなってない。

301:人間七七四年
08/08/24 14:14:40 iC8HZQmS
226事件の若年将校達と光秀の何が一緒なの?

天皇に対する思いは時代により、良くも悪くも全く違う。戦国武将に『皇国の為に』『天皇の為に』って自身や自家を犠牲にしてまで、死んでいった武将などいないでしょ。
ゼウスに為に死ねた者は何名もいたがね。

つまり戦国時代の天皇家(個人含む)への観念は幕末や大戦時や現代とは全く違うと思う。

302:人間七七四年
08/08/24 15:05:50 B9t2JU0x
>>301
文章を理解する能力をちゃんと磨こうぜ

303:人間七七四年
08/08/24 18:32:20 iC8HZQmS
>>302
あんたはさぞ、人様の文脈を理解出来る人なんでしょうが、せめて持論を述べなよ。じゃないとただの揚げ足鳥だよ君は。

304:人間七七四年
08/08/24 18:52:44 60gY2eOt
>>302
何が理解出来ていないか俺も分からんが、226事件と本能寺の変が関連性がないと俺も思うが。

305:人間七七四年
08/08/24 19:09:25 VO8/rKnn
226事件においては将校らが自身の行為を天皇のためと称していたことと光秀が義昭の名を出したことを
同じようなことといってるだけと思うが。光秀が天皇云々とはまったく書いていないし読みとれもしないけど。
まあ俺の読解能力がだめなのかもしれんけど。


306:人間七七四年
08/08/24 19:37:50 TgUhZ8sL
>iC8HZQmS
そんな難解な文章とも思えんがなあ。

2.26において、決起した将校たちは天皇のためにという名分をもっていたが、別に
天皇は将校たちと事前に連絡を取っていたわけでもなく、自分を救えと将校たちに
命令を下したなんてわけもなく、将校の方が勝手に天皇の名前を出して担ぎ上げよう
としただけ。

本能寺以後の光秀もそれと同じで、義昭や朝廷の名前を持ち出したとしても、それは
事後に自分の身を取り繕う為の名分を求めたからで、変後に光秀が義昭なり朝廷や
天皇なりに接触を取ったり御輿に担ぎ上げたとしても、それをもって変前から両者が
接触していた、繋がりがあった、共謀していた黒幕だったとする根拠にはならない。

と読めたけどね私は。そんなに難しい文章だったか?
自分の都合で反乱起した後、名分を繕うために王族の傍流を当人の意志と無関係に
御輿にするなんて、世界史上のクーデターではよくある話だが。

実際、変後の義昭と毛利の動きを見る限り、義昭が光秀と事前に繋がりがあったとは
とても思えないからね。

307:人間七七四年
08/08/24 22:13:36 9eZhqree
>実際、変後の義昭と毛利の動きを見る限り、義昭が光秀と事前に繋がりがあったとは
>とても思えないからね。
なんで毛利の動きが、義昭が光秀と事前共謀を判断する材料になるんだ?
毛利は義昭の言いなりになる国だったけか?

308:人間七七四年
08/08/24 22:18:07 B9t2JU0x
>>307
逆。毛利の同意無しに義昭は動けない。

309:人間七七四年
08/08/25 02:21:39 UwchtNYZ
弱腰毛利や傀儡義昭が本能寺の黒幕の可能性はない。
光秀単独行動以外の要素は後付けの創作だよ。特に黒幕説の類は。
秀吉の行動が迅速過ぎて、そこに目が行きがちだけど、光秀の行動もほぼ予定通りだった。
日和見筒井と保身細川さえ味方についてれば、簡単に秀吉に負ける事なく、畿内に一定の基盤が出来てた。

310:人間七七四年
08/08/25 06:41:26 BE5HnAZ4
細川は本当に何やってたんだ?

311:人間七七四年
08/08/25 07:38:47 qCiYI6gO
「信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う」は一読の価値あり

312:サイコメトリー
08/08/25 09:33:18 95nYdrAa

ちょっと情報が錯綜しているので、少し整理しますね。
ここまでの本能寺の変考察スレは複合説です。その中で何回か取り上げられているものは、

●対長宗我部取次での軋轢
●フロイスの日本史に書かれている信長と光秀の諍い
●畿内掌握の野望
●光秀の病気全般
●正親町帝個人の関与

上記以外にも多数話が有りましたが、私的に抜粋しました。皆さんが気になる要素
が他にもありますでしょうか?ご意見下さい。

313:人間七七四年
08/08/25 12:05:20 UwchtNYZ
フロイスの日本史は信憑性が薄いと言われてるが、光秀と信長のいさかいは目の当たりにしたんじゃないかな~。
内容が妙にリアリスティックな気がする。

314:人間七七四年
08/08/25 14:29:20 pat71QOF
>>313
フロイスは当時は九州にいたから、『「光秀と信長のいさかい」は噂で聞いた』って「日本史」でもエクスキューズ
している。
本能寺の変自体の描写は、本能寺の付近の南蛮寺にいたカリオン(ないしヤスケ)の報告に基づいているから信憑性は
高いが、それよりは信憑性は低いと思う。

ただ、「日本史」には①光秀が72のダマシのテクを持った狡猾な人間である記事②件のいさかいの記事、の双方を載せて
いるから、彼には変の原因には信長・光秀双方の人間性が関係しているように見えたんだろうね。

315:人間七七四年
08/08/25 15:22:46 dOWWz/Vr
>>296
それは鯨さんで、あくまでもシャレだからね。
間違っても今谷と結ぶつけたらいかんよ。

フロイスは、日本人を「動物園の動物」的にみているから、それを考慮して
考えないといけないけど、噂で聞いた、というのは、あくまで同時代にはそういう噂があり
それが広まっていた、ぐらいの理解にしたほうがいいのではないか。
つまり当時の人から見ると、あーいう変が起きた時には「怨恨」が基本であって
当時の人もよく理由がわからなかった、ってね。

ここでは秀吉関与説は人気ないなー。

316:人間七七四年
08/08/25 19:01:47 DByA5lZF
秀吉のそれは結果論過ぎて、いかようにもこじつけられる。変後の自己正当化にも必死過ぎて、偶然の産物を彷彿とさせる。

317:人間七七四年
08/08/25 19:23:07 57A4j0Cm
秀吉関与説は、いまだ与太話の類だからなぁ

318:人間七七四年
08/08/25 19:24:18 u9BJKDCZ
>>315
問題はその噂が日本側史料にまったく出てこないことだと思う。当時の京・近江・奈良には
噂でもなんでも記録に残して後世の研究資料におおいに役立たせてくれる記録魔たちが
いくらもいたというのに。

319:人間七七四年
08/08/25 19:35:56 ToE9l0/E
秀吉は関与しないまでも
忍びを通じて明智が謀反を起こすかもしれないと
予測できていたふしはあるんだろうか?

320:人間七七四年
08/08/25 20:08:24 CCZtRgXJ
秀吉が予測できるくらいなら、信長のほうが先に予測するっつーの。

321:人間七七四年
08/08/25 23:33:38 xCZSzTYT
>>318
記録魔ってのも結構改ざんしてたりしたからね。
それと、そのあたりが逆に日本的な発想とフロイスの違いかもしれないな。
記録魔たちから見るとあまりに当たり前の発想でわざわざ書かなかったとか。
これ、今の和風ホラーとキリスト教的西洋ホラーの比較にもなってる。

>>319
それって案外重要だと思うよ。
具体的に予測とか忍びとかはともかく、秀吉ほどの人物なら周りで
誰か忠義の臣か、誰がアブいか、そういうのを感じ取っていたはず。
これは320の反論もかわしてるし、秀吉のほうが敏感だったという意味で。
だから、大返しとか、迅速な毛利との講和とか、いろいろ語られてきたけど
たえず秀吉はそれなりの問題意識を持っていた、と考えたほうが明快なんだよね。

これは黒幕とか共犯とかとは全然違う、秀吉の内面の問題で「やってまったがや」
と驚きつつも決して家康みたいに「後をおって腹を切る」なんて、言ってたという
記録もあるが、実は思ってなかったろう。

小説になるが、光秀が追い込まれた結果の反乱、というのの理由のひとつに
このままだと秀吉の下になってしまうかもしれない、というのもあったかもしれないかも。
光秀から見ると秀吉なんか単なるサルなんだが、秀吉は光秀のアブなさ具合とか
冷静に観察してたような。
それが山崎にまともに直結してあの結果になったちゅうか。

322:人間七七四年
08/08/26 02:27:40 Y/nq5R8C
>>321
主君と重臣が素で暴力を振るうなんて大事件に洋の東西の差なんて無いと思うんだが。
そりゃたしかにフロイスの記録には日本人には当たり前すぎてわざわざ記録を残して
いないようなことが記述されていて、そういった記録は当時の風習文化を知る上で役に
立ってますがね。
それと、政権内の事件は全く別のことでしょう。それとも、当時の日本では君主が
臣下に意見の相違から暴力を振るうのは日常茶飯事だったとおっしゃるので?

それから、既に議論されてますが、秀吉が信長や光秀の周囲に忍びを放っていて、
それで謀反の兆候をかぎつけたのなら、信長にチクってると思う。光秀の謀反は
成功しても失敗しても織田家の中枢、すなわち秀吉の背後が混乱をきたすことを
意味して、それは秀吉にとって危難の到来を意味する。なにしろ彼には、播磨で
征服作業中に荒木謀反によって中央と切り離されかねない大ピンチに陥ったという、
近過去の恐怖の記憶がある。秀吉にとって、後方での反乱騒ぎなんて無視できるもの
じゃあない。

もう一つ。
>このままだと秀吉の下になってしまうかもしれない
これも以前議論があって、援軍派遣が秀吉の下につくことを意味しないとなったが、
そう主張するのであれば、その根拠は?

323:人間七七四年
08/08/26 03:51:37 Nj/Mdsoh
>>322
最初に関しては、論点が違ってる。
暴力の根拠に、因果応報(感情)、と必然性(論理)、のどちらに重きを置くか、という視点の話で
これはスレチでふったこっちが悪い。
閑散としたらまたやろう。

真ん中に関しては、忍び、なんてのはちょっとまた違う話になるものね。
ただ、秀吉が第一報をどうして信じたか、どうやって確認したか、これは重要でしょう。
その日にエケイを呼んでる位だから。
これは明らかに秀吉独自の情報網、そういうのがあったわけで、もちろん全ての武将が
そういうのを持っていたわけだろうから、秀吉のみの話ではないけど、まずチクるとかそういう話の前に
何らかの「実態はあった」という共通理解をしたいところ。

最後に関して、前の援軍派遣に関してはちょっと論に参加しなかったんだ。
なぜかというと、方面軍、という言葉が出るとやけにレスが伸びて、もちろん谷口本の
影響なのは理解してるけど、どうも「分類的」というか現代的感覚で論じられてる気がして
ちょっと根本的に納得できないところがあって。

では「秀吉の下」とは何を指すのか、なんだけど、あくまで本人同士の感情、年齢差、出自
感覚、話合うかな、仲いいかな、友達かな、という意味でして。

四国政策、視力、年齢、そういうのを総合的に見て、光秀は下手したら隠居、現役バリバリの
秀吉に対して、それなりの危機感を持ってたのではないか。
学識豊かな自分が京を追い出され、サルが重用されるのではないか。
変の直前の時点で、光秀はサルなんか問題にしていない、今で言うプライドみたいな。
例えば、馬そろえに、秀吉が参加してない、というのもあったかもしれない。
そういう意味で、フロイス的な合理的発想では光秀の心中は「怨恨」でしか説明できない。
でも、光秀自身の中には、複雑ではあるが結論はシンプル「サルなんか問題外」
そういうのが基本で、回りでいうほど援軍派遣は関係ない、とかそんな合理的な解釈は
してなかったのではないか、という感じで。

このあたりいろいろ論は持っていてごっちゃにまとめて書いたから誤解されると
こっちが悪いけど、シンプルに「信長と秀吉は旧知の仲で理解しあえてた、光秀はちと
異質な存在」こういうように基本的に思ってる。
愛宕百韻を重要視したい、というのも、信長や秀吉の肉声はあーいう形では残っていないでしょう。
後でなら会話なんか編集できるけど、百韻なんて、まさにポロッともれた本音かもしれない。
あれ、世界史上にすら稀な記録だと思ってるのだけどな。
トンデモ説ですまされてはかなわなくて。

ごめん、話がそれた。
天下に面目をほどこした光秀は、援軍派遣すら、「なんで?」と思ってたかもしれない、
ぐらいの根拠としか言えないのかな。

324:人間七七四年
08/08/26 04:35:08 /dRJKsz9
>秀吉が信長や光秀の周囲に忍びを放っていて、
それで謀反の兆候をかぎつけたのなら、信長にチクってると思う。


なんかおかしいな、あやしいな、程度なら注意は払っても信長にチクることはしないでしょ。
讒言になるから。

325:人間七七四年
08/08/26 05:17:33 /25t4LBF
信長がこんな迂闊なことをするだろうか

326:人間七七四年
08/08/26 05:55:30 /dRJKsz9
>信長がこんな迂闊なことをするだろうか


信長がなぜ少人数で上洛したかというと、朝廷の「三つのポストのうち好きなのを選べ」
に回答するためでしょ。

朝廷の儀式に参列するためにボディーガードなしで宮中に入って
殺された蘇我入鹿と同じパターンで、これは朝廷関係者がシナリオを
書いたのかなあとも思う。

で、当時の朝廷で岩倉具視レベルの有能な人物といえば
正親町天皇本人くらいしかいないんだよね。




327:人間七七四年
08/08/26 06:21:33 n4OPU6Rw
近衛も充分力量あるぜ

328:人間七七四年
08/08/26 10:27:07 E5ThCWfx
>>326
>これは朝廷関係者がシナリオを書いたのかなあとも思う。
論が粗いな。
①三職推任:4月25日
②四国国割:5月07日
③中国派兵:5月17日
で、朝廷はどこまでシナリオを描いたんだ?
③の命令で光秀が公然と軍事行動できるようになったが、これは信長の命令によるもの。
仮に、②の命令が光秀に下されないことを朝廷が知っていたとしても、③の命令がなきゃ光秀は家康接待後に在庄
(休暇)していたかも知れず、光秀は隠密に軍事行動するかヒットマンを送り込むしか方法がなくなる。
確かに、被害者がまる裸で上洛すれば殺害は容易になるが、加害者もまる裸では殺害は困難になる。
上記の論は後者の検討がまるでなっていないので、論外。


329:人間七七四年
08/08/26 14:19:33 kdcoimWw
>>328
326を説明してくれた様なんだけど、良く分からない~。

そもそも朝廷関係者(正親町帝含む)がシナリオを作る事など出来ないけどね。

330:人間七七四年
08/08/26 16:15:02 hc7pX1n5
天皇が関与したなんて状況からまったく考えられないのはわかるからスルーしてくれ

331:人間七七四年
08/08/26 16:55:40 5rUydZBO
>>328
別に陰謀論に賛成するわけではないが、あえて確認のために聞いていい?
もし朝廷側がなんらかの企みをもったのなら、3で光秀の軍勢が京周辺に集結できたのを
見計らってのことだろうね。

鈴木説みたいなのでは、信長が少数で京に入ることなんか事前に予測はできないはず
というのがあるけど、もし信長が大軍で京に来てたならその時は実行しなければいいだけだからね。
ほんで、茶器等でおよびよせた、というのもよく聞くけど、これは「うまく行けば急いで少数で京に
入るかもしれない」というラッキに賭けた誘いだったかもしれない。
来なかったり、大軍だったら、変を起こさなければいいわけだし。

で、「いつ朝廷と光秀が相談したのか?チクられたらおしまい」というのには
ここでたまに出るけど「利害の一致」みたいな感じでクリアできそうな気もする。

つまり陰謀説が正しいかどうかは別として、鈴木本のような反論にもちょっと疑問の余地は
あると思うんだ。

朝廷関与説で一番弱いのが、誠仁親王がすぐそばにいてとばっちり受ける危険があった、ってことかな。
これが当日、どっか外泊してたりしたらいやらしいのだけどね。
ほんで、変の後に光秀が「天皇のために起こした」みたいな言い方をしてないことも弱点か。

ただこのあたりもクリアできそうな論はあると思うんだけど、「陰謀論者」みたいに思われて
荒れるのがイヤなんだよね。
あくまで「陰謀論はなかった」という証明のために、おかしな反論は排除、論理的に陰謀論は
厳しいというようにもって行きたいのだけど。

332:人間七七四年
08/08/27 11:11:57 49cy26JW
陰謀説は話としては最も面白いが、秀吉のそれは結果論へのこじ付け感が強く、
具体的な根拠が乏しい。

333:人間七七四年
08/08/27 13:30:53 v/PzImXf
ハイ、ネタ切れにて終了。

334:人間七七四年
08/08/27 13:35:44 WxjRIwdj
アベなんか、やたらイスパニアとか言い出してるけど、
光秀が聞いたら怒りそうだもんな。


335:人間七七四年
08/08/27 14:42:15 COH0tO+a
安倍=300日天下

336:人間七七四年
08/08/27 15:22:59 OFu4LR8P
>>332
以前、秀吉・近衛・イエスズ・義昭の4人が黒幕の小説を読んだことがあるが、黒幕が多すぎて
話もつまんないし、なにより主役の光秀の影が薄くてワロタ。

>>318
「多聞院日記」は特にその傾向が強いな。ただ、噂は「雑説だが」と断り書きを入れる点と、
のちに誤りだと判明すると「ウソ」って訂正する点が良心的。


337:人間七七四年
08/08/27 15:44:44 WxjRIwdj
「多聞院ー」は日記と言っても個人の覚書と言うよりは
寺内資料と言うか、人に見せるのを想定して記録してある意味合いが強いような。
あんまり過激な内容も無いしね。

338:人間七七四年
08/08/27 15:52:29 iRDo+tAK
>>336
>「多聞院日記」は特にその傾向が強いな。ただ、噂は「雑説だが」と断り書きを入れる点と、
>のちに誤りだと判明すると「ウソ」って訂正する点が良心的。
それは鷺森日記の事では・・・


339:人間七七四年
08/08/27 17:07:54 09CgbFKz
>>338
>それは鷺森日記の事では・・・
いや、多聞院日記の翻刻版で確認したから間違いない。
変の後に限定すると、噂話として藤田の切腹、順慶の切腹、近衛の切腹の記事がある。
また、七兵衛共謀の記事の横に「コレハウソ」、井戸若狭生害の記事も「一向ウソ也」、
藤田切腹の記事も「ソレモウソ也」、逆に七兵衛生害の記事は当初雑説とあるものちに
「必定」と訂正してある。

ただ、この日記には光秀の謀反の原因は噂レベルでも記述されてないね。

340:人間七七四年
08/08/27 17:52:35 iRDo+tAK
>>339
すいません、こちらの完全な勘違いでした

341:人間七七四年
08/08/27 18:25:51 WxjRIwdj
以前は黒幕説も簡単だったんだが、今は、複合説、だからね。
いろいろ楽しませてもらえるなー。

342:人間七七四年
08/08/27 20:36:47 wqdH0ype
まぁ黒幕云々は、事件やら事があれば、必ず取り沙汰される事。
米国で言うところの、政府関与みたいな物。

つまり、妄想の類だね。

343:サイコメトリー
08/08/28 09:28:03 lxPkXRlK
>>342さん
妄想と言い捨ててしまえば、過去の歴史そのものがほぼ妄想(想像)な分けで、
歴史学を踏まえ、1級資料や文献のみを論じても、その先には研究者達の研究結果(予測)(妄想)(想像)
に行き着くとは思われますので、我々マニアが様々な論を出しても、全く的外れにはならないと思います。


344:人間七七四年
08/08/28 11:15:13 NfmIu1iH
色んな説論の中から、良い部分だけ抜粋すれば良いと思うよ。

いろんな厨が厨論述べるのは面白いしね~。

345:人間七七四年
08/08/28 11:55:16 fVKmKb7M
これはすごい

346:人間七七四年
08/08/28 12:40:13 y+frBoN4
やはり単純に信長が嫌いだったんだよ、光秀は。
まぁ最初からではないがね。戦国武将だからとか、出世争いとか、いろんな事もあるだろうが、それ以前の問題だと思うよ。


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