09/07/21 16:15:07 LJswWXqE
家臣にたしなめられる話はずっと以前
剛勇の将に苦戦した義光が鉄砲で騙し撃ち暗殺したんだが
次の戦いでさっそく義光が前線に出て敵を討ちとって得意満面だった。
その際にあんたが前回の戦いで討たれた将と同じことをして銃撃されて死んだらどうなんの?マジでバカなの?と言われた。
965:人間七七四年
09/07/21 17:15:24 v/Lz5zC3
>>963
小田原北条は自分で守ったのだよ
最上は自分で守ったのではなく東軍が勝ったこと、あと一つそれがアホみたいに早く終わったから助かったのだよ
一日かからなかったんだろ14,5万もの戦いでw三成方アホすぐるw
関ヶ原が普通の経過を辿るような戦いだったなら最上は終わりだったと言う点で違う
966:人間七七四年
09/07/21 18:13:35 xTbLg26j
兵糧の関係上何ヶ月もの長期に渡る事は無いから大して変わらんと思うがね
長引いて困るのは三成の方だし
967:人間七七四年
09/07/21 18:21:25 LJswWXqE
応仁の乱に比べたら兵糧の手当てなどまだまだ楽勝。
968:人間七七四年
09/07/21 22:50:34 VJse1/81
自分で守ったのではないとかね…
それでも数倍の相手に二週間もったならいいんじゃねえの?
結局直江側はこの戦いでは、ifしか持ち出せないんだよなw
969:人間七七四年
09/07/22 02:29:36 uEQO2z5Z
二週間くらいならいいというか普通じゃね。
970:人間七七四年
09/07/22 07:26:58 fHVFEGhf
つまり直江は普通レベルって事だな
厨が言うほどの名将じゃ無い
971:人間七七四年
09/07/22 07:44:06 qhK1gSHf
義にこだわんなきゃ三成と家康を挟み撃ちで勝ってたよ!
この戦いしなくても
972:人間七七四年
09/07/22 08:11:07 fHVFEGhf
結局、各個撃破じゃねぇか?
973:人間七七四年
09/07/22 20:12:48 lLz2cn+j
>>971
一体、どこで挟み撃ちにするんだ?
974:人間七七四年
09/07/22 20:16:33 Rs6/HVrP
>>971
それこそ奥州勢と江戸勢に挟み撃ちにされて壊滅しそうだw
975:人間七七四年
09/07/22 21:59:12 lLz2cn+j
距離的に明らかにそっちになるよな。
実際に家康は、上杉が南進してこないか様子を見てから西進しているわけで。
976:人間七七四年
09/07/22 22:28:23 p0cFgO4g
>>966
そこなんだよなー
そんなの百も承知だった上杉がなぜ攻めたか?
あっさり落とせると思ったんだろうか
>>971
義ってなんのことだ?三成の挙兵は明らかに私利利欲交じりだろ
まさか未だに西軍が亡き太閤殿下の為の一枚岩だと?
977:_
09/07/22 22:40:32 hm/Q3wUm
長谷堂城の戦い
上杉軍:直江兼続、水原親憲ら…任務目的「最上軍制圧」で長谷堂城攻略
戦略:失敗
撤退:成功
任務:失敗
結果:大減封 米沢30万石 (→その後上杉家は、やりくりして江戸時代後期まで続く。直江家は…)
最上軍:最上義光、志村光安ら…任務目的「最終防衛戦、長谷堂城の防衛」
戦略:成功
追撃:失敗
任務:成功
結果:大幅加増 57万石 (→ただし後に家督騒動で揉め事が起き、大名としては悲劇の末路に…)
こんな感じ?ようは兼続が評価されてるのは、引き際が戦いに置いてもっとも難しいもので
その引き際が見事だったからと言うことでOK?ただ結果そのものはよくなかったと。
978:人間七七四年
09/07/23 03:07:39 dWNS1HzP
1600年7月24日、家康が小山(栃木県)到着した日、伊達政宗が上杉領の最上端、白石城を攻め、翌25日に落城させる。
その頃、石田三成が大阪で大挙した情報が家康に届く。
家康はすぐに家臣を集め三成の討伐を宣言、家康につくか、三成につくかの選択を迫まった。
この「小山評定」で反・三成の体制が出来上がった。
家康は、西に向かって急反転を始める。
「ここが勝機」とみた兼続は、主君景勝に家康を追撃し、三成との挟み撃ちを進言する。
しかし、景勝は「敵を後ろから追い討つは、謙信公以来の義に反する」として、家康を追撃するのを反対し、結局は兼続も主君景勝の意見に従った。
この時、関ヶ原の合戦で、家康方は7万4千、三成方は8万4千という。
景勝方の軍は5万余というから、合わせ13万数千に及ぶ。
それに家康の軍も、前後から敵となれば、数も少なく苦境に立つ。
関ヶ原では初め西軍が優勢で、寝返りが出てから逆転している。
従って挟撃戦となれば、反対に家康軍が混乱に陥り、数に勝る三成軍と景勝の合同軍が勝ったはず。
979:人間七七四年
09/07/23 03:12:49 UGK0KCNn
上杉が5万も動員できたの?
980:人間七七四年
09/07/23 04:34:21 JhbnAtaB
>>978
・秀忠の軍勢が家康方に含まれて居ない
・奥州勢の(ry
よって机上の空論空回り乙
981:人間七七四年
09/07/23 07:27:26 uqeJKbT8
当時の兼続書状の内容からみると、
兼続も家康挟み打ちなんか考えてなかった感じだけどね。
982:人間七七四年
09/07/23 08:03:29 3ud/fhJV
連携は考えても挟撃策までは考えてなかったとは良く言われるね
983:人間七七四年
09/07/23 08:45:22 gF6gVacd
白河で乾坤一擲の勝負を挑むつもりで必勝策プランに基づいて備えを固めてたからね。
それ以外のプランでは背後が気になるし、勝ちは望めないでしょ。
西軍挙兵が早すぎ。
まー家康も決死の覚悟で白河を要害化してる上杉よりも
寄せ集めの西軍の方が離反誘い易いから勝てると判断したんだろう。
984:人間七七四年
09/07/23 09:21:59 CSzAwMgy
豊臣奉行あて景勝書状
「関東出陣に際し、思いのほか最上・伊達が見合わせている。出陣中に
蜂起されては見苦しいことになってしまう。こちらの手当が済み、家
康が上洛したら佐竹と連合して関東へ攻めいります」
本庄あて直江書状
「関東表へは政宗にも同陣を要請し、無理ならば家老3~5人に兵3~5千を
率いさせるべし。関東での戦況が思わしくなくとも政宗が裏切らないような
手だてを講じておく必要がある。最上攻めは向こうの出方次第だ」