長谷堂城の戦い【直江兼続VS最上義光】at SENGOKU
長谷堂城の戦い【直江兼続VS最上義光】 - 暇つぶし2ch978:人間七七四年
09/07/23 03:07:39 dWNS1HzP
1600年7月24日、家康が小山(栃木県)到着した日、伊達政宗が上杉領の最上端、白石城を攻め、翌25日に落城させる。
 その頃、石田三成が大阪で大挙した情報が家康に届く。
家康はすぐに家臣を集め三成の討伐を宣言、家康につくか、三成につくかの選択を迫まった。
この「小山評定」で反・三成の体制が出来上がった。
家康は、西に向かって急反転を始める。
 「ここが勝機」とみた兼続は、主君景勝に家康を追撃し、三成との挟み撃ちを進言する。
しかし、景勝は「敵を後ろから追い討つは、謙信公以来の義に反する」として、家康を追撃するのを反対し、結局は兼続も主君景勝の意見に従った。

 この時、関ヶ原の合戦で、家康方は7万4千、三成方は8万4千という。
景勝方の軍は5万余というから、合わせ13万数千に及ぶ。
それに家康の軍も、前後から敵となれば、数も少なく苦境に立つ。
関ヶ原では初め西軍が優勢で、寝返りが出てから逆転している。
従って挟撃戦となれば、反対に家康軍が混乱に陥り、数に勝る三成軍と景勝の合同軍が勝ったはず。


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