【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】at SENGOKU
【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】 - 暇つぶし2ch92:人間七七四年
08/02/16 12:21:09 xRopvj85
>>91
まじめに考えてみたが60年もあれば
相場なんてすごく変わる気がするし

各大名家ってのもいくつぐらいまで
絞り込めばいいか判らんので

考えるだけで挫折してしまった

93:人間七七四年
08/02/16 17:19:45 /08r45FO
>>92
相場なんてあって無きがごとしで、時代によっても、相手によっても違うと思います。
ただ、硝石がいかに貴重であったかをイメージしやすいよう、数件の例挙げてくだされば
ありがたいです。値段の推移が分かる程度に挙げてくださるならなおありがたいと思います。

大名家に関してですが、これは鉄砲の割り当てに関する資料はそれほど残っていないだろうから
絞り込むほどは無いだろう、と私が勝手に思い込んであいまいな書き方になってしまいました
申し訳ないです。数件の例を挙げていただければ十分です。もし、武田家をはじめ内陸国と海外との
交易の拠点を押さえていた織田家との比較が出来る程度に挙げてくださればなお幸いです。


94:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
08/02/17 04:09:24 bdD23fUE
>>74
わずかですがあります。
ただ、秀吉との関係はないようです

ソースは森岡浩先生の本
(確か『日本人の名字なるほどオモシロ事典』だったと思います)

95:人間七七四年
08/02/17 09:15:21 4gMQSYyu
質問ですが
100石というと今で言う年収800万くらいと思っていいのでしょうか?

96:人間七七四年
08/02/17 09:47:02 EM9ECxEB
日本史板とここの違いは?

97:人間七七四年
08/02/17 10:38:03 xtA0xspJ
日本史板は厨房隔離板

98:人間七七四年
08/02/17 13:24:53 ueD9WnZe
>>93
この参考文献は
URLリンク(dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp)

99:人間七七四年
08/02/17 15:54:28 CRoNDgsG
>>95
100石取りといっても一年の収入はその半分くらいかと。
50石×180×(現在の平均米価)で求めて下さい。

100:人間七七四年
08/02/17 15:57:16 CRoNDgsG
>>99
間違った。
1石=180l=150kgだった。
180を150にして下さい。

101:人間七七四年
08/02/17 19:25:10 4gMQSYyu
>>100
それだと200万くらいになってしまいますがいいんでしょうか

102:人間七七四年
08/02/17 22:40:56 3yJKopT3
>>101
米の価値が現代と江戸時代では段違いです。
もう少し言えば江戸初期と江戸末期でもかなり差があり、一概にこの値段だとは言えません。
米価換算を用いる場合は時代や豊作・凶作、地域差でブレが出ることを念頭に考えて下さい。

他に賃金換算、物価換算という考え方もあります、詳しくは
URLリンク(www.imes.boj.or.jp) で。

賃金換算の場合は、
おおよそ一両が30万ほど、一両が0.9石なので、一石=27万円となるので、
百石取り(五公五民の場合)では、1350万円の年収になります。
同様にに物価換算の場合は、年収540万円となります。

103:人間七七四年
08/02/17 23:02:38 4gMQSYyu
>>102
丁寧なレス有難うございます
そうですよね。何で換算するか、景気、年貢率等諸条件ありますもんね
なかなか難しいです

104:人間七七四年
08/02/18 03:05:06 1fFR3ivY
>>98
興味深く読ませていただきました。参考文献がなかなかよさそうでした。
今度、読み漁ってみます。

論文自体も時代は下り、硝石の国産化がなされていた時期が主でしたが
なかなか表に出てこない事柄について述べられていたので、面白く読む
ことができました。ありがとうございます。

105:人間七七四年
08/02/18 12:28:08 kZkcaT1N
豊臣五大老スレってもしかしてありませんか?

106:人間七七四年
08/02/18 12:30:24 kZkcaT1N
あげ忘れ

107:人間七七四年
08/02/18 23:09:44 z8dPPXG+
>>105-106
『五大老総合』みたいなスレはないっぽいが、毛利輝元以外の各大老は個人スレがある。
五奉行スレはあるね。

108:人間七七四年
08/02/19 06:22:10 2mj7HtRz
>毛利輝元以外の各大老は個人スレがある
輝元…(´;ω;`)ブワッ
>>107
ありがとう。五大老の序列や秀吉からの信頼度とか警戒度みたいなのを語れる場が欲しかったんだが、
ないならしょうがないね

109:人間七七四年
08/02/19 11:29:23 6FTqeJa7
>>108
輝元は毛利一族スレがあるから立たないのかもしれん。
元就は単独スレあるけどww

そういう話をしたくてスレがないなら五大老スレを立てる、という方法もある。

110:人間七七四年
08/02/19 19:20:25 EhL9Mucc
関ケ原で西軍に属したのに所領が安堵されたのは島津家だけですか?

111:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
08/02/19 20:09:27 tRwcqs8Q
対馬の宗家とか

112:人間七七四年
08/02/22 03:27:25 9bVZxUnr
大勢が決した後に寝返った組ならそこそこの人数はいる。

113:人間七七四年
08/02/22 12:07:23 r5Pp1niJ
有力大名が〇〇守と名乗っていますが、なぜ多くが自分の領地と関係のないところの守を
名乗ったんでしょうか?
ただのハク付けだったのでしょうか?


114:人間七七四年
08/02/22 23:23:39 9bVZxUnr
>>113
代々名乗っていたり(あるいは先祖が名乗っていたり)した場合もあるが、戦国時代の場合はほぼそんな感じ。
ただし、あえてその国の国司の位を手に入れてその国の支配を有利に進めようとした例もある。
今川義元などは、三河守に叙任されているしね。

115:人間七七四年
08/02/22 23:34:59 +cTCIXcI
今川は三河で興った家だしな
殿様総理大臣とか言われた細川元首相も先祖の地三河に来たとかニュースになってたな
室町が興る頃の足利のメイン蔵入れ地だった

116:人間七七四年
08/02/23 09:13:06 pGY31Vhr
>>113
羽柴筑前守とか惟任日向守とか
仕えている大名が
「これから征服してやるぜ」みたいな
意思表示として名乗らせたという
説もあるらしい

117:人間七七四年
08/02/23 12:36:55 gsWQlMaJ
>>114-116
ありがとうございます。
先祖から受け継いだり、征服への意思表示からきてたんですね。
前から不思議に思ってたものが解決しました。


118:人間七七四年
08/02/25 23:44:58 ngA1z7vG
新田次郎の武田信玄を読んでいるんだけど、史実を確認しながら
読み進めたい場合、おすすめの本ってあるかな?

119:人間七七四年
08/02/26 00:53:20 X03blx5i
>>118
信玄個人の事跡を追いたいのならば「ミネルヴァ日本評伝選 武田信玄」なんてどうだ?
信玄の領土拡大の過程などもさりながら、信玄の内面についての考察も多い

120:人間七七四年
08/02/26 22:58:02 vgTIYlMp
>>119
ありがとうございます。
面白そうなので、早速読んでみます。

121:人間七七四年
08/02/26 23:24:57 JbGt30So
何で応仁の乱は数年も続いたのに関ヶ原は一日で終わったの?
それと十年も続いた応仁の乱とあっという間に決着がついた関ヶ原は
歴史上の戦いとしてはどっちが異質なの?

122:人間七七四年
08/02/27 20:35:13 mY1uZAoq
関ヶ原に関しては、実際の武力衝突は確かに一日で決したが、
だからといって、一連の流れが一日で完結したと見るのは間違いだろう。
上杉征伐のために軍を発した1600年六月をその始まりと見るほうが自然だし、
西軍諸大名の処遇が決したのをその終わりと見るなら、
関ヶ原だって数年単位で決着したものだと見ることもできる。

123:人間七七四年
08/02/27 21:37:42 3E5NbdX2
どうして中国で主流になっていた弩が
日本も同じように弓から弩にしなかったんでしょうか?

124:人間七七四年
08/02/27 22:10:32 wal/Z6SQ
>>123
盾・弩は何故日本で普及しなかったのか 2
スレリンク(sengoku板)

125:人間七七四年
08/02/28 18:25:23 KCrZO/nD
>>121
応仁の乱にしても一年中戦闘しっぱなしってわけじゃないからなぁ。

126:人間七七四年
08/02/29 20:18:41 HLOELXoj
長巻と薙刀ってどこが違うの?


127:人間七七四年
08/03/02 08:31:40 DP3ohVPz
ググったら解決するはずだ

128:人間七七四年
08/03/04 07:21:33 sI5cywFn
長宗我部盛親は大阪の陣で温床として
土佐一国を所望したとある本で読みましたが、
典拠を教えてください。

129:人間七七四年
08/03/05 08:16:58 wq3MrOoL
URLリンク(momisage.sakura.ne.jp)
誰の兜ですか?

130:人間七七四年
08/03/08 00:53:05 TAgfWMxr
長槍での打撃はどのくらいの威力があったんですか?

131:人間七七四年
08/03/08 09:22:35 D5tJcq0P
>>130
難しい質問だな

本多平八郎が渾身の力で振るったとき
kg/平方センチとかか?

俺には武器の威力を
一般的な単位で表現することは
困難に思える

ゲームみたいに
A+とかBとかランク付けなら
楽なんだけどなw

132:人間七七四年
08/03/08 12:27:23 zLkm0iaH
>>121
関ヶ原は徳川家康という、当時圧倒的な力を持っていた人物がおり、
しかも、そちら側が戦で勝ったから短期間で勝負がついた。
応仁の乱の時には、家康ほど圧倒的に有力な立場の人間はおらず、
対立構造も将軍家の跡目争いに、有力守護大名の対立がいくつも重なって複雑になり、
強いリーダーシップを取れる者がいなかったので、だらだらとながく続いた。

歴史上ではどちらの場合もよくあるので、どっちか異質だとかは言えない。

133:人間七七四年
08/03/09 13:13:47 tbg8/HPr
徳川四天王の本多忠勝が関が原後、伊勢10万石を与えられましたが
福島50万石、藤堂20万石、細川40万石、黒田52万石と彼らとかなり差があるのはなぜでしょうか?


134:人間七七四年
08/03/10 23:11:50 YZLGMs8d
譜代と外様だからです。

豊臣政権の失敗から、権力と国力の双方を同時に与えることはさせず、
幾ら石高が高かろうと外様は政権を担えず、
政権を担当する譜代大名の石高はなるべく抑えられています。

135:人間七七四年
08/03/15 00:18:23 kAz3oPq1
10歳くらいの女の子と結婚した武将が居るって聞いたんですけれど、
誰でしょうか?

136:人間七七四年
08/03/15 09:26:23 2KoWkj3l
>>135
八丈島から泳いできたやつとかじゃないか?w


137:人間七七四年
08/03/16 00:50:13 u+FEOMPp
>>135
前田利家は22歳の時、12歳のまつと結婚しました。
ちなみに双方数えなので、まつの年齢は満年齢で考えると10歳~11歳になります。
どう見ても小学生です、本当に有り難うございました。

138:人間七七四年
08/03/16 09:22:07 8xSVzhUv
俺の記憶では確かその1、2年後に
初子が生まれてたと思う

又左w

139:人間七七四年
08/03/16 11:15:58 6FoYqiwa
>どう見ても小学生です、本当に有り難うございました。

この言い回しを書きたいだけだろ、こいつ
まだ言ってる奴がいるとは

140:人間七七四年
08/03/16 12:32:29 Vcqf1IQZ
ま、いいんじゃね?
未だに小一時間問いつめたいやつも
いるようだし

141:人間七七四年
08/03/17 16:20:46 JZ2c6bxI
福島正則って確か秀吉子飼いの大名だったよな
本来秀吉の遺命を率先して守り違反するものを咎めなきゃいけない立場なのに
堂々と家康からの縁組を受けてるのはなんでだ?

142:人間七七四年
08/03/19 15:01:21 kC+q/8dk
石田三成が嫌いで徳川家康に懐柔されたからでね?

Wikiにはその結婚が豊臣、徳川和平のためになると確信していたとあるが、
それを補強するような文献があるかどうか自分はわからないけどね。

143:人間七七四年
08/03/19 22:30:58 Pb6CMKFX
あくまで推測だが
福島正則は、豊臣政権という枠組み内での家康を首班とした体制こそが
豊臣の安定には最善とふんだんだと思う。

もし家康が家臣筆頭で満足すれば、確かにこれ以上の体制はないだろう。
しかしそこは家康の老獪さにしてやられたというか、正則の頭の中がお花畑だったというか…。

144:人間七七四年
08/03/20 13:35:48 gMJusqs3
堺屋太一氏の「巨いなる企て」の
表現に倣って書かせてもらえれば

正則は本社とは比べものにならない
小規模な支社の支社長。

家康は正則の10倍以上の収入がある
本社副社長。
正則との仲は悪くない。
支社の業績が悪化してたときも
正則はかばってもらったことがある。

本社には「社長のご子息を守るのは俺!」
と居丈高で正則と仲の悪い
秘書課室長の三成。

で、副社長から

「先代の遺命も無論大事だが、
豊臣グループの結束を固めるために、
先代の縁類でもある貴殿と、
儂の家を縁続きにしてはいかがかな」

とかニコニコしながら勧められたら、
いかに剛の者の福島正則と言えど
10倍以上の勢力をまともに敵に
回せないとおもうなあ

長文スマソ

145:人間七七四年
08/03/20 13:41:05 DxMlRRdR
わざわざ例える必要あるんかそれ


146:人間七七四年
08/03/20 19:27:43 nXYOasr5
まあ、最初っから解ってるやつに
例え話なんて必要ないし、
中には例え話で、なんとなく
イメージできるやつもいるだろ

147:人間七七四年
08/03/21 08:47:46 Ek4RZ7G+
戦国時代の役職がどんなものかイメージしづらい初心者層にはありがたいよ、俺とか

しかしこうやって見るとお花畑と評されても仕方ないくらいあからさまだったんだな

148:人間七七四年
08/04/01 05:30:36 vdASZFK7
秀吉が死んだ後に
利家と家康の間で対立があったそうですが
家康派だった大名と利家派だった大名を詳しく教えてもらえないでしょうか

149:人間七七四年
08/04/01 08:26:47 HBdRV4Ul
秀吉の遺命に背いて、大名間の
姻戚関係を増やしたりした家康と、
三成にせっつかれてそれを咎めた
利家の、
小さな不和の種はあったと思います。

でも、利家存命中は豊臣家がまっぷたつに
分かれて対立するなんてとこまで
行ってなかったと思いますよ。

150:人間七七四年
08/04/01 09:59:48 xFwW+PXT
>>149
嘘つくなよ

151:人間七七四年
08/04/01 10:01:22 vdASZFK7
wikipedia読み漁ってたら
前田利家の項に
>利家はこれに反発し、諸大名が家康・利家の屋敷に集結する騒ぎとなった

と書いてあったのでそれぞれの屋敷に集結した大名を詳しく知りたいなと思いまして

152:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/04/01 14:45:44 VE/A9EUf
102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 11:11:33 I
加藤清正は早々と兵を率いて徳川屋敷に駆け付けたじゃないか
あと細川幽斎・忠興親子、加藤嘉明、浅野長政・幸長親子も徳川屋敷を警護したよ
他にも大谷吉継、蜂須賀家政、京極高次、山内一豊、脇坂安治なども徳川屋敷に駆け付けた

この板の前田家スレにあったので参考までに張ってみました
利家派については分かりませんでした。
多分、関ヶ原で西軍として戦った反家康派が、親利家派だと思いますが、詳しいことは分かりませんでした・・・

153:人間七七四年
08/04/01 20:53:15 vdASZFK7
>>152
ありがとうございます
そのレスでは両加藤と細川、浅野親子が徳川方?であると思うのですが

wikipediaには
>利家には、上杉景勝・毛利輝元・宇喜多秀家の三大老や石田三成、
>また後に関ヶ原の戦いで家康方につく事となる細川忠興・浅野幸長・加藤清正・加藤嘉明らが味方したが

と書いてあって

また
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
では
徳川方に福島正則、藤堂高虎、黒田如水、毛利勝信(勝永の父)、大谷吉継
利家生存中はその陣営に、加藤清正、細川忠興らがいた

URLリンク(www.hokkoku.co.jp)
のサイトでは
家康方に福島、池田、黒田などの大名が結集した
利家側には大老3人、石田三成ら豊臣家の官僚に加え、細川、加藤、浅野、佐竹、小早川などの有力大名が味方した

と書いてあり
どちらが正しいのでしょうか

154:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/04/02 13:27:28 nIuyuYBp
もしかしたら、徳川屋敷に駆けつけただけで
両加藤と細川、浅野親子は厳密には、徳川方ではなかったかも
しれませんね

ちょいと暇ができたら調べてみます
すいませんね明確に答えれなくて・・・

155:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/04/02 16:38:23 nIuyuYBp
加藤清正は、秀吉死後に家康の養女を嫁にもらってますから
家康派もしくは中立だとおもいます
浅野親子も上司にあたる利家と仲が悪いなんて分けには
いきませんから、利家派だと思います(これは想像)
両者とも、徳川屋敷に駆け付けたのは、政治的判断かもしれませんね

あとは良くわかりません
あまり力になれなくてすみません

156:人間七七四年
08/04/02 17:00:27 cyQovsTd
自分が前に見たのだとこうなってた(秀次スレか秀長スレだったかな?)

266 :名無しさん@お腹いっぱい。 [sage]:2006/10/23(月) 01:29:53 ID:50RVn+VP
(略)
利家側
毛利輝元、上杉景勝、宇喜田秀家、細川忠興、加藤清正、加藤嘉明、浅野幸長
佐竹義宣、立花宗茂、小早川秀包、小西行長、長宗我部盛親、浅野長政、前田玄以
増田長盛、長束正家、石田三成

家康側
伊達政宗、福島正則、池田輝政、黒田長政、藤堂高虎、森忠政、織田有楽
黒田如水、有馬則頼、金森素玄、新庄直頼
(略)


個人的に記憶に残っているところでは
・家康以外の大老と五奉行は利家側(浅野長政も利家側)とするものが多い
・細川忠興はこの時点では前田家と縁戚なので板ばさみ状態で両者の和解に動いていた
・清正は利家側とされているものが多いけどたまに徳川側にされてるのもある

157:人間七七四年
08/04/02 17:17:55 VRkOdxSD
 

158:人間七七四年
08/04/07 13:16:47 EQ+r42WX
1565年に正親町天皇が「大うすはらい」を出し
宣教師を追放したそうなのですが、
1570年にオルガンティーノが来日してます

どこかで勅命を撤回したんでしょうか?
それともキリシタン嫌いとされる
松永久秀あたりが勝手に勅命を捏造(?)でもしたんでしょうか

ついでに松永久秀について詳しい本などありましたら
教えて下さい




159:人間七七四年
08/04/09 05:34:11 viCfR6by
難攻不落の城ベスト5を教えてください。

160:人間七七四年
08/04/09 05:55:44 PrfClOR+
大阪城
小田原城
熊本城
名古屋城
月山富田城

161:人間七七四年
08/04/09 10:16:04 KzAPPLuC
>160
それはお前の個人的意見

162:人間七七四年
08/04/09 13:54:28 f63UEpcy
くそう、七尾城もどっかに入れたいぜ

163:人間七七四年
08/04/10 10:29:07 cIllSwRN
携帯から失礼します
戦国ヲタの皆さんは、どういったところから知識を得てるんでしょうか?図書館などにお世話になっておられるのですか?それとも職業柄でしょうか?
よろしければ、皆様の知識を得たいきさつなどお聞かせねがえればと思います

164:人間七七四年
08/04/10 10:59:05 gavwrITD
自分は神保町の古本屋街が情報源
かなりヲタクな町だけどマニアックな本も結構ある
忍者史料探しに行ったのがきっかけ

165:人間七七四年
08/04/11 11:42:54 COQaV4RT
随分昔だけど、あるテレビ番組の企画で諏訪湖の底を調査してた
発見されたのは水中でも中身がこぼれないように工夫されたあとがある茶碗だけだったかな
それが信玄を沈める時に一緒に御供え物として沈められた物かも、って言われてたんだけど、それ以降だれか諏訪湖を調査した人いるのかな?

166:人間七七四年
08/04/11 12:57:17 B+FxhjJd
戦の後は誰が片付けてたの?

167:人間七七四年
08/04/11 20:07:17 XrPoPaHT
家康が関ケ原に行かずに上杉と戦ってたらどっちに分がありましたか?
脇坂、朽木、小川、赤座が裏切らなければ
西軍が勝つチャンスはまだありましたか?

168:人間七七四年
08/04/15 12:10:26 moe9kbPy
上杉・佐竹で
東軍を分断後家康を包囲しうちとる策が
立案されてるね

徳川にとって決戦態勢でなく政略パフォーマンスだった点
三成周りと違って内通が出にくい環境
そして地の利
上杉有利と考えられる

169:人間七七四年
08/04/15 12:26:45 moe9kbPy
>脇坂
彼らが対小早川で機能する事が大谷の計算上にあったからね

小早川側も松野が戦闘拒否してる状況があるし
日没まで持久して立花らの増援を待つ道はあったかと
もしくは畿内拠点への総退却戦。

170:人間七七四年
08/04/15 20:27:37 AjkZNbnR
如水って関ケ原の勝者と決戦するんじゃなかったんですか?
さすがに勝てないと感じたんでしょうか。

171:人間七七四年
08/04/15 20:32:43 yVZ6BFPz
>>170
だろうな
大坂城に入城した徳川軍の内訳は、関ヶ原時の7万5千、小早川・脇坂らの2万、前田の2万、秀忠の3万5千で合わせて15万、毛利を入れれば18万はいる
如水が断念したのは当然


172:人間七七四年
08/04/20 23:38:32 PVCyvz8c
お侍さんて平時は何してたの?
いろんな役目があるんだろうけど、平時はほとんどやる事ないってのもあったと思うんだけど。
毎日お城に行って井戸端会議でもしてたの?

173:人間七七四年
08/04/23 03:09:14 kaT9g9+r
武士のフィギュアがあったら私の持ってるケンプファーと合わせてリメイクしたらカッコイイとおもうんですが、
やった奴いませんか。
イメージ的には滝川かずますがいいと思います。


174:人間七七四年
08/04/27 22:57:27 xg93MRyC
戦国時代初期の名門といえばどこですか?
3つくらい教えてください。

175:人間七七四年
08/04/27 23:04:01 d2gu78Zc
足利・細川・畠山

176:人間七七四年
08/04/28 01:23:00 3n/NhHUl
吉良家はどうですか?

177:人間七七四年
08/04/28 12:05:23 xV832K+N
>>166
合戦には必ず坊主を何人か連れて行った。
死体は経を上げた後、形見になるもの(髷や刀など)を名前を書いた紙と一緒にまとめ、
後は小者達が一箇所にまとめて埋めた。
(双方使者が出て休戦する)

合戦が始まるという噂が出ると、農民や物取り、一般庶民などが遠巻きに見物に出かけ、
彼らの何人かは、供養が始まる前に、死体からの略奪を始める。
処理に当たる小者の役得でもある。
墓を掘り起こして金目のものを剥ぎ取るということもある。
(黒澤監督の映画に、これを生業にしている婆さんの物語があった)

何千人も死者が出る時は主だったものだけ供養して、後は野ざらし。
できる限り埋めるが、鳥や野犬なんかが後始末。

~こんな答えでいいか?~

178:人間七七四年
08/04/28 12:29:45 xV832K+N
>>172
情報集め、他国武将との交際、武芸鍛錬、合戦訓練、子作り、子作り
子作り、子作り子作り、子作り

179:人間七七四年
08/04/29 06:25:56 qJki9/zl
>>178
ありがとう
すごくゲームチックな日常だったんですね
太平の世になると子作りしかやる事なかったんですね

180:人間七七四年
08/05/10 19:53:25 ucAxct3r
当時の農民の生活について質問なのですが
主食とされている粟、ヒエ、黍は農民が米とは別に作っていたのでしょうか?
それとも、年貢から残った米を売ってできた貨幣で買っていたのでしょうか?
粟等が米より安かったというのは知っているのですが、出所がわからなくて

181:人間七七四年
08/05/11 13:40:46 uxTq4hJC
古代より日本人の主食とされた五穀というのは
「米」「麦」「粟」「黍」「豆(大豆・小豆)」のこと。
「黍」のところに「ひえ(稗)」が入るという書もある。
当然農民によって作られていた。

今じゃ鳥の餌としてしかお目にかかれないんだけどさ。

182:人間七七四年
08/05/13 16:59:34 WbCenBNx
子作りしてるだけで生活できるなんてサムライってうらやましいすなあ


183:人間七七四年
08/05/15 13:21:45 +BaLtNyK
うらやましいなんてこたアない。
乳児死亡率30%以上の時代だぞ。
血筋は男親のもので、母親は腹を借りただけという考え方があるから、
なんとしても男子を育てなければならない。
金のある限り側女を養ってそれこそ必死でやった。

だから子の元服の儀式は父親にとって人生最大の喜びだった。



184:人間七七四年
08/05/15 23:38:06 6jLbTVBF
そうか
それはそれで大変なのはわかるが、やっぱうらやましいすなあ
俺も金のある限り愛人囲って子作りに励んでみたいもんだのう

185:人間七七四年
08/05/16 10:19:18 J4tb9i2/
愛人同士の骨肉の争いが起こりそうで怖いです><
ヒス起こされて殺傷沙汰とか俺にはとても耐えられないです

186:人間七七四年
08/05/16 22:26:03 EYvMymAq
戦国時代は他国侵攻に際して宣戦布告とかしてたんでしょうか?

187:人間七七四年
08/05/17 02:37:21 148K85Lg
>>184
カネがある限りって、カネさえあれば現代でも出来ると思った俺ってオ㍗ル?

188:人間七七四年
08/05/17 02:45:57 eQWe+lrJ
それで暮らしていけるってのが羨ましいんじゃないか?
何を隠そう俺だって羨ましいw

189:人間七七四年
08/05/19 22:08:31 M+ZmhpUa
戦国時代に使用されていた武器というと、鉄砲・弓・槍・刀などがあると思います。
(その他も多々あるとは思いますが…)
戦国時代が終わり江戸時代になると刀の道場が圧倒的に多いように思えます。
鉄砲は規制されたのでその後、名を聞かないのはわかりますが、他はどうしてでしょか。
刀以外も盛んに道場があったが、私が知らないだけなのか。
本当に江戸時代以降、弓・槍不遇の時代になったのか。だとしたら、戦場では役に立たない刀が何故持てややされたのか。
もしよろしければお教えいただけますでしょうか。

190:人間七七四年
08/05/19 23:43:08 Ac8xUW0h
>>189
槍は宝蔵院流、
弓は・・・六角?

191:人間七七四年
08/05/20 10:47:18 RqJeFlhc
>>189
一見すると剣術道場と言えば剣術だけを教えているように見えるかもしれませんが、
実際には様々な武器をも扱っているものですよ。
現代の剣道クラブと混同しないでね。

鉄砲を扱う技は「砲術」と言い、れっきとして伝わっています。
規制されたといっても、全面禁止になったわけではなく、
その点では刀剣についても同じです。規制を受けたという点でね。

刀剣の技が相対的に盛んになったのは、武士は日常的に刀を備えることができるからです。
しかし槍や弓や鉄砲は、通勤で持ち歩くわけにはいきません。
その日常の中でいざというとき、護身に役立つのは刀剣なのです。
戦場では刀が役に立たないとは言いすぎですが、戦場で用いるための剣ではないことを覚えておいて。

また道場というか流派によって、扱う武器の重視具合が異なるため、
江戸時代において武芸十八般に精通したとされるような猛者は、複数の道場で学んでいます。

>>190
弓術の流派で特に人気なのは日置流かな。
戦国時代の六角家当主も日置流を学んだと。

192:妄想は続く・・・
08/05/20 16:29:28 7zutOrLU
>>186
今みたいにいきなりミサイルで破壊なんてことはできないから、
軍勢を動かせば自然に物見の知らせで迎撃体制を取る時間はある。
城攻め前に使者の口上などはあるが、それが宣戦布告となるのかな。

織田が朝倉攻めをしたときは大義名分を公にした。
これが宣戦布告になるのかな。
いずれにしろ、軍勢を国境に動かす、他国に進入することは戦争行為だから、
それが戦線布告ということだろう。

信長が義昭を奉じて軍勢を引きつれ上京した時は、周辺の国に「大儀名分」の書状を送り、
戦争意思は無いことを知らせ、「貴殿の領土を通るがこれに妨害しないよう」に要請している。



193:人間七七四年
08/05/22 15:03:03 GCZBlBwL
ちょっと教えてください。
織田信秀の正妻が武田信虎の娘ということなんだけど、娘というのは実子?それとも養子?
実子なら信長と信玄は血のつながった従兄弟ということになる・・・・
こういう解釈でいい?

194:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/05/22 15:24:37 lHJr0Skl
信秀の正妻は、同じ織田家の人の娘だったと思うけど・・・
んで、信長を生んだのは継室の土田御前(土田氏の一族?)だと思うんだ

195:190
08/05/22 20:08:19 mw7YAPeL
>>191
サンクス。
豊臣秀頼の弓術師範が土岐だか六角だかだと思って。

196:人間七七四年
08/05/22 21:34:09 l+C1f+Pp
そうだね。
秀頼は何人かの弓術師範を招いたけど、
その中で特に「元の家柄」が格式高いのは、六角義治。
その親父さん、六角義賢は大名ながら武芸に熱心で、
弓術や馬術は免許皆伝だった。
そんな父に教え込まれた義治も、弓は達人の域に達していた。
が、六角流を名乗ったわけではない。

197:人間七七四年
08/05/22 22:51:59 giLgkyJ5
難攻不落

小田原
鳥取
岩村
大坂

198:人間七七四年
08/05/23 08:12:35 RJMJ+i/t
名前だけなら稲葉山城も

199:人間七七四年
08/05/23 13:16:33 9/6/tfqQ
岐阜城はあっという間に陥落したけどなw

200:人間七七四年
08/05/23 20:37:22 oEE4Ya/x
戦国時代の兵士は一般的にどのぐらいやる気があったの?
正規兵はともかく、雑兵たちの士気をどうやって高めたの?

201:人間七七四年
08/05/24 12:17:41 YVVhVx5Z
質問が抽象的すぎる。
答えようがない。

202:人間七七四年
08/05/24 13:15:10 35VK1a9N
質問なのですが、
脇坂家伝記などの文書がうpされてるところはないでしょうか?
よろしくお願いします<(_ _)>

203:人間七七四年
08/05/25 01:20:28 516iKydK
>>200
一般的かどうかは知らんが、
臨時雇いは士気が低いので嫌われる傾向にあり、
軍役は正規雇用を義務付けるところが多かった。

臨時雇いをする場合は、相応の見返り(給与や褒賞、罪科の免除)で釣った。

204:大納言 ◆KUGEvA53Uk
08/05/25 12:07:51 uHYzkxf4
>>200
一口に兵士といっても様々な階層があるので・・・
最下級の兵士=足軽についていうと士気は全くなかったと思います。
年貢の代わりの兵役ですからやる気などおきるはずもないでしょうw
 では、どのように士気を高めたか?というと「食事の回数を増やす」
「酒を飲ませる」「次回の兵役を免除する」「略奪、強姦の許可」など
が有効な方法として用いられていたようです。

>>202
Googleで検索してみては。

205:人間七七四年
08/05/25 12:42:01 cgl7mVB9
やっぱり雑賀衆や僧兵などの傭兵集団を雇って防衛すんのが一番やでby堺の引越屋

206:202
08/05/26 00:13:57 PJIHefuY
ググってみましたが良い結果が得られないのでこちらにカキコさせて頂きました。
ちなみに朝鮮遠征で2人の家臣が死んだ下りの記述しか発見できませんでしたが。


207:人間七七四年
08/05/26 00:31:19 E2NcO2BO
黒田長政は後藤基次を他家にも仕官できないようにしたけど
(結局最期は豊臣所属だったけど)
そういう武将を登用するとダメなの?
ただ単に黒田を憚って登用しなかったの?


208:人間七七四年
08/05/26 03:29:33 czc4CGOY
忍者を使って、敵の城に潜り込んで、城主を暗殺する事は聞いた事ないのですが、何故しなかったのでしょうか?
忍者ならたやすいと思うのですが

209:人間七七四年
08/05/26 03:36:28 RoMUSSQS
ヒント:相互確証破壊

210:人間七七四年
08/05/26 04:07:40 yEuzBCm7
上杉家ってなんで会津に天封されたんだろ?
いくら加増とはいえ故郷の越後を召しあげられて奥州なんかを与えられちゃったりして

211:人間七七四年
08/05/26 07:21:42 INvUZi3a
>>208
作家の隆慶一郎は「人間の格」の問題だと書いていたな
つまりたかが忍と一流の武将とでは人間としての器量が違いすぎて、
ビビってしまって殺せないとかなんとか

212:人間七七四年
08/05/26 10:22:35 Mp4axPfr
>>208
忍者ならたやすいという、あなたの考えが、そもそも誤認と言わざるを得ない。
潜入なんて非常に困難。

また、ある程度の潜入までは成功しても、警備の者に発見されて討ち取られた話もある。

213:人間七七四年
08/05/26 11:36:56 8b4U3bjr
>>208
ちゃんとしてる城主なら暗殺されるようなスキは見せないし、
逆に暗殺されるようなボンクラならそのまま城主でいてくれた
ほうが良い、ということらしい。


214:人間七七四年
08/05/26 12:52:30 ebLK2rFM
>>212
>忍者ならたやすいという、あなたの考えが

ガチの外人でサムライよりもニンジャが好きという奴に理由を聞いたら
「ニンジャの方が強いから」という答えか帰ってきて呆れたのを思い出した
忍者万能のイメージってやっぱアニメやゲームから来てんのかね・・・

215:人間七七四年
08/05/26 13:52:12 Mp4axPfr
立川文庫が原因かと思うけどね

216:人間七七四年
08/05/26 14:22:51 LA+WFh8L
刺客を放っての暗殺なんて成功例は滅多にないだろ。

三好長慶だって何回か殺されそうになっているし、実際進士賢光に
手傷を負わされているけど結局失敗に終わったし。
遊佐長教が時宗の坊主に殺されたくらいじゃないか?


217:人間七七四年
08/05/27 09:55:21 /4PX10RB
暗殺ネタなら三村家親は挙がると思ったんだけど

218:人間七七四年
08/05/27 11:37:36 07fs4xSH
呼び出してのだまし討ちとか、遣わされた使者が突然襲っての暗殺なら結構あるだろうけど
忍者はな・・・

219:人間七七四年
08/05/27 19:48:34 877n48Vf
第3回 2ちゃんねる全板人気トーナメント二次予選
<<戦国時代>>板は6/4日出陣
URLリンク(2ch.gepper.net)

詳しくは選対スレへ
スレリンク(sengoku板)

220:人間七七四年
08/05/28 22:43:03 1Iq6y1Zd
戦国時代の武将の説明が詳しく乗っている本ってありますか?
その他、当時についてかなり勉強になる・面白い本がありましたら是非紹介して下さい。
お願いします。

221:人間七七四年
08/05/29 00:57:30 qyowc3Rp
読み漁れ、以上

222:人間七七四年
08/05/31 15:02:26 TrB2zFwY
自分が戦国時代の農民だったとして、一番住みやすい場所ってどこだと思います?

戦が少ないイメージの東北とかだと逆に土地がひどそうだし。

223:人間七七四年
08/05/31 17:19:51 e8wcQ8RQ
そうだなぁ、北米大陸のチェロキー族の集落なんていいかもな

224:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/05/31 19:49:06 c6J0kuhp
>>207
登用するとダメってわけじゃないけど
もし、登用したら黒田家と全面戦争になりかねないからね・・・
まぁ、それそうおうの覚悟がいるね(武将一人のために戦争やしたくないしね)


225:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/05/31 22:54:28 s+JJaxVX
>>222
農民からすれば北条の関東一円かと思うな。


226:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/01 00:26:02 vgYpgNKq
>>225
先生!!関東管領とかいうのが越後からやってきて妻子を拉致っていったのですが

227:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/01 00:45:30 gzCAl0p7
>>226
御館様に身代金の代替りをしていただくようお願いしてみるがよろし

228:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/01 03:57:08 u6BNcyr4
>>226
といっても、河越以南が侵されるのって、氏康以降で三回だけ、
そのうち二回は落城無しなんだがなあ。

北関東あたり、特に上野は本気で泣きそうだけど。

229:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/01 19:08:51 ZmWgEohl
山形の天童藩織田家に伝わったという信長の南蛮具足は、現在は岐阜市歴史博物館に
あるそうですが、どういうものかわかるでしょうか。
それを元に復元したというこのフィギュアと
URLリンク(syoubuya.com)
ここの画像の南蛮具足とは全然違うんですが、
URLリンク(www.iloveshiro.com)

どちらが正しいんでしょう

230:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/01 23:41:03 NM9Pince
利家とまつを見ています。
で、今利家が能登21万石をもらったところです。
おねとなかはそれを聞いて「秀吉に比べるとすくにゃあな」とか行ってました。

確か長浜時代は秀吉は12万石だったはず。
この頃は鳥取城を兵糧攻めにしてるので姫路辺りをもらってるんだと思います。

この頃の秀吉の支配領はどことどことどこで、何万石くらいだったのでしょうか?
できればこの頃の織田家の中心人物の禄高が知りたいです。

231:230
08/06/01 23:43:56 NM9Pince
うお!
いまいきなり言い出した^^;

光秀は34万石
佐々は38万石
秀吉は50万を越えておる

って、え?光秀は確か変の直前では秀吉とワンツー重臣だったと・・・
まあ石高ばかりが評価基準ではありませんが。

権六は越前で80万石くらいはもらってたのでしょうか?

232:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/02 13:15:49 ONITAO9S
っしりいまああ

233:人間七七四年
08/06/03 13:54:51 HHVzofo1
ゴン六越前は54万石くらいかな
石高は評価の違いじゃなくて織田家内の身分の違いだろうな
光秀秀吉ツートップなんて存在しない

234:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/03 14:39:29 iSARIMK4
元々織田家に従属していたわけではない、いわゆる新参者の中では
光秀と秀吉の両者は、とりわけ地位を駆け上った代表格として見られるということではなかろうか。
それぞれ伸し上がった時期に微妙な違いはあるが、一益も絡めて評されると面白そうなのだけど。

235:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/03 16:43:02 N6d7mRPq
京都周辺の34万石は、
数字以上に評価されていると思うんだが。

236:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/05 21:07:37 K0GrGnWP
すみません伊達政宗についてなのですが
伊達政宗のスレッドが多くてどこで聞いていいのか分からないので
ここで質問させていただきます

Wikipediaをみていたのですが
「外記(正重)言はれぬ事を被申候。政宗程の者が御成を申自身御膳を上るうへ。
 おにする(毒見する)所にてはなきぞ御膳に毒を入るるは、早十年前の事なり十年前にも。
 日本の神かけて毒などにて。殺し奉るべきとは夢々思はぬぞ。一度は乗寄てこそとは思ひ候」
と激怒して返答したと書いてあるのですが
これは現代風に言い直すと、どういう意味になるのですか?

237:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/05 21:31:55 0VGVwxIJ
その次の行から現代語で解説されているのは無視ですか?

まあいいや。
「俺の手料理にいちゃもんつけんな、ばーか。
 大体この俺様が例え往時の乱世でも毒殺なんかするわきゃねーだろ。
 天下取るなら喧嘩で取る、うわ、俺カコイイ(意訳)」

238:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/05 23:38:05 K0GrGnWP
>>237
分かりやすくて理解できました
ありがとうございます

> その次の行から現代語で解説されているのは無視ですか?
現代語で解説されているのはすぐ下の行に書いてあるので読みましたが
"現代風に言い直した形"が知りたかったので質問しました
要は意味じゃなくて、理解しやすく謙った形が知りたかったということです
分かりにくくてすみませんでした

239:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 01:26:23 IN/SOm5m
本能寺の変直前の秀吉の石高ってどれくらいですか?
よくよく考えると100万以下は確定なわけで、武田や上杉、まして毛利以下の状態からいきなり数年で天下人ってマジですごくないっすか?

もちろん何百万石の織田家の後継の地位を得られたからでしょうけど。

240:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 02:56:23 IN/SOm5m
秀吉が後継の地位を確定させる前段階
シズガタケなどの時にすでに10万以上の兵を動員してるということはやはり経済的に秀吉だけ特別に豊かだったのでしょうか?
権六はその頃前田など与力を合わせても3万程度だったんですよね?

としまつの数字なのでイマイチあてにならないかもしれませんが。

241:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 04:52:02 /igl/+l2
石高の方は、播磨・但馬・因幡+近江長浜・東伯耆で七十万石強、
これに宇喜多領の備前と美作半国約三十万石を加えて
ようやく百万石くらいかな。

賤ヶ岳の戦いは経済力ではなく秀吉の外交戦略の勝利だろう。
清洲会議の四重臣だけで見ても三対一、滝川を加えてもまだ柴田側の不利。
近江長浜は勝家に譲ったとはいえ、旧明智領を吸収してるから、
与力・同盟者除いた石高だけでも秀吉側が圧倒してる。
こういうのは何だが、順当勝ちではないかと。

242:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 07:32:08 u7W9Ilxh
秀吉は淡路島や讃岐の三好氏も支配下に置いてたんじゃないか?
三好は丹羽の四国派遣予定の部隊に指揮が移ってたんだっけ?

243:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 08:45:14 /igl/+l2
確かに秀吉は淡路島や阿讃を攻めてるし、
後に秀次が三好康長に養子入りしたりしてるけど、
康長や十河存保の領地はさすがに秀吉の分には認められないだろう。
というか、むしろ織田領というより、同盟者(といっても織徳間よりさらに
差があるけど)である阿波三好氏領と見たほうがいいかも。
でも、淡路の洲本城には仙石秀久が入ってたから、秀吉領と見ていいか。
なら、淡路一国で六万石ほどプラスか。

244:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 13:34:29 IN/SOm5m
ところでその頃の何万石っていう評価は米の収穫量のみなんですか?
例えば今でいう東京。石高はしょぼいですが経済力はハンパなく税収はものすごい力になりますよね?

昔も税収を米の価値に換算していたんでしょうか?

245:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 13:39:04 IN/SOm5m
でもそれにしては京都などは石高低く、濃尾の石高が注目されがち
おかしなはなしだ
所詮は濃尾など田舎でしかない
いくら肥沃な大地でも

246:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 13:49:01 u7W9Ilxh
その辺は諸説紛々
純粋に米の生産量という人もいれば
他の食物や特定の特産品みたいなものの生産も含めたものって人もいるし
経済力もある程度課税し含めたものって人もいる。
石高自体がいい加減なのが原因で実際にはよくわかってない。
徳川期なんかは石高が大名格式とされはじめて実際の石高との差が大きく狂ってくるし。

247:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 19:49:48 IN/SOm5m
なるほど。
では濃尾納めた時点で織田は大大名なんていう図式は必ずしもってわけじゃないんですね。

しかし秀吉って何者なんでしょうかね。
今で言えば中卒で英語もできないやつがマイクロソフトの後継者になるくらいの話ですか?



248:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 20:32:31 OrfxX/uf
名古屋城って立派なお城ですが城主は誰ですか?
織田信長は安土城なので違うでしょうし

249:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 20:39:19 IN/SOm5m
城主?
作った人ですか?
wikipediaとかどうですか

250:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/09 00:24:41 Y+NjFWMS
「名古屋」に限るなら、
尾張徳川の当主だけなので
尾張徳川家の歴代当主を調べればいい。

251:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/09 06:24:39 ZY7OuB8e
>>240
北陸方面軍は全軍動員できれば5-6万だが
№2が来れなかったので少ないのよ

252:人間七七四年
08/06/10 23:26:36 U5+3tVEk
>>251
No2って佐々が2番目?
なるほど越中は40万近くあるんでしたっけ?
そう考えると信長からの評価は高いんですね佐々。
確かにあの上杉軍を一応防いだわけですし。

としまつ見てるとどうしても前田が強くあって欲しくなっちゃいますが。
実際前田はケチだからか全然兵を雇ってなくて単独で戦をするには向かない性分の大名ですよね。
人望や秀吉とのつながりのおかげで2強みたいなところまであがりましたけど。

そういえば晩年のとしいえって実は権力や出世という意味では信長越えをしていたんですかね?
そこまではいかないのか?

253:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
08/06/11 02:16:25 gC+46czq
前田利家の大老格は豊臣家の家宰的立場に拠るもの。

254:人間七七四年
08/06/11 11:30:15 ZnUEt3D6
偉大なるイエスマンって感じかなw

無能とは思わないが、
あくまでそれは補佐役・調整役として或いは官吏や武将として才能であって、
独立勢力のトップとしての才能は無いよ。
光り輝く恒星があって、初めて自分も輝けるタイプ。

255:人間七七四年
08/06/11 13:06:22 QJVwnHHc
>>254
イエスマンなんですか?利家は。
かなり秀吉に反抗的だったような描写でした大河では。
なんていうか物言う部下っていう感じの。
あれだけ主人公万歳の大河ですら能力的にはさすがに一流には劣るという描写でしたから能力的には1.5竜~残念ながら2竜がいいところかと思ってました。
ま、好きなんで1.5流でお願いします。

確かにカリスマというより秀長タイプなんですかね。いや違うな。
人間を釜茹でにするような鬼畜な一面も持っていたわけですから。

よくわかりませんよね。
そこらへんのヤクザよりずっとずっーと怖いんですよね。昔の大名って。
例えば佐々の切腹とか本当にやったんですか?
実際はどの程度だったんでしょうか?
その時代の殺しとか自殺とかの実情って。

256:人間七七四年
08/06/12 16:30:28 PHOeQvhj
同じ敵の大軍を引きつけ本戦に参加させなかった功績があるのに
何故真田の足止めは賞賛されて京極の足止めは多く語られる事がないのでしょうか
また同じ主家の石高を大幅に減らした大戦犯なのに
吉川は裏切者と罵られ、(元就の遺言を忠実に守ったのに)
直江は智謀の将だったと語られるのですか

257:人間七七四年
08/06/12 17:36:42 Nq35WIae
真田と直江は一貫して西軍、京極と吉川は中途の寝返り・内応

これに対する印象の差じゃね?

258:人間七七四年
08/06/12 17:48:56 mZL8OWHH
吉川は独断でやったのであって主家に相談してのことじゃないんじゃなかった
っけ?だから山に布陣した秀元に「なぜ軍を動かさないのか?」と言われたが
「輝元様にそう言う風に言い含められた」みたいな言い訳をしたんじゃない?
小説の話なのでマジかわからんけど。
直江は景ちゃんも承知でひと暴れしたから本望なんじゃない?

関係ないけど改易のところ30万石だけ領有を許されたのは謙信公が家康の
同盟の提案に快く応じてくれたことへの恩返しだとか、景勝が同じ豊臣家の
大老のとき、同格でありながら年長の自分を立てて丁重な物腰で自分に対して
くれたからその景勝への感謝の気持ちの表れとかいわれてるね。
本当のところはどうなんだろか。


259:人間七七四年
08/06/12 22:46:15 8aoXxIRG
>>258
吉川広家が家康へ出した誓紙は、家老衆との連署。
つまり独断ではない。
むしろ評定を無視して輝元本人にも事後承諾で、
勝手に西軍参加を決めた恵瓊の方が独断というか暴走。

まあ吉川派からも恵瓊からも事後承諾で追認した輝元の空気さ加減が全ての元凶かと。

260:人間七七四年
08/06/13 11:11:45 ACruAvxm
長篠の戦いの歴史的意義を説明しなさいという課題、難しいよね

261:人間七七四年
08/06/13 23:09:23 qx0rQ0lO
>>260
う~ん。
戦争における武器の革新とかか。
まあ鉄砲の大量使用をうまい事言葉をみつくろえばいいだけだろ。
それを自分で考えるときに脳を使う。
それが勉強というものだ。自分で考えろ。
社会に出て人にきいてる暇はないんだぜ?

262:人間七七四年
08/06/13 23:31:33 hPGqkUtO
大規模野戦築城戦術の先駆け、じゃないかなあ。


263:人間七七四年
08/06/15 08:10:36 ldi9gQd6
なんか城攻めの時に美しい笛の音についつい出てきた武将が弓で射られたとかって
話を聞いた事があるんですが、これって何の話でしたっけ?

264:人間七七四年
08/06/15 08:52:34 YByyIH1l
お前の話

265:人間七七四年
08/06/15 09:15:52 KbIqiJ5y
>>264
もうちっとまじめに答えてやれよw
信玄が家康を攻めてたときの
逸話が有力、とかさ

266:人間七七四年
08/06/15 09:21:12 3/jjEmcM
笛に惹かれて出てきたんじゃなくて自分で吹いてたほうなら、
尼子政久のことだと思ったけど、違うかな?

267:人間七七四年
08/06/15 09:38:00 ldi9gQd6
>>265
>>266
ありがとうございます。

俺が聞いたのはどうも>>266のお話の様です。
お手数おかけしました・・・・



268:人間七七四年
08/06/15 12:43:25 S6Gd2lE0
>>260
>>262
[大規模野戦築城戦術の先駆け]
うーんそれでもいいか・・・
ただし本陣に強固な囲い(砦)を作ることは以前からあったし・・・
開戦から暫くの間、全軍がその中にいて飛び道具だけで敵を狙い打つ戦法がやはり新しいのか・・
「信長公記」にも「御人数一首もお出しなく」(誰一人陣から出て戦うものはいなかった)
とあるように。
長篠の戦いの実態はだんだん解明されてきているね。
・鉄砲総数は1500(500は別働隊)
・三段撃ちはなかった。
で、最新の研究では、別働隊が本隊から離れたことで、連合軍本隊の兵数を勝頼がカン違いして
力押しで勝てると考え総攻撃を仕掛けたが、実際は遥かに多い26,000が待ち構えていた、
こんな感じ。

こうなると歴史的意義といってもナントモハヤだね。



269:人間七七四年
08/06/15 14:56:21 YByyIH1l
>>268
>長篠の戦いの実態はだんだん解明されてきているね。

>>260読めよ。お前はバカか。

270:人間七七四年
08/06/16 21:59:34 cmUcxwM6
大坂冬の陣夏の陣の参戦武将
各々の詳細な兵数が載ってるサイトがありましたら教えて下さい

271:人間七七四年
08/06/17 21:34:11 lKq5evy7
サイト教えてっていわれると
説明してって言われるより萎えるのは
俺だけかね

272:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
08/06/17 23:37:54 IJfhlGXn
そこはグーグルのアドレスを貼るのが優しさだと思うんだ。

273:人間七七四年
08/06/18 09:13:32 0A72b66O
>>272
すまん、ワロタw

274:人間七七四年
08/06/19 02:09:41 sJiTCvS4
田丸直昌が吃音だったというのは史実でしょうか?

275:人間七七四年
08/06/19 12:38:42 M5X5N5Ih
>>264 >>269

真性のアホキタ~

276:人間七七四年
08/06/19 15:45:31 9vbMTbvS
賤ヶ岳七本槍って7人だから七本槍じゃないんですか?

277:人間七七四年
08/06/19 16:26:54 pWdiiSXJ
小豆坂七本槍にかけただけ

278:人間七七四年
08/06/24 08:20:01 jFJ40XhC
質問です。
小田氏治は将軍足利義晴の従兄弟に当たると思うんですが、
古河公方家や同じ将軍の従兄弟の足利義栄に比べて、
その権威を利用しようとしている人が少ないと思うんですが、
小田氏治に将軍の親戚的な権威はなかったんでしょうか?

279:人間七七四年
08/06/27 22:57:07 Vp19AlpX
>>278
その質問の中に答えが出てると思うんだけどもしかして君ってバカなの

280:人間七七四年
08/06/28 12:36:51 xUUOVraW
>>279
日本語を知らないやつだなあ、
「何故」そうだったのかと聞いているのが分からないのか???

281:人間七七四年
08/06/28 15:54:23 bX8jSv/H
>>280
わからないな。
消えろ。

282:人間七七四年
08/06/29 12:46:53 wl/ZpQFb
 >>280 \○  <<281
 WIN ∥\

283:人間七七四年
08/06/29 18:15:42 SLy1z1l2
>>282
だから消えろって。

284:人間七七四年
08/07/03 18:33:28 jdoXm5tL
武田信玄とか大友宗麟とか法名を持つ武将って
家臣や他大名との書状では、実名と法名のどちらを使用したの?

「武田信玄」?「武田晴信」?
「大友宗麟」?「大友義鎮」?

285:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
08/07/03 23:14:51 6AGQ4Se9
どっちも。

286:人間七七四年
08/07/06 17:05:59 zEjiO+Ko
日本国政府の紋章が秀吉と同じ桐の紋なんだけど
秀吉が天皇からもらっただけで、
別に秀吉の紋が使われてるわけではないですよね?

287:人間七七四年
08/07/06 19:17:58 p7UTs0jv
桐紋は下賜用と言っても過言ではないかと。
逆に菊紋は下賜されない。

288:人間七七四年
08/07/07 01:08:47 sVDY8ogc
>>284
信玄の例をとると、出家するまでは「晴信」、出家して以降は「信玄」。
織田信長の「のふ」(信。寧子への手紙で知られる)のように省略することもある。

289:人間七七四年
08/07/07 14:41:02 uf3yRE1E
長篠の戦いのとき、織田軍は雨が降っても鉄砲が使えるような対策はしていたのですか?

290:人間七七四年
08/07/07 17:18:32 o8dPaDXY
多少濡れても燃え続ける火縄を普及させるという工夫はあった。
他の鉄砲先進勢力に較べても、それほど遅れをとっていたわけではない。

そもそも雨は織田軍だけを狙い撃ちにするわけじゃないし。
天候の有利不利はお互い様。

鉄砲に依存しない戦いの算段を、しっかり踏んでいたよ。
そのおかげもあって勝ったわけだし。

291:人間七七四年
08/07/08 11:22:59 O52vvvqu
三段馬防柵がいつのまにやら三段銃陣に

292:人間七七四年
08/07/08 11:39:52 9NkoO+x6
鉄砲の工夫が進められって話はあるあけど撃ち方なのか
機械的改良なのか材質なのか何なのかまったくわかっていない

293:人間七七四年
08/07/08 12:21:50 COCtWxkf
>>288
大友宗麟の方はわかりますか?
秀吉に援軍を求める書状なんかには何て署名してたんでしょうか?

294:人間七七四年
08/07/12 19:38:29 TAaNtMbP
和田惟政の死について質問です
信長と足利義昭の対立が深まり、信長に背いたことで信長方の荒木村重らに討たれたという説
信長には背かず信長の配下として三好松永らと戦い、三好松永に属していた荒木らに討たれたという説
以上の二つの説を目にしたのですがどちらが正しいのでしょうか?


295:人間七七四年
08/07/13 15:44:56 xCfIiYck
サラリーマン大名と切り取りで大きくなった大名はどちらが格が上ですか。

皆さんが好きな方も教えてね。

296:人間七七四年
08/07/14 14:43:47 INEJa3iz
>>294
この時の村重は明確に信長に敵対している。
信長から疎まれそうになったが信頼回復し、その後も織田の為に極めてよく働いている。
信長はこういう働きをする人物を重用する。
↓これに書いてあるのが史実に近いのでは。
URLリンク(s-mizoe.hp.infoseek.co.jp)

297:人間七七四年
08/07/14 15:41:00 wwsR7QzV
>>296
返答ありがとうございますm(_ _)m
ご紹介のサイトもとても参考になりました

298:人間七七四年
08/07/15 00:13:04 AqWFCDtL
>>294
多分、どっちも正確には正解じゃないかも。
明確に信長に敵対していたわけじゃないけど、
足利義昭との関係で、立場が弱くなり、疎まれはじめていた和田氏と
摂津の実質上の権力者となり、信長の寵愛を受けつつあった荒木とが
摂津の覇権を巡って争った。結果・名目上の守護・池田氏を担いだ
荒木が和田を攻め滅ぼした、と。
まあ、後に松永と同じく裏切るわけだが。

たぶん、信長は言う事聞いてくれる荒木が
実権持った方が良かったんで、黙殺したんじゃないのかね。
織田が援軍出したとかいう記録も見たことないし。

299:人間七七四年
08/07/15 02:45:51 nyz0lwRe
>>298
なるほど。詳しく分かりやすいご説明、本当にありがとうございます
確かに>>298さんの言う通りだとすると色々と納得できることが多いですね
 
いわば信長にとっては身内同士(少し誇張ですが)の戦いであったのに、村重を止めることも惟政を助けることもしなかったのは、信長にとって村重の価値>惟政の価値 であり 村重と信長の仲>惟政と信長の仲 という背景があったからなのでしょうね。

長くなりましたが、お二方とも本当にありがとうございましたm(_ _)m

300:人間七七四年
08/07/15 12:10:15 SpK5vE5s
織田信長の娘の「秀子」が筒井定次に嫁いでいますが、彼女は光秀の実娘で信長の養女にしたとする系図が
歴史群像に載っています。
その本では光秀の「秀」の字が娘の名前だって理由付けしているのですが、この真偽について教えてください。


301:人間七七四年
08/07/15 15:34:13 7suNzUSn
正室は信長の娘。
側室は光秀の娘(光秀の側室の子):光秀には側室がいた。

302:人間七七四年
08/07/16 12:13:22 d+m9FLXM
織田信長は家臣に九州の名族を姓を与え、明智光秀には「惟任」・丹羽長秀には「惟住」と名乗ります。
そこで質問なのですが、「惟任・惟住」は本当に九州の名族の苗字として存在したのでしょうか?
一説には「惟任」は「惟宗」の訛伝だといわれていますが、その真偽も含めて教えてください。

303:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
08/07/17 00:01:50 sIqW+Bix
答えではなく簗田広正の別喜右近大夫というのも戸次の訛りという追加。

304:人間七七四年
08/07/18 21:53:15 4Tdq7QLx
黒田勘兵衛が秀吉に「うまくやりなされ」って言って野心を見抜かれたとか、長政に
「空いてる手はなにをしてた」って怒ったりしてますが、彼に天下を取るチャンスは
本当にあったんでしょうか?

305:人間七七四年
08/07/18 22:14:03 IkIK0aDZ
ない。

306:人間七七四年
08/07/19 19:01:42 WyMQa0A2
まあ、ないだろね。
秀吉絡みで過大評価されてる部分も多いし。
黒田官兵衛も竹中半兵衛も小禄だしね。

307:人間七七四年
08/07/22 19:57:30 Fr2Q2E0I
長文駄文失礼します。

ウチの親父は趣味で絵を描いてるんですが…
どうしても知りたい事があるらしいんです。
昔本屋で見たらしく(?)探しているのですが情報不足で見当たらず。
ちと困り果てています。

内容としては武士の大名屋敷の門について知りたいらしいんです。
昔の武士の階級毎に作れる門が決まってたらしい?
主に石高毎にそれが決まってるらしいんですが
その石高毎に作れる門について知りたいそうなんです。

検索してみてもぜんぜんヒットしないし本屋を探してもそれっぽいものが見当たらず。

知りたいことは
・石高毎に作れる門の詳細と絵や写真?らしいのです。

新参なのでここで聞くのも間違ってるかもしれない内容ですが
詳しいサイトや本など情報があったら教えてください!


だいぶ下がっていたのでsageませんでしたが問題ありましたら失礼しました。

308:人間七七四年
08/07/22 23:37:52 Fr2Q2E0I
親父本人に色々問いながら進めていった結果なんとか結論に辿りつけました。

どうやら大名には色々な屋敷のタイプがあったということ。
石高で分かれるのは主に旗本であったこと。
石高によっては門や瓦に畳も使えなかった事等わかりました。

ググったりしても一向にヒットしなかったのですがwikiで武家屋敷と調べてみたら
カナリ詳細なモノがのっていてそこからの知識で補完しつつ検索をしていたら
なんとか画像も見つかったのでそれで満足してもらえそうです。
いきなりの駄文失礼しました。


309:人間七七四年
08/07/23 11:55:55 MYHVFdIZ
それは戦国時代の質問だったのか?

江戸時代のネタとしか思えないのだが

310:人間七七四年
08/07/23 14:52:24 15GBVPXy
今本屋にいるんだけど、岡谷繁実が書いた「名将言行録」の現代語訳って文庫だけ?
岩波文庫のところになかったから、文庫じゃない固い表紙の方で探してるんだが中々見付からない

311:人間七七四年
08/07/26 02:29:12 y6T4rfxG
これは戦国時代だけではないかも知れませんがなぜ大名など偉い人は
正室に何人もの男の子がいても側室を娶るのですか?ぎゃくに男の子
が増えたら争いになるかもしれないのに...。

312:人間七七四年
08/07/26 02:36:55 KqRMhl4s
一に予備、二に外交戦略要員。

この時代の幼児死亡率の高さで無事成人できる可能性は現代とは比べ物にならないくらい低い。
また医療などが未発達のため、成人しても病や怪我が悪化してあっさり死ぬことも有る。
そういう場合に備えておく必要がある。
あと毛利の両川や北条の氏照・氏邦らのように、
他家に養子に出してその家を乗っ取るのは常套手段。

313:人間七七四年
08/07/26 18:19:22 vmru+1Ug
すいません
黒田長政スレって無いんですか?

黒田・長政のどっちで検索しても引っ掛からなくて、
まさか隠語みたいなのでスレタイになってると困るなあと質問です

314:人間七七四年
08/07/26 18:48:39 +ZFyvZs3
>>311
増えすぎた男子を仏門に入れて、家督争いを未然に防ぐ方法もある。
例:今川家・足利家

315:人間七七四年
08/07/26 23:26:13 y6T4rfxG
>>312 >>314 ありがとうございます。生存率のことが頭から完全に
抜けていました。ファンタジー小説の読みすぎだなと思いました。


316:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/07/28 08:16:25 fpmLJDxF
>>313
たったよ

黒田長政だ!
スレリンク(sengoku板:1-100番)

317:人間七七四年
08/07/29 20:25:28 m8SmvsIH
武田・上杉・北条・今川の政策についての差異性と共通性を教えてください。
できれば各氏の中央政権との関係もお願いします。

318:人間七七四年
08/07/30 09:11:23 DYptmby9
>>317
なんだその夏休みの宿題みたいなのはw

319:人間七七四年
08/07/30 14:07:05 cfUR4bJS
>>317
スレを立てろ。
1スレくらいなら埋まると思われる。

320:人間七七四年
08/08/03 06:15:04 VJaquGsg
家康が関東に入府したとき江戸一帯は原野に近かったそうです。
家康の所領の石高が公称240万石というのが嘘だと思うのですが。
毛利と上杉足したぐらいあったとは思えない、

321:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/08/03 10:57:01 uhpnBppl
    太閤検地
下野  374,082
上野  496,733
武蔵  667,126
下総  373,255
上総  378,892
相模  194,204
伊豆  69,832

計 255万4124

まぁ、実高300万こえてたんじゃない?

322:人間七七四年
08/08/03 11:41:52 yhAuYTru
相模が異常に少ないが、これは鎌倉要塞と関係あるの?
周辺にあんまり人を住まわせなかったとか・・・
開発をしないようにして原野のままにしておくことが、防衛上優先されたとか・・・

323:人間七七四年
08/08/03 16:51:23 SHgvavRI
役帳で奥三保に田は存在しない事を考えてみれば、
相模の耕地は少なかったと見ていいんじゃないか。
ただし、奥三保や伊豆は山林資源の宝庫だから単純な石高では計れない価値があるけどね。

324:人間七七四年
08/08/03 20:31:01 /QWJVsx6
表高と実高では倍くらい違ったんじゃないか。
勿論、実高が高いのが欲しい
軍役の割り当ては表高で当てるから

325:人間七七四年
08/08/14 02:13:31 5Xh73/I6
薩摩って慶喜を将軍にしようとしてたのに何で最終的に慶喜と対立したんですか?

326:人間七七四年
08/08/14 03:18:32 lwCGj/t5
ですので慶喜が晩年こんな趣旨の事を言っています。
「最初から倒幕を掲げていた長州は、今は恨んでいない。ある意味立派。
 しかし薩摩は途中で寝返りやがってマジむかつく。死ね、氏ねじゃなくて死ね」

327:人間七七四年
08/08/14 16:35:24 5Xh73/I6
攘夷やら倒幕やら開国やらごっちゃになってよくわからないです。
幕府は開国しようとしてたから倒幕=開国でもないですよね。

328:人間七七四年
08/08/14 20:09:22 dFPWTl9R
攘夷 ⇔ 開国 が対立概念
佐幕 ⇔ 倒幕 が対立概念
それぞれベクトルが異なる思想。
組み合わせによって、倒幕開国思想とか、佐幕攘夷思想とかもある。
倒幕派の一部が看板に掲げた名目が尊王。
武家主導の政治制度を作り上げたいけど、徳川家には引っ込んでもらって
他の有力大名家の議会で行こうという雄藩連合思想というのもある。
朝廷の重鎮(公家)と武家を織り交ぜた議会で政治を行おうという、
公武合体思想というのもある。


329:人間七七四年
08/08/15 02:41:30 l6YIvCQv
井伊大老が暗殺されたのは攘夷対開国の流れから?

330:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/08/15 10:41:32 uB+d5t3w
攘夷開国なしにただの怨念からかも

井伊直弼は攘夷派に対して酷いことしたよね(´・ω・`)

331:人間七七四年
08/08/15 11:05:54 L4F5vuIW
暗殺の動機は、井伊が行った弾圧に対する報復でしょう。

攘夷派と倒幕派という別々の思想集団が、
アンチ井伊という共通要素を得て手を結び、
倒幕攘夷(あるいは尊王攘夷)という新たな運動が産まれたと言われています。

332:人間七七四年
08/08/15 18:12:00 l6YIvCQv
結局は尊王開国みたいな感じになったんかな。
尊王攘夷と言っても実際に天皇が政治をするわけじゃないでしょ?

333:人間七七四年
08/08/16 06:18:14 oJp5mau3
戦国の兵制についてお聞きします

1、一騎の騎馬武者は禄高に応じて、旗何本、弓いくつ、槍いくつと平素から家来を養い軍役を
果たした、と聞きます
この場合、たとえば家来の槍足軽は戦いでも、つねに主人の馬側で行動するのが自然に
思えます

2、いっぽう合戦においては、軍勢は兵種ごとに分かれ、まず鉄砲・弓隊による射撃戦、
槍足軽隊による白兵戦、最後に騎馬隊が突入して雌雄を決した、という記述がみられます
ドラマなんかでも鉄砲足軽はそれだけで集団を作り、槍足軽も槍だけの集団を作って
いますよね。この場合の足軽は、主人の騎馬武者とともに行動していません

この違いは何でしょう
考えられるのは

A、1と2の足軽は別物。とくに騎馬武者の主人を持たず、槍なら槍隊を形成する足軽たちと、
 騎馬隊に混じって馬上の主人を護衛する足軽の、2種類がいた

B、1と2は同じ。主人に率いられて戦場までは来るが、いざ合戦というときには
 「行ってまいります」とばかりに主人から離れる。
 それらの足軽たちを集めて、槍なら槍隊の集団が形成される

C、しょせん本もドラマも後世の類推なので本当のところはまったく分からない

どれかしかないと思うのですが、どれなんでしょう(Bでは手順が煩雑すぎか)

つまらないことを長文で書いてしまいましたが、ずーっと気になっていたもので・・・
詳しい方教えてください または考えを聞かせてください


334:人間七七四年
08/08/16 12:48:02 g6vGR0CM
戦国では備という戦術部隊で行動します。
大名とされる一万石以上というのは、自前で備を出せる目安ということになります。
逆に言えば一万石に満たない中小武士は寄り集まって一つの備を形成せねばなりません(いわゆる寄親寄子制)。
そのようなより集めの備でも、大名の備と同様に諸足軽が居なければ集団戦闘ができないので、
諸足軽を皆で出し合う必要があるわけです。
また軍役を見れば分かりますが、御槍持や口取りなどは記載されていません。
つまり武士達は軍役とは別に家臣(自分と共に行動する郎党や中間)を従えていたわけです。
軍役の兵力を放出したとしても武士の周りには家臣たちが居た訳です。

よってBが正しいと思われます。

335:人間七七四年
08/08/16 13:01:41 FMd4dGZC
降服とかで頭を丸めると許されるのはなぜですか?
髪なんか禿じゃなければほっときゃそのうち生えてくるし
そもそもサカヤキそってるから
頭頂部はもともと生えてないしで痛くもかゆくもないでしょ?
髪に痛覚神経通ってるわけじゃないし
今はハゲは侮蔑の対象スケベの代名詞ですが
当時の僧侶はそれなりに尊敬さる対象だったはずで
剃ることが欠点にはならないでしょうし

336:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/08/16 13:16:13 U8bV46cU
頭を丸めて僧侶になることで、「私はもう野心はありません」っていうことを示すからかな
まぁ、反省の意味を込めて頭を丸めるんだよ

337:人間七七四年
08/08/16 14:28:03 uCS34IGM
まげというのは元々兜の穴に通して兜を固定する為に始まった髪型
足軽として駆り出される農民にもその後広まったが、
武士にとっては「いつでも戦える状態にある」という象徴的な意味合いもあったと思われる
元服の際に前髪を上げて(切って)正式にまげを結うという儀式が行なわれていた事からも
一人前の武士の象徴として重要な物と考えられていた可能性が高い
それを落とすという事は、大げさに言えば「誇り」を捨てるという感覚もあったのかもしれん

338:人間七七四年
08/08/16 14:52:16 oJp5mau3
>>334
わかりやすい回答ありがとうございました。

武士達は軍役とは別に家臣(自分と共に行動する郎党や中間)を従えていた
軍役の兵力を放出したとしても武士の周りには家臣たちが居た

という説明は、長年の疑問が氷解する思いでした

軍役用に動員された兵は戦場に赴く前に、主君(?)からは離れて兵種ごとに集合
させられていた感じでしょうか・・・

339:人間七七四年
08/08/16 23:22:47 9l09EUUY
なるほど。武将は命じられた兵数を集めるが、
常にそれを連れて来た武将が指揮するのではなく、
兵種ごとにこれを集めて、誰かが動かすってことかいな?

俺は武将の引率する小隊が中の人はそのままで槍や鉄砲に持ち替えるのかとばかり思っていた。

340:人間七七四年
08/08/18 22:17:24 5/7Cyrz8
>>334
大名が雇った足軽隊を侍大将の指揮下に置いたり
国人に上層の大名が足軽用の槍を供与したりしているのでAが正しいと思う

Bのような郎党の供出があったという資料を自分は知らないので、よかったら
教えて欲しい。自分、備の研究者なもんで

341:人間七七四年
08/08/18 23:24:02 lnIlshBU
あとさ、よく野戦は弓鉄砲投石で遠戦して、
相手が弱れば槍合わせすると言うけど、
相手が弱るってどういうことなんかね?

被害が増える、陣が乱れる、将が負傷するなどがありそうだけど、
そこへ好機とばかりに槍を進めてもすぐ立て直されたらダメじゃない?

342:人間七七四年
08/08/19 06:39:39 MwQF7Dm9
>>341
直ぐ立て直されないほどの損害を与えるか
立て直す前に迅速に敵陣に乗り込むか
要はスピードとタイミング

343:人間七七四年
08/08/19 08:48:37 ZPLXIcih
>>342
遠距離戦で「直ぐ立て直せないほどの損害を与える」まで圧倒できるのかが疑問。
結構な距離があるだろうに歩兵がわーっと鑓を前に突撃できるのかどうかわからない。
三段撃ちじゃないけれど、そう常にうまくは出来ないんじゃないか。
常用できる用兵術とは思えないんだよね。

344:人間七七四年
08/08/19 09:31:46 7nemmroc
当時の遠戦は大体、50~100m程度なので、火力密度か下がれば突撃による突破は可能

345:人間七七四年
08/08/19 09:59:49 S8buBw0L
実害(死者による兵力の減少)もあるが、士気の低下による混乱というのもある
こっちは一度大きな混乱状態になったら簡単には修正が効かん
兵数で圧倒的に勝る軍が寡兵に打ち破られる例がいくつもあるが、
混乱で兵の統制が取れなくなって崩壊というのは少なくない

346:人間七七四年
08/08/19 16:45:23 bEJ77z3/
>>334
郎党を出すとは書いてはいませんが。
確かにまずい書き方をしているのは認めます、
郎党が軍役に入っていないような書き方ですから。

自分の部下の足軽の指揮権を委ねるのは、
岡本何某への着到状を見ていただければその一端はわかるはずです。
また名前は忘れましたが騎乗三名を除き他は全て鉄砲足軽という極端な動員例もあり、
彼は自分の出した兵力で鉄砲足軽隊的な位置にいたことがわかります。
また同じく北条の着到状には
知行を受ける本人だけではなく足軽の軍装(足軽用の長槍の長さは二間半に統一しろなどまで細かく指定して、
それを間違いなく用意して来いといっています。
これらのことから大名が一元的に足軽を出していたわけではなく、
中小武士達が動員してきた足軽たちも足軽隊として運用していたと考えられると思います。
また一万石の大名、といっても千石前後の家老を筆頭に陪臣を当然抱えているわけで、
それらの兵力を当てにしなければ足軽を揃えることは不可能かと。

もちろん幕府で言うところの町奉行所の同心や八王子千人同心といった足軽達を幕府が直々に抱えていたように、
大名が足軽を大量に直接抱えていたのはおっしゃるとおりで、異論の余地はありません。

347:人間七七四年
08/08/19 21:10:30 ZPLXIcih
340へのアンカーミスしてない?

348:人間七七四年
08/08/19 23:01:34 MwQF7Dm9
>>346
う~ん、自分としては自分の家臣である足軽を貸し出すという構図が納得できないのです
そういう事は近世の備では行われず、陪臣は陪臣でそれぞれの侍に仕えるという形なのです
自分は備の成り立ちは旧来の武士団に大名が編制した足軽組を付属したのが始まりと
考えてるので、そういうそれぞれの武士からの供出には首を傾げているのです

旗の統一も部隊識別(合印)と考えれば直臣・陪臣の区別なしとなるでしょうし、現に井伊の
赤備は直臣・陪臣ともに赤で、直臣は名前書きで陪臣は主君の紋を入れるという区別だそうで

それに軍装の統一も相手を威圧する為と軍役状に書いてあったと思います
自分としては封建制を壊す主従関係を飛び越えた人の供出(特に下から上)はあるとは考え
にくいのです

349:人間七七四年
08/08/20 00:29:28 lN/5ytWV
>>348
根拠を出せ、といわれたから出したまでです。
ミクロな寄親寄子制の例。
大名が武士に足軽隊をつけたことへの反論として、
軍役そのものが鉄砲隊という軍役の人員が衆の足軽隊として使われていた例。
そして大名が一手に足軽の武具(槍)を貸し出していたということへの反論。

封建制を壊すといわれますが、北条をはじめ一部の大名は直臣の封建制の一部を否定してますよ。
それは江戸時代に入るとより顕著になります、藩にもよりますが。
武士達の領主たるを保証するのは一通の安堵状と藩からもらえる給米くらいなもの。
自分の領地に行ったら処罰、勝手に領民にあったら処罰、
都市に住むことを強制され、必要なことは全部藩がまとめて代行、
これではとても封建領主とはいえません。
この走りは戦国中期頃から徐々に見られるようになってきていると思います。

>>347
ミスってます、申し訳ない。

350:人間七七四年
08/08/20 01:32:08 ngVSz8dO
なるほど。この議論は面白い。
そうすると謙信が自軍の中を馬で突っ切り、
青竹で「ここから右側の足軽は全部何某の、逆側は何某の指揮下に入って戦え」
と指揮した逸話もあながち出鱈目ではなく、
可能性として否定しきれないことになりそうでんな。


351:人間七七四年
08/08/20 07:21:39 Tva3DI5U
>>349
一応、私も議論の為の反論としてお受け下さい

果たして武士それぞれの軍役下にある足軽が足軽隊のとして抽出されたかが大きな問題と思います
私の感じる限りでは武器・装具の統一以外でその様な事を示す傍証は内容に思ってます
つまり、自身で動員した兵を差し出すということが一般的に行われたか否かで
これは主従関係を壊すことになりかねないと思います

同様の施策は幕末の幕府歩兵隊で一時行われていますが、あまりにも人材にばらつきがあるので
直ぐに金納に変更したという話もあるのです
なので、抽出はあまりないのではと考えています

後、大名から国人への武器供与はあくまで与えたという意味で、これは備を編制するのに経済力が
足りない国人に対する援助と考えています

352:人間七七四年
08/08/20 13:25:42 ngVSz8dO
>これは主従関係を壊すことになりかねないと思います

素人が横からですみません。
これについては戦国中期から解体がはじまっているのではないのかな?
足軽雑兵の類を供出する惣村の地侍は些細なことで領主をころころと変えられ、
一つの村を分割で支配されたり、複数近接する村が遠方の領主に飛び地としてあてがわれたりしている。
これではご領主様への忠誠心も何も育つわけではなく、ただ段銭を集めるように足軽を集めて、
奉行にこれを提出するがごとく動員をかけた大名に連れてきているのではないですかね?
これにより国人領主は合戦では自由に出来る直属の兵を多数抱える豪族ではなく、
一族郎党ほか小物などを引き連れた程度の一部将一家臣と化し、
あからさまな軍役拒否や独断的な軍事行動を取れなくなっていったと思うのですが。

353:人間七七四年
08/08/20 20:20:29 Tva3DI5U
>>352
足軽が農村からの徴集かどうかは疑問があると思います
小荷駄などの陣夫は地下人からの徴集なのは間違いないですが、
足軽や槍持といった戦闘要員もしくはそれに近い者達は自発的な参加と考えられています

この場合、彼らは雇い主と契約を交わしているので、そこで抽出されて足軽隊に編入となると
契約的にややこしくなるのです
寄親寄子制も同様の問題がありますが、この場合は知行安堵や恩賞は本来の主君によって
なされますが、足軽の場合はかなり問題がややこしいかと

何より寄親寄子制はその資料が豊富であるのに対し、武士の足軽を主君に供出するという
資料は私は見たことがないので、どうも疑問に感じています

近世では備の足軽隊とその足軽は全て大名の直臣なので、なおさらそう感じてしまうのです

354:人間七七四年
08/08/20 20:47:58 tfFp4krb
「自発的」の意味がよくわからないのですが、別に村や寺社が供出=地下人の供出とは言ってませんよ。
彼らが雇用するなりなんなりして、農産物を換金して納税するように、軍役を提供したのではと仮定しただけです。
契約云々はよくわからないのですが、
工事現場に口利きが人足を出すように、
大してややこしくはないんじゃないでしょうか。

ただ、大名に供出するという表現は僕もおかしいと思いました。
換言すれば、軍役に従って人数を連れてくる武士は、
それを自らのものではなく、親の統制下に入ることがある事を前提に連行しているのではないかと。
しかし、これにしても鉄砲隊や騎馬隊の指揮官はどのように選抜されるのかよくわかりませんね。
本当に謎です。

355:人間七七四年
08/08/20 20:54:44 lN/5ytWV
片棒担いでいるので強くは言いませんが、
そろそろスレ違いでしょう。

あと主君に供出するとは書いていません。
寄子は足軽ともども寄親の指揮下に入る、
その際、寄子の足軽は寄親の指揮下に置かれると言っています。
その例に付いては既に挙げ、一切の反論もないので言を重ねません。

356:人間七七四年
08/08/20 22:18:43 tfFp4krb
いや、あなたは書いていませんよ。
僕が納税を例にそのように取られる話にしてしまったとしただけです。
丁寧にご説を下さるのはありがたいのですが、
もう少し相手の話を理解してから返答するよう努めたほうがよろしいかと存じます。

357:人間七七四年
08/08/20 22:31:46 Tva3DI5U
>>354
つまり
領主に対する後方任務の陣夫提供は地下人の義務ですが、
足軽という戦闘任務は各々の自由意志によるものなのです

一応、非常時には地下人の戦闘任務への動員もありますが、
これは本当の非常時で、食料賃金支給、恩賞あり、出身地勤務
とかなり気を使ってます

そして口利き方式は上が雇い、下に預ける形(江戸時代の武家
奉公人がこの形)ですが、逆に下が雇ったものを上に預けるか?
こういった例が資料であれば即解決なんですけどね

一応、手詰まりと思うのでここまでにします
ありがとうございました

358:人間七七四年
08/08/20 23:22:30 tfFp4krb
いろいろありがとうございました。

359:人間七七四年
08/08/22 17:38:11 eRuwQIm1
519 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/08/22(金) 17:34:43 0
>>480
教科書に載ってるかどうかは知らないけど
秀吉の家は清州織田家の織田達勝に仕えていたということが最近の定説らしい
もともと中村一帯の広大な土地を所有する豪農で
いくさになると足軽たちを動員し指揮を執る格式的にそれなりの在地武士
ここ数年で親父さんの名前で織田信秀の村方相談役になってる資料も見つかって
神社にも親父さんが代表者として記録されてる資料が出たとかで有力な名主クラスだったことは間違いないみたい
大政所も百姓じゃなくて(階級は低いものの)武士の娘だということが判明したそうだ

だから極貧の最下層貧農の出ってのは少なくとも嘘っぱちもいいところなんだと

びっくりだね。立身には幼少期からそれなりのバックはいるってことか



これマジなん?ずっと水飲みの貧農の出で
実力だけで家柄やバックもなしに超出世した凄い人だと思ってたんだが騙されてたのか?

360:人間七七四年
08/08/22 18:01:18 vStky/Df
水呑の豪商ってのもいるしなぁ

361:人間七七四年
08/08/23 00:06:11 eTdmRa9R
>>359
だいたいそんなもんだよ。俺もそこまでは知らんかったが、
ただの貧農が武将にはなれんわ、やっぱ。

362:人間七七四年
08/08/23 00:39:22 gBYxVndw
戦国時代は石高イコール動員力みたいだけど
米さえあれば、OKなんて信じられないのですが。

363:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
08/08/23 00:48:30 7Edjv6q/
>>359の説を全肯定するつもりはない。
でも前田利家と仲がいいと言われているだけで、なんとなく納得できるな。

364:人間七七四年
08/08/23 00:58:22 eTdmRa9R
>>362
武家に与えられる知行地は収入の高低を示す。
主君から収入を多く与えられている武家はそれだけ大きな責任があり、
たくさん兵を連れてくる義務がある。
米があるからたくさん兵数を連れてこられるんじゃなくて、
それだけ実入りが大きいから兵を連れてこなくちゃいけないわけです。

>>363
でもどのみち低身の出身であるのには変わりないから、
秀吉のイメージが根本から変わるわけじゃないよね。
つかこの説って大河の秀吉でもある程度は再現されていたよな。

365:人間七七四年
08/08/23 00:59:09 qEHHHbUT
天皇がいる限り天下統一なんて有り得ないよね?

366:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
08/08/23 01:02:51 7Edjv6q/
>>364
士農工商に振り回される観念がまずいんだよ。
戦国時代の身分制度なんて曖昧なものなんだし。

367:人間七七四年
08/08/23 01:05:18 eTdmRa9R
>>366
だあね。
しかしこの場合、秀吉がそれを分けた張本人であるのは面白いw

368:人間七七四年
08/08/23 04:12:58 h7wt9dmF
>>364
>武家に与えられる知行地は収入の高低を示す。

つまり、米が通貨ですか?
何で、米ごときが。

369:人間七七四年
08/08/23 07:39:51 8gCDVcdi
>>398
それがないと死ぬから
主食舐めるなよ

370:人間七七四年
08/08/23 08:07:20 aWHRV5tW
つまり、米さえあれば生きてゆけると?

371:人間七七四年
08/08/23 08:21:58 8gCDVcdi
>>370
後、味噌があればいくつかのビタミンなど除けば生きていける
衣食住の食は基本的にこれで充足される

米の栄養価の高さを舐めてはいけない

372:人間七七四年
08/08/23 09:32:34 aWHRV5tW
脚気になると思う。

373:人間七七四年
08/08/23 09:36:11 8gCDVcdi
>>372
精米してなきゃならない

374:人間七七四年
08/08/23 09:59:22 gJDYt8iy
ID:aWHRV5tW

ここでの回答がそんなに納得いかんなら、納得いくまで自分で調べたら?

375:人間七七四年
08/08/23 11:01:45 11u92mQi
実際問題として、白米を食う江戸では脚気はかなり流行ったんだけどね。
それでも、社会を構成していた要素として米は欠かせないだろう

376:人間七七四年
08/08/23 11:04:27 cBN4may8
戦国時代の食事4膳目のスレでは
米=主食説は少数派だけどな。

377:人間七七四年
08/08/23 11:21:31 eTdmRa9R
>>370 >>372
米は通貨の代わりだったの。
江戸時代が近づくまで年貢はお米じゃなくてお金だった。
納税者はこれをお金に換えてから納めていた。
でもこの当時、良質の金銭があまり流通していないから、
一部領主は「いくらかは現物(農作物や工芸品などの生産物)のまま納税してもいいぞ」
となり、いろいろあって江戸時代には農民は米だけを納めるようになって、
換金は武士がやるようになった。
だからお米だけで生きていけるとかそういうもんではないですよ。

378:人間七七四年
08/08/23 15:23:07 qEHHHbUT
>>365
天皇がいなかったら、たとえば戦国時代は内戦ではなく、諸外国の戦いとなり、
織田領と毛利領はそれぞれ「別の国家」となっていたことになり、天下統一はありえない。
なぜならば「天下」という概念がないからってね。
中国みたいに王朝を破壊して、皇帝になろうとしない武将がいないだけで、国の秩序維持の「義理」高さがあったよね。

379:人間七七四年
08/08/23 15:39:24 WXXQC586
足軽についての俺のイメージなんですが、俺のなかでは足軽というと二通りあって
「笠と胴丸をつけて槍でつつきあってる」のと「派手な飾りはないけど甲冑である程度かためてる」

の二通りがあるんですが前者は雑兵、後者はある程度の士分ってことでいいんですか?

なんか日本語も変ですみません

380:人間七七四年
08/08/23 20:50:24 dcRzMhHl
377を現代に例えると、
ある警備会社の支社が多大な年商をあげていた。
それをみて本社が「大規模な短期警備の契約が来た。支社全部から人を貸して欲しい。供出人数は年商で決める」とか言い出した。
仕方ないので年商の割に人数の少ない支社は新規登用をしなくてはならなかった。
こんな関係が石高と軍役の実態、だと思う。

381:人間七七四年
08/08/24 22:39:32 bQx7JVXK
戦国時代じゃないんですけど江戸時代に改易されそうになって
家康の感状幕府に出して(もう徳川幕府も何代目か)今回だけは許すとなった藩の祖(感状貰った人)分かりますか?

神君 感状 改易 免除
あたりでググッても分かりませんでした。

382:人間七七四年
08/08/25 02:45:21 2EhXlxtq
>>381
感状かどうかは知らんが、榊原家に似たようなエピソードがある。
あと、改易されるところを「先祖の功績をもってとくに・・・」と家存続を許されるケースも
ある

383:人間七七四年
08/08/25 07:06:10 z8caIPac
黒田家じゃない?
黒田騒動の顛末そのままだと思ったけど。

384:人間七七四年
08/08/25 08:41:36 2+uAR//x
>>381です>>382-383さんありがとうございます。
神君の書付をもって改易今回は許してやるっての結構多いみたいですね
時代劇で下賜された扇子が盗まれて大騒動とかそんなのが幕府に知られた日には(((( ; ゚Д゚)))ガクガクブルブル

黒田家ググリました、黒田騒動でよく取り潰されなかったもんだ…

385:人間七七四年
08/08/25 08:45:00 2+uAR//x
あ、すみません件の用件は榊原家でした、喉のつかえが取れました。
ありがとうございます。

386:人間七七四年
08/08/26 12:29:25 sPVRH2nr
信長公記は色々な出版社から出ているのに、太閤様軍記之中と太田和泉守記がほとんど書籍化されていないのは何故?

387:人間七七四年
08/08/27 13:48:56 WpZrE5MP
>>386
太閤様軍記は原本も写本も残っていないし、「中」も全体通して秀吉への論評だから面白くないんだろ。
太田和泉守記は「関が原軍記」として書籍化されている。
大きな図書館に行けばあるだろ。

388:人間七七四年
08/08/27 14:33:12 HH2N0/Gm
>>387
ありがとう
後者は名前違ったのか

389:人間七七四年
08/08/27 17:17:55 io16Hf3l
質問です。長尾晴景は定説では永正九年生まれとされますが、
異説に大永七年生まれもあります。
後者は実隆公記で同年六月十日に為景に男児が生まれたので
太刀などを贈ったという記述があることが根拠となっています。
たしかにいくら羽振りのいい大名でも守護代風情でしかも次男相手に
柿本人麻呂の和歌に賛を施し、香炉、祝いの太刀、宸筆、緞子まで
贈呈するのはなかなかないように思います。
だからこれは長男への祝賀で、晴景の誕生と見るということになっています。
しかし同年、晴景こと童名道一宛ての書状で、
将軍足利義晴より晴の一字を名乗ることが許されているとともに、
弥六郎の通名を名乗るようされています。
まだ生まれて半年もならない赤子に一字拝領などあるのかどうか疑問です。
実際、こういうことはありうるのでしょうか?
お分かりになる方、お考えのある方がおられれば教えてください。

390:人間七七四年
08/08/28 09:51:25 dN3ZDmAy
>>386
>太閤様軍記之中
「たいかうさまくんきのうち」のこと?
それなら翻刻版が『戦国史料叢書』に載っている。
大学の図書館で閲覧した。


391:人間七七四年
08/09/02 02:11:09 Nm48Ad3I
1553年頃の柴田勝家の周辺国での知名度ってどれくらいだったんでしょうか?

392:人間七七四年
08/09/02 14:10:07 8zzjCoal
>>391
織田信秀の重臣の地位にいたから、信長の代(1551年)になっても三河、美濃、伊勢あたりには
当然知られていただろう。
ただしその後10年以上、干されて、窓際族で、戦に参戦していないから、忘れられた存在だったと思う。

393:人間七七四年
08/09/02 14:31:40 CtuXBWQy
前田慶次朗参上!

394:391
08/09/02 15:41:37 CIZlqKlk
>>392
ありがとうございます
やはりその頃だと「重臣」ってイメージだけで
後の鬼柴田やら掛かれ柴田と呼ばれた印象とは別なんでしょうか……?

395:人間七七四年
08/09/03 00:59:43 Vz0EPiv9

武功夜話とか名将言行録、常山紀談あたりの雑多な逸話をまとめた書籍で
いいのありませんか?

ちなみに小学生の時、桑田忠親の「戦国武将100話」を読んで戦国好きに
なってしまい、ああいうのでもうちょっと網羅してるようなのが読みたいなと。

396:人間七七四年
08/09/03 15:18:42 oWH8X3Xu
>>392
信秀の代から「武辺者」として高名だった、と読んだことがある。
「鬼柴田」は越前戦あたりからの呼び名。
若い頃は「匹夫の勇」、後年有能な指揮官として認められた。

397:391
08/09/03 21:50:47 4Va4+oUu
>>396
個人的な武勇(?)は昔から、
指揮官としての才は後々になって知られるようになったってことですか……。
ありがとうございました。

398:人間七七四年
08/09/04 11:07:54 1NHg0sgh
質問です
陶晴賢は次男らしいのですが、
ある本やサイトでは兄の名は興昌で戦死、
また、別の本やサイトでは兄の名は義清で父の興房によって毒殺、
というように名前も死因も全く違うのです
ここまで違うと同じ人物とは考えにくいし、かといって晴賢が三男だったという記述も見当たらず、
どっちが正しいのか気になっています

399:人間七七四年
08/09/04 19:30:41 SCy1vu4g
あの…、ここで聞いても良いのかと思いましたが、質問というよりは相談です。
場違いでしたら申し訳ございません。

本題に移りますが、最近になって戦国時代に興味を持ちました。
ですが、元々日本の歴史に疎い私ではまず何から学べば良いのか分からず困っています。
何かおススメの書籍等ありましたらお教えいただけると助かります。

どうか宜しくお願いします。

400:人間七七四年
08/09/04 20:17:05 IwO4y0pE
>>399
何がきっかけでもしくは戦国時代の何に興味持ったの?
それに関することから本読むなりググるなりして調べていけば?

401:人間七七四年
08/09/04 20:51:28 SCy1vu4g
きっかけは地元の熊本城に行ったときが最初です。
無知であるがために加藤清正という人物自体を知らなかった自分には衝撃でした。
その後、新渡戸稲造の「武士道」を読み感銘を受け更に興味を持ちました。
「もっと彼ら戦国武将について知りたい」と純粋に思いました。
自分は現在高校生ですが、周りに戦国時代に詳しい友人がいなかったのでこちらで聞かせていただきました。

関することからということは、やはり加藤清正ですか?彼は全国でどの程度の知名度なのでしょうか?
それとも織田信長のような有名人物から知るほうが良いのでしょうか…

402:人間七七四年
08/09/04 21:16:08 6PKkhzKZ
新渡戸の武士道と、戦国時代の武士の考え方はというか、
戦国以前の武士と江戸以降の侍は別の存在。
結構ギャップがあることに付いてはまず、知っておいたほうがいい。

で、清正が好きなら清正を中心にして、
秀吉政権や後釜に座った細川、あるいは九州の在地勢力なんかから調べ始めればいいと思うよ。

403:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/04 22:09:33 P8/bqfY0
>加藤清正の知名度
漫画もでてるし虎刈りで有名なので、多分歴史をかじっている人なら誰でも知ってると思う
こんなのもあるし
URLリンク(item.rakuten.co.jp)

参考になるかも?
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

404:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/04 22:16:26 P8/bqfY0
歴史をかじっている人なら誰でも×
一般人でも○

405:人間七七四年
08/09/04 22:30:49 eCmM0t6e
高校生ぐらいでしたら、別に史実の細かで地味な事跡とか追いかけなくても、
講談などにあるような血沸き肉踊る物語から入るほうが有効だと思うので、
まずは小説やゲーム、漫画みたいな軽い所から入ってもいいんじゃないかと思う。
とりあえずwikipedia(URLリンク(ja.wikipedia.org))で好きな項目を適当に調べたりしてはどうかな。
加藤清正はなかなか魅力的な武将ですよ。

406:人間七七四年
08/09/04 23:08:23 SCy1vu4g
皆様、貴重なご意見感謝します。
清正は人気があるみたいで誇らしく思います。
先ずは最初なので、やはり基礎知識をつけれるような、割と簡単な本を探してみることにします。
そして少しずつレベルを上げていければと思っています。

本当に貴重なご意見ありがとうございました。

407:人間七七四年
08/09/05 00:05:40 +D0IGOBQ
講談と史実の見極めが大事だよ

408:人間七七四年
08/09/05 04:19:33 GJaR7XWZ
>>407
十代にそれを教えなくてもいいんでね。お前らみたいに自分で悟ると思うよ。
高校生の割りに賢そうだし。

409:人間七七四年
08/09/05 12:01:44 /D2kfXQX
>>395
地道に本屋に(コンビにでもいいよ)足を運ぶんだね。
それしかないと思うんだけどな。
で、今日「戦国合戦・敗者達の言い分」というのを買ってきた。
通説と史実を比較して合戦を敗者の立場で解説している。

410:人間七七四年
08/09/12 10:46:13 F2PBbMCg
早世や病弱等、最初から担ぐ人がいないのは除いた上で、
家督争いで兄と弟が戦って、弟が勝った例はありますか?


411:人間七七四年
08/09/12 14:41:48 qveS+LyW
謙信

412:人間七七四年
08/09/12 14:44:09 WQ2m7aNk
有名な例は今川義元かな
それとちょっと違うけれど、長尾景虎

413:人間七七四年
08/09/12 15:54:06 F2PBbMCg
>>411-412
ありがとうございます
こんな有名な武将がそうだったなんて全然知りませんでした

414:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/13 16:01:48 S3f5fthY
土岐頼芸も

415:人間七七四年
08/09/13 20:06:48 bHMB1MEW
丹羽「五郎左」長秀 

柴田「修理」勝家

とかの「」みたいなとこの名前?ってなんですか?

416:人間七七四年
08/09/13 21:30:02 kTYnol1X
>415
「五郎左」はあざな
「修理」は官名の修理亮
柴田勝家の「あざな」は権六または権六郎

ドラマでは信長様などと呼んでいるが
親しい間では「あざな」、公では官名で呼ぶのが普通。

417:人間七七四年
08/09/13 23:45:14 aeHJ86EZ
現代で上司に向かって名前+さんで呼ぶことが無いのと一緒だよな。
大抵は苗字+役職名、或いは役職名で呼ぶように、当時も上司は官職名などで呼ぶ。

418:人間七七四年
08/09/14 09:10:56 gq09TgiD
猿とか犬ってのは例外だよねぇ

419:人間七七四年
08/09/15 23:55:13 /c9bFgfx
犬は幼名“犬千代”からだから、幼なじみ同士であったかも。

猿は小説だけだろう
あだ名っぽいのは“禿げ鼠”だけど 多分無し。
秀吉はやっぱり藤吉郎でしょう。

420:人間七七四年
08/09/16 00:05:44 Tjtq05ot
武士の名前は、本姓・苗字・官途・通称・本名で構成されるからね。

北条氏康なら、
平(本姓、姓)・北条(苗字、名字)・左京大夫(官途、官名)・新九郎(通称、仮名、通名)・氏康(本名、実名、諱)

官途はない人もあるし、時期によって異なる場合もある。
通名は一族の地位を示す場合が多く、嫡男は代々同じ通名を使うことがある。
実名は一字拝領や偏諱で主君に名前を一文字もらって変更することがある。

421:人間七七四年
08/09/16 00:09:13 wSZa8k2W
柴田勝家は、
源(違うかも?)・柴田・修理亮・権六郎・勝家
丹羽長秀は、
源(違うかも?)・丹羽・越前守・五郎左衛門尉・長秀
かな。

422:人間七七四年
08/09/16 00:13:32 wSZa8k2W
官途や通名は一部分を略されることがある。
例えば、「修理亮」を「修理」と記すことはざらに見られる。
「権六郎」も「権六」や「六郎」と短縮されることも少なくない。

だから文書集やぐーぐるで「芹沢弥五郎」の関連のものを探すときは、
「芹沢五郎」と書かれているものが目に入ったらそれも弥五郎のものだと思って注目しないといけない。

423:人間七七四年
08/09/16 00:18:59 9tfTwIBj
立花宗茂も何度となく諱を変えているしな

>>422
羽柴三左衛門(池田輝政)→羽三左
本多上野介(本多正純)→ 本上野

のような略し方も多いよな


424:人間七七四年
08/09/16 02:17:26 s1vGCDVy
あと官職名は唐の制度に当てはめて言うこともあるよな。
黄門とか内府とか金呉とか相国とか

425:人間七七四年
08/09/16 02:19:20 7Wqt2z4v
官位(国名でも使うけど)の略し方なら、
伊豆守→豆州 伊予守→予州 みたいなのもあるね。
丹州とか野州とかになると、どっちやねんって話になりそうだけど。

426:人間七七四年
08/09/16 15:51:56 mjBK0uIx
丹州は知らんが、野州は下野が
上州(上野)に対して下州と呼ばれるのがイヤでそう略すと聞いたな

427:人間七七四年
08/09/17 00:20:28 wMHkqOhY
各年代における大名の勢力図がなるべく詳しく書かれた本ってないでしょうか?


428:人間七七四年
08/09/17 01:46:50 au/rQVs3
学研系の本をあさってみれ。

429:人間七七四年
08/09/17 14:30:48 Mi14N+E3
>>427
太閤立志伝の攻略本に、1549、1560、1568、1575、1582、1598年で
詳しく書いてアルヨ(笑

430:人間七七四年
08/09/17 18:55:41 wMHkqOhY
>>428
学研系の本ですか?
今度調べてみます

431:人間七七四年
08/09/18 18:26:11 PiYlMwDz
小早川秀包の誤読ってある?

432:人間七七四年
08/09/22 01:46:38 oIFDSHvA
質問をさせてください。

1."御館の乱"は、なんと読むのでしょうか?
2."御館の乱"で武田家が北条家を裏切りますが、名目はなんでしょうか?
  いくらなんでも、金をもらったから裏切りましたでは示しがつかないので
  それなりの名目はあったと思いますが、調べても見つかりません。

433:人間七七四年
08/09/22 02:50:50 4YRUBBHI
>>432
それぐらいの疑問に対する返答ならwikipediaにのってるよ

434:人間七七四年
08/09/22 14:10:13 yITZo+vN
>>432
出兵した隙に家康に攻められた。
それに対抗するために戻りたかっただろうし、
長篠で負けたあとだから金も不足していたので、
金をくれて一時休戦できるとなれば勝頼にはうれしいことじゃないか。



435:人間七七四年
08/09/22 15:50:05 Tn5Wvnsw
穴山梅雪が信長に送った20億円には遠いが、10億円は魅力だ。
それで、いい話か悪い話か分からないが、謙信が死んだ時、春日山城の金蔵には、
27億円相当の金銀があったそうだ。
義の将・謙信にしてはかなり溜め込んだと思うね。

436:人間七七四年
08/09/22 21:44:02 n8XDeNoe
>>432
軍事力背景に調停して、景勝・景虎双方に恩を売れたし、お土産もらったし帰るかー、って感じかと。

勝頼の何が問題かというと、その和睦が片手落ちで景勝に良い様に利用されてしまったこと。
また北条からみれば援軍を頼んだのであって、片手落ちの和睦なんて頼んでない訳で。

強かなのはいいんだが、外交能力が伴わないのが不味かった。

437:人間七七四年
08/09/22 22:47:50 Z2NNPIs/
つか、景勝の外交が神懸かりすぎだな。
武田と北条の進攻を食い止めたばかりか、両者を離間させている。
これで南方からの驚異は回避できた。

438:人間七七四年
08/09/23 02:49:26 YXQhv8ZC
勝頼にしてみれば、北条と敵対するつもりなんてさらさらなかったろうになw
約束どおり軍は出したし、上杉の内乱も収めたし、めでたしめでたしだとか思ってそうだぜww

439:人間七七四年
08/09/23 12:23:19 GnJC92w3
影虎が氏康の子供でなかったらなあ・・・

440:人間七七四年
08/09/27 03:08:54 xc62ZoIZ
浅井久政の時代は南近江の六角氏に従属状態だったと聞きます。
では当時の浅井氏と朝倉氏の関係はどうだったんでしょうか?
浅井=朝倉ラインができたのは

六角氏に従属する前
従属しながら同盟
六角氏と手を切ったあと

どれ?

441:人間七七四年
08/09/27 12:42:43 5w6H9/Bv
現在復元された城とかは堀とか浅くてショボイけど
当時は水堀の深さはどれくらいあったのでしょうか?

442:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/27 14:27:24 /Ilvd0QE
>>440
浅井亮政の時には浅井氏と朝倉氏は縁があったので
「六角氏に従属する前」が正解になるのかな?

443:人間七七四年
08/09/27 15:18:43 oaS8MYcK
太閣蔵入地の代官に任命された者は豊臣家の家臣になるということなんですか?

444:人間七七四年
08/09/27 23:10:55 rkEZ1QJu
○○守とか○○太夫など官位は誰が与えるでしょうか?
戦国時代は大名はもちろん家臣の殆どがついているんですが…。

445:人間七七四年
08/09/28 00:11:25 dMAs1gU5
>>444
任命するのは天皇。
戦国時代のやつは「自称」が多いよ。
信長もはじめのうちはは「上総介」を名乗っていたが、これも自称だった。

446:人間七七四年
08/09/28 01:33:46 MVuS56m/
戦国時代に興味を持ったので一通りのことを勉強したいのですが、初心者に
オススメで間違いの無い入門書ってありますか?よろしくお願いします<(_ _)>

447:人間七七四年
08/09/28 02:11:15 h+KTAndT
当たり外れあるから図書館いっておもしろそうなの借りてくれば?
もしくはブックオフ100円コーナー漁りか

俺は
・司馬の功名が辻(ドラマ化されたので入りやすい)
・名将言行録(エピソードがある)
・戦国武将○○エピソード
(だいたいこんな感じのタイトルの武将エピソード本おもしろエピソードとか書いてあたりする)

ここらあたりか?
図書館コースからはじめたらいいと思うよ(タダですし)
自分にあいそうなの適当に選べ(w


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