【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】at SENGOKU
【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】 - 暇つぶし2ch560:人間七七四年
08/11/13 20:00:32 Uy3F28Sc
>>559
ただ単に景勝と影虎を支持する勢力が多かったからじゃないのか?

561:人間七七四年
08/11/14 08:29:45 OAFBPd+T
>>560
一般に謙信の養子は上杉景勝、上杉景虎、上条政繁、山浦国清といわれる。

そのうち上条と山浦は上杉の本家ではなく、上杉の分家を継がされていたから、
上杉政繁、上杉国清などと呼ばれず、その庶流の姓を称している。
庶流は上杉本家の家督を継ぐ資格は基本的にはなかった。

つまり上杉の本家を名乗っていたのは景勝と景虎だけ。
だからこの二人で家督争いが起こった。

562:人間七七四年
08/11/14 19:30:45 BNxpLiRZ
>>561
ほー
景勝と影虎以外の養子ってあんまり良く知らなかったんだけど、勉強になったわ。
養子っていっても謙信が死んだ当時には後者2人はもう別家の人物になってたのね。

563:人間七七四年
08/11/14 19:54:30 fkxVqpIR
>>559 です。ありがとうございました。名前までは載っていなかったので
養子といっていたから全員本家の上杉を名乗っていたのかと思っていたので
とっても勉強になりました >>561 の方ありがとうございます。

564:人間七七四年
08/11/18 06:19:18 Bpk7jfhi
東国に興味ある人には割かし常識なんだけど、
三傑ばかり語られる昨今じゃあ、あまり知られてないんだろうね。

天地人で少しは理解が広まればいいが。

565:人間七七四年
08/11/18 15:54:20 3j/pRmPH
対馬の宗氏について。

少弐氏の支援のもと、何度か九州侵攻を試みるも、失敗。
後に少弐氏が滅亡すると、大友・龍造寺・島津の三つ巴に介入できず
完全に九州進出の道は絶たれる。

秀吉の九州征伐に参加して本領安堵。

・・・とあったのですが、島津・龍造寺・大友の三つ巴時代
(秀吉の九州征伐前の龍造寺・大友が北九州を支配していた時代。1580年以降~)は
対馬・宗氏はどこに属していたのでしょうか?

1・龍造寺
2・大友(立花)
3・島津
4・その他
5・どこにも目つけられてなくて独立状態。

少弐氏との関係から、龍造寺との関係はよくなかったと推測したんですが・・・
どうだったんでしょう?
どこかの大名に従属状態だったのか、独立した勢力として存在していたのか・・・

566:人間七七四年
08/11/18 16:10:25 X87yY4Yq
>>563
余談だが朝倉義景の娘と能登畠山の畠山義隆の息子も
謙信の養子に入ったとされる。
(どうもこの他にも謙信の養子に入って別家に入った子はいるようだ)
まあ上杉的に重要なのは政繁・国清・景虎・景勝くらいだから
関係ないといえば関係ないが。
ちなみに景虎以外の残り二人の養子は景勝支持に回って動いてるので
景勝派家臣扱いで養子の件は大河でスルーされる可能性もなきにしもあらず。

567:人間七七四年
08/11/18 16:24:05 /e8+kEEX
景勝以外の3人はイケメンのイメージがある

568:人間七七四年
08/11/18 16:30:56 T6YbHpGN
イケメンイメージは三郎景虎だけだろう。
景勝は田舎武士のイメージが強い。
実際はもっと洗練された人物なはずだが。

569:人間七七四年
08/11/19 23:37:18 DZ5/C8hR
>>564
ふむふむ
確かに東国の戦国大名についてはあまり調べたことないな
3傑についてや西国の大名については結構調べたりするんですけどね

北条やら伊達やら最上やら上杉やら東国についても今度いろいろ調べてみようかなと思います


570:人間七七四年
08/11/21 00:05:31 wLFcOzvN
>>565
1・龍造寺



571:人間七七四年
08/11/21 17:12:28 6vFUqtWf
>>568
一応上条は当時の名門の畠山の出だからイケメンイメージでもいいんでないの。
まあ畠山つっても能登の方だけど、中央政権にも参画したりもあったみたいだし。
反対に山浦は信濃の山の中の田舎の出だからそれこそ田舎武士さね。
にしてもなんで謙信は跡継ぎを明確にしなかったんだろう。
ふつう自分が50近くて、家も安定していて跡継ぎも元服済ませてたら形だけでも家を継がせてるもんだけど。


572:人間七七四年
08/11/21 19:04:25 b34wIF7O
>>571
まあ毘沙門天は不老不死と思ってたかもしれんしw

573:人間七七四年
08/11/21 19:24:24 UlHROzwC
景勝スレ景虎スレ御館スレで延々論争し続けてますが、
景勝後継派からは謙信は景勝に官位を渡し謙信自身は入道していることから
後継体制を固めつつあったとする説も出とります。
(当然景虎派や分権派後継決めてなかった派からの異論もある)
まー、後継を決めてたのか決めてなかったのかさえ論争中ということで。

574:人間七七四年
08/11/22 08:36:42 7uAbZ1hA
>>572
相川みたいな三文ライターの珍説をここで紹介するなw

575:人間七七四年
08/11/22 08:52:10 Nk08Qc5D
>>570
何か根拠となるエピソードやソースはありますか?
例えば~年に龍造寺氏の要請を受けて兵を派遣している、とか。

576:人間七七四年
08/11/22 11:20:24 TfQCp9Zt
大坂の役の時点で、豊臣家に味方しようとしたが、
結果的には出来なかった大名ってどのくらいいますか?

577:人間七七四年
08/11/22 15:12:07 IG7htf45
>>576
心の中では味方したいと思っていた大名もいただろうけど、
行動に移すことができたのは福島正則くらい?(といっても兵量を渡したくらいだけど)

578:人間七七四年
08/11/22 22:03:17 ziWL3T8u
>>577
食糧は「しょくりょう」と読むが、兵糧は一般的に「ひょうろう」と読む。
わずらわしい変換をしなくてすむぞ。

579:人間七七四年
08/11/22 23:00:46 uNFW8PZH
>>576
・どの程度で「味方した」とみなすか
(本人が大阪入城、一族がry、家臣がry、屋敷からの接収を見逃すなどなど)
・本音と建前の区別、逸話や講談を採用するか
によって変わってくる

580:人間七七四年
08/11/23 02:34:24 fBM2nkKZ
横山光輝のマンガ(山岡荘八の歴史小説原作)を読んで
政宗が「三国に比類なき前代未聞の高名」と秀吉に朝鮮での戦功を称えられたと
ありますが、政宗の朝鮮での活躍は実際どの程度のものだったのでしょうか?

581:人間七七四年
08/11/23 08:35:37 pmq5CLMD
>>580
伊達は渡海した時期が遅かったし最前線で派手な戦はしてないはず
誉められるとしたら築城とかそっち方面じゃないかな
あとは派手な鎧とか

582:576
08/11/23 12:06:01 u7eUPSog
576ですが、
平野長泰が大坂入城のために家康に直訴したのだが断られた
というのは講談?史実?

583:人間七七四年
08/11/24 03:13:56 0Gtbp41I
>>580
山岡荘八原作www
ヒーロー物が史実でどうだったかなんて本気で聞くなよ。読み物としては面白いけどね。

584:人間七七四年
08/11/24 08:55:06 kRJhVw8R
>>578
兵糧は後世の当て字
元は「兵粮」

585:人間七七四年
08/11/24 22:48:17 PhCoiQpC
斉藤道三の物語は親子二代説ってガチなの
ウィキ見てへこんだんだが

586:人間七七四年
08/11/25 09:43:10 +REb8RSs
>>583
漫画や小説でも、一応史実や資料に沿って創作してるものも多いので
別にあれがフィクションかそうでないかを質問するのはそんな馬鹿げたことでもないと思うが。
逆に創作小説や漫画は全部夢物語だとでも言いたそうだけど

587:人間七七四年
08/11/25 19:38:52 RPYCdTO5
>>585
今はそれが常識になりつつある
資料もちゃんと残ってるしね

588:人間七七四年
08/11/28 23:35:33 oOdyQTzC
じゃ道三(2代目)は親父が築いたのを失った間抜けな人なんですか・・・


質問
なんでホモばかりなんでしょうか?
いや衆道が嗜みだったのはわかってます
でもなんぼ慣習とはいえ髪型とかとちがってやぱり男は愛せない人だって
それ相応にいたでしょうにそういう逸話が残ってるのは秀吉ぐらい
かといって無理やり周りに合わせて抱きたくもない男を抱いていたというかと思えば
そうでもなく人数の差はあれど抱くときは望んで抱いてる模様
嫌な人はいなかったんでしょうか?
自分だったら自分の肛門に突っ込まれるのも小姓の肛門に突っ込むのも断固拒否です
変人と思われても嫌なものは嫌です

589:人間七七四年
08/11/28 23:43:57 RIysMa+a
ホモのまともな記録が残ってるのは政宗と信玄ぐらいじゃないの。
他の武将の記録は全部あとになって書かれた創作色の強いもんばかりで。
信長もノンケだったと思うよ。前田や森なんて犯ってないだろう。

江戸時代になると戦国大名は自分の時代のお殿様より専制君主だったという誤解が生じて、
有名人は虐殺や色事にふける独裁者みたいに見られるようになってしまった。
男色がお盛んだったというのはそういう妄想の延長上にあるんだろう。

今だとやり手の社長はみんな美人秘書とよろしくやってんだろうなとかいうレベルの与太話。

590:人間七七四年
08/11/29 00:30:59 z+qBnx9C
足利将軍家をはじめとして、武家の世界じゃあたりまえ
だろう

591:人間七七四年
08/11/29 00:37:27 siFDIZJX
一時期の足利将軍がやっていたからと言ってその子孫が性的嗜好をそのまま受け継ぐのかね。
そしてそれを「将軍様がやっておられるから」と武士がみんな模倣するというのも不思議な話だ。
性欲の方向性は文化に影響される面もあるけれど性別を越えてまでの欲求まで文化として伝播するのか。
それとも将軍が参勤する武士を手当たり次第に犯ってしまってその良さを広めたのか。
宣教師は日本の寺院では男色がはびこっていると記したが、武家に流行しているというのは見たことがないよ。


592:人間七七四年
08/11/29 01:14:49 A0vjPTzO
この時代て、両刀が多かったんちゃうん?

593:人間七七四年
08/11/29 02:01:06 OzV8sJPR
古代ギリシャとか昔のよその国でもそうだったわけで
本来は男同士の同性愛は自然な感情で
嫌だとか変って思うのはむしろ後天的な洗脳なんじゃねーの?
でも俺はいやだけどな

594:人間七七四年
08/11/29 02:12:35 EOVlBM6j
古代ギリシャの同性愛信仰は性交渉はしないんじゃなかったっけ?
性愛の絡まない同性へ向ける愛こそ至高の愛。みたいな。
詳しくは知らないけど。

595:人間七七四年
08/11/29 02:41:39 spacs+TN
成人する前の大名の子の事は下々の者はなんて呼んでたの?

596:人間七七四年
08/11/29 11:13:02 JyVWtYes
幼名+敬称とか、若とか

597:人間七七四年
08/11/29 14:33:07 kfwYjvWu
同性への性欲が一般人に先天的にあるなんて大発見だな
医学会も驚く

598:人間七七四年
08/11/30 10:35:40 TAHRD3Q5
戦が起こった時農民へそれを伝える命令系統はどうなってたんでたんですか?
その土地の領主が知らせてたんですか?

599:人間七七四年
08/11/30 10:58:21 AHM6uCmP
敵が攻めてきたら狼煙があがるなりして、奇襲でなければ割かし事前にわかったのかな。

600:人間七七四年
08/11/30 10:59:13 OWL4iGQm
>>595
元服が近いと、既につけられた仮名(通名)で呼ばれたりしてたみたいね。

601:人間七七四年
08/11/30 11:14:24 LNeYWk+w
3武将のいい感じの名言をおしえて

602:人間七七四年
08/11/30 12:39:45 T1+kAOln
どの3武将?

603:人間七七四年
08/11/30 13:11:24 zfPYYlRu
>>601
3武将の名前をちゃんと挙げれ
赤海雨三将のことかね

604:人間七七四年
08/11/30 13:52:54 uy90fLI+
>>597
マジレスすると、サルやペンギン、昆虫の類いでも
ホモセックスする種類があるそうな

605:人間七七四年
08/11/30 14:04:04 LNeYWk+w
えーと3武将じゃなく、戦国武将のいけてる名言をおしえて下さい、 ただ辞世の句は意味がわかんなくて… ナイスな名言おしえて下さい

606:人間七七四年
08/11/30 14:45:40 TGQ9wVVe
で、あるか

607:人間七七四年
08/11/30 15:31:19 LNeYWk+w
で、あるです

608:人間七七四年
08/11/30 21:22:35 mjxXF6CV
>>598
半農半士の連中には動員が掛かるからそのとき知ったのでしょう

609:人間七七四年
08/12/02 00:21:13 a7uamtof
>>607
分かっていってるのか知らないが、「で、あるか」は織田信長の名言だぞ

610:人間七七四年
08/12/02 14:46:17 hFBaBQ6Y
陣ぶれってのはお城で太鼓たたいたりほらがい鳴らして知らせると聞きました
で、これ聞こえないことも多いと思うのですが
その場合どうしたのでしょう
例えば夜でみんな寝てるとか
例えばたまたま他の音が大きくてとか
例えばたまたま遠くに用があって出かけていた場合
例えば下痢でトイレ行ってた時とか

611:人間七七四年
08/12/02 14:56:18 dt8WUIT1
来ない奴がいたら同じ隊の誰かを使いに出して呼びに来るでしょ
戦力足りなくて困るのは殿様だし
遠くに用があった場合は仕方ないかな

612:人間七七四年
08/12/02 17:46:16 UZybS+L+
陣触れは二段階。
一段階は太鼓や貝の音で、
二段階目は実際に村々を武士が駆け巡って伝える。

音だけで伝えるわけではない。

613:人間七七四年
08/12/04 01:57:07 UpXRfebZ
もっと信玄の人は城…チックな名言ないのん?(-"-;)

614:人間七七四年
08/12/04 17:29:49 zq7MjNLX
そういう名言なら、ネットをあさるなり書籍をあさるなりすればボロボロでてくるよ。
だいたい、辞世を除外している時点で半分はいらないと言っている様なものだしなあ。

615:人間七七四年
08/12/04 17:54:51 LwJkJRrp
>>613
URLリンク(item.rakuten.co.jp)

616:人間七七四年
08/12/04 20:05:46 nQR/7TTa
変と乱と役の違いって何ですか?

617:人間七七四年
08/12/04 21:19:03 zq7MjNLX
変→クーデター
乱→軍事衝突
役→遠征

618:人間七七四年
08/12/05 01:15:00 14HJMOd/
小説などでは「この戦乱の世を治め平和にするために天下統一をしなければ」
という想いから各大名が天下統一しようとするけれど
実際こういう考えはあったの?
というかなぜ天下を掌握したがるの?

619:人間七七四年
08/12/05 02:11:57 +++mH6Cd
>>588
ホモじゃなくて両刀
衆道についてはもともと僧侶から貴族へ、そして武士へと繋がっていった。
平安時代の公家の日記みると、今日は誰それとやったとかいう記述が平然とある。
江戸時代になると庶民レベルにまで広まっていった。

私も男色なんて気持悪いだけですが、「そういう価値観の時代だった」と流すしか
ないですね。

>>589
妄想でもなんでもありません。というか、自分の妄想で語らないでください。

>>618
まず、ない。
それから「天下」の概念が時代とともに変化しており、特に室町戦国から安土
桃山にかけては大きく変動している点にも注意。

620:人間七七四年
08/12/05 02:21:55 rOEswInJ
>>617
乱は内乱とか反乱じゃね?

621:人間七七四年
08/12/05 14:19:16 Ycp3ntKM
>>617
ありがとうございます
乱についてですが軍事衝突といいますと反抗勢力との合戦という解釈でよろしいのでしょうか?

622:人間七七四年
08/12/05 14:32:49 t7YvtUu9
>>619
いや、男色の流行なんて君の妄想でしょ。
ただしくは流行じゃなくて、許容されていただけの話。
積極的にホモ行為をしていたとする見方は偏りすぎ。

623:人間七七四年
08/12/06 15:25:11 B31N1vuM
>>621
上杉家の「御館の乱」や伊達家の「天文の乱」などの主導権争いの「乱」があるので、
乱=反抗勢力との合戦、とは言いがたい。
内乱ではあるが反乱ではないし。
軍事衝突でいいのではないかと思われ。

624:人間七七四年
08/12/07 01:25:04 58pSPRLc
変は本能寺や大寧寺などの例で考えればいいかと

625:人間七七四年
08/12/07 01:43:25 RZj5C8uj
>>623
明治に九州地方で起きた佐賀の乱、秋月の乱、神風の乱はどうだろうか
内乱とは考えられないし、中央へ対しての反乱と思われるが

626:人間七七四年
08/12/07 02:08:39 A2dX15iP
辞書ひけばいいやん

変(名)
(1)異常な出来事、社会的な事件が起こること。政変や動乱などが発生すること。また、そのような事件や出来事。
「本能寺の―」
必ずしも軍事的な行為に限らない


戦争などによって世の中の乱れること。みだれ。
「治にいて―を忘れず」「応仁の―」
主に同一の勢力・国家内における軍事的な衝突に使われる


1 戦争。「前九年の―」
より限定すれば、主に外国・別勢力との対外戦争に使用される

627:人間七七四年
08/12/08 05:02:43 lMyJaT+E
>>625
内乱である御館の乱も反乱である佐賀の乱も「乱」だろ?
乱っつーのは、反乱も内乱もだが、敵対勢力同士の軍事衝突なわけだから、
内乱のみが乱、反乱は乱じゃないとかいう話じゃない。
「乱=反抗勢力との合戦」にすると「御館の乱」は「乱」じゃなくなるだろ。
乱は内乱や反乱など、一言で言うと軍事衝突である、でいいじゃん。
わざわざ反抗勢力との合戦と細かく定義する必要はないっしょ。

なんだかんだで辞書で見たほうがわかりやすいけどなw>>626

628:人間七七四年
08/12/11 14:54:13 Net3c5gr
浄土真宗(本願寺)が一向宗と言われるようになった時期と経緯わかりますか?

江戸時代以前から浄土真宗(本願寺)=一向宗という認識はあったんですよね?


629:人間七七四年
08/12/11 20:19:30 DD8v9dNi
>>628
前読んだ本によると今でいう一向一揆が活躍していた当時には
一向一揆は土一揆と呼ばれていたらしい

まあその本は「一向一揆と石山合戦」って本なんだけど、結構そのあたり詳しく書いてあったような覚えがあるから、
興味があるのなら読んでみるといいかも

630:人間七七四年
08/12/11 22:55:44 Net3c5gr
>>629

ありがとうございます。本探してみます。

631:人間七七四年
08/12/12 21:09:51 E/WBTk4Y
結局豊臣時代に徳川が貰ったのはどの程度なんですか?
関八州といえど
安房一国は里見、常陸は佐竹、下野にも宇都宮なんかがわらわら
他に結城やなんかもいたわけで
相模、武蔵丸々と下総、上総、上野の一部程度ですか?
実はあまり範囲は東海時代と変わってないんでしょうか?

632:人間七七四年
08/12/13 00:00:03 Hda28h/4
>>628
浄土真宗の門徒だが、「ひたすら阿弥陀如来一仏を拝む」ということから「一向宗」と呼ばれるようになったらしい。
室町ごろからそう呼んでたそうだ。
ただし本来は時宗の信徒を指す呼称だったので、真宗側はその呼称を嫌い、江戸期に何度も幕府に「浄土真宗」への改称願いを出した。
しかし特に浄土宗関係者から反発があったので、江戸期にはずっと「一向宗」で通ってた。
で、明治初年にやっと改称が実現した。

戦国期の動向については『一向一揆と石山合戦』を読むことを勧める。

633:人間七七四年
08/12/13 00:39:51 4/L1/3L4
>>632
浄土真宗の住職と懇意なんで、たまに「一向宗」との関係を話すんだけど
住職は「浄土真宗」と「一向宗」は無関係と否定するね

634:人間七七四年
08/12/13 01:28:45 me6CKnX3
普通鉄砲で射撃されれたら
撃ったほうに攻撃し返すと思うのに
小早川さんはなんで撃ったほうの味方したんですか?
内奥の約束してても打たれた時点で「もう向こうはこっちを敵に見てる
だったらねがエルのやめ辞め」ってなるのが人のサガだと思うのですが
創作の逸話としても筋が通ってません

635:人間七七四年
08/12/13 06:52:13 Hcje1a2X
>>634
歴史に関わらず人間の心理を理解するのは難しいですよ
最初から裏切りを100%決めていてそれが切っ掛けになったかもしれないし
小早川隊に向かって実弾を射ってるわけでもないし

636:人間七七四年
08/12/14 06:44:26 roni3+ez
>>631
所領云々よりも徳川を追いやる事が目的。「関八州」は「号して」のもの。

>>634
演出だからね。何らかの手法で決起を促した可能性はある。

637:人間七七四年
08/12/14 20:20:07 t8kfHuKK
大政奉還後の徳川宗家は400万石から駿河駿府70万石の一大名に
なったわけですが、これは結果であって、新政府は他に改易とし
宗家は斬首でお家断絶という選択肢も持っていたのでしょうか?

あるいは摂津大坂65万石の羽柴家の運命のように後にいわば「駿府の陣」
のように攻め滅ぼそうとしていたのでしょうか?

638:人間七七四年
08/12/14 20:23:31 ap0qtzlZ
激しくスレ違い…いや、板違いだなw

639:人間七七四年
08/12/14 20:23:50 BJcsf2Sb
微妙にスレチな希ガス

640:人間七七四年
08/12/14 20:44:14 t8kfHuKK
そういえばここは戦国時代の板でしたね。失礼しました。
然るべき所に投稿いたします。

641:人間七七四年
08/12/21 11:26:20 VKSPFf4l
昔北条早雲の学研漫画を読んだのですが、
その中で一人の童子が早雲に懐きそのまま家臣になりまして
それが誰だったのか思い出せずやきもきしています

氏康の代まで仕えたと記述があったことまでは覚えているのですが


642:人間七七四年
08/12/22 03:24:23 0HpX6rdM
肥後の隈部氏って島津に降る直前くらいの最盛期で
どれくらいの石高を領していたのでしょうか?
サイトで1900町とあったので、2万石前後?

643:人間七七四年
08/12/22 03:28:44 0HpX6rdM
【補足】
合志・内空閑氏らも実質、隈部氏の影響下にあったようなので
それらを鑑みるとどうなんでしょう?

慶長年間の肥後の石高が34万1000石。
阿蘇氏の領地が約15万石
天草地方が約2万石
あとは有力な勢力ってーと
相良くらいなので、そこから推察すると
どうなんでしょ

644:人間七七四年
08/12/22 17:20:32 /cJbcIDR
江戸期の伊達家家老の原田甲斐という人物は
なぜ伊達宗重を殺さなければならなかったの?

645:人間七七四年
08/12/22 21:59:43 9ZzCEJB/
>>642>>643
龍造寺隆信幕下着到(天正8年)によれば
隈部親永900町
内久我(内空閑)親房1,000町
合志親為も幕下なれど着到に記載なし


646:人間七七四年
08/12/22 23:18:52 JyT/6oSv
>>644
こっちの方が詳しい人がいるかも?

戦国期の家督争い・御家騒動・内乱を語る
スレリンク(sengoku板)


647:人間七七四年
08/12/24 02:59:19 OO8K6xMe
「一色軍記」と「丹州三家物語」という書物はそれぞれ
誰がいつどこの勢力下で書いたものですか?

648:人間七七四年
08/12/24 20:52:37 APdIwayv
信長の野望には南蛮天守閣の城が出てくるけど
戦国時代に実際に南蛮天守閣の城は存在したのですか?


649:人間七七四年
08/12/24 22:44:39 GS1bOOHE
柳沢元政は秀吉没後、家康から徳川家への仕官を勧められたものの、それを断ったみたいですが…。
この時、六十代だった元政にどんな魅力があったと推測できますか?
その後、毛利に戻った元政は周防山口で没しますが、何故か息子は徳川の旗本になっています。
それはどうしてだと推測できますか?

650:人間七七四年
08/12/24 23:14:25 jZ8djwPr
>>649
柳沢は元公卿だから何か朝廷とのパイプでもあったかね?

651:647
08/12/25 01:21:12 tWS7Z3AG
日本史板できいてみます

652:人間七七四年
08/12/25 22:11:35 c4HtXGsC
>>650 なるほど…。お答え頂きありがとうございます。
>>649 >>>>(続きの質問)
秀吉没後、利家とかいるのに、なぜ家康は豊臣の家臣を掠めとるような発言ができたのですか?
この時の豊臣の人事はどうなってたんですか?

653:人間七七四年
08/12/26 20:05:34 TtGhbtRo
秀吉の遺言で、秀吉死後は家康が政治の面でのトップとなり伏見城に、
利家は秀頼の後見人となって大坂城に入るように言われていた。
それで事実上、利家と家康はは秀吉死後豊臣家の2トップだった。

家康は自分の立場をいいことに秀吉の死後、私婚等秀吉の遺言を破る行為を繰り返した。
利家や官僚たちは怒って詰問使を送るが家康は追い返し、
利家は自分から家康に会いにいってやっと誓紙を交わした。(この時点で秀吉死後半年くらい)

しかし直後に利家が死に、家康に対抗できるだけの人物が豊臣家からいなくなってしまい、
家康は前田氏の討伐をしようとしたり、上杉討伐をしたりとさらに専横を極めた。
んでそれをよしとしない三成が立ち上がり、挙兵して関ヶ原へと至るわけ。

654:人間七七四年
08/12/26 20:12:31 GTkXP7s9
戦国期は国が乱立して現在でいう大蔵省とか無かったと思いますが
通貨の発行はどこの誰がやってたんですか?

655:人間七七四年
08/12/26 20:33:03 kDAwLgXL
>>654
大名・商人が勝手にびた銭を作ったり、永楽銭を輸入していた
一番、まともなのは武田の甲州金

656:人間七七四年
08/12/26 21:25:47 v6+ujop7
秀吉が100万石で花の慶次をスカウトしたのはほんまの話でしょうか?
また次の大河ドラマの直江兼次には花の慶次は出るのでしょうか?親友だったはずだし

657:人間七七四年
08/12/27 11:20:12 dywA7zdv
秀吉股肱の福島でも尾張24万石。身内の金吾でも30万石。
ほとんど養子扱いの宇喜多でも50万石。

大事な盟友の甥とはいえ、秀吉の前でサル芸を披露したくらいの男に
100万石か。アリだな。

658:人間七七四年
08/12/27 18:08:43 hNPUmmD5
実の父親または兄貴や弟を殺して、かわりに自分がトップに立ったなど、
強奪だったけど最終的には安泰だった(暗殺も追放もされなかったとか家はつぶれなかったとか)
っていう武将ってどんな人がいますか?

659:人間七七四年
08/12/27 18:30:20 3q9kTAk3
>>658
武田晴信

660:人間七七四年
08/12/27 20:48:12 cZKpVEUn
謙信も兄貴と相克があったしなあ。

あとは伊達晴宗、輝宗は親子で戦争。
すくなくとも自分一代では滅びなかった、というのなら織田信長も今川義元も。
毛利元就も弟殺してたなあ。
あと親父殺しは疑惑だが大友宗麟とか。

661:人間七七四年
08/12/27 21:28:38 Kipu66Xe
謙信と晴景は対立したけど晴景を攻めた訳でもないし
上司の定実の調停で両者従い素直に家督移譲してるからちょっと違うと思う。

662:人間七七四年
08/12/27 22:19:53 91kw06P8
>>660
ん…あれ…?
天文の大ら…ん?

663:人間七七四年
08/12/28 02:09:13 vBFVMK/j
肥後の国人・名和顕孝の子息らについて。

名和氏
URLリンク(www2.harimaya.com)

こちらを参照すると、次男・長興が立花藩に仕えた事はわかるのですが
長男・顕武、三男・顕貞はどうなったのでしょう?
次男・長興も含めて、この三兄弟について、わかる事績(生没年等)が
わかりましたら、教えて下さい。

664:人間七七四年
08/12/28 02:11:38 vBFVMK/j
>>656
原作小説では「10万石」だったような。もちろん創作だと思うけど。
花の慶次(漫画)は、少年誌らしく話を大袈裟にする為に
原作小説の表現を多少誇張している箇所が結構ある。
横柄な奇染屋の店主の足を買うエピソードの値段とかもそう。

665:人間七七四年
08/12/28 08:19:11 X8zvxqcC
>>656
あり得ない。直臣に望んだ大名(特定無し)に叔父の利家が「御免被る」と断るエピソードが誇張されたとかしないとか。

大河は原作を読んでないのであくまで私見だが、特に主要キャラに仕立てずとも特に差し障り無いのではないか。叔父が宇津井で年齢的なバランスが難しい。

と、おもたよ。

666:人間七七四年
08/12/29 09:27:33 wvSiM9+G
戦国時代中期~末期くらいの旧国地図と大名分布図が載っている本を探しています。
オススメがありましたら宜しくお願いします。

667:人間七七四年
08/12/29 11:23:10 EW1/PKcU
種子島の大名が鉄砲を手に入れたと習いましたが鉄砲を売ってくれた相手は海賊だったと言うのは本当ですか?


668:人間七七四年
08/12/29 11:35:11 iqtP/XeO
>>658
嫡流の従兄を殺して房総を統一した里見義堯。

669:人間七七四年
08/12/29 12:36:37 fJTB4BNW
>>667
宣教師というのが通説です

670:人間七七四年
08/12/29 12:42:37 QrWjOTqg
日本では船で海に出る商人や水軍など全て海賊と呼んでいたのですよ

671:人間七七四年
08/12/29 18:02:32 2vkPPTgF
>>666
大まかな分布図が載っているような本ならどこの本屋でも普通に置いてあると思うよ


672:人間七七四年
08/12/29 20:34:22 isL4nFeo
>>669
断言しないように。
ポルトガル人ということしかわかっておらず、
宣教師だったのか商人だったのか軍人だったのかは不明。
鉄砲を持っていたのはポルトガル人で、
>>667の言う海賊とされる人物は種子島家の役人と筆談した人物。
後期倭寇の代表的な人物である、王五峰(王直)がその人とされる。

つまり、「鉄砲を売ったのはポルトガル人だが、ポルトガル人は日本語がわからないので、
中国人が日本人との仲介に立って売買を成立させた。
その中国人は海賊として名の知れた人物であった可能性がある」
ということになる。
可能性があるというだけで、本当にそうだったのかはわかっていない。

673:人間七七四年
08/12/29 22:27:25 0WELi5Vi
とりあえずポルトガル船籍の船ではなく
中国船にたまたま同乗していたポルトガル人が売ったんだよね。
で、1回目は莫大な金で2丁?だっけか。購入して
複製しようとしたんだけど、当時の日本にはネジの概念がなかったので
細工の仕組みがわからず
その秘密を教えてもらうのに、今度は金+自分の娘まで差し出したって話だったような

674:人間七七四年
08/12/30 00:56:31 PGjQpK5o
戦国時代の城の
堀の水位(深さ)ってどれくらいだったのでしょうか?

675:人間七七四年
08/12/30 03:10:18 BPp2X0kr
事件に対して、ある人物が殺害された後、一番得をしている奴が怪しい。
と、よく言われますが、
秀吉が信長の死に関与している可能性はありますか?
そう考えると中国大返しや、諸侯への根回しなど、常識的には
あまりにもありえない様な感じがします。事前準備があったのではないかと。


676:人間七七四年
08/12/30 04:15:01 1Pm1nyIS
>>675
ないとはいえないと思う。
本能寺の変についての説で秀吉関与説というのも出ている。
他にも朝廷関与説とか、足利将軍関与説とか、家康関与説とかいろいろあるみたい。

677:人間七七四年
08/12/30 04:36:42 EQKiTYks
>>674
そら城それぞれじゃないの?
普通は人が立っても渡れない程度の水が入ってたと思うけども。
ちなみに近所にマイナーな城跡あるけど
そこの堀(満水状態の水位じゃないけど)跡でも
10~15mはあるよ。



678:人間七七四年
08/12/30 09:06:24 nPMuurim
現在の大阪城外堀で水深4mぐらい

679:人間七七四年
08/12/30 11:08:58 dzvPlR5c
>>678
大阪城の外堀ってロマンがあるよね。

>>675
明智の野望単独説で落ち着きそう。人生を賭けた博打ってロマンがあるよね。

朝廷や足利の名は調略に利用しただけ。信長バブルで弾けた、そんな団塊の悲しい結末だな。

680:人間七七四年
08/12/31 06:01:26 YJaNi9c3
>>673
国友ネジ衛門さんは自力で解明したよ

681:人間七七四年
08/12/31 09:22:52 mNslTd/t
小早川隆景はどうして秀吉に「天下を取るには勇気がない」と言われてしまったのですか?

682:人間七七四年
08/12/31 11:00:38 03jAMaj/
>>681
秀吉のヨイショはもれなく自分の知恵誇りがついてくるので
ここは「(俺ならこうするのに、俺に比べて=)天下人になるにはこれが足りない」という意ととりたい。
毛利家をおっぽって自分だけ秀吉に取り入れば、本家を凌ぐ人望で
事実上、豊臣政権のno.2になれたかもしれないのに、
本家をはばかってできなかったんだよね(俺ならそんなの無視するぜ)ってことではないか。

同様に、
直江兼続(知恵)の場合は「天下の要職に相応しい人品(態度がえらそう)だけど、この人の状況からみて
これ以上の出世する方法は自分(秀吉)にも思いつかない」
鍋島直茂(大気)の場合は「どうせ乗っ取るならとことんやれよ!何で途中でとめるんだよ(俺ならそうするよ)!」

683:人間七七四年
08/12/31 19:38:45 UGtAylsu
>>672
通説の意味わかる?

684:人間七七四年
09/01/01 18:54:03 g15yUQjz
>>674
もちろん水掘の城もあります。

しかし中世城郭の大抵は空堀。
水掘の場合も川を利用するケースが多いのでなんとも。

685:人間七七四年
09/01/01 19:12:53 33dOgAKH
質問です。
花押は親子で同一のものを使う事があるんでしょうか?
類似したものを用いる例は多数あるようですが……。

686:人間七七四年
09/01/01 21:15:02 vHDWj1hv
信玄は昔でいう甲斐の国周辺の人から今でも嫌われている、
というのを聞いたことがあります。
自分の国の人間を食わせるために略奪しに行ってるのだから
当然だと思います。
だとしたら、三重では織田信長は嫌われているんでしょうか?

687:人間七七四年
09/01/01 22:57:41 6Js7nR9u
甲斐って甲州金が有名だけど、金鉱があって貧しいとはこれいかに

688:人間七七四年
09/01/01 23:18:19 Qi2RTHp+
>>686
地元の武将がマイナーでショボイのばっかりなんで嫌うどころじゃないw。
信長は普通に超有名でスゴイ武将というのが一般的三重県民の認識。まあよそ者という意識はあるけど。
ちなみに漏の住んでる辺りの寺で一向一揆討伐の時、信長が宿所にしたって所がちらほらあるよ。

689:人間七七四年
09/01/02 00:12:35 FKufjoQ8
>>688
そうなんですか(笑
対立とかよく思ってない間柄が結構残ってるみたいなので、
日本初の大虐殺をされた土地だったらさぞ深い恨みが残ってるのかなと思ったもので。

690:人間七七四年
09/01/02 01:12:02 qbFngVgY
>>687
庶民が、その採掘される金で飯を食えるわけではあるまい。
現在でも山梨に行ってみれば分かるが、田園の少なさ・畑や果樹園の多さは異常。

当時に葡萄や桃作ったって仕方ないから麦や蕎麦なんかが関の山だろう。
そこへいくと、隣国信州は同じ盆地とはいえ松本・伊那・佐久・善光寺・上田と肥沃。

691:人間七七四年
09/01/02 01:13:52 /ZFcCdyg
庶民の話じゃなく甲斐武田氏のはなしでそ

692:人間七七四年
09/01/02 02:02:55 Irc9uHNu
上杉謙信は女だったと言う説がかなり信憑性あると言うのはどういった証拠があるんですか?

693:人間七七四年
09/01/02 02:24:11 hQZkWmyt
>>692
死因が女人にしかかからない病気だったから。後は毎月の寺に引きこもる時期が生理の時期だったらしい←これは曖昧
後は知らない

694:人間七七四年
09/01/02 02:39:12 Irc9uHNu
>>693
ありがとうございます。
今年の大河ドラマが楽しみです

695:人間七七四年
09/01/02 03:48:07 JKOP6kbk
戦国時代の給料形態には、知行取りと扶持取りの二種類があると知りました。
扶持取りっていうのは、
≒傭兵
だと思っていいんでしょうか?

例えばもしそうだとすると、商業の利益何万石分を傭兵に充てた織田信長の軍隊が、
季節に左右されず一定の動員を可能にできたと言う点で、
これをして「兵農分離」という見方がなされた、という経緯の説明がつくのかな、と思ったのですが。
まぁその前にはまず織田信長の軍隊における知行取りと扶持取りとの比率を、
他の大名とくらべてどうだったか比較しなければいけないんでしょうが。


696:人間七七四年
09/01/02 07:10:25 m2acUPYP
>>695
扶持取りは領地を与えられないかわりに
大名のもとにあつまる年貢を与えられる直臣、旗本、客分。
領地がない=傭兵ではない。

697:人間七七四年
09/01/02 22:21:19 tj+mXT0w
  ∧l二|ヘ
  (・ω・ )  ←に土産を持たせてどこかのスレに送ってください
 ./ ̄ ̄ ̄ハ
 |  福  | |
 |  袋  | |,,,....
   ̄ ̄ ̄ ̄

現在の所持品: 帽子 老眼鏡 爪楊枝 ステテコ コタツ 仲村みうのDVD「卒業」 東名
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698:人間七七四年
09/01/04 09:18:00 Rw1JSqkb
なんか今年の大河で愛がやたら強調されてるのですがNHKの公式見解は
愛は民や百姓への無償の愛情の愛のようなんですが
昔は愛染明王の愛だときいたんですが
歴史見解が変わったんでしょうか?
ガス抜きですか?

699:人間七七四年
09/01/04 09:18:55 Rw1JSqkb
最後の一行は消し忘れです無視してくださいごめんなさい

700:人間七七四年
09/01/04 10:41:19 kTUyAyXb
愛染明王の『愛』です
テレビでも小説でも愛情の『愛』にこじつけたほうが
一般受けしやすいからじゃないでしょうか

701:人間七七四年
09/01/04 12:03:19 TlkquE38
愛染明王の愛と断言する証拠は?
愛宕権現説もあるし、何も考えずにただデザインとして選んで様々な意味を込めたって可能性はないの?

702:人間七七四年
09/01/04 13:27:15 kTUyAyXb
愛染明王と断言したのは間違いでした、すみません
確かに愛宕権現説も有力ですよね
ただ何も考えず愛の字を使ったということはないと思います
主君であった上杉謙信が毘沙門天の毘の字を旗印にしていた影響はあったと考えています

703:人間七七四年
09/01/05 16:50:53 PqI9DwWw
>>701
デザインてw

あの時代にこのフォルムがたまらねーとかで決めてたのか?
意味もなく決めたとかはありえねえだろ

704:人間七七四年
09/01/05 19:23:59 SSNrI/i2
世の中には、
サザエ形兜とか、富士山形兜とか、猿面の兜とかあるんだぜw

意味?
本人がカッコいいと思えばなんだっていーんだよw

705:人間七七四年
09/01/05 19:32:23 PqI9DwWw
>>704
いや…それ全部意味あるんだけど…
百足はさすがに知ってるよな

706:人間七七四年
09/01/06 11:57:56 HpHqfNAU
意味は結構あとから付けられたもんだと思うんだよね。
今でも製品名や社名などでそんなの多いじゃん。
とりあえずかっこいい響きのをつけてみた。意味はどうみてもあとから考えましたみたいなの。

707:人間七七四年
09/01/06 12:47:45 wC6Pydn4
でも戦国時代の愛って今の愛(Love)って意味とは違うんじゃないの?
エロな意味で付けるなら色とか恋にするんじゃないだろうか
当時の愛って文字は慈愛や慈悲に近いと思う

708:人間七七四年
09/01/06 12:51:40 u9iwpHVY
>>707
>でも戦国時代の愛って今の愛(Love)って意味とは違うんじゃないの?
>当時の愛って文字は慈愛や慈悲に近いと思う

妻夫木はそう言ってる。
だが脚本家が・・。

709:人間七七四年
09/01/06 13:54:28 TgGxzBiZ
今の時代の感覚で考えてはダメだと思う
元来日本人は縁起やげんを担いだりなんにでも神様を宿らせる習慣があるんだから
常に死と隣り合わせの武将なら尚更身につけるものなどには拘ったんじゃないかな

710:人間七七四年
09/01/06 18:00:39 sHSXVtln
なんで最近、最上は鮭様と呼ばれているんですか?
由来があれば教えてください。
昔はもがみんって呼んでる方が多かったように感じているのですが・・・。

711:人間七七四年
09/01/06 21:11:44 FHxujqpz
>>683
そのままそっくり返すよ。
>通説の意味わかる?
通説は「ポルトガル人」で、「宣教師」ではない。
「ポルトガル人の宣教師」だとでも言うなら通説ではなく新説だな。

712:人間七七四年
09/01/07 10:38:11 08p57GXN
>>710
良い/悪い話スレで最上義光が鮭好きという話が披露され、
義光=鮭が定着した

713:人間七七四年
09/01/07 17:55:43 hrGEHu6N
>>712
ありがとうございます。
やっぱり最近できた呼び方だったんですね。
しばらく覗いていないと、流れの遅い戦国板さえついていけなくなります。
最近ずっと疑問に思っていたのでスッキリしました。

714:人間七七四年
09/01/07 22:46:51 eR57+E9u
どこで聞けばいいのかわからなかったのでここで質問させてください

戦国時代に興味を持ったのでいろいろ勉強したいのですが、
何をどうしていけばいいのかわかりません。
話の真偽や歴史の解釈など、難しいことがたくさんあります。
皆さんはどのように知識を広げていったのですか?

715:人間七七四年
09/01/07 22:49:41 cifUX4vx
本読め。名将言行録とか信長公記とか有名どころから
現代語訳または小説化したものを読み漁れ

716:人間七七四年
09/01/07 22:59:17 08p57GXN
俺は信長の野望から入ったクチだな。
まずあれの武将列伝とか、攻略本とかで知識を積んだ。
次に一般書店とかでも手に入る学研の歴史群像シリーズみたいなのを読みつつ
ネットで色々調べ始めるようになった。
で、値段は高くとも読むのが平易な編纂物を読むようになって、
最近、原資料をあたるようになってきた感じ。

いきなり専門書とか読んでもちんぷんかんぷんだろうから、
とりあえずそこいらで手に入る本を読めば良いと思うよ。

717:人間七七四年
09/01/07 23:28:36 JW2u+UF8
誰だこれ?って武将の名前を見たらとにかくググれ

718:人間七七四年
09/01/08 00:01:57 J0hISXa7
>>714
やめとけ。淋しくなるだけだぞ。


719:人間七七四年
09/01/08 02:35:40 adcH+ot2
>>716
原資料なんてどこで手に入れて読んでるの?


720:人間七七四年
09/01/08 04:46:33 omR4Ywsa
>>718
うむ正論じゃ

721:人間七七四年
09/01/08 06:12:34 5exygtJL
>>719
入手しなくても図書館などに保管されていて、
閲覧可能なものもあるよ。
活字になってるものでも充分だけど。

722:人間七七四年
09/01/08 06:55:44 kASmhM9b
大日本史料という資料集(刊行中)はネットで無料閲覧可

723:人間七七四年
09/01/08 08:45:58 0PuGpIC6
>>722
まだ全部は見られないんじゃないか

724:人間七七四年
09/01/08 10:37:44 adcH+ot2
>>721
そうか、サンキュ


725:人間七七四年
09/01/08 13:46:55 NNV8dBqF
秀吉は百姓の出身だのと聞きますが、学も武もない人間が
奉行を任されたり、有力郷氏のヘッドハンティングをしたり
京都政務を任されているのは辻褄が合わない気がしますが
どうなんでしょう?

726:人間七七四年
09/01/08 15:46:44 milw2sRB
>>725
最近では足軽出身ってのが定説だ
百姓説は嘘

727:人間七七四年
09/01/08 15:52:27 WN9gBluF
長可ってなんて呼ぶの?

728:人間七七四年
09/01/08 19:41:09 6MDHA0Wc
>>727
ながよしでいいんじゃね?
森っしょ?

729:人間七七四年
09/01/09 03:51:34 Ku2OcNrq
>>726
兵農分離が進んでいない段階でそういう議論をしても余り意味無い気もするけどね

730:人間七七四年
09/01/09 05:26:11 oPJbG0h/
>>726
足軽だったからとしてもあの活躍の説明にはなってないよなぁ。

731:人間七七四年
09/01/09 08:47:39 UZ5nwWis
ねねの実家が想像以上に影響力持ってたんじゃないかね

732:人間七七四年
09/01/09 09:13:03 55E6od5j
本百姓ならもれなく、半農半士と思って間違いないからなあ。
村同士のいさかいも、武士に負けず劣らず激しいもので、
外交や戦争も武士に負けず劣らずやるからな、当時の村は。
村の指導層なら、学も武も備えていて当然。

つーかちょっとした小城主で平時は農業を営んでいる奴なんざごろごろいるし。

733:人間七七四年
09/01/09 09:39:09 yaq05ak1
つまり農民が成り上がってもなんらおかしくない時代だったんだろ。
斉藤道三なんて油売りだぞ。油売りが大名にまでのしあがったんだ。
ハゲネズミよりよっぽど凄い。なんと油売りだ
石油なんかない時代だし石油王ってわけじゃない。
多分ガマの油か植物油でも売ってたんだろ

734:人間七七四年
09/01/09 09:40:39 y1FNK/ng
733はスルーでよろ

735:人間七七四年
09/01/09 20:37:43 0o6r6a5Y
道三が油売りだったと思ってる奴はこの板にこないほうがいい

736:人間七七四年
09/01/09 21:49:46 qnmxPnnx
胴丸の「丸」はなんですか?

737:人間七七四年
09/01/09 22:22:17 kgOeI6Il
>>736
形が丸いから、大鎧は箱型
腹巻は腹当の進化形(背中が保護されるようになる)

738:人間七七四年
09/01/10 07:40:00 ngK4h5zQ
石高について、一般に言われてる、
尾張 56万石
甲斐 24万石
って、あれは純粋な米の取れ高なの?
それとも市の利益とか金山収入も込みで?

739:人間七七四年
09/01/10 11:27:51 EYHUfG/N
>>738
米の収穫高

でも開墾して新田を増やせば収穫量は上がるし、藩によっては塩や果実・材木等の売買で得る利益もあるし実高は表高通りでは無い
表高は大名の家格を表す記号のようなもの

740:人間七七四年
09/01/10 12:38:32 TSsnTp4z
>>739
じゃあ信長も信玄も動員はもう少し多くできてたと見ていいんだろうか?
となると上洛スレの流れも変わると思うんだが。

741:人間七七四年
09/01/10 14:16:57 gCr55BFR
>>740
信長は港の収益が相当多い。信長の家自体が港の貿易を中心に興った。
尾張1国の時点でさえ、津島・熱田がある。

武田は上杉と死ぬほど戦ってやっと手に入れた善光寺ぐらいしかない
後は金を採掘して何とかしていた。金の信用度は全国随一だったようだ。

742:人間七七四年
09/01/10 16:28:29 TSsnTp4z
>>741
いや、だからその前提での疑問なんだが。

743:人間七七四年
09/01/10 16:38:55 polUP2QE
そもそも石高換算で各地の領地を同じ尺で計ったのって
秀吉の統一以後じゃないの?

744:人間七七四年
09/01/10 17:43:47 cNvvLfqY
百姓の持ちたる国こと加賀の政治ってどんな感じだったの?
名前からして年貢0?

745:人間七七四年
09/01/10 19:52:01 CSSnkcEk
作左や又左、なんとか右衛門のように
名前の中に左右の字が入ることが多いのはなんで?

746:人間七七四年
09/01/10 19:58:13 a9TUJeSy
>>744
石山から派遣されてた坊主が仕切ってウザかったはず。

747:人間七七四年
09/01/10 20:36:54 6s23VG0j
>>744
代表たちの合議制って感じだったらしい
ただ、746も言ってるように石山からの派遣坊主を嫌がってたらしい
年貢が軽かったのかどうかはわからん


748:人間七七四年
09/01/10 22:07:12 zj95xLkp
>>745
衛門や兵衛は律令時代に天皇を警護する役職だったが、
それが左右二つに分かれてたから
後に人の名前にだけ残った

URLリンク(ja.wikipedia.org)

749:人間七七四年
09/01/10 22:41:31 Td37iPhm
>>747
守護の富樫も傀儡で残ってたらしいけど、それと絡みはどうだったんだろ?

750:人間七七四年
09/01/10 22:53:03 /kBOzNFr
龍造寺四天王が五人いるのはなんで?
あと全員の名前わかるなら教えてください。お願いします。

751:人間七七四年
09/01/10 22:53:39 Fy7TB5r6
>>750
ぐぐったほうがはやい

752:人間七七四年
09/01/10 23:01:24 uVRzMtcp
戦国時代に北海道に大名はいたんですか?
信長の野望だと北海道と沖縄の大名出てないけど

753:人間七七四年
09/01/10 23:38:01 6s23VG0j
北海道の南部に蠣崎ってのがいた。
アイヌと抗争してた。

沖縄はその当時別の国

754:人間七七四年
09/01/11 02:44:59 ouOlFjFR
松前漬け美味しいよね。

755:人間七七四年
09/01/11 10:50:46 JmpsoBeL
>>747
当初は蓮如の子孫の地元住職が統率していた。
ところが、法主を継承する嫡流と主導権争いをして粛清され、石山から坊主が派遣されるようになってからギクシャクしだした。

756:人間七七四年
09/01/11 19:27:04 dqPyrSAq
ようはオウム真理教みたいなもんだよ

757:人間七七四年
09/01/12 18:19:28 07CE+FpW
戦国時代での日本全体の人口は、やはり減り続けていたのでしょうか?
もしそうであれば、増加し始めたのはどの時期からでしょうか

758:人間七七四年
09/01/12 21:25:09 Qxdw44us
戦国時代に出てくる例えば尾張衆、美濃衆といった○○衆といったものはどういった人達の事を言うのでしょうか?

759:人間七七四年
09/01/12 21:27:41 ZM2cmDYt
>>758
単純に「その地域にいる人達」程度の解釈でよいかと

760:人間七七四年
09/01/12 21:58:02 NmajgwdJ
足利義昭が手紙一つで信長包囲網を敷けた理由はなんでしょうか?当人にそれなりの政治力があるのかも
しれませんが其の判断材料ともなるような情報をどうやって手に入れていたか気になる。。。。

761:人間七七四年
09/01/12 21:58:44 eSKj1lms
>>757
よくわかんないけど、減り続けたんじゃない?
戦で死ぬのもあるし、当然それに人員が借り出されて働き手を失ったり
合戦の舞台ともなれば、田畑も荒れ放題で収穫(食料)も安定しなかったろうし。
増え始めたとするなら、合戦の無くなった江戸期以降では。

>>758
その地域(もしくは藩)出身の国人衆。顔役、まとめ役の人物達。

762:人間七七四年
09/01/12 22:01:36 eSKj1lms
>>760
足利義昭が動かした、といより
互いの利害が一致したので、名目として足利家の勅命という事で
利用しただけ。
義昭はお手紙将軍なので、手当たり次第に名のある武将(勢力として立ち向かえそうにない名門筋の小大名等も)に
手紙を出し、それを各々が利用したといった感じ。
実質的に将軍家には何も力はなかったけど、「足利将軍家」という名目は
軍を動かす名目としてわかりやすかったから利用されていた。

763:人間七七四年
09/01/12 22:25:58 Ve5Ddhw5
戦国時代には源や平の名字の大名は出てこないですが源氏や平家の人達は戦国時代はなにしてたんですか?
今でも源平の子孫はいるし当時もいたと思うんですが

764:人間七七四年
09/01/12 22:43:48 Qxdw44us
>>759>>761
ありがとうございました。
となると、その国人衆は戦いとなると、その地域で自分に従う兵士を率いて参戦という形でしょうか?

765:人間七七四年
09/01/12 22:44:31 6ceu2F/1
>>760
信長と敵対する理由のある人に手紙が届いたらので、その人は信長と戦う大義名分として
将軍の手紙を利用した。それだけ。
逆に、信長と敵対する理由のないひとたちは将軍の手紙なんて無視している。有名な例を
あげると、徳川家康とか上杉謙信とかね。

それと戦国時代の人口は増えている。少なくとも、明確に減ったとする資料はない。

766:人間七七四年
09/01/12 23:12:05 ZM2cmDYt
>>763
いても平とか源とかは名乗らない、藤原の子孫が一条・近衛と名乗るみたいに
そして源の系統でそれに近いのは足利・武田・今川

もう少しいい加減に自称した例になると百指に余る
現在の源平の子孫は大抵こういう連中

>>764
そんな感じ

767:人間七七四年
09/01/12 23:17:55 98JVRKC2
>それと戦国時代の人口は増えている。少なくとも、明確に減ったとする資料はない。
増えたという資料もないんだが・・・
現状は“わからない”だよ

768:人間七七四年
09/01/12 23:17:56 Ve5Ddhw5
>>766
なるほど
ありがとうございます。
しかし源平を名乗るとなんかデメリットでもあったんですかね
戦国の世の中ならむしろ箔がつくと思うんですが

769:人間七七四年
09/01/12 23:48:53 bb6gm40w
>>768
たしか源氏とか平氏とか藤原とか同じ氏を名乗る人が増えすぎたせいで、
いろんな性を名乗るようになったとか

770:人間七七四年
09/01/12 23:59:39 Ve5Ddhw5
>>769
なるほど。
しかしその割には戦国時代の話に出てくる武将で平や源っていませんね
歴史に出てこないような名もない武将が名乗りまくったんですかね

771:人間七七四年
09/01/13 00:10:59 QnBe+mu3
源氏や平氏なんて腐るほどいて名乗る価値なんて無いんじゃねえの?
源氏の中でランクが高い低いの争いはあったけど

772:人間七七四年
09/01/13 00:11:30 rswWBApi
>>770
「姓(“かばね”ではなく、“せい”の方ね)」と「苗字」はまったくの別物。
現代では姓=苗字だから混同してしまうのは理解できるけどね。

藤原(ふじわらの)や平(たいらの)、源(みなもとの)のように、「~~の」と付くのが本姓。
北条、梶原、安達など付かないのが苗字。
本姓は門閥名で、苗字が家族名みたいなニュアンスかな。

ちなみに名のある戦国武将は本姓も苗字も(自称詐称は横行していたけど)持っていて
本姓は公式の場に、逆に苗字は平常時にと使い分けていた。

例えば、
平常:織田上総介
公式:平信長
みたいな感じで。

773:人間七七四年
09/01/13 00:33:16 w7H7bHgx
ここで質問に答えてる人は史学科の院とか研究家とかなのかな?

774:人間七七四年
09/01/13 09:45:42 J3JDAFdr
平常:羽柴秀吉
公式:豊臣秀吉

775:人間七七四年
09/01/13 10:02:18 MFgZ3wbT
>>772
詳しい解説ありがとうございます。
信長って平家なのですね。
しかし詳しいですね。ほんとは歴史研究家なんですか?

776:人間七七四年
09/01/13 11:27:11 P5WtaHol
よく言われてるけど、近代以前は「実名は普通使われない」というのはどれぐらい正しいのか?
確かに、通名を使うのが礼儀だったみたいだけど、敵方は実名で呼ぶことはあったんじゃないの?
北条方の記録で上杉謙信を「カゲトラ」と呼ぶ例があったし。
あと江戸期に書かれた史書に藩祖を「○○公」と書いてあった希ガス。

まあ幕末の人物でも、坂本龍馬を「直柔(なおのり)」と呼ばないし、勝海舟を「義邦」とは呼ばないことを考えれば、戦国期はなおさら実名を使わなかったとも思うが。

777:人間七七四年
09/01/13 12:19:51 sIVlkQMh
戦国武将は書状で一人称に実名を使うことが多いんだよね。
その他、第三者として語る相手のことを実名で呼ぶ例も多い。

>「○○公」
ただしこれは訓読みせずに音読み。
晴信公=せいしんこう
こうすることで正しい発音で相手を呼ぶ無礼を回避する。

778:人間七七四年
09/01/13 13:40:41 MFgZ3wbT
そういえば漫画でも信秀は信長のことを吉法師って呼んで信秀の家来は次郎三郎様と呼んで
信長の部下だけ信長様と呼んで敵は弾正忠って呼んでますね。
実名は直属の部下しか使っていけないみたいな決まりがあったんですかね

779:人間七七四年
09/01/13 13:46:20 yfG24/41
関東管領上杉弾正忠不識院殿平三輝虎入道謙信の事を
信玄は生涯、長尾と呼んでいたんだっけ。プライドで

780:人間七七四年
09/01/13 17:10:45 sIVlkQMh
>>778
ちょwwwあの漫画は嘘と間違いだらけだからwwwww

直属の部下が主君を実名で呼ぶほうがありえないかと。
一般的にはこうなる。
例えば信長のことを部下は「殿」や「御屋形様」などの尊称で呼ぶ。
上下関係があるなら官途で呼ぶ。官途がなければ「三郎」などの通称。
で、信長を敬う必要の無い部外者は日記や、信長を敬わない相手と語り合うとき、
「信長」と呼び捨てることがある。
これらの用法が絶対ではないけれど、凡そこのように理解していれば大きく間違いはないはず。

781:人間七七四年
09/01/13 20:36:00 7aOE4W9r
>>779

信玄だけでなくあそこの庶民も長尾と頑なに呼んでたらしい。江戸時代の初期になってもあそこの連中は上杉景勝を長尾喜平次と呼
ぶくらいの筋金入り。一時的に同盟した時期は上の連中はそういう言い方を改めたのかもしれんが下々には硬くそれが残ったみたいで

782:人間七七四年
09/01/13 20:38:11 LKkhQEzN
秀吉は結構豊臣姓を乱造したけど、あれって宮中ではどんな風に受け止められて、
賜った人はどう思ってたんだろう。利用したりしたんだろうか。

783:人間七七四年
09/01/13 20:38:22 7aOE4W9r
>>780

そういや織田家って「屋形号」許されてたのか?謙信が屋形号や朱傘、塗り輿免許もらいにわざわざ大枚はたいて京都に行くくらい
の価値があったものだけど。

784:人間七七四年
09/01/13 21:49:31 sIVlkQMh
>>781
北条もそしてその陣営にある武将もだね。
おかげで無関係な奥州はどっちが正しいのか戸惑わされて混用している。

>>783
正式な守護職だと許されてなかった?

785:人間七七四年
09/01/13 22:36:37 7aOE4W9r
>>784

>正式な守護職だと許されてなかった?

長尾や織田は守護代でなかったか?信長のところはその守護代の分家みたいな。
謙信のところだとオヤジの代から朝廷や将軍家に献金しまくって権利を獲得し、他の豪族との「差」をつけていってた
ような。織田家も信長のオヤジの時代から朝廷や将軍家に接近してそれで「屋形号」許されていても不思議でないけど

786:人間七七四年
09/01/13 22:47:21 DSiGoXIb
>>777
>「○○公」
>ただしこれは訓読みせずに音読み。
>晴信公=せいしんこう
>こうすることで正しい発音で相手を呼ぶ無礼を回避する。

なるほどね。今でも熊本で加藤清正を「せいしょうこうさん」と呼ぶらしいが、上の呼び方に則ってのことなんだな。
すると信長は「しんちょうこう」かw。

一つ質問だけど、例えば「信玄公」「謙信公」とか法名で呼ぶのは無礼にならないわけ?

787:人間七七四年
09/01/13 23:07:09 sIVlkQMh
>>785
織田は尾張統一直後、正式な守護職に就任できてるよ。
桶狭間の前。

788:人間七七四年
09/01/13 23:42:18 sIVlkQMh
>>786
~~公は存命中に使う例を見たことが無いなあ。
存命中は謙信の場合は不識庵、信玄の場合には徳栄軒と呼ぶのが妥当かも。
俺もそれほど詳しいわけじゃないので突っ込みどころがあればどなたかよろしく!

789:人間七七四年
09/01/14 01:39:26 FL8gOqQY
>>775
信長は最終的には平家を名乗ってるけど、確か初期のころは藤原を名乗ってた
家康も同じで最初は藤原を名乗っていたが、最終的には源を名乗っている

790:人間七七四年
09/01/14 14:04:50 Hx2OJ8iY
よく合戦で死者数千人とか見るけど、一地方を納めるだけの国家で
そんなに死者が出たら壊滅的なダメージのはずですが、戦国時代は
人口が多かったの?

791:人間七七四年
09/01/14 14:08:56 SH8gEjPP
ヒント:水増し

792:人間七七四年
09/01/14 15:09:01 mwtNkSZw
死者数千なんて川中島ぐらい。
だいたい死傷者数で大半は怪我人及び捕虜。

793:人間七七四年
09/01/14 15:12:58 Zmy9fuy1
川中島もどうだろうかと思ってる。l

794:人間七七四年
09/01/14 15:37:18 xbi37d2E
古代中国なんて合戦で何十万と死んでますが・・・

795:人間七七四年
09/01/14 16:21:36 uGsbrBJe
川中島や長篠合戦は真偽はともかく、武田方の指揮官クラスが多く死んでるから、彼らの部隊も死に果てた可能性は高い

796:人間七七四年
09/01/14 20:29:29 fWe7gLjY
大袈裟に書くのは皆O型。
歴史を紐解く上で軽視出来ない真実。

797:人間七七四年
09/01/14 21:04:49 2dQweRrK
>>790

中世の欧州でも合戦と言えば相手を生け捕りにして捕虜にすることが主目的で、あとはお互い死なない程度に
合戦する「フリ」をしてたんだそうな。だから数万人の軍勢が衝突して死者は不慮の落馬事故で死んだ一人だけなんて
戦いもあるとか。あちらはフランス革命まで傭兵が戦いの主役だったのでそういう「八百長」が出来たんだろうけど。

>>795

798:人間七七四年
09/01/14 21:06:49 2dQweRrK
>>795

というか川中島や長篠の場合は武田軍が逃げたら全滅必至の退却出来ない戦いだったんじゃないか?

799:人間七七四年
09/01/14 23:30:17 2k70Xhxp
>>798
そういう状況に武田を追い込んで自らの犠牲も省みず果敢に攻撃を仕掛けた上杉は怖い。
同様に織田も凄い。

800:人間七七四年
09/01/15 19:22:50 SWyi5VvV
既出かもしれませんけど、方言って有ったのかな?
京言葉は独特ですけど・・・

801:人間七七四年
09/01/15 19:47:30 MAUns4io
無いわけが無い。
口語での標準語が明治以前にあったのかどうか問いたいくらいだ。
国家教育と徴兵制とラジオが全国規模で標準語を刷り込むことに成功した。
それでも当時を生きた、地方の爺様婆様との意思の疎通は難しすぎる。

802:人間七七四年
09/01/15 20:00:53 IfCg25dg
>>800
ありましたよ
ちょっと違うかもしれんが、南部の誰か(信直だったかな?)が秀吉に誼みを
通じたいけど、田舎もんだし言葉通じないかもしれんしどうしよ~的なことで
中央に行ったことがある鷹匠にお願いして行ってもらったとか



803:人間七七四年
09/01/15 21:16:13 bV8FGLIN
>>800

他国人とのやり取りは能のような文語体でやってた。昔の大河ドラマの「葵徳川3代」だとみんな文語体調でしゃべってるけど
あんな感じだったんだろうな。幕末の時でさえ志士連中が会合したりするのに苦労したらしいから。だから坂本竜馬みたいな周旋・
斡旋家が暗躍できたとも言える。

804:人間七七四年
09/01/15 21:29:10 xTAEpp6s
島津や津軽は通訳が要りそうだなw

805:人間七七四年
09/01/16 00:12:37 96BBSo0V
まあ各地の大名も方言でしゃべったことは間違いないと思うが、漏の中で問題なのが「武家貴族の言葉」。
たとえば古河公方、関東管領・上杉なんかは京都とのつながりが深いし、プライドがあるから関東のベーベー言葉を使ったのか疑問に思う。
そいつらに仕える重臣連中もどんな言葉を使ったのか?
今川も「京都風を志向した」っていうから、あまり方言使う印象じゃないし。

この辺りは検証しようがないかな?

806:人間七七四年
09/01/16 07:22:07 8yUfBqyO
>>801
なんでもうちょっと優しく書けないんだろう。
そりゃあ知識持ってる人からしたら無知な人間ってそれだけで腹立たしいのかも知れんが。

807:人間七七四年
09/01/16 20:41:35 DJqMyF7F
2chに優しさなんて求めるなよ

808:人間七七四年
09/01/16 21:19:37 xmrOUIFB
ちょっと亀だが、「実名については家臣しか使っちゃいけないきまりが」
という話があったけど、むしろ逆。

日本でも中国でも本名・実名ってものはとにかく神聖なもので、たとえば
「信長」「秀吉」なんて名前を直接呼びかけられるのは、基本的に主君・
父親だけだった。家臣が「ノブナガ殿」なんて呼んだら磔刑モノ。

人の呼び方は、まず基本的に官職名。中国なら曹操は生きている時は「丞相」
「公」、死んだ後は「魏武帝」、劉備は「先主」「昭烈帝」、孔明なら
「丞相」「武侯」。日本なら「佐衛門介」「伊豆守」「民部」などなど。

しかし個人的なつき合いで呼び合う言葉が必要で、これが「通り名」。
中国なら「字」。曹操なら孟徳、劉備なら玄徳、諸葛亮なら孔明。
日本なら吉之助とか一蔵とか。(いまの「○太郎」「○助」という名前は、
明治時代に「名前は欧米風に一つに統一しなきゃいけない」と法律で決めて
しまった時に、この「通り名」を本名として登録したものだ。)

で、日本の場合はこの通り名は文字通り「呼ぶ」ためのものなので、漢字は
何を当ててもいい。どの漢字が正しいなんてのはナンセンス。
沖田ソウジが自分でも色んな漢字を使っていたのは有名だし、伊藤シュンスケ
なんてムチャクチャ色んな漢字を当てている。

809:人間七七四年
09/01/16 21:20:51 xmrOUIFB
で、本名って言うのはとにかく大切なもので、本来赤の他人に知らせるものじゃない。
なにしろ中国では「字」でさえ、幼なじみや親戚でなければ使えない。
三国志では新参の臣下である馬超が、劉備のことを気安く「玄徳」と呼ぶので、
関羽が怒って馬超を殺そうとした、という逸話まであるくらい。まあアメリカに
毒されてファーストネームを気軽に呼ぶ今だって、会社や組織で「社長」「専務」と
呼ぶべきところを「おい太郎」「失礼します、松吉」とは言わないだろう。

まして昔において本名なんて、とてもじゃないが呼べない。「ノブナガが来た」
「ヒデヨシと会う」なんて言えたもんじゃない、というのはそういうこと。
こういうことは現代のドラマの中だけのウソと割り切った嘘話のなせる技だ。

じゃ日本の「本名」は何のためにあるのかと言うと、極論すれば「文書に記載するため」。
昔なら神前仏前に奉る願文なんかに書く名前。だからこっちは、極論すれば
発音する必要がない。だから親と本人が知っているだけで、周囲の人間でさえ
呼びかたを知らないなんてことが起きる。

今の戦国武将の名が本によって呼び名が違うのも仕方ない。西郷吉之助の本名や
岩倉具視の呼び方を、親しい人間さえ知らなかったというのはおかしなことじゃない。

810:人間七七四年
09/01/16 21:22:11 xmrOUIFB
通り名は「読み」だけで漢字がなく、本名は「字」だけで読みがない。
今の人は分からないみたいだけどそれが明治までの日本の現実だった。

で、明治以後もその傾向が残って、人の本名をじかに読むのは失礼とされ、
そこで「伊藤ハクブン」「徳川ケイキ」「原ケイ内閣」などと日常的に話した。
慶喜なんて家の中で家族が話題にしたときでも「ケイキ様は…」という言い方で
語っていたという。だから信長の記録は「シンチョー公記」だし、義経の記録は
「ギケー記」だよ。

これはそんな昔の話じゃない。
テレビで江戸時代の徳川家臣団が「イエヤス殿が」なんて口にするとんでもない
ドラマを見慣れちゃったために、ここ数十年の日本人の感覚がおかしくなっただけのこと。
小沢一郎が麻生首相のことを語るのに「今日の答弁で太郎君は」と言わないでしょ。

駄文失礼。

811:人間七七四年
09/01/16 21:35:46 urS0vVkd
佐竹家臣の梅津日記で景勝・政宗だけ諱で記載されてるという話があった。
他の大名は官位名で呼ばれるし景勝が死んで定勝に代替りすると
上杉弾正少弼と官位名呼びに変化するが、景勝・政宗だけは諱のまま日記に登場。
日記なので特に周囲に披露するものではない特性のものだからかもしれんが
佐竹家中ではこの二者は諱呼びされるほど
親しみをもたれていたのだろうと解釈されていた。

812:人間七七四年
09/01/17 09:50:53 4UHrhjFl
>>809
> だから親と本人が知っているだけで、周囲の人間でさえ
> 呼びかたを知らないなんてことが起きる。

それはさすがにないみたいよ。どういう情報経路があるのか不明だが、
書状等を見る限り当時の人は意外なほど他人の諱をよく知っている。

813:人間七七四年
09/01/17 14:38:49 qsLRqSrE
>>812
書状は文書なんだから正確に記載されて当たり前だと思うが。

本名が知られていないってのは女性の場合が特にそうだな。
寧や勝とかは本名っぽいが、義姫や氏姫などの〇〇姫は怪しい。
佐久間盛政の娘である虎姫の本名は「みぃ」だしさ。

814:人間七七四年
09/01/17 15:23:36 4UHrhjFl
いや、もちろん当人同士のやりとりじゃなくて、そこで語られる第三者のことね。
「秀綱は~~」みたいに諱で他者のことを語らってる。
「源太郎」とかの通称よりわかりやすいからなのか。

815:人間七七四年
09/01/17 16:56:08 s9cyRCOf
こんなスレもあるよ。

諱を語る
スレリンク(sengoku板)


816:人間七七四年
09/01/17 21:33:05 m/b1Sjk3
>>805

今川の場合、義元あたりは京都風の言葉を使ってたかも。元々は京都で坊主をやっており、其の関係で貴族とそれ
なりの付き合いはあったと思われる。

817:人間七七四年
09/01/17 21:54:14 I7Wkzscy
>>816
というか母親の寿桂尼自体が貴族の出じゃない?

818:人間七七四年
09/01/18 01:09:35 4P+Cg+wV
>>812
いや、>>810にもあるように、諱でも漢字で「書く」ことはできるけれど
呼び方、つまり「読み方」が分からないということ。

大井信達なんてのも「のぶさと・のぶたつ」など色々呼ばれているけど、
一番話題になっていたのは太平記の大塔宮護良親王。「だいとうのみや
もりながしんのう」だったのが、高島俊男いわく無教養な人間のバカな
百姓読みで「もりよししんのう」になってしまったという奴だ。

同時代の文書でかな書きしてあるものがあればいいけれど、たいてい
実名は書状などに漢字だけで書かれているから、読みが分からない。
明治時代は海外のメディアにローマ字色表記が出て初めて分かるものも
多かったらしく、榎本武揚が条約のサインで「たけあき」と読むと
分かったとか、岩倉具視は死後海外のマスコミが問い合わせても、
「トモミ」と読むとは外務省の人間ですら知らなかったとかいう逸話が
残ってる。有名な西郷隆永(タカナガ)隆道(タカミチ)兄弟が、ふだん
リュードー・リューエイとしか呼ばれていなかったために、隆盛・従道
なんていう別人の名前で戸籍登録されてしまったなんていうエピソードに
までつながっていく話なのだけれど。

819:人間七七四年
09/01/18 03:31:28 IztAbL2V
>>814
あたりまえじゃないか、書状の上で、なのだから>諱

「知られていない」のは読み方の方。

820:人間七七四年
09/01/18 10:04:37 sQ9gjPPu
>>817
寿桂尼は公家の出身だね。どこの家か忘れたが。

>>805,>>817
江戸期なら参勤交代で江戸育ちの殿様が多かったから、殿様は「江戸の上級武士の言葉」を話す傾向があったみたい。
で、国許の家来は方言を話すと(ただし敬語を使うので方言色は薄まる)
しかし室町・戦国期の地方在住の武家貴族の言葉は分からんね。
ひょっとしたら京都の武家言葉を礼儀作法の一環として身に着けてたかも、だが。

821:人間七七四年
09/01/18 12:45:54 ObBJnmoV
>>818
護良親王の読みについては、中世の史料に弟の儀良親王の表記が「儀義」と
書かれたものがあるなど、いろいろ傍証が出てるんだけどな。
身分ある人の書いたものだし、高島俊男は何を以て「馬鹿な百姓の読み」と
したんだろうね。
説がいろいろ有るのはいいとして、一番馬鹿なのは高島本人ではないかと。


822:人間七七四年
09/01/18 16:14:26 EvY5aIka
>>820

>ひょっとしたら京都の武家言葉を礼儀作法の一環として身に着けてたかも、だが。

あり得るでしょ。お歯黒も上級武士の間ではたしなみとして使われてたようだし、礼法は
伊勢流・小笠原流を問わず京都系なんで戦国時代の上級の武士は其のたしなみがあったと
思われ。豊臣秀吉が伊達政宗を田舎者として揶揄しようと連歌会に招待したら実は伊達家は連歌
が盛んな家で政宗は達筆でさらさらと立派なものを作りますたなんていう話があるのを見ても
上になると当然その教養の一環として共通の武家言葉が教育されていたものと思う。それに
上級武士ともなると連歌師や坊主、他国の使者とか他国人に会うので言葉知らないと交流や
話が出来ないと思う。

823:人間七七四年
09/01/18 22:48:51 MT5EOw53
>>822
上杉謙信が上洛した時も幕府のお偉方や公家ともしゃべりまくってるもんな。
訛りを馬鹿にされたら話が進まないわけだから、彼等が聞き苦しくない言葉(当然敬語だが)をしゃべってたとしか思えない。
あと道中の越前で朝倉義景と飲んで語り明かしたっていう話もあるしな。

ただ国許で家臣と話す時には当然越後言葉(ぞんざい語)だったと思うが。
この越後言葉が上越の言葉だったか、それともしばらく駐在してた中越の言葉だったか、漏の中で問題になってるw。

824:人間七七四年
09/01/19 15:09:05 Ti/T7Q+V
朝鮮の役で立花ぐらいの少数なら失敗してもいいか~というあの発言って
小早川or宇喜田どっちなんでしょうか?

825:人間七七四年
09/01/19 18:14:08 fla7s7eU
明智光秀や細川が重んじられたのも京言葉を通訳した説はどうでなんでしょう?
逆に武田に嫁いだ三条の方は意思の疎通どうしたのかな?
英才教育で僧が共通語?教えるのも気になる。

826:人間七七四年
09/01/19 22:04:23 KLze6dGb
>>825
始終明智や細川がいるわけじゃないから、通訳したとは違うんじゃないの?
仮に通訳したなら、そういう記録があると思うけど。
やっぱり信長自身、習い覚えたにせよ、京都で通用する社交語を身に着けてたと思われ。
明智や細川は言葉はもちろん、礼法全般や京都の事情に通じてるから(人脈的にも)、重んじられたんだろう。

827:人間七七四年
09/01/20 18:05:05 NzsxwWVX
毛利輝元や神谷宗堪(博多商人)は秀吉に謁見してるが、別に秀吉の言葉使いに注意してないんだよな。
ごく普通に理解して、特徴(つまり訛り)に気を留めてない(記録上は)。
とすれば、上洛以降は秀吉も普通に京都の武家言葉で話すようになったんだろう。

ただある公家の屋敷で北政所と口論して「鳥のような言葉でまったく理解できなかった」というエピソードがあり、秀吉が尾張弁を使った記録例だが、
これが特筆されるということは、普段は訛りなどの特徴が目立たなかったということだろう。

828:人間七七四年
09/01/20 20:05:03 mWitlomx
>>825

武田くらいの武家貴族になれば礼法の一環として言葉の教育はされてたんじゃない?なんせ信玄の
親父は中央政界にコネを作ろうとわざわざ京都から夫人を迎えるくらいだから子息に対しても当然言葉の
教育を坊主なりにさせていたと思われ

829:人間七七四年
09/01/20 20:26:53 Q/QpIL/H
代々上洛して将軍に名前つけてもらう大名は京言葉使えるだろ

830:人間七七四年
09/01/20 22:39:31 O1M4MzMp
>>829
三管領四職の家柄なら京言葉を使えるだろうな。
その重臣クラスも。
信長の家は分家とはいえ、管領斯波家の守護代に連なるから京言葉に触れる機会は多かっただろう。

831:人間七七四年
09/01/20 23:55:57 pPKh5Qqo
堺屋太一氏の小説秀吉の中で
足利義昭が将軍になる為に頼り先を探していた場面で、義昭が織田家の事を
「将軍家から見たら織田家なんて、家臣の家臣のその又家臣じゃないか。そんな家に頼るのは嫌だ」
といっていましたが、これは家臣の家臣の間違いではないでしょうか?

足利-斯波-織田だと自分は思うのですが…

832:人間七七四年
09/01/21 00:12:17 dj/jGvwT
信長の織田弾正忠家は斯波に直接遣えてたわけではない
斯波の家臣だった清州織田家の家臣が織田弾正忠家

足利将軍

守護斯波

守護代清州織田

織田弾正忠←ここ

833:人間七七四年
09/01/21 01:32:12 grpVQDci
守護代(織田)の奉行(織田)だからね。
苗字が同じで紛らわしいけど。

834:人間七七四年
09/01/21 16:57:53 LRE+TLcb
上杉謙信は女犯の穢れを一切断って、生涯にわたり男色のみの清い一生を全うしたとのよし。
ところで、彼の寵愛した衆道の芳契相手の中では、どんな人々が有名でしょうか?
識者の御教示を願い上げまする。
宜敷く。


835:人間七七四年
09/01/21 22:39:49 O8E7fTBE
>>830
>三管領四職の家柄なら京言葉を使えるだろうな。

大内や今川はそれに準じる家柄だから、京言葉楽勝!って感じだろうなw

836:人間七七四年
09/01/21 23:41:40 UUcR7JSk
>>834はナッちゃん(ホモの話題マルチで日本史板や大河板などを荒らす)ですので注意。

837:人間七七四年
09/01/22 16:46:57 Y58ObxAg
上杉謙信の車懸かりって本当に機能できるですかね?
歯車の兵士は無駄に走行しないと行けないので、疲労する気がするのですけど・・・

838:人間七七四年
09/01/22 19:58:13 Z46YAvnc
楽々と越山しまくる越後兵の体力と脚力を侮るなよ!
次から次へと新手を敵にあて、ゆっくり走りながら休むんだぜ。

839:人間七七四年
09/01/22 21:27:29 ijTCjCr0
例えば三国志だと、とりあえず吉川英治読んどけって感じですが、戦国時代で定番の小説ってありますか?

840:人間七七四年
09/01/22 21:32:09 ibk3r36e
とりあえず、司馬遼でも読んで置けば?
個人的には好きではないけど。

841:人間七七四年
09/01/22 22:44:18 lGZwFRqg
一般的に旗指物の文字とか絵って両面に書かれてるんですか?
それとも片面だけですか?

842:人間七七四年
09/01/22 23:09:44 c3e7pqc+
>>839
漏は司馬遼作でも戦国期の始まりを描いた『箱根の坂』(全三巻、講談社文庫)を推す。
北条早雲の人生を通じて、室町から戦国に移り変わっていく空気が感じられる。

843:人間七七四年
09/01/22 23:59:46 JDmD1HOt
>>839
片山まさゆきの「スーパーズカン」豊臣の負けっぷりが。

844:人間七七四年
09/01/23 01:56:59 kZoIoMeh
秀吉は指が6本あったとか聞いたんですがマジなんですか?

845:人間七七四年
09/01/23 04:14:34 1VbYtWls
前田家の文書や宣教師の文書に太閤は指6本って書いてあるらしい。
全国ものはPHP出版ので、自分が好きな武将のでも読んでおけば?学研M文庫とかでもいいけど。
その後は~のすべてシリーズとか。
その先を知りたくなったら、その地域で一番でかい書店で、研究本を買うしかないね。
それか市史を買うなり、東大などの大学で文書を閲覧する。

846:人間七七四年
09/01/23 04:22:11 YqbDbqmK
>>837
本当にやっていたかどうかはわからんけど
戦場において一定時間だけちゃんと戦えば交代してくれるよ
っていうのは結構士気に繋がるんじゃなかろうか。
肉体的な疲労もあるだろうが
ああいうのは精神的な消耗のことを考えてみると
アリなんじゃないかと思う。

847:人間七七四年
09/01/23 10:49:57 BvFBSTma
武将が隠居するタイミングって自己申告なんですか?
それとも主君に奨められてするものなんですか?

848:人間七七四年
09/01/23 13:03:27 N+0nIa9X
旧国別に城分布を地図上に図示している本ってありますか?
「クロニック戦国全史」の「郷土の戦国時代」をもっと詳しくしたような感じです

849:人間七七四年
09/01/23 19:37:56 0EoIU1yF
把握。まずは司馬遼太郎あたり探してみます。

850:人間七七四年
09/01/23 20:11:43 ndoSkivz
>>847
自己申告のときもあるし主君に勧められることもある。
まぁ大概は自己申告。
後継ぎである息子が成長したら隠居することが多いが、
先祖の例や日本及び中国の故事に倣って任意の年齢で隠居することも珍しくない。
但し隠居っつってもほとんどの場合大御所や大殿として実権は把握したまま。

851:人間七七四年
09/01/23 22:44:50 b36Szoik
>>848
「西国の戦国合戦」という本には中国・四国・九州の城の分布図がのってたはず

852:人間七七四年
09/01/23 23:50:47 T5FbHfDS
城郭大系には載ってなかったっけ?

853:人間七七四年
09/01/24 00:01:14 M90pqV11
>>847

40過ぎたら「初老」という言葉があるように、あの当時は50過ぎたら本当に爺さんだから主君から言われなくても
普通に子供がいて40過ぎてたら隠居する。そうしないと後継者の育成ができん。

854:人間七七四年
09/01/24 22:42:04 nj3jCzuu
鉄砲が大量に作られ初めて、何らかの人体への影響による災害って起こってないの?
現代でいうところの喘息やらイタイイタイ病みたいな。
鋳造関係で調べたんだがメッキとかの鉛中毒とかしかなかった。
んで、鉄砲の材料って合金だろうけどどういう合金なわけ?
特にどの合金を作る際にこんな人体影響がある、とか知ってる人居たら教えてくれ。


855:人間七七四年
09/01/24 23:23:42 p3OaSnRB
合金ちゅーか、鋳造で作ってると思ってる時点で間違ってる。
日本製の火縄銃(大砲含む)は、鋳造ではなく張り立て法で製造されているのが特徴。
鉄の延べ棒を心鉄にグルグルと巻きつけて、最後に心鉄を抜くと。

要するに、刀を作る材料・方法を応用して銃を作ってるんだこれが。

856:人間七七四年
09/01/24 23:49:26 p3p7FUGg
>>854
花輪和一って漫画家の「刑務所の前 2巻」に火縄銃の作り方がこと細かに
描かれているよ。素材は「たまはがね」って物で、根来寺の坊さんが
なぜか持っていたりする。

857:人間七七四年
09/01/25 00:00:42 p3p7FUGg
アゲちゃった、すまん。
戦国板ってはじめて見たけど面白いね。また来ます。

858:人間七七四年
09/01/25 00:15:14 AIGSavwb
ぜひまた来てね!

859:人間七七四年
09/01/25 12:48:05 Faiaaqub
戦国時代を舞台にした小説などを読んでいると、普段農民をしている
人たちも戦になると槍を持って参加する、というような記述を見るのですが、
利益は出ていたんですかね?
雑兵の首一つ取ったとしてどれくらいの褒賞が出るものなんでしょうか

860:人間七七四年
09/01/25 13:06:50 F3ly39Cv
>>859
色々、状況が異なるから一概には言えないけど
自分の農地や家族・財産が荒らされないようにする
戦闘に参加すれば年貢が減る
というのが自作農が戦闘に参加する理由かな

861:人間七七四年
09/01/25 13:07:23 bJJL2wTc
名もない兵の首をぶら下げて戦う馬鹿はいない

862:人間七七四年
09/01/25 13:20:07 Faiaaqub
>>860
なるほどー、ありがとうございます。
農家の人々が畑放り出して行くくらいの利益があったりするのかな?と疑問に思ったのですが、
そういうわけではなかったのですね。

863:人間七七四年
09/01/25 13:36:12 ZMhsn6pg
前に独眼流政宗を見たら 大阪の陣の時 
片倉(2代目)が敵に首を取られそうになった時
農民に助けられたけど助けたらいくらくれるかって
交渉してた 助かったあと値切ってたけど
農民も まあうちの殿だししょうがないか ってかんじで・・
もし本当だったらおもしろいなって思ったよ

864:人間七七四年
09/01/25 14:17:22 uoEgMnQV
恩賞がもらえるとすれば
兜首とか、名のある武将だけでしょう

私が読んだ本では
戦場で死体になった兵士から
武器や防具などの装備をはぎとって
転売するほうがローリスクハイリターン
だと書いてましたw


865:人間七七四年
09/01/25 14:29:26 fGimvA2E
>>824
おしえてください

866:人間七七四年
09/01/25 14:38:13 Faiaaqub
>>864
ありがとうございます
納得です、だから落ち武者狩りがほいほい行われていたのですね。
検索してみたところ、おあむ物語というお話のお歯黒を塗って首の価値を上げる(?)
アルバイトをしていた、という話が引っかかったので、雑兵の首にも元々ある程度の
価値があるように勝手に解釈してしまっていました。

867:人間七七四年
09/01/25 15:26:38 iSep2L+c
>>864
その辺のことは「七人の侍」でも少し描写されてたな。

868:中山幸盛 p1069-ipbfp203tokusinwcc.tokushima.ocn.ne.jp
09/01/25 18:22:32 g8uXP4e0
>>865
これかな?

【戦国の雷音】立花宗茂総合スレ【妻・誾千代】
URLリンク(unkar.jp)
281 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2006/11/12(日) 22:34:18 ID:NzG4s3T7
立花宗茂エピソード蔚山の戦い

1、小早川秀秋に救援に行くことを申し出たら「小勢の立花軍なら失敗しても
  問題ないからイってよし」と言われる。


869:中山幸盛 p1069-ipbfp203tokusinwcc.tokushima.ocn.ne.jp
09/01/25 18:37:33 g8uXP4e0
あとこれ

605 :人間七七四年[sage]:2007/10/03(水) 21:53:25 ID:LkmCXLYw
「立花は小勢故、全滅しても痛くない」と言ったのは史料によっては
宇喜多秀家という説がある。正直、この二人の接し方を見るとあまり面識の無い
小早川秀秋より発言の根拠がうかがえておもろい。
秀家が小者過ぎるw


870:人間七七四年
09/01/25 18:51:59 ZhOTr5w1
>>855,>>856
ありがとう。とても助かる。
そうか、根本的に間違ってたのか・・・もうチョイ刀とかにも範囲広げて調べてみる。
他にも何か情報知ってる人がいたらお願いしますm(_ _ )m


871:人間七七四年
09/01/25 20:46:48 526+Rizt
武芸者が耐えなければならない七難が
どういう内容かご存知の方、おられませんか?
前にどこかのサイトに載っていて、
野宿での暑さ寒さや飢えなんかが項目に上がっていたと思うのですが、
名称を忘れてしまったせいで見つけ出せなかったので・・・。
お願いします。

872:人間七七四年
09/01/26 00:35:25 z6QTEquH
>>869
ああ小早川救援だったのか
だからこんがらがってたのか
ありがとう

873:人間七七四年
09/01/26 07:04:54 59hs+iX5
そもそも立花と宇喜多の屋敷が隣接していて、家臣同士が揉めて戦に発展しそうになって
殺伐とした中で家臣が止めるのも平気で宗茂が単身で
宇喜多屋敷に出向いた豪胆な逸話とかあって、
その事件で世間が宇喜多の小物ぶりを嘲笑したので秀家は恥をかかされたと感じて
朝鮮で宗茂相手に嫌みなことをやっていたってのがあるよな。
宗茂は小早川隆景騎下だったし、小早川秀包と義兄弟になったりしたのも同じ大老だから宇喜多からいろいろ自分を守ってもらう為かもね。

874:人間七七四年
09/01/26 09:42:41 cEFyWTAh
>>545-546
茶吹いたwww

875:人間七七四年
09/01/26 10:22:39 fGH5W/Lu
秀家が言ってた史料みつけた

続々群書類従(第3巻)立斎旧聞記巻ノ下より
「秀家重テ宜フハ、何ハトモアレ立花向ハレ可然候、立花ハ三千ニ足ラヌ大将ナレバ、仕損ジテ討ル、トモ不レ惜ト宜ヘバ」

秀秋が言ってたっていう史料かソースってどっかにあんの?

876:人間七七四年
09/01/26 15:52:19 z6QTEquH
ごめんなんで秀秋って思ったか記憶を思い出してみたら
たぶん遠い昔読んだコミックの日本の歴史かなんかで加藤清正が(たぶん)宗茂に
感謝してたのを思い出した
そん時に秀秋だか秀家に上記の発言があった気がする
違ってたらごめん

877:人間七七四年
09/01/27 11:56:25 QnONCLvD
山本勘助の目ってどっちが見えないの?

878:人間七七四年
09/01/27 13:25:51 CnuaNmgg
>>877
そもそも少し前までは実在したかどうかはっきりしなかった武将。
隻眼というのも江戸時代以降作られたキャラの可能性が高い。
現在見ることのできる彼の肖像は全て創作と言っていいから右のも左のもある。

879:人間七七四年
09/01/28 01:27:08 UfMm6iD/
今でも実在は疑われてるだろ>山本勘助
甲陽軍鑑にあるような人物が実在したかがね

880:人間七七四年
09/01/28 01:48:02 OnVUMfNk
>>879
平山優の山本勘助読んでおくといいよ。

881:人間七七四年
09/01/28 02:29:24 UfMm6iD/
>>880
平山優の山本勘助読んだ事あるけど何なの?
本書でも甲陽軍鑑にある山本勘助の存在は否定してるのだけど


882:人間七七四年
09/01/28 09:59:35 BwxWCNp6
一級史料の高白斎記に名があり、当時のものと認められた市川文書で
重臣格の存在だとほぼ証明されたのに、まだ「実在が疑わしい」とまで
言う人の考えが理解できない。

甲陽軍鑑はウソばっかり書いてあるぞ!って怒ったって、そんなもの
実在したかしないかっていう課題には何の関係もないじゃない。
だいたい大げさに飾られているって言う点じゃ近年の信長や正宗を
誇大宣伝したものの方が桁違いに多いだろ。だからといって
「漫画に描かれているような人物が実在したかね」
「本書でも池上遼一の漫画にある信長の存在は否定している」
って言い出すやつは馬鹿でしょ。

かと思えば「山県昌景の従卒」なんていう与太話をいつまでも吹聴して
いたりと間抜けなことをしている人も多いけど、そんな与太話や民間の
講談を比較対照に持ってくる必要ないでしょ。ただ信用できる史料だけを
虚心に眺めれば、重臣格の山本勘助ってのがいたらしい、でいいじゃない。

梁田正綱の特務機関なんていうホラ話よりはずっと信憑性のある人間でしょ。

883:人間七七四年
09/01/28 10:02:27 7Wg3Htcu
>>882
名前と活躍とは、また別でしょ?
実在する人物に、架空の存在を仮託するのはよくあることだし。

884:人間七七四年
09/01/28 10:07:18 arMZhHCu
実は当時の呼称で言う所の「軍師(占い師)」だったら
地位とか権限とか無視して信玄に取り入れそうな気がしないでもない
香坂ならそれを見れる立場にはあったはず


とかいつかそんな資料が出てこないかなあ

885:人間七七四年
09/01/28 10:11:28 BwxWCNp6
ただ甲陽軍鑑に描かれた隻眼の重臣山本晴幸っていうキャラを信用する
必要はない、っていうのは大前提の話だけどね。
まあ甲陽軍鑑でも軍師だなどとは書かれてはいないし、川中島の啄木鳥
戦法を提案したとも書かれてないんだけど。

ただ甲陽軍鑑の中で、「隻眼の老臣」というキャラが書かれているパートが
江戸期に入ってからのフィクションではなく、同時代に近い時期にリアル
タイムに記録されたものだったという証明がなされたら、勝頼時代になぜ
このような人物を描いたのか、という意図は研究対象として面白いと思う。
「子孫が先祖を偉く書いた」というだけでは済まされない事情や情熱がそこに
あるのは疑えないから。


886:人間七七四年
09/01/28 22:23:06 sfwRk4Lb
>>864

鎧ってモノによっては出来るまで一年以上かかるようなものがあり結構手間がかかるらしく其の分高価とか。農民が落ち武者狩りや
鎧を剥いで売るというのに熱心な所を見ると、そういう中古品ビジネスが成り立ってるのだろう。

887:人間七七四年
09/01/28 22:52:45 UfMm6iD/
市川文書で重臣格の存在だとほぼ証明されrたなんて初耳なんですけど?

888:人間七七四年
09/01/28 23:53:56 qDZJavBv
戦場でうんことかしたくなったらどうするんですか?
あれは意思では止められないし
明らかにしりだしてしゃがんでる時点で無防備だしやりだしたらすぐには止まらないし
槍とかは手から離すだろうし甲冑だってしり出してたらすぐにはきれないだろうし
敵が来たら抵抗できなくないですか?
「ちょっと待つでござる!!武士の情けでござる!!!」とか必死になって叫んだりしてたのですか?


889:人間七七四年
09/01/29 00:44:48 xd3vh/0B
甲冑・袴に関して。
まず甲冑はスカート上で直接股間をガードするものはない。
これは騎乗する際にも邪魔になるから。
袴に関しては縫い閉じられておらず、
つまりズボンの右足と左足の部分がくっ付いていないと考えればわかりやすいかな。
社会の窓の巨大版って事。
そして当時の褌は越中褌ではなく、「へうげもの」で古田織部がしているような首からたらす褌で、
首の糸をちょちょいとずらすとケツのアナもちょちょいとずれる。
褌・袴・甲冑、全てをつけていても容易に用をたせる構造になっているわけです。

890:人間七七四年
09/01/29 01:39:23 JJaBphaA
>>889
横から質問申し訳ないのですが、へうげものに出ているような首からかける
褌ってなんていう名前なのでしょうか?

891:人間七七四年
09/01/29 01:44:15 VQmyHEhd
>>882
>一級史料の高白斎記に名があり、当時のものと認められた市川文書で
>重臣格の存在だとほぼ証明されたのに、まだ「実在が疑わしい」とまで
>言う人の考えが理解できない。
「高白斎記」の該当部分は江戸時代の挿入文の可能性を疑われている。
「市河文書」は年代が不明。一般には弘治三年とされているが、永禄中期説もある。
永禄中期なら勘助死後だから菅助≠勘助となる。
勘助の実在についてはまだ立証されてないよ。
菅助=勘助であるならば、という推論で書かれている本がほとんど。
勘助の実在が証明されるには、勘助自身の発給文書の発見や
一次史料における勘助関連の文章で江戸時代以降に加筆された可能性が無いことの立証が必要。

伊那毎日新聞に載ってた1556年の下知状の調査はどうなってるんだろうな。

892:人間七七四年
09/01/29 09:26:29 hDkDG3Sx
永禄中期説は初耳だ。どなたかどのようにとなえているの?

893:人間七七四年
09/01/29 23:33:51 eB1nxhwS
>永禄中期なら勘助死後だから菅助≠勘助となる。

他に資料がないのになんで「勘助死後」って特定できるの?
どんな一級史料に「山本勘助は永禄以前に死亡が確認されている」
なんて物凄い大発見が記されてたの?

894:人間七七四年
09/01/29 23:52:30 D/WvK/PI
勘助が死んだとされる川中島の戦いは永禄4年で、永禄は13年まであったのだから永禄年間を3つに分けた真ん中の時期というのなら既に死んでいるとは言えるけどな。

895:人間七七四年
09/01/30 00:26:33 JukF2NQ9
だから川中島第四回合戦で山本勘助が死んだっていう一級史料がどこにあるの?
っていう話で。

勘助全否定論者が、自分で否定している甲陽軍鑑とかを根拠にして他の史料を
否定しているっていう図は、端から見てると目がテン状態なのよ。

896:人間七七四年
09/01/30 00:35:18 PlHOXf8F
そんな事言い出したら、従来言われてる山本勘助の存在を根幹である甲陽軍鑑抜きにしろとなるけどいいのか?
それに死期の違いは甲陽軍鑑にある山本勘助という人物と大きく矛盾すると言う意味なのに、
それで甲陽軍鑑を持ち出すなと言われてもハァ?なんだけど

こっちが目がテン状態だわ

897:人間七七四年
09/01/30 01:01:43 XRG07mi1
子孫を名乗る人間がいるから存在はしたんだろうね。
信玄は譜代以外の人材登用を積極的にやっていたようだし。
ただ実績となると

898:人間七七四年
09/01/30 04:08:14 F3y3w4JQ
誰か俺のうんこの質問に答えてください
真面目な疑問なんです

899:人間七七四年
09/01/30 04:18:15 g3CDCyLn
戦国乱世において階級や立場は同じとする場合、藤原系と源氏系の武将、どちらが政治力がありますか?

900:人間七七四年
09/01/30 04:41:14 F3y3w4JQ
それは本人の能力次第だと思いますよ
立場が同じなんですから
それにほら戦国ぐらいになると源氏とかそういうの胡散臭いのも結構出てますし・・・

901:人間七七四年
09/01/30 05:44:05 W/WYX2wI
源平藤橘

902:人間七七四年
09/01/30 09:57:00 IemQh3C/
そもそも「戦国期における政治力」という漠然とした表現では議論が成り立ち難いね。
「中央政権」というのが有名無実だった足利幕府だったり、権威に無頓着だった信長
だったり、地方は群雄割拠だったり、と。
政治力を行使すべき勢力が無数にあって、その上時期によっても全く事情が異なる。

903:人間七七四年
09/01/30 17:17:16 bCutkXgV
>>902
しかも、有名無実と巷間言われる割に、里見氏などは小田原合戦の直前期に
小弓公方を奉じていたりするし、信長も義昭を追放した当初は、義尋を
擁立を考えていたりするし、結構複雑なんだよね。

904:人間七七四年
09/01/30 20:02:16 gnGiVQP0
天正十三年(1585)に北条氏直の近習・田村千代丸をはじめとする四人の若侍が
連続的に切腹自害して果てたという事件があったと聞きました。
おそらく『北条五代記』あたりに記載されているのでしょうが、
その詳しい理由や経緯、また自刃した他の三名の氏名などを教えて頂けませんか。
お願いします。

905:人間七七四年
09/01/30 20:56:16 JukF2NQ9
>そんな事言い出したら、従来言われてる山本勘助の存在を根幹である甲陽軍鑑抜きにしろとなるけどいいのか?
>それに死期の違いは甲陽軍鑑にある山本勘助という人物と大きく矛盾すると言う意味なのに、
>それで甲陽軍鑑を持ち出すなと言われてもハァ?なんだけど

だからこのスレの誰が甲陽軍鑑なんかを元にした話をしてるんだよ?
高白斉記の信憑性や市川文書の時期などを論ずるのはいいとして、
軍鑑の片目の軍師の話なんか割り込ませた奴はいないだろ。
それこそ信長公記の記述を論じてるのに「池上遼一のマンガをを持ち出すなと
言われてもハァ?なんだけど」って言ってくる奴がいたらそりゃ目がテンだろ。

オレは甲陽軍鑑は三河物語と同じ年寄りの愚痴と思ってそれなりに評価してる
つもりだけど、勘助が実在していたかどうかの話をするのに軍鑑なんかを
持ちだしてきたら、今ならただのアホだろ。

まさか山本勘助実在不在を論じるのに本気の本気で甲陽軍鑑を持ち出していた
奴がこの世にいるとは思わなかった。まあいいか。

906:人間七七四年
09/01/30 22:10:38 EML0uLfA
>>904
当てがあるんなら、まず自分で調べろよ。
北条五代記を調べて載ってなかったらまた聞きにくればいい。

907:人間七七四年
09/01/30 23:56:18 lnbQn21W
江戸時代は城で刃傷沙汰あったけど秀吉の大坂城のときってそういうのなかったんですか?
近いとこは怨恨とかすごそうだけど

908:人間七七四年
09/01/31 03:23:29 yguh+1dL
>>905
高白斎記の記述なんて後世、江戸期の付けたしなんだが?
それ以外は市河文書でしか存在が確認されてない

どういう話か>>877-883、>>885>>887>>891-897を読み返してみろ
特に877-883をな
つかお前、>>882だろ、同じ馬鹿な例えしてるし、勝手に重臣にしてるし


909:人間七七四年
09/01/31 16:43:18 PLcFk1jn
>>908
905は882批判派じゃねーのか?w

910:人間七七四年
09/01/31 21:07:20 raeIsDAj
市川文書を信じたら重臣と認めたことになっちゃわないか?
「猶、○○口上可有候」っていう扱いは駒井・飯富・馬場・甘利(昌)とかと
ほぼ同格っていうことになっちゃうんだろうし。

あとは「大猷院殿御実記」にある山本正重の記述の信憑性かね。
「勘助の孫だ」っていう主張がいつごろのものなのか。




911:人間七七四年
09/01/31 22:19:09 TwR5F5HB
>>907
二行目がよくわからないが
慶長20年に大野治長が刺客に襲われたという事件ならあった
つーか落城の時には刃傷とかそんなもんじゃ言い尽くせない光景がそこかしこで
あったと思うんだが...

912:人間七七四年
09/01/31 22:40:12 Bb/B0WuF
>>911
いや今まですごい血眼で長年領土争ってた隣同士がいきなりもう戦うなよって言われて
城で出くわしたらすごい刃傷事件とかおきないのかと思って
赤穂の浅野よりも恨みとかふかそうだしと思った

913:人間七七四年
09/02/01 12:01:46 wW/3avJJ
>>907,>>912
詳しくは知らないけど、宴会の時口論から刀振り回す騒ぎが結構あったって聞いた。
で、そんな時曽呂利新左衛門が小話をして座をおさめたとか。

914:人間七七四年
09/02/01 19:05:25 ZycqGKsV
意味は無いといいつつも色々な歴史のifが語られていますが、
浅井長政が信長と朝倉を天秤にかけて信長を取る、
裏切らないというのはあんまり聞いたことがありません。
もしあの時点で長政が家臣団を押さえ信長を裏切らずに天下統一事業を一緒に進めていたら、
歴史とどのように変わっていたでしょうか。

915:人間七七四年
09/02/01 21:53:42 6QuqgJDT
>>914
 どういう勢力図になったか、よりもまず長政と市の娘の存在が気にかかるね。
 秀頼もおそらく、というかほぼ確実に存在しなかったことになるし。

916:人間七七四年
09/02/02 01:20:01 I7Q9v74n
>>914
そのifはよく見かける気がするなー。

917:人間七七四年
09/02/02 03:24:31 T1qJ01vF
戦国時代に一般庶民は観光旅行とかできたの?

918:人間七七四年
09/02/02 04:37:43 5rxbt4MD
大河ドラマで山内一豊が土佐もらって大喜びしてるけど
掛川と土佐って言われたら、普通掛川のほうが良いんじゃ?

919:人間七七四年
09/02/02 09:54:38 VaGbpKVD
>>917
東北の小大名が伊勢神宮に農民達を連れて参拝してる。
>>918
掛川1城より土佐1国の方が石高を含めて良いだろう。
四国は船運が発達してるから土佐と言えども京大坂にも近く不便ではない。

920:人間七七四年
09/02/02 10:12:43 N6UezSU1
>>919
でも太閤検地で9万石ですよね
普通はもらったら大して増えてないしあんなとこかよ・・・
って思いそう
長曾加部のことも懸念あるだろうし
佐々みたいに統治みすって没収ってことも考えたろうし


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