【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】at SENGOKU
【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】 - 暇つぶし2ch398:人間七七四年
08/09/04 11:07:54 1NHg0sgh
質問です
陶晴賢は次男らしいのですが、
ある本やサイトでは兄の名は興昌で戦死、
また、別の本やサイトでは兄の名は義清で父の興房によって毒殺、
というように名前も死因も全く違うのです
ここまで違うと同じ人物とは考えにくいし、かといって晴賢が三男だったという記述も見当たらず、
どっちが正しいのか気になっています

399:人間七七四年
08/09/04 19:30:41 SCy1vu4g
あの…、ここで聞いても良いのかと思いましたが、質問というよりは相談です。
場違いでしたら申し訳ございません。

本題に移りますが、最近になって戦国時代に興味を持ちました。
ですが、元々日本の歴史に疎い私ではまず何から学べば良いのか分からず困っています。
何かおススメの書籍等ありましたらお教えいただけると助かります。

どうか宜しくお願いします。

400:人間七七四年
08/09/04 20:17:05 IwO4y0pE
>>399
何がきっかけでもしくは戦国時代の何に興味持ったの?
それに関することから本読むなりググるなりして調べていけば?

401:人間七七四年
08/09/04 20:51:28 SCy1vu4g
きっかけは地元の熊本城に行ったときが最初です。
無知であるがために加藤清正という人物自体を知らなかった自分には衝撃でした。
その後、新渡戸稲造の「武士道」を読み感銘を受け更に興味を持ちました。
「もっと彼ら戦国武将について知りたい」と純粋に思いました。
自分は現在高校生ですが、周りに戦国時代に詳しい友人がいなかったのでこちらで聞かせていただきました。

関することからということは、やはり加藤清正ですか?彼は全国でどの程度の知名度なのでしょうか?
それとも織田信長のような有名人物から知るほうが良いのでしょうか…

402:人間七七四年
08/09/04 21:16:08 6PKkhzKZ
新渡戸の武士道と、戦国時代の武士の考え方はというか、
戦国以前の武士と江戸以降の侍は別の存在。
結構ギャップがあることに付いてはまず、知っておいたほうがいい。

で、清正が好きなら清正を中心にして、
秀吉政権や後釜に座った細川、あるいは九州の在地勢力なんかから調べ始めればいいと思うよ。

403:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/04 22:09:33 P8/bqfY0
>加藤清正の知名度
漫画もでてるし虎刈りで有名なので、多分歴史をかじっている人なら誰でも知ってると思う
こんなのもあるし
URLリンク(item.rakuten.co.jp)

参考になるかも?
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

404:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/04 22:16:26 P8/bqfY0
歴史をかじっている人なら誰でも×
一般人でも○

405:人間七七四年
08/09/04 22:30:49 eCmM0t6e
高校生ぐらいでしたら、別に史実の細かで地味な事跡とか追いかけなくても、
講談などにあるような血沸き肉踊る物語から入るほうが有効だと思うので、
まずは小説やゲーム、漫画みたいな軽い所から入ってもいいんじゃないかと思う。
とりあえずwikipedia(URLリンク(ja.wikipedia.org))で好きな項目を適当に調べたりしてはどうかな。
加藤清正はなかなか魅力的な武将ですよ。

406:人間七七四年
08/09/04 23:08:23 SCy1vu4g
皆様、貴重なご意見感謝します。
清正は人気があるみたいで誇らしく思います。
先ずは最初なので、やはり基礎知識をつけれるような、割と簡単な本を探してみることにします。
そして少しずつレベルを上げていければと思っています。

本当に貴重なご意見ありがとうございました。

407:人間七七四年
08/09/05 00:05:40 +D0IGOBQ
講談と史実の見極めが大事だよ

408:人間七七四年
08/09/05 04:19:33 GJaR7XWZ
>>407
十代にそれを教えなくてもいいんでね。お前らみたいに自分で悟ると思うよ。
高校生の割りに賢そうだし。

409:人間七七四年
08/09/05 12:01:44 /D2kfXQX
>>395
地道に本屋に(コンビにでもいいよ)足を運ぶんだね。
それしかないと思うんだけどな。
で、今日「戦国合戦・敗者達の言い分」というのを買ってきた。
通説と史実を比較して合戦を敗者の立場で解説している。

410:人間七七四年
08/09/12 10:46:13 F2PBbMCg
早世や病弱等、最初から担ぐ人がいないのは除いた上で、
家督争いで兄と弟が戦って、弟が勝った例はありますか?


411:人間七七四年
08/09/12 14:41:48 qveS+LyW
謙信

412:人間七七四年
08/09/12 14:44:09 WQ2m7aNk
有名な例は今川義元かな
それとちょっと違うけれど、長尾景虎

413:人間七七四年
08/09/12 15:54:06 F2PBbMCg
>>411-412
ありがとうございます
こんな有名な武将がそうだったなんて全然知りませんでした

414:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/13 16:01:48 S3f5fthY
土岐頼芸も

415:人間七七四年
08/09/13 20:06:48 bHMB1MEW
丹羽「五郎左」長秀 

柴田「修理」勝家

とかの「」みたいなとこの名前?ってなんですか?

416:人間七七四年
08/09/13 21:30:02 kTYnol1X
>415
「五郎左」はあざな
「修理」は官名の修理亮
柴田勝家の「あざな」は権六または権六郎

ドラマでは信長様などと呼んでいるが
親しい間では「あざな」、公では官名で呼ぶのが普通。

417:人間七七四年
08/09/13 23:45:14 aeHJ86EZ
現代で上司に向かって名前+さんで呼ぶことが無いのと一緒だよな。
大抵は苗字+役職名、或いは役職名で呼ぶように、当時も上司は官職名などで呼ぶ。

418:人間七七四年
08/09/14 09:10:56 gq09TgiD
猿とか犬ってのは例外だよねぇ

419:人間七七四年
08/09/15 23:55:13 /c9bFgfx
犬は幼名“犬千代”からだから、幼なじみ同士であったかも。

猿は小説だけだろう
あだ名っぽいのは“禿げ鼠”だけど 多分無し。
秀吉はやっぱり藤吉郎でしょう。

420:人間七七四年
08/09/16 00:05:44 Tjtq05ot
武士の名前は、本姓・苗字・官途・通称・本名で構成されるからね。

北条氏康なら、
平(本姓、姓)・北条(苗字、名字)・左京大夫(官途、官名)・新九郎(通称、仮名、通名)・氏康(本名、実名、諱)

官途はない人もあるし、時期によって異なる場合もある。
通名は一族の地位を示す場合が多く、嫡男は代々同じ通名を使うことがある。
実名は一字拝領や偏諱で主君に名前を一文字もらって変更することがある。

421:人間七七四年
08/09/16 00:09:13 wSZa8k2W
柴田勝家は、
源(違うかも?)・柴田・修理亮・権六郎・勝家
丹羽長秀は、
源(違うかも?)・丹羽・越前守・五郎左衛門尉・長秀
かな。

422:人間七七四年
08/09/16 00:13:32 wSZa8k2W
官途や通名は一部分を略されることがある。
例えば、「修理亮」を「修理」と記すことはざらに見られる。
「権六郎」も「権六」や「六郎」と短縮されることも少なくない。

だから文書集やぐーぐるで「芹沢弥五郎」の関連のものを探すときは、
「芹沢五郎」と書かれているものが目に入ったらそれも弥五郎のものだと思って注目しないといけない。

423:人間七七四年
08/09/16 00:18:59 9tfTwIBj
立花宗茂も何度となく諱を変えているしな

>>422
羽柴三左衛門(池田輝政)→羽三左
本多上野介(本多正純)→ 本上野

のような略し方も多いよな


424:人間七七四年
08/09/16 02:17:26 s1vGCDVy
あと官職名は唐の制度に当てはめて言うこともあるよな。
黄門とか内府とか金呉とか相国とか

425:人間七七四年
08/09/16 02:19:20 7Wqt2z4v
官位(国名でも使うけど)の略し方なら、
伊豆守→豆州 伊予守→予州 みたいなのもあるね。
丹州とか野州とかになると、どっちやねんって話になりそうだけど。

426:人間七七四年
08/09/16 15:51:56 mjBK0uIx
丹州は知らんが、野州は下野が
上州(上野)に対して下州と呼ばれるのがイヤでそう略すと聞いたな

427:人間七七四年
08/09/17 00:20:28 wMHkqOhY
各年代における大名の勢力図がなるべく詳しく書かれた本ってないでしょうか?


428:人間七七四年
08/09/17 01:46:50 au/rQVs3
学研系の本をあさってみれ。

429:人間七七四年
08/09/17 14:30:48 Mi14N+E3
>>427
太閤立志伝の攻略本に、1549、1560、1568、1575、1582、1598年で
詳しく書いてアルヨ(笑

430:人間七七四年
08/09/17 18:55:41 wMHkqOhY
>>428
学研系の本ですか?
今度調べてみます

431:人間七七四年
08/09/18 18:26:11 PiYlMwDz
小早川秀包の誤読ってある?

432:人間七七四年
08/09/22 01:46:38 oIFDSHvA
質問をさせてください。

1."御館の乱"は、なんと読むのでしょうか?
2."御館の乱"で武田家が北条家を裏切りますが、名目はなんでしょうか?
  いくらなんでも、金をもらったから裏切りましたでは示しがつかないので
  それなりの名目はあったと思いますが、調べても見つかりません。

433:人間七七四年
08/09/22 02:50:50 4YRUBBHI
>>432
それぐらいの疑問に対する返答ならwikipediaにのってるよ

434:人間七七四年
08/09/22 14:10:13 yITZo+vN
>>432
出兵した隙に家康に攻められた。
それに対抗するために戻りたかっただろうし、
長篠で負けたあとだから金も不足していたので、
金をくれて一時休戦できるとなれば勝頼にはうれしいことじゃないか。



435:人間七七四年
08/09/22 15:50:05 Tn5Wvnsw
穴山梅雪が信長に送った20億円には遠いが、10億円は魅力だ。
それで、いい話か悪い話か分からないが、謙信が死んだ時、春日山城の金蔵には、
27億円相当の金銀があったそうだ。
義の将・謙信にしてはかなり溜め込んだと思うね。

436:人間七七四年
08/09/22 21:44:02 n8XDeNoe
>>432
軍事力背景に調停して、景勝・景虎双方に恩を売れたし、お土産もらったし帰るかー、って感じかと。

勝頼の何が問題かというと、その和睦が片手落ちで景勝に良い様に利用されてしまったこと。
また北条からみれば援軍を頼んだのであって、片手落ちの和睦なんて頼んでない訳で。

強かなのはいいんだが、外交能力が伴わないのが不味かった。

437:人間七七四年
08/09/22 22:47:50 Z2NNPIs/
つか、景勝の外交が神懸かりすぎだな。
武田と北条の進攻を食い止めたばかりか、両者を離間させている。
これで南方からの驚異は回避できた。

438:人間七七四年
08/09/23 02:49:26 YXQhv8ZC
勝頼にしてみれば、北条と敵対するつもりなんてさらさらなかったろうになw
約束どおり軍は出したし、上杉の内乱も収めたし、めでたしめでたしだとか思ってそうだぜww

439:人間七七四年
08/09/23 12:23:19 GnJC92w3
影虎が氏康の子供でなかったらなあ・・・

440:人間七七四年
08/09/27 03:08:54 xc62ZoIZ
浅井久政の時代は南近江の六角氏に従属状態だったと聞きます。
では当時の浅井氏と朝倉氏の関係はどうだったんでしょうか?
浅井=朝倉ラインができたのは

六角氏に従属する前
従属しながら同盟
六角氏と手を切ったあと

どれ?

441:人間七七四年
08/09/27 12:42:43 5w6H9/Bv
現在復元された城とかは堀とか浅くてショボイけど
当時は水堀の深さはどれくらいあったのでしょうか?

442:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/27 14:27:24 /Ilvd0QE
>>440
浅井亮政の時には浅井氏と朝倉氏は縁があったので
「六角氏に従属する前」が正解になるのかな?

443:人間七七四年
08/09/27 15:18:43 oaS8MYcK
太閣蔵入地の代官に任命された者は豊臣家の家臣になるということなんですか?

444:人間七七四年
08/09/27 23:10:55 rkEZ1QJu
○○守とか○○太夫など官位は誰が与えるでしょうか?
戦国時代は大名はもちろん家臣の殆どがついているんですが…。

445:人間七七四年
08/09/28 00:11:25 dMAs1gU5
>>444
任命するのは天皇。
戦国時代のやつは「自称」が多いよ。
信長もはじめのうちはは「上総介」を名乗っていたが、これも自称だった。

446:人間七七四年
08/09/28 01:33:46 MVuS56m/
戦国時代に興味を持ったので一通りのことを勉強したいのですが、初心者に
オススメで間違いの無い入門書ってありますか?よろしくお願いします<(_ _)>

447:人間七七四年
08/09/28 02:11:15 h+KTAndT
当たり外れあるから図書館いっておもしろそうなの借りてくれば?
もしくはブックオフ100円コーナー漁りか

俺は
・司馬の功名が辻(ドラマ化されたので入りやすい)
・名将言行録(エピソードがある)
・戦国武将○○エピソード
(だいたいこんな感じのタイトルの武将エピソード本おもしろエピソードとか書いてあたりする)

ここらあたりか?
図書館コースからはじめたらいいと思うよ(タダですし)
自分にあいそうなの適当に選べ(w

448:人間七七四年
08/09/28 13:09:54 TMKlEIsr
よくある戦国とか三国志ものの漫画やドラマの軍議のシーンで
武将達が、駒とか地図を使って、合戦のシミュレーンをしているのを見ます。

ああいう合戦シミュレーション盤みたいなのって、実際に使っていたのですか?
あの合戦シミュレーション盤の正式名称とか、あれば教えてください。

449:人間七七四年
08/09/28 13:31:39 dMAs1gU5
>>448
盤もくそも、石と地図があれば戦略なんて説明できるじゃないか

450:人間七七四年
08/09/28 17:27:06 KJ7IOnTc
地図やら略図やらを用いるだけではなく、
立体模型でやった奴もいるらしいぜw

当事者の性格がもろに反映されて面白いぜ。

451:人間七七四年
08/09/29 19:31:23 W4KYBzsh
豊臣家にヘッドハンティングされた武将を教えてください

452:人間七七四年
08/09/29 20:15:23 errtkO7I
石川数正

453:人間七七四年
08/09/30 13:04:18 1ZEOGcPm
安国寺恵瓊は…微妙か

454:人間七七四年
08/10/05 19:06:54 H9SlsDGQ
竹中半兵衛

455:人間七七四年
08/10/06 19:04:51 ZKfJ8yZq
竹中半兵衛は秀吉の部下ではありません

456:人間七七四年
08/10/07 18:30:52 zR8RYs5s
>>451
近江衆とか清正とか正則とか

457:人間七七四年
08/10/08 20:13:57 9Qd6ASaw
関が原で豊臣200万石から60万石までおちたってよくいわれますが
領土の再分配は家康がやらせないでおく方法はなかったのですか?
ていうか堺・金銀山なんかまでなんでなくなったの?
西軍のは豊臣直轄地にするぜって言えなかったの?
秀頼の名の下で

458:人間七七四年
08/10/09 00:38:43 7SwSLS+E
>>446
漏的におススメ本は
・八幡和郎『戦国大名 県別国盗り物語』(PHP新書)
・黒田基樹『百姓から見た戦国大名』(ちくま新書)

あと講談社の日本の歴史シリーズ『一揆と戦国大名』『織豊政権と江戸幕府』はちょっと難しめだけど、理解が深まると思われ。

459:人間七七四年
08/10/09 01:45:22 ZrJKyjBL
>>446
横山光輝

460:人間七七四年
08/10/11 12:18:12 FqKJwoT/
>>457
そんなことしたら家康に攻撃されるに決まってるだろ
周りがもう家康を天下人だと認めてしまうような状況になったわけだし

461:人間七七四年
08/10/11 19:01:13 sFbqp9EH
>>460
関が原終了直後で?

462:人間七七四年
08/10/12 01:44:07 RXUZJ7In
質問です。
私の家系の家紋は武田信玄と同じ丸に四つ菱なのですが、
これは武田家の一門の流れなのでしょうか?
また同じ家紋の場合、本家、分家で家紋が区別されているのですか?
回答よろしくお願いします。

463:人間七七四年
08/10/12 04:22:35 Jj70H0/P
>>462
家紋云々以前に菩提寺にいって過去帳や江戸時代以前の墓に彫られてる家紋を見て来い。
菩提寺や墓が幕末~明治までしか遡れない場合は明治時代に家紋を設定しただけだから、
武田信玄とは無関係だと思っていい。
つか祖父母や親戚から明治以前の話を聞いたことがないなら十中八九元百姓。
広島の北部なんて「一文字に三つ星」(毛利家の家紋)の家紋の入った墓がそこらじゅうにある。

本家と分家で家紋が違うというのはよくあるが(葉の数が違うとか、上下左右が逆とか)、
「丸に四つ菱」など「丸に~」系の家紋もいわゆる分家筋の家紋。

464:人間七七四年
08/10/12 06:41:37 EXpxDs3j
僕の名字は武田なんですが、武田氏の系譜なんでしょうか?
と同じレベルだな

465:人間七七四年
08/10/12 08:44:08 qIiEUXK7
すみません、最近歴史(戦国時代)が好きになったばかりの者なんですが・・・。
本能寺の変について、幾つか疑問点があるので、教えて下さい。

★1.信長は館に火をかけさせ自害したようですが、なんでこの事が後世に
    伝わっているのでしょうか?
→信長が自害するのを見ていた人物(Aとします)がいて、その人物Aが信長の最期を
 書物に書いたのでしょうか?
 だとしたら、Aは本能寺から脱出した事になりますよね。
 1万3000?もの明智軍に囲まれて、どうやって逃げたんでしょうか・・・。

★2.皆さん、本能寺の変の首謀者は誰だと思いまつか?

   イ.光秀の単独犯。
   ロ.朝廷(足利氏)
   ハ.秀吉
   ニ.その他の者

★3.信長の自害の方法について
  
  イ.切腹(介錯なし)
  ロ.切腹(介錯あり)
  ハ.自分で首切り
  ニ.その他

介錯ありのロの場合、介錯人は蘭丸なんでしょうか?


466:人間七七四年
08/10/12 09:06:42 wwRe/5IF
>>465
★1=記録に残されているのは信長公記。この著者が本能寺の変の時、
どこにいたかは知らんが、本能寺にいたわけではなさそうである。
たぶん近江辺りにたんじゃないか。この著作は彼が編纂した信長の一代記であり、
伝聞に拠るところや彼の想像に補われるところが多いようである。
きっと本能寺から逃亡に成功した女人の体験談などからこうだと考えて記録したのだろう。
★2&3=該当するスレッドをお使いください
 ■■■本能寺の変徹底考察スレ■■■
 スレリンク(sengoku板)

467:人間七七四年
08/10/12 11:48:41 qIiEUXK7
>>466
おお!
良く分かりました!
ありがとう。

468:人間七七四年
08/10/12 18:23:57 hDGo2L/m
何という自演

469:人間七七四年
08/10/12 22:17:25 BGxR8igN
岩井三四二さんの作品に近江国菅浦惣庄で起きた合戦を基にした小説があるのですが、
その中に日野裏松家の家人(雑掌)松平益親の名が見えるのですが、他の本には京極氏の家人も務めていたように
書かれているようです。
近江松平氏について詳しい方、恐れ入りますがご教授ください。三河と同族ということだけしかわかりません。

470:人間七七四年
08/10/13 09:06:21 wMnspnbc
>>469 近江松平氏については、確かに不明な点が多いよね。京極の雑掌だったのは事実だね。
もちろん、三河松平氏と同族だよ。つまり、家康の遠い親戚筋ということだな。

471:人間七七四年
08/10/13 11:20:37 vMBOVL1w
質問です。
室町から戦国時代の間に関してです。
身分の高い侍の子供はたいていお寺で教育されたようですが、
お姫様の教育を行う教育機関はなかったんでしょうか?
参考になる書籍でもあればお教えください。

472:人間七七四年
08/10/13 13:04:43 R84Rk5dY
お姫様は基本的に家からは出ないよ。
たま~に出る時は輿で行く。
身の回りの世話、読み書き、歌、古典の解説などを行なう女中が複数つく。


473:人間七七四年
08/10/13 13:44:05 vMBOVL1w
ふむふむ。
家宰を取り仕切るために必要な教養はすべてうちのなかにあるのですね。

474:人間七七四年
08/10/13 18:52:34 OxTbLMLQ
親子二代で有名な武将もいますが、親が優れていたけどこの子どもはてんでダメ、
というケースもあると思います。特に親と比較してダメな武将として
有名だった人っていえばどんな人がいますか?よければ教えてください。
政治の面や武功など、どんな方面でもよいのですが。

475:人間七七四年
08/10/13 19:09:26 LV6nA7hO
昌幸と信繁

476:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/10/13 20:54:41 uTuX8Ygc
織田信長と織田信雄

477:人間七七四年
08/10/13 22:02:24 dYdhRTDd
今川義元と氏真

478:人間七七四年
08/10/13 23:02:49 x75odK9v
>>463
詳しい回答ありがとうございます。
広島なので、他の墓にも同様の家紋がありました。

479:人間七七四年
08/10/13 23:24:46 lnlCbmnV
>>478
家紋で家系は辿れないよ。
使うにあたって誰の許可もいらないし、家伝が無いならただのあやかりです。

480:人間七七四年
08/10/13 23:33:58 x75odK9v
>>479
回答ありがとうございます。
家系図が昔あったみたいなのですが、原爆で駄目になりました。

481:人間七七四年
08/10/14 17:36:35 PUA7RwMe
家康以前は大体親が名を残すと、比較して子供はだめだな。
足利や徳川みたいに3代目が勝負のわかれどころか。

482:人間七七四年
08/10/15 08:31:05 R97cOZyP
評価は分かれるけど、徳川の三代目も十分ぼんくらだと部類だと思う。
家康と秀忠が一生懸命蓄財し、家綱以降の将軍幕閣達が必死に立て直そうと気張った幕府の赤字財政は、
家光一人で作ったといっても過言じゃない。

250年間の財を一人で使っていれば、そら派手に色々できるがな。

483:人間七七四年
08/10/15 12:05:27 aiHY28mz
財政に関しては難しいとこだけどね。
倹約して質素にすれば徳川の世が250年続いたか、というと
またそれは違う話だろうし。
生まれながらの将軍、というのが登場してそれが新時代の構築
という面でプラス面に働いた、というのがおもろいとこかな。
ま、家光はボンクラでその家臣たちがすべて支えた、とはよく聞くけど。

484:人間七七四年
08/10/15 22:37:51 sGHYYgfj
質問です。
南光坊天海は明智光秀・秀満なのですか?

485:人間七七四年
08/10/15 22:42:21 Fs6YPnNI
外様大名や譜代大名から幕府は税金を取ってたんでしょうか?
室町幕府のように段別銭とか徴収した?

486:人間七七四年
08/10/15 23:57:02 phggOHD9
戦国時代に殺人罪はあったの?

487:人間七七四年
08/10/16 01:55:05 BZpVj76M
>>484
それを立証するのは不可能です。

>>485
そういえば吉宗が参勤交代を軽減する代わりに諸大名から金を巻き上げていましたね。

>>486
あります。戦国時代といえど人を殺して許されるのは戦場だけ。

488:人間七七四年
08/10/16 14:03:16 cExroWy9
>>484
ほんとにそうなら、光秀は136歳まで生きたということになる。
う~ん、アリエナイ・・・・・・・・

489:486
08/10/16 14:20:52 SN0MILNu
>>487 殿様は治外法権ということですか?
また、例えば利家が捨阿弥を殺した際は出仕停止処分というように
現代よりは罪の雰囲気は軽かったのでしょうか?

490:人間七七四年
08/10/16 15:17:17 cb96jviZ
>>478>>480 広島で武田っていうと、あながち「あやかり」ではなさそうかもね。
武田山は、甲斐源氏の武田氏の本拠銀山城だったわけだし。たしか呉の某私立高校は経営者が
周防(安芸)武田と関係ありそうじゃん。

491:人間七七四年
08/10/16 15:57:40 0x/cIik+
太閤検知で日向一国でどのくらいの石高があったのでしょうか?

492:人間七七四年
08/10/16 17:15:48 E3RUt/29
>>490
回答ありがとうございます!

493:人間七七四年
08/10/16 22:03:21 rczjjl0N
>>489
利家の場合は勝家とかが信長に説得したから死罪をまぬがれたと聞いたことがあるような
あと、信長なんかはかなり厳しい軍律をしいてたらしい
窃盗なんかしたら余裕で死罪

494:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/10/16 23:52:34 5Ega1+fc
>>491
120,087


495:人間七七四年
08/10/17 02:16:35 uSHtYz8Y
>>490
いやいくらでもあるよ。
山梨に行けば菱紋だらけだよ。

496:人間七七四年
08/10/17 14:04:28 zSsbiq/R
チョンマゲって何時まで結いっぱなしなの?

497:人間七七四年
08/10/17 14:22:08 xG44PoLz
甲を被るか、出家するまで。

498:人間七七四年
08/10/17 14:24:19 GfOrXohR
豊臣秀吉は筆が上手て本当ですか?

499:人間七七四年
08/10/17 14:39:47 cgFFH17R
佐竹義宣が国宗の切っ先を落として脇差にしたら義重に嘆かれたのに対し、
本多忠勝が蜻蛉切の柄を短くしたことは何も言われていないのはなぜなんでしょうか?


500:人間七七四年
08/10/17 22:39:05 yiA0usC9
>>494
それは諸県郡(日向国内の島津領)だけの石高

501:人間七七四年
08/10/17 22:47:34 27eZJnWx
オールスター軍団で臨みながら李舜臣一人の活躍によって
敗れた戦国武将たちになぜそこまで魅力を感じるのか?
戦国ファンの皆さんに聞きたい

502:人間七七四年
08/10/17 22:58:27 xG44PoLz
>>498
どういった書を上手いと呼ぶかによると思う。
個人的見解としては小学生の様な基礎ができていない下手くその典型、
TVで好意的評価する人が言うには自由闊達で型にはまらないのが魅力的。

503:人間七七四年
08/10/17 23:39:49 GfOrXohR
>>502
詳しい回答ありがとうございます!

504:人間七七四年
08/10/18 00:27:05 MyxcUsyq
>>491
秀吉九州平定後の知行割り
国・郡・禄高・大名・旧領地
日向臼杵/宮崎 5万石 高橋元種(県) 豊前香春
日向那珂 2万8千6百石 島津豊久(佐土原) 所領安堵
日向那珂 3万6千石 伊東祐兵(飫肥) 日向宮崎
日向児湯 3万石 秋月種長(高鍋) 筑前秋月
日向諸県>>50012万石 島津義弘
合計23万4千6百石といった処でしょう
諸県郡は隣国にまたがっているのでその分は差引きになるかも。
某資料にて太閤検地日向一国>>49412万87石、さらに17万石とも。


505:人間七七四年
08/10/18 15:22:22 rMxwbTsy
>>499
国宗は大名の差料としても最上級。長刀を脇差にするのはいかにももったいないからだろう?
本多忠勝が蜻蛉切の柄を短くしたのは晩年。
さすがに往年の力は無くなり、使いやすいように短くした、というのを読んだことがある。
刃の部分はそのままだから、価値にあまり変わりはないように思うが・・・・

506:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/10/18 23:09:52 iVd//8F5
>>500
>>504
すまんかった

507:人間七七四年
08/10/20 21:51:07 F3PITGVB
素朴な疑問なのですが、
戦国時代の沖縄はどの大名が統治していたのでしょうか?

508:人間七七四年
08/10/20 22:37:32 9Uq+ueAJ
大名なんていない
琉球の王が支配していた

509:人間七七四年
08/10/20 22:44:30 F3PITGVB
>>508
ずっと大名が統治してたと思ってました。

回答ありがとうございます!



510:質問です
08/10/22 23:11:34 GJzwkIMD
テレビゲームによる元親の人気について、どう思われますか?
わたしは問題意識を感じるのですが…

511:人間七七四年
08/10/22 23:50:43 GYstk5vD
>>510
特に感想はない。
似たような前例は多数ある。

君がどのように問題意識を持つのかが不明だが、
多分生理的に合わない人が土足で君の趣味の領域に踏み込むのが不愉快なんだろう。
もしそうなら連中を制止するのは不可能だから、
対策としては、自らが確かな知識と発言力を身につけることしかない。
そうする事でネットや出版界に自分の考えを発信して、
にわか連中を牽制したり、誘導していく。

512:質問です
08/10/22 23:55:01 GJzwkIMD
>>511
ありがとうございます。
<m(__)m>
知識をもっとつけて、自分の考えを発信していきたいと思います。

513:人間七七四年
08/10/24 11:15:54 Oiq+Q+uW
ミラオタみたいに史跡を荒らして歩くのは論外

514:人間七七四年
08/10/24 21:44:25 +X6B754z
対馬が韓国固有の領土なら
対馬を拠点にしていた倭寇はチョン寇じゃないのか

515:人間七七四年
08/10/25 16:58:07 ouEI4Spq
安土城に登って、生じた疑問なんですが、秀吉たちも自分の屋敷から大殿に
会いに行くにはあの石段をてくてく登ったんでしょうか
乗馬したままとかだと無理ですよね
途中で心臓麻痺を起こした家来などもいたんじゃないでしょうか

516:人間七七四年
08/10/25 18:24:37 mbvNnfY7
>>515
寺の方を回るのが本道という説があり、あっちはまだ傾斜が緩い

517:人間七七四年
08/10/25 22:02:13 N0sUBvdx
筑後の国人・西牟田氏について知りたいです。

URLリンク(members2.jcom.home.ne.jp)
西牟田鎮豊
西牟田家周
西牟田統賢
西牟田親家
西牟田家知

彼らの生没年を知るヒントになる事績、もしくは生没年に関する資料はありますでしょうか?
あれば教えて下さい。
(~の合戦で討ち死に、とか何年に家督を譲った、的な事績をお願いします)

現在、統賢が沖田畷で戦死した事以外、よくわかりません。

また、この質問をするにあたって該当するようなスレはありますか?

518:人間七七四年
08/10/25 22:52:28 NBkO1BGW
手持の資料はこれだけ 間違っているかも

西牟田播磨守鎮豊 筑後國 三潴郡生津城主 舊西牟田城主 西牟田親氏ノ子
右近太夫 龍造寺ニ加勢シ戸原勢トノ河内城合戦ニ参陣ス 龍造寺幕下ニテ知行壱千町
西牟田伊豆守家周 西牟田鎮豊ノ弟 筑後三潴郡生津城主 龍造寺勢ノ攻略ニテ落城
城島城ェ落延ビル
西牟田紀伊守統賢 西牟田鎮豊ノ子 沖田畷合戰ニテ西牟田主従十七人全員奮戰ス
西牟田孫左衛門家親 西牟田統賢ノ長男 大友勢トノ生津城合戦ニテ落城
其後筑後城島城主 新介 筑後戸原勢トノ河内城合戰ニテ先陣
西牟田次郎兵衛家和 西牟田統賢ノニ男 大友勢トノ生津城合戦ニテ落城
西牟田但馬守 西牟田統賢ノ弟 沖田畷合戰ニテ奮戰ス
西牟田彈正忠 西牟田統賢ノ弟 沖田畷合戰ニテ奮戰ス


519:人間七七四年
08/10/26 00:19:00 iJgzqlm9
>>518
ありがとうございます。

沖田畷に一族の多くが参戦した事と
最終的に龍造寺に攻められて落ち延びた事以外は
個別の事跡はよくわかってないんですかね・・・

520:人間七七四年
08/10/26 15:17:27 XYLfQ1BS
なぜかかっこいいイメージがついている政宗ですが実際は方言・なまりとかひどかったんですか?

521:人間七七四年
08/10/26 15:42:15 kfP8PhSw
そりゃそうだろ

522:人間七七四年
08/10/26 16:26:23 giZFXYBG
最上だったか誰かは忘れたけど上洛したときは
馬鹿にされるとかでほとんど口をきかなかったらしいからな

523:人間七七四年
08/10/26 19:27:23 XYLfQ1BS
「そげなこといわれても、おらすらねぇだべさ~」
とかあったのか・・・

524:人間七七四年
08/10/26 19:34:29 1nkY0l00
東北人が都会に出て訛りが酷くて馬鹿にされるって構図は昭和初めくらいにもあったな
戦国時代からずっとそうだったのか…

525:人間七七四年
08/10/26 20:33:17 0nyo2v+/
侍言葉みたいなのは使ってなかったのかな「~でござる」みたいな奴
当時の一番カッコいい言葉はやはり京都弁ですか?

526:人間七七四年
08/10/26 21:55:25 4ebexxvs
ある程度の家なら教養として京言葉を習ってたとは聞いたけどなあ。

527:人間七七四年
08/10/26 22:25:17 KEcxyjzc
>>524
現代でもあるじゃん

528:人間七七四年
08/10/27 01:40:48 Iskp9D1a
池波正太郎さんの本(小説、というより真田信之を書いたエッセイ)で
大阪の陣の前、徳川家康の計らいで真田之村、信之二人は再会した、
という事が書いて在るのですが、これは本当の事なのでしょうか?

529:人間七七四年
08/10/27 10:17:22 GI+kb6hF
>>525 横レスすまんがそれ俺も気になる
大河とかでのような言葉はつかってなかったの!?

530:人間七七四年
08/10/27 16:24:00 /E5Y3272
>>519
龍造寺家臣団より抜粋したんだけど筑後衆は深く調べていないんですな。
必要性は感じるんですが

531:519
08/10/27 22:40:00 Q4l8k/+W
多分、該当するスレがないので再び質問。

・筑後・星野氏の一族について

1・「筑前戦国史」という本だったと思うのですが
その本に書かれていた記述で
島津勢が高橋紹運の守る岩屋城を攻めた、所謂「岩屋城の戦い」で
島津勢に属して「岩屋城攻防戦」で戦死した星野氏の一族として
「星野重種」「星野正重」なる人物がいるとあったのですが
この人物が同時代の星野氏の中でどういう続柄であったのか
わかりませんか?

「重種」は当時の当主・星野鎮胤(吉実)の別名の1つとしてあるようですが
彼は岩屋城攻めではなく、島津勢撤退後の籠城戦で死んだはずであり
別人かと思われ、(記述されていた本でも別項に籠城で死んだ吉実は出てくる)
「正重」については何も情報がありません。

2・1586年に高鳥居城に籠城し、立花勢に討ち取られた
星野吉実・吉兼兄弟の生年がわかりますでしょうか?
ハッキリわからなくても推定できるような事績があれば教えて下さい。

532:人間七七四年
08/10/28 00:14:07 +VptbYyu
>>531
このサイト見られましたか?

URLリンク(www2.harimaya.com)


533:人間七七四年
08/10/28 01:29:11 zxS6Ii26
>>532
当然の事ながら。
でも、そこの家系図には「重種」「正重」なる人物は出てこないので
誰かの別名なのか、直系でない庶流の人物なのか・・・

また吉実・吉兼兄弟の死没年はわかっても
この時に壮年であったのか、老年であったのか、若武者だったのか
推定できません。

534:人間七七四年
08/10/28 02:36:15 +VptbYyu
>>533
名を4~5回改名した武将もいるので
重種、正重もほかに名があったかも知れませんね。

天正八年の龍造寺幕下帳を見ると星野親忠が当主ですから
吉実は父、吉兼は小父と考えるとある程度の年齢はあったと思われます。


535:人間七七四年
08/10/28 04:10:10 gqC1FCTv
>>526
ありがとうございました。伊達家だと愛姫が京に行ってたから
政宗に京言葉教えてたりしたら面白いんだけどなあ…

536:人間七七四年
08/10/28 09:33:30 qMN2pUif
政宗の教育係ともいえる虎哉和尚は中央にもいた教養人だから、
家族に教えてもらうまでも無く一通りの教育は受けてるだろ。

537:人間七七四年
08/10/29 12:15:55 0fq0r3jx
立花の浪人話で雨が降って荷物取り込まなかったとかおかゆはいらないのエピソード聞きますが
これは世間のことしらない殿様ってことでむしろ北条氏政の汁かけごはん・稲刈りしたのを
すぐ食べようとしたetcのうつけエピソードの類と同じに思うのですがなぜ評価されているのでしょうか?


538:人間七七四年
08/10/29 13:00:14 zmAcs/CC
>>537
大名→浪人→大名と返り咲き、かつ戦歴も輝かしいものがある宗茂、(おまけに晩年は秀忠・家光に重用された)と
結果的に家を滅ぼし切腹した零落の大名(勝者側に情けない男だから討伐されたと印象付けられる)という違い。

同じような事やっても、幕府(権力者)のお気に入り人物だったり
敵役として「こんなに強かった(でも俺には敵わなかったけどね)とか書かれる人物以外は
貶めて書かれるもんだよ。

539:人間七七四年
08/10/29 22:34:37 0fq0r3jx
>>538
なるほど
氏政も最大版図きづいてたから討伐なかったらすごい評価されていたんでしょうに・・・

540:人間七七四年
08/10/31 03:27:36 7Wtv4eZq
戦国好きでオフしたりはしないんですか?
してるなら是非参加したいのですが

541:人間七七四年
08/10/31 10:54:39 Qe754YaT
>>540
2ちゃんでオフ会を誘うと後が怖いから私は外部でやってるよ
桶狭間オフや浜松城オフ、関ヶ原オフなどだけど

542:名無しさん
08/10/31 12:58:23 PayfnYFJ
封建時代のトノを家臣たちは命を張って守るが現代の大物を庶民は命を張って守らない。まさか現代の大物って封建時代のトノよりたいしたことない奴なの~?

543:人間七七四年
08/10/31 18:10:30 7Wtv4eZq
>>541
外部というとmixiとかですか?

544:人間七七四年
08/11/02 03:51:01 zLm51zZ2
>>542
俺(庶民)はその大物とやらに
知行もらってないし
「お前の死後の家族の世話は任せろ」
みたいな言質ももらってないから
命懸ける気なんぞさらさら無いわな

545:人間七七四年
08/11/02 23:26:05 9EtF9w8X
>>540
都内にも、いろいろ著名な武将のお墓や
城跡があったりするから、オフ会企画した事はあるけど
やっぱ人が集まんないね。

ちなみに第1回は「今川氏真のお墓参りオフ」だったんだが

546:人間七七四年
08/11/03 00:20:16 8Zx1ZJA3
それは人が集まらないw

547:人間七七四年
08/11/03 15:32:17 xI8psWCM
戦国時代の書状などでの一人称はどんな言葉が使われていたのでしょうか。
大名クラスになると「予」とか、家臣クラスだと「某」とかですか?
「拙者」という言葉はあまり使われていませんかね。

548:人間七七四年
08/11/03 22:19:04 /Gz/rE2C
自分の名前を書いているのが目立ちますね

549:人間七七四年
08/11/04 11:17:45 VEcOPbDM
仲が良い者同士や親しみを感じさせる場合だと諱や、諱を短縮して書いたりも
(例・信長、信、のぶ等)

550:人間七七四年
08/11/05 01:51:31 knzaty8g
>>548-549
ありがとうございます!

551:人間七七四年
08/11/06 04:29:10 5ispua8K
天地人読んで戦国時代が面白いと思った初心者の者ですが。
これだけは読んどけっていう本ありますか?

552:人間七七四年
08/11/06 07:18:21 k27RFqAp
織田家の【弓衆】ってどれぐらいの身分だったんですか?
士分未満の足軽?
それともお目見以下だけど、とりあえず侍階層の下士(徒士)あたり?
或いは騎乗・お目見の許された立派な士分?

ちなみに弓衆で最も有名なのは安土で火事出して叱られた福田某ですよね。

553:人間七七四年
08/11/06 12:48:03 ChWFcxbC
俺が織田家で弓と聞いて
一番に連想するのは
ねねと長政の親父かな

太閤立志伝やりすぎか

554:人間七七四年
08/11/06 15:42:03 1P9ZvMKV
>>552
家族で安土へ移住って命に服さないで尾張に妻子を残してた人ね

名前が与一なんで覚えやすいね

555:バカは氏んでも名乗らない
08/11/06 21:27:19 k27RFqAp
彼には福田という「苗字」もあるし、自分が住んでいる安土の外、岐阜にも
屋敷があってそこに家族を住まわせていたわけでしょ?
完全に兵農分離が進んでいたかどうかは別にして、薄給だったせいで半士半農で
家族は岐阜で自分の田畑を耕作して生計を立てていたのか、住み慣れた岐阜を
離れるのが嫌だったのかは別にして。
足軽階層には尚更そんなもの(自分の田畑)があったとは思えません。

一応、侍階級なんだけど馬廻みたいに騎乗を許されるほどの身分じゃない下士
(徒士の侍)あたりと考えていいものなんでしょうかね。
朝倉宗滴の17ケ条にも「侍は弓を持て、弓が下手なら槍を持て」というのがあり、
殿様から武器をメインウエポンの弓・槍・鉄砲を貸し与えられ出陣する足軽階層ではなく、
騎乗が許されるほどの身分と財力が無くっても自分の弓や槍を持つことにできる侍階層は
存在していたわけで。
(さすがにmy鉄砲&弾薬を持って出陣できる階層はそうそういないでしょうが・・・)

556:バカは氏んでも名乗らない
08/11/09 06:48:52 j1xNDnDV
でも、待てよ。
北条家ではわずか25貫の身分(土豪クラス)の侍でさえも軍役では
【自分は騎馬、槍持ち+旗持ちの雑兵2人連れて】いかなきゃいけないし。
「騎馬で出陣」する身分・財力のハードルはかなり低かったのかな?

おまけに織田家には明確な軍役の基準ってのは明智家法が出るまで
無かったから、(人数は多ければ多いほど、装備も良ければ良いほど
『武者』『武辺』道では忠節という扱い)ってことも鑑みると・・・

そうなると、やっぱり足軽は無論、それに毛の生えた下士層が自分で
弓矢を調達して出陣するってのは無理かもしれない。
主君から装備を貸与される下士層だったのかな?


557:人間七七四年
08/11/11 19:40:41 fT6gxDLe
肥前・松浦党の質問をしたいのですが
該当するスレはありますか?


558:人間七七四年
08/11/11 19:52:59 gAMMRpOO
>>557
唐津史
URLリンク(web.people-i.ne.jp)
東松浦郡史
URLリンク(www.geocities.jp)


559:人間七七四年
08/11/13 19:15:10 m88ETLQR
最近読んだ戦国系の本に上杉謙信には養子が3人か4人(本によって違うことがあるので)
がいたと書いてありましたがそれならなぜ謙信の死後の御館の乱で越後が二つにわれたのですか?
後継者指名していなかったので養子の数だけ勢力があるとおもうのに。
来年の大河とも関係ありそうなので気になったもので

560:人間七七四年
08/11/13 20:00:32 Uy3F28Sc
>>559
ただ単に景勝と影虎を支持する勢力が多かったからじゃないのか?

561:人間七七四年
08/11/14 08:29:45 OAFBPd+T
>>560
一般に謙信の養子は上杉景勝、上杉景虎、上条政繁、山浦国清といわれる。

そのうち上条と山浦は上杉の本家ではなく、上杉の分家を継がされていたから、
上杉政繁、上杉国清などと呼ばれず、その庶流の姓を称している。
庶流は上杉本家の家督を継ぐ資格は基本的にはなかった。

つまり上杉の本家を名乗っていたのは景勝と景虎だけ。
だからこの二人で家督争いが起こった。

562:人間七七四年
08/11/14 19:30:45 BNxpLiRZ
>>561
ほー
景勝と影虎以外の養子ってあんまり良く知らなかったんだけど、勉強になったわ。
養子っていっても謙信が死んだ当時には後者2人はもう別家の人物になってたのね。

563:人間七七四年
08/11/14 19:54:30 fkxVqpIR
>>559 です。ありがとうございました。名前までは載っていなかったので
養子といっていたから全員本家の上杉を名乗っていたのかと思っていたので
とっても勉強になりました >>561 の方ありがとうございます。

564:人間七七四年
08/11/18 06:19:18 Bpk7jfhi
東国に興味ある人には割かし常識なんだけど、
三傑ばかり語られる昨今じゃあ、あまり知られてないんだろうね。

天地人で少しは理解が広まればいいが。

565:人間七七四年
08/11/18 15:54:20 3j/pRmPH
対馬の宗氏について。

少弐氏の支援のもと、何度か九州侵攻を試みるも、失敗。
後に少弐氏が滅亡すると、大友・龍造寺・島津の三つ巴に介入できず
完全に九州進出の道は絶たれる。

秀吉の九州征伐に参加して本領安堵。

・・・とあったのですが、島津・龍造寺・大友の三つ巴時代
(秀吉の九州征伐前の龍造寺・大友が北九州を支配していた時代。1580年以降~)は
対馬・宗氏はどこに属していたのでしょうか?

1・龍造寺
2・大友(立花)
3・島津
4・その他
5・どこにも目つけられてなくて独立状態。

少弐氏との関係から、龍造寺との関係はよくなかったと推測したんですが・・・
どうだったんでしょう?
どこかの大名に従属状態だったのか、独立した勢力として存在していたのか・・・

566:人間七七四年
08/11/18 16:10:25 X87yY4Yq
>>563
余談だが朝倉義景の娘と能登畠山の畠山義隆の息子も
謙信の養子に入ったとされる。
(どうもこの他にも謙信の養子に入って別家に入った子はいるようだ)
まあ上杉的に重要なのは政繁・国清・景虎・景勝くらいだから
関係ないといえば関係ないが。
ちなみに景虎以外の残り二人の養子は景勝支持に回って動いてるので
景勝派家臣扱いで養子の件は大河でスルーされる可能性もなきにしもあらず。

567:人間七七四年
08/11/18 16:24:05 /e8+kEEX
景勝以外の3人はイケメンのイメージがある

568:人間七七四年
08/11/18 16:30:56 T6YbHpGN
イケメンイメージは三郎景虎だけだろう。
景勝は田舎武士のイメージが強い。
実際はもっと洗練された人物なはずだが。

569:人間七七四年
08/11/19 23:37:18 DZ5/C8hR
>>564
ふむふむ
確かに東国の戦国大名についてはあまり調べたことないな
3傑についてや西国の大名については結構調べたりするんですけどね

北条やら伊達やら最上やら上杉やら東国についても今度いろいろ調べてみようかなと思います


570:人間七七四年
08/11/21 00:05:31 wLFcOzvN
>>565
1・龍造寺



571:人間七七四年
08/11/21 17:12:28 6vFUqtWf
>>568
一応上条は当時の名門の畠山の出だからイケメンイメージでもいいんでないの。
まあ畠山つっても能登の方だけど、中央政権にも参画したりもあったみたいだし。
反対に山浦は信濃の山の中の田舎の出だからそれこそ田舎武士さね。
にしてもなんで謙信は跡継ぎを明確にしなかったんだろう。
ふつう自分が50近くて、家も安定していて跡継ぎも元服済ませてたら形だけでも家を継がせてるもんだけど。


572:人間七七四年
08/11/21 19:04:25 b34wIF7O
>>571
まあ毘沙門天は不老不死と思ってたかもしれんしw

573:人間七七四年
08/11/21 19:24:24 UlHROzwC
景勝スレ景虎スレ御館スレで延々論争し続けてますが、
景勝後継派からは謙信は景勝に官位を渡し謙信自身は入道していることから
後継体制を固めつつあったとする説も出とります。
(当然景虎派や分権派後継決めてなかった派からの異論もある)
まー、後継を決めてたのか決めてなかったのかさえ論争中ということで。

574:人間七七四年
08/11/22 08:36:42 7uAbZ1hA
>>572
相川みたいな三文ライターの珍説をここで紹介するなw

575:人間七七四年
08/11/22 08:52:10 Nk08Qc5D
>>570
何か根拠となるエピソードやソースはありますか?
例えば~年に龍造寺氏の要請を受けて兵を派遣している、とか。

576:人間七七四年
08/11/22 11:20:24 TfQCp9Zt
大坂の役の時点で、豊臣家に味方しようとしたが、
結果的には出来なかった大名ってどのくらいいますか?

577:人間七七四年
08/11/22 15:12:07 IG7htf45
>>576
心の中では味方したいと思っていた大名もいただろうけど、
行動に移すことができたのは福島正則くらい?(といっても兵量を渡したくらいだけど)

578:人間七七四年
08/11/22 22:03:17 ziWL3T8u
>>577
食糧は「しょくりょう」と読むが、兵糧は一般的に「ひょうろう」と読む。
わずらわしい変換をしなくてすむぞ。

579:人間七七四年
08/11/22 23:00:46 uNFW8PZH
>>576
・どの程度で「味方した」とみなすか
(本人が大阪入城、一族がry、家臣がry、屋敷からの接収を見逃すなどなど)
・本音と建前の区別、逸話や講談を採用するか
によって変わってくる

580:人間七七四年
08/11/23 02:34:24 fBM2nkKZ
横山光輝のマンガ(山岡荘八の歴史小説原作)を読んで
政宗が「三国に比類なき前代未聞の高名」と秀吉に朝鮮での戦功を称えられたと
ありますが、政宗の朝鮮での活躍は実際どの程度のものだったのでしょうか?

581:人間七七四年
08/11/23 08:35:37 pmq5CLMD
>>580
伊達は渡海した時期が遅かったし最前線で派手な戦はしてないはず
誉められるとしたら築城とかそっち方面じゃないかな
あとは派手な鎧とか

582:576
08/11/23 12:06:01 u7eUPSog
576ですが、
平野長泰が大坂入城のために家康に直訴したのだが断られた
というのは講談?史実?

583:人間七七四年
08/11/24 03:13:56 0Gtbp41I
>>580
山岡荘八原作www
ヒーロー物が史実でどうだったかなんて本気で聞くなよ。読み物としては面白いけどね。

584:人間七七四年
08/11/24 08:55:06 kRJhVw8R
>>578
兵糧は後世の当て字
元は「兵粮」

585:人間七七四年
08/11/24 22:48:17 PhCoiQpC
斉藤道三の物語は親子二代説ってガチなの
ウィキ見てへこんだんだが

586:人間七七四年
08/11/25 09:43:10 +REb8RSs
>>583
漫画や小説でも、一応史実や資料に沿って創作してるものも多いので
別にあれがフィクションかそうでないかを質問するのはそんな馬鹿げたことでもないと思うが。
逆に創作小説や漫画は全部夢物語だとでも言いたそうだけど

587:人間七七四年
08/11/25 19:38:52 RPYCdTO5
>>585
今はそれが常識になりつつある
資料もちゃんと残ってるしね

588:人間七七四年
08/11/28 23:35:33 oOdyQTzC
じゃ道三(2代目)は親父が築いたのを失った間抜けな人なんですか・・・


質問
なんでホモばかりなんでしょうか?
いや衆道が嗜みだったのはわかってます
でもなんぼ慣習とはいえ髪型とかとちがってやぱり男は愛せない人だって
それ相応にいたでしょうにそういう逸話が残ってるのは秀吉ぐらい
かといって無理やり周りに合わせて抱きたくもない男を抱いていたというかと思えば
そうでもなく人数の差はあれど抱くときは望んで抱いてる模様
嫌な人はいなかったんでしょうか?
自分だったら自分の肛門に突っ込まれるのも小姓の肛門に突っ込むのも断固拒否です
変人と思われても嫌なものは嫌です

589:人間七七四年
08/11/28 23:43:57 RIysMa+a
ホモのまともな記録が残ってるのは政宗と信玄ぐらいじゃないの。
他の武将の記録は全部あとになって書かれた創作色の強いもんばかりで。
信長もノンケだったと思うよ。前田や森なんて犯ってないだろう。

江戸時代になると戦国大名は自分の時代のお殿様より専制君主だったという誤解が生じて、
有名人は虐殺や色事にふける独裁者みたいに見られるようになってしまった。
男色がお盛んだったというのはそういう妄想の延長上にあるんだろう。

今だとやり手の社長はみんな美人秘書とよろしくやってんだろうなとかいうレベルの与太話。

590:人間七七四年
08/11/29 00:30:59 z+qBnx9C
足利将軍家をはじめとして、武家の世界じゃあたりまえ
だろう

591:人間七七四年
08/11/29 00:37:27 siFDIZJX
一時期の足利将軍がやっていたからと言ってその子孫が性的嗜好をそのまま受け継ぐのかね。
そしてそれを「将軍様がやっておられるから」と武士がみんな模倣するというのも不思議な話だ。
性欲の方向性は文化に影響される面もあるけれど性別を越えてまでの欲求まで文化として伝播するのか。
それとも将軍が参勤する武士を手当たり次第に犯ってしまってその良さを広めたのか。
宣教師は日本の寺院では男色がはびこっていると記したが、武家に流行しているというのは見たことがないよ。


592:人間七七四年
08/11/29 01:14:49 A0vjPTzO
この時代て、両刀が多かったんちゃうん?

593:人間七七四年
08/11/29 02:01:06 OzV8sJPR
古代ギリシャとか昔のよその国でもそうだったわけで
本来は男同士の同性愛は自然な感情で
嫌だとか変って思うのはむしろ後天的な洗脳なんじゃねーの?
でも俺はいやだけどな

594:人間七七四年
08/11/29 02:12:35 EOVlBM6j
古代ギリシャの同性愛信仰は性交渉はしないんじゃなかったっけ?
性愛の絡まない同性へ向ける愛こそ至高の愛。みたいな。
詳しくは知らないけど。

595:人間七七四年
08/11/29 02:41:39 spacs+TN
成人する前の大名の子の事は下々の者はなんて呼んでたの?

596:人間七七四年
08/11/29 11:13:02 JyVWtYes
幼名+敬称とか、若とか

597:人間七七四年
08/11/29 14:33:07 kfwYjvWu
同性への性欲が一般人に先天的にあるなんて大発見だな
医学会も驚く

598:人間七七四年
08/11/30 10:35:40 TAHRD3Q5
戦が起こった時農民へそれを伝える命令系統はどうなってたんでたんですか?
その土地の領主が知らせてたんですか?

599:人間七七四年
08/11/30 10:58:21 AHM6uCmP
敵が攻めてきたら狼煙があがるなりして、奇襲でなければ割かし事前にわかったのかな。

600:人間七七四年
08/11/30 10:59:13 OWL4iGQm
>>595
元服が近いと、既につけられた仮名(通名)で呼ばれたりしてたみたいね。

601:人間七七四年
08/11/30 11:14:24 LNeYWk+w
3武将のいい感じの名言をおしえて

602:人間七七四年
08/11/30 12:39:45 T1+kAOln
どの3武将?

603:人間七七四年
08/11/30 13:11:24 zfPYYlRu
>>601
3武将の名前をちゃんと挙げれ
赤海雨三将のことかね

604:人間七七四年
08/11/30 13:52:54 uy90fLI+
>>597
マジレスすると、サルやペンギン、昆虫の類いでも
ホモセックスする種類があるそうな

605:人間七七四年
08/11/30 14:04:04 LNeYWk+w
えーと3武将じゃなく、戦国武将のいけてる名言をおしえて下さい、 ただ辞世の句は意味がわかんなくて… ナイスな名言おしえて下さい

606:人間七七四年
08/11/30 14:45:40 TGQ9wVVe
で、あるか

607:人間七七四年
08/11/30 15:31:19 LNeYWk+w
で、あるです

608:人間七七四年
08/11/30 21:22:35 mjxXF6CV
>>598
半農半士の連中には動員が掛かるからそのとき知ったのでしょう

609:人間七七四年
08/12/02 00:21:13 a7uamtof
>>607
分かっていってるのか知らないが、「で、あるか」は織田信長の名言だぞ

610:人間七七四年
08/12/02 14:46:17 hFBaBQ6Y
陣ぶれってのはお城で太鼓たたいたりほらがい鳴らして知らせると聞きました
で、これ聞こえないことも多いと思うのですが
その場合どうしたのでしょう
例えば夜でみんな寝てるとか
例えばたまたま他の音が大きくてとか
例えばたまたま遠くに用があって出かけていた場合
例えば下痢でトイレ行ってた時とか

611:人間七七四年
08/12/02 14:56:18 dt8WUIT1
来ない奴がいたら同じ隊の誰かを使いに出して呼びに来るでしょ
戦力足りなくて困るのは殿様だし
遠くに用があった場合は仕方ないかな

612:人間七七四年
08/12/02 17:46:16 UZybS+L+
陣触れは二段階。
一段階は太鼓や貝の音で、
二段階目は実際に村々を武士が駆け巡って伝える。

音だけで伝えるわけではない。

613:人間七七四年
08/12/04 01:57:07 UpXRfebZ
もっと信玄の人は城…チックな名言ないのん?(-"-;)

614:人間七七四年
08/12/04 17:29:49 zq7MjNLX
そういう名言なら、ネットをあさるなり書籍をあさるなりすればボロボロでてくるよ。
だいたい、辞世を除外している時点で半分はいらないと言っている様なものだしなあ。

615:人間七七四年
08/12/04 17:54:51 LwJkJRrp
>>613
URLリンク(item.rakuten.co.jp)

616:人間七七四年
08/12/04 20:05:46 nQR/7TTa
変と乱と役の違いって何ですか?

617:人間七七四年
08/12/04 21:19:03 zq7MjNLX
変→クーデター
乱→軍事衝突
役→遠征

618:人間七七四年
08/12/05 01:15:00 14HJMOd/
小説などでは「この戦乱の世を治め平和にするために天下統一をしなければ」
という想いから各大名が天下統一しようとするけれど
実際こういう考えはあったの?
というかなぜ天下を掌握したがるの?

619:人間七七四年
08/12/05 02:11:57 +++mH6Cd
>>588
ホモじゃなくて両刀
衆道についてはもともと僧侶から貴族へ、そして武士へと繋がっていった。
平安時代の公家の日記みると、今日は誰それとやったとかいう記述が平然とある。
江戸時代になると庶民レベルにまで広まっていった。

私も男色なんて気持悪いだけですが、「そういう価値観の時代だった」と流すしか
ないですね。

>>589
妄想でもなんでもありません。というか、自分の妄想で語らないでください。

>>618
まず、ない。
それから「天下」の概念が時代とともに変化しており、特に室町戦国から安土
桃山にかけては大きく変動している点にも注意。

620:人間七七四年
08/12/05 02:21:55 rOEswInJ
>>617
乱は内乱とか反乱じゃね?

621:人間七七四年
08/12/05 14:19:16 Ycp3ntKM
>>617
ありがとうございます
乱についてですが軍事衝突といいますと反抗勢力との合戦という解釈でよろしいのでしょうか?

622:人間七七四年
08/12/05 14:32:49 t7YvtUu9
>>619
いや、男色の流行なんて君の妄想でしょ。
ただしくは流行じゃなくて、許容されていただけの話。
積極的にホモ行為をしていたとする見方は偏りすぎ。

623:人間七七四年
08/12/06 15:25:11 B31N1vuM
>>621
上杉家の「御館の乱」や伊達家の「天文の乱」などの主導権争いの「乱」があるので、
乱=反抗勢力との合戦、とは言いがたい。
内乱ではあるが反乱ではないし。
軍事衝突でいいのではないかと思われ。

624:人間七七四年
08/12/07 01:25:04 58pSPRLc
変は本能寺や大寧寺などの例で考えればいいかと

625:人間七七四年
08/12/07 01:43:25 RZj5C8uj
>>623
明治に九州地方で起きた佐賀の乱、秋月の乱、神風の乱はどうだろうか
内乱とは考えられないし、中央へ対しての反乱と思われるが

626:人間七七四年
08/12/07 02:08:39 A2dX15iP
辞書ひけばいいやん

変(名)
(1)異常な出来事、社会的な事件が起こること。政変や動乱などが発生すること。また、そのような事件や出来事。
「本能寺の―」
必ずしも軍事的な行為に限らない


戦争などによって世の中の乱れること。みだれ。
「治にいて―を忘れず」「応仁の―」
主に同一の勢力・国家内における軍事的な衝突に使われる


1 戦争。「前九年の―」
より限定すれば、主に外国・別勢力との対外戦争に使用される

627:人間七七四年
08/12/08 05:02:43 lMyJaT+E
>>625
内乱である御館の乱も反乱である佐賀の乱も「乱」だろ?
乱っつーのは、反乱も内乱もだが、敵対勢力同士の軍事衝突なわけだから、
内乱のみが乱、反乱は乱じゃないとかいう話じゃない。
「乱=反抗勢力との合戦」にすると「御館の乱」は「乱」じゃなくなるだろ。
乱は内乱や反乱など、一言で言うと軍事衝突である、でいいじゃん。
わざわざ反抗勢力との合戦と細かく定義する必要はないっしょ。

なんだかんだで辞書で見たほうがわかりやすいけどなw>>626

628:人間七七四年
08/12/11 14:54:13 Net3c5gr
浄土真宗(本願寺)が一向宗と言われるようになった時期と経緯わかりますか?

江戸時代以前から浄土真宗(本願寺)=一向宗という認識はあったんですよね?


629:人間七七四年
08/12/11 20:19:30 DD8v9dNi
>>628
前読んだ本によると今でいう一向一揆が活躍していた当時には
一向一揆は土一揆と呼ばれていたらしい

まあその本は「一向一揆と石山合戦」って本なんだけど、結構そのあたり詳しく書いてあったような覚えがあるから、
興味があるのなら読んでみるといいかも

630:人間七七四年
08/12/11 22:55:44 Net3c5gr
>>629

ありがとうございます。本探してみます。

631:人間七七四年
08/12/12 21:09:51 E/WBTk4Y
結局豊臣時代に徳川が貰ったのはどの程度なんですか?
関八州といえど
安房一国は里見、常陸は佐竹、下野にも宇都宮なんかがわらわら
他に結城やなんかもいたわけで
相模、武蔵丸々と下総、上総、上野の一部程度ですか?
実はあまり範囲は東海時代と変わってないんでしょうか?

632:人間七七四年
08/12/13 00:00:03 Hda28h/4
>>628
浄土真宗の門徒だが、「ひたすら阿弥陀如来一仏を拝む」ということから「一向宗」と呼ばれるようになったらしい。
室町ごろからそう呼んでたそうだ。
ただし本来は時宗の信徒を指す呼称だったので、真宗側はその呼称を嫌い、江戸期に何度も幕府に「浄土真宗」への改称願いを出した。
しかし特に浄土宗関係者から反発があったので、江戸期にはずっと「一向宗」で通ってた。
で、明治初年にやっと改称が実現した。

戦国期の動向については『一向一揆と石山合戦』を読むことを勧める。

633:人間七七四年
08/12/13 00:39:51 4/L1/3L4
>>632
浄土真宗の住職と懇意なんで、たまに「一向宗」との関係を話すんだけど
住職は「浄土真宗」と「一向宗」は無関係と否定するね

634:人間七七四年
08/12/13 01:28:45 me6CKnX3
普通鉄砲で射撃されれたら
撃ったほうに攻撃し返すと思うのに
小早川さんはなんで撃ったほうの味方したんですか?
内奥の約束してても打たれた時点で「もう向こうはこっちを敵に見てる
だったらねがエルのやめ辞め」ってなるのが人のサガだと思うのですが
創作の逸話としても筋が通ってません

635:人間七七四年
08/12/13 06:52:13 Hcje1a2X
>>634
歴史に関わらず人間の心理を理解するのは難しいですよ
最初から裏切りを100%決めていてそれが切っ掛けになったかもしれないし
小早川隊に向かって実弾を射ってるわけでもないし

636:人間七七四年
08/12/14 06:44:26 roni3+ez
>>631
所領云々よりも徳川を追いやる事が目的。「関八州」は「号して」のもの。

>>634
演出だからね。何らかの手法で決起を促した可能性はある。

637:人間七七四年
08/12/14 20:20:07 t8kfHuKK
大政奉還後の徳川宗家は400万石から駿河駿府70万石の一大名に
なったわけですが、これは結果であって、新政府は他に改易とし
宗家は斬首でお家断絶という選択肢も持っていたのでしょうか?

あるいは摂津大坂65万石の羽柴家の運命のように後にいわば「駿府の陣」
のように攻め滅ぼそうとしていたのでしょうか?

638:人間七七四年
08/12/14 20:23:31 ap0qtzlZ
激しくスレ違い…いや、板違いだなw

639:人間七七四年
08/12/14 20:23:50 BJcsf2Sb
微妙にスレチな希ガス

640:人間七七四年
08/12/14 20:44:14 t8kfHuKK
そういえばここは戦国時代の板でしたね。失礼しました。
然るべき所に投稿いたします。

641:人間七七四年
08/12/21 11:26:20 VKSPFf4l
昔北条早雲の学研漫画を読んだのですが、
その中で一人の童子が早雲に懐きそのまま家臣になりまして
それが誰だったのか思い出せずやきもきしています

氏康の代まで仕えたと記述があったことまでは覚えているのですが


642:人間七七四年
08/12/22 03:24:23 0HpX6rdM
肥後の隈部氏って島津に降る直前くらいの最盛期で
どれくらいの石高を領していたのでしょうか?
サイトで1900町とあったので、2万石前後?

643:人間七七四年
08/12/22 03:28:44 0HpX6rdM
【補足】
合志・内空閑氏らも実質、隈部氏の影響下にあったようなので
それらを鑑みるとどうなんでしょう?

慶長年間の肥後の石高が34万1000石。
阿蘇氏の領地が約15万石
天草地方が約2万石
あとは有力な勢力ってーと
相良くらいなので、そこから推察すると
どうなんでしょ

644:人間七七四年
08/12/22 17:20:32 /cJbcIDR
江戸期の伊達家家老の原田甲斐という人物は
なぜ伊達宗重を殺さなければならなかったの?

645:人間七七四年
08/12/22 21:59:43 9ZzCEJB/
>>642>>643
龍造寺隆信幕下着到(天正8年)によれば
隈部親永900町
内久我(内空閑)親房1,000町
合志親為も幕下なれど着到に記載なし


646:人間七七四年
08/12/22 23:18:52 JyT/6oSv
>>644
こっちの方が詳しい人がいるかも?

戦国期の家督争い・御家騒動・内乱を語る
スレリンク(sengoku板)


647:人間七七四年
08/12/24 02:59:19 OO8K6xMe
「一色軍記」と「丹州三家物語」という書物はそれぞれ
誰がいつどこの勢力下で書いたものですか?

648:人間七七四年
08/12/24 20:52:37 APdIwayv
信長の野望には南蛮天守閣の城が出てくるけど
戦国時代に実際に南蛮天守閣の城は存在したのですか?


649:人間七七四年
08/12/24 22:44:39 GS1bOOHE
柳沢元政は秀吉没後、家康から徳川家への仕官を勧められたものの、それを断ったみたいですが…。
この時、六十代だった元政にどんな魅力があったと推測できますか?
その後、毛利に戻った元政は周防山口で没しますが、何故か息子は徳川の旗本になっています。
それはどうしてだと推測できますか?

650:人間七七四年
08/12/24 23:14:25 jZ8djwPr
>>649
柳沢は元公卿だから何か朝廷とのパイプでもあったかね?

651:647
08/12/25 01:21:12 tWS7Z3AG
日本史板できいてみます

652:人間七七四年
08/12/25 22:11:35 c4HtXGsC
>>650 なるほど…。お答え頂きありがとうございます。
>>649 >>>>(続きの質問)
秀吉没後、利家とかいるのに、なぜ家康は豊臣の家臣を掠めとるような発言ができたのですか?
この時の豊臣の人事はどうなってたんですか?

653:人間七七四年
08/12/26 20:05:34 TtGhbtRo
秀吉の遺言で、秀吉死後は家康が政治の面でのトップとなり伏見城に、
利家は秀頼の後見人となって大坂城に入るように言われていた。
それで事実上、利家と家康はは秀吉死後豊臣家の2トップだった。

家康は自分の立場をいいことに秀吉の死後、私婚等秀吉の遺言を破る行為を繰り返した。
利家や官僚たちは怒って詰問使を送るが家康は追い返し、
利家は自分から家康に会いにいってやっと誓紙を交わした。(この時点で秀吉死後半年くらい)

しかし直後に利家が死に、家康に対抗できるだけの人物が豊臣家からいなくなってしまい、
家康は前田氏の討伐をしようとしたり、上杉討伐をしたりとさらに専横を極めた。
んでそれをよしとしない三成が立ち上がり、挙兵して関ヶ原へと至るわけ。

654:人間七七四年
08/12/26 20:12:31 GTkXP7s9
戦国期は国が乱立して現在でいう大蔵省とか無かったと思いますが
通貨の発行はどこの誰がやってたんですか?

655:人間七七四年
08/12/26 20:33:03 kDAwLgXL
>>654
大名・商人が勝手にびた銭を作ったり、永楽銭を輸入していた
一番、まともなのは武田の甲州金

656:人間七七四年
08/12/26 21:25:47 v6+ujop7
秀吉が100万石で花の慶次をスカウトしたのはほんまの話でしょうか?
また次の大河ドラマの直江兼次には花の慶次は出るのでしょうか?親友だったはずだし

657:人間七七四年
08/12/27 11:20:12 dywA7zdv
秀吉股肱の福島でも尾張24万石。身内の金吾でも30万石。
ほとんど養子扱いの宇喜多でも50万石。

大事な盟友の甥とはいえ、秀吉の前でサル芸を披露したくらいの男に
100万石か。アリだな。

658:人間七七四年
08/12/27 18:08:43 hNPUmmD5
実の父親または兄貴や弟を殺して、かわりに自分がトップに立ったなど、
強奪だったけど最終的には安泰だった(暗殺も追放もされなかったとか家はつぶれなかったとか)
っていう武将ってどんな人がいますか?

659:人間七七四年
08/12/27 18:30:20 3q9kTAk3
>>658
武田晴信

660:人間七七四年
08/12/27 20:48:12 cZKpVEUn
謙信も兄貴と相克があったしなあ。

あとは伊達晴宗、輝宗は親子で戦争。
すくなくとも自分一代では滅びなかった、というのなら織田信長も今川義元も。
毛利元就も弟殺してたなあ。
あと親父殺しは疑惑だが大友宗麟とか。

661:人間七七四年
08/12/27 21:28:38 Kipu66Xe
謙信と晴景は対立したけど晴景を攻めた訳でもないし
上司の定実の調停で両者従い素直に家督移譲してるからちょっと違うと思う。

662:人間七七四年
08/12/27 22:19:53 91kw06P8
>>660
ん…あれ…?
天文の大ら…ん?

663:人間七七四年
08/12/28 02:09:13 vBFVMK/j
肥後の国人・名和顕孝の子息らについて。

名和氏
URLリンク(www2.harimaya.com)

こちらを参照すると、次男・長興が立花藩に仕えた事はわかるのですが
長男・顕武、三男・顕貞はどうなったのでしょう?
次男・長興も含めて、この三兄弟について、わかる事績(生没年等)が
わかりましたら、教えて下さい。

664:人間七七四年
08/12/28 02:11:38 vBFVMK/j
>>656
原作小説では「10万石」だったような。もちろん創作だと思うけど。
花の慶次(漫画)は、少年誌らしく話を大袈裟にする為に
原作小説の表現を多少誇張している箇所が結構ある。
横柄な奇染屋の店主の足を買うエピソードの値段とかもそう。

665:人間七七四年
08/12/28 08:19:11 X8zvxqcC
>>656
あり得ない。直臣に望んだ大名(特定無し)に叔父の利家が「御免被る」と断るエピソードが誇張されたとかしないとか。

大河は原作を読んでないのであくまで私見だが、特に主要キャラに仕立てずとも特に差し障り無いのではないか。叔父が宇津井で年齢的なバランスが難しい。

と、おもたよ。

666:人間七七四年
08/12/29 09:27:33 wvSiM9+G
戦国時代中期~末期くらいの旧国地図と大名分布図が載っている本を探しています。
オススメがありましたら宜しくお願いします。

667:人間七七四年
08/12/29 11:23:10 EW1/PKcU
種子島の大名が鉄砲を手に入れたと習いましたが鉄砲を売ってくれた相手は海賊だったと言うのは本当ですか?


668:人間七七四年
08/12/29 11:35:11 iqtP/XeO
>>658
嫡流の従兄を殺して房総を統一した里見義堯。

669:人間七七四年
08/12/29 12:36:37 fJTB4BNW
>>667
宣教師というのが通説です

670:人間七七四年
08/12/29 12:42:37 QrWjOTqg
日本では船で海に出る商人や水軍など全て海賊と呼んでいたのですよ

671:人間七七四年
08/12/29 18:02:32 2vkPPTgF
>>666
大まかな分布図が載っているような本ならどこの本屋でも普通に置いてあると思うよ


672:人間七七四年
08/12/29 20:34:22 isL4nFeo
>>669
断言しないように。
ポルトガル人ということしかわかっておらず、
宣教師だったのか商人だったのか軍人だったのかは不明。
鉄砲を持っていたのはポルトガル人で、
>>667の言う海賊とされる人物は種子島家の役人と筆談した人物。
後期倭寇の代表的な人物である、王五峰(王直)がその人とされる。

つまり、「鉄砲を売ったのはポルトガル人だが、ポルトガル人は日本語がわからないので、
中国人が日本人との仲介に立って売買を成立させた。
その中国人は海賊として名の知れた人物であった可能性がある」
ということになる。
可能性があるというだけで、本当にそうだったのかはわかっていない。

673:人間七七四年
08/12/29 22:27:25 0WELi5Vi
とりあえずポルトガル船籍の船ではなく
中国船にたまたま同乗していたポルトガル人が売ったんだよね。
で、1回目は莫大な金で2丁?だっけか。購入して
複製しようとしたんだけど、当時の日本にはネジの概念がなかったので
細工の仕組みがわからず
その秘密を教えてもらうのに、今度は金+自分の娘まで差し出したって話だったような

674:人間七七四年
08/12/30 00:56:31 PGjQpK5o
戦国時代の城の
堀の水位(深さ)ってどれくらいだったのでしょうか?

675:人間七七四年
08/12/30 03:10:18 BPp2X0kr
事件に対して、ある人物が殺害された後、一番得をしている奴が怪しい。
と、よく言われますが、
秀吉が信長の死に関与している可能性はありますか?
そう考えると中国大返しや、諸侯への根回しなど、常識的には
あまりにもありえない様な感じがします。事前準備があったのではないかと。


676:人間七七四年
08/12/30 04:15:01 1Pm1nyIS
>>675
ないとはいえないと思う。
本能寺の変についての説で秀吉関与説というのも出ている。
他にも朝廷関与説とか、足利将軍関与説とか、家康関与説とかいろいろあるみたい。

677:人間七七四年
08/12/30 04:36:42 EQKiTYks
>>674
そら城それぞれじゃないの?
普通は人が立っても渡れない程度の水が入ってたと思うけども。
ちなみに近所にマイナーな城跡あるけど
そこの堀(満水状態の水位じゃないけど)跡でも
10~15mはあるよ。



678:人間七七四年
08/12/30 09:06:24 nPMuurim
現在の大阪城外堀で水深4mぐらい

679:人間七七四年
08/12/30 11:08:58 dzvPlR5c
>>678
大阪城の外堀ってロマンがあるよね。

>>675
明智の野望単独説で落ち着きそう。人生を賭けた博打ってロマンがあるよね。

朝廷や足利の名は調略に利用しただけ。信長バブルで弾けた、そんな団塊の悲しい結末だな。

680:人間七七四年
08/12/31 06:01:26 YJaNi9c3
>>673
国友ネジ衛門さんは自力で解明したよ

681:人間七七四年
08/12/31 09:22:52 mNslTd/t
小早川隆景はどうして秀吉に「天下を取るには勇気がない」と言われてしまったのですか?

682:人間七七四年
08/12/31 11:00:38 03jAMaj/
>>681
秀吉のヨイショはもれなく自分の知恵誇りがついてくるので
ここは「(俺ならこうするのに、俺に比べて=)天下人になるにはこれが足りない」という意ととりたい。
毛利家をおっぽって自分だけ秀吉に取り入れば、本家を凌ぐ人望で
事実上、豊臣政権のno.2になれたかもしれないのに、
本家をはばかってできなかったんだよね(俺ならそんなの無視するぜ)ってことではないか。

同様に、
直江兼続(知恵)の場合は「天下の要職に相応しい人品(態度がえらそう)だけど、この人の状況からみて
これ以上の出世する方法は自分(秀吉)にも思いつかない」
鍋島直茂(大気)の場合は「どうせ乗っ取るならとことんやれよ!何で途中でとめるんだよ(俺ならそうするよ)!」

683:人間七七四年
08/12/31 19:38:45 UGtAylsu
>>672
通説の意味わかる?

684:人間七七四年
09/01/01 18:54:03 g15yUQjz
>>674
もちろん水掘の城もあります。

しかし中世城郭の大抵は空堀。
水掘の場合も川を利用するケースが多いのでなんとも。

685:人間七七四年
09/01/01 19:12:53 33dOgAKH
質問です。
花押は親子で同一のものを使う事があるんでしょうか?
類似したものを用いる例は多数あるようですが……。

686:人間七七四年
09/01/01 21:15:02 vHDWj1hv
信玄は昔でいう甲斐の国周辺の人から今でも嫌われている、
というのを聞いたことがあります。
自分の国の人間を食わせるために略奪しに行ってるのだから
当然だと思います。
だとしたら、三重では織田信長は嫌われているんでしょうか?

687:人間七七四年
09/01/01 22:57:41 6Js7nR9u
甲斐って甲州金が有名だけど、金鉱があって貧しいとはこれいかに

688:人間七七四年
09/01/01 23:18:19 Qi2RTHp+
>>686
地元の武将がマイナーでショボイのばっかりなんで嫌うどころじゃないw。
信長は普通に超有名でスゴイ武将というのが一般的三重県民の認識。まあよそ者という意識はあるけど。
ちなみに漏の住んでる辺りの寺で一向一揆討伐の時、信長が宿所にしたって所がちらほらあるよ。

689:人間七七四年
09/01/02 00:12:35 FKufjoQ8
>>688
そうなんですか(笑
対立とかよく思ってない間柄が結構残ってるみたいなので、
日本初の大虐殺をされた土地だったらさぞ深い恨みが残ってるのかなと思ったもので。

690:人間七七四年
09/01/02 01:12:02 qbFngVgY
>>687
庶民が、その採掘される金で飯を食えるわけではあるまい。
現在でも山梨に行ってみれば分かるが、田園の少なさ・畑や果樹園の多さは異常。

当時に葡萄や桃作ったって仕方ないから麦や蕎麦なんかが関の山だろう。
そこへいくと、隣国信州は同じ盆地とはいえ松本・伊那・佐久・善光寺・上田と肥沃。

691:人間七七四年
09/01/02 01:13:52 /ZFcCdyg
庶民の話じゃなく甲斐武田氏のはなしでそ

692:人間七七四年
09/01/02 02:02:55 Irc9uHNu
上杉謙信は女だったと言う説がかなり信憑性あると言うのはどういった証拠があるんですか?

693:人間七七四年
09/01/02 02:24:11 hQZkWmyt
>>692
死因が女人にしかかからない病気だったから。後は毎月の寺に引きこもる時期が生理の時期だったらしい←これは曖昧
後は知らない

694:人間七七四年
09/01/02 02:39:12 Irc9uHNu
>>693
ありがとうございます。
今年の大河ドラマが楽しみです

695:人間七七四年
09/01/02 03:48:07 JKOP6kbk
戦国時代の給料形態には、知行取りと扶持取りの二種類があると知りました。
扶持取りっていうのは、
≒傭兵
だと思っていいんでしょうか?

例えばもしそうだとすると、商業の利益何万石分を傭兵に充てた織田信長の軍隊が、
季節に左右されず一定の動員を可能にできたと言う点で、
これをして「兵農分離」という見方がなされた、という経緯の説明がつくのかな、と思ったのですが。
まぁその前にはまず織田信長の軍隊における知行取りと扶持取りとの比率を、
他の大名とくらべてどうだったか比較しなければいけないんでしょうが。


696:人間七七四年
09/01/02 07:10:25 m2acUPYP
>>695
扶持取りは領地を与えられないかわりに
大名のもとにあつまる年貢を与えられる直臣、旗本、客分。
領地がない=傭兵ではない。

697:人間七七四年
09/01/02 22:21:19 tj+mXT0w
  ∧l二|ヘ
  (・ω・ )  ←に土産を持たせてどこかのスレに送ってください
 ./ ̄ ̄ ̄ハ
 |  福  | |
 |  袋  | |,,,....
   ̄ ̄ ̄ ̄

現在の所持品: 帽子 老眼鏡 爪楊枝 ステテコ コタツ 仲村みうのDVD「卒業」 東名
オプーナ オプーナ オプーナ 株券 魔法少女アイ参 ECOコラボレーションパッケージ × ヤッターマン
OH!くんのスッテカー お米券 八戸のぶなが


698:人間七七四年
09/01/04 09:18:00 Rw1JSqkb
なんか今年の大河で愛がやたら強調されてるのですがNHKの公式見解は
愛は民や百姓への無償の愛情の愛のようなんですが
昔は愛染明王の愛だときいたんですが
歴史見解が変わったんでしょうか?
ガス抜きですか?

699:人間七七四年
09/01/04 09:18:55 Rw1JSqkb
最後の一行は消し忘れです無視してくださいごめんなさい

700:人間七七四年
09/01/04 10:41:19 kTUyAyXb
愛染明王の『愛』です
テレビでも小説でも愛情の『愛』にこじつけたほうが
一般受けしやすいからじゃないでしょうか

701:人間七七四年
09/01/04 12:03:19 TlkquE38
愛染明王の愛と断言する証拠は?
愛宕権現説もあるし、何も考えずにただデザインとして選んで様々な意味を込めたって可能性はないの?

702:人間七七四年
09/01/04 13:27:15 kTUyAyXb
愛染明王と断言したのは間違いでした、すみません
確かに愛宕権現説も有力ですよね
ただ何も考えず愛の字を使ったということはないと思います
主君であった上杉謙信が毘沙門天の毘の字を旗印にしていた影響はあったと考えています

703:人間七七四年
09/01/05 16:50:53 PqI9DwWw
>>701
デザインてw

あの時代にこのフォルムがたまらねーとかで決めてたのか?
意味もなく決めたとかはありえねえだろ

704:人間七七四年
09/01/05 19:23:59 SSNrI/i2
世の中には、
サザエ形兜とか、富士山形兜とか、猿面の兜とかあるんだぜw

意味?
本人がカッコいいと思えばなんだっていーんだよw

705:人間七七四年
09/01/05 19:32:23 PqI9DwWw
>>704
いや…それ全部意味あるんだけど…
百足はさすがに知ってるよな

706:人間七七四年
09/01/06 11:57:56 HpHqfNAU
意味は結構あとから付けられたもんだと思うんだよね。
今でも製品名や社名などでそんなの多いじゃん。
とりあえずかっこいい響きのをつけてみた。意味はどうみてもあとから考えましたみたいなの。

707:人間七七四年
09/01/06 12:47:45 wC6Pydn4
でも戦国時代の愛って今の愛(Love)って意味とは違うんじゃないの?
エロな意味で付けるなら色とか恋にするんじゃないだろうか
当時の愛って文字は慈愛や慈悲に近いと思う

708:人間七七四年
09/01/06 12:51:40 u9iwpHVY
>>707
>でも戦国時代の愛って今の愛(Love)って意味とは違うんじゃないの?
>当時の愛って文字は慈愛や慈悲に近いと思う

妻夫木はそう言ってる。
だが脚本家が・・。

709:人間七七四年
09/01/06 13:54:28 TgGxzBiZ
今の時代の感覚で考えてはダメだと思う
元来日本人は縁起やげんを担いだりなんにでも神様を宿らせる習慣があるんだから
常に死と隣り合わせの武将なら尚更身につけるものなどには拘ったんじゃないかな

710:人間七七四年
09/01/06 18:00:39 sHSXVtln
なんで最近、最上は鮭様と呼ばれているんですか?
由来があれば教えてください。
昔はもがみんって呼んでる方が多かったように感じているのですが・・・。

711:人間七七四年
09/01/06 21:11:44 FHxujqpz
>>683
そのままそっくり返すよ。
>通説の意味わかる?
通説は「ポルトガル人」で、「宣教師」ではない。
「ポルトガル人の宣教師」だとでも言うなら通説ではなく新説だな。

712:人間七七四年
09/01/07 10:38:11 08p57GXN
>>710
良い/悪い話スレで最上義光が鮭好きという話が披露され、
義光=鮭が定着した

713:人間七七四年
09/01/07 17:55:43 hrGEHu6N
>>712
ありがとうございます。
やっぱり最近できた呼び方だったんですね。
しばらく覗いていないと、流れの遅い戦国板さえついていけなくなります。
最近ずっと疑問に思っていたのでスッキリしました。

714:人間七七四年
09/01/07 22:46:51 eR57+E9u
どこで聞けばいいのかわからなかったのでここで質問させてください

戦国時代に興味を持ったのでいろいろ勉強したいのですが、
何をどうしていけばいいのかわかりません。
話の真偽や歴史の解釈など、難しいことがたくさんあります。
皆さんはどのように知識を広げていったのですか?

715:人間七七四年
09/01/07 22:49:41 cifUX4vx
本読め。名将言行録とか信長公記とか有名どころから
現代語訳または小説化したものを読み漁れ

716:人間七七四年
09/01/07 22:59:17 08p57GXN
俺は信長の野望から入ったクチだな。
まずあれの武将列伝とか、攻略本とかで知識を積んだ。
次に一般書店とかでも手に入る学研の歴史群像シリーズみたいなのを読みつつ
ネットで色々調べ始めるようになった。
で、値段は高くとも読むのが平易な編纂物を読むようになって、
最近、原資料をあたるようになってきた感じ。

いきなり専門書とか読んでもちんぷんかんぷんだろうから、
とりあえずそこいらで手に入る本を読めば良いと思うよ。

717:人間七七四年
09/01/07 23:28:36 JW2u+UF8
誰だこれ?って武将の名前を見たらとにかくググれ

718:人間七七四年
09/01/08 00:01:57 J0hISXa7
>>714
やめとけ。淋しくなるだけだぞ。


719:人間七七四年
09/01/08 02:35:40 adcH+ot2
>>716
原資料なんてどこで手に入れて読んでるの?


720:人間七七四年
09/01/08 04:46:33 omR4Ywsa
>>718
うむ正論じゃ

721:人間七七四年
09/01/08 06:12:34 5exygtJL
>>719
入手しなくても図書館などに保管されていて、
閲覧可能なものもあるよ。
活字になってるものでも充分だけど。

722:人間七七四年
09/01/08 06:55:44 kASmhM9b
大日本史料という資料集(刊行中)はネットで無料閲覧可

723:人間七七四年
09/01/08 08:45:58 0PuGpIC6
>>722
まだ全部は見られないんじゃないか

724:人間七七四年
09/01/08 10:37:44 adcH+ot2
>>721
そうか、サンキュ


725:人間七七四年
09/01/08 13:46:55 NNV8dBqF
秀吉は百姓の出身だのと聞きますが、学も武もない人間が
奉行を任されたり、有力郷氏のヘッドハンティングをしたり
京都政務を任されているのは辻褄が合わない気がしますが
どうなんでしょう?

726:人間七七四年
09/01/08 15:46:44 milw2sRB
>>725
最近では足軽出身ってのが定説だ
百姓説は嘘

727:人間七七四年
09/01/08 15:52:27 WN9gBluF
長可ってなんて呼ぶの?

728:人間七七四年
09/01/08 19:41:09 6MDHA0Wc
>>727
ながよしでいいんじゃね?
森っしょ?

729:人間七七四年
09/01/09 03:51:34 Ku2OcNrq
>>726
兵農分離が進んでいない段階でそういう議論をしても余り意味無い気もするけどね

730:人間七七四年
09/01/09 05:26:11 oPJbG0h/
>>726
足軽だったからとしてもあの活躍の説明にはなってないよなぁ。

731:人間七七四年
09/01/09 08:47:39 UZ5nwWis
ねねの実家が想像以上に影響力持ってたんじゃないかね

732:人間七七四年
09/01/09 09:13:03 55E6od5j
本百姓ならもれなく、半農半士と思って間違いないからなあ。
村同士のいさかいも、武士に負けず劣らず激しいもので、
外交や戦争も武士に負けず劣らずやるからな、当時の村は。
村の指導層なら、学も武も備えていて当然。

つーかちょっとした小城主で平時は農業を営んでいる奴なんざごろごろいるし。

733:人間七七四年
09/01/09 09:39:09 yaq05ak1
つまり農民が成り上がってもなんらおかしくない時代だったんだろ。
斉藤道三なんて油売りだぞ。油売りが大名にまでのしあがったんだ。
ハゲネズミよりよっぽど凄い。なんと油売りだ
石油なんかない時代だし石油王ってわけじゃない。
多分ガマの油か植物油でも売ってたんだろ

734:人間七七四年
09/01/09 09:40:39 y1FNK/ng
733はスルーでよろ

735:人間七七四年
09/01/09 20:37:43 0o6r6a5Y
道三が油売りだったと思ってる奴はこの板にこないほうがいい

736:人間七七四年
09/01/09 21:49:46 qnmxPnnx
胴丸の「丸」はなんですか?

737:人間七七四年
09/01/09 22:22:17 kgOeI6Il
>>736
形が丸いから、大鎧は箱型
腹巻は腹当の進化形(背中が保護されるようになる)

738:人間七七四年
09/01/10 07:40:00 ngK4h5zQ
石高について、一般に言われてる、
尾張 56万石
甲斐 24万石
って、あれは純粋な米の取れ高なの?
それとも市の利益とか金山収入も込みで?

739:人間七七四年
09/01/10 11:27:51 EYHUfG/N
>>738
米の収穫高

でも開墾して新田を増やせば収穫量は上がるし、藩によっては塩や果実・材木等の売買で得る利益もあるし実高は表高通りでは無い
表高は大名の家格を表す記号のようなもの

740:人間七七四年
09/01/10 12:38:32 TSsnTp4z
>>739
じゃあ信長も信玄も動員はもう少し多くできてたと見ていいんだろうか?
となると上洛スレの流れも変わると思うんだが。

741:人間七七四年
09/01/10 14:16:57 gCr55BFR
>>740
信長は港の収益が相当多い。信長の家自体が港の貿易を中心に興った。
尾張1国の時点でさえ、津島・熱田がある。

武田は上杉と死ぬほど戦ってやっと手に入れた善光寺ぐらいしかない
後は金を採掘して何とかしていた。金の信用度は全国随一だったようだ。

742:人間七七四年
09/01/10 16:28:29 TSsnTp4z
>>741
いや、だからその前提での疑問なんだが。

743:人間七七四年
09/01/10 16:38:55 polUP2QE
そもそも石高換算で各地の領地を同じ尺で計ったのって
秀吉の統一以後じゃないの?

744:人間七七四年
09/01/10 17:43:47 cNvvLfqY
百姓の持ちたる国こと加賀の政治ってどんな感じだったの?
名前からして年貢0?

745:人間七七四年
09/01/10 19:52:01 CSSnkcEk
作左や又左、なんとか右衛門のように
名前の中に左右の字が入ることが多いのはなんで?

746:人間七七四年
09/01/10 19:58:13 a9TUJeSy
>>744
石山から派遣されてた坊主が仕切ってウザかったはず。

747:人間七七四年
09/01/10 20:36:54 6s23VG0j
>>744
代表たちの合議制って感じだったらしい
ただ、746も言ってるように石山からの派遣坊主を嫌がってたらしい
年貢が軽かったのかどうかはわからん


748:人間七七四年
09/01/10 22:07:12 zj95xLkp
>>745
衛門や兵衛は律令時代に天皇を警護する役職だったが、
それが左右二つに分かれてたから
後に人の名前にだけ残った

URLリンク(ja.wikipedia.org)

749:人間七七四年
09/01/10 22:41:31 Td37iPhm
>>747
守護の富樫も傀儡で残ってたらしいけど、それと絡みはどうだったんだろ?

750:人間七七四年
09/01/10 22:53:03 /kBOzNFr
龍造寺四天王が五人いるのはなんで?
あと全員の名前わかるなら教えてください。お願いします。

751:人間七七四年
09/01/10 22:53:39 Fy7TB5r6
>>750
ぐぐったほうがはやい

752:人間七七四年
09/01/10 23:01:24 uVRzMtcp
戦国時代に北海道に大名はいたんですか?
信長の野望だと北海道と沖縄の大名出てないけど

753:人間七七四年
09/01/10 23:38:01 6s23VG0j
北海道の南部に蠣崎ってのがいた。
アイヌと抗争してた。

沖縄はその当時別の国

754:人間七七四年
09/01/11 02:44:59 ouOlFjFR
松前漬け美味しいよね。

755:人間七七四年
09/01/11 10:50:46 JmpsoBeL
>>747
当初は蓮如の子孫の地元住職が統率していた。
ところが、法主を継承する嫡流と主導権争いをして粛清され、石山から坊主が派遣されるようになってからギクシャクしだした。

756:人間七七四年
09/01/11 19:27:04 dqPyrSAq
ようはオウム真理教みたいなもんだよ

757:人間七七四年
09/01/12 18:19:28 07CE+FpW
戦国時代での日本全体の人口は、やはり減り続けていたのでしょうか?
もしそうであれば、増加し始めたのはどの時期からでしょうか

758:人間七七四年
09/01/12 21:25:09 Qxdw44us
戦国時代に出てくる例えば尾張衆、美濃衆といった○○衆といったものはどういった人達の事を言うのでしょうか?

759:人間七七四年
09/01/12 21:27:41 ZM2cmDYt
>>758
単純に「その地域にいる人達」程度の解釈でよいかと

760:人間七七四年
09/01/12 21:58:02 NmajgwdJ
足利義昭が手紙一つで信長包囲網を敷けた理由はなんでしょうか?当人にそれなりの政治力があるのかも
しれませんが其の判断材料ともなるような情報をどうやって手に入れていたか気になる。。。。

761:人間七七四年
09/01/12 21:58:44 eSKj1lms
>>757
よくわかんないけど、減り続けたんじゃない?
戦で死ぬのもあるし、当然それに人員が借り出されて働き手を失ったり
合戦の舞台ともなれば、田畑も荒れ放題で収穫(食料)も安定しなかったろうし。
増え始めたとするなら、合戦の無くなった江戸期以降では。

>>758
その地域(もしくは藩)出身の国人衆。顔役、まとめ役の人物達。

762:人間七七四年
09/01/12 22:01:36 eSKj1lms
>>760
足利義昭が動かした、といより
互いの利害が一致したので、名目として足利家の勅命という事で
利用しただけ。
義昭はお手紙将軍なので、手当たり次第に名のある武将(勢力として立ち向かえそうにない名門筋の小大名等も)に
手紙を出し、それを各々が利用したといった感じ。
実質的に将軍家には何も力はなかったけど、「足利将軍家」という名目は
軍を動かす名目としてわかりやすかったから利用されていた。

763:人間七七四年
09/01/12 22:25:58 Ve5Ddhw5
戦国時代には源や平の名字の大名は出てこないですが源氏や平家の人達は戦国時代はなにしてたんですか?
今でも源平の子孫はいるし当時もいたと思うんですが

764:人間七七四年
09/01/12 22:43:48 Qxdw44us
>>759>>761
ありがとうございました。
となると、その国人衆は戦いとなると、その地域で自分に従う兵士を率いて参戦という形でしょうか?

765:人間七七四年
09/01/12 22:44:31 6ceu2F/1
>>760
信長と敵対する理由のある人に手紙が届いたらので、その人は信長と戦う大義名分として
将軍の手紙を利用した。それだけ。
逆に、信長と敵対する理由のないひとたちは将軍の手紙なんて無視している。有名な例を
あげると、徳川家康とか上杉謙信とかね。

それと戦国時代の人口は増えている。少なくとも、明確に減ったとする資料はない。

766:人間七七四年
09/01/12 23:12:05 ZM2cmDYt
>>763
いても平とか源とかは名乗らない、藤原の子孫が一条・近衛と名乗るみたいに
そして源の系統でそれに近いのは足利・武田・今川

もう少しいい加減に自称した例になると百指に余る
現在の源平の子孫は大抵こういう連中

>>764
そんな感じ

767:人間七七四年
09/01/12 23:17:55 98JVRKC2
>それと戦国時代の人口は増えている。少なくとも、明確に減ったとする資料はない。
増えたという資料もないんだが・・・
現状は“わからない”だよ

768:人間七七四年
09/01/12 23:17:56 Ve5Ddhw5
>>766
なるほど
ありがとうございます。
しかし源平を名乗るとなんかデメリットでもあったんですかね
戦国の世の中ならむしろ箔がつくと思うんですが

769:人間七七四年
09/01/12 23:48:53 bb6gm40w
>>768
たしか源氏とか平氏とか藤原とか同じ氏を名乗る人が増えすぎたせいで、
いろんな性を名乗るようになったとか

770:人間七七四年
09/01/12 23:59:39 Ve5Ddhw5
>>769
なるほど。
しかしその割には戦国時代の話に出てくる武将で平や源っていませんね
歴史に出てこないような名もない武将が名乗りまくったんですかね

771:人間七七四年
09/01/13 00:10:59 QnBe+mu3
源氏や平氏なんて腐るほどいて名乗る価値なんて無いんじゃねえの?
源氏の中でランクが高い低いの争いはあったけど

772:人間七七四年
09/01/13 00:11:30 rswWBApi
>>770
「姓(“かばね”ではなく、“せい”の方ね)」と「苗字」はまったくの別物。
現代では姓=苗字だから混同してしまうのは理解できるけどね。

藤原(ふじわらの)や平(たいらの)、源(みなもとの)のように、「~~の」と付くのが本姓。
北条、梶原、安達など付かないのが苗字。
本姓は門閥名で、苗字が家族名みたいなニュアンスかな。

ちなみに名のある戦国武将は本姓も苗字も(自称詐称は横行していたけど)持っていて
本姓は公式の場に、逆に苗字は平常時にと使い分けていた。

例えば、
平常:織田上総介
公式:平信長
みたいな感じで。

773:人間七七四年
09/01/13 00:33:16 w7H7bHgx
ここで質問に答えてる人は史学科の院とか研究家とかなのかな?

774:人間七七四年
09/01/13 09:45:42 J3JDAFdr
平常:羽柴秀吉
公式:豊臣秀吉

775:人間七七四年
09/01/13 10:02:18 MFgZ3wbT
>>772
詳しい解説ありがとうございます。
信長って平家なのですね。
しかし詳しいですね。ほんとは歴史研究家なんですか?

776:人間七七四年
09/01/13 11:27:11 P5WtaHol
よく言われてるけど、近代以前は「実名は普通使われない」というのはどれぐらい正しいのか?
確かに、通名を使うのが礼儀だったみたいだけど、敵方は実名で呼ぶことはあったんじゃないの?
北条方の記録で上杉謙信を「カゲトラ」と呼ぶ例があったし。
あと江戸期に書かれた史書に藩祖を「○○公」と書いてあった希ガス。

まあ幕末の人物でも、坂本龍馬を「直柔(なおのり)」と呼ばないし、勝海舟を「義邦」とは呼ばないことを考えれば、戦国期はなおさら実名を使わなかったとも思うが。

777:人間七七四年
09/01/13 12:19:51 sIVlkQMh
戦国武将は書状で一人称に実名を使うことが多いんだよね。
その他、第三者として語る相手のことを実名で呼ぶ例も多い。

>「○○公」
ただしこれは訓読みせずに音読み。
晴信公=せいしんこう
こうすることで正しい発音で相手を呼ぶ無礼を回避する。

778:人間七七四年
09/01/13 13:40:41 MFgZ3wbT
そういえば漫画でも信秀は信長のことを吉法師って呼んで信秀の家来は次郎三郎様と呼んで
信長の部下だけ信長様と呼んで敵は弾正忠って呼んでますね。
実名は直属の部下しか使っていけないみたいな決まりがあったんですかね

779:人間七七四年
09/01/13 13:46:20 yfG24/41
関東管領上杉弾正忠不識院殿平三輝虎入道謙信の事を
信玄は生涯、長尾と呼んでいたんだっけ。プライドで

780:人間七七四年
09/01/13 17:10:45 sIVlkQMh
>>778
ちょwwwあの漫画は嘘と間違いだらけだからwwwww

直属の部下が主君を実名で呼ぶほうがありえないかと。
一般的にはこうなる。
例えば信長のことを部下は「殿」や「御屋形様」などの尊称で呼ぶ。
上下関係があるなら官途で呼ぶ。官途がなければ「三郎」などの通称。
で、信長を敬う必要の無い部外者は日記や、信長を敬わない相手と語り合うとき、
「信長」と呼び捨てることがある。
これらの用法が絶対ではないけれど、凡そこのように理解していれば大きく間違いはないはず。

781:人間七七四年
09/01/13 20:36:00 7aOE4W9r
>>779

信玄だけでなくあそこの庶民も長尾と頑なに呼んでたらしい。江戸時代の初期になってもあそこの連中は上杉景勝を長尾喜平次と呼
ぶくらいの筋金入り。一時的に同盟した時期は上の連中はそういう言い方を改めたのかもしれんが下々には硬くそれが残ったみたいで

782:人間七七四年
09/01/13 20:38:11 LKkhQEzN
秀吉は結構豊臣姓を乱造したけど、あれって宮中ではどんな風に受け止められて、
賜った人はどう思ってたんだろう。利用したりしたんだろうか。

783:人間七七四年
09/01/13 20:38:22 7aOE4W9r
>>780

そういや織田家って「屋形号」許されてたのか?謙信が屋形号や朱傘、塗り輿免許もらいにわざわざ大枚はたいて京都に行くくらい
の価値があったものだけど。

784:人間七七四年
09/01/13 21:49:31 sIVlkQMh
>>781
北条もそしてその陣営にある武将もだね。
おかげで無関係な奥州はどっちが正しいのか戸惑わされて混用している。

>>783
正式な守護職だと許されてなかった?

785:人間七七四年
09/01/13 22:36:37 7aOE4W9r
>>784

>正式な守護職だと許されてなかった?

長尾や織田は守護代でなかったか?信長のところはその守護代の分家みたいな。
謙信のところだとオヤジの代から朝廷や将軍家に献金しまくって権利を獲得し、他の豪族との「差」をつけていってた
ような。織田家も信長のオヤジの時代から朝廷や将軍家に接近してそれで「屋形号」許されていても不思議でないけど

786:人間七七四年
09/01/13 22:47:21 DSiGoXIb
>>777
>「○○公」
>ただしこれは訓読みせずに音読み。
>晴信公=せいしんこう
>こうすることで正しい発音で相手を呼ぶ無礼を回避する。

なるほどね。今でも熊本で加藤清正を「せいしょうこうさん」と呼ぶらしいが、上の呼び方に則ってのことなんだな。
すると信長は「しんちょうこう」かw。

一つ質問だけど、例えば「信玄公」「謙信公」とか法名で呼ぶのは無礼にならないわけ?

787:人間七七四年
09/01/13 23:07:09 sIVlkQMh
>>785
織田は尾張統一直後、正式な守護職に就任できてるよ。
桶狭間の前。

788:人間七七四年
09/01/13 23:42:18 sIVlkQMh
>>786
~~公は存命中に使う例を見たことが無いなあ。
存命中は謙信の場合は不識庵、信玄の場合には徳栄軒と呼ぶのが妥当かも。
俺もそれほど詳しいわけじゃないので突っ込みどころがあればどなたかよろしく!

789:人間七七四年
09/01/14 01:39:26 FL8gOqQY
>>775
信長は最終的には平家を名乗ってるけど、確か初期のころは藤原を名乗ってた
家康も同じで最初は藤原を名乗っていたが、最終的には源を名乗っている

790:人間七七四年
09/01/14 14:04:50 Hx2OJ8iY
よく合戦で死者数千人とか見るけど、一地方を納めるだけの国家で
そんなに死者が出たら壊滅的なダメージのはずですが、戦国時代は
人口が多かったの?

791:人間七七四年
09/01/14 14:08:56 SH8gEjPP
ヒント:水増し

792:人間七七四年
09/01/14 15:09:01 mwtNkSZw
死者数千なんて川中島ぐらい。
だいたい死傷者数で大半は怪我人及び捕虜。


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