【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】at SENGOKU
【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】 - 暇つぶし2ch296:人間七七四年
08/07/14 14:43:47 INEJa3iz
>>294
この時の村重は明確に信長に敵対している。
信長から疎まれそうになったが信頼回復し、その後も織田の為に極めてよく働いている。
信長はこういう働きをする人物を重用する。
↓これに書いてあるのが史実に近いのでは。
URLリンク(s-mizoe.hp.infoseek.co.jp)

297:人間七七四年
08/07/14 15:41:00 wwsR7QzV
>>296
返答ありがとうございますm(_ _)m
ご紹介のサイトもとても参考になりました

298:人間七七四年
08/07/15 00:13:04 AqWFCDtL
>>294
多分、どっちも正確には正解じゃないかも。
明確に信長に敵対していたわけじゃないけど、
足利義昭との関係で、立場が弱くなり、疎まれはじめていた和田氏と
摂津の実質上の権力者となり、信長の寵愛を受けつつあった荒木とが
摂津の覇権を巡って争った。結果・名目上の守護・池田氏を担いだ
荒木が和田を攻め滅ぼした、と。
まあ、後に松永と同じく裏切るわけだが。

たぶん、信長は言う事聞いてくれる荒木が
実権持った方が良かったんで、黙殺したんじゃないのかね。
織田が援軍出したとかいう記録も見たことないし。

299:人間七七四年
08/07/15 02:45:51 nyz0lwRe
>>298
なるほど。詳しく分かりやすいご説明、本当にありがとうございます
確かに>>298さんの言う通りだとすると色々と納得できることが多いですね
 
いわば信長にとっては身内同士(少し誇張ですが)の戦いであったのに、村重を止めることも惟政を助けることもしなかったのは、信長にとって村重の価値>惟政の価値 であり 村重と信長の仲>惟政と信長の仲 という背景があったからなのでしょうね。

長くなりましたが、お二方とも本当にありがとうございましたm(_ _)m

300:人間七七四年
08/07/15 12:10:15 SpK5vE5s
織田信長の娘の「秀子」が筒井定次に嫁いでいますが、彼女は光秀の実娘で信長の養女にしたとする系図が
歴史群像に載っています。
その本では光秀の「秀」の字が娘の名前だって理由付けしているのですが、この真偽について教えてください。


301:人間七七四年
08/07/15 15:34:13 7suNzUSn
正室は信長の娘。
側室は光秀の娘(光秀の側室の子):光秀には側室がいた。

302:人間七七四年
08/07/16 12:13:22 d+m9FLXM
織田信長は家臣に九州の名族を姓を与え、明智光秀には「惟任」・丹羽長秀には「惟住」と名乗ります。
そこで質問なのですが、「惟任・惟住」は本当に九州の名族の苗字として存在したのでしょうか?
一説には「惟任」は「惟宗」の訛伝だといわれていますが、その真偽も含めて教えてください。

303:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
08/07/17 00:01:50 sIqW+Bix
答えではなく簗田広正の別喜右近大夫というのも戸次の訛りという追加。

304:人間七七四年
08/07/18 21:53:15 4Tdq7QLx
黒田勘兵衛が秀吉に「うまくやりなされ」って言って野心を見抜かれたとか、長政に
「空いてる手はなにをしてた」って怒ったりしてますが、彼に天下を取るチャンスは
本当にあったんでしょうか?

305:人間七七四年
08/07/18 22:14:03 IkIK0aDZ
ない。

306:人間七七四年
08/07/19 19:01:42 WyMQa0A2
まあ、ないだろね。
秀吉絡みで過大評価されてる部分も多いし。
黒田官兵衛も竹中半兵衛も小禄だしね。

307:人間七七四年
08/07/22 19:57:30 Fr2Q2E0I
長文駄文失礼します。

ウチの親父は趣味で絵を描いてるんですが…
どうしても知りたい事があるらしいんです。
昔本屋で見たらしく(?)探しているのですが情報不足で見当たらず。
ちと困り果てています。

内容としては武士の大名屋敷の門について知りたいらしいんです。
昔の武士の階級毎に作れる門が決まってたらしい?
主に石高毎にそれが決まってるらしいんですが
その石高毎に作れる門について知りたいそうなんです。

検索してみてもぜんぜんヒットしないし本屋を探してもそれっぽいものが見当たらず。

知りたいことは
・石高毎に作れる門の詳細と絵や写真?らしいのです。

新参なのでここで聞くのも間違ってるかもしれない内容ですが
詳しいサイトや本など情報があったら教えてください!


だいぶ下がっていたのでsageませんでしたが問題ありましたら失礼しました。

308:人間七七四年
08/07/22 23:37:52 Fr2Q2E0I
親父本人に色々問いながら進めていった結果なんとか結論に辿りつけました。

どうやら大名には色々な屋敷のタイプがあったということ。
石高で分かれるのは主に旗本であったこと。
石高によっては門や瓦に畳も使えなかった事等わかりました。

ググったりしても一向にヒットしなかったのですがwikiで武家屋敷と調べてみたら
カナリ詳細なモノがのっていてそこからの知識で補完しつつ検索をしていたら
なんとか画像も見つかったのでそれで満足してもらえそうです。
いきなりの駄文失礼しました。


309:人間七七四年
08/07/23 11:55:55 MYHVFdIZ
それは戦国時代の質問だったのか?

江戸時代のネタとしか思えないのだが

310:人間七七四年
08/07/23 14:52:24 15GBVPXy
今本屋にいるんだけど、岡谷繁実が書いた「名将言行録」の現代語訳って文庫だけ?
岩波文庫のところになかったから、文庫じゃない固い表紙の方で探してるんだが中々見付からない

311:人間七七四年
08/07/26 02:29:12 y6T4rfxG
これは戦国時代だけではないかも知れませんがなぜ大名など偉い人は
正室に何人もの男の子がいても側室を娶るのですか?ぎゃくに男の子
が増えたら争いになるかもしれないのに...。

312:人間七七四年
08/07/26 02:36:55 KqRMhl4s
一に予備、二に外交戦略要員。

この時代の幼児死亡率の高さで無事成人できる可能性は現代とは比べ物にならないくらい低い。
また医療などが未発達のため、成人しても病や怪我が悪化してあっさり死ぬことも有る。
そういう場合に備えておく必要がある。
あと毛利の両川や北条の氏照・氏邦らのように、
他家に養子に出してその家を乗っ取るのは常套手段。

313:人間七七四年
08/07/26 18:19:22 vmru+1Ug
すいません
黒田長政スレって無いんですか?

黒田・長政のどっちで検索しても引っ掛からなくて、
まさか隠語みたいなのでスレタイになってると困るなあと質問です

314:人間七七四年
08/07/26 18:48:39 +ZFyvZs3
>>311
増えすぎた男子を仏門に入れて、家督争いを未然に防ぐ方法もある。
例:今川家・足利家

315:人間七七四年
08/07/26 23:26:13 y6T4rfxG
>>312 >>314 ありがとうございます。生存率のことが頭から完全に
抜けていました。ファンタジー小説の読みすぎだなと思いました。


316:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/07/28 08:16:25 fpmLJDxF
>>313
たったよ

黒田長政だ!
スレリンク(sengoku板:1-100番)

317:人間七七四年
08/07/29 20:25:28 m8SmvsIH
武田・上杉・北条・今川の政策についての差異性と共通性を教えてください。
できれば各氏の中央政権との関係もお願いします。

318:人間七七四年
08/07/30 09:11:23 DYptmby9
>>317
なんだその夏休みの宿題みたいなのはw

319:人間七七四年
08/07/30 14:07:05 cfUR4bJS
>>317
スレを立てろ。
1スレくらいなら埋まると思われる。

320:人間七七四年
08/08/03 06:15:04 VJaquGsg
家康が関東に入府したとき江戸一帯は原野に近かったそうです。
家康の所領の石高が公称240万石というのが嘘だと思うのですが。
毛利と上杉足したぐらいあったとは思えない、

321:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/08/03 10:57:01 uhpnBppl
    太閤検地
下野  374,082
上野  496,733
武蔵  667,126
下総  373,255
上総  378,892
相模  194,204
伊豆  69,832

計 255万4124

まぁ、実高300万こえてたんじゃない?

322:人間七七四年
08/08/03 11:41:52 yhAuYTru
相模が異常に少ないが、これは鎌倉要塞と関係あるの?
周辺にあんまり人を住まわせなかったとか・・・
開発をしないようにして原野のままにしておくことが、防衛上優先されたとか・・・

323:人間七七四年
08/08/03 16:51:23 SHgvavRI
役帳で奥三保に田は存在しない事を考えてみれば、
相模の耕地は少なかったと見ていいんじゃないか。
ただし、奥三保や伊豆は山林資源の宝庫だから単純な石高では計れない価値があるけどね。

324:人間七七四年
08/08/03 20:31:01 /QWJVsx6
表高と実高では倍くらい違ったんじゃないか。
勿論、実高が高いのが欲しい
軍役の割り当ては表高で当てるから

325:人間七七四年
08/08/14 02:13:31 5Xh73/I6
薩摩って慶喜を将軍にしようとしてたのに何で最終的に慶喜と対立したんですか?

326:人間七七四年
08/08/14 03:18:32 lwCGj/t5
ですので慶喜が晩年こんな趣旨の事を言っています。
「最初から倒幕を掲げていた長州は、今は恨んでいない。ある意味立派。
 しかし薩摩は途中で寝返りやがってマジむかつく。死ね、氏ねじゃなくて死ね」

327:人間七七四年
08/08/14 16:35:24 5Xh73/I6
攘夷やら倒幕やら開国やらごっちゃになってよくわからないです。
幕府は開国しようとしてたから倒幕=開国でもないですよね。

328:人間七七四年
08/08/14 20:09:22 dFPWTl9R
攘夷 ⇔ 開国 が対立概念
佐幕 ⇔ 倒幕 が対立概念
それぞれベクトルが異なる思想。
組み合わせによって、倒幕開国思想とか、佐幕攘夷思想とかもある。
倒幕派の一部が看板に掲げた名目が尊王。
武家主導の政治制度を作り上げたいけど、徳川家には引っ込んでもらって
他の有力大名家の議会で行こうという雄藩連合思想というのもある。
朝廷の重鎮(公家)と武家を織り交ぜた議会で政治を行おうという、
公武合体思想というのもある。


329:人間七七四年
08/08/15 02:41:30 l6YIvCQv
井伊大老が暗殺されたのは攘夷対開国の流れから?

330:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/08/15 10:41:32 uB+d5t3w
攘夷開国なしにただの怨念からかも

井伊直弼は攘夷派に対して酷いことしたよね(´・ω・`)

331:人間七七四年
08/08/15 11:05:54 L4F5vuIW
暗殺の動機は、井伊が行った弾圧に対する報復でしょう。

攘夷派と倒幕派という別々の思想集団が、
アンチ井伊という共通要素を得て手を結び、
倒幕攘夷(あるいは尊王攘夷)という新たな運動が産まれたと言われています。

332:人間七七四年
08/08/15 18:12:00 l6YIvCQv
結局は尊王開国みたいな感じになったんかな。
尊王攘夷と言っても実際に天皇が政治をするわけじゃないでしょ?

333:人間七七四年
08/08/16 06:18:14 oJp5mau3
戦国の兵制についてお聞きします

1、一騎の騎馬武者は禄高に応じて、旗何本、弓いくつ、槍いくつと平素から家来を養い軍役を
果たした、と聞きます
この場合、たとえば家来の槍足軽は戦いでも、つねに主人の馬側で行動するのが自然に
思えます

2、いっぽう合戦においては、軍勢は兵種ごとに分かれ、まず鉄砲・弓隊による射撃戦、
槍足軽隊による白兵戦、最後に騎馬隊が突入して雌雄を決した、という記述がみられます
ドラマなんかでも鉄砲足軽はそれだけで集団を作り、槍足軽も槍だけの集団を作って
いますよね。この場合の足軽は、主人の騎馬武者とともに行動していません

この違いは何でしょう
考えられるのは

A、1と2の足軽は別物。とくに騎馬武者の主人を持たず、槍なら槍隊を形成する足軽たちと、
 騎馬隊に混じって馬上の主人を護衛する足軽の、2種類がいた

B、1と2は同じ。主人に率いられて戦場までは来るが、いざ合戦というときには
 「行ってまいります」とばかりに主人から離れる。
 それらの足軽たちを集めて、槍なら槍隊の集団が形成される

C、しょせん本もドラマも後世の類推なので本当のところはまったく分からない

どれかしかないと思うのですが、どれなんでしょう(Bでは手順が煩雑すぎか)

つまらないことを長文で書いてしまいましたが、ずーっと気になっていたもので・・・
詳しい方教えてください または考えを聞かせてください


334:人間七七四年
08/08/16 12:48:02 g6vGR0CM
戦国では備という戦術部隊で行動します。
大名とされる一万石以上というのは、自前で備を出せる目安ということになります。
逆に言えば一万石に満たない中小武士は寄り集まって一つの備を形成せねばなりません(いわゆる寄親寄子制)。
そのようなより集めの備でも、大名の備と同様に諸足軽が居なければ集団戦闘ができないので、
諸足軽を皆で出し合う必要があるわけです。
また軍役を見れば分かりますが、御槍持や口取りなどは記載されていません。
つまり武士達は軍役とは別に家臣(自分と共に行動する郎党や中間)を従えていたわけです。
軍役の兵力を放出したとしても武士の周りには家臣たちが居た訳です。

よってBが正しいと思われます。

335:人間七七四年
08/08/16 13:01:41 FMd4dGZC
降服とかで頭を丸めると許されるのはなぜですか?
髪なんか禿じゃなければほっときゃそのうち生えてくるし
そもそもサカヤキそってるから
頭頂部はもともと生えてないしで痛くもかゆくもないでしょ?
髪に痛覚神経通ってるわけじゃないし
今はハゲは侮蔑の対象スケベの代名詞ですが
当時の僧侶はそれなりに尊敬さる対象だったはずで
剃ることが欠点にはならないでしょうし

336:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/08/16 13:16:13 U8bV46cU
頭を丸めて僧侶になることで、「私はもう野心はありません」っていうことを示すからかな
まぁ、反省の意味を込めて頭を丸めるんだよ

337:人間七七四年
08/08/16 14:28:03 uCS34IGM
まげというのは元々兜の穴に通して兜を固定する為に始まった髪型
足軽として駆り出される農民にもその後広まったが、
武士にとっては「いつでも戦える状態にある」という象徴的な意味合いもあったと思われる
元服の際に前髪を上げて(切って)正式にまげを結うという儀式が行なわれていた事からも
一人前の武士の象徴として重要な物と考えられていた可能性が高い
それを落とすという事は、大げさに言えば「誇り」を捨てるという感覚もあったのかもしれん

338:人間七七四年
08/08/16 14:52:16 oJp5mau3
>>334
わかりやすい回答ありがとうございました。

武士達は軍役とは別に家臣(自分と共に行動する郎党や中間)を従えていた
軍役の兵力を放出したとしても武士の周りには家臣たちが居た

という説明は、長年の疑問が氷解する思いでした

軍役用に動員された兵は戦場に赴く前に、主君(?)からは離れて兵種ごとに集合
させられていた感じでしょうか・・・

339:人間七七四年
08/08/16 23:22:47 9l09EUUY
なるほど。武将は命じられた兵数を集めるが、
常にそれを連れて来た武将が指揮するのではなく、
兵種ごとにこれを集めて、誰かが動かすってことかいな?

俺は武将の引率する小隊が中の人はそのままで槍や鉄砲に持ち替えるのかとばかり思っていた。

340:人間七七四年
08/08/18 22:17:24 5/7Cyrz8
>>334
大名が雇った足軽隊を侍大将の指揮下に置いたり
国人に上層の大名が足軽用の槍を供与したりしているのでAが正しいと思う

Bのような郎党の供出があったという資料を自分は知らないので、よかったら
教えて欲しい。自分、備の研究者なもんで

341:人間七七四年
08/08/18 23:24:02 lnIlshBU
あとさ、よく野戦は弓鉄砲投石で遠戦して、
相手が弱れば槍合わせすると言うけど、
相手が弱るってどういうことなんかね?

被害が増える、陣が乱れる、将が負傷するなどがありそうだけど、
そこへ好機とばかりに槍を進めてもすぐ立て直されたらダメじゃない?

342:人間七七四年
08/08/19 06:39:39 MwQF7Dm9
>>341
直ぐ立て直されないほどの損害を与えるか
立て直す前に迅速に敵陣に乗り込むか
要はスピードとタイミング

343:人間七七四年
08/08/19 08:48:37 ZPLXIcih
>>342
遠距離戦で「直ぐ立て直せないほどの損害を与える」まで圧倒できるのかが疑問。
結構な距離があるだろうに歩兵がわーっと鑓を前に突撃できるのかどうかわからない。
三段撃ちじゃないけれど、そう常にうまくは出来ないんじゃないか。
常用できる用兵術とは思えないんだよね。

344:人間七七四年
08/08/19 09:31:46 7nemmroc
当時の遠戦は大体、50~100m程度なので、火力密度か下がれば突撃による突破は可能

345:人間七七四年
08/08/19 09:59:49 S8buBw0L
実害(死者による兵力の減少)もあるが、士気の低下による混乱というのもある
こっちは一度大きな混乱状態になったら簡単には修正が効かん
兵数で圧倒的に勝る軍が寡兵に打ち破られる例がいくつもあるが、
混乱で兵の統制が取れなくなって崩壊というのは少なくない

346:人間七七四年
08/08/19 16:45:23 bEJ77z3/
>>334
郎党を出すとは書いてはいませんが。
確かにまずい書き方をしているのは認めます、
郎党が軍役に入っていないような書き方ですから。

自分の部下の足軽の指揮権を委ねるのは、
岡本何某への着到状を見ていただければその一端はわかるはずです。
また名前は忘れましたが騎乗三名を除き他は全て鉄砲足軽という極端な動員例もあり、
彼は自分の出した兵力で鉄砲足軽隊的な位置にいたことがわかります。
また同じく北条の着到状には
知行を受ける本人だけではなく足軽の軍装(足軽用の長槍の長さは二間半に統一しろなどまで細かく指定して、
それを間違いなく用意して来いといっています。
これらのことから大名が一元的に足軽を出していたわけではなく、
中小武士達が動員してきた足軽たちも足軽隊として運用していたと考えられると思います。
また一万石の大名、といっても千石前後の家老を筆頭に陪臣を当然抱えているわけで、
それらの兵力を当てにしなければ足軽を揃えることは不可能かと。

もちろん幕府で言うところの町奉行所の同心や八王子千人同心といった足軽達を幕府が直々に抱えていたように、
大名が足軽を大量に直接抱えていたのはおっしゃるとおりで、異論の余地はありません。

347:人間七七四年
08/08/19 21:10:30 ZPLXIcih
340へのアンカーミスしてない?

348:人間七七四年
08/08/19 23:01:34 MwQF7Dm9
>>346
う~ん、自分としては自分の家臣である足軽を貸し出すという構図が納得できないのです
そういう事は近世の備では行われず、陪臣は陪臣でそれぞれの侍に仕えるという形なのです
自分は備の成り立ちは旧来の武士団に大名が編制した足軽組を付属したのが始まりと
考えてるので、そういうそれぞれの武士からの供出には首を傾げているのです

旗の統一も部隊識別(合印)と考えれば直臣・陪臣の区別なしとなるでしょうし、現に井伊の
赤備は直臣・陪臣ともに赤で、直臣は名前書きで陪臣は主君の紋を入れるという区別だそうで

それに軍装の統一も相手を威圧する為と軍役状に書いてあったと思います
自分としては封建制を壊す主従関係を飛び越えた人の供出(特に下から上)はあるとは考え
にくいのです

349:人間七七四年
08/08/20 00:29:28 lN/5ytWV
>>348
根拠を出せ、といわれたから出したまでです。
ミクロな寄親寄子制の例。
大名が武士に足軽隊をつけたことへの反論として、
軍役そのものが鉄砲隊という軍役の人員が衆の足軽隊として使われていた例。
そして大名が一手に足軽の武具(槍)を貸し出していたということへの反論。

封建制を壊すといわれますが、北条をはじめ一部の大名は直臣の封建制の一部を否定してますよ。
それは江戸時代に入るとより顕著になります、藩にもよりますが。
武士達の領主たるを保証するのは一通の安堵状と藩からもらえる給米くらいなもの。
自分の領地に行ったら処罰、勝手に領民にあったら処罰、
都市に住むことを強制され、必要なことは全部藩がまとめて代行、
これではとても封建領主とはいえません。
この走りは戦国中期頃から徐々に見られるようになってきていると思います。

>>347
ミスってます、申し訳ない。

350:人間七七四年
08/08/20 01:32:08 ngVSz8dO
なるほど。この議論は面白い。
そうすると謙信が自軍の中を馬で突っ切り、
青竹で「ここから右側の足軽は全部何某の、逆側は何某の指揮下に入って戦え」
と指揮した逸話もあながち出鱈目ではなく、
可能性として否定しきれないことになりそうでんな。


351:人間七七四年
08/08/20 07:21:39 Tva3DI5U
>>349
一応、私も議論の為の反論としてお受け下さい

果たして武士それぞれの軍役下にある足軽が足軽隊のとして抽出されたかが大きな問題と思います
私の感じる限りでは武器・装具の統一以外でその様な事を示す傍証は内容に思ってます
つまり、自身で動員した兵を差し出すということが一般的に行われたか否かで
これは主従関係を壊すことになりかねないと思います

同様の施策は幕末の幕府歩兵隊で一時行われていますが、あまりにも人材にばらつきがあるので
直ぐに金納に変更したという話もあるのです
なので、抽出はあまりないのではと考えています

後、大名から国人への武器供与はあくまで与えたという意味で、これは備を編制するのに経済力が
足りない国人に対する援助と考えています

352:人間七七四年
08/08/20 13:25:42 ngVSz8dO
>これは主従関係を壊すことになりかねないと思います

素人が横からですみません。
これについては戦国中期から解体がはじまっているのではないのかな?
足軽雑兵の類を供出する惣村の地侍は些細なことで領主をころころと変えられ、
一つの村を分割で支配されたり、複数近接する村が遠方の領主に飛び地としてあてがわれたりしている。
これではご領主様への忠誠心も何も育つわけではなく、ただ段銭を集めるように足軽を集めて、
奉行にこれを提出するがごとく動員をかけた大名に連れてきているのではないですかね?
これにより国人領主は合戦では自由に出来る直属の兵を多数抱える豪族ではなく、
一族郎党ほか小物などを引き連れた程度の一部将一家臣と化し、
あからさまな軍役拒否や独断的な軍事行動を取れなくなっていったと思うのですが。

353:人間七七四年
08/08/20 20:20:29 Tva3DI5U
>>352
足軽が農村からの徴集かどうかは疑問があると思います
小荷駄などの陣夫は地下人からの徴集なのは間違いないですが、
足軽や槍持といった戦闘要員もしくはそれに近い者達は自発的な参加と考えられています

この場合、彼らは雇い主と契約を交わしているので、そこで抽出されて足軽隊に編入となると
契約的にややこしくなるのです
寄親寄子制も同様の問題がありますが、この場合は知行安堵や恩賞は本来の主君によって
なされますが、足軽の場合はかなり問題がややこしいかと

何より寄親寄子制はその資料が豊富であるのに対し、武士の足軽を主君に供出するという
資料は私は見たことがないので、どうも疑問に感じています

近世では備の足軽隊とその足軽は全て大名の直臣なので、なおさらそう感じてしまうのです

354:人間七七四年
08/08/20 20:47:58 tfFp4krb
「自発的」の意味がよくわからないのですが、別に村や寺社が供出=地下人の供出とは言ってませんよ。
彼らが雇用するなりなんなりして、農産物を換金して納税するように、軍役を提供したのではと仮定しただけです。
契約云々はよくわからないのですが、
工事現場に口利きが人足を出すように、
大してややこしくはないんじゃないでしょうか。

ただ、大名に供出するという表現は僕もおかしいと思いました。
換言すれば、軍役に従って人数を連れてくる武士は、
それを自らのものではなく、親の統制下に入ることがある事を前提に連行しているのではないかと。
しかし、これにしても鉄砲隊や騎馬隊の指揮官はどのように選抜されるのかよくわかりませんね。
本当に謎です。

355:人間七七四年
08/08/20 20:54:44 lN/5ytWV
片棒担いでいるので強くは言いませんが、
そろそろスレ違いでしょう。

あと主君に供出するとは書いていません。
寄子は足軽ともども寄親の指揮下に入る、
その際、寄子の足軽は寄親の指揮下に置かれると言っています。
その例に付いては既に挙げ、一切の反論もないので言を重ねません。

356:人間七七四年
08/08/20 22:18:43 tfFp4krb
いや、あなたは書いていませんよ。
僕が納税を例にそのように取られる話にしてしまったとしただけです。
丁寧にご説を下さるのはありがたいのですが、
もう少し相手の話を理解してから返答するよう努めたほうがよろしいかと存じます。

357:人間七七四年
08/08/20 22:31:46 Tva3DI5U
>>354
つまり
領主に対する後方任務の陣夫提供は地下人の義務ですが、
足軽という戦闘任務は各々の自由意志によるものなのです

一応、非常時には地下人の戦闘任務への動員もありますが、
これは本当の非常時で、食料賃金支給、恩賞あり、出身地勤務
とかなり気を使ってます

そして口利き方式は上が雇い、下に預ける形(江戸時代の武家
奉公人がこの形)ですが、逆に下が雇ったものを上に預けるか?
こういった例が資料であれば即解決なんですけどね

一応、手詰まりと思うのでここまでにします
ありがとうございました

358:人間七七四年
08/08/20 23:22:30 tfFp4krb
いろいろありがとうございました。

359:人間七七四年
08/08/22 17:38:11 eRuwQIm1
519 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/08/22(金) 17:34:43 0
>>480
教科書に載ってるかどうかは知らないけど
秀吉の家は清州織田家の織田達勝に仕えていたということが最近の定説らしい
もともと中村一帯の広大な土地を所有する豪農で
いくさになると足軽たちを動員し指揮を執る格式的にそれなりの在地武士
ここ数年で親父さんの名前で織田信秀の村方相談役になってる資料も見つかって
神社にも親父さんが代表者として記録されてる資料が出たとかで有力な名主クラスだったことは間違いないみたい
大政所も百姓じゃなくて(階級は低いものの)武士の娘だということが判明したそうだ

だから極貧の最下層貧農の出ってのは少なくとも嘘っぱちもいいところなんだと

びっくりだね。立身には幼少期からそれなりのバックはいるってことか



これマジなん?ずっと水飲みの貧農の出で
実力だけで家柄やバックもなしに超出世した凄い人だと思ってたんだが騙されてたのか?

360:人間七七四年
08/08/22 18:01:18 vStky/Df
水呑の豪商ってのもいるしなぁ

361:人間七七四年
08/08/23 00:06:11 eTdmRa9R
>>359
だいたいそんなもんだよ。俺もそこまでは知らんかったが、
ただの貧農が武将にはなれんわ、やっぱ。

362:人間七七四年
08/08/23 00:39:22 gBYxVndw
戦国時代は石高イコール動員力みたいだけど
米さえあれば、OKなんて信じられないのですが。

363:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
08/08/23 00:48:30 7Edjv6q/
>>359の説を全肯定するつもりはない。
でも前田利家と仲がいいと言われているだけで、なんとなく納得できるな。

364:人間七七四年
08/08/23 00:58:22 eTdmRa9R
>>362
武家に与えられる知行地は収入の高低を示す。
主君から収入を多く与えられている武家はそれだけ大きな責任があり、
たくさん兵を連れてくる義務がある。
米があるからたくさん兵数を連れてこられるんじゃなくて、
それだけ実入りが大きいから兵を連れてこなくちゃいけないわけです。

>>363
でもどのみち低身の出身であるのには変わりないから、
秀吉のイメージが根本から変わるわけじゃないよね。
つかこの説って大河の秀吉でもある程度は再現されていたよな。

365:人間七七四年
08/08/23 00:59:09 qEHHHbUT
天皇がいる限り天下統一なんて有り得ないよね?

366:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
08/08/23 01:02:51 7Edjv6q/
>>364
士農工商に振り回される観念がまずいんだよ。
戦国時代の身分制度なんて曖昧なものなんだし。

367:人間七七四年
08/08/23 01:05:18 eTdmRa9R
>>366
だあね。
しかしこの場合、秀吉がそれを分けた張本人であるのは面白いw

368:人間七七四年
08/08/23 04:12:58 h7wt9dmF
>>364
>武家に与えられる知行地は収入の高低を示す。

つまり、米が通貨ですか?
何で、米ごときが。

369:人間七七四年
08/08/23 07:39:51 8gCDVcdi
>>398
それがないと死ぬから
主食舐めるなよ

370:人間七七四年
08/08/23 08:07:20 aWHRV5tW
つまり、米さえあれば生きてゆけると?

371:人間七七四年
08/08/23 08:21:58 8gCDVcdi
>>370
後、味噌があればいくつかのビタミンなど除けば生きていける
衣食住の食は基本的にこれで充足される

米の栄養価の高さを舐めてはいけない

372:人間七七四年
08/08/23 09:32:34 aWHRV5tW
脚気になると思う。

373:人間七七四年
08/08/23 09:36:11 8gCDVcdi
>>372
精米してなきゃならない

374:人間七七四年
08/08/23 09:59:22 gJDYt8iy
ID:aWHRV5tW

ここでの回答がそんなに納得いかんなら、納得いくまで自分で調べたら?

375:人間七七四年
08/08/23 11:01:45 11u92mQi
実際問題として、白米を食う江戸では脚気はかなり流行ったんだけどね。
それでも、社会を構成していた要素として米は欠かせないだろう

376:人間七七四年
08/08/23 11:04:27 cBN4may8
戦国時代の食事4膳目のスレでは
米=主食説は少数派だけどな。

377:人間七七四年
08/08/23 11:21:31 eTdmRa9R
>>370 >>372
米は通貨の代わりだったの。
江戸時代が近づくまで年貢はお米じゃなくてお金だった。
納税者はこれをお金に換えてから納めていた。
でもこの当時、良質の金銭があまり流通していないから、
一部領主は「いくらかは現物(農作物や工芸品などの生産物)のまま納税してもいいぞ」
となり、いろいろあって江戸時代には農民は米だけを納めるようになって、
換金は武士がやるようになった。
だからお米だけで生きていけるとかそういうもんではないですよ。

378:人間七七四年
08/08/23 15:23:07 qEHHHbUT
>>365
天皇がいなかったら、たとえば戦国時代は内戦ではなく、諸外国の戦いとなり、
織田領と毛利領はそれぞれ「別の国家」となっていたことになり、天下統一はありえない。
なぜならば「天下」という概念がないからってね。
中国みたいに王朝を破壊して、皇帝になろうとしない武将がいないだけで、国の秩序維持の「義理」高さがあったよね。

379:人間七七四年
08/08/23 15:39:24 WXXQC586
足軽についての俺のイメージなんですが、俺のなかでは足軽というと二通りあって
「笠と胴丸をつけて槍でつつきあってる」のと「派手な飾りはないけど甲冑である程度かためてる」

の二通りがあるんですが前者は雑兵、後者はある程度の士分ってことでいいんですか?

なんか日本語も変ですみません

380:人間七七四年
08/08/23 20:50:24 dcRzMhHl
377を現代に例えると、
ある警備会社の支社が多大な年商をあげていた。
それをみて本社が「大規模な短期警備の契約が来た。支社全部から人を貸して欲しい。供出人数は年商で決める」とか言い出した。
仕方ないので年商の割に人数の少ない支社は新規登用をしなくてはならなかった。
こんな関係が石高と軍役の実態、だと思う。

381:人間七七四年
08/08/24 22:39:32 bQx7JVXK
戦国時代じゃないんですけど江戸時代に改易されそうになって
家康の感状幕府に出して(もう徳川幕府も何代目か)今回だけは許すとなった藩の祖(感状貰った人)分かりますか?

神君 感状 改易 免除
あたりでググッても分かりませんでした。

382:人間七七四年
08/08/25 02:45:21 2EhXlxtq
>>381
感状かどうかは知らんが、榊原家に似たようなエピソードがある。
あと、改易されるところを「先祖の功績をもってとくに・・・」と家存続を許されるケースも
ある

383:人間七七四年
08/08/25 07:06:10 z8caIPac
黒田家じゃない?
黒田騒動の顛末そのままだと思ったけど。

384:人間七七四年
08/08/25 08:41:36 2+uAR//x
>>381です>>382-383さんありがとうございます。
神君の書付をもって改易今回は許してやるっての結構多いみたいですね
時代劇で下賜された扇子が盗まれて大騒動とかそんなのが幕府に知られた日には(((( ; ゚Д゚)))ガクガクブルブル

黒田家ググリました、黒田騒動でよく取り潰されなかったもんだ…

385:人間七七四年
08/08/25 08:45:00 2+uAR//x
あ、すみません件の用件は榊原家でした、喉のつかえが取れました。
ありがとうございます。

386:人間七七四年
08/08/26 12:29:25 sPVRH2nr
信長公記は色々な出版社から出ているのに、太閤様軍記之中と太田和泉守記がほとんど書籍化されていないのは何故?

387:人間七七四年
08/08/27 13:48:56 WpZrE5MP
>>386
太閤様軍記は原本も写本も残っていないし、「中」も全体通して秀吉への論評だから面白くないんだろ。
太田和泉守記は「関が原軍記」として書籍化されている。
大きな図書館に行けばあるだろ。

388:人間七七四年
08/08/27 14:33:12 HH2N0/Gm
>>387
ありがとう
後者は名前違ったのか

389:人間七七四年
08/08/27 17:17:55 io16Hf3l
質問です。長尾晴景は定説では永正九年生まれとされますが、
異説に大永七年生まれもあります。
後者は実隆公記で同年六月十日に為景に男児が生まれたので
太刀などを贈ったという記述があることが根拠となっています。
たしかにいくら羽振りのいい大名でも守護代風情でしかも次男相手に
柿本人麻呂の和歌に賛を施し、香炉、祝いの太刀、宸筆、緞子まで
贈呈するのはなかなかないように思います。
だからこれは長男への祝賀で、晴景の誕生と見るということになっています。
しかし同年、晴景こと童名道一宛ての書状で、
将軍足利義晴より晴の一字を名乗ることが許されているとともに、
弥六郎の通名を名乗るようされています。
まだ生まれて半年もならない赤子に一字拝領などあるのかどうか疑問です。
実際、こういうことはありうるのでしょうか?
お分かりになる方、お考えのある方がおられれば教えてください。

390:人間七七四年
08/08/28 09:51:25 dN3ZDmAy
>>386
>太閤様軍記之中
「たいかうさまくんきのうち」のこと?
それなら翻刻版が『戦国史料叢書』に載っている。
大学の図書館で閲覧した。


391:人間七七四年
08/09/02 02:11:09 Nm48Ad3I
1553年頃の柴田勝家の周辺国での知名度ってどれくらいだったんでしょうか?

392:人間七七四年
08/09/02 14:10:07 8zzjCoal
>>391
織田信秀の重臣の地位にいたから、信長の代(1551年)になっても三河、美濃、伊勢あたりには
当然知られていただろう。
ただしその後10年以上、干されて、窓際族で、戦に参戦していないから、忘れられた存在だったと思う。

393:人間七七四年
08/09/02 14:31:40 CtuXBWQy
前田慶次朗参上!

394:391
08/09/02 15:41:37 CIZlqKlk
>>392
ありがとうございます
やはりその頃だと「重臣」ってイメージだけで
後の鬼柴田やら掛かれ柴田と呼ばれた印象とは別なんでしょうか……?

395:人間七七四年
08/09/03 00:59:43 Vz0EPiv9

武功夜話とか名将言行録、常山紀談あたりの雑多な逸話をまとめた書籍で
いいのありませんか?

ちなみに小学生の時、桑田忠親の「戦国武将100話」を読んで戦国好きに
なってしまい、ああいうのでもうちょっと網羅してるようなのが読みたいなと。

396:人間七七四年
08/09/03 15:18:42 oWH8X3Xu
>>392
信秀の代から「武辺者」として高名だった、と読んだことがある。
「鬼柴田」は越前戦あたりからの呼び名。
若い頃は「匹夫の勇」、後年有能な指揮官として認められた。

397:391
08/09/03 21:50:47 4Va4+oUu
>>396
個人的な武勇(?)は昔から、
指揮官としての才は後々になって知られるようになったってことですか……。
ありがとうございました。

398:人間七七四年
08/09/04 11:07:54 1NHg0sgh
質問です
陶晴賢は次男らしいのですが、
ある本やサイトでは兄の名は興昌で戦死、
また、別の本やサイトでは兄の名は義清で父の興房によって毒殺、
というように名前も死因も全く違うのです
ここまで違うと同じ人物とは考えにくいし、かといって晴賢が三男だったという記述も見当たらず、
どっちが正しいのか気になっています

399:人間七七四年
08/09/04 19:30:41 SCy1vu4g
あの…、ここで聞いても良いのかと思いましたが、質問というよりは相談です。
場違いでしたら申し訳ございません。

本題に移りますが、最近になって戦国時代に興味を持ちました。
ですが、元々日本の歴史に疎い私ではまず何から学べば良いのか分からず困っています。
何かおススメの書籍等ありましたらお教えいただけると助かります。

どうか宜しくお願いします。

400:人間七七四年
08/09/04 20:17:05 IwO4y0pE
>>399
何がきっかけでもしくは戦国時代の何に興味持ったの?
それに関することから本読むなりググるなりして調べていけば?

401:人間七七四年
08/09/04 20:51:28 SCy1vu4g
きっかけは地元の熊本城に行ったときが最初です。
無知であるがために加藤清正という人物自体を知らなかった自分には衝撃でした。
その後、新渡戸稲造の「武士道」を読み感銘を受け更に興味を持ちました。
「もっと彼ら戦国武将について知りたい」と純粋に思いました。
自分は現在高校生ですが、周りに戦国時代に詳しい友人がいなかったのでこちらで聞かせていただきました。

関することからということは、やはり加藤清正ですか?彼は全国でどの程度の知名度なのでしょうか?
それとも織田信長のような有名人物から知るほうが良いのでしょうか…

402:人間七七四年
08/09/04 21:16:08 6PKkhzKZ
新渡戸の武士道と、戦国時代の武士の考え方はというか、
戦国以前の武士と江戸以降の侍は別の存在。
結構ギャップがあることに付いてはまず、知っておいたほうがいい。

で、清正が好きなら清正を中心にして、
秀吉政権や後釜に座った細川、あるいは九州の在地勢力なんかから調べ始めればいいと思うよ。

403:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/04 22:09:33 P8/bqfY0
>加藤清正の知名度
漫画もでてるし虎刈りで有名なので、多分歴史をかじっている人なら誰でも知ってると思う
こんなのもあるし
URLリンク(item.rakuten.co.jp)

参考になるかも?
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

404:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/04 22:16:26 P8/bqfY0
歴史をかじっている人なら誰でも×
一般人でも○

405:人間七七四年
08/09/04 22:30:49 eCmM0t6e
高校生ぐらいでしたら、別に史実の細かで地味な事跡とか追いかけなくても、
講談などにあるような血沸き肉踊る物語から入るほうが有効だと思うので、
まずは小説やゲーム、漫画みたいな軽い所から入ってもいいんじゃないかと思う。
とりあえずwikipedia(URLリンク(ja.wikipedia.org))で好きな項目を適当に調べたりしてはどうかな。
加藤清正はなかなか魅力的な武将ですよ。

406:人間七七四年
08/09/04 23:08:23 SCy1vu4g
皆様、貴重なご意見感謝します。
清正は人気があるみたいで誇らしく思います。
先ずは最初なので、やはり基礎知識をつけれるような、割と簡単な本を探してみることにします。
そして少しずつレベルを上げていければと思っています。

本当に貴重なご意見ありがとうございました。

407:人間七七四年
08/09/05 00:05:40 +D0IGOBQ
講談と史実の見極めが大事だよ

408:人間七七四年
08/09/05 04:19:33 GJaR7XWZ
>>407
十代にそれを教えなくてもいいんでね。お前らみたいに自分で悟ると思うよ。
高校生の割りに賢そうだし。

409:人間七七四年
08/09/05 12:01:44 /D2kfXQX
>>395
地道に本屋に(コンビにでもいいよ)足を運ぶんだね。
それしかないと思うんだけどな。
で、今日「戦国合戦・敗者達の言い分」というのを買ってきた。
通説と史実を比較して合戦を敗者の立場で解説している。

410:人間七七四年
08/09/12 10:46:13 F2PBbMCg
早世や病弱等、最初から担ぐ人がいないのは除いた上で、
家督争いで兄と弟が戦って、弟が勝った例はありますか?


411:人間七七四年
08/09/12 14:41:48 qveS+LyW
謙信

412:人間七七四年
08/09/12 14:44:09 WQ2m7aNk
有名な例は今川義元かな
それとちょっと違うけれど、長尾景虎

413:人間七七四年
08/09/12 15:54:06 F2PBbMCg
>>411-412
ありがとうございます
こんな有名な武将がそうだったなんて全然知りませんでした

414:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/13 16:01:48 S3f5fthY
土岐頼芸も

415:人間七七四年
08/09/13 20:06:48 bHMB1MEW
丹羽「五郎左」長秀 

柴田「修理」勝家

とかの「」みたいなとこの名前?ってなんですか?

416:人間七七四年
08/09/13 21:30:02 kTYnol1X
>415
「五郎左」はあざな
「修理」は官名の修理亮
柴田勝家の「あざな」は権六または権六郎

ドラマでは信長様などと呼んでいるが
親しい間では「あざな」、公では官名で呼ぶのが普通。

417:人間七七四年
08/09/13 23:45:14 aeHJ86EZ
現代で上司に向かって名前+さんで呼ぶことが無いのと一緒だよな。
大抵は苗字+役職名、或いは役職名で呼ぶように、当時も上司は官職名などで呼ぶ。

418:人間七七四年
08/09/14 09:10:56 gq09TgiD
猿とか犬ってのは例外だよねぇ

419:人間七七四年
08/09/15 23:55:13 /c9bFgfx
犬は幼名“犬千代”からだから、幼なじみ同士であったかも。

猿は小説だけだろう
あだ名っぽいのは“禿げ鼠”だけど 多分無し。
秀吉はやっぱり藤吉郎でしょう。

420:人間七七四年
08/09/16 00:05:44 Tjtq05ot
武士の名前は、本姓・苗字・官途・通称・本名で構成されるからね。

北条氏康なら、
平(本姓、姓)・北条(苗字、名字)・左京大夫(官途、官名)・新九郎(通称、仮名、通名)・氏康(本名、実名、諱)

官途はない人もあるし、時期によって異なる場合もある。
通名は一族の地位を示す場合が多く、嫡男は代々同じ通名を使うことがある。
実名は一字拝領や偏諱で主君に名前を一文字もらって変更することがある。

421:人間七七四年
08/09/16 00:09:13 wSZa8k2W
柴田勝家は、
源(違うかも?)・柴田・修理亮・権六郎・勝家
丹羽長秀は、
源(違うかも?)・丹羽・越前守・五郎左衛門尉・長秀
かな。

422:人間七七四年
08/09/16 00:13:32 wSZa8k2W
官途や通名は一部分を略されることがある。
例えば、「修理亮」を「修理」と記すことはざらに見られる。
「権六郎」も「権六」や「六郎」と短縮されることも少なくない。

だから文書集やぐーぐるで「芹沢弥五郎」の関連のものを探すときは、
「芹沢五郎」と書かれているものが目に入ったらそれも弥五郎のものだと思って注目しないといけない。

423:人間七七四年
08/09/16 00:18:59 9tfTwIBj
立花宗茂も何度となく諱を変えているしな

>>422
羽柴三左衛門(池田輝政)→羽三左
本多上野介(本多正純)→ 本上野

のような略し方も多いよな


424:人間七七四年
08/09/16 02:17:26 s1vGCDVy
あと官職名は唐の制度に当てはめて言うこともあるよな。
黄門とか内府とか金呉とか相国とか

425:人間七七四年
08/09/16 02:19:20 7Wqt2z4v
官位(国名でも使うけど)の略し方なら、
伊豆守→豆州 伊予守→予州 みたいなのもあるね。
丹州とか野州とかになると、どっちやねんって話になりそうだけど。

426:人間七七四年
08/09/16 15:51:56 mjBK0uIx
丹州は知らんが、野州は下野が
上州(上野)に対して下州と呼ばれるのがイヤでそう略すと聞いたな

427:人間七七四年
08/09/17 00:20:28 wMHkqOhY
各年代における大名の勢力図がなるべく詳しく書かれた本ってないでしょうか?


428:人間七七四年
08/09/17 01:46:50 au/rQVs3
学研系の本をあさってみれ。

429:人間七七四年
08/09/17 14:30:48 Mi14N+E3
>>427
太閤立志伝の攻略本に、1549、1560、1568、1575、1582、1598年で
詳しく書いてアルヨ(笑

430:人間七七四年
08/09/17 18:55:41 wMHkqOhY
>>428
学研系の本ですか?
今度調べてみます

431:人間七七四年
08/09/18 18:26:11 PiYlMwDz
小早川秀包の誤読ってある?

432:人間七七四年
08/09/22 01:46:38 oIFDSHvA
質問をさせてください。

1."御館の乱"は、なんと読むのでしょうか?
2."御館の乱"で武田家が北条家を裏切りますが、名目はなんでしょうか?
  いくらなんでも、金をもらったから裏切りましたでは示しがつかないので
  それなりの名目はあったと思いますが、調べても見つかりません。

433:人間七七四年
08/09/22 02:50:50 4YRUBBHI
>>432
それぐらいの疑問に対する返答ならwikipediaにのってるよ

434:人間七七四年
08/09/22 14:10:13 yITZo+vN
>>432
出兵した隙に家康に攻められた。
それに対抗するために戻りたかっただろうし、
長篠で負けたあとだから金も不足していたので、
金をくれて一時休戦できるとなれば勝頼にはうれしいことじゃないか。



435:人間七七四年
08/09/22 15:50:05 Tn5Wvnsw
穴山梅雪が信長に送った20億円には遠いが、10億円は魅力だ。
それで、いい話か悪い話か分からないが、謙信が死んだ時、春日山城の金蔵には、
27億円相当の金銀があったそうだ。
義の将・謙信にしてはかなり溜め込んだと思うね。

436:人間七七四年
08/09/22 21:44:02 n8XDeNoe
>>432
軍事力背景に調停して、景勝・景虎双方に恩を売れたし、お土産もらったし帰るかー、って感じかと。

勝頼の何が問題かというと、その和睦が片手落ちで景勝に良い様に利用されてしまったこと。
また北条からみれば援軍を頼んだのであって、片手落ちの和睦なんて頼んでない訳で。

強かなのはいいんだが、外交能力が伴わないのが不味かった。

437:人間七七四年
08/09/22 22:47:50 Z2NNPIs/
つか、景勝の外交が神懸かりすぎだな。
武田と北条の進攻を食い止めたばかりか、両者を離間させている。
これで南方からの驚異は回避できた。

438:人間七七四年
08/09/23 02:49:26 YXQhv8ZC
勝頼にしてみれば、北条と敵対するつもりなんてさらさらなかったろうになw
約束どおり軍は出したし、上杉の内乱も収めたし、めでたしめでたしだとか思ってそうだぜww

439:人間七七四年
08/09/23 12:23:19 GnJC92w3
影虎が氏康の子供でなかったらなあ・・・

440:人間七七四年
08/09/27 03:08:54 xc62ZoIZ
浅井久政の時代は南近江の六角氏に従属状態だったと聞きます。
では当時の浅井氏と朝倉氏の関係はどうだったんでしょうか?
浅井=朝倉ラインができたのは

六角氏に従属する前
従属しながら同盟
六角氏と手を切ったあと

どれ?

441:人間七七四年
08/09/27 12:42:43 5w6H9/Bv
現在復元された城とかは堀とか浅くてショボイけど
当時は水堀の深さはどれくらいあったのでしょうか?

442:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/09/27 14:27:24 /Ilvd0QE
>>440
浅井亮政の時には浅井氏と朝倉氏は縁があったので
「六角氏に従属する前」が正解になるのかな?

443:人間七七四年
08/09/27 15:18:43 oaS8MYcK
太閣蔵入地の代官に任命された者は豊臣家の家臣になるということなんですか?

444:人間七七四年
08/09/27 23:10:55 rkEZ1QJu
○○守とか○○太夫など官位は誰が与えるでしょうか?
戦国時代は大名はもちろん家臣の殆どがついているんですが…。

445:人間七七四年
08/09/28 00:11:25 dMAs1gU5
>>444
任命するのは天皇。
戦国時代のやつは「自称」が多いよ。
信長もはじめのうちはは「上総介」を名乗っていたが、これも自称だった。

446:人間七七四年
08/09/28 01:33:46 MVuS56m/
戦国時代に興味を持ったので一通りのことを勉強したいのですが、初心者に
オススメで間違いの無い入門書ってありますか?よろしくお願いします<(_ _)>

447:人間七七四年
08/09/28 02:11:15 h+KTAndT
当たり外れあるから図書館いっておもしろそうなの借りてくれば?
もしくはブックオフ100円コーナー漁りか

俺は
・司馬の功名が辻(ドラマ化されたので入りやすい)
・名将言行録(エピソードがある)
・戦国武将○○エピソード
(だいたいこんな感じのタイトルの武将エピソード本おもしろエピソードとか書いてあたりする)

ここらあたりか?
図書館コースからはじめたらいいと思うよ(タダですし)
自分にあいそうなの適当に選べ(w

448:人間七七四年
08/09/28 13:09:54 TMKlEIsr
よくある戦国とか三国志ものの漫画やドラマの軍議のシーンで
武将達が、駒とか地図を使って、合戦のシミュレーンをしているのを見ます。

ああいう合戦シミュレーション盤みたいなのって、実際に使っていたのですか?
あの合戦シミュレーション盤の正式名称とか、あれば教えてください。

449:人間七七四年
08/09/28 13:31:39 dMAs1gU5
>>448
盤もくそも、石と地図があれば戦略なんて説明できるじゃないか

450:人間七七四年
08/09/28 17:27:06 KJ7IOnTc
地図やら略図やらを用いるだけではなく、
立体模型でやった奴もいるらしいぜw

当事者の性格がもろに反映されて面白いぜ。

451:人間七七四年
08/09/29 19:31:23 W4KYBzsh
豊臣家にヘッドハンティングされた武将を教えてください

452:人間七七四年
08/09/29 20:15:23 errtkO7I
石川数正

453:人間七七四年
08/09/30 13:04:18 1ZEOGcPm
安国寺恵瓊は…微妙か

454:人間七七四年
08/10/05 19:06:54 H9SlsDGQ
竹中半兵衛

455:人間七七四年
08/10/06 19:04:51 ZKfJ8yZq
竹中半兵衛は秀吉の部下ではありません

456:人間七七四年
08/10/07 18:30:52 zR8RYs5s
>>451
近江衆とか清正とか正則とか

457:人間七七四年
08/10/08 20:13:57 9Qd6ASaw
関が原で豊臣200万石から60万石までおちたってよくいわれますが
領土の再分配は家康がやらせないでおく方法はなかったのですか?
ていうか堺・金銀山なんかまでなんでなくなったの?
西軍のは豊臣直轄地にするぜって言えなかったの?
秀頼の名の下で

458:人間七七四年
08/10/09 00:38:43 7SwSLS+E
>>446
漏的におススメ本は
・八幡和郎『戦国大名 県別国盗り物語』(PHP新書)
・黒田基樹『百姓から見た戦国大名』(ちくま新書)

あと講談社の日本の歴史シリーズ『一揆と戦国大名』『織豊政権と江戸幕府』はちょっと難しめだけど、理解が深まると思われ。

459:人間七七四年
08/10/09 01:45:22 ZrJKyjBL
>>446
横山光輝

460:人間七七四年
08/10/11 12:18:12 FqKJwoT/
>>457
そんなことしたら家康に攻撃されるに決まってるだろ
周りがもう家康を天下人だと認めてしまうような状況になったわけだし

461:人間七七四年
08/10/11 19:01:13 sFbqp9EH
>>460
関が原終了直後で?

462:人間七七四年
08/10/12 01:44:07 RXUZJ7In
質問です。
私の家系の家紋は武田信玄と同じ丸に四つ菱なのですが、
これは武田家の一門の流れなのでしょうか?
また同じ家紋の場合、本家、分家で家紋が区別されているのですか?
回答よろしくお願いします。

463:人間七七四年
08/10/12 04:22:35 Jj70H0/P
>>462
家紋云々以前に菩提寺にいって過去帳や江戸時代以前の墓に彫られてる家紋を見て来い。
菩提寺や墓が幕末~明治までしか遡れない場合は明治時代に家紋を設定しただけだから、
武田信玄とは無関係だと思っていい。
つか祖父母や親戚から明治以前の話を聞いたことがないなら十中八九元百姓。
広島の北部なんて「一文字に三つ星」(毛利家の家紋)の家紋の入った墓がそこらじゅうにある。

本家と分家で家紋が違うというのはよくあるが(葉の数が違うとか、上下左右が逆とか)、
「丸に四つ菱」など「丸に~」系の家紋もいわゆる分家筋の家紋。

464:人間七七四年
08/10/12 06:41:37 EXpxDs3j
僕の名字は武田なんですが、武田氏の系譜なんでしょうか?
と同じレベルだな

465:人間七七四年
08/10/12 08:44:08 qIiEUXK7
すみません、最近歴史(戦国時代)が好きになったばかりの者なんですが・・・。
本能寺の変について、幾つか疑問点があるので、教えて下さい。

★1.信長は館に火をかけさせ自害したようですが、なんでこの事が後世に
    伝わっているのでしょうか?
→信長が自害するのを見ていた人物(Aとします)がいて、その人物Aが信長の最期を
 書物に書いたのでしょうか?
 だとしたら、Aは本能寺から脱出した事になりますよね。
 1万3000?もの明智軍に囲まれて、どうやって逃げたんでしょうか・・・。

★2.皆さん、本能寺の変の首謀者は誰だと思いまつか?

   イ.光秀の単独犯。
   ロ.朝廷(足利氏)
   ハ.秀吉
   ニ.その他の者

★3.信長の自害の方法について
  
  イ.切腹(介錯なし)
  ロ.切腹(介錯あり)
  ハ.自分で首切り
  ニ.その他

介錯ありのロの場合、介錯人は蘭丸なんでしょうか?


466:人間七七四年
08/10/12 09:06:42 wwRe/5IF
>>465
★1=記録に残されているのは信長公記。この著者が本能寺の変の時、
どこにいたかは知らんが、本能寺にいたわけではなさそうである。
たぶん近江辺りにたんじゃないか。この著作は彼が編纂した信長の一代記であり、
伝聞に拠るところや彼の想像に補われるところが多いようである。
きっと本能寺から逃亡に成功した女人の体験談などからこうだと考えて記録したのだろう。
★2&3=該当するスレッドをお使いください
 ■■■本能寺の変徹底考察スレ■■■
 スレリンク(sengoku板)

467:人間七七四年
08/10/12 11:48:41 qIiEUXK7
>>466
おお!
良く分かりました!
ありがとう。

468:人間七七四年
08/10/12 18:23:57 hDGo2L/m
何という自演

469:人間七七四年
08/10/12 22:17:25 BGxR8igN
岩井三四二さんの作品に近江国菅浦惣庄で起きた合戦を基にした小説があるのですが、
その中に日野裏松家の家人(雑掌)松平益親の名が見えるのですが、他の本には京極氏の家人も務めていたように
書かれているようです。
近江松平氏について詳しい方、恐れ入りますがご教授ください。三河と同族ということだけしかわかりません。

470:人間七七四年
08/10/13 09:06:21 wMnspnbc
>>469 近江松平氏については、確かに不明な点が多いよね。京極の雑掌だったのは事実だね。
もちろん、三河松平氏と同族だよ。つまり、家康の遠い親戚筋ということだな。

471:人間七七四年
08/10/13 11:20:37 vMBOVL1w
質問です。
室町から戦国時代の間に関してです。
身分の高い侍の子供はたいていお寺で教育されたようですが、
お姫様の教育を行う教育機関はなかったんでしょうか?
参考になる書籍でもあればお教えください。

472:人間七七四年
08/10/13 13:04:43 R84Rk5dY
お姫様は基本的に家からは出ないよ。
たま~に出る時は輿で行く。
身の回りの世話、読み書き、歌、古典の解説などを行なう女中が複数つく。


473:人間七七四年
08/10/13 13:44:05 vMBOVL1w
ふむふむ。
家宰を取り仕切るために必要な教養はすべてうちのなかにあるのですね。

474:人間七七四年
08/10/13 18:52:34 OxTbLMLQ
親子二代で有名な武将もいますが、親が優れていたけどこの子どもはてんでダメ、
というケースもあると思います。特に親と比較してダメな武将として
有名だった人っていえばどんな人がいますか?よければ教えてください。
政治の面や武功など、どんな方面でもよいのですが。

475:人間七七四年
08/10/13 19:09:26 LV6nA7hO
昌幸と信繁

476:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/10/13 20:54:41 uTuX8Ygc
織田信長と織田信雄

477:人間七七四年
08/10/13 22:02:24 dYdhRTDd
今川義元と氏真

478:人間七七四年
08/10/13 23:02:49 x75odK9v
>>463
詳しい回答ありがとうございます。
広島なので、他の墓にも同様の家紋がありました。

479:人間七七四年
08/10/13 23:24:46 lnlCbmnV
>>478
家紋で家系は辿れないよ。
使うにあたって誰の許可もいらないし、家伝が無いならただのあやかりです。

480:人間七七四年
08/10/13 23:33:58 x75odK9v
>>479
回答ありがとうございます。
家系図が昔あったみたいなのですが、原爆で駄目になりました。

481:人間七七四年
08/10/14 17:36:35 PUA7RwMe
家康以前は大体親が名を残すと、比較して子供はだめだな。
足利や徳川みたいに3代目が勝負のわかれどころか。

482:人間七七四年
08/10/15 08:31:05 R97cOZyP
評価は分かれるけど、徳川の三代目も十分ぼんくらだと部類だと思う。
家康と秀忠が一生懸命蓄財し、家綱以降の将軍幕閣達が必死に立て直そうと気張った幕府の赤字財政は、
家光一人で作ったといっても過言じゃない。

250年間の財を一人で使っていれば、そら派手に色々できるがな。

483:人間七七四年
08/10/15 12:05:27 aiHY28mz
財政に関しては難しいとこだけどね。
倹約して質素にすれば徳川の世が250年続いたか、というと
またそれは違う話だろうし。
生まれながらの将軍、というのが登場してそれが新時代の構築
という面でプラス面に働いた、というのがおもろいとこかな。
ま、家光はボンクラでその家臣たちがすべて支えた、とはよく聞くけど。

484:人間七七四年
08/10/15 22:37:51 sGHYYgfj
質問です。
南光坊天海は明智光秀・秀満なのですか?

485:人間七七四年
08/10/15 22:42:21 Fs6YPnNI
外様大名や譜代大名から幕府は税金を取ってたんでしょうか?
室町幕府のように段別銭とか徴収した?

486:人間七七四年
08/10/15 23:57:02 phggOHD9
戦国時代に殺人罪はあったの?

487:人間七七四年
08/10/16 01:55:05 BZpVj76M
>>484
それを立証するのは不可能です。

>>485
そういえば吉宗が参勤交代を軽減する代わりに諸大名から金を巻き上げていましたね。

>>486
あります。戦国時代といえど人を殺して許されるのは戦場だけ。

488:人間七七四年
08/10/16 14:03:16 cExroWy9
>>484
ほんとにそうなら、光秀は136歳まで生きたということになる。
う~ん、アリエナイ・・・・・・・・

489:486
08/10/16 14:20:52 SN0MILNu
>>487 殿様は治外法権ということですか?
また、例えば利家が捨阿弥を殺した際は出仕停止処分というように
現代よりは罪の雰囲気は軽かったのでしょうか?

490:人間七七四年
08/10/16 15:17:17 cb96jviZ
>>478>>480 広島で武田っていうと、あながち「あやかり」ではなさそうかもね。
武田山は、甲斐源氏の武田氏の本拠銀山城だったわけだし。たしか呉の某私立高校は経営者が
周防(安芸)武田と関係ありそうじゃん。

491:人間七七四年
08/10/16 15:57:40 0x/cIik+
太閤検知で日向一国でどのくらいの石高があったのでしょうか?

492:人間七七四年
08/10/16 17:15:48 E3RUt/29
>>490
回答ありがとうございます!

493:人間七七四年
08/10/16 22:03:21 rczjjl0N
>>489
利家の場合は勝家とかが信長に説得したから死罪をまぬがれたと聞いたことがあるような
あと、信長なんかはかなり厳しい軍律をしいてたらしい
窃盗なんかしたら余裕で死罪

494:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/10/16 23:52:34 5Ega1+fc
>>491
120,087


495:人間七七四年
08/10/17 02:16:35 uSHtYz8Y
>>490
いやいくらでもあるよ。
山梨に行けば菱紋だらけだよ。

496:人間七七四年
08/10/17 14:04:28 zSsbiq/R
チョンマゲって何時まで結いっぱなしなの?

497:人間七七四年
08/10/17 14:22:08 xG44PoLz
甲を被るか、出家するまで。

498:人間七七四年
08/10/17 14:24:19 GfOrXohR
豊臣秀吉は筆が上手て本当ですか?

499:人間七七四年
08/10/17 14:39:47 cgFFH17R
佐竹義宣が国宗の切っ先を落として脇差にしたら義重に嘆かれたのに対し、
本多忠勝が蜻蛉切の柄を短くしたことは何も言われていないのはなぜなんでしょうか?


500:人間七七四年
08/10/17 22:39:05 yiA0usC9
>>494
それは諸県郡(日向国内の島津領)だけの石高

501:人間七七四年
08/10/17 22:47:34 27eZJnWx
オールスター軍団で臨みながら李舜臣一人の活躍によって
敗れた戦国武将たちになぜそこまで魅力を感じるのか?
戦国ファンの皆さんに聞きたい

502:人間七七四年
08/10/17 22:58:27 xG44PoLz
>>498
どういった書を上手いと呼ぶかによると思う。
個人的見解としては小学生の様な基礎ができていない下手くその典型、
TVで好意的評価する人が言うには自由闊達で型にはまらないのが魅力的。

503:人間七七四年
08/10/17 23:39:49 GfOrXohR
>>502
詳しい回答ありがとうございます!

504:人間七七四年
08/10/18 00:27:05 MyxcUsyq
>>491
秀吉九州平定後の知行割り
国・郡・禄高・大名・旧領地
日向臼杵/宮崎 5万石 高橋元種(県) 豊前香春
日向那珂 2万8千6百石 島津豊久(佐土原) 所領安堵
日向那珂 3万6千石 伊東祐兵(飫肥) 日向宮崎
日向児湯 3万石 秋月種長(高鍋) 筑前秋月
日向諸県>>50012万石 島津義弘
合計23万4千6百石といった処でしょう
諸県郡は隣国にまたがっているのでその分は差引きになるかも。
某資料にて太閤検地日向一国>>49412万87石、さらに17万石とも。


505:人間七七四年
08/10/18 15:22:22 rMxwbTsy
>>499
国宗は大名の差料としても最上級。長刀を脇差にするのはいかにももったいないからだろう?
本多忠勝が蜻蛉切の柄を短くしたのは晩年。
さすがに往年の力は無くなり、使いやすいように短くした、というのを読んだことがある。
刃の部分はそのままだから、価値にあまり変わりはないように思うが・・・・

506:中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
08/10/18 23:09:52 iVd//8F5
>>500
>>504
すまんかった

507:人間七七四年
08/10/20 21:51:07 F3PITGVB
素朴な疑問なのですが、
戦国時代の沖縄はどの大名が統治していたのでしょうか?

508:人間七七四年
08/10/20 22:37:32 9Uq+ueAJ
大名なんていない
琉球の王が支配していた

509:人間七七四年
08/10/20 22:44:30 F3PITGVB
>>508
ずっと大名が統治してたと思ってました。

回答ありがとうございます!



510:質問です
08/10/22 23:11:34 GJzwkIMD
テレビゲームによる元親の人気について、どう思われますか?
わたしは問題意識を感じるのですが…

511:人間七七四年
08/10/22 23:50:43 GYstk5vD
>>510
特に感想はない。
似たような前例は多数ある。

君がどのように問題意識を持つのかが不明だが、
多分生理的に合わない人が土足で君の趣味の領域に踏み込むのが不愉快なんだろう。
もしそうなら連中を制止するのは不可能だから、
対策としては、自らが確かな知識と発言力を身につけることしかない。
そうする事でネットや出版界に自分の考えを発信して、
にわか連中を牽制したり、誘導していく。

512:質問です
08/10/22 23:55:01 GJzwkIMD
>>511
ありがとうございます。
<m(__)m>
知識をもっとつけて、自分の考えを発信していきたいと思います。

513:人間七七四年
08/10/24 11:15:54 Oiq+Q+uW
ミラオタみたいに史跡を荒らして歩くのは論外

514:人間七七四年
08/10/24 21:44:25 +X6B754z
対馬が韓国固有の領土なら
対馬を拠点にしていた倭寇はチョン寇じゃないのか

515:人間七七四年
08/10/25 16:58:07 ouEI4Spq
安土城に登って、生じた疑問なんですが、秀吉たちも自分の屋敷から大殿に
会いに行くにはあの石段をてくてく登ったんでしょうか
乗馬したままとかだと無理ですよね
途中で心臓麻痺を起こした家来などもいたんじゃないでしょうか

516:人間七七四年
08/10/25 18:24:37 mbvNnfY7
>>515
寺の方を回るのが本道という説があり、あっちはまだ傾斜が緩い

517:人間七七四年
08/10/25 22:02:13 N0sUBvdx
筑後の国人・西牟田氏について知りたいです。

URLリンク(members2.jcom.home.ne.jp)
西牟田鎮豊
西牟田家周
西牟田統賢
西牟田親家
西牟田家知

彼らの生没年を知るヒントになる事績、もしくは生没年に関する資料はありますでしょうか?
あれば教えて下さい。
(~の合戦で討ち死に、とか何年に家督を譲った、的な事績をお願いします)

現在、統賢が沖田畷で戦死した事以外、よくわかりません。

また、この質問をするにあたって該当するようなスレはありますか?

518:人間七七四年
08/10/25 22:52:28 NBkO1BGW
手持の資料はこれだけ 間違っているかも

西牟田播磨守鎮豊 筑後國 三潴郡生津城主 舊西牟田城主 西牟田親氏ノ子
右近太夫 龍造寺ニ加勢シ戸原勢トノ河内城合戦ニ参陣ス 龍造寺幕下ニテ知行壱千町
西牟田伊豆守家周 西牟田鎮豊ノ弟 筑後三潴郡生津城主 龍造寺勢ノ攻略ニテ落城
城島城ェ落延ビル
西牟田紀伊守統賢 西牟田鎮豊ノ子 沖田畷合戰ニテ西牟田主従十七人全員奮戰ス
西牟田孫左衛門家親 西牟田統賢ノ長男 大友勢トノ生津城合戦ニテ落城
其後筑後城島城主 新介 筑後戸原勢トノ河内城合戰ニテ先陣
西牟田次郎兵衛家和 西牟田統賢ノニ男 大友勢トノ生津城合戦ニテ落城
西牟田但馬守 西牟田統賢ノ弟 沖田畷合戰ニテ奮戰ス
西牟田彈正忠 西牟田統賢ノ弟 沖田畷合戰ニテ奮戰ス


519:人間七七四年
08/10/26 00:19:00 iJgzqlm9
>>518
ありがとうございます。

沖田畷に一族の多くが参戦した事と
最終的に龍造寺に攻められて落ち延びた事以外は
個別の事跡はよくわかってないんですかね・・・

520:人間七七四年
08/10/26 15:17:27 XYLfQ1BS
なぜかかっこいいイメージがついている政宗ですが実際は方言・なまりとかひどかったんですか?

521:人間七七四年
08/10/26 15:42:15 kfP8PhSw
そりゃそうだろ

522:人間七七四年
08/10/26 16:26:23 giZFXYBG
最上だったか誰かは忘れたけど上洛したときは
馬鹿にされるとかでほとんど口をきかなかったらしいからな

523:人間七七四年
08/10/26 19:27:23 XYLfQ1BS
「そげなこといわれても、おらすらねぇだべさ~」
とかあったのか・・・

524:人間七七四年
08/10/26 19:34:29 1nkY0l00
東北人が都会に出て訛りが酷くて馬鹿にされるって構図は昭和初めくらいにもあったな
戦国時代からずっとそうだったのか…

525:人間七七四年
08/10/26 20:33:17 0nyo2v+/
侍言葉みたいなのは使ってなかったのかな「~でござる」みたいな奴
当時の一番カッコいい言葉はやはり京都弁ですか?

526:人間七七四年
08/10/26 21:55:25 4ebexxvs
ある程度の家なら教養として京言葉を習ってたとは聞いたけどなあ。

527:人間七七四年
08/10/26 22:25:17 KEcxyjzc
>>524
現代でもあるじゃん

528:人間七七四年
08/10/27 01:40:48 Iskp9D1a
池波正太郎さんの本(小説、というより真田信之を書いたエッセイ)で
大阪の陣の前、徳川家康の計らいで真田之村、信之二人は再会した、
という事が書いて在るのですが、これは本当の事なのでしょうか?

529:人間七七四年
08/10/27 10:17:22 GI+kb6hF
>>525 横レスすまんがそれ俺も気になる
大河とかでのような言葉はつかってなかったの!?

530:人間七七四年
08/10/27 16:24:00 /E5Y3272
>>519
龍造寺家臣団より抜粋したんだけど筑後衆は深く調べていないんですな。
必要性は感じるんですが

531:519
08/10/27 22:40:00 Q4l8k/+W
多分、該当するスレがないので再び質問。

・筑後・星野氏の一族について

1・「筑前戦国史」という本だったと思うのですが
その本に書かれていた記述で
島津勢が高橋紹運の守る岩屋城を攻めた、所謂「岩屋城の戦い」で
島津勢に属して「岩屋城攻防戦」で戦死した星野氏の一族として
「星野重種」「星野正重」なる人物がいるとあったのですが
この人物が同時代の星野氏の中でどういう続柄であったのか
わかりませんか?

「重種」は当時の当主・星野鎮胤(吉実)の別名の1つとしてあるようですが
彼は岩屋城攻めではなく、島津勢撤退後の籠城戦で死んだはずであり
別人かと思われ、(記述されていた本でも別項に籠城で死んだ吉実は出てくる)
「正重」については何も情報がありません。

2・1586年に高鳥居城に籠城し、立花勢に討ち取られた
星野吉実・吉兼兄弟の生年がわかりますでしょうか?
ハッキリわからなくても推定できるような事績があれば教えて下さい。

532:人間七七四年
08/10/28 00:14:07 +VptbYyu
>>531
このサイト見られましたか?

URLリンク(www2.harimaya.com)


533:人間七七四年
08/10/28 01:29:11 zxS6Ii26
>>532
当然の事ながら。
でも、そこの家系図には「重種」「正重」なる人物は出てこないので
誰かの別名なのか、直系でない庶流の人物なのか・・・

また吉実・吉兼兄弟の死没年はわかっても
この時に壮年であったのか、老年であったのか、若武者だったのか
推定できません。

534:人間七七四年
08/10/28 02:36:15 +VptbYyu
>>533
名を4~5回改名した武将もいるので
重種、正重もほかに名があったかも知れませんね。

天正八年の龍造寺幕下帳を見ると星野親忠が当主ですから
吉実は父、吉兼は小父と考えるとある程度の年齢はあったと思われます。


535:人間七七四年
08/10/28 04:10:10 gqC1FCTv
>>526
ありがとうございました。伊達家だと愛姫が京に行ってたから
政宗に京言葉教えてたりしたら面白いんだけどなあ…

536:人間七七四年
08/10/28 09:33:30 qMN2pUif
政宗の教育係ともいえる虎哉和尚は中央にもいた教養人だから、
家族に教えてもらうまでも無く一通りの教育は受けてるだろ。

537:人間七七四年
08/10/29 12:15:55 0fq0r3jx
立花の浪人話で雨が降って荷物取り込まなかったとかおかゆはいらないのエピソード聞きますが
これは世間のことしらない殿様ってことでむしろ北条氏政の汁かけごはん・稲刈りしたのを
すぐ食べようとしたetcのうつけエピソードの類と同じに思うのですがなぜ評価されているのでしょうか?


538:人間七七四年
08/10/29 13:00:14 zmAcs/CC
>>537
大名→浪人→大名と返り咲き、かつ戦歴も輝かしいものがある宗茂、(おまけに晩年は秀忠・家光に重用された)と
結果的に家を滅ぼし切腹した零落の大名(勝者側に情けない男だから討伐されたと印象付けられる)という違い。

同じような事やっても、幕府(権力者)のお気に入り人物だったり
敵役として「こんなに強かった(でも俺には敵わなかったけどね)とか書かれる人物以外は
貶めて書かれるもんだよ。

539:人間七七四年
08/10/29 22:34:37 0fq0r3jx
>>538
なるほど
氏政も最大版図きづいてたから討伐なかったらすごい評価されていたんでしょうに・・・

540:人間七七四年
08/10/31 03:27:36 7Wtv4eZq
戦国好きでオフしたりはしないんですか?
してるなら是非参加したいのですが

541:人間七七四年
08/10/31 10:54:39 Qe754YaT
>>540
2ちゃんでオフ会を誘うと後が怖いから私は外部でやってるよ
桶狭間オフや浜松城オフ、関ヶ原オフなどだけど

542:名無しさん
08/10/31 12:58:23 PayfnYFJ
封建時代のトノを家臣たちは命を張って守るが現代の大物を庶民は命を張って守らない。まさか現代の大物って封建時代のトノよりたいしたことない奴なの~?

543:人間七七四年
08/10/31 18:10:30 7Wtv4eZq
>>541
外部というとmixiとかですか?

544:人間七七四年
08/11/02 03:51:01 zLm51zZ2
>>542
俺(庶民)はその大物とやらに
知行もらってないし
「お前の死後の家族の世話は任せろ」
みたいな言質ももらってないから
命懸ける気なんぞさらさら無いわな

545:人間七七四年
08/11/02 23:26:05 9EtF9w8X
>>540
都内にも、いろいろ著名な武将のお墓や
城跡があったりするから、オフ会企画した事はあるけど
やっぱ人が集まんないね。

ちなみに第1回は「今川氏真のお墓参りオフ」だったんだが

546:人間七七四年
08/11/03 00:20:16 8Zx1ZJA3
それは人が集まらないw

547:人間七七四年
08/11/03 15:32:17 xI8psWCM
戦国時代の書状などでの一人称はどんな言葉が使われていたのでしょうか。
大名クラスになると「予」とか、家臣クラスだと「某」とかですか?
「拙者」という言葉はあまり使われていませんかね。

548:人間七七四年
08/11/03 22:19:04 /Gz/rE2C
自分の名前を書いているのが目立ちますね

549:人間七七四年
08/11/04 11:17:45 VEcOPbDM
仲が良い者同士や親しみを感じさせる場合だと諱や、諱を短縮して書いたりも
(例・信長、信、のぶ等)

550:人間七七四年
08/11/05 01:51:31 knzaty8g
>>548-549
ありがとうございます!

551:人間七七四年
08/11/06 04:29:10 5ispua8K
天地人読んで戦国時代が面白いと思った初心者の者ですが。
これだけは読んどけっていう本ありますか?

552:人間七七四年
08/11/06 07:18:21 k27RFqAp
織田家の【弓衆】ってどれぐらいの身分だったんですか?
士分未満の足軽?
それともお目見以下だけど、とりあえず侍階層の下士(徒士)あたり?
或いは騎乗・お目見の許された立派な士分?

ちなみに弓衆で最も有名なのは安土で火事出して叱られた福田某ですよね。

553:人間七七四年
08/11/06 12:48:03 ChWFcxbC
俺が織田家で弓と聞いて
一番に連想するのは
ねねと長政の親父かな

太閤立志伝やりすぎか

554:人間七七四年
08/11/06 15:42:03 1P9ZvMKV
>>552
家族で安土へ移住って命に服さないで尾張に妻子を残してた人ね

名前が与一なんで覚えやすいね

555:バカは氏んでも名乗らない
08/11/06 21:27:19 k27RFqAp
彼には福田という「苗字」もあるし、自分が住んでいる安土の外、岐阜にも
屋敷があってそこに家族を住まわせていたわけでしょ?
完全に兵農分離が進んでいたかどうかは別にして、薄給だったせいで半士半農で
家族は岐阜で自分の田畑を耕作して生計を立てていたのか、住み慣れた岐阜を
離れるのが嫌だったのかは別にして。
足軽階層には尚更そんなもの(自分の田畑)があったとは思えません。

一応、侍階級なんだけど馬廻みたいに騎乗を許されるほどの身分じゃない下士
(徒士の侍)あたりと考えていいものなんでしょうかね。
朝倉宗滴の17ケ条にも「侍は弓を持て、弓が下手なら槍を持て」というのがあり、
殿様から武器をメインウエポンの弓・槍・鉄砲を貸し与えられ出陣する足軽階層ではなく、
騎乗が許されるほどの身分と財力が無くっても自分の弓や槍を持つことにできる侍階層は
存在していたわけで。
(さすがにmy鉄砲&弾薬を持って出陣できる階層はそうそういないでしょうが・・・)

556:バカは氏んでも名乗らない
08/11/09 06:48:52 j1xNDnDV
でも、待てよ。
北条家ではわずか25貫の身分(土豪クラス)の侍でさえも軍役では
【自分は騎馬、槍持ち+旗持ちの雑兵2人連れて】いかなきゃいけないし。
「騎馬で出陣」する身分・財力のハードルはかなり低かったのかな?

おまけに織田家には明確な軍役の基準ってのは明智家法が出るまで
無かったから、(人数は多ければ多いほど、装備も良ければ良いほど
『武者』『武辺』道では忠節という扱い)ってことも鑑みると・・・

そうなると、やっぱり足軽は無論、それに毛の生えた下士層が自分で
弓矢を調達して出陣するってのは無理かもしれない。
主君から装備を貸与される下士層だったのかな?


557:人間七七四年
08/11/11 19:40:41 fT6gxDLe
肥前・松浦党の質問をしたいのですが
該当するスレはありますか?


558:人間七七四年
08/11/11 19:52:59 gAMMRpOO
>>557
唐津史
URLリンク(web.people-i.ne.jp)
東松浦郡史
URLリンク(www.geocities.jp)


559:人間七七四年
08/11/13 19:15:10 m88ETLQR
最近読んだ戦国系の本に上杉謙信には養子が3人か4人(本によって違うことがあるので)
がいたと書いてありましたがそれならなぜ謙信の死後の御館の乱で越後が二つにわれたのですか?
後継者指名していなかったので養子の数だけ勢力があるとおもうのに。
来年の大河とも関係ありそうなので気になったもので

560:人間七七四年
08/11/13 20:00:32 Uy3F28Sc
>>559
ただ単に景勝と影虎を支持する勢力が多かったからじゃないのか?

561:人間七七四年
08/11/14 08:29:45 OAFBPd+T
>>560
一般に謙信の養子は上杉景勝、上杉景虎、上条政繁、山浦国清といわれる。

そのうち上条と山浦は上杉の本家ではなく、上杉の分家を継がされていたから、
上杉政繁、上杉国清などと呼ばれず、その庶流の姓を称している。
庶流は上杉本家の家督を継ぐ資格は基本的にはなかった。

つまり上杉の本家を名乗っていたのは景勝と景虎だけ。
だからこの二人で家督争いが起こった。

562:人間七七四年
08/11/14 19:30:45 BNxpLiRZ
>>561
ほー
景勝と影虎以外の養子ってあんまり良く知らなかったんだけど、勉強になったわ。
養子っていっても謙信が死んだ当時には後者2人はもう別家の人物になってたのね。

563:人間七七四年
08/11/14 19:54:30 fkxVqpIR
>>559 です。ありがとうございました。名前までは載っていなかったので
養子といっていたから全員本家の上杉を名乗っていたのかと思っていたので
とっても勉強になりました >>561 の方ありがとうございます。

564:人間七七四年
08/11/18 06:19:18 Bpk7jfhi
東国に興味ある人には割かし常識なんだけど、
三傑ばかり語られる昨今じゃあ、あまり知られてないんだろうね。

天地人で少しは理解が広まればいいが。

565:人間七七四年
08/11/18 15:54:20 3j/pRmPH
対馬の宗氏について。

少弐氏の支援のもと、何度か九州侵攻を試みるも、失敗。
後に少弐氏が滅亡すると、大友・龍造寺・島津の三つ巴に介入できず
完全に九州進出の道は絶たれる。

秀吉の九州征伐に参加して本領安堵。

・・・とあったのですが、島津・龍造寺・大友の三つ巴時代
(秀吉の九州征伐前の龍造寺・大友が北九州を支配していた時代。1580年以降~)は
対馬・宗氏はどこに属していたのでしょうか?

1・龍造寺
2・大友(立花)
3・島津
4・その他
5・どこにも目つけられてなくて独立状態。

少弐氏との関係から、龍造寺との関係はよくなかったと推測したんですが・・・
どうだったんでしょう?
どこかの大名に従属状態だったのか、独立した勢力として存在していたのか・・・

566:人間七七四年
08/11/18 16:10:25 X87yY4Yq
>>563
余談だが朝倉義景の娘と能登畠山の畠山義隆の息子も
謙信の養子に入ったとされる。
(どうもこの他にも謙信の養子に入って別家に入った子はいるようだ)
まあ上杉的に重要なのは政繁・国清・景虎・景勝くらいだから
関係ないといえば関係ないが。
ちなみに景虎以外の残り二人の養子は景勝支持に回って動いてるので
景勝派家臣扱いで養子の件は大河でスルーされる可能性もなきにしもあらず。

567:人間七七四年
08/11/18 16:24:05 /e8+kEEX
景勝以外の3人はイケメンのイメージがある

568:人間七七四年
08/11/18 16:30:56 T6YbHpGN
イケメンイメージは三郎景虎だけだろう。
景勝は田舎武士のイメージが強い。
実際はもっと洗練された人物なはずだが。

569:人間七七四年
08/11/19 23:37:18 DZ5/C8hR
>>564
ふむふむ
確かに東国の戦国大名についてはあまり調べたことないな
3傑についてや西国の大名については結構調べたりするんですけどね

北条やら伊達やら最上やら上杉やら東国についても今度いろいろ調べてみようかなと思います


570:人間七七四年
08/11/21 00:05:31 wLFcOzvN
>>565
1・龍造寺



571:人間七七四年
08/11/21 17:12:28 6vFUqtWf
>>568
一応上条は当時の名門の畠山の出だからイケメンイメージでもいいんでないの。
まあ畠山つっても能登の方だけど、中央政権にも参画したりもあったみたいだし。
反対に山浦は信濃の山の中の田舎の出だからそれこそ田舎武士さね。
にしてもなんで謙信は跡継ぎを明確にしなかったんだろう。
ふつう自分が50近くて、家も安定していて跡継ぎも元服済ませてたら形だけでも家を継がせてるもんだけど。


572:人間七七四年
08/11/21 19:04:25 b34wIF7O
>>571
まあ毘沙門天は不老不死と思ってたかもしれんしw

573:人間七七四年
08/11/21 19:24:24 UlHROzwC
景勝スレ景虎スレ御館スレで延々論争し続けてますが、
景勝後継派からは謙信は景勝に官位を渡し謙信自身は入道していることから
後継体制を固めつつあったとする説も出とります。
(当然景虎派や分権派後継決めてなかった派からの異論もある)
まー、後継を決めてたのか決めてなかったのかさえ論争中ということで。

574:人間七七四年
08/11/22 08:36:42 7uAbZ1hA
>>572
相川みたいな三文ライターの珍説をここで紹介するなw

575:人間七七四年
08/11/22 08:52:10 Nk08Qc5D
>>570
何か根拠となるエピソードやソースはありますか?
例えば~年に龍造寺氏の要請を受けて兵を派遣している、とか。

576:人間七七四年
08/11/22 11:20:24 TfQCp9Zt
大坂の役の時点で、豊臣家に味方しようとしたが、
結果的には出来なかった大名ってどのくらいいますか?

577:人間七七四年
08/11/22 15:12:07 IG7htf45
>>576
心の中では味方したいと思っていた大名もいただろうけど、
行動に移すことができたのは福島正則くらい?(といっても兵量を渡したくらいだけど)

578:人間七七四年
08/11/22 22:03:17 ziWL3T8u
>>577
食糧は「しょくりょう」と読むが、兵糧は一般的に「ひょうろう」と読む。
わずらわしい変換をしなくてすむぞ。

579:人間七七四年
08/11/22 23:00:46 uNFW8PZH
>>576
・どの程度で「味方した」とみなすか
(本人が大阪入城、一族がry、家臣がry、屋敷からの接収を見逃すなどなど)
・本音と建前の区別、逸話や講談を採用するか
によって変わってくる

580:人間七七四年
08/11/23 02:34:24 fBM2nkKZ
横山光輝のマンガ(山岡荘八の歴史小説原作)を読んで
政宗が「三国に比類なき前代未聞の高名」と秀吉に朝鮮での戦功を称えられたと
ありますが、政宗の朝鮮での活躍は実際どの程度のものだったのでしょうか?

581:人間七七四年
08/11/23 08:35:37 pmq5CLMD
>>580
伊達は渡海した時期が遅かったし最前線で派手な戦はしてないはず
誉められるとしたら築城とかそっち方面じゃないかな
あとは派手な鎧とか

582:576
08/11/23 12:06:01 u7eUPSog
576ですが、
平野長泰が大坂入城のために家康に直訴したのだが断られた
というのは講談?史実?

583:人間七七四年
08/11/24 03:13:56 0Gtbp41I
>>580
山岡荘八原作www
ヒーロー物が史実でどうだったかなんて本気で聞くなよ。読み物としては面白いけどね。

584:人間七七四年
08/11/24 08:55:06 kRJhVw8R
>>578
兵糧は後世の当て字
元は「兵粮」

585:人間七七四年
08/11/24 22:48:17 PhCoiQpC
斉藤道三の物語は親子二代説ってガチなの
ウィキ見てへこんだんだが

586:人間七七四年
08/11/25 09:43:10 +REb8RSs
>>583
漫画や小説でも、一応史実や資料に沿って創作してるものも多いので
別にあれがフィクションかそうでないかを質問するのはそんな馬鹿げたことでもないと思うが。
逆に創作小説や漫画は全部夢物語だとでも言いたそうだけど

587:人間七七四年
08/11/25 19:38:52 RPYCdTO5
>>585
今はそれが常識になりつつある
資料もちゃんと残ってるしね

588:人間七七四年
08/11/28 23:35:33 oOdyQTzC
じゃ道三(2代目)は親父が築いたのを失った間抜けな人なんですか・・・


質問
なんでホモばかりなんでしょうか?
いや衆道が嗜みだったのはわかってます
でもなんぼ慣習とはいえ髪型とかとちがってやぱり男は愛せない人だって
それ相応にいたでしょうにそういう逸話が残ってるのは秀吉ぐらい
かといって無理やり周りに合わせて抱きたくもない男を抱いていたというかと思えば
そうでもなく人数の差はあれど抱くときは望んで抱いてる模様
嫌な人はいなかったんでしょうか?
自分だったら自分の肛門に突っ込まれるのも小姓の肛門に突っ込むのも断固拒否です
変人と思われても嫌なものは嫌です

589:人間七七四年
08/11/28 23:43:57 RIysMa+a
ホモのまともな記録が残ってるのは政宗と信玄ぐらいじゃないの。
他の武将の記録は全部あとになって書かれた創作色の強いもんばかりで。
信長もノンケだったと思うよ。前田や森なんて犯ってないだろう。

江戸時代になると戦国大名は自分の時代のお殿様より専制君主だったという誤解が生じて、
有名人は虐殺や色事にふける独裁者みたいに見られるようになってしまった。
男色がお盛んだったというのはそういう妄想の延長上にあるんだろう。

今だとやり手の社長はみんな美人秘書とよろしくやってんだろうなとかいうレベルの与太話。

590:人間七七四年
08/11/29 00:30:59 z+qBnx9C
足利将軍家をはじめとして、武家の世界じゃあたりまえ
だろう

591:人間七七四年
08/11/29 00:37:27 siFDIZJX
一時期の足利将軍がやっていたからと言ってその子孫が性的嗜好をそのまま受け継ぐのかね。
そしてそれを「将軍様がやっておられるから」と武士がみんな模倣するというのも不思議な話だ。
性欲の方向性は文化に影響される面もあるけれど性別を越えてまでの欲求まで文化として伝播するのか。
それとも将軍が参勤する武士を手当たり次第に犯ってしまってその良さを広めたのか。
宣教師は日本の寺院では男色がはびこっていると記したが、武家に流行しているというのは見たことがないよ。


592:人間七七四年
08/11/29 01:14:49 A0vjPTzO
この時代て、両刀が多かったんちゃうん?

593:人間七七四年
08/11/29 02:01:06 OzV8sJPR
古代ギリシャとか昔のよその国でもそうだったわけで
本来は男同士の同性愛は自然な感情で
嫌だとか変って思うのはむしろ後天的な洗脳なんじゃねーの?
でも俺はいやだけどな

594:人間七七四年
08/11/29 02:12:35 EOVlBM6j
古代ギリシャの同性愛信仰は性交渉はしないんじゃなかったっけ?
性愛の絡まない同性へ向ける愛こそ至高の愛。みたいな。
詳しくは知らないけど。

595:人間七七四年
08/11/29 02:41:39 spacs+TN
成人する前の大名の子の事は下々の者はなんて呼んでたの?

596:人間七七四年
08/11/29 11:13:02 JyVWtYes
幼名+敬称とか、若とか

597:人間七七四年
08/11/29 14:33:07 kfwYjvWu
同性への性欲が一般人に先天的にあるなんて大発見だな
医学会も驚く

598:人間七七四年
08/11/30 10:35:40 TAHRD3Q5
戦が起こった時農民へそれを伝える命令系統はどうなってたんでたんですか?
その土地の領主が知らせてたんですか?

599:人間七七四年
08/11/30 10:58:21 AHM6uCmP
敵が攻めてきたら狼煙があがるなりして、奇襲でなければ割かし事前にわかったのかな。

600:人間七七四年
08/11/30 10:59:13 OWL4iGQm
>>595
元服が近いと、既につけられた仮名(通名)で呼ばれたりしてたみたいね。

601:人間七七四年
08/11/30 11:14:24 LNeYWk+w
3武将のいい感じの名言をおしえて

602:人間七七四年
08/11/30 12:39:45 T1+kAOln
どの3武将?

603:人間七七四年
08/11/30 13:11:24 zfPYYlRu
>>601
3武将の名前をちゃんと挙げれ
赤海雨三将のことかね

604:人間七七四年
08/11/30 13:52:54 uy90fLI+
>>597
マジレスすると、サルやペンギン、昆虫の類いでも
ホモセックスする種類があるそうな

605:人間七七四年
08/11/30 14:04:04 LNeYWk+w
えーと3武将じゃなく、戦国武将のいけてる名言をおしえて下さい、 ただ辞世の句は意味がわかんなくて… ナイスな名言おしえて下さい

606:人間七七四年
08/11/30 14:45:40 TGQ9wVVe
で、あるか

607:人間七七四年
08/11/30 15:31:19 LNeYWk+w
で、あるです

608:人間七七四年
08/11/30 21:22:35 mjxXF6CV
>>598
半農半士の連中には動員が掛かるからそのとき知ったのでしょう

609:人間七七四年
08/12/02 00:21:13 a7uamtof
>>607
分かっていってるのか知らないが、「で、あるか」は織田信長の名言だぞ

610:人間七七四年
08/12/02 14:46:17 hFBaBQ6Y
陣ぶれってのはお城で太鼓たたいたりほらがい鳴らして知らせると聞きました
で、これ聞こえないことも多いと思うのですが
その場合どうしたのでしょう
例えば夜でみんな寝てるとか
例えばたまたま他の音が大きくてとか
例えばたまたま遠くに用があって出かけていた場合
例えば下痢でトイレ行ってた時とか

611:人間七七四年
08/12/02 14:56:18 dt8WUIT1
来ない奴がいたら同じ隊の誰かを使いに出して呼びに来るでしょ
戦力足りなくて困るのは殿様だし
遠くに用があった場合は仕方ないかな

612:人間七七四年
08/12/02 17:46:16 UZybS+L+
陣触れは二段階。
一段階は太鼓や貝の音で、
二段階目は実際に村々を武士が駆け巡って伝える。

音だけで伝えるわけではない。

613:人間七七四年
08/12/04 01:57:07 UpXRfebZ
もっと信玄の人は城…チックな名言ないのん?(-"-;)

614:人間七七四年
08/12/04 17:29:49 zq7MjNLX
そういう名言なら、ネットをあさるなり書籍をあさるなりすればボロボロでてくるよ。
だいたい、辞世を除外している時点で半分はいらないと言っている様なものだしなあ。

615:人間七七四年
08/12/04 17:54:51 LwJkJRrp
>>613
URLリンク(item.rakuten.co.jp)

616:人間七七四年
08/12/04 20:05:46 nQR/7TTa
変と乱と役の違いって何ですか?

617:人間七七四年
08/12/04 21:19:03 zq7MjNLX
変→クーデター
乱→軍事衝突
役→遠征

618:人間七七四年
08/12/05 01:15:00 14HJMOd/
小説などでは「この戦乱の世を治め平和にするために天下統一をしなければ」
という想いから各大名が天下統一しようとするけれど
実際こういう考えはあったの?
というかなぜ天下を掌握したがるの?

619:人間七七四年
08/12/05 02:11:57 +++mH6Cd
>>588
ホモじゃなくて両刀
衆道についてはもともと僧侶から貴族へ、そして武士へと繋がっていった。
平安時代の公家の日記みると、今日は誰それとやったとかいう記述が平然とある。
江戸時代になると庶民レベルにまで広まっていった。

私も男色なんて気持悪いだけですが、「そういう価値観の時代だった」と流すしか
ないですね。

>>589
妄想でもなんでもありません。というか、自分の妄想で語らないでください。

>>618
まず、ない。
それから「天下」の概念が時代とともに変化しており、特に室町戦国から安土
桃山にかけては大きく変動している点にも注意。

620:人間七七四年
08/12/05 02:21:55 rOEswInJ
>>617
乱は内乱とか反乱じゃね?

621:人間七七四年
08/12/05 14:19:16 Ycp3ntKM
>>617
ありがとうございます
乱についてですが軍事衝突といいますと反抗勢力との合戦という解釈でよろしいのでしょうか?

622:人間七七四年
08/12/05 14:32:49 t7YvtUu9
>>619
いや、男色の流行なんて君の妄想でしょ。
ただしくは流行じゃなくて、許容されていただけの話。
積極的にホモ行為をしていたとする見方は偏りすぎ。

623:人間七七四年
08/12/06 15:25:11 B31N1vuM
>>621
上杉家の「御館の乱」や伊達家の「天文の乱」などの主導権争いの「乱」があるので、
乱=反抗勢力との合戦、とは言いがたい。
内乱ではあるが反乱ではないし。
軍事衝突でいいのではないかと思われ。

624:人間七七四年
08/12/07 01:25:04 58pSPRLc
変は本能寺や大寧寺などの例で考えればいいかと

625:人間七七四年
08/12/07 01:43:25 RZj5C8uj
>>623
明治に九州地方で起きた佐賀の乱、秋月の乱、神風の乱はどうだろうか
内乱とは考えられないし、中央へ対しての反乱と思われるが

626:人間七七四年
08/12/07 02:08:39 A2dX15iP
辞書ひけばいいやん

変(名)
(1)異常な出来事、社会的な事件が起こること。政変や動乱などが発生すること。また、そのような事件や出来事。
「本能寺の―」
必ずしも軍事的な行為に限らない


戦争などによって世の中の乱れること。みだれ。
「治にいて―を忘れず」「応仁の―」
主に同一の勢力・国家内における軍事的な衝突に使われる


1 戦争。「前九年の―」
より限定すれば、主に外国・別勢力との対外戦争に使用される

627:人間七七四年
08/12/08 05:02:43 lMyJaT+E
>>625
内乱である御館の乱も反乱である佐賀の乱も「乱」だろ?
乱っつーのは、反乱も内乱もだが、敵対勢力同士の軍事衝突なわけだから、
内乱のみが乱、反乱は乱じゃないとかいう話じゃない。
「乱=反抗勢力との合戦」にすると「御館の乱」は「乱」じゃなくなるだろ。
乱は内乱や反乱など、一言で言うと軍事衝突である、でいいじゃん。
わざわざ反抗勢力との合戦と細かく定義する必要はないっしょ。

なんだかんだで辞書で見たほうがわかりやすいけどなw>>626

628:人間七七四年
08/12/11 14:54:13 Net3c5gr
浄土真宗(本願寺)が一向宗と言われるようになった時期と経緯わかりますか?

江戸時代以前から浄土真宗(本願寺)=一向宗という認識はあったんですよね?


629:人間七七四年
08/12/11 20:19:30 DD8v9dNi
>>628
前読んだ本によると今でいう一向一揆が活躍していた当時には
一向一揆は土一揆と呼ばれていたらしい

まあその本は「一向一揆と石山合戦」って本なんだけど、結構そのあたり詳しく書いてあったような覚えがあるから、
興味があるのなら読んでみるといいかも

630:人間七七四年
08/12/11 22:55:44 Net3c5gr
>>629

ありがとうございます。本探してみます。

631:人間七七四年
08/12/12 21:09:51 E/WBTk4Y
結局豊臣時代に徳川が貰ったのはどの程度なんですか?
関八州といえど
安房一国は里見、常陸は佐竹、下野にも宇都宮なんかがわらわら
他に結城やなんかもいたわけで
相模、武蔵丸々と下総、上総、上野の一部程度ですか?
実はあまり範囲は東海時代と変わってないんでしょうか?

632:人間七七四年
08/12/13 00:00:03 Hda28h/4
>>628
浄土真宗の門徒だが、「ひたすら阿弥陀如来一仏を拝む」ということから「一向宗」と呼ばれるようになったらしい。
室町ごろからそう呼んでたそうだ。
ただし本来は時宗の信徒を指す呼称だったので、真宗側はその呼称を嫌い、江戸期に何度も幕府に「浄土真宗」への改称願いを出した。
しかし特に浄土宗関係者から反発があったので、江戸期にはずっと「一向宗」で通ってた。
で、明治初年にやっと改称が実現した。

戦国期の動向については『一向一揆と石山合戦』を読むことを勧める。

633:人間七七四年
08/12/13 00:39:51 4/L1/3L4
>>632
浄土真宗の住職と懇意なんで、たまに「一向宗」との関係を話すんだけど
住職は「浄土真宗」と「一向宗」は無関係と否定するね

634:人間七七四年
08/12/13 01:28:45 me6CKnX3
普通鉄砲で射撃されれたら
撃ったほうに攻撃し返すと思うのに
小早川さんはなんで撃ったほうの味方したんですか?
内奥の約束してても打たれた時点で「もう向こうはこっちを敵に見てる
だったらねがエルのやめ辞め」ってなるのが人のサガだと思うのですが
創作の逸話としても筋が通ってません

635:人間七七四年
08/12/13 06:52:13 Hcje1a2X
>>634
歴史に関わらず人間の心理を理解するのは難しいですよ
最初から裏切りを100%決めていてそれが切っ掛けになったかもしれないし
小早川隊に向かって実弾を射ってるわけでもないし

636:人間七七四年
08/12/14 06:44:26 roni3+ez
>>631
所領云々よりも徳川を追いやる事が目的。「関八州」は「号して」のもの。

>>634
演出だからね。何らかの手法で決起を促した可能性はある。

637:人間七七四年
08/12/14 20:20:07 t8kfHuKK
大政奉還後の徳川宗家は400万石から駿河駿府70万石の一大名に
なったわけですが、これは結果であって、新政府は他に改易とし
宗家は斬首でお家断絶という選択肢も持っていたのでしょうか?

あるいは摂津大坂65万石の羽柴家の運命のように後にいわば「駿府の陣」
のように攻め滅ぼそうとしていたのでしょうか?

638:人間七七四年
08/12/14 20:23:31 ap0qtzlZ
激しくスレ違い…いや、板違いだなw

639:人間七七四年
08/12/14 20:23:50 BJcsf2Sb
微妙にスレチな希ガス

640:人間七七四年
08/12/14 20:44:14 t8kfHuKK
そういえばここは戦国時代の板でしたね。失礼しました。
然るべき所に投稿いたします。

641:人間七七四年
08/12/21 11:26:20 VKSPFf4l
昔北条早雲の学研漫画を読んだのですが、
その中で一人の童子が早雲に懐きそのまま家臣になりまして
それが誰だったのか思い出せずやきもきしています

氏康の代まで仕えたと記述があったことまでは覚えているのですが


642:人間七七四年
08/12/22 03:24:23 0HpX6rdM
肥後の隈部氏って島津に降る直前くらいの最盛期で
どれくらいの石高を領していたのでしょうか?
サイトで1900町とあったので、2万石前後?

643:人間七七四年
08/12/22 03:28:44 0HpX6rdM
【補足】
合志・内空閑氏らも実質、隈部氏の影響下にあったようなので
それらを鑑みるとどうなんでしょう?

慶長年間の肥後の石高が34万1000石。
阿蘇氏の領地が約15万石
天草地方が約2万石
あとは有力な勢力ってーと
相良くらいなので、そこから推察すると
どうなんでしょ

644:人間七七四年
08/12/22 17:20:32 /cJbcIDR
江戸期の伊達家家老の原田甲斐という人物は
なぜ伊達宗重を殺さなければならなかったの?

645:人間七七四年
08/12/22 21:59:43 9ZzCEJB/
>>642>>643
龍造寺隆信幕下着到(天正8年)によれば
隈部親永900町
内久我(内空閑)親房1,000町
合志親為も幕下なれど着到に記載なし


646:人間七七四年
08/12/22 23:18:52 JyT/6oSv
>>644
こっちの方が詳しい人がいるかも?

戦国期の家督争い・御家騒動・内乱を語る
スレリンク(sengoku板)


647:人間七七四年
08/12/24 02:59:19 OO8K6xMe
「一色軍記」と「丹州三家物語」という書物はそれぞれ
誰がいつどこの勢力下で書いたものですか?

648:人間七七四年
08/12/24 20:52:37 APdIwayv
信長の野望には南蛮天守閣の城が出てくるけど
戦国時代に実際に南蛮天守閣の城は存在したのですか?


649:人間七七四年
08/12/24 22:44:39 GS1bOOHE
柳沢元政は秀吉没後、家康から徳川家への仕官を勧められたものの、それを断ったみたいですが…。
この時、六十代だった元政にどんな魅力があったと推測できますか?
その後、毛利に戻った元政は周防山口で没しますが、何故か息子は徳川の旗本になっています。
それはどうしてだと推測できますか?

650:人間七七四年
08/12/24 23:14:25 jZ8djwPr
>>649
柳沢は元公卿だから何か朝廷とのパイプでもあったかね?

651:647
08/12/25 01:21:12 tWS7Z3AG
日本史板できいてみます

652:人間七七四年
08/12/25 22:11:35 c4HtXGsC
>>650 なるほど…。お答え頂きありがとうございます。
>>649 >>>>(続きの質問)
秀吉没後、利家とかいるのに、なぜ家康は豊臣の家臣を掠めとるような発言ができたのですか?
この時の豊臣の人事はどうなってたんですか?

653:人間七七四年
08/12/26 20:05:34 TtGhbtRo
秀吉の遺言で、秀吉死後は家康が政治の面でのトップとなり伏見城に、
利家は秀頼の後見人となって大坂城に入るように言われていた。
それで事実上、利家と家康はは秀吉死後豊臣家の2トップだった。

家康は自分の立場をいいことに秀吉の死後、私婚等秀吉の遺言を破る行為を繰り返した。
利家や官僚たちは怒って詰問使を送るが家康は追い返し、
利家は自分から家康に会いにいってやっと誓紙を交わした。(この時点で秀吉死後半年くらい)

しかし直後に利家が死に、家康に対抗できるだけの人物が豊臣家からいなくなってしまい、
家康は前田氏の討伐をしようとしたり、上杉討伐をしたりとさらに専横を極めた。
んでそれをよしとしない三成が立ち上がり、挙兵して関ヶ原へと至るわけ。


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