もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたらat SENGOKU
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら - 暇つぶし2ch480:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 17:57:01 tVMTh3qQ
しかし狸マンセーの架空小説によくあそこまで本気になれるよな
リア厨だと信じたいんだがいい年こいたおっさんが
あれを書いてるとなると情けない
狸が軍を二分して進軍して主力3万は足止めを
食らいながら関ケ原に望み
重囲に陥りながら本陣を前進させ
豊臣恩顧の外様大名等も誰一人寝返らず
逆に関白の座を約束された秀秋が寝返り
西軍総大将の毛利家が動かないで
東軍の一方的な勝利で数時間で決した
ハリウッド映画かよw

481:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 20:04:22 f6KTxSsY
すこし話を変えて、もし関ヶ原で家康が逃げ遂せたら…。

関東にこもり、秀忠の率いていた部隊を駒に、一合戦に及ぶ気概をしめし、毛利は関東に入らず。
減封をうけるとはいえ、二~三国ぐらいは支配できるだろう。
敗戦の要因をつくった秀忠は廃嫡、高野山に入り、かわって秀康ないし忠吉が徳川家を継ぐ。
家康死後、やはり豊臣は徳川を攻めるだろうが、徳川にも国力が有る分、現実よりもうすこし抵抗できたと思う。

482:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 01:04:11 8Ts0O2vA
>>480
東軍が結束していたのは神君家康公の人望のお陰。
神君は当時既に伝説だった武田信玄とも戦ったこともあるし、
その時に海道一の弓取りという称号も得た。
三成ごときとは格が違う。
その家康から威嚇射撃を受ければ秀秋は寝返るだろ。ヘタレだからな。
毛利が動かなかったのは吉川広家が内応してたから。
要するに神君家康公はすげーてことだよ。



483:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 12:28:31 6MhWmlQd
>>482
ほう、海道一の弓取りってのは馬上で焼き味噌を作ったらもらえる称号なんかね?

484:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 17:25:52 FTTu6txK
>>482
だから仮にも一軍が威嚇射撃を受けただけで寝返る訳ねーだろ。
秀秋にはちゃんと取り巻きの武将もいたんだぞ。
みんな豊臣恩顧なのだからしてまかりまちがっても
秀頼公に弓引くことになる東軍加勢なんぞ100%ありえん。

 それに吉川広家は毛利を支える重鎮だぞおい。
自分の家の当主が総大将なのに内応して毛利が無事にすむと
考えるほどのアホがかの小早川隆景公や秀吉公に一目置かれる
わけねーだろ。

485:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 13:14:35 N6gfab0X
あれ?
秀秋の西軍としての参戦は狸が銃撃して怒らせた事が原因じゃなかったっけ?

486:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 13:30:50 SJmwa3EK
いや、あれは秀秋公が東軍の全面攻勢の限界点を見極めている時に
家康が威嚇射撃を松尾山に向けたんだが
さすが用兵者家康とは思うがやぶへびだな
苦し紛れと読まれ秀秋公を始めとする西軍の全面攻勢を誘ってしまったんだな

487:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 13:43:54 /g6+zR4d
西軍があそこまで雑魚だとは思わなかった
たった数時間で完全敗北して三成らも捕縛されてしまうんとはね
家康もあまりに退屈だから小早川に鉄砲でも打ち込んで戦おうとしたら
逆に小早川の方が寝返っちまうんだからよほど家康が怖かったんだろう
でもそのおかげで江戸幕府ができて日本が安定したんだから
西軍連中も噛ませ犬としてはちょうど良かったな

488:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 13:44:57 YnPQayHr
>>487
仮想戦記乙!

489:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 14:50:06 SJmwa3EK
東軍が勝利したら、と言う趣旨のスレだから東軍厨でも構わないが
兵力差に包囲下におかれ数時間で圧勝はまず無理だな

490:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:13:16 /5FdE3w6
まぁ事実は小説より奇なり、というからありえなくはないと思うよ。

本能寺の変→中国大返しコンボ並の確率だと思うけどなw

491:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:42:46 O8voMQvl
西軍の圧勝だったというのが一般的な見解だが、
実際には勝敗は紙一重だったと思う。
もし、島津とかが積極的に戦わず、
家康との約束どおり吉川広家が毛利勢を戦わせず、
かつ小早川が寝返り、つられて脇坂・小川・赤座・朽木あたりまで寝返ってたら
東軍が勝ってたかもしれない。

492:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:44:04 M8tjylkP
なんかで処刑された家康は影武者で、
本物は中国に渡ってヌルハチになったって
聞いたけど本当か?

まあ家康厨の妄想って言われてるけどな

493:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 16:19:09 qDKaNOEw
水戸黄門の印籠の紋所の扇に月丸を
日の丸と勘違いしてる奴って結構多いのな

494:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 16:24:32 qDKaNOEw
おっと時代劇板のつもりが誤爆

495:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 18:14:45 CqHVxXhW
>>491
だから
>>島津とかが積極的に戦わず、
>>家康との約束どおり吉川広家が毛利勢を戦わせず、
>>かつ小早川が寝返り、つられて脇坂・小川・赤座・朽木あたりまで寝返ってたら

この段階で宝くじ1等当選する以上の確率を必要とする
相当なご都合主義なんだがな・・


496:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 19:52:00 ZBjjid2O
>>493
毎シリーズ、御側用人・木村長門守長成が悪役のアレか

江戸冬ノ陣での確執で、筆頭家老あぼーんの恨みが原因だよな


497:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/11 16:12:46 4YNunU3C
でも石田家って平安藤原氏みたいになったよね。東北にも奥州石田家あったし。

498:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/12 00:23:30 L8eCsDti
塙団右衛門と加藤嘉明の確執が好きだな。
関ヶ原で命令違反してまで突出した団右衛門を「大将の器に非ず」と嘉明が叱責するも、
結局東軍は負けて嘉明は没落、
戦場で最後まで踏みとどまった団右衛門は関白秀詮公の目に留まって取り立てられた。
秀詮公死後は遺領の一部を分けられて、小さいながらも独立大名に。

江戸の陣では江戸城に入場した浪々の嘉明に対し、一騎討ちを申し入れて
「やはり汝は大将たりえぬ」と断られたとか、「あやつが大名で儂が浪々の身とは」と慨嘆したとか。
嘉明父子は江戸城とともに運命を共にしたが、塙家も息子の代に家老と大喧嘩して取り潰されてしまうんだよな。

晩年の団右衛門は出家して、漢詩を詠んだり悪代官を懲らしめたりして風流と遊侠の日を過ごしたというのは、
講談の「鉄牛和尚漫遊録」のモデルとして有名だ。

499:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/12 17:22:40 jkLROLQw
大河の話になるが、今硫黄島の映画に出てる渡辺謙がやってた
大河ってなんだったっけ?すごい高視聴率だったそうだし、
今度借りようと思うんだけど。滝田栄のは「石田三成」、
津川雅彦のは「大一大万大吉」だよね。それはDVDで観た。

500:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/12 18:47:05 uCDSDjj0
あぁ、独眼龍重家

501:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 05:37:10 91mQNrpm
豊臣家の治世としては、重商主義なんだけど。
農業資本を、国力としていた徳川が負けたのも、
この時代の穀物の量はほとんど少ないからで
経済力が軍事力となっていた時代だったからだ。

なんつーか徳川だけが農業に主体を置いていたというのが面白いところなんだけど
秀吉が作り出した商業的なシステムには対抗なんて出来るわけが無い・

502:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 10:25:17 dmmJicCD
>>501
農業資本中心の世の中だったらさ、こんな感じになると思うよ。

収入少ない
 ↓
異常なまでの新田開発
 ↓
稲の品種改良も行う
 ↓
逆に田んぼが多くなり過ぎる
 ↓
せっかく開墾した新田あぼーん

そんなこんなで結局金の無駄使いになんのさ。

503:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/14 21:36:36 wRjiwIZK
>>495
一応、吉川の傍観って言うのは、無くはないよ。
勝気に逸る毛利本隊を、まだ早いとか、戦いの前には飯食っとけ、とか言って諌めただろ。
それが内応の約束の結果とは言いがたいけれど、兵力温存のために決戦に遅れ気味だったのは事実。
吉川の慎重さがもう少し過剰だったら、あのまま戦いに参加しなかったかもしれない。

504:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/15 04:36:31 Qkk8ARO7
あそこでしっかり弁当食って力つけたおかげで毛利軍は関ヶ原で大活躍したんだよな
世人は「宰相殿の力弁当」と呼んで持て囃したとか

505:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 22:38:53 qGfie4gT
安国寺の予言って2500年くらいまで予言してあるんだっけ。
あの死の間際に残した遺訓のような予言書。維新後に発見されたから偽者
だといわれてたけど、鑑定結果は桃山時代のもの。あれで豊臣が未来を予想しつつ政権を
運営していたらしいし。でも一巻に全五巻とあるのに、四巻と五巻が無いのが怪しい。
政府が恐れて封印したんだろうね。

506:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 08:38:00 i9ysGYfU
五島勉の飯の種

507:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 11:48:53 EGEjxf9A
維新の時に活躍した最上義照って北海道横断してロシア傭兵隊通称正兵隊を率いて活躍し
更に維新後の豊臣家の残党が蜂起した東北戦争においても活躍してるけど最後には暗殺されてるんだよね。なんで?
これが第二次世界大戦まで続くしこりになって残ったんだけど。

508:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 18:09:06 bSyPTcYt
>>507
すまん、維新以後の話は、詳しくないから、別の人のレスを待ってくれ。

で、関ヶ原での疑問。
東軍勝利に必要な吉川と小早川の離反。
総大将の親族らが離反するってのは、ただ事ではない。
事実上毛利一族ではなくなってしまった小早川ともかくとして、
吉川が毛利本家と不和だった、なんて事実はあるのか?
でもなきゃこんな仮定はあまりにも無意味。

509:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 18:35:42 sZDh0q2n
>>508
吉川広家が傍観したままの場合、
西軍が勝てば当然毛利軍にとっても勝利、
万が一東軍が勝っても毛利軍が東軍へ肩入れしたことになり
悪くても取り潰しになることは無い、と目論んでいたという説もある。

510:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 19:26:13 nx8h7a58
広家公が東軍についたら毛利宗家は減封無し。って話が内府から
あったらしいね。
そうなったとしても、絶対に2国くらいに減封されたと思うがw
間違いなく安芸からは追い出されてたと思う。

511:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 19:54:39 1hbEOUUm
そうだろうねぇ。「は?本領安堵?敵の総大将にそんな寛大な処置するわけねえよm9(^Д^)プギャーーー」ってやりそうだな。
もしくはせこさで有名な家康の事だ、「俺のサインなんかねえだろm9(^Д^)プギャーーー」で、ってこんな仮想戦記あったよな?んで雪辱を期した毛利がってやつ。

512:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 20:06:06 Xs0vXBkh
律義で通っていた家康公が約束を破るわけないじゃんw

513:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 20:08:33 d4BhIJ22
>>511
せこさって、お前、講談に毒されすぎ

514:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 20:15:57 1hbEOUUm
東軍厨キタ━(゚∀゚)━!!

515:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 20:20:15 bSyPTcYt
>>509
事実だとしたら、なんという自信の無さ。
分かりにくい例えで恐縮だが、手ほんびきで、4点張りするようなもんだな。

516:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 20:23:23 z/T5sVEk
家康は律義者とかいうけどさ、太平の世に戦乱を起こして結果豊臣政権の弱体化を招いた事は事実じゃん。
関が原後は毛利・上杉なんて実質200万石超えてしまったし、秀吉政権下で均衡してた力関係を壊した罪は大きい。
天下一の奸臣だよ家康は。

517:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 21:35:50 Xs0vXBkh
奸臣てことはないだろ。
てか東軍が元々豊臣正規軍だし。
たまたま負けたから貶められてるに過ぎないだろ。
東軍が勝ってたら、家康公は今頃奸臣三成を除いた忠臣といわれてるだろう。
律義な家康公は秀吉との約束を違えることなどないだろうし、秀頼を一層盛り立てただろうな。

518:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 22:21:35 M6WtS13a
>>516
 家康の場合は仕方あるまい。
あのコロは徳川だけが突出しすぎていた。
しかも周囲は朝鮮出兵での恩賞もでてないゴロツキがうじゃうじゃ・・
自分が天下を取らなくては徳川は早晩潰されると考えても不思議は無い罠。

 毛利・上杉なんて徳川の起こした乱のおかげで
不満分子の整理、恩賞の元手もできて
そして豊臣恩顧の大半が徳川について失脚か改易になり
秀吉の定めた五大老五奉行は自然消滅してガタガタの時分に
天下第一等の大大名になってるから・・条件が違う。

 むしろ力関係を壊したというより秀吉政権下で不安定だった
バランスを東の上杉と西の毛利で安定させた功労者だろう。

519:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/19 11:48:32 8hoR1P75
身を捨ててまでバランスを安定させた功労者、ってか。
まあ家康が勝っていたら、圧倒的な権力を握ったのは確実だろうね。
秀頼はお飾りというか神輿に過ぎなくなる可能性大。

520:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/19 18:28:22 mJG0UJ78
つうか普通にスルーされてるけど猛将関白秀秋オタとしては
幾らなんでも関ケ原で裏切ったと可能性があると言われては釈然としないな
若くして亡くなったが稀代の名将が裏切るかよ

521:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 00:19:40 AMkOJ5Rz
裏切る可能性を主張する人は、陣中にいた黒田側の人質を、内応のための連絡係とか目付と見てるんじゃない?

しかし名将というあたり、いくらかオタ臭を感じるなあ。
俺の場合、猛将という印象を超えないよ。
西軍が負けたら、信長の野望での猛関(てか関白になれない秀秋)の武力or統率は、70ぐらいまで落ちているんじゃない?

522:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 16:54:16 w0AyvJqQ
俺的には、池田輝政が凄いと思う。関が原の戦いで三河国吉田15万2000石を没収。その後、牢人。
他大名からの勧誘を断り続けたが、やがて石田三成の旗本になって、江戸冬の陣では、抜群の功績を
して、旧領三河国吉田15万2000石に復帰出来たのだから。あいつだけだよな。改易されて返り咲きしたの。
後、妻が家康の娘であったが、折り合いが悪く、関が原の戦いの後は離縁してるな。結局、1613年に死ぬん
だが、その際、輝政の死は世間では家康の呪いとも噂された。と言われているよな。

523:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 18:03:18 nrVpnNp3
輝政が築いた吉田城って別名ポンポコ城だっけ。世界遺産じゃなかったか?

524:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 22:12:48 zqQTMZUp
>>522
上のほうのレスにあるが加藤清正が牢人から会津の大名に復帰している。
どちらも江戸の陣で復活してるお。

 追記すると黒田長政は廃嫡の上奉公禁止で追放処分
そのまま江戸の陣で死去
福島正則の場合は遠島だが、後に正則の子・正利は3000石
で旗本となってる。

525:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/22 18:53:13 hcYjs6xm
八丈島に流された天海かわいそう。

526:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 01:17:17 AP1sdUR8
三成が豊臣恩顧の大名に対しては厳しい処置を取れなかったってのもあるが
北政所が淀君に頭を下げ尾張出身者をかばったってのもあるらしいね




527:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 22:05:47 Fe3FxSw+
>>526
 それは俗説だよ。
上のほうのレスにあるが淀殿も東軍への協力が理由で
大阪城から出され淀城に蟄居させられてる。


528:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 22:15:56 xcDujMYT
関ヶ原の後に淀が出産したという伝説は?

529:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 12:17:46 KzBffUeI
まあ西軍が勝ってくれたおかげで日本は世界最初の資本主義国家になったわけで
狸じゃそうはいかなかったな

530:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 16:00:34 bMo8iMd5
なんだかややこしいね。

531:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 19:28:04 6JGjEz42
誰か浅学でパソコンが使えない私のためにこのスレをまとめてくれる方はいないだろうか・・・。

532:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 20:42:10 fMnxf2Uh
日本中サルだらけになったけどな

533:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 21:45:21 bhc0yjmU
猿の列島

534:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 21:55:34 JuNjsy4h
ここは、ここは日本だったんだ!
豊臣の奴ら、豊臣なんかくたばってしまえ~~~!!!

砂漠のような砂浜には、くずれかけた大阪城が埋まっていたとさ。


何の話だ。



>>531
正月休みに期待してくれ。
俺ではない誰かが多分…。

535:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 21:57:13 JuNjsy4h
「なんてことだ! 豊臣の奴ら、豊臣なんかくたばってしまえ~~~!!!」
だな。

536:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 01:01:42 i4OPCId9
>>529
日本が世界最初の資本主義国家って自己評価高すぎだろ。
未だにOECDにすら加盟してないのに。


537:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 19:46:41 cSBvFsDK
>>536
日本の定義が曖昧なせいだろ。
独立した海外植民地は先進国に名を連ねてるが
旧本国は蝦夷地や九州は独立するわ、四国は割譲されるわで
未だにOECDにすら加盟してない。


538:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 19:57:42 cSBvFsDK
>>531
大雑把でよければ少々史実と東軍の勝利がいかに違うか
書いてみませう。

 まず豊臣家最大の失敗といわれる朝鮮出兵の中途で豊太閤秀吉薨去
残されたのは幼い秀頼と生母淀君であり
政権運営のため
徳川家康、前田利家といった有力大名五名と
五人の奉行で合議していくことが決められた。

 このとき朝鮮出兵せずに関東250万石の大封を抱え秀吉も一目置いた
家康が次の天下を狙うような動きを見せ
 阻止しようとした前田利家も死んでしまい
家康は暴走
 関東の腹背を撃つ位置になる会津太守にして五大老の一人
上杉景勝が家康に反発、ここに上杉征伐が起きるわけです。

 で上方に残った毛利、宇喜多を味方にした石田三成が決起
上方に引き返した家康の軍勢と関が原で決戦する。

 もちろん結果は三成らの西軍が圧倒的な大勝利を飾るわけですね。
 



539:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 20:13:51 cSBvFsDK
 ところが、東軍勝利を信じ込む厨は小早川秀秋と吉川の内応裏切りで
東軍が勝利できたといっている。たしかに戦史的には両者が
家康を関が原に誘い出す為演技していた事実は語られているけどね・・。

ともかくこの合戦で前田 徳川、浅野が五大老五奉行から失脚
代わって小西、石田、安国寺が任命されるんです。
このため東軍厨は関が原の東軍勝利において、この3名を
河原で処刑するという展開は、もはやお約束のセオリーです。

 で三成と北政所はけっこう良好な関係であったものの
浅野や木下家定が東軍に組した事実から責任追及はまぬがれず
宇喜多家の京都屋敷に匿われるのです。
 一方これで淀君の権限が強まるかと思いきや
家康の上杉征伐に軍資金を出していた件、家康に西軍決起の
情報を漏洩した件、大野治長の助命の為
あとは妹夫婦を救うため秀頼の嫁に秀忠の娘千姫をという秀吉の遺言を
主張しだした政治音痴などが理由で
淀城に幽閉蟄居させられてしまいます。

毛利は巨大になりすぎることを警戒され元康、秀元、秀包、広家、安国寺、
村上水軍など参戦武将に直に恩賞を与えられ独立大名となり、
 上杉も越後と山形を与えられるものの米沢30万石の直江は独立大名に
それでも毛利一門の総石高と上杉は最盛期の徳川を凌ぐ大大名になってしまいます。
 第二の徳川として警戒されることを恐れ毛利と上杉は
大老筆頭の座を石田三成に譲ってしまいます。

540:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 20:21:38 cSBvFsDK
家康は処刑(実は生きていて南光坊天海として暗躍)
福島正則と(江戸の陣直前に松平秀康)が八丈島に流罪
黒田長政は廃嫡の上、武家奉公禁止の処分で追放

浅野は後に高家や旗本として豊臣家に仕えます。
 高家筆頭の浅野上野介が赤穂の吉良47士に討たれる
有名な赤穂浪士で本家は断絶しますけど・・。
 これも東軍厨では浅野の家臣47名が高家筆頭の吉良に討ち入るという
逆の話になってます。
 
で徳川は残りますが、後に警戒されれ方向寺の鐘銘を理由に
江戸の陣が起こります。
これまた東軍厨いわく家康の狸親父が大阪方を追い詰める為
寺の鐘銘を理由に大阪の陣を起こすとなってます。

541:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 20:38:28 cSBvFsDK
  江戸の陣では加藤清正と池田輝政が(一説には三成に土下座)
石田家の客将として参加、戦後は会津と三河吉田の大名に
なっている。

関が原での没落組には、ほかに江戸の陣で
後藤又兵衛基次(旧主黒田長政)
塙団右衛門直之(旧主加藤嘉明)
細川五郎興秋(細川忠興の次男で勘当された父に変わり細川家を相続した)
小笠原権之丞(家康の隠し子)
がそれぞれ大名としてかつての主君を撃つというエピソードもある。

542:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 18:21:32 13/F6UwM
おれも少しまとめてみるか。

徳川から小早川の陣へ射撃したのが、小早川軍が徳川本隊を強襲するきっかけになったよね。
東軍勝利物語では、そのとき小早川軍が東軍に寝返る、というのが結構一般的みたい。

もしも東軍が勝利したら…。
現在のような経済中心国家にはならなかったんじゃないか、というのは大体の人が認めてる。
ほかには江戸が首都になったんじゃないかと言う人もいる。
権力闘争の面では、豊臣はつぶされると言う人もいれば、家康は執権政治をするんじゃないかと言う人もいる。

んなところかな。

543:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 20:12:55 XaabZpVl
徳川から小早川の陣へ射撃したのが小早川軍が東軍に寝返るきっかけってのが東軍厨の痛いところだよね。
というかそこまで無理をしなきゃ東軍が勝つシチュエーションが浮かばないんだろう。
敵に攻撃されたら反撃せず味方を攻撃なんてどこの世界にそんな軍隊あるんだよ。

秀秋はさすが秀吉とねねに目をかけられただけあって見事な武者ぶりだったらしいね。
関白になってからもうまく戦後のごたごたを押さえたしな。
早死にしたのが悔やまれる。もし秀秋が長生きしていれば豊臣政権も磐石になって豊臣時代はもっと長かっただろう。

544:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 23:48:19 v6AUytqt
>>540
赤穂吉良家って、どういう経緯で出来たんだっけ?
確か、江戸の陣が終わった後だった気がするんだが、詳しいことが思いだせん。


545:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 23:58:09 WtSQE3en
>>543
ほんと、秀詮公は豊臣の世を守るために生まれてきたような感じだったな。
二人の養父に恥じぬ働きで「傑将関白」とはよく言ったもんだ。

その先鋒の松野重元もすごい。
家康本陣は愚か後方の中村・有馬勢を追い散らして
「松野主馬の勢はとどまるところなし」と賞賛された武功は関ヶ原随一と言ってもいいんじゃないかな。

546:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 19:30:51 B64oFCbJ
石川氏が維新まで続いて名君を連発した事を考えると改めて
石川数正って天才的な時勢の読みを見せたんだなぁと思う。

547:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 12:34:56 9KhAZ1Et
織田信衡って東軍が勝ってたら歴史にその名が出てくる事も無かっただろうな

548:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 17:45:53 4K+Wq6Sf
お前ら家康のこと馬鹿にしてるけど、
俺の地元の浜松では、民政に力を入れた名君として
今でも結構市民から慕われているぞ。

549:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 22:31:00 NXFankya
ところで東軍厨が大好きなIfモノって
なんでどれも家康が征夷大将軍に就任するの?
足利幕府の凋落を見ても
あの当時将軍職に権威があったとは思えないし
官位としても関白には到底かなわないよね?
「武家の棟梁うんぬん」っていう理由付けをよく聞くけど
ちょっと無理があるような。。。

550:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 01:09:27 embShsJz
>>549
家康が足利氏と同等の家格の源氏の名門新田氏の末裔を称したからじゃね?
田舎臭い家康が勝っても、上京して至尊の貴族になるとは思えないし、
それよりは関東で幕府を開く頼朝の二番煎じをするほうがキャラに合ってるし。

551:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 04:57:04 2exaUkju
豊国大明神様が在世中の時から家康が吾妻鏡の講釈を知識人から受けていた
という逸話が元となって実は将軍になる大志を抱いていたというのも根拠の一つだろうな。
しかしやはり頼朝公の再来といえば秀吉というのが常識だしな。

552:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 18:17:48 qbcTUUwO
天下友達ネタ(・∀・)キター 
たしか秀吉が兄貴分で頼朝が弟分の天下友達だな。

 東軍厨いわく豊臣が関白だから簒奪にならないように印象つける為
征夷大将軍を望んだという設定らしい。
 ある意味家康らしいセコさだな。


553:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/01 08:30:08 mtiHH0wu
征夷の元は敵があっての話なのに、秀吉様が安寧楽土とした時になにを敵だと言うのか。

554:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 22:20:15 UMlCRe/i
朝廷だったりして……。

555:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 18:40:01 mzs4OMw+
>>554
朝廷=豊臣家と考えるほうが自然だろう。仮想敵国として豊臣を考えてたんジャマイカ?
豊国大明神様いわゆる秀吉公は、母親が朝廷から故あって落ちぶれた萩中納言の娘
その御胤を身篭った父というのが正親町天皇であるというのは有名な史実。
ゆえに天皇家と摂関豊臣家は何代も姻戚なわけだし・・
朝廷を夷というのは天皇の御落胤である秀吉の家豊臣を夷とする考えなんでは?


556:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 09:21:25 ySdL0+kM
朝廷から頂いた官職を根拠に朝廷を滅ぼすわけは無いだろうけれど、
征夷大将軍就任→豊臣攻め、というのは大体のお話でセットになって語られているので、
やはり夷=豊臣家なのかな。

最近では「秀吉=後胤」説は、「徳川=源氏」説と同等かそれ以上に胡散臭いと言われているみたいだし、
嘘つきを滅ぼすという大儀名分は成り立つかもしれない。

557:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 11:04:33 DET9hIcI
>>553
葵三代では、敵とは「天皇をあがめない異国の者共、イスパニア然り、イギリス然り、オランダ然り、」
だそうだ。

558:556
07/01/06 11:26:45 ySdL0+kM
「秀吉=後胤」でなく「皇胤」の間違いだね。

>>557
家康も、秀吉のように海外に出兵する気かしら?
秀頼のように通商による勢力拡大にしときゃいいのに。

559:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 17:46:05 DET9hIcI
ドラマの話だから広げるつもりはないが、
前後の文脈から、
異国と折衝し、いざというときは武力で追い払うって意味使っている。
ま、言っていることは専守防衛だな。

実際、家康・秀忠はこの路線を行っているし。

560:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 18:48:23 ROXyUGkn
>>558
仮想戦記で天下太平になって浪人対策で家光が明に出兵する話があったぞ。

561:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 18:40:23 Bh1+4EyU
>>560
徳川家光かい?
家光といえば東軍厨いわく徳川幕府三代将軍になるのがお定まりの
人物ではあるが・・・
史実によれば江戸の陣において
「祖父(家康)や父(秀忠)は貴公らと同格の諸侯であり
 太閤殿下のご恩顧への遠慮もあったが、
 余が生まれたときには徳川は諸侯の座に無く不当に咎を受けていた。
 余は生まれながらの謀反人である。
 ・・・・・・」
といふセリフを述べているのが、あまりに有名なあのお方?
セリフだけ聞けば
「さすがはかの天下の謀反人明智光秀縁の女を乳母に育った武士よ」
という光景ではある。
 しかし実際のとこ戦場には一度も出ておらず馬にも乗れなかったそうですね。


562:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 19:26:39 o1Chu03u
敦賀六十八万石って西軍勝利の功労者の割りにその後ぱっとしないねやっぱ吉継が病を理由に三成大老の私的な相談役にとどまったのせいか
あと、息子の吉治と分家した木下頼継が不仲で、吉継死後一触即発になって。真田信繁と大老が直々に仲裁してなかったっけ?


563:sage
07/01/09 04:44:28 qvWuUZ87
やっぱり当主が早死にしちゃうとだめだね
吉継にしろ、小早川秀秋にしろ、西軍の功労者には多いのだが、当主死後には決まって
必ずと言っていいほどお家騒動で勢力減退してるもんな。
その点、小西行長は当時としては長命な70代までいきたし、堺町衆の後ろ盾もあって
紀州大納言家創始して、八代の行宗の時には関白だもんね。
長生きも戦国武将の大事な使命だね。


564:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 20:20:18 NpLY0Qhv
>>563
三成の息子を東軍に従軍させると言って安心させといて、実際はだまし討ちしたから、
その罰が当たって早死にしたんだよ。

565:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 21:19:33 2N0ApSjZ
ん?そんな事初めて聞いたな。

566:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 13:31:05 bcNqBbsR
>>563
紀州大納言家と言えば、長曾我部盛親御落胤(自称)の丸橋忠弥との関連は見逃せないな


567:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 13:36:35 /adIZE7l
くそ~ 関が原で東軍が勝ってたら、あの時九州を一人で席捲していた如水公は
その後の政権内でもっと重きをなしたはず。
ひょっとしたら勢いに乗って天下人にすらなったかもしれないのに。
豊国大明神存命中の頃の活躍を考えれば、それぐらい朝飯前で成し遂げそうな武将だった。
 家康~ 半日で負けてんじゃねえよ!

568:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 13:42:17 sm7V0+Pj
息子がヘマ打っちゃったのもきつかったねぇ。
父に似ず調略下手だったもんだからその助命嘆願や
家臣の行き先探しに駆け回った挙句ぽっくりって感じだし。

569:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 13:52:26 Vau4s1kx
>>565
三成じゃなくて、吉継自身の子供のことだったかもしれないけれど、そんな話無かったっけ?

570:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 16:21:05 7+7QGryp
>>566
丸橋忠弥が色々怪しい動きをしたおかげで
長曾我部家は一時改易寸前までいったよね。
まぁ、なんとか持ち直してその後全盛期を築いたわけだけど。
ところで、四国イコール長曾我部のイメージのせいか
四国名物は長曾我部を冠したものが多いね。
でも正直「長曾我部うどん」とか
「長曾我部みかん」なんてのはどうかなと思うんだ。
この前別スレで「讃岐うどん」とかにした方がいいんじゃないのって
提案したら
「ばか、そんなんじゃ売れねぇだろ」って即レスされたよ。

571:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 23:30:52 Vau4s1kx
>>570
わざわざ讃岐なんて呼ばなくていいよ。
「長曾我部」が嫌なら、高松うどんでいい。
一般には讃岐って旧国名より、現在も使われている高松市って名前の方が有名だろ。
それに長曾我部の本拠地なんだし。

スレ違い失礼。

572:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 23:41:00 aRZWPPpI
坂 崎 直 盛 宇喜多秀家の従兄弟だが、東軍について改易された男。
浪人中に自ら坂崎って名前にしたらしいが、実際は秀家が同じ宇喜多姓を
名乗るなって事だったらしい。後の、大阪城の千姫略奪事件も凄いものがあったなw
東軍は痛い奴が多かった。よって、負けた。

他 ス レ で 誤 爆 し て 参 っ た 。

573:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 00:08:18 W6uK1DO3
>>572
「豊臣秀頼の謎」スレかあ。
東軍厨に難癖つけられる前に気づいてよかったね。

574:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 22:30:59 T03zqavu
>>572
泳いでカエレ


575:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/12 15:23:54 vUPr7E7T
ん?
「この」スレだと「泳いで参った」のは結城さんじゃね?



576:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 15:56:14 zKhuza3C
史実じゃ可児才蔵を討ち取って大名になった宮本武蔵だけど、東軍が勝ってたらただの名無し浪人で終わってたか?

577:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 16:26:39 9SXLdQXg
武蔵には晩年の芸術家としての側面もあるから、むしろもっと
クリエイティブな才能を花開かせてた可能性もあるかもな。

578:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 19:21:27 zT6e+Hdq
宮本武蔵って念願の大名になったくせに
宮仕えのストレスからか
夜中に刀振り回したり
何日も自室にこもって絵を描きまっくったりしたらしいね。
大坂城殿中でも周りから浮きまくってたっていう記録もあるし
浪人のままの方が幸せだったかも。



579:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 20:08:27 B/Ysr/JE
あまりにも趣味に没頭しすぎて、領内の財政を傾けちゃったしね。
死ぬまでに70万両の借金をこさえるのはどうかと。
二万石の小大名の癖になw

しかし、あの時代の芸術の一翼を担った功績は大だけどな。

580:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 20:40:54 zT6e+Hdq
70万両も借金してたのか。
武蔵は紙や硯、絵の具なんかの開発・改良にも功績があって
後世の我々は大変お世話になってるからなあ。
あんまり悪口は言えぬわな。

ところで武蔵が大名になれたのは
秀家公強いの後押しがあったらしい。
宇喜多騒動に懲りた秀家公が性格に問題がある武蔵を
体よく追っ払うために独立させたんだそうな。



581:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 23:03:35 3oz6Ztva
宮本武蔵に仕官して剣術奉行務めた佐々木小次郎だっけ?
道場の総取り締まりを兼ねて、武蔵の剣術上手をしる家臣たちも小次郎殿が上では
とささやかれて、晩年の武蔵の求心力の低下も如実に表してるけど、ついに
小次郎と武蔵は戦うことなかったな。やっぱ小次郎の方が強かったんだろうな。
まぁ二人とも脅威の出世だけど、東軍が勝ってたら100%他人のままだよ

582:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 00:54:00 NiwBp3lM
武蔵や小次郎の兵法なんてお座敷剣術だろ。

典膳島(舟島)の決闘で名高い御子神典膳とそれに打ち勝った柳生但馬こそ真の武芸者だ。
但馬は一見姑息だけど勝つことに対する執着心はまさに実戦剣術の神髄だし、
剣術のみならず禅にも深い造詣があって、禅僧になっても一流だったろうという評価もあるくらいだ。
まあ、数年前の大河ドラマのTAJIMAは出来悪かったみたいだけど。

583:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 15:52:52 DfKjoBtE
武蔵の代で70万両というとてつもない借金をしたが、二代目の宮本伊織がきちんと執政を行い
借金を全て返済、領内の治水などを行って、実質2万石の大名だったが、実高は10万石だったらしいな。

584:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 21:09:53 U33kiX7U
宮本伊織って そのご朝廷の剣術指南役までなったんじゃなかったけ?
まあ指南役って言っても、公家相手になんの指南してるやらだけど。
でも そのおかげで二天一流が全国の大名に広まったことは確かだし、
開祖の武蔵の名も、戦国オタなら一度は聞いた事ぐらいある名前になったわけだ。
もし もし東軍が勝ってたら、武蔵なんて、「タケゾウって誰?」て言われるぐらい無名だっただろうよ。
 

585:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 23:49:07 uW0Rx0+m
>>583
その後凡君が五代続いても潰れなかったのは伊織のおかげだよ。
まあしかし、借金は膨らんでしまったわけだがw

借金踏み倒しギネス記録保持者だからな >宮本家

586:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 03:48:26 wfdIwa0k
宮本武蔵が大名まで出世できたのは、
山陰の忍を指揮していたからていうのは史実なの?

587:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 19:13:18 Ro+omOAD
>>586
武蔵自身も忍者だったって説もあるけど、美作出身だから忍者ってのはあまりにも単純すぎるよな。
滝川一益と同じくらい怪しい。

588:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 19:53:06 Xs8E31Ky
忍者は宍戸美作守だろう。通称、梅軒。
武蔵が剣術奉行公募したときに決勝で小次郎に負けたけど、その豪気さを秀頼さまが
気に入られて、その鎖鎌とかいう曲芸のような武術を習ったという。でも秀頼さまが
鎖鎌振り回したら、大野治長に刺さって、血だらけで大野が武術はお控えくださいと
諫言した話しは有名。それでも辞めなかったから大野は宍戸を逆恨みして算盤奉行に
したら、案外頭が良くて宍戸家は代々兵糧奉行したり算術家を輩出した。まぁ伝説っぽいけどな。
梅軒はなんでも出来たから諸国放浪の元忍者となってる。
それより秀頼公が気に入った吉岡一門の栄華のほうが凄いけどな。普通に大名になってる。

589:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 22:51:20 qMmjRNvB
>>588
大野治長は秀頼さまの側近で終わったが
小粒な逸話が多くて、全体の評価は悪くない。
(血まみれのまま諫言なんて普通できないもんな。)
東軍厨ご用達の仮想戦記において
彼が大坂の重要人物となっているのも
あながち無理な設定ではないと個人的には思ってる。


590:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 23:37:09 3ngDnDzT
>>586
全国の大名に仕官していった門弟のネットワークを使って、大名の動静をさぐっていたらしいな。
朝廷内では専らそっちの仕事で重宝がられていたと。
ちなみに、裏宮本という影の軍団を指揮して、諜報活動していたというのは、講談や
千葉真一のドラマだけの話らしい。

591:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/18 01:53:20 lw4PCNdS
>>590
影武者石田光成や漫画のTADAKATSU読んでると、
宮本=忍軍ってイメージが植えつけられてしまった罠。
特に後者は南斗の拳の作者の漫画演出が、歴史漫画じゃなくて格闘漫画レベルだったしな。

592:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 04:04:02 MmGFTbc6
でも武蔵って青年期の才蔵と一騎討ちとか、乱心した家臣を討ちすえたとか
三成と喧嘩したとかいうハデな剣豪イメージより、秀頼公に媚びうったり借金の
イメージが強いよなぁ。たしかに「剣術のご指南を」とかいって弟子送ったり大名達と仲良く
なりつつ、それを大阪にチクるのは裏方として重要かもしれんが、格好良い姿ではないな。
晩年に処世術をまとめた五輪の書がサラリーマンの人付き合いのマニュアルみたいになってるし。

そもそも剣術奉行公募とかいって、秀頼公の前でわざわざ御前試合開いてお祭り騒ぎしたり、
秀頼公に気に入られるようにいろいろと計算してるんだよな。武蔵は大名達には白い目で
見られてたのに、秀頼公も空気読めず武蔵のこと気に入っちゃって。空気読めないといえば
優勝した佐々木より、準優勝の宍戸を気に入ったとかな。逆に佐々木は真面目だから黙々と剣術に
励んで、茶道の利休、剣道の小次郎というように近代剣術様式を完成させた訳だけど。
小次郎がいなかったら、今みたいに剣道が国民的スポーツにはならないよ。
武蔵も剣術奨励したとかいうけど、実際は佐々木小次郎にまかせっぱなしだし、佐々木の功績も見逃せない。

それより、宍戸は基本は武蔵の家臣なのに秀頼からも禄貰ってる時期あったよな。
それを大野が例の”流血の諫言”の後に正そうと、武蔵からの禄のみにして直臣とした。
この時だよな、大野が乱心したのか宍戸を米奉行にしたのは。1代目の梅軒は普通だったが、
2代目3代目が算術に長けてて数学者として功績残した。まぁ無理もないよなギネス級の
借金重ねるわけだから、その収支報告まとめるのもギネス級に難儀な事だろう、それを
こなすわけだから相当な能力を求められるよな当然。ある意味、大野の凄いよ。

大野も結構、思いきったことするしな。秀頼公が「10万の兵を与えてみたい」と
言ったのも分かる気がする。これが元で仮想戦記で豊臣方の司令官になったりするが。
でも、大野、武蔵、宍戸、佐々木のコンビは面白いよな。時代劇みててこいつらが
出てくると平和到来って感じ。この間、「ひょうたん 豊臣三代」見ててこの四人のコントが
あって、どっかで「こんなキャラいたなぁ」と思ったらルパン三世に当てはまるんだよ。
武蔵=ルパン、宍戸=次元、小次郎=五右衛門、大野=銭方のとっつぁん。すげぇよ実在するとは。
本当に大野は「待ぁて~武蔵ぃぃい」って言ってたらしいし。名言だな。

でも名言第一はあれだよな、秀頼公のあれ。
明の使者が来て、返書に「倭」とあって秀頼公が我らは自国のことを倭とは呼ばないと
言って改めるように言ったときに、明の使者が「では改めて、国名は?」と聞いたら秀頼公が
「ひょっこりひょうたん島である!」と言ったという。最高だよな。大野が慌てて通訳の口塞いで
「に、日本国でよろしい、ひ、ひ、秀頼さまは日本国王である、そう記せ」と言ったという。
確かな記録にはあまり残ってなかったから伝説だったけど、去年あたり新しい記録が中国かどっかで
見つかったんだっけ?いろいろ日本側にない逸話があって、その中にあったとか。
つい長文になっちまったよ。大野厨なんでな、わりぃ。

593:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 04:47:23 kWm38TIf
日本史上稀にみる勤皇家であられた正一位関白太政大臣秀頼公が冗談でも日本国王なんて名乗るわけないだろ
逆賊足利義満とは違う

594:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 09:58:23 kKPvqHnJ
ひょっこりひょうたん島と言えば、反射的に結城秀康を思い浮かべるような頭になっちまった…。
繰り返しになるが「泳げよ、秀康!」

595:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 10:49:53 ETEHAet9
でも、関ヶ原で勝ったとはいえ、
豊家第三代の豊臣秀光がいなかったら、300年も持たなかったと思うよ。


現時の流れを汲む京極氏に養子に入り、
その後、順々に京極の人達を追い出し、羽柴に復姓、
豊臣の本姓もそのまま頂いてるから、


正一位源朝臣関白右大将秀光

史上初の右大将兼関白だからなぁ。

仇敵徳川氏の本拠の江戸に幕政の本拠を移した事などは、
よほど頭が良くないと出来ないよ。

豊家第四代・2代将軍羽柴秀綱は大したものだよ。
法制度を整えて、地方分権と中央集権のバランスを見事に確立したからなぁ。

596:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 14:17:21 NWEnegv/
豊家の代数って
秀吉-(秀次)-秀秋-秀頼で関白位なら殺生を数えて、歴代なら省かれるだよな

597:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 18:03:47 Zmm96oZa
ところでみんな
大坂城の南側に存在する
いわゆる「真田丸」についてはどう思う?
あれは真田親子が発言力拡大を狙って
大坂城は南側に弱点があるとか言って、無理やり築かせたものだろ?
そもそも太平の世にあれが必要だったとは思えんし
あの、とってつけた感丸出しのデザインのせいで
激しく大坂城の外観を損ねているように思えるのは
自分だけじゃないはずだ。




598:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 19:50:59 B7CpAgSS
真田親子じゃねえよ。
真田丸を築いたのは関ヶ原後ですでに父の昌幸は死去しており、大阪の陣に参加したのは息子の幸村だけ。

599:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 20:49:33 dxtouELn
大阪の陣?


これだからゆとりは…

600:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 22:46:26 8z9VBzPF
>>599
このスレは基本的に東軍勝利したらという仮定で成立するスレだから
>>598の発言は間違いともいえない。
しかし東軍厨は置いておいて>>587真田丸ね。真田親子は関が原の西軍勝利に
大きく貢献し江戸の陣でも活躍し
大老石田三成と重鎮大谷吉継の家の縁戚でありながら
今一歩政権の中にはいっていけなかったからね。
いろいろと大変だったようだ。
さすがに表裏比興の家とは言われなくなったが
前田宇喜多小早川や佐竹にならぶ大大名になったせいで警戒もされたしねー。

601:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 02:09:45 X4b3YkM9
なぁ、俺少し頭悪いから聞くけど今の皇居って江戸城だっけ?京都御所だっけ?大坂城だっけ?

602:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 09:17:48 GR2uV08t
>>601
おいおい。今上天皇が座すのは京の御所以外あると思うか?

603:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 17:03:20 7AH7w7an
大阪城へは時々行幸されるから、>>601みたいな疑問も生まれるのかもね。
何で「江戸城」という言葉が出るのかは理解できないけれど。

>>600
>>598は史実と「お話」の区別がついていないと言う可能性も…。

604:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 22:38:55 czLvuI3x
>>600
真田家は信之助命の嘆願に一戦も辞さずと大阪に向け強行に出たからね
それに記憶あやふやだが確か信之は江戸の陣で徳川の客将とならなかったか?
講談だったかも

605:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 23:54:40 AHcmyZuf
>>604
信之は江戸の陣で赤備の決死隊を率いて豊臣本陣に突入したんじゃないの?
伊達の騎馬鉄砲隊との戦いや、家光を連れて蝦夷まで逃げたっていうのは講談の話だったと思うけど。


606:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 00:18:05 nd5TDi20
>>605
あれ?それって山内一豊じゃなかった?
江戸の陣は意外と苦戦したらしく後年、大淀様が大規模な焚書をなさったからな
詳しい人頼む

607:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 00:19:15 gngjvRaS
あれ?徳川家光って秀頼を暗殺しようとしたけど、捕まったが、命は助けられて初代非人頭になったんぢゃないの?
代々、祖父や自分の幼名の竹千代を文字って代々、竹左衛門として非人頭を世襲したって歴史で学んだけど。


608:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 20:54:40 JA5UMU/i
>>606
信之が桜田門から出て伊達と当たり、山内が半蔵門から出て小西を叩き潰して豊臣本陣を挟撃したんじゃなかったっけ?
本陣前に陣取ってたの蜂須賀至鎮を討ち取ったのはその成果だったと思うよ。

しかし蜂須賀家も至鎮戦死のせいで17万石なんて小藩にされたのが残念だな。
正勝以来の股肱だったのに……

609:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 21:23:12 a25rDJC2
>>607
それ家光の名を騙った偽物だよ、本物は江戸の陣で殺されてる
まあ関東では徳川人気はあったみたいだから当時から生存説は多数あったようだね
で、件の犯人はどこの馬の骨か解らないような人物だったらしい

610:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 21:36:35 37WqiBX0
もし東軍が勝っていたら、誰が家康の跡を継いだんだろう。
秀忠中心に考えると、やはり秀忠が関ヶ原に間に合わずに奇跡的に勝ったのだったら秀康で、
間に合って勝ったのなら史実どおり秀忠かな。
逆に秀康中心に考えると、上杉相手に持ちこたえれば、やはり秀康が後継者になれたのかな。

秀康が跡を継いでいれば、家光に変わって忠直が徳川当主か…。
江戸城攻略に関与したくせに。

611:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 22:34:45 pMRJ5Jya
七本槍筆頭各は大坂鎮将と言われた脇坂安治だよな。
時々、福島が筆頭各として出ている資料みるとはぁ?という気になるよな。
確かに関ヶ原まで出世コースにいたが、後代の評価から見ると脇坂だろ?

そもそも、関ヶ原での敗北は福島の後退から始まったわけだし、
側面から突っ込んだ脇坂の功績は大きい。
脇坂は常に小勢ながら朝鮮でも関ヶ原でも大事な場面で勝っているからな。

親友の藤堂高虎を大谷吉継と一緒に助命嘆願したしたことからも、
義理人情に厚いことがわかるけどねぁ。
結局三河30万石。江戸の陣では大坂の留守番役だったし。

江戸の陣脇坂いったら一方面軍の大将まかせられたんじゃね?
豊臣譜代で一番戦闘経験あるんだから。

612:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 22:53:21 pMRJ5Jya
加藤清正って時々三成以上に奸臣扱いされるよな~。
でも、三成や直江の様に忠誠心が高い故に奸臣として見られる
のではなく、うまくゴマすりやったという印象しかないな。

自分の領土欲しい為に太閤の唐入りをそそのかしたとか。
七将の乱で三成追い落としたのも奉行職狙ったという話だし・・・。

特に奸臣の本領発揮したの関ヶ原で、東軍にいながら
自分が追い落とした三成となんやかんや言いながら連絡とっていたし。

で、大名復帰後も、太閤の血縁だって秀頼に近づいていたし。
得意の土木作業でせっせと豊臣家の金使ったし。

逸話でもあいつは裏切るんじゃないかって言われ
鳥羽・伏見の戦いで最初に裏切って『加藤の犬畜生』っていわれたんだっけ?

613:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:09:54 ofbXatOy
そもそも徳川家は家康が信康を殺した時点で終わってる。
自分の家の家督すら、個人的な好き嫌いで決めるような男が、
他家の家督相続に干渉しないわけがない。
長子相続を否定するような男が、武家社会を統括できるわけがないだろ。

614:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:23:25 qs0PWLI2
それを言えば幾ら宮家のご落胤であったとはいえ
出時が農民であった太閤殿下が見事に平定なされた
現代的な統治ではなく中華思想的な力の統治であるから
関ケ原後に東軍が勝ち、その後の身の処し方次第では統領たりえたろ
ただ情に弱く短気な家康が長期政権を築けたかどうかは疑問だがな

615:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:33:27 ofbXatOy
ちょっと話がそれるけど、柳生又右衛門はやっぱり日本一の剣豪だったと思うぜ。
宮本武蔵守なんてしょせん大名の殿様剣法だし、絵師や文筆家としての名声ばかり高くて、
又右衛門みたいな実戦経験はほとんどない。

616:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:50:39 ner0YIAS
可児才蔵倒したってのは大きいだろうし世間で言われるほど
殿様芸ではなかったと思うが、やっぱり又右衛門にはかなわんだろうな
ところで又右衛門の甥で、島左近の娘婿、柳生兵庫助利厳について詳しく知ってる奴いないか?


617:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:51:45 ZjRkKLZI
スレタイ通りに進めつつ実は>1の趣旨に合う展開なスレ

618:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:54:49 ofbXatOy
>>615
すいません、同じネタがすぐ前にありました。

619:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 19:40:33 hbenk8Cq
>>1
今気づいた。
実は俺たちは>>1の手の上で踊らされていただけかもしれん。

620:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/23 03:45:34 NChwuRt0
本拠地が大坂城なのに何で鳥羽伏見?

621:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/23 16:05:28 KEoVpIvS
>>620
東北から攻めてきたからじゃん

622:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/24 15:08:47 QHchPTBG
徳川って東北に信頼去れてたよな。なんで?

623:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/25 14:13:00 MAiif7Xl
>>617のレスが神過ぎてレスが少なくなった件について

624:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/25 15:23:04 HRD1d93/
東軍が勝つ訳ないやん。アホちゃうか。ぷげらっちょ

625:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/26 18:40:15 TU+6+rzh
>>623
ここは前からこんなかんじだよ。
神ネタが投入されたら一気に盛り上がるけど・・そうでないときは
大概この程度かと・・マジレスしてみる。



>>622
徳川の場合信頼されてたというよりも利用されてただけかと・・
関が原のときも徳川の没落と命運ともにしたのって皆無だぞ。
 最上や堀は上杉と交戦したからだし
南部は伊達が西軍に寝返った際の生贄として潰されただけだし

 江戸の陣のときなど奥羽諸侯で江戸側に味方した香具師など
皆無だ。関が原で潰れた堀や最上、南部ですら豊臣に
擦り寄って旗本や小大名としての復帰を果たしてるしなー。 





626:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 19:26:37 p87gOP6S
age

627:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 19:45:39 O/L9dU7y
なんで今川氏真は天下を取れたのか
スレリンク(sengoku板)

628:人間七七四年
07/02/23 11:36:10 PfRERoem
ほしゅ

629:人間七七四年
07/02/25 02:48:18 Xl1LDDMr
24時間以内に異論が無ければ、
徳川家康が年齢を詐称し、秀頼の養子となって、
関白になるだろうと言うのが結論ということで。

630:人間七七四年
07/02/25 02:58:08 NNc5QX0i
それはないな…家康は秀頼の後見人となるも病死。その後秀頼率いる幕府軍が家康の息子秀康の守る江戸城を攻める。
秀康大勝。徳川家滅亡だな。

631:人間七七四年
07/02/25 03:10:57 kp/o/tea
てかそもそも秀吉は秀頼の正室に千姫を望んでたんだよな?
もうちょっと待ってそこから更に外戚として勢力伸ばせば良かったものを…
なんでもう少し辛抱強く待てなかったかな。

秀忠が不甲斐なかったのか一番の原因かね…軍事面はその通りとしても
政治分野ではそこまで見劣りするほどでもなかったと思うだがなぁ。

632:人間七七四年
07/02/25 17:16:08 Xl1LDDMr
>>630
秀康の大勝で徳川家滅亡…。
ってことは、結城家が天下を盗るってか。

633:人間七七四年
07/03/05 03:14:17 ZoSeRmsZ
保守

634:人間七七四年
07/03/13 19:22:02 eG5l4YiD
保守派の細川もりひろは、関ヶ原で殺された忠興の子孫だそうな。
関ヶ原で東軍が勝っていたら、やはり領地のある大分から立候補してたのかな?

635:人間七七四年
07/03/14 07:53:26 BNgrQJ1G
そういえば関が原後に伊達政宗はどうなったの?

636:人間七七四年
07/03/14 11:58:01 ots5X55t
いや~今週の大河は良かったねぇ。
あ、見逃した人の為にあらすじ貼っとくね。

第五十話『友、散る』
関が原より三年。余命幾許も無い状態となった吉継は官を辞し、領地越前敦賀で日を送っていた。
先の戦で百万石もの大禄を得た吉継は領地に善政を敷き、「覆面宰相」「常人よりものの見える殿」と讃えられる。
しかし、吉継の心は浮かばぬのであった……。

翌年春、ついに吉継は倒れる。激務を放り出した三成は大坂を下り敦賀に駆け込むのだが、床に伏した吉継に既に意識は無かった。
周りが止めるのを振り切り看病を務める三成。それは幼い頃からの友へ向けた、最後の思いやりであった。

二日後の黎明、三成の耳へと友の言葉が聞こえる。
「佐吉、戸を開けてくれぬか」
幼名で呼ぶその声はまごう事無き吉継のものだった。驚きながらも、小さく頷いた三成は庭に面した戸を開ける。
するとそこには、夜明けの薄紫の空に満開の桜という見事なまでの光景が広がっていた。
吹き込んでくる花びらに微笑みながら、吉継は言う。
「まばゆい程の神々しさよ。 ……亡き太閤殿下を思い出すのう、佐吉」
「目が……見えるのか紀之助!」
「フッ……とうとう最期らしいわ……」
「何を弱気な! わしらはまだ」
「聞け、佐吉! お主は徳川討ちを躊躇っておろう」
「……」
「徳川はいずれまた牙を剥く。 後手に回ってはならぬ。
 約束したであろう……。 豊臣の名のもと戦無き世…を……」
「紀之助!」
「さらばじゃ、佐吉。 ……楽しき日々であったわ」

事切れた吉継と泣き崩れる三成。風に舞った花びらは二人へと降り注ぎ続けるのだった。

637:人間七七四年
07/03/14 13:07:43 LUZE/Tmi
。・゚・(ノД`)・゚・。

638:人間七七四年
07/03/14 13:13:00 67Ev3JMR
>>636
今週って、お前のカレンダー狂っているぞ。
もう3ヶ月も前wwwwwww

639:人間七七四年
07/03/14 13:15:37 8Iiaofod
けど大谷吉継死後に越前敦賀藩は改易されちゃうんだよね・・・

640:人間七七四年
07/03/14 13:18:35 LUZE/Tmi
>>635
奥州仕置で潰された和賀の残党を煽動して南部領に侵攻したよ
でも上杉の出羽侵攻には非協力的であまつさえ
裏で最上攻めで疲弊した上杉を叩き潰そうと画策していたことが発覚
「母の実家を捨てるのは忍びなかった」って言い訳して特にとがめだては無かったけど
せっかく切り取った南部領は、豊家の天領になって大して加増はされなかったはず
あと江戸の陣の時、最上家親の御家再興の仲介なんかもしてる


641:人間七七四年
07/03/14 13:35:13 LUZE/Tmi
>>639
吉継死後、木下頼継が吉治から自立を図ろうとした御家騒動だろ
三成と真田信繁が必死に駆けずり回って改易までは行かなかったが
吉治は蟄居、頼継は遠島、北ノ庄城は召し上げられて
領地は旧領の敦賀周辺の五万石弱まで減らされたよな
替わりに北ノ庄に入ったのは藤堂高虎の養子になってた丹羽長重の弟の
藤堂高吉だっけ?家名としての藤堂家はここで復活するわけで、
長重、吉継と脇坂安治に助命されて丹羽家に寄食してた高虎もそれに従って越前入りして
関ヶ原直後に生まれてた高虎の実子、高次の家も筆頭家老として存続している。
関ヶ原で大谷隊が藤堂隊を打ち破った事考えるとになんとも皮肉な話だよな。
まあ高吉も中々の善政をしいたらしいからそれが救いか。

642:人間七七四年
07/03/16 15:49:31 CwChQsVt
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何でだよww

643:人間七七四年
07/03/16 17:38:16 0m7KY26G
>>642
俺のせいだ…。

644:人間七七四年
07/03/17 03:38:08 E5mShpS0
しかし上杉は大活躍だったな

645:人間七七四年
07/03/20 13:27:49 DkHxFwM+
といっても、退却する秀康を追撃しただけだからなあ。
もし秀康がやる気満々だったら、ああも簡単には打ち破れなかった。

646:人間七七四年
07/03/21 18:51:18 WUSeUK6S
 >>645
 本来あのときの上杉の関東攻めは戦後の論功行賞を有利に進めるための
ブラフだからなー

当時の上杉は主力を越後と出羽に向けてて、
背後の伊達も警戒していた。
 まさに小手先のついでで攻めたようなもんなのに、
その程度の小兵力に
慌てて退却し、挙句に追撃されてしまうとは・・・

 秀忠は小大名だった真田に翻弄されるしww
よく、こんなんで天下を狙おうとたいそれたことを考えたもんだな
徳川家


647:人間七七四年
07/03/23 15:22:44 cJnomvWG
島原の乱の時、秀頼ってまだ生きてたんだっけ?

648:人間七七四年
07/03/23 17:37:57 apLxvvWY
>>647
秀頼様はすでにおくたばりになっておられました

649:人間七七四年
07/03/23 20:20:46 OMWzwdVU
>>635
伊達政宗は関ヶ原後、蔵にしまってあった金箔貼りの十字架担いで大阪まで
謝りに行ったって逸話が残ってるよね。
さすがの三成も苦笑してこれを許したそうな。
きっと太閤殿下が生きていた時のことを思い出して、懐かしく思ったんだろうな。

650:人間七七四年
07/03/23 21:50:00 ZFFnd98r
その後伊達家代々の家宝になったんだよね>金箔の十字架
子孫に不手際が有ったときにこれを使えばいいとさ
準備がいいんだかそうでないんだか

651:人間七七四年
07/03/23 23:14:38 ym2MOyep
初めて見たが
ネタ板のネタスレは惨いのう

652:人間七七四年
07/03/24 02:48:55 oA0IeNWX
>>650
仙台藩はその家宝の十字架を守るためだけに
わざわざ役職を作ったほどだからね。
そのあたりの事情を描いた
司馬遼太郎の「おお、十字架」は名作でつよ。

653:人間七七四年
07/03/26 09:02:15 PNZ/p433
>652
支倉常長が主人公の話だっけ?

654:人間七七四年
07/04/10 16:18:52 jXCd28uG
>>649
関ヶ原後に大阪で三成、ワロス。

655:人間七七四年
07/05/02 20:23:34 rk+9vE/q
前田利政と丹羽長重ってどうなったの?

656:人間七七四年
07/05/24 23:48:08 Zc/ne+TM
関ヶ原で西が勝った後、今川はどうなったんですかね?
今の静岡の発展を見ると、関ヶ原以降の今川の栄華があったことは間違いないと
思ってるんだけど。そこんとこどうなってるんでしょう?

教えてクンでスマソ。

657:人間七七四年
07/05/25 00:07:00 2TXnGR0s
静岡の発展は長束正家のおかげ

658:人間七七四年
07/05/25 00:35:07 cqvcyNiP
>>656
今川は武田と徳川に滅ぼされているからなあ・・・、
史実では寒河江一万石余に取り立てられているけど、
東軍が勝ったらまあ、家康が御伽衆位には取り立てるかもね。

多分、あのスレと勘違いしてるんだろうけど、
あくまでこのスレは関ヶ原までは史実、それ以後は東軍が勝っていたというIFスレ。

659:人間七七四年
07/05/26 03:19:03 OeoSTuNR
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら・・・ん?
もしもって、東軍が勝ったんでしょ? 意味がわかんない。
西軍が勝っていたなら・・・なら解るんだけど。

660:人間七七四年
07/05/26 05:57:26 Rz9KLAQs
頭の弱い人だなあ

661:人間七七四年
07/05/26 08:48:31 OeoSTuNR
頭が弱くてゴメンね。

662:人間七七四年
07/05/26 15:29:37 bjECFEFA
>>656
関が原後の今川は清水港を整備して単独でブラジルとの人的交流を深めたじゃないか
お互いに移民を優遇した結果が今の静岡の結果だろ

663:人間七七四年
07/05/27 00:25:30 4JM9FQ2k
戦国時代ではありません。移動お願いします。
URLリンク(academy6.2ch.net)


664:人間七七四年
07/05/27 11:42:44 BJeLJL+x
>>662
だからそれは長束正家だって
本当、某スレと勘違いしているみたいだな

665:人間七七四年
07/07/09 07:48:41 q7C3yZ4i
保守

666:人間七七四年
07/08/04 13:16:33 Dgt1r2i0
あげ

667:人間七七四年
07/08/04 13:37:50 HED2FVpy
渡辺了は小さな城で関ヶ原をおこしたな。

668:人間七七四年
07/08/04 14:18:38 30mvQJF5
もしも関ヶ原で南軍が勝っていたら・・・

669:人間七七四年
07/08/04 14:54:09 m2FTFXCb
天皇家は南朝が…
って違う。

670:人間七七四年
07/08/04 17:40:29 BLJrmzyn
もし東軍が勝っていたら、江戸が大都市になっていたと言うレスがあるけど、それはちょっと無理が多過ぎ。
確かに関東平野は広大だが、江戸は山あり谷ありで都市建設自体が無理だろう。
地元の人以外は地名は知らないだろうが、四谷、千駄ヶ谷、渋谷、市ヶ谷など、集落は谷底に点在している。
おまけに利根川の治水が困難。

これをすべて解消するには、山を削り、海を埋め立て、利根川をどこかに持っていくしかない。
そんなの、まず無理だろ。大自然には人間は勝てない。


671:人間七七四年
07/08/05 14:02:37 RxGjdu4O
家康が江戸に居を構えたのはすでに北条氏が
開発を進めてたからじゃないの?あのドケチが自前で城下町開発する
必要があるところに居城を構えるとは思えない

672:人間七七四年
07/08/05 14:55:23 Eeks9E3X
家康は、旧領の金堀人夫の殆どを関東に拉致したんだろ。
特に甲斐の国の金山をみすみすそのまま秀吉に渡したくない。

で、関東に来たは良いが、彼らに仕事をやらなきゃならない。
しかたねえべさ。
山を削り、海を埋め立てて、大規模な土建工事を始めた訳さ。
甲斐の旧武田系の人民は、治水工事に詳しい人も多い。信玄時代から。
で、利根川の治水もやってのけた。流路変更。
かくして江戸は大坂並み、いやそれ以上の大都市になりえる素地が出来たって訳さ。


673:人間七七四年
07/08/05 23:00:32 YsPnxl03
関ヶ原の戦い=参院議員選挙

石田三成=中川秀直
徳川家康=小沢一郎

大阪冬の陣・夏の陣

豊臣秀頼=安部晋三
徳川家康=小沢一郎

674:人間七七四年
07/08/07 15:16:34 3BedJvrm
保守し候

675:人間七七四年
07/08/26 15:25:26 Us/G69hh
sageといて保守はないだろ。

関ヶ原で東軍が勝ったら、ありのままの歴史になったってことさ。

676:人間七七四年
07/08/28 02:54:37 QR7pBHfx
東軍が勝ってたら・・・
おいらの生まれ育った上田府が、100万都市になることはなかっただろう。

そういやお盆に女房の実家の江戸にいったけど、
いい感じに鄙びてて景色のいい場所だね。
江戸湾の入り江で、目黒っつうところのサンマがウマー。マジオヌヌメ

677:東海道五三次壱ノ宿出身在住
07/08/29 22:33:38 I6GedYUV
うちのかみさんも江戸の出やけど
関ヶ原の話題になると「家康は偉かった」て連呼すんねや。適わんわ。
んでな、目黒もやけど目白のサンマもうまいんやて。
どんな落語や、っちゅーねんな。
鮒寿司食えや!!!

あ、かみさん目ェ醒ましよったがあwせdrftgyふじこl

678:人間七七四年
07/08/30 10:42:10 MWFRVfBC
そういえば九州方面はどうなってたんだっけ?
黒田如水と大友・立花・島津・伊東連合軍の顛末ちょっと知らないんで

679:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/08/30 10:48:03 MWFRVfBC
>>567にあったわ済まん

俺江戸は旅行行った事無いなぁ

680:人間七七四年
07/08/30 15:13:13 5OpH6YYS
多分兵庫にある大坂ディズニーランドが静岡あたりに建てたと思われ

681:人間七七四年
07/08/30 21:42:54 yqpIMjj8
m河出身ですが田中吉政公が城下町開発で辣腕を振るった
ことから岡崎ですら家康が一番人気では無いんですよね
肥ゲだと初プレイは地元徳川で天下統一目指すのが定番w

682:砂岩か耳ね ◆oWrjcNwAas
07/09/02 00:16:49 q55A2GSX
>>678
こら、竜造寺を外すな。必死こいて守ってたんだから。

683:人間七七四年
07/09/02 21:24:22 lbOzT+g9
 関が原で東軍が勝利できたと主張する輩は、どういう根拠で
勝てたといえるのか?と思うときがある。 
 
 徳川家康は五大老筆頭として天下の政務を太閤秀吉自らに委託されているのを
よいことに、勝手な縁組や難癖つけて征伐敢行とか
大阪城西の丸にはもう一つ天守閣造営
どうみても主家乗っ取りを企む君側の奸にしか見えない。
 朝鮮出兵にも出ていないことから朝鮮出兵は家康が豊家消耗を
狙って秀吉公に吹き込んだという話は教科書にも載ってる有名な話だし
関白秀次に冤罪を、秀長や千利休の死も家康がやったというのは
豊家や諸侯の日記や資料に載っており普通の歴史ドラマの定番。

 三成は義挙で立ち上がり豊臣政権の4大老4奉行が参加
大阪と京洛の上方をがっちり抑え、西国の錚々たる諸侯が
賛同、天下三兵法と謳われる直江兼続、島左近、真田昌幸がそろって
帷幕に加わり、東と西から家康を挟み撃ちという壮大な戦略を実現
兵站財務の天才の石田三成、増田、長束が名を連ね戦中戦後の政権運営にも
兵站他にも支障ない。
決戦の舞台となった関が原でも見事に布陣の段階で勝利は約束されていた。
 西軍敗北の前提条件も名文も理由も皆無じゃないか。


684:人間七七四年
07/09/02 22:33:33 ZQNKzbhz
>>683は、このヌレを765回読み直して写経して斎戒沐浴の後、
腹を十文字にかっさばいて息絶える間際まで書き込むな。

ここは、そのように小学生でも知ってる史実を
大人ぶって書き込むスレッドではありません。

たわけうつけまぬけ

685:人間七七四年
07/09/03 01:03:39 /4WgRs20
そこまで言ってやるなよw

うーん、東軍が勝ってたら、キリスト教を完全に禁止してそう
貿易の利益とか考えずにさw徳川っていかにもそんな感じw
元小西領や宇喜多領だった所では今でもとりあえずキリスト教って人多いよな

686:人間七七四年
07/09/03 09:11:50 mcMwXi6j
関白秀秋公の活躍は周知のとおりだけどこの人
秀吉には冷遇されてたんだっけ?小早川隆景の死後
一度減封されてるよね。そのとき家康がとりなしてやや処分が軽くなったとか。
秀吉が長生きしてすんなり秀頼に政権が渡ってたら
この人関白にはなれなかっただろうし数奇な運命の人だよね

687:人間七七四年
07/09/03 23:44:30 Dkh1aV7y
幕末の新撰組とかの”左幕”思想って
ずっと幕府を左けるって意味だと思ってたけど、
実は、佐和山界隈の昔の人が三成の幼名から「左吉の幕府」
って親しみをこめていってた。
という話を民俗学の教授から聞いたんだけど、ほんと?ガセ?
7割方ガセだと思ってるんだけど。

688:人間七七四年
07/09/07 12:44:37 x1zC2Ot7
>>686
関白秀秋公、吉川広家、脇坂とかは相当に強硬な徳川処分を要求したらしい。
秀秋公なんぞ徳川に恩があるだろ?と不思議に思うほどに。

 逆に三成や秀家とかは秀康の家督相続や忠輝とかの大阪預かりを決めて
徳川存続に奔走している。

でも逆にいえば強硬な主張したやつは後ろめたい取引があったと
かんぐっても仕方ないかもな。当時から東軍への取引があったと
暗いうわさがあったそうだし。


689:人間七七四年
07/09/09 13:44:19 GWjkXo1A
>>686
秀秋が減封されたのは、朝鮮での不甲斐なさだろう。
で、家康は、それは三成の讒言によるものだと吹き込んだらしい。
実は黒田長政もそうだ。このテで家康は武将を自派に取り込もうとした。

しかし、何で関ヶ原なんてマイナーな戦いを云々しているんだ、このスレ。
関ヶ原で勝てないと分かった段階で、家康は兵を引いている。これがうまくいってしまった。
退路を断つべきは吉川や毛利秀元だったはずだ。こいつらこそ、怪しいな。

その後の江戸の陣でも、吉川、小早川、毛利辺りは先陣を仰せつかったにも関わらず、半完成状態の江戸城を攻めあぐねている。
総大将の毛利輝元も優柔不断。毛利は実はみんな不甲斐ない。これが政局を揺るがした。
関ヶ原で決着がついていたら、九州の黒田如水の乱も、奥州の伊達政宗と上杉景勝の激闘もなかったはずで、ここで戦国時代は事実上終わっていたはずだった。


690:人間七七四年
07/09/09 15:50:07 fdRWxY2q
半完成状態とはいえ、江戸城は太田道灌の築いた名城だぜ。
八ツ山、世田谷、牛込、石神井、奥沢、葛西、などの支城も万全の配地、
家臣団の団結力も強固、江戸攻めは手こずって当然。
だいたい毛利勢に城攻めさせるのなんか、判断ミスか、意図的な罠だろ。


691:人間七七四年
07/09/10 02:34:32 ciW+RbiH
江戸冬の陣の毛利の采配に関して言えば、
上田の真田昌幸が、徳川についた信幸づてで内応の誘いを受けた話を忘れてマイカ?
真田の万が一を想定して、2万余を河越・箱根を中心に割いていたのを忘れてマイカ?
その状態で、毛利の城攻めが遅々としたのは仕方なし。
まあ、昌幸があの状態で裏切るはずはないけど、それだけ警戒されてたわけだ。

692:人間七七四年
07/09/11 04:02:40 DGXIA4oa
だけど第二次関ケ原で東軍が勝って徳川幕府が成立したのと、結局同じような歴史になったんでは。

693:人間七七四年
07/09/11 07:38:19 jogy4BTm
なんだよ徳川幕府って、幕府名は「地名+幕府」だろ、
まったく素人は何言い出すんだかかわからん。
ただ、えど幕府じゃあ語感が悪いんだよな、
かまくら幕府・むろまち幕府みたいに、やっぱり四文字じゃないと・・・。


694:人間七七四年
07/09/11 08:44:50 /S4utV9O
>>692
ツマラン

695:人間七七四年
07/09/11 10:13:22 wlEGnbld
>>689
東西どっちが勝っても10年くらいの混乱はあったはず。
家康が勝利して徳川の天下になったとして
豊臣政権を謀反によって簒奪したわけだから
とてつもない不安定で短期政権になったはず。

 毛利の場合は、むしろ短期間で不満分子をあぶりだして
処断するチャンスだったとみていいのでは?
その証拠に関が原から1年間の騒乱の後は
江戸の陣以外戦がなかった。

696:人間七七四年
07/09/11 13:09:34 9JcYOi4h
>>20

亀だが井伊だろそれは

697:人間七七四年
07/09/13 02:16:32 UEv3hGkb
妄想と言われるかもしれんが、家康厨から一言言わせてもらうと小早川秀秋が静観していた事を、東軍調略を一手に引き受けていた黒田長政に文句言っているという史料が少なからず在るわけだから、松尾山斉射はやっぱり空砲だと思うがな・・・

ただ西軍は1500の手勢しか持たない島津義弘を厚遇して、それに義を感じた島津義弘の関ヶ原を縦横無尽に駆け巡る逸話は好きだがな。


698:人間七七四年
07/09/14 22:14:09 YRyQ+7N7
>>697
 小早川秀秋が東軍に裏切るなどということを真に受けて命運をかけたほうが
アホウだろ。
家康に味方しても石高加増のみ、 西軍で戦えば石高加増プラス関白なんだぞ
まして家康は外様だし、外様の風下に立つわけないだろ豊臣一門なのに。
 普通に考えても東軍に組して何が面白いのか?といいたいくらいだ。
そんなだから黒田長政と徳川家康は愚鈍だといわれるんだよ。



699:人間七七四年
07/09/14 22:19:42 YRyQ+7N7
>>697
 どうやら吉川広家と小早川秀秋は、相当に反三成を表立って
公言しており、黒田長政と徳川家康への内応自体は約束していたようだ。
小早川など黒田の部下を軍監として入れてたそうだし。
 が・・・それ自体西軍の謀略だったんだよ。
だから不利な関が原での不利な布陣に誘い込めた。
 それが証拠に、徳川の鉄砲を合図に
南宮山と松尾山が動いたわけだし。

700:人間七七四年
07/09/15 08:22:30 n/N6px6R
関が原直前に起きた宇喜田家の内訌で出奔した人々の
その後ってここで語られてたっけ?

701:人間七七四年
07/09/17 11:49:56 at/xIrBm
>>697
どう好意的に解釈しても、西軍は島津勢を厚遇してないと思うぞ。
それに島津義弘のアレは、甥・重臣を犠牲にしての逃走劇だから。
西軍に義を感じているのならば、関ヶ原以後のいっそ潔いまでの撤退行は説明つかん。

702:人間七七四年
07/09/17 22:36:05 p17dO0Aw
>>700
いいえまだ語られてないです。
>>701

>>関ヶ原以後のいっそ潔いまでの撤退行
??島津は撤退なんぞしとらんぞ。
関が原で西軍が勝利を拾う際に、いっしょになって総攻撃に参加はしたけどな。
>>甥を犠牲
その甥は確か徳川本陣まで攻め込んで四天王の井伊を打ってるな。
その戦功で、独立大名として別個に領地をもらってる。


703:人間七七四年
07/09/18 10:00:17 HyAyYhuN
>>700
宇喜多秀家もあの件では大人げない
かなり執拗に追い回していたからなあ・・・

704:人間七七四年
07/09/19 02:12:39 EN1tf4oq
>>699
治部様の神算鬼謀っぷりには驚きだな。

てか最近司馬の関ヶ原を読み直したんだが、奸臣家康を倒したのに豊臣への忠義から朝廷からの官位を断り続け太閤殿下からいただいた治部少にあり続けた治部様をどうしてあそこまで悪辣に書けるかね?
確か参議、大納言、内府を蹴ったんだよね?
あとなんかあったっけ?


705:人間七七四年
07/09/19 21:15:55 5dkpjcre
>>704
作者の千葉遼太郎が関東出身だからだよ

706:人間七七四年
07/09/19 23:43:44 kRkrWUQ0
>>704
内府は無理だろww
かの西軍総大将であった毛利輝元すら
その官位は家康を思い起こさせると辞退したくらいだしな。

毛利輝元、上杉景勝、前田利政の三大老家による「御三家」
小早川秀秋、宇喜多秀家、徳川秀康の家門による「御三卿」
小西行長、佐竹義宣、織田秀信・信雄、真田昌幸・信繁(幸村)
島津義弘・豊久、徳川忠輝、伊達政宗・秀宗、長宗我部盛親といった
「武家精華成」の家柄
誰一人として内府の座は希望しなかった。

707:人間七七四年
07/09/20 01:06:21 G/9fP9EV
しかし、真田もだけど蜂須賀家もうまいことやったよな、
徳川と豊臣両天秤にかけて、どっちが勝って生き延びる作戦で、
息子と栄誉は失ったけど、結局ちゃっかり生き残っているんだから、
まったくたいしたもんだ。

・・・あれ勝ったの西軍だっけ?

708:人間七七四年
07/09/20 20:47:06 l3P1kmxg
関ヶ原後の官位ってどうなったっけ?
関白に秀秋で治部に三成で内府が空位で行長が権中納言位しか語られてないよね?

709:人間七七四年
07/09/21 20:17:43 j1AlcyMe
蜂須賀は阿波の古狸

710:人間七七四年
07/09/26 00:21:09 g6IoXSAg
家康の謀反を打ち破ったからこそ、秀吉の海外志向の精神はその後も貫かれ、
日本は政治、経済、文化面で西欧に遅れることなく繁栄し続けられたと思う。

江戸ジャイアンツを見ていると無性にそう思う。
「秀吉に対する家康」のごとく天下の阪神タイガースのライバルチームとされてはいるが・・
オーナーのツネナベは目先の恩賞金を積んでは、他チームの4番バッターとエースを
かき集めるが、彼らは、恩賞に目がくらんだだけで箔がついたと満足して適当にやってはやめていく。
生え抜きで育った選手はたまったものではないから。どんどんと大リーグに出ていってしまった。

徳川の世となっていたら、こんな具合に江戸ジャイアンツのごとき醜態をさらしたような気がする。


 

711:人間七七四年
07/09/26 02:46:29 +FqXVGbZ
とりあえずスレタイ通り、東軍が勝利したと仮定して
その後300年くらいの間の政治・経済・文化・軍事を語らない?

西軍が負けるはずがないと力んでる人たち。
もうちょっと想像力働かせろよ。

712:人間七七四年
07/09/26 10:06:22 c8nHwd5E
(豊臣政権継続で海外進出が盛んになるかは疑問だが)
みんなが言うように家康の保守的な面が色濃い政権になった場合
平安時代みたいに軍事的には弱体で独特の文化が発展するんじゃないか
きっと今みたいに高層ビルが味気なく並んだ都市じゃなくて
歴史ある町並みが文化遺産としてのこった感じになるだろうね
自分は今のビル街も好きなんだけど

713:人間七七四年
07/09/27 11:30:57 1Z68+kKp
>>711-712
東軍が勝利した場合、相当に不安定な天下になったと思う。
東軍が勝てば戦国の再来というのは関が原のイフでのセオリー
になってるぞ。

 なんせ毛利一族は無傷で大阪城も抑えていた。
関が原で西軍が負けていても局地戦に過ぎないのだから
双方の和睦で妥協するしかないと思う。
つまり毛利家はそのまま残ってしまう。
 しかも時間が過ぎていく間にも
前田は徳川の保障つきとかで北陸7カ国を抑えていったろうし
上杉は結局越後と最上は併合していたろうし・・
この大老家は政治的にも徳川と対等なのだから家康でも処置には困るだろう。
まして伊達と黒田も相当でかくなってたはずだし・・
なにより家康には主君にあたる豊臣勢力も残ってる。
室町幕府末期のような弱体な天下で家康一代で天下は乱れるという
結論は出てたはず。


714:人間七七四年
07/09/27 11:35:47 E6flp3BT
>毛利一族は無傷で大阪城も抑えていた。
これが最大の問題だよな。
よほどのご都合主義でもやらかさなきゃ毛利を削れないから
どうしても徳川による西国への支配力は低過ぎる。
そして日本の中枢は歴史に現れて以来基本近畿圏なわけで
そこを抑えずしての支配なんぞたかが知れてる。

715:人間七七四年
07/09/27 14:55:59 2wRtPiJ9
つ北条氏
よほどのご都合主義というとそれこそ輝元が家康より先に死んで
若年の実子と養子で家中が割れるくらいしかないな
お家騒動で弱体化してた宇喜多くらいはつぶせるだろうが…
宇喜多といえば小田原で太閤殿下を怒鳴りつけたことで有名な
剛直の勇士花房職之が関が原前に出奔して以降の活躍を描いた漫画
面白いんだけどSUKEBEEってタイトルはどうにかならないものかw

716:人間七七四年
07/09/27 22:40:05 IHu4d9s2
仮想戦記だと、将軍権力は安泰のまま
幕府は300年近く続くってことになってるけど
さすがにそれは難しいよな。
鎌倉の執権や室町の管領の例を鑑みるに
将軍家の形骸化は間違いないので
徳川譜代でどこが台頭するか予想しようぜ。

717:人間七七四年
07/09/28 12:37:42 3JHnbRye
>>将軍権力は安泰のまま
>>幕府は300年近く続くってことになってるけど
どうやったらそんな状況になるんだよ。
 どう考えても毛利との和睦で豊臣、毛利には手つかず
上方の戦のせいで上杉も討伐しそこね、結果的に九州の黒田と
奥羽の伊達をのさばらせただけの結果の戦のあとで
 将軍になったところで

1)徳川将軍の上には、主君としての豊臣摂関家が健在。

2)もともと徳川と同格、同等国力の毛利、前田、上杉も健在で
各地で地方権力、小幕府になってる。

3)九州の黒田と奥羽の伊達が100万石級になってると考えても
一筋縄ではいかないよな。

4)和睦しだいでは(というか徳川への楔として確実に)真田も中堅大名へ
なって関東の栓になってるだろうし

5)小国真田にやられるような二代目秀忠への不安は大きい
家康の子沢山が逆にお家騒動の原因になるだろう。
足利幕府の関東公方よりよほどやばい連中ばかりだ。

6)日本の中心である近畿圏が放置されるしかない幕府だし
豊臣がいるのだから京都所司代なんぞ置けんわな

7)家康も三河武士も商業や海外貿易への対応が鈍いか理解できてない
田舎武士である。時代遅れといわざるを得ない。
たとえれば今の時代に全社員に、携帯電話もインターネットも禁止してる
企業とでもいえばいいか。

はっきりいって室町幕府以下だぞ徳川幕府の不安定さ。
>>716多分家康が死んで秀忠の代になればすぐであろう。

718:人間七七四年
07/09/28 13:16:22 cg4rpddl
東軍厨としては3と7はなさそうだが……近畿の押さえで岐阜に
四天王の誰かが入ると予想。秀頼が成長した暁には鎌倉幕府における
承久の乱のようなものが起こってその勝者が最終的な覇権を握るだろう。
ところで毛利秀就と秀元の関係ってどうだったんだ?


719:人間七七四年
07/09/28 19:04:17 3JHnbRye
>>718
その慶長の乱みたいなの>>秀頼が成長した暁には
の場合家康死んでるぞ。
秀忠の場合だととても勝ち目は・・家康では勝てるだろうが
謀反の烙印押されるだろうし・・

毛利秀就が家督相続して秀元は周防長門二州36万余石として
毛利宗家の後見していた。
が内輪では緊張もあったらしく防長の城は山口を希望していたのに
宗家の疑惑の目を気にして萩にしている。
萩藩はその後、新田開発はもとより、ありとあらゆる殖産興業に勉め、
内高は100万石を超える状態になっていたという。



720:人間七七四年
07/09/30 14:45:51 sFwdHKxS
「東軍が勝っても、近代的な発展はなかった。群雄割拠に戻るだけ」がスレの結論?

俺はそうは思えないんだよ。
東軍が勝利していたらというIF、無知蒙昧といわれるかも知れないけど
江戸湾を中心とした大規模な町づくり・経済基盤づくりで、関東界隈が
相当発展する可能性はある。

毛利上杉の政治的な発言力は弱まるし、国替えだ何だで縮小せざるを得ないでしょ。
東北は伊達を中心に親徳川、東海はもともと家康の地盤だし好きに配置。
近畿は豊臣を中心に、周囲を小規模の大名群で構成。
それこそ加藤だ福島だって秀吉子飼いの武将は、
近畿から離れた広大な領国に移されるはず。
石田宇喜多島津毛利らが退去し、子飼いの武将が独立してしまった豊臣に、
残された人物はいないよな?

721:人間七七四年
07/09/30 22:33:42 N04n9O7N
>>720
関が原での主力は豊臣大名で
徳川勢力は秀忠が真田ごときに(当時はそれだけの勢力差があった。)
時間をとられてる。
これだけで徳川が思うようにできないのは明白だよ。

大阪城を抑える毛利との妥協もあろうし毛利は上杉を残して徳川の
けん制を図るであろうし・・
 なにより豊臣大名がメインで勝った戦で徳川が天下人ですと
将軍に厚顔無恥にも就任し思うように再拝できるとは思えない。

722:人間七七四年
07/09/30 22:49:58 sFwdHKxS
じゃあ、東軍が勝っていたら
豊臣・徳川両頭を中心とした合議制で政治は決まっていくのかもな。
豊臣文治・豊臣武断、徳川文治・徳川武断・無派閥
みたく分かれて、浮動票の取り合いで京阪江戸を結ぶ政治宮廷劇が
以後300年くらい続くとみた。
武家による平安時代みたいなもんか。

723:人間七七四年
07/10/01 00:11:27 sKOd+B2i
 少なくとも二度と合戦は起こせなくなるであろう。
関が原の二の舞は避けるであろうし、
あの合戦は東軍が勝つという前提に立つと1年くらいの長期戦
になるのは確実なので
(だって、どう考えても大阪城も京の朝廷も豊臣家も抑えてない
家康に短期決着は無理なんだから)

 その間にある程度大勢力への収束が起きているはずなので
徳川としても直接戦仕掛けるよりは駆け引きで相手するはず
豊臣家の動向が不明だがな・・

少なくとも戦後豊臣と毛利の一体化が相当に進むだろうから
西国は豊臣毛利枢軸で安定して運営されていく、そして
西国はフロンドの乱以降の王政フランスみたく集権的な一体の国家として
 逆に東国は征夷大将軍として徳川が一任されつつも
前田、真田、上杉、伊達そして徳川譜代が入り乱れ
神聖ローマ帝国のようなありさまに
とかを予想しているが・・


東国は

724:人間七七四年
07/10/10 16:12:55 oGz26LwK
朝廷の力が強くなりそう

725:人間七七四年
07/10/17 21:30:39 K6PIoyiL
最近、日本史を勉強しはじめようと思うんだけどさ
西軍が勝った後どうなったんだっけ?

毛利や石田、小西の合議政権になって外国に再び攻めたんだよな?
どこまで切り取ったんだっけ?

726:人間七七四年
07/10/17 21:56:00 nfcvGnMq
みんなが忘れないように
>>1



727:人間七七四年
07/10/17 22:52:19 YbmQOWX5
こんな妄想スレ立てる奴なんて、どうせ小学生だろ

そもそもあの布陣で東軍が勝てるわけがないんだよ
西軍内部から相次ぐ裏切りとか計算出来ない限り
あんな不利な布陣を布いた家康は合戦素人
最低でも松尾山に陣取った小早川隊が裏切るかしない限り、形勢の逆転は望めない
でもご存知の通り、小早川秀秋は極度の優柔不断。敵に裏切る度胸すらないよ
そうだな。俺だったら、思い切り発砲威嚇くらいするけどな
そんくらいして、初めてビビって動き出すんじゃないか?

ま、どっちにせよ 家康如き
天下取っても、すぐに油モンかなんかに当たって死ぬよ

728:人間七七四年
07/10/17 23:24:29 YSlQjJse
>>1
恥ずかしいスレタイあげ

729:人間七七四年
07/10/18 00:02:45 TfpqePSy
>>717
豊臣史観乙。
家康は難破したリーフデ号の修理費に五万両やっている。
貿易への関心は決して小さくない。
最近では朱印船の許可は家康が行なっていたのではないかとさえ言われているらしい。

730:人間七七四年
07/10/18 00:06:45 qCGUTsx+
我慢して我慢して、秀吉死後にやっと天下取りに動き出したら
関が原であっという間に粉砕された家康タンカワイソス。
でも、光秀タンの三日天下よりはマシカ。

731:人間七七四年
07/10/18 00:39:37 eKBdagqa
勝っていたら秀忠の治世ってのはどんなもんになってたのかね。
江戸の陣では江君の言いなりだったらしいが。


732:人間七七四年
07/10/18 16:36:15 520FJfDR
>>731
つ「日野富子の時期の二の舞」


>>725
北伐に失敗した故事に懲りて南進してるだろ。
 もっともこのせいで日系国家ができていったり
日系勢力が世界で活躍してる状態になってるが
本国は鳴かず飛ばずの状態になってしまった。
人材が流出しすぎたせいだな・・


733:人間七七四年
07/10/20 18:17:35 HcdaAkuX
日野富子って言うほど悪女と思わんが
寧ろ無能な夫に代わり内政を立て直した有能な女政治家じゃね?

734:人間七七四年
07/10/21 04:51:26 jKNX23uE
幕府の財政は立て直したが内政は立て直してない

735:人間七七四年
07/10/21 21:41:35 i5QxQhQ7
吉宗みたいなもの?

736:人間七七四年
07/10/22 01:48:38 qdS5Cxqw
吉宗って誰?

737:人間七七四年
07/10/22 03:54:29 k5Xp3Cl5
「米関白」こと八代関白豊臣吉宗の事じゃないの?この場合。

738:人間七七四年
07/10/24 21:37:25 ZYdxRcSw
なんだかんだ言って東北で一番うまくやったのは津軽か?
周りは東軍一色で、でも三成に対する恩もあるから、
(秀吉に大名と認めてもらえるよう、根回しして貰った)東西両方に兵送ってさ。
真田ほどの恩賞は貰えなかったけど、飛び地で少し加増してもらえたし。

逆に悲惨なのは南部か。
三成のせいで津軽の独立は認められ、
その腹いせか知らないけど関ケ原では東軍について減封。

なんかこの険悪な二藩の因縁がおもしろいとおもった。

739:人間七七四年
07/10/24 22:57:02 sDnDy+Rt
改めて考えてみれば
東軍は結構家康を総大将に統率が取れていたような・・
逆に西軍は思惑がばらばらだった。こんなんでよく勝てたな
と改めて思う。
実際の戦で見れば、家康があまりに馬鹿な戦してしまったと言うべきか。

あの段階で徳川への関東征伐にいたらなかったのは
総大将の毛利が西国の敵対勢力掃討、西国制覇を優先させ
副大将の宇喜多が家康の追い落とし後の豊臣家の後見役ゲットと
豊臣政権首座の獲得を優先させ
戦端開いた上杉が越後最上併合と奥羽制圧を優先させ
前田が宇喜多に通じて西軍の顔して北陸制圧優先させ
とまあ徳川に並ぶ大老連中が自分の勢力拡大と足場固め優先させちまった
せいだしな・・

徳川が関東にこもるのならそれで大老罷免と蟄居でいいとかいう
毛利や宇喜多を叱責し
関東征伐を強行に主張したのが
かの関白になる小早川秀秋
日之本六分一殿といわれる毛利輝元や
豊家家門筆頭宇喜多秀家
北国の竜上杉景勝に臆することなく
談判し関東に攻め寄せたわけで・・

逆にこれが東軍内通の疑惑を隠滅するための
行為だったという学者もいるのだが・・



740:人間七七四年
07/10/25 01:04:51 vpgV2uK0
津軽は本人が家康に引っ付いてたのによくやるよ

741:人間七七四年
07/10/26 20:29:19 7NPkv98i
>>740
津軽は三成と縁が深かった。
あとは反西軍色の濃かった奥羽や大藩上杉の動向を監視する役目を負っていた
ともいわれてる。
そのため三成の娘が高台院の養女となり豊臣姓とセットで嫁がされてるという。
江戸の陣では奥羽の動向を逐一大阪に報告しているしな。




742:人間七七四年
07/10/26 21:16:41 dHvnHY53
縁が深かったのは関ヶ原以後だけどな

743:人間七七四年
07/11/12 18:44:52 8mweoLMr
>>742
津軽も生き残るのに必死だったんだろ

744:人間七七四年
07/12/01 22:54:53 hmHAnFDN
保守

745:人間七七四年
07/12/18 17:40:32 xcuOsELz
保科筑前守

746:人間七七四年
07/12/26 02:56:17 GAm/QNHx
無知な俺に教えてほしいんだけど、真田信幸って関ヶ原の合戦後どうなったの?

747:人間七七四年
07/12/26 03:02:43 kJzgMN1y
結構、出世した

748:人間七七四年
07/12/26 11:05:51 N6KL1rHL
>>747

出世より長生きの方が印象が強いけどな
「戦国生き残り」ってブランド品になりましたな

749:人間七七四年
07/12/30 23:32:33 D2i6ohWm
外様だけど、譜代格になり老中になった。
まあ養子なんだけどね。

750:人間七七四年
08/01/12 19:13:30 y6ZBZ9C+
真田信幸は、戦後、昌幸・信繁の助命嘆願がかない、紀州九度山に流刑。
1606年、昌幸・信繁および大谷吉継からの信幸赦免申し入を、石田三成は受け入れて
めでたく赦免。以後、父昌幸のもとで信州統治に精をだす。
16010年、信繁が信州から岡山50万石へ加増移封された際に、
信幸は上田に13万石相当で封ぜられ、大名として復帰。

豊臣家中にあって徳川残党の慰撫にも奔走。
政治的交渉・調整においては信繁よりも評価が高く、後に豊臣の姓を賜り、
晩年は幕府老中に上ったよ。
もともと敵だったのにここまで出世するってことは、大した器量人。
関が原でロスした数年間がなければねえ・・・。

751:人間七七四年
08/01/21 15:22:09 owsDiXtf
ただ東軍マニアの俺に言わせると、東軍にもなかなかの大名は多いと思うぞ。

関ヶ原で大奮戦した細川忠興公は幽斎から助命嘆願だされたにも関わらず、
「はようガラシャの所に行かせろ」と斬首させたし。
まああのエピは父と三人の息子の助命を条件に受け入れたというのが通説だけど。
生前は家臣の首ガンガン撥ねた困った人だったらしいけど、
長生きしてたらきっと子供思いのいいパパになってたハズ。

あと長谷堂で大軍の上杉相手に大活躍したけど、結局武運つたなく敗北した最上義光公にも涙。
上杉方からも称賛の声が出たらしいし、戦争前の手紙から
「上杉に勝てないかもしれないが、戦うしかない」と悲壮な覚悟があったらしいね。
戦後の沙太では西軍内でも最上に関しては秀次事件のせいで同情票が多かったらしいし。
今は娘さんと奥さんと一緒に三人仲良く丁重に葬られているらしいけど。

それにくらべて伊達のおぼっちゃまは…

752:人間七七四年
08/01/26 19:52:04 FJZQn9OJ
確か片倉が直江と勝手に不戦の約束…だったか?
んでその後南部に…か。

今でも正月には「いかがなさいますか」ってやってるのかな~。

753:人間七七四年
08/02/10 17:47:44 AFcNmSiV
保守
そういえば西軍の子孫に総理になった人いなかった…?たしか何とか…川だっけ?

754:人間七七四年
08/02/23 09:53:17 7BM3Rktr
川と言えば 小早川

755:人間七七四年
08/02/23 12:22:21 AaCrzxIX
吉川もいるじゃん。
関ヶ原で南宮山の毛利軍の指揮をとった男。
よほど忙しかったのか、馬上で弁当食いながら戦ったらしいな。


756:人間七七四年
08/02/23 12:30:41 MXlExJ0l
>>755
そうだ吉川護広。
消費税はいらんって言って累進課税を強化した庶民の味方だ。
あと「その時歴史が変わった」の司会の木下信知って豊家の末裔だよね。

757:人間七七四年
08/02/25 20:26:40 QBxX9p5f
>>756
豊家と木下家は日本中にはびこってるから、あんまし自慢にもならんけどさ。

ところで徳川って現代も残ってたっけ?


758:人間七七四年
08/02/25 20:45:04 QBxX9p5f
豊家も維新の時はかなりヤバくてさ、
長曽我部の青年家老坂本竜馬が大政奉還てアイディアを出し、
島津の西郷隆盛が、豊臣秀喜の首をよこせと詰め寄る奥越列藩同盟の清河八郎を説き伏せてくれたからこそ生き延びれたんだよなぁ。
この二人がいなかったら、俺の住んでる大坂が焼け野原になってたかもしれん。高知と鹿児島には足を向けて眠れないよ。


759:人間七七四年
08/03/13 14:26:09 WbTiIn0M
保守なのだ。

760:人間七七四年
08/03/28 20:56:46 Hbk5W+81
保守

761:人間七七四年
08/03/28 21:43:32 VVLiPbc9
>>741
でも津軽は徳川家康の姪で一度福島正則の養子に嫁いでいた姫を側室にしてもいるんだぜ…

762:人間七七四年
08/03/29 14:12:14 8gpbmN2w
>>761
徳川家康の姪である満天姫は正室だよ。石田三成の娘の辰姫は満天姫が嫁いだ時に側室に降格(?)させられてる。
ただ跡を継いだのは辰姫が産んだ子供なんだよな。

763:人間七七四年
08/03/29 15:29:28 qBc1fHeA
>>762
落ち着いてスレタイを読み直すんだ。

764:人間七七四年
08/03/29 16:28:52 IbApAYXv
東軍が勝ってたら道州制
の議論も今日ないやろな
津軽の蝦夷開拓もないし
蠣崎は武田姓に復し転封だから
北海道も未開拓やろ
東軍勝利だと毛利上杉
の地域ブロック大大名が改易されるだろうし
何々地方という概念すら無いんちゃう?

765:人間七七四年
08/03/29 16:56:34 IbApAYXv
東軍が勝ってけつかったら
大坂取引所でやっとる
全世界の株式・通貨や
商品の先物・デリバティブ取引もないし
北浜がアジアの金融センター
となることもなかったんちゃう?

江戸「いちば」で
「蕪上がれ」と言ってカブを持ち上げる
野菜仲買人が
大坂や京都でお笑いのネタ
になっとることも無いんやろな。

766:人間七七四年
08/03/29 17:12:03 IbApAYXv
今日の朝ドラ
「江戸に漫才演芸場を」
なんてのも有り得んわな
徳川家康とお笑いほど
縁遠いもんもあらへん

以上、3件、地理・政治経済・芸能板
東軍勝利Ifでした

767:人間七七四年
08/04/02 13:35:05 fpSOmTAV
徳川家康も人生の最後の最後でとちっちゃったよなあ。
我慢に我慢を重ねて、信長の死後やっと運が開けて小大名から250万石の大大名へとのしあがれたのに。
出世して過分な夢を見たばっかりに・・
後世「もし関ヶ原で家康が勝ってたら」などと妄想の余地が広がるのもわかる気がするよ。

768:人間七七四年
08/04/05 23:30:11 ufxoRc3C
なんかさ、家康はうまくのせられちゃったんじゃないかな?
あの関ヶ原の乱さえ起こさなかったら「律義者の徳川殿」で、今日まで通ってたんだよ。たぶん。
それが、誰がみても大義名分も無い無茶な戦いを仕掛けて、あげく江戸の陣で一族もろともアボーンだよ。おかし過ぎない?
俺は家康はもちろん、結局五大老になれなかった羽柴三成も、淀様や北の政所様を初めとした女たちに踊らされてたんじゃないかと思う。


769:人間七七四年
08/04/06 22:00:38 S/0yU8pq
戦国時代ではありません。移動お願いします。
URLリンク(academy6.2ch.net)


770:人間七七四年
08/04/26 20:22:30 iBT2guLz
大阪夏の陣を戦国最後の合戦ち言うで

771:人間七七四年
08/05/05 01:39:45 RFWaYM8P
>>770は正論だけど削除人には分からず屋がいるからなあ

772:人間七七四年
08/05/05 22:49:01 XTomwY77
東軍が勝つはすがない
古今東西
東が西に勝った例はない
秦・北周・アレクサンダーから東西ドイツまで

773:人間七七四年
08/05/09 13:40:58 Unc9vkhP
>>772
モンゴル帝国
壬申の乱
普仏戦争
人民解放軍のチベット侵略
ザイール内戦
承久の乱
  :
  :

774:人間七七四年
08/05/09 18:46:07 /SwwudoE
>773
なる程。
北は南に勝ってるだろ

775:人間七七四年
08/05/09 18:47:49 /SwwudoE
御免、賤ヶ岳があった。

776:人間七七四年
08/05/10 18:43:45 4YDuA1Gu
江戸市役人なんだけどさ、石原市長が会議の度『東京市』って名前変えたいってウルセェの。

なんかここ見てんかな…

777:人間七七四年
08/05/10 18:59:09 4YDuA1Gu
ごめんよ変なこと書いて、ちと畑の様子見てくる

778:人間七七四年
08/06/17 21:27:48 QDPwCDFK
最近暦ゲやってないんだけど総合能力トップはやっぱ信長?

779:人間七七四年
08/07/01 12:17:35 6TFaV1Tf
いや、石田三成の評価が凄い。
関ヶ原の大勝利を、三成一人の能力に還元するのは間違いじゃないかと思うんだが……


780:人間七七四年
08/07/02 18:30:47 B05pHrmt
その石田光成のおかげで日本が近世に進み、太平洋に進出し後の日系国家の繁栄に進めただろが。
結局、結城秀康が豊臣秀康、宇喜多秀家が豊臣秀家、小早川秀秋が豊臣秀秋となって豊臣御三家となったみたいだが。
しかし豊臣政権、いや日本はあの秋津大陸(北米大陸)や北斗地方(シベリア)まで手を伸ばしたのが日本の過ちだった。
あの後にナポレオン戦争参加が白人達を怒らせて猛反撃でシベリア、北米西海岸、大和(豪州)マレーを失い。
それから明治革命で一旦巻き返したが、最後はアメリカに負けて、豊臣大君家はマッカーサーによって解体されて、大坂、江戸はアメリカ軍が駐留中だよ。

781:人間七七四年
08/07/04 20:04:03 ChGzleqM
金沢を首都とする
大倭民主主義人民共和国ツアー行って
大倭百貨店で金書記バッチ買った

782:人間七七四年
08/07/04 20:25:30 O+6bfqdf
>>1のバカ

783:人間七七四年
08/07/04 20:33:37 ChGzleqM
江戸娘のあいだで
今年は長靴が流行っとるらしいで

三成老中の近江では
短いスカートがはやっとるが

784:人間七七四年
08/07/04 20:37:49 ChGzleqM
東軍勝利の為には
信頼できる留守部隊を
関東に残すべきやった

秀康や蒲生が西軍に通じてるのを
見抜けんかった狸に勝ち目なし

785:人間七七四年
08/07/05 18:29:26 KJUzoLOf
まあ東軍がかっていたら鎖国してたな

786:人間七七四年
08/07/05 21:03:40 r77mGXt8
金沢の大和が
日本一の百貨店になる

787:人間七七四年
08/07/07 23:32:04 RM2d+JNk
サミットは駿府だな

788:人間七七四年
08/07/08 02:53:51 4BaWnrCu
>>779
総合トップは蒲生氏郷
どうもスタッフに信者がいるようだ
元々三成の配下の蒲生系が関ヶ原以降に自分達の旧主を讃えるために宣伝してたからなー
秀行もアホの子扱いされて可哀想だ

789:人間七七四年
08/07/22 22:42:17 5gcExDAp
信長包囲網以前のシナリオも復活して欲しい!
以前のヒデヤボは美濃攻めシナリオも入ってたのに、創世も革新もS1は長浜スタートだからなぁ
・・・まぁ、どこまで遡っても秀吉が登場した時点で秀吉無双になるんだけど

ところで、チャレンジモードの「小田原」どうやっても攻略できないんだが、何かコツはないの?
関白秀吉の千成り一発で小田原城の耐久が10000減るんだが
統率132武勇120とか鬼だわ
知略もMAXだから計略全部弾くし

逆に、「朝鮮討伐」なんか名護屋から扇動してるだけで一揆頻発→自滅すっから渡海しなくても勝てるし、もうちょっとバランス取れよ肥

790:人間七七四年
08/07/22 23:00:22 5gcExDAp
歴ゲー板の誤爆スマソ
何度やっても小田原城防衛できないんでイラついてた

ニコ動に攻略あがってた
家康に混乱仕掛けて秀吉を巻き込めば良いんだな
タヌキ知略低いから面白いように決まるw

791:人間七七四年
08/07/23 20:51:31 VkUnp389
もし東軍が勝ってたらやっぱり敗因は直江が最上攻めにてこずった所為にされちゃうのかねえ?
関東に攻め込むのは初めから予定にはなかったというのが最近の説らしいけど。

792:人間七七四年
08/07/24 06:20:13 9A2mkxYG
は……?

793:人間七七四年
08/07/25 18:42:34 i5sDhy6U
すまん、日本語と思考がおかしかった。
東軍が負けた理由のひとつに秀頼が出馬するのを警戒して、
秀忠の部隊と合流が出来ず兵力が劣勢のまま短期決戦を挑まないといけなかったことが
よく上げられるので、西軍が負けた場合大津やら田辺やら攻めてた部隊か、
上杉勢が関が原にいなかった所為にされちゃうのかなーと……俺直江アンチだし。


794:人間七七四年
08/09/17 02:25:16 PuGm7ybc
暴れん坊関白面白い
羽柴健が演じる豊臣秀宗が活躍する時代劇だ

795:人間七七四年
08/09/26 00:00:38 Sey1M7nZ
江戸の陣では
徳川譜代の大名たちは誰一人として江戸方に付かなかったよね。

796:人間七七四年
08/09/26 09:33:20 8SiywpS+
大名じゃなくて浪人だったけど井伊直孝はかなり頑張ったよ
大名も皆家来が居る以上無茶なことは出来ないんだな

797:人間七七四年
08/10/05 04:02:09 Z2eQfabY
三河以来の家康配下はほとんど全滅で、江戸の陣での徳川軍主力は後北条と武田の遺臣だからな。
大久保一族なんか長安以外全員全員豊家に召し抱えられてたし。

798:人間七七四年
08/10/07 19:24:56 Rnhgc4qD
真田正之ってたしか交戦した吉川隊に勇戦を誉め讃えられて
息子が岩国藩の家臣に取り上げられてたよな。

799:人間七七四年
08/10/15 03:51:39 9YeDcsfq
真田はちょっとややこしい。
親父と弟が助命嘆願して高野山に追放、で監視の目を抜け出して江戸入り。
で、江戸の陣で秀頼公の本陣に迫る勢いを見せる大活躍をするんだが、
武運つたなく寺の境内で吉川公に討ち取られる。
だけど吉川公がその勇戦に感嘆して次男を引き取り後に岩国藩の藩士に引き立てられる。
後に家老にまで出世したらしい。

そういえば関ヶ原で捕えられ斬首された黒田長政の遺児も毛利で引き取られてたっけ。
黒田本家は如水が関ヶ原後、突如柳川攻め中の鍋島に襲いかかって武功をあげ
取り潰しのはずが摂津三田に懲罰的転封で済んでるよな。
鍋島にしてみりゃ立花攻めを言い出した張本人にいきなり裏切られて
攻め込まれたんだからたまったもんではないだろうが。

まあ鍋島の方は改役・浪人した後に関白家につかえその後、
佐賀藩に返り咲いてるから如水はガッカリしたらしいけど。
放浪中も勝茂の殿様育ちが抜けなくて家臣が苦労したとか逸話は多いな。
あとそれからというもの鍋島と黒田は大阪城で顔を合わせても口を聞かなかったとか。


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